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Energy is element of all the world. あらゆる素粒子もその根源的本質はすべてエネルギー一つから成り立つ。

無為自然

(2020/01/22)初めて知った。

「無為自然」老子の言葉らしい。紀元前4世紀の中国春秋戦国時代の哲学者と言う。

墨字に描いた。孔子の儒教に対照的な思想に思える。老子の思想は基本的に自由を根本に据えている。其れは禪の思想の原型をなしているように思う。

無為自然の意味は?

中国の歴史で、当時すでに文字が完成していたのだろう。何という高度文明を築いていたのか。文字が無ければ思想の形成は困難ではなかろうかと思う。インド哲学と中国思想の間の関係はとても複雑に融合していたのだろうとは思う。この言葉の意味を検索しても納得する解釈が観えない。自然への敬虔な思いを抱いて日々生活していたことを考えれば、自ずと自然の不思議と美しさ、その多様性更に恐怖が人の思いも及ばない偉大な神のごとくに思われただろうと感じる。ただ自然を前にして、何も余計な解釈を加えず、ただその心を受け止める事こそ大事だと唱えていると考える。現代的に言えば、高度な学説に捉われず、静かに自然に向き合い、己のこころと感じ合うことによって、そこに本当の姿が観えてくるという意味と解釈する。具体例を挙げる。日本雨蛙に関して、決してそれは水の中の「オタマジャクシ」ではない。また『電荷』などは世界に存在しない。

雅号『空道』について 昭和62年(1987/02)『空則無限なる有なり』と『空』の文字の意味を解釈した。自然界の実相は見える『色』と見えない『空』との間の認識ではないか。真空はすべてが生まれる究極の場である。『空』こそその可能性を無限に持っていると考えた。昭和から平成への変わり目(1989)で、老子の「道」を意識した。「色即是空」と「道」から採った。

エネルギー像(物理学基礎論)

自然世界の認識には(2019/12/01)、唱えることを具体的空間像で描写することが大切である。存在するものは空間を占有する形状を持つ筈だから。見えるとは限らなくても、実在するとは空間にしか存在し得ないから。数式の中に存在することはできないから。抽象的な数理式で表現する以前に日常用語で一般市民が納得できる論説が必要である。日常用語が専門的科学論を展開するに不足する程貧相であるはずがなく、十分な能力を持っている筈だから。例えば『電荷』とはどの様なものかを日常用語で説明できなければ、それは実在しない虚概念と見做してよい。空間に存在していながら、目で見る事のできないものの代表が『エネルギー』である。光は存在していることは理解できるが、その『エネルギー』を見る事は決してできない。この記事は年末の12月20日のまま年を越してしまったので最初の公開になる。

不図気になった。『エネルギー』の日本語の訳語が何故ないか?
ほとんどの科学的専門用語には日本語の対訳語が有る。日本が明治維新に外国の科学技術の目覚ましい発展を知り、その導入に欠かせない科学技術用語の翻訳で、名訳の専門用語の体形が確立したのだろう。運動エネルギー、位置エネルギーと言うが、何故その『エネルギー』だけ日本語の訳語がないか。『エネルギー』だけは日本語訳が無い。その訳は何だろうか。先進諸国の科学技術用語の中に、『エネルギー』だけ確立した概念が無かったからではなかろうか。目に見える物体が持つものと言う認識が基本になっているからではなかろうか。敢えて『エネルギー』の日本語訳語を求めれば、『素原』としたい。最も小さな原子が水素である。その水素も『エネルギー』から成り立っている。だから『素原』がお似合いかと思う。

誰もが目にする水の波が有る。水の波と言うが、その水の波は何が原因で発生すると考えるのか?水の波を見れば、同心円で拡がって行くのが分かる。どうも物理学などの科学論は自然現象を観測し、あるいは実験で確認するが、何故そのような現象が起きるかに疑問を抱かないまま、その現象の存在を記憶する暗記の学習に終始しているように思える。水を波立たせる原因が水中に掛かる水圧の『エネルギー』であると言う、『エネルギー』の本質の認識が無いからであろう。水の水中を伝播する、ボイルの法則の体積と水圧の積pV[J]の『エネルギー』の縦波が原因なのだ。電気回路のコイルの『エネルギー』が導線で囲まれたコイルの中の空間に存在することをどの程度認識しているかが心配でもある。その『エネルギー』は目には見えない物理的実在量である。『エネルギー』の空間像が認識されていないところに、大きな問題が有るのだ。だから「津波」の物理現象も分からないのだ。光の『エネルギー』とはどの様なものと理解しているのだろうか。光の『エネルギー』は振動などしていない。空間の『エネルギー』の密度分布波が光速度で伝播する現象が光なのである。その『エネルギー』を観測する方法が無い。だから目で見ることはできない。光によって世界を見ることはできても、その光の『エネルギー』を観測することはできない。

世界・生命は『エネルギー』の賜物である。世界の存在を認識するのは光エネルギーに依っている。人が生きて行けるのも細胞の活動を支える熱エネルギー(体温)に依っている。体温も体温中枢機能によると言われるが、その熱エネルギーは細胞の分解によって保有エネルギーの差が放出されることに依っている筈だ。決して脳が支配する程複雑ではないと思う。細胞自身が周辺環境を整える自律的機能を持っているからであろう。常にエネルギーを放射する必要があり、それが体温を保つ仕組みになっている筈だ。そんな素人の感覚的捉え方も、体温の熱エネルギーの解説が専門的に示されていないから考える自己流の認識でしかない。体温と身体活動エネルギー「理科基礎(仮称)」を想定して (2016/04/08) を読み返して思った。やはりアデノシン三リン酸では全く意味が理解できない生物学的理解力欠如の脳にお手上げで考えた。その原因をやはり理論物理学の『エネルギー』の認識が曖昧であるからと考えざるを得ない現在である。

水の電気分解と燃料電池

とても不思議な科学的現象である。普通の生活環境では起きない現象と理解する。直流電源によって水の中に電極で電圧を掛ければ、水分子の酸素と水素が分離してそれぞれの気体に分かれる。一方水素ガスを酸素と反応させれば、水分子に化合反応して電気エネルギーを作り出す燃料電池となる。化学反応式では、

O2 + 2H2 = 2H2O + E (電気エネルギー)     :燃料発電電池

2H2O + E (電気エネルギー) = O2 + 2H2 :水の電気分解

と燃料電池と電気分解は電気エネルギーを介して水素と酸素および水の間の化学反応現象の逆の関係になっている。ただし、一般の教科書の化学反応式では電気エネルギー E[J] という解説には成っていない。すべて電子の『電荷』が現象を司っているとなっている。それも不思議な科学理論である。決して『電子』では『エネルギー』の関りを説明できないにも拘らず、すべて『電子』で完璧であるが如くの解釈に終わっている。燃料電池でも何故『電子』が通過すると『エネルギー』を負荷に供給できると考えるのか。『電子』が電気エネルギーを背負い籠にでも入れて負荷に届ける役目を担うとでも考えるのだろうか。『電子』は『エネルギー』を運べるのか?このような最も基本的な科学論の根本で論理性のない矛盾を抱え込んでいることを放置して居て良いのだろうか。物理学理論に『エネルギー』の認識が欠如していることが全ての科学論の混乱の基になっているのだ。理学の生物学については全くの素人でしかないが、少なくとも電気回路の物理的な現象については少しは分かっているつもりだ。『電子』はその矛盾のために、論理的な科学論に堪えない概念であると思う。『電子』を論題にするには『エネルギー』との関係で解説できなければならないのではないか。水の電気分解については、前の記事水の電気分解 (2019/12/20) にファラディーの「ロウソクの科学」を読んで考えたことを述べた。過去にも水と水素とエネルギー流の図で水の妖精七変化(エネルギー) (2017/11/02) に記してあった。

 

霰の中に咲くサツキ

今年も師走に入って間もなく暮れる。霰が降る中にサツキが咲く。

このサツキは今咲いてほしくない。狂い咲きだから。植物は地球環境の生命存続の可否を示すバロメーターだから。日本の季節感の四季もなくなり、里山の棚田の日本の風景も消え去る予感が重なってくる。科学技術の経済競争が人をして都市型の過酷な労働環境と生活苦に押しやる。今年の夏に、紅葉の葉が太陽光線で焼け焦げて、枯葉となって哀れな姿をさらしていた。しかし来年の春にはまたその枝先にも新芽の葉が生い茂ることだろう。

振り返れば、今年の夏は猛暑であった。水害被害で生活の危機を認識した。今年は日中も耐えられずにクーラーを使った。去年までは田畑からの風を頼りに、何とか我慢して夕食時ぐらいに使って済ませた。今年は田の稲も酷暑(フェーン現象:水蒸気の水分だけ除いた高温度の熱エネルギーの山越えの風)で実りが悪かったようだ。クーラーは科学技術の賜物と酷暑を避ける電気製品の代表格である。クーラーに関わる『エネルギー』論はほとんど科学者からは発せられない。巨大なビルの中で酷暑の夏を過ごすにはもうクーラーが欠かせない。気温が高まれば、気中の水蒸気量はどんどん増加する。室内から外に水分と熱エネルギーを吐き出し、外気温度を高める。人も熱中症状で危機にさらされる。どんなに貧しくてもクーラーを使わないで過ごす人の生活環境を取り戻すべく、その役割が政治の基本目標でなければならない。雷が水蒸気の保有熱量(それが『エネルギー』だ)によって起きる現象だという科学認識が無ければならない。水蒸気が太陽光線に対して「レンズ効果」を果す。地球環境は命の水が支配している。原子力発電は生存の危機をもたらす人の制御能力を超えた巨大科学技術システムだ。避難訓練を人に強要する科学技術はそれだけで制御不可能を証明している。そんな化け物が生活の場に有ってはならない。そんな科学技術は地震・津波の自然現象とは次元の異なる話だ。

原子力発電の熱の行方 (2011/04/17) 、雷は熱爆発 (2014/05/23) 、フェーン現象の解剖 (2018/06/17)。

サヨウナラ『電荷』

(2019/11/27)追記。実験的検証法の電圧測定について。電圧の測定に普通の電圧計では巧くゆかない。一般に測定は必ず測定対象からエネルギーを取り込む。どのようにエネルギー量を失わずに測定するかの技術的工夫が必要だ。静電容量の小さいコンデンサで、電圧値が低ければ、実験の精度は得難いかも知れない。測定器の入力インピーダンスの大きなものが欲しい。あるいは減衰特性の写真判定など。電圧測定について一言ご注意申し上げたい。

電気理論の根幹をなす概念は『電荷』である。また電力技術・工学では『エネルギー』が根幹をなす概念でもある。『電荷保存則』と『エネルギー保存則』がともに重要な基礎をなしている。電池電圧や分布定数回路現象を最近考えた。急に気付いたことがある。やはり『電荷保存則』は論理的に矛盾している。コンデンサとエネルギーと電荷 (2017/08/31) で満足に答えられなかった問題があった。高校生からの質問のようだった。電池と電圧(エネルギーの基礎研究) (2019/11/13) に答えが出ていた。

実験的検証法

回路はいたって簡単である。コンデンサが電圧V0に充電されている。同じコンデンサをスイッチでつなぐ。電圧は幾らになるか?結果は図のように、『エネルギー保存則』に従った電圧になる。だだ、スイッチオンでの追加コンデンサの充電時に突入電流(電流ではなくエネルギーの突入ではあるが)で、エネルギー消散が起きる分の誤差はあろう。小さなコイルでの突入制限を抑える方法はあろう。兎に角、『電荷保存則』は否定され、『エネルギー保存則』に軍配が上がる筈だ。実験確認が可能と考える。以上急な思い付きの報告。

 

電池と電圧(エネルギーの実験)

大人のおもちゃのような実験をしてみた(2019/11/13)。専門家の決して考えない実験かも知れない。乾電池の乾電池による充電実験。変圧器の奇想天外診断 (2015/06/03) に似た思い付きの実験だ。

実験の目的と結果

乾電池のエネルギーの意味を電流や電荷概念に依らずに、空間伝送の意味でランプへのエネルギー供給を確認したかったのが本当の目的であった。乾電池はエネルギーの充電ができないだろうという思惑があった。残念ながら思惑外れで乾電池も充電されることが分かって、一寸がっかり。

実験の概要

先ず、電池と電圧(エネルギーの基礎研究) (2019/11/14)で電気回路エネルギーと電圧との関係を具体例で解説しようと考えた。その過程で不図乾電池は充電できるのかと心配になった。早速実験で確かめることにした。初めに書いた通り充電可能であった結果で、思惑外れの失敗である。電荷概念否定あるいは電流否定の実験的検証にはならなかった。

実験回路と思惑

図1.に示した回路は電気回路の実験としては全く意味の分からないものであろう。同じ乾電池4個を3個と1個に分けて、差の電圧を豆電球にかける回路である。この回路を取り上げた訳は乾電池に充電作用が有るかどうかに疑問を抱いたからである。この回路構成で、一つの電池V1が充電せずにランプが点灯することを期待したのである。エネルギーが直接空間を伝送して、電池充電なしにランプだけ点灯となれば回路電流の解釈を否定できるかと思った。

 

図2.実験装置

図1.の回路構成を単3乾電池4個入りの電池ホルダーで作った。アルカリ乾電池4個と3V用豆電球(購入経費の費用891円也)で実験装置とした。

 

実験結果と考察

アルカリ乾電池はみんな同じかと思うが、どうも特性が同じくないように思った。V1用として使う電池で充電特性が異なるようだ。比較的早く電圧が高くなるものと、遅いものがある。充電の特性が異なる。

最初の実験。装置組み立て後すぐに回路でランプを点灯した。V1の電圧を計ったら、2.2[V]まで上がっていた。真逆(マサカ)とは思うが、破裂するかもしれないと少し危険を感じて中止した。数日後にまた同じ実験で電圧を計り、確認した。もうV1 の電圧が2.2[V]になるようなことはなかった。せいぜい1.7[V] 程度にしか充電しなかった。少しずつV1電池が充電され、電圧が上がっている様子は見られる。

スイッチSのon off による回路状態の違いの解釈。

スイッチoff

乾電池の負極側はエネルギーレベルが高い。スイッチと電池にそれぞれエネルギーギャップがある。負荷ランプにはそれが無く、電圧ゼロである。

スイッチ on

スイッチオンでランプにもエネルギーギャップが生じる。それが負荷端子電圧である。ここで、乾電池に充電はないかと予想したが、間違いであった。乾電池から乾電池にも充電でエネルギーが入射することが分かった。電池電圧V2のある割合でランプと電池V1 にエネルギーギャップが印加され、消費と充電が進行する。

考察

各電圧値はテスターで測定した。測定中にゆっくりと電圧値が変って行く。エネルギーの消費と同時に電池 V1 への充電が進む。総体的にはエネルギーが減少する。アルカリ乾電池の充電機能は電池の放電機能と同じく負電極亜鉛と電解質の間のエネルギーギャップの化学物質的エネルギーレベルの解釈に掛かっている。

構造と電池の原理

アルカリ乾電池

アルカリ乾電池の内部構造はマンガン乾電池とは相当違うようだ。しかし基本的には陰極の亜鉛Zn粉末が水酸化カリウムKOH電解質の中でエネルギーギャップを構成していると解釈できる。陽極は二酸化マンガンで構成されている。両極間は一応セパレータ(耐アルカリ性ビニロン)で分けられている。電解質は透過するとある。

アルカリ乾電池の原理

Wikipediaに示されている化学反応式

(負極) Zn(s)   +  2OH⁻(aq) → ZnO(s) + H2O(s) + H2O(l) + 2e⁻

(正極) 2ZnO2(s) + H2O(l) + 2e⁻ → Mn2O3(s) + 2OH⁻ (aq)

この化学式が示す原理は『電子』が負極から外部回路を通って正極に戻り、電荷の収支が整って電池の役割が成り立つという意味である。電子が『エネルギー』を負荷に供給する論理的な解説が全く示されていない。だから化学方程式は電池の『エネルギー』供給の説明には成っていない。物理学にも、化学にも『エネルギー』の概念が定義されていないところに大きな科学論の矛盾がある。『電荷』や『電子』の『エネルギー』との関係性が示されなければ科学理論の矛盾は解消しない。

エネルギーギャップによる原理解釈。

亜鉛Znと水酸化カリウムKOH の化学物質の間における接触エネルギーギャップEg[V]が電池エネルギー供給原理をなしているはずだ。上の化学方程式には水酸化カリウムの役割が示されていない。アルカリ電池であるから、カリウムK がエネルギー源としての主役をなしているはずだ。亜鉛 Zn とカリウム K の間のイオン化傾向の特性差が基本的意味を持っていると解釈する。

まとめ

電池がアルカリ電池であった。アルカリ電池は充電機能も少しは持っているようだ。まだ、マンガン乾電池での確認をしていない。マンガン乾電池も充電するか?

(2020/01/03)追記。元旦に単一乾電池で、マンガン乾電池2本とアルカリ乾電池2本が有ったので、マンガン乾電池1本を3Vランプと直列にして、アルカリ乾電池2本とマンガン乾電池1本の直列電圧4.5Vほどの電圧を掛けた。マンガン乾電池の電圧は徐々に充電され 1.7V以上に高くなった。破裂しないかと気味が悪くてそれ以上続けなかった。マンガン乾電池もアルカリ乾電池と同じく『エネルギー』の充電ができることだけは確認できた。その充電がどの様な化学的反応で成されるのか理由を知らない。

電池と電圧(エネルギーの基礎研究)

自然の本質(2019/11/13)。科学の世界はとても大きい。しかし、その本質は極めて単純にして純粋である。『エネルギー』一つの世界が自然の本質である。水素原子もその根源はただ一つの『エネルギー』の集合体でしかない。それなら『エネルギー』とは何かと問答になる。今日はハヤブサ2がリュウグウの岩石を採取して地球への帰還の途に就いたと報じられた。目出度い事です。地球の岩石の分析と合わせて研究が進むことお祈りします。

電池はエネルギーの供給源

電池のエネルギーとはどんなものか?その『エネルギー』をどのように認識するか。そんな意味を考えて、明確な解釈ができるような考究も科学基礎研究になる筈だ。決して経済競争に資する話ではない。科研費を要求するような研究でもないが。その訳は、次のような意味でも大切であろう。科学的手法でその『エネルギー』を測定する方法がない。『エネルギー』は秤にかからない。ジュール量を測定できない。『エネルギー』の極限は一粒の光の空間分布エネルギーだ。決してそれを見たり感じたりはできない。しかしその『エネルギー』は目の前に無限に存在している。木も草も花も石も光の賜物である。光が無ければ地球も存在しない。そんな不思議な『エネルギー』を電池の中に関連付けて思い描いてみたい。

図1.電圧実験回路 電圧vsの電池がある。容量 C[F] のコンデンサがダイオードを通して図のように電池に繋がった回路を想定する。我々は『エネルギー量』を測定できないから、その量を電圧値によって解釈するしかない。電気回路の解釈において、電気技術では電圧値が重要な量となる。電線路には必ず静電容量がある。その容量C[F]が電線路の空間に在る『エネルギー量』を認識する大切な回路要素である。電圧値ではエネルギー量は分からない。静電容量の値で、同じ電圧値でもそのエネルギー量は変わる。図1.のような回路で電池の電圧という意味をコンデンサの静電容量を変化させて、考えてみたい。

可変コンデンサ。ラジオ放送電波の受信には周波数検波用にバリコンが使われる。

図2.可変コンデンサC(ωt)  たとえば図のような二組の円盤で、1つが周期ω[rad/s]で回転するとする。コンデンサ容量は周期関数で変化する筈である。

図3.容量 C=εkA[F] 回転電極がO-Poの軸からの角度θの位置で重なり面積Aが決まり、コンデンサ静電容量もほぼその位置の関数と考える。なお回転速度は一定でなく、任意でよい。ε[F/m] は極版間の誘電率で、kはギャップなどの構造による定数である。

電圧値v[V]は?電圧はどのように変化するか。コンデンサ電圧は電池電圧より下がらない筈。回路のスイッチがオフの場合を先ず考えよう。回転盤の重なり面積がAoの最大の時に、コンデンサには最大のエネルギーが貯蔵される。面積がそこから減少すると、コンデンサ端子電圧vは上昇する。貯蔵エネルギーの最大値をEm[J]とする。電圧はコンデンサ容量C[F]によって、

v=(Em/C)^1/2^ [V]        (1)

と変化する。重なり面積がゼロとなれば、相当高い電圧値になろう。電極版の回転によって、周期電圧波形となろう。この意味が電線路電圧の意味を理解するに基本となる。この『エネルギー』による解釈に対して、『電荷』論を主張するでしょう。もし『電荷』Qm[C]で解釈するなら、電圧は

v=Qm/C [V]                          (2)

と静電容量に反比例する筈だ。平方根で変化するか、反比例で変化するかで、答えは得られるはずだ。『電荷』概念矛盾の結果になる筈だ。

図1.でスイッチがオンの場合。今度はコンデンサの電圧vと電池電圧vsとの関係で電池にエネルギーが回収される。電池の種類により、電池充電の特性が異なるから、様々な結果になろう。

図4.コンデンサ容量とエネルギー(係数1/2はその意味が確認できないので省く) コンデンサ容量Cは図のように変化する。図の打点部分が静電容量ゼロに向かって変化するときの、コンデンサエネルギー放電(電池エネルギー回収)特性による電圧変化の様子を想像で記した。もしスイッチオフの場合なら、ωt=2πで静電容量ゼロ近くで電圧は最大値に跳ね上がる筈だ。

インダクタンスの場合の例。

ついでにインダクタンスのエネルギー量と電圧の関係を考えてみた。

図1-2.電圧実験(2)

L-r 負荷のスイッチSオフによってLのエネルギー処理の問題が起きる。Lの貯蔵エネルギーは必ず放出しなければ済まない。この場合も余分エネルギーの放出による電池充電動作に入る。Lの電圧とエネルギー量El[J]との関係は図のようになる。

(2019/12/27)追記。上の図1-2 電圧実験(2)に示した回路には不備がありました。修正して電池充電現象の回路を示す。

訂正回路

右のように負荷ランプとスイッチS’の回路とした。スイッチS とS’同時にオフとする回路に変更。コイルのエネルギーはコンデンサCの放電と同時に電源の電池へのエネルギー充電とランプ負荷消費の回路動作となる。なおコイルエネルギーの次元は[J]=[FV^2^]とも解釈できる。L/r^2^[F]だから。以上追記。

電池がマンガン電池の場合、どの様な現象になるか不明だ。アルカリ乾電池では電池でエネルギー回収が起きるようだ。それは 電池と電圧(エネルギーの実験)  で確認した。

まとめ

(エネルギーの基礎研究)というには内容が乏しい結果だ。しかし、電池についてその電気現象を理解するにはとても多くの基礎概念の関係を解きほぐさなければ成らない。次々と理解困難な問答に突き当たり、際限のなさに戸惑う。やはり、『エネルギー』という物理的実在量の意識化が是まで為されてこなかったところに大きな欠陥があるからと思える。電圧とはこの『エネルギー』の技術的評価量であることを認識してほしくて、静電容量との関係でこの記事にした。

光と空間

晴れた朝は陽が眩しい。太陽が遥か遠くから光を届けてくれるからだ。この世界の元締めとして、すべての命を司っている。

寒い冷気の中でも、お日様の陽を浴びれば心まで温かくなる。

陽を受けると何故暖かくなるのだろうか。8分も前に太陽から旅立って、冷たい真空の空間を旅してきたのに、それでも暖かい。世界・宇宙のすべてを司る根源の光の実体を。光は一種の電磁波だなどと迷解答で逃げないでほしい。それでは電磁波は何故暖かいのですか。光の振動数が温かさの原因になるからですか?何が振動しているのですか。電界と磁界ですか?電界とは何ですか?磁界とは何ですか?例えば植物の光合成に電磁波の意味が必要ですか。光合成には、ただ光のエネルギーだけで何も電磁波などでなくて良いのではないですか。本当に自分の心で納得しているのですか?お日様に当たると暖かい訳を説明してほしい。光が衣服に当たるとその速度はどうなるのですか。その時光は何になるのですか。どのような物理現象を起こすのですか。振動数が熱に変化するのですか。科学理論は広く自然現象をより少ない基本から総合的に解釈できるものでなければならない筈でしょう。細分化された現代科学研究を統一した自然の本源から見る易しい科学論の提示が欠かせないと考える。なんといっても自然は易しく、純粋であるからこそ、多様性に富み不思議と謎の姿を現す。

光の結節点

電気回路現象と光の伝播現象が同じ物理現象に観えてきた。空間定数とエネルギー伝播現象で取り上げた図である。分布定数回路の定在波や伝送線路の負荷端でのエネルギー反射現象など、すべてエネルギーの伝播空間での伝播媒体の境界での現象が重要な基本的意味を持っていると考えるに至った。光の様々な現象もその媒体の空間特性がその物理的本質を担っていると考えざるを得ない。その境界点・面を光の結節点とした。

特別高価な実験装置もなく、精々レンズ程度で他に観測装置もなく、自分の眼球と周りの景色から感じ取る感覚だけから光の世界を覗いて、そこに描ける姿を表現しよう。

横道にずれるが、実は昨日、眼球の光ファイバーと色覚 (2010/11/28) に追記した。ご専門の皆さんは、人の眼球機能をカメラと同じ原理でご理解なさっておられるようです。網膜に視界を捉える機能の細胞が有ると。眼球構造の網膜は球面をなしています。カメラで球面構造に焦点を結ぶ光学的光路が物理的に可能とは理解できないのです。人は水中に潜ると、ゴーグルなどで目の角膜と空気層の境界を作らないと視界は見えない。光の所謂結節点の問題です。眼球内の水晶体と硝子体液の媒体間の光の屈折現象の光学問題として考えた時、どう考えても凹球面網膜に焦点を結ぶとは考えられない。それと、黄斑の点々が眼底検査で何故観測されるかの説明が無ければならない筈と思う。硝子体管のファイバー断面と考えた最初の理由がそれである。眼球型カメラを取り上げて考えた。

光の結節点の具体例は屈折現象であろう。

光の伝播現象は光エネルギー密度波の縦波が伝播する空間媒体の物理的空間特性に掛かっていると考える。空間をどのような物理特性として解釈するかがまず明確でなければならない。微細の空間構造物質の原子・分子特性を論じる前に、巨視的な捉え方で解釈したい。電気回路に関係付けた空間定数に誘電率εoと透磁率μoがある。真空空間が単位長さ当たり、インダクタンスと静電容量の空間定数を持っていると解釈する手法である。空間にコイルやコンデンサがある訳ではないのに、何故そのように空間特性を解釈すると電気回路現象と光の空間伝播現象が統一的に捉えられるかが不思議であるが、実際の技術的解釈に都合よく合致している。

屈折現象 

屈折はエネルギーの減速 空気中でガラス板を通した光の屈折現象を考えてみる。屈折の解釈にはホイヘンスの原理がある。ガラスの空間定数をμ[H/m]とε[[F/]とする。プリズムでは、光が分光する。その訳は何だろう。虹ができる。その訳は何だろう。光の波長とは何の長さの事か。光の空間像を現代物理学理論ではどのように捉えているのか。振動数や波長を空間的な像で捉えているのだろうか。振動数がエネルギーを表すとはどの様な意味で解釈するのだろうか。物に電界と磁界のバイブレーションで作用するというのだろうか。実際は誰も理解できないと疑問を抱かずに、みんな納得出来ている事がとても不思議だ。振動数で温かくなる訳をどのように理解しているのでしょうか。誰も質問しない訳は何だろうか。現代物理学理論様にお尋ねいたします。プリズムの分光は何が原因か。波長によって速度が違うからである。光の波長とはエネルギー空間密度の縦波の波長である。垂直に入射した場合は、分光が起きているとは見えないだろう。しかし入射が垂直から傾くと、波長の短いエネルギー密度が高い程媒体内での速度が減速する。伝播定数γ= √(με) [s/m] がエネルギーの波頭値密度が大きい程、μがその流れに抵抗する作用が強く効くからと考えたい。なお、誘電率εが高くなるからエネルギー吸収で減速に強く効く(推論)。 

レンズの屈折

レンズと光路 レンズも光エネルギーの伝播空間の空間特性を透磁率と誘電率で評価する。空気との境界での結節点で起きる屈折現象はその空間特性の差による。レンズは誘電率が大きいが透磁率は空気と同じ程度とみられよう。

むすび

電気回路の現象が電気工学の技術理論ではとても便利に分かり易い理論に完成されている。電圧と電流と言う技術概念によって初歩の回路解析理論が習得しやすく完成している。しかし、その理論も厳密に解釈しようとすれば、自然現象の本源からは離れた技術理論になっている。自然には『電荷』や『電子』などと言うものが実在する訳ではない。それらは人が自然現象を理解しやすく簡便に作り上げた解釈概念でしかない。結局電線路もその導線の間の空間を光と同じエネルギーの密度波が光速度で流れているだけなのである。そんな途轍もない光の速度で流れるエネルギーを感覚的には捉え難いであろう。しかし、科学技術理論と自然現象の関係を知ることがこれまた極めて大切なことである。間違った理論に染まらないためにも、より単純な自然の姿の本質を理解した上で、高度な解釈技術論を学習することが大切なのであろう。まだまだ自然の本質など、余りにもその純粋さが故に不思議の世界としか見えない。せめて、光のエネルギーとはどの様な空間像か、振動数とはどの様な意味かを理解してほしい。また、決してそのエネルギーの姿を科学的手法で観測は出来ない科学技術の限界も知ってほしい。光量子空間像(D線) (2019/05/03)。

大学と基礎研究

はじめに

大学の研究は如何にあるべきか。基礎研究とは本来経済的利益を目指すものばかりではない筈だ。経済的競争に有効に働く結果に結びつくこともあろう。失敗の連続で終わり、有効な結果を得られなくても、失敗の訳を明らかにできれば、それも立派な基礎研究だ。新しい視点で研究をするため、常に疑問や不思議を感じ取る感性を磨いていることが研究者には求められよう。忙しさに紛れて、研究ができないこともあろう。しかし研究の芽は、道を歩いていても、ボーと空を眺めて居ても、突然閃くものでもあろう。それは日ごろ考えていることの証でもある結果として生まれるものであろう。今でも不思議に思えることがある。以前「参照基準の何々」という教育の指針の報告があった。本当にそれが教育者が参照にして教育をするというのだろうか。「過去の伝統を守って云々」とはいったい基礎研究をどのように理解しているのだろうかと疑わざるを得ない。『電荷』とはどの様な物理的実在か?と疑問にも思わないのだろうか。電流とは電子の逆流と言って納得しているのだろうか。今年になって、分布定数回路を取り上げ、自分と問答をした結果、疑問への答えの一部を得た。教科書の中身であれば、何も経済競争に役立つものとは言えないであろう。科研の競争に挑むようなテーマでもなかろう。そんな地道な研究こそ、企業では投資の対象としないから、大学で取り組むべき重要な基礎研究であるはずだ。高度な最先端の研究においても、理屈に合わない結果に悩むこともある筈で、その時に電荷に縛られては、折角の研究をも捨ててしまう危険がある。そのような場面で役立つ筈の研究課題ならいくらでもある筈だ。電荷を否定すれば、『イオン』とは何か?も大きな意味を持っているはずだ。今回も一つの電気回路の思考実験として課題を取り上げて提示したい。

電源は何故負荷状態を知りうるか。(まだ確たる結論に到達できていない。問答の「問」だけである。)

決して電流概念では解答を得られない問題である。50Hzの2線式の送電線路があると仮定する。その亘長を1500㎞とする。その亘長は正弦波波長のちょうど4分の1で、位相角90度分に相当する。電源電圧値が立ち上がりの丁度零の時、負荷端の電圧値は幾らでしょうか。その時の電圧値はちょうど負の最大値になっているはずです。電源電圧と負荷端電圧が同じくない訳である。これはオームの法則で解釈できない電気回路状態である。これも電気回路現象である。所謂分布定数回路として考えるべき問題となる。こんな問題も教育としては重要な基礎理論の問題なのである。実際は正弦波交流でなくても、直流送電であっても交流と変わりない同じ原理による基礎理論(それが未だ教科書にはない新しい認識)で解釈しなければならない現象なのである。こんな日常的な思考問題も、経済競争に何の役立つように見えなくても教育上は極めて重要な基礎研究の筈だ。電源と負荷端の電流は同じ値にはならないことがお分かりと思う。電力、電気エネルギーを供給する電源では負荷に応じて制御しなければならない。どのような制御対象の電気量・負荷状態を検知するのだろうか。実際の電力系統制御は問題なく現実に有効に成されている。何も問題は無かろう。しかし、その基礎理論が技術理論で、短距離の問題としては不都合は無かろうが、自然現象の本質を捉えていないと、教育上は誤ったことになる。電子が導線金属内を流れるなどの誤りになる。この教育上の問題は科学技術教育と自然現象の理科教育で、その取り組み方を明確に区別したものとしなければならない課題となる。電気物理現象としては、線路空間を伝送されるエネルギーの光速度伝播現象しかない。電源での制御対象は電圧値と周波数しかない。電流は監視量ではあっても制御対象にはならない。供給エネルギーが負荷の要求するエネルギーに対して不足すれば、発電機の回転数が低下し、周波数や電圧が下がる。電圧、周波数を一定に保つため、供給燃料や供給動力を制御する。制御するものは『エネルギー量』一つである。(2020/01/05)追記。この『エネルギー量』一つであるという意味で、単位のジュール[J]は物理学的定義に基づく量の概念であるが、良く燃料の量キログラム[kg]などと捉えるかも知れない。燃料はエネルギーに非ずで、認識していただきたい。

図1.電圧(エネルギー)の分布と伝播

電線路が長くなると、電圧も時間遅れを伴って、線路に沿って分布する。電源電圧vsに対して、位置 l ではγl[s]だけ遅れた波形となる。この意味は電線路が短いか長いかには関係なく、基本的に起きている現象である。そこに、電流がどのように流れるものかという問答が含まれていることでもある。電線に電流が流れるのか?という物理現象を問うことでもある。すべての電気現象の本質は空間を伝播するエネルギーの流れに基づく現象である。3kmの配電線路で、その送受電端間には裸電線でも、 10[μs] の時間遅れがある。電気物理としての現象は電源と負荷で同じ電流になるという理屈は成り立たないのだ。だから電源では負荷状態を如何なる訳で知りうるかとなる。このような考究は決して経済的競争の利益を伴うものではない。だからこそ大学での基礎研究として取り組まなければならないであろう。

電源と負荷間のエネルギー伝播・反射現象。

電気エネルギーは電線路空間を光速度で伝送される。電源は電圧と周波数を監視制御する。電圧は線路定数の静電容量C[F/m]によって、その伝送エネルギー流の線路長さ当たりの密度[J/m]は決まる。そこに光速度流によるエネルギーの往復・反射現象が隠れているのである。ここに辿り着くまでに電圧―その意味と正体―などで電圧の物理的真相を探った過程がある。電気回路の現象は電線路の特性インピーダンスと言う線路固有の定数が空間伝播エネルギー量を決め、電源は反復反射によるエネルギー分布の電圧を規定値になるべく制御するだけである。

負荷端エネルギー反射現象。

エネルギー反射はどのような仕組みで起こるか。電線路がC[F/m]と L[H/m]の間での繰り返しによってエネルギーが伝送されて負荷端に到達する。負荷が持つ電気的構造による特性値と電線路との特性値との間の伝送エネルギーの挙動が決まった或る関係によって引き起こされる筈だ。そこで例えば負荷抵抗の物理的構造特性をどのように解釈するかに掛かってこよう。抵抗の次元は[(H/F)^1/2^]=[Ω]で、基本的には抵抗内部構造も静電容量[F/m]と誘導容量[H/m]の組み合わせと見做さなければならない。これは予測としてのこれからの考察によって決まる内容ではある。抵抗値が大きいか小さいかはLとCの比率と見做せる可能性がある。それは科学的検証が得られる結果になれば、成功となる。『エネルギーの物理的特性』としての解明の課題と思う。大学の基礎研究として。それほど経費は要しない筈だ。

むすび

しばらく考えてみた。しかし負荷の純抵抗の意味さえまだその物理的特性を捉えきれない。止むなくこのまま未解決の基礎研究課題として筆を置く。抵抗と言う電気材料がエネルギーをどのような機能によって熱化し、さらに光として放射するか。そのエネルギー変換機能の物理的解明が課題である。本当の基礎とは難しいものと認識した。

電荷と電圧の哲学

科学哲学という分野がある。前からその意味がはっきり捉えられないでいた。科学と哲学はそれなりの異なる対象を考える学問分野に思える。科学は自然の世界を対象とし、物理学や科学技術論になるのだろう。哲学は人生の意義や神の存在など明確な結論を示し得ないような深い混沌とした内容を対象にした学問分野のように思える。その中で、科学哲学と言うとやはり科学論の中身をかみ砕いて、その意味や概念の論理性、論理的矛盾など論じる分野のように思う。

哲学者の科学論 哲学者は科学論や科学概念に疑問を抱いても、その内容に深く切り込むには具体的に論理を展開するにはなかなか困難であろう。科学論に広く精通していることが欠かせないから。

科学者の哲学 一方科学者は、その理論、基礎概念に対して矛盾は唱えにくい。広い分野の中で、自分の専門に異を唱えることは自分の存在を否定する危険があり、その分野での生活権を失うことになる。また他の分野の事に異を唱えるべき必然性は何もないし、社会的摩擦を被る危険がある異論をわざわざ唱えるのは慎むため、哲学にはなりにくいだろう。

科学論の伝統と哲学 何百年に亘り築いてきた積み重ねの基礎概念と理論、法則はほとんど哲学的検証の対象にはなりにくい。そのため科学理論の伝統的思考形式は強固に守られ、哲学的検証の対象にはなりにくい。その意味を電子で考えてみよう。

電子像 電子像とその概念は科学理論の根幹をなす基礎の岩盤となっている。

電子 Wikipedia によると次のような詳細な数値で定義されている。

負の電荷 e=-1.602176634×10^-19 [C]

静止質量 m=9.1093837015×10^-31 [kg]

原子物理学の原子構造も電子が欠かせない主役になって理論づけされている。エレクトロニクス全盛期の科学技術社会である。その中に、上に示したような電子の物理量の定義が示されれば、それ程精密な桁数の数値に対して、異論など誰も唱えようがない。その定義過程を知り得ないから。10桁の数値がどれ程の信ぴょう性を持つというのだろうか。その結果科学理論は哲学的な検討課題にはなり難く、その古い伝統は強固に守られる。そこに科学論、基礎概念の社会的安全圏が確立する。専門領域と言う踏み込めない壁の構築に寄与する新しい理論が幾重にも複雑化して、それに依って保証される業界が完成する。その一つに電子像の10桁がある意味証拠となろう。

『電荷』とその概念否定。

1987年4月、『静電界は磁界を伴う』の発表で科学冒険が始まった。それは自分が研究の拠り所とした科学技術概念を切り捨てる危険な道であったと今に知った。ただ『電荷』は実在しないという確信だけが頼りであった。どんな世界かを考えるゆとりもなく翻弄される無知の道だった。静電界は静止電荷の周辺に生じる電気的ストレスの状態を意味する。そのストレスは静的な状態の事を言う。電気理論によれば、磁界は電荷が運動する事で起きる電流によって発生するその近傍空間の磁気的ストレスを評価する技術概念である。電気理論によれば、移動しない電荷の周辺空間には決して磁界は発生しない筈である。その『電荷』が静止している空間に電界は発生しても、発生しない筈の磁界が存在すれば、電気理論の論説とは相容れない現象となる。電気理論の根幹をなす『電荷』概念の否定を、電気技術感覚からの予測に基づいて証明した実験結果である。既に32年前の事である。『電荷』の存在を否定することは、科学理論のほとんどを否定するに等しい。それは同時に、電子の存在を否定することでもある。それは、上のWikipediaの電子概念を否定することになる。それはもう科学論の範疇を超えて、いわゆる哲学の内容となると考える。イオンとは何か?の哲学論にもなる。決して科学的実験での証明はできない領域である。電子の発見は1897年、J.J.Thomson が陰極線として発見したことで始まった概念と思う。放電管の陰極側から放射される何かがあると確認される。それがエネルギーの流れとみれば、説明がつくと考える。その陰極線のビームがプラスの電極に流れ込んで電源まで戻るとは考え難い。放電管内の放電現象として、エネルギーが光などの放射現象で消散すると考える。

電荷とエネルギーと電圧。

電線路間には電圧がある。確かに電圧計で電圧値を計測できる。しかし電圧計で計測している意味は決して電荷量を測定している訳ではない。

電圧の負電圧は意味があるか?突然脳の片隅に浮かぶ。考えれば分からない。自己問答の始まりだ。今まで意識にもなかった疑問だ。

電圧波形を描けば、時間軸に対して正と負に振れた波形となる。当たり前の伝統的電気現象解釈法だ。電線路は何を伝送する設備だろうか。電気回路では電圧と電流及びその波形で回路現象を理解する。電気概念には様々な技術量がある。しかし、電線路で伝送しているのは結局『エネルギー』だけである。電圧でも電流でもない。『エネルギー』は電圧・電流とエネルギーと時空で電圧の2乗にその意味が隠されていると分かった。そこに、分布定数回路の中に繰り広げられるエネルギー伝送現象を考えれば、電気回路は『エネルギー』一つの伝送空間であると言える。『エネルギー』の流れる現象を電圧・電流の技術概念量で解釈している訳である。そこで、何故電圧は正と負で波形を表現するのか?という疑問が沸いた。電線路に『電荷』が分布している訳では決してない。伝送される『エネルギー』の流れる方向を電圧の正や負で表す訳ではない。基本的には電源から負荷に向って、同じ方向に流れている「エネルギー」を電圧の正、負で描く意味はない筈だ。電圧の正と負は何を表現するものか。『エネルギー量』を観測できれば良いのだが、それは不可能なのである。現実に世界に存在している『エネルギー』のその姿を観測する術がないのだ。電圧はエネルギーの空間静電容量に蓄えられた電線路単位長さ当たりの量の平方根を評価した概念と解釈できる。即ち Cv^2^ [J/m](最近2分の1の係数は意味が有るのか?とわざわざ書くのを控えている。) のエネルギーが電線路の静電容量 C[F/m] に分布している意味を電圧 v[V] で評価するのが技術の優れた現代科学技術文明と言えよう。その時、電圧の負に意味があるかと問答になる。それが哲学であろう。科学概念の自然現象の中でその真の姿を解き明かすのが本当は理論物理学の役割と考える。しかし、物理学理論は電圧、電流の科学技術概念をそのまま自然界の姿の真理と捉えているようで、信用できない。だから物理学理論では、自然の真理を深く考究している学問分野と言えるかという疑問を抱かざるを得ない。そこに、哲学あるいは科学哲学という意味が必要になってくるものと考える。

問答の答え。答えに辿り着けば、問答の価値があったのかと笑いたくもなる。

『エネルギー流』の極性が電圧の極性である。電線路の伝送エネルギーの流れる空間は電圧極性によってその負側を流れる。電線路の空間の中央を流れるのではない。負の極性側の電線路導体の近傍空間(絶縁体導線なら、その絶縁体内の空間に比重が係ろう)を流れるのだ。その意味は、32年前には不確かさとして決めかねて来た疑念であった。マグネットやコンパスの磁極近傍空間の空間エネルギーの軸流の方向を確信するまでの長い問答があった。ロゴウスキー電極内のエネルギー流の模様の確定に長い時間を要した。地磁気の物理概念もすべて統一した解釈に到達できた。それもコンパスの磁極近傍空間の軸性エネルギー流が確信できたからである。その事と今回の分布定数回路空間のエネルギー流との関係を整合しただけの事で答えになった。磁界・磁気概念の本質に磁場空間の電磁場の意味をエネルギー流として解釈して示した。

エネルギーに静止はない。

光の空間エネルギーのように、光速度が標準的と見做せよう。エネルギーが静止したときは質量になった時。地球座標での位置エネルギーは質量に付帯したエネルギーであり、定義では静止のごとく見えるが、地球が回転している限り静止ではない。分布定数回路におけるエネルギー伝送現象で、受電端でのエネルギー反射は基本的には必ず生じる。特性インピーダンスとの負荷整合でなければ。伝播定数に従ったエネルギー往復振動現象が基本的である。そのエネルギー線路分布が線路電圧の意味である。その電圧制御を電源が基本的に採る。電源は負荷からの反射エネルギーを総合的に監視していることになる。<問答>負荷と特性インピーダンスの関係がエネルギー反射現象を決めると解釈するが、その詳細は今後の問題だ。大学と基礎研究  記事で考察中。

特性インピーダンスとエネルギー伝送特性

はじめに(すでに公開した心算でいた。8月末の書き出し記事)
直流回路ではインピーダンスという捉え方をしないのが一般的だ。ほとんどオームの法則で、抵抗回路として取り扱う。しかし考えてみれば、電気回路は直流用と交流用と違う回路を使う訳ではない。電気回路はすべて、分布定数回路なのである。一般に、直流回路解析でインピーダンスは使わない。しかし乍ら電線路の構造は全く同じである。二本の電線を張ればそれは必ずコンデンサとコイルの機能を持った電線路である。電気工学としての直流回路の取り扱いでは、インピーダンスなど必要ないだろう。だが、電磁気現象として考えるとき、電気工学ではなく物理学としての回路現象が大切なはずである。負荷が変化したときのエネルギー伝送特性はどのような意味で理解すべきか。それは必ずエネルギーが分布定数回路の中を伝播する現象となる。何がその伝送特性を決めるかが物理学の問題になる。今、「電気回路のエネルギー問答」の記事を書いている。その中で電力の意味で壁に突き当たっている。時間軸上に描く電力波形p[W] のエネルギー時間微分値という瞬時値とはどの様な物理的意味を持つものかと考えれば、理解に窮してしまう。エネルギーの電線路伝送問題の筈であるからと、電力の意味の思案の途中に居る。その中での一つの問題として、直流も基本的にはエネルギーの伝送問題の筈と思い、直流回路の電線路の分布定数回路としての特性インピーダンス問題を取り上げようと思った。(2019/09/19)この記事は8月末に「直流回路のエネルギー伝送特性」として書き始めた。しかし書き進む内に特性インピーダンスの算定の話に変わってしまった。その特性インピーダンスは空間の電波や光の伝送特性初め、電力送電線路や超高周波伝送路に共通した物理的意味を持っていると考えれば、そのすべてに統一した特性としてとらえるべきと考えるに至った。そこで表題を改めて、特性インピーダンスに絞ろうと考えた。この特性インピーダンスに関する記事に、既に特性インピーダンスから見る空間の電気特性という記事があった。その時点より、統一的に電気現象を捉えた筈である。

エネルギーの電線路空間伝送

電気エネルギーは決して『電荷』によって運ばれる物理量ではない。『電荷』を具備するという電子や陽子が電線路導体内を流れ伝わると言われても、そこには『エネルギー』を運ぶ論理は観えない。『電荷』は回路を往復周回する論理で理解されるから、行きと帰りで『エネルギー』の運び手としての役割を果しえない。『エネルギー』は電線路内の空間を伝送される、即ちそれ自身が実在する物理量として空間を伝送すると解釈しなければ、物理学理論としての論理性は観えない筈だ。『エネルギー』は他の代替物理概念量によって伝送され得るものではない。『エネルギー』自身が空間を光と同じく伝播するものである。そこには光が空間エネルギーの分布波であるという基本認識がなければ理解できない壁となろう。直流電気現象も、電線路の分布定数回路の空間を伝送するエネルギー伝送現象と理解しなければならない。電子などが流れる現象ではない。超高周波のマイクロ波通信だけが分布定数回路の伝送現象ではなく、直流も全く同じく、その伝送は分布定数回路伝送現象なのである。

先に記事光エネルギーと速度と時空で取り上げた右のエネルギー伝播の図がまさしく直流回路のエネルギー伝送の話になっていた。この分布定数回路で、負荷抵抗が特性インピーダンスと同じ値の場合が負荷端でのエネルギー反射現象が起こらない伝送現象になる。ある払い下げの通信装置の発振回路部を利用して、筆者が作成して生徒実験として取り入れた分布定数回路の報告記事があった(何故かこの部分が印刷から除かれるので書き換えた)。それが 分布定数回路と実験 である。そこに超高周波であるが、分布定数回路のエネルギー伝送の意味を理解するに参考となる実験データが載っていた。その負荷抵抗が特性インピーダンスの場合(第8図の特性インピーダンスに等しい負荷抵抗が500Ωの場合がそれである。)の定在波測定結果で、ほぼ一定値になっていることにその意味が示されている。それは負荷端でのエネルギーの反射がない伝送形態である。このエネルギーの反射現象で、驚くべき実測結果が有るといわれている。それは送電線路の開閉サージの電圧が定格電圧の7倍まで上昇した異常現象が起きたと。それは線路絶縁対策としては大問題である。送電端と無負荷受電端間のエネルギー往復反射の結果による現象である。電線路とはそのように、如何にも分布定数回路としてのエネルギー伝送に伴う複雑な特性を示す回路だ。単純な電線路ではない筈だ。少し脇道にそれたが、電線路は物理的なエネルギー伝送現象の空間であることを先ず認識して置かなければならない。

電線路と特性インピーダンス 分布定数回路と実験 の記事の線路定数を例に、特性インピーダンス500Ωの場合の分布静電容量C[F/m]と分布インダクタンスL[H/m]の定数値を算定してみよう。上の分布定数回路と実験のページ -123-に

Zo=(276/√εs)log(2D/d)=500[Ω] (2)

なる式がある。この式は、参考書の 新版 無線工学 Ⅰ 伝送編 宇田新太郎著 (丸善)p.95 に(4.6)式として載っている。この式の算出法が理解できないでいる。

そこで、平行往復導線の特性インピーダンスZoの算定法はどうするかを考えてみる。筆者は、電力工学での送配電線路の定数算定法を昔学習した。その教科書を紐解いてみれば、インダクタンスは線路電流による磁束鎖交数からの解釈であり、静電容量は電線路分布電荷がその理論の基をなしている。その理論的解釈で、実際の送電線路の回路定数・分布定数[mH/km,μF/km]が的確に算定されている現実の不思議をどう理解すべきか。

Fケーブル(屋内配線用)の特性インピーダンスの試算

上の算定式(2)式が高周波での特性値として極めて正確に思える。ちょっと寄り道をして、方向違いの商用周波数用屋内配線用として多用されるFケーブルの特性インピーダンスを算定してみよう。1.6mm銅線2本の平行ケーブル。絶縁厚0.8mmでD=3.2mm 、d=1.6mm とする。さらに、ビニル絶縁材の比誘電率εs=4.5とデータから選ぶ。そこで得られた特性インピーダンスはZo=78.3[Ω]程度と算定される。以上は一つの比較算定例とする。

特性インピーダンス算定式の係数、[276]がどのような根拠で得られたか?その訳が一つ解決した。送配電線路の教科書の中から糸口を探せた。そこで、まず特性インピーダンスの算出根拠を論じる前に、その手法の論理の妥当性を考えたい。それは最初にインダクタンスの算定手法について、電流 1[A] の物理的空間として、別に取り上げる必要があろうと考えた。インダクタンス算定式にまとめた。

同じく静電容量算定式についても纏めたい。静電容量算定式と理論にまとめた。