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雨蛙と幼生生殖

(2016/10/20)追記。今年の新しい観察。ネジバナと雨蛙がオタマジャクシ説を否定する観察記事となろう。

(2015/11/10)追記 日本雨蛙のオスと言う記事を書いた。そこに示した一枚の写真がある。足の縞模様が強い緑色の蛙だ。今まで、日本雨蛙の生態で、オタマジャクシ説となった原因がそのカエルではないかと思う。おそらくオタマジャクシから成長した蛙の姿がその縞模様の蛙であって、それを日本雨蛙と勘違いしているからであろうと思った。♂2日本雨蛙に非ず

(2015/09/09)追記 昨日は大変な日に成りました。私が思い違いをしていたのかと教えられた。実は下の雨蛙の首に付いている虫はオオキベリアオゴミムシと言うオサムシ亜目の昆虫だとの指摘が有った。それにしてもこの日本雨蛙の表情にはそんな虫が噛みついていると言うような苦しさは微塵も見えない。何が有っても、この雨蛙の優しい表情は長く心をいやしてくれた。幼生生殖と勘違いしたとしても、日本雨蛙の生態は決してオタマジャクシでない事だけは確信している。どんな他の解説も、オタマジャクシ説だけである。しかしその解説の雨蛙は殆ど日本雨蛙とは見えない。緑色で似ているようだが、どこか腹の模様などで違う感じのものばかりだ。ここに遠く離れた田んぼから大量の雨蛙がやって来る筈が無い事だけは間違いない。昨年しばらくここに縞蛇が生息し、殆どの雨蛙を捕食してしまった。もう居ないと思っていたが、今年も小さな雨蛙の子供が生れ出ていた。寸法は1㎝ほどの新生である。土の中に細い真っ白な弱弱しい手足の出たオタマジャクシ状の幼虫の群れを観察しているから、土の中から生れ出ると確信した。しかし、土の中にどのように卵を産むかは大きな謎である。それで、下の写真の虫がもしやと思ったのが間違いだったかと反省する。オタマジャクシ説はその成長過程で、尻尾がみえるものは日本雨蛙ではない。しかも赤橙色などのものも雨蛙ではない。今は田圃も改良整形されて、殆ど雨蛙も生息して居なくなった。山の田圃であれば多く居るだろうから、畔に網を掛けておけば、その中に土の中から生れ出るのが確認出来るだろうと考える。マッチ棒の太さほどの穴から出ると考える。日本雨蛙が多く生まれる時期は6月下旬の比較的雨が大量に降って、田の畦の土が柔らかくなった日に発生することを確認している。

雨蛙の秘めた思い 雨蛙が伝えて欲しいと言っている。いつも脇にある。雨蛙の額。何度も載せた写真であるが。

幼生生殖 こんな言葉と生態が有る事を教えられた。先日「妖精」の言葉を辞書で引いていた。同じ「オン」の「幼生」に出会う。ー説明:成体になる前の幼生の段階で次の世代の幼生をつくる。単為生殖。幼生 オタマジャクシなど。(新潮国語辞典 現代語 古語)ー確かにオタマジャクシは蛙になる前の幼生である。しかしオタマジャクシは幼生生殖はしない。オタマジャクシがさらに新たな幼生をつくれば、それが幼生生殖となる。この辞典の説明で、その生物的生態の存在する自然界の多様性に度肝を抜かれた。その驚きがいつも脇に掲げてある「額縁の雨蛙」と繋がった。決して、雨蛙は水の中に卵は産まない。この小さな水の無い庭の中で多数の雨蛙が生れ出る事実がその真実を如実に物語っている。今は、もうこの庭もコンクリート、アスファルトで固められた市街地の中、雨蛙の生殖の遺伝的交配も不可能になり、生物的自然環境が失われてしまった。それは近所にある田圃も大規模の改造農地に変化して、生物環境は悪化している。田圃も稲作工場の感が強い。また5,6年ほど前から、すでに秋の「秋アカネ」の大群が山から下りて来る日本の風景が、この東側の空から消えてしまった。一度消えたら回復を望めないのだろう。もう少しで、夏の猛暑が植物の葉を赤く焦がす現象などを見ると、雨蛙も消えて行くのだろうと悲しい。

雨蛙の幼生生殖 雨蛙の消えゆく生命への鎮魂の思いも込めて、その生態の不思議な意味を伝えなければならない。幼生生殖が正しく雨蛙にあるのだ。写真の雨蛙のお腹に付いている不思議な虫が「雨蛙の幼生」と判断を下した。土の中に新たな幼生を生むその幼生であると。私が、雨蛙の生態で土の中に塊になって、群生している沢山の白い虫を見つけて、その虫の意味を理解するまでに何年も経過した。水の全くないこの庭に生れ出る3,40匹の新生雨蛙の産まれ来る不思議に思いいたった時に、以前に観察した土の中の白い群生の虫(白く、細長いオタマジャクシと見られる形態の虫)の意味に繋がったのである。そこで初めて雨蛙の生態に合点がいった。だから、写真の幼生が土の中で卵を生むと判断して、その解釈を公表して来た。しかし、写真の幼生がどの様に生殖するかの解釈には疑問が残っていた。今回の「幼生生殖」と言う用語に出会う事で、その解釈に大きな生物的現象の存在が結びついたと言える。言葉との出会いに不思議を思う。雨蛙の関連記事。雨蛙の耳?および雨蛙ーその謎ーが有る。

ネジバナと雨蛙 新しく投稿した雨蛙の記事。古い親雨蛙の日常生活の記事のリンクを乗せた。

雨蛙、その不思議

昨日久しぶりに親雨蛙にあう。そのお腹はぷっくりと膨らんでいる。明らかに出産間近の親蛙でる。 1994年7月22日の朝の驚嘆の一期一会を思い出した。この季節が丁度、雨蛙の出産時期なのだと改めて思い知った。ほとんど人には見せない雨蛙の出産の生態。久しぶりに出会えた親雨蛙。その出産の場に居合わせることはほとんど無理だろうとは思うが、もし観察の機会に恵まれたら、それは世界に発信する我が不思議の記録になる。今日は、その出産風景ではないが、その生態の一部をご報告させて頂きたい。携帯電話での写真(削除-再掲7月12日)の一部である。マンションの通路のコンクリート塀の近辺がその雨蛙の住処になっている。雨蛙の一日は、朝住処に戻ってくる。昼は一日中一つ箇所にじっとして動かない。夕方になると、やおら活動を始める。そこに一つの糞をのこして、夜行性の活動に入る。雨蛙の基本的生態として、雨蛙の「雨」は決して、水を好むように考える解釈は間違いである。英語では”tree frog”と言い、基本的には水に馴染む生活はしていないで、木などの高い所で生活している点に特徴がある。右の写真は携帯で写真を撮ろうとしたら、初めて会ったので、驚いて上に逃げてゆく途中の写真である。右下の写真(削除-再掲7月12日(2))は、今日上のアルミアングルの住処 としている場所に残していた、毎日の糞の状況を写したものである。「雨蛙の誕生と生態」

左の写真は1994年7月22日の撮影写真である。このお腹に抱えているカラフルな虫状の生き物が、その日の朝に出産した子供である。蛙が水の中に卵塊を産み、オスの精子で受精すると言う常識で捉えている。しかし、全く近くには水辺は無く、そこで毎年おびただしい雨蛙の子供が誕生する事実が、蛙はオタマジャクシから成長すると言う解釈の間違いを突き付けているのである。左の写真の腹の虫が土の中に入り、何年かで成長して、更に子供を産むと解釈せざるを得ない。何年地中で、子供が成長するかは全く不明である。しかし、春の五、六月ごろ地中には、真っ白いオタマジャクシから生まれたような尻尾のある虫が無数に一塊りになって蠢いているのである。左はその写真の拡大した一枚である。今回出遭った雨蛙も、おそらく近いうちに出産すると考える。多分土の上で朝方、出産するから、その機会に参加できれば好運である。雨蛙は何度も近付く機会が増えると、親しみが出て、警戒しなくなり、傍によって写真を撮っても、じっとして居てくれる。そのいじらしさが堪らない親しみと、愛おしさを感じさせるのである。上の雨蛙の親子写真が私と自然の神秘との繋がりを思い知らせてくれた原点である。『自然は生命』と実感する。

(2013/08/26)追記。関連記事に日本雨蛙がある。