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リアクトル負荷の電気回路現象

送配電線路は電気エネルギーを必要とする需要家に、その『エネルギー』を供給する電気設備だ。需要家は高炉、製造工場、高速鉄道(リニア新幹線が未来の悔恨とならないか気掛かりだ。技術開発に懸命なご努力をなさる方々には済まないのですが。需要電力が原子力発電一機分に近いため、温暖化と生活環境破壊の原因となる虞がある。トンネル風圧がリニアの利点を消し去るから。新技術開発の社会的合意の問題が取り残されていないだろうか。)あるいは高層ビルの照明・電熱など多岐にわたる負荷が対象になる。

負荷の形態はその『エネルギー』の受給によって、電線路の回路現象にその影響が現れる。半導体回路などが増え、そのスイッチング特性によっても様々な悪影響が現れる。

電動機などもその『エネルギー』の消費にリアクトルの特性、『エネルギー』の貯蔵・放出が関わり、電気回路特性に僅かな影響を及ぼしている。それは実際にはベクトル解析手法の中での電気理論として分かってはいる。

電気回路現象の特性を理解するには、『電圧』『電流』による解釈ではその物理現象としての真相を理解することはできない。それらの概念は電線路をほぼ光速度で伝送する『エネルギー』を電気技術評価量として評価した概念であるから。電気現象の物理現象としての理解はその『エネルギー』がどの様に電気回路内で振舞うかを捉えなければ不可能である。負荷にリアクトルの誘導性が含まれる場合が、その電気回路内の物理現象を理解するにとても良い例題となる。それはリアクトルの『エネルギー』貯蔵が電源電圧の位相との関係で、回路内への『エネルギー』供給源としての働きが丁度電源と似た機能を発揮するからである。その意味を理解すれば、『電子』が回路を流れる等と言う間違った物理学理論は消し去られる筈だ。『電子』が負荷にどのように『エネルギー』を供給するかの論理的解釈が示されれば、考え様も有るかも知れないが、それは無理である。要するに物理学理論の欠陥は『エネルギー』の空間像で認識できていない点である。

誘導性負荷時の電圧。初めに電源と電線路電圧の物理的現象を述べておこう。

負荷が誘導性の場合は、その負荷には幾分かの電線路側に戻す『エネルギー』の原因となる e(ωt) [J]を保有している。電源はその端子電圧 vs(ωt)[V]のみしか制御できない。電線路内全体の電圧など全く監視・制御できない。ただその『エネルギー』供給端の電圧を制御するだけで、自動的にその端子の回路定数 C[F/m] が電線路に必要な『エネルギー』の分布量を電源側に放出させるのである。電線路全体で、電源の制御電圧値に対して欠損あるいは余剰が生じれば、自動的にその差分を補うべく、電源から『エネルギー』が供給されて、電線路全体が規定の電圧に保持されるように修正されるのである。更に負荷が誘導性の場合は、負荷も電源と同じような『エネルギー』の電線路内への放出機能を持つ。

『エネルギー』の光速度伝播現象。電線路はその構造によって回路定数が決まる。しかし、『エネルギー』伝播空間媒体が空気であれば、その伝送速度は光速度 co=(μoεo)^-1/2^[m/s]になる。絶縁媒体なら速度は落ちる。『エネルギー』は電線路導体内など流れないから。この『エネルギー』の伝送速度が電源電圧制御指令に従いながら、電線路内の電圧分布を基本的に支配する。

線路内電圧vx(ωt)が電源からの距離xとすれば、同一時刻tであっても、その位置の『エネルギー』分布は電圧波形の遅れとして、厳密には電源より⊿t = x/co [s] だけ位相が遅れる。しかし、光速度はその遅れを考慮する必要が無い程の瞬時伝播の速さである。それでも『エネルギー』の伝播が現象の基本になっている。さらに、そこにリアクトル負荷の『エネルギー』の回生現象が加われば、複雑な位相の状況を呈する。以上の現象を基本的に認識しながら、電気回路現象を電気理論の電圧、電流で解釈する場合も、常に『エネルギー』の意味を意識する事が大事だ。

vx(ωt) = √(δx/C) [V]

のように表される、電線路の『エネルギー』分布密度が電圧値の電気技術概念なのだ。

純リアクトル負荷の回路現象。

厳密には、電圧値は負荷まで同じ電圧値ではない。電源より必ず位相が遅れる。その訳は光速度による『エネルギー』分布の伝播遅れが必然的に起こるから。

(2021/12/19)。ここまで来て、何故電力が『エネルギー』の流れ δi[J/m]でなく電圧分δv[J/m]との積に因るかに疑念が沸いた。それが  電力 その禅問答 (2021/12/14)になった。

その疑念の前に、考察の回路があった。

右図はリアクトルのエネルギー e(ωt)[J]が端子電圧の時間積分で決まることを示す。本来、電線路空間を通して、伝送される『エネルギー』は電圧の規模・大きさの2乗の意味で、その物理量が認識される筈だ。それを自然の本源と技術概念で指摘した。その事を理解すると右図に示す電力 p(ωt)=de(ωt)/dt で解釈すれば、電圧値 vr(ωt)の2乗δv(ωt)/C [V]によるとの解釈が可能かもしれない。そこに電線路電圧規模が『エネルギー』伝送機能の意味に因るとの合理的な解決の糸口が有るかも知れない。

自然の真相と科学技術の間にかける橋の美しくあって欲しい。電線路伝送の『エネルギー』の捉え方の未だ結論に到達して居ないが、ここでひとまず休憩とする。

科学実験の世界

とても面白く、貴重だ。世界を変えた20の科学実験

表紙の写真はマイケルソンとモーリーの光の相対速度検出実験に関するものであろう。

実験で光の相対速度が検出されなかったという結果をアインシュタインが『特殊相対性理論』の根拠にしたと理解している。

しかしそれは、レーマーが木星の衛星観測から『光の速度』の相対性を実験的に証明している筈だから、光の速度は何処で観測しても、観測者に対して「一定だ」と言うのはアインシュタインが間違っていると思う。

アインシュタインの「特殊相対性理論」が物理学理論に大きな影響を与えた。そのころから量子力学など理解困難な理論が華やかに唱えられてきたようだ。

マイケルソンとモーリーの実験は光の相対速度検出実験が成功しなかったが、その実験結果への試みが間違っていた訳ではない。光は『エネルギー』の縦波伝播であるから、観測者との間には必ず『相対速度』がある。ドップラー効果と言う現象が存在する事は、それが光の観測者に対する相対性の証拠である。

『静電界は磁界を伴う』は『電荷』概念否定の実験結果でもある。一つの新しい科学論への認識を喚起すると思う。ロゴウスキー電極空間の磁界 (2020/06/18)。

 

 

電力 その禪問答

『電力』と言う用語の意味位は分かって当たり前だ。それは電気『エネルギー』を利用して、社会経済活動の根幹を成す仕組みを支える用語であろう。

ところがだ、その意味が理解できないのだ。電気回路現象をその物理的本源から問い直すと、『はてな?』が考えろと促すのだ。不思議な事に、分からない疑問が増えるのだ。

基本回路で考えてみよう。

p(ωt)=v(ωt)i(ωt) ?

 

我乍ら驚いた。正しく禅問答だ。電圧と電流の積が何故電力になるか?その物理的意味が分からないのだ。

『はてな?』の意味。少しその前提を述べておく。『電圧』は電線路空間の『エネルギー』分布密度で解釈する。

v(ωt)=√(δv/C) [(J/F)^1/2^=V] 。

のように電線路単位長さ当たりの『エネルギー』密度分布δv(ωt)[J/m]がその電圧の技術概念の基になっている。同様に、『電流』も

i(ωt)=√(δi/L) [(J/H)^1/2^=A]

のように、『エネルギー』分布密度δi(ωt)[J/m]の流れとして解釈する。

この意味で電圧、電流を捉えれば、それは如何にもその時刻における瞬時値と解釈できる。電線路の1メートル当たりの分布『エネルギー』密度と言う瞬時値と見做せようから。しかし、電圧と電流の積として、電力 p[W=J/s]を考えるとそれは瞬時値とは言えない。1秒間、1[s]当たりの『エネルギー』量を意味する事に成る。電圧、電流及び電力の波形を描けば、次のように表現する事に成っている。

この波形を見ても今まであまり違和感を持たないでも済んだ。科学技術理論と言う学術論は殆どその専門家の解釈理論で、専門家と言う慣用学術論組織内では立派に通用する。然し乍ら、図の電力p(ωt)の次元は[J/s]の1[s]間の『エネルギー』量を示す瞬時値である。

禅問答という意味。実はもっと不可解な迷路に迷い込むのだ。

p(ωt)=v(ωt)i(ωt)=√(δv(ωt)δi(ωt)/LC)=co√(δv(ωt)δi(ωt)) [W]

ただし、光速度co=√(1/LC)[m/s] である。

上の式は光速度の30万キロメートル分の『エネルギー』量を積算した意味で捉えれば、何とか辻褄合わせは出来るようだ。電力はやはり1秒間の積分量を評価する意味だと。だから波形の意味は論理的な瞬時値概念を表現しているとは言い難いのだ。 しかし、電力が電圧と電流の積と言う算定値に依って技術評価することの意義は極めて高いのだ。

負荷が電力設備系統に要求するものは『エネルギー』しかないのだ。『電子』や『電荷』など全く必要としていない。だから電線路空間を通して『エネルギー』の流れが物理現象として捉えるべき対象の筈である。そこで、『エネルギー』の流れなら δi(ωt)[J/m]だけで解釈出来るのではないかと思うが、そうでは無いのだ。必ず、電圧との積でなければ『エネルギー』の供給の評価が出来ないのだ。

電力系統は送電電圧値に依って、同じ電流でも送電容量が、そのレベルが違うのだ。『電圧「と『電流』の積でなければ送電『エネルギー』の評価が出来ないのだ。

一体『電圧』の意味は伝送『エネルギー』に対して、どの様な物理的概念を持つと言うのか?それが不可解の『禪問答』たる意味である。自己撞着とはこの事か?

分かろうと藻掻いて、分からなさが増大する。❓❓

電流計とエネルギー流

電流計は何を計るか(2)  の結論を印す。

上の回路(2)の電流計は回路のエネルギー流に対してどの様な意味を持つか。

結論。

回路のプラス側に電流計A を繋いだ。その回路の回路定数をまとめた。回路定数は単位電線路長当たりの値とする。L[H/m] 、C[F/m] 等の電線路に電流計が接続されれば、負側電線路近傍を伝送される『エネルギー』δp[J/m]が負荷の特性で決まる。そこに電流計が挿入される訳だから、その伝送エネルギー流は乱れる。『エネルギー』はその値や波形を科学的実験で測定できない。電気理論は電圧計や電流計で、その回路現象を捉える。しかし『エネルギー』は観測できない。電流計のコイルに貯蔵される『エネルギー』の量をδa[J]とする。Laa[H]が回路に挿入された時、回路定数をどの様に解釈するか、それを平行二線式回路の定数について に述べた。電線路電圧は電流計の電圧降下分を無視すれば(コイルに平行に抵抗値ゼロと見做せるシャント抵抗SHで回路電流Iを流す)、回路電圧V一定と考える。ただ、電流計接続回路部だけの回路に『エネルギー』分布に変化が起きる。電流計がプラス側に繋がれているから、そのコイル分の『エネルギー』が電圧のエネルギーギャップ条件を乱す事に成る。その『エネルギー』分は負側で保障して、電圧一定条件の『エネルギーギャップ』を保持する事に成る。電流計部の『エネルギー』の伝送速度が遅くなる。その事で、電線路全体の伝送電力p[W]は何処も一定に保たれることになる。負側電線路近傍空間の伝送『エネルギー』密度δA[J/m]および電流計コイルエネルギーδa[J=(J/m)と等価]の間に

δa=(Laa/L)δp

の関係がある。

以上が結論である。『エネルギー』量が計測できない科学的検証の限界が在る。それは文学、哲学と言われるかも知れない。ただ一つ重要な実験結果として、変圧器の奇想天外診断 (2015/06/02) および天晴れ(コイルと電圧とエネルギー)に示した意味が電線路の『エネルギー』伝送の電磁現象の原理を示していると言えよう。

電流計は何を計るか(2)

初めの頃の記事、電流計は何を計るか (2010/11/10) で、少し長い記事だが磁気の関係を論じた。

電気回路について前の記事で漸く、電線路の回路特性 (2021/08/10) の認識に辿り着いた。線路空間を伝送する『エネルギー』が電気回路の機能の眞相であった。それでは電線路に繋ぐ電流計は何を計るのかと、新たな疑問が浮かぶ。

この記事(下書きは、8月28日で止まっていた。)を書くために、その準備が必要であった。平行二線式回路の定数について がそれだ。

 

図は電灯回路だ。電源は電池の直流電圧だ。

図(1)はプラス側の電線路にコイルLaaが付加されている。このコイルはどんな働きをするのだろうか。直流回路でコイルはどのような機能を持つと考えるか。さらに、プラス側の電線路には『エネルギー』は分布しないと今まで解説してきた。図(2)の電流計の接続との関係も含めて考えてみよう。電流計接続はプラス、マイナス側のどちらでもほとんど変わりなく、同じ値の計測値を示す筈だから。

このような簡単な回路で、電気現象を考えることに科学理論としての価値をどの様に観るだろうか。

その検証は学術理論の専門家の科学論の世界に入って論じても、無理である。『電子』否定の科学論が愚直に、真剣に考えて頂けて意味を持つのは、このような中学生にも解る単純な電気現象にこそ、そのカギが隠されている。今もって、電気回路で『電子』が『エネルギー』を如何に負荷に伝送するかの機能を高度な物理学理論を研究なさる専門家は誰も説明しない。それは論理的に理論が矛盾に満ちているから、『エネルギー』を負荷に伝送するための、どの様な『電子』の具体的機能によって『エネルギー』の保有を担うかの合理的解釈が出来ないからである。

(1)の回路。直流では、定常状態でコイルはインダクタンスとしては機能しない。周波数が無いから、ω=0 であり、ωL=0 である。電源電圧 V「V] とすれば、電流は

式   I=V÷R [A]

となり、コイルのインダクタンスLaa[H]は式には現れず、負荷に影響を与える意味は無く、『エネルギー』伝送に何の意味も持たない解釈となる。

コイル内の『エネルギー』を考えてみよう。電流の式にはコイルの意味は現れない。しかし電気回路内の現象で、コイルが全く存在しないと同じかと言えば、そうではない。コイル内には必ず『エネルギー』が貯蔵される。その『エネルギー』をどの様な物理量と認識するか、それは科学理論での『エネルギー』の概念とは何を指すのかの問題でもある。市民が学校教育で受けるべき科学リテラシーの基礎的素養としての内容に関わる問題でもある。コイル内の空間に実在すると考えるか、数式上の抽象的な意味で考えるかの問答である。

答えは空間には『エネルギー』が実在するだ。それが自然世界の物理的(物理学理論的ではない)実像である。しかし、ここ迄科学技術が進展し、ドローン空撮、極超音速ミサイル、自動運転自動車等空恐ろしい程の、予測し難い未来社会に突入しようとしている。技術は進展すれど、自然認識の基礎となるべき現代物理学理論が余りにも前時代的な認識の誤りの中を彷徨う現状を恐ろしいと思う。

『エネルギー』が空間に実在する物理量だと見做せない意識の中に、基礎理論としての役割を果たしていない科学常識の過ちの中に居る。

そんな自然哲学、社会科学の課題を多寡が電気回路の電磁現象の中からではあるが、明らかにしなければならない未解決の問題の中に居る。『電子』が電気回路で、何の役にも立たない概念である事を長く指摘してきた。電流計のコイル内の『エネルギー』の実像を考えれば、そこに『電子』がどの様な役割を果たすと理解しているかを個々人が考えれば、上の意味が分かる筈と思う。

そんな科学理論の基礎の危うさ、矛盾の困難の中を、皆が泳がされているのだ。科学技術の経済的競争の中で、経済的利益に無関係の基礎概念など、誰も研究対象として取り組まない。電流は『電子』の逆流だ等と逃げているようだ。狭い専門性の細分化された研究体制は哲学を忘れたカナリヤ科学論になる。

『エネルギー』一つの意味を認識して欲しい。波はエネルギー流 (2021/10/08) など誰もが観測できる『エネルギー』の物理現象だ。『エネルギー』を忘れてはカナリヤ科学論から脱却しなければならない。

今までの物理学理論では、光についても『エネルギー』の空間の流れとは認識していないようだから。振動数では空間の『エネルギー』が認識できない。

直流回路の電流計が電気回路内で、どの様な『エネルギー』を計測しているのだろうか。回路定数C[F/m] およびL[H/m]との関係を含めて考えてみよう。

結論。記事 電流計とエネルギー流 (2021/10/ 23 )にまとめた。

 

 

平行二線式回路の定数について

電気回路現象の解釈理論は電圧と電流による『オームの法則』が基本となって完成している。

しかし、電圧と電流と言う概念はとても優れた解釈概念であるが、それはあくまでも科学技術用の創造概念であり、それに自然界での真相を求めようとすると矛盾の壁に突き当たる。

それは電圧、電流の本質を問えば、『電荷』と言う物理量の実在性に依存せざるを得なくなる。プラスとマイナスの二種類の『電荷』が欠かせない論理的根拠となる。マイナスの『電荷』は『電子』であるが、プラスの『電荷』が何かは極めて曖昧である。その論理的矛盾は『電荷』を切り捨て、『エネルギー』の流れとして理解する事で解決できる。

電気回路現象を『エネルギー』の流れとして捉えれば、導線導体内を流れる『電子』などの必要はなくなり、電線路内の空間の電気定数の解釈の問題となる。この関係は電線路の回路特性 (2021/08/11)にまとめた。それでも未だ残った問題があった。

電気回路例。

電池からの『エネルギー』が電線路空間を流れるとなれば、その特性は回路分布定数L[H/m] とC[F/m]で解釈すれば良い。電線路の特性インピーダンスZo[Ω]は

Zo=(L/C)^1/2^[Ω]

となり、空間の構造で電気現象の特性が決まる。負荷ランプの特性値R[Ω]とZoとの関係で、電気回路の『エネルギー』伝送特性が決まる。

以上の意味を基本認識として、二本の電線で構成される電線路のインダクタンスLと静電容量Cの意味をもう少し考えておこう。

二本の電線だから、具体的にその電線路の特性値を考えれば、右図の様になっていると考えてよかろう。

 

 

 

等価回路。回路特性値 L[H/m] および C[F/m]は右図のように算定される。その訳を考えた。

 

 

 

 

電線路空間を『エネルギー』が伝送するとき、その流れは電線にどのような関係になるか。

L=2La[H/m] およびC=Ca/2[F/m]と回路特性値を解釈する。その訳が右図の様なCaとLaの間での遣り取りとして伝送する『エネルギー』という意味で解釈する。

この解釈は回路に電流計を接続する。その電流計の計測値に及ぼす回路特性を理解するに欠かせない事から取り上げた。

こんな回路論は余りにも、当たり前の基礎論で、学校教育の教科書の問題の指摘でしかなく、科学論としての学術論文になるような内容ではない。然し乍ら、現在の科学理論の根源概念、『電荷』を否定するところから生まれる新しい解釈である。現在の学校教育での物理学理論からは生まれない解釈ではある。

自然界に存在もしない『電荷』概念に論拠を置いた学校での理科教育は、その矛盾の伝統の引継ぎ業界の体制保持の意味しかないのだ。その事は未来を背負う子供たちに対しての教育行政の責任を問う事でもある。また大学教育の物理学基礎理論の根幹が問われる事でもある。例え困難があろうと子供達の未来への考える教育への転換が望まれる。

波はエネルギー流

『エネルギー』を伴わない波は無い。

電磁波、水面波、津波(海洋伝播の波)そして光。全て『エネルギー』の縦波である。この『エネルギー』の流れは運動エネルギーのような質量の運動速度によるエネルギーの流れは伴わない。質量が流れない、『エネルギー』が進行方向に流れる現象が縦波という意味だ。水や弦等の波は、波源から『エネルギー』が質量の空間媒体を利用して伝播する現象の『縦波』だ。電磁波や、光は真空空間を伝播する『エネルギー』そのものの縦波だ。

しかし、物理学理論ではその『エネルギー』を認識していない。

雨粒と波紋 (2019/07/04) の記事の波紋が右だ。雨粒が水面で踊っている。水とは別物の様に、白い塊となって上下運動をしている。水面の表面張力と雨粒の表面張力との不思議な関係が織りなす現象である。

この状況も一つの自然現象の姿を示している。この物理現象を理数的に解説し、表式化しようとすればとても難しかろう。

ピンポン玉の中に半分の水を満たして、上から落下でもさせれば、こんな波紋ができるかも知れない。アルキメデスの浮力との兼ね合いで。

その球が水面に落下する時の速度で、その球の運動エネルギーは計算できる。『エネルギー保存則』と言う有り難い物理原理が認識されている。

さてそのとき水面にできる波紋は、物理学の教育で教える『横波』で説明することで、自然現象の論理に適合すると考えるのでしょうか。

物理学教育では全く『エネルギー』と言う概念は無視される。只水面の水が上下に運動するだけと殊更強調して教える。これが『横波』の物理現象と❣決して『エネルギー』の言葉は出てこない。

水面に波は生じて『エネルギー』が関わらないとは、物理学とは一体何なんだ!

だから、スマホで電磁波を幾ら放射して、電池が切れても、電磁波には『エネルギー』が全く関わらなくて済む現代物理学理論なんだね?NHKの放送電波の電力が300[kW]でも、電磁波には『エネルギー』の放射が無くても良い電気磁気学理論なんだね?

当然、『光』も『エネルギー』の縦波だ等とは認識できない訳ですね。

日本物理学会、2011年秋季大会(富山大学)、所属歴無しの不可解❓と?で発表できなかった。

24pRF-3  波はエネルギー流 講演概要集 66-2-2. p.369. (2009.9.23)

にパラボラアンテナ面での電磁波の『エネルギー縦波現象』を解説してある。(横波でどのような解釈ができるのだろうか?電気磁気学担当の先生から是非お示し頂きたい。)

禪に導かれて

 1985年7月1日付辞令

(松永 光 文部大臣):長岡工業高等専門学校助教授は直ちにその日に履歴書で『以下余白』と消えた。高橋校長名で!本人が知らずに何十年も過ぎて気付く人事問題は、法治行政(憲法上)としてどの様な論拠が在るのか、その訳が不可解❓1979年7月の文部省主催の『工業教員指導者講習会』への、公立学校共済組合非加入者のアルバイト教員の参加の有意性の意味と合わせて考えれば、ますます不可解だ❓1980年3月31日と1980年4月1日の職歴はどう理解すれば良いか?

 禪と科学 (2011/06/20) の冒頭に載せた達磨図だ。『空』は世界のすべてがそこから始まる。そんな思いを表現した。

家の宗派が『曹洞宗』の関係もあってか、禪を身近に感じていた。然し、その説く思想は理解しかねる不可思議な魅力を秘めていた。その事は禅と日本文化 を読みながら考えた (2013/09/08)-Zen Buddhism and its Influence on Japanese Culture. (1938) の訳本-にも述べた。

今日再びその本を開いて、偉大な 鈴木 大拙禅師の思想に触れたくなった。第一章 禅の予備知識 だけでも理解困難である。2013年頃より、今は少し、電気回路現象で自然の深い姿に触れられたかと思う心境にある。その道標は、長く禪の御蔭に負っているように感じる。基本的に、禪は生きる上での、異変、緊急事態にその真価が現れるように思う。異変に気付いた最初が、昭和61年春4月、ずっと後から気付けば、そこに歌があった。『愛燦燦』、『暴れ太鼓』、「みだれ髪」そして「川の流れの様に」と。まさか舞鶴鎮守府が待っていたとは知らなかった。

ここには七つの文章にまとめられている。

『精神』と言う言葉がある。その意味はこの禅的思想の中でどのような具体的な事を指すのか。

と自問してから考えた。『精神』の対極語は何か。何時も使う言葉でありながら、その意味を即座に述べられない事に戸惑った。対極語は「物」として見えるものになるかと思う。そこで初めて『精神』が目には見えない事に気付いた。言い換えれば「心」とも言うかもしれない。「心」も見えないから。『精神』とは何かは、これぞ禅の問答かも知れない。人は見えるものに意識が向く。科学理論も、物理学理論もその科学的検証が求められる。それは見えるもので無いと検証できない事であるとも気付かされる。だから科学と禪は両極に対する事に成りそうだ。

科学は⦅見えるもの⦆が対象で、禅は⦅見えないもの⦆が対象となる。と言い切っても良さそうだ。

⦅見えないもの⦆の代表が『精神』だ。その『精神』が司る対象、その結果に起こる事象、それも目に見えない『エネルギー』だ。意識、心も『エネルギー』の及ぼし合う現象世界と言えるようだ。

ニューロン。情報伝達信号も『エネルギー』が担う。決して物では困難だ。『精神』と言う言葉の意味を今までほとんど考えてこなかった。会話も、人同士の間の、その精神活動なのだ。そこには何も⦅見えるもの⦆など無い。それは人や生物が生きるに、基礎代謝と言う『エネルギー』を消費して体温を賄う生体の物理現象と同じく、基本的には見えない『エネルギー』に因って司られている自然現象の真理なのだ。過去に素人ながら、この生理的意味を考えた事があった。ここで少し振り返ってみよう。

脳の機能と個性 (2014/11/02)に

載せたのが右図だ。当時は無意識であったが、今思えば、『エネルギー』と言う目に見えない自然界を支配している空間に実在する物理量を意識して描いたものと分かった。

その他、脳の生体制御の謎 (2014/03/21) や悟りとは?₋色即是空の世界観‐ (2014/o3/25) (とても僭越な物言いでお恥かしい内容だ)。最初が、『基礎科学』とは何だろう (2010/11/02) であった。これらはみんな、素人の感覚的解釈論と言われても良いものだ。何も科学論と言うべき、所謂科学的データによる裏付けが何も無いから。電気回路と同様、生体情報伝達機能を担うものは電流でもなければ、『電子』でもない。それは『エネルギー』の波形とその光速度伝達現象である。『物質』では高速度反応に応えられず、生体の総合的制御機能を統合できないと考える。生体の『エネルギー』に負う意味を考えるべきだ。物理学は「物」の理学だから、「物」でない『エネルギー』の科学論には成れないのかも知れない。精神・心が物で測れない訳だから。

考えてみれば、電気回路現象の『エネルギー』伝播の解釈も基本的には、殆ど実験データによる裏付けが有った訳でもない。ただ、直覚的な思いを元に世間の常識を無視して、勝手な解釈を展開していると見做されるかも知れない。しかし、どう考えても自然界に『電荷』など有り様がない。そこだけは科学の常識が間違っている。常識で「在る」と言う『電子』などを「無い」と言う論拠を示すことが如何に困難かを知った。『静電界は磁界を伴う』の実験的データを発表してから。科学理論と不立文字の関り論だったかもしれない。

空間構造とエネルギー

やはり空間の『エネルギー』だ。

それにしても物理学理論や地球物理学は何処か矛盾の闇の世界に観える。残念ながら、その根本的な原因が、専門家の表明する文章・お話での専門学術用語の検証不可能性とその真偽が日常生活に経済的損害を与えない空想物語である事にある。雷論は、雲の上昇氷の摩擦で、何原子が基になってプラスとマイナスの『電荷』に電離するか?氷分子のイオン化なのか極めて曖昧でも、自由に大量の『電荷』と言う便利学術用語が駆使可能で、何方も経済的損害を受けないから異論を挟まず御自由にお唱え可能だ。『電荷』と言う魔術的学術用語は誰も批判できない、原子の内部構造を決して誰も確認できない安全圏の御説だから。山の頂上でも、柱状節理がメリケン粉の振動説でも批判もされないから御自由にお唱え可能だ。磁束が自然界にある訳でもないのに、磁気の本質が何かの深い物理学理論での解釈が曖昧だから、地球が逆転したような「何とかニヤン」が地球的お話になる。電荷間の力の矛盾論 (2021/05/11) にも、どう考えても物理学理論が自然世界を真剣に見つめようとする心からの解釈論には見えない事を述べた。ただ過去の解釈論を無意識的に継承しているに過ぎない。それぞれの物理学理論などは、大学などの高等学術機関の研究室で、その専門的高等特殊理論の伝統を引き継ぎ、将来に亘ってその分野での専門家としての権威を継承する道が整えられる。生活が保障される。その学術理論に異を唱えれば、即刻その専門家としての社会的役割は終了する。科学理論とは極めて非論理的で、保守的な学術の専門性をその背景に秘めているのだ。科学理論の自然世界に広く適応可能な統合的完全性を求めるなら、少なくとも二つ以上の異なる分野の研究の経験が望ましい。一つは科学技術の分野の具体的経験と感覚。空間的『エネルギー』の実在性を認識する経験。

現代物理学理論には、運動エネルギーや位置エネルギーは良く教科書でも取り上げられて、誰でも理解している。しかし空間に実在する『エネルギー』と言う物理量の認識が無いようだ。それは空間の構造を余り意識していないからと思う。

その根底には、抽象的解釈論(理数学的)と具象的解釈論(空間像認識)の違いが在る。

真空透磁率  μo[H/m] と真空誘電率 εo[F/m] 。現代物理学、自然科学あるいは自然哲学、それらのとても専門的な高度のお話に「時空論」があるように思う。それらは遠い宇宙から、過去未来の時間を超えた壮大なお話になる。それに対して、μo[H/m]、 εo[F/m]等の手元の電気回路論などの身近な空間の意味など、余り意識されていないようだ。しかし、光の『エネルギー』の伝播する空間を、科学的な意味で解釈しようとすれば、何かその空間の解釈概念が必要になる。最低でも、その透磁率と誘電率位は空間構造の解釈の基礎に据えたい。

電力工学では、空間が保有し得る『エネルギー』には限界が在ると認識している。と思っているのは自分だけなのか?その空間の意味は電界で定義し、1cm当たり30kVを一つの目安にする。それ以上の電気的ストレスを空間に掛けると、火花放電やコロナ放電を起こし、空間が絶縁機能を失う。この空間は空気の事で、空気その物の中の物理的状態の問題なのだ。『電荷』説では、その空気の『電荷』を論じている訳ではない。『電荷』そのものが火花を散らす論説ではない筈だ。『電荷』は専門的雷の御説の解釈依存概念としてお借りする間接的学術用語でしかない。火花に成るのは空間の空気なのだ。専門家は火花の話で、『電荷』などその後にどうなろうとその意味など意識に無いのだ。『電荷』が光になる訳を説明など決してしない。存在しない『電荷』が『光』に化ける、化学変化の物理学的論拠も無いから説明など出来る訳がないのだ。それでも科学学術雑誌に載れば、とても専門的風格の誰もが異論を唱えようが無い雷論となる。火花放電現象は空気の絶縁破壊現象だ。完全な真空空間なら火花放電は起き難い。具体的なプラスの『電荷』がどの様なものか、『陽子』か『水蒸気イオン』あるいは『酸素イオン』か等は全く分らなくても、何でも良いのだ。『電荷』が『雷光』に変換される原理の為の量子力学も無いようだから。

その事の意味を、『電荷』や『電子』で考えるべきか、あるいは『エネルギー』で解釈すべきかを問うのである。その為の空間構造の例を提起して考えよう。

空間構造例。

何も難しいものではないが、余り意識しない空間構造の電気現象解釈かも知れない。直流電圧を2枚の円盤間の空間と2本の円環リング間の空間に掛けるだけでしかない。

(1)円盤。これは誰でもコンデンサと理解できよう。

(2)リング。何の役にも立たないだろうが、一応電圧を掛ければ電気回路である。この回路(?)を取り上げた意味はインダクタンスL[H]の巻き線コイルの空間『エネルギー』と1ターン電圧の関係を意識して欲しくて取り上げた。ちょっと電気技術者らしからぬ変なオジサンの思考で。

どちらも、スイッチを入れて電圧を徐々に上げて行けば、何時かは火花放電になり事故状態となる。電源にはヒューズが必要だが忘れてしまった。🙇。

ここで考えることは。空間の空気絶縁破壊と言う現象の物理的意味である。『電荷』と『エネルギー』の自然科学論の認識の問題である。それは考える人の夫々が今まで経験してきた科学的解釈の手法、習慣によってある程度感覚的なものに依るかも知れない。

問題は空間に『エネルギー』が在ると意識するかどうかである。

(1)のコンデンサの円盤内の空間をどの様な電気的空間と意識するか。

電荷の論理性(2020/10/26) で取り上げた問題がある。それが右である。この問題を 電荷Q[C]とは何だ❕ (2021/05/19) で論じた。また、大学入試問題例(エネルギー問題) (2021/05/25)。ヤッパリ「電荷」だ❓ (2021/07/03) 等で、『電荷』否定の解釈理由を論じた。内容は如何にも高尚な学術論文には程遠く、幼稚な、言ってみれば下界の囲炉端話に近い素人論に観えよう。しかし、このような科学論理の矛盾を科学者、物理学者は無視して過ごしてきた事に気付かなければならない筈だ。

(1)の円盤電極に『電荷』が、プラスの『電荷』とマイナスの『電荷』が原子から分かれて、あるいは電源の電池などから分離して、集電すると本当に考えるのですか。それで物理学理論として矛盾を感じないのですか?

それが、電中研の『雷』論にも成って子供達への解説となっている。雷と科学論

この(1)の場合の具体的計算をしてみよう。

円盤の面積A=100 [cm²]、D=1[cm] とする。その静電容量 C=8.9[pF]程度となる。V=30[kV] で放電に至るとすれば。

その時の貯蔵容量は E=CV² = 7.9 [mJ] 程度となる。

次に(2)のリングの場合。

コイルに電圧を掛ければ、コイルの巻き線の間に『エネルギー』が分布する。その巻き線間にも空間的には幾ら僅かであっても静電容量と言う空間的電気的要素機能が存在する。そのコイル1ターン当たりの電圧を1ターン電圧 vu[V] と解釈する。巻き線全体では巻き数 n 倍すればコイル端子電圧となる。そのようなコイルリングの意味を図(2)で考える。いくら小さくてもリングの間には『エネルギー』が存在する空間が有る。その空間の空気にもコンデンサと同じ『エネルギー』の貯蔵限界が在る。限界を超えれば、火花放電の絶縁破壊現象に至る。その破壊電圧を V [V]。コイル静電容量 C [F/cm]が分かれば、

エネルギー 分布密度

δ= C V² [J/cm]

(1)の円盤電極の場合と同じリング半径 r=35[cm] として、線路静電容量 Cr[F/cm]を算定してみよう。平行電線路の場合の算定法を適用してみる。電線径d=1.6[mm] で、D=1[cm]とする。

構造係数 k=(2.3029/π)log(2D/d)=0.710 を利用してみる。

しかし、C=9.6[pF/cm] と大き過ぎる算定結果となる。

ここでは、以上の結果で、残念ながら検証は取りやめる。

以前に、 L とC と空間エネルギー (2017/08/02) で、同じような事を述べていた。今回の検証回路の結論も、数値的な結果が出ず、未熟さを反省します。

結論。科学論で、特にあらゆる科学論の基礎と考えられてきた、現代物理学理論の基礎概念および専門学術用語が極めて不明確で、曖昧なものである事を指摘した。水の水面に広がる波さえ、その原因に『エネルギー』を捉えていないようでは、何時か理論がその基礎から瓦解することを危惧する。理科教育にその責任があるのではなかろうか。

 

 

コイルの電圧とエネルギー

電気回路現象はそのエネルギー伝送空間のインダクタンスL[H/m]とキャパシタンスC[F/m]の機能が司る。

その特異な回路に共振回路がある。その回路現象を解釈するにコイルの端子電圧の意味が中々分かり難い。

今までの解釈で、変圧器のエネルギー伝送現象 (2020/11/14)。および電磁誘導現象の真相 (2020/10/25)等の認識に辿り着いた。『電流』や『電圧』による解釈はあくまでも電気技術的な解釈手法である。自然現象の本質は『エネルギー』が握っている。『電圧』と『電流』の意味も『エネルギー』の空間現象として理解しなければならないことが分かった。そこで回路共振現象を理解しようとすると、どうしてもコイルの端子電圧の意味を捉えなければ困難との認識に至った。それが『エネルギー』による解釈になる。コイルとコンデンサ間の『エネルギー』の遣り取りになる。

上の記事で、『エネルギー』による解釈の基本はある程度示した。それでも共振現象でのコイルとコンデンサ間の『エネルギー』の遣り取りやその周期 Tと(LC)^1/2^[s] 間の関係式の問題は解決に至っていない。

それは『エネルギー』がコイル内でどのような空間分布状態かに関わる解釈の問題でもある。そこにコイルからコンデンサへの『エネルギー』転送とコイル端子電圧の関係が明らかにならなければならない筈だ。コイルは電圧に対して他力本願的機能に思える。自己で端子電圧を決める機能を持っていないようだ。コイル電圧は端子に掛かる外部のエネルギー供給源によって決まる量である。コイル端子への線路静電容量と分布エネルギー量から決まる。

端子電圧とエネルギー。

コイルに図のような電圧を掛けた。コイル端子電圧は外部回路との電気エネルギーのコイルへの入射あるいは放出を伴う。『電圧』とは回路端子の電線間の『エネルギー』分布量と静電容量によって決まる概念量だ。コイルに正の電圧が印加されれば、それは負側電線空間を通して、コイルに『エネルギー』が流入する現象である。その端子電圧に対抗する現象がコイル内に起こらなければならない。電圧に対してコイルは受け身である。印加電圧が零の区間で、コイル端子電圧はどの様な現象になるか。電気物理(コイルの電圧) (2019/03/17) はコイルの『エネルギー』による解釈を始めた頃のものだ。しかし、誘導エネルギーに観る技術と物理 (2019/04/03)はやはり技術論であり、空間に実在する『エネルギー』の認識より技術概念での誘導エネルギー論である。コイル内空間に実在する『エネルギー』は、技術的な『電流』によるコイル内の『エネルギー』(1/2)Li² のような、コイル空間のどこに在るかが理解できないものとは、その意味が異なる。質量に付帯する運動エネルギーとは全く次元が異なり、光と同じ空間の光速度流の『エネルギー』なのだ。

コイルの芯に磁性体があるとする。コイル端子に電圧が印加されている限りは、コイル周辺空間に『エネルギー』が流れ続けなければならない。『エネルギー』の入射が受け付けられなく、内部空間が『エネルギー』の飽和状態になれば、コイル端子の電圧は零の短絡状態となる。その基本的意味を理解した上で、端子電圧とコイル周辺の『エネルギー』分布の関係の解釈を示そう。

電源電圧一定値の①の区間では、コイル間の分布静電容量に対する『エネルギーギャップ』の分布量が一定に保たれている。1ターン当たりの電圧がvuで、その巻数倍が端子電圧となる。その間は電源側から『エネルギー』が流入し続ける。その貯蔵容量が中心空間に要求される条件となる。

②の区間。突然電圧値がゼロとなる。その時コイル巻き線周辺の『エネルギー』の分布は①と異なり、エネルギーギャップも零となる。しかし既に貯蔵した『エネルギー』はコイル内部に蓄えられている訳だ。その『エネルギー』の分布様態はコイル巻線部の内側の空間内を還流する図のようなものとなる。この状態は、鉄心部に記したように、その磁極 S と Nが決まった向きの軸性のエネルギー流となる。

以上によって、観えないコイル内の『エネルギー』の分布とコイル端子電圧の関係を解釈する。

あくまでもコイル端子電圧は、『エネルギー』貯蔵機能要素を発揮しながら、その外部への現れ方は他力本願である。外部回路の『エネルギー』分布によってそれに対応する不思議な機能を備えていると解釈した。

この結論をもって、漸くL C の共振現象の解釈に進める。