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津波(tsunami)を解剖する

(2013/05/01)追記。東日本大震災の津波の恐ろしさはいつまで経っても忘れない。二度と悲劇は繰り返したくない。しかし、海、地球の活動はすべて自然現象である。人類の歴史と同じく、すべて自然そのものである。海と共に人は生き、生かされて来た。その災害を避けたくても、地球上で生きる限りは避けられない。覚悟を決めて、海と共に生きざるを得ない。素人の自分が、津波を解剖するなどの標題で、記事にすることを恥とも思うが、情報検索しても、納得できる解説に出会わない。以下の記事も冗長で、見難いですが御勘弁下さい。ただ、「津波伝播速度」について、気象庁などの記事には、√(gd)で、海の深さd=4000 [m] として、v=200[m/s] とある。しかしその論理的な算出根拠は示されていない。海洋の津波伝播速度はほぼ 200[m/s] と解釈して良いだろうと思う。沿岸近辺に沿った場合の伝播速度は、それとは異なるだろう。津波と言う『衝撃波』の伝播現象は水そのものが流れる訳ではないので、エネルギーの『水中伝播速度』としてほぼ決まった値だろうと解釈する。音が空気中を伝播する速度や金属の衝撃波が伝わる速度などほぼ決まった特有な速度を持っていると解釈したい。水深が深い海の場合が、津波の衝撃波エネルギーの伝播速度200[m/s]と言う事であろう。(2013/05/03)追記。自然現象に対する解釈で、理数論的な接近は苦手である。どうも感覚的、直覚的な思考で方向が決まって行く。水中に潜って、水泳などのときに外の音声がよく聞こえる。空気中の音は空気を伝わる縦波の音圧である。それが水中にそのまま圧力波として掛かり、水の中の人によく聞こえるのである。その音圧も水に係る圧力波であるが故だ。そんな圧力波の水中での伝播現象も津波の衝撃圧力波に本質で共通であろうと思う。

(2015/03/26)追記。ここに示す津波の解釈は、気象庁や地震の専門家・学者の常識論とは違う。それが残念である。地殻の滑り込みによる歪みが原因で、地殻跳ね上がりで津波が起きると言う専門家の解釈が生まれる原因どこに有るかに気付いた。先日NHKの放送講座で、「横波」の講義を見た。水面波の説明で表面だけの解釈をしていた。しかも大層高価な器具まで使って。水の波は横波ではない。水中の圧力波の縦波である。その圧力エネルギーが水面を高く持ち上げてエネルギーの平衡を保っているのだ。それが水面に現れたため、横波のように見えるだけである。表面だけの自然科学論がすべての科学の矛盾を気付かないで、間違いを教育しているのである。その水の波の解釈が専門家の間違った「津波」解釈を生んでいるのである。巨大津波の原因は海底の岩盤陥没や亀裂による真空空間の出現現象だ。

(2012/04/08)追記。長く迷いながらの『津波現象』との語り合いの区切りがついたように思う。海岸での津波現象のエネルギー変換について次のファイルにまとめ、津波速度に結論を出した。

大気圧の意味 津波の本質は上陸後の破壊力に示される。普段無意識で居る「大気圧」の存在である。上陸した水の表面には、1[㎡] 当たり10トンの圧力が圧しかかっているのである。そんな力を受けた水はトンデモナイ馬力で襲いかかる事になる。大地の道路や畑に掛かっていても大気圧など意識しない。しかし津波の上陸した水に対しては重要な意味を持つ。津波の概観

水のエネルギー変換過程圧力・速度エネルギー変換

 

ここで、上の速度 V の式の数量的具体例を計算する必要がある。この(9)式は十分検討するに値する式と思う。海岸部に到達した津波が、その海岸線の影響を受けて、どのように津波速度が変化するかを考える指標になろう。津波速度には、二通りある。海洋を伝播する圧力エネルギーの衝撃波と海岸で水の移動する水流速度の二通りである。海洋の速度はほぼ200[m/s]と見做してよかろう。その津波速度は海の深さで決まるものではない。これは専門家の解釈と全く異なる。津波の恐ろしさは、海岸から陸上に上陸する水の階段状の衝撃水流である。陸上にどのように水流が流れ込むかが、「津波」の怖さである。その計算の基準として、(9)式が役立つと思う。[ 計算例 ] α=π/12=0.261 [rad], Z=10[m], H=2[m] のときに、圧力エネルギーが水の速度の運動エネルギーに換算されるとの解釈である。その速度VはV=30.8[m/s]と算定される。勾配15度はきつい傾斜だろう。しかも圧力エネルギーが一度に速度エネルギーに代わる訳ではないので、この数値30.8[m/s] はもっと小さいだろう。海岸線の深さよりも地形で、水流の規模も変化すると考える。一つの計算の解釈でしかないが、十分考慮する意味はある。

海岸部に上陸する『津波の高さ』と言う問題が論点になっている。そこで、(9)式の計算例の前に、圧力波に対する地形の問題を取り上げたい。何処まで津波の高さは到達するのかと言う点である。コンピューターの解析結果が報道されている。写真814極端な場合であるが、下の図の①は海底が平坦であれば、圧力波だけで到来したとすれば、波高値の2倍の高さまで基本的には立ち上がる筈である。しかし水の慣性で、そこまでは高く成らない。圧力波だけであるから、垂直壁面の水の速度はV=0と解釈できる。この速度ゼロで到来する圧力波が2倍近くに高まると言う意味を理解できないかも知れない。丁度送電線路の終端が解放端である場合の、衝撃波到来の反射波の為に端末の電圧が2倍の電圧になると似た現象である。岸壁がある勾配を持っていれば、上の図のように圧力が(9)式の速度Vに因る如く速度を持って上昇うする訳である。この計算例の概略は、エネルギーで見る世界ー津波ーに、ある程度の水の速度がある場合で示してある。

(2012/02/22) 追記。 津波のエネルギーを考えている内に、津波の伝播速度の意味が少し解りかけて来た。それと同時に、津波の強度を計算式に表現することの難しさも分かって来たように思う。津波の計算機での解析結果などがテレビで紹介されている。しかし、その波の波形も上下に波打つ振動波形であるように見える。波動論から計算すれば、振動波形になろう。しかし津波の波形は上下に振動する様には見えないのだけれども、私の勘違いであろうか?なにはともあれ、津波現象を正確に認識するには大変な難題であると思う。地球全体の営みとして捉えなければならないと思う。(*) ここの記事に対して、コメントが来ている。*だから、「地球マグマ」の活動の一環として、地震や津波を捉えるべきと解釈する。マグマと地球の生命   マグマのエネルギー燃焼・供給・放射現象全てが地球の生命を支えていると考える。その燃焼は酸化現象なのかどうかとても大きな疑問である。エネルギー源の供給に地殻変動は欠かせないから、地震現象が起こると?*(コメントに応えるだけの説明が出来ないのが残念である。地震、津波あるいは火山噴火などの突然の自然災害は地球全体の活動の姿である。マグマが無関係とはいえないであろう。だからと言って、マグマに関連付けた論は非難されてもやむを得ないと覚悟している。当然ながら「学術機関の研究」としては論じ得ない内容である。『電荷』の存在の否定も同じ論になるかも知れない。)津波の波動の絵図と津波伝播速度について、記事に加える。

東日本大震災から間もなく1年となる。私のブログ記事 エネルギーで見る世界ー津波ー が比較的多く見られている。それだけ『津波』に対する関心が大きいものと思う。その期待に十分応えているかと考えると、もう少し別の見方で具体的な例を挙げながら論じても良いかと考えた。津波防御対策としての安全を誇っていた堤防さえ、裏目に出る津波の恐ろしさを経験した。津波に対する対策を堤防などでどう整えれば良いかさえ、経験した現在でも方策が立てられないのが現状だろうと思う。それは、津波の本質の一般市民への解説が十分なされていないからでもあるように思う。私の解釈は専門家の解釈と地震現象が地殻の陥没と言う見方で解釈している点で、津波もその海底陥没による真空空間が原因との解釈で、基本的な部分で異なっている。私の解釈の方がむしろ平易に理解し易いかとも思う。そのような観点から、津波を解剖してみたい。

1.津波源ー海底亀裂ー 巨大津波の原因が地震時における海底の地盤陥没だと考える。専門家は地殻の滑りこみ地点で、上の地盤が滑り込みに引きずられて、歪みが貯まり、その解放での上の地盤が跳ね上がる為の海水の撥ね上げが津波の原因と言うように解釈している。そんな海水の撥ね上げで、瞬間的な海水の高波が出来る筈がないと見るのが私の解釈である。そんな撥ね上げで、海岸に到達した時のような、相当長周期の階段状の波には成るまいと解釈する。 写真815(1)亀裂発生の仕組み を図に表現してみた。 (2)津波の大きさを決めるもの そのエネルギーとパワーは何かを考えて見た。海底亀裂の大きさ即ちその亀裂の空間体積Vと、その真空空間の発生する時間微分の大きさがパワーの単位[J/s] の意味に繋がっている。海水の水深H[km],その点の水の比重を ρ[kg/㎥]、重力加速度 g[m/s^2]として、その海底亀裂の真空空間が時間微分の形で発生するとして捉えることは可能である。その値がどの様なエネルギーを表現するものかを考えなければならない。瞬時にその真空空間が海底に生じたとしたら、そのエネルギーは途轍もない値になる。もし人工的にその空間を海底に作る時のパワー、エネルギーがどれほどかを考えれてみればすぐに分かろう。そんな状況のパワーは論理的に計算できないのである。地球の力、パワーだから可能なのである。この亀裂のエネルギーも不思議な形態である。その空間に発生する巨大な「吸引力」と言うエネルギーを吸収して起こすエネルギー源とでも看做さなければならないなのである。人工的な吸引機の『瞬時真空空間』発生機とも見做せるものであろう。静水圧での計算は、その空間のエネルギーはE=gρHV×10^3 [J] 以上と看做せよう。ただし g は重力加速度約9.8[m/s^2] 程度と解釈。このエネルギー量は津波現象の大きさを評価する指標には成らない。津波の巨大さを数量的に評価するとすれば、亀裂の体積Vの時間微分 dV/dt  値に因ると解釈しなければなるまい。所謂「衝撃力」とでも言うべき津波の波頭部の大きさに関係する量と見なければならない。その衝撃の大きさが海の大洋全体に波及する原因となる。海流を引き寄せる基になる。同じ亀裂の真空空間体積でも、徐々に何日も掛けた変化なら全く何の津波も起こさない筈だから。(2012/02/23/ 追記)津波の強度をどのように評価するかはとても難しい。その辺の事をまとめて見た。地震直後の亀裂周辺の水の密度が単位㎥当たり1 ton 以上であろうが、その点の水圧をどう捉えるかも困難である。写真816以上で津波のエネルギーの形態とその概要の解釈は示せたと考える。しかし、明確に計算式で表現出来ないことが分かったと言う事しか説明できない。それも現在の力不足としておきましょう。(2013/05/03)追記。簡単な解釈を道草問答(5)津波と真空破壊力 (参考:震源地の海底水圧p、亀裂空間体積Vとしたとき、その真空破壊力P=pdV/dt [W]と定義する)に書いた。上の地震震源域での海面の波がどんな様子にな写真818るかを自分なりに推定して描いてみた。どんな波動現象が起こるかを、番号で①から④までの変化を表してみた。当然震源地での波の高さはとんでもない急峻な山型になるだろうと考える。それが①の波である。その高さは、海底の亀裂の真空空間が引き起こす原因であり、大海原全体からの引き波現象の基になる筈だ。一点に起こる水の陥没が引き波として広がると解釈する。海岸が遠浅で、そこにその引き波が到達すれば、海岸の海底が水の無い砂の平原状態になる筈である。魚がピチピチと跳ねる状態を観測している筈である。急峻な海岸の岸壁であれば、殆どその引き波に基づく水面下降の状況は目立たないかもしれない。上の図に戻ろう。吸引波(亀裂空間が引き込むと言う意味で吸引波と表現した)の特徴は、水の慣性に因る引き波で水面が引き込まれると言う波形を表現した点にあろう。遠くからの、一度波及した水の引き波現象は長く引き続く筈である。確かに震源地での水の波動は上下に振動現象を繰り返そう。しかしほとんど、波の大きさは引き波の強さで決まるだろうから、上下振動の波とは異なるだろうと考える。あくまでも上の図は引き波現象からの推定波形であるから、正確な波形解析に基づいていない事を御理解下さい。④の波形が津波の第一波として、海岸に到達する脅威となる。海岸では地形に因り様々な影響で津波のエネルギーは変化するだろうから、さらに複雑な結果となろう。

(2013/05/02)追記。以下の記述は削除する。 津波の基の亀裂が一点で起これば、その津波は同心円的に伝播拡大する筈だ。その様子を図で示そう。津波のエネルギーとそのパワーを考える糸口を探っている内に、何となく依然分からないままに放置しておいた『津波伝播速度』の海底深度との意味が分かる様なヒントを得た。ここでその意味について考えた事を示したい。しかし、水中のエネルギーの伝播速度は幾らかと言う基本的な認識が得られない為、明確な結論に至らなかったのが残念である。再び速度に関する解釈上の課題が浮かんだ。課題 津波が海岸に到達したとき、その速度はエネルギーの伝播速度と異なる。津波と言う海水その物の速度に形態が変化している。普通の水面波は水は流れない。エネルギー波だけが伝わる。しかし津波は、海岸に到達した途端に、波でなく流体その物が押し寄せる。この先の『津波速度』の解釈に結論が得られない。 海洋の伝播速度は、ほぼ毎秒200メートルと解釈する。その様子を図に示す。津波と伝播速度この図の左下に記した「津波は勿論 波はすべて縦波である。(光も電波も)」が波に対する基本認識でなければならない。なお海底亀裂を考慮した場合の、津波伝播の進行方向をも図に示した。

水 その実相』として改めて新しいブログ記事で、水中の圧力エネルギーの縦波伝播現象について考えた。

 結論 (2012/04/09)追記。地震に伴う津波現象には、その現象の伝播にも幾つかの「速度」があるようだ。海を伝播する圧力エネルギーの速度は200[m/s]程度と解釈した。その高速度に対して、水の流れる速度はまた別の低い速度である。津波は海岸でその特質を現わし、その水の速度が問題である。その点に対する解釈を、冒頭に示した。

2.市街地上陸後の津波の脅威 アルキメデスの原理。アルキメデス(212 B.C. 没)はギリシャの数学者と言われている。物理学では王冠の偽物かどうかを判定する手法で、マンホール有名な原理が『アルキメデスの原理』である。津波が市街地に上陸した後の恐ろしさが、今も映像として目に焼き付いている。その津波の恐ろしさの訳を少し考えておく必要があろう。上陸後の津波の衰えを見せない脅威はアルキメデスの原理にあると考える。全てを津波が浮力に因って、軽々と浮かせて仕舞うことにある。そこで例題を取り上げて見よう。地震の被害でとても印象に残る事がある。それは道路の中央に飛び出した「マンホール」である。その訳を考えて見た。計算すると、水の浮力のすさまじさに驚く。マンホール状のコンクリート製の円筒(底張りの)を水中に埋めるにどのような力が必要かを計算してみた。上の図のような場合で計算してみよう。浮力は F=gρπhr^2  となる。ρは水の密度で、ρ=1 [ton/㎥] である。比重コンクリートの比重は2.4程度らしい。浮力の計算にはその液状の媒体重量が必要である。参考までに適当な物質の比重を表にまとめて見た。ついでに原発事故でウラン235などの話もあるから、参考に付け加えた。各物質の重量は水の密度の比重倍で計算できる。図の底蓋の厚みが側面と同じで、d=r_2_ーr_1_としよう。その場合のコンクリート円筒の重量 M はほぼそのコンクリート部の総体積V_con_として、M=2.4×ρ×V_con_[ton]となる。この辺の具体的計算例をファイルとして示そう。写真823

この浮力が上陸した津波の威力を考えるに欠かせない視点となる。上の計算例では、僅かであるが、浮力がコンクリート製の円筒重量より勝るから、沈まない結果となる。もう一つ実際の経験に照らして、マンホールが道路上に飛び出す現象を考えて見たので、その計算例も示す。写真824

このような強烈な力を秘めているのが液状化の浮力である。それは津波が市街地に上陸した時にもたらす被害の大きさに繋がるのである。その様子を絵にした。その市街地での建物や車がいとも簡単に津波に流されてしまう。

3.津波のエネルギー保存則は? 津波は軽々と家屋や建物を持ち運ぶ。それは浮力により、底にある隙間から水が入れば、根こそぎ持ちあげる。その津波が重量物を持ち上げるに、一体エネルギーを使うのだろうか。上陸した津波は土砂も瓦礫も水に飲み込み、その全てを水の威力に掻き込むようにして突き進む。そのエネルギーを、持ち運ぶ建造物も瓦礫も土砂も全てを津波の威力を増す形で、増加しながら進む。そのエネルギーをどう計算すべきか途方に暮れる。未解決の問題である。『エネルギー保存則』の自然科学の大原則を如何に津波の解剖に役立てれば良いのか?

4.津波予測手法ー海岸引き波ー 一般市民が犠牲になる事が多い。津波の意味を十分理解していない世代になった頃に、忘れた世代の時に再び襲いかかる。海岸近くに居る人が逃げる意識を持てれば、多くの人が助かる事であろう。海岸線で、地震時の海水面の変動を確認できれば、おおよその津波の大きさが認識できるであろうと思う。危険の程度を知る手掛かりとなる筈である。地震後の海岸線での海水面が下がる時が「大津波」の予報である。(2012/02/17 追記)  今日夕方7時のNHKニュースで、地震後の海岸での『引き波』を住人が注意して観察したが、兆候が見えなかった。と言う報告が伝えられた。安全に身を守るには、「自分は大丈夫。と言う意識が危険である」と言う点が伝えられていた。また東日本大震災後の報告として、住民からの観察の実情も報道された。それらの中には、海岸部の海底が黒々と底が現れたのが無気味であった。等の話も幾つかあった。津波が大きいかどうかは、単に地震の震度の感じでは計れなかろう。この地震後の津波の予測は重要な事柄でありながら、なかなかその対策としての要点の解説がなされていないようにも感じた。それには専門家としての役割が不十分な為ではないかと考えざるを得ない。今回の津波が到来する前の海岸部の『引き波』が有ったか、無かったかの調査が基本情報として集められていなければならないと思う。しかし、津波源が「海底亀裂の発生」にあると言う認識がなければ、『引き波』が起きると言う論理的解釈が生まれないから、『引き波』の状況を集めることが難しいかもしれない。だから『引き波』の重要な監視体制も出来るのは難しいか?『引き波』が有ったか、無かったかの調査が欲しい。(2013/05/02)追記。何度かNHKの放送でも、引き波の観測状況の証言を見せてもらった。実はこの東日本大震災の前日か、前々日かに比較的大きい地震が同じ所であった。その時、引き波はどうかと気掛かりであったが、引き波は無かったようだ。だから安心した事を記憶している。巨大津波の原因が海底の真空空間であると言う認識は、どうも専門家には受け入れられないようだ。その真空空間の出現が引き波と巨大津波を引き起すと解釈する。

エネルギーで観る世界ー素粒子ー

素粒子の世界 とんでもない世界に踏み込んでしまった。考えると当然の事とも思える。極微の世界に論を進めるなんておこがましい事でもある。全くの素人が特別の専門領域にである。それはたった一つの『電荷概念』への直覚的矛盾認識からである。世界、自然世界観で、自然科学の理数分野では電荷が理論構築の根源的拠り所である。それを否定する事は、言わば科学でなく文学だと酷評される程、今までの専門家としての権威に対する挑戦ともとれる内容でもあろう。その電荷概念のもとで現在の科学技術社会を構築して来たではないかと反論されよう。素粒子とは何か?物理学の歴史を辿れば、原子論の議論がその発端と考えても良いかと思う。医療技術で「MRI」はとても有効に病気診断に役立っている。しかしその原理がよく分からないのである。理論解説で、水素原子や電子の何々と言われても私の頭ではとても理解の及ばない領域の話になる。それではと、それを哲学や文学で捉えようとしても無理である。高度な数式を使わないで、その原理を捉える事が出来ないかと儚い望みを抱くのである。そこで、どうしても『原子構造論』に論を進めて行かないと理解できないと感覚的に思う。なんで電荷が無ければ、原子の極微の世界を理解できないのかと疑念が湧く。素粒子論の取っ掛かりは昔どこかで見た写真が有る。磁界(磁束密度)B の空間に未知の素粒子が飛散してきた時、その軌跡から陽子とか電子とかあるいは中性子とかと磁界と電荷の間に生じる力で、その素粒子が何であるかと判断する様な話が有ったと記憶している。電界、磁界との間の電荷に生じる力をローレンツ力と言う数式で解釈していたようだ。磁場B[Wb/㎡]の中で、電荷q [C(クーロン)]が速度V[m/s] で運動すると、ベクトル積[V×B] に比例した大きさの力が生じる。この話を初めて聞けば、誰もがそうかと納得する。しかし、しつこく疑問を膨らませてゆくと、簡単にその通りだろうとは納得出来なくなるのである。こんな事から入って、話が纏まるかまったく成り行き任せである。この行き着く先に必ず未来が開けると確信できるから、無謀が魅力ともなる。

磁界と電荷の相互作用原理 磁界とは何か?電荷とは何か?その二つを結び付ける作用原理は何か?と言う基本的で、幼稚過ぎると思われるような『問答』が西洋の科学論には欠けていると思われる。磁界と言うものの中身を説明できるかと言う問いである。磁石などの面に近い空間に何かが有る事は誰もが感じ取れるだろう。磁石のN極とS極を近付けた時、近い程強い力で引きあう。その引き合う力をどのような自然現象として捉えるかと言う問いである。教科書の説明を見れば、NとSの間に引き合う磁束の線が有り、それがゴム紐のように引っ張り合うからだと答えるぐらいの答えしか用意できていない。ゴム紐なら、近付けば力は逆に無くなるのだけれども?高度な物理学理論では『超弦理論』と言うものがある。それは凡人の頭では、理解の域を超えて、難しい。だから、もっと誰もが解り易いように説明できないかと思う。そこで、磁石の間に磁束を仮想するより、その空間に確実に存在するものが『エネルギー』である事を認識する事から始めるべきだ。そのエネルギーをエネルギーとして実在すると解釈できないで、回りくどい磁束などと言う概念を仮説・仮想して、理論を展開するのが西洋流の科学論法である。磁石の間に何が有るか?その答えを教科書通りに、磁束で理解しようとすれば、次々と難しい概念を作り続けなければならなくなる。磁束概念では到底真理に到達できたと納得できないだろう。この辺の話になると、理論物理学者も実際の電動機・モーターの運転をする機会は少ないから、実感としての磁気エネルギーの意味を体感出来ないのじゃないかと危惧する。モータや電磁石の取り扱いや、鉄心の特性に基づく設計・コイル巻き等の製作に携われば、磁気エネルギーが何処に、どのように存在するかが感覚的に会得できると思う。殆どの磁気エネルギーは鉄心材料の空隙ギャップ間の極めて狭い空間に集中して実在するのである。そのエネルギーが磁束線で出来ている等と解釈する事で、理解出来ると言う人は、とても磁場を理解している人とは信じ難い。『磁気現象』で、最近の話題になっているのが『超伝導』である。物理学理論では、専門の研究者が競って高温超伝導材料の発見・開発に鎬(シノギの漢字を初めて知る)を削っているようだ。どんな材料が選ばれるか、とても興味があるが、結局は導体周辺を伝送するエネルギーの熱化損失を極小化出来るものが選ばれるであろう。導体金属結晶・分子構造のエネルギーの通り易さが決め手になる。決して電流(と言う電荷の通過流)が導体中を流れるのでない事だけは真理である。磁気と言う自然現象の中身は空間エネルギーを捉える解釈の仕方に掛かっているだけである。超伝導現象も導体周りの空間エネルギーの特徴の一つでしかない。以上で磁気の話から一旦離れる。

次は『電荷』に関する話になる。電荷と言う概念をどのように空間の実像として捉えるかと言う事である。世界を二つの対象概念で捉える手法は、哲学的方法論になるように思う。男と女が生物の存在に欠かせないと感覚的にも納得し、理解しやすい。昼と夜の世界も昔は不思議なものだったかもしれない。世界を『エネルギー』一つで解釈することは中々世界認識法として、感覚的にも不慣れな為でもあって、どうも難しいのかもしれない。二つの物で比べる見方が有効であるのは、世界の基本的対称観察意識に慣れている事があるからであろう。極微の原子構造をプラスとマイナスの電荷の引き合う引力と解釈する方法が簡便で納得し易かったのである。しかし、電荷のプラスとマイナスを空間像として認識しようとすれば、そのプラスとマイナスの差をどのようなものと理解すれば良いかで、ハタと困惑の域に迷い込むのである。無いものを定義・概念化する事は何時かその真実を追究する時、化けの皮を『説明不可能』と言う事態で露呈するのである。今、科学理論が抽象的概念構築で進められて来たと考えざるを得ない現実の矛盾に直面していると思う。電荷を否定されたら、物理学の根源的『原子構造論』のE.Rutherford(1871-1937)や電子発見のJ.J.Thomson(1856-1940)まで遡らなければ成らなくなるという辛い現実がある。そこで、解決法は負の電荷と質量を背負う電子概念をどう修復して電荷の無い世界の解釈法を得るかと言う問題になる。確かに原子が軸性(独楽の軸のような性質)を持つ事は間違いなかろう。様々な原子結合で分子の集合体が構成される。その結合力を電荷無しに解決するには軸性のエネルギー回転流しか道は無い。世界の結合を統べる『力』の根源は『エネルギー回転流』のみであると解釈する。電荷、磁荷間に働くと考える直線的な磁束や電束概念では、力の解釈の本質に迫れない。ここで、全く新しい磁気概念像を提示しておく。 それは理科実験に使われるコンパスについてである。コンパスはN極とS極で磁束がそれぞれの極の先端に出入りして居る像で捉えている。しかし磁束などは仮想概念で実在するものではない。磁束概念を打ち破るには、新たな合理的概念を提示しなければならない。それが、磁極の近傍空間での『エネルギー回転流』である。上の図はその概念を簡便に表現する自慢の図である。この磁極のエネルギー流の方向性を決定するに長い歳月を要した。 磁界・磁気概念の本質 にも解説。

ほぼ結論的な事を論じた。だめ押しになる話で、恐縮ではあるが、電荷と磁束の間に『力』が生じると言う解釈は電気磁気学理論には無い。ファインマン(「ご冗談でしょう ファインマンさん」と言う御本で有名な物理学者)の電気磁気学の教科書にも、「電荷も電流も時間的に不変である限り電気と磁気とは別々の現象である」とある。この事は電荷と磁気は相互に影響を及ぼす力は無い事を説明していると考える。そこで、電荷と磁気が相互作用をする原因は無いにも拘らず、何故電荷が動くと磁気との間に力が生まれるのかと言う疑問である。電荷の定義には磁気と作用するという責務を課されていない。電荷が動くと磁気と作用するのは、動いた電荷が磁気に変化すると言う事でないと論理的でない。それでは、空間的に電荷がどんなものであるかを認識できないけれども、動くと磁気を空間に作り出すと言う事なのだろうか。磁気と磁気とは確かに磁石間の力から一応納得できる。電荷が動いた時空間に電荷から磁気を吐き出すような事になるのだろうか。その空間の磁気のエネルギーは電荷のエネルギーなのだろうか。電荷が空間に電気力線として広い場所を占有すると解釈するのだろうか。エネルギーは空間に実在する真の実在量である事を認めるか、認めないかの、言わばー科学的踏み絵ーを課したいのである。

電気の大切で、有名な技術法則がある。フレミングの右手・左手の法則である。その法則はアンペアの周回積分則の電流による磁界発生の基本法則と相俟っているものである。これはモーターの動作原理を簡単に左手の指で理解しようと言う法則である。磁界の磁束の向きに人差し指を向け、中指の方向に電流が流れると、その電流の流れている電線に親指の方向の力ベクトル f が生じると言う法則である。この法則を、この本章の初めに掲げた「素粒子飛散軌跡」の説明に使っているのである。電荷の運動方向を電流の流れで解釈する方法で解説するのである。ファラディ電磁誘導則・アンペア周回積分則の物理学的矛盾  を見ても、フレミングの左手の法則などで、素粒子論が説明されるなどと言う事は、とても納得できる説明ではないと思う。

(参考文献)自然界を理解するに、現代物理学の最先端の研究に期待が寄せられているだろうが、そこには真実は見えないだろう。科学者の論理に特殊化された集団論理に偏っていると思う。少し数学的論理内容ではあるが、自然界を支配する『力』について私が唱えた、科学者集団と異なる視点で発表した日本物理学会講演概要集を参考に挙げておく。

1 力密度 f=rot(S/v) とベクトル算法 第61巻2号2分冊 p。196.(2006.)

2 磁力密度 f=rot(S/v)  第63巻1号2分冊 p.310. (2008)

追記(2013/4/2)  上の力の式は時間的な変化を含まない。それは変動のない静的な状態で、その力を認識するだけなら有効と思う。しかし、常に変化する自然現象としては不十分である。長く唱えて来た式であるが、竜巻や台風の表現式としては十分でないと思う。それは空間のエネルギー動態に対しても同様に考えられる。エネルギーは集合した形態が『質量』であると考える。太陽系はじめ、宇宙の全てにその回転に本質的特質を備えている。万有引力を軸性の回転形態を創る原理的法則と看做す事は出来ない。万有引力の法則は回転を作り出せない。世界は「軸性回転力」に因って構成されると考えたい。すでに渦巻の解剖で提示したが、時間を含む式

dp/dt=rot S  [N/(s m^2)]

が近接作用力として合理的と考える。

また、素粒子ーその実相ーとして電荷概念なしのエネルギー流での描像を描いた。

エネルギーで見る世界ー津波ー

水が示す様相は誠に不思議に満ちている。その恐ろしい姿は『東日本大震災』で悲惨な悲しみを残した。それが津波(TSUNAMI)である。津波は波であるが、波動方程式に乗せて解析できない波だと思う。特にコンピュータで解析する範囲は限られているように思う。陸上に流れ込む津波の水流まで波動方程式で表現できるのだろうか。津波は陸に上がる水の威力が問題であるから。その点で、波の本質をどのように捉えるかが極めて重要と思う。物理学理論に於いて、『エネルギーの本質』の捉え方が大変あやふやであるから、この機会に『エネルギー』の具体的な事例として、『津波』を取り上げようと考える。上の図は2007年8月に出した「詩心乗せて・・」物理学解剖論『波の本質』に乗せた図である。津波は階段波である。水に乗った『エネルギー』の流れである。ITの検索に拠ると、津波の速度が水深 h [m]に拠ると出ている。津波の伝播速度  v はv=√gh [m/s] と計算されると出ている。ただし、 g は地表の重力加速度で、g=9.8[m/s^2^(m/(sの2乗の表記法))]である。それによれば、太平洋の水深h=4000mでの津波速度は時速720km、秒速では200[m/s]と大変な高速波動と成るようだ。この速度式は、実際の観測に照らしているから正しかろう。

(1)津波速度は海岸で加速する(これは間違いである。2017/10/28 追記が正しい)  この項をどのように纏めるかで、困惑している。上に記したように、『津波の伝播速度』が v=√(gh) [m/s] で決まると言われている。gは重力の加速度で9.8[m/s2乗]の値、hは水深[m]を表すと言う。この式が本当なのか、どうかの判断が出来ずに前に進めなくなった。この式も、何故そのように成るかという理由が見当たらないのである。『波のエネルギー伝播』と言う認識で解釈するべきと考えるが、この式がその解釈と整合しないのである。私だけがその式の論理的根拠が理解できないのであれば、謝らなければならない。しかし、物理学理論には、これと同様に如何にも本質的で基本原則と言うにも拘らず、深く追究すると全くの無意味な物である事が分かる事例が多くある。従って、この式の真偽が論理的に考えて、結論が得られなければ暫くこのままに中断しておきたい。御免なさい。(2013/5/15追記)すでに津波の海洋での『伝播速度』はほぼ一定の200[m/s]と、海洋の深さに無関係であると解釈している。それは圧力エネルギーの縦波の伝播速度と解釈した。津波(tsunami)を解剖する後半に記した。(2016/10/12)追記。今読み返して少し補足したい。『速度』の意味であるが、海洋では水が速度を持つ訳ではない。津波の『圧力エネルギー』が速度を持つ訳で、水は殆ど流れない。海岸に上陸する『津波』は海洋の圧力エネルギーが水の運動速度エネルギーに変換されて、水の『速度』として水が上陸するのだ。(2017/10/28)追記。もう一言付け加えておく。「津波速度は海岸で加速する」は正しい表現でない。津波の海洋伝播速度は毎秒200メートルの高速である。しかしその速度は水の質量の運動速度ではない。水と言う質量媒体に乗った「圧力エネルギー」である。鉄棒の一端を叩けば、先端にまでその衝撃が伝播する。鉄棒の各部は僅かな縦振動をするだけで移動はしない。それと同じく水は移動しない。圧力エネルギーだけが伝播するのであり、水は海洋の津波の高さの上下運動の波を打つだけである。そのエネルギーは物理学での運動エネルギーでも位置エネルギーでもない。海岸ではその圧力エネルギーが浅瀬の為に、同じエネルギー(保存則の原理に因る)を伝播するには高さの増加に因るだけでなく、水の運動速度エネルギーに変換せざるを得なくなる。その水の移動に変換した運動エネルギーの速度は海洋圧力波伝播速度とは比較できない遅さである。海岸ではその地形で圧力エネルギーと水の移動の速度エネルギーとの割合が変化しながら、元の海洋圧力エネルギー波の『エネルギー量』を保存したままで津波の上陸となる。最近テレビで、南海地震の想定の映像での海岸線の波の映像を見て、何かピコ、ピコと跳ね上がる様な波の様子はちょっと津波の映像に相応しくないと感じた。海洋伝播の圧力エネルギーの意味を捉えていないからではないかと思う。物理学の『エネルギー』認識に問題があると。海岸線で津波による海面が競り上がる映像でなければ正しくはないと思っている。

(2)津波の高さとはどのような意味か 、以前から気掛かりであった。北海道の『奥尻島』の地震に伴う津波が高台まで届いて、多くの犠牲者が出た。その時専門家が言うに、「何でこんな高いところまで波が来るのか」と驚く解説をしていた。私は当たり前の事と思ったから、逆にその発言を訝った。この度の津波の高さがやはり問題視されている。そこでITで検索すると、解説が間違っている事に気付いた。(2013/04/30 追記)海上で見る津波の高さは海面に対しての高さを言う。しかしその波が海岸に到達したとき、どの高さまで上がるかという『高さ』はその海上の波の高さとは全く異なる『高さ』である。それは海岸に到達した海水の持つ『エネルギー量』で決まるのである。海岸に到来する波の『エネルギー』をどう解釈するかに係っている。その点の解釈を自分なりに纏めてみた。堤防面と津波

津波の高さとは? 上の図で私の解釈する『津波の高さ』と言う意味を説明したい。このたびの震災でも10メートルの堤防を津波が超えて、街が大災害を受ける結果になった。残念であるが、その堤防と津波の高さと言う意味には誤った認識が有る。何も海で津波の高さが高くなくても、街に到達した時のその『波の高さ』と言う、どの程度の高さまで到達するかと言う意味とは異なるのである。それを上の図に示した。(この図には表現内容に不十分な点がある。それは堤防を登る津波の水流の断面積に間違いがある。流れる水流を頂上まで一定とすれば、断面が減少する事はないから。その図表現は正しくないのですが、その点をお許しください。)海岸線が平坦で、その津波の高さがh_s_(下付き文字sの表記法とします)、津波の速度がV_s_で水深に無関係に同じ速度と仮定する。その津波が堤防を越えるのである。津波その物の高さが高いのではない。津波も一定の衝撃状の階段波であるから、普段の上下する様な『水面波』の形状はしていないのである。押し寄せる階段波が後ろから連続して来るから、その前の水の波は堤防の面に沿って押し上げられるのである。堤防の途中の、高さhの点の単位体積当たりの水が保有する『エネルギー』、それをE_h_[J/㎥] のエネルギー密度とすれば、

E_h_=ρgh+(1/2)ρV^2^[J/㎥]    (1)

と位置エネルギーと速度エネルギーの和として表現できる。ここで数式を直接記すには文字の表現に無理があるので、数式をファイルで示す。津波到達高さ(2017/09/09) 追記。津波と水力学の運動方程式との関係には難しい問題がある。用語で『速度』と言うと、一般的には質点の移動速度で解釈する。海洋を伝播して来る津波の速度は質点の速度ではない。水は運動しないから質点、質量の速度ではない。「津波の速度」とは「圧力エネルギー伝播速度」である。速度Vsとはエネルギーの速度の事である。海岸に到達した時、その津波の『エネルギー』は殆ど減衰しないと考えなければならない。海岸の浅瀬に到達した津波の『エネルギー』は海底の地形や海岸に入り江の形状などで、水の質点の運動エネルギーに変換し入り江が狭まれば、どこまでも高さと水の速度に元の海洋を伝播して来た圧力『エネルギー』がすべて等価的に変換される訳である。だから地上に到来する津波の高さとは海洋伝播の圧力『エネルギー』が損失無しに殆ど変換されると解釈しなければならない。『エネルギー』の等価変換により、障壁が有れば海岸全体の地形との関係で、エネルギー分布バランスが成り立つ高さまで何処までも乗り越えることになる。津波の上陸する『高さ』や『速度』と言う用語の意味は、すべて『エネルギー』の等価変換から割り出されるもので、幾らと決められるものではない。

一方、その水が丁度堤防の高さまで届くとしたら、そこで速度がゼロとなると考えれば良い。その堤防の高さがHメートルとする。その点における水のエネルギー密度は E_H_ [J/㎥]と成り、そのエネルギーは位置のエネルギーだけとなるから、

E_H_=ρgH             (2)

である。今(1)式で、津波を海岸の到来波で考えると、高さh_s_[m] 、速度V_s_[m/s]であるから、そのエネルギーは

E_s_=ρgh_s_+(1/2)ρ(V_s_)^2^ [J/㎥]     (3)

と成る。エネルギーの保存則が適用できる場合と言えるから、(1),(2)および(3)式が全て等号で結ばれる事に成る。(2)式=(3)式より、津波が到達する堤防の高さ H は 次式で求められる。

H=h_s_+(1/2g)(V_s_)^2^ [m]

以上で説明した事は、津波その物の高さ h_s_と到達高さ H とは異なると言う点である。例題を一つ挙げておきましょう。h_s_=7[m],V_s_=2o[m/s] としてみましょう。その時、H=7+(1/2)(1/9.8)20^2^=27.4[m]  の高さまで登る事に成ります。また堤防に面した部分は殆ど水が静止した状態となり、高い水圧がかかるものと解釈する。静水圧は堤防の最下面でH=27.4[m]の水深圧27[ton/㎡]にも成る。その力は津波が街を破壊する恐ろしさを秘めている事を示す。水には物を軽々と持ち上げる『浮力』と言う力がある。

津波の破壊力と液状化現象 この度の津波の破壊力の凄まじさに地球の生命の実相をまざまざと見せつけられた。堤防もコンクリートの建物も薙ぎ倒して破壊した。上昇水面テレビで、その様子が放映され、コメントが有った。引き波の威力が強調されていた。

(追記 2012/02/10)  これ以降の私の解釈について訂正しなければならないことがあります。今まで放置した事をお詫びします。それは以前NHKの解説映像を見た。それは津波の返し波で建物が海側へ倒壊している原因を探る実験映像であった。その時に訂正しなければと思いつつ放置して来た。上の図の『破壊力点』と示した点についての訂正です。その点は確かに水圧が最大と解釈出来ますが、あくまでも「静水圧」と考えるべきです。動的な破壊力としては堤防を越えた水流が陸側の堤防下端に落ち込む時の岩盤土砂の「えぐり取り」が堤防破壊の一因になっているだろうと解釈する。そこで、堤防を越えて流れる場合の様子だけ図に示したい。更に他の点についても改めて、別に論じさせて頂きます。

(2019/01/18)追記。この部分を削除し訂正する。津波が帰る引き波で堤防が海側に転倒するのは理屈に合うと思う。

『液状化現象』と言う問題がある。地震に伴い地表面の土壌が液状化する。土砂と水が液状に成る現象である。その泥水状態は途轍もない破壊力を持つのである。『アルキメデスの原理』は古典的物理の英知である。その原理によれば、水と土砂では流体の比重差が大きく、土砂の場合にはトンデモナイ浮力の破壊力となる。6年ほど前の『中越地震』で近所の殆どのマンホールが 1 mも高く飛び出したのである。異様な光景であったが、液状化した土砂はコンクリートなどいとも簡単に『浮力』で持ち上げてしまうのである。津波は汚泥状で押し寄せるから、建物の下面にその汚泥が入り込む僅かな隙間が有れば、忽ちにして強力なアルキメデスの浮力で浮き上がらせてしまうのである。『水の神通力』とも呼べる不思議な水の素顔が隠されているように思う。水には本当に『エネルギー保存則』と言う物理学上の大原則が成り立つのだろうかと言う『魔物の力』さえ感じる。浮力で持ち上げて物に水はエネルギーを消費せずに、それをエネルギーの上乗せとして、津波の威力を拡大しているように見える。防波堤がどんなに高かろうと、津波の力は液状化と支える岩盤との調和がとれた構造設計が無ければ、『建設費の無駄』に終わるのであろう。

(追記) 有り難い事にこの記事を見てくださる方が多い。確かに地震関係の専門家の解釈には、学説に忠実で、日常感覚からずれていると思う。今回の『東日本大震災』は地震時の津波現象の恐ろしさを如実に示した。関連で、「大津波の発生原因を探る」 にスマトラ島沖地震後の海底亀裂断層写真ー『朝日新聞、2005年3月30日付記事』-と、私の古い図解を再掲した。

(2013/05/01)追記。海底亀裂について、道草問答(5)津波と真空破壊力に述べた。震源地が近い場合は、海岸線で引き波があるか無いかで、その津波の大きさが推し量られると解釈する。引き波(津波到達前の)があれば、巨大津波に成るだろう。それは海底亀裂が原因となるからである。この解釈は、気象庁など、専門家は採らないようだ。近海での地震時に、津波警報が出る。放送で避難を呼びかけることに成る。しかし、50cm程度の津波で済むことが多い。50cm程度の時に、津波警報での避難と言うのも、本当の巨大津波が発生した時に対する警戒感を削ぐと心配である。海岸での引き波(津波前の)を監視する対策が欲しい。堤防を高くする津波対策は、引き波(津波前の)を捉え難くする。また、水の特性も中々捉えにくいと思う。そこで、水 その実相および津波(tsunami)を解剖するに少し自分なりの考えを纏めた。

電流は流れず

(2019/06/04)追記。ITに質問が有る。『電流が電子の逆流と言う解釈』の矛盾に何故気付かないのか?電子がマイナスからプラスへ流れると言うのが・・・・ に真剣な質問が有る。解答者は定説に固執しているだけで、何も疑問を抱かないのかな。そこには科学はない。確かにこの標題『電流は流れず』は極端な表現で誤解を与えやすいことではあるが、科学技術概念としての『電流』は優れた計測量であり、西洋文明の貴重な技術文明の成果である。しかし電子の逆流で説得しようと言う解答者の意識は本当の理科教育の阻害となり、考える教育にはなっていない。今は『電子』とはどのような空間像で捉えるかが問われているのだ。参考に技術概念『電流』とその測定 (2018/09/24) 。

(2019/02/02)追記。今この『電流は流れず』と言う意味について述べておきたい。電気磁気学が物理学の基礎科目と考えるのが現在の大学の教育指針になっているだろう。しかしそれはオームの法則とクーロンの法則等の電気技術理論の内容でしかなく、自然世界に存在しない『電荷』概念に依存した仮想的技術論なのである。昭和62年春の『静電界は磁界を伴う』から始まって、その年の秋の「電磁エネルギーの発生・伝播・反射および吸収に関する考察」電気学会、電磁界理論研究会資料EMT-87-106 ,(1987年10月8日)をまとめるに当って、8月5日ごろ決断したのが『電流概念の棄却』であった。どう考えても、電流と言う概念が自然界の真理とするには余りにも矛盾が多過ぎて、論理性で耐えきれないと重い決断を自分に課した。全く無知な自分が関わる中曽根教育審議会に絡んだ、大学事件の中でのことで、進退極まった精神から選んだ決断-電流棄却―であった。その昭和62年9月1日長岡技術科学大学で特別講演会が開催された。その御講演者が仰った言葉『不立文字』を覚えている。今になれば、『電荷』否定から、電流は流れずと成り、電界や磁界さえ自然現象を解釈するに使えない処に辿り着いてしまったようであり、正しく『不立文字』の世界に居るような感覚である。

(2013/08/14) 『電流は流れず』と言う物理学理論の根幹を否定する自己洞察は26年前に始まった。2005年5月3日に短文にして文集を出した。(2016/06/16)追記 少し忘れていた。2005/03/24に日本物理学会年次大会で、『誤った電流概念』の標題で発表していた。その時、26日には『クーロン力とは何か』でも発表していた。もうその時に、『電荷』概念は論理的に矛盾に耐えられないと確信していた。現代科学論の研究内容には及びもしない話で、せいぜい高等学校の教科書の内容の深い認識でしかない。しかしようやく、電気現象が『光速度』との関係で認識出来るようになった。それが電気抵抗のエネルギー論である。

(2012/03/09) 記事追記。『電流』は科学技術を支えてきた基本概念である。しかしその物理的実像を捉えようとすると、論理的な矛盾に突き当たる。その意味を解説し、理解頂くには余りにも多くの事象との絡みを解きほぐさなければ無理である事も分かる。この『電流』に関係した事を総合的に考えて初めて、『電流』が流れていないと理解できるのである。そこで初めに、関係する記事を拾い出しておく。 電流計は何を計るか 磁界・磁気概念の本質 『電荷』という虚像 電子スピンとは?-その空間像ー 超伝導現象とは何か? ファラディ電磁誘導則・アンペア周回積分則の物理学的矛盾。更に付け加えておこう(2013/08/15)。クーロンの法則を斬る 『オームの法則』-物理学解剖論ー

『電流』と言う物理概念の教育上の意味を考えてみた。それは電流が電気回路導体の中など流れていない事実が含む意味についてである。何故実際に流れてもいない電流が本当に流れているが如くに教えられているのかは、とても深い教育上の問題を含んでいる。乾電池の(+)、(-)端子に電線で豆電球を結べば、その(+)端子から豆電球を通って(-)端子に向かって電流が流れると考える。ところが、そんな電流など流れていない事は誰でも考えてみれば当たり前の事と気付く筈である。しかし、簡単にはその事に気付かない。電気回路の基本にオームの法則がある。教室で電気回路の考え方を教える時に、この法則なしには不可能である。電流なしには大学入試の理科の問題も行き詰まってしまう。電流一つが教育上の社会的大問題を抱えている事になる。高等学校も大学も電気磁気学の授業が成り立たない。

この物理学の基本概念、電流が自然科学とその教育の根本に真剣に取り組まなければならない楔を打ち込む事になると考える。もしこの矛盾を放置したままであれば、物理学教育の何を論じても陳腐な議論になる。はっきり言えば、嘘を純真な子供たちに教えて済ましている事になる。それが物理学教育の実態であると言わなければならない。

電流は流れず。その意味を説明しよう。直流回路で、電流計をその(+)端子に流れ込むようにつなげば、指針が振れて如何にも電流が流れているように指示する。だから誰もが電流が流れていないなどとは考えにくい。電流の単位アンペアは定義から毎秒当たりに通過する電荷のクーロン量である。ならば、正電荷が乾電池の(+)端子から電流として流れるのかと問えば、否定される。真空放電管内の現象は(-)端子から電流とは逆向きに何か(電子)が流れることを示す。それでは、電流の逆向きに負電荷が流れると理論構築しようとすれば、それは矛盾に耐えられない。真空放電管内で見られる電磁気的現象をどう解釈するかも、電流は流れずの説明に有効である。放電現象と電荷・電流概念 も電流概念の意味を理解する参考になろう。

上の「電流は流れず」の意味は掲げた図の懐中電灯回路で考えてみましょう。オームの法則を始め科学技術を支えてきた歴史的に重要な、科学概念・法則が現代社会を支えている。「科学技術」と「物理学」は表裏一体のものとして受け止められている。科学技術を支える原理が「基礎物理学」であると。電気回路で、電圧E[V]と電流 I[A]の積で、電力P=E×I[W=(J/s)] の形でエネルギーの時間的消費比率が確実に計算される。その電力に時間 t [s] を掛ければ、消費したエネルギー量が算出され、電気料金の取引が成立する。こんな便利な科学技術は、長い歴史的な先達の努力によって初めて完成したものである。しかし、懐中電灯の回路からどんなことが学べるかを考えてみたい。科学技術と物理学の関わりについて考えざるを得ないのである。特に「物理学」は理論に偏り過ぎる為、複雑な数学的概念上での議論に抽象化され易い。その為この世界を認識する手段に、新しい概念を次々と加えて、古い概念との関わりを曖昧のままに議論を作り上げるようになる。「電流」と言う概念は技術概念としてこの上なく有用な概念である。しかし、それがどのようなものを意味しているかは考えようとしない。曖昧なままにやり過ごしている。それでは「物理学」とは言えない。実際に電気回路の導線の中を「何が」どのように流れているかをきちんと説明できなければ、それは『物理学』ではない。電流 I[A] と言うのは、もし電線の中を何かが流れていると考えるのであれば、その電流の定義から、毎秒当たりに 電荷がI[C(クーロン)]通過すると言う意味で解釈しなければならない。しかし、電子は負の電荷で定義された物理学的素粒子概念であるから、電流の流れる向きに、電子が流れるとは誰も言えない。(2019/06/04)追記。電子が電流と逆向きに流れると解説される。それで本当に分かると思っているのだろうか。それでは何も考えていない解説としか言えない。教育者側の問題がそこに在るのだ。以上追記。では「何が」流れるのかと尋ねざるを得ない。なお電流と言う概念の定義から、もう一つ曖昧な事がある。それは電流が電荷の時間微分と言う数学的「微分」と関係づけられている点である。例えば、懐中電灯回路の電流は、電池の電圧が一定であるから、流れる電流は一定値である。電流が電荷の時間微分なら、その数学的意味を電荷に適用すれば、時間的に電荷が一定の割合で増加する事と看做さなければならない。そんな電荷の分布状況を頭に描く事が出来るだろうか。導線内の何処の電荷が一定に増加すると理解すれば良いだろうか。もし電流が一定値と言う意味を導線内の何処でも一定の電荷が分布して、それが流れ続ける状況と解釈すると言うのだろうか。もしそうだとすれば、導線内の何処でも電荷の時間微分は「ゼロ」と言う、「流れるのに流れない」と言う数学的矛盾に陥る。「電流」と言う概念一つを取り上げても、その物理的意味を掘り下げようとすれば、「怪しい物理学」の臭いに包み込まれてしまうのである。

電流概念は論理的に厳密性を保証されているとはとても言えない。それは電荷概念、電子概念が極めて曖昧で、全く論理的な追求に耐えられない代物であるからである。

さて、実在と言う世界に照らしてみれば、懐中電灯回路で疑いなく存在するものは『エネルギー』である。電荷や電圧があろうが無かろうが、電池のエネルギーが確実に電球を介して放射される。そのフィラメントの近傍空間内でのエネルギー貯蔵が高温部を作り、その熱エネルギーが「光エネルギー」として空間に放射されるのである。そのエネルギーそのものの実在性を物理学は認識せずに、回りくどい様々な概念の組み合わせで辻褄を合わせているのである。しかし、そのエネルギーを実測しようとしても光の速度で流れるエネルギーを測定器で検出することは不可能である。光の計測単位ルーメン [lm] がエネルギー(ジュール[J])換算できない事にも表れている。エネルギー[J(ジュール)]とJHFM単位系 御参照ください。だから、太陽光線の入射エネルギー率P[W=(J/s)] の単位面積当たりの値を測定できないのと同じ事である。

追記(2013/6/22) 最近電気に関する記事を書いた。電流と電圧の正体 力学から見た電流矛盾    回路とエネルギー流ー電流解剖論ー 生活電気と『光速度』 等に電流概念の矛盾論を主に記した。

エネルギー[J (ジュール)]とJHFM単位系

物理学の矛盾に戸惑いながら、その基礎理論に切り込むための基準量[J(ジュール)]で単位系を新しい形で提唱した。それは1998年春の事である(日本物理学会講演概要集 第53巻 第1号 第1分冊 13頁)。

不明単位の追加

2011/03/11 の東日本大震災で福島第1原子力発電所が大きな2次災害を引き起した。その放射能関連の問題が湧きあがった。放射能(?)の次元・単位・用語の問題である。ベクレル[Bq]とシーベルト[Sv]がその計測単位である。しかし光のルーメンと同じく、その単位の意味は理解できない。所謂業界用語の計測単位なのである。物理学の教科書には、1[Bq]=1[event/s]および 1[Sv]=1[J/kg]と示されている。eventとは原子崩壊の回数を言うものである。1秒間に何回原子崩壊が起きようと、その原子から放射されるエネルギーが人体に影響するものもあれば、何の影響も与えない放射エネルギーもある。だから「何ベクレル」と言われても全くその放射能(?)の人体に対する危険度を認識できないのである。シーベルトも同様に、エネルギー量の単位ジュール[J]を放射能(?)量に換算して、計測しているとは信じられない。空間の光エネルギー量を的確に捉えられているとは信じられない。放射能(?)の計測量と人体への危険性との関係は、今でも私には理解できない業界独自単位に見える。その計測単位を明快にする事も「科学技術社会」の重要な課題である。(2012/06/20) 『放射能』という用語の概念が不明確である。放射性核物質の『放射性能・放射性強度』程度の意味を込めた用語であろう。その使い方を考えると、放射性核物質からの「放射線強度」あるいは「放射線量」と言う意味と解釈できる。放射能と発熱の正体は何か?に考えを述べた。放射能の用語に(?)を付けた(2014/03/10)。

放射線計測に科学技術・理論への不信  (2012/09/16) 追記。先日ある食品の放射線量が190㏃で、限度基準値を越えた。そんなニュースがあった。2011年3月11日の原発事故で、放射線計測値に疑問を持った。報道される度に、その定義値の意味を確認して来た。しかし、1年半経った今でも内容が不明のままで堂々と測定値として罷り通っている。文部科学省は『モニタリングポスト』も設けて、大気中の浮遊放射性物質濃度を測定している。何を計っているかも明確に説明できないままで、科学技術に関する重要な行政の役目が果たせるかと信じられない状況である。厳密な定義、辞典で説明しているシーベルトが [J/Kg] やベクレルが[event/s] と言うものがどの様に測定値に意味付けられるかを説明する必要が有ると思う。こんな単純な疑問にお答え頂けないままで放射線測定値が独り歩きしている事に戸惑いを抱かざるを得ない。この状態で、どこに「科学技術・科学理論」への信頼が得られましょうか。食品から検出された190㏃とは、食品の中に含まれている『放射性物質』から放射された線量値である。食すれば、体内に取り込まれる。放射性物質の種類までは特定できないので分からないが、プルトニュームかセシウムでその生理学的危険性は異なる筈だ。その物質の単位時間当たりの放射回数(events)ではどのような危険性かが理解できない。放射性物質の1原子が1回の原子核放射で、その原子の放射現象が終了するのかどうかもはっきりしていなかろう。放射性物質の集合体として、全体で放射が指数関数的な半減期減衰特性に従うものであろうと解釈する。シーベルトと言う計測単位も、理論で言う「J(ジュール)/Kg」のエネルギー量の単位ジュールがどのように計測されるのだろうか。しかも空間を通過する放射線量(光速度)あるいはα、β線粒子等を、モニタリングポストの検出器でどのように捕え、それをどのようなジュール値として検定して、測定値を決められるのかを問わざるを得ない。以上の論点は、辞典や教科書の定義や理論解説に基づいた解釈からの考察である。それ以外の新しい私の知り得ない知見で、放射性物質に関する測定値が定義・解釈されているなら、希望が持てるかも知れない。

放電現象と電荷・電流概念

(2012/03/13) ここに記した内容が『電流は流れず』の記事の説明に良く纏められていると、読み返して思う。後程、図を拡大し直す。

 物理学基礎概念に『電荷』がある。電磁界現象に関する論述には、その基礎論の論拠になるのが電荷である。電荷概念なしに理論の構築は不可能である。しかし、電子の負電荷が実在するかと問えば、その実在性を証明する事は不可能である。 図1.は高真空の放電管である。放電管のプラス、マイナス端子に高電圧を掛けると、1の陰極から電子が放出され、2の十字形の+電極の近傍を通過した電子が放電管の蛍光面3に十字形の跡を浮き上がらせる。この実験を通して、何かが1から3に放射されている事は確認できる。それを「陰極線」と言うことから、現在は「電子」と言うようになった。しかし電子と呼ぶのは結構であるが、電子が「負電荷」と言うものを持っているという解釈、概念は、何故かという問いに答えられない。その説得する論理性は持ち得ていない。陰極からエネルギーが放射されて、蛍光面にそのエネルギーの衝突で光に変換されたと解釈するなら、矛盾は無い。しかし、負の電荷をその電子の具象概念と解釈するとすれば、何故2の十字電極に吸収されずに、まっすぐ3の蛍光面に十字の影を作るか。また、電荷概念の力に関する基本法則はクーロンの法則である。近づけば逆二乗に反比例した強力な反発力で反発分散せざるを得なくなる筈である。しかし、この放電管の放電体の電子には、負電荷同士の反発力など何処にも確認するだけの根拠が見えない。自由に電子ビームは収束・分散の制御ができると言うことは、電子同士に電荷概念に基づく反発力など存在しないと見ざるを得ない。ブラウン管式テレビでも、電子顕微鏡でも、誠に巧妙に電子ビーム制御が行われる。

 図2.のガイスラー放電管の内部放電現象も中々複雑な模様を作り出している。この縞模様も単に電子が通過する事によって、出来る模様だと説明するだけの根拠がある訳ではないと考える。

 図3.のハミルトンの風車について考えてみよう。私が新潟県立新津工業高等学校での最初の学校公開祭で、高電圧の実習装置の公開実験に選んで行ったのがハミルトンの風車であった。卍形の電気銅線で直径40センチ程の大きなものに、電圧3万ボルトを掛けた。負電極においては、相当の回転速度で回転する。正の電圧に比べて、負極性で力強い高速回転をする。これは、確かに「イオンエンジン」としての宇宙空間での強力な推進力となるものという感触、手応えを感じる。

 最後に三極真空管を取り上げてみよう。今は昔の技術になってしまった。5球スーパーヘテロダインラジオなどと言うもので、世界の情報を手にしていた。もう博物館級の技術になった。この真空管の中も、電子と言う陰極線がカソードKからプレートPに流れる放電管と言える。電子の空間電荷の分布密度、いわゆる空間電荷効果と言う概念を利用した、エネルギー制御管である。この真空管の内部を通過するものも、熱陰極から放射される電子と言う解釈で理論が構築されていた。勿論、電子の逆向きに流れる電流などと言うものは流れていない。管内を流れ得ない物が真空管の外部導線の中を流れる電流などと言うものが実在する訳が無い。

 ここに取上げた放電現象の原因たる主体の物理学的正体は何か。と言う命題が持ち上がる。どれも電子がその正体であると解釈されてきた。負の電荷を身に纏った素粒子であると。ところが、導線を流れる電流と言う概念、あるいは電流の正体は、どのような特徴で認識されるかと問われれば、導線の周りに存在する磁気の強さで、その導線内に電流が流れていると解釈するのである。それでは、磁気があるということは磁石を近づければ確かめることはできるが、磁気の存在を確かめたからと言って、何も電流が流れている事を証明したことにはならない。何故かと言えば、電子には、負の電荷を纏っているとは定義されているが、磁気を纏っているとは全く考えられてはいないのである。だから電子が流れても、決して磁気が遠隔作用によって、導線の近傍に生じる等という理屈は成り立たないのである。逆に昔、磁気現象の存在の確認で、電線内に電流と言うものが流れているからだと決め付けてしまった事が誤解の原因となってしまっただけなのである。電子にはスピンという特性が備わっているとは言われているが、スピンが導線外部の磁気発生の原因になると説明できる論理性は無い。磁気も空間のエネルギーであり、電流が存在するからエネルギーになるなどと言う解釈は、余りにも幼稚で、論理性を無視した理屈と言わなければならない。

 結論は、全て『エネルギー』そのものが空間に存在するのである。導線の周りにも、エネルギーが流れているのである。放電現象の全てが、電荷などと言うものによって生じるものではなく、エネルギーそのものの流れである。しかも導線の中などには、エネルギーもほとんど入り込めないのである。内部に侵入したエネルギーは熱エネルギーに変換して、損失となるものが多くなる。電源の負側から負荷を通って、電源の正の側に流れると見なければならない(2016/06/30追記)この電源の正側に流れ込むは訂正しなければならず、放電管もそこでエネルギーが消費されると解釈すべきである。量子力学として、現代物理学の基礎をなす場合の、半導体素子の内部制御理論も、原子構造内部の格子構造内を通過するエネルギー流と解釈すべきものである。全ての統一的現象論はエネルギー一つで捉えるべきものである。