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電子流(1[A])の論理矛盾

(2021/05/02) 。1987年8月5日電気学会の電磁界理論研究会への論文を書きながら、『電流』概念の論理的な不適合に気付き、その概念棄却の思いに至った。あれから33年が過ぎた。電気回路現象はすべて電線路空間の『エネルギー』光速度伝播である。『電子』は、その光速度伝播に対応できない意味で、無用の仮想概念でしかなかった。しかし残念ながら、今でも電子は科学理論の根幹を支える物理概念となっている。

その後は『電流は流れず』と唱えてきた。電子は流れず (2019/06/06) にも述べた。中学生にも分かる説明が出来たらと思う。市民の理解できる日常生活に結びついた、易しい科学論でありたい。理屈の科学綴り方と言われるかも知れない。

右図は電子とエネルギーと質量 (2019/06/06) の記事、更に電流1[A] の論理性‐考える理科教育への科学者の社会的責任‐ (2019/09/07) に載せたものである。

再びこの図を使って、電子論の矛盾点を指摘しよう。 

電流が電子の逆流と言う論理の矛盾を述べたい。

電流 1[A] の意味を電子でどう捉え得るかを考えて欲しい。

電子が電線導体の中を流れる。誰もその電子解釈論に疑問懐かないようだ。電線内を電子が流れると述べる科学者に問う。

〈矛盾1〉電子の流れと線間電圧。

上の図のように電子が流れるとなれば、電線の正側と負側の両方に満ちて流れることになる。その電子の密に分布した流れが電子流となる。電子の分布が均等に電線内に生じる意味となろう。電気導線は電荷が中性の銅原子等の構造体である。もし電子が電線内に満ちれば、電圧はどの様な原理によって電線間に掛かると考えるのか。電子によって電圧が消える論理的矛盾。どう解釈するか?

〈矛盾2〉電子の流速V[m/s]と線内密度D[C/m]は如何程か。電流が電子の逆の流れだと言えば、電子の毎秒当たりの個数がその電流の値と等価でなければ成らない。電子の流れる数量を算定できない科学理論・物理学理論は矛盾以外の何物でもない。

  電子流の毎秒数値=電流値。

従って、   VD[C/s] = I [A]   でなければならない。

電子の定義概念はほぼ、

電荷および質量で、 e : 1.602 10^-19^ [C] 、9.108  10^-31^ [kg] 。

の値である。

電子の流速度 V[m/s]?

電子の速度は幾らかが明確に確定されなければならない。素粒子論では電子は質量が定義されている。質量は電子の運動論を展開するには、それがあって初めて『力*』の物理的論理性が成り立つ意味で必要である。

速度は力と質量の関係で算定可能となる。そこで、電子の速度は幾らと算定できるか。力の原因をどう解釈するか?電子が流れる根拠の力が説明できなければ、電子が人が希望し、思う気分で流れる訳ではなかろう。気分電子論と言う訳にはいかない筈だ。速度が確定すれば、電線内部の電子密度分布量D[C/m]が算定可能になる。

 1[A]=VD[C/s]

によってのみ電子流が算定できる。そこに考える“理科教育”のあるべき姿が描けるはずだ。根拠を質さないで、学説・科学常識論に安易に従う姿勢はゆるされない。電子の速度が決まらなければ、電子の論理は成り立たない。金属電線内部に電子を動かす力など発生しない。

『力*』:電荷間に発生するというクーロン力は加速度・慣性などの力学運動論の基礎条件が欠落している法則の論だ。質量が無い電荷には力は生じない。電荷間に力が働くと言う発生原因の理屈が無い。

雷の正体

(2020/06/11) 追記。ドアノブの火花―熱電変換― (2014/02/09) および雷は熱爆発 (2014/05/23) で雷現象の『電荷』の正体は熱エネルギーと同じものである事を述べた。Friction heat and Compass (2020/03/22) に熱と磁気エネルギーとの関係を印した。The electron did not exist in the world.  (2020/03/22) 。

正体と言う言葉の意味は、「表面的に捉えにくい隠れたその現象の本質」と言う位に解釈している。雷の本質は電荷に基づくとの解釈が専門家や電力技術者の間での科学常識である。ここでは、その常識に反論する事を記すのが目的である。雷は電荷には関係ない。この雷は『電荷』には・・の意味に戸惑う方は、『電荷』と言う虚像を後でご覧ください。『電荷』は実在しないと言う意味。単に『エネルギー』に因る現象と捉える論説である。 上の絵図のように、雷とは光の稲妻と言えよう。先ず雷の特徴を拾い出してみた。雷とは必ず雲の存在が基に成っている。科学論で、雲が発生すると何故『電荷』が関わると解釈するかと言えば、それは「稲妻」の放電と言う用語の解釈が基になるからであろう。稲妻放電は何も電気の放電現象でなくても、火花の光放射が電気現象での、放電のフラッシュオーバーと全く同じものであるからであろう。

電気現象を二つほど拾い上げておこう。火花の光放射の様子は雷の現象と同じものである。電気工学が『電荷』の現象と捉えている訳だから、雷が電荷の現象と解釈するのは当然である。しかし、雷の特徴を考えたとき、なんで電荷によると考えるかを改めて見直さなければと思う。そこで、『問答』形式で考えてみよう。その前に、雷に関する過去の記事を挙げておこう。電気現象と捉える「高電圧工学」の衝撃電圧波発生回路と波形の微分方程式解法の論理的矛盾を論じた。雷と指数関数 もう一つは光と質量に関する論である。雷と不立文字

『問』 ①雲が必ず必要である。の訳は?『答』 雲の発生と気象変化。空気中の水蒸気と上空の冷気との出会いが雲をつくる。雲は空気中の水蒸気を水にする現象である。水蒸気は水分子が熱エネルギーにより体積膨張した気体である。上空の冷気で体積が収縮し熱エネルギーを上空に放出する。水蒸気の体積収縮が上空の低気圧を生み、地表面からの高圧・高温空気の上昇気流を生み、地表の周辺に対する低気圧状態になる。水分子におけるボイルシャルルの法則の自然現象の具体例である。同じ意味の繰り返しですが、雲の発生空間領域は、地上からの水蒸気含有空気の連続補給を要請する。供給水蒸気の保有熱エネルギーは、水の中に留まる事は出来ず、放出せざるを得ない。どこに放出するか。雲海近傍の空間に放出せざるを得ない。雲の発生空間がそのエネルギー放出領域となる。大気中の水蒸気について、参考に水蒸気密度の式ー大気中ーを見て頂ければ。

『問』 ②雲の下端が、雷の発生起点となる訳は? 『答』 上の解釈から、その下端近傍がエネルギー放出領域である事からの道理となろう。

『問』 ③、④エネルギー発光空間と放射光。の訳は? 右に稲妻の放射発光源の一部を取りだして、その意味を考えてみよう。フラッシュオーバーと言う発光現象は屈曲した筋状の光放射軌跡を描く。我々がその光の筋を観察すると言う事は、光が我々の目に放射されて、届くから見えるのである。稲妻は光を全方位に向けて、光エネルギーを放射しているのである。こんな稲妻と放射光の絵図で取り上げたかった事は、(何が光になったか)という物理的意味を考えたかったからである。 何が光になったか 光は日常生活で、世界を認識する基本物理量である。科学論では、光子、光量子等の用語で捉える光一粒との観方が基本になっている。その光について、『光一粒は何が変化して生まれたか』を説明できなければ、科学論として完全とは言えまい。『電荷』論に因る限り、おそらく説明は出来なかろう。結局『光』とは何かが明確に認識できなければ答を得る事は出来ない。『振動数あるいは周波数』で光を認識することは実験的な観測、測定の手法としてそれ以外の方法が無いから、止むを得ないのである。実験的に共通理解の判断を求められる事から、止むを得ない物理量概念が「振動数」である。しかし、その科学解釈論の依存概念である「振動数」は光一粒には無い。物質、原子あるいは分子から光が放射される時、その状況は光一粒ずつを単独に放射する訳でなく、エネルギーの放射形態が近傍での協調性を保ちながら全体で周期性を持って放出するから、次々と光一粒の連続的な放射が繰り返される、その状況を観測することになる。だから実験に因る計測上で「周波数、振動数」として捉えられるだけである。「振動数」が科学論の基本概念として重要であると言うのは、それは科学的な実験上の単なる「便宜的認識手法概念」でしかないと見做さざるを得ない。以上の光の基本解釈の上で、光は何から変化したのか?を問うのである。光の速度を考えれば、その光一粒の空間的実像を観測し、把握するなど無理である。計測器はそんな光の実像を捉えられないのである。せいぜい「振動数」と言う繰り返しの波としてしか観測できない。基本的認識で、自然界は極めて単純であり、単純さ故に複雑な様相に変幻自在な姿を生みだす。という観方(私はこの用語を目で見るのでなく、自分の勘・感性・心と共鳴すると言う意味で使う)に従う。光は『エネルギー』そのものの究極の姿である。何も他の物から変化するのでなく、エネルギーそのものの一つの自然界の巡り来る姿である。雷の本質がエネルギーである事から何も不思議な事ではないのである。実験的に観測は出来ないが、「振動数」から解放された『光一粒』の実像認識を示した。光とは何か?-光量子像― 。「振動数」を実際に測定する方法がある訳ではなかろう。計測上の実験的手法・解釈法での便法でしか無かろう(2013/08/19)追記。 稲妻の光の軌跡が何故細いのかについて考えたい。(2013/08/19)現在のところ、未だ答えが得られていない。ただ『電荷』で解釈することには無理がある。空間を『電荷』がどのように移動して、プラスとマイナスの『電荷』間でどのような物理現象により、光発光現象へのエネルギー変換が可能なのかの説明が出来ないから。『電荷』中和現象なのか、それ以外の『電荷』間の変換現象なのかの解釈が出来ないから。『光』変換後の『電荷』はどこに行くのか。素粒子論の論理性を尋ねる『問答』である。