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科学実験の世界

とても面白く、貴重だ。世界を変えた20の科学実験

表紙の写真はマイケルソンとモーリーの光の相対速度検出実験に関するものであろう。

実験で光の相対速度が検出されなかったという結果をアインシュタインが『特殊相対性理論』の根拠にしたと理解している。

しかしそれは、レーマーが木星の衛星観測から『光の速度』の相対性を実験的に証明している筈だから、光の速度は何処で観測しても、観測者に対して「一定だ」と言うのはアインシュタインが間違っていると思う。

アインシュタインの「特殊相対性理論」が物理学理論に大きな影響を与えた。そのころから量子力学など理解困難な理論が華やかに唱えられてきたようだ。

マイケルソンとモーリーの実験は光の相対速度検出実験が成功しなかったが、その実験結果への試みが間違っていた訳ではない。光は『エネルギー』の縦波伝播であるから、観測者との間には必ず『相対速度』がある。ドップラー効果と言う現象が存在する事は、それが光の観測者に対する相対性の証拠である。

『静電界は磁界を伴う』は『電荷』概念否定の実験結果でもある。一つの新しい科学論への認識を喚起すると思う。ロゴウスキー電極空間の磁界 (2020/06/18)。

 

 

電力 その禪問答

『電力』と言う用語の意味位は分かって当たり前だ。それは電気『エネルギー』を利用して、社会経済活動の根幹を成す仕組みを支える用語であろう。

ところがだ、その意味が理解できないのだ。電気回路現象をその物理的本源から問い直すと、『はてな?』が考えろと促すのだ。不思議な事に、分からない疑問が増えるのだ。

基本回路で考えてみよう。

p(ωt)=v(ωt)i(ωt) ?

 

我乍ら驚いた。正しく禅問答だ。電圧と電流の積が何故電力になるか?その物理的意味が分からないのだ。

『はてな?』の意味。少しその前提を述べておく。『電圧』は電線路空間の『エネルギー』分布密度で解釈する。

v(ωt)=√(δv/C) [(J/F)^1/2^=V] 。

のように電線路単位長さ当たりの『エネルギー』密度分布δv(ωt)[J/m]がその電圧の技術概念の基になっている。同様に、『電流』も

i(ωt)=√(δi/L) [(J/H)^1/2^=A]

のように、『エネルギー』分布密度δi(ωt)[J/m]の流れとして解釈する。

この意味で電圧、電流を捉えれば、それは如何にもその時刻における瞬時値と解釈できる。電線路の1メートル当たりの分布『エネルギー』密度と言う瞬時値と見做せようから。しかし、電圧と電流の積として、電力 p[W=J/s]を考えるとそれは瞬時値とは言えない。1秒間、1[s]当たりの『エネルギー』量を意味する事に成る。電圧、電流及び電力の波形を描けば、次のように表現する事に成っている。

この波形を見ても今まであまり違和感を持たないでも済んだ。科学技術理論と言う学術論は殆どその専門家の解釈理論で、専門家と言う慣用学術論組織内では立派に通用する。然し乍ら、図の電力p(ωt)の次元は[J/s]の1[s]間の『エネルギー』量を示す瞬時値である。

禅問答という意味。実はもっと不可解な迷路に迷い込むのだ。

p(ωt)=v(ωt)i(ωt)=√(δv(ωt)δi(ωt)/LC)=co√(δv(ωt)δi(ωt)) [W]

ただし、光速度co=√(1/LC)[m/s] である。

上の式は光速度の30万キロメートル分の『エネルギー』量を積算した意味で捉えれば、何とか辻褄合わせは出来るようだ。電力はやはり1秒間の積分量を評価する意味だと。だから波形の意味は論理的な瞬時値概念を表現しているとは言い難いのだ。 しかし、電力が電圧と電流の積と言う算定値に依って技術評価することの意義は極めて高いのだ。

負荷が電力設備系統に要求するものは『エネルギー』しかないのだ。『電子』や『電荷』など全く必要としていない。だから電線路空間を通して『エネルギー』の流れが物理現象として捉えるべき対象の筈である。そこで、『エネルギー』の流れなら δi(ωt)[J/m]だけで解釈出来るのではないかと思うが、そうでは無いのだ。必ず、電圧との積でなければ『エネルギー』の供給の評価が出来ないのだ。

電力系統は送電電圧値に依って、同じ電流でも送電容量が、そのレベルが違うのだ。『電圧「と『電流』の積でなければ送電『エネルギー』の評価が出来ないのだ。

一体『電圧』の意味は伝送『エネルギー』に対して、どの様な物理的概念を持つと言うのか?それが不可解の『禪問答』たる意味である。自己撞着とはこの事か?

分かろうと藻掻いて、分からなさが増大する。❓❓

自然の本源と技術概念

こんなに科学理論に疑念を持って一体どこに行くつもりなんだ。

自分にそう問いたい。

今朝、突然の『はてな?』がやって来た。次の図に表現した。いま、リアクトルの電気現象を纏めながらに『はてな?』が。

纏めてみて、とても気に入った。

自然は余りにも純粋過ぎる。人間が自然を理解するにはその純粋さに心が対応できないんだ。だから複雑な概念を創造して、それが自然世界の物理概念だと勘違いするのだ。

『電圧』と『電流』が自然科学理論、物理学理論の自然現象を取り入れた電気回路の現象を理解する基礎概念だ。自然を応用して、利用するには誠に優れた解釈概念である。しかし、それはあくまでも人間が科学技術利用世界の構築に便利な共通理解の基盤概念でしかない。自然現象の本質を理解しようと、長い歴史的格闘によって獲得してきた文化理論でもある事には間違いない。『電圧』、『電流』は『オームの法則』として電気技術理論の根幹概念であり、それなくして現代科学技術文明も成り立たないのだ。ただそこから、余りにも科学理論が抽象的な頭脳ゲーム論の構築に溺れた結果が現代的物理学理論の矛盾を生み出した原因と見做せよう。自然界に存在しない『電荷』や『電子』が自然科学を理解するに欠かせない実在概念・物理量であるが如くに教育され、その結果不可解な世界を作り上げたのだ。

自然世界は、この広い『空間』とそこに繰り広げられる、『エネルギー』の綾なす舞台なんだ。上の図は、その『空間』と『エネルギー』の間に最低の科学的解釈を取り入れようとした結果、『エネルギー』が収まる空間の容量 C[F/m] と、『エネルギー』の流れる誘導L[H/m]の空間概念だけは取り入れた。『エネルギー』の伝播方向に対して、単位長さ当たりの解釈法で統一した。LCの共振現象で『エネルギー』は空間を伝播する。それが『エネルギー』の象徴たる『光』の縦波伝送現象の姿だ。

複雑を嫌う『禪』的な自然に溶け込む思いが先の図になったのかも知れない。

数学の『√ 記号』が魔法の衣に思えた。『エネルギー』は実在の物理量だ。しかし、それを平方(√)に開いたら、どう考えても自然世界に存在する物理量と思うには余りにも違和感で、その概念を心が受け付けない。『電圧』、『電流』が科学技術概念と捉えて利用する限りにおいては何の違和感もない。有り難い優れた概念である。しかし『電荷』で『電圧』を解釈する物理学理論はハッキリ言って自然界に存在しない、誤った間違い論である。教育で教えるべき概念ではない。

この事を科学者それぞれが考えて、意見を表明しない限り、未来の子供達への道標を示せない筈だ。『教育』の荒廃が続き、『学問の自由』が業界圧力によって踏み躙られてしまう。それは、みんなの生活の自由の根源ともなる事柄である。

電流計とエネルギー流

電流計は何を計るか(2)  の結論を印す。

上の回路(2)の電流計は回路のエネルギー流に対してどの様な意味を持つか。

結論。

回路のプラス側に電流計A を繋いだ。その回路の回路定数をまとめた。回路定数は単位電線路長当たりの値とする。L[H/m] 、C[F/m] 等の電線路に電流計が接続されれば、負側電線路近傍を伝送される『エネルギー』δp[J/m]が負荷の特性で決まる。そこに電流計が挿入される訳だから、その伝送エネルギー流は乱れる。『エネルギー』はその値や波形を科学的実験で測定できない。電気理論は電圧計や電流計で、その回路現象を捉える。しかし『エネルギー』は観測できない。電流計のコイルに貯蔵される『エネルギー』の量をδa[J]とする。Laa[H]が回路に挿入された時、回路定数をどの様に解釈するか、それを平行二線式回路の定数について に述べた。電線路電圧は電流計の電圧降下分を無視すれば(コイルに平行に抵抗値ゼロと見做せるシャント抵抗SHで回路電流Iを流す)、回路電圧V一定と考える。ただ、電流計接続回路部だけの回路に『エネルギー』分布に変化が起きる。電流計がプラス側に繋がれているから、そのコイル分の『エネルギー』が電圧のエネルギーギャップ条件を乱す事に成る。その『エネルギー』分は負側で保障して、電圧一定条件の『エネルギーギャップ』を保持する事に成る。電流計部の『エネルギー』の伝送速度が遅くなる。その事で、電線路全体の伝送電力p[W]は何処も一定に保たれることになる。負側電線路近傍空間の伝送『エネルギー』密度δA[J/m]および電流計コイルエネルギーδa[J=(J/m)と等価]の間に

δa=(Laa/L)δp

の関係がある。

以上が結論である。『エネルギー』量が計測できない科学的検証の限界が在る。それは文学、哲学と言われるかも知れない。ただ一つ重要な実験結果として、変圧器の奇想天外診断 (2015/06/02) および天晴れ(コイルと電圧とエネルギー)に示した意味が電線路の『エネルギー』伝送の電磁現象の原理を示していると言えよう。

分かった!より はてな?

人も生まれた時は何も知らない。

生きるために、空気に触れて産声と呼吸。口から母乳で消化器官が機能し始める。

命のプログラムが自動的にスイッチオンする。何も考えずとも、生きてそして死を迎えるまで、不思議な生命制御の仕組みが始まる。どの様な仕組み、遺伝情報、生活環境など複雑な人生行路で、個性が際立つ一人の人になるのだろうか。行く先の見えない歩みが始まる。

 

振り返れば、“はてな”と思う事ばかりが増える。

何も知らずに過ごしてきた。

“はてな”に会って、科学理論のすべてに疑問が膨らんで、とうとう『電荷』の否定への確信となった。決して科学論の世界では受け入れられない暴論として、排斥されるだろう。原子構造論まで否定する事に成るから。それでも自然世界に『電荷』は存在しない、人間が仮想した間違った物理概念だった。科学理論とは何か、その社会的意義を人に問う命題となった。

辞典で調べた。

分かる・解る・判る。それは、①区別が明らかになる。②理非が明らかになる。事実がはっきりする。知れる。「とかく理非がわからぬ(狂言・羯鼓炮碌(カッコホウロク))」

はてな。怪しむ時、考える時などに発する声。“はて”の意を強めた言い方。「はて、こちらへは帰りませぬが(狂言・貰婿)」

等とあった。

科学理論は、自然世界の真相を明らかにする事より、人の生活に便利で、有意義な結果をもたらす解釈論を、理論としての価値が有意義と見做す基準から計られる。そんな思いに自分を“はてな”が連れてきた。

『電荷』への科学的信任の如何は、今やすべての皆さんに関わる教育的問答のように思う。

平行二線式回路の定数について

電気回路現象の解釈理論は電圧と電流による『オームの法則』が基本となって完成している。

しかし、電圧と電流と言う概念はとても優れた解釈概念であるが、それはあくまでも科学技術用の創造概念であり、それに自然界での真相を求めようとすると矛盾の壁に突き当たる。

それは電圧、電流の本質を問えば、『電荷』と言う物理量の実在性に依存せざるを得なくなる。プラスとマイナスの二種類の『電荷』が欠かせない論理的根拠となる。マイナスの『電荷』は『電子』であるが、プラスの『電荷』が何かは極めて曖昧である。その論理的矛盾は『電荷』を切り捨て、『エネルギー』の流れとして理解する事で解決できる。

電気回路現象を『エネルギー』の流れとして捉えれば、導線導体内を流れる『電子』などの必要はなくなり、電線路内の空間の電気定数の解釈の問題となる。この関係は電線路の回路特性 (2021/08/11)にまとめた。それでも未だ残った問題があった。

電気回路例。

電池からの『エネルギー』が電線路空間を流れるとなれば、その特性は回路分布定数L[H/m] とC[F/m]で解釈すれば良い。電線路の特性インピーダンスZo[Ω]は

Zo=(L/C)^1/2^[Ω]

となり、空間の構造で電気現象の特性が決まる。負荷ランプの特性値R[Ω]とZoとの関係で、電気回路の『エネルギー』伝送特性が決まる。

以上の意味を基本認識として、二本の電線で構成される電線路のインダクタンスLと静電容量Cの意味をもう少し考えておこう。

二本の電線だから、具体的にその電線路の特性値を考えれば、右図の様になっていると考えてよかろう。

 

 

 

等価回路。回路特性値 L[H/m] および C[F/m]は右図のように算定される。その訳を考えた。

 

 

 

 

電線路空間を『エネルギー』が伝送するとき、その流れは電線にどのような関係になるか。

L=2La[H/m] およびC=Ca/2[F/m]と回路特性値を解釈する。その訳が右図の様なCaとLaの間での遣り取りとして伝送する『エネルギー』という意味で解釈する。

この解釈は回路に電流計を接続する。その電流計の計測値に及ぼす回路特性を理解するに欠かせない事から取り上げた。

こんな回路論は余りにも、当たり前の基礎論で、学校教育の教科書の問題の指摘でしかなく、科学論としての学術論文になるような内容ではない。然し乍ら、現在の科学理論の根源概念、『電荷』を否定するところから生まれる新しい解釈である。現在の学校教育での物理学理論からは生まれない解釈ではある。

自然界に存在もしない『電荷』概念に論拠を置いた学校での理科教育は、その矛盾の伝統の引継ぎ業界の体制保持の意味しかないのだ。その事は未来を背負う子供たちに対しての教育行政の責任を問う事でもある。また大学教育の物理学基礎理論の根幹が問われる事でもある。例え困難があろうと子供達の未来への考える教育への転換が望まれる。

光は何を語るか

光は何も語らない。光子の概念(考えない物理学)?の具体例とした。

自然の実像を世界に示す手段は、その究極は光だ。他に何もない。

人も光によって、世界を観る。

しかし、その光を見ることはできない。光がどの様な姿かを見られない。

その訳は、光が『エネルギー』だからだ。

『エネルギー』は見ることの出来ない世界構成の素原なのだ。心の機能も『エネルギー』が支配している世界だ。『エネルギー』の瞬時波形が観測できれば、心をみることはができるかも知れないが。水素を構成する『エネルギー』も見る事はできない。光は一波長の縦波分で、既に基本的『エネルギー』の空間分布量となっている。光の正体 (2018/01/25)。

光変換の秘め事  色の世界を尋ねて (2012/01/30) より。Digital Audio DISC 面の反射光。(2012年盤)。

光と色彩について、最初の記事は、2010年の光束[lm(ルーメン)]と比視感度 (2010/11/25) と眼球の光ファイバーと色覚 (2011/11/28) であった。

上の蛍光灯光源。鏡に映せば、右図の様な蛍光灯が写る。この鏡の代わりに、DISC面に映すと、光変換の秘め事の三原色の分光になる。DISC面がプリズム効果を演出している。しかもその像は一般的な、平面の反射光とは違う。なお、ブルーレイディスク面に反射させると、何も反射光が見えない。

光変換の秘め事。改めて、この反射光が、光と言う物理量『エネルギー』の自然現象を認識するに極めて重要な点を提示していると考える。その意味を考えた。

眼で見る像とカメラの写像とは同じものだ。この光の像は、平面像ではなく茫洋とした通常の視界では経験し得ないものだ。DISC面からの反射光が立体的な奥行きのある体積の空間からの様々の光路の集合光を捉える結果の視界の像となっているからである。しかも左右が反転した反射像である。

別に、歌手のCD盤で確認したのが次である。

分散像1.DISC面での反射光を確認する。すると右の様なものになった。盤の中心部に光源の反射像が在る。分散光の色模様も、青、緑、黄そして赤と、(2012年盤)とは異なる。この像は光源とDISC面との角度が分かり易い。蛍光灯ランプは正反射像だ。分散模様は反射角度が違う。DISC面は平面であるのに、分散光は反射の角度が違う事を示している。その訳が光と色彩の意味を理解する鍵である。光の干渉と言う解説がある。光を波長で解説しているが、何故波長がこのような分散光に成るかの物理的現象の訳には成っていない。それは伝統的解釈手法でしかなく、原理の解説になど成っていない。誰も原理として納得できないと思う。CDの溝内の反射による分光がこの現象の物理的理由である。溝内には溶剤で満たされていよう。その溶剤内での光の屈折により、波長で反射角度に違いが生じる結果としてプリズム効果が表れるのだ。

分散像2.同じCD面の角度を変えて、捉えて見た。何層にも成って、波長の違う反射面が重なって現れた。干渉光の解釈でこの反射像の説明が付くだろうか。CDディスク面の構造を検索で調べると、ポリカーボネートと色素材が反射面のAlの突起を覆っているようだ。その構造では、内部でのColor cell 内の屈折と反射による分散光の解釈も成り立たないように思う。反射面の突起構造がどの様な光の反射に分散模様を生み出すかがこの反射像を見て、分からなくなった。ポリカーボネートと色素材が光の屈折、分散の主原因である事には間違いない。その分光がどの様な面での反射に因るか、反射面の突起構造との関係を考えると、残念ながらその訳を説明できない。日常生活からの単純な疑問でもあるから、物理学教育で光の研究を御専門にされている方に御解説をお願いしたい。

『我』とは何か❓

突然のTwitterの変乱に驚いて。

私は私でないのか?

驚いて、振り返った。

『エネルギー』が自然界を支配している物理量だ。質量や分子は顕微鏡などによってその実像を観測できるようだ。しかし『エネルギー』は目の前の自然界の空間に実在しても、その像が見えない為に物理学の概念量として認識されない。光が在る事は分かっても、その光の『エネルギー』の実像を認識できないが故の驚くべき、認識矛盾の現代物理学理論だ。止む無く自然界に存在もしない『電荷』や『電子』が仮想的な理論的論拠概念として代用される事になった原因だ。

生命現象を司る生体の情報統合はその『エネルギー』による以外困難である。分子の流れる伝達速度は遅く、神経情報の伝達には間に合わない筈だ。心・精神と言う人が生きる根幹を支配する、その『エネルギー』への思いを記事にしてきたように思う。生理現象や医学には全くの無知ではあるが、自身の『我』という存在を心の働きの視点から内省しながら、思いを綴ってきた。電気回路の電磁伝播現象も身体の分子生物・医学的分野以外の生理現象も、情報伝達現象としては『エネルギー』から統一的なものと見做せるだろう。

はじめは2010年の

1.基礎科学とは何だろう から始まり、

2014年に自身の生物学への無知を改めて意識し、少し基礎を考えた。その年は特別に多くの関連記事を投稿していた。

2.脳と生体制御の謎 (2014/03/21)

3.生命の本質 (C.H.ウォディントン著)を読んで (2014/04/06)

4.細胞分裂の意味を問う (1014/04/18)

5.染色体と遺伝の仕組み (2014/05/08)

6.生命の始まりと脳 (2014/05/11)

7.脳の機能と個性 (2014/09/05)

8.アミノ酸(amino acid)を追って (2014/11/06)

9.ニューロン(Neuron)を尋ねて (2014/11/13)

10.細胞とその機能 (2014/11/18)

11.人の色覚と三原色 (2014/12/11)

12.意識とは何か (2015)。

13.生体電流と生体制御 (2017)。

14.生命活動とエネルギー (2018)

15.ヘモグロビンは何処へ行く (2021)

どういう訳か、考える基点とその方向が科学的常識と違うようだ。生きるための、憲法で保障された、文化的でと言う条件も最初(1939年12月1日:舞鶴鎮守府への戸籍転籍【内務省?】をされ、戻った記録の痕跡が無い)から無かったのかと煩悶しながら、科学基礎概念の『電荷否定』と『エネルギー一筋』の道を追い求めて、今は確信に至った。その反科学常識の自分の生理的思考の軌跡をまとめておきたかった。

波はエネルギー流

『エネルギー』を伴わない波は無い。

電磁波、水面波、津波(海洋伝播の波)そして光。全て『エネルギー』の縦波である。この『エネルギー』の流れは運動エネルギーのような質量の運動速度によるエネルギーの流れは伴わない。質量が流れない、『エネルギー』が進行方向に流れる現象が縦波という意味だ。水や弦等の波は、波源から『エネルギー』が質量の空間媒体を利用して伝播する現象の『縦波』だ。電磁波や、光は真空空間を伝播する『エネルギー』そのものの縦波だ。

しかし、物理学理論ではその『エネルギー』を認識していない。

雨粒と波紋 (2019/07/04) の記事の波紋が右だ。雨粒が水面で踊っている。水とは別物の様に、白い塊となって上下運動をしている。水面の表面張力と雨粒の表面張力との不思議な関係が織りなす現象である。

この状況も一つの自然現象の姿を示している。この物理現象を理数的に解説し、表式化しようとすればとても難しかろう。

ピンポン玉の中に半分の水を満たして、上から落下でもさせれば、こんな波紋ができるかも知れない。アルキメデスの浮力との兼ね合いで。

その球が水面に落下する時の速度で、その球の運動エネルギーは計算できる。『エネルギー保存則』と言う有り難い物理原理が認識されている。

さてそのとき水面にできる波紋は、物理学の教育で教える『横波』で説明することで、自然現象の論理に適合すると考えるのでしょうか。

物理学教育では全く『エネルギー』と言う概念は無視される。只水面の水が上下に運動するだけと殊更強調して教える。これが『横波』の物理現象と❣決して『エネルギー』の言葉は出てこない。

水面に波は生じて『エネルギー』が関わらないとは、物理学とは一体何なんだ!

だから、スマホで電磁波を幾ら放射して、電池が切れても、電磁波には『エネルギー』が全く関わらなくて済む現代物理学理論なんだね?NHKの放送電波の電力が300[kW]でも、電磁波には『エネルギー』の放射が無くても良い電気磁気学理論なんだね?

当然、『光』も『エネルギー』の縦波だ等とは認識できない訳ですね。

日本物理学会、2011年秋季大会(富山大学)、所属歴無しの不可解❓と?で発表できなかった。

24pRF-3  波はエネルギー流 講演概要集 66-2-2. p.369. (2009.9.23)

にパラボラアンテナ面での電磁波の『エネルギー縦波現象』を解説してある。(横波でどのような解釈ができるのだろうか?電気磁気学担当の先生から是非お示し頂きたい。)

視力とビタミン

2012年に白内障の手術をして頂いた。お陰様で、視力も回復し特に支障なく生活できる。

ブルーベリージャムと視力の関係が気になったので、疑問を述べる。

白内障はレンズが濁る為に視力が落ちるのかと理解している。手術はそのレンズに相当する部分を入れ替えるようだ。レンズと言っても、ガラスと違い、それはタンパク質の様なものと思う。

その手術後、暫くしてから、視力の低下を感じた。ブログ記事(眼球の光ファイバーと色覚)に、有り難いお医者さんからのコメントを頂いた。黄斑にオプシンと言うレセプターを持つ細胞があり、そのビタミンAの形を光が変える。その結果神経細胞に信号が流れ、色覚を脳が認識する。と言うようなご説明と理解した。

その説明を受けて、少しは効果が有るかと、朝食のパンにブルーベリージャムを使うことにした。それまでのイチゴジャムに変えて。

もう5年以上は続けているだろう。前に心配した視力の衰えが感じられなくなった。先生が仰ったビタミンAの効果がブルーベリージャムの御蔭ではないかと感謝している。光ファイバーの終端部の『黄斑』が人の、あるいは生物の視覚の要となっていると強く思うと同時に、色彩の赤、緑、青の波長に感応する細胞の形状変化と言う空間構造の物理的現象と光の正体 (2018/01/25)の関係が納得できた。分子結合と言う空間構造変化と光の関係から、『エネルギー』放射現象との意味で納得でき、色覚の生理現象の原理の一端が垣間見られた感じがする。原子、分子の化学変化には必ず『エネルギー』の放射や吸収が伴う事から、感覚的なものではあるが、納得できる。『結合エネルギー』と言う言い方でもあろう。燃料電池も同じ意味であろう。

光の波長変換現象はその対象の空間構造がその原因である。揚羽蝶やクジャクの極彩色の色模様はすべて、その羽根の空間構造が生み出す現象である。光には本来色は無い。光と色彩の謎をどう解釈するかは光の『エネルギー』をどの様な物理的な認識に在るかに掛かっている。絵具も顔料も、その色はすべてその物質の空間構造が生み出す物理現象である。