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原子・分子結合力と周回軌道電子論の矛盾

初夢の恐怖  初夢の恐怖 原子核の周りを今年も元気に電子が高速で回っている。科学の世界も安泰であります。そろそろ独りぼっちは寂しいので、纏まった分子結合への夢を見た。回転する電子同士が手を繋ぐ。中心の核私は電子に振り回されて目が廻る初夢の恐怖。それでも電子周回軌道原子構造論は安泰と言う初夢。夢の謎解きが待ちどうしい。2018/01/11 追記。

はじめに 世界は光が支配している。宇宙全体を支配するのは光である。星も砕け散れば光になる。光は原子の全てを創り上げている。質量は光である。光はエネルギーの空間像である。世界はエネルギーである。人類よ、エネルギーの意味を捉えよう。エネルギーに質量が必要と言う誤解を解こう。自然は単純である。雷の発生理論が上空での氷の摩擦での電荷分離現象が原因であるなどと言う研究機関の解釈が罷り通るのはやめて欲しいと願う。

原子とは 複雑怪奇が原子から始まった。『電荷』がその基になってしまった。電荷は光になるか、ならないか?世界に存在する全てが光になる。光を含めてエネルギーが世界の根源であるから。原子は原子核とその周りを周回する電子から成り立つとなっている。その原子核は陽子(正電荷と質量)と中性子(電荷なしの質量)の集合体と成っている。理解できないこと、中性子は正電荷と負電荷が合体して中性なのか、電荷に無関係なのかが明確か?正電荷の陽子が陽電子と中性子に分裂するとも言われる?核の陽子がクーロン力に逆らって集合体を構成する原理は何か?こんな事を言ってはいけないだろうが、そもそもプラスの陽子と中性の中性子で原子核が成り立つという必然性は何なんだろうか。湯川秀樹博士の中間子論で核理論は成り立っていると言われるが、筆者にはとても理解できないので窮してしまう。。最も単純な原子は水素である。一つの陽子の核と周回運動する一つの電子から構成されていると。陽子も電子もすべてエネルギーから出来ている。陽子も電子も消滅すれば光を含めたエネルギーに変換される。世界はエネルギーと等価である。

原子・分子結合力の原因は電荷かエネルギーか 電荷概念を否定し、クーロンの法則を斬ると言えば電気磁気学の伝統的な論理の拠り所を失ってしまう。何の頼る術もない。しかし、原子同士が結合し複雑な高分子から生命現象まで司る世界は現実だ。質量の万有引力では原子結合は説明できなかろう。他に結合する力の原理は何があるか。そこに「電荷」が救いの神に成っていた。しかし『電荷』とは何かと尋ねても答える術もない。プラスとマイナスの『電荷』の空間的存在形態の違いを明らかに出来ない。プラスの電荷は突起を持って居るとか、マイナスの電荷は陥没欠損穴を持って居るとかの空間的違いが無ければ、プラスとマイナスと言う実在性を論理的に説明できない筈だ。そもそも電荷がどのようなものかを説明もできないし、確認出来ないのだ。摩擦によって熱は発生する。摩擦熱だ。熱はエネルギーだ。古代から人は摩擦で火を起こして来た。摩擦で熱エネルギーに変換できる事は見て理解できる。不思議な事に摩擦で電気が発生すると解釈した。摩擦電気と言う。引き付ける力が存在する現象を眼で見ることが出来た。摩擦によって確かに引き付ける力を産むと言う事だけは確かである。その現象が『電荷』が生まれたからであると言うことを検証し、確認出来る訳ではない。電荷は眼に見えない。しかし、眼に観えない元素の世界の科学論が結合力を必要とした事に因る必然的結果として、摩擦現象の引き付ける力が元素の世界に結びついたと考える。誰も否定できない科学論になった。摩擦が眼に見えないがプラスとマイナスの電荷を産むと解釈した。摩擦すると分子結合の物質が摩擦面で、原子の外殻を周回する電子を剥ぎ取り、どちらかの物質側の一方にその電子が移動でもすると考えるのだろう。その為二つの物質で電荷の平衡が破られそれぞれ一方の電荷に分かれると考えるようだ。その電荷分離の原理はどちらの電荷が集合するかの詳しい訳は原子論的に少しも説明されない。摩擦によりクーロンの法則に反する電荷移動が起こる理由が見えないのだ。この摩擦の場合はクーロンの法則は忘れないと理論にならない宿命のようだ。ヴァンデグラフ起電機が後押しもした。丁度粒子性と波動性のように科学理論に横たわる宿命として閑却するようだ。誠に理論は都合が良いのだ。しかし今、エネルギーと言う空間に実在する物理量、光を認識すれば、物を引き付ける原因が『電荷』でなければならないと言う事を一概には言えない筈である。先ず熱エネルギーが放射現象として空間に実在する意味を理解できるかの問題にもなろう。質量には無関係の熱エネルギーを。布団を陽に乾せば、熱エネルギーが籠って暖かくなる。その熱エネルギーである。摩擦現象が熱を産むことは誰もが知っている。しかし科学論の引力に成った時、摩擦熱の意味は消えて摩擦電荷が主役に躍り出る。電気の解説になると、摩擦で熱は発生しないかの如くに、摩擦で発生するのが電気と決まっているかの解釈であるが、そこに間違いの基がある。それが誠に都合よく現象を説明出来たから、摩擦電気と言えば納得できる解釈として世界の常識となった。雷まで氷が摩擦し合うことで電荷が発生するとの解釈で説明されて、その論が認知されている。摩擦は仕事のエネルギーを対象物に与えるから、何らかのエネルギーがその対象物に蓄積されるのはエネルギー保存則の原理通りである。そのエネルギーは殆どが熱である。物体に熱が溜まれば、その近傍の空間にその熱エネルギーの影響が現れるのは当たり前のことである。その近傍空間に現れるエネルギーの影響がどのようなものであると認識するかの問題である。ドアノブの火花―熱電変換ー 2014/02/09 に関連記事。

周回軌道電子論の矛盾と言う意味 原子構造に関する研究に全く携わった経験の無い者が論じる事が如何に失礼かと思いながら、書く事を許して頂きたい。電気技術感覚からの原子構造に対する感覚的矛盾論である事を述べたい。専門家から観れば、愚にもつかない内容かもしれない。核燃料のウラン235もやはり92個の周回電子軌道論で解釈されるのだろうと言う点で、数Å内にそんな電子軌道が成り立つ筈が無いとクーロンの法則との矛盾を否定できない困難が理解を妨げるから。周回電子間のクーロンの法則の排除力を考慮せずに、それ以上に離れた遠隔力の核のプラス電荷との間でクーロンの法則が有効に働くなどと言う意味が原子構造空間内で論理性を説得できるのだろうか。この論の基にはクーロンの法則を斬る(2013/01/06)での『電荷』概念否定の意味がある。この正と負の電荷間に働く電気力が周回電子と中心核を纏める構成源の力と成っている。その原子と他の原子間に働く分子構成力として、主体となるものは原子外周を回転する電子が担っている事になっている。回転しながら原子間の構成力となるにはどのような空間像で理解すれば良いのだろうか。2価、3価と結合手が多くなれば原子同士が超技巧結合手法でも採らなければ原子が眼を回してとても耐えられる筈は無いと思う。そんな周回運動する電子同士に因る分子結合が可能と言う理論が罷り通る科学論とは本当に不思議な事だ。付いて行けない超高等理論だ。

『水素』に思う

今朝の直覚は水素が急に頭に浮かんだ。「浮図」と言う用語は急に図となって頭に浮かぶと言う意味なのだろうか。昨日は、電荷否定は科学的発見か と直覚に絡めて書いた。歳を取ると、理屈や計算は苦手になる。せめて過去に辿った頭の経路の中から関連した事象を引き出して、科学的解釈をする以外はない。2011/03/11東日本大震災での福島第一原子力発電所の『原子炉崩落事故』で気掛かりのことがあった。『水素爆発』である。水素が空気に触れると、7気圧の爆発力になることは工業高校で生徒に教えていたので知っていた。その凄まじさに、新聞記事での写真に遭遇してその水素爆発の意味を改めて考えてしまった。まさか、『陽子爆発』と言う意味ではないのだろうと疑念のままで来た。陽子と水素の違いはなんだろうかと考える。何も違いは無いだろうと。

水素の命名者は誰か? 元素名がそれぞれ成程と言う思いにさせる用語で付けられている。IT検索で、塩素を調べた。幕末の蘭学者 宇田川榕庵が「舎密開宗(セイミカイソウ)」に塩酸の翻訳用語で表したらしい。しかし水素を誰が初めて使ったかは分からない。それにしても、『水素』と言う命名は誠に巧いと感心した。また、元素に『素』の字を使う語感にも感心する。昔の日本人は、優れた翻訳の語感を持っていたと改めて思う。今日の直覚は酸素、炭素、窒素の日本語の命名者は誰かと思った事からである。漢字『素』を自分も使いたい。世界を構成する基が『エネルギー』であると考えた。その『エネルギー』の日本語訳に『素原』を使いたい。何処か『元素』に似ている。『エネルギー』が世界の「素粒子」である、それが前からの思いである。

水素の発見 1766年ヘンリー・キャヴェンディッシュが分離発見したらしい。1783年アントワーヌ・ラヴォアジェがhydrogeneと命名したらしい。その日本語訳を『水素』としたのは巧い翻訳と感心する。物理的には、陽子と水素の判別が分からないけれども。それは電子の実像不明である故。電荷否定について『電荷』という虚像 をご覧いただきたい。

水素製造の消費エネルギー とても不思議に思っている事がある。『燃料電池』のことである。新しい発電方式として、急に脚光を浴びて、実用化が進められている。家庭の発電方式やハイブリット自動車などに燃料として使われる。水素の製造過程で、どれ程のエネルギーを消費するのかがとても気掛かりだ。エネルギーを生み出す原料・燃料『水素』を造り出すことになるが、その製造工程でのエネルギー消費量がいくらなのかという素朴な疑問が解消しない。家庭の発電方式で使う場合は、その機械の製造から材料の調達・発掘すべての産業の関係したエネルギー消費量を計算して、発電エネルギー量との損得勘定を明らかにする必要があろう。燃料自動車は確かに、排気ガスでは水だけしか排出しないから、環境の問題は幾らか改善されるだろう。地球環境過熱化の問題は科学技術全体のエネルギー消費量の総量で抑制する方向でなければならないのである。経済成長と言う視点だけで、政策・技術が論じられ、推進され易い現実を未来の為にどう考えるべきかが問われているのだ。悩ましい問題に、リニア新幹線問題がある。どれ程エネルギーを多量に使うかを考えているのか?地球がどんどん過熱化されて、植物が枯渇し、生物の多様性が消滅し、生態系全体が崩れた時、すでに人間もその生存が不可能になることを認識したうえで、エネルギー消費を競って行くのだろうか。北極海の航路開設とエネルギー掘削など、温暖・過熱化の加速である事を。水素熱資源活用の問題を地球過熱化との視点で見るべきだ。

燃料電池の原理? 水素の酸化現象。それが化学反応によるエネルギー発生の原理らしい。化学反応式で表せば、 O2+2×H2=2×H2O+E(エネルギー) となるようだ。こんな単純な化学反応でも、水が生まれて、エネルギーを利用できるとは大変なことに思える。原料の酸素と水素の保有する熱エネルギーと化学反応後の水の保有して排出されるエネルギーおよび利用される熱エネルギー(あるいは電気エネルギーと言うのかもしれないが)(損失も含んで)等の総エネルギー量は幾らなんだろう。原子が結合すると何故エネルギーを放出するのだろうか。『質量とエネルギーの等価性』から解釈すれば、水素と酸素が結合して、どんなエネルギー変換を引き起すのだろうか。どの質量がエネルギーに変換するのだろうか。そのエネルギー変換現象の物理的意味を理解できないのである。燃焼と言う熱エネルギーに関する関係記事、燃える『酸素』の力とは?および太陽は何故燃える? がある。

電子科学論の無責任

近代科学は『電子』の発見で幕が開かれたと理解していた。しかし、その基本概念が怪しいものである事がハッキリして来た。これからの科学論の未来がどうあるべきかを考える原点はやはり電子科学論の真相を明らかにする事から始めなければならない。正体不明の電子

辞書を調べると、電子の定義が載っている。上のように、質量と電荷量で定義されている。その桁数の多さに驚く。科学理論は正確でなければならない。だから数値の桁数が多ければ、正確で正しいと思うのかも知れない。しかし、こんな桁数の数値が有名な辞典に載っている事自体が科学論の怪しさを示していると言わなければならない。電子による現代科学理論が自然科学理論の主流となっている訳であるから、その定義として示されている桁数の意味を説明して頂かなければならない。

電子の人間感と自然則 自然の本質は単純で多様な素粒子など持たない。みんな人間の思惑と利害によって社会的概念化を進められたものである。その代表的な基本概念が『電子』である。法則の人間性

電子の電荷も質量も何を定義したものかも不明のままで、大原則の法則が出来上がっている。電荷はこの世界に存在しないのだ。だから、電界の電場で電子の電荷が加速されて、運動が始るなどと言う解釈も理解できない。素粒子加速の実験装置を見れば、決して電界で粒子加速などしていないのである。すべて電磁石による磁界加速で、エネルギー付加・増加装置なのである。先ず『電荷』とは何かが日常用語で説明されることが市民社会への責任である。子供たちへの専門家が問われている「教育上の課題」でもある。

(2018/05/17)追記。 記事に過激な表現があったので削除と修正をした。

『静電界は磁界を伴う』の解説

『瞬時電磁界理論』とはは『静電界は磁界を伴う』と言う標題で、東北大学での発表(電気学会全国大会 昭和62年4月1日)内容を取り上げた記事である。口頭発表予稿論文を訂正・修正して載せた。そこにその『解説記事』がファイルで纏めてあった。そのファイルが参考になると考えて、公開する。少し多い5ページになる。

静電界解説(1)

静電界解説(2)

静電界解説(3)

静電界解説(4)静電界解説(5)以上の解説として、『静電界は磁界を伴う』の実験結果の発表に至った論理的根拠や、その道筋の説明には成っているだろうと考える。

エネルギーで観る世界ー素粒子ー

素粒子の世界 とんでもない世界に踏み込んでしまった。考えると当然の事とも思える。極微の世界に論を進めるなんておこがましい事でもある。全くの素人が特別の専門領域にである。それはたった一つの『電荷概念』への直覚的矛盾認識からである。世界、自然世界観で、自然科学の理数分野では電荷が理論構築の根源的拠り所である。それを否定する事は、言わば科学でなく文学だと酷評される程、今までの専門家としての権威に対する挑戦ともとれる内容でもあろう。その電荷概念のもとで現在の科学技術社会を構築して来たではないかと反論されよう。素粒子とは何か?物理学の歴史を辿れば、原子論の議論がその発端と考えても良いかと思う。医療技術で「MRI」はとても有効に病気診断に役立っている。しかしその原理がよく分からないのである。理論解説で、水素原子や電子の何々と言われても私の頭ではとても理解の及ばない領域の話になる。それではと、それを哲学や文学で捉えようとしても無理である。高度な数式を使わないで、その原理を捉える事が出来ないかと儚い望みを抱くのである。そこで、どうしても『原子構造論』に論を進めて行かないと理解できないと感覚的に思う。なんで電荷が無ければ、原子の極微の世界を理解できないのかと疑念が湧く。素粒子論の取っ掛かりは昔どこかで見た写真が有る。磁界(磁束密度)B の空間に未知の素粒子が飛散してきた時、その軌跡から陽子とか電子とかあるいは中性子とかと磁界と電荷の間に生じる力で、その素粒子が何であるかと判断する様な話が有ったと記憶している。電界、磁界との間の電荷に生じる力をローレンツ力と言う数式で解釈していたようだ。磁場B[Wb/㎡]の中で、電荷q [C(クーロン)]が速度V[m/s] で運動すると、ベクトル積[V×B] に比例した大きさの力が生じる。この話を初めて聞けば、誰もがそうかと納得する。しかし、しつこく疑問を膨らませてゆくと、簡単にその通りだろうとは納得出来なくなるのである。こんな事から入って、話が纏まるかまったく成り行き任せである。この行き着く先に必ず未来が開けると確信できるから、無謀が魅力ともなる。

磁界と電荷の相互作用原理 磁界とは何か?電荷とは何か?その二つを結び付ける作用原理は何か?と言う基本的で、幼稚過ぎると思われるような『問答』が西洋の科学論には欠けていると思われる。磁界と言うものの中身を説明できるかと言う問いである。磁石などの面に近い空間に何かが有る事は誰もが感じ取れるだろう。磁石のN極とS極を近付けた時、近い程強い力で引きあう。その引き合う力をどのような自然現象として捉えるかと言う問いである。教科書の説明を見れば、NとSの間に引き合う磁束の線が有り、それがゴム紐のように引っ張り合うからだと答えるぐらいの答えしか用意できていない。ゴム紐なら、近付けば力は逆に無くなるのだけれども?高度な物理学理論では『超弦理論』と言うものがある。それは凡人の頭では、理解の域を超えて、難しい。だから、もっと誰もが解り易いように説明できないかと思う。そこで、磁石の間に磁束を仮想するより、その空間に確実に存在するものが『エネルギー』である事を認識する事から始めるべきだ。そのエネルギーをエネルギーとして実在すると解釈できないで、回りくどい磁束などと言う概念を仮説・仮想して、理論を展開するのが西洋流の科学論法である。磁石の間に何が有るか?その答えを教科書通りに、磁束で理解しようとすれば、次々と難しい概念を作り続けなければならなくなる。磁束概念では到底真理に到達できたと納得できないだろう。この辺の話になると、理論物理学者も実際の電動機・モーターの運転をする機会は少ないから、実感としての磁気エネルギーの意味を体感出来ないのじゃないかと危惧する。モータや電磁石の取り扱いや、鉄心の特性に基づく設計・コイル巻き等の製作に携われば、磁気エネルギーが何処に、どのように存在するかが感覚的に会得できると思う。殆どの磁気エネルギーは鉄心材料の空隙ギャップ間の極めて狭い空間に集中して実在するのである。そのエネルギーが磁束線で出来ている等と解釈する事で、理解出来ると言う人は、とても磁場を理解している人とは信じ難い。『磁気現象』で、最近の話題になっているのが『超伝導』である。物理学理論では、専門の研究者が競って高温超伝導材料の発見・開発に鎬(シノギの漢字を初めて知る)を削っているようだ。どんな材料が選ばれるか、とても興味があるが、結局は導体周辺を伝送するエネルギーの熱化損失を極小化出来るものが選ばれるであろう。導体金属結晶・分子構造のエネルギーの通り易さが決め手になる。決して電流(と言う電荷の通過流)が導体中を流れるのでない事だけは真理である。磁気と言う自然現象の中身は空間エネルギーを捉える解釈の仕方に掛かっているだけである。超伝導現象も導体周りの空間エネルギーの特徴の一つでしかない。以上で磁気の話から一旦離れる。

次は『電荷』に関する話になる。電荷と言う概念をどのように空間の実像として捉えるかと言う事である。世界を二つの対象概念で捉える手法は、哲学的方法論になるように思う。男と女が生物の存在に欠かせないと感覚的にも納得し、理解しやすい。昼と夜の世界も昔は不思議なものだったかもしれない。世界を『エネルギー』一つで解釈することは中々世界認識法として、感覚的にも不慣れな為でもあって、どうも難しいのかもしれない。二つの物で比べる見方が有効であるのは、世界の基本的対称観察意識に慣れている事があるからであろう。極微の原子構造をプラスとマイナスの電荷の引き合う引力と解釈する方法が簡便で納得し易かったのである。しかし、電荷のプラスとマイナスを空間像として認識しようとすれば、そのプラスとマイナスの差をどのようなものと理解すれば良いかで、ハタと困惑の域に迷い込むのである。無いものを定義・概念化する事は何時かその真実を追究する時、化けの皮を『説明不可能』と言う事態で露呈するのである。今、科学理論が抽象的概念構築で進められて来たと考えざるを得ない現実の矛盾に直面していると思う。電荷を否定されたら、物理学の根源的『原子構造論』のE.Rutherford(1871-1937)や電子発見のJ.J.Thomson(1856-1940)まで遡らなければ成らなくなるという辛い現実がある。そこで、解決法は負の電荷と質量を背負う電子概念をどう修復して電荷の無い世界の解釈法を得るかと言う問題になる。確かに原子が軸性(独楽の軸のような性質)を持つ事は間違いなかろう。様々な原子結合で分子の集合体が構成される。その結合力を電荷無しに解決するには軸性のエネルギー回転流しか道は無い。世界の結合を統べる『力』の根源は『エネルギー回転流』のみであると解釈する。電荷、磁荷間に働くと考える直線的な磁束や電束概念では、力の解釈の本質に迫れない。ここで、全く新しい磁気概念像を提示しておく。 それは理科実験に使われるコンパスについてである。コンパスはN極とS極で磁束がそれぞれの極の先端に出入りして居る像で捉えている。しかし磁束などは仮想概念で実在するものではない。磁束概念を打ち破るには、新たな合理的概念を提示しなければならない。それが、磁極の近傍空間での『エネルギー回転流』である。上の図はその概念を簡便に表現する自慢の図である。この磁極のエネルギー流の方向性を決定するに長い歳月を要した。 磁界・磁気概念の本質 にも解説。

ほぼ結論的な事を論じた。だめ押しになる話で、恐縮ではあるが、電荷と磁束の間に『力』が生じると言う解釈は電気磁気学理論には無い。ファインマン(「ご冗談でしょう ファインマンさん」と言う御本で有名な物理学者)の電気磁気学の教科書にも、「電荷も電流も時間的に不変である限り電気と磁気とは別々の現象である」とある。この事は電荷と磁気は相互に影響を及ぼす力は無い事を説明していると考える。そこで、電荷と磁気が相互作用をする原因は無いにも拘らず、何故電荷が動くと磁気との間に力が生まれるのかと言う疑問である。電荷の定義には磁気と作用するという責務を課されていない。電荷が動くと磁気と作用するのは、動いた電荷が磁気に変化すると言う事でないと論理的でない。それでは、空間的に電荷がどんなものであるかを認識できないけれども、動くと磁気を空間に作り出すと言う事なのだろうか。磁気と磁気とは確かに磁石間の力から一応納得できる。電荷が動いた時空間に電荷から磁気を吐き出すような事になるのだろうか。その空間の磁気のエネルギーは電荷のエネルギーなのだろうか。電荷が空間に電気力線として広い場所を占有すると解釈するのだろうか。エネルギーは空間に実在する真の実在量である事を認めるか、認めないかの、言わばー科学的踏み絵ーを課したいのである。

電気の大切で、有名な技術法則がある。フレミングの右手・左手の法則である。その法則はアンペアの周回積分則の電流による磁界発生の基本法則と相俟っているものである。これはモーターの動作原理を簡単に左手の指で理解しようと言う法則である。磁界の磁束の向きに人差し指を向け、中指の方向に電流が流れると、その電流の流れている電線に親指の方向の力ベクトル f が生じると言う法則である。この法則を、この本章の初めに掲げた「素粒子飛散軌跡」の説明に使っているのである。電荷の運動方向を電流の流れで解釈する方法で解説するのである。ファラディ電磁誘導則・アンペア周回積分則の物理学的矛盾  を見ても、フレミングの左手の法則などで、素粒子論が説明されるなどと言う事は、とても納得できる説明ではないと思う。

(参考文献)自然界を理解するに、現代物理学の最先端の研究に期待が寄せられているだろうが、そこには真実は見えないだろう。科学者の論理に特殊化された集団論理に偏っていると思う。少し数学的論理内容ではあるが、自然界を支配する『力』について私が唱えた、科学者集団と異なる視点で発表した日本物理学会講演概要集を参考に挙げておく。

1 力密度 f=rot(S/v) とベクトル算法 第61巻2号2分冊 p。196.(2006.)

2 磁力密度 f=rot(S/v)  第63巻1号2分冊 p.310. (2008)

追記(2013/4/2)  上の力の式は時間的な変化を含まない。それは変動のない静的な状態で、その力を認識するだけなら有効と思う。しかし、常に変化する自然現象としては不十分である。長く唱えて来た式であるが、竜巻や台風の表現式としては十分でないと思う。それは空間のエネルギー動態に対しても同様に考えられる。エネルギーは集合した形態が『質量』であると考える。太陽系はじめ、宇宙の全てにその回転に本質的特質を備えている。万有引力を軸性の回転形態を創る原理的法則と看做す事は出来ない。万有引力の法則は回転を作り出せない。世界は「軸性回転力」に因って構成されると考えたい。すでに渦巻の解剖で提示したが、時間を含む式

dp/dt=rot S  [N/(s m^2)]

が近接作用力として合理的と考える。

また、素粒子ーその実相ーとして電荷概念なしのエネルギー流での描像を描いた。

『電荷』という虚像

この世界に『電荷』は決して存在しない

(2012/08/03) 追記。以下の記事に対して、現在の「素粒子像」を、『電荷概念』無しで纏めたので追記しておく。素粒子ーその実像ー

私が科学の全世界を相手に挑戦することに成った原点は『電荷』の実像を問う事であった。物理学に関する『問答』の始まりであった。それは同時に自分自身との戦いを始める事であった。電気磁気学という物理学の中心的基盤がその電荷に論拠を置いて構築されている。その根源的科学常識を疑う言説は、到底科学の世界に受け入れられる筈はなかった。それは『あいつはとうとう狂った』というレッテルを貼られる事でもあった。電気技術分野への研究意欲と自信は大きかった。しかし、電荷否定への歩みは自分自身を、その知識をすべて破棄しなければ、新たな道を歩む自分を見出せない知的破壊の闇に突き落とされる事でもあった。3月11日の東日本大震災で、日本物理学会第66回年次大会も中止になった。新潟市のホテル宿泊予約も全て取り消しという誠に大きな損害を関係者にお掛けする結果になった。今日はこの4月、桜が咲き、新入学の初々しい顔が集うこの時期に、挑戦の原点である『電荷とは何か』を取り上げるに相応しいと思う。電荷の存在を否定する事は『原子構造論』で原子核の周りを電子が回転する外殻電子軌道論さえ否定することである。プラス電荷の『陽子』とマイナス電荷の『電子』が電気的なクーロン力で引きあう釣り合い論も否定しなければならないのである。営々と築き上げてきた歴史的原子構造論と言われようが、そんな物は何の役にも立たないのである。理論屋が理論の砦に閉じこもる為の城壁みたいな役にだけ役立つ代物である。この『電荷』概念を論じるには、何故『電荷』を必要と考えたかを振り返って見なければなるまい。それは摩擦に因る吸引力の謎解きの必要性もあっただろう。力の原因を『電荷』に求めた結果と観る。そこで、クーロンの法則を斬る (2013/01/06)で記事にした。

電荷その物を空間の実像としてどんな風に描けますか? 電子に付随する『電荷』という物でなく、電荷その物の実像を尋ねるのである。同様に、陽子に付随するプラス電荷という意味で無く、プラス電荷その物の実像を尋ねるのである。この度の大震災で、空恐ろしい事態を引き起した。安全神話の原発破壊事件。その放射性物質拡散が科学技術の未熟さを露呈した。専門家という虚像が崩壊したと私には見えた。素粒子論もその怪しさの一端にある。原子核崩壊という現象には、正のβ崩壊というのもある。原子核の『陽子』が『中性子』に変換し、その時『陽電子』とニュートリノが放射されると言うのである。それもβ崩壊の放射能(エネルギーの放出)を出すと言う。陽子は中性子と陽電子がその構成要素のように見える。その『陽電子』はプラスの電荷を身にまとった(?)電子という物らしい。その電子にまとわり付いた『プラスの電荷』そのものの空間に実在する実像が「どんな物であるか?」を問い質しているのである。『電荷』の実在性を唱えるなら、その物の実像を提示しなければならないのである。それが科学者の務めであろう。特に素粒子論の研究者は、その電荷の実像を示す努力も無しに、高尚な理論を掲げることは、科学の世界に混乱を引き起すだけであると考える。今回の『福島第1原子力発電所事故』に対応する、現場の技術作業者の過酷な業務に対して、遠くに離れた『原子力推進者集団』の責任者が的確な指示も論理性も示し得ない現実を目の当たりにして、科学理論の虚飾性を強く印象付けたと思った。今強く思う事、それは『電荷』概念の虚飾性に改めて光を当て、その解剖が必要だと思う。『電荷』という物理量が存在するなら、それこそ世界を構成する『素粒子』に位置付けなければならない筈である。電子以上に『電荷』の存在を基本にしなければならない。それならば、『プラスの電荷』と『マイナスの電荷』とがそれぞれ独立した実在性を示す筈であるから、その空間的違いが如何なる物かを示さなければならない筈である。そんな電荷が存在する訳がなかろう。だから科学論が嘘で作られていると言う事に成る。

電荷は空間の『電気力線』概念でその特質を表現する。電荷だけで電気現象を論じることはない。電荷概念を論理に取り上げる時は、必ずその担い手である『質量』を必要とする。陽電子や陽子あるいは電子である。その『質量』という物理概念に於いて電荷が論じられる。それは取りも直さず、電荷の実在性を唱える主体的根拠を主張できない事を物語ると言えよう。私が電子の電荷概念に疑念を抱いた最初の意味を記しておきたい。電子あるいは『電荷』を表現する時、その特質は『電気力線』に拠って表現される。電子は負の電荷を身にまとっていると解釈して、プラスの電荷との間に『電気力線』という線束が生じ、その線に拠ってプラスとマイナスが引きあう引力を生みだすと説明する。それならば、電子が単独に空間に存在する時、その電気力線はどのように表現されるかという事が問題になる。それを左の図のように、全空間に放射状に力線が張り巡らされていると考えれば良いのだろうか。実際はそんな物は無い訳であるから、上図は嘘である。しかし、教科書ではそれを必要とする訳であるから、その矛盾を説き明かすための方策として、一つの表現図案を考えたのである。これが基に成って『問答』が始るのである。それでは、その電子が運動すると、その力線はどのように変化するかという問いである。電荷が移動すれば、電気力線も変形する筈である。これは、『電荷』や『電気力線』が実在するという論理性の思考過程で考えることであり、どのように考えるかは無限に考え方があろう。運動と電磁気の関係は『光の相対速度』を考えなければならない問題であり、基本的思考の立脚点を明確にする必要がある。その為にアインシュタインの『特殊相対性理論』が詭弁論であるという結論を得るまでに長い時間を要した。その立脚点に立てば、光も日常の生活感覚上で何も不思議な点はなく、生活者の感覚で解釈できるのである。巷に『アインシュタインの崇拝的複雑怪奇なー相対性理論ー解説本』が溢れているが、そんな物は正しくない。話を戻す。電子が運動すれば、その影響は空間的に光速度以下で、必ず遅れるのである。無限速度であれば、電気力線も分布状態に変化は生じない。世界に『無限速度』の現象は無い。光の速度以下で、運動の影響が生じるから、力線の形状も変化すると解釈しなければならない。それも、教科書概念を踏襲するという範囲での話であり、実際はそんな物は無いのである。さて、それでは電子のような物の何か存在する実体が全くないと言うのかと問えば、そうではない。では何が有るかということである。存在するのは『エネルギー』一つである。力を生むのも空間に実在するエネルギーの諸現象である。上の右に示した、運動電子の電気力線は電子が運動するにつれやはり時間的遅れを伴いながら、変化する。電気力線が動けば、電磁気学のマックスウエル方程式が示すところの、電界と磁界の相互作用の解釈に繋がるのである。私が解釈する電磁界理論は『電界』とか『磁界』とかをそれぞれ別の物理量として捉えるのではなく、同一の『エネルギー』の一面的見方が『電界』『磁界』という概念で捉えられているに過ぎないと認識するものである。教科書に従えば、運動する電子が周辺空間に電気力線、磁力線を生む事に成る。電気力線の空間的変化が磁力線の発生と成るのであるから、マックスウエル方程式のままである。その電気力線や磁力線は空間にそのエネルギーを持つ事を教科書でも明確ではないが、電界磁界で捉えるエネルギーとして述べている。では電子が持つエネルギーは幾らと解釈すれば良いかという問題である。この点に関して『電子のエネルギー無限大の矛盾』について指摘したのがP.A.M.DIRACである(磁気モノポールは頂けない)。それは電荷概念そのものの矛盾が故の問題である。物理学の欠陥は『エネルギー』その実在性を認識していない事である。電子の周りの空間に存在するエネルギーをどう認識するかである。その時、電子の範囲は空間的に何処までと解釈するかの困難を伴うのである。エネルギーが存在すれば、それは何物が造り出したものかという極めて素朴で、単純な疑問である。そんな易しい捉え方が、市民の生活に根ざした科学認識に重要な事である。数式が無くても自然現象の本質を説得し、説明できなければ、それは真の科学ではなく、偽物らしく感じざるを得ないのである。

電荷と空間エネルギー 数式が無くても自然現象の本質を云々と言ったその裏で数式に頼る能力の無さを知る。数式の無意味さを説明するには数式を書かないと無理と言う自分への矛盾をご勘弁いただきたい。電荷に伴う空間のエネルギーと言う意味は何かを解剖してみる。ここで述べることは学校の『電気磁気学』と言う教科で、先生が教科書に従って教える時の内容を復習する様な意味で、先ず解説するのである。それが上の図である。+Q[C]の電荷が空間にあると、その周りには均等に電気力線が球状に放射されると解釈する。半径r[m]の球表面積4πr^2^とεで除する電気力線密度がその点p(r)の『電界強度のベクトルE(r)』だと言うのである。その単位は[V/m]で、1[m]当たりの空間電圧[V]になる。図に示すようにその式の電荷+Q[C]からどうして、単位[V]が出るかは単位換算をしなければならない。それをここに参考に載せる。電荷の単位クーロン[C]はエネルギー、ジュール[J]とファラッド[F]の平方根という奇妙な単位に成る。この表は大変便利だと自負している。電荷に拠る電気力線はそこにエネルギーが同時に存在する事を規定している。そのエネルギーはw(r)の密度で解釈される。このエネルギーは物理学で、電気磁気学で十分認識していないものである。エネルギーの担い手である質量を捉えようが無いから、物理学理論で取り入れると、電荷概念の矛盾を曝す困難に入り込むからであろうかと解釈する。コンデンサ内の電気エネルギー・電界エネルギーは空間媒質の分子誘電分極と言う解釈で説明されるが、点電荷周りの空間エネルギーについては中々分子分極とは言い難いから、エネルギーの存在は目をつむって無視しているのだろう。さてそのp(r)点に、一つの点電荷-q[C]を持ち込んだとする。すると有名な遠隔作用力の『クーロン引力』がたちどころに生じる。このクーロン力が電荷の概念の特徴を備えた大切な『基本法則』と言う事に成っている。そんなものも役に立たない法則ではあるが、教科書では最重要法則である。クーロン力のお陰で、ラザフォードの『原子構造論』が今もって物理学理論の『重層岩盤』と成っているのである。電子のマイナス電荷e=1.602×10^-19^[C]がクーロン力に逆らって、半径rが大きく成る事で電子の軌道エネルギーの増加を生み、量子力学論の光の放射原理の解釈に繋がって来るのである。その原子論では、原子核の陽子と軌道電子との力、万有引力とクーロン力の兼ね合いで論じられているが、その間に存在する『電界に拠る空間エネルギー』等は何の解釈の対象にもならないのである。要するに『エネルギー』は質量が無いとその存在を認識できないのが『物理学理論』である。当然であるが、電子その物も空間に存在すると仮定すれば、その周りには空間のエネルギーを身に纏っている筈である。なお、単位換算については少し纏めて、エネルギー[J(ジュール)]とJHFM単位系 に記してある。この辺で一応、この項は終わりとしておき『原子論』について改めて別の標題で論じる事にしたい。未だに『原子構造論』の記事を纏めていない。電子スピンの解釈そのものが、円環電流との相似概念で解釈されている事に、違和感を禁じ得ない。電子スピンとは?-その空間像ー にエネルギー流としての解釈を示した。原子構造の合理的な解釈は、外殻表面に分布した電子に代わる磁気スピンの繋ぎ手の像で捉えるべきであると考える。「電荷棄却の電子スピン像と原子模型」 日本物理学会講演概要集第64巻2号1分冊、p.18. (2009) に概要は記してある。電荷概念に依存した物理学基礎理論は、その曖昧さに耐えられない筈である。 『電子』とは?-物理学的「お化け概念。この「お化け概念」を改めて、電流計は何を計るか の末尾に述べた。その図をここにも示したい。電子とは何者か電子像

『電荷』概念否定の具体的例題 雷の正体。原子間結合に関する『共有結合』について、炭素結合の秘め事

電子スピンとは?-その空間像ー

数日前twitterで話が出た。気に掛かっていたので改めてある本を開いてみた。『電子』と言う物理学理論の根源的概念の矛盾を確認したのは1986年の実証実験『静電界は磁界を伴う』であった。当ブログの『磁界・磁気概念の本質』 で説明したように、磁気エネルギーの流れる向きと磁極のN,Sの関係に結論を出すに20年の時を要した。『電子スピン』の空間概念を、1988年『瞬時電磁界理論の実験的検証とその意義』電気学会 電磁界理論研究会資料EMT-88-145 に写真32枚と共に、量子モデルと電磁エネルギーの局所化として提起した。日頃考えている『電子スピン』の空間像を示したい。どの教科書も図の(イ)円環電流の磁場を基本にして、電子の円運動で『電子スピン』を解釈している。それが(ロ)教科書的電子スピン像である。電子は電荷-e[c(クーロン)]の電荷と質量m[kg] を持つ素粒子と定義されている。原子理論はその電子が原子核の周りを回転運動していると解釈して、理論構築している。私は『電子』と言う物理学的概念を否定したのだから、そんな原子理論を信奉するつもりはない。その原子理論の解釈との整合性を取るには(ロ)教科書的電子スピン像 の電流相似モデル以外に説明しようがないのである。私が理論の真偽を確認するために利用させて頂いている教科書・参考書がある。これは世界で利用されている本だと思う。その参考書はこの図の(イ)、(ロ)を挙げて、説明している。それが上の電子磁気モーメントと角運動量の理論的数式の説明である。ただし、上の式の単位については私が記した。[(J/H)2分の1乗・㎡]と[Js] については後日説明したい。特に L[Js] は単位がプランクの定数と同じ次元である点が面白い。これらの数式がどれだけの意味を持つかと問えば、余り意味はないと考える。

追記(2013/5/30)。今、図(ロ)の教科書的解釈の電子スピン像を見て考えた。この図は電子スピンを何も解説しているものではないと。μの磁場にもし仮に『電子』が突入したなら、教科書理論の電荷と磁界に基づく『ローレンツ力』で、軸性の向きに回転加速度αによる力f=αmを受けるであろう。その結果電子は回転すると見做せる。しかしその軸性回転が電子の磁界を発生すると言う意味には全くならない。何も電子の電荷が軸性回転したから、電子が磁界を発生する原因になっていると言う意味には成らない。この場合の磁場、μは電子が造り出したものでもなければ、『電子スピン』の説明にも成っていない。電子電荷が磁界を造り出す物理的説明には成っていないのである。だから電子電荷には本質的に磁界の概念は無いのである。それも『電荷』の実在を認めたとしてもの話である。電子に磁場の概念が無いなら、導線の中を電流が電子の逆流として概念化したとしても、電子に磁界の性質が無い以上、導線の周りに電子の運動で『磁界』を造りだせる訳が存在しないのでる。アンペアの法則の電流(電子)が磁場を導線の周りに発生させる理屈が成り立たない。電子電荷には磁場概念は矛盾以外の何ものでもない。

さて、(ハ)電子スピン像 で示した(エネルギー流モデル)が私の解釈するスピン概念である。それはエネルギーの回転流が示す軸特性である。物理学理論はこのエネルギーの実在性を認識していないから、様々な概念を仮想して、理論構築しなければならないのである。『電子』がその代表格の仮想概念である。このエネルギー流の円環はポインチングベクトルS [J/(s㎡)]の環状分布流である。その断面積が(a)、(b)のように様々な形をとると考える。その電子概念に従えば、電子とはエネルギーの流れと観られるから、その加速による電子はビーム状に変形するだろうと考えたい。それが加速電子像(c)である。この像は全くの仮想像であるが、エネルギーの流れと言う形なら似通ったものであろう。決して『電荷』と言う物理学概念では自然界の眞相には迫れない事だけは間違いない。『電子・電荷』では市民が納得する『物理学』には成れないと危惧する。

磁気共鳴画像(MRI)診断法の原理を知りたくて

投稿者 : 金澤 喜平。2011年2月3日。

(7月10日追記) MRI あるいはfMRI 等と優れた医療診断装置が活躍している。電気磁気現象の応用の成果である。その映像の一例を改めて見た。自分の腰椎の写真である。骨、脊髄神経部および皮膚が鮮明に映し出されている。どんな断層面でも取り出せる優れた装置である。装置に入って、検査を受ける間は、大きな磁気的エネルギー信号の振動と音の中で、検査を受ける。その磁気放射信号が身体全体の細部の細胞レベルに供給され、その反射放出信号を検出するのであろうとは理解している。そこでその装置の働き・機能の原理を、数式なしに簡単に説明できる筈と考えて、その仕組みが分からないものかと願うのである。断層映像は各部の細胞の放射するエネルギー波の波長を測定し、放射細胞の位置と信号をコンピュータで分析してデーターを収集するものと解釈する。いわゆる3次元の薄膜データーとして。その説明が専門的な解説になると、とても複雑で理解の手に負えない代物の説明になっているようだ。軌道電子がどうのこうのと言うような事で無く、単純明快な説明が出来るだろうと期待するのである。原子の核の周りを回る外殻軌道電子などで説明が付くとは信じられないのである。

(2月5日の記事)十年程前に椎間板ヘルニアになった。病院でMRIで画像を見た。鮮明な画像に驚くと同時に、その原理は何かと疑問を持ち続けている。今でも不思議でならない。今日インターネットで検索してみた。原理の説明は色々と解説されている。基本は1951年頃の発明された、核磁気共鳴(NMR)がその原理となっているようだ。しかしどの説明を見ても私は納得できない。例えば『プロトンの周りの電子密度を計る』等と解説がある。解説の用語も無数の専門用語が使われている。現実に医療診断装置として、MRIが活躍している。しかしその『原理ー物理学的ー』は解っていないのじゃないかと考えざるを得ない。『核磁気モーメント』『電子スピン』『スピン量子数I=1/2』等と次々と用語の連発で解説されている。これらの用語一つを取り上げても、厳密にその意味を追究すると、意味不明の状態が明らかになると考える。例えば『電子スピン』と言う専門の基本・汎用用語を取り上げても、その説明に窮する筈である。解説で、複雑な数式が羅列されているが、その式の意味さえ厳密に解き明かす事の出来ない論・著者が多いと思う。複雑な数式が私には理解できない僻みからと見られそうであるが、本音だから止むを得ない。電子密度を計るとか、水素原子核のスピン量子数が電子と同じとかで説明されていると、解っていないとしか見えない。電子の一粒をどのように空間像として捉えるかの説明が出来ないで、どうしてそのスピンの意味やスピン像を一般の人がきちんと納得できるように説明できると言えるのだろうか、説明が出来る筈がない。技術の応用が進んで、目覚ましい変革の時代に生きているが、その原理の「曖昧さと矛盾」が際立って社会的問題になっている。MRIの原理を医学生が理解、習得するに大変だとある。それもその筈、原理が原理としての役目を果たせないでいるのだから。大学の物理学担当者が答えるべき義務である。電子スピンとは何かを、電子の負の電荷と質量がどのように磁場を作り得るのかを。再び、『電子』とは?-物理学的「お化け概念」

(2012/10/31) 追記。この記事の後に、電子スピンとは?-その空間像ーで、電子スピンの意味を電荷概念の否定に基づく観点からの解釈を示した。結局は自然科学の基礎概念である『電荷』の本質を追究すれば、エネルギー一つの認識の問題に帰するのである。『電荷』と言う虚像

電流計は何を計るか

電流計は電流を計ると、誰でも当然のことと思うだろう。電流とは、誰もが電線の中を流れる何かであると思っている。それは『嘘』である。電気回路のエネルギーを伝送するには導線が必要である。一般家庭の電灯線でも最低2本の導線でエネルギーが供給される。大電力は3相3線式の送電線路になる。皆その電線の中を電流と言うものが流れていると解釈しなければ、電気回路の意味が分からなくなってしまう。どこの物理学者に聞いても、電流とは電子が電流と逆向きに流れていると答えるでしょう。電気の基本法則に『オームの法則』があり、学習の最初から電流の意味が教えられる。鉄塔の送電線路で、電線の鋼心アルミ撚り線の設計も電流密度で太さが計算される。流れていない電流が電気回路の基礎概念として世界の物理学教科書の基礎をなしている。物理学理論を解剖する。その好適例として、電流・電子概念を取り上げる。先ず最も身近な「可動コイル型電流計」(直流の電流計)をその考察対象として取り上げる。計測の原理は、電線の中の電流などを計るのではなく、流れると考えている電線コイルの周りの磁気と永久磁石の磁気との関わりで働く相互関連の力を利用しているのである。その電流計の概略図を示す。この電流計の働き・動作機能を解明するには、幾つかの電気の基本法則から考え直さなければならない。電線あるいはコイルの周りに、電流による磁界、磁束が発生する。その『電流と磁界の関係』は①アンペアの法則によって解釈される。(2013/03/05)追記。図に「可動コイル型電流計」の構造を示した。永久磁石の磁場内に計ろうとする回路の電流が流れる可動コイルを組む。電流の量に比例してコイルの磁場と磁石の磁場との磁力の相互作用で、コイル軸に固定した指示針が回転する。その回転量で電流の値を読む方法が「可動コイル型電流計」の動作原理である。『微弱電流』測定は『検流計』による。その原理は同じであるが、コイルに軸に鏡を付け、その鏡の光反射を利用すれば、微弱電流によるコイルの微弱回転をも検知でき、拡大した大きな振れを検知できる訳である。それは電流値の値よりも電流があるか無いかの検知が主な測定目的であろう。要は電流と言うが、電線内に流れている物など全く測定していないのである。空間の磁気状態の相互力を検出しているだけである。

可動コイル型電流計の計測する電気量 電流と電圧の正体にまとめた。負荷電力に関係する量を可動コイルに貯蔵することで、『負荷電流』なる電気量評価をしているのだ(2013/5/29 追記)。

①アンペアの法則 ところが、この事に『嘘』がある。「この磁界と電流の間に途轍もない『大矛盾』が存在する」ことを明らかにすることがこの論文の主題でもある。それは電子概念の矛盾点である。そのことを論じる前に、磁気とは何かを先に考え直しておこう。コイル電流による磁界は②右ねじの法則で共通認識されている。

②右ねじの法則 電流と磁界の向きの関係を右ねじで解釈して分かり易い。図の(ロ)のように円形コイルに電流 i が流れると、磁気・磁束密度Bの向きに磁石のN極が発生すると同等の意味で説明される。この電流 i が何故磁石と同じ働きをするかは誰も答えられない。それは、電流が何であるかの説明が誰も出来ないからである。電流が電子の逆向きの流れと一応説明するが、決してそれ以上に深くは考えないで済ませているのである。深く追究すると、分からなくなるからである。専門家のそれが得意技である。確かに、コイル電流が磁石と同等な働きをすると教え込み、無理に暗記させるうちに、何となく真理のように思い込むことになる。それが人間の『脳』の機能の特徴であるから。しかし、一つ疑問を持つと、理解できない、納得できない事に沢山ぶつかるのである。ここで簡単に、『磁気とは何か』についても触れておきましょう。もともと自然界に、磁束・磁束密度なるものなど存在していません。電気回路の技術法則として、便利な概念であるから、共通認識に取り入れただけであり、深く考えれば矛盾している事なのである。「静電界は磁界を伴う」を発表してから、磁界とは何かを考え続けて、その意味を自分で納得できる結論に到達した。磁気とは空間のエネルギー流である。

③磁気とは空間のエネルギー流である。方位コンパスを例にその向きを示しておきましょう。マグネットのN極は磁極の向きに対して、エネルギーは左ねじの向きに流れるのである。この向きを決めることに長い時間を要した。物理学理論は空間に存在するエネルギーの実在性を認識していないのである。ポテンシャルエネルギーも運動エネルギーもエネルギーを担う質量を必要としている。光が空間のエネルギーと言う認識が無い。磁気エネルギーは磁束密度、電気エネルギーは電束密度と、その実在しない概念によって捉えているが、そんな概念が無くても、エネルギーはエネルギーとして空間に実在しているものなのである。

さて、そろそろ結論を急ごう。電流が電子の逆流と考えるならば、その電子とは何者かを明快に説明できなければならない筈である。教科書は子供達に教える、未来に向かう指針である。その定義は、負の電荷と小さな質量を持った素粒子であると。もし電線の中を電子が通るとしたら、その電子の定義概念から、電線の外に磁気が発生する訳を説明できなければならない。電子の空間像をどのように認識しているか。誰も答えられない。電子とは、その空間的な実在性を如何に認識するかである。結論は、空間のエネルギー流でしかない。右の図の電流 i  による磁界Bが電子のどんな特質によって生じると言えるのだろう。アンペアの法則は電子・電荷概念の無い時代(19世紀初頭)の法則で、その理論の周回積分値の実証は出来ない。電子が電荷を保持すると言うなら、電気力線が電子に入り込む描像で捉えれれる。その領域がエネルギー空間場となり、電子の領域とも見做さなければならない。その電子のエネルギーが電線金属の中から、金属導体の静電遮蔽を乗り越えて、どんな理屈で導線外部に磁場エネルギーを生み出すと考えるのだろうか。更にもう一つ電子流の矛盾として挙げておかなければならない事がある。電子が負荷にエネルギーを供給するには、エネルギー保存則を補償しながら、どのような供給能力を持つと解釈すればよいのだろうか。殆ど説明できない矛盾である。(2013/04/30 追記)何が矛盾かという意味を解説しておきたい。電気回路で、負荷にエネルギーを供給する。ランプを付けると言う意味は、ランプにエネルギーを供給するから、そのエネルギーをランプでエネルギー形態を変換して、光として放射するのである。そのエネルギーを光に変換して放射する訳であるから、その『担い手』を電子に求めるなら、電子は電源からエネルギーを負荷のランプまで運ばなければならない。負荷で『エネルギー』という荷を下ろして、ランプに届けるとする。負荷に『エネルギー』という荷物を届けて、帰り道は『エネルギー』分だけ身軽になる筈である。電子に『エネルギー運搬役』を課すことは、『電子』概念の定義には無い責務である。『電子』もきっとそんな仕事を仰せつかっても、『エネルギー保存則』に違反する様な大それた責任は取れないと、駄々を捏ねるに違いない。『電子』は行きと帰りで『エネルギー保存則』に戸惑うだろう。要するに電源から『エネルギー』をどのように負荷まで運ぶかという基本的解釈を問うのである。その意味で、基礎のほとんどは矛盾から成り立っている。と看做さざるを得ない。

(2013/09/25)追記。『電子』とは?-物理学的「お化け概念」の図。電子とは何者か昭和61年、長岡高専で電気磁気学の講義をしていた『中曽根臨時教育審議会』の抹殺対象の生命の危機の中で疑問の原点に成った。それが『電荷』とは何かであった。(2016/04/27)追記。こんな抹殺対象だったなどと書く自分が情けない。しかし、今考えれば『以下余白』の不覚で既に長岡工業高等専門学校に在籍していなかったのだと分かり、巧妙な方法で殺害するより他に対策が無かったのかと理解できる。

『静電界は磁界を伴う』の検証実験が『電荷』の空間描像を明らかにするための挑戦であった。その後日本物理学会で電流矛盾などを説き明かす説明資料に使った図面である。電荷概念で最も馴染みのある用語は『電子』であろう。素粒子物理学研究では、ヨーロッパのSERNでは『陽子』加速の実験が行われている。『電荷』のプラスとマイナスの違いがあるが、素粒子加速では『電荷』概念に基づく加速は電界によることに成る。そこで、『電子』の加速も『陽子』の加速も、電極の電界方向だけの違いで、原理はみな同じである。『電子』を加速したいとなれば、その素粒子の寸法や形状および電荷の分布状況をどのように認識しているかが重要な原理解釈の基本であろう。それでは皆さんは電荷がどのように素粒子に付帯しているものと解釈するかを答えられるだろうか。そこで考える一つのモデルを示して、その電磁界内での『電荷』および『電子』の実像を考えて見ようと言う意味で示した。今は昔に成ってしまったが、ブラウン管式テレビの『ブラウン管』は、電子銃からの『電子』を制御するブラウン管内の電気回路はブラウン管に張り付けた電磁コイルである。電気理論では、『電荷』は磁界で制御はできない筈なのである。SERNも電磁石で円形軌道上の加速法が採られている。いろいろ苦心の加速説明をしているが、ローレンツ力では『電荷』と『磁界』の間での空間的遠隔作用力の原理説明は出来ない筈である。上の図で、『電荷』と陽極板(プラス電極)間の空間に加速するための電気力線を仲立ちにすると考えたとき、遠隔作用力の元が電気力線と言うことに成る。何故電気力線を仮想すると、加速引力の役目を果たすと言えるのだろうか。電気力線の存在は、それだけでその空間には『電界エネルギー』が存在すると考えなければならないのだが、その場合はそのエネルギーは何が供給しているものと解釈すれば良いのだろうか。陽極からの電気力線かあるいは電子からの電気力線からかにより、どちらが供給する場のエネルギーかを決めなければならない。しかし、場のエネルギーと言う解釈は、粒子加速の場では考えない事にしているようだ。理論物理学では、空間のエネルギーと言う質量に付帯しない概念は曖昧のまま、あるいは無視しているようだ。さて電界と『電荷』の間の力は電気磁気学の理論に従っている。しかし、『電荷』と磁界の間に働く力はどのような原理に基づくのだろうか。『電荷』から電気力線が磁界に届いたとしても、どのような磁界との関わり方で電気力線に作用力が及ぶと言うのだろうか。理論では『電荷』が速度を持つとその周りに磁界が生じると解釈するのが専門家の意見であろう。それがアンペアーの法則の意味であるから。ここではじめて、『電流』が磁界を生むと言う原理を考える糸口に到達した。上の図の『電荷』が移動すると、どのような訳で電気力線が磁界に変化するのだろうか。マックスウエルの方程式がその辺の理由の解釈原理には成っている。『電荷』と『磁界』は原則的に別々の概念であると成っている。『電荷』からどのように『磁界』を生むと説明するのだろうか。『電子』一粒が運動すると、何故『磁界』を生むかが26年前の疑問の原点である。関連の様々な周辺の概念を検討した結果に於いて、結局『電磁界理論』そのものが矛盾のまま構築されて、複雑怪奇の理論体系に成っていると言う結論である。どうぞ皆さんにお願いがあります。電荷が動くと何故磁界で出来ると解釈するかを御自分でお考えいただきたい。この様に法則が成り立っている、言われているからでなく、自身で理論の根本から納得する解釈を導き出して欲しい。その事で、『電流は流れず』と言う意味の『電流』の概念を納得出来ると思う。

磁力密度 f=rot(S/v)  日本物理学会講演概要集第63巻 p.310. に関連記事

参考記事 磁界・磁気概念の本質 電流は流れず 『電荷』と言う虚像 ファラディ電磁誘導則・アンペア周回積分則の物理学的矛盾