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原子構造と8面磁極

原子構造(2020/09/13)。

原子構造論など全くの素人が申し上げるのは大変恐縮である。しかし、『電子』の存在を否定したら、標準的原子構造論を信じられなくなる。専門家の論理を否定せざるを得なくなる。誠に不遜の極みとお恥かしい次第です。

八面体と軸性エネルギー流。八面体の表面は軸性エネルギー流(Axial Energy flow)の磁極との解釈を提案した。図の赤い丸は N 極、青い丸は S 極を示す。水素原子は最小のマグネット単位原子と解釈する。もし『電子』を考えるなら、それはもっと小さな軸性エネルギー体のマグネットと考えればよいかも知れない。しかし電気回路ではそんな『電子』も必要ない。分布定数回路を考えれば、そこには電線路空間内のエネルギー分布流しか考えられない。従来の分布定数回路と言うインピーダンス認識も考え直す必要に迫られる。

原子の基本的特徴。周期律表に示されるように、やはり8の周期性で特徴付けられるのは確かであろう。中心には核があり、その周りを『電子』が取り囲んでいるような構造体として原子を捉えているのが常識的科学論である。原子は他の原子と結合する性質を基本的に備えている。原子の空間像をどのように捉えるかは、その結合の機能を何に求めるかに係っていよう。常識論である原子構造は外郭電子同士の結合にしか説明が付かない。だから「共有結合」なる電子間の結合力を頼りにする以外ない。あるいは電子が理由は不明だが、相手の原子に移り、その結果イオン結合なる結合理論を唱える。そんな電荷間の「クーロン力」に論理性が成り立つと考えること自体が、失礼ながら何も考えていないとしか思えない。

新電磁気学の事始め (2020/09/15) 。『電子』周回構造の原子論批判の為の記事とした。

電気エネルギーの測定法(電流と電力)

はじめに(2020/4/28)
『オームの法則』によって電気回路現象を誰もが容易に理解できる。『オームの法則』は1826年ドイツの物理学者 ゲオルク・オームによって独自に発見、公表された。(実は1781年ヘンリー・キャベンディッシュが発見したが死後数十年後まで知られずにいた、とある。)その優れた技術法則であるが故に『電流』、『電圧』さらに電力の物理的意味を深く考察する必要もなく今日に至った。ちょうど200年少し前の19世紀の初めに『電流』と言う概念が磁気によって電気導体から離れた、空間にその姿を示すという新しい発見が『アンペアの法則』として捉えられた。その『電流』の単位アンペア[A]が電気現象解析の根本技術概念となって、すべての電気量の基本単位系 [MKSA] の基となっている。しかし、ブログの初期の記事に電流は流れず (2010/12/22) を、さらに去年電子は流れず (2019/6/6) を投稿した。それは『電流』と言う技術概念が自然認識の曖昧さを許す科学理論の根幹をなしている現代的社会問題として捉えた論説でもある。科学理論がその特殊な専門家集団の中で、特に分かり難い理数的表現に特化した形式で醸し出されて、一般の市民の科学認識に如何に曖昧な理解の混乱と弊害を及ぼしてきたかを唱えざるを得なかった。世界には決して『電荷』など実在しないのだ。世界の本源に『エネルギー』が存在していることを分かって欲しいからである。

電流とその測定
電気回路の電線路に電流計を繋げば、その電線の中に如何にも『電流』が流れているが如くに針の振れで示すから、決して誰も『電流』を疑わない。電線導体の中を流れる『電流』を自然現象の真理と考えて疑わない。そこには超電導現象という新たな発見もある。電線導体内を流れる『電荷』があるとして、それが自然の真理と捉えられてきた。電流計で計測しているものは何かを知らなければ、『電流』の意味は分からない。

Ampere meter  電流計の内部は右図のようにその基本計測量は可動コイルと言うコイル内に貯蔵された『エネルギー』の量である。そのコイルに流せる『電流』の最大値は大よそ100[mA]程度という事である。測定電流 I[A] のほとんどはコイルと並列に小さな値のシャント抵抗 r [Ω]に流す。だから電流計で測っているものはその抵抗に掛かる僅かな『電圧』分に相当する『エネルギー』分布を並列のコイルに取り入れて、そのコイル貯蔵『エネルギー』の量を磁気的な力によって測定しているのだ。決して『電荷』が電線の中に流れている『電流』と言う概念の「自然に実在する物理量」がある訳ではなく、コイルの電線周りに貯蔵された空間に実在する(光と同じ)『エネルギー』の回転流を計っているのだ。電気回路の電線はその電線で囲まれた空間を電気と言う『エネルギー』が光速度で流れて負荷に『エネルギー』を供給する役割の、その導きの道路の機能なのだ。だから『電流』の逆向きに『電子』が電線導体内を流れる等と言う解釈もハッキリ言わせてもらえば、それは『嘘』の科学論なのだ。光が何処(何もない空間)を通るかを考えれば、光と同じ速度で伝播する電気の『エネルギー』はやはり電線の中など通れる訳が無いと分かる筈だ。そこに大きな科学理論の混乱が現在の哲学的課題としてすべての地球の人に課せられているのだ。電流計で測っているものが何かを知るには、科学技術の中の姿をきちんと理解すること以外に自然の姿を知る方法は無いのだ。その事は高等数学の式では理解できない、例えば『電荷』の存否を数学の式では説明できないことも知らなければならない。

電流計則の式。電流計が何を計量しているかを式でも考えておこう。電流計の内部合成抵抗 rA からコイル電流 IA は(1)式となる。ただし、負荷電流が I[A] である。その電流計のコイル貯蔵『エネルギー』 WA は(2)式となる。ただし2分の1の係数は省略する。さて、この貯蔵『エネルギー』 WA[J] は負荷電力 P[W] と次の関係にある。

この(4)式から、結局コイルの『エネルギー』WA は電流計の内部定数 KA によって、次の(5)式のように負荷を計測していると見做せる。

(5)式の WA は負荷電力 P[W] と負荷抵抗 R[Ω]の比を計量していると見做せることを示している。次元はKA[H]よりP/R [(J/s)/(H/F)^1/2^]=[J/H]である。

電力の測定

電力測定 P=VI(W)       電気回路の『エネルギー』の測定法。その第一歩が電力測定であろう。それは電気の『エネルギー』を如何にも電気商品のごとくに商品として販売するに欠かせない技術である。しかし、『電圧』と『電流』の積では商品としての『エネルギー』量の計量には成らない。しかし乍らまず第一歩として、『電圧』と『電流』の積が何故負荷の電力値 P[W] となるかを図のコイルの貯蔵『エネルギー』 WA[J] とWV[J] からその意味を算定してみよう。電力測定法で、何故『電圧』と『電流』の積が「電力」になるかの分かり易い解説が見えない。科学技術の優れた英知の結晶を、噛み砕いて理解することの大切さを忘れないで欲しい。

コイルの貯蔵『エネルギー』 Wv を電圧 V として計測している。この意味について、先に電気エネルギーの測定法(電圧)に示した。その電圧値は負荷との関係で、『電流』の測定値の意味(4)式から、次の(9)式の意味を計測していることになる。

電流計の並列内部抵抗値 rA に対して負荷抵抗値 R は大きいから、端子電圧に対する電流計の電圧降下は無視できよう。従って、

負荷電力 P[W] は『電圧』 V と『電流』 I の積となる訳の意味である。以上のすべての解析は『オームの法則』一つによって解釈できた訳である。如何に『オームの法則』が簡便で、優れているかには驚嘆せざるを得ない。結局技術概念の『電流』と『電圧』と言う二つの測量技術が電線路空間を光速度で伝播する空間の『エネルギー』を捉えた手法である事に、如何に現代科学技術社会がその恩恵に預かっているかを知らなければならない。その法則の深い意義を知らなければならない。しかし同時に、電線導体の中には『電荷』など流れていない意味も計測技術を通して知らなければならない。

『エネルギー』の測定法。
電力量計として現在『エネルギー』の取引メーターとして使われているものが積算電力計[kWh]メーターである。どこの家庭にも玄関の外に取り付けられている計量器である。使用電気『エネルギー』量に応じて、アラゴの円盤の回転量で計測する優れた計量法である。電気技術の優れた結晶がこの積算電力計であろう。アルミの回転円盤に使用電気『エネルギー』の量に相当する電磁力を働かせて、円盤の回転回数として『エネルギー』の量を計量する『エネルギー』計量法の電気技術利用の優れた計量器具である。『エネルギー』は人がそれを物理量として決して目に捉えることの出来ない自然の姿であり乍ら、それを見事に計量している。科学技術に乾杯。科学技術のその深い意味を捉えることが、その奥に隠れている自然の姿を理解するに欠かせない筈だ。空間に展開する物理量の『エネルギー』の姿を理解することが自然を知るに欠かせないのだ。『質量』とは何か?『電荷』とは何か?『エネルギー』を知らずには、自然の深い真相を知ることのできない自然科学の道である。マックスウエル電磁場方程式が何を表現した式であるか?スマホの電波も電気『エネルギー』の空間への放射と消費である。直流電気回路も電線路の空間を電気『エネルギー』が伝播する現象である。その直流回路の電気『エネルギー』も線路空間を『光速度』で伝播する『エネルギー』の伝播現象である。図のように電源の負側の導線に沿った空間を負荷まで『エネルギー』がほぼ光速度で伝播するのである。電線内を『電子』などが光速度で流れることなど決してできる訳がない。しかも『電子』には『エネルギー』を伝送する機能・能力など、その物理的定義として付与されてはいない。『電子』のエネルギーは原子周回運動の運動エネルギー論で、質量に依存した概念しか仮想的な付与でしか定義されていない筈だ。その運動エネルギーを負荷に届ける、『電子』の往路と帰路の『エネルギー』の増減論は聞かない。『電子論』には『エネルギー』伝送の論理性が全くないのだ。だから『電子』が電気回路で役立つ論理性などどこにも無いのだ。

おわりに
『エネルギー』の姿の一端でも空間に展開する姿を御理解して頂けるかと述べた。自然の本源が『エネルギー』であることを唱えた。

(関連記事)何度も同じような事を述べた。筆者が論じる科学論は所謂科学常識からかけ離れて、しかも高度な数学的記述でないことから「文学論」だと言われもしたが。しかしITネット空間の解説にはこれが科学論かと思える論理矛盾の内容が満ち溢れている現状は間違っているからである。「電子と電気エネルギー」などと検索すると、少し古い記事で「電圧と電子と電気エネルギーの関係は? 」に当たり前と思える質問がある。それに対する回答者の余りにも陳腐で、何も考えていない姿が観え、悲しい。科学常識のひどさが『電子』に現れている。現代物理学理論に『エネルギー』の空間像の認識が無い点が最大の現代的教育の課題となっている。マックスウエル電磁場方程式の解釈に『エネルギー』の認識が欠けている事が原因かもしれない。

技術概念「電流」とその測定 (2018/9/24) 。電子は流れず (2019/6/6) 。電流は流れず (2010/12/22) 。エネルギー[J(ジュール)]とJHFM単位系 (2010/12/18) 。また、「電流は流れず」の確信に至った訳を少し述べた、電圧・電流とエネルギーと時空 (2019/8/11) 。

摩擦熱とコンパス (2020/3/22) に『静電界は磁界を伴う』の実験写真を示した。電界と磁界は『エネルギー』から見れば、同じことを知ってほしい。

The magnetic force and energy flow   

『電流』が磁気を発生すると言う。『電流』の流れる回路にコンパスを近付けると、確かにコンパスは力を受けて決まった方向を向く。しかし、『電流』は電線内の『電荷』の流れる時間微分と定義されている。それがアンペア[A]である。同じことが『電子』が電線内を流れると解釈しても、同じように電線近傍の空間に磁気の力が及ぶという。現代物理学理論の論理性として、電線内から離れた線路空間に磁気力を及ぼす原因としての力の真相は何なのかを明確に解説しなければならない筈だ。電線内部の『電荷』の移動が、電線内全体に同一の『電子』密度で分布しながら移動すると、磁気を帯びたコンパスに力を及ぼすことになる訳は何か。『電子』が流れるという論理には、電線導体の負側だけでなく、正側も同じく『電子』が充満して流れる事をも含んでいることになる。『電荷』の分布による『電圧』の原因解釈も、正側電線内のプラス『電荷』と『電子』の負『電荷』との兼ね合いで、どの様にその論理性を解釈できるのか?もう一つ重大な論理矛盾がある。それは力の物理学的解釈では質量に働く以外『慣性』の無い対象に「力」の概念は成り立たない筈だ。力の概念と電気物理 (2019/5/21) 。「クーロン力」の概念適用は根本的に論理に反した『力』の概念矛盾である。さて、『電子』がどの様な力をコンパスの動きに作用力を及ぼすと物理学理論では解釈するのか?筆者がマグネットの近傍空間に観えない『エネルギー』の流れとして確信したその方向は、十数年前にこの図の Energy flow の方向に依って決定した。

電気エネルギーの測定法(電圧)

はじめに(2020/4/19) 電気回路技術は驚くべき文化に完成された。その基本には「オームの法則」がある。『電圧』と『電流』という二つの技術概念に依って誰もが理解し易い回路技術として、現代社会の基盤技術となった。しかし、その『電圧』や『電流』と言う計測量の意味を考えれば、そこにはとても深い哲学的問題が隠されているのだ。その意味を知ることは深く電気回路技術の中にある自然現象の活用の科学技術力とそこへの叡智の結晶が結実している意味を知ることにつながる筈だ。電気回路には、基本的に自然の本源である『エネルギー』を如何に活用するかの手法を獲得した技術の結晶が隠されているのだ。その測定法を通して電気技術が如何に自然との関係を活用しているかを深く理解できる筈だ。その事は『電流』とは、『電子』とは何かが理解できることにつながるだろう。科学技術が飛躍的に発展し、日常生活に深くその影響が及び、人がその恩恵に浸りながらも、誤った物理学理論によって曖昧な科学理論常識に染まる傾向が強まってしまった。地に足を付けた地道な自然観であるべきところ、誤った理論によって人の意識を曖昧な思考の方向に導いてきた。その代表が『電子』の概念である。『電子』の空間像が示されずに、その『負』の実在性が論じられずにここまで来てしまった。その意味を解きほぐす道はあくまでも具体的な技術の意味を通して理解するより道はない。『電子』が如何に曖昧な概念であるかを電気回路の測定の意味を通して考えてみたい。半導体で論じられる量子力学について論じるほどの力を筆者は持たないが、少なくとも電気回路における電線内を流れると解説される『電子』は全く役に立たない仮想概念である事だけは強調しておきたい。

『電圧』は『エネルギー』の計測、技術評価量。

電圧とは、その回路の電線で囲まれた空間に『エネルギー』をどの程度貯蔵した状態かを知る、あるいは評価する技術的基準量である。電圧計は何を計っているかを知らなければ、『電圧』の物理的意味を知ることはできない。水を高い所から流す力の仕組みと同じ意味が『電圧』であるというような、怪しい論説が多くある。その解説ではやはり水のような何か流すものが必要になり、結局『電流』とか逆向きに流れる『電子』が必要になって来る。電線の中には何も流れていないことを理解しなければならなし、電線路空間が有ればその空間を通して幾らでも自由に電気の『エネルギー』は伝送できる。しかもその即応性は光速度で対応できるのだ。電気(と言う『エネルギー』)は光と同じように真空や空気の空間がその最も特性を発揮できる場である。ここで言う『空間』とは、電気については真空以外にも、コンデンサの金属板に挟まれた空間あるいはその誘電体空間、コイルの巻き線で囲まれた空間や鉄心あるいは抵抗体内の結晶構造体内の空間、更に電線路の電線間の空間あるいは絶縁電線の絶縁体などの空間などを指す。例えば、ガラス戸やレンズは光も電波もその『エネルギー』が伝播する空間と見做せよう。しかし、電線の金属体は基本的に『エネルギー』の反射体と見做すべきだ。だから金属の電線内には電気の担い手と科学常識になっている概念の物理量(『電流』や『電子』)は流れない事を理解しなければならない。

コンデンサとコイルの貯蔵エネルギー。

VOLT and ENERGY 直流電圧 V の回路にスイッチ S を通してコンデンサC[F] とコイル L[H] の回路を繋ぐ。

図のスイッチSを投入してからどのように『エネルギー』が貯蔵されるかを、少し数式で考えてみよう。その電気現象は所謂過渡現象を経て、『エネルギー』が貯蔵されることになる。過渡現象は数式では一般に指数関数(*)で表現される。ー(*)指数関数での数学的問題は幾ら時間がたっても定常状態にならないという論理性の現実的矛盾を抱えているー。

(1) 貯蔵エネルギーと電圧の関係。係数の2分の1は省く。

最終的に、貯蔵エネルギーは(1)式のようになる。その貯蔵エネルギーは結局電圧によって決まる値である。だからその電線間の電圧Vは貯蔵エネルギーの量から(2)式の意味であると解ろう。『エネルギー』の単位、次元はジュール [J] であるから、電圧の単位、次元は(2)式から [(J/F)^1/2^] であると解ろう。電圧の単位はコイルもコンデンサも同じ静電容量の単位ファラッド [F] に関係した物理的意味を持っているものと理解できよう。それは当然のことで、電線路は最低二本の電線で組み立てられる。その電線の間には静電容量がある。その静電容量の空間に貯蔵された状態で電気の『エネルギー』が分布して電気の送配電系統が成り立っているのだ。この電圧の次元あるいは単位の意味を理解することが電線路の物理的意味の理解に欠かせない事なんだ。(2)式のコイルの場合について、その次元について付記しておく。(r/√L)はr[(H/F)^1/2]により、[(1/F)^1/2] となるから。

(2) 要素の端子電圧と回路時定数。

コンデンサの端子電圧vcとコイルの端子電圧vlは(3)式のように評価される。コンデンサの電圧は最終的には電線路電圧値 V に等しくなるが、それまでは指数関数の変化になる。コイルの電圧vlは最終的に零となる。コイルに『エネルギー』が貯蔵されるとコイルの端子電圧は恰も回路から切り離されて、線路側には接続されていないと同じ状態になる。コイルには内部空間に『エネルギー』だけが貯蔵されたことになる。厳密にはコイルの抵抗分があるからその分の電圧は残る筈ではあるが。

指数関数の累乗の次元は『無次元』でなければならない。時間 t[s] に対して時定数が rC[(HF)^1/2^]  =L/r[(HF)^1/2^] =[s] となっているから理に適っていることになる。

(*)この指数関数式は無限の時間でも論理的に零には成らない矛盾を抱えているが、その辺は数学的に曖昧でも良いとなるのだろうか。文末に指数関数の図を示す。

(3)貯蔵エネルギー計測法。

コンデンサとコイルの貯蔵エネルギーの時間変化は(4)、(5)式となる。両方とも同じ式で表される。ここでさて、線路の電圧をどのように計測するかとなる。コンデンサ内の様子を外部から伺い知ることはなかなか出来ない。コンデンサの電界と言う状態を知る方法が無いから。それに対して、コイルの中の状態は運良く、磁気と言う誠に都合の良い自然界の贈り物がある。それはコンパスや磁石と言う身近な電磁気現象の具現像として自然世界の顔を示してくれている。アンペアの法則やファラディーの法則あるいはレンツの法則等あらゆる電気現象を外部から観測する手段として活用されているのが「磁気現象」である。何か空間の秘めた「力」を磁気が持っている。当然のこととしてコイルの秘めた空間の力を『測定法』に活用することになる。自然世界の現象を探る科学技術の始まりである。19世紀に『電圧計』「電流計」が開発された。もちろん『電圧』はボルタの電池や熱現象を利用した電池などからその安定した『電圧』を開発利用してきた訳であろう。まだ当初は『電荷』概念は明確ではなかっただろうと考えたい。

(4)『電荷』と『電子』と『電圧』の間に横たわる現代物理学理論に基づく論理性の不可解。

電気回路論で、電線路の『電圧』をどのように解釈するだろうか。プラス端子とマイナス端子の間の空間に生じる『電圧』の原因を何に求めるか?プラス側には『正の電荷』、マイナス側には『負の電荷』が分布してと解説が始まるだろう。そこに思考停止の現代物理学理論が在るのではないか?『正の電荷』と言うその正体をどのように認識するのだろうか。簡単に『正の電荷』がプラス側の電線に雀が止まるように集まるのだろうか。どんな理論によって『正の電荷』だけが一方の電線に集まるのか。みんなが電気現象の基本法則と崇める「クーロンの法則」では、同じ『電荷』は反発し合うと大原則を学習して居るにも拘らず、無意識に所が変れば同一電荷同士が集合体となって結び付く。金属電線の中に『プラスの電荷』とはその正体はまさか『陽子』とならないだろうから『電子』の抜け殻の『+金属イオン』だろうか。図に示したように『+金属イオン』は銅線なら銅イオンしかない。『+金属イオン』を置き去りにして、その『電子』はいつの間に隠れて逃げ去ったことになるのだろうか不思議だ。科学理論は論理性がその身上の筈だ。一方反対のマイナス側の電線にはマイナス電荷の象徴の『電子』が集合すると解説されるだろう?図のように『電子』の密集状態が出来るとなろう。それでプラスとマイナスの電線路空間図が完成して、『電圧』の科学的理解ができるとなり、万々歳となって終わるのか?そこへ『電圧計』を繋ぐとどうなるかを考えれば、思考停止で終われないだろう。そこに不可解と言う意味が追加される。まず、乾電池に電線を繋いで配線すれば、それだけで電線間に電圧が掛かる。プラスの電線の銅金属からどのようにして『電子』を引き剥がすのだろうか?プラス側の銅線には電線内に電界などできない筈だ。電界もないのに銅金属から『電子』を引き剥がす論理的根拠が欲しい。その辺の高度な専門性は大学院などの物理学科の博士課程などで高等教育を受けた専門家やその指導者が答えるべき内容であろう。余りにも専門性のない素人の疑問では答えるに沽券(コケン)に関わる話となろうか。乾電池から『エネルギー』をランプに送る。その時『電子』が電池のマイナス側から流れ出し、ランプを通って電池のプラス側に戻る。どれ程の『電子』が集団高密度で『電子』の密集分布電線の中へと流れて行くのだろうか。流れ出す時点で、『負電荷』量が増加しても、線路『電圧』に影響を及ぼさないで済むのだろうか。さらに、ランプで『電子』はどのようにフィラメントの抵抗体で光を放射する物理学理論を展開して、電池のプラス側に戻り、『電子』の面目即ち電池から『エネルギー』を伝送する役割を果たすのだろうか。『電子』がただ電池の負極から流れ出て、電池のプラス側に流れ込むだけの『電子』の役目で、電磁気学という学問の科学理論の論理性が唱えられるというのだろうか。とてもその論理性が見えない科学理論に思えるのだが、皆さんはそれで安心できるのか?

(5)コイルの貯蔵エネルギーの磁気特性の活用法と『電圧』計測。(2)式によってコイルのエネルギーW[J]とすれば、図のように線路電圧によってコイルのエネルギーから電圧を測定できよう。そのコイルのエネルギーをどのように計測に活用するかとなる。

簡略計測法。最も単純にエネルギー量W[J] が有るか無いかは図のようにコンパスの振れで分かる。しかし、これでは計測には成らない。

可動コイル型計器が直流回路には使われる。貯蔵エネルギー保有のコイルを磁石の間に配置すると、コイルはW[J]の平方に依った回転角度を示す。測定器の概要は図のようになる。

むすび

電線路の直流電圧を計る『電圧計』がどのように、何を計っているかを示した。この測定法で、直流電圧を電線路の『電荷』分布で解釈する論法の矛盾を論じた心算だ。このコイル内に『空間エネルギー』がコイルの巻き線に沿って軸性の回転流として貯蔵されている。その回転方向は丁度『電子』が流れるという電子論のその向きであり、『電流』の逆向きである。この電圧計の測定量の意味を知った上でも、もし『電荷』分布が電線路電圧を決めると解釈するなら、それが現代物理学理論の『パラダイム』という事であろう。更に一言付け加えておく。コイルの貯蔵エネルギー W を抵抗r による『電流』で計算して式を導出した。しかし実際の物理現象は電線の負側を『エネルギー』がコイルの端子電圧の時間積分に関係した過程を経て、コイルに入射するのである。しかし、その状況を『エネルギー』の様態として観測することはできない。『エネルギー』が実在するにも拘らず、その『エネルギー』の姿を眼前の空間に見る事が出来ないという、自然世界の掟によって支配されているとしか考えようがない。科学理論は実験的にその値を検証可能でなければならない人の決めた矢張り掟と言うべきものに縛られている。そこに現代物理学理論が認識不可能な空間の『エネルギー』である物の意味に在るのだろう。どんな方法でも電線路の空間に在る『エネルギー』の分布を観測することは残念ながら出来ない。それほど空間に在る『エネルギー』は神秘的な物理量である。

指数関数

電圧と電流の正体 (2013/5/16)

鋏の磁気?

はじめに

急に気付いた、今まで珍しい現象が有るものだ位にしか思わないでいたことを。見ても気付かない事が有るという、その意味は自分の意識の有り様を理解し、考えるに充分な価値のあることだ。過去の電気工学論で、絶対的実在量と確信していた電流(電線金属内を負電荷の電子が逆向きに流れるという科学論の電流。そんな電荷が導体内など流れる訳がなく、電線路空間内をエネルギーが流れる現象を電気技術論として捉える概念として構築したものが電流計で計測する電流技術概念なのだ。)が自然世界に存在する物理量でなかったと気付いたことから見ても、何も不思議な事でなく日常的に有り触れた人間の意識の姿であったかも知れないと気付いた。物理学理論の根源的「原子像」も原子核の周りを電子が周回しているという科学的、社会的常識の標準理論で世界が支配されている。誰もその「原子構造」を疑いもしない。それを理解できない原子像と否定するのは筆者が常識外れの素人か、偽科学論者として排除されるかも知れないが。『電荷』を否定した筆者には、原子構造論を疑う事は至極当たり前の自然科学論の心算で在る。そうであっても、何年先、何十年先になって皆さんが気付くかと考えれば、それも気付きの人の意識の問題として不思議な事でないのかも知れない。今回は高が鋏の磁気現象でしかないが、とても大事な意味が含まれている。

それが右の砂鉄模様である。コンパスで確認した結果が写真に示した磁極N Sである。今回改めて気付いたことは鋏中央部が何故磁極 N になるのかという事である。磁気はマグネットのように、磁性材料の両端に在るものだ。金属の真ん中に磁極がある等と言う磁界はあり得ない。直ぐにそんな訳が無いと気付いて当然だ。しかしそのことに気付かないで過ごしてきた。今回の気付きの、その切っ掛けとなった事に、『ハルバッハ配列』の磁気現象の存在を知った事があるかも知れない。この鋏の磁極 N はどのようなエネルギー流によって生まれるのかという疑問に気付いた。磁極を磁束描像で認識することには論理的な説得力に成らない基本認識からの疑問である。この写真に示した砂鉄模様は、今までの物理学理論への認識を新たな捉え方に切り替えなければならない実験的証明の意味を示している。鋏が何故磁気を帯びるのか?ほとんどの鋏をコンパスで調べれば、何等かの磁気を帯びた結果を示すはずだ。そこに隠された意味が有る。その意味を解き明かしたい。

磁場とは何か?-物理学の命題– (2016/03/29) で鋏に磁気の極性が生まれる事を取り上げた。何故鋏に磁極 S-N-S の配列が生まれるのか?磁極は『軸性エネルギー回転流』に依る物理的現象である。磁束も自然界には存在しないもので、科学技術理論・電気磁気学理論の構築に有効な概念として仮想的に創作した物理概念である。ファラディーの法則として電磁気現象を解釈する極めて有効な概念が磁束量である。磁石のように離れた物同士の間に働く力を、解釈するにはその空間に変化をもたらす何かが存在すると考えざるを得ない。その創作概念が磁束である。しかし、もし磁束があるとしたら、その磁束の何が『力』の基として空間で機能すると考えるのか。磁束が空間で太くなるとか、本数が増えるとか、力が強くなるにはその磁束にどのような空間の状況の変化を生むのかを説明しなければならない筈だ。しかもどんな磁束の式で表現されるのかを。磁気のクーロン力には磁束がない。それは距離の長さが変数である。磁界の原則を説明したdiv B = 0 は空間に磁束を発生する基の磁荷 m[Wb] は存在しないことを説明した式である。理解して欲しいことは、空間に『エネルギー』が実在するという事である。『磁束』と『エネルギー』との関係である。光は『エネルギー』である。光を観ようとしてもその姿は見えない。空間には『エネルギー』が、その代表として「光」があるが、それを見る事はできない。物の姿は「光」によって見る事はできるが、「光」を見る事はできない。電気コイルは『エネルギー』をその空間に貯蔵、保持すると解釈するが、その『エネルギー』があるとは解釈しないで、『磁束』で代用して解釈しているという事ではないのか。空間の電磁場を電界や磁界で解釈するとき、その空間の『エネルギー』を意識しているのだろうか。結局磁界や『磁束』もその空間の『エネルギー』の代用概念として使っているのじゃないか。電池は電気の『エネルギー』の貯蔵器だ。電池が何を貯えるものと考えるのか。『電子』を貯えるものではない。電子など『エネルギー』じゃない。電子が負荷を流れたからと言って、負荷がどのように『エネルギー』を使うと言えるのか。電子は『エネルギー』を背負って移動する訳ではなかろう。電池の『エネルギー』をどうして意識して解釈しないのか。電線で囲まれた空間を流れる電気の『エネルギー』を何故考えないのか。電磁気現象の本質はすべて空間の『エネルギー』の現象なのだ。目に見えない『エネルギー』や『光エネルギー』の空間場なのだ。

解析結果

磁極とエネルギー流 鋏の腹に当たる中心部が磁極Nである。鋏の鉄金属の中心がN極になる訳を磁束では説明不可能であろう。図解のように、丁度二つの磁石が N 極で向き合った磁気結合の構造をなしている。結局その結合がN極周りの図解のような、鋏のどの方向から調べても全ての面で軸性エネルギー回転流の磁極 N の指向性を示す。腹部のN極の鋏のどの方向でもコンパスを近付けると、そのエネルギー流がコンパスのS極のエネルギー流と同じ流れとなる。そのエネルギー流の合成分布が磁極の向きを揃える力を生む。鋏のN極のエネルギー流とコンパスの磁極 S のエネルギー回転流(その密度流ベクトル S [J/㎡s])に直交した方向に、二つの磁極の間での近接作用力

f = rot (S/v) [N/㎥]

が発生する。磁極周辺空間内を通して金属同士(コンパスと鋏)の間に作用力が生じることになる。

むすび

何故鋏が磁気を帯びるか?鋏の使いの機能、即ち2枚の刃を擦り合わせる事によって摩擦のエネルギーが原因かと考えた。しかし、その点の確認はできなかった。感覚的には、製造加工時の加圧ネルギーが原因かとも思える。今のところ不確かではある。

他の鋏でもその磁気分布を調べた。鋏によって、その模様も異なる。左上はその例だ。磁極が端に在る訳でもないことを示す。

 

 

 

マグネット 摩訶不思議-ハルバッハ配列-

はじめに(2020/02/21) 久しぶりに楽しい時間を過ごさせて頂いた。ものづくり・科学フェアinアオーレ長岡、2月1日。普段は全く科学や伝統技術に触れる機会がなく、ひきこもりのブログ投稿で過ごす。今回の催しに参加し、科学の雰囲気に触れられ、話ができる満足を楽しませて頂いた。その科学技術で、少し勝手に質問等させて頂いた展示部門に「ハルバッハ磁場」がある。お相手頂いた方(学生さん?)にはありがとう。久しぶりに『磁気』の専門的な部門の不思議を味わった。展示された先生には感謝です。改めて、今回もう一度「磁力」の物理的現象の意味を考えてみたくなった。自然現象、物理現象の解釈を学問とした物理学は、ややもすると簡便な伝統的解釈手法に拘泥したまま、その理論に不思議とか疑問とかを抱かなくなっている。所謂「考えない」伝統論が支配してしまった。筆者が取り上げる内容は、それらの伝統論の矛盾を拾い出し、新たな市民が理解できる易しい科学論(数式を使わない日常用語あるいは空間図形表現で解説する科学論)を目指すため、専門家の皆さんからは顰蹙を買う内容となろう。教科書批判ともなる訳だからなお更ややこしいことになる。ご容赦の程お願い仕ります。今日ダッシュボードに、関連した古い記事が読まれて、コイルの電圧時間積分と角周波数 (2016/03/21) が挙がっていた。この記事を書きながら、もう一度磁束の意味を、その概念に自然現象としての物理的な論理性が有るかどうかと自身で確認した。それが電流と磁気と空間の哲学 (2020/02/24) である。

摩訶不思議(2020/02/20) 非常に不思議だという意味で魔訶が付く。解けそうもない永遠の謎に思えるのがマグネットの磁気エネルギーの保存原理だ。電気器具の電池が切れるような、マグネットのエネルギーが切れることに遭遇する経験がない。何故マグネットは幾ら力によってエネルギー消費の物理現象を辿ってもマグネットの機能がなくなることが無いのか。エネルギーの永久保存則など有るのだろうか。それは地球が自転・公転する原理が理解できないと同じ位不思議だ。

マグネット 

今回会場で頂いたマグネットの寸法と形状を示す。

「ハルバッハ配列」と言うマグネットの利用技術が有ることを教えて頂いた。リニアモーターカーの浮揚磁石として使われるとか?のお話であった。

そのマグネットを磁気力で、側面接合させたら、図のようにズレて接合した。このマグネットの磁極は赤丸のN極と青色のS極が図のような側面にある。図のように接合面がズレた珍しい向きになっている。図のように半分ずれた位置で安定する。その位置で安定する訳は何故か?マグネットの一つの現象の表れである。その意味をどう解釈するかが物理学の意味であろう。磁束や磁界の物理学概念でどう解釈するかである。このズレを無理に押し付けて平板型の一体マグネット構造にすると、下側のマグネット面が NSSSN の磁気の並びの磁場構造面となり、この下側面が「ハルバッハ配列磁場」となる。上面は NSNSN の磁気配列で、「ハルバッハ」とは無関係だ。「ハルバッハ配列磁場」は強烈な磁場面となる。何故そのような磁場となるのか?「磁束」概念で解釈できるのかを論じてみたい。それは電気磁気学の全貌に関わる内容になる筈だ。『静電界は磁界を伴う』の実験結果が示した『磁針・マグネット』の静電界中の磁界検出の意味の確認ともなるから。

マグネットが呈する現象は電気磁気学の神髄を秘めている。マグネットのことが理解できれば、それは電気磁気学の学理を習得したと見做してもよかろう。こう断言する訳をここで論じてみようというのである。それは『電荷』と同じく『磁荷』及び『磁束』も自然世界にはないという基本的立脚点に立っている事からの断言でもある。電気磁気学という科学技術に欠かせない科学論の根幹が、今こそその深い基本で検証されなければならないところにある。

磁気・磁束とは
マグネットの解釈では、必ず磁束や磁界が専門用語として使われる。磁気、磁束の関係した科学技術の代表は変圧器であろう。二つのコイルを鉄心と言う構造体に巻き付けると、その巻き数の比率に従って、二つのコイルの電圧が決まる。その電圧は鉄心内の磁束によって決まる。ファラディーの法則の式には励磁電流など一つもない。電圧と磁束の関係しかないのだ。励磁電流など流れなくても、理想の変圧器は立派に動作する。鉄心の物理的特性に依るのであり、励磁電流など不要なのだ。理科教育・物理学はもっと技術の意味を学習し、考えてほしい。旧い伝統踏襲の「考えない教育」から脱却してほしい。教える方も法則や基礎概念のその意味に疑問を抱く程深く認識し、自己問答をしてほしい。と『磁束』の概念が電圧時間積分によると言いながら、その『磁束』はこの自然世界にある訳ではなく、それも科学技術の一つの解釈概念でしかないと言わなければならない切ない論法になる。

磁力、その解説。
マグネット間には「磁気のクーロン力」と言う式で表される力があると解説される。式は磁束φでなく、存在しない磁荷+m 、-m[Wb] で表現されている。その理論式に論理性があるとは考えられないにも拘わらず、見過ごされている。実際にはマグネットの磁力の特徴、意味を図解では磁束φで表現される。そこには残念ながら、磁束で磁力を納得させる説得力は見当たらないであろう。

上のマグネット接合の訳。それはマグネットがエネルギー流による現象だから。

図3.エネルギー流と反発力 図のような配置にマグネットを持ってくると、平板状に並ばず、図のようにズレる。それはマグネット間に力が働くからである。マグネットの不思議な磁力は磁極近傍の空間のエネルギー流の為せる業であるからだ。エネルギー流が接合面で、逆流によって反発の近接作用力となるからである。実験的な証明ができない解釈である。空間に実在する『エネルギー流』など計測できない物理量であるから。それは光と同じものである。

ハルバッハ配列の磁場 図3.のマグネットのズレを強く押して、平板状にすると磁極がNSSSNのハルバッハ配列面が得られる。裏面は磁極配列がNSNSNとなり、その面はハルバッハ配列ではない。その磁場の磁力は強くはない。

図4.ハルバッハ磁場 とても強力な磁場が発生する。その訳は何故か?(1)磁束描像 と(2)エネルギー流描像で表した。磁束描像では特に磁力が強くなる物理的意味が説明できない。磁力発生原理になる磁束量の式が無いから。

(2)エネルギー流描像 中心の広いS極面のエネルギー流が存在し、その側面配列のS磁極とのエネルギー流が強め合う方向に合流すると解釈できる。残念ながら、この解釈も空間エネルギー流を観測する実験的手法を筆者は知らない。表式化するだけの科学的根拠を示せない。

磁場の砂鉄模様

図5.砂鉄模様。磁場の様子は砂鉄では観測できる。マグネットの上に紙を載せ、そこに砂鉄を振りかけた。(1)はハルバッハ配列面の模様。(2)はその裏面の模様。

(1)ハルバッハ面。砂鉄模様からは特別磁場が強いという様子が見える訳ではない。ただ、全体が一つの磁極の磁場模様を呈していると見える。(2)ハルバッハの裏面模様。明らかに磁気N極とS極の間に断裂が有る。

図6.ハルバッハ配列砂鉄模様。もう一度砂鉄量を増やして、模様を取った。指で砂鉄表面を均した結果の模様である。この模様は磁極S面の大きな磁場模様で、周辺部に強い磁気が集中した広い磁場の様子を呈しているとみられる。単独の磁極の磁場ではこのような広い模様は得にくいと思う。

むすび。

側面に張り付けたマグネットの磁気エネルギー流も中心の磁場と同じ方向の流れとして、それを強める方向に流れる。図6.はその結果によって生まれた磁場模様と解釈する。それが「ハルバッハ配列」の磁気の強度をなす原因と解釈する。

 f = rot S/c [N/㎥] の磁気力の意味について。模様の外周部が広く一様であるので、磁気周辺部におけるエネルギー流の急峻な分布模様とは異なる。しかし、中心のS極周辺部ではゼロから急峻なエネルギー分布量に立ち上がっているとも観られることから、そこにおいて表式の意味が成り立つと解釈することは出来よう。

【附】ハルバッハ裏面砂鉄模様。

①の模様は砂鉄を撫でた結果のもので、砂鉄の分布が4列にハッキリと分かれている。中心の2列は磁極Nの幅の模様である。また、両端の2列は側面のSN磁極の幅に模様である。中心の磁場Nと隣の磁極Sの間は磁束表現で捉えれば、砂鉄模様に断裂が発生する理由はない筈で、ここにも磁束評価解釈の矛盾が表されていると考える。電磁界解釈の基本理論で、磁場はNS極間では磁束を通して強くつながる筈である。この付図のような磁極間に断裂は発生しない筈だ。どのように解釈すべきか付議したい。

参考記事。磁界・磁気概念の本質 (2010/11/16) 。から始まって、既に9年が過ぎた。新世界―科学の要ー (2015/03/05) に磁界とか電界とかの概念も一つの『エネルギー流』の下で理解したいとしてまとめた。

力の概念と電気物理

視点一つが世界を変える。加速度の存在しな物に『力の概念』は存在しない。『電荷』には加速度が生じない。

不図疑問が湧く。今までの認識に疑問が種となって、新たな世界が驚きの中に膨らむ。今回は『力』である。電気と言う目に見えない現象故に、その世界描写は数学的な表記によってとても抽象的に描かれる。多くの法則によって体系化された学術理論の世界である。科学理論の世界は長い歴史の重みを背負って、何百年の時に亘って専門家の追究の試練に曝されて生き残って来た学術理論である。その根幹を成している概念は『電荷』である。それはクーロンの法則と言う偉大な科学技術論を論ずる基幹法則として誰もが一度は聞いたことのある法則であろう。『電荷』間に働く『力』の意味を解釈する法則である。科学理論は社会的に認知された、学術機関の専門家が推奨する権威ある理論で、広く学校教育での標準教科書として取り上げられたものである。そんな理論の根幹の「電荷」を否定することは、社会的大きな混乱を引き起こすかもしれない畏れ多さを抱える事でもある。自分一人の科学技術感覚からの『電荷』否定の挑戦であった。クーロンの法則を斬る (2013/01/06) の記事から6年が過ぎた。今回その法則に関して、力学理論の『力』の概念から改めて『電荷』否定の論証視点が浮かび上がった。気付けば当たり前のことと思う様な『電荷』に潜む矛盾点である。

力学論の力の概念

運動力学の『力』とはどのようなものか。そんな疑問を抱くことに意味があるのかと思うかも知れない。力が働くという意味で感覚的に感じるのは力を掛ける対象に、力に逆らう反作用のような抵抗がそこにはある。それが慣性体としての質量の意味だと思う。運動力学で力が掛ると、その対象は力によって加速度運動に成る。もし力の対象が質量体で無かったなら、その対象はどのような運動に成るのだろうか。図の力の概念に示したように、質量M[kg]が力に逆らって速度の変化を受けないような作用があるから力を掛ける側に、対象に作用するという意味が生じるのだ。もし対象に質量がなかったら、加速度と言う概念は存在しない。

電荷と力

図1.電荷と電界と力

さて、電気物理学では『電荷』がすべての電気現象の理論的論拠となっている。電場に『電荷』が有れば、その『電荷』はその点の電界強度によって『力』を受けると成っている。(1)式のように、空間にある電荷集合体+Q[C]が有れば、その周りの空間は立体空間全体に電界強度E[V/m]で定義付けられると成っている。その空間に、他の『電荷』が存在するとその電界Eによって力を受ける。電荷が-q[C]とすれば、(2)、(3)式の力を『電荷』が受けると言う。(3)式が有名なクーロンの法則の式である。なお (r/r)は座標ベクトルrの方向を示す単位ベクトルの意味である。(2019/12/29)追記。以下の「・・」内の部分は間違いである。荷電粒子が電磁場で力を受けて運動云々の意味は電荷と電界の間で起きる筈がない。粒子加速実験では電界で加速などしていない。電磁石の磁場での加速と言う実験である。正と負の『電荷』による電界など作れない。『電荷』量の確定ができない筈だから。間違いは次の文章である。「荷電粒子が電磁場で力を受けて運動する現象は実際にあるから、確かに間違いとは言えない。」しかし、上に示したように、『力』の概念で述べたことも間違いではない。質量がなければ、『力』は掛からない。『電荷』に慣性は無いから、それは『力』の対象にはならない筈だ。もし力が掛れば慣性のない『電荷』は直ちに無限速度で飛んで消えて、運動論の対象にはならない。前にも、荷電粒子加速と電磁力 (2015/01/31)で問題にした。今回不図した思い付きで、『力』の概念について気付いたことが質量の慣性と言う意味であった。クーロンの法則を斬る (2013/01/06)で『電荷』とその上の(3)式の否定を論じた。今回はっきりと納得できたのが質量の慣性と言うものによって初めて『力』が意味を持つという事であった。それなら実際に電磁場と言う空間での荷電粒子加速現象はどのような意味なのかという自然世界の認識の課題である。実際の電磁場での粒子加速運動論には必ず質量を必要とするから、電子にも陽電子にもすべての粒子には必ず質量が付帯している。そこで一応運動力学論としての辻褄が合わせられている訳である。しかし電気回路の電流論に成ると、電流の単位アンペア[A]=[C/s]には決して質量は必要ないから、『電荷』だけで論じられることになる。この『電荷』と『力』の問題は、世界で実施されている荷電粒子加速実験の理論的根拠の問題でもあろうかと考える。

電荷と電磁場

もう一度電荷とその電界の意味を取上げて考えて置きたい。『電荷』の意味を考える時、とても不思議に思うことがある。或るプラスの正電荷の集合体が空間にあると設定されて解説される。クーロンの法則に直接関係する電磁場の論考に於いて、どのような原理で同一の符号の『電荷』が集合し得ると考えるのか。同一符号の『電荷』は離隔距離の2乗に反比例して強力に接近は拒否される筈である。子供達に教える教育の場で、クーロンの法則が取上げられて、説明される時には同一『電荷』の集合は排除されると教える筈である。しかし、図2.のようにいとも簡単に『電荷』の集合体で理論の解説が成される。これも科学論の不思議と言わなければならない。その時の集合電荷の離隔距離はおそらくゼロの意識で論理展開しているのだろう。ゼロの2乗分の1は無限大の排斥力となる。この事は教育者側の科学論の論理性の問題としても無視できない矛盾論の筈であろう。それはさて置き、問題は電荷周りの電磁場の意味である。図2.電荷とエネルギー のように空間の誘電率がεo[F/m]とすると、その空間のエネルギーをどのように理論的に解釈しているかという問題である。係数が(1/2)の問題はさて置くとして、一応wr=(1/2)εE^2^ [J/㎥]のような電界のエネルギーが空間にあると解釈する筈である。『電荷』からの空間距離rの関数として、『電荷』周りにはエネルギーが分布していると解釈してよかろう。しかし、物理学理論で空間の解釈をする時はこのようにエネルギーを認識している筈であるが、荷電粒子加速などの場合には、この空間エネルギーをどのように解釈しているのかはハッキリしていないようだ。このエネルギーの問題は理論物理学における『電荷』の概念の捉え方に関わる問題であるから。と言うのは、このエネルギーが空間に存在していると解釈するかどうかが最初に問わなければならない問題なのである。そのエネルギーは電界がある限り、空間の無限遠までも希薄になっても存在することになるからである。空間に存在すると解釈するなら、そのエネルギーを理論物理学ではどんな物理量と考えるのか。即ち『電荷』の一部なのか、『電荷』と無関係のエネルギーなのかと言うことを問う問答なのである。この解釈・考え方は至極幼稚な素人的素朴な疑問なのである。しかしこのような考え方が、理科教育・自然科学論に求められて居る易しさの科学論の姿勢であると考える。高度な数学的理論展開では、市民が理解し、納得する自然科学論にはならないから。本当の自然科学論は日常用語で解説できなければそれは正しいとは言えないのだ。何故このように『電荷』とその周辺空間のエネルギーの問題を論じるかは、高度な理論を展開されている専門の方々こそお分かりの筈であるから。ついでにもう一つ図2-1.電荷と力とエネルギーとして、単位電荷が空間に分布していたとする。この場合は、『電荷』間には複雑な力が掛ることに成り、その空間のエネルギー分布も正と負の電荷によって、種類の違うエネルギーが存在すると解釈するべきなのかなど理論的に決まりの付け難い問題が残るようだ。本来エネルギーには『正』と『負』は無く、ただ『エネルギー』が存在するかどうかの問題であるから。そういう意味で、物理学理論の易しい解釈を求めての論考である。易しい理論的解説は難しい数学や数式は必要がない筈だ。『電荷』が『エネルギー』を持っているか、いないかを答える事ぐらい難しい事ではなかろう。結局『電荷』とは何かを問うことである。電気磁気学、電気回路論あるいは電気工学のそれぞれの解釈の場で、『電荷』が如何なる実在量かの描像を示す事が求められていることと思う。それは次の謎解きの話になろう。

理論と電磁現象の間の謎解き

波形観測に欠かせない電気製品にオッシロスコープがある。電子銃からの電子ビームを平板電極間に通すと、その電極の電圧信号に従って、電子ビームの方向を制御できる。蛍光面にその制御されたビームの軌跡が波形を描く。その原理が電子電荷の空間電界による制御と解釈される。これが科学技術の電磁現象解釈原理となる。技術としてはその原理を理解することが必要であり、それだけで十分立派な電気技術者の仲間に入れる。教育もその意味で技術理論の習得への期待が国家の教育方針とされてきた。それはそれで良かった。『電荷』と言う概念を考え出して作り上げた意味はその為に有効であった。ところが、その科学技術用の理論を深く突き詰めると、とても曖昧で、論理性に絶えない矛盾が潜んでいることに気付く筈だ。科学技術教育ならそれでも良かった。しかし、自然現象を説き明かす物理学理論となれば、その矛盾を抱えて頬被(ホウカブリ)したままやり過ごす事はできない筈だ。ではそれはどんな矛盾で、何故理論が論理的で無いと言うかを説明しなければならないかも知れない。聡明な皆さんは既にお分かりの筈であろうが。その曖昧さを取り除くには、『電荷』が理論に絶えない概念であることを理解しなければならない。 f=q[v×B]+qE [N] の式で解釈するローレンツ力の力が掛る対象は電荷q[C]である。その式は質量が無い式だ。荷電粒子にこっそり質量が有ると条件付けられてはいるが、それは運動論を展開するには質量がなければ無理だからである。しかしあくまでも力の掛る対象は原理の式には『電荷』しかない。『電荷』には慣性がないから力が掛る対象にはなり得ないのである。しかし現実は、この式で解釈する通りの荷電粒子と認識する『電荷』のビームが制御される。この論理的不都合を解決する解釈法が一つあるのだ。それが『軸性エネルギー流』だ。電磁場空間内の空間電磁エネルギーの分布を理解する道である。『静電界は磁界を伴う』と言う奇妙な表現内容に鍵がある。電界と言う電場空間は、むしろ磁場空間なのである。磁場空間は磁束がある訳ではなく、軸性エネルギー流の場である。言ってみれば、『電子』も軸性エネルギー流子なのである。エネルギー流空間に電子と言う軸性エネルギー流子が通過すれば、エネルギー流同士の間の近接作用力が働くことになる。過去に載せた関連記事の図を挙げて置く。電子スピンとは?-その空間像-(2011/02/09)

 

 

 

 

 

 

 

素粒子-その実相-(2012/07/31)

 

 

 

 

 

エネルギー流と結合(2018/10/10)

 

 

むすび

問題の解決は『電荷』とは何かに答えることである。それはまた『電子』とは何かに答える事でもある。そこに未来の道が観えて来る筈だ。空間に実在するということは、その空間像を描くことでしか解決できない。抽象的な数式には姿が観えない。軸性エネルギー流は磁場と言う空間の物理的姿を示した空間像である。身近にあるマグネットのNSの磁極近傍の空間に在るエネルギーの流れの様子を示したものが軸性エネルギー流であり、それは磁極の表面空間を流れている回転エネルギー流である。その空間に実在するエネルギーを見ることはできない。それを計測することも、観測することも出来ない。その観えないものを『電子』などと捉えて、科学理論を構築して来たのである。『電荷』概念の矛盾に気づくなら、空間のエネルギーが(心にあるいは感覚的に)観えて来る筈だ。そのエネルギーに関する空間論は観測できないから科学論に成り得ないかもしれないが、そこに至らない限りは自然に心を添えないと言うことであろう。『エネルギー』を認識すれば、自然世界の本質が観えて来る筈だ。以上でクーロン力の矛盾についての論説は終わる。次の記事で、アンペアーの法則の回路電流における電子流の矛盾について述べたい。

結合エネルギー:不思議の砦

結合エネルギーの世界
最近高等学校の化学の授業内容で結合エネルギーがあることを知った。ヘスの法則も1840年頃の発表であったらしい。しかし1954年に受けた授業の化学には無かった内容のように思うが、勉強しなかった為に知らなかっただけなのかも。筆者の知らない世界の化学であった。時代遅れを恥じる。結合エネルギーと言う用語は、高等学校での電気工学の教科「発変電」を教える時に、原子核分裂の物理現象の解釈理論として学習書を通して初めて学んだ。原子理論の質量ーエネルギー等価則として理解して来た。その原子理論の結合エネルギーを今考え直してみると、混乱してしまうほど理解できていない自分に戸惑う。筆者も高校1年生で化学の授業を受けた。原子結合の共有結合がクーロンの法則の原則に従わずに手を繋ぐ意味が分からず、化学への学習閉塞を来たしてしまった過去が在る。そんな過去を今まで引き摺って来たのかと思うほど、高等学校の理科の科目、化学の結合エネルギーと原子核理論のそれとは真逆の意味ではないかとさえ錯覚するほど混乱をしている。原子の鉄を境にして変わると原子論では唱えられる。そこで、結合エネルギーの物理的意味は『エネルギー』の空間実在量として解釈する時、どのようなものと捉えれば良いか疑問に突き当たる。高校生が学習できるのに筆者には理解できない現在の化学の結合エネルギーのように思う。結論への話がマグネットの結合模様につながればと儚い期待を持って。結合エネルギーの空間像をどのように描き得るかと。

高等学校の理科「化学」での結合エネルギー その結合エネルギーの意味は原子結合での外殻電子の共有結合の結合エネルギーとして解釈しているようだ。その時の電子の結合に果たすエネルギーをどのような物理的意味で捉えているかと解説を読んで確認しても、極めて漠然とした曖昧な意味にしか見えない。共有結合とは、どのように『負の電荷と質量を統合して空間を支配する実在物の電子―これが専門家の素粒子論で曖昧な実在性のままだ―』と言う素粒子が互いに他を共有し合うという結合の理屈が見えない。何故電子同士が結合の力を生みだし得るのか。その共有結合という役割を担う科学論の論理性に基づくエネルギーがどのようなものと捉えているか?その電子同士の結合に関わるエネルギー概念の論理的な解釈・意味合いが全く見えない。それは考える科学と言うより、科学常識を覚える理科教科にしか見えない。生徒も疑問に思っても、授業を邪魔してはいけないから、何故かとは質問もし難かろう。筆者もこの度初めて化学結合の結合エネルギーと言う解説が在ることを知った。検索から学習させて頂いた。しかし残念ながら、筆者の能力では化学での結合エネルギーの意味が理解できない能力不足の壁に突き当たったまま前進できない。その疑問が結合エネルギーの専門家の解説を読んでも、高い砦となって立入れない始末だ。その疑問を恥ずかしながら、ここに記したい。

結合エネルギー 結合エネルギーの意味が理解出来ずに、その疑問の対象に水素、酸素および水について検索から拾った関係式を挙げた。先ず、(1)、(2)式について考える。(1)式は2個(2モルという意味と思う)の水素原子が結合して水素分子になると、432kJのエネルギーが放射されるという意味なのか?水素原子が分子でなくても普通に存在するという意味か。その原子が2個結合すると放射するエネルギーと水素分子で式の等号がエネルギーの等価の意味で成り立つという意味で捉えたくなる。当然質量がエネルギーとして等価換算された意味での等価性として。その上で、2個の水素原子が結合すると、その水素分子は質量が減少して、結合のエネルギーに費やされてしまうそのエネルギーが432kJの結合エネルギーだという意味か?総体として質量のエネルギー変換量と質量の総和はエネルギーとして同じ意味でなければならないと考える。式の等号の持つ意味に照らして、その+432kJの意味が理解できない。(2)式の酸素の関係についても同じく理解できない。(3)、(4)式の水の生成について286[kJ]と言う生成エネルギーが在ることも初めて知った。この式の意味するところは燃料電池との関係でとても興味を持つ。286[kJ]のエネルギー量は化学の標準気圧で温度273[K]での評価量であろう。燃料電池は水素ボンベの高圧ガスが使われるから水素の保有エネルギーは高いものである。そのような実際の技術との関係で解説が欲しい。その時本当の意味で、286[kJ]の意味が分かる筈だ。燃料電池は電気エネルギーの供給源で、電子で解説されるが、この286[kJ]を電子が負荷に運ぶのだろうか。そんな意味が理科の化学に解説して頂かなければ、「理科基礎」への統一は困難だと思うから。

燃焼 前にお恥ずかしいながら、焚火の科学などを書いた。それも今年(2018/05/26)の記事だ。結局この式を知らなかっただけのことであった。炭素と酸素の結合エネルギーと言うことで、高校生の化学の教科書の内容である。そこで考える。焚火の科学にも有る、何が等価であるか である。上の394[kJ]のエネルギーが結合エネルギーと言う意味なんだろう。炭素と酸素が化学的に結合して、炭酸ガスになる。ここで解説によれば、炭酸ガス1[mol]を分解するには394[kJ]のエネルギーを加えないと、構成要素の炭素と酸素に解離することが出来ないとある。その意味を咀嚼すれば、394[kJ]はCO2の分子の中に結合力として内在しているエネルギーと言う訳ではないようだ。それなら結合エネルギーと言う表現の用語の意味とは異なるように思う。分子CO2内に結合の働きとしての役割を持っているなら、その中に在るエネルギーの筈である。従って外部から394[kJ]のエネルギーを加えて要素に分解するという意味とは異なると思う。新しい大学入試試験問題の内容も記憶だけでなく思考力を重視すると考えられているようだ。この結合エネルギーと言う意味を取上げても、そのエネルギーと言う意味を教育する側が具体的にどのようなものと納得できているのだろうか。何かただ教育手法として過去を引きずっているだけではないか。やっと燃焼の意味が分かったかと安心したのだが、良く考えると能力不足から高校生が学習する内容さえ理解できないで混乱している自分の無様を恥じる。疑問が増えるだけで、理解に至らない。炭素C、燃料の薪を燃やす時の化学的燃焼現象を日常生活の中で理解することが自然科学の理科の教育内容として求められることであろう。炭素と酸素を反応させるには条件が在る筈だ。炭素の1モルは炭素分子(ガス)と言う捉え方はしないようだ。炭素がガス化しないと燃焼条件を満たさないだろう。炭素と高温水蒸気との関係での結合もあるようだ。394kJのエネルギーがどのような意味を持ったものなのかが明確でなければならない。燃焼の発熱エネルギーは結合エネルギーとは関係ないものなのか?炭素と酸素の化学的結合で発生する熱エネルギーが幾らか、またその燃焼環境条件が何かが日常生活に関係した自然科学論として教育すべき内容になると思う。山に柴刈りに行って、薪を蓄え生活の竈を守る営みの中で燃料・炭素の酸化現象は飛び抜けた燃焼の意味になろう。単に結合エネルギーで説明が付くとは思えない。そこには原子構造で硬い粒子の原子構成要素と言う捉え方でない、エネルギー粒子が見えるからの解釈である。当然「電荷」は実在しない事になる。同様に水素燃料電池の発電エネルギーと結合エネルギーの286kJとの関係も明らかにされなければならないと思う。

原子核分裂理論の結合エネルギー 

科学技術の拠り所が原子論である。エレクトロニクスは現代社会の情報革命を成した。エレクトロンはその根源概念の電子である。原子構造論がなければ電子もなかった。原子構成の基は陽子、中性子そして電子となっている。人の意識には『電荷』が在って初めて科学を論じられる。自然の世界は『電荷』の支配と人は意識する。その中でその『電荷』を否定する観点から原子構造に疑問を掛ける。原子核分裂元素で発電技術に利用されるのは殆どウラン235である。核分裂における結合エネルギーは化学結合の結合エネルギーとは意味合いが異なる。原子核内の陽子と中性子が結合することによるその原子の質量欠損分を結合エネルギーと評価しているようだ。基の陽子と中性子の質量の総和よりウラン原子の質量が減少していることを質量欠損として捉え、その質量減少分のエネルギー換算値を結合エネルギーと呼んでいる。そのウラン原子核が核分裂すると、エネルギーが放射されるとの論理が核分裂現象の理論となっている。おかしくは無いか?核分裂の前後で少ない質量から分裂後に質量が増える結果になる。ウラン原子が中性子と陽子の質量の総和より増加していれば、分裂によって質量がエネルギーに変換したと理屈が成り立つ。核分裂して分裂後の質量が増えていれば、核分裂で質量がエネルギーに変換されたとは成らない筈だ。原子核理論の結合エネルギーの意味は、核分裂によるエネルギー放射の理屈が成り立たないではないか。確かに分裂後に陽子と中性子になる訳ではないが、分裂後の分裂原子の全ての質量を算定するなど不可能である。検証はできないが、質量が欠損したウランのどこに質量がエネルギーに変換される論拠が在るのだろうか。実際に原子核分裂でエネルギーを利用している。結合エネルギーの意味にはエネルギーを生み出す原理が見えない。もう一つ理解できない原子核分裂理論が在る。ウラン235はウラン鉱石に0.7%しか存在しない。ウラン238は99%も含まれているが、それは核分裂燃料には成らないようだが、その訳は何故か?自然界の存在限界に近い質量のウランでありながら、何故238は分裂しないのか。その理由が明確でなければ原子核理論が論理的とは言えない。人の科学理論の理解し得ない砦の魔境が在るようにも思える。

マグネット結合 

マグネットは天からの贈り物だ。眺めても何も見えないのに、周りに不思議な力を作り出す。魔法の力だ。物理学でも、磁束を作り出す『磁荷』は世界に存在しない事になっている。電束の基は電荷となっているから、磁荷がなければ磁束も無い筈だ。とは言っても電荷が実在しないにも拘らず電束があると解釈されている電磁界理論であるから、磁束を責める訳にもいかない。実在する世界の根源要素はエネルギーだけで十分である。マグネットもその近傍空間、NSの磁極近傍のエネルギー流がその磁気の機能を特性付けているのである。1年程前に水と水素とエネルギー流として絵図にした記事水の妖精七変化(エネルギー)が在る。水素をマグネットのエネルギー流として解釈した。次のマグネット結合になる。

マグネット結合 結合エネルギーは質量欠損と関連付けられている。結合すると安定するから質量が減少すると解説される。質量は全くエネルギーと等価である。その事からマグネットの結合をその原理の解釈法に取れば納得出来ると考えた。マグネットには磁極近傍空間にエネルギー流が在る。3個のマグネットを結合したとする。それが②である。結合した結果、結合面のエネルギー流はなくなる。3個のマグネットで、6個のエネルギー流が有ったのが、その内のエネルギー流4つが消える。エネルギーと結合(2018/10/10)にも有る。

 

 

瞬時電磁界と概念

瞬時値とは 

電磁気現象を解釈するにも、そこには多くの条件が必要に思える。ある瞬間の電気現象を捉えようとすると、時間が止まった状態を考えなければならない。電圧や電流の瞬時値は幾らという表現をする。少し考えるとその表現には矛盾があるように思う。

電磁気量の概念

電磁気概念と時間 電気磁気学では、電界と磁界が空間場の電磁気現象を論じる時には欠かせない用語である。筆者は電磁場解釈で、瞬時電磁界という捉え方をする。誘電率εo[F/m]、透磁率μo[H/m]の空間に、電磁エネルギーの密度δ[J/㎥]があるとする。そのエネルギーを電気技術概念では電界E[v/m]あるいは磁界H[A/m]という概念で捉える。しかしこの空間に存在する『エネルギー』は質量には全く無関係の物理量であるが、物理学あるいは電気磁気学ではどのように認識しているのかが分からない。物理学での解釈では、エネルギーは仕事をする能力とされている。電磁波が光速度で伝播するのもエネルギーの空間密度波の光と同じ現象の筈である。電磁波は光の電磁気的捉え方として、横波の電界と磁界の波動伝播現象で説明される。しかしその解説には不思議にもエネルギーの意味が無いのだ。そのエネルギーの存在を忘れた解釈の欠陥を説明しようと考えたら、電界や磁界の物理的概念そのものを瞬時値という観方で問い直しておかなければならないと気付いた。そこで標題の『瞬時電磁界』という記事になった。そもそも電界とか磁界という用語がエネルギーの解釈上の科学技術的解釈でしかないのであるから、その意味についてまず考えておかなければならない。携帯端末で送信するのも電池に充電したエネルギーの放射なのである。そのエネルギーの波を波形で描こうとした時、矩形波や正弦波形などでの、その瞬時値という意味でハタと描き切れない困難に直面した。今までもエネルギー密度波を点点の密度表現で済ませていた。エネルギーが空間に実在することには間違いないのだが、その表現法に戸惑う。その辺の表現の困難さもあって、物理学概念での空間エネルギー分布概念の理解の困難さがあるのかも知れない。図に示したように、エネルギー評価するための技術的概念の電界や磁界の瞬時値の意味から確認し直しておこうと思った。電界は電圧が空間に掛るという意味であろう。真空空間に電圧が掛るるという電界の概念自体も不思議な意味である。空間の単位長さに表れる電流という磁界も同じことである。電圧[V]は誘導起電力で[Wb/s]、電荷概念から [C/F]の単位で定義されている。磁界に関係する電流[A]は[C/s]の単位である。電圧も電流も電気回路解釈で、瞬時波形として正弦波などの波形表現するのが科学常識になっている。さてその瞬時値とはどのようなものと考えるか。瞬時とは時間が止まった、時間経過の無い意味でなければならない筈だ。時間で微分する意味の極限概念として「飛ぶ矢は飛ばず」という説明を高校の数学で習った。(2018/10/26 追記訂正)この「飛ぶ矢は飛ばず」の矢は静止状態であるから、空間エネルギーが静止している状態として観れば、正しくその状態が瞬時値の意味に合致している。しかし時間で微分する単位・次元を考えると、極限値という意味は瞬時値とは違うと思う。だから時間に無関係に存在するものは何だろうかと考えると、そこに残る実在はやはり『エネルギー』ということになろう。エネルギー流をポインティングベクトルS で解釈するが、単位面積を単位時間に通過するエネルギー量の意味である。時間の経過1[s]間にという意味も瞬時値とは言えない。30数年前から『瞬時電磁界』などという表現を使ってきた。電界、磁界の用語も使えない“不立文字”の世界に迷い込むような『静電界は磁界を伴う』から辿りついたら、やっぱり『エネルギー』が世界の素原の道であったと確信するに至った。方位コンパスの周りのエネルギー流を見ることはできない。砂鉄模様を眺めてもエネルギー流は見えない。それは科学的検証の出来ない世界かも知れないが、磁気の本質がそこにある。そこに科学の未来を観たい。エネルギーの瞬時空間像をどう描くかを求めて。電荷も次元解析すれば[(FJ)^1/2^] となる。空間のエネルギーとの結びつきは、やはり技術概念のファラッド[F]とヘンリー[H]の哲学的解釈に委ねられているようだ。時間までもが[s]=[(HF)^1/2^]となるから。

嘲りの中で 30数年前も本人が知らない周りのざわつきの中で過ごした。今も出かけるも帰るも知らず、本人が知らない勝手な周りのざわつきの中に居る。買い物しては悪かったのか、鋸を引けばへリコプターに轟音を浴びせられるような脅しの本人の知らない周りのざわつきの中に、知的創造・思考の自由の万引き・天引き悪魔と情報に翻弄されるだけの日々が過ぎている。何が目的か本人無視の犯罪丸抱えの日本人権侵害の世界。健康保険証は身分証明書か に関わる事件が基に在るのか?(2018/12/19)何か変わった事が在るのだろうか?また過去の空洞化人生の一つに気付いた。TEL 0258-36-6899 。30年前の電話番号だ他の人に使って欲しくない。

エネルギーと結合

はじめに

科学常識を逸脱した科学的検証の見込みもつかない論理の展開を試みる。ここに述べようとすることは科学理論や法則に基づくものでないから、とても科学論とは認められないかも知れない。その事をはじめにお断りさせて頂く。しかし自然界に『電荷』なるものが実在するとは到底考えられない。18世紀の科学論の始まりからその根底となって来た基礎概念である電荷を否定したら、そこに見える自然の姿は全く異なったものとして目に映ることにならざるを得ない。自然世界は何を以って形作られているか。眼で見たことも無いが、天体のお話から推論すれば、太陽系はじめ銀河や星座の形はすべて回転がその基本を成している。日々苦しめられる台風災害も、その基は回転現象である。地球だって回転している。回転が自然の構成原理でなくて、他に代わり得るものが在るだろうか。その回転は科学論の原理や法則には見えない。酸素と水素が結合すれば水分子となる。結合エネルギーで結合されていると高校理科の化学で解説されている。しかし、その真の意味を理解する術を筆者は持ち合せていない。どんな結合の力かは理解できない。マイナス電荷とマイナス電荷で手を繋ぎたいと思っても、多分断られるだろうと諦める。それは有名なクーロンの法則の原則に従えばである。しかし科学論では同種電荷の電子同士が手を繋ぐ不思議が許されている。実はこの記事を書く切っ掛けが、IT検索で初めて知った『結合エネルギー』の解説であった。その化学の基礎も知らなかった恥ずかしさがこの記事の基ともなった。せめて高校生が疑問に思うことに答えられれば良いかと、科学理論に拘らずに自由に結合エネルギーの意味に解釈を下してみたい。

エネルギー素量と極性

自然界では空間にエネルギーが実在していると考える。その姿の基本は光である。光は空間を光速度で伝播するエネルギーの縦波の波列である。光のそれぞれの最小単位は波長 λ[m]ごとの空間長のエネルギーch/λ [J]の分布波である。その空間のエネルギーの存在形態は光だけではない。ある点に留まる局所化されたエネルギーも存在する筈だ。電気回路のコイル内の貯蔵エネルギーもその一つに挙げられよう。その局所エネルギーの形はどのようなものが可能かと考えれば、軸性の回転流を思い描くことが出来よう。それが図1.である。

図1.エネルギー流と極性 p(有極性) wp(弱極性) np(無極性) 世の中にある身近な科学概念に関係する物にマグネットが在る。マグネットは日用品としてメモ止めの繋ぎ手の代表格である。物理学では磁束で解釈する。磁束が繋がると何故力を生むか、その理屈を考えても理解できない。マグネット同士を近付けると急に強い力になる。感覚的に誰もが実感できる。しかし磁束でその力の訳を理解しようとしても納得できないのではないか。近付くと磁束が太くなるという理論も無いようだから、力が距離の2乗に逆比例するという意味の理屈が見えない筈だ。結局磁気現象の理屈が分かっていないからであろう。理科教育では磁気のクーロンの法則として覚えさせるようだ。この記憶させる教育で、語学と違うのが理科教育であろう。覚えさせて、受験競争用の能力を鍛えれば、頭が固定概念により創造性の邪魔になるだけである。何故磁束で力が変化するかの理屈を説明出来るかである。電荷による繋ぎ手を否定すれば、磁気による繋ぎを考えたくなる。マグネットの力は自然の姿を映し出している筈だ。磁気現象はすべて空間エネルギー流の回転に秘められている。力の新しい解釈として空間のエネルギー流が有効と考える。エネルギー流が揃えば高密度化の方向に力が働く。磁極のN極がエネルギーの左向き回転流の方向を意味する。左ねじの回転方向がエネルギー流の回転方向で、ネジの進む方向が磁極のN極である。磁極の意味はエネルギー回転流の軸性を捉えた科学技術概念である。局所化エネルギー流の姿として考えられるのが図1.になる。磁場で影響を受けるのがpの有極性のエネルギー流である。影響を受けないのがnpの無極性エネルギー流の場合であろう。その間のエネルギー流の様態の変化もある筈だから、それが弱い有極性のwpと考えたい。このwpの小さなエネルギー流が何らかの原因で分離すれば、いわゆる電子という電荷の無いスピン流体となるとも考えられよう。このエネルギー回転流体が軸性を持つという意味で、軸性エネルギー流と言えよう。また表現を変えれば、軸性エネルギー粒子と看做すこともできる。

原子質量の概念と実像 

質量とは何かと考えると簡単にその意味をまとめられない。高分子化合物も質量体である。その構成要素は原子となる。多くの種類で捉えられる原子もすべて原子核と外殻の電子群で解説される。その原子論も、原子核内が陽子と中性子から成り立つとある。陽子はプラスの電荷を持つ素粒子で中性子は電荷の無い素粒子とある。ウランのような核分裂原子は分裂すると様々な原子になる。時には核から電子放射(β崩壊)をして原子番号の多い原子プルトニュウムにもなるという。それは中性子から電子が分離した結果ととれる。電荷の無い筈の中性子から電子というマイナス電荷の粒子が放射され、結果としてプラス電荷の陽子となるという誠に理解に苦しむ解釈が原子崩壊理論として正々堂々と科学常識になっている。そんな科学論で電荷とは何かを問わない、あるいは理屈を質さないでは置けないと思うが如何がでしょうか。そんな単純な疑問には何の数式も要らない日常用語で解説できる筈と思う。たった一つの『電荷』の概念位は、その実在性を唱える方々がどのような空間像で認識されるのかを示して欲しいものだ。プラスとマイナスの違いはどのような空間像として認識するのかを。単に磁場内での軌跡から判断出来ると言われても納得できない。素粒子とは空間に実在する物であれば、空間像を持っている筈だから。もし図1.のエネルギー回転流で粒子の空間像を解釈するとすれば、その粒子も磁気の科学技術概念に沿うものとなろう。そこには電荷の空間像を考える必要もなくなる筈だ。この局所化エネルギー粒子も質量の概念を備えていると看做せよう。原子核が有極性の陽子と無極性の中性子の組み合わせで構成されると解釈すれば、軸性エネルギー流間での磁気的核子結合力を想定することが容易になるであろう。そこに電荷は必要でない。原子核構成要素が軸性エネルギー粒子の結合体と解釈すれば、質量の本質もエネルギーとなる。

原子結合の結合エネルギー 

生体の高分子結合は主として炭素、窒素、酸素そして水素が担っているように解説されている。そこにリン等の原子が組成を成している。それらの原子同士を結合する結合手を電子などに任せる解釈には説得力が無いと思う。電子で囲まれた原子像では、余りにも原子核の原子特性に果たす役割が見えないではないか。原子特性の主役は核にあると考える。核の影響が原子周辺空間に強く出ていなければ、その原子論は説得力に欠けているように思う。そう考える時、原子外殻に電子など必要が無いと思う。水という最小の分子結合形態でも、そこには結合エネルギーが必要であろう。酸素と水素の結合に果たす役割をどのような空間像で理解しようとするのか。化学で取り扱う原子結合で結合エネルギーが取上げられていることに安心もした。木炭の燃焼や水素ガスの燃料電池で、結合エネルギーの意味が重要になる。原子核分裂では質量欠損と結合エネルギーの関係が論じられる。これらの話はすべて原子結合の意味に関わる基本的科学論に通じているように思う。この意味は2009年9月に発表した 電荷棄却の電子スピン像と原子模型 日本物理学会 第64巻2-1. p.18. にも有る。

むすび

原子表面には、核の構成エネルギー粒子群の構造が基となった原子特性が表れている筈である。磁極NとS極が4極ずつの8極を周期とした原子表面を呈すると考える。電子などの周回軌道でなく、原子表面の静止磁極分布が原子結合の空間構造を決めると考える。DNAの螺旋構造はじめ炭素原子のNS分布が分子の空間構造を決めると予想できる。カーボンナノチューブの構造も、炭素原子表面の磁極分布から単純な円筒とは成り得ないと考える。炭素結合の秘め事にも関係の記事を記した。

 

技術概念『電流』とその測定

はじめに

電気技術は現代社会の基盤を成している。電気理論や回路技術さらにIT情報網は完成された必須の科学技術となっている。しかし《電流とは何か?》と検索してみると、そこに表れる解説は全く訳の分からない説明となっている。殆ど電子の逆流を言うとある。この科学技術社会で、学校教育はじめ科学常識と看做されている内容がどこからこのように決まった解釈手法に迷い込んでしまったのだろうか。『電流』は科学技術概念であり、実に素晴らしい電気計測量なのである。電流は電流計で計る計測量である。それでは電流とは何かを理解するためには、電流計で計るものが何であるかを知らなければならない。今まで『電流は流れず』などと言ってきた責任もあるから、もう一度その意味を解説したい。

可動コイル型電流計

電気回路は電源が電池のような直流が分かりやすいであろう。その回路に流れる電流のアンペア[A]の値を計る測定器の代表が可動コイル型電流計である。それは何を計っているか。

図1.可動コイル型電流計 計器を①可動コイル部構造と②内部回路で表した。回路に流れる電流I[A]をどのように計っているかが計器の動作原理となろう。電流と言うのは電流計で計ったアンペア[A]の値である。電流計は電子の流れ(逆流)など計れる訳が無いのである。電流I[A]と言うものは物理量(自然界の実在量)ではなく、あくまでも電気技術の計測手法として確立した科学技術量なのである。単位アンペア[A]も電荷クーロン[C]の時間微分あるいは単位時間の通過電荷量で定義され[A=C/s]となっている。この電荷の時間微分値等も電流計では測れない。そこで電流計が何を計っているかを知る必要があろう。

電流計は電圧計でエネルギー計測器

基本的には電流を検出するのは抵抗の電圧降下である。②の計器内部のシャント抵抗rs(回路に影響しない精密な低抵抗)に流れる電流Isの電圧降下rs Is [v] を検出しているのである。その電圧をコイルLとそれを囲んだ磁石NSの部分で、電流I'[A]という電流の大きさをコイルの回転角として読み取っているのである。電流計の心臓部とも言える部分が①可動コイル部構造である。磁石とコイルの位置関係がコイル電流I'[A]の値で変わる。磁石とコイル電流の間に働く力の関係はフレミングの法則として説明される。それが教科書の説明であり、それで電気技術者として知識は十分であろう。しかし、物理現象として踏み込んで理解しようとすればそれでは不十分ではなかろうか。直流回路のコイルの意味である。コイルの電気特性はインダクタンスL[H]で捉える。直流回路の場合、コイルが回路内に繋がっていても、電気的に変動が無ければコイルは無いと同じことである。電気的変動が無ければ、コイルの存在は無いのである。それは何故か?コイルとはどのような特性の機能要素かといえば、エネルギーの貯蔵機能がその特徴である。一度コイルにエネルギーが貯蔵されてしまえば、電気回路に変動が無い限り、電気現象はコイルの無い等価回路で書き表される。コイル(エネルギー貯蔵タンク)を短絡して、コイルに負荷電流(コイル電流が内部で還流していると考えても良い)が流れないとしても回路現象としては問題が無い。ただし、コイルの損失が無い理想的な場合ではある。この(磁場と電流間に因る力と異なる)解釈はフレミングの法則の表現する意味とは異なる。磁界を磁束で解釈する科学常識と異なるから。そこで電流計の指針を回転させている力は何かとなる。コイルの周りには、エネルギーが貯蔵されているのであるが、電流が貯蔵されている訳ではない。コイルのエネルギーは電気理論では W=(1/2)LI’^2^[J] とコイル電流で解釈する。それではそのエネルギーとはどのようなものと考えるのか。コイル内の空間にエネルギーが在ると考えるか、そう考えないのか。その解釈が極めて重要なのである。どうも物理学理論では、空間にエネルギーが存在すると解釈していないのではないかと思う。質量に関係しないエネルギーの実在というエネルギー概念が欠落しているように思える。光のエネルギー空間分布と同じ意味の電気現象の解釈が無いようだ。コイルに働く力はエネルギーにあり、その二つのエネルギー流間に因る力でコイルは回転するのである。

①可動コイル部の空間エネルギー

NSの磁石とその中のコイルの磁気について、電気理論では磁束で解釈する。磁束という概念も磁気現象解釈の為の技術概念でしかないのだ。それも空間のエネルギー流の技術的解釈法でしかないのだ。実際は磁極もコイルもその周りにエネルギーが流れているのだ。コイルのエネルギー流が磁石のエネルギー流との間で力を受け、回転するのである。この解釈はフレミングの法則で解釈される現象をエネルギー流間の近接作用力として捉える考え方である。科学論は実験的検証がその論説に欠かせない。だから空間のエネルギー流を観測する方法が無い限り、科学的とは認められないかも知れないが。見えないものを観ることは出来ない意味に成るか。ただ科学的根拠は30年前の『静電界は磁界を伴う』の実験結果のみである。

エネルギー近接作用力

図2.エネルギー近接作用力 コイル電流というものに対して、コイル貯蔵エネルギーは電流と逆向きにコイル内近傍を還流しているのである。回路状態が変化しなければコイル貯蔵エネルギー流は一定のまま流れ続ける訳である。従って、コイルに電流が流れ込む理由は無く、コイルは理論的には回路から切り離されたと考えて良い。元々電線内を電流が流れる訳ではないのである。電線近傍をエネルギーが流れているだけなのであるから。磁石の磁界も図のように磁極表面をエネルギーが還流している磁気現象なのである。今までコンパスの磁気の意味をエネルギー流で解説して来た。磁気はその結合力で特別の強さの意味を持っている。その力の源を磁束という直線的な捉え方では意味が理解できない。力は回転現象に秘められていると解釈する。原子結合力も磁気的エネルギー流にあると思う。参考: 電荷棄却の電子スピン像と原子模型 日本物理学会講演概要集 第64巻2号1分冊、p.18. (2009) にも論じた。

負荷電力と計測

1820年頃、ようやく電気現象の謎が解き明かされるようになった。エルステッドが電流の磁気現象を発見、アンペアが法則を唱えた。と説明される。その当時『電流』などの意味が分かってはいなかった筈だ。言葉で電流の磁気現象と言われると、如何にも電流が分かっていたように錯覚する。電流を計る方法はどのようになされたのか。電流計が完成したのは相当後の1889年頃で、ウエストン型電流計などであろう。それまでにエジソンが1879年に白熱電球を発明し、まず電灯の文明開化が始った。電気エネルギーの供給が産業・商売に成る機運が生まれた。電球の製造・販売や電力供給が産業に成った。さてどう負荷供給電力を、商売の対価を得るために、計るかとなる。測定技術・測定法および測定器が必要になる。何をどう計るかが研究対象に成った筈だ。1881年パリ電気会議で、電気単位 V (ボルト)、A(アンペア)、 Ω(オーム)、 C(クーロン)および F(ファラッド)が決まった。その基準の電気量がどのように決まったかは知らないが、この頃から電流の単位アンペア[A]の計量が研究されたのであろう。

図3.負荷のエネルギー測定技術 直流回路の負荷の消費電力を計るとなれば電圧計と電流計で計る。電気回路の初歩の理論だ。しかし、19世紀中頃を思えば、この測定法を編み出すにどれ程の智慧を絞ったか。ここに西洋技術革新の先進的な努力が隠されていると思う。負荷電力はP[W]で、1秒間の消費エネルギージュール[J]の値を意味している。そんな物理量をどう測定すれば良いか?ストップウオッチで計る訳ではない。電流と電圧で計れるのだ。その測定法を不思議と思わないですか。科学技術の智慧の結晶なのだ。電気を販売するとすれば、エネルギー量となろう。供給したエネルギーの算定はどのようにすればよいか。エネルギーを直接測る方法は難しいだろう。エネルギーが計れないのに、電圧と電流を計って負荷電力p[J/s]を計る方法を完成した。現在は電力量計(ワットアワーメータ)E[kWh]で各家庭への電気エネルギー量ジュール[J]を計っている。

電流計・電圧形で計るもの

電流・電圧の意味 電流も電圧も負荷の電力と抵抗値を計算した値なのである。誠に不思議なり。だから電圧と電流の積が電力p[W]になる。図3.②等価回路とエネルギー流で、電圧・電流計の計測部のコイルは直流回路では変動が無ければ、電源からのエネルギー流には切り離された状態にある。そのコイルに貯蔵されたエネルギー量はコイルの直列抵抗をrとすれば、

電流計ではW=(1/2)L(rs/(rs+r))^2^P/R [J]

電圧計ではW=(1/2)L(1/r)^2^PR [J]

となる。計器内の回路定数と負荷特性の関係を表示している訳である。

むすび

以上身近な言葉である電流について述べた。ITなどを検索すると、電流の意味について、中学生向けの解説記事にも電荷、電子が電線内を流れているとある。それが科学常識となっている。専門家が論説する科学リテラシーの問題になる科学的理解とは何を目標にすべきか。自然科学の内容が自然を観察し、その観察する機会に因って子供達のそれぞれの感性に任せるべきものが本筋ではないか。科学技術の為の競争を目的にした教育は理科教育と一線を画した科学技術教育なのだ。理科教育という余りにも偏った、決まり切った授業展開法に縛られ過ぎている処に重大な欠陥が在るように思う。電気現象一つを取上げても、本当に電線内を電子(電荷と質量混合体)が流れていると誰が観測できるのか。何故エネルギー流でないと証明できるのか。