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エネルギー その見えざる正体

見えないもの 世界を光によって見ることが出来る。しかし、その光を見ることは出来ない。光がどんな形をしているかは分からない。その光の形を科学的に検証して確かめることも出来ない。しかし光は世界の実在的物理量で、空間に実在する。光は空間エネルギー分布波であると言っても、そのエネルギー波を検出をする測定法は無いだろう。何しろ1秒間に30万キロメートルの速度で通過する空間エネルギーの密度波であるから。そのエネルギーの分布状態を計る測定法が見つかれば夢の世界が広がるのだが。 見えるもの 見えないもの  にも見えないものについて述べた。その科学的に測定・検証できない電磁波の空間エネルギーについて述べようと思う。エネルギー程自然世界の根源を成しながら、その姿を見ることが出来ない不思議なものもないと思うから。大学教育に求められる「電気磁気学」 はその眼に見えない空間エネルギー波が光の本質であることを理解することを求めたものである。その見えざる正体を電磁波の中に観ることを論じたい。 眼で見えない物を心で観る夢としたい。 

電磁波はエネルギー波

図1.電磁波とエネルギー分布 正弦波の電磁波はマックスウエル電磁場方程式の解釈により、電界E と磁界Hの直交したベクトルの波動として表現される。その電界と磁界の偏微分形式で方程式に表現されている。しかし、電界や磁界が空間にあると考えるなら、その空間にはエネルギーがあると解釈される筈であるが、エネルギー分布についての解釈は電気磁気学の電波伝搬現象には見えないようだ。エネルギー波という解釈の記述について見た記憶がない。何故なんだろうか。電波伝播現象ではない静止電磁場については電界エネルギー「(1/2)εE^2^[J]」とか磁界エネルギー「(1/2)μH^2^[J]」とかの解釈がされているにも拘らずである。光速度伝播での電磁界については空間エネルギーという概念が消えてしまう人間の不思議な科学的習性を観なければならないのかと。そこで、今回はその光速度伝播の電磁界についても空間エネルギーが実在するのだということを伝える為に、その正弦電磁波のエネルギー分布を描いてエネルギーの実在性を解説しようと考えた。電磁波の本質は電界や磁界ではなく、エネルギー波なのである。それが光が空間エネルギーの縦波だという解釈に通じる事の要になるのである。図のように、正弦波の波長λとすれば、その半波長 λ/2 の繰り返し正弦波分布波となる。実はこのエネルギー密度分布波δ[J/㎥]の空間伝播現象を解説しようと考えたとき、このエネルギー波の表現法に困惑してしまった。そのことで、前の記事、瞬時電磁界と概念になった。エネルギー波が電気磁気学で取り上げられない訳の一つに、その空間表現が困難であるからかも知れないと考えるに至った。それが見えないものを観る困難かとも思う。しかし、エネルギー単位量子という捉え方で電磁波のエネルギー縦波伝播現象の解釈が欠かせないと考え、その意味を解説したい。

エネルギー単位量子

図2.エネルギー単位量子 ε=(λ/2)(δの平均値)[J]  見ることのできない空間エネルギー分布密度波を、空間に図形表現してみたのが図2.である。石や花のように眼で見ることが出来るものは空間に描ける。平面表現であっても絵にして伝えられる。しかし、空間に実在すると言っても眼に見えない、形の表現のしようがないものを示す事は困難である。質量に付加される運動エネルギーは質量体とその速度を併記すれば、理解できよう。しかし、質量のないエネルギーは目に見えないから形に示せない。これは『禪問答』の部類かもしれない。そこを何とかご容赦頂いて論じさせて頂く。空間を伝播する電磁波は正弦波波長の半分の長さの空間エネルギー密度波の繰り返し波形である。今仮に単位面積あたりを通過するエネルギー波を考えれば、単位面積1[㎡]で長さλ/2[m]の体積のエネルギーε[J]の光速度の縦波伝送として捉えられる。それをエネルギー単位量子と定義する。

見えざる正体

見えない空間エネルギーは光の視界を遮ることもないから、そこに在るとは見えないのだ。電気コイルの中や磁石の周りにエネルギーが在ってもそれは目に見えないのだ。地磁気のエネルギー流が在ってもそれは目に見えないのだ。見えざる正体それが空間に実在するエネルギーなのだ。世界を構成する基であるエネルギー・素原の光がその代表なのだ。その見えざる正体のエネルギーが理科教育に求められる本源だ。サーフィンが夏の海に運動力学の絵を描く。津波とサーフィンは同じ水力学の形を見せている。波のエネルギーとは何かと尋ねれば、振動数が何とやらの解説が検索に出て来る。エネルギーの実在性が見えない理科の解説は間違いである。

『課題』が残る。光の波長はこの「λ/2」を捉えて今まで論じてきた。正弦波波長と光の波長との関係を明確にしなければならない。

過去から今まで

32  『静電界は磁界を伴う』 -この実験事実に基づく電磁界の本質ー

1.まえがき 現代物理学の基本概念に電磁界概念がある。しかし、マックスウエル電磁場方程式には時間的に変動しない電磁界いわゆる静電磁界に対してエネルギー伝播の概念は含まれていない。この解釈から「電荷も電流も時間的に不変である限り電気と磁気とは別々の現象である。」(1)という当然ともいえる結論が得られる。しかし、マックスウエル電磁場方程式をエネルギー伝播という観点から考察したとき、筆者は「電界あるいは磁界のみが単独に存在するような場は有り得ない。」という結論に到達せざるを得ない。・・・

と書き出した、1987年(昭和62年)4月の解釈から少しも進歩していない同じ事を論じ続けているようだ。

エネルギーから電子殻を問う

はじめに 電子殻(ダッシュボードに掲示された)という用語を初めて知った。その電子殻についてどう考えるかと問われているのかと思った。『電荷』概念の意味が分からず、30年以上にも亘って教科書の科学理論に疑問を感じてきた。むかし(1982)『静電界は磁界を伴う』という電気磁気学理論の科学常識に反する内容を電気学会全国大会で発表した。今となれば、それが技術屋の感覚的挑戦であったが,間違いなく的を獲ていたと驚くばかりだ。静電界という電場がむしろ磁場とも看做すべきエネルギーの流れであったという発見だから。たった一つのその実験結果の意味が如何なるものであるかを科学理論の根幹に照らし合わせながら考察を積み重ねてきた。物理学の根本である電子殻に因る原子像さえ否定しなければならない羽目に陥ってしまった。もう一度、先人が創り上げた科学理論ではあるが、その根幹を成す電子の概念および機能をエネルギーとの関係で、考えを整理して置かなければならないと思った。結果的に図らずも伝統的科学理論を否定するような仕儀になってしまった事誠に申し訳のないと思ってもいる。『電荷』の自然世界での実在を否定するという事がどれ程大きな社会的混乱を教育に与えるかは想像に難くないから。手元にあった 科学革命の構造 トーマス・クーン 中山 茂訳 みすず書房 (1987 第19刷) を開いて読めば、余りにも溝が深すぎると・・。電子とは『エネルギー』の一つの姿でないかと思いながら。

原子構造 原子の周りを電子が何故回転していると分かるのだろうか。最近も新しい113番目の原子の発見が話題になっていた。それ程厳密な科学研究の証拠が示されている中で、電子が原子核の周りをまわっている意味が理解できないと言ってみても意に介されないとは思うが、エネルギー感覚から述べておかなければならないと思う。

電子の責務 電子に対してどのような科学的責務が課せられているか。電子が獲得したものでなく、人間が付与した役割である。自然界が『電荷』と質量を持った電子に取り囲まれた原子核の原子構造体から成り立っていると理解されていると思う。その原子にもいろいろの特性がある。シリコン、酸素、窒素、炭素あるいはネオン等とそれぞれ際立った特徴を持っている。それらがすべて電子殻の電子によって構成されている。みんな同じ電子殻構造の話で統一されるものと思う。筆者の拙い高校生程度の知識に因る電子像を先ずまとめてみたい。

電子統一情報 ウイキペディアから拾った。とても理解できない専門的な電子像の規定であると思う。空間に占める大きさまで分かっているようだ。この9ケタ、10ケタの数値が堂々とまかり通る電子像に近寄りがたい科学理論の畏れ多さを感じる。

電子に付与された任務・責務(期待される電子像) 昔教育の審議会で期待される人間像という考え方が論議されたことがあった。電子像を的確に捉えようとしても期待される任務・責務が超人的な機能でなければならないかの如くに思われ、科学理論の世界が巨大な構造体で入り口から怖気づいてしまう。電子も観方によって哀れとさえも思える。過重労働の期待で瀕死の状態にならなければ良いがと陰ながら心配である。筆者のお粗末な電子像の認識をまとめてみた。

さて、上に挙げた電子像が普段頭に描く姿に思える。原子同士が隣り合わせれば、先ず原子の外周を取り囲んでいる電子同士が相手との情報交換の遣り取りを任され、相手原子を認識する責務が課されている。手を繋いで良いと判断するのも電子で、原子同士を繋ぐ役目も電子の仕事だ。化学結合とか共有結合とかイオン結合とか、とても判別し難いような複雑さの判断も電子自身に任されている。「オラ―そんなのやだ―」などと言って、「東京さ逃げる―」てな訳にはいかないのだ。それが電子の科学的宿命だ。何しろ過大な期待が掛けられているのだから。期待を掛けるお偉方はどこに居るのか姿も見えないが。兎に角電子は大変な重責に怯え続けているようで、何とか少しでも開放してやれないものかと思う。

4番目の任務 原子エネルギーの収支取締役という、日々雑兵の激務に追われる中で、特段のお役目を頂戴してしまった。原子に降り注ぐ『光』がある時、先ず外堀の電子にすべての的確な対応が義務付けられている。電子はどのようにその光との関係を処理すれば良いか、与えられた責務を忠実に執り行おうと考えた。決して外堀から母屋の御主人・核主(お昼寝中かもしれない)様に影響が及ばないように処理しなければならないのだ。最初に挙げた1番目の任務との関係では、足を踏み入れてはいけない禁制帯とかがあり、そこは飛び越えなければならない事になっている。現代物理学の大きな学問領域を成す量子力学では、光と電子の責務との関係がとても詳細に分かっていて、その関係が自然科学を理解する根本原理になっているようだ。しかし、その材料などの量的評価に因って科学技術が進歩したかといえば、それは理論と実際は余り関係ないようだ。光エネルギーをどのように電子が苦労をして責任を果たそうとしているかを拙い科学認識で掘り起こして考察してみたい。すべての電子はどれも同じ電子統一情報に因って細密に規定されているようだ。光エネルギーを処理するに当って、もしうまく禁制帯を飛び越えて伝導帯の位に跳躍出来たとする。その時光エネルギーをどのように、統一電子情報との関係を厳守したままで、処理出来るのかに悩んでしまった。エネルギーというものは電子の情報という質量、電荷および空間寸法には全く影響を与えないで済むものなのか。高等数学式で考える能力が無いので、日常言葉でしか解釈できずにいる。さて、もしもの仮定での話ではあるが、電子が雲のような掴みどころのない波動(その実体が何を指すかを理解できないのだが)であるとしたら、それも質量と電荷を波動の中に備えているのだろうか。その波動もやはり原子核の周りを周回運動していると考えるべきなのだろうか。そこでその波動が光を外部から受けたときは光エネルギーをどのように電子波動の中に取り込むことになるのだろうか。兎に角、陰に隠れた主の核主様に影響が及ばないようにしなければならないとなれば、電子雲の全てが総がかりで対応しなければならないように思える。連射砲のように降り注ぐ光を禁制帯を飛び越えながら処理する技は如何なる理論で可能なのかが理解し難いのだが、その理論まで電子に負わせるのは期待する電子像の範囲を超えてしまうだろうと気掛かりだ。

電子とエネルギー 電子がエネルギーを保有するという意味はどのような物理的現象で捉えるのか。電子にはいろいろな状況があるように思われる。自由電子と電子殻内の電子とでは必ず違う筈と思うが、その訳・状況がハッキリと認識されているのか、説明できるのかそこが良く理解できない。電子には速度の違う状態があると理論では唱えられているように思える。教科書によれば、導線内を流れる電子を自由電子と唱えているように思う。その自由電子でもそれぞれにはエネルギーに違いがあるのか、無いのか。その伝導帯の自由電子には速度の違いがあるのだろうか。酸素の電子が電子殻から解放されて自由電子に成る議論は無いから、原子核の束縛から解放されて自由電子に成る場合は、金属導体や半導体原子だけに当てはまる電子とエネルギーの関係なのだろう。電気回路の導線には電子が充満して流れるように解説されている。超伝導等のように、極低温のエネルギー環境の低い場合は、電子殻の電子は特別の能力を賦与されて、自由に原子核の束縛から解放される自由電子となる資格(特殊任務)がある電子なのだろうか。その自由電子のエネルギー状態はどのようなエネルギーレベルと捉えるのだろうか。原子の環境がエネルギーが高い場合が自由電子の生まれる条件かと思えば、極低温での超伝導の自由電子とはエネルギーが多いのかあるいは『無』なのか良く意味が理解できない。

原子の司令官は誰か 周期律表という科学分析の宝がある。原子の個性と特徴で分類されている。原子の特性を発揮する司令官は誰か。原子の本基は原子核が握っている筈だ。司令官という機能の物理学的基幹は如何に在るか。外堀を守る電子じゃ役不足であろう。

原子構造体と役割分担? 原子構造が原子核と電子殻から構成されているとの解釈に因る意味とその電子機能について考えてきた。殆どの教科書の解説は原子外殻の電子が担っているように説明されている。原子の質量は殆ど中心の核が占めている。一体核は原子の特性に因る外部事象との関係機能としてどんな役割を担っていると考えれば良いのか。核は分裂の時だけ意味を持つような、日頃は原子の中心に隠れた存在であるように見受けられる。電子殻の電子だけが仕事をするような原子で周期律表の顔が立つのだろうか。

電子殻電子が原子の特性を表せるか 元素にはそれぞれ異なる特性がある。その中で幾つかの原子を取上げて、原子の特性がその電子殻の電子でどのように解釈すればその電子殻を論理的に適正に評価出来るのかに思いを寄せてみた。

炭素C この原子の結合の代表例がダイヤモンドの宝石であろう。ダイヤモンドの結合空間構造は炭素原子の表面を4等分した立体角π毎に結合面を持つものであろう。決して平面結合ではない。もし電子殻で4価の電子で炭素原子を解釈するなら、その電子にはエネルギー差はなく、同一の電子殻内に存在する筈だ。そこで、その電子が隣の炭素と結合する時、電子は原子表面を周回運動していると考えるのだろうか。結合する時には運動は停止するのだろうか。電気磁気学理論によれば、クーロンの法則で同一電荷は反発することに成っている。今でも電気の教科書がクーロンの法則を基本理論に据えているなら、どのような論理性で負の電子同士が結合の責務を担い得ると解釈できるのか。しかもダイヤモンドという特別に結合の強い状態を電子が担うという科学論理は余りにも矛盾と欺瞞で構築されているとしか思えない。共有結合とは一体どんな電子の魔術結合力を利用しているのか。電子が周回運動しながらとなれば、とても電子に因る結合論に論理性があるとは見えない。科学は平易な基本に分かり易い忠実な解釈がなされなければならない筈だ。

炭素C (2) 炭素といえば、電気回路では抵抗体のカーボン被膜抵抗などがある。さて、炭素の特性で電気エネルギーの熱変換機能が日常の電気技術の基本に成っている。こんな考察は誰もしないだろう。何も得るものがなく、反発を買うだけであるから。しかし電気技術に携わった事がある者として、少し専門家としての解釈を示しておこうと思う。ここでの話は矛盾の中の教科書の解釈理論からの内容であり、『電流は流れず』という筆者の論理の視点とは異なる。事実は、電線路導体内を電子が流れている訳ではない。しかし教科書に依れば、電子が流れていることに成っているので、その電子が抵抗負荷内を通過する時どのような電子の機能で炭素原子の外殻周回電子にエネルギー的働きをすることが出来るのかという疑問を提起しようということである。炭素抵抗は負荷としては熱を発散している。触れてみれば熱いから分かる。その電気エネルギーを熱に変換する機能は炭素原子の電子殻電子のどのような与えられた責務として働いた結果の現象なのだろうか。こんな基本の基の字のような初歩的な愚問が現代科学理論に欠かせない入門の課題なのである。高度科学理論が取上げられても、足元の理論の根拠が矛盾なく説かれなければ、砂上の楼閣にも見えてしまう。

酸素原子O 酸素は生命の維持に欠かせない。呼吸の問題。 等とまた愚問を取上げれば科学には相応しくないと常識の世界では非難される。常識という科学理論がおかしいとの思いに掛けての科学論であれば止むを得なかろう。酸素が燃焼を司る元素であることは間違いない真理である。酸素を燃焼機能原子として知ることは自然科学の基礎知識として重要であろう。そのことと酸素原子の電子殻電子の科学論理との関係はまた別の基礎科学論である。自然の真理を説き明かすに欠かせない科学的思索・考察でもあろう。原子構造論の基本が電子殻の電子概念に委ねられていることだあれば、その論理性を質しておかなければならなかろう。酸素原子の外殻電子殻の電子数は6個であろう。その電子が何故燃焼の機能を発揮すると考えるのか。電荷と質量を持った電子が周回運動をしていると考えているようだ。燃焼に電子の何が機能するのだろうか。電荷か質量か運動か?電荷も質量も速度にも燃焼エネルギーを発生する機能が観えない。酸素原子の特性は熱エネルギーを放射する自然現象を司る機能である。無から熱エネルギーは生じない。何かを熱エネルギーに変換するのである。それが何であるかは分からない。原子構造そのものの解釈の問題に通じている課題であるから。

ネオン原子Ne 不活性ガスとして捉えられているようだ。外殻電子殻が8個の電子で充満され、化学反応機能が無く安定した元素と看做されているようだ。気体分子結合(Ne2)もしないとの解説がある。同時にネオンサインとして、夜の街の広告照明灯に活躍している。酸素と違って、熱でなく発光現象である。このネオン原子も8個の電子が同等のエネルギーを持って、電子殻内を周回運動していると解釈しているのだろう。どんな軌道で平衡を保ちながら運動できるのか空間的描像を描き難く、理解の域を超えてるが答える能力も無いので我慢も止むをえない。さてネオンサインの発光現象では不活性原子の電子が電気エネルギー(高電圧のエネルギー供給空間)に反応して、どのような光エネルギー放射変換機能を発揮すると解釈するのだろうか。本当のところは電子が存在して関わる現象ではないのであるが、電子殻で理論が構築される限りは、その発光現象の訳が示されなければならないと思う。ネオンサインに量子力学は場違いな話で笑われそうだが、ネオン原子の電子が高電界中を飛んでくる電気の電子と衝突し、禁制帯を飛び越えて高エネルギー電子に成り、再び原子に戻るから発光機能を発揮できのだろうか。電子殻電子の原子構造論から判断すれば、そんな特殊任務付与解釈にしか辿りつけない。内心は無理なこじ付けと思いながら。

リチュウム原子Li とても興味を覚える記事「リチュウムは躁病と欝病を治すだけでなく、それにかかりやすい人を病気から守る働きもする。さらに、リチュウムはほかのさまざまな精神病や情緒不安定、とくに鬱病に効果のあることが知られてきている。」(発見と創造 科学のすすめ W.I.B.ビヴァリッジ著/松永俊男・鞠子英雄 共訳 培風館 p.60.  昭和58年初版)を見た。最近は携帯電話の電池にも使われ、核反応の三重水素とも関係が深いとある。3価で、反応性の高い原子のようだ。電子殻の電子の機能と考えるには理解に戸惑ってしまう。原子とは不思議だ。

むすび どんなに原子とその特性を電子殻構造論から理解しようと思っても、納得できない現実に突き当たる。『電荷』あるいは電子概念に基づく電磁気現象解釈は一見理に適っているように思えても、細かく考えてみると全体としての統合性で辻褄の合わない点や矛盾が見つかる。結局『電荷』に基づく基礎的論拠は物理学理論にそぐわないとしか思えない。『エネルギー』の千変万化する自然の現象に思いを寄せれば、『電子』もその一つの姿に思える。

「金原の物理」を繙いてみて

手元に大好きな本が残っている。筆者が高校生の頃、物理の受験参考書として一世を風靡した本である。今でもその内容は、重厚で考える理想的なものに思える。
物理の研究 (上巻) 262頁 旺文社 昭和31年3月1日 重版 定価200円。『金原(キンバラ)の物理』と言って大学受験の有名な参考書であった。時代の雰囲気がある。

今、電気工学の回路理論を電気物理と言う視点から考えた見たとき、物理学理論の教育的に取り扱う教科書の内容が何か不都合な状況にあると思えてならない。現代物理学理論が本当に自然界を理解するに有用な未来への指針を示していると言えるかに大きな疑問を抱かざるを得ない。『非力学的エネルギー』と言う視点で『エネルギー』の意味を考えている。どこか物理学では『エネルギー』の意味が間違って捉えられて、そして教育されているとしか考えられない。

金原の物理の緒言  はじめに緒言として述べられていることが、今読んでも古典的名著としてのその風格の高さに敬服させられる。相当長い文章(42字× 60行)であり、その内容には深い哲学的な意味合いが込められていると思う。そこには

『われわれには自然界に向かってかくあるべきだと命令する権利は少しもないのである。このようにして得られた法則を基礎としてこれを一つの体系に組み立て、学問としたものが自然科学である。』とある。その最後の文章に

『こうして根本を掴み理法を整え、整然とした完全無欠な体系を作り上げることが物理学の目的であって、この体系が出来上がれば今度はこれを基にして新しい現象を説明することも出来るし、応用して種々の発明をすることも出来るのである。 しかしこれはどこまでも目的であって、現在の物理が、この域に到達しているわけではない。今までの物理学者達が練りに練って作り上げた体系もまだまだ不完全なものであって、この体系では到底説明の出来ないような新事実が次から次へと発見されている。矛盾するような新事実が発見されたときにはその都度体系に修繕を加えて、これをも包含するように作り変えてきた。しかし変えても変えても、矛盾の種が尽きることがない。恐らくは、体系の作り変えというこの努力は永久に絶えることはないであろう。これが生きた物理学の姿であり、そしてその物理学を生かして行くのがわれわれに課せられた任務である。』と締めくくられている。

この緒言には、自然に対してとても敬虔な姿勢で向き合っている気持ちが表れている。それに対して現在の物理学教育の姿勢が、何か全てが分かってしまって現在の理論をそのまま学習すれば良いと言わんばかりの硬直性に縛られているようで、危険にさえ思える。

研究的態度の養成 寺田寅彦』 が検索に出る。そこにも上の『金原の物理』の緒言の心掛けに似た思いが綴られている。

電気理論は手品師の世界

理論は真理か?何か手品師の舞台を見ているような感覚の世界だ。
『瞬時電力』とは何か? 『瞬時値』と言う物理量を捉えることが現象のより深い理解につながるかという考えで、その用語を多く使って来た。本当の意味を考えて使って来たかと自分に問えば、殆ど感覚的により真相に近いだろう位の思いであったのかも知れない。
科学理論と言う論理的な厳密性で構成されているとの理解の中で、より根本的な誰もが常識として共通に納得している事象や用語でさえも、その意味を自分は分かっているのかと自問すると、不思議にも分かっていない事に気付く。それも十分分かっていると自負していた電気現象に関わる話でさえも。

瞬時電力とは? IT検索すると、その意味を尋ねる質問者が居る。電気回路の電圧や電流波形はオッシロスコープで観測できる。電圧や電流の瞬時値は波形として見慣れているから、その意味など全く気にもしないで、瞬時値と言う電気量の定義など疑いもしない。

瞬時値の単位と時間 瞬時電力p[W]は波形観測が出来る。単位はワット[W=J/s]である。瞬時値とはどの程度の時間感覚の意味なのか?瞬時だから、時間の長さは『ゼロ』でないのか。

瞬時値と単位と時間 (1)回路と測定の電圧計、電流計そして電力計の測定値V[V] 、I[A]および P[W]は十分長い時間での平均値のような『実効値』を計測している。しかし交流回路であるから、それぞれの値は時間的に変動している訳で、その波形の各時間における値を瞬時値と言っている。回路の瞬時値波形は抵抗などを通して簡便に測定できる。瞬時電力p[W]は掛算に因らなければ波形は得られない。電力の単位[W]は図(2)瞬時電力波形のpの単位も[W]である。電力と言えばワットである。そのワットと言う意味は何かと考えて見る。ワットが流れている訳ではない。流れるのはエネルギーのジュール[J]であろう。[J/s]とはどういう意味か?エネルギーが流れると考えれば、時間当たりとなる。しかしそれでは何か『瞬時値』と言う意味と感覚的にも腑に落ちない。結局の結論としては、瞬時値であるからある時刻における時間微分値と言う意味としか解釈のしようがない。瞬時電力p= lim _⊿t→0 (⊿E/⊿t)=dE/dt[J/s]としか捉えようが無い。となるとdE[J]とはその線路点のどのようなエネルギーを意味しているかと、また疑問となる。ここまで自己を追い詰めて、疑問の渦に自分を引き込む。抜けられないかと不安が解決策を見つけ出してくれる。不思議だ!それが次の話になる。科学技術の競争と言う世界から離れた場所だ。

電力の物理的意味(自分への問答) 正しくこの電力p=dE/dtの意味が手品師の隠した「種」に思えて来た。誠に不思議の極みである。位置x点での電線路空間のエネルギー分布dE(x)がその意味を隠している。『光速度伝播』が電気理論の隠した種でもある。『エネルギー』と『光速度』、この二つが種明かしの要だ。dt=dx/c[s]にあり。距離dxと時間dtの関係を支配するのは『光速度c』だ。電線路空間距離位置x点における瞬時電力はp(x)=c dE(x)/dx の『エネルギー』の空間分布の勾配である。昭和62年の『静電界は磁界を伴う』のマックスウエル電磁場方程式の解釈に適用した『エネルギー』と『光速度』の関係と同じ解釈につながっている。とは言っても新たな疑問が待っていた。

思考実験―単相電線路の瞬時電力とは?- 単相交流回路は一般にはその亘長を考慮する必要が無い。だから電線路電圧は電源から負荷端まで同じ電圧と考える。もし少し電線路の長さが長いとしたら、その回路の電気現象をどのように捉えたら良いだろうか。電源は電線路の電気状態を電圧と周波数で制御するだけである。電源は負荷の状態を認識できない。ただ電圧保持に必要なエネルギーは電線路の要求に見合う様に供給するのみである。負荷電力が大きければ、電圧保持に必要なエネルギーが多く必要なだけである。50Hzで、相当電線路が長いとすれば、線路電圧は電源からの距離によって異なる筈である。即ち、電線路定数(C[F/m] ,L[H/m])によって決まるエネルギー伝送速度c[m/s]によって支配される。電源からの距離xの地点での電圧値は図のように、x/c[s]だけ遅れた位相の電圧となる。これが電気回路現象を支配する基本原則である。言わんとする意味は、電流も電線路の位置により異なるのである。電線路空間内を『エネルギー』が伝播速度で流れているのであり、或る位置x点での瞬時電力pxはその点の電圧と電流の積で評価するが、『エネルギー』の光速度に近い伝送速度の現象下での認識が必要になる。もし電線路亘長X=3000kmのような場合を考えると、その電圧分布は丁度半波長の波が乗った状態と考えて良いだろう。当然電源での瞬時電力もx点の瞬時電力も、また負荷点の瞬時電力も同じではない。さらに、もし負荷がスイッチSオフとしたら、電源の供給『エネルギー』は電線路の分布回路要素C,Lおよびコンダクタンスgの機能によって支配されるから、帰還する電源への『エネルギー』をどのように処理できるかも問題になる。送電電力系統での開閉サージ電圧が定格電圧の7倍にまで跳ね上がる現象も観測されていると本で読んだ。電線路の『エネルギー』の往復反射での電圧上昇現象である。電気現象を解釈する電気理論は電気工学の電圧、電流概念が如何に便利で優れたものであるかは誰もが否定できない。しかしそれは科学技術の応用としての技術理論であり、自然の物理的本質を唱える理論ではない事だけは理解して欲しい。電気現象の本質は光速度での『エネルギー』の伝播現象であることを。電気回路の電力とは何ですか? (2016/12/16)から考え始めて、今年は電気回路解析の『時定数』の意味を取り上げ、電線路空間の『エネルギー』の振る舞いについて考察した。電力概念も難しいと知った。

課題 電線路空間を伝播する『エネルギー』の本当の姿はどのよであるか?線路定数から、電圧分布エネルギーはCv^2^[J/m] 電流分布エネルギーはLi^2^[J/m]で電線路単位長さ当たりの値を捉えようとしても、その『エネルギー』の電線路空間内での分布などは全く捉え切れない。ただ電気現象の本質を理解するには、電線路空間内の『エネルギー』とその光速度伝播認識が欠かせない。未だ手品師の「種」を明かせない。x点の瞬時電力pxに負荷電力prがどのような関係で影響し、そのエネルギー分布勾配が生じると考えれば良いかなど全く不明である。また、三相交流回路に対して、単相交流の方がその電圧エネルギーの線路往復流に因り原理的には複雑な現象となる。多くを未来への課題としたい。

天晴れ(コイルと電圧とエネルギー)

自分で言うのも変だけど。我が感性に『天晴れ』と。やっぱり嬉しいもんだ。自分で分からずぐずぐずしている姿を辿って、不図気付いた解消には特別の高揚感を感じる。それにしても、気付くのが遅かった。

コイル3つコイル3

コイルの①が今までの実験で利用したものだ。それに対して②と③のコイルが追加したものだ。みんなポリラップの芯の紙筒に巻いたコイル。電気回路技術者の端くれとして、不可解な実験結果に悩んでいた。その不可解な現象の原因はすべてコイル①の巻線の3本の内の1本1-1’の電線が特別の電線を使っていた事に有った。奇想天外実験の最初の電源電圧印加時にヒューズ切れを起こした。それでコイル絶縁に問題があるかと、コイル1-1’だけ難燃架橋ポリエチレン線1.2mmを使った。結論はその絶縁材料の空間エネルギー分布の高密度化に因る平行電線間のエネルギー流の不平衡が原因であった。架橋ポリエチレンのエネルギー伝送特性によるものであった。電線導体内に電流が流れる訳でないから、エネルギーは金属導体表面の空間を伝送するのであれば、その導体近傍の空間特性・誘電率や透磁率によって影響を受ける。ポリエチレンが導電性を持つという意味(ここで言う導電性と言う用語は誤解を受けそうだ。意味は例えばコンデンサ内の絶縁体がその誘電特性で電気エネルギーを蓄えると言う時の、その電気的なエネルギーの出入りに対して決して絶縁ではないと言う意味で使った。液晶テレビの材料も絶縁体だか導電?体だかどう区別するか?)はこの実験結果にも現れていた。コイルと電圧とエネルギーの実験結果には、鉄心コイルを含め全て架橋ポリエチレン絶縁電線を一本の巻線だけ利用していた事に依る現象が測定結果に示されている。コイル②(30ターンの3本線を別々に分けて巻いた分接巻)、③(32ターンの3本線を揃えた合接巻で、コイル①と同じ巻き方)の場合はすべて、ポリウレタン銅線0.4mmを使った。

実験の意味と結果 現代物理学の最先端研究は、その専門的細分化と実験・計測装置の設備が大掛かりである。然るにここに示す実験内容は、不思議な現象ではあるが、その内容は極めて単純な子供もできる器具のものである。電圧測定だけの結果でしかないので、その実験を行う思い付きがむしろ面白かろうと考える。そこで、疑問と改良実験、その結果の失敗の繰り返しで、結論に辿り着く過程が面白かろうと思う。その過程を含めて実験結果の報告だ。

実験Ⅰ コイル②を新たに巻いて実験した意味。それはコイル①の測定電圧の不平衡な違いが気になったので、コイルを分けて巻いた場合、巻線1-1′ と2-2′ に対する巻線3-3’との間の電圧値にどのような違いが出るかを確認したかった。そこで今までと同じように、巻線1と2端子に電源電圧をかけて見た。その結果が次である。

実験Ⅰ実験Ⅰ

結果評価 この結果にも巻線3との間の電圧値で、離れた結合の少ない巻線1との電圧が大きい。測定電圧値で、一つ注意すべき点がある。それは他の場合にも言える事であるが、電源電圧値は全く調整していないから、配電線路電圧の負荷変動の影響があるので、数ボルトの差は意味がない。この場合は、20Vほどの差があるが、その意味が理解できない。未解決の疑問だ。

(2015/09/26)追記 実験Ⅰの疑問の解決。当然のことであった。電圧を計ると言うことは、導線間の空間エネルギーを計ると同じ事であるから、コイル1と2に電源電圧を掛けたのだから、コイル1と2の間の空間にエネルギーが分布している訳である。従って、コイル1と3の間に電圧計を繋げば、コイル1との間のエネルギー分布を拾う。しかし、コイル2との間には電源によるエネルギー供給空間外であるため、コイル3との間で拾う量は小さくなる。その空間エネルギー検出量の差が20ボルトになったと解釈する。

実験Ⅱの1 実験Ⅰの結果を観て、再び元のコイル①で確認したい事が浮かんだ。電源電圧印加を巻線3に掛けたらどうなるか。その結果だ。

実験Ⅱの1実権ⅱの1

この結果の評価 コイルと電圧とエネルギーの実験結果と比較してみれば、巻線3と巻線2が入れ替わっただけで、巻線1に対する電圧が大きい事は変わりがない。

実験Ⅱの2 電源電圧印加端子を3から3’に切り替えた場合も示す。

実験Ⅱの2実験Ⅱの

(2015/09/26)追記。 実験Ⅱの1と2の結果はコイル1に関係した電圧が大きい。その意味は、最後に書いた実験全体を通した結果評価に述べてある。

実験Ⅱの3(215/08/15) 昨日はいわゆる終戦記念日。また不図気が付いた。コイル①で電源電圧印加端子を2と3としたらどんな結果になるかを調べていなかった。この場合は架橋ポリエチレン絶縁体のエネルギー伝播現象は起こらないだろうと気付いた。測定結果が次である。

実験Ⅱの3実験Ⅱの3

結果評価 巻線2と3はエナメル線と看做せる普通の平衡電線である。巻線空間エネルギー分布に偏りはない事を結果が示したと考える。予測通りと解釈したい。(2015/09/26)追記。僅かだが6Vの差がある。その訳は?実験Ⅰの解釈から見れば、逆に思える。

実験Ⅲの1 実験Ⅰの分接コイル②についても電圧印加を巻線3-3’の場合を確認した。

実験Ⅲの1実験Ⅲの1

実験Ⅲの2

実験Ⅲの2実験Ⅲの2

実験結果の評価 ところどころ測定値の欠落(測定忘れ)があるが特に問題無し。さて、ここまでの実験ⅠからⅢまでの結果を観ると、コイル①の巻線1だけが難燃性架橋ポリエチレン絶縁線で、他はすべてポリウレタン絶縁の銅線である。予想に反して、巻線1だけが全て電圧が大きめに計測される。そこで一つ気掛かりな点が浮かんだ。印加電源電圧の電位(この電位と言う概念は技術用語としての捉え方で、物理的意味は余りないと考えるのだが、配電線路の電圧には柱状変圧器からの二次側で、必ず1線は第二種アースで大地に落ちている。変圧器の故障事故による高電圧6300Vが配電線を通して家庭内に侵入する事による感電事故を防ぐ安全対策としての第二種アースがある。)の影響かと考えて、建物のアルミサッシを基準にして電源電圧を調べた。電源スイッチがコンセント型スイッチで、片側1線のみのスイッチである為かと考えた。しかしスイッチオフ時には、電圧が15Vや24Vで現れたが、スイッチオン時には影響がないように思える。ここで、また解釈できない壁として実験結果が精神的負担を掛けて来た。悩んだ!!

実験Ⅳの1 他に対策が見えなくなって実験結果が教えてくれた。まさかと言うことに気付いた。コイル①の巻線1だけが特別の電線を使っていたと。改めて、ポリエステル銅線3本を使ってもう一つ合接コイルを巻いて確認しようと考えた。それがコイル③である。三本の銅線を交差しないようにきちっと揃えて、巻上げたら32ターンであった。実験結果が鮮やかに出た。

実験Ⅳの1実験ⅳの1

実験Ⅳの2

実験Ⅳの2実験ⅳの2

実験ⅳの結果評価 電圧印加端子1と3および1と2のそれぞれの場合で、電圧印加されない浮遊巻線はそれぞれ2-2’および3-3’で、その巻線に対する測定電圧がほぼ同等の値を示した。この測定結果は今までの測定電圧値で初めての結果である。

実験全体を通した結果評価 最大の発見的事実として挙げたい点がある。合接コイル①の巻線1-1’に難燃性架橋ポリエチレン絶縁線を使った事によってコイルの電線路特性に『エネルギー流』の空間的ひずみを生むと言う現象の発見である。この事の意味は少し複雑でもあるから別に改めて詳しく説明をする(2017/12/12追記。電線路のエネルギー伝送の意味は電線導体内を伝送されるのでなく、その導体で挟まれた空間内を伝送される。絶縁被覆の銅線なら、エネルギーはその絶縁被覆内(コンデンサと同じ意味)で密度が高くなるため、その誘電特性に因って伝送速度などが決まる。光の屈折と似た現象で、その空間のエネルギー密度がその絶縁媒体の影響を受けるから電線導体の絶縁体で電気エネルギーの伝送特性が支配されるという事になる)。従来の電気回路論では説明がつかない筈だ。基本的認識は『電流は流れず』を理解する事である。もともと実験に供したコイルは電気回路としての実用的価値は全く無いものである。こんなコイルを巻くこと自体が電気技術者の発想には無い。正しく奇想天外な発想から生まれた偶然の発見かもしれない。不立文字の哲学的発想、東洋的『無』に通じるかも知れない。

平行電線路の珍現象(この項は削除2017/12/12)

新世界-科学の要ー

少し遅すぎた。新世界への扉ーコンデンサの磁界ーに対する解答である。『静電界は磁界を伴う』-この実験事実に基づく電磁界の本質ーを昭和62年電気学会全国大会で発表してから、電磁界の本質に辿り着くまでの年月は長かった。今年の桃の節句に、ようやく本質を捉えた。余りにも単純すぎる結論である。その結論を示そう。(2017/11/02)修正追記。下の図のエネルギーフローにはやはり電気的『極性』が無い点が欠点である。電極の負極性側のエネルギー流の電極面にそう流れは図の通りで良かろう。正極性側は少し修正したい。2017/11/07 訂正した。

静電界静電界のエネルギー流のエネルギー流

次のように修正する。

写真590コンデンサ内のエネルギー貯蔵機能を考えた時、極板間に二つのエネルギー流があるとは考え難い。静電界と言う空間にはエネルギーが貯蔵された状態である。コイル内の磁気エネルギーもコンデンサ内の誘電体エネルギーもエネルギーに違いは無い。『電荷』での解釈には矛盾で論理的に成り立たなかろう。そのコンデンサに相当するロゴウスキー電極間の高電圧の空間にはコンパスで検出される磁界が存在する。そのコンパスと静電界と言う空間の間には『エネルギー』一つで統合した解釈が出来るのだ。そのコンパスのエネルギー流と平板コンデンサ間のエネルギー流との間の相互協調力(エネルギーの流れが同一方向に合わさることで力が強まる意味)で、コンパスの指示方向が決まると解釈する。平板電極でも上部電極と下部電極の周辺で、それぞれの磁気方向が反対になる。その訳を修正前の図では、下部電極(正極の電極)でも表面からエネルギーが流入すると解釈して、そのコンパスの指示方向が決まると考えた。そこに早とちりがあったと反省して、修正した。しかし、この解釈も実験的に明確にその原因・理由を示せる訳ではないので、あくまでもロゴウスキー電極に因る実験データをどう解釈するかの筆者の感覚に因るところが基本になっていることを申し添える。以上追記(2017/11/07)した。

その発表当時の認識は、只電磁界理論の論理的矛盾を確信していたから、発表内容については些かも不安を抱いたことはなかったが、エネルギー流の実相を捉えるところまではいっていなかった。『静電界は磁界を伴う』の解説に矛盾の意味を記してある。しかし、上に記した結論に至るには磁場のエネルギー流を捉える必要があった。2008年に日本物理学会で、磁力密度 f=rot(S/v) を発表するまで、待たなければならなかった。その結論が磁界・磁気概念の本質である。地磁気とコンパス にエネルギー流とコンパスの指示方向の意味を解説した。その磁石とエネルギー流の力の関係から、静電界の磁針の指示方向の変化する訳が明らかになる。以下#・・#の部分は早合点の間違いとして削除する。#留意頂きたい点は電界の極性には無関係である。プラスとかマイナスとかの電界方向には全く関係ない。金属電極の表面に沿って、外部から中心方向へ『エネルギー』が流れ込むのだ。従って、電極ギャップの中間平面から外部に『エネルギー』が流れ出ると解釈しなければならない。その『エネルギー』の流れる閉ループは、電極外部空間での様子を捉えなければならないが、そこまでは分からない。また電極中心軸には『エネルギー』の流れは無いと解釈する#この結論を持って、長く追究して来た『電荷』概念否定の長旅は終わって良かろう。クーロンの法則を斬るの説明でもある。

ここに示した静電界のエネルギー流の解釈が、すべての電磁界の本質を理解する要である。エネルギー流の速度は光速度に近いだろうが、電極によって拘束されている点から、どの程度の速度かは分からない。

『電荷』による科学理論、原子構造論、あるいは分子結合論や分子立体構造の解釈にも認識の変革が要請されるだろう。少なくとも、学校教育での『電荷』の取り扱い方は緊急を要する問題である。理科教育全般の問題でもある。『電荷』概念による教育は無駄なのであり、間違っている。

コンパスの回転現象 電極の周り、東西南北で、エネルギー流の方向は変化する。例えば西側で考えれば、上部電極付近では地磁気の方向と電極エネルギー流による磁気方向は逆向きになる。その結果、磁針に働く力も二つの逆向きの力が作用することになる。その為、コンパスが交互に不安定な力関係で回転する現象を来たす。それは当時の実験中に経験した現象であった。東側でも下部電極付近で同じように回転現象が見られるだろう。

『電界』も『磁界』も『エネルギー流』である。電界も磁界も自然の物理としては同じ、ただ『エネルギー』の観方でしかない。この解釈が『物理学』の基礎概念と成らなければ、真の科学技術の重要性を理解できない。大学は日常生活の最先端科学技術を的確に理解する為の基本を教育する機関でなければならない。高尚な学理など何の役にも立たない。実学の指導に徹するべきだ。実学ほどその根底は深い。原子核燃料のウラン235の原子構造を説明できますか?外殻に電子が92個回る原子構造が論理的に成り立つ訳が無い。空想の論理で大学が遊んでいる。

『以下余白』の不覚  30年の科学基礎理論の研究もその原点で不毛と成るか。外務省、法務省、総務省等日本政府の戦争処理に掛かっていよう。住所履歴に京都府舞鶴市溝尻海軍住宅が無ければ?私は何者でしょう(3)故郷貝野村と舞鶴鎮守府 。

『電荷』否定への道

全てがそこに始まった。『電荷』否定の社会的挑戦の道。昭和60年3月、長岡技術科学大学から不要人材と追放され、4月長岡工業高等専門学校での歓迎されない会での、『何の為に来たのか?』の孤立の戦いに始まった。『中曽根臨時教育審議会』の存在も知らなかった。知ったのは長岡高専から逃げてからの、昭和62年9月、テレビニュース画面に映った中曽根康弘総理大臣の姿を見てからであったと思う。自分がその抹殺対象だ等とは微塵も知らなかった。中曽根総理大臣は海軍主計局に居たと微かなうろ覚えにある。ミズリー号での、『無条件降伏』調印式への日本代表団送迎ボートクルーであった父とその後の戦後処理を知っていたかとも考えられる(2014/6/2 これは今考える想像の話である)。このゴムボートによる送迎の映像は隠されてしまった為もう見られないのかも知れない。そこに戦争の意味が示されているが、教育には生かされないのが残念である。戦争の実情を教育に生かせず、隠している。私は何者でしょう(3)故郷貝野村と舞鶴鎮守府 に関連。社会的な絆を持とうと社会に関わると、裏方で怪しい雰囲気に苛まれて来た。理由は分からないが、存在を否定されているように思える。そんな具体的な事件が起きた。私は偽物か の様な事がいつも有ったようだ。『電荷』否定への道は遠かった訳だ。

信じられない疑念事件 高専での4月始業後の最初の授業で感じた違和感。5年生の卒業研究のテーマを決める説明オリエンテーションの時間であった。何か廊下に人の気配を感じたが、見た時には誰もいなかった。相当ザワザワした雰囲気があった。その後相当経ってから、教室授業(4年生電磁気学)が盗聴されているのだと確信するようになった。翌年の4月から、電気科4年生の教室が変更に成った。今まで一度もそのような教室が変わる事はなかったらしい。それは、廊下側に窓が無かったのが、新しい教室は廊下から良く見える部屋に成った。何月だったかは定かでないが、ある日明らかに教室の授業内容・黒板の板書を写真に撮って行ったことを確認した。写真を採るには、窓が無い教室では巧くないからの教室変更だったのだ。写真に撮ったのは、丁度アンペアの法則を、直線導体からの距離に対する磁場分布を計算していた内容である。微分演算rotによる解釈をして示していた内容だった。きっとそんな計算をした事が無い人達であっただろう。

孤立無援の精神的緊張 電気磁気学授業内容を準備するに、特別に意識が研ぎ澄まされていたのだろう。皆当たり前の『電気の法則』が全て吟味対象となっていたと思う。『アンペアの法則』『ファラディの法則』を矛盾に感じ始めたのが全ての始まりに成った。創造は深い傷から生まれる(斎藤進六先生の言葉)。精神的緊張感が『電荷』否定への確信を生んだ。教科書的の電気理論は理屈に耐えるものでない事を確信した。しかし、大学の教授陣や電気の先生に話をしても、誰もチンプンカンプンで、何の疑問も持っていない事だけは確認できた。そんな中での理屈の組み立ての戦いをどうするかも、全く先が見えなかった。全くの無鉄砲の中に立たされたと感じた。真剣に考えれば考えるほど、未知の矛盾と立ちはだかる壁が増えるだけであった。中でもアインシュタインの『特殊相対性理論』の不可解な論理には頭が混乱する程悩まされる壁であった。専門の解説書を読めば読む程、難解な論理で覆われている。たった光の速度の意味がそんなに複雑な瞑想の世界を理解しなければならないのかという混乱。ミンコフスキーの光空間もその混乱の最たる原因である。今になれば、みんなまったくの無意味が綴られているだけであると言えるのだが。周りを全て無視して進むよりほかに道はなかった。それが『電荷』否定の道であった。無法松も、無鉄砲も何でも御座れの道しかなかった。科学と人間 自然科学と人間性 人間とはどこに自然の真理を求めている等と言えるのだろうか。人間程自然の実相からかけ離れた自然の生命の容は無いのじゃなころうか。この自然界が生んだ人間であるにも拘らず。他の動植物を見て、どこに人間程真理、純粋、真剣さから掛け離れた存在があるだろうか。裏と表の両面性の人間。みんな真剣な一直線に生きている。人間程、特別に裏の世界が大きい生き物は無い。矛盾をあたかも正義のように繕う人間。原子力に『爆弾』も『発電所』もみんな社会的正義のように振る舞う人間。人間の自然科学性を研究対象とするのも必要かもしれない。こんな論も『禪』からの道かもしれない。日本から発信の世界に向けた東洋哲学的自然観。

コイル磁場とアンペアの法則 コイルの磁気導線に電流I[A]が流れているという。その導線の周りの磁界H[A/m]を周回積分すると、電流に等しくなる。2πrH=I がその数式表現である。導線をコイル状に巻いても、そのコイル導体の周りには同じように関係する数式が成り立とう。 この関係は以前の記事ファラディ電磁誘導則・アンペア周回積分則の物理学的矛盾に示した図版⑥にある。その原図を載せておく。アンペア周回積分則と・ その図版⑥のコイル周りの磁気をエネルギー流として解釈すべきとして示した。コイル磁場の断面図②と平面図③にエネルギー流を示した。図①の磁束Φなどは物理的には決して存在しない。あくまでも人間の仮想的な解釈概念でしかない。ここで、コイルを採り挙げてアンペアの法則の意味を考えてみよう。何故コイルかと言えば、コイルの外側out side の部分には磁界が無い。もしアンペアの法則が正しいなら、コイルの周りには外側であろうと内側であろうと、コイル導体に対して、同じく磁界が無ければならない筈だ。もし電流が導体の中を流れるものであり、その電流が空間的な遠隔点に磁界を作りだす超能力を持つと仮定できるなら、当然コイルの外側にも磁界が出来なければならない筈だ。コイルの外側に磁界が出来ない訳を誰も説明できないのである。誰もが説明できない訳は磁束も電流も人間が仮想的に解釈法として考えだした仮想的物理量でしかないからである。自然界の電気現象には、電流も磁束も無いのだ。だからコイルの外側に磁界が何故出来ないかを説明できないのだ。結局、導体の周りにはエネルギーが流れているので、そのエネルギー流と磁石のコンパスのエネルギー流との間で相互作用が生じて、エネルギー流間の近接作用力による力の働きが観測されるのである。その磁石にかかる力を電気現象では電流と磁界と言う捉え方で認識している。アンペアの周回積分則が直線導体ではなんとなく解釈に便利であるかも知れないが、少し変わったコイル導体などになると、説明に矛盾が生じる。説明が出来ないのは、元々の電磁気量の概念に矛盾があるからなのである。このような説明は、なかなか科学論としては異端の論に成り、認められないのが実情だ。普通は科学論は数式に依り如何にも原理的であるが如き解説でなされ、こんな科学概念の否定という論法は殆ど科学論には成らないのである。しかし自然の本質を見極めるには、数学的抽象論など余り役立つとは思わない。例えば、アンペアの法則でも、その式が表す意味を実際に計ろうとしても決して実験的に計れるものではない。空間の磁界を測定するには、例えば磁針を空間に持ち込めば、その測定対象の磁界を乱してしまうから、測定値が狂うのである。光の空間伝播量の瞬時値が計れないのと同じで、磁界の数量が計れる訳が無いのである。だからアンペアの法則も、電気回路現象を理解する一つの方策として、こんな数式で解釈したら良いだろう位の事なのである。アンペアの法則が自然現象の本質だ等と考えるのは間違っている。磁界などを計っているのではなく、エネルギーの光速度流のあるいは近光速度流間の相互作用を捉えて技術的に測定方法を確立したという事である。あくまでも磁界や磁束と言う仮想概念が本当に実在する物理量である訳ではない。ここまでの話で、電流が本当は流れる等と考える事が物理的に矛盾していると確信したのが、昭和62年8月である。電流を切り捨てる。自分が長い間回路解析で最大に信じていた電流を、その基本概念を切り捨てなければならない羽目に成ったのだ。自分を斬ると同じ踏み絵であった。『電荷』否定の実験的検証がその電流切り捨てを後押しした。その時点まで、『電荷』の概念が怪しいと睨んで、考え続けていた。『電荷』が怪しく、その否定を確信した実験が昭和61年秋の、高電圧電界内・コンデンサ内の磁場検証実験である。昭和62年電気学会全国大会、仙台市、東北大学での発表『静電界は磁界を伴う』-この実験事実に基づく電磁界の本質ーである。この検証実験に取り組むまでに、考えた事がある。それは地磁気の空間での意味が、それに対して関係する電界とはどのようなものかと言う疑問であった。有名な物理学者・P.A.M.ディラックが唱えたモノポールはその時点で棄却した。その地磁気の変動に対して、空間に直線導体を張ったら、どんな電圧が現れるかと考えた。しかしその電圧は検出する事は出来ない筈と知った。そんな磁界と電界の関係を色々探る思考を重ねた。10月初めに、長岡技術科学大学で、初代学長川上正光先生の講演があった。その時、パワー研で、赤木先生に『電荷』は本当にあるだろうか?と言うような話をした。赤木さんは実験で証明しなければという。すぐ帰って考えたのが高電圧実験での磁界検出であった。十月末の、空が大嵐の日に、高電圧の値を上げて行くと、ロゴウスキー電極間にぶら下げておいた検出用磁針が静かに指示方向を変えるではないか。全くの驚きであったと同時に、しめたと予測の手掛かりに未来が見えた。この自然の神秘を探り出されるのを天が嫌って朝から雷の大嵐に成っていたのかと勘繰りたくなった。自然の神秘を探り当てたと驚愕を感じた。科学技術から掛け離れた物理学の根本の否定と言う、理解されない混乱の発表だった筈だ。『電荷』否定の道のりは、変人・狂人の社会的『逸脱者』と非難されながら、対処する術を知らなかった。それこそ法の範囲を超えざるを得ない道のりである。『電荷』否定の実験の意味を新世界への扉ーコンデンサの磁界ーとして記した。

一言追記しておきたい 静電界中における磁界検出実験に対しては、誰にも理解できない事であったと思う。昭和62年長岡技術科学大学に逃げてから、理学センターの小口武彦教授にゲラ刷りを渡した《高専の方ですか?と言われた、居所の無い身である》や電気系の教授にも話したが相手にされなかった。電気系長石崎彰教授には、『ホール素子』で計ってみたらどうですかと、頓珍漢な返答が返って来た。空気中の光に近いエネルギー流を『ホール素子』で計れると考える話では、議論に成らない。ついでに記す。私は分限免職の処分を受けたらしい。その処分書を見たのは、根本原因が舞鶴鎮守府の軍歴表にある事を知って相当経ってから(平成10年頃?)である。長岡技術科学大学の事務局・庶務課に出向いて、泉職員から手渡されて初めて知った。その中を見ると、昭和63年10月7日?頃、長岡技科大で私に事情聴取をして、処分を決めたという事に成っている。しかしその日は、こっそり無届で、びわ湖湖畔での電磁界研究会で丁度筆者が大量の『写真データ』公開した学会発表の日であった。昭和63年9月技科大から去ったのは、6,7月頃学内の図書館に調べ物をしようと、入館の図書カードで受け付けられず、身分がない事を知らされた。石崎系長に問いただしたら、そんなカードを使ってはならないと、いとも簡単に言われた。じゃ何を使えと言うのか?大学に居てはいけないのだと理解した。

クーロンの法則 物理学で『電荷』が基本概念として、何故社会的にこれ程広く認知されて来たか。筆者が『電荷』否定を唱える事の意味は、自然科学理論の根幹である社会的合意の常識に挑戦する事だったのだ、と改めて怖ろしさを思う。考えてみると、自分のこれと思ったら我慢できない無鉄砲さの社会的には幼稚さと非難される性格が原因には成っていると思う。そんな先行きを考えない行動は今でも非難される事である。自己分析すれば、科学理論に挑戦する事は、社会の反逆者的な批判と無視の憂き目にあう覚悟を持たなければならなかったのだ。しかしそんな思慮深さを持ち合わせていない幼稚さから、今の自分の世界に辿り着いたかと。と同時に、何故人はここまで、『電荷』を世界の基礎として信じて来られたのかと不思議でたまらない。『電荷』が物理学理論でその構成原理として必要とした意味はクーロンの法則である。『電荷』と同時に、否定すべき原因はクーロンの法則にある。距離の長さが法則の『力』の値を決めるという科学的認識に疑問を抱かない、人間の非論理性を考えないでは済まされない問題なのだ。クーロンの法則を斬る に『電荷』否定の論証の為の記事を記した。距離が数学的法則表現の変数である代表例がニュートンの万有引力則である。それもクーロンの法則と同じ意味を持っている。

導体内の自由電子と外部磁界の矛盾 電流概念の原因たる自由電子を取上げてみよう。ここからは時間を置いて記す。金属結晶と自由電子―怒りの科学論―

電気学会関連論文等

今日自分の名前(金澤喜平)を検索した。急に増えたようにいろいろあることを知った。CiNiiという機関にも論文が載っていた。しかし、名前の間違いおよび発表資料の欠落がある。電気学会関連論文が殆ど削除されている。電気関連論文で唯一載っているのが④の電圧型PWM変換器を用いた・・のみである。そのciniiでの公開名前は金沢となっているが、金澤に訂正したい。更に他の論文も当然掲載されてよかろう。

電気学会関連論文

『静電界は磁界を伴う』の解説

『瞬時電磁界理論』とはは『静電界は磁界を伴う』と言う標題で、東北大学での発表(電気学会全国大会 昭和62年4月1日)内容を取り上げた記事である。口頭発表予稿論文を訂正・修正して載せた。そこにその『解説記事』がファイルで纏めてあった。そのファイルが参考になると考えて、公開する。少し多い5ページになる。

静電界解説(1)

静電界解説(2)

静電界解説(3)

静電界解説(4)静電界解説(5)以上の解説として、『静電界は磁界を伴う』の実験結果の発表に至った論理的根拠や、その道筋の説明には成っているだろうと考える。

新世界への扉            コンデンサの磁界

ーコンデンサの磁界ー 「磁界は電流によって発生する」と言う電気の常識の『間違い』で世界は支配されている。その常識が間違いである事を『実験データ』で示す事が「科学的手法」だと認識している。それが『コンデンサ内に磁界が存在する』ことで十分であろう。電気磁気学の理論には、コンデンサの中に磁界や磁気は存在しない事で理論が構築されている。物理学の電磁界は『電界』と『磁界』の二つの概念で認識される。電磁石・コイルは磁束・磁界によって解釈し、コンデンサは電荷・電界で認識する。その二つの全く異なる概念で一つの電磁界を認識し、論理的に納得できていると思い間違っている。何故疑問を抱かないで居られるのかは、人間の思考過程の心理的意味合いを含めて、その不思議を考えずにはいられない。こんな世界の常識に反論しなければならない事自体がとても悲しい事である。

前書きはその位にして、電気回路の機能要素である『コンデンサ』の意味に踏み込んでみよう。左の図版①はラジオの同調回路の例である。バリコンと言う可変コンデンサとコイルの組み合わせで、ラジオ放送局の選局をする。アンテナから放送電波のエネルギーを取り入れコイルL[H(ヘンリー)]とコンデンサの容量C[F(ファラッド)]の調整で、ラジオ周波数 f [Hz(ヘルツ)]が決まる。このコンデンサはどんな役目を担っているかを考えなければならない。コイルもコンデンサもエネルギーを貯蔵し、その二つの間で、エネルギーをキャッチボウルしているのである。電気理論では、コイルは電流に拠るエネルギー、コンデンサは電荷(電子と(+の電荷?))に拠るエネルギーと同じエネルギーを種類を分けて解釈する。どちらも全く同じ『エネルギー』であるのに。

図版②の(イ)のように二枚の金属箔で誘電体物質を挟みこめばコンデンサになる。その電気的意味は(ロ)の電極に対向して現れるプラス、マイナスの電荷が二枚の金属板の間に電界(仮想概念)を発生させる。その電界がエネルギーになると解釈している。エネルギーは電荷に拠る電界が無ければエネルギーにならないと解釈するのが教科書の「電気理論」である。何も電荷など考えなくても、電極版の間の空間にはエネルギーという実体が存在する・実在するのに。この『エネルギー』の実在性とその教科書的解釈の間違いを明らかにするのが、ここで述べる実験に基づく結果である。

-コンデンサ内の磁界検出実験ー先ず実験回路を示そう。上の高電圧試験回路はケノトロンに拠る整流回路で、試験ギャップに負極性の高電圧を掛ける接続を示している。試験ギャップはロゴウスキー電極で構成し、そのギャップが所謂コンデンサと同じ機能を担うと言える。そのコンデンサのギャップ内に磁界が存在することを証明する実験結果を示そうと言うのである。この高電圧試験装置は雷放電現象や高電圧絶縁破壊現象の解明試験に使う、電力技術分野の基本装置である。高電圧技術ではこのロゴウスキー電極をコンデンサと言う見方で捉えることは余りない。しかし、やはり高電圧印加のコンデンサである。巧い事に、磁界を検出するマグネットは簡単に手に入る。だからコンデンサ内の磁界の検出が簡単にできるのである。『瞬時電磁界理論』とは および『静電界は磁界を伴う』の解説で述べたように、電界と磁界が単独に存在する電磁界は無い。しかし、静磁界の中の電界を検出する方法はない。それは電界検出器が無いからである。図版④に磁界検出マグネットを示す。(イ)は理科実験用の市販マグネットである。(ロ)は家庭用市販マグネットで、キャップが樹脂系のものが円周径方向に磁極N,S となっている。それに工作を施し、中心に留め具を付け、木綿糸で吊り下げて利用した。実験に利用したのは時間的に短時間で切り上げざるを得なかったので、殆どが(ロ)の検出器を使って終わった。

実験実施時期と場所。昭和61年10月~11月。長岡工業高等専門学校、電気工学科の高電圧実験室。

実験結果。

図版⑤は理科実験用磁針(イ)を使った数少ないデータである。この磁界検出は、平板電極間の空間の磁界を検出する訳であるが、空間には地磁気がある為、それを基準にした『東西南北』で測定しなければならない。しかし、一番分かり易い『『北側』だけの測定しかできないで終わってしまった。『東西側』の測定なしには実験に最終的な結論を述べるまで至っていない訳ではある。それも、日本の歴史に埋没した社会的事件が故に、実験の中断のやむなきに至り、今日まで『真理』は埋没のまま二十数年経過した。しかし、当該実験は理論的予測を立てた上での『理論検証実験』であり、『偶然の発見』と言う『一般的発見』とは異なる故に、僅かな『実験データ』であっても、その内容と意義は大きい物と断言できる。上の 6 枚の写真は、先ず初めに、 印加電圧0 [kV] で地磁気の基準方位を確認した。写真データは上部電極に負極性の直流高電圧を印加した場合に、地磁気方位『北側』に磁針コンパスを絶縁指示棒で保持して、その各電圧に対する磁針の指示方向が変化するかどうかを検証したものである。コンデンサ内に磁界が存在するなどと言う基礎概念は『電気磁気学理論』には無い。平板コンデンサ内に設定した『磁針コンパス』が、その印加電圧の大きさを変化させた時、地磁気の方位を向いたままなら、教科書の理論通りに、コンデンサ内の時間的に変化しない電界は『ファインマン物理学』が指摘する通り、『電気』と『磁気』は別々の現象である事になる。もし、磁針が電圧の大きさに拠って、指示方向に変化があるなら、それは私の『瞬時電磁界理論』の通り『電界と磁界が単独に存在する電磁現象は無い』という証であると解釈出来る。写真は印加電圧がそれぞれ -10 [kV]、 -15 [kV]、  -20[kV]、  -25 [kV]および   -30 [kV] の各場合の磁針の指示方向を確認したものである。残念ながら、電極間空間ギャップには北側だけでも中心部から外側周辺部並びに、上部および中間部など空間全体でどのように印加電圧に拠る磁気方位が変化するかを、細かく調べなければならないのであるが、中断せざるを得ない『怒り』を抑えた。恐らく私が実験しなければ、今まで誰も実験で検証しよとはしないであろう。

さて、図版⑥で磁界検出器(ロ)の円形マグネット(フェライト?)を磁界検出に用いた訳がある。それは当初、クーロン力に拠ると反論されるだろうとの思惑があり、それを避ける意味で、方向性の無い円形磁石に拠って磁界検出を行った。そのデータの一例が上のカラー写真である。以上、私が『物理学基礎理論の矛盾』を唱えている実験的根拠の全てがここに示した『静電界即ちコンデンサ内の磁気の実在性』に在る事に尽きよう。

(2011.12.22.追記)しかし、残念ながらそのコンデンサ内の磁界の分布状況の全容は把握しきれていない。磁界検出の実験当時の検討内容の記録が本に挟まれていた。ロゴウスキー電極の周辺部の磁界検出に於いても、地磁気との関係で、N(北極)側だけしかデータは採っていない。周辺部360度では、検出磁界も安定性の意味を考えなければならない問題が山積に残されている。その一端の様子を認めたメモである。当時の落書きの様に記したメモである。実験初期の、小型のコンパスを使って、周辺部の状況を観察したメモであろう。当時を思い返すと、ロゴウスキー電極の地磁気の東西方向で、コンパスの指示する方向が安定せず、振動や、一方向にゆっくり回転する等の現象を確認した事を記憶している。この時の極性は正極性の電界で、印加電圧2kVと読める。地磁気の方向の印が無いのが残念である。このような『静電界中の磁界検出』と言う物理学理論の大前提を破壊する様な実験に挑んだ事が、科学界の常識からは気違いじみて見えた事だろうと思う。今でも何方がこの『自然科学の真理』に挑戦され、説き明かして頂けるかを期待している。

(2016/06/23)追記(2017/11/07)追記 以下を削除。