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電荷方程式

電荷方程式とは何か?
初めて聞く言葉であろう。先日突然思いついた方程式であるから。『電荷』とは何か?と聞いても誰も答えられないと思う。その『電荷』の意味を方程式の中でどう解釈するかを問答とする。素粒子論の専門家がどのようにお答え頂くか御聞きしたいものだ。

電荷方程式  電荷 X,YおよびZ の間に次のような関係の電荷方程式が成り立つとする。
X[C]+Y[C]=Z[C]   (1)

[問] 次の場合についてお答えください。
(1)今、X= -3 , Y= +2 とする。 Zは幾らになりなすか。
(2)(1)の場合で、方程式には負の電荷 X と正の電荷 Y がある。正の電荷と負の電荷が統合されると、電荷はどうなるのですか。電荷保存則は成り立つのですか。

正数と負数 数学の方程式では負の数は当たり前の概念である。しかし自然世界に[負]の物は実在しない。[虚数]も存在しない。磁気だけは物理学でも+m[Wb],-m[Wb]などの[正][負]の磁気の物理量は存在するとは考えていない。自然世界で『電荷』だけが特別に[負]のものが存在することになっている。世界の認識で『電荷』以外に[負]の物があるでしょうか?『電荷量』を測定することができない。実験的に測定できなければ哲学になるかも知れない。サヨウナラ『電荷』に関係して。

電流 1[A] の論理性 -考える理科教育への科学者の社会的責任‐

花1匁の心の重さ。有るようなな無いような重さを計ってどうする心算かと自分に問うても詮無い乍ら、やっぱり問わずにいられない。自分が納得できない。電流1[A]の社会的意味もそれに近いかも知れない。現実は実用単位としてMKSAの[A]が世界を繋いでいる。科学理論もその1[A] によってすべてが組み立てられている。糠に釘を打つ様なことはしたくないが。

電流 1[A] の意味。1秒間に1クーロンの電荷が通過する。電線を流れる電流1アンペアの意味はそのように理解してきた。今各種電線路(三相回路、単相回路及び同軸ケーブル)の特性インピーダンスの算定法の論理を考察している。教科書では「電荷」と「電流」によって算定される。しかしその論理はエネルギーとの関係で整合性が取れていなければならない筈だ。電界、磁界あるいは電荷、磁束が決まればそれはエネルギーの空間分布に換算できるはずだ。その課題が解決できない矛盾に困惑している。そこにどうしても電流と電荷の物理的概念の論理性が壁になる。

1[A]の電流の電線の電荷分布は如何にあるか? 1[A] の電流が流れている電線には 1[m] 当たり何[C] の電荷が分布しているか?その問いに答えられないからと言って、他の人に責任を擦り付ける訳ではないが、電荷の流れる速度が決まらないと答えようがないのだ。信号やエネルギーは光速度で伝播するのに、電荷はおっちら、こっちらと超低速では論理のギャップが大きすぎて決まりが付かない。科学の論理性からも世界の科学者の社会的責任として、子供達に分かる説明がなければならない筈だ。

1[A] の電流によるインダクタンス算定とその時の電荷による静電容量算定及びそのエネルギー分布とが、その論理性でうまく合致できればと願いながら。

既に、電流は電子の逆流か?ということを電子とエネルギーと質量に述べてあった。そこに載せた図で、電線路に電子が満ちて

電流は電子の逆流か?流れるとすれば電圧は、負の電荷だけで線路電圧となる理屈が見えない。電荷論での、電流が電子流だとの解説は電圧の発生源の正の電荷をどう説明するのか。前の記事を振り返って改めて追記した。

『エネルギー』それが世界の根源

エネルギー

それは目の前の空間に実在する。

それは身の回りを囲んでいる。

しかし、決して見ることはできない。

現代科学技術でも捉えられない。

風もエネルギーの流れだ。光もエネルギーの流れだ。

しかし。そのエネルギーを人は決して観測できない。

原子もエネルギーによって構成されている。

しかしそのエネルギーを捉えることはできない。

電気もエネルギーの流れだ。

そのエネルギーを見ることもできない。

『電荷』否定の旅に出て、今思う。

見えない世界に深入りしたのか。

旅の終わりに観えるもの。

それは、見えないもの それが大事。                  (2019/09/05)

『静電界は磁界を伴う』を基点として、当てもない「電荷」否定の旅に出て、辿り着いた世界に観えるもの。それは物理量でありながら、物理量として観測できない。これぞジレンマと言うのか。

科学論と電荷

はじめに どうしても思考が初めに戻ってしまう。1985年から2年間初めて電気磁気学・電気理論の授業をすることになった。基に既にあった「磁束は電圧時間積分によって決まる」の認識が「アンペアの法則」の電流による磁束発生理論への疑念を抱えての出発であった。振り返れば、命を守る地獄の中で纏めた『静電界は磁界を伴う』の1987年4月2日電気学会全国大会での発表となった。その時の所属はいったいどこにあるのか、今でも理解できない(4月発表の数日後自宅に、既に去った筈の高専校長から職員会議への出席要請の手紙が届いた。さらに次の年1988年の1月中頃どこからか自宅に、長岡工業高等専門学校の健康保険証が送られてきた。その時は既に、電磁界の物理的概念と地磁気の解釈 春の昭和63年電気学会全国大会 32. p.35-36 の発表予定で投稿していた。しかも全く所属分野の意識もなく、全学共通ぐらいの気分でいたかも。など混乱と理解に苦しむ疑問のまま今日までそのままである)。『静電界は磁界を伴う』の発表内容は結局『電荷概念否定』になる。その原点となった考えの状況を纏めておきたい。なかなか科学論だけの話ではないところが誠に不可思議である。しかも今になれば、その当時の政治的意味合いも含んだ長岡技術科学大学の邪魔者排除対象者として選ばれ、政府・文部省の「中曽根臨時教育審議会」に関係していたことであることが分かる。さすがに常識に疎い無知の筆者にしてみれば、このような意味不明で回りから嘲られたような仕打ちが続いたことは。精神的にも限界を超えていた。みんな政治意識に無頓着だった筆者の無知と相談しようもない孤立無援の中にいたことに関係していることだ。1988年10月、電気学会電磁理論研究会での、「瞬時電磁界理論の実験的検証とその意義」EMT-88-145.(1988.10.) の発表を機に大学から離れた。この研究会資料は世界の科学常識を問う実験データの写真集でもある。

“ミズリー号甲板上での無条件降伏調印式(1945/09/02)  1945年9月1日(海軍解散最終日)に父は『任海軍上等兵曹 舞鶴鎮守府』辞令。9月2日の調印式のため、日本政府代表団はゴムボートにて艦船への往復をした。父はボートクルーの任務に就く。1939年12月1日家族は舞鶴鎮守府へ戸籍転籍された。戸籍上に帰還の痕跡がない。公務員資格は?筆者存在の可否が根源にあったか?”今戦後74年が経過しようとしている、戦争の悲劇の意識が薄れ、政治意識の希薄さが危険な道につながる選挙にも無関心な世相の日本にある。政治はその選挙への無関心に対して、政治意識の重要性を教育に反映する対策も故意に回避しているように思える。今も所属機関もなく、研究発表もできない事態にある身として、思えば戦後処理にすべてがつながっていると。

「電荷への疑念」 電流は電子の流れとの解釈が科学論の基にあった。電子は電荷と質量の合成素粒子と理解していた。しかしアンペアの法則では質量は無視され電荷のみで論理が成り立つ。電子という時の科学論では質量を意識していないように思う。電流概念は電荷の時間微分でアンペア[A]であろう。その電荷が空間で運動すると何故周りの空間に磁界が発生することになるのか。その疑問が電気磁気学の授業をするに連れ強くなっていった。1986年10月1日ある方に『電荷』は存在しないのでは?と疑問を投げたと記憶している。その方は実験で証明する必要があろう。と仰った。確かにその通りと納得して、すぐに実験に取り掛かった。今でも何故高電界中の磁界検出が『電荷否定』の検証になると考えたか、その意識のつながりを明確に覚えていない。何の躊躇もなく翌日から高電圧内の磁界を検出すればよいと取り掛かった。オリエンテーリング用のコンパスをロゴウスキー電極の中に置き直流電圧を高めていった。しかし見事に失敗であった。火花放電が起き、コンパスの表面が黒く焼けた。これで終わりかと自室(ある人の部屋の間借り)に閉じ籠り、歩き回った。閃いた!!油入りのコンパスは地磁気には反応するが、電界の空間エネルギー流には反応しないのだ。それは空間エネルギー流をホール素子で検出する意味と同じ無意味なことと。それからが電界の空間のエネルギー流の何かをとらえられないかと考えて、マグネットの吊り下げ検出器を作った。クーロン力という解釈の指摘を排除するために、等方性の円平マグネットを使った。10月30日ごろと記憶している。その日の長岡市は、朝から雷が鳴りひどく荒れた天候であった。その時思った。天の神が自然の秘密を暴くのを怒っているのだと。それだけきっと磁界が検出できると予感していた。試作マグネットを電極間に近づけて設定。徐々に電圧を上げた。平板マグネットの矢印の方向が変化した。静電界は電荷による電界の空間と電気磁気学では解釈されている。しかし、その空間に磁気コンパスを動かす力が存在するとすれば、その訳を説明しなければならない筈だ。そもそも『電荷』とは何か、その空間像を認識しているか。アンペアの法則及びその電流、その法則による磁界の発生。ビオ・サバールの法則、フレミングの法則などその根源的物理概念は『電荷』である。それほど万能な『電荷』とは何者か。『電荷』が動くとその周辺空間の物理的状況に何が起こるか?それが『電荷』の空間像を考えた起点である。『電荷』は磁気特性を含有するか?

「電荷像と磁気」 電荷への疑念を膨らませた図がある。

電子の磁界発生原理は? 何も特別のことを考えた訳でもない。電子が電荷の具体的代表例だから、それが運動すると静止の時とどのような変化が生じるか。ただそれだけである。電流が磁界を発生させる原因だと物理学で理論構築されている。電流の基は電子だという。それなら電子が静止しているか、運動しているかで回りにどのような物理現象の差が起きるかという疑問でしかない。何も数式など要らない。『電荷』という物理的概念を探るだけである。まず、電荷は空間にどこまでその物理的存在を主張するのか。理論的にはどこまでも無限に意味を持つような解釈にあるように思われる。電界が電荷の周りに在るなら、それは空間エネルギー(1/2)εE^2[J/m^3]が存在する意味である。そのエネルギーは電荷とは異なる物理的実体ととらえるのか。そこに物理学としての論理性があるのか.あるいは電荷内の空間で完結するのか。そんな如何にも学術的科学論あるいはその手法からかけ離れた思考である。巷の科学論とでもいえよう。専門的学術論からかけ離れた素人的疑問は誠に科学論としてはお粗末で、始末に負えないと顰蹙を買いそうだ。電子の寸法もわからないから、実際は空間像を想像することすら無理なのであるが。

結び 『電荷概念はエネルギー流の認識の妨げになっている。』

『電荷否定』の科学論が伝統的科学論の世界で通用する見込みもないと危惧しながらも、ただその実験結果がだだ事でない科学革命の萌芽を含んでいるとの確信になった。その確信が全ての危険な先行きを無視して突き進む情念になった。社会に対する怒りを生み、遣る瀬無い身を恨んだ。そこに情報・テレビなどの操りの罠に引き込まれても行った。飛行機と花火にも踊らされた。陰で操る闇の日本社会。その中でも、現在ようやく物理学理論として『電荷』の概念が曖昧のままでは済まない意識が生まれつつあるか?と考える。科学論の革命が迫っていると。昭和57年度からの工業高等学校の文部省改定を前にして、もう工業高等学校では研究の余地はなくなると喜んで長岡技術科学大学での生活を想定した。しかし、結局望まれない人材として厄介者となってしまった。今思う。研究しか能のない世間知らずが役立たずで誠に困ったものと。しかしお世話になった川上学長も技術に対して理学への不信を抱いていたのではないかと思う。技術から、物理学理論の矛盾点にメスを入れ自然科学としての未来への進むべき道が見えてきたと筆者は思うようになった。『静電界は磁界を伴う』には相当御心配されたとも思う。また、今でも斎藤 進六 学長の創造性の「創」という文字は大きな傷を伴うという意味だとのお話が印象深く気持ちの上で拠り所となってきた。電気系の皆さんにもお世話になっただけで役に立てなかった。新潟県教育委員会が筆者を正式採用をしていなかった事務手続きはについては、今でも行政機関としての意味を理解できない。そこから「割愛」などできないと思う。

戦後処理問題:舞鶴鎮守府の軍籍問題を知ったのは平成7年頃であった。

電子とエネルギーと質量

『エネルギー』を窮めよう。エネルギーと繋がりのない世界は無いから。全宇宙、この世界で『エネルギー』の構成要素となる素粒子は決して存在しないから。

mc^2^から物理学を問う (2019/04/25) で述べたかった質量の意味。独楽の心 (2019/01/05) や熱の物理 (2019/02/07) にも繋がる。

時代はエレクトロニクス全盛期。
電子(Electron)と光子(Photon)が科学理論の根幹を担っている。物質の元素は原子である。原子理論は電子あっての基に成り立つ。そんな時代のど真ん中で、独り妄想にふける。端無くも電流は流れず (2010/12/25) にはじまる多くの顰蹙の種なるお騒がせを招き申し訳なく思いつつも已む無き事情に流されながらここまで遣って参りました。古くを辿って、再び電池の回路(電池のエネルギー)に戻る。電池は何を貯めているのかと不図の病が頭を支配する。電池の重さの意味に耐えきれず、その質量を計らんと無理を承知で心の感性に乗せて観んと思い付く。不図の病、それは電池からエネルギーが負荷ランプに供給され、エネルギーが光と熱に変換されて消費される。電池は少しも熱くはないが、電池の何が負荷で熱に変わるのか。ここの『エネルギー』と言う意味・物理量が現代物理学理論で捉えられ、説明されているのか。それは決して高等数学の式では説明できない自然の易しさの中に隠されている真理と言うもので御座いましょう。電池の中味がどのような化学物質ででき、構成されているかは分からなくても、自然の心を捉えるには特別難しいものではない筈なんだ。『エネルギー』が何たるものであるかを感じ取れれば宜しいのだ。それは電池の中に確実に溜って実在しているものなんだ。重量が計れなくても、化学物質の質量増加分として蓄えられているものなんだ。『質量』とは何かとまた顰蹙(ヒンシュク)の《問答》にもなる話だから、誠に御迷惑かも知れない。化学物質を顕微鏡で覗いても見えるものでも、質量増分を計れるものでもないから科学論証も出来ない話であるので、ご迷惑か混乱の基となるかも知れないが。筆者は原子質量が『エネルギー』の局所集合体としての、電子も陽子も無視した「Axial energy flow」結合構造と看做す物としての科学常識離れの認識に在る。マグネット近傍空間のEnergy flow は全く熱に関わりのない『エネルギー』であることも心に乗せて。それが電池の『エネルギー』と『質量』の等価性の原理の基である。E=mc^2^[J] の物理的意味である。ここから電池が電子を導線の中に流し出して、回路を還流したら、どのように電池に蓄えた『エネルギー』を負荷ランプに供給することになるかの《問答》が始るのだ。特別数式など無くても日常用語で説明できる筈だ。それが『電子』の意味を問うことになろう。

電子の実相を尋ねて。
最近の電子論、エネルギーから電子殻を問う (2018/05/21) や電池における電子の役割を問う (2018/05/24) で論じてきた。電気回路の問題では、必ず電流が含まれる。その電流概念で、正の電荷が流れるとは言えない為、電子が電流の流れと逆向きに流れていると解説される。この解説が検索情報の標準的なものとなっている。誰もその解説に疑念を表明することも無い。だからそれは世間の科学常識として子供達に教えられることになる。多分学習塾でも同じ説明がなされているのだろう。ここで再び、電流は電子の逆流か?と言う事を考えて置きたい。考えるにはその電子の逆流と言う回路状況を具体的に図に表現して見るのが良い。まず電子が電線路にどのように分布している状況かを示さなければならない。大事なことは、解説する人が先ず自分がどのように考えているかを空間的に図に表現することが必要だ。筆者もその意味で、皆さんが電子の逆流だと解釈する意味を、電気回路の電線に書き表してみた。電子が電流の方向と逆向きと言うことは、電線路全体に均一に分布していることと考えてよかろう。その分布電子が同一の速度で均等分布の流れとなっていると考える。それが図のようになる。この図の表現内容が間違っていると言うなら、それの間違いを指摘して欲しい。どのような電子の密度で分布するか。それは電子の速度が何によって決まるかにも因る訳で、その訳が明確に示されなければ分布も決まらないと思う。 『電子電荷』の速度を決める力学原理は何だっけ?電気回路の現象も特別難しい訳ではない筈なのである。解説する原理や論理性が明確であれば、それは日常用語で十分説明できる筈なのである。クーロンの法則に従うのか従わないのかを解説者自身が立ち位置を明確にして述べれば分かる筈である。上の図を見て、教科書を執筆されている専門の方々が、怪しいと思うか思わないか。そこに抱く意識に問題の解決の糸口が有る筈だ。ネット上の解説が正しいか間違っているかを。まず電子が電線路導体を流れると言うことは、図のように『負』の電荷だけの分布で良いのか?『正』の電荷の分布は無いのか?電池とは電子の回路循環機能だけなのか。電池の『エネルギー』はどのように負荷に供給されるのか?解説の中には、電子が移動すると、逆に電子の抜けた殻の穴が『正』の電荷の意味を担って、電流の方向に流れると考えれば良い。等の解説をする方も居られる。その方も自分の思う電気回路図を描いて、その全体の図で御説明されればよいと思う。兎に角、上の図では電気回路は『負』の電子だけで『正』の電荷の出る幕がないことになる。今までの説明には数式は使わないできた。どこか数式がないと説明にならない処が有っただろうか。科学の心を伝えるには数式など無くても良いのだ。政府の津波対策の防災情報で、海岸線の津波波形の図が余りにも滑稽過ぎて、誰があんな波を津波と考えるかも水の心が理解できていない科学論が招く怪しさなんだ。科学とは自然の心を心で受け止めて、心で伝えることだろう。解説者が自分の心に偽りのない意味を伝えてこそ科学論になる筈だ。偽善科学はやめましょう。

 

力の概念と電気物理

視点一つが世界を変える。

不図疑問が湧く。今までの認識に疑問が種となって、新たな世界が驚きの中に膨らむ。今回は『力』である。電気と言う目に見えない現象故に、その世界描写は数学的な表記によってとても抽象的に描かれる。多くの法則によって体系化された学術理論の世界である。科学理論の世界は長い歴史の重みを背負って、何百年の時に亘って専門家の追究の試練に曝されて生き残って来た学術理論である。その根幹を成している概念は『電荷』である。それはクーロンの法則と言う偉大な科学技術論を論ずる基幹法則として誰もが一度は聞いたことのある法則であろう。『電荷』間に働く『力』の意味を解釈する法則である。科学理論は社会的に認知された、学術機関の専門家が推奨する権威ある理論で、広く学校教育での標準教科書として取り上げられたものである。そんな理論の根幹の「電荷」を否定することは、社会的大きな混乱を引き起こすかもしれない畏れ多さを抱える事でもある。自分一人の科学技術感覚からの『電荷』否定の挑戦であった。クーロンの法則を斬る (2013/01/06) の記事から6年が過ぎた。今回その法則に関して、力学理論の『力』の概念から改めて『電荷』否定の論証視点が浮かび上がった。気付けば当たり前のことと思う様な『電荷』に潜む矛盾点である。

力学論の力の概念

運動力学の『力』とはどのようなものか。そんな疑問を抱くことに意味があるのかと思うかも知れない。力が働くという意味で感覚的に感じるのは力を掛ける対象に、力に逆らう反作用のような抵抗がそこにはある。それが慣性体としての質量の意味だと思う。運動力学で力が掛ると、その対象は力によって加速度運動に成る。もし力の対象が質量体で無かったなら、その対象はどのような運動に成るのだろうか。図の力の概念に示したように、質量M[kg]が力に逆らって速度の変化を受けないような作用があるから力を掛ける側に、対象に作用するという意味が生じるのだ。もし対象に質量がなかったら、加速度と言う概念は存在しない。加速度の存在しない『力』の概念は力にはなり得ない。

電荷と力

図1.電荷と電界と力

さて、電気物理学では『電荷』がすべての電気現象の理論的論拠となっている。電場に『電荷』が有れば、その『電荷』はその点の電界強度によって『力』を受けると成っている。(1)式のように、空間にある電荷集合体+Q[C]が有れば、その周りの空間は立体空間全体に電界強度E[V/m]で定義付けられると成っている。その空間に、他の『電荷』が存在するとその電界Eによって力を受ける。電荷が-q[C]とすれば、(2)、(3)式の力を『電荷』が受けると言う。(3)式が有名なクーロンの法則の式である。なお (r/r)は座標ベクトルrの方向を示す単位ベクトルの意味である。荷電粒子が電磁場で力を受けて運動する現象は実際にあるから、確かに間違いとは言えない。しかし、上に示したように、『力』の概念で述べたことも間違いではない。質量がなければ、『力』は掛からない。『電荷』に慣性は無いから、それは『力』の対象にはならない筈だ。もし力が掛れば慣性のない『電荷』は直ちに無限速度で飛んで消えて、運動論の対象にはならない。前にも、荷電粒子加速と電磁力 (2015/01/31)で問題にした。今回不図した思い付きで、『力』の概念について気付いたことが質量の慣性と言う意味であった。クーロンの法則を斬る (2013/01/06)で『電荷』とその上の(3)式の否定を論じた。今回はっきりと納得できたのが質量の慣性と言うものによって初めて『力』が意味を持つという事であった。それなら実際に電磁場と言う空間での荷電粒子加速現象はどのような意味なのかという自然世界の認識の課題である。実際の電磁場での粒子加速運動論には必ず質量を必要とするから、電子にも陽電子にもすべての粒子には必ず質量が付帯している。そこで一応運動力学論としての辻褄が合わせられている訳である。しかし電気回路の電流論に成ると、電流の単位アンペア[A]=[C/s]には決して質量は必要ないから、『電荷』だけで論じられることになる。この『電荷』と『力』の問題は、世界で実施されている荷電粒子加速実験の理論的根拠の問題でもあろうかと考える。

電荷と電磁場

もう一度電荷とその電界の意味を取上げて考えて置きたい。『電荷』の意味を考える時、とても不思議に思うことがある。或るプラスの正電荷の集合体が空間にあると設定されて解説される。クーロンの法則に直接関係する電磁場の論考に於いて、どのような原理で同一の符号の『電荷』が集合し得ると考えるのか。同一符号の『電荷』は離隔距離の2乗に反比例して強力に接近は拒否される筈である。子供達に教える教育の場で、クーロンの法則が取上げられて、説明される時には同一『電荷』の集合は排除されると教える筈である。しかし、図2.のようにいとも簡単に『電荷』の集合体で理論の解説が成される。これも科学論の不思議と言わなければならない。その時の集合電荷の離隔距離はおそらくゼロの意識で論理展開しているのだろう。ゼロの2乗分の1は無限大の排斥力となる。この事は教育者側の科学論の論理性の問題としても無視できない矛盾論の筈であろう。それはさて置き、問題は電荷周りの電磁場の意味である。図2.電荷とエネルギー のように空間の誘電率がεo[F/m]とすると、その空間のエネルギーをどのように理論的に解釈しているかという問題である。係数が(1/2)の問題はさて置くとして、一応wr=(1/2)εE^2^ [J/㎥]のような電界のエネルギーが空間にあると解釈する筈である。『電荷』からの空間距離rの関数として、『電荷』周りにはエネルギーが分布していると解釈してよかろう。しかし、物理学理論で空間の解釈をする時はこのようにエネルギーを認識している筈であるが、荷電粒子加速などの場合には、この空間エネルギーをどのように解釈しているのかはハッキリしていないようだ。このエネルギーの問題は理論物理学における『電荷』の概念の捉え方に関わる問題であるから。と言うのは、このエネルギーが空間に存在していると解釈するかどうかが最初に問わなければならない問題なのである。そのエネルギーは電界がある限り、空間の無限遠までも希薄になっても存在することになるからである。空間に存在すると解釈するなら、そのエネルギーを理論物理学ではどんな物理量と考えるのか。即ち『電荷』の一部なのか、『電荷』と無関係のエネルギーなのかと言うことを問う問答なのである。この解釈・考え方は至極幼稚な素人的素朴な疑問なのである。しかしこのような考え方が、理科教育・自然科学論に求められて居る易しさの科学論の姿勢であると考える。高度な数学的理論展開では、市民が理解し、納得する自然科学論にはならないから。本当の自然科学論は日常用語で解説できなければそれは正しいとは言えないのだ。何故このように『電荷』とその周辺空間のエネルギーの問題を論じるかは、高度な理論を展開されている専門の方々こそお分かりの筈であるから。ついでにもう一つ図2-1.電荷と力とエネルギーとして、単位電荷が空間に分布していたとする。この場合は、『電荷』間には複雑な力が掛ることに成り、その空間のエネルギー分布も正と負の電荷によって、種類の違うエネルギーが存在すると解釈するべきなのかなど理論的に決まりの付け難い問題が残るようだ。本来エネルギーには『正』と『負』は無く、ただ『エネルギー』が存在するかどうかの問題であるから。そういう意味で、物理学理論の易しい解釈を求めての論考である。易しい理論的解説は難しい数学や数式は必要がない筈だ。『電荷』が『エネルギー』を持っているか、いないかを答える事ぐらい難しい事ではなかろう。結局『電荷』とは何かを問うことである。電気磁気学、電気回路論あるいは電気工学のそれぞれの解釈の場で、『電荷』が如何なる実在量かの描像を示す事が求められていることと思う。それは次の謎解きの話になろう。

理論と電磁現象の間の謎解き

波形観測に欠かせない電気製品にオッシロスコープがある。電子銃からの電子ビームを平板電極間に通すと、その電極の電圧信号に従って、電子ビームの方向を制御できる。蛍光面にその制御されたビームの軌跡が波形を描く。その原理が電子電荷の空間電界による制御と解釈される。これが科学技術の電磁現象解釈原理となる。技術としてはその原理を理解することが必要であり、それだけで十分立派な電気技術者の仲間に入れる。教育もその意味で技術理論の習得への期待が国家の教育方針とされてきた。それはそれで良かった。『電荷』と言う概念を考え出して作り上げた意味はその為に有効であった。ところが、その科学技術用の理論を深く突き詰めると、とても曖昧で、論理性に絶えない矛盾が潜んでいることに気付く筈だ。科学技術教育ならそれでも良かった。しかし、自然現象を説き明かす物理学理論となれば、その矛盾を抱えて頬被(ホウカブリ)したままやり過ごす事はできない筈だ。ではそれはどんな矛盾で、何故理論が論理的で無いと言うかを説明しなければならないかも知れない。聡明な皆さんは既にお分かりの筈であろうが。その曖昧さを取り除くには、『電荷』が理論に絶えない概念であることを理解しなければならない。 f=q[v×B]+qE [N] の式で解釈するローレンツ力の力が掛る対象は電荷q[C]である。その式は質量が無い式だ。荷電粒子にこっそり質量が有ると条件付けられてはいるが、それは運動論を展開するには質量がなければ無理だからである。しかしあくまでも力の掛る対象は原理の式には『電荷』しかない。『電荷』には慣性がないから力が掛る対象にはなり得ないのである。しかし現実は、この式で解釈する通りの荷電粒子と認識する『電荷』のビームが制御される。この論理的不都合を解決する解釈法が一つあるのだ。それが『軸性エネルギー流』だ。電磁場空間内の空間電磁エネルギーの分布を理解する道である。『静電界は磁界を伴う』と言う奇妙な表現内容に鍵がある。電界と言う電場空間は、むしろ磁場空間なのである。磁場空間は磁束がある訳ではなく、軸性エネルギー流の場である。言ってみれば、『電子』も軸性エネルギー流子なのである。エネルギー流空間に電子と言う軸性エネルギー流子が通過すれば、エネルギー流同士の間の近接作用力が働くことになる。過去に載せた関連記事の図を挙げて置く。電子スピンとは?-その空間像-(2011/02/09)

 

 

 

 

 

 

 

素粒子-その実相-(2012/07/31)

 

 

 

 

 

エネルギー流と結合(2018/10/10)

 

 

むすび

問題の解決は『電荷』とは何かに答えることである。それはまた『電子』とは何かに答える事でもある。そこに未来の道が観えて来る筈だ。空間に実在するということは、その空間像を描くことでしか解決できない。抽象的な数式には姿が観えない。軸性エネルギー流は磁場と言う空間の物理的姿を示した空間像である。身近にあるマグネットのNSの磁極近傍の空間に在るエネルギーの流れの様子を示したものが軸性エネルギー流であり、それは磁極の表面空間を流れている回転エネルギー流である。その空間に実在するエネルギーを見ることはできない。それを計測することも、観測することも出来ない。その観えないものを『電子』などと捉えて、科学理論を構築して来たのである。『電荷』概念の矛盾に気づくなら、空間のエネルギーが(心にあるいは感覚的に)観えて来る筈だ。そのエネルギーに関する空間論は観測できないから科学論に成り得ないかもしれないが、そこに至らない限りは自然に心を添えないと言うことであろう。『エネルギー』を認識すれば、自然世界の本質が観えて来る筈だ。以上でクーロン力の矛盾についての論説は終わる。次の記事で、アンペアーの法則の回路電流における電子流の矛盾について述べたい。

物理学理論と磁束

はじめに 物理学あるいは物理学理論は、自然の深い仕組みを解き明かす特別の論理的思考能力を持った専門家集団が唱える真理と考えるだろう。それは科学技術の更にその奥に隠れている深遠な自然世界を解き明かし、科学技術の理論的拠り所としての学問分野が物理学と思うだろう。その自然世界の基本の描像は電子の周回する原子構造論と電子の流れる電線路電流、更にその電流によって定義される磁束などが電磁界の論拠としての物理学構成概念である。それが世界の物理学であろう。しかしそんなに多様な基本構成物理量が世界の根源であるとは理解できないし、信じられない。最近、磁気概念や磁束の物理的意味を解剖してみた。それは物理学でなく、電気技術の知見をひも解くことによって様々な科学技術用語の本質が明らかに成って来た。物理学が科学技術の技術概念を深く追究してこそ本当の自然世界が明らかになることを認識すべきという結論になる。電荷や磁束の空間像を示す事が、それらが自然世界に実在するかどうかを判断するに欠かせない筈だ。その空間像が物理学に問われている。世界は抽象ではなく具象世界だ。磁束について、アメリカのNASA宇宙技術開発の成果の一つと聞いているロイヤーインバータ回路の原理から具体的な例で、電圧が一義的なその発生起因であることを示し、アンペアの法則による電子流で磁束が発生するという誤解を解いて欲しい。
磁束の物理概念
マグネットは何処にでもある日常生活に密接な磁気製品でもある。物理学を教える先生方は教科書の中味である物理量などすべて明確に捉え切っている筈だと考えたい。しかし現実は、変圧器の磁束について励磁電流が発生原因であると殆どの方が考えているように思う。それは間違っている。変圧器や電磁コイルの物理現象を解きほぐせば、少なくとも励磁電流がなければ磁束が生じないということは無いのであり、磁束はそのコイル端子に印加する電圧によって一義的に決まってしまうのである。その意味を物理学では馴染みがないであろうが、インバータ回路を使って具体的に示して解説したい。それはファラディーの法則の科学技術論の理解の為でもある。磁束という物理量が、実際に実在するという解説ではないから。自然世界の本質は磁束さえ、エネルギー流に纏まるのであるから。しかし少なくとも、まず一段階としての誤解を解いて欲しいのだ。

磁束と電圧 右の具体的回路例を基に説明したい。AとBの二組のトランジスタスイッチを直流電源と組み合わせて、変圧器に繋ぐ。AのスイッチとBのスイッチを交互に半周期ごとに断続的にオンする。その時磁束は図のように階段状に変化する。その磁束は励磁電流が流れようと流れまいと関係なく、電圧値と時間だけ(即ち電圧時間積分)で決まる。この解釈は変圧器だけでなく、一般のコイルにも当てはまるのである。コイル端子に印加される電圧値と時間で磁束は決まると考えるべきである。理論の統一という事の大切さは、広く基礎概念によって無駄な思考を省き、分かり易くするということにある。図のようなスイッチングモードでは、半サイクル(T/2)の内4/7の間電圧Eが印加されることになる。その間に磁束は最大磁束の2倍 2Φm の増加をすると考えられる。ファラディーの法則は E=n(dφ/dt) および φ=∫(E/n)dt と表される。その法則から、電圧Eが時間T/2(8/14)=2T/7の間印加されて、磁束が 2Φm だけ増加するとなれば、次式が成り立つ。

2Φm=E/n×(2T/7)

従って、  E=7n(1/T)Φm [V=(J/F)^1/2^]

が得られる。このように、印加電圧とその印加時間だけで磁束は決まると考えるべきだ。その磁束発生原因として、励磁電流などの複雑な解釈概念を介入させるべきではない。この磁束は、すべてのコイルや電気回路全般に言えることである。その意味は電線内の電子流という『電流』概念の物理的解釈の論理性が問われているということである。『磁束』という物理量も『電流』と同じく、その物理量の実在性が物理学理論として検証されなければならない筈だ。その具体的な空間像が。

むすび

電流と磁気の概念矛盾について述べなければならない。それは自然世界を理解するに欠かせない思考作務である。電気論では電線内を電子が流れるという。何故電子(電荷と質量)が金属導体内を通ると、金属導体の外に磁束が発生するのか。電子は磁気を持つと定義されているのか。電子のスピンでは磁束の発生の解説にはならない筈だ。その電子と磁束の関係の疑問に答えるのが物理学である。電流という科学技術概念の正体を明らかにしてこそ物理学である。物理学は科学技術現象を詳細に検証すべき学問分野の筈だから。それは子供達に教えるという責任が有ることに通じると思う。数式で説明する事では済まない基本が有る筈だ。身に背負い切れない重力を感じながらも。

 

電気物理(電圧時間積分とエネルギー)

はじめに
物理学の中で電気現象を取り扱う科目は電気磁気学になろう。その電気磁気学の中味を確認すると、電気工学の内容と殆ど変りはない。電圧と電流がその電気回路現象の解釈の基本概念となっている。微視的な現象を論じる量子力学などは原子・分子構造やバンド理論の抽象的な理論が主体となって、少し電気磁気学と言う分野からはかけ離れてもいる。しかし、電界・磁界と言う電磁場とその中の電子の振る舞いと言う意味で見れば、電気科学技術の基本理論がそのまま基礎概念として電気物理の基本になっているように思える。専門用語には、簡単に理解できないものが多くある。π電子等と言われると、電子の『電荷』の実像さえ理解できない処に、πとは何じゃ?と狐に抓まれた気分になる。磁界と言えば『磁束』で解釈される。磁場空間に磁束が通っていると言う科学の常識概念も、教育の場ではアンペアの法則に因る電流概念との関係で理論構築されている。電流原器の定義からもアンペアの法則が電気現象の物理的真理であるかの如く威厳をもって説かれる。一方ファラディーの法則も電磁誘導現象の解釈の基本を成している。電圧と磁束と時間の関係で電気現象の理解に欠かせない法則となっている。一般に電線路周辺空間にも磁場があり、その空間にも磁束が関係していると看做すであろう。磁束はアンペアの法則の電流によって発生すると解釈すべきか、あるいはファラディーの法則に因る『電圧時間積分』で発生すると解釈するべきなのか悩ましい意味を含んでいる。『磁束』と言う空間に実在するとは理解仕兼ねる概念が、科学技術の解釈に有用なものとして長く理科教育によって基礎共通科学常識となっている。『電荷』と同じく『磁束』と言う物理概念が如何なる空間的実在性を持っているかを明確に示す事が電気物理の命題であると考える。具体像として認識できない抽象性ではこれからの科学の社会的理解が得られないと危惧せざるを得ない。電気物理はそれらの基礎概念を明確にする事から取り組まなければならない筈だ。今回は拙い電気回路現象の知り得る範囲から、電圧時間積分と言う電気工学の考え方で、『磁束』と言う意味を取上げて電気コイル周りのエネルギーを考えてみたい。電気技術ではリアクトルと言い、理論ではコイルと言う電気エネルギーの空間貯蔵回路要素の話になる。電圧時間積分と言う技術用語を初めて知ったのが、ロイヤーインバーターの不思議な電気回路現象であった。それ以降磁束はアンペアと言う電流では捉えるべきでないと確信してしまった。もう50年も前のことである。現在はその延長として『電流は流れず』と言うところに居る。とても金属導体中を流れる『負の電荷』の逆流等と言う物理概念が電流だなどと言ってすまし込んでいる訳にはいかないのだ。この記事を書く意味は、理学と言う理論に偏り過ぎた意味を科学技術と言う現実的な応用の中に隠れた真実を見直す事によって理解して欲しいとの願いからであった。教育の中に間違った真理らしき内容が多く含まれている現実を修正しなければならないと思った。ロイヤーインバーターで洗濯機用の単相誘導電動機を運転した頃の『電圧時間積分』の意味を磁束との関係で取上げようと準備しながら、その前にコイルの基本的意味を別に解説したいと考えてのことである。理学と技術の意味を考える例題として有用と思ったから。

コイルと電圧時間積分

 電気回路にコイルが含まれると、そのコイルはエネルギーを貯蔵する働きでその機能を特徴付けて解釈される。このような電気現象のエネルギーに因る捉え方が電気物理として特に考慮して欲しい点だ。コイルの中の空間にエネルギーが実在すると言う感覚的認識が必要なのだ。二分の一にインダクタンスと電流の2乗の積の式で覚える数学的な電気知識でなく、コイルの電気導体で囲まれた空間内にある『エネルギー』の空間物理量を認識して欲しい。コイルに掛る電圧とは何か?その電圧がエネルギーとどのような関係にあるかをこの記事を書きながら、考えてみたい。ただ電圧と電流で回路を解析するだけでは、それは電気技術論でしかなく、電気物理と言う自然現象の奥深さを知る自然観には程遠いと言う意味を理解して欲しい。電圧も電流も電気技術解釈用の技術概念でしかないと言うことを。然し、その電圧、電流と言う科学技術概念が如何に実用性で優れたものであるかを知る為にも、電気回路現象の真の姿を理解して初めて可能になることを知らなければならない。電線路で囲まれた空間に磁界とか、電界とか理論付をする意味を考えれば、その空間に何かがあるからそのように捉えるのだと言う意味位は察知出来よう。電線路導体で囲まれた空間に『エネルギー』が存在し、また流れているからなのである。その『エネルギー』は光速度と言う途轍もない速度で空間のエネルギー分布の欠損が生じれば補う。実験的にそのエネルギーの流れを計測など出来る筈もない。その『エネルギー』を科学技術概念の電圧と電流と言う計測量で捉えて、実用的理論に構築した意味が如何に偉大であるかを知らなければならない。しかし電線の金属導体内を電子や電荷が流れている訳ではない事は自然現象の真理として理解することと科学技術概念の意味とは異なることも知らなければならない。電圧時間積分についてコイルの端子電圧vとした時、積分 ∫vdt [Wb] は磁束の意味になる。ファラディーの法則の積分形である。このコイルに印加される電圧の時間の長さが何故磁束になるのか。コイルに掛る電圧とはどんな物理的意味を持っているのか。それらの疑問を解くには、すべてエネルギーとの関係で明らかにしなければならない問題だ。しかし、磁束もその次元は[(HJ)^1/2^](単位換算表を下に示す。)、電圧の次元も[(J/F)^1/2^]とエネルギーの単位ジュール[J]とは異なる。電気技術単位もエネルギーのある観方の解釈概念で有れば、最終的にはエネルギーとの関係を明らかにして、理解する必要があろう。その事をコイルのエネルギー貯蔵機能と言う点に的を絞って考えたい。ここで、別に電気物理(コイルの電圧)として先に纏めて置くことにした。追記。前に記した記事:LとCと空間エネルギー (2017/08/02) も参考になろう。

考察回路2例 電源は直流電圧とする。抵抗とインダクタンスの並列回路、回路(1)と直列回路、回路(2)の二つの回路例を取上げて、そのコイルLの動作機能を考えてみよう。電源電圧を直流としたのは交流電圧よりも電圧値が一定であることから、電気現象の意味を理解し易いだろうとの事で選んだ。コイルに直流電圧を掛けることは一般的には考えられない事例であろう。回路例(1)ではもろにコイルに直流電圧を掛けることになるから結果的には危険な電源短絡事故となる。一応保護ヒューズを電源に入れて配慮した。

空間の電気量 物理学では時空論と言う言葉が使われる。物理現象は空間の中に展開される電磁現象とも言えよう。光は空間世界の王者でもある。それは空間に描く時間とエネルギーの営みでもある。そんな意味で、光が描く空間長と時間の関係は『エネルギー』と言う実在物理量に因って理解できる筈だ。1990年(平成2年)の秋頃に、完成した自然単位系がある。措置と言う強制牢獄への穴に落ちる少し前のこと。自然現象を理解するに科学技術概念だけではなかなか複雑過ぎて難しい。空間とエネルギーだけで電気用語の意味をまとめた表を載せる。すべての電気量がエネルギーのジュール[J]との関係で算定できる。電気量の次元を換算するに使うに便利である。余り物理学では、空間の意味にファラッド[F]やヘンリー[H]を意識していないようであるが、時間の次元も[s=(HF)^1/2^]で関係付られる。光の速度を決めるのもこの空間の物理的関係に因る。この空間の誘電率、透磁率の物理的意味合いを明確にする課題がまだ残されている。それはどうしても哲学の領域にもなるかと思う。科学と哲学の課題でもある。空間で『エネルギー』がどのように共振現象で伝播するかの解答が。何方かの挑戦を期待したい。

回路(1)の電気現象 スイッチによって二つの場合を考える。

(a) S1:on 、S2:off の抵抗負荷。電源スイッチ S をオンする。回路解釈は直ちに一定電流i=E/R[A]になると理解する。技術論としてはそれで十分である。然し物理現象としては、負荷抵抗に供給されるエネルギーは電線内を通って供給される訳ではなく、電線路で囲まれた空間を通して供給されることを知らなければならない。厳密には突然スイッチの周りのエネルギーギャップの空間が閉じられるのだから、複雑な空間の動揺を伴った後オームの法則通りの平常状態に落ち着くのだ。電気技術で負荷電力P=E^2^/R [W]と計算される。ワット[W]=[J/s]である。電圧の単位は[V]で抵抗の単位は[Ω]である。[V]と[Ω]で、どのように単位換算されて電力が[J/s=W]となるのか。その物理的意味をどのように解釈するのか。このことに関連して、やはり別に電気抵抗体の物理として考えをまとめた。

(b)S1:off 、S2:onでSオンする。実際はスイッチSオンすると同時に、電源短絡事故となろう。コイルのインダクタンスがL[H]であれば、電流はi= E/L∫dt [A]で直線的に増加する筈だが、そこには空間的な別の意味が関わっている筈だ。コイル空間が真空であったとすれば、エネルギーの空間貯蔵に空気中と異なる意味が含まれるかも知れないと言う疑問はある。コイル内の空間にエネルギーが貯蔵されると言う意味は、その空間のエネルギー貯蔵限界があると言う点を知らなければならない。ただ空気中の磁束量の限界と言う空間破壊の解釈は聞かない。電界の空間破壊は高電界30kV/cmと良く聞くが。それも磁場と電場と言う違いはあるが、空間のエネルギー貯蔵限界に因る物理現象の意味である。コイル電流i[A]に因って、コイル内に磁束[Wb]が生じると言うのがアンペアの法則に基づく解釈である。次元を考えれば、電流[A=C/s]からどのような物理現象として、磁束[Wb]が発生すると言うのだろうか。電荷には磁束を発生する物理量的な次元の意味が在るのかを問わなければならない。電気技術論として1800年頃に発見された知見が現在の物理学概念として本当に有用なのか。電荷と磁束の間の空間に起きる次元変換の物理的見解が必要と思う。そこには『電荷』の物理的空間像が示されなければ、答は得られないと思う。なお、電圧時間積分は電流i=(∫Edt)/L の中に含まれている。磁束φ=Li と同じ式ではある。

回路(2)の電気現象 R-Lの直列回路で、やはりLの機能を考えてみよう。既に、電気物理(コイルの電圧)としてまとめたので大よその意味は分かろう。コイルのスイッチS’:off で電圧を掛ければ、指数関数的に電流i がE/Rの値まで増加し、コイル電圧はエネルギー貯蔵した状態で零となる。

『問』 その状態でスイッチ S’ をオンとしてコイル端子を閉じるとする。その後の電流はオンしたスイッチ部を通るか、コイルL内を通るか。

『答』 尋ねたいのは、コイル端子を閉じたときコイルの貯蔵エネルギーは電流 i に因るのか、それとは別にコイル内の空間に貯蔵されたものと考えるのか、どちらで理解するかを答えて欲しいのだ。電流 i が電源に繋がった導線部 S’ を流れずに、わざわざコイル内を流れるとは考え難かろう。然しコイル内にはエネルギーが貯蔵されていると解釈しなければならない。そのコイルのエネルギーは電流に因るのか、コイル内の空間に貯蔵されたものと考えるのかを問うのである。ただ時間と共にそのコイルエネルギーも空間に放射あるいは抵抗で熱化されて無くなる。

回路の電流 回路(1)と回路(2)の電流値の様子を考えてみよう。

電流値 電圧が 100V 、抵抗値10Ω、 インダクタンス10[mH]として図に示した。回路(1)の(b)の場合で、コイルに電圧を印加した時、電源投入後何[ms]で電源短絡となるかは分からない。? 記号で示した。その状態をコイル内の磁束が飽和した為と技術的には考える。物理的には、コイル内の貯蔵エネルギーの受け入れが出来ない限度を超えたからである。また、回路(2)では、スイッチS’ を投入した瞬時にコイル端子は回路から切り離された状態になり、抵抗のみの回路となる。その時コイルのエネルギーはそのまま分離されてコイル内に留まり、時間と共に消えることになる。

むすび 記事の内容を見ると、電気物理と言いながら数式が全く無いことに気付いた。電気現象はその技術概念電圧と電流が解析の要となっている。然し、その電圧とは?電流とは?と殆ど疑問に思われてはいないようであった。30年前に『電荷』概念の空間像を描けないと疑問に思って、何か世間の囃したての中に揉まれながら、人生意気に感じて頑張っている内に、とうとう浦島退屈論の仕儀となってしまった。やっと御蔭さまで、電圧と電流の物理的空間像が描ける境地に辿り着いたようだ。電圧の2乗が次元[J/F]、 電流の2乗が次元[J/H]でその空間の空間エネルギーを捉えたものであると。電気回路の空間構造のコンデンサ機能の[F] とコイル機能の[H]とでその空間のエネルギー貯蔵量を捉えることが出来ると安堵の境地。やっと技術概念の物理的意味が理解できた。電圧-その意味と正体ー (2016/05/15)ではまだ疑問との格闘にあったようだ。然しその記事の文末に導体近傍のエネルギー分布を確信した記事が記してある。その実験的検証が在ったことで、ここまで来れたと感謝する。

電磁気学の要-Axial energy flow-

1.はじめに
電気磁気学は自然科学の基礎知識として、その習得が科学技術・理科教育で求められる。力学と相まって物理的学習内容の基本となっている。その教育に基づく共通理解が社会的科学認識の基となるから極めて重要な分野である。社会的な科学常識は、お互いに科学論を展開するに、その共通理解の重要な基になる。『電荷』や『磁束』はその電気磁気学の要の基礎概念として、誰もが共通に理解していると思っているだろう。しかし、その中で『電荷』はじめ『磁束』さえもその実像は突き詰めると極めて曖昧な概念であると考えなければならなくなった。だからそのような基礎概念に論拠を置いた科学論は本質的に矛盾を含むものに見えて来る。現在の理科教育の教科書の内容では真の自然現象理解に極めて不十分な内容であることを認識しなければならない事態になったと考える。その意味を「磁気とは何か」と言う視点で考察し、その曖昧な意味を掘り下げて、電気磁気学理論の持つ不完全さを解説したい。軸性エネルギー流-Axial energy flow-を理解することが電気磁気学の眞髄に到達する要点であることを示したい。この事の持つ意味は、今までの科学常識に因って成り立ってきた専門家の意識改革を迫る極めて重大な社会的問題でもある。

2.原子構造と周回電子像の持つ意味
原子核の外殻を周回する電子に原子の周期特性で捉える役割を担わせた原子像があらゆる科学論の基盤として社会の科学常識となっている。この根源的科学常識を疑い、批判することに成らざるを得ない『電荷』概念否定の道を通って来た。その道の長い思索を通して辿りついた到達点は、あらゆる自然現象が『エネルギー』の空間に展開する姿として認識する事であったと理解した。その意味で、改めて現在の原子構造論の電子周回論はその中味を深く突き詰めなければならないと成った。

(2-1)原子像への疑念 『電荷』否定の論理の行き着く先に待っていたのが原子像への疑念であった。その疑念の具体的な点を挙げれば、次のようなことになろう。図1.で示した原子像は曖昧なまま、どのような規則で表現すれば論理的かさえ理解できないままの一つの参考にとの表現図で示した。

  • 何故電子が周回運動しなければならないか。
  • その電子の周回運動の軌道(立体角4π球面か平面か)と回転速度の方向性を何が決めるか。
  • 電子は粒子とか波動とか極めて曖昧な空間認識像で捉えられ、論理的明確さが観えないのはなぜか。
  • 実在するという電子像の、その質量と電荷の空間像が何故示されないのか。
  • 原子という空間構造体をまとめる『構成力』は何か。

原子と言う極めて極微な空間構造体が世界の構成元素として実在していることは、そのこと自体が不思議で有っても、疑いはない。その中味を解剖して明らかに示す事はおそらく無理な話であろう。だから曖昧さは残って当然と考える。1911年以降にようやく原子の構造の論議が始まったのだろう。J.J.Thomson の陰極線発見(1898)が電子として認知されたことが原子の周回電子像の基になったのであろう。その後の量子理論が決定的に電子に電磁気現象すべての舞台で、主役の役割を担わせたこととなったと思う。単純な電気回路のオームの法則さえ導体電線の中を電子が流れる解釈が決定的な電気回路常識となって、現在の科学論の基礎となっている。量子力学での電子には必ず質量が付きまとった素粒子となっている。運動エネルギーでの解釈に質量が必要だから。然し量子力学で伝導帯を自由電子として電気エネルギーの伝送の役割を担っても、電気回路になれば電子が金属導体中を流れるが、電荷だけしか必要としないから質量の意味はどこかに消え失せてしまう。電子とは質量と電荷の混合粒子と思うが、電気回路では電子流はアンペアと言う電荷の時間微分しか意味を成さない事になっている。電気回路では電気エネルギーの伝送速度は光速度に近い筈だが、電子では決してその光速度でエネルギーを伝送する役割の責任は果たせない筈だ。それでも質問が有っても難しい量子力学を勉強してから考えなさいと説明逃れがIT等の質問に多く見られる。電気回路の現象が光速度でのエネルギー伝送として説明できない事は、電磁気現象を本当に理解していることにはならないのだ。そんな単純な日常生活に関係した電気回路の意味から考えても、原子構造論の周回電子論はとても信用出来ないのだ。

(2-2)共有結合に論理性はない 高等学校の1、2年生の時に化学を習った。原子結合で共有結合と言う負の電子同士が誠に魔法のような理屈で互いに結合の担い手となることを教えられた。クーロンの法則の同じ電荷間に働く排力が、何故共有結合ではその訳が説明されずに、無視されるのかと言う疑問が消えない。何故負電荷同士の電子が結合の役割を果たし得るのか。まさか電子質量間に働く万有引力でもあるまい。基本的には電気磁気現象が原子構造体を構成する理論であると考えれば、原子間の結合を担う『力』とは何かと言う疑問になる。また、その基となる原子その物を構成する力は何かとなる。核の結合そのものも『力』が必要な筈だ。陽子と中性子の結合論には中間子論があるが、その意味を理解するだけの能力はないし、電磁気現象としての解釈では理解困難な様に思う。原子間、分子間あるいは原子等の構造体を構成するにはどんな『力』が必要なのか。

  力としてpdfで挿入した。初めて試してみたので見難いかもしれない。中に(3)式として『質量力』などと言う力を入れた。何も特別な意味ではなく、万有引力と言う意味を質量間に働く力と言う意味で表現しただけでしかない。丁度二つの電荷が空間に有れば、電場が生じ電界ベクトルと電荷間に働く力と言う空間像と同じ意味で捉えだけである。たとえば地球と言う質量が有れば、その周りには重力場と言うベクトル空間が有ると看做すだけである。ただそれは、自然現象として空間を解釈する万有引力と言う理論が『眞』であるかどうかは別問題であろう。 電荷間の力の解釈と同じ意味で(3)式は万有引力の一つのベクトル表現法でしかない。(2)式の磁荷mは物理学理論でも実在しないと成っている。(1)式の『電荷』q[C]も否定すれば、一体どんな力を世界の結合の力として捉えれば良いかとなる。もちろん(3)式の質量力などは論外であろう。 そこに「磁気とは何か」と言う事を尋ねなければならない問題が浮上する。

3.磁気とは何か それは「磁気の本質」を問うことになる。電気磁気現象の要が『磁気とは何か』に明確な認識を持つことである。2つほど問題を提起したい。

  • コンパスは何故磁界の方向を指すのか。
  • マグネットを向かい合わせると、そのギャップlの長さに因って何故磁気力が変わるのか。その物理的原因は何か。

電気磁気学では、磁束量φ[Wb]が磁界解釈の基礎概念となっている。ファラディーの法則として、電気理論の根幹を成す重要な概念でもある。アンペアーの法則として、電線導体電流との関係でも重要な磁束で、欠かせない基礎概念であるとの意識にある。インターネット検索でも専門的な解説がある。電子スピンなどと関連付けて解説される。然しその解説に因っても少しも理解できないのは筆者だけだろうか。マグネットから空間に磁束Φが放射(?)されている図で表現される。磁荷は存在しないが磁束が存在するとは、その磁束は何が創りだすのかとなる。変圧器のファラディーの法則から、そろそろ磁束が励磁電流によって発生するなどと言う間違った解釈はやめても良い筈だ。磁束はファラディーの法則の式の積分形で『電圧時間積分』で決まることを知らなければならない。然しだからと言って、それで磁束が自然界に実在する物理量だと決めつける訳にはいかない。磁束も電流と同じく、科学技術概念としての人が創りだした便利な解釈用の概念でしかないのだから。それでは本当は磁束とは何をそのように概念化して利用しているのかと言うことになる。そこが重要な点であり電気磁気学の要となるのだ。答えは空間のエネルギー流でしかない。それは軸性エネルギー流-Axial energy flow-である。巷の解説では、電子スピンと言うが電子がマグネットの表面でスピンをしてその電子から空間に磁束が伸びていると言う意味であろうか。その磁束とは空間にどのような実体を成すものと認識しているのか。コンパスが磁界の方向を向くと言う現象も、やはり力が働いたから向きが決まる訳である。この軸性エネルギー流と言う概念は物理学理論ではなかなか受け入れ難いものであろう。それはもともと物理学には空間にエネルギーが実在すると言う認識が無いように見受けられるから。物理学理論では質量が無いとエネルギーが論じられないように思う。電気コイルの磁気エネルギーと言う時、そのエネルギーは空間の何処に存在していると解釈するのだろうか。コンデンサのエネルギーと言う時、そのエネルギーはどこにどのようなものとして存在していると解釈するのだろうか。電荷はエネルギーには成れない筈だ。磁束もエネルギーではない筈だ。マグネット間のギャップ l が小さくなれば、磁石の引き合う力は強くなる。何故強くなるのかの意味を説明しなければならない筈だ。磁束が太くでもなると言うのだろうか。それでも説明には成っていない。物理学理論でも、電気技術論でもマグネットの表面の磁束密度は一様と仮定すると言う条件を設定するのが一般的である。そこが間違いである。マグネットギャップを変化させると、ギャップ内の磁気模様が全く変わってしまうのである。ギャップを狭めて行くと磁場の強い処はマグネット周辺に移動し、中心部分には磁場は無くなるのだ。磁場一様等と言う条件は成り立たない事を知らなければならない。磁場とは磁束などと言う線束が有る場ではないのだ。ハッキリ言えば磁束など無いのだ。ただエネルギーがマグネット軸に対して回転して流れている現象なのだ。それを軸性エネルギー流と名付けた。要するに空間に質量など無関係に、『エネルギー』が実在している認識がなければならないのだ。光の空間エネルギー分布流と同じ意味である。光のエネルギーを振動数で解釈している限りは、電気磁気学の眞髄には到達できない。

4.磁界の空間像 磁界とは『軸性エネルギー流』である。図に表せば次のようになる。図のマグネット棒と磁界の関係。それはマグネット近傍空間には左ねじの尖端をN極として、ネジを回して進む時の回転方向にエネルギーが流れていることを示す。この回転エネルギーが地球の表面にも流れている訳で、地磁気が具体例としての考える論題としてよかろう。地球の磁気は北極がマグネットのS極で、南極がマグネットのN極である。地球表面を自転の向きに即ち東西南北の東向きにエネルギーが流れていることを知らなければならない。地球の自転が何によって起きているかは、そのエネルギー流が何故在るかを理解することが出来れば分かった事になるのだろう。その自転の物理的意味について解釈を下す事は科学論か哲学か悩ましいこと言えよう。兎に角、このマグネット近傍空間のエネルギー回転流が磁場と言う概念が持つ空間の意味である。光が空間を光速度で伝播する空間エネルギー密度分布波と捉えることと繋がる意味でもある。この質量に関係ないエネルギーの実在性を空間に認識することが電気磁気学の要となるのである。

5.ギャップに因る磁気力の変化およびコンパスの指示の訳  (3.磁気とは何かの答)マグネットの引き合う力は不思議だ。検索すれば、その力の原理を知りたいと質問がある。然し、その解答は的確な説明とは言い難い、何か誤魔化しで逃げているようにしか思えない。残念であるが、本当は分かりませんとでも答えて欲しいのだ。解答者も教科書の解説を習得したからと言って電気磁気現象の眞髄を分かっているとは言えないのだから。決して磁束(自然世界に実在する物理量ではない)と言う科学技術概念では、マグネット間の空間にある『エネルギー』の姿は理解できないのだから、ギャップの長さで磁気力が変化する意味は分からないだろう。教科書に無い意味磁界・磁気概念の本質の記事の意味を知らなければならない。次にコンパスが磁界の方向を指す訳は何か?それも同じような原理の力の問題である。磁束がコンパスの中を通って空間の磁場の磁界と繋がるから、その方向を向く。と解釈して良いのだが、磁束が実際に実在する物理量でないと言うことを認識すれば、その解釈ではやはり正しいとは言えないだろう。試験問題でコンパスがどの方向を向くかという問題なら、磁束の考え方で正しい答えは得られる。知識としてはそれだ宜しいのだ。自然現象を理解するという意味には、この例のように答えられればそれでよいという考え方と、もっと自然世界の本質・真髄を知るべきだという考え方と多様な意見がある筈だ。それは一人ひとりの生き方の問題となるのだろう。磁気が軸性エネルギー流の目に見えない現象だと言うことを知ることに因って初めて、広い電気磁気現象の意味が矛盾なく理解でき、心から安心した納得に至れるのだと思う。それが安堵と言うものかも知れない。地磁気とコンパス(2012/09/13) が一つの解答となろう。

6. 磁気原子像と原子結合 『電荷』否定に因る原子像はどんな姿か。今年は原子周期表の記念の年らしい。8の周期性で特性が決まる原子を周期律表でまとめられた意味は驚嘆に値する知見と言えよう。その周期性から原子構造が周回電子像で解釈される結果に現在の原子構造が共通理解の基を成して来たと思う。周期性は他の原子との結合特性から認識出来るものでもあろう。原子が結合するのは原子の表面が互いに他の原子との安定した接合面を持つ事が出来るからであろう。もし周回電子が原子結合の任務を担うとすれば、その電子は立体角4πの原子表面をどのような道筋で回転運動をしながら、となりの原子と安定した接触面を保てると考えるのだろうか。その空間運動状況を原子結合に結びつけるには、原子核が周回電子の運動を可能にする何次元ものスピン運動をするか、魔術師か忍者の雲隠れ抽象空間を想定できるようでなければ、電子の運動と結合面の空間像を頭に描くことは無理じゃなかろうか。こんな論議は決して科学論の場では誰もが取り上げたくない事だろう。それは教科書の指導内容と異なる反社会的のことで、教育体制に混乱を生むから。科学論は現在の教科書の指導内容の枠からはみ出さないようにしなければならないとの意識が無意識的に思考の根幹を支えているのだろう。まさかこんな基礎の科学概念が否定される筈はないと誰もが教科書の指導内容や科学常識を信じているから。

(6-1)ダイヤモンド結合 炭素は結合手が4で、宝石のダイヤモンド共有結合や有機分子のベンゼン核など結合の代表的な論題となる元素であろう。炭素同士の強固な結合が抽象的な原子表面上の軌道周回運動電子によって生まれると言う曖昧な論理を何故信じなければならないのか。また炭素原子表面は空間的に4面体(直方体)か球面を4等分した接合面と看做すべきだろう。従って、有名なベンゼン核の亀の甲羅の平面的な六角形の構造が何故出来るかにも論理性が観えない。原子結合面は空間的な立体面から出来ている筈だから、結合手が2本と1本でのベンゼン核表記法は有り得ない。まずい記事ながら、参考に炭素結合の秘め事を挙げて置く。

(6-2)マグネット原子構造 軸性エネルギー流と言う空間のエネルギー像は『電荷』に代わる電磁結合の統一的理論構築の未来像になると考える。結合エネルギー:不思議の砦 (2018/12/02) で示したマグネット結合の図を再掲したい。マグネット同士を接合すると、接合部でのエネルギー流は隠れるように思える。砂鉄に因ってある程度は確認出来よう。このマグネット同士のN、S間での結合が原子結合の結合手になるとの解釈論を2009年に発表した。その時の図を示したい。

『電荷』否定は陽子、中性子などの素粒子の電荷概念の否定だから、当然原子核内もエネルギー粒子と捉えなければならなくなる。その核のエネルギー粒子の影響がそのまま原子表面に現れると言う考え方を取る。その結果の原子結合は当然の帰結として、図のようなマグネット結合になる。

7. むすび 2009年日本物理学会秋季大会で、“電荷棄却の電子スピン像と原子模型”の標題で関連の発表をした(日本物理学会講演概要集 第64巻2号1分冊 p.18. )。それは丁度10年程前の解釈である。今振り返っても、その内容は現在の認識と殆ど変らないようだ。10年間の思索を通して、よりこのマグネット結合原子構造の解釈に強い確信を得ている。電気回路の電磁エネルギー伝播現象即ち電気磁気学の実像を光速度伝播特性として理解出来たからだ。『電荷』や『磁束』が科学技術解釈概念だと言う意味は、それらは自然世界に実在する物理量ではないと言うことであって、物理学と言う自然世界の真理を探究する学問で使う用語・概念としては適切でない事になる。

論文: 25pWD-13 “磁力密度 f=rot(S/v)” 日本物理学会講演概要集第63巻1号2分冊 p.310.(2008) 。これは磁気がエネルギー回転流であることを論じた論文である。このいわゆる電磁力と言う力については、長岡工業高等専門学校で、既に履歴書が『以下余白』として消されたままの1年8カ月後(?)の昭和62年3月末に、『静電界は磁界を伴う』の電気学会発表の準備中の深夜の睡眠途中で閃いた思い付きであった。その後、「電磁エネルギーの発生・伝播・反射および吸収に関する考察」電気学会 電磁界理論研究会資料、EMT-87-106.(1987) に(29)式として記した。それは静電界と言うコンデンサ極板間に電圧に応じて、コンパスの指す磁界方向が変化すると言う電磁界現象が存在する事実の理論的解釈論として示さなければならなかったのである。コンデンサ内も電磁エネルギーの流れによってその現象・状況が決まると言う実験結果に基づく発見事実である。ここに科学基礎概念に対する意識革命の必要性が隠されている。

(付記) 関連記事。電気回路理論と電気磁気学の関係(2017/12/06) 。電磁力の本質(2017/10/17) 。

 

 

熱の物理

熱の概念
熱とは何か。熱はエネルギーの或る状態と解釈するだろう。それはどんなエネルギーか。日常の環境評価では温度と言う指標で熱の多さを捉えると言ってよかろう。例えば気体では、気体の熱エネルギー量を温度・気温として捉える。気体の熱エネルギーとは、物理学では気体分子運動エネルギー(気体分子運動論)として認識・解釈していると思う。この気体分子運動論が曲者に思える。その訳はエネルギーが質量に関係なくそれ自身で空間に実在しているものだから。光はエネルギーの伝播現象であり、質量はその光のエネルギーを論じるに必要ない筈だ。光が質量の運動エネルギーとは考えないだろう。その光の空間に実在するエネルギー像を物理学で認識していない処に問題の根源がある。

物理学理論(気体分子運動論)を斬る それでは、その気体分子運動エネルギーとはどのようなものを考えているのだろうか。気体にエネルギーが加えられると気体分子がエネルギーを吸収することになる筈だが、おそらく気体分子質量の速度の増加としてエネルギーを吸収すると物理学理論では解釈しているのだろう。何故気体分子が速度の増加を来たす事になるのか。気体を加熱したからと言って、分子の速度が上がる理由が見えない。調理用の圧力釜がある。加熱すれば、圧力釜内の水が蒸発し気体となる。加熱に因り圧力が上昇し水分子の圧力上昇としてボイルの法則の通り圧力エネルギーとして加熱エネルギーが蓄えられる。何も水分子が運動などする必要もない。蒸気機関でのピストンの仕事は水分子の運動エネルギーなど無関係で、水蒸気の圧力がその役割を果たしているだけである。水蒸気の圧力とは水分子が加熱によって体積膨張しようと内部圧力に変換されるから圧力上昇するのである。それが単純なボイルの法則による解釈である。水分子の運動速度など無関係だ。物理学理論でエネルギーと言うと、質量の運動エネルギーと位置エネルギーしか対象にしていないのではないかと誤解しそうになる。圧力エネルギーと言う概念が余り考えられていないようだ。ボイル・シャルルの法則も気体分子運動論としてボルツマン定数に因る解釈に終結している。圧力も膨張でなく分子運動速度に因る衝突力として捉えるようだ。気体の体積、水蒸気分子の体積膨張と言う現象は考慮されていないように思う。気体の発光現象も、気体に加えられたエネルギーが分子や原子に貯蔵され、その貯蔵限界を超えたエネルギーが放出されることと解釈できよう。原子の外殻電子の運動エネルギーが増減する解釈は意味がなく、間違っている。そもそも電子が回転していると考える必要など無い。電荷など無い筈だから。エネルギーと圧力の関係で一つ取り上げておきたい。海底1万メートルの水は静止状態でも途轍もない高圧に在る。その水圧も水の空間に蓄えられたエネルギーの筈である。さて、水圧だけではなく、海底の地殻深くになれば更に圧力が増していると考えられよう。その空間のエネルギーは特別の意味を持ち、日常生活での物理現象として関わることも無い異次元の世界の話であるが、圧力エネルギーであることには変わりがない。ただ、その圧力エネルギーと言う解釈が地球の中心核まで続くと解釈すべきかどうかを判断するべき根拠は不明だ。何も地殻が運動エネルギーの空間貯蔵帯とは考え難いという事からも、気体も同じように気体分子の運動エネルギーとして解釈すべきと言う論理性が見えないということである。当然気体の圧力分布に因り気体は流れて風を引き起すが、それは気体分子運動論でのエネルギーとは異なろう。温度の解釈には風は余り関係なかろう。

熱エネルギー 熱が物に蓄えられる時、物の質量の運動エネルギーの増加となるのではない。物の結晶格子等の空間に貯蔵されるエネルギーそのものの増加が熱の増加と言うことである。熱エネルギーは電気エネルギーや光エネルギーと同じく、空間に実在するエネルギーなのである。質量構造体の内部空間に貯蔵されて温度が高くなるのである。温度が高いということは、計測温度計にその物体から放射されるエネルギーが多いということであり、温度計に入射する熱エネルギーが多い準位で、温度計の出入りのエネルギーが平衡するのである。熱も電気も光もみんな同じエネルギーなのである。それは空間を占め、そこに独立した実在の空間エネルギー密度なのである。基本的に、熱とは光であれ電気であれ物に蓄えられたそのエネルギー量によって周辺空間に放射、伝導するエネルギー量が影響され、その量を計量する人の感覚や温度測定器の表示量として捉えるエネルギーの評価なのである。物のエネルギー量とその物の入射と放射のエネルギー平衡特性が比熱などの評価係数となっているのだろう。物の原子・分子の結合構造(勿論エネルギー還流のマグネット結合構造)でそれらの係数も決まると観て良かろう。

質量とエネルギー等価則

熱エネルギーとは 今常温でMo[kg]の鉄の塊がある。その鉄を加熱した。高温の鉄の塊からは熱と光が放射される。その熱い鉄の塊の重量を計ることを考えると仮定する。鉄の質量は計りに掛けると、加熱によって加えたエネルギー分だけ等価的に質量が増加する筈と考える。それが『質量・エネルギー等価則」の意味である。エネルギーは質量に等価である。しかしここまでエネルギーを実在物理量と捉える考え方は現代物理学の中に受け入れられるかどうかは分からない。高温の鉄の塊から熱放射・光放射が続く。その放射エネルギーは鉄の持つ熱エネルギーと等価な質量の一部をエネルギーとして放射するのである。『エネルギー』も質量と同じく物理的実在量なのである。と言っても、鉄の重量を計って、熱エネルギーに相当する質量・重量の増加した結果が観測など出来ることは無理であろう。熱エネルギーの増加分をほぼ光速度の2乗で除した分など計測に掛る筈はないだろうから。実験的に検証する科学的論証は無理であろう。それでも、原理的に熱エネルギーが質量と等価であるという意味は熱く加熱されたエネルギー分だけ質量が増加しているということである。同じ様に電気コイルに貯蔵される電磁エネルギーが有れば、そのコイル内に溜ったエネルギー分の質量換算量だけ質量が増加したコイルとなる。一般的な現代物理学理論で、エネルギーが質量とは無関係に実在するという認識がどの程度理解され、受け入れられるかははなはだ心許ない。化学理論でも同じく、原子構造で電子が外殻を周回運動しているとの捉え方をしている限りは受け入れ難い考え方であろうと思う。