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視界と光の科学

はじめに(2020/02/28)
視界の一事を理解することがとても難しいと知った。人も動物も水平二眼によって視界を認識する。視界の対象である万物から届く光によってその存在する世界を知る。すべて光の本性が司る世界像である。光の何たるかを知って初めて視界の意味が理解できるのであろう。また、人の視界認識の仕組み即ち二眼によって取得した光の情報を脳でどのように処理・判断するかの脳機能を理解して初めて視界の意味が分かったとなるのだろう。脳機能まで理解するなど無理である。大よその処で自分なりに納得できれば良しとしたい。

今思い出す印象的な記憶が有る。それも光の不思議としての子供の頃の思い出である。

図1.障子戸の針穴写像。朝早く、まだ板の雨戸を閉めたままの薄暗い部屋で、晴れた日の障子戸に映る鮮明な影絵が目に入る。板戸と障子戸の間は10㎝程の隙間が有る。雨戸の杉板の節の割れ目の針穴から光が差し込み、家の前の杉林の影が障子戸に映る。所謂「針穴写真機」の原理である。広い風景から、小さな針の穴を通して、その風景の各点からそれぞれの一筋の光が真っすぐに障子戸の紙に幾何学の直線を引くように届く。決して光は干渉等すること無く独立の一筋を描いて空間を伝播する。

視界構成に果たす光の基本特性。

光路独占の原理。視界を認識することができるのは光の特性にすべてが掛かっている。遠景も近景もその瞬時の同時性で認識できる。それは光の超高速度の『光速度』に依るからだ。もう一つは光の直進性に依るからだ。光は決して曲がらない。伝播空間の媒体の特性に従った速度で伝播する。それが「蜃気楼」のような現象になるのでは視界を認識できなくなる。伝播空間の媒体の空間特性の変化が生じるとそのように視界認識できなくなる。「逃げ水」もその例だ。そんな状況が普段は起きないから、当たり前のごとくに視界における光の特性など考えもしない。媒体空間に意識的に変化を起こさせるのが「レンズ」などの技術である。その視界における光の特性を【光路独占の原理】と仰々しく名付けたい。

図2.一点の放射光 視界の中に観る対象の一点から光は四方八方に放射される。この一点から全方位に放射される光が有る中で、ただ一筋の光だけが視界の構成に役立つ。その光は決して他の光の伝送路の邪魔をしない。その光の通り道はその光だけの独占光路である。宇宙論で、水星の近日光(?)と光が重力の影響を受ける話が有るが、光は伝播光路に障害が有れば、その近傍で回折する筈と、その現象の意味を考える。一言付け加えておく。視界の対象の一点からの放射光が眼の角膜を通して入射する。角膜の表面全体には対象の一点からの光が無数に入射し、それが水晶体を通して一点(水晶体の内側の面が硝子体管の入射面になる)に集光する。その点の光は対象の一点からの四方への放射光が角膜の表面の各点を通して、それぞれの一筋の光路を独占して入射する。

テレビ画面とその視界。PCやテレビの映像が現代社会の生活基盤を支えている。テレビ画面はどの方向から見ても、映像は乱れなく観察できる。何も不思議のことではない。当たり前の常識である。しかしよく考えると、テレビ画面から放射される光が、各画素の一点から半平面の立体空間(立体角 2π [st(ステラジアン)])に放射されている訳でありながら、その光は決して隣の画素の光の光路を邪魔するようなことはない。その事の中には、光が如何に自然界の厳格な仕来りを司る役割を担っているかという深い意味を持っていると考える。光路独占の原理と言いたい。自然界の王者光に乾杯!素粒子をも構成する素原として。

視界は天然色である。目に入る視界の万物は天然色である。視野・視界に入る対象はすべてその固有の色彩の光を放射している。木炭の炭は真っ黒い色で、それは光を放射していないからである。すべて光を炭の構造体の中に吸収してしまうからであろう。炭素抵抗体が電気エネルギーを吸収して熱に変換するように。さて、図2.の一点の色が決まるのは何故だろうか。何故その色の光を放射するのだろうか。視界に入る風景はすべて色彩豊かな景色である。その光はほとんどが対象からの反射光である。反射光という事はその反射光となる前のその対象に入射する基の光が有った筈である。それ等の対象を取り巻く空間に満ちている光が基の光である。全天空光とも言うかもしれない。青空の光と言うかもしれない。視界に入るすべての対象の色彩はその対象の入・反射の光波長変換特性によって起きると解釈する。その点を、光源の輝度とは? (2020/03/07) にまとめた。

水平二眼の視界。
図3.二眼の視界 目の前に蜜柑をかざす。片目をつぶって、それぞれその蜜柑を見る。蜜柑の位置が左右に動いて見える。右目で見れば、右側が見え、左目で見れば蜜柑の左側の側面が多く見える。それぞれ異った見え方で、左右にズレて見える。しかし両眼で見れば、一つの蜜柑として左右の混乱なく認識できる。水平二眼による視界の特徴は遠近とその機能による奥行きを無意識に捉え

ることにあると考える。水平二眼がどの様な光と視界の意味を持っているかを二眼珍カメラで考えれば分かるかも知れない。どんなに焦点をそろえても決して鮮明な写真は撮れないはずだ。二眼のそれぞれの像が写るから。

反射鏡の視界。

平面鏡。図4.鏡と写像。普通の鏡に映してみる。ガラスの透明な保護面を通して金属面での反射像を視界とする。鏡の反射視界像の特徴は、実際の視界と左右が必ず反転していることだ。前にNHKのある放送番組で取り上げられた問題で、初めて意識した。上下はそのままだが、左右だけが何故反転して映るかと言う疑問の提起であった。考えてみた。自分の顔が左右反転している。何故か?と問われても特段説明が付かない。鏡の反射像は目の上下、左右からの反射現象だから、鏡を通せばその反射光線の光路から、当然のことである。水平二眼の仕組みも、片目で鏡の写像を見ても、左右の位置が相当逆方向に移動した視界となる。異なる反射像を見ている筈なのに、一つの視界として認識する脳機能の方がとても不思議に思える。結局考えれば、反射鏡での光の反射現象としての理屈は当たり前のこととしての結論にしか導かない。

図5.放物面鏡と視界。反射鏡で有名なのが放物面鏡である。巨大な天体望遠鏡としても利用される。マイクロ波の通信アンテナ設備も、衛星放送のアンテナも放物面鏡の一つだ。天体望遠鏡は星の光を反射させる。衛星放送アンテナは放送電波を反射させて、焦点の受信端子で電波の縦波のエネルギー分布波を受信する。光も電波もエネルギーの縦波であるから同じものとしての機能が働く。図5.は焦点に二眼で見る意味である。厳密には二眼に入る一つの星からの光は僅かに異なる光路となるのだろう。それで遠近をと思うが、実際はどうか?天体観測は焦点の鏡の反射視界を望遠鏡で観測するのだろう。この視界も上下はそのままだが、左右は反転した視界となる。だから天体観測写真は左右逆転像の筈だ。見る方向で、横にして見ればその軸の左右が逆転像の視界となる。天体の上下左右は意味が分からなくなる?これも鏡の宿命的反射視界の現象だ。

逆さ富士の視界。湖が静かな時に、そこに富士山が逆さに映る。そのような湖面の反射像は上下が反転し、左右はそのまま映る。これも鏡の反射現象に基づく視界の一つと言えよう。

ネガの反転写真。カメラのネガの逆さの向きでの焼き付け写真。ネガの向きを逆に焼き付ければ、丁度平面鏡の視界の写真となる。以上幾つかの反転視界を拾ってみた。

視界認識―水平段層視界―
図6.視界認識。水平二眼による視界認識機能。視界を認識するには一眼でも可能である。あらゆる動物も一つ目小僧はいないようだ。カメラでの写真を見れば、普段我々が認識している視界の姿がその写真に見える。だから、一眼カメラの視界が我々の認識視界と同じと思っても致し方ないかも知れない。しかし、図3.の二眼視界のように二つの目で別々の視界を捉えている。それを脳の機能で一つの視界と奥行きのある三次元視界を見ていると解釈したい。その三次元は水平の視界認識においてである。だから、視界が水平二眼で認識されるという事は無意識に、水平の段層視界の積み重ねとして認識しているのではないかと考える。図6.はその意味を写真を使って水平視界の分解像として表現した。

むすび。
視界と光の科学(屈折) (2020/02/16) に続いた視界論。

光源の輝度とは?

はじめに 風景を見れば、それは天然色に彩られている。何故万物はそれぞれの固有の色彩なのか。視界をなす光の特性の謎が増す。その光源は何か。

照明工学と輝度 風景は光の反射現象によって成り立つ。

その光の光源は何か。視界の物理現象を理解しようと考えたら、その視界の光源の意味が分からない。日中は太陽の光で視界全体が明るい光の中にある。直接太陽の陽が当たらなくても、視界は天然色に彩られている。その色彩を奏でる光源は空全体の輝度と見做せるかと考えた。視界の物理現象として理解を深めようとしたが、結局は無理であったかと考えざるを得なくなった。その訳が照明工学での、技術用語の定義や概念にあると理解した。上の絵図で、ローソクの炎を例にまとめてみた。照明の用語には光の量を捉える『光束』、その単位ルーメン [lm] があり、その量を基に単位系が構築されている。一応「電気工学必携」を参考にして、光度 I[cd] (カンデラ)および輝度 B[sb=cd/㎠] (スチルブ)の定義をまとめた。

光束[lm]が物理量『エネルギー』との関係で定義されないところに、色彩や照明の物理的解釈ができない原因がある。人の視感度曲線で、可視光線しか認識できないため、紫外線などの自然界の現象を司る成分を我々は閑却しているのだと気付いた。自然の万物の天然色の色彩は我々が意識しない光の波長成分が大きな意味を持っているのかとの予感がする。光束[lm(ルーメン)]と比視感度 (2010/11/25) が原点にあった。

薔薇は何故赤い。

詩心 乗せて観世の 帆掛船 177号(2007/08/07)

「深紅の薔薇は何故赤い」の色彩の考察の絵図である。薔薇の色を演ずる自然の仕組みは深すぎる。深紅の光が有る訳ではない。人にその薔薇の命の営みに共感してほしい願いの姿と見たい。その色彩を演色する花びらの物理的機能を何と捉えるか。花弁に入射する光が如何なる波長変換機能によって、赤い色に変換されるか。入射光が決して赤い光の訳ではない。元々光に色が有る訳ではないから。命同志の心のつながりの仕組みを奏でているのだと解釈した。

参考記事。色の世界を尋ねて (2012/01/05) は自慢の色彩論である。視界と光の科学を纏めるに、視界の光源の役割は何かと少し別にまとめた。光の波長変換機能として万物の色彩の意味を解釈する外ないと考えた。薔薇の花弁の分子構造体の空間格子構造内での光エネルギーの共鳴現象と捉える。それには光が空間エネルギー分布波と解釈する必要が有ろう。振動数では空間像が捉えられないから。

 

視界と光の科学(屈折)

はじめに(2020/02/11)
視界は人が見る光の世界である。すべての生き物はその命の保全を図るに周辺外界の安全を常に注意しなければならない。その感覚器官の中心に視界認識が有ろう。視界の意味を知るには光の物理現象を知る必要が有る。その上で更に、人や動物は水平二眼によって視界を構成認識しているという意味を考える必要が有ろう。そこには、上下と左右の視界構成の機能的意味の違いが有るように解釈する。それが次回の記事(視界論)になろう。その為の予備知識を整理しておきたい。

光の科学(物理特性) 光とは何か?と考えた時、思い浮かぶ現象・知識の基礎は次のようなもの(高校生の学習項目程度)になろう。しかしその解釈は物理学での教科書の内容とは同じくないかも知れない。あくまでも筆者の電気回路技術感覚を基にした『エネルギー』を基準にした解釈になる。光も空間エネルギーの振る舞いとして捉えたいから。科学実験で観測不可能な『エネルギー』であるところにその科学論としての認識の困難さが有ろうが。

①光は毎秒30万キロメートルもの超高速度で直進する。自然現象を理解することが大切である。光の速度を知ることで、さらに何故その速度なのかあるいは直進とはどの様な空間に対する意味なのかなどに疑問を抱くことが物理学の大切な視点と考える。それは哲学にもなろう。

②屈折現象が有る。空気と水、空気とガラス、空気と角膜などの境界面で、垂直でない角度で入射するとその媒体の特性によって屈折が起きる。それはその伝播空間媒体での光の速度が異なるからである。境界面に垂直で入射する光は屈折はしないが、入射媒体内で波長によっても速度は異なる。それが色収差あるいはプリズムの原因と考える。上のような意味が屈折現象の起きる原因の基と考える。

③望遠鏡、顕微鏡あるいはカメラなどはレンズの表面の曲率によって、主に空気との間の屈折現象を利用する光学機械・器具である。

④反射現象。光は鏡、放物面鏡あるいは水面などで反射する。木炭のような完全吸収体以外の物体はすべて反射体である。物が見えることはその対象が反射体であるからだ。確かに太陽光や焚火あるいはホタルの光は反射光ではない。それは質量のエネルギー変換(化学物質反応)光と見做してよかろう。それらの発光源からの光以外の視界に入る風景の万物はそれぞれの色彩と形を持っている。その景色の基になる光は同じ光でありながら、対象はそれぞれの色彩をもって反射光を放っている。

⑤電波と同じ特性である。パラボラアンテナでの反射現象は光と電波で全く同じである。

⑥光はエネルギーである。その現代物理学理論での表現は ε=hν [J]  である。プランク定数 h[Js] と振動数 ν[1/s =(Hz)]で評価した表現式である。しかし、光の実体は空間分布エネルギーの縦波と考える。光には教科書の解説のような振動などする物理的実体は何もないだろう。光のエネルギー量と振動数の概念を具体的に解説することが市民感覚と物理学理論との乖離をなくする大事な現代的課題と考える。

ここに挙げた6個ほどの認識について、そのような現象は何故起こるのだろうか?それらの現象の中で、今回は屈折について、その何故?について考えてみよう。

屈折とは?
屈折現象について物理学での解釈はホイヘンスの原理で成される。何故媒体が異なる境界面で屈折するのか。光の進行方向が曲がるのか?ホイヘンスの原理は良く分かり易い説明である。しかし、光の波長が違うとプリズムのように屈折角が何故違うのだろうか?ホイヘンスの原理で理解できるだろうか。波長が異なる光の違いをホイヘンスの原理でどのように捉えますか。波長とは何ですか?その辺の極めて日常的な生活感覚からの疑問が自然現象を理解するためにはとても大切な事と思う。物理学理論あるいは教科書での解説は、それは学術的な専門家集団の常識的統一解釈を取りまとめた共通認識論法である。決してそれが自然現象の本質を捉えた論理的な科学論であるとは限らないのだ。国家統一論と同じく、全体的な掌握手法としてとても有効ではあろう。自然現象を論理的に矛盾無く捉えようとすると、厳しい事象を乗り越えなければならない現実に突き当たる。屈折現象は光の物理学理論になるが、光の捉え方で、波動性と粒子性の統一し難い困難がその一つの例でもあろう。光が粒子でないことは分かると思うが?また波動性と言っても、どんな波動かと疑問が沸いて当然と思う。その波動性をすんなり現代物理学理論として理解するような能力を筆者は持っていない。学術論が理解できない劣等感は若い頃から抱いてきた。そんなことから今回も、素人的な感覚だけから、一つのレンズを取り上げて、その屈折現象を具体的な実験装置で考えてみたい。

屈折と媒体

こんな実験装置は時間を掛ければ手作りできそうである。特別予算を組むほどではない。透明プラスチック容器にレンズを取り付け、不透明版を張り付ければできそうだ。側面が透明であれば、半透明膜の写像は観測できよう。レンズを通した光はボックス内の焦点距離に像を結ぶ。半透明膜が焦点(写像距離)に在れば、像が写る。カメラはレンズの両面が空気だ。空気とレンズの境界面で「屈折」が起きる。その距離をXとする。次にボックスの中に水を満たして半透明膜を移動して写像距離を調べる。必ず長さXは長くなるはずだ。その距離Xは何で決まるかと言うと、レンズの表面の曲率半径とレンズとその接触媒体の物性(誘電率)によって決まる筈だ。当然レンズの光の入射面では反射も起きている。屈折で色収差(プリズム現象)も基本的にはある。また、水以外の透明なゼラチンなどではさらに距離Xは変わろう。レンズ表面の曲率と伝播媒体の特性差で距離は決まる筈だ。レンズ内部ではそれぞれの入射角によって方向が異なる直進光路を辿る。出口ではその媒体によって屈折角が違うため、Xが変る。Xが違っても鮮明な写像(媒体内でエネルギーが吸収されない限り)が映し出される。眼球内の硝子体のような媒体であれば透明であろう。媒体間の屈折の物理現象について、誰もが水中でゴーグルを外して水中視界を見ようとすれば、理屈抜きに感覚的に理解できよう。同じ目で空気中では見えても、水中では視界など歪ボケして見えないのだ。それでなくても元々人の角膜の曲率半径は小さく、小さな瞳からの僅かな光で視界を認識する。水中では角膜表面での屈折が弱く、水晶体の終端即ち硝子体管の入口に視界の像が結べないからだ。そんな意味も考える屈折の実験装置になればと提案した。

2016年にレンズに関する関連記事。

レンズと焦点距離 (2016/11/03) 。眼球の光路とカメラ機能 (2016/11/09) 。レンズの機能 (2016/11/27) 。

⑥の光はエネルギーである。その意味を 光とは何か?-光量子像- (2012/01/15) に述べた。

エネルギー像(物理学基礎論)

自然世界の認識には(2019/12/01)、唱えることを具体的空間像で描写することが大切である。存在するものは空間を占有する形状を持つ筈だから。見えるとは限らなくても、実在するとは空間にしか存在し得ないから。数式の中に存在することはできないから。抽象的な数理式で表現する以前に日常用語で一般市民が納得できる論説が必要である。日常用語が専門的科学論を展開するに不足する程貧相であるはずがなく、十分な能力を持っている筈だから。例えば『電荷』とはどの様なものかを日常用語で説明できなければ、それは実在しない虚概念と見做してよい。空間に存在していながら、目で見る事のできないものの代表が『エネルギー』である。光は存在していることは理解できるが、その『エネルギー』を見る事は決してできない。この記事は年末の12月20日のまま年を越してしまったので最初の公開になる。

不図気になった。『エネルギー』の日本語の訳語が何故ないか?
ほとんどの科学的専門用語には日本語の対訳語が有る。日本が明治維新に外国の科学技術の目覚ましい発展を知り、その導入に欠かせない科学技術用語の翻訳で、名訳の専門用語の体形が確立したのだろう。運動エネルギー、位置エネルギーと言うが、何故その『エネルギー』だけ日本語の訳語がないか。『エネルギー』だけは日本語訳が無い。その訳は何だろうか。先進諸国の科学技術用語の中に、『エネルギー』だけ確立した概念が無かったからではなかろうか。目に見える物体が持つものと言う認識が基本になっているからではなかろうか。敢えて『エネルギー』の日本語訳語を求めれば、『素原』としたい。最も小さな原子が水素である。その水素も『エネルギー』から成り立っている。だから『素原』がお似合いかと思う。

誰もが目にする水の波が有る。水の波と言うが、その水の波は何が原因で発生すると考えるのか?水の波を見れば、同心円で拡がって行くのが分かる。どうも物理学などの科学論は自然現象を観測し、あるいは実験で確認するが、何故そのような現象が起きるかに疑問を抱かないまま、その現象の存在を記憶する暗記の学習に終始しているように思える。水を波立たせる原因が水中に掛かる水圧の『エネルギー』であると言う、『エネルギー』の本質の認識が無いからであろう。水の水中を伝播する、ボイルの法則の体積と水圧の積pV[J]の『エネルギー』の縦波が原因なのだ。電気回路のコイルの『エネルギー』が導線で囲まれたコイルの中の空間に存在することをどの程度認識しているかが心配でもある。その『エネルギー』は目には見えない物理的実在量である。『エネルギー』の空間像が認識されていないところに、大きな問題が有るのだ。だから「津波」の物理現象も分からないのだ。光の『エネルギー』とはどの様なものと理解しているのだろうか。光の『エネルギー』は振動などしていない。空間の『エネルギー』の密度分布波が光速度で伝播する現象が光なのである。その『エネルギー』を観測する方法が無い。だから目で見ることはできない。光によって世界を見ることはできても、その光の『エネルギー』を観測することはできない。

世界・生命は『エネルギー』の賜物である。世界の存在を認識するのは光エネルギーに依っている。人が生きて行けるのも細胞の活動を支える熱エネルギー(体温)に依っている。体温も体温中枢機能によると言われるが、その熱エネルギーは細胞の分解によって保有エネルギーの差が放出されることに依っている筈だ。決して脳が支配する程複雑ではないと思う。細胞自身が周辺環境を整える自律的機能を持っているからであろう。常にエネルギーを放射する必要があり、それが体温を保つ仕組みになっている筈だ。そんな素人の感覚的捉え方も、体温の熱エネルギーの解説が専門的に示されていないから考える自己流の認識でしかない。体温と身体活動エネルギー「理科基礎(仮称)」を想定して (2016/04/08) を読み返して思った。やはりアデノシン三リン酸では全く意味が理解できない生物学的理解力欠如の脳にお手上げで考えた。その原因をやはり理論物理学の『エネルギー』の認識が曖昧であるからと考えざるを得ない現在である。

水の電気分解と燃料電池

とても不思議な科学的現象である。普通の生活環境では起きない現象と理解する。直流電源によって水の中に電極で電圧を掛ければ、水分子の酸素と水素が分離してそれぞれの気体に分かれる。一方水素ガスを酸素と反応させれば、水分子に化合反応して電気エネルギーを作り出す燃料電池となる。化学反応式では、

O2 + 2H2 = 2H2O + E (電気エネルギー)     :燃料発電電池

2H2O + E (電気エネルギー) = O2 + 2H2 :水の電気分解

と燃料電池と電気分解は電気エネルギーを介して水素と酸素および水の間の化学反応現象の逆の関係になっている。ただし、一般の教科書の化学反応式では電気エネルギー E[J] という解説には成っていない。すべて電子の『電荷』が現象を司っているとなっている。それも不思議な科学理論である。決して『電子』では『エネルギー』の関りを説明できないにも拘らず、すべて『電子』で完璧であるが如くの解釈に終わっている。燃料電池でも何故『電子』が通過すると『エネルギー』を負荷に供給できると考えるのか。『電子』が電気エネルギーを背負い籠にでも入れて負荷に届ける役目を担うとでも考えるのだろうか。『電子』は『エネルギー』を運べるのか?このような最も基本的な科学論の根本で論理性のない矛盾を抱え込んでいることを放置して居て良いのだろうか。物理学理論に『エネルギー』の認識が欠如していることが全ての科学論の混乱の基になっているのだ。理学の生物学については全くの素人でしかないが、少なくとも電気回路の物理的な現象については少しは分かっているつもりだ。『電子』はその矛盾のために、論理的な科学論に堪えない概念であると思う。『電子』を論題にするには『エネルギー』との関係で解説できなければならないのではないか。水の電気分解については、前の記事水の電気分解 (2019/12/20) にファラディーの「ロウソクの科学」を読んで考えたことを述べた。過去にも水と水素とエネルギー流の図で水の妖精七変化(エネルギー) (2017/11/02) に記してあった。

 

水の電気分解

はじめに(2019/11/19)

有名な本「ロウソクの科学」を読んだ(まだ最初の何章かであるが)。なかなか理解するのに基礎知識がなく、困難である。年代は1860年ごろの出版書である。現代科学論と比べれば相当昔の話の内容である。しかし乍ら、有名なファラディーの公開実験講座の講演記録で、とても内容は高度なものに思える。実験器具や化学薬品など基礎的なものでありながら、深い内容として筆者には有意義な著書になる。その中に水の電気分解の実験記事がある。J.J.トムソンの陰極線より前の話である。『電子』概念がない頃の実験である。それでも直流電源は立派に働いていた。その本を読んで、水の電気分解がよく理解できない筆者自身を自覚させて頂いた意味でも貴重な内容の本である。電気分解は化学の話になるかと思うが、電気との関係で『電子』の意味を考える話としてとても重要な物理的内容を含んでいると思う。今取り上げている、電池とイオン化傾向そして『エネルギー』との関係の物理現象が物理学基礎理論として大変意味が有ると考える。そんな筆者の理解できない内容を自己問答として取り上げてみる。その取り上げる内容が科学知識としては本当に基礎的な知識であるから、専門家がどのように評価されるかにも関心がある。読者にも参考になろうから、ご指導をコメント頂ければ有り難い。理科教育の科学常識に関わる意味であり、特に『電子』概念の論理性の問題でもある。なお時代として「ロウソクの科学」ではまだ電子論は採られていない。

水の電気分解

現象と意味。 水の電気分解の現象を考えると、とても難しいことに思える。幾つかの場合に分けて、分からない意味をハッキリさせてみたい。自分の分からない事を明らかにするには、その分からないという意味の内容を明確に認識し、自覚することが先ず大事である。そこから研究の第一歩が始まり、より深い理解に辿り着く可能性が見えてくるかもしれない。と考える。

水とは何か?

検索すれば簡単に解説がされているが、筆者にはとても理解できない事ばかりである。水の分子一つを取り上げても、何故酸素と水素が結合して命の水に形態変化をするのか。朝露を観れば、踏み付ける草の命に愛おしさを覚える。目立たない草が水を作っているように見えるから。コンクリートの中に居ては決して見えない世界であるかも知れない。天然の精水 (2012/06/14) 。化学結合論として H2O を学習しても、何故そのように結合するかの原理は原子物理学の解明するべき内容である。自然界に存在しない電子で結合論を論じても、一般の市民が真に納得するだけの解説にならないだろうと思う(?)。クーロンの法則を電荷論の基礎に据えながら、負の電荷同士の電子が手を繋ぎあう共有結合等と言う結合力を認める合理的解釈が生まれる訳などどこにもない。そんな基本的矛盾を抱えたまま、科学コミュニケーションなど採れる訳がないと思うが如何でしょうか。

実験回路

回路①。 基本的な実験回路は①の場合である。まず図の直流電源の電池をエネルギー源としてみた時、エネルギーは電池の負極から電線近傍を伝播して、負荷対象に届く。この場合の負荷対象は水で、 H2O という分子の集合空間である。今の教科書の解釈は電子で説明されている。筆者は、その『電子』が実在するなどとは考えられない。「ロウソクの科学」でも未だ電子での解釈はない。電気のプラスとマイナスという説明もなされてはいないで、電気の力という言い方である。水に電圧を掛けると、酸素と水素に電気分解されるという実験的事実である。その実験的水の電気分解はさて、この①の場合で、筆者はここでも電池から『エネルギー』E[J]が水分子一つ H2O に供給されると解釈する。その時水の空間が負荷インピーダンスとなる。水分子に『エネルギー』がどのように印加されるかという問答になる。水中に?マークを印した。しかし、その水の空間にどのように電圧が印加されると考えればよいか良く分からない。分子式で書き表せば、次のようになろう。電源からの供給エネルギーをE[J]とする。なお、水の電気分解と水素燃料電池は丁度逆の化学反応になっている。ついでに、燃料電池の場合も併せて示す。

電気分解    H2O + E[J](電気エネルギー) =(1/2) O2 + H2

燃料電池   (1/2)O2 + H2 = H2O + E[J](発電エネルギー)

電気分解は水(実際は純水ではなく、不純物が含まれている)に電気エネルギーを供給して、金属電極と水分子の間に掛かる電圧(エネルギーギャップ)に因って分子分解をすると考えたい。電子、電荷を物理量から排除すれば、残るはエネルギーによって解釈する以外ない。その『エネルギー』と言う概念が物理学理論で明確に捉えられていないと、残念ながら考えざるを得ない。それは『電荷』や『電子』が水の電気分解はじめ、電気現象の基本的論拠となっているのが現実であるから。『電子』での解釈は原子構造論からの『イオン』と『電子』の関係で如何にも分かり易いように思えて、科学常識として受け入れられてきたものであろうが、そこには『エネルギー』の意識が抜けた、大きな矛盾を抱えたものとなっている。電源からの供給エネルギーと言う解釈が無い。『電子』では『エネルギー』の役割を担えない。そこに物理学理論の基本的欠陥が隠されている。

針状電極

『電荷』を否定すれば、イオンと言う解釈が採れない。しかし電極には確かにプラス、マイナスという違いがある。(プラス、マイナス)という表現自体が『電荷』を否定したら使えないのであるが、エネルギー供給側(マイナス側)とその対称極側(プラス)などと区別しても、もっと分かり難くなるから,やむなくプラス、マイナスで表現する。さてそのプラス側とマイナス側の電極と水の接触点で、どの様な電気的ストレスが発生するのか?一つ電極が針状の尖ったものの場合を考えてみたい。電極が尖った場合は、空気中では明らかに火花、グローコロナの形状が異なる。負極側では勢いよくコロナビームが放射するように発生するが、プラス極側では先端に固まった小さなコロナとなる違いがある。それは水の中でもおそらく同じ傾向の現象に成ると考えて良かろう。電極が針状の場合は分解効率が良くなるのではないかと考えたい。

印加電圧の極性が両電極で異なる。水と電極金属の間の極性(エネルギーギャップの電圧極性)が逆になる。電源のエネルギー供給は負極側からなされる。負電極と水の間のエネルギーギャップは電極金属側がエネルギー密度の高い状態を呈する。それに対して、陽極側の電極と水の間のエネルギーギャップは水が高エネルギー密度分布となると考えられる。陽極電極にはエネルギーはない。

プラスとマイナスの電極間にエネルギーギャップが掛かる。水分子と電極金属面間に大きな電圧(エネルギーギャップ)が分担されて印加される。学術的解釈論は水分子のイオン化が基本になっている。『電荷』が存在しないから、残念ながらイオン化論以外の解釈で理解したい。解釈の基準に、エネルギーと結合 (2018/10/10) および水の妖精七変化 (2017/11/02) さらに結合エネルギー:不思議の砦 (2018/12/02) を参照したい。水素分子と酸素分子が2対1の体積比に水が分離される。この実験的事実は科学論の基本として、紛れもなく自然の本質を表している。この科学的常識が『電荷』に因る、あるいは『電子』に因るイオンの解釈になると途端に論理性が欠落してしまう。

回路②。

①の集気は酸素と水素が別々の試験官に採取される。だから酸素と水素が別々にプラス電極とマイナス電極で分解分離されると分かる。「ロウソクの科学」でも、この②のように一つの試験管内にプラスとマイナスの電極によって、酸素と水素を電気分解しながら混合気体として採集している。その混合気体がやはり酸素と水素から成り立っていることを実験的に証明して見せているところが素晴らしいと感じた。その混合気体を燃焼させれば元の水になることを実験で示している。ファラディーのその実験では「電荷」も『電子』も説明には出ていない。ファラディーは“電気の力”や“エネルギー”と言う用語で解説している。そこには違和感はない。ー強力なヴォルタの電池、その二つの電極ーなどと表現しているが。20世紀初頭からの数理的理論偏重の構築された物理学によって、生活科学からの乖離が始まったのが原因ではないかと危惧する。そこに分かり難い曖昧さが忍び込んできた。

回路③。

この回路は①の回路の水(?)の部分を分離したらどうなるかと不図疑問に思ったものである。実験してみないと分からない。回路①の水(?)で繋がった部分の、所謂イオン(?)の移動ができない場合に水が電気分解されるだろうかと試したくなった。この回路はただそれだけの意味を示した。

水素爆発現象が有る。福島原子力発電所崩壊での実際の様子にもあった。大気圧の7倍の高圧破壊になるという。太陽の原理は水素の連続定常核融合現象と専門家は指摘している。水素核融合は水素がヘリウムに変換する現象で、その時エネルギーを放射する核融合反応と言う。ウラン原子の核分裂と逆の核反応現象であると。素人の感覚からすると、太陽の水素原子核融合反応が継続的にほぼ定常の水素原子消費で起きるという状況が信じられない理解力の無さを抱え込んでいる。クーロンの法則との関係で、原子共有結合原理の理解ができない悩みと同じく。「ロウソクの科学」で水素の燃焼実験を公開している。筆者は残念ながらそのような水素燃焼実験を見たことが無い。高圧水素ボンベでの燃料電池の発電方式は水の電気分解と丁度逆の化学反応だ。水とエネルギーの間の有り触れた不思議が考える一コマを運ぶ。

 

 

 

霰の中に咲くサツキ

今年も師走に入って間もなく暮れる。霰が降る中にサツキが咲く。

このサツキは今咲いてほしくない。狂い咲きだから。植物は地球環境の生命存続の可否を示すバロメーターだから。日本の季節感の四季もなくなり、里山の棚田の日本の風景も消え去る予感が重なってくる。科学技術の経済競争が人をして都市型の過酷な労働環境と生活苦に押しやる。今年の夏に、紅葉の葉が太陽光線で焼け焦げて、枯葉となって哀れな姿をさらしていた。しかし来年の春にはまたその枝先にも新芽の葉が生い茂ることだろう。

振り返れば、今年の夏は猛暑であった。水害被害で生活の危機を認識した。今年は日中も耐えられずにクーラーを使った。去年までは田畑からの風を頼りに、何とか我慢して夕食時ぐらいに使って済ませた。今年は田の稲も酷暑(フェーン現象:水蒸気の水分だけ除いた高温度の熱エネルギーの山越えの風)で実りが悪かったようだ。クーラーは科学技術の賜物と酷暑を避ける電気製品の代表格である。クーラーに関わる『エネルギー』論はほとんど科学者からは発せられない。巨大なビルの中で酷暑の夏を過ごすにはもうクーラーが欠かせない。気温が高まれば、気中の水蒸気量はどんどん増加する。室内から外に水分と熱エネルギーを吐き出し、外気温度を高める。人も熱中症状で危機にさらされる。どんなに貧しくてもクーラーを使わないで過ごす人の生活環境を取り戻すべく、その役割が政治の基本目標でなければならない。雷が水蒸気の保有熱量(それが『エネルギー』だ)によって起きる現象だという科学認識が無ければならない。水蒸気が太陽光線に対して「レンズ効果」を果す。地球環境は命の水が支配している。原子力発電は生存の危機をもたらす人の制御能力を超えた巨大科学技術システムだ。避難訓練を人に強要する科学技術はそれだけで制御不可能を証明している。そんな化け物が生活の場に有ってはならない。そんな科学技術は地震・津波の自然現象とは次元の異なる話だ。

原子力発電の熱の行方 (2011/04/17) 、雷は熱爆発 (2014/05/23) 、フェーン現象の解剖 (2018/06/17)。

燃料はエネルギーに非ず

科学者に『エネルギー』の定義を問う。
『エネルギー』を検索すると、化石燃料や原子力発電所あるいは再生エネルギーなど様々な内容が挙がる。
『エネルギー』の定義を述べてください。
何故燃料がエネルギーなのか?石油も石炭も決して『エネルギー』ではない。それは『エネルギー』を作り出す原料でしかない。

(2020/01/08)追記。『エネルギー』とは物理的に単位はジュール[J]であろう。燃料の単位はキログラム[kg]や体積ガロン[gal]で計量するものであれば、それは『エネルギー』ではない筈だ。あくまでも『エネルギー』を生み出す化石燃料である。ウラン鉱石も同じである。化石燃料を消費して、熱エネルギーを発生させ、その熱エネルギー量で過熱水蒸気の保有エネルギー量に変換して、次に発電機の回転動力源として蒸気タービンの回転エネルギーに変換する。その蒸気タービンで断熱膨張をして仕事をした残りの水蒸気はまだとても多くの熱エネルギーを保有したまま蒸気タービンから放出される。その蒸気タービンを効率よく回すには、タービン出口の水蒸気圧力を低気圧状態にする必要が有る。そのためタービン出口に水蒸気体積を急激に圧縮するための冷却装置が必要である。その冷却装置を『復水器』と呼ぶ。その『復水器』は海水を冷却材として水蒸気の熱エネルギーを吸収しなければならない。その冷却装置の『復水器』が吸収する熱エネルギー量がボイラーで燃料を燃焼して得た熱エネルギー量の半分以上となる。それは結局海を加熱するために無駄に放出しなければならない発電の熱エネルギーサイクルの宿命なのである。結局発電熱効率は40数%にしかならないのである。核ウランや重油、石炭を燃焼して得た熱エネルギー量ジュール[J]の40数%しか有効に利用できないのである。燃焼熱エネルギー量の50%以上は海の加熱エネルギー量となっているのである。水蒸気の熱サイクルの技術的発電機能は電力エネルギーを消費する我々が知っていなければならない基本知識なのである。水蒸気機関による発電システムの宿命なのである。燃料の保有する熱エネルギー量の40数%しか有効な電力エネルギーを作れないことが科学リテラシーとしての現代社会に生きる人の基本的認識に無ければならないことである。地球温暖化に果たす悪い基本的原因が海水温の上昇であることを知らなければ地球温暖化の論議ができない筈である。『エネルギー』の何たるかを知らなければならない。地球温暖化の原因が海を加熱する発電システムにあることを知らなければならない。『エネルギー』は物理的単位がジュール[J]の意味である。またよくエネルギー研究所などと使われているから、それも誤解の原因かもしれない。エネルギー源材料とか資源とかの意味に『エネルギー』と言う用語が使われているのは物理的『エネルギー』の意味が曖昧になっている原因かもしれない。そんなことでエネルギー像(物理学基礎論)も参考にしていただければ。更に追記。丁度発電所蒸気機関の『復水器』の働きは、気象の上空の寒気が地上の水蒸気の熱エネルギーを冷却して、水蒸気体積を減縮させ急激な地上低気圧を発生させ、竜巻や台風を起こす機構と同じ意味で解釈すればよかろう。

(2020/01/23)追記。地球温暖化原因が海水温度にあると考える。関連記事、地球温暖化と海水温 (2015/05/21) および、地球温暖化原因・CO2説は嘘だ (2014/07/29) 。

『エネルギー』の物理的概念がないから世界の認識が曖昧なのだ。
地球温暖化を論議するに、『エネルギー』の物理的定義が無くて、そこにどのような有意義な未来構想を構築することが可能だと言えるのか。
0.04%の二酸化炭素が何故この異常気象の温暖化の原因だなどと言っておられるのか?海水温度の上昇の地球規模の熱エネルギー量・ジュール量を計算してほしい。太陽熱が云々などという非科学的業界論に支配されてはいけない。

『エネルギー』の物理学的定義を明確にすることから始めてください。決して燃料は『エネルギー』ではありません。『エネルギー』の発生源材料でしかありません。

電荷方程式

電荷方程式とは何か?
初めて聞く言葉であろう。先日突然思いついた方程式であるから。『電荷』とは何か?と聞いても誰も答えられないと思う。その『電荷』の意味を方程式の中でどう解釈するかを問答とする。素粒子論の専門家がどのようにお答え頂くか御聞きしたいものだ。

電荷方程式  電荷 X,YおよびZ の間に次のような関係の電荷方程式が成り立つとする。
X[C]+Y[C]=Z[C]   (1)

[問] 次の場合についてお答えください。
(1)今、X= -3 , Y= +2 とする。 Zは幾らになりなすか。
(2)(1)の場合で、方程式には負の電荷 X と正の電荷 Y がある。正の電荷と負の電荷が統合されると、電荷はどうなるのですか。電荷保存則は成り立つのですか。

正数と負数 数学の方程式では負の数は当たり前の概念である。しかし自然世界に[負]の物は実在しない。[虚数]も存在しない。磁気だけは物理学でも+m[Wb],-m[Wb]などの[正][負]の磁気の物理量は存在するとは考えていない。自然世界で『電荷』だけが特別に[負]のものが存在することになっている。世界の認識で『電荷』以外に[負]の物があるでしょうか?『電荷量』を測定することができない。実験的に測定できなければ哲学になるかも知れない。サヨウナラ『電荷』に関係して。

イオン化傾向とは?

はじめに

イオン化傾向と言う用語は高等学校の化学で学んだと思う。化学が不得意でなかなか理解できない。化学知識は今でも高校生のレベルが遥か遠くに思える状況だ。しかし電気回路と電磁気現象については特別に深く理解していると思う。『電荷』や『電子』が如何に曖昧な概念であるかを解説できるから。そこに当然のこととして、『イオン』と言う用語の概念が関係してくる。イオン化傾向という化学の用語の意味が理解できないことに悩む。原子の周りを周回する「電子」の存在が科学理論の根幹をなす常識であろう。それを否定すれば、科学の世界では所謂「話にならない門外漢」と無視される。それでもイオン化傾向の物理的意味を理解したい。

周期律表とイオン化傾向

周期律表の中にどのような配置で順番が決まっているかを描いてみた。赤い番号がイオン化傾向の順番だ。昔と少し違うのは、リチュウムはなかったと思う。カリウムの次がナトリュウムだったと記憶している。中に水H2Oと酸素Oも書き込ませていただいた。化学反応で水は重要な意味を持っていると考えるから。

水の電気分解

水の電気分解が何故可能かが理解できない。基礎の基礎が分からないので、水の電気分解について別に改めて考えたい。エネルギーと結合 (2018/10/10)。

電池とイオン化傾向

電池は化学物質の分解と結合の反応によって、エネルギーが生まれたり(発電)、加えられたり(充電)の機能製品である。そこにはアルカリ金属元素のイオン化傾向などでの『イオン』が重要な原理として関わってくる。『イオン』と『電子』は同等な役割を担って解釈されている。電解質内の移動などは『イオン』が主体である。それは『電荷』概念に依るクーロンの法則が支配する科学認識世界である。本当に科学者はそのクーロン則で、論理的科学理論が成り立つとお考えなのだろうか。電解質の場は真空の空間とは違う。化学物質の誘電特性などで『イオン』の移動力学方程式がどのように影響されるか等ほとんど論理的な考察もなく、伝統的な曖昧な論理で結論を付けているだけではないのか?原子構造が電子の周回軌道論で本当に成り立つと考えているのだろうか。『イオン』に如何なる力が働くというのか?決して自然界に存在しない『電荷』などで論理的な解釈ができる訳が無いのだ。そこに「イオン化傾向」という言葉で特徴付けられる厳然たる元素間の化学結合活性化力の差があることの意味が何に依るのかという、真の自然の原理を解き明かさなければならない課題が突き付けられている。それは少しも経済的利益を生むとは限らない本当の「基礎科学研究」の筈である。それは科学者の教育に関わる社会的責任でもあろう。ナトリュウムNaとカルシュウムCaの間に生じる活性化力の違いは何が原因で生じるのだろうか。その差の発生する訳は何だろうか。それは原子物理学の課題かもしれない。周期律表に関係して、周期律表と抵抗率 (2016/06/09) 。

むすび

『電荷』あるいは『電子』がどのような物理的実体を定義しているかを、科学技術の広い分野に亘ってその論理性の確認をすべき時代にあると考える。全体に矛盾の無い統合された論理性を。次代を担う子供たちへの教育の責務として、あらゆる疑問に答えるべき基礎の確立が望まれる。

サヨウナラ『電荷』

(2019/11/27)追記。実験的検証法の電圧測定について。電圧の測定に普通の電圧計では巧くゆかない。一般に測定は必ず測定対象からエネルギーを取り込む。どのようにエネルギー量を失わずに測定するかの技術的工夫が必要だ。静電容量の小さいコンデンサで、電圧値が低ければ、実験の精度は得難いかも知れない。測定器の入力インピーダンスの大きなものが欲しい。あるいは減衰特性の写真判定など。電圧測定について一言ご注意申し上げたい。

電気理論の根幹をなす概念は『電荷』である。また電力技術・工学では『エネルギー』が根幹をなす概念でもある。『電荷保存則』と『エネルギー保存則』がともに重要な基礎をなしている。電池電圧や分布定数回路現象を最近考えた。急に気付いたことがある。やはり『電荷保存則』は論理的に矛盾している。コンデンサとエネルギーと電荷 (2017/08/31) で満足に答えられなかった問題があった。高校生からの質問のようだった。電池と電圧(エネルギーの基礎研究) (2019/11/13) に答えが出ていた。

実験的検証法

 

回路はいたって簡単である。コンデンサが電圧V0に充電されている。同じコンデンサをスイッチでつなぐ。電圧は幾らになるか?結果は図のように、『エネルギー保存則』に従った電圧になる。だだ、スイッチオンでの追加コンデンサの充電時に突入電流(電流ではなくエネルギーの突入ではあるが)で、エネルギー消散が起きる分の誤差はあろう。小さなコイルでの突入制限を抑える方法はあろう。兎に角、『電荷保存則』は否定され、『エネルギー保存則』に軍配が上がる筈だ。実験確認が可能と考える。以上急な思い付きの報告。