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富士の霊峰を仰ぐ

(2018/03/26)追記。柱状節理の発生原因について、地質学の専門家は実験的証明としてメリケン粉を揺らして溶岩の冷却によると解説している例がある。NHKのブラタモリでも放送されたようだ。しかし、3000mを超える奥穂高が溶岩のどのような振動現象によって巨大な柱状節理状の岩石構造になるのかとても専門家の解釈を信じられないのだ。メリケン粉と水を容器の中で揺らせる実験が奥穂高の岩石の解説になるとは理解できない。

富士山は関東地方の平野に立つ、孤高の独立峰だ。仰ぐと言っても登った事も無いし、傍に立った事も無い。それでも神々しい思いになる。それは広い裾野を広げて聳え立つ。何故と尋ねても応えはしない。その安定感を観る人に与える山の姿。見る人の心を落ち着かせるだけの何事にも動じない悟りの形だ。霊峰と言うに相応しい。世界にも似た形の山がある。富士山大好きな方必見!世界各地に・・。富士山の記事を書こうと思い付いた訳が奥穂高岳に在る。確かに富士山は火山噴火の山でもある。山頂は大きな噴火の火口が口を広げている。火口周辺の距離も相当の長さだ。火山噴火による溶岩が山頂を覆っている。しかし、溶岩とは考え難い岩石が見える。剣ヶ峰(富士山)の岩、釈迦の割れ石あるいは雷岩(イカズチイワ)等は溶岩とは思えない。

奥穂高岳山頂から富士山を連想 奥穂高岳の写真を観た。ヨーロッパアルプスの山の呼び名に関連したジャンダルムとも言う山の壁が聳える。その岩の形状は木の木目の化石に見える。どの岩を観ても木目に見えるではないか。この岩に圧倒される、奥穂西穂縦走「27歳男子二人のロックな山登り―3/。山頂のこの岩石の意味をどのように理解するか。決して火山の山ではない。地球物理学の問題でもあろう。3000m級の山でも巨木の化石としたら、当然富士山ももしやと思った。火山である富士山はずっと溶岩の山と思っていた。しかし考えて見ると、噴火溶岩だけであの素敵な形に成るとは不思議過ぎると思った。四方に対称に裾野が広がっているから。だからと言って巨木の痕跡が山頂に有ったからと言って裾野が広がる理由になる訳ではないが。

富士山剣ヶ峰 富士山の山頂の尖端に構える絶壁である。決して溶岩ではない。剣ヶ峰は霊峰の心意気を突き上げた拳に見える。2018/01/04 追記。NHKの番組《ブラタモリ》で富士登山があった。剣ヶ峰に富士山気象観測所がある。その観測映像に雷の放射現象を捉えたものがあった。雲海の上からの観測映像だから、当然雷は下の雲で発生する。雷の専門的解釈は雲と地上の間あるいは雲海中での『電荷』のプラスとマイナスの火花放電と成っている。『電荷』などでなく「熱エネルギー」の爆発現象でしかないのだが。富士山観測映像を見ると、雲海内での爆発現象の如くに、雲海から宇宙に殆どの光が放射されているように思えた。その放射を見て、雷(神鳴り)様がその名に相応しく地球の加熱エネルギーを宇宙に光エネルギーとして放射して、地球を助けているように思えた。熱も光も同じ『エネルギー』であるから。

石の囁き 聞こえますか に関係して。

気掛かり 奥穂西穂縦走「27歳男子二人のロックな山登り」さんが投稿したロック(岩石)の写真はどれも迫力があり素敵だ。しかし、2011年以降の記事が見えない。

エネルギーと空間と質量

World Reality今朝、朝日新聞の読書欄に 怒り心頭の物理学者 科学哲学者と大激論 の副題で記事が載っていた。これから少し、科学哲学者らしい論考をまとめようかと思う。論点を端的に表現すれば、上の筆字に成るかと思う。いつまでも自然科学の本質への追究はやめる事が出来ない。市民が主役の科学論の世界になる為に。

『エネルギー』 このエネルギーという言葉が何を指すかを本当に理解しているだろうか。何とか自分なりの解釈を探って来た。エネルギーの分類

なかなか新しい纏めにするにはあやふやな感じが否めないが、現在の自分なりの感覚で、エネルギーの分類を試みた。少なくとも、質量に固執した狭いエネルギー感覚だけは脱して欲しいと願う。そんな思いで一つの試みを提示する。

エネルギーの分類としたが、それぞれのエネルギーには特徴がある。一番分かり易いと思う「運動エネルギー」を取り上げても、質量に付帯したエネルギーという事は、質量の他にエネルギーが増加した事なのだろうか。即ちエネルギーE=mc^2^のエネルギーが質量という中に含まれているのである。その事は最後の『質量』の話のときに論じたい。理解し難いエネルギーが位置エネルギーである。ポテンシャルエネルギーと洒落た用語で使われるが、本当のところ分からない概念である。このように1つ1つ解釈する意味を述べるべきかとは思う。熱エネルギーも『温度』との関係で、人によりその解釈する内容が異なると思う。あるいは、「お前だけが常識外れの解釈をしている」と罵られそうな気もする。物体・質量の温度が上がると言う事は、そのものの中にエネルギーが蓄えられたからと解釈すべきであろう。振動の運動エネルギーだと言われそうだが、そんなものではないと解釈する。調理用電熱器が高温になるまでには、どんな手段であろうが、エネルギーがそのヒーターに蓄えられたからである。冗長になるからやめましょう。

圧力エネルギー 自分の分類の意味が気になった。④圧力(音圧)エネルギーの意味に戸惑った。音圧、音声は局所性には分類されないだろうと思った。明らかに媒体(物体)に乗って、媒体を乗り継ぎながら、伝播する縦波の音声衝撃エネルギー(音声のエネルギー波を観測できれば、正弦波ではないと考える。例えば、人の声帯から発せられる波も正弦波とは考えられないから)の連続波である。だから音圧は局所性に入れるべきではなかろう。関連する記事を挙げておきたい。楽器などの弦は、振動が波を打っているが、それを縦波と観る。三味線と縦波に弦の歪み張力伝播解釈を記した。ここでの圧力エネルギーはボイル・シャルルの法則で解釈できるもので、圧力と体積の積で捉えるエネルギージュールの量である。大気圧を取り上げれば、地表で1気圧という空気圧は1㎡当たり、10トンの圧力がかかっている事になる。そんな圧力を感じないがそれが実際の事である。その空気1立方メートルの体積が空気媒体に保有する圧力エネルギーで、98キロジュールとなる(10トンは1万キログラムだから、その圧力は9.8×10^4^[N/㎡]となる故)。そんなエネルギーが身の回りに有るなど少しも気付かないで生活している。海底4000mの圧力エネルギーは相当なものである。そこで地盤沈下が起きれば、その津波エネルギーも計り知れない。これらはそれぞれの場所に局所化されて蓄えられているエネルギーと看做す。ついでに、道草問答(1)ゴム風船で、大気圧下のゴム風船のエネルギーを計算するのは難しそうだ。大気圧に加算されるゴムの張力と体積が必要だから。

Space 空間の意味を問う 改めて『空間』とは何かと考えてみると、漠然としか思い描けない。大まかに答えようとすれば、二通りの観方があるようだ。一つは日常生活上で意識する空間。もう一つは少し特殊な理数系の思考に上る物理的空間。

日常生活上の感覚空間 部屋や田畑あるいは山並みの広さ。空を見上げて見える広がりや月、星を眺めて思う遠景。

物理的空間 運動方程式を展開する思考空間。特殊な高等理数教育で訓練された専門的頭脳集団の一般相対論的認識空間。その思考には、人間中心的自然観で解釈する傾向があるように思う。それに対する光規定空間(自説)。光速度基準で捉える光規定空間は特殊相対性理論や一般相対性理論的空間認識の数学的解釈論の難解さはないうえに、本質的にそれらの論理を否定した簡明さに重きを置いた論である。ただ、光の規定空間をわれわれ人間が意識し、確認出来るかというと、それは本質的に無理である事を知らなければならない結果になる。何故なら、我々が自分の運動状況を知ることは出来ないからである。だから、光の観測はすべて相対的観測結果である。その事を前に空を見上げてで記した。更に、『特殊相対性理論』は詭弁論等に関連記事あり。

この「エネルギーと空間と質量」を考えると、そのつながりが複雑に見えて、別に項目を分けて記したくなる。それが世界は重層構造エネルギーの共振現象である。

空間を科学の対象として捉えるとき、そこに何か物質や物の存在する領域として考える。運動方程式は物が『質量』の場合である。しかし『光』を対象とするとき、その速度を人間が制御できない事から、『光』そのものの特性を考察対象の空間の中でどう理解するかの他力本願的解釈にならざるを得ない。光の『光速度』とはどの空間に対してなのかを人間は知り得ないのだ。ただ物理的解釈の対象としての「空間」を捉える一つの拠り所は、空間定数の透磁率と誘電率の定義定数しか持ち合わせていない。この定数は、運動方程式の『質量』に対しては全く考慮されないし、する必要もない。しかし、微視的量子の問題になれば、その定数を無視することは出来なくなる。その基本量の問題が「光」の場合である。光は『光子』と言う粒子あるいは量子的捉え方が量子論の基礎になっている。電気工学では、空間とその空間定数は密接に結びついた対象として見るが、素粒子論や宇宙論では空間特性にその定数を対象に考える事が無いように思う。『時空論』と言いながら、誘電率や透磁率が論理に出る事はないように思う。私は、電気工学の基本として、それらの定数無しに考える事は出来なかったから、「光量子」でもエネルギーを考えるにその定数無しに考えられない。Energy in Space空間にエネルギーEがあるとすれば、その定数の影響を必ず受ける。原子、分子構造の中で、変化する電磁エネルギーや光エネルギーは正にその空間特性故の変換をするものであろう。少し話が飛躍するが、揚羽蝶の翅の放射光等が幾何学空間的特性で決まると考えている。その空間が空間定数のどのような値で捉えるべきかは今のところ明確ではない。しかし空間構造と光エネルギーの共振現象と看做したいのである。「Color cell」とその空間を勝手に名付けた。色の世界を尋ねて で名付けた。その空間定数で捉える空間にエネルギーEが存在する時、どんな特徴を持つエネルギーに変化するかと言う捉え方をしたい。『質量』になるか『光』になるかはすべてその空間の広がりと特性で決まると捉えたい。

日常生活の中で、その空間と光の意味を取り上げてみる。お日様に当たると、太陽光のエネルギーが衣服や肌に入り込む。そのエネルギーで暖かいとか暑いと感じる。エネルギーが皮膚の表面の細胞か、その表面空間かに入射すると考える。その光には質量など無く、光そのもののエネルギーの縦波でしかない。皮膚細胞の空間形状と光波長の寸法に関係する現象であろう。入射したエネルギーは皮膚の中で光のままで居る訳はない。量子力学によれば、皮膚の細胞の分子か原子の周回最外殻電子の運動エネルギー(質量依存)として吸収されて何とか理屈をまとめなければならなくなる。空間に『エネルギー』が質量に依存しないで独立に存在すると言う解釈が無いようだから、止むを得ない。そんな行方不明のエネルギー論は採りたくない。どう考えるかと言えば、光エネルギーが皮膚の中に入射して、速度ゼロ状態に変換すると考えて良かろう。どこにどのように吸収されるかは分からないが、何らかの質量に変換すると考えたい。光エネルギーと熱エネルギーは、エネルギーの形態が違うだけで、エネルギーに変わりはない。『質量』とは何かと考えたとき、原子量等と、いわゆる物理学理論に基づく厳密な「科学論法」に従って解釈しないと、科学論としては認定されない事になり、エネルギーと質量の関係が落とし所も無いまま行方知らずで済まされる可能性が大きい。オラそんなのやだ、で異議を挟めば、『エネルギーと質量はどちらも同じものである』と言うことになる。こんな直覚的エネルギー空間論は大学等の学術機関の科学論には認定されないだろう。素人論と言うことになる。

質量 最後に質量について考えを述べよう。質量とは何か?質量とは?結論を言えば、空間に存在するエネルギーが局所化して、質量になる。光のようなエネルギーがどのような経過で、質量化するかと言う点が大きな問題である。その基本になる拠り所として、エネルギーの局所空間に渦巻状で停滞すると考える。Binding Energyその様子を図案化してみた。原子、分子の空間構造物の中に取り込まれるには、先ずエネルギーの軸性回転状になると解釈した。原子間の結合も、電子同士の結合では、結合力の理屈が成り立たない。原子表面の磁極間の結合と解釈している。その結合力をバインディングエネルギーと表現した。この用語は元々原子核エネルギーの質量欠損の話に使われている用語である。そこでは、質量と『結合エネルギー』を等価的に捉えた解釈を取り入れている。その解釈は大変有用と思う。磁気が空間内のエネルギー回転流と解釈した事から、論理的に繋がって素直に受け容れ易いものと思う。原子結合力も、エネルギーが原子空間表面に吸収される状況が、エネルギー回転流で収まると睨んだ。

質量とエネルギーの等価則 エネルギーも質量も表面上の形態の違いから、全く異質のものと解釈され易いが、その間には何も差が無いのである。エネルギーはそのまま質量である。ファイルにまとめてみた。質量とエネルギーの等価則

以上で、エネルギー・空間・質量の関係についての解釈は出来たと思う。