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結合エネルギー:不思議の砦

結合エネルギーの世界
最近高等学校の化学の授業内容で結合エネルギーがあることを知った。ヘスの法則も1840年頃の発表であったらしい。しかし1954年に受けた授業の化学には無かった内容のように思うが、勉強しなかった為に知らなかっただけなのかも。筆者の知らない世界の化学であった。時代遅れを恥じる。結合エネルギーと言う用語は、高等学校での電気工学の教科「発変電」を教える時に、原子核分裂の物理現象の解釈理論として学習書を通して初めて学んだ。原子理論の質量ーエネルギー等価則として理解して来た。その原子理論の結合エネルギーを今考え直してみると、混乱してしまうほど理解できていない自分に戸惑う。筆者も高校1年生で化学の授業を受けた。原子結合の共有結合がクーロンの法則の原則に従わずに手を繋ぐ意味が分からず、化学への学習閉塞を来たしてしまった過去が在る。そんな過去を今まで引き摺って来たのかと思うほど、高等学校の理科の科目、化学の結合エネルギーと原子核理論のそれとは真逆の意味ではないかとさえ錯覚するほど混乱をしている。原子の鉄を境にして変わると原子論では唱えられる。そこで、結合エネルギーの物理的意味は『エネルギー』の空間実在量として解釈する時、どのようなものと捉えれば良いか疑問に突き当たる。高校生が学習できるのに筆者には理解できない現在の化学の結合エネルギーのように思う。結論への話がマグネットの結合模様につながればと儚い期待を持って。結合エネルギーの空間像をどのように描き得るかと。

高等学校の理科「化学」での結合エネルギー その結合エネルギーの意味は原子結合での外殻電子の共有結合の結合エネルギーとして解釈しているようだ。その時の電子の結合に果たすエネルギーをどのような物理的意味で捉えているかと解説を読んで確認しても、極めて漠然とした曖昧な意味にしか見えない。共有結合とは、どのように『負の電荷と質量を統合して空間を支配する実在物の電子―これが専門家の素粒子論で曖昧な実在性のままだ―』と言う素粒子が互いに他を共有し合うという結合の理屈が見えない。何故電子同士が結合の力を生みだし得るのか。その共有結合という役割を担う科学論の論理性に基づくエネルギーがどのようなものと捉えているか?その電子同士の結合に関わるエネルギー概念の論理的な解釈・意味合いが全く見えない。それは考える科学と言うより、科学常識を覚える理科教科にしか見えない。生徒も疑問に思っても、授業を邪魔してはいけないから、何故かとは質問もし難かろう。筆者もこの度初めて化学結合の結合エネルギーと言う解説が在ることを知った。検索から学習させて頂いた。しかし残念ながら、筆者の能力では化学での結合エネルギーの意味が理解できない能力不足の壁に突き当たったまま前進できない。その疑問が結合エネルギーの専門家の解説を読んでも、高い砦となって立入れない始末だ。その疑問を恥ずかしながら、ここに記したい。

結合エネルギー 結合エネルギーの意味が理解出来ずに、その疑問の対象に水素、酸素および水について検索から拾った関係式を挙げた。先ず、(1)、(2)式について考える。(1)式は2個の水素原子が結合して水素分子になると、432kJのエネルギーが放射されるという意味なのか?水素原子が分子でなくても普通に存在するという意味か。その原子が2個結合すると放射するエネルギーと水素分子で式の等号がエネルギーの等価の意味で成り立つという意味で捉えたくなる。当然質量がエネルギーとして等価換算された意味での等価性として。その上で、2個の水素原子が結合すると、その水素分子は質量が減少して、結合のエネルギーに費やされてしまうそのエネルギーが432kJの結合エネルギーだという意味か?総体として質量のエネルギー変換量と質量の総和はエネルギーとして同じ意味でなければならないと考える。式の等号の持つ意味に照らして、その+432kJの意味が理解できない。(2)式の酸素の関係についても同じく理解できない。(3)、(4)式の水の生成について286[kJ]と言う生成エネルギーが在ることも初めて知った。この式の意味するところは燃料電池との関係でとても興味を持つ。286[kJ]のエネルギー量は化学の標準気圧で温度273[K]での評価量であろう。燃料電池は水素ボンベの高圧ガスが使われるから水素の保有エネルギーは高いものである。そのような実際の技術との関係で解説が欲しい。その時本当の意味で、286[kJ]の意味が分かる筈だ。燃料電池は電気エネルギーの供給源で、電子で解説されるが、この286[kJ]を電子が負荷に運ぶのだろうか。そんな意味が理科の化学に解説して頂かなければ、「理科基礎」への統一は困難だと思うから。

燃焼 前にお恥ずかしいながら、焚火の科学などを書いた。それも今年(2018/05/26)の記事だ。結局この式を知らなかっただけのことであった。炭素と酸素の結合エネルギーと言うことで、高校生の化学の教科書の内容である。そこで考える。焚火の科学にも有る、何が等価であるか である。上の394[kJ]のエネルギーが結合エネルギーと言う意味なんだろう。炭素と酸素が化学的に結合して、炭酸ガスになる。ここで解説によれば、炭酸ガス1[mol]を分解するには394[kJ]のエネルギーを加えないと、構成要素の炭素と酸素に解離することが出来ないとある。その意味を咀嚼すれば、394[kJ]はCO2の分子の中に結合力として内在しているエネルギーと言う訳ではないようだ。それなら結合エネルギーと言う表現の用語の意味とは異なるように思う。分子CO2内に結合の働きとしての役割を持っているなら、その中に在るエネルギーの筈である。従って外部から394[kJ]のエネルギーを加えて要素に分解するという意味とは異なると思う。新しい大学入試試験問題の内容も記憶だけでなく思考力を重視すると考えられているようだ。この結合エネルギーと言う意味を取上げても、そのエネルギーと言う意味を教育する側が具体的にどのようなものと納得できているのだろうか。何かただ教育手法として過去を引きずっているだけではないか。やっと燃焼の意味が分かったかと安心したのだが、良く考えると能力不足から高校生が学習する内容さえ理解できないで混乱している自分の無様を恥じる。疑問が増えるだけで、理解に至らない。炭素C、燃料の薪を燃やす時の化学的燃焼現象を日常生活の中で理解することが自然科学の理科の教育内容として求められることであろう。炭素と酸素を反応させるには条件が在る筈だ。炭素の1モルは炭素分子(ガス)と言う捉え方はしないようだ。炭素がガス化しないと燃焼条件を満たさないだろう。炭素と高温水蒸気との関係での結合もあるようだ。394kJのエネルギーがどのような意味を持ったものなのかが明確でなければならない。燃焼の発熱エネルギーは結合エネルギーとは関係ないものなのか?炭素と酸素の化学的結合で発生する熱エネルギーが幾らか、またその燃焼環境条件が何かが日常生活に関係した自然科学論として教育すべき内容になると思う。山に柴刈りに行って、薪を蓄え生活の竈を守る営みの中で燃料・炭素の酸化現象は飛び抜けた燃焼の意味になろう。単に結合エネルギーで説明が付くとは思えない。そこには原子構造で硬い粒子の原子構成要素と言う捉え方でない、エネルギー粒子が見えるからの解釈である。当然「電荷」は実在しない事になる。同様に水素燃料電池の発電エネルギーと結合エネルギーの286kJとの関係も明らかにされなければならないと思う。

原子核分裂理論の結合エネルギー 

科学技術の拠り所が原子論である。エレクトロニクスは現代社会の情報革命を成した。エレクトロンはその根源概念の電子である。原子構造論がなければ電子もなかった。原子構成の基は陽子、中性子そして電子となっている。人の意識には『電荷』が在って初めて科学を論じられる。自然の世界は『電荷』の支配と人は意識する。その中でその『電荷』を否定する観点から原子構造に疑問を掛ける。原子核分裂元素で発電技術に利用されるのは殆どウラン235である。核分裂における結合エネルギーは化学結合の結合エネルギーとは意味合いが異なる。原子核内の陽子と中性子が結合することによるその原子の質量欠損分を結合エネルギーと評価しているようだ。基の陽子と中性子の質量の総和よりウラン原子の質量が減少していることを質量欠損として捉え、その質量減少分のエネルギー換算値を結合エネルギーと呼んでいる。そのウラン原子核が核分裂すると、エネルギーが放射されるとの論理が核分裂現象の理論となっている。おかしくは無いか?核分裂の前後で少ない質量から分裂後に質量が増える結果になる。ウラン原子が中性子と陽子の質量の総和より増加していれば、分裂によって質量がエネルギーに変換したと理屈が成り立つ。核分裂して分裂後の質量が増えていれば、核分裂で質量がエネルギーに変換されたとは成らない筈だ。原子核理論の結合エネルギーの意味は、核分裂によるエネルギー放射の理屈が成り立たないではないか。確かに分裂後に陽子と中性子になる訳ではないが、分裂後の分裂原子の全ての質量を算定するなど不可能である。検証はできないが、質量が欠損したウランのどこに質量がエネルギーに変換される論拠が在るのだろうか。実際に原子核分裂でエネルギーを利用している。結合エネルギーの意味にはエネルギーを生み出す原理が見えない。もう一つ理解できない原子核分裂理論が在る。ウラン235はウラン鉱石に0.7%しか存在しない。ウラン238は99%も含まれているが、それは核分裂燃料には成らないようだが、その訳は何故か?自然界の存在限界に近い質量のウランでありながら、何故238は分裂しないのか。その理由が明確でなければ原子核理論が論理的とは言えない。人の科学理論の理解し得ない砦の魔境が在るようにも思える。

マグネット結合 

マグネットは天からの贈り物だ。眺めても何も見えないのに、周りに不思議な力を作り出す。魔法の力だ。物理学でも、磁束を作り出す『磁荷』は世界に存在しない事になっている。電束の基は電荷となっているから、磁荷がなければ磁束も無い筈だ。とは言っても電荷が実在しないにも拘らず電束があると解釈されている電磁界理論であるから、磁束を責める訳にもいかない。実在する世界の根源要素はエネルギーだけで十分である。マグネットもその近傍空間、NSの磁極近傍のエネルギー流がその磁気の機能を特性付けているのである。1年程前に水と水素とエネルギー流として絵図にした記事水の妖精七変化(エネルギー)が在る。水素をマグネットのエネルギー流として解釈した。次のマグネット結合になる。

マグネット結合 結合エネルギーは質量欠損と関連付けられている。結合すると安定するから質量が減少すると解説される。質量は全くエネルギーと等価である。その事からマグネットの結合をその原理の解釈法に取れば納得出来ると考えた。マグネットには磁極近傍空間にエネルギー流が在る。3個のマグネットを結合したとする。それが②である。結合した結果、結合面のエネルギー流はなくなる。3個のマグネットで、6個のエネルギー流が有ったのが、その内のエネルギー流4つが消える。エネルギーと結合(2018/10/10)にも有る。

 

 

エネルギーと結合

はじめに

科学常識を逸脱した科学的検証の見込みもつかない論理の展開を試みる。ここに述べようとすることは科学理論や法則に基づくものでないから、とても科学論とは認められないかも知れない。その事をはじめにお断りさせて頂く。しかし自然界に『電荷』なるものが実在するとは到底考えられない。18世紀の科学論の始まりからその根底となって来た基礎概念である電荷を否定したら、そこに見える自然の姿は全く異なったものとして目に映ることにならざるを得ない。自然世界は何を以って形作られているか。眼で見たことも無いが、天体のお話から推論すれば、太陽系はじめ銀河や星座の形はすべて回転がその基本を成している。日々苦しめられる台風災害も、その基は回転現象である。地球だって回転している。回転が自然の構成原理でなくて、他に代わり得るものが在るだろうか。その回転は科学論の原理や法則には見えない。酸素と水素が結合すれば水分子となる。結合エネルギーで結合されていると高校理科の化学で解説されている。しかし、その真の意味を理解する術を筆者は持ち合せていない。どんな結合の力かは理解できない。マイナス電荷とマイナス電荷で手を繋ぎたいと思っても、多分断られるだろうと諦める。それは有名なクーロンの法則の原則に従えばである。しかし科学論では同種電荷の電子同士が手を繋ぐ不思議が許されている。実はこの記事を書く切っ掛けが、IT検索で初めて知った『結合エネルギー』の解説であった。その化学の基礎も知らなかった恥ずかしさがこの記事の基ともなった。せめて高校生が疑問に思うことに答えられれば良いかと、科学理論に拘らずに自由に結合エネルギーの意味に解釈を下してみたい。

エネルギー素量と極性

自然界では空間にエネルギーが実在していると考える。その姿の基本は光である。光は空間を光速度で伝播するエネルギーの縦波の波列である。光のそれぞれの最小単位は波長 λ[m]ごとの空間長のエネルギーch/λ [J]の分布波である。その空間のエネルギーの存在形態は光だけではない。ある点に留まる局所化されたエネルギーも存在する筈だ。電気回路のコイル内の貯蔵エネルギーもその一つに挙げられよう。その局所エネルギーの形はどのようなものが可能かと考えれば、軸性の回転流を思い描くことが出来よう。それが図1.である。

図1.エネルギー流と極性 p(有極性) wp(弱極性) np(無極性) 世の中にある身近な科学概念に関係する物にマグネットが在る。マグネットは日用品としてメモ止めの繋ぎ手の代表格である。物理学では磁束で解釈する。磁束が繋がると何故力を生むか、その理屈を考えても理解できない。マグネット同士を近付けると急に強い力になる。感覚的に誰もが実感できる。しかし磁束でその力の訳を理解しようとしても納得できないのではないか。近付くと磁束が太くなるという理論も無いようだから、力が距離の2乗に逆比例するという意味の理屈が見えない筈だ。結局磁気現象の理屈が分かっていないからであろう。理科教育では磁気のクーロンの法則として覚えさせるようだ。この記憶させる教育で、語学と違うのが理科教育であろう。覚えさせて、受験競争用の能力を鍛えれば、頭が固定概念により創造性の邪魔になるだけである。何故磁束で力が変化するかの理屈を説明出来るかである。電荷による繋ぎ手を否定すれば、磁気による繋ぎを考えたくなる。マグネットの力は自然の姿を映し出している筈だ。磁気現象はすべて空間エネルギー流の回転に秘められている。力の新しい解釈として空間のエネルギー流が有効と考える。エネルギー流が揃えば高密度化の方向に力が働く。磁極のN極がエネルギーの左向き回転流の方向を意味する。左ねじの回転方向がエネルギー流の回転方向で、ネジの進む方向が磁極のN極である。磁極の意味はエネルギー回転流の軸性を捉えた科学技術概念である。局所化エネルギー流の姿として考えられるのが図1.になる。磁場で影響を受けるのがpの有極性のエネルギー流である。影響を受けないのがnpの無極性エネルギー流の場合であろう。その間のエネルギー流の様態の変化もある筈だから、それが弱い有極性のwpと考えたい。このwpの小さなエネルギー流が何らかの原因で分離すれば、いわゆる電子という電荷の無いスピン流体となるとも考えられよう。このエネルギー回転流体が軸性を持つという意味で、軸性エネルギー流と言えよう。また表現を変えれば、軸性エネルギー粒子と看做すこともできる。

原子質量の概念と実像 

質量とは何かと考えると簡単にその意味をまとめられない。高分子化合物も質量体である。その構成要素は原子となる。多くの種類で捉えられる原子もすべて原子核と外殻の電子群で解説される。その原子論も、原子核内が陽子と中性子から成り立つとある。陽子はプラスの電荷を持つ素粒子で中性子は電荷の無い素粒子とある。ウランのような核分裂原子は分裂すると様々な原子になる。時には核から電子放射(β崩壊)をして原子番号の多い原子プルトニュウムにもなるという。それは中性子から電子が分離した結果ととれる。電荷の無い筈の中性子から電子というマイナス電荷の粒子が放射され、結果としてプラス電荷の陽子となるという誠に理解に苦しむ解釈が原子崩壊理論として正々堂々と科学常識になっている。そんな科学論で電荷とは何かを問わない、あるいは理屈を質さないでは置けないと思うが如何がでしょうか。そんな単純な疑問には何の数式も要らない日常用語で解説できる筈と思う。たった一つの『電荷』の概念位は、その実在性を唱える方々がどのような空間像で認識されるのかを示して欲しいものだ。プラスとマイナスの違いはどのような空間像として認識するのかを。単に磁場内での軌跡から判断出来ると言われても納得できない。素粒子とは空間に実在する物であれば、空間像を持っている筈だから。もし図1.のエネルギー回転流で粒子の空間像を解釈するとすれば、その粒子も磁気の科学技術概念に沿うものとなろう。そこには電荷の空間像を考える必要もなくなる筈だ。この局所化エネルギー粒子も質量の概念を備えていると看做せよう。原子核が有極性の陽子と無極性の中性子の組み合わせで構成されると解釈すれば、軸性エネルギー流間での磁気的核子結合力を想定することが容易になるであろう。そこに電荷は必要でない。原子核構成要素が軸性エネルギー粒子の結合体と解釈すれば、質量の本質もエネルギーとなる。

原子結合の結合エネルギー 

生体の高分子結合は主として炭素、窒素、酸素そして水素が担っているように解説されている。そこにリン等の原子が組成を成している。それらの原子同士を結合する結合手を電子などに任せる解釈には説得力が無いと思う。電子で囲まれた原子像では、余りにも原子核の原子特性に果たす役割が見えないではないか。原子特性の主役は核にあると考える。核の影響が原子周辺空間に強く出ていなければ、その原子論は説得力に欠けているように思う。そう考える時、原子外殻に電子など必要が無いと思う。水という最小の分子結合形態でも、そこには結合エネルギーが必要であろう。酸素と水素の結合に果たす役割をどのような空間像で理解しようとするのか。化学で取り扱う原子結合で結合エネルギーが取上げられていることに安心もした。木炭の燃焼や水素ガスの燃料電池で、結合エネルギーの意味が重要になる。原子核分裂では質量欠損と結合エネルギーの関係が論じられる。これらの話はすべて原子結合の意味に関わる基本的科学論に通じているように思う。この意味は2009年9月に発表した 電荷棄却の電子スピン像と原子模型 日本物理学会 第64巻2-1. p.18. にも有る。

むすび

原子表面には、核の構成エネルギー粒子群の構造が基となった原子特性が表れている筈である。磁極NとS極が4極ずつの8極を周期とした原子表面を呈すると考える。電子などの周回軌道でなく、原子表面の静止磁極分布が原子結合の空間構造を決めると考える。DNAの螺旋構造はじめ炭素原子のNS分布が分子の空間構造を決めると予想できる。カーボンナノチューブの構造も、炭素原子表面の磁極分布から単純な円筒とは成り得ないと考える。ダイヤモンドの秘め事にも関係の記事を記した。

 

技術概念『電流』とその測定

はじめに

電気技術は現代社会の基盤を成している。電気理論や回路技術さらにIT情報網は完成された必須の科学技術となっている。しかし《電流とは何か?》と検索してみると、そこに表れる解説は全く訳の分からない説明となっている。殆ど電子の逆流を言うとある。この科学技術社会で、学校教育はじめ科学常識と看做されている内容がどこからこのように決まった解釈手法に迷い込んでしまったのだろうか。『電流』は科学技術概念であり、実に素晴らしい電気計測量なのである。電流は電流計で計る計測量である。それでは電流とは何かを理解するためには、電流計で計るものが何であるかを知らなければならない。今まで『電流は流れず』などと言ってきた責任もあるから、もう一度その意味を解説したい。

可動コイル型電流計

電気回路は電源が電池のような直流が分かりやすいであろう。その回路に流れる電流のアンペア[A]の値を計る測定器の代表が可動コイル型電流計である。それは何を計っているか。

図1.可動コイル型電流計 計器を①可動コイル部構造と②内部回路で表した。回路に流れる電流I[A]をどのように計っているかが計器の動作原理となろう。電流と言うのは電流計で計ったアンペア[A]の値である。電流計は電子の流れ(逆流)など計れる訳が無いのである。電流I[A]と言うものは物理量(自然界の実在量)ではなく、あくまでも電気技術の計測手法として確立した科学技術量なのである。単位アンペア[A]も電荷クーロン[C]の時間微分あるいは単位時間の通過電荷量で定義され[A=C/s]となっている。この電荷の時間微分値等も電流計では測れない。そこで電流計が何を計っているかを知る必要があろう。

電流計は電圧計でエネルギー計測器

基本的には電流を検出するのは抵抗の電圧降下である。②の計器内部のシャント抵抗rs(回路に影響しない精密な低抵抗)に流れる電流Isの電圧降下rs Is [v] を検出しているのである。その電圧をコイルLとそれを囲んだ磁石NSの部分で、電流I'[A]という電流の大きさをコイルの回転角として読み取っているのである。電流計の心臓部とも言える部分が①可動コイル部構造である。磁石とコイルの位置関係がコイル電流I'[A]の値で変わる。磁石とコイル電流の間に働く力の関係はフレミングの法則として説明される。それが教科書の説明であり、それで電気技術者として知識は十分であろう。しかし、物理現象として踏み込んで理解しようとすればそれでは不十分ではなかろうか。直流回路のコイルの意味である。コイルの電気特性はインダクタンスL[H]で捉える。直流回路の場合、コイルが回路内に繋がっていても、電気的に変動が無ければコイルは無いと同じことである。電気的変動が無ければ、コイルの存在は無いのである。それは何故か?コイルとはどのような特性の機能要素かといえば、エネルギーの貯蔵機能がその特徴である。一度コイルにエネルギーが貯蔵されてしまえば、電気回路に変動が無い限り、電気現象はコイルの無い等価回路で書き表される。コイル(エネルギー貯蔵タンク)を短絡して、コイルに負荷電流(コイル電流が内部で還流していると考えても良い)が流れないとしても回路現象としては問題が無い。ただし、コイルの損失が無い理想的な場合ではある。この(磁場と電流間に因る力と異なる)解釈はフレミングの法則の表現する意味とは異なる。磁界を磁束で解釈する科学常識と異なるから。そこで電流計の指針を回転させている力は何かとなる。コイルの周りには、エネルギーが貯蔵されているのであるが、電流が貯蔵されている訳ではない。コイルのエネルギーは電気理論では W=(1/2)LI’^2^[J] とコイル電流で解釈する。それではそのエネルギーとはどのようなものと考えるのか。コイル内の空間にエネルギーが在ると考えるか、そう考えないのか。その解釈が極めて重要なのである。どうも物理学理論では、空間にエネルギーが存在すると解釈していないのではないかと思う。質量に関係しないエネルギーの実在というエネルギー概念が欠落しているように思える。光のエネルギー空間分布と同じ意味の電気現象の解釈が無いようだ。コイルに働く力はエネルギーにあり、その二つのエネルギー流間に因る力でコイルは回転するのである。

①可動コイル部の空間エネルギー

NSの磁石とその中のコイルの磁気について、電気理論では磁束で解釈する。磁束という概念も磁気現象解釈の為の技術概念でしかないのだ。それも空間のエネルギー流の技術的解釈法でしかないのだ。実際は磁極もコイルもその周りにエネルギーが流れているのだ。コイルのエネルギー流が磁石のエネルギー流との間で力を受け、回転するのである。この解釈はフレミングの法則で解釈される現象をエネルギー流間の近接作用力として捉える考え方である。科学論は実験的検証がその論説に欠かせない。だから空間のエネルギー流を観測する方法が無い限り、科学的とは認められないかも知れないが。見えないものを観ることは出来ない意味に成るか。ただ科学的根拠は30年前の『静電界は磁界を伴う』の実験結果のみである。

エネルギー近接作用力

図2.エネルギー近接作用力 コイル電流というものに対して、コイル貯蔵エネルギーは電流と逆向きにコイル内近傍を還流しているのである。回路状態が変化しなければコイル貯蔵エネルギー流は一定のまま流れ続ける訳である。従って、コイルに電流が流れ込む理由は無く、コイルは理論的には回路から切り離されたと考えて良い。元々電線内を電流が流れる訳ではないのである。電線近傍をエネルギーが流れているだけなのであるから。磁石の磁界も図のように磁極表面をエネルギーが還流している磁気現象なのである。今までコンパスの磁気の意味をエネルギー流で解説して来た。磁気はその結合力で特別の強さの意味を持っている。その力の源を磁束という直線的な捉え方では意味が理解できない。力は回転現象に秘められていると解釈する。原子結合力も磁気的エネルギー流にあると思う。参考: 電荷棄却の電子スピン像と原子模型 日本物理学会講演概要集 第64巻2号1分冊、p.18. (2009) にも論じた。

負荷電力と計測

1820年頃、ようやく電気現象の謎が解き明かされるようになった。エルステッドが電流の磁気現象を発見、アンペアが法則を唱えた。と説明される。その当時『電流』などの意味が分かってはいなかった筈だ。言葉で電流の磁気現象と言われると、如何にも電流が分かっていたように錯覚する。電流を計る方法はどのようになされたのか。電流計が完成したのは相当後の1889年頃で、ウエストン型電流計などであろう。それまでにエジソンが1879年に白熱電球を発明し、まず電灯の文明開化が始った。電気エネルギーの供給が産業・商売に成る機運が生まれた。電球の製造・販売や電力供給が産業に成った。さてどう負荷供給電力を、商売の対価を得るために、計るかとなる。測定技術・測定法および測定器が必要になる。何をどう計るかが研究対象に成った筈だ。1881年パリ電気会議で、電気単位 V (ボルト)、A(アンペア)、 Ω(オーム)、 C(クーロン)および F(ファラッド)が決まった。その基準の電気量がどのように決まったかは知らないが、この頃から電流の単位アンペア[A]の計量が研究されたのであろう。

図3.負荷のエネルギー測定技術 直流回路の負荷の消費電力を計るとなれば電圧計と電流計で計る。電気回路の初歩の理論だ。しかし、19世紀中頃を思えば、この測定法を編み出すにどれ程の智慧を絞ったか。ここに西洋技術革新の先進的な努力が隠されていると思う。負荷電力はP[W]で、1秒間の消費エネルギージュール[J]の値を意味している。そんな物理量をどう測定すれば良いか?ストップウオッチで計る訳ではない。電流と電圧で計れるのだ。その測定法を不思議と思わないですか。科学技術の智慧の結晶なのだ。電気を販売するとすれば、エネルギー量となろう。供給したエネルギーの算定はどのようにすればよいか。エネルギーを直接測る方法は難しいだろう。エネルギーが計れないのに、電圧と電流を計って負荷電力p[J/s]を計る方法を完成した。現在は電力量計(ワットアワーメータ)E[kWh]で各家庭への電気エネルギー量ジュール[J]を計っている。

電流計・電圧形で計るもの

電流・電圧の意味 電流も電圧も負荷の電力と抵抗値を計算した値なのである。誠に不思議なり。だから電圧と電流の積が電力p[W]になる。図3.②等価回路とエネルギー流で、電圧・電流計の計測部のコイルは直流回路では変動が無ければ、電源からのエネルギー流には切り離された状態にある。そのコイルに貯蔵されたエネルギー量はコイルの直列抵抗をrとすれば、

電流計ではW=(1/2)L(rs/(rs+r))^2^P/R [J]

電圧計ではW=(1/2)L(1/r)^2^PR [J]

となる。計器内の回路定数と負荷特性の関係を表示している訳である。

むすび

以上身近な言葉である電流について述べた。ITなどを検索すると、電流の意味について、中学生向けの解説記事にも電荷、電子が電線内を流れているとある。それが科学常識となっている。専門家が論説する科学リテラシーの問題になる科学的理解とは何を目標にすべきか。自然科学の内容が自然を観察し、その観察する機会に因って子供達のそれぞれの感性に任せるべきものが本筋ではないか。科学技術の為の競争を目的にした教育は理科教育と一線を画した科学技術教育なのだ。理科教育という余りにも偏った、決まり切った授業展開法に縛られ過ぎている処に重大な欠陥が在るように思う。電気現象一つを取上げても、本当に電線内を電子(電荷と質量混合体)が流れていると誰が観測できるのか。何故エネルギー流でないと証明できるのか。

運動エネルギーの概念

運動エネルギーとは 質量が速度を持てばその質量体は運動エネルギーを持つと理解している。その時の速度とはどのような速度の意味であろうか。今手に水1リットル入ったペットボトルを持っている。そのボトルは速度ゼロと理解する。しかしよく考えると地球は運動している。従ってその水1リットルも速度ゼロではない。運動エネルギーについて、自然現象を利用する科学技術として捉えれば、地球の運動などを考えるのは愚かなことに成る。だが、自然現象を理解することと自然を生活に役立てる技術として理解することには、その到達目標が異なる。例えを挙げれば、科学技術の粋とも思える衛星放送がある。その衛星は静止衛星と言っているように地球上で見れば速度ゼロである。相対速度(速度でなく相対距離の間違い)が零なのである。だから衛星の送信周波数と地球上での受信周波数とが同じである(2018/09/24追記 少し考え直す必要が有りそうだ。相対距離と伝播距離が異なるから)。しかし静止衛星と言っても、まさか運動エネルギーゼロとは言わないであろう。我々自身も地球の運動速度の支配下に居るのである。昼より夜のほうが運動エネルギーの多い中で眠っている筈だ。自然を理解するために理科教育は必要なのだろう。必ずしも科学技術の為でない事を認識すべきでなかろうか。

運動エネルギーの算定法 先日ITで検索してみた。加速度一定の特殊な場合についての算定法が示されているのみであった。

運動エネルギー 物体の質量が速度を持つ時、その物体は余分に運動エネルギーを持つ。この「余分に」と言う意味は、質量はそれだけで『エネルギー』なのであるからという意味を込めた。質量がすべて光に変換されれば、膨大なエネルギーなのであるから。それが有名な『質量とエネルギーの等価則 E=mc^2^[J]』の意味なのであるから。その意味には未解決の問題があるので、ここでは論じない。ただ運動エネルギーについては、質量と速度の二乗の積の半分と言う極めて単純な式で表現される。この速度の瞬時値で運動エネルギーは理解できる。しかしその速度の評価基準空間をどのように捉えるかは深い意味を持つであろう。

運動量と運動エネルギー

運動エネルギー算定式 物体の運動は加速度一定とは限らない。速度式v(t)には初速度が必要である。

運動量の意味 物理学の力学で、運動量と言う概念が扱われる。今まで余り重要に思えなかった物理量である。しかし、運動エネルギーの算定で、重要な意味を持っていることを認識した。運動量は運動エネルギーの増分と速度の増分との関係を示す有効な物理量であると認識させられた。運動量が大きいと、僅かな速度変化で大きな運動エネルギーの変化を生む意味である。運動量の積分なら、加速度がどのようでも運動エネルギーは算定できる。次元については、物理的概念とその次元 日本物理学会講演概要集 第53巻1号1分冊13頁。(1998.4.2) で発表した。

電池における電子の役割を問う

はじめに 半導体のpn junction (pn接合部)のエネルギーギャップの意味を考えてみた。電池の意味との関連を考えた。電池の原理を問う (2014/11/27) があった。

電池電圧とエネルギー 電池はエネルギーの貯蔵庫であり、エネルギーの供給源である。人の思考における常識が如何に自己に立ちふさがる障壁となるか。すべてが『エレクトロニクス』の支配する世界に居る。その語源でもある『エレクトロン(電子)』の存在の意義を問うことになる。人は高いことを低いより有利と考えがちであろう。電圧が高ければ高い程、それは影響力が強いと考えるだろう。電圧が高いという表現は良くないのであるが、技術用語としては電位が高いとなろう。科学技術用語の持つ常識に『電圧』が有り、プラス極とマイナス極でその電圧の高い方と低い方を区別している。電池はエネルギーの供給源であることは誰もが知っていよう。しかし、誰もがその『エネルギー』とは何かを知っているかと問えば、さて答えられるであろうか。答えられなくても、決して気にしなくてもよい。『電子』に因って解説している人は殆ど『エネルギー』の意味を考えていない人が殆どであるから。ましてや化学方程式に因って解説する場合は、殆どその方程式の変換過程の中でその空間に実在する『エネルギー』を意識することは無い筈である。乾電池も蓄電池も+端子から電流が流れて、負荷にエネルギーを供給すると考える。しかし電流と言うものが電池のエネルギーを負荷に運ぶことなど出来っこない。電気理論では、電池のマイナス端子から電子が導線の中を流れて、負荷を通り電池の+端子に戻ると解釈している。電子の逆流が電流であると電気理論の常識が世界の共通認識になっている。それではその電子が電池からエネルギーを負荷に運ぶか?と解説者に問えば、答えないであろう。『電子』あるいは『電荷』に『エネルギー』をどのような意味で結び付けて解釈しているかが明確ではなかろう。2年程前に電圧ーその意味と正体ー (2016/05/15) に纏めてあった。

電池のエネルギー供給端子は-極である 直流の電気回路はプラスとマイナスの2本の導線でエネルギー供給回路が構成される。電池からのエネルギーは-極から送り出される。プラス側の導線は殆どマイナス側のエネルギー供給を支える脇役と考えて良い。負荷にエネルギー供給時、プラス側導線を通して電池へエネルギーは戻らない。電池のプラス端子はエネルギー供給に直接関わらない。電池の負側端子からエネルギーは放出され、負側導線近傍空間を通して主に負荷までエネルギーが伝送される。勿論導線の金属内などエネルギーは通らない。電池は-極がエネルギー放出源である。そのエネルギー(電気や熱あるいは光)を陰極線や電子と考えてきたのである。

エネルギーを運べない電子(科学的願望との乖離) 原子核の周りを回転する電子で世界の構成源を捉える原子像が世界標準である。電子が回転すると解釈する科学的根拠はどこにあるのだろうか。『電荷』否定が結局とんでもない現実にぶつかってしまった。科学理論の根源さえ信用出来ない自己を観る。そんな意味を卑近な日常生活の電池の意味に探し求めて見ようと考えた。簡便な科学的解釈を示すに『電子概念』がとても便利であろう。電池のマイナス極から電子が外部回路を通りプラス極に戻ればすべてが説明出来たことに成る。その不思議な論理が科学論理の正当性を世界標準として認められるのだから。 『エネルギー』を置き忘れていませんか? 電池はエネルギーの供給源です。電子論であれば、電子がそのエネルギーをどのように負荷に届けるかの問に答えてこそ科学論と言えるのではないか。そこに電子の実像が問われることに成るのです。電子の特性:質量me=9.1083 ×10^-28^ [g]、 電荷e=1.60206 ×10^-19^ [C] と質量と電荷の混合素粒子。この桁数の算定基準の厳密らしさと混合空間像の認識不可能の不思議に包まれている電子。電子が背負い籠に『エネルギー』を入れて負荷まで届けるのですか。帰りは『エネルギー』分だけ身軽に成ってプラス極に帰るのですか。 『エネルギー保存則』とはどんな意味なんですか。 『エネルギー』が観えますか?そこで、エネルギーに対して電子に求めると無理に仮定した時の科学的願望を絵図にしたみた。

電子の責務と珍道中 電池はエネルギーの貯蔵庫である。そのエネルギーを負荷で利用する訳だ。どのようにそのエネルギーを電池から負荷に届けるかを科学論として完成しなければならない。高度の量子力学は電子に重い責務を課しているように思える。太陽光発電で電子にどんな物理的機能を果たして欲しいと望んでいるのだろうか。電子がエネルギーを担うべき責務を無造作に要求しているようである。電子の身に成ってその心情を汲んで少し考えてみた。電池も太陽発電パネルも電源としては同じものである。ただ太陽発電パネルは負荷の前にエネルギー貯蔵庫に繋がっている。負荷の影響は直接受けない。さて電池のエネルギー貯蔵庫からどのように負荷に必要なエネルギーを供給するかを考えるべきだろう。検索で電池の原理を尋ねると電池のマイナス極から化学方程式の反応によって、電子が外部導線を通って陽極に廻り込み、その電池内で電荷を遣り取りして解説が終わっている。電子は何の為に負荷を通ったのか。 『子供の使いじゃあるまいし、ただ通り過ぎるだけじゃ理屈も通らぬ!!』 何故電子が通り過ぎるだけで電池からエネルギーが負荷に届けられると考えるのだろうか?電子は何故マイナス端子から導線を通ってプラス端子に行くことが出来るのだろうか?電子の移動はどんな理論で可能だったか?電界と電荷の関係は無視されても理屈が通るのか。上の図は電子に御足労願う訳だから、その科学認識に寄り添って何とか電子の責務とエネルギー運搬の道筋を考えて描いた図である。電子の(行き道)は、重い責務に喘ぎながら。負荷にエネルギーを届けた(帰り道)は、身軽に成って鼻唄まじり。そんな電子に期待された仕事の責務が想像できる。電子も行きと帰りで異なる姿に。しかし、量子力学には背負い籠でエネルギーを運ぶ意味はない。むしろ質量に頼った運動エネルギーの増加で電子がエネルギーを身に纏う意味に似ている。その場合は電子の帰り道は速度の遅い電子の姿を描くことに成るのか。当然理屈の通らぬ無理な道理ではあるが。もう一つ、化学方程式で『電荷』の辻褄を合せようとしても『負荷御殿の主から必要なエネルギー量が発注される』のである。エネルギーの発注に合わせたエネルギーの発送をしなければ電源・送配電線路・負荷間の辻褄が合わなくなる。勝手に化学方程式に従って、電子を送り出す訳にはいかないのである。負荷の要求をどのように電池側で処理するかが極めて重要な瞬時電力の話に成るのだ。電子に自動的にそんな責務まで負わせては酷と言うものだろう。

電子にエネルギー伝送責務は無理な注文である 電子は不要である。電池からのエネルギー(熱エネルギー即ち電気エネルギー)そのものが負荷の要求に応じて電線路空間内を伝送されるのである。電子不要の科学論。

電気回路要素『抵抗』の物理的意味

電気技術と電気物理 電気磁気学は電気物理と言うより電気技術理論である。電気回路における技術概念『抵抗』の物理的意味はどのようなものか。抵抗の単位は[Ω]である。電気工学、電気磁気学では回路の電圧が電流に比例するその比例定数と言う意味である。いわゆるオームの法則における回路要素の定数を表す。電気技術論とは異なる電気物理理論とはどのようなものと解釈すれば良いかの具体的例題として、抵抗R[Ω]を取上げて考えてみる。電気磁気学と言えば、その基本概念に電界と磁界がある。電界とは空間の単位長さ当たりの電圧の強さで、磁界と言えばやはり空間の単位長さ当たりの電流の強度で定義した技術量である。電圧とか電流と言う概念は電気技術論の最初に定義した科学技術量の代表的概念である。電圧とは何か?電流とは何か?と自問してみた時明確に答えられるでしょうか。おそらく科学技術論としては電気工学の常用概念では理解できているであろうが、それ以上の意味を認識しているかと余り考えはしないことであろう。そこからが電気物理になる。そこでは『電荷』も「素粒子」も望まない自然世界の話になる。いわゆる物理学の眞髄であろう。それは単純であり、ただ空間に『エネルギー』が実在するだけである。従って電界も磁界もその『エネルギー』の観方でしかない。

空間のエネルギー 空間にエネルギーが存在する時、その空間は電気導体も有れば、磁性体もある。その空間に存在する『エネルギー』にとっては真空自由空間とは言えない様々な制限の条件を受ける電線路空間で、そのエネルギーの果たす機能をどのように解釈するかが大切であろう。単に空間誘電率や透磁率と捉え切れない条件があるように思う。

図1.回路抵抗と空間エネルギー 電気技術論での電気回路がある。交流電源電圧 v(t) に3つの抵抗が繋がれている。回路論では電圧、電流で全て解釈できる。それ以上の事は要求しない。しかし、電気物理と言うものの理屈を究めようとすれば、技術的な簡便法では無理である。光のエネルギーが導線の無い自由空間を伝播するように、電気エネルギーも電線路に制限された局部空間を伝送されるのである。図の電線路空間内のp点の微小空間のエネルギー密度δ(r,t) [J/㎥]は座標rと時間tの関数である。しかも座標点がp'(導線近傍)等のようにその近傍空間の条件で異なる空間特性に支配されると類推できる。空間点の空間特性ε、μが一様ではない筈だ。さて、抵抗のエネルギー消費電力はオームの法則から簡単に算定できる。そこには電流や電子あるいは電荷の技術概念の助けを借りて可能になるという前提がある。電気エネルギーと言うエネルギーそのものの実在を認識するかしないかに因って、解釈の手法が異なって来るのである。電気磁気学や物理学理論では『エネルギー』の空間に実在する意味を認識していないのである。そこで電子(これもエネルギーと理解すれば良い筈だ)や電荷と言う概念を創り上げて、その概念に因って技術論を構築した来たのである。電気エネルギーの光速度伝播現象を電荷で解釈しようとしてもそれは無理であるが、その曖昧さは解決できない謎のまま見過ごさざるを得ない現状に在る筈だ。電気物理としてはやはり電線路空間内を電気エネルギーが光速度で伝送される現象として捉えなければ、論理的明快さは得られない。空間のエネルギーがどのように抵抗体の中で『エネルギー変換』されるかを明らかにすべきと考える。そこで『抵抗』の物理的回路要素の意味を考えなければならない。抵抗の単位[Ω]もエネルギー変換機能として見れば、[(H/F)^1/2^]と看做されよう。抵抗で消費されると言っても『エネルギー保存則』が成り立っているのである。電気エネルギーを使っても空間の熱エネルギーや光エネルギーとして放射されているのである。エネルギーは失われずに、新たな輪廻転生の基として保存されている。

抵抗はエネルギーの吸収・変換機能体 電気技術・電気工学から見ればエネルギーの消費要素として抵抗を捉える。抵抗を電気エネルギーの熱・光エネルギーへの変換機能要素と観るのは電気物理となろう。その時電気エネルギーが直接抵抗体に空間から流れ込むのである。その抵抗体中に侵入するエネルギーの様態をどう捉えるかに掛ってこよう。明確に捉え切ったとは言えないが、現時点での解釈を述べたい。一つの技術論との繋がりで電界、磁界と言う概念との関係でポインティングベクトルS(t)[J/s㎡]のエネルギー流をその基に据えて考えてみる。その前に、電気工学における抵抗の意味をまとめておく。

抵抗とエネルギー感覚(電気工学) 電気回路には抵抗が様々な意味で使われる。電子回路やオペアンプなどに使われる時は、抵抗に要求される機能は電圧分担、電流制限などでエネルギー処理の意味は殆ど無い。ただ発熱の熱処理の意味で意識される。電気工学でも電力部門では電力処理、エネルギー処理の問題意識で対処される場合が多かろう。どちらもオームの法則で十分理解できる。電流と電圧によって回路動作の理解に問題は感じない。図2.回路抵抗と電力 簡単な回路例で、抵抗と電力の関係を考えておきたい。電気工学でオームの法則だけで感覚的に電力と抵抗の関係が納得できる。

① 合成抵抗値はR=R1+R2+R3で、電流値i(t)=v(t)/R。各抵抗の電力はその抵抗値に比例する。電力は負荷抵抗に比例して配分される。

② 負荷端に負荷抵抗R4を追加した。抵抗値が小さいR4が電力は大きい。R2とR4の負荷抵抗で比較すれば、今度は抵抗値に反比例して電力が大きくなる。一般に電力配線で負荷電力で考えると、抵抗値が小さい程消費電力が大きいと感覚的に捉える。

③ 抵抗R1とR3の代わりに電流計が繋がれているとする。電流計は交流回路で実効値を測定しようとすれば、可動鉄片型電流計になる。しかし簡便測定では直流用の可動コイル型計器に整流回路を使った整流器型も使われる。波形が正弦波でないと正確な実効値は測定できない。電流計の内部回路はほぼ抵抗体である。抵抗値の小さなシャント抵抗が指針可動用のコイルと並列に入っていて、回路電流の殆どがそのシャント抵抗を流れる。だから電流計の内部は抵抗電圧降下r i(t)の電圧値を計っていると見做せる。その電圧の分流電流分のコイル電磁力を指針回転力に利用して、電流表示目盛を読んでいるのである。電流と言う電気技術概念はとても有効な電流計と言う測定方法を獲得したから、極めて有力な電気概念『電流』が電気技術の要として意味を成していると考える。

電気工学では、電圧、電流そして抵抗でオームの法則によって回路解析は可能である。その技術概念と測定技術が電気技術を完璧な実用性で完成させているのだ。その完全性が『電流』や『電荷』の実在性を疑う余地を奪っている。 『静電界は磁界を伴う』と言う1987年(昭和62年4月)の電気学会全国大会(仙台市、東北大学)での発表は今日までの電気エネルギー論の原点であった。それは現在の電気磁気学の根源的基礎概念に疑義を提起したものであった。30年前のその基本的論点は今考えても科学界では受け入れ難い内容であることは良く分かる。マックスウエルの電磁場方程式の電界と磁界概念を『エネルギー』から見れば矛盾がある概念だと唱えた訳だから。しかしその極端な意味が『電荷』否定の象徴的な表現になっていた訳である。その時の主張したかった事が、当時曖昧で有っても今は確たる認識になって、間違っていなかったとホッとしている。電気磁気学に対する解釈への責任は果たし切ったと。しかしその当時の社会的存在の意味『以下余白』の不覚も定かに自分が知り得ないままである。

抵抗体の空間概念(電気物理) 抵抗体は回路内で発熱体である。その抵抗体から放射される熱エネルギーは『エネルギー』そのものである。他に解釈する必要の無い『エネルギー』そのものである。この『エネルギー』と抵抗体の関係を考えるに適切な題材が白熱電球である。白熱電球(100V 40W)の抵抗値 一般の回路抵抗は10kΩとかで、抵抗値は変化しないように見える。しかし同じ抵抗体でも、電球フィラメントはフィラメント温度で抵抗値が変化する。テスターで計ると20Ω程度である。定常点灯時は250Ω程の筈である。この図は『オームの法則』-物理学解剖論ーで取上げたものである。電球点灯時から定常時まで何故抵抗値が変化するか。電気エネルギーが抵抗体内の内部空間に貯蔵され、抵抗体空間内の熱エネルギーとしてそこに留まっているからである。抵抗体空間のエネルギー量で抵抗体内への入射エネルギー量が制限された結果として、抵抗値の増加と言う意味になっているのである。抵抗体内のエネルギー貯蔵量で、抵抗体内部空間の空間定数が変化するからと解釈する事も出来よう。抵抗体構造が変化するからとも観られるからかも知れない。その技術的評価概念を抵抗体内部の誘電率と透磁率と看做しても良かろう。昔は電子回路にカーボン被膜抵抗などで陶磁器表面に薄い炭素皮膜を巻きつけたものを使っていた事を思い出した。熱放散と抵抗値の変化抑制策の結果の抵抗体であったかと今思う。

図3.エネルギー流と空間特性(電気物理) 図1の回路で、座標r点の空間定数を透磁率μ(r)、誘電率ε(r)と解釈する。透磁率、誘電率も磁界、電界と同じく科学技術概念として仮定したものである。実在するものはエネルギー密度δ(r,t)の座標点rと時間tによって決まるエネルギーでしかないのだが。電界と磁界が電気磁気学・電気工学の論理展開の要の概念であるから、それを無視したら電磁界理論が成り立たなくなる。しかし、本当の事を言えば、電界と磁界概念さえ矛盾した事を含んでいる。それはパラボラアンテナ表面に放物面中心軸に対称な電界と磁界を表現できない事から分かる筈だ。衛星放送は電界と磁界ベクトルでの電波表現が出来ない意味を考えて欲しい。衛星放送の電磁波方程式を解剖するをご参照いただきたい。お願いしたい。電磁気学の授業担当者は、パラボラアンテナ表面での電磁界ベクトルを描けるかご確認いただきたい。その表面の反射信号が受信アンテナの入射信号となるのでる。エネルギーの縦波信号以外は論理的には表現できない筈である。少し筋道を離れたが、電磁界とエネルギーの関係および空間定数の意味との関係を確認して頂きたくて触させて頂いた。以上の話を踏まえた上で、電界・磁界のベクトル積で表現されるポインティングベクトルS(r,t)で電線路空間内を伝播し、伝送される空間エネルギーの意味を表現したのが図3.である。空間定数も導体表面と電線路中心部では異なるだろう。従ってエネルギー伝送速度も座標位置によって異なると観た。負荷へのエネルギー伝送空間分布模様も一様ではないと結論付けた。その上で、抵抗体へのエネルギー入射がどのようであるかは簡単には判断できない。ただ、抵抗体への入射エネルギーベクトルSi(t) と熱・光放射エネルギーベクトルSo(t) との間には定常状態では常に等しい筈である。その意味が白熱電球のエネルギー変換機能として理解の助けの具体例になろう。何も難しい量子力学など要らない事を分かって欲しい。

白熱電球のエネルギー変換原理は?

電気物理とはどのような内容を指すかと考えた。電気磁気学は電気技術論であり、電気現象と言う自然現象の本質を捉えた内容ではない。エジソンの発明として有名な白熱電球の発光現象はどのような物理現象と捉えるべきか?それは電気物理になろう。電気抵抗の単位『Ω』とはどのような概念なのかを知らなければならない。白熱電球の原理はタングステン(W)フィラメントの二重コイルにある。

フィラメントの物理概念 白熱電球はタングステンのコイルを真空の中にガラスで囲み電気エネルギーを供給して、光源とする最も初期の電気技術製品である。灯りが油を足さないでも出来る画期的な発明であった。そんな白熱電球の技術を物理現象としてどのように捉えれば良いかは教育的にはとても大切な意味を持っている。

二重コイルと熱エネルギー 何も量子力学を持ちださなくても白熱電球の原理くらいは解釈できなければならないだろう。木炭に電気を通せば光を発する。電気式木炭暖房。同じ様に焚火と蝋燭 (2013/02/03) がある。空気中だと燃焼するから、真空のガラス容器に封じ込めた。それでも寿命がある。幸いタングステンと言うとても熱に強い材料があった為に白熱電球が長く照明の役割を果たしてきた。フィラメントは二重コイル構造で出来ている。効率良く発光させるための技術である。原理は電熱器と同じである。抵抗体に電気エネルギーを供給するのであり、その貯蔵エネルギー量が大きくなると高温度になり遂には光変換・放射現象に進む。電線をコイル状に巻けば、電気エネルギーを貯蔵する機能のインダクタンスになる。フィラメントと巻数、形状を同じように二重コイルにして電源に繋いだらどんな現象が起きるかこっそり隠れて試してみたい。タングステンで巻けば抵抗で、導線で巻けばインダクタンスとは言えないのじゃないか。抵抗回路要素にはオームの法則と言う立派な技術法則があり、電気現象はその法則で良く解析し、理解できる。抵抗の単位が[Ω]である。その意味を考えた記事『オームの法則』-物理学解剖論ーがある。白熱電球と言う立派な電気製品の物理現象を確認したいのである。抵抗は電気エネルギーを熱に変換する機能を持っている。白熱電球のフィラメントも抵抗で、電気エネルギーを熱エネルギーに変換するのが基本原理である。更にその熱エネルギーに変換すると同時に光に変換する現象を備えているのである。さてここで、熱エネルギーと光エネルギーの違いを現代物理学理論ではどのように捉えているのかを明確に確認して置かなければならない。この場合も質量は全く必要としない筈である。『電気エネルギー』→『熱エネルギー』→『光エネルギー』の変換の過程を物理学理論でどのように解釈するかを知りたい。このエネルギーの間に違いが有るか、無いか。 (2018/03/26)追記、質量は全く必要としないと言うのは間違いである。『光エネルギー』も光になる前は『熱エネルギー』であったとも言える。その『熱エネルギー』は物体の質量体に捉えられた自由を束縛された状態の「エネルギー」と観るべきかもしれない。更に『電気エネルギー』も電気回路要素の構造体や電線路導体に因って束縛された空間内での光速度伝送特性の『エネルギー』であると言える。だから質量を必要としないと言う表現は正しくは無い。ただし、『運動エネルギー』や『位置エネルギー』のような『質量』に付随したと言う意味での質量と言う意味ではない事を指摘しておきたかったのである。その上で、これら三つの『エネルギー』の間に違いがあるだろうかと尋ねているのである。出来たら実在しない『電荷』等は理論に使わないで示して欲しい。

二十世紀の科学理論と教育の未来 過去100年間の科学技術の進展と、唱えられた科学理論が互いに合理的で整合性のとれた関係にあったかが問われていると思う。確かに自然世界の華やかな多様性を見れば、その複雑な原則を説き明かそうと細分化した視点での科学研究が時代の流れとなる背景・要請にあるのも事実である。しかし、教育の場ではもっと根源的で、広く応用の解釈に広がる根本的な自然現象の根底にある眞髄を考えさせるべきではなかろうか。そこには『エネルギー』の実在性を如何に理解させるかが要となろう。『熱』の正体 (2014/5/15)にも述べた熱エネルギーが質量運動や電荷との関係なしに、実在する物理量であると。

体温とエネルギー

エネルギーって何だろうか? またも同じような事をと眉を顰(ヒソ)められそうだ。

分子とエネルギー 書き初めのネタも尽きたので、体温の意味を考えながら感覚に浮かぶ空間像を筆にした。

体温はエネルギーの貯蔵量に因ると観る。身体全体に分布したエネルギーである。細胞の隅々にまで貯蔵されたエネルギーである。光も熱も同じエネルギーである。熱を奪って冷凍すれば、体温は低下し細胞の機能は失われる。温度とはその物体に蓄えられたエネルギー量の評価指標である。エネルギーの貯蔵容量はその分子や細胞の空間構造によって違い、指標の温度も異なる筈だ。それが比熱と言う特性値になる。燃料電池は酸素と水素の結合でエネルギーと水を作り出す。そのエネルギーと同じエネルギーが体全体に貯蔵されているのだ。おそらく細胞自身がその機能を発揮するに必要な環境を整える為に、自動的に発熱と水を作り出していると考える。そのエネルギーを検出しようとしても体温としてしか計測できない。光のエネルギー分布波形を計測できないと同じことであろう。だから『エネルギー』とは何かを確認したいのだ。決して質量の運動エネルギーや位置エネルギーではない『エネルギー』だ。古くは『熱素』と言ったらしいが、質量や時間あるいは寸法、体積と並ぶ物理量、いやもっと根源的な世界を構築する基本物理量なのである。それは素粒子に相当する物理量だ。決して振動する気体分子運動論などのような筋肉の振動で解釈してはいけない物理量なのである。運動エネルギー的解釈はしてはいけないのだ。熱エネルギー量はジュールと言う単位の質量mのmc^2^[J]と等価変換し合う同じ物理量である。体温は体温と身体活動エネルギー「理科基礎(仮称)」を想定してでも取り上げた。

磁気共鳴画像(MRI)と水分子

はじめに 前に磁気共鳴画像(RMI)診断法の原理を知りたくての記事で疑問を記した。6年程前である。今までに電磁気学と言う物理学の知見を現場の電気工学の技術的感覚を基に、納得出来るかどうかを自身に問い続けてきた。電気回路や電気要素のコンデンサなどのエネルギーに対する機能をその現象と照らし合わせながら考察して来た。ほぼ電磁気現象の本質が『エネルギー』一つで統合的に捉えられるようになったかと思う処に辿り着いた。光と熱エネルギーまた質量もみんな『エネルギー』の自在に変換する姿の場面でしかないと思う様になった。そこに水と言う分子および水素の際立つ特性がエネルギー処理の根底に重要な役割を成しているように思えてきた。

体の細胞組織とエネルギー特性 人の体はそれぞれ異なる細胞組織が境界を持って接しながら全体の隅々まで統合された生命体として輝いている。科学で習う世界の根源は原子と言う単純な単位の組み合わせとしか見えないにも拘らず、その構成するたんぱく質の分子構造がすべてを取り仕切っていると思えば、単純が如何に複雑な姿で実在するかは恐ろしい感覚にもなる。更に思う事は原子も決して変化しない訳ではない。『エネルギー保存則』の原理をどのような意味で解釈するかも議論になろう。ダイヤモンドの誕生のお話が『おとぎ話』になれば、それは不思議な世界を作る筈だろう。丁度シンデレラ姫の物語に似て、基は人に嫌われる塵溜であったなどと。水素も始めから、また行き着く先も水素とは限らない。原子も変転する一時の姿でしかなかろう。『エネルギー』一つも、その実在する姿は人の観方で決まる。光をエネルギーとして見るに、振動数で解釈するかどうかで理解が違う。人の生命の全体を取り仕切っているものは何だろうかと愚にもつかない妄想の先にはやはり『エネルギー』しか見えない。脳が取り仕切る信号は『エネルギー』しかないだろう。脳から制御物質を送るには荷が重過ぎよう。エネルギーの縦波信号波形しかない。脳が受け取る外界情報も縦波のエネルギー信号波形しかない。体温も気体分子運動論よろしく、細胞分子が振動している訳ではない。電磁波と言うエネルギーの縦波密度分布波形の信号波の貯蔵量である。体温も細胞内に貯蔵されたただエネルギー量の指標である。細胞の活動を保つに必要な生体環境としてのエネルギーレベルである。その波形を観測できれば良いのだが、神経細胞・骨格細胞を伝播するほぼ光速度伝播のエネルギー分布波形を見ることは残念ながら無理であろう。磁気信号、電波信号はX線、マグネットで医療機械で多用されている。みんな同じ縦波のエネルギー密度波である。身体にもその生命活動を担うあらゆる情報や体温などがエネルギーであると言う意味でお馴染のエネルギー信号波である。X線は少し負担が大きいだろうが。『エネルギー』の物理的実在性の意味を伝えたい。

エネルギーと水分子・水素 雷は熱爆発現象と言った。『電荷』は必要ない。水蒸気が上空寒気によって体積収縮時に放出した熱エネルギーの貯蔵限界越えの爆発現象である。空間貯蔵の熱エネルギーの光変換放射現象である。白熱電球で、コイル空間の熱エネルギーが光変換放射されるのと、原理は熱から光への変換現象として似通ったものと見られる。水は熱エネルギーとの特別の相性で日常生活に君臨している。生命の水は細胞と共にある。中でも水素の比熱は14000[J/kg K]と他に比して一桁高い。水の妖精七変化(エネルギー) は水の電気分解について考えた記事だ。MRI やCTの医療診断装置はX線を含めて電磁エネルギーを人体細胞に照射して、その細胞の吸収エネルギーに因る分子構造の形状変化歪みの回復現象を利用した放射エネルギーの違いを検出する基本手法と考える。水分子や水素のエネルギー吸収・放射反応の物理的意味が分かれば、ほぼ誰でもその医療装置の基本的原理が理解できるものと思う。難しい2分の1の電子スピンなどで頭を悩ます必要もなかろう。もっと単純な原理である筈なんだ。ここでのエネルギーと水分子・水素の関係を理解するには、先ず電磁気で電界と磁界と言う二つの物理概念がどちらも『エネルギー』の見る観方の区分でしかなく、一つの『エネルギー』であると言う単純な自然の姿であると認識することであろう。横に触れる波など無い事を理解するべきである。単純な『エネルギー』の姿を認識して欲しい。電荷やプロトンなどと複雑な概念を使わなくてもよい筈だ。

水素スペクトラムと画像検出 MRIの原理の解説が載っている。その原理を知りたいと思うが、装置の構造に対して印加電磁界の方向と磁場強度などが知りたい。超伝導磁石の磁界ともう一つの磁界が互いに直交して加えられるのかと勝手に解釈する。何テスラと言う磁界とあるが、変圧器用ケイ素鋼板の最大磁束密度でも1.5[T(テスラ)=(Wb/m^2)]程度であるから、たとえ超伝導磁石でも装置の空洞内の磁界強度はそんなに高くはならないだろうと言う感覚であるが、3テスラ等と言うと想像できない強度だ。装置内のコイル近傍で、身体に掛かる磁界強度はどの程度なんだろうか。その数値が知りたい。簡単に解釈する概要は、MRIとは静磁場の磁石と超電導磁石の断続磁場の直交した磁界間での被測定体(患者)へのエネルギー照射の断続により、身体からのエネルギー放射信号を検出して、計算機データ処理に因る身体各部の断層写真データを収集する手法の装置と理解している。そこでMRIの物理的原理はどのような事なのかを知りたい訳である。少しは電磁気現象についての専門的な感覚でもって考えたい。水素原子プロトンの歳差運動と言うのが重要な原理に成っているように解説されている。MRI-新潟大学 にその内容が詳しく解説されている。

水素原子核プロトンの歳差運動とはどのような意味か? 残念ながら筆者にはプロトンの歳差運動と言う意味が理解できないのだ。科学技術応用の原理と言う本質としての物理学的理論は余り当を得ていないように思えるから困惑してしまう。地球ゴマの歳差運動に関係付けても、プロトンが磁界によって歳差運動しなければならない訳が理解できないのだ。水素原子が比熱では他に抜きんでて高い特性を持っている。高い比熱とはエネルギーの吸収量が大きいと言う事である。水がエネルギーの吸収に於いて際立っても居る。水と水素は切り離せない程エネルギーに対して特異性を発揮する。おそらくそれは水素に負うところが大きいからであろう。磁気応用としてのMRI装置の理論的原理は解説通り、水とその構成水素の放射信号スペクトラムが重要な意味を持っているのであろう。水素が吸収するエネルギーが身体細胞にどのような意味を持つと考えるかが重要であろうと思う。磁気であろうとX線であろうと、照射するのはエネルギーである。身体細胞がそのエネルギーを吸収し、外部印加電磁界が断続されれば、切られた時にそのエネルギーを放射する筈である。おそらくその放射エネルギーの周波数帯が水素原子のスペクトラムに特徴的であるのだろうと想像する。

電磁エネルギーと細胞空間構造歪み 難しい理論は分からないので、単に電磁気現象の持つエネルギー概念から身体への照射と細胞エネルギー放射の関係を感覚的に考えて見た。細胞は高分子構造体であろうから、その中に含まれる水や水素原子は様々な細胞ごとに特有な立体構造の一部を占めていよう。その細胞内で照射されたエネルギーがどのように何処に吸収されるかで、細胞内の分子構造体に空間的ひずみが生じるであろう。電磁エネルギー照射が中断されれば、細胞の空間的ひずみに因る力が元に戻ろうとしてエネルギーを放射する筈である。その細胞空間形態ひずみは水素のエネルギー吸収特性が担っているのだろう。水素の体積増加として空間ひずみを起こす。水素そのものがエネルギーの質量化である筈だから、水素はそのエネルギー吸収で際立っているからと考える。医学に全くの素人の妄想かもしれないが、電磁気現象から考えた解釈である。自然は難しい理論は好きではないと思う。それにしてもMRI装置の科学技術は、その断層写真映像を検出する信号処理などの電気情報処理については余りにも理解する限度を超えているので己の無知が恐ろしくさえ感じる。何も分からない市民が知らなければならない筈の科学技術の未来を考えれば、どのように関わるべきかの社会的課題が残されてゆく。

電気回路理論と電磁気学の関係

標題のような関係を問われているようだ。言われてみれば、なかなか悩ましい問題かもしれない。電気回路理論は物理学の分野と言うより電気工学の科学技術応用理論になると考えた方が良かろう。回路理論は電流や電圧と言う科学技術概念で論じる分野になるから。しかし電気磁気学(現在の教科書の内容は電流、電荷概念によって解釈しているから、それは科学技術の範疇になり、真の自然の真理とは異なる。2018/02/13)はあくまでも自然現象として電気現象の真理を探る学問分野になろうから、電気工学と異なる物理学の範疇の分野になろう。物理学は応用でなく自然の真理を説き明かす学問分野と考える。だから物理学は例えば『電荷』の実在性を説き明かす事を目的とするような学問分野であろう。科学技術概念とその用語は応用分野が広がるにつれ、次々と新しい概念・用語が造りだされる傾向にある。超伝導現象等も古い電気磁気学には無かった、気付かなかった現象である。その新しい応用技術用語・概念が如何なる自然現象なのか、その本質を究めることが物理学である筈だ。そこには電流を自然の真理と解釈するようではとても物理学とは言えない。広く自然哲学としての見極めをする学問が物理学であろう。応用と真理は常に対立する学問分野であるべきだろう。電流概念(電荷と質量の混合素粒子である電子の流れと言う概念。しかし電流はA[C/s]で、その単位には質量は入らないと言う不思議な電流概念論の矛盾)を否定すれば、初めて電気回路内の現象の意味が分かって来る筈だ。電流が流れていない事が分かれば、導体としての銅線の資源量は節約され、設備は軽量化されるのだ。それが自然現象の本質を究める学問・物理学であろう。物理学の電気磁気学は根本から作り直さなければならない処に立っているのだ。電気工学と電気磁気学は全く異なる分野である。科学技術の社会に生きる現代人がその科学技術の本質を理解し、賢く生きる未来を見据えるに欠かせないのがその科学技術に隠された真理を認識しながら、技術との関わりを考えることであろう。技術を理解するには、電気工学で有ればオームの法則やファラディの法則と言う便利な技術法則を使う術を身につける必要がある。ファラディの法則一つをとっても、磁束と言う概念を使うが、科学技術法則として《磁束=コイル印加電圧の時間積分》と言う概念で捉えることが必要である。しかし、その法則さえ物理学として自然世界の真理を求める分野では磁束など存在しない事を理解する必要がある。磁束もただ一つの『エネルギー』の回転流を評価する科学技術概念でしかない事を。

今電子レンジと水について考えている。水分子が衝突し合って加熱されると解説されているのを本当か?なと。マグネトロンと同じく、MRIもなかなか不思議な理論で、すべて磁界と磁束の科学技術概念がその基本理論を構成している。みんな『エネルギー』の様相に観えるから、筆者の迷惑論かと御免なさい。