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力の概念と電気物理

視点一つが世界を変える。

不図疑問が湧く。今までの認識に疑問が種となって、新たな世界が驚きの中に膨らむ。今回は『力』である。電気と言う目に見えない現象故に、その世界描写は数学的な表記によってとても抽象的に描かれる。多くの法則によって体系化された学術理論の世界である。科学理論の世界は長い歴史の重みを背負って、何百年の時に亘って専門家の追究の試練に曝されて生き残って来た学術理論である。その根幹を成している概念は『電荷』である。それはクーロンの法則と言う偉大な科学技術論を論ずる基幹法則として誰もが一度は聞いたことのある法則であろう。『電荷』間に働く『力』の意味を解釈する法則である。科学理論は社会的に認知された、学術機関の専門家が推奨する権威ある理論で、広く学校教育での標準教科書として取り上げられたものである。そんな理論の根幹の「電荷」を否定することは、社会的大きな混乱を引き起こすかもしれない畏れ多さを抱える事でもある。自分一人の科学技術感覚からの『電荷』否定の挑戦であった。クーロンの法則を斬る (2013/01/06) の記事から6年が過ぎた。今回その法則に関して、力学理論の『力』の概念から改めて『電荷』否定の論証視点が浮かび上がった。気付けば当たり前のことと思う様な『電荷』に潜む矛盾点である。

力学論の力の概念

運動力学の『力』とはどのようなものか。そんな疑問を抱くことに意味があるのかと思うかも知れない。力が働くという意味で感覚的に感じるのは力を掛ける対象に、力に逆らう反作用のような抵抗がそこにはある。それが慣性体としての質量の意味だと思う。運動力学で力が掛ると、その対象は力によって加速度運動に成る。もし力の対象が質量体で無かったなら、その対象はどのような運動に成るのだろうか。図の力の概念に示したように、質量M[kg]が力に逆らって速度の変化を受けないような作用があるから力を掛ける側に、対象に作用するという意味が生じるのだ。もし対象に質量がなかったら、加速度と言う概念は存在しない。加速度の存在しない『力』の概念は力にはなり得ない。

電荷と力

図1.電荷と電界と力

さて、電気物理学では『電荷』がすべての電気現象の理論的論拠となっている。電場に『電荷』が有れば、その『電荷』はその点の電界強度によって『力』を受けると成っている。(1)式のように、空間にある電荷集合体+Q[C]が有れば、その周りの空間は立体空間全体に電界強度E[V/m]で定義付けられると成っている。その空間に、他の『電荷』が存在するとその電界Eによって力を受ける。電荷が-q[C]とすれば、(2)、(3)式の力を『電荷』が受けると言う。(3)式が有名なクーロンの法則の式である。なお (r/r)は座標ベクトルrの方向を示す単位ベクトルの意味である。荷電粒子が電磁場で力を受けて運動する現象は実際にあるから、確かに間違いとは言えない。しかし、上に示したように、『力』の概念で述べたことも間違いではない。質量がなければ、『力』は掛からない。『電荷』に慣性は無いから、それは『力』の対象にはならない筈だ。もし力が掛れば慣性のない『電荷』は直ちに無限速度で飛んで消えて、運動論の対象にはならない。前にも、荷電粒子加速と電磁力 (2015/01/31)で問題にした。今回不図した思い付きで、『力』の概念について気付いたことが質量の慣性と言う意味であった。クーロンの法則を斬る (2013/01/06)で『電荷』とその上の(3)式の否定を論じた。今回はっきりと納得できたのが質量の慣性と言うものによって初めて『力』が意味を持つという事であった。それなら実際に電磁場と言う空間での荷電粒子加速現象はどのような意味なのかという自然世界の認識の課題である。実際の電磁場での粒子加速運動論には必ず質量を必要とするから、電子にも陽電子にもすべての粒子には必ず質量が付帯している。そこで一応運動力学論としての辻褄が合わせられている訳である。しかし電気回路の電流論に成ると、電流の単位アンペア[A]=[C/s]には決して質量は必要ないから、『電荷』だけで論じられることになる。この『電荷』と『力』の問題は、世界で実施されている荷電粒子加速実験の理論的根拠の問題でもあろうかと考える。

電荷と電磁場

もう一度電荷とその電界の意味を取上げて考えて置きたい。『電荷』の意味を考える時、とても不思議に思うことがある。或るプラスの正電荷の集合体が空間にあると設定されて解説される。クーロンの法則に直接関係する電磁場の論考に於いて、どのような原理で同一の符号の『電荷』が集合し得ると考えるのか。同一符号の『電荷』は離隔距離の2乗に反比例して強力に接近は拒否される筈である。子供達に教える教育の場で、クーロンの法則が取上げられて、説明される時には同一『電荷』の集合は排除されると教える筈である。しかし、図2.のようにいとも簡単に『電荷』の集合体で理論の解説が成される。これも科学論の不思議と言わなければならない。その時の集合電荷の離隔距離はおそらくゼロの意識で論理展開しているのだろう。ゼロの2乗分の1は無限大の排斥力となる。この事は教育者側の科学論の論理性の問題としても無視できない矛盾論の筈であろう。それはさて置き、問題は電荷周りの電磁場の意味である。図2.電荷とエネルギー のように空間の誘電率がεo[F/m]とすると、その空間のエネルギーをどのように理論的に解釈しているかという問題である。係数が(1/2)の問題はさて置くとして、一応wr=(1/2)εE^2^ [J/㎥]のような電界のエネルギーが空間にあると解釈する筈である。『電荷』からの空間距離rの関数として、『電荷』周りにはエネルギーが分布していると解釈してよかろう。しかし、物理学理論で空間の解釈をする時はこのようにエネルギーを認識している筈であるが、荷電粒子加速などの場合には、この空間エネルギーをどのように解釈しているのかはハッキリしていないようだ。このエネルギーの問題は理論物理学における『電荷』の概念の捉え方に関わる問題であるから。と言うのは、このエネルギーが空間に存在していると解釈するかどうかが最初に問わなければならない問題なのである。そのエネルギーは電界がある限り、空間の無限遠までも希薄になっても存在することになるからである。空間に存在すると解釈するなら、そのエネルギーを理論物理学ではどんな物理量と考えるのか。即ち『電荷』の一部なのか、『電荷』と無関係のエネルギーなのかと言うことを問う問答なのである。この解釈・考え方は至極幼稚な素人的素朴な疑問なのである。しかしこのような考え方が、理科教育・自然科学論に求められて居る易しさの科学論の姿勢であると考える。高度な数学的理論展開では、市民が理解し、納得する自然科学論にはならないから。本当の自然科学論は日常用語で解説できなければそれは正しいとは言えないのだ。何故このように『電荷』とその周辺空間のエネルギーの問題を論じるかは、高度な理論を展開されている専門の方々こそお分かりの筈であるから。ついでにもう一つ図2-1.電荷と力とエネルギーとして、単位電荷が空間に分布していたとする。この場合は、『電荷』間には複雑な力が掛ることに成り、その空間のエネルギー分布も正と負の電荷によって、種類の違うエネルギーが存在すると解釈するべきなのかなど理論的に決まりの付け難い問題が残るようだ。本来エネルギーには『正』と『負』は無く、ただ『エネルギー』が存在するかどうかの問題であるから。そういう意味で、物理学理論の易しい解釈を求めての論考である。易しい理論的解説は難しい数学や数式は必要がない筈だ。『電荷』が『エネルギー』を持っているか、いないかを答える事ぐらい難しい事ではなかろう。結局『電荷』とは何かを問うことである。電気磁気学、電気回路論あるいは電気工学のそれぞれの解釈の場で、『電荷』が如何なる実在量かの描像を示す事が求められていることと思う。それは次の謎解きの話になろう。

理論と電磁現象の間の謎解き

波形観測に欠かせない電気製品にオッシロスコープがある。電子銃からの電子ビームを平板電極間に通すと、その電極の電圧信号に従って、電子ビームの方向を制御できる。蛍光面にその制御されたビームの軌跡が波形を描く。その原理が電子電荷の空間電界による制御と解釈される。これが科学技術の電磁現象解釈原理となる。技術としてはその原理を理解することが必要であり、それだけで十分立派な電気技術者の仲間に入れる。教育もその意味で技術理論の習得への期待が国家の教育方針とされてきた。それはそれで良かった。『電荷』と言う概念を考え出して作り上げた意味はその為に有効であった。ところが、その科学技術用の理論を深く突き詰めると、とても曖昧で、論理性に絶えない矛盾が潜んでいることに気付く筈だ。科学技術教育ならそれでも良かった。しかし、自然現象を説き明かす物理学理論となれば、その矛盾を抱えて頬被(ホウカブリ)したままやり過ごす事はできない筈だ。ではそれはどんな矛盾で、何故理論が論理的で無いと言うかを説明しなければならないかも知れない。聡明な皆さんは既にお分かりの筈であろうが。その曖昧さを取り除くには、『電荷』が理論に絶えない概念であることを理解しなければならない。 f=q[v×B]+qE [N] の式で解釈するローレンツ力の力が掛る対象は電荷q[C]である。その式は質量が無い式だ。荷電粒子にこっそり質量が有ると条件付けられてはいるが、それは運動論を展開するには質量がなければ無理だからである。しかしあくまでも力の掛る対象は原理の式には『電荷』しかない。『電荷』には慣性がないから力が掛る対象にはなり得ないのである。しかし現実は、この式で解釈する通りの荷電粒子と認識する『電荷』のビームが制御される。この論理的不都合を解決する解釈法が一つあるのだ。それが『軸性エネルギー流』だ。電磁場空間内の空間電磁エネルギーの分布を理解する道である。『静電界は磁界を伴う』と言う奇妙な表現内容に鍵がある。電界と言う電場空間は、むしろ磁場空間なのである。磁場空間は磁束がある訳ではなく、軸性エネルギー流の場である。言ってみれば、『電子』も軸性エネルギー流子なのである。エネルギー流空間に電子と言う軸性エネルギー流子が通過すれば、エネルギー流同士の間の近接作用力が働くことになる。過去に載せた関連記事の図を挙げて置く。電子スピンとは?-その空間像-(2011/02/09)

 

 

 

 

 

 

 

素粒子-その実相-(2012/07/31)

 

 

 

 

 

エネルギー流と結合(2018/10/10)

 

 

むすび

問題の解決は『電荷』とは何かに答えることである。それはまた『電子』とは何かに答える事でもある。そこに未来の道が観えて来る筈だ。空間に実在するということは、その空間像を描くことでしか解決できない。抽象的な数式には姿が観えない。軸性エネルギー流は磁場と言う空間の物理的姿を示した空間像である。身近にあるマグネットのNSの磁極近傍の空間に在るエネルギーの流れの様子を示したものが軸性エネルギー流であり、それは磁極の表面空間を流れている回転エネルギー流である。その空間に実在するエネルギーを見ることはできない。それを計測することも、観測することも出来ない。その観えないものを『電子』などと捉えて、科学理論を構築して来たのである。『電荷』概念の矛盾に気づくなら、空間のエネルギーが(心にあるいは感覚的に)観えて来る筈だ。そのエネルギーに関する空間論は観測できないから科学論に成り得ないかもしれないが、そこに至らない限りは自然に心を添えないと言うことであろう。『エネルギー』を認識すれば、自然世界の本質が観えて来る筈だ。以上でクーロン力の矛盾についての論説は終わる。次の記事で、アンペアーの法則の回路電流における電子流の矛盾について述べたい。

結合エネルギー:不思議の砦

結合エネルギーの世界
最近高等学校の化学の授業内容で結合エネルギーがあることを知った。ヘスの法則も1840年頃の発表であったらしい。しかし1954年に受けた授業の化学には無かった内容のように思うが、勉強しなかった為に知らなかっただけなのかも。筆者の知らない世界の化学であった。時代遅れを恥じる。結合エネルギーと言う用語は、高等学校での電気工学の教科「発変電」を教える時に、原子核分裂の物理現象の解釈理論として学習書を通して初めて学んだ。原子理論の質量ーエネルギー等価則として理解して来た。その原子理論の結合エネルギーを今考え直してみると、混乱してしまうほど理解できていない自分に戸惑う。筆者も高校1年生で化学の授業を受けた。原子結合の共有結合がクーロンの法則の原則に従わずに手を繋ぐ意味が分からず、化学への学習閉塞を来たしてしまった過去が在る。そんな過去を今まで引き摺って来たのかと思うほど、高等学校の理科の科目、化学の結合エネルギーと原子核理論のそれとは真逆の意味ではないかとさえ錯覚するほど混乱をしている。原子の鉄を境にして変わると原子論では唱えられる。そこで、結合エネルギーの物理的意味は『エネルギー』の空間実在量として解釈する時、どのようなものと捉えれば良いか疑問に突き当たる。高校生が学習できるのに筆者には理解できない現在の化学の結合エネルギーのように思う。結論への話がマグネットの結合模様につながればと儚い期待を持って。結合エネルギーの空間像をどのように描き得るかと。

高等学校の理科「化学」での結合エネルギー その結合エネルギーの意味は原子結合での外殻電子の共有結合の結合エネルギーとして解釈しているようだ。その時の電子の結合に果たすエネルギーをどのような物理的意味で捉えているかと解説を読んで確認しても、極めて漠然とした曖昧な意味にしか見えない。共有結合とは、どのように『負の電荷と質量を統合して空間を支配する実在物の電子―これが専門家の素粒子論で曖昧な実在性のままだ―』と言う素粒子が互いに他を共有し合うという結合の理屈が見えない。何故電子同士が結合の力を生みだし得るのか。その共有結合という役割を担う科学論の論理性に基づくエネルギーがどのようなものと捉えているか?その電子同士の結合に関わるエネルギー概念の論理的な解釈・意味合いが全く見えない。それは考える科学と言うより、科学常識を覚える理科教科にしか見えない。生徒も疑問に思っても、授業を邪魔してはいけないから、何故かとは質問もし難かろう。筆者もこの度初めて化学結合の結合エネルギーと言う解説が在ることを知った。検索から学習させて頂いた。しかし残念ながら、筆者の能力では化学での結合エネルギーの意味が理解できない能力不足の壁に突き当たったまま前進できない。その疑問が結合エネルギーの専門家の解説を読んでも、高い砦となって立入れない始末だ。その疑問を恥ずかしながら、ここに記したい。

結合エネルギー 結合エネルギーの意味が理解出来ずに、その疑問の対象に水素、酸素および水について検索から拾った関係式を挙げた。先ず、(1)、(2)式について考える。(1)式は2個の水素原子が結合して水素分子になると、432kJのエネルギーが放射されるという意味なのか?水素原子が分子でなくても普通に存在するという意味か。その原子が2個結合すると放射するエネルギーと水素分子で式の等号がエネルギーの等価の意味で成り立つという意味で捉えたくなる。当然質量がエネルギーとして等価換算された意味での等価性として。その上で、2個の水素原子が結合すると、その水素分子は質量が減少して、結合のエネルギーに費やされてしまうそのエネルギーが432kJの結合エネルギーだという意味か?総体として質量のエネルギー変換量と質量の総和はエネルギーとして同じ意味でなければならないと考える。式の等号の持つ意味に照らして、その+432kJの意味が理解できない。(2)式の酸素の関係についても同じく理解できない。(3)、(4)式の水の生成について286[kJ]と言う生成エネルギーが在ることも初めて知った。この式の意味するところは燃料電池との関係でとても興味を持つ。286[kJ]のエネルギー量は化学の標準気圧で温度273[K]での評価量であろう。燃料電池は水素ボンベの高圧ガスが使われるから水素の保有エネルギーは高いものである。そのような実際の技術との関係で解説が欲しい。その時本当の意味で、286[kJ]の意味が分かる筈だ。燃料電池は電気エネルギーの供給源で、電子で解説されるが、この286[kJ]を電子が負荷に運ぶのだろうか。そんな意味が理科の化学に解説して頂かなければ、「理科基礎」への統一は困難だと思うから。

燃焼 前にお恥ずかしいながら、焚火の科学などを書いた。それも今年(2018/05/26)の記事だ。結局この式を知らなかっただけのことであった。炭素と酸素の結合エネルギーと言うことで、高校生の化学の教科書の内容である。そこで考える。焚火の科学にも有る、何が等価であるか である。上の394[kJ]のエネルギーが結合エネルギーと言う意味なんだろう。炭素と酸素が化学的に結合して、炭酸ガスになる。ここで解説によれば、炭酸ガス1[mol]を分解するには394[kJ]のエネルギーを加えないと、構成要素の炭素と酸素に解離することが出来ないとある。その意味を咀嚼すれば、394[kJ]はCO2の分子の中に結合力として内在しているエネルギーと言う訳ではないようだ。それなら結合エネルギーと言う表現の用語の意味とは異なるように思う。分子CO2内に結合の働きとしての役割を持っているなら、その中に在るエネルギーの筈である。従って外部から394[kJ]のエネルギーを加えて要素に分解するという意味とは異なると思う。新しい大学入試試験問題の内容も記憶だけでなく思考力を重視すると考えられているようだ。この結合エネルギーと言う意味を取上げても、そのエネルギーと言う意味を教育する側が具体的にどのようなものと納得できているのだろうか。何かただ教育手法として過去を引きずっているだけではないか。やっと燃焼の意味が分かったかと安心したのだが、良く考えると能力不足から高校生が学習する内容さえ理解できないで混乱している自分の無様を恥じる。疑問が増えるだけで、理解に至らない。炭素C、燃料の薪を燃やす時の化学的燃焼現象を日常生活の中で理解することが自然科学の理科の教育内容として求められることであろう。炭素と酸素を反応させるには条件が在る筈だ。炭素の1モルは炭素分子(ガス)と言う捉え方はしないようだ。炭素がガス化しないと燃焼条件を満たさないだろう。炭素と高温水蒸気との関係での結合もあるようだ。394kJのエネルギーがどのような意味を持ったものなのかが明確でなければならない。燃焼の発熱エネルギーは結合エネルギーとは関係ないものなのか?炭素と酸素の化学的結合で発生する熱エネルギーが幾らか、またその燃焼環境条件が何かが日常生活に関係した自然科学論として教育すべき内容になると思う。山に柴刈りに行って、薪を蓄え生活の竈を守る営みの中で燃料・炭素の酸化現象は飛び抜けた燃焼の意味になろう。単に結合エネルギーで説明が付くとは思えない。そこには原子構造で硬い粒子の原子構成要素と言う捉え方でない、エネルギー粒子が見えるからの解釈である。当然「電荷」は実在しない事になる。同様に水素燃料電池の発電エネルギーと結合エネルギーの286kJとの関係も明らかにされなければならないと思う。

原子核分裂理論の結合エネルギー 

科学技術の拠り所が原子論である。エレクトロニクスは現代社会の情報革命を成した。エレクトロンはその根源概念の電子である。原子構造論がなければ電子もなかった。原子構成の基は陽子、中性子そして電子となっている。人の意識には『電荷』が在って初めて科学を論じられる。自然の世界は『電荷』の支配と人は意識する。その中でその『電荷』を否定する観点から原子構造に疑問を掛ける。原子核分裂元素で発電技術に利用されるのは殆どウラン235である。核分裂における結合エネルギーは化学結合の結合エネルギーとは意味合いが異なる。原子核内の陽子と中性子が結合することによるその原子の質量欠損分を結合エネルギーと評価しているようだ。基の陽子と中性子の質量の総和よりウラン原子の質量が減少していることを質量欠損として捉え、その質量減少分のエネルギー換算値を結合エネルギーと呼んでいる。そのウラン原子核が核分裂すると、エネルギーが放射されるとの論理が核分裂現象の理論となっている。おかしくは無いか?核分裂の前後で少ない質量から分裂後に質量が増える結果になる。ウラン原子が中性子と陽子の質量の総和より増加していれば、分裂によって質量がエネルギーに変換したと理屈が成り立つ。核分裂して分裂後の質量が増えていれば、核分裂で質量がエネルギーに変換されたとは成らない筈だ。原子核理論の結合エネルギーの意味は、核分裂によるエネルギー放射の理屈が成り立たないではないか。確かに分裂後に陽子と中性子になる訳ではないが、分裂後の分裂原子の全ての質量を算定するなど不可能である。検証はできないが、質量が欠損したウランのどこに質量がエネルギーに変換される論拠が在るのだろうか。実際に原子核分裂でエネルギーを利用している。結合エネルギーの意味にはエネルギーを生み出す原理が見えない。もう一つ理解できない原子核分裂理論が在る。ウラン235はウラン鉱石に0.7%しか存在しない。ウラン238は99%も含まれているが、それは核分裂燃料には成らないようだが、その訳は何故か?自然界の存在限界に近い質量のウランでありながら、何故238は分裂しないのか。その理由が明確でなければ原子核理論が論理的とは言えない。人の科学理論の理解し得ない砦の魔境が在るようにも思える。

マグネット結合 

マグネットは天からの贈り物だ。眺めても何も見えないのに、周りに不思議な力を作り出す。魔法の力だ。物理学でも、磁束を作り出す『磁荷』は世界に存在しない事になっている。電束の基は電荷となっているから、磁荷がなければ磁束も無い筈だ。とは言っても電荷が実在しないにも拘らず電束があると解釈されている電磁界理論であるから、磁束を責める訳にもいかない。実在する世界の根源要素はエネルギーだけで十分である。マグネットもその近傍空間、NSの磁極近傍のエネルギー流がその磁気の機能を特性付けているのである。1年程前に水と水素とエネルギー流として絵図にした記事水の妖精七変化(エネルギー)が在る。水素をマグネットのエネルギー流として解釈した。次のマグネット結合になる。

マグネット結合 結合エネルギーは質量欠損と関連付けられている。結合すると安定するから質量が減少すると解説される。質量は全くエネルギーと等価である。その事からマグネットの結合をその原理の解釈法に取れば納得出来ると考えた。マグネットには磁極近傍空間にエネルギー流が在る。3個のマグネットを結合したとする。それが②である。結合した結果、結合面のエネルギー流はなくなる。3個のマグネットで、6個のエネルギー流が有ったのが、その内のエネルギー流4つが消える。エネルギーと結合(2018/10/10)にも有る。

 

 

瞬時電磁界と概念

瞬時値とは 

電磁気現象を解釈するにも、そこには多くの条件が必要に思える。ある瞬間の電気現象を捉えようとすると、時間が止まった状態を考えなければならない。電圧や電流の瞬時値は幾らという表現をする。少し考えるとその表現には矛盾があるように思う。

電磁気量の概念

電磁気概念と時間 電気磁気学では、電界と磁界が空間場の電磁気現象を論じる時には欠かせない用語である。筆者は電磁場解釈で、瞬時電磁界という捉え方をする。誘電率εo[F/m]、透磁率μo[H/m]の空間に、電磁エネルギーの密度δ[J/㎥]があるとする。そのエネルギーを電気技術概念では電界E[v/m]あるいは磁界H[A/m]という概念で捉える。しかしこの空間に存在する『エネルギー』は質量には全く無関係の物理量であるが、物理学あるいは電気磁気学ではどのように認識しているのかが分からない。物理学での解釈では、エネルギーは仕事をする能力とされている。電磁波が光速度で伝播するのもエネルギーの空間密度波の光と同じ現象の筈である。電磁波は光の電磁気的捉え方として、横波の電界と磁界の波動伝播現象で説明される。しかしその解説には不思議にもエネルギーの意味が無いのだ。そのエネルギーの存在を忘れた解釈の欠陥を説明しようと考えたら、電界や磁界の物理的概念そのものを瞬時値という観方で問い直しておかなければならないと気付いた。そこで標題の『瞬時電磁界』という記事になった。そもそも電界とか磁界という用語がエネルギーの解釈上の科学技術的解釈でしかないのであるから、その意味についてまず考えておかなければならない。携帯端末で送信するのも電池に充電したエネルギーの放射なのである。そのエネルギーの波を波形で描こうとした時、矩形波や正弦波形などでの、その瞬時値という意味でハタと描き切れない困難に直面した。今までもエネルギー密度波を点点の密度表現で済ませていた。エネルギーが空間に実在することには間違いないのだが、その表現法に戸惑う。その辺の表現の困難さもあって、物理学概念での空間エネルギー分布概念の理解の困難さがあるのかも知れない。図に示したように、エネルギー評価するための技術的概念の電界や磁界の瞬時値の意味から確認し直しておこうと思った。電界は電圧が空間に掛るという意味であろう。真空空間に電圧が掛るるという電界の概念自体も不思議な意味である。空間の単位長さに表れる電流という磁界も同じことである。電圧[V]は誘導起電力で[Wb/s]、電荷概念から [C/F]の単位で定義されている。磁界に関係する電流[A]は[C/s]の単位である。電圧も電流も電気回路解釈で、瞬時波形として正弦波などの波形表現するのが科学常識になっている。さてその瞬時値とはどのようなものと考えるか。瞬時とは時間が止まった、時間経過の無い意味でなければならない筈だ。時間で微分する意味の極限概念として「飛ぶ矢は飛ばず」という説明を高校の数学で習った。(2018/10/26 追記訂正)この「飛ぶ矢は飛ばず」の矢は静止状態であるから、空間エネルギーが静止している状態として観れば、正しくその状態が瞬時値の意味に合致している。しかし時間で微分する単位・次元を考えると、極限値という意味は瞬時値とは違うと思う。だから時間に無関係に存在するものは何だろうかと考えると、そこに残る実在はやはり『エネルギー』ということになろう。エネルギー流をポインティングベクトルS で解釈するが、単位面積を単位時間に通過するエネルギー量の意味である。時間の経過1[s]間にという意味も瞬時値とは言えない。30数年前から『瞬時電磁界』などという表現を使ってきた。電界、磁界の用語も使えない“不立文字”の世界に迷い込むような『静電界は磁界を伴う』から辿りついたら、やっぱり『エネルギー』が世界の素原の道であったと確信するに至った。方位コンパスの周りのエネルギー流を見ることはできない。砂鉄模様を眺めてもエネルギー流は見えない。それは科学的検証の出来ない世界かも知れないが、磁気の本質がそこにある。そこに科学の未来を観たい。エネルギーの瞬時空間像をどう描くかを求めて。電荷も次元解析すれば[(FJ)^1/2^] となる。空間のエネルギーとの結びつきは、やはり技術概念のファラッド[F]とヘンリー[H]の哲学的解釈に委ねられているようだ。時間までもが[s]=[(HF)^1/2^]となるから。

嘲りの中で 30数年前も本人が知らない周りのざわつきの中で過ごした。今も出かけるも帰るも知らず、本人が知らない勝手な周りのざわつきの中に居る。買い物しては悪かったのか、鋸を引けばへリコプターに轟音を浴びせられるような脅しの本人の知らない周りのざわつきの中に、知的創造・思考の自由の万引き・天引き悪魔と情報に翻弄されるだけの日々が過ぎている。何が目的か本人無視の犯罪丸抱えの日本人権侵害の世界。健康保険証は身分証明書か に関わる事件が基に在るのか?(2018/12/19)何か変わった事が在るのだろうか?また過去の空洞化人生の一つに気付いた。TEL 0258-36-6899 。30年前の電話番号だ他の人に使って欲しくない。

エネルギーと結合

はじめに

科学常識を逸脱した科学的検証の見込みもつかない論理の展開を試みる。ここに述べようとすることは科学理論や法則に基づくものでないから、とても科学論とは認められないかも知れない。その事をはじめにお断りさせて頂く。しかし自然界に『電荷』なるものが実在するとは到底考えられない。18世紀の科学論の始まりからその根底となって来た基礎概念である電荷を否定したら、そこに見える自然の姿は全く異なったものとして目に映ることにならざるを得ない。自然世界は何を以って形作られているか。眼で見たことも無いが、天体のお話から推論すれば、太陽系はじめ銀河や星座の形はすべて回転がその基本を成している。日々苦しめられる台風災害も、その基は回転現象である。地球だって回転している。回転が自然の構成原理でなくて、他に代わり得るものが在るだろうか。その回転は科学論の原理や法則には見えない。酸素と水素が結合すれば水分子となる。結合エネルギーで結合されていると高校理科の化学で解説されている。しかし、その真の意味を理解する術を筆者は持ち合せていない。どんな結合の力かは理解できない。マイナス電荷とマイナス電荷で手を繋ぎたいと思っても、多分断られるだろうと諦める。それは有名なクーロンの法則の原則に従えばである。しかし科学論では同種電荷の電子同士が手を繋ぐ不思議が許されている。実はこの記事を書く切っ掛けが、IT検索で初めて知った『結合エネルギー』の解説であった。その化学の基礎も知らなかった恥ずかしさがこの記事の基ともなった。せめて高校生が疑問に思うことに答えられれば良いかと、科学理論に拘らずに自由に結合エネルギーの意味に解釈を下してみたい。

エネルギー素量と極性

自然界では空間にエネルギーが実在していると考える。その姿の基本は光である。光は空間を光速度で伝播するエネルギーの縦波の波列である。光のそれぞれの最小単位は波長 λ[m]ごとの空間長のエネルギーch/λ [J]の分布波である。その空間のエネルギーの存在形態は光だけではない。ある点に留まる局所化されたエネルギーも存在する筈だ。電気回路のコイル内の貯蔵エネルギーもその一つに挙げられよう。その局所エネルギーの形はどのようなものが可能かと考えれば、軸性の回転流を思い描くことが出来よう。それが図1.である。

図1.エネルギー流と極性 p(有極性) wp(弱極性) np(無極性) 世の中にある身近な科学概念に関係する物にマグネットが在る。マグネットは日用品としてメモ止めの繋ぎ手の代表格である。物理学では磁束で解釈する。磁束が繋がると何故力を生むか、その理屈を考えても理解できない。マグネット同士を近付けると急に強い力になる。感覚的に誰もが実感できる。しかし磁束でその力の訳を理解しようとしても納得できないのではないか。近付くと磁束が太くなるという理論も無いようだから、力が距離の2乗に逆比例するという意味の理屈が見えない筈だ。結局磁気現象の理屈が分かっていないからであろう。理科教育では磁気のクーロンの法則として覚えさせるようだ。この記憶させる教育で、語学と違うのが理科教育であろう。覚えさせて、受験競争用の能力を鍛えれば、頭が固定概念により創造性の邪魔になるだけである。何故磁束で力が変化するかの理屈を説明出来るかである。電荷による繋ぎ手を否定すれば、磁気による繋ぎを考えたくなる。マグネットの力は自然の姿を映し出している筈だ。磁気現象はすべて空間エネルギー流の回転に秘められている。力の新しい解釈として空間のエネルギー流が有効と考える。エネルギー流が揃えば高密度化の方向に力が働く。磁極のN極がエネルギーの左向き回転流の方向を意味する。左ねじの回転方向がエネルギー流の回転方向で、ネジの進む方向が磁極のN極である。磁極の意味はエネルギー回転流の軸性を捉えた科学技術概念である。局所化エネルギー流の姿として考えられるのが図1.になる。磁場で影響を受けるのがpの有極性のエネルギー流である。影響を受けないのがnpの無極性エネルギー流の場合であろう。その間のエネルギー流の様態の変化もある筈だから、それが弱い有極性のwpと考えたい。このwpの小さなエネルギー流が何らかの原因で分離すれば、いわゆる電子という電荷の無いスピン流体となるとも考えられよう。このエネルギー回転流体が軸性を持つという意味で、軸性エネルギー流と言えよう。また表現を変えれば、軸性エネルギー粒子と看做すこともできる。

原子質量の概念と実像 

質量とは何かと考えると簡単にその意味をまとめられない。高分子化合物も質量体である。その構成要素は原子となる。多くの種類で捉えられる原子もすべて原子核と外殻の電子群で解説される。その原子論も、原子核内が陽子と中性子から成り立つとある。陽子はプラスの電荷を持つ素粒子で中性子は電荷の無い素粒子とある。ウランのような核分裂原子は分裂すると様々な原子になる。時には核から電子放射(β崩壊)をして原子番号の多い原子プルトニュウムにもなるという。それは中性子から電子が分離した結果ととれる。電荷の無い筈の中性子から電子というマイナス電荷の粒子が放射され、結果としてプラス電荷の陽子となるという誠に理解に苦しむ解釈が原子崩壊理論として正々堂々と科学常識になっている。そんな科学論で電荷とは何かを問わない、あるいは理屈を質さないでは置けないと思うが如何がでしょうか。そんな単純な疑問には何の数式も要らない日常用語で解説できる筈と思う。たった一つの『電荷』の概念位は、その実在性を唱える方々がどのような空間像で認識されるのかを示して欲しいものだ。プラスとマイナスの違いはどのような空間像として認識するのかを。単に磁場内での軌跡から判断出来ると言われても納得できない。素粒子とは空間に実在する物であれば、空間像を持っている筈だから。もし図1.のエネルギー回転流で粒子の空間像を解釈するとすれば、その粒子も磁気の科学技術概念に沿うものとなろう。そこには電荷の空間像を考える必要もなくなる筈だ。この局所化エネルギー粒子も質量の概念を備えていると看做せよう。原子核が有極性の陽子と無極性の中性子の組み合わせで構成されると解釈すれば、軸性エネルギー流間での磁気的核子結合力を想定することが容易になるであろう。そこに電荷は必要でない。原子核構成要素が軸性エネルギー粒子の結合体と解釈すれば、質量の本質もエネルギーとなる。

原子結合の結合エネルギー 

生体の高分子結合は主として炭素、窒素、酸素そして水素が担っているように解説されている。そこにリン等の原子が組成を成している。それらの原子同士を結合する結合手を電子などに任せる解釈には説得力が無いと思う。電子で囲まれた原子像では、余りにも原子核の原子特性に果たす役割が見えないではないか。原子特性の主役は核にあると考える。核の影響が原子周辺空間に強く出ていなければ、その原子論は説得力に欠けているように思う。そう考える時、原子外殻に電子など必要が無いと思う。水という最小の分子結合形態でも、そこには結合エネルギーが必要であろう。酸素と水素の結合に果たす役割をどのような空間像で理解しようとするのか。化学で取り扱う原子結合で結合エネルギーが取上げられていることに安心もした。木炭の燃焼や水素ガスの燃料電池で、結合エネルギーの意味が重要になる。原子核分裂では質量欠損と結合エネルギーの関係が論じられる。これらの話はすべて原子結合の意味に関わる基本的科学論に通じているように思う。この意味は2009年9月に発表した 電荷棄却の電子スピン像と原子模型 日本物理学会 第64巻2-1. p.18. にも有る。

むすび

原子表面には、核の構成エネルギー粒子群の構造が基となった原子特性が表れている筈である。磁極NとS極が4極ずつの8極を周期とした原子表面を呈すると考える。電子などの周回軌道でなく、原子表面の静止磁極分布が原子結合の空間構造を決めると考える。DNAの螺旋構造はじめ炭素原子のNS分布が分子の空間構造を決めると予想できる。カーボンナノチューブの構造も、炭素原子表面の磁極分布から単純な円筒とは成り得ないと考える。炭素結合の秘め事にも関係の記事を記した。

 

技術概念『電流』とその測定

はじめに

電気技術は現代社会の基盤を成している。電気理論や回路技術さらにIT情報網は完成された必須の科学技術となっている。しかし《電流とは何か?》と検索してみると、そこに表れる解説は全く訳の分からない説明となっている。殆ど電子の逆流を言うとある。この科学技術社会で、学校教育はじめ科学常識と看做されている内容がどこからこのように決まった解釈手法に迷い込んでしまったのだろうか。『電流』は科学技術概念であり、実に素晴らしい電気計測量なのである。電流は電流計で計る計測量である。それでは電流とは何かを理解するためには、電流計で計るものが何であるかを知らなければならない。今まで『電流は流れず』などと言ってきた責任もあるから、もう一度その意味を解説したい。

可動コイル型電流計

電気回路は電源が電池のような直流が分かりやすいであろう。その回路に流れる電流のアンペア[A]の値を計る測定器の代表が可動コイル型電流計である。それは何を計っているか。

図1.可動コイル型電流計 計器を①可動コイル部構造と②内部回路で表した。回路に流れる電流I[A]をどのように計っているかが計器の動作原理となろう。電流と言うのは電流計で計ったアンペア[A]の値である。電流計は電子の流れ(逆流)など計れる訳が無いのである。電流I[A]と言うものは物理量(自然界の実在量)ではなく、あくまでも電気技術の計測手法として確立した科学技術量なのである。単位アンペア[A]も電荷クーロン[C]の時間微分あるいは単位時間の通過電荷量で定義され[A=C/s]となっている。この電荷の時間微分値等も電流計では測れない。そこで電流計が何を計っているかを知る必要があろう。

電流計は電圧計でエネルギー計測器

基本的には電流を検出するのは抵抗の電圧降下である。②の計器内部のシャント抵抗rs(回路に影響しない精密な低抵抗)に流れる電流Isの電圧降下rs Is [v] を検出しているのである。その電圧をコイルLとそれを囲んだ磁石NSの部分で、電流I'[A]という電流の大きさをコイルの回転角として読み取っているのである。電流計の心臓部とも言える部分が①可動コイル部構造である。磁石とコイルの位置関係がコイル電流I'[A]の値で変わる。磁石とコイル電流の間に働く力の関係はフレミングの法則として説明される。それが教科書の説明であり、それで電気技術者として知識は十分であろう。しかし、物理現象として踏み込んで理解しようとすればそれでは不十分ではなかろうか。直流回路のコイルの意味である。コイルの電気特性はインダクタンスL[H]で捉える。直流回路の場合、コイルが回路内に繋がっていても、電気的に変動が無ければコイルは無いと同じことである。電気的変動が無ければ、コイルの存在は無いのである。それは何故か?コイルとはどのような特性の機能要素かといえば、エネルギーの貯蔵機能がその特徴である。一度コイルにエネルギーが貯蔵されてしまえば、電気回路に変動が無い限り、電気現象はコイルの無い等価回路で書き表される。コイル(エネルギー貯蔵タンク)を短絡して、コイルに負荷電流(コイル電流が内部で還流していると考えても良い)が流れないとしても回路現象としては問題が無い。ただし、コイルの損失が無い理想的な場合ではある。この(磁場と電流間に因る力と異なる)解釈はフレミングの法則の表現する意味とは異なる。磁界を磁束で解釈する科学常識と異なるから。そこで電流計の指針を回転させている力は何かとなる。コイルの周りには、エネルギーが貯蔵されているのであるが、電流が貯蔵されている訳ではない。コイルのエネルギーは電気理論では W=(1/2)LI’^2^[J] とコイル電流で解釈する。それではそのエネルギーとはどのようなものと考えるのか。コイル内の空間にエネルギーが在ると考えるか、そう考えないのか。その解釈が極めて重要なのである。どうも物理学理論では、空間にエネルギーが存在すると解釈していないのではないかと思う。質量に関係しないエネルギーの実在というエネルギー概念が欠落しているように思える。光のエネルギー空間分布と同じ意味の電気現象の解釈が無いようだ。コイルに働く力はエネルギーにあり、その二つのエネルギー流間に因る力でコイルは回転するのである。

①可動コイル部の空間エネルギー

NSの磁石とその中のコイルの磁気について、電気理論では磁束で解釈する。磁束という概念も磁気現象解釈の為の技術概念でしかないのだ。それも空間のエネルギー流の技術的解釈法でしかないのだ。実際は磁極もコイルもその周りにエネルギーが流れているのだ。コイルのエネルギー流が磁石のエネルギー流との間で力を受け、回転するのである。この解釈はフレミングの法則で解釈される現象をエネルギー流間の近接作用力として捉える考え方である。科学論は実験的検証がその論説に欠かせない。だから空間のエネルギー流を観測する方法が無い限り、科学的とは認められないかも知れないが。見えないものを観ることは出来ない意味に成るか。ただ科学的根拠は30年前の『静電界は磁界を伴う』の実験結果のみである。

エネルギー近接作用力

図2.エネルギー近接作用力 コイル電流というものに対して、コイル貯蔵エネルギーは電流と逆向きにコイル内近傍を還流しているのである。回路状態が変化しなければコイル貯蔵エネルギー流は一定のまま流れ続ける訳である。従って、コイルに電流が流れ込む理由は無く、コイルは理論的には回路から切り離されたと考えて良い。元々電線内を電流が流れる訳ではないのである。電線近傍をエネルギーが流れているだけなのであるから。磁石の磁界も図のように磁極表面をエネルギーが還流している磁気現象なのである。今までコンパスの磁気の意味をエネルギー流で解説して来た。磁気はその結合力で特別の強さの意味を持っている。その力の源を磁束という直線的な捉え方では意味が理解できない。力は回転現象に秘められていると解釈する。原子結合力も磁気的エネルギー流にあると思う。参考: 電荷棄却の電子スピン像と原子模型 日本物理学会講演概要集 第64巻2号1分冊、p.18. (2009) にも論じた。

負荷電力と計測

1820年頃、ようやく電気現象の謎が解き明かされるようになった。エルステッドが電流の磁気現象を発見、アンペアが法則を唱えた。と説明される。その当時『電流』などの意味が分かってはいなかった筈だ。言葉で電流の磁気現象と言われると、如何にも電流が分かっていたように錯覚する。電流を計る方法はどのようになされたのか。電流計が完成したのは相当後の1889年頃で、ウエストン型電流計などであろう。それまでにエジソンが1879年に白熱電球を発明し、まず電灯の文明開化が始った。電気エネルギーの供給が産業・商売に成る機運が生まれた。電球の製造・販売や電力供給が産業に成った。さてどう負荷供給電力を、商売の対価を得るために、計るかとなる。測定技術・測定法および測定器が必要になる。何をどう計るかが研究対象に成った筈だ。1881年パリ電気会議で、電気単位 V (ボルト)、A(アンペア)、 Ω(オーム)、 C(クーロン)および F(ファラッド)が決まった。その基準の電気量がどのように決まったかは知らないが、この頃から電流の単位アンペア[A]の計量が研究されたのであろう。

図3.負荷のエネルギー測定技術 直流回路の負荷の消費電力を計るとなれば電圧計と電流計で計る。電気回路の初歩の理論だ。しかし、19世紀中頃を思えば、この測定法を編み出すにどれ程の智慧を絞ったか。ここに西洋技術革新の先進的な努力が隠されていると思う。負荷電力はP[W]で、1秒間の消費エネルギージュール[J]の値を意味している。そんな物理量をどう測定すれば良いか?ストップウオッチで計る訳ではない。電流と電圧で計れるのだ。その測定法を不思議と思わないですか。科学技術の智慧の結晶なのだ。電気を販売するとすれば、エネルギー量となろう。供給したエネルギーの算定はどのようにすればよいか。エネルギーを直接測る方法は難しいだろう。エネルギーが計れないのに、電圧と電流を計って負荷電力p[J/s]を計る方法を完成した。現在は電力量計(ワットアワーメータ)E[kWh]で各家庭への電気エネルギー量ジュール[J]を計っている。

電流計・電圧形で計るもの

電流・電圧の意味 電流も電圧も負荷の電力と抵抗値を計算した値なのである。誠に不思議なり。だから電圧と電流の積が電力p[W]になる。図3.②等価回路とエネルギー流で、電圧・電流計の計測部のコイルは直流回路では変動が無ければ、電源からのエネルギー流には切り離された状態にある。そのコイルに貯蔵されたエネルギー量はコイルの直列抵抗をrとすれば、

電流計ではW=(1/2)L(rs/(rs+r))^2^P/R [J]

電圧計ではW=(1/2)L(1/r)^2^PR [J]

となる。計器内の回路定数と負荷特性の関係を表示している訳である。

むすび

以上身近な言葉である電流について述べた。ITなどを検索すると、電流の意味について、中学生向けの解説記事にも電荷、電子が電線内を流れているとある。それが科学常識となっている。専門家が論説する科学リテラシーの問題になる科学的理解とは何を目標にすべきか。自然科学の内容が自然を観察し、その観察する機会に因って子供達のそれぞれの感性に任せるべきものが本筋ではないか。科学技術の為の競争を目的にした教育は理科教育と一線を画した科学技術教育なのだ。理科教育という余りにも偏った、決まり切った授業展開法に縛られ過ぎている処に重大な欠陥が在るように思う。電気現象一つを取上げても、本当に電線内を電子(電荷と質量混合体)が流れていると誰が観測できるのか。何故エネルギー流でないと証明できるのか。

電子レンジと水分子

はじめに 1945年(太平洋戦争の敗戦の年。広島・長崎の原爆被災の忘れ得ぬ年である。)、アメリカのレイセオン社が電子レンジを発明したとある。火や熱を加えないで食品を温められる家庭用器具の傑作である。マグネトロンは100年程前の1920年にゼネラル・エレクトリック社のAlbert Hullにより発明される。東北帝国大学の岡部金治郎も1927年に業績を残す。マグネトロンはマイクロ波(レーダーや通信用電磁波)の発生用空洞共振器であり、電子レンジの心臓部に当たる。周波数2450MHzが電子レンジでは使われている。今日は76年前の12月8日、無謀な太平洋戦争に突入した日である。科学技術もその根底にある真理や本質を見極めることが禍根を残さないために大切である。それにしても我が身を鑑みれば、土俵の無い一人相撲はお笑い草かもしれない。少しも科学的実験データも無しの我儘解釈論の展開で、失礼の段御勘弁願います。

マグネトロンの原理 昔真空管がラジオに使われていた。熱陰極と陽極から成る二極真空管である。ダイオードと同じ整流作用も持つ。その二極真空管の熱陰極から放射される電子(電荷と質量を持つ素粒子と定義されているが?)と言う熱エネルギーがある。その真空管内に磁場を掛ける。フェライトの磁石で陰極と陽極の間の空間に磁界を掛ける。磁石はその周りの空間にエネルギーが回転した状態を作り出す機能を持っている。N極、S極の棒磁石を左向きにエネルギーが回転しているのだ。地球は南極がN極であるから丁度偏西風の向きに地球表面をエネルギーが地球自転速度より相当の高速度(どれ程かは全く分からない―太陽系及び地球自転公転の回転渦巻を支配する原因と解釈する―)で流れているのである。そのエネルギーの流れと方位磁石の周りのエネルギー流とが重なり合ってコンパスの方向を地球の北極側を向くようなエネルギー間の近接作用力が働く。磁気とはそのようなエネルギーの回転流としてエネルギーを貯蔵した機能の表出現象である。さて電子と言う素粒子はどのような空間構造を持った粒子と考えるか。よく電子スピンと言う表現で説明される。電子と言えば、一粒づつの粒子と言う空間認識で捉えるだろう。専門的な解釈では波動だとも言う。電子を波だとも言う。しかしその実体が粒なのか波なのかを観測できない。電子顕微鏡では波になる。物に当たれば力が働いたように粒子性の現象を示す。電子一つを観測できないから粒子と波動と二つの観方で解釈しているだけである。熱陰極はフィラメントで陰極材を高温に加熱しているのである。要するに熱エネルギーで金属材料を加熱しているのである。白熱電球はフィラメントコイル内にエネルギーを貯蔵して高温に加熱した空間を作り、その温度に応じたエネルギーの貯蔵限界を超えた分が光となって放射されるのである。熱陰極も加熱によるエネルギーが陰極材料から放出するのである。その熱エネルギー・光エネルギーが陰極、陽極間の空間内に充満するのである。電子スピンとは放射エネルギーの空間像がどのような大きさの塊に分解されているかは分からないが、ある程度の空間的寸法を持って粒子的作用性を働くのであろう。そのエネルギーの粒子的空間の存在形態はやはりエネルギーの回転流として存在するものであろうと解釈する。そのようなエネルギー粒子を電子と解釈しているとすれば、電子スピンと言う空間的構造も同様に理解できよう。磁界の空間エネルギー流と電子と言うエネルギー回転粒子とがエネルギー間の近接作用力で互いに影響し合うと考えることができよう。電気回路のエネルギーや光エネルギーに対する考えから、納得する感覚的整合性から、基本的なマグネトロンの動作原理を考えた解釈である。電子寸法は原子寸法1Åに比し、とても小さいと解釈している。その電子がマグネトロンの空洞共振器内で磁場の影響を受けるとすると、余りにも寸法差が大き過ぎて磁場のエネルギー回転流との関係を電磁波発生の原理と考えるには、その空間的作用力を理解できない。マイクロ波のエネルギー波長は6cm程度であろうが、電子がどのような磁界に因る加速でその寸法のエネルギー波を作り出す事になるかを理解できない。マイクロ波の波長との関係を下のマイクロ波と食品加熱の項に述べる。熱陰極から直接熱エネルギーが放出され、その空間の空洞共振器寸法によって規定される寸法のエネルギー流の塊になるだけと考えたい。おそらく空洞共振器の空間寸法が発生電磁波の波長を決める主要因になっているだろう。

水分子と熱エネルギー エネルギーには電気エネルギーも光エネルギーも圧力エネルギーも運動エネルギーも熱エネルギーもある。これら様々な呼び方のエネルギーは『溶けて流れりゃ皆同じ』と言う様に、同じエネルギーなのである。エネルギーの空間分布差で風も起きる。体温をも保持する。質量にもなる。熱エネルギーの特別に際立つ現象が水に対してであるように思える。水とマイクロ波の電磁エネルギーの間に繰り広げられる熱現象を利用する製品が電子レンジである。しかし、一般的な解説を見ると水分子の振動によって食品が加熱されると成っている。温度を質量の持つ振動による運動エネルギーと解釈しているからと察しられる。理解できない気体分子運動論と同じ解釈である。

マイクロ波と食品加熱 マイクロ波と言う電磁波の空間的エネルギーをどのように捉えるのだろうか。一波長のエネルギー分布を考えて欲しい。電磁波はエネルギーの縦波である。光と同じだ。科学技術は生活空間を電磁エネルギーの空間にしている。50,60ヘルツの商用電力エネルギーから、携帯端末の電波エネルギー、衛星からのTV電波、探査電波等の照射エネルギーなど人の感覚で認識できない電磁波のエネルギーが充満している。照明の光も空間のエネルギーだ。太陽光線の照射エネルギーは地球を大きくして来た。秋の落ち葉を集めればそれも太陽から届けられた光熱のエネルギーが質量化した姿だ。電子レンジのマイクロ波は波長12cm(エネルギーの波長は半分の6cmである)程だ。電波としては相当短い波長で、エネルギー流粒子としてマグネトロンの空間寸法に整合しているか。さて食品の加熱現象の原理は如何なるか?電子レンジで加熱するには対象物に水分が無ければ効果は無いようだ。先日黒砂糖を加熱したら、火傷に気を付けなければならない程にマイクロ波を吸収してドロドロに熱く融けた。水分は無い。マイクロ波と言うエネルギー粒子は空洞共振器空間から出力端子を通して食品に照射される。水分子は熱エネルギーに対して際立った特性を発揮する。海の水は最近高温に人間によって(原子力発電の30%程を電力として利用するため、70%近い熱エネルギーを海の水で冷却しなければならない―政治・行政の関係者に知って欲しい科学技術の意味-)加熱され、豪雨災害の原因となっているように、水は熱吸収能力が極めて高い。このマイクロ波熱エネルギーが水分子を振動させてその周りの食物成分を熱く加熱すると言う解説が検索にある。水分子が腰振り運動のような振動をすると周りの食物繊維・細胞が熱くなる訳はどのように考えれば良いか筆者には理解が困難である。水は湯沸かしのように熱エネルギーで沸騰する。分子が振動などする訳ではなかろう。体積の膨張として圧力と温度のボイル・シャルルの法則で変化する現象である。水が吸収する熱エネルギーがそのまま食品の加熱になるだけである。振動など無関係に熱エネルギー(マイクロ波の電磁エネルギー)が物質の空間に貯蔵され、そのエネルギー吸収時間積分で高温になる。

電気回路理論と電磁気学の関係

標題のような関係を問われているようだ。言われてみれば、なかなか悩ましい問題かもしれない。電気回路理論は物理学の分野と言うより電気工学の科学技術応用理論になると考えた方が良かろう。回路理論は電流や電圧と言う科学技術概念で論じる分野になるから。しかし電気磁気学(現在の教科書の内容は電流、電荷概念によって解釈しているから、それは科学技術の範疇になり、真の自然の真理とは異なる。2018/02/13)はあくまでも自然現象として電気現象の真理を探る学問分野になろうから、電気工学と異なる物理学の範疇の分野になろう。物理学は応用でなく自然の真理を説き明かす学問分野と考える。だから物理学は例えば『電荷』の実在性を説き明かす事を目的とするような学問分野であろう。科学技術概念とその用語は応用分野が広がるにつれ、次々と新しい概念・用語が造りだされる傾向にある。超伝導現象等も古い電気磁気学には無かった、気付かなかった現象である。その新しい応用技術用語・概念が如何なる自然現象なのか、その本質を究めることが物理学である筈だ。そこには電流を自然の真理と解釈するようではとても物理学とは言えない。広く自然哲学としての見極めをする学問が物理学であろう。応用と真理は常に対立する学問分野であるべきだろう。電流概念(電荷と質量の混合素粒子である電子の流れと言う概念。しかし電流はA[C/s]で、その単位には質量は入らないと言う不思議な電流概念論の矛盾)を否定すれば、初めて電気回路内の現象の意味が分かって来る筈だ。電流が流れていない事が分かれば、導体としての銅線の資源量は節約され、設備は軽量化されるのだ。それが自然現象の本質を究める学問・物理学であろう。物理学の電気磁気学は根本から作り直さなければならない処に立っているのだ。電気工学と電気磁気学は全く異なる分野である。科学技術の社会に生きる現代人がその科学技術の本質を理解し、賢く生きる未来を見据えるに欠かせないのがその科学技術に隠された真理を認識しながら、技術との関わりを考えることであろう。技術を理解するには、電気工学で有ればオームの法則やファラディの法則と言う便利な技術法則を使う術を身につける必要がある。ファラディの法則一つをとっても、磁束と言う概念を使うが、科学技術法則として《磁束=コイル印加電圧の時間積分》と言う概念で捉えることが必要である。しかし、その法則さえ物理学として自然世界の真理を求める分野では磁束など存在しない事を理解する必要がある。磁束もただ一つの『エネルギー』の回転流を評価する科学技術概念でしかない事を。

今電子レンジと水について考えている。水分子が衝突し合って加熱されると解説されているのを本当か?なと。マグネトロンと同じく、MRIもなかなか不思議な理論で、すべて磁界と磁束の科学技術概念がその基本理論を構成している。みんな『エネルギー』の様相に観えるから、筆者の迷惑論かと御免なさい。

ハミルトンの風車からエネルギーを観る

はじめに (またの文末の自分の恥さらしで御免なさい。憲法と市民権など全くの無知であった。権力と市民権の関係の教育を受けた記憶も無い)。ハミルトンの風車はブログの最初の科学の記事で、放電現象と電荷・電流概念(2010/08/02)にある。何故ハミルトンの風車を取上げるかには理由がある。新世界ー科学の要ーで示した静電界のエネルギー流についての解釈を早合点したようだ。訂正しなければならないと思ったからである(2017/11/07追記・修正した)。それはコイルとコンデンサの磁気ループについても訂正になる。

ハミルトンの風車

極性とエネルギー流 ハミルトンの風車を検索すると、その回転現象の解説にはイオン風と言う電荷が原因となった説明が成されている。マイナスの3万ボルト程で大きな卍型の針金が相当の速度で勢いよく回転する。しかもプラス側の電極が無いのに、マイナスを印加するだけで良く回転する。昭和40年頃の高等学校での公開実験での強い印象が残っている。1.6mmΦの屋内配線用銅線で構成した直径30,40cm風車実験結果が思い掛けずも成功したのも不思議であった。何も傍にプラス電極が無い、空間に置かれたマイナス電極の風車である。針金の先端からジーと音を立てて噴射しながら回転する。ただし、印加電圧が正極性の時はそれ程強い回転力は得られない。明らかに極性によって異なる電気現象であることははっきりしている。放電管内の流れがマイナス電極側からしか流れない事も良く分かっている事だ。その流れを陰極線と名付けたのだ。その流れる実体を『電子』と呼んで解釈するのが現代物理学理論の根幹である。『電荷と質量』を備えた素粒子が『電子』である。その電荷と質量の空間的描像も明らかに説明できないにも拘らず、『電子』と言う素粒子(レプトン)が実在し得るとの前提で構築された電磁界理論である。その電子と言う『電荷』概念への疑問を抱いたのが電磁界の新世界に踏み込む事になった原点である。ハミルトンの風車の回転現象を電子とイオンで解説されているのが常識論である。結局、電子もイオンも『電荷』と言う実在しない物理量概念で、見えないが故に、簡便な解釈で伝統的に積み重ねてきた理論体系の基礎概念となって、社会的な常識論の根幹となって来たという事であろう。今唱えたい事は電子やイオンに替わって、それに対応する『エネルギー』一つで統一的に解釈すべき基礎理論が求められていると言う結論になる。

針電極 針電極のような金属の先端を尖らせて、負の高電圧を掛けるとコロナを噴射する。それは導線に沿ってエネルギーが針先端から空間に噴射されるからと解釈する。導線周辺にコンパスを近付ければ導線を周回する向きに磁気ループが存在するだろう。それは電流で解釈すれば、それが先端部から流れ込む向きと同じ方向ではある。このエネルギー流の解釈は、電子・電流の解釈との明確な違いを説明するだけの根拠を示せないのが残念ではある。残念であるというより、目に見えないものを科学技術で自然現象を利用するように概念化して来た多くの先人の業績を讃えるべきであろう。然しながら、自然の真底に横たわる眞髄は科学技術概念の奥に隠れているのだ。それはを認識するのは各人の自然科学的感性に委ねられていると言えよう。

平板コンデンサ内のエネルギー流 そのエネルギー流での解釈は、平板コンデンサ内へのエネルギー貯蔵をどう捉えるかに、その有意性があろう。『電荷』貯蔵に因る解釈よりも矛盾は少ないだろうから。コンデンサ内でのエネルギー消費は殆ど無かろう。従って、エネルギー流は平板コンデンサ内で何らかの回転流として貯蔵されるだろうと考える。二枚の電極板に対して、エネルギー流がどのようであるか、上下二つの流れであるか、一つの流れであるかは見えないものを解釈する訳で、そこに悩ましい決断が求められる。新世界ー科学の要ーで示した解釈は二つのエネルギー流で決断した。それは下部電極表面での磁界の方向が決まるエネルギー流を上部と同じ電極表面に沿って流れ込むと解釈したからであるが、その点が少し早合点であったと反省している。それは新世界への扉ーコンデンサの磁界ーで示したように、下部電極表面でのコンパスの指示方向が電極表面に流れるエネルギー流との合成流に因ると解釈したことに因った。コンパスの磁気の意味をそのエネルギー流が原因と解釈する捉え方そのものが新しい科学的世界観でもあり、その事との関係で迷いがあったと反省している。今回上に示した図の平板間の一つのエネルギー流で解釈する方がコンデンサ内でのエネルギー貯蔵の姿としては共感し易いと言う感覚的な意味合いをも含んで決めた。誠に科学実験による検証方法という手法が採れずの感覚論で誠に不甲斐なさも抱かざるを得ないと同時に、混乱を与えたらと申し訳ないと思う。コンデンサ内のエネルギー貯蔵で、二つの流れは不自然であろうと感じるからである。以上の考えから、結論を図のようなエネルギー流で捉えた。この平板電極内の空間とその外部との関係は明確な描像を描くことはできない。コンデンサ貯蔵エネルギーが完全に電源との繋がりがなく、独立したエネルギー流になるかと考えれば、それは無いだろうと思う。その曖昧なまま表現した図である。負極性の場合で示したが、エネルギー流は電源の負側からの供給が主流になるとの解釈をハミルトンの風車から類推したことで、正極の電極板に対して少し反発する流れになるかと考えざるを得ない。それがその電極近傍でのコンパスの指示方向の原因となる貯蔵エネルギー流とコンパスのエネルギー流との兼ね合いの問題であるから。基本的にはそのエネルギー流がコンパスの指示方向・磁気ループの解釈の拠り所と考えざるを得ない点にある。

アーク・火花放電 高電圧工学と言う分野がある。それは電力系統の保全対策として、送電線路への落雷に対する対策や、支持絶縁碍子の性能向上に欠かせない研究分野である。その電気的特性は高電圧試験によって基礎研究が成される。平板電極間でのアーク放電現象はその基本観測である。電界強度の空気限界は大よそ30kV/cm位と考えられている。それ以上の電界で火花放電し、絶縁は破壊される。その火花放電現象の原因は電極間に塵などが入り込めば、その局部的エネルギー密度が高くなり、局部のコロナが全体としての放電に移行してしまうだろうと考えられる。その辺の現象を電極板の『電荷』で解釈しようとしてもなかなか難しいと思う。丁度、雷が空間の状況と水蒸気の熱エネルギーの供給・放出との兼ね合いで決まる事から思えば、電気現象も『電荷』では捉え切れない謎が多いだろうと思う。

『電荷概念の否定』の観点 伝統的科学理論が常識として世界に受け入れられてきた。正と負の対称な二つの『電荷』が世界の根源を支えていて、その『電荷』無しには科学理論を論じられない事になっている。伝統的科学の世界観で共通理解に在る社会的安定性の観点から観れば、『電荷』否定の反社会的科学論は誠に迷惑な事ではあろうと理解はしている。2000年にワープロ代わりにパソコンを購入した。雨蛙や日本カナヘビ、揚羽蝶など身近なものを眺めて、生活の術もなくただ漫然と流されて来た。科学研究の機関に所属する事も不可能な人生の状況に追い込まれた。今過去を知って見れば、職歴も書けない現実が身に染みている。退職の手続き一つした覚えが無い現実。翻弄され続けている身には日本国憲法(特に、第98条1項 この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部または一部は、その効力を有しない。とあるが、その条項は何の為のものか理解できない。)が欲しい。まさか昭和14年12月1日や昭和39年4月1日に戻る訳にもいかないし、どうしたら良かろうか?平成7年7月(11月の間違い?)には、国会で事務局職員にわざわざ筆者の正面写真までお撮りいただいたので、不審者リストにでも御登録されているかも知れない。身分が不明のまま捨て置かれているかと疑いたくもなる。昭和63年2月にも国会で物議の基になったかもしれないが。当の本人筆者は何も知り得ないまま今日に至る(*1)人定証人喚問。しかし正規でなくても幾らかの現場での経験から、身に付いた電気工学の技術感覚から物理学基礎概念の意味が腑に落ちず、光の伝播現象と物理学基礎概念の実相を我儘勝手な解釈で追い求めてきた。今思う、『電荷』概念否定の感覚に間違いは無かったとそれだけは安堵した。種々雑多な内容をITの世界に恥ずかしげもなく、恐ろしさも知らず綴って来た。パソコンでの情報発信で、学会での正規の学術研究には成らないかもしれないが、専門的学術に無関係の方々にも科学の基礎とは何かと考える意味は伝えられたと感じる。どれも特別科学研究となる様な新しい事でもなく、日常生活で感じる科学感覚が基での考えを発表して来た。しかし、『電荷』否定一つが、科学理論と自然科学の解釈論に未来への課題として無視できない処に在ることだけは示せたように思う。未来に向けた、子供たちへの教育の問題として。

(*1) 人定証人喚問:昭和63年1月中頃、自宅に何処からか『長岡工業高等専門学校の健康保険証』が送付されて来た。長岡技術科学大学の電気系事務室で電気系長にこんなものが送られて来たと見せた。そんなものを持って居てはいけないと取り上げられた。その後、その保険証がどのように処理されたかを確認していない。その数日後、長岡工業高等専門学校の事務職員がやはり自宅に「未だお返し頂いてない保険証をお返しください」と封書が届けられた。身に余る不可解に対処し切れずに、無知を曝して今日まで彷徨って来た。今も不届きなへリコプターが飛んでいる。畏れ多くも国会で不届き者と人定喚問でもして、我が身の悪行の所業を解明して頂かないと死に行く人生に辻褄が付きそうもないと考えている処でございます。(2018/10/12)追記。誠にお恥ずかしい次第であります。『静電界は磁界を伴う』電気学会全国大会(1982)の発表から、脱藩したと観られる 瞬時電磁界理論の実験的検証とその意義 電気学会電磁界研究会資料 EMT-88-145 (1988) の発表まで、すべてロゴスキー電極間の静電界中の磁界模様の実験写真である。電場が磁場であることの証明写真である。電気磁気学の電荷概念を否定しなければ、この写真は嘘になる。世界の構成根源要素は『エネルギー』一つに集約される筈と、ハミルトンの風車の実験(1965年頃実施)に結びついた。

電磁力の本質

電気磁気学は電気と磁気の学問である。本当は電気と磁気に分けることに意味は無いのだが、電気工学の伝統的理論で別物として考えるのが常識となっている。今回はその磁気の意味を探ってみよう。(2017/11/15)追記。ここに書いた磁気に対する筆者の考え方とは異なるのが科学学会の常識になっているようだ。地球磁場が逆転すると考えられているようだ。地球の磁極が過去に逆転していると。とすると地磁気の発生原因をやはり地球内部のダイナモ理論が支配しているように思う。物理学の根本概念に関わる問題である。地磁気とコンパスに少し解釈を述べた。筆者は地球の回転が何故偏西風より遅いのか。地球は何故回転するのか。太陽系の惑星は何故同一方向の回転をするのか。など天体運動の根本で論理的に説明のつかない謎で筆者だけなのかも知れないが、捉え切れずに、頭が空回りの状態にある。電気磁気学の電界・磁界の解釈では『エネルギー』の流れとして統一的に捉えたつもりでいるが、地球内部のダイナモ論は受け入れ難い。磁鉄鉱が磁気を持つとはどのような仕組みかを考えれば、地球の回転が逆転しない限りは地磁気が逆転する訳は無いとしか言えない。一言気掛かりで追記した。昨日(11月15日)に続いて追記。地球は偏西風以上の速度での回転力(この回転力とは、地球を回転させている原因としての太陽系全体を回転統一体系として支配している回転エネルギー原理―具体的に示せないが―と観たい)で回転させられているから表面エネルギー流に因る磁気特性が存在する。不図気付いたが、月は地球軸の周りを廻るが、回転しているとは言えない。地球に同じ面を向けている。だからその面の反対側は地球軸に対して弱い回転をしているとも見られる。その地球に面していない月の面は少しはエネルギー流の影響を受けているかも知れない。そのエネルギー流を検知できれば磁気的状態を観測できるかもしれない。地球もエネルギー流の回転の支配下にあるが故に、そのエネルギー流とコンパスの関係で地磁気として観測していると解釈する。ダイナモで磁気が発生している訳ではない。

磁気とは何か? 誠に掴みようのないものに見える。磁石(マグネット)がその意味を単純に示している。必ずN極とS極が対になって磁石の両端に現れる。しかし、N極とS極と言う磁気が有る訳ではない。ましてや磁荷+m[Wb]、-m[Wb]等と言うものが有る訳では決してない。我々が磁気の物理的性質を解釈するために考えた出した解釈手法でしかない。コイルに電流が流れると、そのコイルの両端にも磁石と同じようにN極とS極のような磁気が現れる。コイルの中を見てもそんな磁気が有る訳ではない事は誰もが分かろう。コイルの中味と同じことが磁石の中味である。何も無いのである。何も無いと言うのは間違っていて、何かが在ることには違いない。何か(電気磁気学では磁束)が基で極めて強烈な特性を示すのが磁気の“磁気”と呼ぶ物の本性である。その何も無い(電気磁気学では磁束が有ると解釈している)としか思えない現象・自然の隠された処にこそ力が在る。磁束では説明できない力が在る。直線的な引力・排力で認識する意識意外に、今まで気付かなかった重要な『力』の本源が有りそうな予感に、長い歳月(渦巻銀河の不思議の昭和62年以来)に亘って引き摺られて来た。

磁極NSの意味 地球にも北極(S)と南極(N)がある。地球が磁石になっているとは何と言う事か。磁石の基は何なんじゃ?地球の中心に電流が流れて磁気が出来ると昔は説明されても居た。電流が円形状に流れれば、磁気は電流より外には出来ないことはコイルの電流から分かる筈だ。磁気は電流が作る訳ではなく、磁気と言う物も人が解釈した自然の解釈概念でしかないのだ。

磁極NSの意味NSの意味 電流の流れるコイルとマグネットでは磁極NSの空間的関係が似ている。電流とは電流と反対向きに電線に沿って、エネルギーが流れている現象である。電気エネルギーとも言えば良かろう。あるいは電線に沿った光とも言えるかもしれない。光も見えない電気エネルギーと同じものだ。図のように、磁石(マグネット)とはその周りをエネルギーが流れているもので、磁極の本質はそのエネルギー流の向きを見る観方で決まる極性である。コイルとマグネットの間で少し異なるのは、コイルの磁場はコイルの内側であるが、マグネットの磁場は磁石の外側にエネルギー流が在る。エネルギーの廻る方向に対して、左ねじの進む向きが極性N極方向を指す。科学論の求める実験的検証を示せれば良いのだが、光の流れを測定する方法が見当たらないので困難である。

一つのもの コイルの中に出来る磁気のNSを説明するにはエネルギー流一つしかない。コイルに蓄えられた電磁エネルギーの示す自然現象を磁気と伝統的に解釈して来た。また勝手な我が儘解釈と顰蹙(ヒンシュク)を買いそうなことと知りながらも、電磁現象の本質を秘めた光・電気エネルギー(質量に無関係)の意味を御理解いただきたくて。

磁束φ[Wb]と電磁力の関係 磁気あるいは磁場と言えば、それは磁束φ[Wb]の存在する空間の自然現象の解釈上の捉え方にもなろう。磁束と言う実在量が在る訳ではないにも拘らず、磁気を論じるに磁束にお出まし頂かなければならない自己矛盾の中での展開論を謝らなければならない。しかし磁束では磁界と言う場の本当の意味は説明できない。磁界の意味はどのようにその存在を認識出来るか。それは電磁力(磁力)と言う力が働く場であるかどうかで判断できる。電磁力・磁力は磁気のクーロンの法則と言う数式表現で解説される。教科書の磁力の説明である。ここでも磁気のクーロンの法則を否定して、エネルギー流に因る力を説明しようと言う非常識を説こうと考えるのである。二つのマグネットを向かい合わせてその距離を近付けると、向き合うN極とS極の間の引力が急激に強くなる。ただそんな日常の生活で経験する単純な力の意味をマグネットの空間磁場の中でどう解釈すれば自分が納得できるかを考えるだけのことである。何も難しい理論を考えている訳ではない。電磁現象に深く馴染んだ職人的感覚で統合した解釈でしかない。磁束φ[Wb]と言う概念が表現する物理量が存在するとは考えられない事から到達した結論はエネルギーの回転流である。その関係をまとめたのが砂鉄による磁界分析である。とても残念であるが、磁束量は電気工学の科学技術概念としては誠に便利であり、大切なものでありながら、物理学の概念としては論理的に矛盾に耐える物理量ではないと考える。それ以上に問題と思うのは磁気のクーロンの法則である。磁荷と言う物など存在しないのであるから。それでは磁石の強力な電磁力の原因は何なんだろうか。直線的な距離を変数とする表現式で力が決まると解釈することは無理であろう。磁気の存在する空間に起きる現象はその空間にエネルギーが実在することで起きる。質量の無い空間のエネルギーの存在を認識する必要がある。磁性体、鉄等は磁気に反応し易い。磁気に反応と言うより空間のエネルギーに反応し易いと言った方が良かろう。原子周期律表の中で、鉄などが何故空間エネルギーに反応し易いのかに謎を説く鍵があろう。それは眼で見る訳にはゆかないので、こんなものかと想像するより他に無い。鉄はそれ自身磁気的特徴のエネルギー円環流の空間構造的軸性を備えている元素と観たい。エネルギーの回転流に対する軸性である。その軸性が特に強い元素ではなかろうか。磁気と言う概念も磁束で評価しているが、磁束と言う矢印で表現する意味はエネルギー流と言う謂わば『独楽(エネルギー円環流)』の心棒に当たる中心軸の方向を表現していると考えた方が良かろう。こんな科学論としての普通に求められる実験的検証が出来ないままの想像の話で誠に申し訳ないが、元々質量は光が熱にもなるし、それは質量にも変化するとの譲れない質量観からの解釈であれば、その点お許し願いたい。鉄も変転流転の原子変換途中の一状態でしかないのだから。鉄が初めから鉄で、変化しない等とは考えていないだろう。水素も何処までも水素のままだなどとは考えないとは思うから。光が光のエネルギーのままで変化せずに、行き場もなく消える訳ではなかろうから。光と質量は何も本質に違いが在る訳ではなく、全く等価である。と顰蹙とお叱りをかう後で、電磁力の本質は何かと考える。エネルギー流の空間微分がチラチラと頭に浮かぶ。エネルギー流に直交する力の発生原因を表現する方法にどんなものが有るか?と考える。その電磁力は原子や分子の結合にも働いている筈だ。空間エネルギー流の密度に関係した量の偏微分rotationの計算で捉えるべきであろう。

理科教育と磁気 学習指導要領で、理科教育の内容が決められている。少なくとも磁荷に因るクーロンの法則での磁力解釈は子供達の未来への科学認識に誤った意識を残すだろう。教育内容は主権者である子供達の為の、子供達が何を望むかで決めるべきだろう。

電磁力を取上げた訳 整流回路のリサジュー図形を空間ベクトルでの解釈の仕方を説明しようと思ったら、どうしても発電所の「同期発電機」の構造と力に因るエネルギー伝達の意味を考えなければならないと思った。それには電磁力の本質を捉えなければならなくなった。そこで考えをまとめようと思ったからである。

砂鉄による磁界分析

砂鉄は磁石が有れば何処ででも拾い集められる。砂鉄は磁石と隣同士の仲間のようなものだ。鉄だから磁性体と言えよう。だから砂鉄で磁界の意味を探りたい。電磁力の本質の記事の関連事項の纏めとした。

リングマグネットの砂鉄模様 今までも多くの磁場・磁界を砂鉄で探り、磁界の物理的意味を考えて来た。今回は今までの磁界の砂鉄模様を総合して採りまとめたい。リング状のマグネットで磁界とはエネルギー流であることを示したい。

リングマグネットの砂鉄模様 直径2cm程のリングマグネット。トレーシングペーパーで覆い、その上に砂鉄を振りかけた。磁極面よりリング内径部と外径部に砂鉄が集まっている。何故そのような模様になるか。今までもマグネット上に薄い紙で覆い、その上に砂鉄を振りかけて模様を観察した。薄い紙類で覆う事に隠された重要な意味があったと気付いた。それはマグネットの磁極面に対して極めてギャップの狭い状態の模様を描いていると見做せることである。

カバーなし模様 マグネットに直接砂鉄を振りかける。

直接マグネット面に砂鉄を振りかける。一度振りかけるとその砂鉄を全部取り除くのは困難だ。その為紙でカバーをして模様を採っていた。この砂鉄模様は普通の砂鉄の模様で、マグネット周辺部への砂鉄の集中模様は見えない。紙一枚が左右する砂鉄模様の違いは何か?

砂鉄模様の違う訳 直接の場合は、砂鉄1粒がそれぞれマグネット化する。接したマグネット面のマグネットの『素磁気(NSを備えた単位磁気で、モノポールではない)』と結合して移動はできない。薄紙1枚でマグネット面と隔離されれば、鉄板などに接合した状態のマグネットの磁気状態が検出されて、砂鉄模様に現れる。マグネットが鉄等の磁性材料に接合した状態では、マグネット面の磁気は『素磁気』同士のエネルギー流が揃い、隣り合わせで打ち消し合う事になり、合成磁気はマグネット周辺部に強く現れる。『素磁気(モノポールとは全く違うエネルギー流)』と勝手に呼んだが、普通は「磁区」と言うのかもしれない。磁区では少し結晶の大きい塊と思われ、それが結晶内で回転して磁気方向が揃うと言う現象を未だ良く理解できない。磁区の回転はバルクハウゼン効果として理解してはいるが。すべてのマグネットでそのようなバルクハウゼン効果が在るのかが理解できないので、もう少し小さい鉄結合体の磁気の基が在るかと言う感覚で『素磁気』とした。その『素磁気』も要するに最小の磁性体のエネルギー流の円環と言う程度の解釈でしかない。

『素磁気』とリングマグネット リングマグネットは円盤状マグネットの中心部が抜けた形状である。その磁気の様子は次の図のようなエネルギー流で解釈する。

素磁気とエネルギー流 マグネットの磁気材料が磁化されると、その磁気エネルギーはマグネット表面では外部空間との磁気ループは出来難い。①のようにある部分ごとに素磁気のつながりとして保持されるとも考えられる。それ程規則的ではないが、適度に閉ループを成していると考えたい。ところがマグネットの外部空間の環境に磁気的繋がりが生まれると、表面の素磁気のエネルギー円環流が表面外部に揃う様になる。その表面では、②のように磁気の強度が強まれば素磁気のエネルギー流が打ち消し合って、結局マグネット側面の外径部、内径部に磁気が現れる様な意味で解釈できよう。薄紙のギャップが砂鉄の表面固着から周辺部への移動を可能にしたと観たい。それがマグネットの外径部、内径部での砂鉄模様の発生原因であろうと解釈したい。またリングマグネットは中心部に空洞が在るから、そこの内径側面部でのエネルギー流は外径側面部と逆の流れとなる。

磁気、砂鉄模様に関する過去の記事。道草問答(4)マグネットの砂鉄模様、2015年の記事、磁束と科学理論砂鉄磁気特性(B-H曲線)と計量単位の意味コンパスと砂鉄の心