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Energy is element of all the world. あらゆる素粒子もその根源的本質はすべてエネルギー一つから成り立つ。

励磁電流とは?

励磁電流否定の記事 変圧器の技術と物理 を投稿して。

(2019/04/16)追記。何処でも磁気や磁束は励磁電流で論じられる。元々電線の中に電子など流れていないにも拘らず、磁束まで電流との関係で定義される。ファラディーの法則の式を見れば、磁束と電圧の関係しかない。電流に因って磁束が発生するという意味など、その式には無いのだ。自然科学が科学技術理論で固められ、物理学としての自然哲学が欠落している処に理論の矛盾が放置されて来たと考える。変圧器を例に、巻線の1ターンコイル電圧 eu [v] = v/n [v] (nは巻数)を基準にして考えることを提案した。磁束や励磁電流という技術概念についても、長い技術的評価手法となっている伝統的な磁化特性を取り上げ、その意味の電圧時間積分との関係での解釈を図に示す。コイルの電圧という意味はコイル巻線導体近傍の空間に分布したエネルギー量の技術評価概念なのである。複雑な概念量を統一して捉えることが自然科学論としての未来の姿でなければならない。それを可能にするのは『エネルギー』しかない。励磁電流という曖昧な技術量を見極めて、磁束とは何かを考えて欲しい。なお、磁化特性は鉄心材料によって、図の①や②のように異なる。変圧器などでは特性が良く①に近く、インダクタンスはL[H]無限大とも見られよう。インダクタンスはその電気器具のエネルギー貯蔵機能を評価する空間特性の評価概念である。

気掛かりで、励磁電流とは?とITで検索してみた。1970,000件も記事が有り、様々な解説記事が検索される。変圧器をはじめ発電機あるいは電動機などすべての磁束の発生原理として、アンペアの法則の磁界発生原理で解説されている。変圧器の技術と物理で、せめて磁束発生原因の励磁電流という間違いはやめるべきだと指摘した。50年も前(正確には生命の危機を脱した、昭和46年秋に研究補助を頂いて、ロイヤーインバータでの単相誘導電動機の周波数制御運転をして、産業教育振興中央会の「産業教育に関する特別研究成果 別冊」に載せて頂いた頃)に筆者は既に励磁電流を否定していた。変圧器突入電流という電源投入時の現象も投入位相で電圧零時であれば、設計磁束の2倍程の ∫vdt [Wb=(HJ)^1/2^] の磁束量になるからと『電圧時間積分』で解釈すべきである。

誘導エネルギーに観る技術と物理

はじめに
電気回路現象を理解するにはその回路内でのエネルギーの振る舞いを感覚的に捉えることが大切である。この記事もロイヤーのインバターの記事の準備として書いている。誘導電動機の運転などでは、その誘導性のエネルギー処理の問題を理解して置かなければならない。インバーターは直流電源を交流電圧波形に変換する技術であり、変圧器と誘導負荷のエネルギーの物理的意味を、電気技術概念の更に深い処の意味で捉えて置きたいと思った。基本的な方形波電圧波形と純誘導負荷のエネルギーの特質を捉えて置く必要があるからである。

単相インバーターと基本動作
最も簡単な基本回路を取り上げ、その負荷が純誘導負荷、リアクトルだけの場合についてまとめておく。物理量のエネルギーをどのように認識しているかが理科教育特に物理学において極めて重要に思える。誘導エネルギーと言う用語は一般的ではないが、コイルに蓄えられるエネルギーの技術的表現である。空心コイルでなく、鉄心に巻いたコイルのエネルギー量が大きく、その電気回路動作に強い影響を及ぼす。鉄心も含めて、コイルの中の空間に蓄えられる貯蔵エネルギーをここでは誘導エネルギーと言う。正弦波交流電圧より直流電圧の一定値を切り替えた方形波電圧波形の方が、そのエネルギーの意味を感覚的に捉え易いだろうと思う。技術的な電流や電圧の意味とエネルギーの関係について、方形波交流電圧源によって考える中身が明確になるだろう。筆者自身の経験で、初めて電気の回路動作を知ったのが方形波電圧源に関わったからである。正弦波電圧では意識しないものが観えて来るからである。

方形波電圧と誘導負荷電流 上の図のように、トランジスタとダイオードを逆向きに繋いだ一対で一つのスイッチを構成する。それを4個使って、負荷Lを電源につなげばトランジスタのオン、オフで方形波電圧が得られる。この方形波電圧で初めて、コイルの電流はどのようになるかを知ることが出来る。コイルの電圧voはLと電流ioの時間微分の積で得られることは知っていても、電流ioが電圧の時間積分となることは意識していない。コイルの電圧時間積分は磁束になる。磁束[Wb]をL[H]で割れば電流[A]になる。このような計算は科学技術理論であり、物理理論(現在の物理学は科学技術理論である)ではない。

科学技術理論と物理論あるいは自然論 科学技術論は電圧、電流などの計測量に基づいて理論を組立てたものである。当然現代物理学理論もその同じ概念に基づいて組み立てられているから自然論とは異なる。自然は人間が創り上げた自然観察手法ほど複雑な原則には無い。磁束も電荷も無い。原子構造もすべての素粒子と考えるものもたった一つの『エネルギー』の世界像である。磁束、インダクタンスおよび電流の単位間で、磁束[Wb]=インダクタンス[H]×電流[A] が何故成り立つのか?自然感覚としてその意味を捉え切れるか。せめて、磁束[(HJ)^1/2^]=インダクタンス[H]×電流[(J/H)^1/2^] なら、次元解析も容易であろう。如何に世界は『エネルギー』が根源を成しているか。エネルギーを論じない物理学は自然を論じているとは言えない。まだ、科学技術論からの要請で取り入れられた空間概念の空間容量ファラッド[F]と誘導容量ヘンリー[H]の時空論の曖昧性は残されたままのように思う。それは哲学的な思考によって解決されるべきものと思う。電流も電圧もそれらがエネルギーと関係付けて捉えられるには、それぞれ2乗によって初めて観えて来る筈だ。もう一つ触れておこう。トランジスタのnpn積層構造でも、ダイオードで表記すれば、ベース端子に対してエミッタもコレクタもダイオードの背向した構造体の筈である。コレクタ側からベースへ電流が流れないダイオードの構造の筈である。何故か不思議にもダイオードの逆向きの電流を制御していることになる。これも実際の製造現場では、単純なnpn積層構造ではない事が分かっているのだろう。考えても単純な頭では理解できない。これも何とも言えない不思議な科学技術論である。トランジスタにはエミッタに電流の方向が示されているが、量子力学論では電流ではなく、逆向きの電子の流れで論じられる。何故電子がコレクタ側に流れるかの明快な解釈は見えない。何しろダイオードの逆向きであるから。それも質量でもなく電荷でもないエネルギーの流れとして捉えなければ真の物理学にはならない筈だ。この辺に対する過去の悩み論を記した記事謎(p n結合は何故エネルギーギャップ空間か)がある。標題に技術と物理としたので少し脇道に逸れてみた。

誘導エネルギーの回生 誘導負荷エネルギーはその処理を的確にしないと、スイッチング素子が破損する。貯蔵されたエネルギーは回路から突然切り離そうとすれば、無限大のエネルギー放射源となり、回路内で炸裂する。だからと言ってそのエネルギー量が多いとは限らない。量は少なくても、そのエネルギーの流れを瞬時に止めることはできない。無理に止めようとすれば火花を放ってエネルギーを放射する。そのエネルギー感覚が電気回路解釈における筆者の感覚の基になっている。コンデンサのエネルギーにはそのような凶暴性を持った回路への危険はない。コンデンサの貯蔵エネルギーは簡単に回路から切り離せる。半導体回路のその誘導エネルギー処理の優れた機能に感心させられた。

リアクトルエネルギーの貯蔵と回生 ここでも技術論である。本来の電圧は電位が高い方がエネルギーの分布が少ないのである。負側がエネルギー源である。然し技術論では如何にも電圧の高い電位がエネルギー供給側のように解釈される。だから電流が流れて、負荷にエネルギーを供給すると理解する。本当は逆なのであるが、如何に科学技術論で頭が飼いならされたかは、電流と電圧の意識が手っ取り早い理解に結びつくかを思い知らされる。実に電圧、電流の技術概念が使いなれると便利であることか。しかしその物理的根本原理を明らかにしようとすれば、並大抵のことで解き明かせるものではない。だから電流が電線導体の中を電子が逆向きに流れる現象だなどと、実しやかなウソで誤魔化す事になる。質量の無い電子は定義されていない。電線の中を質量を移動させるにはどのような力が必要かは知っている筈だ。運動力学論で質量は電界では動かない。だから電荷と電界の関係で力を想定する。一般導線の中に電界をどのように想定できるか厳密に論理を展開出来るか考えてみれば分かろうと思う。無理なのである。それでも巷の電気解説論では堂々と電子が電線内を移動すると解説されている。しかし、だからと言って電流、電圧と言う概念を不要と言って切り捨てる訳にはいかないのだ。これ程実用的な便利な技術概念も無いから。その物理的実像を明確に捉えることは本当の自然の深い真髄を理解する上で大切な事でもある。それはトランジスタの内部あるいは近傍空間をどのようにエネルギーが流れるかを極めることに繋がる話である。技術論と自然の眞髄はどこかで明確に論理的に繋がる筈であるから。エネルギーの回生については何も述べずに来てしまった。一定周期でのスイッチングで、定常状態になった場合の負荷電流ioは三角形状に変化する。その各状態でコイル内にエネルギーが貯蔵される区間と放射(それが電源にエネルギーを回生)する区間とに分かれる。エネルギーの流れと電流値とは同じくはないが、コイルのエネルギーを電流で捉えるのが分かり易いという実に慣れという常識習慣の恐ろしさも感じながらの論理に従って理解する。本当のことは、エネルギーは電流の2乗で捉えられる筈だ。

半導体スイッチ回路をダイオードとスイッチSで書き換えてみた。二つのスイッチSを同時にx 側かy 側に投入すれば、電圧は方形波となる。スイッチの切り替えごとに打点のダイオードが電流の帰還回路を形成し、エネルギーの電源回生動作となる。なおコイルのエネルギーは電流の2乗だから放物線状に変化する。

むすび 電圧、電流と言う技術概念が如何に便利であるかは慣れるに従って益々離れがたい価値を意識する。しかし、自然にはそんな概念は無く人が創りだした技術概念でしかないのだ。実に不思議なことである。こんな事を書くことが社会的な混乱を来たす元になるようで実に気が重い事でもある。社会的組織の中では許されない論議になるかも知れないことから、孤独の世界を歩くことに成ったとも考えられる。過去の電気技術の仲間や工業高校時代の仲間とも全くの繋がりのない世界での思考の論考である。5,6年前に住所録も消えて無くなっていた。日本物理学会での発表も所属欄が書けない無様で今は止めた。学術に関する処に参画するには所属欄の記載がなければ、参画資格が無いようだ。時どき昔のことの闇の声が聞こえる。竹下内閣の『約束』が有ると。地方創生資金配分の関係かとも思うが、何の『約束』かは知らない。

今回の記事で、単相インバーター回路を取上げたが、電流が電気エネルギーの流れを示していると電気技術者ならそう理解する。しかし直流電源のエネルギー放射・伝送は実は負側のマイナス側から送られるのだ。だからトランジスタのスイッチングによるエネルギー伝送機能も負荷に印加する電圧のマイナス側がエネルギー高密度空間の基になっているのだ。大学の電気工学・電子工学の教育上の『参照基準』はその辺に照準を合わせるべきと所属の無い身ながら恥ずかしさを忍んで提言する。残念ながら教科書が間違いあるいは矛盾に気付かない内容を広めているのだ。理論がもっと実学・技術の学びの上に基づくべきだ。何々の法則が矛盾に耐えない筈だ。

政府機関なのかどうかは知らないが、裏で何か決めているようで、実に気味の悪い精神的ストレスの毎日である。正に人権侵害の連続だ。人の繋がりのない断絶した過去の上の浦島退屈論ではあるが。

 

熱の物理

熱の概念
熱とは何か。熱はエネルギーの或る状態と解釈するだろう。それはどんなエネルギーか。日常の環境評価では温度と言う指標で熱の多さを捉えると言ってよかろう。例えば気体では、気体の熱エネルギー量を温度・気温として捉える。気体の熱エネルギーとは、物理学では気体分子運動エネルギー(気体分子運動論)として認識・解釈していると思う。この気体分子運動論が曲者に思える。その訳はエネルギーが質量に関係なくそれ自身で空間に実在しているものだから。光はエネルギーの伝播現象であり、質量はその光のエネルギーを論じるに必要ない筈だ。光が質量の運動エネルギーとは考えないだろう。その光の空間に実在するエネルギー像を物理学で認識していない処に問題の根源がある。

物理学理論(気体分子運動論)を斬る それでは、その気体分子運動エネルギーとはどのようなものを考えているのだろうか。気体にエネルギーが加えられると気体分子がエネルギーを吸収することになる筈だが、おそらく気体分子質量の速度の増加としてエネルギーを吸収すると物理学理論では解釈しているのだろう。何故気体分子が速度の増加を来たす事になるのか。気体を加熱したからと言って、分子の速度が上がる理由が見えない。調理用の圧力釜がある。加熱すれば、圧力釜内の水が蒸発し気体となる。加熱に因り圧力が上昇し水分子の圧力上昇としてボイルの法則の通り圧力エネルギーとして加熱エネルギーが蓄えられる。何も水分子が運動などする必要もない。蒸気機関でのピストンの仕事は水分子の運動エネルギーなど無関係で、水蒸気の圧力がその役割を果たしているだけである。水蒸気の圧力とは水分子が加熱によって体積膨張しようと内部圧力に変換されるから圧力上昇するのである。それが単純なボイルの法則による解釈である。水分子の運動速度など無関係だ。物理学理論でエネルギーと言うと、質量の運動エネルギーと位置エネルギーしか対象にしていないのではないかと誤解しそうになる。圧力エネルギーと言う概念が余り考えられていないようだ。ボイル・シャルルの法則も気体分子運動論としてボルツマン定数に因る解釈に終結している。圧力も膨張でなく分子運動速度に因る衝突力として捉えるようだ。気体の体積、水蒸気分子の体積膨張と言う現象は考慮されていないように思う。気体の発光現象も、気体に加えられたエネルギーが分子や原子に貯蔵され、その貯蔵限界を超えたエネルギーが放出されることと解釈できよう。原子の外殻電子の運動エネルギーが増減する解釈は意味がなく、間違っている。そもそも電子が回転していると考える必要など無い。電荷など無い筈だから。エネルギーと圧力の関係で一つ取り上げておきたい。海底1万メートルの水は静止状態でも途轍もない高圧に在る。その水圧も水の空間に蓄えられたエネルギーの筈である。さて、水圧だけではなく、海底の地殻深くになれば更に圧力が増していると考えられよう。その空間のエネルギーは特別の意味を持ち、日常生活での物理現象として関わることも無い異次元の世界の話であるが、圧力エネルギーであることには変わりがない。ただ、その圧力エネルギーと言う解釈が地球の中心核まで続くと解釈すべきかどうかを判断するべき根拠は不明だ。何も地殻が運動エネルギーの空間貯蔵帯とは考え難いという事からも、気体も同じように気体分子の運動エネルギーとして解釈すべきと言う論理性が見えないということである。当然気体の圧力分布に因り気体は流れて風を引き起すが、それは気体分子運動論でのエネルギーとは異なろう。温度の解釈には風は余り関係なかろう。

熱エネルギー 熱が物に蓄えられる時、物の質量の運動エネルギーの増加となるのではない。物の結晶格子等の空間に貯蔵されるエネルギーそのものの増加が熱の増加と言うことである。熱エネルギーは電気エネルギーや光エネルギーと同じく、空間に実在するエネルギーなのである。質量構造体の内部空間に貯蔵されて温度が高くなるのである。温度が高いということは、計測温度計にその物体から放射されるエネルギーが多いということであり、温度計に入射する熱エネルギーが多い準位で、温度計の出入りのエネルギーが平衡するのである。熱も電気も光もみんな同じエネルギーなのである。それは空間を占め、そこに独立した実在の空間エネルギー密度なのである。基本的に、熱とは光であれ電気であれ物に蓄えられたそのエネルギー量によって周辺空間に放射、伝導するエネルギー量が影響され、その量を計量する人の感覚や温度測定器の表示量として捉えるエネルギーの評価なのである。物のエネルギー量とその物の入射と放射のエネルギー平衡特性が比熱などの評価係数となっているのだろう。物の原子・分子の結合構造(勿論エネルギー還流のマグネット結合構造)でそれらの係数も決まると観て良かろう。

質量とエネルギー等価則

熱エネルギーとは 今常温でMo[kg]の鉄の塊がある。その鉄を加熱した。高温の鉄の塊からは熱と光が放射される。その熱い鉄の塊の重量を計ることを考えると仮定する。鉄の質量は計りに掛けると、加熱によって加えたエネルギー分だけ等価的に質量が増加する筈と考える。それが『質量・エネルギー等価則」の意味である。エネルギーは質量に等価である。しかしここまでエネルギーを実在物理量と捉える考え方は現代物理学の中に受け入れられるかどうかは分からない。高温の鉄の塊から熱放射・光放射が続く。その放射エネルギーは鉄の持つ熱エネルギーと等価な質量の一部をエネルギーとして放射するのである。『エネルギー』も質量と同じく物理的実在量なのである。と言っても、鉄の重量を計って、熱エネルギーに相当する質量・重量の増加した結果が観測など出来ることは無理であろう。熱エネルギーの増加分をほぼ光速度の2乗で除した分など計測に掛る筈はないだろうから。実験的に検証する科学的論証は無理であろう。それでも、原理的に熱エネルギーが質量と等価であるという意味は熱く加熱されたエネルギー分だけ質量が増加しているということである。同じ様に電気コイルに貯蔵される電磁エネルギーが有れば、そのコイル内に溜ったエネルギー分の質量換算量だけ質量が増加したコイルとなる。一般的な現代物理学理論で、エネルギーが質量とは無関係に実在するという認識がどの程度理解され、受け入れられるかははなはだ心許ない。化学理論でも同じく、原子構造で電子が外殻を周回運動しているとの捉え方をしている限りは受け入れ難い考え方であろうと思う。

 

和の趣き(2018年報告)

不立文字と言う東洋哲学の用語がある。筆者はその言葉の意味を、自然世界の事象を極めんとして深く学べば、常識的な言葉で表現出来なくなるという意味で捉えている。新しい科学的発見と言う意味で世界に新しい認識を広げる事と真逆の方向性、即ち今までの常識的解釈で認識していた世界の意味を深く突き詰める事によって矛盾が観えて来て、今までの常識的認識は真理から離れた上辺の捉え方で在ったと気付くことを表現した言葉のように思う。だから常識的な科学的専門用語が使えなくなってしまい、常識的な科学論が出来なくなる窮地に陥ることを指している言葉のようだ。電気磁気学を解釈するに「電荷」の必要が無くなってしまった。自然科学を論説するに科学常識となっている原子とその構造は誰もが納得し信頼する基礎概念であった筈であるが、電荷を否定したら、何を基礎として自然現象を解釈すれば良いか分からない窮地に陥ることとなる。当然電界も磁界も使えなくなる。それが自然世界を深く理解する結果の到達点で、いわゆる不立文字が表現する状態の意味になる。インドに生まれた東洋思想・東洋哲学の眞髄は解釈の矛盾を突き詰めて、削ぎ落しによる中心にある真理を悟ることにあるのだろうと考える。残るものは『エネルギー』一つになる。それは光であり、熱であり、結局質量である。すべては「色即是空」の見えるもの又見えないものと変幻自在に変化する認識量が『色』であり、見えたと思えば見えなくなる『空』でもあるという意味ではないか。そんな解釈論は自然科学の実証・検証による論理性が成り立たない話となってしまう。それが不立文字と言う事であろう。2018年の投稿記事をまとめてみれば、『エネルギー』の意味を尋ね歩いただけのようである。それでも自然科学論の心算である。『エネルギー』の空間分布構造を実験的検証で示すのが理想の科学的手法であることを突きつけられれば、記した記事の内容は空間エネルギー分布を測定していないから科学論でなく哲学となるかもしれない。(2019/02/01)追記。少し気が引ける思いである。標題の『和の趣き』で、ある出版社の本やお酒の名前に使われていることを知った。御免ね。(2019/02/02)追記。『不立文字』は昭和62年9月1日に始まったのかもしれない。電流は流れず の決断を自分に課したのがその年の8月であった。標題の『和』は総和で無く、東洋的という意味合いだ。Google翻訳では、「和の趣き」はTaste of Japanese で「和の趣」はWorth of Japanese Wisdom となる。とても翻訳は意味が深いと思った。

4月2日 哲学と科学 ここには『正の電荷』を誰が発見し、どのような場面でその存在が観測・証明できるのか。を問う事を記した。電子と言う負の電荷は陰極線として観察されている。しかし、正の電荷はどんな場面で観測されるのか。

生物とエネルギー 1月4日 体温とエネルギー 1月5日 生命と酸素 12月16日 生命活動とエネルギー 

原始・電子・エネルギー 原子・分子結合力と周回軌道電子論の矛盾(1月9日) 半導体とバンド理論を尋ねて(5月14日) エネルギーから電子殻を問う(5月21日) 電池における電子の役割を問う(5月24日) エネルギーと結合(10月10日) 結合エネルギー:不思議の砦(12月2日) エネルギーの象形(12月5日)

電気現象と技術・エネルギー 白熱電球のエネルギー変換原理は?(2月12日) 電気回路要素『抵抗』の物理的意味(2月24日) 『瞬時電力』の物理的意味 (3月15日)技術概念『電流』とその測定(9月24日) 瞬時電磁界と概念(10月23日) エネルギー その見えざる正体(11月6日)

地球の景色 青空と白い雲(1月18日) 太陽系はどのような力学によってその位置に存在するのか?(3月28日) 津波と圧力水頭(5月1日) フェーン現象(6月17日) 波の心を観る(11月14日) 山の木霊(12月20日)

哲学・光・エネルギー 光の正体(1月25日) エネルギーの速度(4月2日) 非力学的エネルギー(4月10日) 世界は不思議(5月6日) 焚火の科学(5月26日) 水辺の散策(6月16日) 水蒸気と蒸気線図(6月16日) プランク定数の概念(7月17日) 世界の実在物理量エネルギー(7月26日) 運動エネルギーの概念(9月15日)

大学教育に求められる「電気磁気学」

光は電磁波である。

光とは何かとの問いにそう答えるようだ。

その訳は、光も電磁波も同じ『エネルギーの縦波』であるからだ。

その意味を理解しなければ、電気磁気学の眞髄を教えることは出来ない。

電界や磁界の科学的仮想概念を幾ら論じても求められる大学教育には成らない。

『エネルギー』と電界、磁界の関係をどのように理解しているかが大学教育者に求められていることである。

『電荷』とは何か?と考えることを忘れた大学は歌を忘れたカナリヤと同じだ。

『電荷』無しで、空間を伝播する『エネルギーの波』で電磁波を描いて欲しい。

そうすれば光の意味が観える筈だ。

 

金澤:波はエネルギー流 日本物理学会講演概要集 第66巻2号2分冊、p.310.

金澤:瞬時電磁界理論の実験的検証とその意義 電気学会、電磁界理論研究会資料 EMT-88-145 (1988-10) 『電荷』の物理概念を問う実験写真データ。

世界の実在物理量エネルギー

Energyとは何か? 日常生活で最も関係の深い物理量は何だろうか。陽が昇れば太陽光線を受ける。太陽からの光のエネルギーである。お茶を飲めばお湯の湯加減の熱エネルギーに関わる。テレビを付ければ電気エネルギーを使う。物理学の教科書でエネルギーとは“仕事をする能力”と定義される。確かに太陽光線も電気コイル内のエネルギーも体温の熱エネルギーも仕事をしている能力保有物理量と言えるかも知れないが、どこか落語の頓知話に似ているように思う。世界を構成する根源的物理量は素粒子と言うようだ。どうも気にかかることがある。『エネルギー』も世界の構成源に思えるのだが、どんな素粒子から出来ているというのだろうか?エネルギー(ENERGY)とは?にコメント(スパム?)が多い。

電池における電子の役割を問う

はじめに 半導体のpn junction (pn接合部)のエネルギーギャップの意味を考えてみた。電池の意味との関連を考えた。電池の原理を問う (2014/11/27) があった。

電池電圧とエネルギー 電池はエネルギーの貯蔵庫であり、エネルギーの供給源である。人の思考における常識が如何に自己に立ちふさがる障壁となるか。すべてが『エレクトロニクス』の支配する世界に居る。その語源でもある『エレクトロン(電子)』の存在の意義を問うことになる。人は高いことを低いより有利と考えがちであろう。電圧が高ければ高い程、それは影響力が強いと考えるだろう。電圧が高いという表現は良くないのであるが、技術用語としては電位が高いとなろう。科学技術用語の持つ常識に『電圧』が有り、プラス極とマイナス極でその電圧の高い方と低い方を区別している。電池はエネルギーの供給源であることは誰もが知っていよう。しかし、誰もがその『エネルギー』とは何かを知っているかと問えば、さて答えられるであろうか。答えられなくても、決して気にしなくてもよい。『電子』に因って解説している人は殆ど『エネルギー』の意味を考えていない人が殆どであるから。ましてや化学方程式に因って解説する場合は、殆どその方程式の変換過程の中でその空間に実在する『エネルギー』を意識することは無い筈である。乾電池も蓄電池も+端子から電流が流れて、負荷にエネルギーを供給すると考える。しかし電流と言うものが電池のエネルギーを負荷に運ぶことなど出来っこない。電気理論では、電池のマイナス端子から電子が導線の中を流れて、負荷を通り電池の+端子に戻ると解釈している。電子の逆流が電流であると電気理論の常識が世界の共通認識になっている。それではその電子が電池からエネルギーを負荷に運ぶか?と解説者に問えば、答えないであろう。『電子』あるいは『電荷』に『エネルギー』をどのような意味で結び付けて解釈しているかが明確ではなかろう。2年程前に電圧ーその意味と正体ー (2016/05/15) に纏めてあった。

電池のエネルギー供給端子は-極である 直流の電気回路はプラスとマイナスの2本の導線でエネルギー供給回路が構成される。電池からのエネルギーは-極から送り出される。プラス側の導線は殆どマイナス側のエネルギー供給を支える脇役と考えて良い。負荷にエネルギー供給時、プラス側導線を通して電池へエネルギーは戻らない。電池のプラス端子はエネルギー供給に直接関わらない。電池の負側端子からエネルギーは放出され、負側導線近傍空間を通して主に負荷までエネルギーが伝送される。勿論導線の金属内などエネルギーは通らない。電池は-極がエネルギー放出源である。そのエネルギー(電気や熱あるいは光)を陰極線や電子と考えてきたのである。

エネルギーを運べない電子(科学的願望との乖離) 原子核の周りを回転する電子で世界の構成源を捉える原子像が世界標準である。電子が回転すると解釈する科学的根拠はどこにあるのだろうか。『電荷』否定が結局とんでもない現実にぶつかってしまった。科学理論の根源さえ信用出来ない自己を観る。そんな意味を卑近な日常生活の電池の意味に探し求めて見ようと考えた。簡便な科学的解釈を示すに『電子概念』がとても便利であろう。電池のマイナス極から電子が外部回路を通りプラス極に戻ればすべてが説明出来たことに成る。その不思議な論理が科学論理の正当性を世界標準として認められるのだから。 『エネルギー』を置き忘れていませんか? 電池はエネルギーの供給源です。電子論であれば、電子がそのエネルギーをどのように負荷に届けるかの問に答えてこそ科学論と言えるのではないか。そこに電子の実像が問われることに成るのです。電子の特性:質量me=9.1083 ×10^-28^ [g]、 電荷e=1.60206 ×10^-19^ [C] と質量と電荷の混合素粒子。この桁数の算定基準の厳密らしさと混合空間像の認識不可能の不思議に包まれている電子。電子が背負い籠に『エネルギー』を入れて負荷まで届けるのですか。帰りは『エネルギー』分だけ身軽に成ってプラス極に帰るのですか。 『エネルギー保存則』とはどんな意味なんですか。 『エネルギー』が観えますか?そこで、エネルギーに対して電子に求めると無理に仮定した時の科学的願望を絵図にしたみた。

電子の責務と珍道中 電池はエネルギーの貯蔵庫である。そのエネルギーを負荷で利用する訳だ。どのようにそのエネルギーを電池から負荷に届けるかを科学論として完成しなければならない。高度の量子力学は電子に重い責務を課しているように思える。太陽光発電で電子にどんな物理的機能を果たして欲しいと望んでいるのだろうか。電子がエネルギーを担うべき責務を無造作に要求しているようである。電子の身に成ってその心情を汲んで少し考えてみた。電池も太陽発電パネルも電源としては同じものである。ただ太陽発電パネルは負荷の前にエネルギー貯蔵庫に繋がっている。負荷の影響は直接受けない。さて電池のエネルギー貯蔵庫からどのように負荷に必要なエネルギーを供給するかを考えるべきだろう。検索で電池の原理を尋ねると電池のマイナス極から化学方程式の反応によって、電子が外部導線を通って陽極に廻り込み、その電池内で電荷を遣り取りして解説が終わっている。電子は何の為に負荷を通ったのか。 『子供の使いじゃあるまいし、ただ通り過ぎるだけじゃ理屈も通らぬ!!』 何故電子が通り過ぎるだけで電池からエネルギーが負荷に届けられると考えるのだろうか?電子は何故マイナス端子から導線を通ってプラス端子に行くことが出来るのだろうか?電子の移動はどんな理論で可能だったか?電界と電荷の関係は無視されても理屈が通るのか。上の図は電子に御足労願う訳だから、その科学認識に寄り添って何とか電子の責務とエネルギー運搬の道筋を考えて描いた図である。電子の(行き道)は、重い責務に喘ぎながら。負荷にエネルギーを届けた(帰り道)は、身軽に成って鼻唄まじり。そんな電子に期待された仕事の責務が想像できる。電子も行きと帰りで異なる姿に。しかし、量子力学には背負い籠でエネルギーを運ぶ意味はない。むしろ質量に頼った運動エネルギーの増加で電子がエネルギーを身に纏う意味に似ている。その場合は電子の帰り道は速度の遅い電子の姿を描くことに成るのか。当然理屈の通らぬ無理な道理ではあるが。もう一つ、化学方程式で『電荷』の辻褄を合せようとしても『負荷御殿の主から必要なエネルギー量が発注される』のである。エネルギーの発注に合わせたエネルギーの発送をしなければ電源・送配電線路・負荷間の辻褄が合わなくなる。勝手に化学方程式に従って、電子を送り出す訳にはいかないのである。負荷の要求をどのように電池側で処理するかが極めて重要な瞬時電力の話に成るのだ。電子に自動的にそんな責務まで負わせては酷と言うものだろう。

電子にエネルギー伝送責務は無理な注文である 電子は不要である。電池からのエネルギー(熱エネルギー即ち電気エネルギー)そのものが負荷の要求に応じて電線路空間内を伝送されるのである。電子不要の科学論。

白熱電球のエネルギー変換原理は?

電気物理とはどのような内容を指すかと考えた。電気磁気学は電気技術論であり、電気現象と言う自然現象の本質を捉えた内容ではない。エジソンの発明として有名な白熱電球の発光現象はどのような物理現象と捉えるべきか?それは電気物理になろう。電気抵抗の単位『Ω』とはどのような概念なのかを知らなければならない。白熱電球の原理はタングステン(W)フィラメントの二重コイルにある。

フィラメントの物理概念 白熱電球はタングステンのコイルを真空の中にガラスで囲み電気エネルギーを供給して、光源とする最も初期の電気技術製品である。灯りが油を足さないでも出来る画期的な発明であった。そんな白熱電球の技術を物理現象としてどのように捉えれば良いかは教育的にはとても大切な意味を持っている。

二重コイルと熱エネルギー 何も量子力学を持ちださなくても白熱電球の原理くらいは解釈できなければならないだろう。木炭に電気を通せば光を発する。電気式木炭暖房。同じ様に焚火と蝋燭 (2013/02/03) がある。空気中だと燃焼するから、真空のガラス容器に封じ込めた。それでも寿命がある。幸いタングステンと言うとても熱に強い材料があった為に白熱電球が長く照明の役割を果たしてきた。フィラメントは二重コイル構造で出来ている。効率良く発光させるための技術である。原理は電熱器と同じである。抵抗体に電気エネルギーを供給するのであり、その貯蔵エネルギー量が大きくなると高温度になり遂には光変換・放射現象に進む。電線をコイル状に巻けば、電気エネルギーを貯蔵する機能のインダクタンスになる。フィラメントと巻数、形状を同じように二重コイルにして電源に繋いだらどんな現象が起きるかこっそり隠れて試してみたい。タングステンで巻けば抵抗で、導線で巻けばインダクタンスとは言えないのじゃないか。抵抗回路要素にはオームの法則と言う立派な技術法則があり、電気現象はその法則で良く解析し、理解できる。抵抗の単位が[Ω]である。その意味を考えた記事『オームの法則』-物理学解剖論ーがある。白熱電球と言う立派な電気製品の物理現象を確認したいのである。抵抗は電気エネルギーを熱に変換する機能を持っている。白熱電球のフィラメントも抵抗で、電気エネルギーを熱エネルギーに変換するのが基本原理である。更にその熱エネルギーに変換すると同時に光に変換する現象を備えているのである。さてここで、熱エネルギーと光エネルギーの違いを現代物理学理論ではどのように捉えているのかを明確に確認して置かなければならない。この場合も質量は全く必要としない筈である。『電気エネルギー』→『熱エネルギー』→『光エネルギー』の変換の過程を物理学理論でどのように解釈するかを知りたい。このエネルギーの間に違いが有るか、無いか。 (2018/03/26)追記、質量は全く必要としないと言うのは間違いである。『光エネルギー』も光になる前は『熱エネルギー』であったとも言える。その『熱エネルギー』は物体の質量体に捉えられた自由を束縛された状態の「エネルギー」と観るべきかもしれない。更に『電気エネルギー』も電気回路要素の構造体や電線路導体に因って束縛された空間内での光速度伝送特性の『エネルギー』であると言える。だから質量を必要としないと言う表現は正しくは無い。ただし、『運動エネルギー』や『位置エネルギー』のような『質量』に付随したと言う意味での質量と言う意味ではない事を指摘しておきたかったのである。その上で、これら三つの『エネルギー』の間に違いがあるだろうかと尋ねているのである。出来たら実在しない『電荷』等は理論に使わないで示して欲しい。

二十世紀の科学理論と教育の未来 過去100年間の科学技術の進展と、唱えられた科学理論が互いに合理的で整合性のとれた関係にあったかが問われていると思う。確かに自然世界の華やかな多様性を見れば、その複雑な原則を説き明かそうと細分化した視点での科学研究が時代の流れとなる背景・要請にあるのも事実である。しかし、教育の場ではもっと根源的で、広く応用の解釈に広がる根本的な自然現象の根底にある眞髄を考えさせるべきではなかろうか。そこには『エネルギー』の実在性を如何に理解させるかが要となろう。『熱』の正体 (2014/5/15)にも述べた熱エネルギーが質量運動や電荷との関係なしに、実在する物理量であると。

原子・分子結合力と周回軌道電子論の矛盾

初夢の恐怖  初夢の恐怖 原子核の周りを今年も元気に電子が高速で回っている。科学の世界も安泰であります。そろそろ独りぼっちは寂しいので、纏まった分子結合への夢を見た。回転する電子同士が手を繋ぐ。中心の核私は電子に振り回されて目が廻る初夢の恐怖。それでも電子周回軌道原子構造論は安泰と言う初夢。夢の謎解きが待ちどうしい。2018/01/11 追記。

はじめに 世界は光が支配している。宇宙全体を支配するのは光である。星も砕け散れば光になる。光は原子の全てを創り上げている。質量は光である。光はエネルギーの空間像である。世界はエネルギーである。人類よ、エネルギーの意味を捉えよう。エネルギーに質量が必要と言う誤解を解こう。自然は単純である。雷の発生理論が上空での氷の摩擦での電荷分離現象が原因であるなどと言う研究機関の解釈が罷り通るのはやめて欲しいと願う。

原子とは 複雑怪奇が原子から始まった。『電荷』がその基になってしまった。電荷は光になるか、ならないか?世界に存在する全てが光になる。光を含めてエネルギーが世界の根源であるから。原子は原子核とその周りを周回する電子から成り立つとなっている。その原子核は陽子(正電荷と質量)と中性子(電荷なしの質量)の集合体と成っている。理解できないこと、中性子は正電荷と負電荷が合体して中性なのか、電荷に無関係なのかが明確か?正電荷の陽子が陽電子と中性子に分裂するとも言われる?核の陽子がクーロン力に逆らって集合体を構成する原理は何か?こんな事を言ってはいけないだろうが、そもそもプラスの陽子と中性の中性子で原子核が成り立つという必然性は何なんだろうか。湯川秀樹博士の中間子論で核理論は成り立っていると言われるが、筆者にはとても理解できないので窮してしまう。。最も単純な原子は水素である。一つの陽子の核と周回運動する一つの電子から構成されていると。陽子も電子もすべてエネルギーから出来ている。陽子も電子も消滅すれば光を含めたエネルギーに変換される。世界はエネルギーと等価である。

原子・分子結合力の原因は電荷かエネルギーか 電荷概念を否定し、クーロンの法則を斬ると言えば電気磁気学の伝統的な論理の拠り所を失ってしまう。何の頼る術もない。しかし、原子同士が結合し複雑な高分子から生命現象まで司る世界は現実だ。質量の万有引力では原子結合は説明できなかろう。他に結合する力の原理は何があるか。そこに「電荷」が救いの神に成っていた。しかし『電荷』とは何かと尋ねても答える術もない。プラスとマイナスの『電荷』の空間的存在形態の違いを明らかに出来ない。プラスの電荷は突起を持って居るとか、マイナスの電荷は陥没欠損穴を持って居るとかの空間的違いが無ければ、プラスとマイナスと言う実在性を論理的に説明できない筈だ。そもそも電荷がどのようなものかを説明もできないし、確認出来ないのだ。摩擦によって熱は発生する。摩擦熱だ。熱はエネルギーだ。古代から人は摩擦で火を起こして来た。摩擦で熱エネルギーに変換できる事は見て理解できる。不思議な事に摩擦で電気が発生すると解釈した。摩擦電気と言う。引き付ける力が存在する現象を眼で見ることが出来た。摩擦によって確かに引き付ける力を産むと言う事だけは確かである。その現象が『電荷』が生まれたからであると言うことを検証し、確認出来る訳ではない。電荷は眼に見えない。しかし、眼に観えない元素の世界の科学論が結合力を必要とした事に因る必然的結果として、摩擦現象の引き付ける力が元素の世界に結びついたと考える。誰も否定できない科学論になった。摩擦が眼に見えないがプラスとマイナスの電荷を産むと解釈した。摩擦すると分子結合の物質が摩擦面で、原子の外殻を周回する電子を剥ぎ取り、どちらかの物質側の一方にその電子が移動でもすると考えるのだろう。その為二つの物質で電荷の平衡が破られそれぞれ一方の電荷に分かれると考えるようだ。その電荷分離の原理はどちらの電荷が集合するかの詳しい訳は原子論的に少しも説明されない。摩擦によりクーロンの法則に反する電荷移動が起こる理由が見えないのだ。この摩擦の場合はクーロンの法則は忘れないと理論にならない宿命のようだ。ヴァンデグラフ起電機が後押しもした。丁度粒子性と波動性のように科学理論に横たわる宿命として閑却するようだ。誠に理論は都合が良いのだ。しかし今、エネルギーと言う空間に実在する物理量、光を認識すれば、物を引き付ける原因が『電荷』でなければならないと言う事を一概には言えない筈である。先ず熱エネルギーが放射現象として空間に実在する意味を理解できるかの問題にもなろう。質量には無関係の熱エネルギーを。布団を陽に乾せば、熱エネルギーが籠って暖かくなる。その熱エネルギーである。摩擦現象が熱を産むことは誰もが知っている。しかし科学論の引力に成った時、摩擦熱の意味は消えて摩擦電荷が主役に躍り出る。電気の解説になると、摩擦で熱は発生しないかの如くに、摩擦で発生するのが電気と決まっているかの解釈であるが、そこに間違いの基がある。それが誠に都合よく現象を説明出来たから、摩擦電気と言えば納得できる解釈として世界の常識となった。雷まで氷が摩擦し合うことで電荷が発生するとの解釈で説明されて、その論が認知されている。摩擦は仕事のエネルギーを対象物に与えるから、何らかのエネルギーがその対象物に蓄積されるのはエネルギー保存則の原理通りである。そのエネルギーは殆どが熱である。物体に熱が溜まれば、その近傍の空間にその熱エネルギーの影響が現れるのは当たり前のことである。その近傍空間に現れるエネルギーの影響がどのようなものであると認識するかの問題である。ドアノブの火花―熱電変換ー 2014/02/09 に関連記事。

周回軌道電子論の矛盾と言う意味 原子構造に関する研究に全く携わった経験の無い者が論じる事が如何に失礼かと思いながら、書く事を許して頂きたい。電気技術感覚からの原子構造に対する感覚的矛盾論である事を述べたい。専門家から観れば、愚にもつかない内容かもしれない。核燃料のウラン235もやはり92個の周回電子軌道論で解釈されるのだろうと言う点で、数Å内にそんな電子軌道が成り立つ筈が無いとクーロンの法則との矛盾を否定できない困難が理解を妨げるから。周回電子間のクーロンの法則の排除力を考慮せずに、それ以上に離れた遠隔力の核のプラス電荷との間でクーロンの法則が有効に働くなどと言う意味が原子構造空間内で論理性を説得できるのだろうか。この論の基にはクーロンの法則を斬る(2013/01/06)での『電荷』概念否定の意味がある。この正と負の電荷間に働く電気力が周回電子と中心核を纏める構成源の力と成っている。その原子と他の原子間に働く分子構成力として、主体となるものは原子外周を回転する電子が担っている事になっている。回転しながら原子間の構成力となるにはどのような空間像で理解すれば良いのだろうか。2価、3価と結合手が多くなれば原子同士が超技巧結合手法でも採らなければ原子が眼を回してとても耐えられる筈は無いと思う。そんな周回運動する電子同士に因る分子結合が可能と言う理論が罷り通る科学論とは本当に不思議な事だ。付いて行けない超高等理論だ。

生命と酸素

生命を見つめる長い人類史で、東洋哲学の到達点の一つの言葉に『輪廻転生』がある。全て世界の存在は、始まりも無ければ、終わりも無い。生命もその世界の一つの存在形態である。星の生成、消滅もその輪廻転生の宇宙の法典の姿と見る。そこには『ビックバン』も否定される。人の生命の誕生もその法典に従った或る過程でしかない。今(この今と言う時は2014年の話であるが、再び今またとても有意義な時にある2018/01/09記)NHKで生命の不思議のスペシャル番組が放送される。医学・生理学の最先端は細胞の分子構造の微細な解明が基になる極めて高度な内容が対象となっている。素人には理解できない難しさに満ちている。『細胞分裂』が基本原理のように解説されている。確かに、『細胞分裂』現象は重要な鍵ではあろう。しかしそれだけではなかろう。(2014/11/03 に標題「生命の法典」等と大それた表現で記したままに保存してあった。酸素に変えた)。現在、昨年から新しいスペシャル番組が放送されている。今回の内容はとても高度な医学の話でありながら、驚くべき神秘な内容を分かり易く解説されていてとても有り難い。それにつけても理科教育の内容が心配だ。(2018/01/09記)。

生命現象は細胞や臓器の機能が生理・医学の研究によって、その謎が解きほぐされている。高度な医学の学問内容をとても理解できる能力は無い。しかし、日常生活で考えるような卑近な基本的な知識は身に付けたいと思う。学問内容は難しく、高校生の生物学を理解するのも困難である。不図思う、生命現象には『酸素』が必要だ。ヘモグロビンが酸素を血流で運ぶ。しかしその『酸素』がどのように細胞内での反応に役立っているかの基本的な意味を知りたい。活性酸素と言われても、具体性が何処にも解説されていない。高校生の学習する基礎的内容が解明されていないようだ。エネルギーを必要として生化学反応が起きるのだろうと思うが、そのエネルギーがどのように何処に必要なのかが分からないように思える。細胞と酸素の関係およびエネルギーが何処にどのように必要かは高校生の「理科基礎(仮称)」に求められる基礎的内容ではないかと思った。若い方に挑戦して解明して欲しい。疑問を持ったら、それが道の始まりである事を知って欲しい。自然現象の本質は身の周りにある卑近な事の中に謎のまま隠れている。その本質を見抜くには学んで学んで、その総体の知識を感得して僅かな違和感や疑問を大切にして答を自分で解き明かす過程に、自然の神が微笑んで答えを届けてくれるように思う。酸素原子には燃焼と言う特別な役割が与えられている。本当にその意味は化学反応が分かったとしても、何も「何故か」と言う問答の答には成っていない。感覚的に納得するにはまだまだ分からない事ばかりだ。自然科学は現象が利用出来ればそれで済むと言う学問ではない筈だ。不思議に思いませんか。元素周期表の酸素と窒素は隣同士だ。窒素より酸素は質量数が2多く、周回すると言う電子が1多い。その違いが何故その元素の特性の違いを産むかが分かりますか。自然科学の学問としての意味は、そんな基礎的なところを納得出来るように説き明かす事にその大切な役割もあると思う。検索の中には『電圧』とは何ですかと質問がある。そんな素直な質問に、解答が水圧などで説かれているが、質問者には腑に落ちないままであろうと。何とか線路電圧の意味は空間の『エネルギー』の分布であると自分なりに納得する答えを見つけた。生命活動の中で、ヘモグロビンと酸素と炭酸ガスの大よその解説はあるが、細胞内でどのように酸素がその燃焼特性を発揮しているかは分かっていないのじゃないかと思う。焚火の燃焼現象の中にある本質が解明されていないように感じる。エネルギーと質量の関係が「理科教育」でされていないからと思う。エネルギーと質量の等価性の意味が。