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夏の景色と光

暑い陽射しの中に。

佛相華(ハイビスカス)、富貴草(フッキソウ)、紫蘇。強い日差しの中に咲く。この鮮やかな彩りに感嘆。光に色がある訳ではない。この緑色と赤。同じ陽射しの光を受けて、その輝く色が違う不思議。緑は葉緑素の色素の色と簡単に解説される。光の波長は変化する筈だ。こんな景色にも解き明かせない自然の姿がいっぱいだ。地球の生命よ永遠に有って欲しい。

色素とColor cell 物には色彩がある。光には色彩は無い。すべての光がエネルギーの空間分布である。その分布波長が様々なだけである。色彩は光を受けた人がその光の波長の組み合わせを識別して、色彩を独自の人の神経機関の創りだす結果として評価しているだけである。同じ光を受け取っても、人と動物あるいは虫の認識する色彩が同じ訳ではないだろう。人の比視感度曲線を考えても分かろう。色彩豊かな揚羽蝶の翅の色は光と色彩の関係を考える例になろう。翅に当たった光は翅の織りなす空間構造内で波長変換して再び放射されるのである。その波長変換する空間を Color cell と名付けた。絵を描く絵具がある。絵の具には独特の色合いがある。その色を色素と解釈するのだろう。光に色がある訳ではないのに、絵具の色を反映する光はどのような意味を持っていると考えれば良いだろうか。色素とか物の色とかは光の物理現象としてどう理解すれば良いだろうか。光とその共振する空間構造との関係で色彩が決まると解釈する。絵の具の分子構造が光の波長変換により色を演出する。

青空と白い雲

青空に雲の浮かぶ 何故透き通った青か。

新雪に朝日が輝く。真っ白い雪。青空に浮かぶ白い雲。青と白には特別に色の不思議を感じる。僅かな科学知識からその不思議を読み解こうとすれば、感覚的なものに頼らざるを得ないようだ。実験的に検証する方法が無ければ止むを得ない。

冬の晴れた日の青空 その青色はどこから来るのだろうか。人が見る光はすべて一筋の光の総体である。青空の一点からの光をその点の光の情報として取り入れている。その空の一点の先には何も無い暗黒の色の宇宙しかない筈だ。眼とその宇宙との間にあるものは地球の空気層のみである。空を見るとは空気を見ているのだ。ならばその青色は空気の色と考えるしかない。眼と空の視点の先の空気の一筋の直線の部分の発する光の流れを取り込んでいる事になる。幾重にも繋がる直線状(ユークリッド幾何学)の光の筋の流れを見ていると。一筋の光路と青空

その直線状の空気の発する四方八方への放射光の内の、眼に届く光のみをその空のその一点の色と認識している訳である。その空気の発する光が青に見えると考えざるを得ない。空気は光が伝播するに障害に成るとは考えていなかった。しかし空気に色があるとすれば、その空気は太陽光線を受けて、その光を原因として空気から光が放射されているとしか考えられない。空気分子が光を放射するとすれば、太陽光線の内の一部を空気が一度は吸収して再放射する以外なかろう。この現象を散乱と言う用語で解釈しているのかも知れない。散乱と吸収・再放射とは少し意味が異なるだろう。それは光の波長が変換するかしないかの異なる解釈で分けられる。空気が太陽光線の障害になる周波数成分は眼に見えない紫外線ではなかろうかと想像する。太陽光線のスペクトラムがどのようであるかは宇宙ででも観測しなければならないだろうから大変だ。直接フィルターなしですべての太陽光線スペクトラムの強度分布を測定するとは至難の業かと思う。特に紫外線領域の広い範囲の強度分布がこの青空の意味には関わって必要かと思う。もう一つの青空の意味に関わるかと思う事は地球表面からの反射光が空気層に反射して見えると言うことも考えられる。海の色も青いかと思えば、その色を写しているかとも考えられそうだ。兎に角空気も光の吸収放射をしていると考えなければ、青空の色の意味が理解できない。光の吸収・放射は光の周波数変換現象でもある。青空の青い色は太陽光線の青い色が散乱して眼に入ると言うものとは違うだろう。眼に見えない波長の太陽光の紫外線が空気中で吸収・再放射されて目に見える波長の青色に波長伸長(周波数低減)変換されていると解釈する。光は変換する基本特性を持っている筈だ。それは世界が変化する原理でもある。

青空に浮かんだ白い雲 雲はなぜ白いのだろうか。雪が何故白いかが分かれば雲の白い訳が同じ意味として理解できるだろう。雪の結晶は誠に美しい六角形の花模様である。その結晶が積雪として雪の山を成すと、その雪は内部に構造空間に富んだものとなる。そこに光が当たると光はどのような雪との関わりを産むのだろうか。その雪の色は白である。太陽の日が当たれば、雪の表面が純白に光り輝く。その白と言う色は周波数がどのようなスペクトラムに成っているかに強く興味を覚える。白いと言う雪の表面の或る一点から周りの世界を見れば、その点に全立体角の風景の色彩が見える。それは天然色の色の光が到達している訳である。その色の光が雪の表面かその内部で一度反射や屈折を経て、雪の空間構造に因る周波数変換によって新たな周波数成分の光として放射されていると解釈する。新雪の雪の結晶と融けた雪の表面とでは周波数変換に違いがあるだろうが、見た目で余り白さに違いは見えないように思う。それでも雪原に太陽光線が当たっている面は明るく白く、日陰の表面は少し青みがかった白に見えるように違いも感じる。雪の表面に窪みが有れば、その中はより青みが増しているように見える。それでも白かと意識では思う。窪んだ穴の空間内で光は反射を繰り返しながら幾らかの光が放射されることで、同じ雪を見ると言っても雪の白さとは異なる色合いに成るのだろう。無垢で純白の白と言うが、単一周波数の光成分で白色は無い事に成っている。同じ光の周波数成分の空間環境の中で、雪の白さが目立つ。同じく青空の中に浮かぶ白い雲。雲が白い訳ではない。雲の表面、内部での光変換後の放射する光の周波数成分のスペクトラムが人が見て白と認識する仕組みに成っている訳である。その周波数成分分析が可能なら科学的結論が得られるのだろう。

光の色 世界が彩り豊かなものとして映る。虹は七色に輝くと言う。だから光は七色で出来ていると考えるかも知れないが、光に色がある訳ではない。光の三原色と言う物理学的解釈がある。目立つ赤色も光に赤色と言うものがある訳ではない。光は様々な波長成分を含んでいる。どんな光もその光の空間構造は多くの周波数成分の混合による合成波形として、その波形が違うだけでしかない。波長の違いとして光の周波数分布の分析を科学的共通理解の解釈法として採っている。光の色の違いと解釈しているのは、実際は見る光の周波数スペクトラムの違いに因っているだけである。光の波長が違う即ち波長が長いか短いかで光そのものの物理的空間像が異なる訳は無かろう。光の空間形状に周波数が異なっても本質的違いがある訳ではない。あるとすれば、合成波形に違いが出るだけである。その特徴的な例を挙げれば、揚羽蝶の翅の色彩豊かな世界であろう。燐粉の微細構造を拡大して見れば、その格子模様に因る空間構造内での光空間周波数変換現象に因る光の特別の輝きを発生させていると解釈している。その空間をColor Cell (*)と名付けている。人が光の波長、波形に感応する感覚器官の仕組みで色の違いとして捉える生命の世界との繋がりに意味を持たせるための機能でしかないのだ。機能でしかないと言うと夢も無いことに成りそうだが、その単純さが人と天然の世界の懸け橋に成っている仕組みとすれば、何と素敵なことかと思う。科学技術で、テレビの光の三原色で全ての色が表現出来ると言う誠に素敵な手法が利用できる恩恵を自然が与えてくれたと感謝すべき事なんだろう。それにしても白と言う色は赤、青、緑のそれぞれどの周波数成分とその強度の組み合わせで演出されるのだろうか。ノートの白色、絵具の白色はどんな分子構造が生み出す仕組みなんだろうか。

Color Cell (*) : 色の世界を尋ねて (2012/01/05)。

太陽電池の解剖

半導体の利用分野に太陽電池がある。エネルギー源としての太陽光発電である。太陽光を電気エネルギーに変換するエネルギー変換装置である。そこに半導体が使われる。アモルファスSiと言うシリコンの結晶構造でない非晶質体が利用されているようだ。太陽電池の単位セルの構造や製造過程も企業毎にいろいろ違いがあるようだ。基本接合はpin構造で、p型とn型で、i型(真性半導体)が挟まれた構造になっているようだ。従ってその場合には、pn接合には成っていない訳である。半導体の特性は、そのpn接合部での『電子』と『正孔』の云々というバンド理論で解釈される筈であるが、pin接合ではそんなバンド理論の説明は困難であろう。しかし、それでもそんな太陽電池の解説には相変わらず同じ論理の説明がなされている。全くその解説では、半導体の動作原理を理解することができない。理解できる人は自分から見ればやはり科学論の天才に思える。しかし本当の気持ちは複雑だ。IT、量子力学論の科学書等何処を見てもバンド理論であり、フェルミレベルである。誠に恥ずかしい自分の未熟さを曝さなければならない。半導体とバンド理論の解剖に始まった関連論である。

光電変換と空間構造 光のエネルギーを電気のエネルギーに変換して、エネルギー源とする方式である。光は光自身がエネルギーである。電気エネルギーも同じ一つの『エネルギー』である。『エネルギー』は光も、電気も違いは無い。太陽電池と言う半導体構造体の中で、光が光形態から目に見えない空間伝播(電気)エネルギーに変換されただけである。その変換過程に半導体と言う特殊な空間構造体を介して光が直接エネルギー変換作用を受けただけである。そのエネルギー変換過程に半導体の接合組み合わせがどのような機能を発揮しているかが物理学として解明されていないだけなのである。真実は理論解明されていない。科学技術が理論解明されることを待ち望んでいると観て良い。揚羽蝶の翅の光変換と同じ意味合いを半導体構造の中に秘めているとしか考えられない。色の世界を尋ねてに可視光線間の変換を空間の「Color cell」で解釈することを述べた。半導体内で光エネルギーが貯蔵され、別形態のエネルギー放射(いわゆる電気)に変換されると解釈すれば良い。全ては実在する『半導体空間構造』に秘められている。何も『電子』や『正孔』などと言う実在しない概念を持ち出す必要はない。この『エネルギー』と言う一つの実在物理量を感得できるかである。

『電子』『正孔』説の論理的欠陥 量子力学では、エネルギーを原子構造の外殻周回電子群が運動エネルギーの増減をするという軌道変換で解釈している。その時は電子質量を運動エネルギーの基礎に据えている。しかし、バンド理論や電流概念においては、電子の質量等全く論理外に置かれている。電子流で電流を解釈する時、電流値は電荷の時間微分で定義する。しかし、電子を電流の基礎に据えるなら、電子に付随する質量も一緒に考えなければならない筈だ。それでは電荷の時間微分と同じく、質量の時間微分も同時に論理の中に組み込もうとすれば、その意味をどう繕うのだろうか。質量/時間=dm/dt[kg/s]はどんな電気的解釈に繕うのか。電子科学論の無責任。持論で誠に恥ずかしい。

色の世界を尋ねて

世界は不思議に満ちている。『色彩』という彩りの意味一つを取り上げても、その自然の深みを知ることが出来ない。日常生活は彩りの世界にある。目に入る光の基の繰り広げられる感覚の世界である。しかし、光には『色』は無い。色の無い光が人に演ずる『色覚』の世界である。何故そんな事が起きているかを考えると、その不思議な意味に取り付かれてしまう。庭の佛相華(辞書を引いたらー仏桑花ーとある。何処かで見間違ったものかとも思うが、「佛」という文字とその姿という意味の「相」が花の呼び名に相応しいと以前から使っていた)、南国の花ハイビスカス、に揚羽蝶が止まる。なかなか羽を広げた写真を撮らせてくれない。赤い大きな花弁と揚羽蝶の彩りが、ひと際『色の世界』を演出して見せる。日中の花びらの赤い色は、何故赤いかが解らない。背景の葉の緑色も同じく、その色の訳の何故かは分からない。解らないと言う意味は、光の物理的意味が理解できないと言う意味である。揚羽蝶の色は『生物物理』の研究対象として、その『鱗粉』の解釈の問題となっているようだ。陽の光が空気を通して揚羽蝶の翅に当たり、鱗粉の構成分子と空洞構造の中での反射共鳴の結果として翅から放射される光が微妙な色模様を演出していると私は解釈している。赤いハイビスカスの花弁は、陽の光を吸収して、何故赤い色に見えるのかを理解できない。いつもの事ながら、最終の決まりが何処に行くかが不明のままに書き出した。書き始めるに当って、相当思考の纏まるに困難と思うような題材を選ぶ時の習慣のような気がする。だから、纏めるに困難でありながらもそこには新たな解釈や斬り込みが予想される時のようだ。一日以上下書きのままにして置いた。検索で「蝶の翅の鱗粉」を調べて見た。相当のデーターが検索に応えられる。電子顕微鏡写真でその複雑な構造が見られる。そこで考えた。『顔料』は日本画等の色彩の材料だ。宝石もルビーの赤や水彩絵の具の色彩も『色』の代表に思い浮かぶ。そこで、その色が何故『色』という個性、特徴を示すのかと考えて見た。「Color cell 」という言葉が浮かんだ。『色』とは『光』と空間を占める『物質』の間に繰り広げられる独特の自然現象である様に思える。物質は分子や原子による空間の構造物である。分子も原子も本来は『色』を持たない。どんな『顔料』もその構成分子が色を持つ訳ではない。色を示す訳は、物質が本質的に『色』を持っている訳ではない。何が『色』を演出するかと言えば、物質が構成する『光』を閉じ込め加工して放射する『色空間』あるいは『光の壺』とでも言いたい分子構造による『格子状微細空間』の仕業として解釈する以外に方法が無い。その『色空間』を「Color cell」と考えた。光について「振動数概念」の捉え方ではこの解釈は生まれないと判断した。『光量子』の一粒の捉え方が決め手である。可視光線の『波長』の寸法と『色空間』の寸法が丁度釣り合う大きさに思える。

色の実相 (2012/01/30/ 追加挿入) もみじの紅葉、銀杏の黄葉また、DVDディスクの色模様を具体例に挙げて考えて見よう。情報化社会だから、検索すれば一通りの知識は容易に手に入る。もみじの紅葉の訳などは、いろいろのサイトに解説されている。ブドウ糖と結合した赤色のアントシアニン系色素が「赤い色」の原因だとある。その分子構造も分かっている。そこまでの解説でほとんどが終わっている。そこに「何故か」と言う疑問が生じるのである。光に「色」は無い。色の無い光がもみじ葉に当たると、何故赤い色の光が反射されて出てくるのだろう。アントシアニン系色素分子の何が赤い光に変換させるのだろうか。赤以外の光をすべて吸収して、赤色の光だけを放出すると言うのだろうか。もみじ葉への入射光の内のどんなスペクトラムをアントシアニン系色素が赤色の光に変換するのだろうか。そんな疑問で「何も分からない」と言う事だけははっきりして来る。確かに、アントシアニン系色素がもみじの紅葉の原因であろう。それだけで、その色素が紅葉の原因であると言うだけで、化学的、物理的解説として済ませるだろうか。色素と言う「赤色」を生む原因はプリズムの分散と同じ原理に因るのか、そうでなければ、色素分子の構造の『色空間』が光の加工・変換の原因になるのだろうか。こんな『疑問』を捉えて、『問答』を頭の中に循環させることが「科学研究」の種となる様に思う。IT「検索」は至極当たり障りのない何となく誰もが暗黙の了解で済ませている程度の「曖昧な認識」の範囲に留まっている。色素が原因だ、程度で満足出来ない疑問感知能力が大事であろう。「DVDディスク(音楽CDの間違いのようです)」の分散模様をカメラに収めた。ディスクの構造は3層に成っているらしい。表面に有機樹脂の透明な保護被覆がなされている。基底は銀かアルミの光反射鏡に成っているらしい。上の写真の光分散模様は小さな蛍光灯スタンドからの光の反射を捉えたものである。スタンド光源の平面寸法は10cm×7cm程度である。色の分散模様はどうも光源の種類に無関係の様である。白熱電球も太陽光線も光源の大きさによる分散模様の形状は異なるが、分散光の色模様はほとんど同じようである。それも『謎』に見える。その音楽CDの分散模様の分析を始めたが、なかなか難しい。(2013/07/27)追記。下の解釈図は間違いです。

(2013/07/31)追記。その間違いの図を残しておく。間違い図間違いの訳は、CDの表面での光の屈折による分散と解釈した点である。それは分散模様で、目に入るディスク色模様は三色が逆になる筈だ。しかし、観測する三色の色の順序は中心から、青、緑そして赤となっている。この矛盾は図解に間違いがあるからだ。きっとすぐ分かった人も多いだろう。「間違いを正してください」と『問答』にするのも良いか?光源の放射光の面が反転した像を見ていることになり、その訳を考え直した。CDの分散模様を確認した結果、大いに反省した。改めて解釈を述べたい。CD光分散光路先ず光源の光がどのような光路を通って目に入るかを①図に示す。蛍光灯の面光源が基本的に何色にも分散して目に入射している。黄色や紫系も有るが青、緑及び赤の三色が強く現れている。例えば青色は光源全体の面からの光が全て青色になって映るのである。緑も赤もそれぞれが光源の全面の分散光を映している。CDには光源が何面も映っている事になる。この色分散模様で、疑問が二つある。第一は、何故青、緑次に赤と順序が決まるかである。第二点は左右が反転して映る訳である。CDの事には素人であるため、なかなか理解できなかった。その訳は、全てCDの記録の方式に隠されていた。CD記録ビット結局記録信号が盤の円周上に「穴」が掘られて記録されているものと思えた。その「穴」の長さや数の密度で、信号を記録しているらしい。所謂デジタル信号として。その様子を②で解釈した。疑問の第二点の左右が反転して映る訳を、次のように解釈した。光路交叉理由

左右光路交差の訳。 円周上にビットの穴があいているから、その穴に光が入射すると、側面で反射され、光源からの光路が交差して、右からの光路は右側に戻ることになる。だから、目に映る光の映像は、右側の光源がCDの左側の盤面からの光として見えることになる。だから左右が交差した光路の光を観測することになる。光源の映像が左右反転するのである。

第一の疑問の解釈。 この解釈には戸惑った。屈折から考えると、どうしても説明がつかない。色の配置が逆になるのである。その解釈はやはり「穴」に求めざるを得ない結論になった。IT検索すると、専門的な解説が出て来る。確かに『屈折』では説明できない。『回折』と『干渉』による説明がなされている。しかし、何故そうかと言う説明が無いのが悲しい。それが「科学論の常套手段」に見えるから悲しいのである。説明している専門家自身が説明できないでいるとしか見えない。何処かで、過去の法則や原理を持ち出して、適当に逃げているとしか見えない。だからと言って、私がこれから述べる解釈も、どれ程のものでもない。原因をその「穴」にしか求められないと言う直覚的判断である。それは「回折」でも『干渉』でもない。単純な穴の中での反射からの解釈である。Color Cell のように見える。やっと図にまとめた。スリットの貫通穴じゃないから、『回折現象』は当てはまらないと考える。光の波長による屈折の違いとして解釈した。屈折と分散保護膜に入射した光は波長により屈折角が異なる。その僅かな違いが穴の中で異なる光路を辿ると解釈した。その結果、青色と赤色の場合で、光路を示せば、図のように成るだろうと考えた。穴を通して、屈折の光路が逆方向に反射されることになる。勿論緑色も、その中間の方向に反射されて放射されることになる。以上で、修正の解釈とする。

大した事でもないのに、考えると色々複雑な現象と思った。私なりの解釈でしかないので、異論、批判を歓迎します。

 可視光線の寸法と電波波長 光の寸法という空間概念は一般的な物理概念としては認識されていないであろう。『光量子』『光子』という光の物理学的認識では、振動数が理論的な認識の基本的条件となっている。「振動数」がどの様に『光子』の空間的存在形態で捉えられるかについては、物理学理論では問わないで済ましていると思う。振動数が空間にどのような意味を持つかは『問答』の対象とはしない。だから光の寸法という捉え方を物理学では認識していない。私が主張する点は、正しくその『光の空間的寸法』である。そこで、今回ITからの検索などで、集めた電波技術の利用状況と「可視光線」との範囲を波長から纏めて見た。普通は振動数で表示する事が多いと思う。可視光線の配色を同時に表現しようとすると、波長範囲が長く伸びて、簡単ではなかった。適当に切り貼りしてまとめて見た。ここでの『波長』は、その寸法では十分説明できない処がある。それは『波長』を正弦波の1サイクルで捉えるのが「教科書」あるいは『物理学理論』の基本である。しかし、私が解釈する『波長』の寸法は『エネルギー』から見た寸法である為、正弦波の1サイクルには2つの波長が含まれる事に成る。その点は、ここでは一先ず「教科書」の波長で解釈する事にして置く。その点については、エネルギー伝播とその検出回路における「交流条件」という事との関わりがあるので、簡単ではない。さた、可視光線の範囲がここで取り上げる『光の世界』の話の基に成る。光はエネルギーの流れであり、『光子』というような言葉で認識する時に、光の粒子と頭に描くか、雲のようなエネルギーの流れと捉えるかによって、認識に差が表れよう。粒子ならどのように振動するかも頭に描けなければならないと思う。兎も角「色の世界」として話題にする波長の範囲は極めて狭いのである。その範囲だけで人は無限の色彩の世界を享受しているとも言えよう。

追記(2012/01/25)  今日の朝日新聞1面に「始祖鳥は黒でした」という囲み記事があった。科学誌ネーチャーコミュニケーションに発表される「始祖鳥の翼は黒かった」という記事の話である。まさに、色素・色彩の謎に迫る研究である。しかも誰も見た事の無い「始祖鳥」の化石動物の色彩に関する事である。古生代の世界の色彩は誰も知らない。恐竜の色がどんなに煌びやかであったかどうかなども想像できない。だから画像は全て土色か灰色で描かれている。昔の世界がそんなに単調な色ではなかろうと想像しても、本当の色彩を知る事は出来ない。だから、その一つの研究として「始祖鳥」に挑戦した事は意味があろう。しかし、翼の色が「メラミン色素」から単純に「黒」と結論付けた事を私は理解できない。まさに私が『色彩』という物の本質をどう捉えるべきかを考えたのが上の記事である。蝶などの昆虫や雉などの鳥類の色彩の『色の世界』の仕組みが謎に満ちていると思うからである。タンパク質に本来色がある訳ではない。元もと光に色がある訳でもない。煌びやかな色の輝きは翅の構造が生み出すものであろうと見る。だから、この度の記事を見てとても理解できるものでないと思った。