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大学教育に求められる「電気磁気学」

光は電磁波である。

光とは何かとの問いにそう答えるようだ。

その訳は、光も電磁波も同じ『エネルギーの縦波』であるからだ。

その意味を理解しなければ、電気磁気学の眞髄を教えることは出来ない。

電界や磁界の科学的仮想概念を幾ら論じても求められる大学教育には成らない。

『エネルギー』と電界、磁界の関係をどのように理解しているかが大学教育者に求められていることである。

『電荷』とは何か?と考えることを忘れた大学は歌を忘れたカナリヤと同じだ。

『電荷』無しで、空間を伝播する『エネルギーの波』で電磁波を描いて欲しい。

そうすれば光の意味が観える筈だ。

 

金澤:波はエネルギー流 日本物理学会講演概要集 第66巻2号2分冊、p.310.

金澤:瞬時電磁界理論の実験的検証とその意義 電気学会、電磁界理論研究会資料 EMT-88-145 (1988-10) 『電荷』の物理概念を問う実験写真データ。

光の屈折と分散

初めに 光の実像をどのように認識するか?光は目の前の空間に実在する。眼で物を観ることは眼に光が入り、その光の一粒(?)ずつの総体として物を脳機能に因って理解する。取り入れる情報は光のエネルギーである。光のエネルギーを物理学でどのように解釈しているかと言えば、プランクの定数と光の振動数の積で捉えている。そんな数式で表現されても、光のエネルギーとはこれこれだと、感覚的に捉え切れないのじゃなかろうか。振動するとは何がどのように振動しているのかを説明して貰わなければ解りっこない。振動数と光のエネルギーを結び付けて理解できる方が物理学の世界を語れる事になっているようだ。振動数の意味が理解できない筆者が語る内容はきっと伝統的な物理学教育現場にとっては逆賊者か反逆者の教義ぐらいに思えるだろう。その辺の事情も良く分かるが、やはり光の「振動数」とは何かを明確にする必要がある。意味不明な『振動数』では物の理屈の物理学には成らないと思う。『振動数』が意味する内容は、気体分子運動論で熱エネルギーを解釈する論法の『質量』の振動論に通じる意味であると思う。すべてエネルギーは『質量』が有って初めて存在する事になっている。光の『振動数』も光子と言う光の粒が気体分子運動論の分子と同じく何か隣り同士の光子が体当たりしながら、その体力を競う能力を持って運動エネルギーとしての存在感を発揮する様子を描いているように思える。しかし光子が『質量』を持つとは言えないから、その辺は曖昧のまま説明できない高度な数学的概念が理解できるまで頑張って努力しなさい、そうすれば分かるようになるから。と御高説に至る。おそらくマックスウエル電磁場方程式の電界・磁界の横振動波を思い描いて解説するだろうが、電界や磁界が振動する訳ではなかろう。電界・磁界には光のエネルギーの空間像を見て採るだけの頼りになるものが見えない。エネルギーと結び付いて理解できない。子供達も検索で光に質量は無いのにどうしてエネルギーがある事になるのかと質問する。エネルギーは質量が持つ運動エネルギーだと物理学教育で教えているからだろう。電気回路内は質量の無いエネルギーだけなんだけれども。質量と電荷を持つ電子が必要になる原因もその辺に在る。光のエネルギーを『振動数』で認識するなら、その振動数の意味を明確に分かり易く解説して欲しい。検索で屈折現象の解説がされている。光の伝播媒体で、速度が異なるから異種の媒体の接触境界で屈折すると説明されている。それで正しいと思う。しかし物理学とは、「何故」と問う事から始まる。何故媒質に因って速度が異なるのでしょうか?振動数では説明にならないでしょう。媒体が違っても振動数は変わらない筈だ。変わるのは波長だ。さて屈折する理由は何か?その何故かを問題にするのが物理学の要になる。電磁力の本質と言う記事を書いて、電気現象の空間ベクトルの話に移ろうと努力の甲斐もなく、光とレンズに足止めされたまま動きが出来ずにのた打ち回っているような気分だ。無所属の悲哀をかみしめながら引き籠り状態だ。仕事をと考えても、考えることが科学常識の否定のような事ばかりでは世間で許され、受け入れられる席などやはり無いかと気遅れのままお恥ずかしい限りだ。止むをえず科学理論の常識にまた逆らうような事ではあるが、物理学の未来像への提言をまとめて置こうかと考えた。日常的科学常識に支えられている科学世界の現状を批判するとは、大人気も無く嫌われると分かっていても言わなければならないと思う哀しさ。少しは専門的技能として電気工学と電気回路論から身に染み付いた質量の無い『エネルギー』感覚が筆者の世界観の根底を成している、その『エネルギー』から観る世界・自然界を描きだせればと願っている。ここまでの話には、数式は無い。数式は必ずしも科学論には必要とは限らない。『電荷』が存在するとお考えの方は、その『電荷』の具体的空間像をお示し頂きたい。数式は無くても説明できる筈ではないでしょうか。プラスとマイナスの『電荷』の違う空間的理由を。光も同じ意味で簡単な日常用語で説明できると思う。『振動数』とは何が振動しているかを。

屈折と分散に隠れた意味 ここに書いたことは誰もが当然のこととして分かっていた。筆者だけの不明であったので削除させてもらった。光の散乱・分散分かり易い高校物理の部屋 に在る。しかし、一般に光の速度は一定の光速度と認識しているが、それは媒体が真空でしか通用しない現象と考える。空気中も真空と必ずしも同じとは言えなかろう。確かに空間定数は空気中も真空と同じと解釈しているが、夕焼け(水蒸気含有量)などは分散現象であろう。真空と空気中での光の速度の差は無いと言えるのか?(2017/12/04)以上追記。

屈折現象 何が屈折を起こす原因か?昔“何も足さない 何も引かない”と言うコマーシャルがあった。何か『エネルギー』一つを背負った旅ガラスの心境に思えた。捉えどころのない『エネルギー』だが、光の振動数より分かり易いとここまで引き摺って来た。

光エネルギーの屈折 光は電気エネルギーと同じく、空間に存在するエネルギー密度分布波である。質量など必要としない、エネルギーそのものの空間分布の波である。上の図は学会での発表に使ったもので、プリズムを想定して描いた屈折現象の解説である。光エネルギーあるいは光は光速度で空間を伝播する。その光速度は、障害の無い真空自由空間では何故毎秒30万キロメートルであるのか。その訳は真空の空間が握っていると考えたい。エネルギーが通過するに許された空間の支配条件に従わざるを得ないということであろう。光と同じ電気エネルギーが伝送線路の電力用ケーブルを伝送される状況と比べて考えてみよう。ケーブルは電気絶縁物で充填されている。その中でのエネルギー伝送速度は遅くなる。ケーブルの単位長さ当たりの誘電率と透磁率でほぼその伝送速度は決まる。プリズムのガラスの媒体特性も誘電率と透磁率で評価できるだろう。その媒体の空間定数の値で光の伝播速度が決まるだろう。真空は何も伝播媒体が無い空間であるが、その真空でも誘電率と透磁率が科学技術の単位系を決める根本的定数として決められている。真空透磁率μo=4π×10^-7^[H/m]がMKS単位系の拠り所と決められている。その空間媒体の定数が光エネルギーの伝播速度を規定している。プリズムのガラス中の速度もその定数によって決まる。

光エネルギーの速度 図は波長λの光が空間を伝播する状況を透磁率と誘電率に因って解釈したものである。電力系統のエネルギー伝送と自由空間での光伝播とは同じ物理的現象として解釈すべきである。ここには少し数式が入っている。平方根と分数と三角関数と若干の空間的定数概念[H/m]、[F/m]の空間的ベクトルの方向性を基にした数式である。この図で伝えたい事は光には正弦波の周波数が無く、波長λの繰り返しのエネルギー密度分布波の縦波が空間媒体の定数によって規定された速度で伝播するエネルギー波であるという事である。一波長でエネルギーなのである。媒体は構成成分の分子構造体であろうから、その構造体の物理的特性(空間エネルギーに対する吸収・放射の共鳴度とでも言えば良いかは明確ではないが、何らかの影響度を及ぼす強さ)に因って速度の影響を受ける筈である。その特性が誘電率と透磁率によって決まると解釈する事を示した図である。上の図は真空の空間特性と所謂光速度C[m/s]の意味である。分散は波長λに因って光のエネルギー密度分布波が異なるため、光伝播空間の媒体特性に因って、通過速度に影響が生じることは容易に理解できよう。実験的には分散が起こることは周知の事実であるから、その物理的理由をどのように解釈するかの問題であろう。光の空間的エネルギー分布を計測するなど不可能なことであろうから、科学的な検証は不可能であろう。光のエネルギーを振動数で解釈するという論理で、屈折や分散の物理的意味が感覚的に心に響くかは、高校生に尋ねて見れば分かるであろう。光エネルギーは1波長でエネルギーなのである。光を検出するには周波数や振動数でしか計り様が無いから、振動数が理論的な概念に組み込まれているだけなのである。数式を示してもそれが物理学の目的ではなかろう。自然は不思議の宝庫であり、魅力に溢れている。解ったと言うにはまだ早い。

分散 色収差はカメラなどの光学技術で問題になる。しかし技術は、技術者はその問題を解決して製品の質を高めて来た。しかし物理学は分散の物理学的意味を明らかにしているだろうか。解らない処を噛み砕いて何故かと考える事の大切さを教えているだろうか。不思議と思う事を伝えているだろうか。意味を教えないで伝統的教育法に従った数式を覚えさせるだけて済ませていないだろうか。

光の筋道―眼と望遠鏡ー

光の道 始めに光あり。光無しに質量は有り得ない。光は世界を知る鍵である。光は障害が無ければ真っ直ぐ筋道を通して進む。地球の傍を通る時は、地球は障害物になる。だから光は筋道を曲げる。それは自由空間でなくなるから。光の速度もその筋道も、観測者との相対関係にあることを理解する事が世界を知る鍵になる。光と観測者の関係は普通の運動速度の相対性がそのまま当てはまる。その関係は決して『特殊』ではない。レーマーの光速度の相対性検出の基本認識が大切。光の速度がその伝播空間によって決まっているから。光が空間の距離と時間の関係を規定する世界の基準であるから。いま店先をシクラメンが飾る。じっと眺めて、何故惹きつけるのかと思う。尋ねても応えは無い。何の役にも立たない時間が過ぎる。シクラメンの花弁の分子構造が光の色合いを人の心に届けて人とつながる。光が無ければつながらない。光が『エネルギー』の縦波であるが故に世界が成り立つ。

(1)眼の機能 眼にはレンズの機能は無い。空気との境界を決める角膜の曲率でほとんどの入射光線は決まる。角膜が光の第一門の関所である。瞳への通行手形が切られる。眼の機能については教科書はじめいろいろと解説されている。カメラのレンズ機能と同じく網膜に像を結ぶと。しかしそれは有り得ないと医学の素人ながら筆者は考える。眼にはレンズ機能が無いと考える訳を説明したい。既に眼は一筋の光を観る で述べてはいるが。

眼の機能 確かに眼球には水晶体と言うレンズがある。しかしその成分は蛋白質であろう。蛋白質(角膜)と空気の境界では、光はその媒体間での透過率*(2017/11/29訂正追記。用語の間違いです。訂正してお詫びします。と同時に適切な用語が浮かばない。光伝播空間媒体の特性であるから、その媒体特有の透磁率と誘電率に基づく伝播速度の意味を表現したかったところ、透過率と早合点して使ってしまった。光の空間エネルギー密度分布波が進行方向に縦波として媒体内を伝播する。その媒体の光伝播現象に対する空間特性は、空間に特有の伝播速度が決まっている。その伝播速度は光の波長に因っても少しずつ違いがあるだろう。それは分散として現れる。従って、媒体間での違いを表現する用語としては光の縦波の『伝播速度』が適切であろう)が変わるから境界面に於いて入射角度によって屈折現象を引き起す。しかし眼球内は光伝播媒体が全てタンパク質と水分(?)であろう。そこでは屈折は起きない筈だ。魚眼の標本? が参考になるとも言えないが、蛋白質の玉葱状の積層構造と思える。人の眼もレンズのような屈折現象を起こす境界は空気と角膜の曲率面しかないと思う。そこに到達する光の内、眼の中心軸上の方向に在る対象からの光だけが瞳に入射するものと考える。 図の①一筋光路認識で文字『ア』を読むとする。文字の各部はあらゆる方向へ光を反射している。カメラのレンズ機能は、対象の一点からの多くの幾筋もの光路を通った光がフイルム面の一点(焦点)に集光し、対象全ての各点の集光された集合画像が写真として鮮明に写される。それに対して眼は対象の一点からの光の内唯一筋の光だけを受け入れる。観測対象『ア』の各部からの光のそれぞれ一筋の光路のみの光を取り入れる。眼の水晶体では光を整える積層構造に成っていて、レンズ終端でファイバー(硝子体管)に光が伝送され、黄斑に届く。網膜に視界の映像などできない。次に②の視界距離感をどのように認識するかも不思議である。望遠鏡や顕微鏡は殆ど片目で観測する。両眼で対象の距離は計れると理解している。しかし片目では、一筋の光による画像に距離を計る識別機能は備わっていないように思う。細い紙筒を覗いて、映る対象のその距離をどのように感じるかを確かめて見た。普通は片目でも、周りの光景も一緒に認識出来るから、長い感覚的脳の学習機能で距離を正しく理解できるだろう。しかし周りの景色が遮断されて極限された狭い平面の対象の距離を計る時、少し遠くに在る様に捉えるのかと感じる。それは各人の感覚に因り違いがあるかもしれないが。以上二つの意味が、望遠鏡(顕微鏡も)で対象を観測する場合の眼の機能として捉えておくべき要点と考えた。

(2)望遠鏡の原理 望遠鏡の解釈では、虚像とか実像と言う用語で解説されることが多いようだ。しかしその様なレンズの『焦点(存在しない概念)』に因る光路合成の作図法での虚像とか実像などは存在しないと考える。実像はカメラのフイルム面(写像面)の二次平面全体がすべての対象点からの焦点になるという意味で、そこに写る写真の画像とすれば、それは実像として理解できる。しかし、眼に因る観測視界は実像とか虚像などの概念では説明できない筈だ。レンズを使うか使わないかに関わりなく、普段の裸眼での視界認識と眼の機能は角膜への入射光線の角度で、全く同じ光路に因って認識している筈だ。その意味を次の図で示す。

望遠鏡の機能 望遠鏡の原理なども今回初めて考えた。ケプラー式で考えた。ここには実像も虚像も無い。眼で観測する光学器具はすべて一筋の光の光路から成り立っている筈だ。対象各点からのただ一筋の光だけで認識する原理である。眼は虚像も実像も見ることはできない。ここでも教科書の解釈とは異なる。図では遠方の大木を観る様子を描いた。天体望遠鏡なら星を観測する事になろう。観測対象の或る一点からの光は四方八方に放射している。その光の内、望遠鏡に入射し、観測の光となる光路は唯一筋の光の道しかないという意味を示した。ここが教科書での解釈と全く異なる。普通の解説は少なくても二筋の光で、望遠鏡内にその交点として在る像を結び、その像がそこに在るかのように考えて、その仮想の像を接眼レンズを通して見ると解釈している。その接眼レンズでの眼に因る観測となっている。それに対して図では、対象の観測点の光情報はある仰角θoの一筋で対物レンズに入射する。対物レンズで僅かに屈折しθで接眼レンズに入射する。接眼レンズの位置を動かせば、レンズ面の曲率によりレンズ入射角が変わることになる。それは屈折角が変化し、結局眼への入射角度が変わることになる。その角度を図ではθeとした。視野角度θeを観測対象の大きさを観る角度として認識する事になる。ただ観測対象の距離を片目でどのように認識するかは理解できない。

レンズの焦点・焦点距離とは?  に(2016/10/28)以降のレンズの記事をまとめた。

富士の霊峰を仰ぐ

(2018/03/26)追記。柱状節理の発生原因について、地質学の専門家は実験的証明としてメリケン粉を揺らして溶岩の冷却によると解説している例がある。NHKのブラタモリでも放送されたようだ。しかし、3000mを超える奥穂高が溶岩のどのような振動現象によって巨大な柱状節理状の岩石構造になるのかとても専門家の解釈を信じられないのだ。メリケン粉と水を容器の中で揺らせる実験が奥穂高の岩石の解説になるとは理解できない。

富士山は関東地方の平野に立つ、孤高の独立峰だ。仰ぐと言っても登った事も無いし、傍に立った事も無い。それでも神々しい思いになる。それは広い裾野を広げて聳え立つ。何故と尋ねても応えはしない。その安定感を観る人に与える山の姿。見る人の心を落ち着かせるだけの何事にも動じない悟りの形だ。霊峰と言うに相応しい。世界にも似た形の山がある。富士山大好きな方必見!世界各地に・・。富士山の記事を書こうと思い付いた訳が奥穂高岳に在る。確かに富士山は火山噴火の山でもある。山頂は大きな噴火の火口が口を広げている。火口周辺の距離も相当の長さだ。火山噴火による溶岩が山頂を覆っている。しかし、溶岩とは考え難い岩石が見える。剣ヶ峰(富士山)の岩、釈迦の割れ石あるいは雷岩(イカズチイワ)等は溶岩とは思えない。

奥穂高岳山頂から富士山を連想 奥穂高岳の写真を観た。ヨーロッパアルプスの山の呼び名に関連したジャンダルムとも言う山の壁が聳える。その岩の形状は木の木目の化石に見える。どの岩を観ても木目に見えるではないか。この岩に圧倒される、奥穂西穂縦走「27歳男子二人のロックな山登り―3/。山頂のこの岩石の意味をどのように理解するか。決して火山の山ではない。地球物理学の問題でもあろう。3000m級の山でも巨木の化石としたら、当然富士山ももしやと思った。火山である富士山はずっと溶岩の山と思っていた。しかし考えて見ると、噴火溶岩だけであの素敵な形に成るとは不思議過ぎると思った。四方に対称に裾野が広がっているから。だからと言って巨木の痕跡が山頂に有ったからと言って裾野が広がる理由になる訳ではないが。

富士山剣ヶ峰 富士山の山頂の尖端に構える絶壁である。決して溶岩ではない。剣ヶ峰は霊峰の心意気を突き上げた拳に見える。2018/01/04 追記。NHKの番組《ブラタモリ》で富士登山があった。剣ヶ峰に富士山気象観測所がある。その観測映像に雷の放射現象を捉えたものがあった。雲海の上からの観測映像だから、当然雷は下の雲で発生する。雷の専門的解釈は雲と地上の間あるいは雲海中での『電荷』のプラスとマイナスの火花放電と成っている。『電荷』などでなく「熱エネルギー」の爆発現象でしかないのだが。富士山観測映像を見ると、雲海内での爆発現象の如くに、雲海から宇宙に殆どの光が放射されているように思えた。その放射を見て、雷(神鳴り)様がその名に相応しく地球の加熱エネルギーを宇宙に光エネルギーとして放射して、地球を助けているように思えた。熱も光も同じ『エネルギー』であるから。

石の囁き 聞こえますか に関係して。

気掛かり 奥穂西穂縦走「27歳男子二人のロックな山登り」さんが投稿したロック(岩石)の写真はどれも迫力があり素敵だ。しかし、2011年以降の記事が見えない。

ボイル・シャルルの法則と水蒸気

気体の体積膨張と収縮はボイル・シャルルの法則として纏められている。温度と圧力と体積の関係が分かり易い数式で表現されている。筆者にも感覚的に理解し易く、受け入れやすい式である。しかし少し詳しい説明になると、気体定数やアボガドロ定数との関係で解説されるが、その高等理論(特に気体分子運動論)を理解するには能力的に困難が伴う。地球気温の異常さを感じ、豪雨水害の悲惨な生活破壊の多さを見るにつけ、空気と言う気体の中味をどう解釈すれば市民的科学テラシーの常識を持つと言えるのだろうか。酸素O2と水素H2と窒素N2と水H2O(水蒸気)の温度特性に違いが有るからじゃないかと考えるが、それらの個別の気体分析は検索に出て来ない。みんなアボガドロ定数の御蔭で教育されているからか、何処にも違いは見えない。空気中の水蒸気含有率(質量)の温度依存特性でも調べられて居れば分かるのだが、こんな時代だからデーターが有ればと思う。空気中の水蒸気含有率は素人解釈ながら、地球表面に於ける太陽光線の『レンズ収束効果』による気温上昇への拍車をかけないかと気掛かりなことでもある。地球上が水蒸気でその温度特性に翻弄されているような気分だ。産業革命の元になった蒸気機関は水分子の特性を際立てた主役である。現代の原子力発電等の汽力発電所は水分子H2Oの独壇場だ。その力強さは湯灌で水を沸かすと、底から沸騰と言う自然現象で水分子が膨張する様子に見られるが、それも他の気体分子と同じ現象で理解すべき事だろうか?酸素と水素原子が結合した分子H2Oと言うが、とても不思議なことと感じる。ペットボトルの空気(水蒸気)収縮 お茶の飲み残しのボトルを冷蔵庫に入れた置いたら冷やされて細くくびれていた。改めて30数度のお湯をボトルに入れ、冷凍庫に入れて見た。冷やされて氷が出来て、写真のように体積収縮で括(クビ)れてしまった。上空に寒気が張りだし、空気の水蒸気が体積収縮を起こし、上空の低気圧に因る地上の水蒸気を含む空気が急上昇し、竜巻になったり、冷やされた水蒸気が雹になる現象の意味が良く理解できると思った。酸素分子も同じような現象を起こすのだろうかとアボガドロ定数に関する気体論とボイル・シャルルの法則を考えた。気体分子運動論が現代物理学の標準理論になっているようだ。その理論には質量がエネルギー解釈の基本条件になっているから、その理論による水分子H2Oの質量の運動エネルギーで解釈すると成ると、ボイル・シャルルの法則以上に理解不能の筆者だ。以前『温度とは何か』が問うもの でも考えた。

レンズの焦点・焦点距離とは?

(2017/11/21)追記。焦点距離(太陽の焦点距離)と写像距離(フイルム位置)の関係について、筆者の誤解も含めて、レンズと焦点距離に訂正・追記した。焦点距離と言う用語の定義が分からなくなったからである。しかし、焦点距離

(ウイキペヂア)には太陽の焦点距離と同じ平行光線に因る教科書の『焦点』の位置を定義しているようだ。観測対象・被写体の遠近で、焦点距離と言う写像距離は変化する。その使い方がカメラの焦点距離の意味であろう。

(2017/11/13)追記。レンズで気付いたことがある。スマホ等の携帯端末機の写真機能が抜群に良くなっている。あの小さなレンズで近距離撮影を考えれば、焦点についてレンズ軸に平行な光線などを光学的原理説明にする意味が見えない。生活に結びついた理科教育なら、高校生に携帯端末のレンズで解説するのが求められよう。今年のセンター試験の物理レンズ問題についての感想である。

(2017/07/24)追記。この記事の後、『フレネルレンズ』と言うものがあることを知った。やはり素人は知識量が少ない事を自覚した。しかし知識が多いか少ないかでは、レンズの焦点の解釈の誤りについては判断できない。灯台の大きなレンズは光を遠くまで分散させないで、平行光線で届ける機能が要求される。光が分散しては役に立たない。さて、普通のレンズの『焦点』は対象物からの光がレンズ軸に平行であればその光路は必ずレンズ軸の『焦点』の一点を通ると言うその一点が『焦点』と定義した専門的解釈である。それなら普通のレンズの『焦点』に光源を置いたら、その光は必ずレンズを通った後、平行光線になる筈である。そこで『焦点』の概念を否定する素人としての解釈を述べる。決して平行光線には成らないと。それは『フレネルレンズ』の片面は平面になっているから、平面に『焦点』の光源から入射する光の光路は、普通のレンズの球面に入射する光の光路と同じ筋道は決して通らない事だけは間違いない。その事は『フレネルレンズ』の片面が平面であるから平行光線としてレンズから放射されると言うことを示しているのだ。レンズの片面が平面であるか球面であるかによって、その光路が変わる訳がレンズの屈折の原理になっている筈じゃなかったのか?全く実験もせずに、ただのレンズに関する素人の解釈でしかないが、普通のレンズとフレネルレンズ(両方のレンズ直径の同じ物)で実験してみれば結果は明らかである。

昨年末(2016/10~12)にレンズの焦点について常識を否定する記事を書いた。今年の大学入試のセンター試験(物理)にも出題された内容に関わる点で、社会的問題でもある。長く教科書での標準的レンズ問題の解釈法として定着して来た理科教育の常識である。それを否定するなど正気の沙汰ではない筈だ。しかしやはりその解釈、教育指導法は間違っていると考える。

写像面全面が焦点 専門的にはカメラの光学技術で論じられる問題である。専門家の解釈はレンズの焦点という専門的解釈で論じられる。全くの素人である自分の、専門家の論理に違和感を抱いての、反論であることをお断りしておく。

写像面が焦点写像面(フイルム面)が焦点 上の図は所謂レンズ軸に在ると言う『焦点』など必要ないと言う意味を表現したものである。図は観測対象の3点A、BおよびC各点からの光はレンズ全面を通して写像面の各一点a、bおよびcの各一点に集まり、その各点がすべて焦点であると解釈する図面である。観測対象からの光線がレンズ中心軸に平行光線である場合に、その軸上に定義される『焦点』に集まると言う専門的解釈を否定する図面である。特別に定義される『焦点』など考える必要が無いと言う意味である。即ちレンズ面に平行な写像面が焦点距離Fにあれば、その全面が『焦点』の集合した二次平面であると言う解釈である。『焦点距離』という意味もなかなか難しい意味でもある。レンズで太陽光線の焦点を求めた時、それをレンズの『焦点距離』と仮に決めるとする。ではその焦点距離が全ての観測対象の場合に対して写像を鮮明に得る条件に成るかといえば、違うであろう。カメラの焦点を合わせると言う意味はその焦点距離(フイルム面の位置)を観測対象のレンズからの距離によって変えなければならないと言う意味であろう。太陽光線でレンズの焦点を決めるが、それは太陽の無限遠の太陽像を写像面に映している事なのである。太陽熱で焦点は焦げるが、それは太陽の写像なのである。丁度観測対象の距離に適合する焦点距離の場合には、レンズを通して得られる写像面のすべての面の各点には、観測対象のそれぞれ各一点からの光だけが集まる訳で、その写像面全面が『焦点』と解釈すれば良いだけであろう。だから人がその丁度レンズの焦点距離の位置に眼の瞳を置いて対象を観測すれば、何も像は見えないのである。その訳はその瞳の位置に入る光が全て観測対象のただ一点からの光だけであるから、何も像など見える筈が無いのである。瞳の位置をその焦点距離のままの平面上の位置で移動すれば、また観測対象の別の点の光だけの視界となり、像など見えないのである。

関連記事 レンズと焦点距離 眼は一筋の光を観る 眼球の光路とカメラ機能-?― レンズの機能

 

魔法の電線路

前記事、電気工学から物理学を問う  の問題意識を説明したい。

電線路電力電線路と電力密度 電気回路の基本となる単相交流回路である。電気工学技術理論が誠に合理的に非の撃ちようが無く完成されている。実用的には何も困ることが無い。昨年の電気主任技術者第一種の問題(理論)にも、球状電極の電荷分布の問題があったようだ。それ程『電荷』は電気現象解釈の基本的概念となっている。その電気技術論に異論を唱えるなど社会的常識からは正気の沙汰でない。だからこそ電気技術理論がそのまま自然界の『真理』であり、物理学理論の根幹として疑われることなど何もないとなる。自然科学で『電荷』を自然界の基礎としての実在物理量と社会的合意の形成を成して来た。電磁界という電界と磁界で理論構築した原理原則は完璧と見られている。学術理論にとって、それは『電荷』の御蔭でもあろう。『電荷』を否定したら、電気力線を描く論拠を失う。『電荷』を否定したら電流の論拠を失う。電流の論理構築が困難になれば、磁界、磁力線を描く論拠も失う(電気技術の理屈からすれば本当は電圧時間積分で良いのだが)。しかし自然は誠に巧く出来ている。『電荷』など無くても電線路は『エネルギー』を電源から負荷までチャンと送り届ける。

魔術的電線路解釈 自然科学理論の常識論からかけ離れた論を呈すれば、魔術の論理と見られるかもしれない。たった一つの『エネルギー』を頼りに考えて来た。殆どすべてを捨てて来た。春の新学期も始まる教室では、皆さんが電気の授業を行うに『クーロンの法則』の原理原則論をとても高度の数式に因る厳密な論理性を持って話され、展開する時期かもしれない。しかし、電線路空間内の『エネルギー』の挙動を教えた方が自然の意味を理解し易かろうと思う。私が解釈する先に進んで頂きたい。目に見えない現象だから、解釈法は千差万別であろう。電圧は電線路空間のエネルギー分布によって決まる技術的評価・計測量である。そんな感覚で捉えるまでにはいろいろ考えた。そんな経過を記事にして来た(参考記事#1,2,3,4)。そのエネルギー分布が電線導体と空間の間でどのように分布するかはその人の感性によって解釈するより方法が無いかもしれない。一応、図には電界と磁界の意味を空間のエネルギー分布密度δ(r,t)との関係で解釈して示した。電界、磁界を理論構築に欠かせないと言うならばという意味で、一応解釈を式で表現しただけである。その式の根拠は、空間をどのような捉え方ですべきかという哲学的な解釈が必要であろう。真空空間の定数に真空透磁率と真空誘電率がある。真空の解釈をどうするかは、如何にも哲学的である。平成2年頃電磁気現象を家に引きこもって、遣る瀬無い人生をぶつけていた頃の思索のテーマであった。その次元はヘンリー[H]とファラッド[F]である。真空にコイルとコンデンサをどのような意味で捉えれば良いかと考える愚かな毎日である。しかも単位長さ1[m]当たりである。やっと今頃になって、その距離の意味を捉えたと思う。L[H/m]やC[F/m]の単位長さ当たりという意味の長さの空間的方向を。電線路で言えば、電線路の『エネルギー』の伝送方向であるとはっきりした。それは『エネルギー』伝送速度即ち光速度の方向の長さであると成る。実際に真空中に導線を張ってエネルギーの伝送実験をした訳でないから、科学論としての証明は出来ないが空間の『エネルギー』伝播解釈は『電荷』否定の具体的な視点となろう。電線は一般に絶縁被覆電線を使うから、エネルギーはその絶縁材料部分を通って高い密度で伝送されるだろう。物理学では『エネルギー』は質量をその拠り所としているが、ただ電界、磁界についてはそのエネルギー空間密度は認識して解釈しているようだが、実際にその『エネルギー』が空間に実在していると解釈するかどうかになると、極めて曖昧である。空間に『エネルギー』が実在すると解釈すると、その『エネルギー』は何が保有する『エネルギー』なのかを述べなければならなくなる。その理屈を論じることが難しいから、曖昧にしているのだろう。電子のエネルギー無限大の問題を指摘したのはP.A.M.ディラックであったと思う。視点が違うかも知れないが。『エネルギー』の単位ジュール[J]と[H,Fおよびm]の単位からすべての物理量を評価したのが、エネルギー[J(ジュール)]とJHFM単位系である。

電力密度 ※の理論的解釈の1/2の係数を絶対的なものと理解できる訳ではないのだが、一応常識に従えば、空間の座標r点の電力密度prは2倍の・・となる。それはその空間点のポインティングベクトルS [J/sm^2]でもある。単位面積当たりの1[s]当たりに通過する『エネルギー』量でもある。その伝送空間全体に亘って積分すれば瞬時電力になる。そのエネルギーの挙動を電圧分布分と電流分とに分けて捉える捉え方にははっきりと結論を得ていない。電圧分布は電源周期によって光速度でエネルギー分布に対応する筈であるが、負荷吸収のエネルギーに因るエネルギー分布欠損は電圧分布エネルギー全体がその電圧維持のために流れて負荷への電力供給を賄うと解釈すべきとは思うが。以上先の単純な電気回路問答、電気工学から物理学を問う を取上げた物理学の参照基準との意味の説明を兼ねて述べた。

(参考記事)

  1.  エネルギーで見る線路電圧 (2015/04/19)
  2. 電気の眞相(2)-電圧とは何かー (2015/07/29)
  3. 電気抵抗のエネルギー論 (2016/06/15)
  4. 電気回路のエネルギー (2016/07/02)

 

風とは何かー水と温度ー

渦巻の解剖に取り組んで、その基本が風のような流体の圧力分布差にある事に気付く。暫く水についてその温度特性から考えて、風の原因を探りたい。(2012/11/06) 未だ渦巻の解説をするだけの結論には到達していない。

(2012/09/24)  飽和水蒸気圧と式の修正提案。で算定式を改善して提案した。この記事で述べた「飽和水蒸気圧、蒸気密度の温度特性」の算定式(1)、(2)および(4)式は(6)、(8)および(7)式として修正提案しました。

(2012/09/21)  風の起因・原因 を追記。水蒸気の大気中の振る舞いに起因・原因を求めた。

(2012/08/21)  水蒸気温度特性 をグラフで追記。(2012/09/06) グラフの意味の観方の注意点を付記した。

(2012/08/17)  蒸気(p-V) 線図への疑問 を追記した。

「入道雲」は夏の風物だ。しかし、その穏やかで、形状の独特な滑稽さに富んだ景観も余り目立たなくなってしまったようだ。真夏の澄み切った青空を背景に、深い森林の山の上に、モクモクと立ち昇る真っ白い雲。「入道雲」その呼び名もなかなか風情がある。入道とは仏教用語の坊主頭の化物という程度の意味のようだ。如何にも滑稽さを言い表していると感心する。その「入道雲」は森の放出する水蒸気が故の上昇気流という風の生み出す現象である。夜間には出来ない。暑い夏の日中に、強い太陽光で森の水滴が水蒸気となって膨張する為に生じ、上空の冷気に触れてその水蒸気が凝縮して水滴となる。その水滴の集合状態が「入道雲」というものであろう。水p-V線図『風』はその生み出す原因が水と温度にあると解釈しなければならないだろう。『水』その不思議が生み出す現象だ。

水の蒸気線図 その水の特性の特徴は蒸気線図に表される。火力発電や原子力発電の水ー蒸気サイクルの特性図である。風の基の気体は空気である。空気の中味を考えれば、酸素、窒素あるいは炭酸ガス等であるが、忘れてならない物に「水蒸気」という隠れた水の存在である。水分は、空気中の含有率を湿度という計量値で評価される。その水は他の気体とは異なる点で、特別の働きをする分子と考えたい。分子構造は H2O であるが、その分子結合の解釈で、気体膨脹特性を考えても、特別の温度特性を呈する様で、いろいろの事柄が頭の中で絡み合い、断定的な結論に到達できない。そんな事から、水を含めた気体の温度特性を考える時、『分子運動論』が物理学理論の温度特性の根幹として解釈されているが、それは余り当てに成らない理論と考える。普通の分子ならほぼ理想気体に近い特性で考えて良かろう。しかし、水や水蒸気を含んだ気体については、とんでもない温度特性を現わすと考えるべきであろう。その意味で、上に挙げた蒸気線図が、その事を考える基本に必要と思って示した。蒸気線図と風の関係は余り考えられていないと思う。

ボイル・シャルルの法則 理想気体は、その圧力 p 体積 V および温度 t の間には、ボイル・シャルルの法則が成り立つ。その特性は、一定温度で加熱する時の p と V の間には反比例の特性で変化する。この特性と上の水蒸気の特性を比べれば、その違いが分かる。この特性の違いが、空気中の「湿度」という水蒸気の温度特性が如何にも「入道」的な化け物特性を現わすと考える。その化け方が『風』の隠れた基にあると解釈する。(図の温度について、絶対温度T とt の関係を訂正)。

火力発電所系統図と蒸気線図 理科や物理学の教育では、子供たちの日常生活に関わる具体的な事象と相当かけ離れた「教科内容」が取り上げられ、子供たちの興味を得ると言う点で「不合格な内容」が多いと言わなければならない。余りにも、古臭い内容の決まり切った物に固執している。出来るだけ私自身が、疑問に思う内容で、日常目にする自然現象を技術の面を踏まえて考えてみたい。発電所と蒸気線図そこで、火力発電所の系統の設備と利用する『蒸気線図』との関係を参考に示しておきましょう。簡単に説明すると、発電所の設備のそれぞれに対応した蒸気のボイラー加熱と、タービンでの断熱膨張(蒸気による機械的仕事)、更に復水器での海水による蒸気冷却等の各過程での蒸気線図に対応する部分を色分けして、表現してみた。矢印の方向に蒸気の過程・状態が変化する。この線図はある水の部分が蒸気線図でどのような過程を辿るかを示したものである。実際には、タービンを回す蒸気は連続的に流れ続けているのである。このような水の温度特性は『風』の水蒸気とは直接何の関係もない。しかし、海の温度上昇で、空気中に含まれる水蒸気が増加すると、冷却時における、その水の特徴が過熱と逆の効果で、気体の体積変化に特別の状況を生み出す。それが蒸気線図の『復水器』での蒸気冷却現象と同じ事を引き起すのである。その局部的冷却現象は、強い『風』を生みだす原因なのである。ここで、一つ気掛かりな点がある。復水器での冷却時の蒸気の変換過程で、6から1の圧力pが一定であるとなっているが、その点は本当かな?と疑問符付きである。圧力一定と言う制御は無いから。しかし、法則や解析は必ずしも正確な物でないと考えれば、大よそ我慢できる技術論と看做せよう。

気体の飽和蒸気圧 空気中の気体で『風』の原因の基に成るのが水蒸気であろう。気温は、摂氏マイナス数十度から、ほぼプラス50度程度の範囲にあろう。その温度範囲で、状態変化が激しい気体・物質が水であり、水蒸気である。水の飽和蒸気圧は検索して調べると、指数関数式で温度対飽和蒸気圧の関係が示されている。生活温度範囲で、激変する水を考えると、分子気体論の基礎定数である「アボガドロ定数」の概念を改めて考え直さなければならないと思った。そこで、 アボガドロ定数とは何か でその定数への疑念を述べた。そんな気体論の原理的基礎概念さえ、余りにも古典的で、時代遅れの内容と原理原則論の曖昧さと矛盾と思うが故に、子供への教育内容としての不適切性を指摘し、早急な正常化の必要性を指摘したかった。さて、水蒸気も空気中の分子である。その飽和蒸気圧を検索される式から算定すると、トリチェリの真空と水蒸気圧との関係で考えなければならない点が浮かんだ。数日間蒸気について考える内に益々理解出来なくなった。そこで次の記事になる。

蒸気 (p-V) 線図への疑問  上に示した火力発電所の蒸気(p-V)線図の意味が理解出来なくなった。ボイラーでの水蒸気加熱過程(2および3から4および5の過程)で、蒸気線図は圧力pが一定で体積膨張する表現の図である。確かに、給水ポンプで加圧してからタービン入り口までの蒸気系統内の圧力は一定であるように思える。その圧力からタービンの出口までの圧力の開放で蒸気の体積断熱膨張が仕事をする訳である。こんな解釈で、何となく理解出来たと思って、『火力発電所』の蒸気の働きを工業高等学校で教えていた。しかし、先日から蒸気の気持ちに成ろうと思いを深めている内に、どうも間違っていたようだ。蒸気線図の3から4までの圧力一定の加熱過程が何を表現しているかと考えてみた。水と蒸気との割合を湿り度、乾き度と言う表現で横線の寸法で蒸気の飽和するまでを言い表していると捉えて、納得していた。その状況は一体何を表現しているかと改めて考えると、意味が無い事に思える。即ち、ボイラーの中で水が加熱されて、一定圧力のもとで、体積が膨張するとは「何の体積」が膨張すると言うのだろう。一定圧力で、ボイラ内の閉鎖された限定空間内で何処に膨張する空間の余地があるのだろうかと疑問を抱かざるを得ない。膨張するのはタービン内での仕事の為であるだろうと思う。だから、蒸気の変換過程をどう解釈するかと言えば、水の分子が熱エネルギーによって膨張しようと水蒸気化する、しかし限定空間内で高温・高圧水蒸気となり、体積膨張なしに高エネルギー密度蒸気としてタービンでの仕事の断熱膨張に資する。ー高密度エネルギー水蒸気とは、ボイル・シャルルの法則で、pV[J] の水蒸気一粒のエネルギー量と解釈する。その体積Vが膨張できずに、分子圧力pの増加となる。それは、pV=kT [J] (k[J/°k]はボルツマン定数。T[°k]は絶対温度)と言う式が有名であるが、これは水分子一粒のエネルギー表現であるので参考に付記ーそんなところに考えが落ち着いた。だから、蒸気線図は水の分子一粒の状態変換過程を考える線図でもないと思う。では何を表現しているかと考えた時、線図で意味する内容が良く理解できないのである。以上が蒸気線図への疑問と自分なりの解釈である。これを『問答』の一つの例として挙げたい。

水蒸気圧・水蒸気密度の温度特性 上の蒸気線図への疑問から、水蒸気の温度特性を調べた。IT検索で水蒸気に関する計算式の存在を知る。水蒸気温度特性少し計算して、水蒸気圧の計算式が誤差も無い結果になると安心した。しかし、水蒸気密度だけは計算結果に大き過ぎる誤差のある事を確認した。更に、上の水蒸気温度特性の示すグラフ値は飽和水蒸気圧線であり、

飽和蒸気圧線の図の意味 その曲線が水と水蒸気の状態の境界線である。その事を改めて示すと、右の図で示す通り、青色の液相(水)から突然気相(水蒸気)に変換すると解釈できる。しかし、この図を眺めると、その表現する内容が誤解される点が有る。解釈上の注意点。グラフの飽和蒸気圧線の左側の青色の領域ー液相(水)-については、圧力も密度も数値的な意味を持っていないのである。意味を示すのは赤色の水蒸気に対してのみである点を御理解頂きたい。この特性表現には誤解し易い点が有り、不適切なグラフと思う。青色の水の領域の密度はその全体で、殆ど圧力に関わらずほぼ一定の 1 [ton/㎥] と解釈して良かろう。以上水蒸気温度特性の解釈上の注意点です(2012/09/06 に気付いた不明をお詫びし、付記しました)。このグラフ表現での注意点が、グラフ表現と基準ー時と位置ー

で指摘した事の問題でもあった。各温度での液相、気相転換における蒸気化熱エネルギー(気化熱)の値が異なると思はれるが、その点は不明である。飽和蒸気圧線の意味を少し説明した。また、水蒸気特性計算式上のグラフの計算式の意味を纏めたので示す。普通は水蒸気圧と言えば、0℃、標準大気圧を基に、大気圧下での沸騰点がほぼその考察領域であろう。だから、臨界圧等と言う日常の経験からかけ離れた水蒸気などは考慮されなかったのであろう。「カルノーサイクル」と言う蒸気機関の利用水蒸気領域に考えを及ぼせば、臨界点の観点に考えが及ぶと思うが、その事が考慮されなかった事をむしろ「何故」かと問う事が大切かも知れない。以上で、水の熱特性から考え直して、ようやく『風』の意味に水蒸気からの解釈が出来るかと言う自分なりの基礎の論点に辿り着いたように思う。

風の起因・原因 当たり前の事であるが、風は大気の圧力分布差が発生原因である。しかし大気の圧力分布の原因が何であるかを正しく認識しているかと自分に問わざるを得ない。地球を含め太陽系全体のエネルギー分布環境が影響していると言えよう。地球上の大気に視点を絞れば、その大気の圧力差を生む原因を「水蒸気・気温」の分布に求めて良かろう。大気の構成分子は窒素、酸素あるいは炭酸ガスから成っているが、水・水蒸気の温度特性が極めて大きく関わっていると考える。水蒸気の空気中の温度特性における特異性が大気圧力の分布差を生みだすと解釈する。水蒸気だけが気温に対してその体積膨張の特異性が甚だしい。水の温度が高く、気温が高ければ水蒸気の大気含有率も高くなる。その大気が上空の冷気に触れた時、忽ち水蒸気の気体分子が水滴になり、その大気の急激な体積収縮を引き起す。上空の圧力低下により、急激な上昇気流を引き起す。周辺から大気の巻き込みに発展する。大気圧の分布差を解消するための大気流が生まれる。風の起因・原因は水蒸気にある。水分子について、大気中における「アボガドロ定数」の物理的理論は成り立たないと解釈する。そこで、前もってアボガドロ定数とは何かで疑問を述べた。

ヒッグス粒子の不可解

現代物理学の理論と展望 その現代的課題は科学者の市民社会への説得力の問題であろう。市民社会は、高等理論や高等数学で得られる結論が日常生活の感覚から途轍もなく離れた話になっている事に戸惑いを持っている。真剣に理解しようとする市民は、その論理が日常用語で納得できるべく説明がなされなければ承知出来ない気持ちで苛立ちを感じても居よう。専門家集団である科学者は、研究内容が教科書の基礎原理や基本法則に照らして、考えれば理解できる筈の内容でなければならないと、常に教育的環境と未来を背負う子供たちに最大限の智慧と知能の奉仕を心がける責任があろう。何故こんな事を書くかと言えば、電気磁気学の理論的矛盾を理解している観点から判断するに、専門家の科学者はその事に気付いていないのではないかと危惧するからである。その矛盾を無視して高度の研究で得られたと言う結論は市民社会への説得力がないと言わなければならない。基礎の曖昧なままでの研究には、その研究費の多額な出費に対して説明責任がそれだけ大きく伴い、そこにその未来展望と信憑性が掛かってくると思う。

陽子概念とその加速原理の不可解 最先端の物理学研究は、その論理性が何よりも大切であろう。論理性とは、その解釈や考え方が根底になる「物理学諸法則」から解き明かす説明が矛盾なく出来ると言う事である。子供たちは教科書の原理や法則を本当だと信じて、真剣に学習しているのです。もしその原則に反する様な解釈が必要な事が最先端の研究内容に含まれたり、法則を否定しなければ理解できないような事が少しでもあれば、それは研究する科学者の大きな責任になると考える。ヒッグス粒子の問題は、『陽子』という素粒子がさらに細かい素粒子から成り立つかの如くに解釈される「素粒子論」の研究に見える。全部で17個の素粒子に分かれると言うのか、それだけの素粒子が無ければこの世界が理解できないと言うのか、その辺の認識を日常生活の感覚から得ようと努力しても、余りにも乖離が大き過ぎてとても無理である。そこで、その理解の糸口でも探そうかと考えれば、やはり教科書で学んだ基礎から考える事になる。その基礎からの考察が最先端研究の内容の理解に資するものでなければ、研究の論理性は失われるのじゃないかと思う。『陽子』の教科書の説明・定義はプラスの電荷とある質量を持っている素粒子とある。福島原発事故の放射性物質の問題も、市民が理解しようとすれば、原子核の問題を学習しようと考える。単純な「荷電粒子の加速問題」は教科書の原理になっている。電荷を加速できるのは『電界』というその空間の電気的状態しかないのである。電荷の加速は「磁界」ではできないのが電気磁気学の根本原理である。しかるに、CERN粒子加速器は殆どが「磁界による制御加速法」である。一応教科書的電気力は電界と磁界の両方をベクトル的に合成した、『ローレンツ力』で解釈することになっている。『電荷』という物理的実在性を否定する私の立場からすれば、CERNの磁界加速法はエネルギー粒子加速法としては当然の事である。しかし、陽子のプラス電荷概念を矛盾と解釈しないで、プラス電荷の陽子を磁界加速すると言う専門科学者の不可解さは許されないと思う。絶対に磁界で『プラス電荷』の加速は出来ないのである。27kmという加速リングの一定のままでは磁界での電荷加速は出来ないのである。結論は陽子という素粒子の空間的描像を示す事が専門家の科学者にしてほしい基礎研究である。磁界と電荷の事は前に エネルギーで観る世界ー素粒子ー に書いた。

問答』 17個の素粒子で世界が構成されている。と科学者は解説している。17個それぞれの素粒子の意味を日常用語で説明する責任が科学者に求められる。如何に説明しますか?

朝日新聞 2013/04/04付の科学欄の記事を見て。巨大直線加速器 日本が頼り 「国際リニアコライダー」(ILC)の巨額の建設費(8000億円とも言われる)を掛ける素粒子研究の記事だ。ヒッグス粒子を捉えて宇宙の謎を解く意味らしい。おしくら饅頭のような説明しかできない『ヒッグス粒子』にどれ程の意味があると言うのか。CERN円形加速器で巧く行かないので、直線加速器が必要と言う。次々と果てしなく巨大化するだけで、何の結論も市民に説明出来ないのだ。国際熱核融合炉(ITER)も1兆6千億円の内の巨額の負担を日本も約束したとある。『質量』など光エネルギーの局所化でしかない。そんな無意味の研究は許せない。『電荷』の空間像を示せず、どこにその論理性があるのか。