タグ別アーカイブ: 電荷

無為自然

(2020/01/22)初めて知った。

「無為自然」老子の言葉らしい。紀元前4世紀の中国春秋戦国時代の哲学者と言う。

墨字に描いた。孔子の儒教に対照的な思想に思える。老子の思想は基本的に自由を根本に据えている。其れは禪の思想の原型をなしているように思う。

無為自然の意味は?

中国の歴史で、当時すでに文字が完成していたのだろう。何という高度文明を築いていたのか。文字が無ければ思想の形成は困難ではなかろうかと思う。インド哲学と中国思想の間の関係はとても複雑に融合していたのだろうとは思う。この言葉の意味を検索しても納得する解釈が観えない。自然への敬虔な思いを抱いて日々生活していたことを考えれば、自ずと自然の不思議と美しさ、その多様性更に恐怖が人の思いも及ばない偉大な神のごとくに思われただろうと感じる。ただ自然を前にして、何も余計な解釈を加えず、ただその心を受け止める事こそ大事だと唱えていると考える。現代的に言えば、高度な学説に捉われず、静かに自然に向き合い、己のこころと感じ合うことによって、そこに本当の姿が観えてくるという意味と解釈する。具体例を挙げる。日本雨蛙に関して、決してそれは水の中の「オタマジャクシ」ではない。また『電荷』などは世界に存在しない。

雅号『空道』について 昭和62年(1987/02)『空則無限なる有なり』と『空』の文字の意味を解釈した。自然界の実相は見える『色』と見えない『空』との間の認識ではないか。真空はすべてが生まれる究極の場である。『空』こそその可能性を無限に持っていると考えた。昭和から平成への変わり目(1989)で、老子の「道」を意識した。「色即是空」と「道」から採った。

帆掛船(2019年報告)

新しい子年を迎えて、今年が平和で、幸せな1年であったと次の年に渡れることを願います(2020/01/09)。

昨年も多くの自己問答を繰り返して、科学論の基礎概念として最後に残るものが『エネルギー』であるとの確信をさらに強くした。新たな不思議の発見のためにも、己を見つめるためにも昨年の記事をまとめておかなければならない。記事の標題の前に投稿の(月 /日 )を付けた。(2020/01/06) エネルギー像(物理学基礎論)と(2019/12/02) 燃料はエネルギーに非ず が参考になるかも知れません。

1.物理学的・化学的エネルギー

(1/5) 独楽の心 (2/7) 熱の物理 (4/22) 物理学理論と磁束 (4/29)  mc^2^から物理学を問う (5/21) 力の概念と電気物理 (6/14) エネルギーとは何か (6/29) エネルギー変換物語(炭火とエジソン電球) (9/14) 空間定数とエネルギー伝播現象 (11/13) 電池(エネルギー)の不思議 (11/17) 電気抵抗と物理特性 (11/19) 電池と電圧(エネルギーの基礎研究) (11/19) 電池と電圧(エネルギーの実験) (11/25) イオン化傾向とは? (12/20) 水の電気分解

2.電子・電荷とエネルギー

(5/26) 不可解な電荷 (6/6) 電子は流れず (7/6) 電子とエネルギーと質量 (7/28) 科学論と電荷 (10/23) 電荷と電圧の哲学 (11/20) サヨウナラ『電荷』 (11/27) 電荷方程式

3.光とエネルギー

(5/3) 光量子空間像(D線) (5/8) 光速度一定とは (11/2) 光と空間 (11/11) 軸性光量子像

4.電気回路とエネルギー

(3/3) 電気磁気学の要-Axial Energy Flow-  (3/17) 電気物理(コイル電圧) (3/21) 電気抵抗体の物理 (3/26) 電気物理(電圧時間積分とエネルギー) (4/3) 誘導エネルギーに観る技術と物理 (4/12) 変圧器の技術と物理 (7/16) 「高電圧」のエネルギー像 (8/11) 電圧・電流とエネルギーと時空 (8/23) 光エネルギーと速度と時空 (8/29) 分布定数回路と実験 (9/16) 電力p[J/s]の意味と解析法(1)意味 (10/1) これが電気回路の実相だ  (10/2) 電気回路のエネルギー問答 (10/6) 特性インピーダンスとエネルギー伝送特性 (10/31) 大学と基礎教育

5.電気工学と技術

(4/14) 励磁電流とは? (5/29) リサジュ―図形と技術 (9/22) 電流1[A]の物理的空間(インダクタンス算定式) (9/26) 静電容量算定式と理論 (10/14) 分布定数回路空間の世界

6.詩と科学と社会と文化

(4/19) 月に立つは夢か (5/18) 自然と科学理論の架け橋はいずこに (6/25) 津波前の急激な引き波―専門家に問う― (7/20) (8/2) 不思議とは (9/5) 『エネルギー』それが世界の根源 (9/7) 電流1[A]の論理性-考える理科教育への科学者の社会的責任- (10/28) Find more information here (11/24) 共謀罪は法の押しつけ (12/2) 燃料はエネルギーに非ず (12/25) 質量とMassの間に 

7.自然・日本の風景

(1/16) 地学ガイド 新潟の自然に感応して (4/25) 2019年の春 (5/10) 初夏の花 (6/21) ダンゴ虫が何を? (7/4) 雨粒と波紋 (7/6) 生きる雨蛙 (8/3) 深山クワガタ (10/20) 桔梗 季節に戻る (11/15) 秋の色

エネルギー像(物理学基礎論)

自然世界の認識には(2019/12/01)、唱えることを具体的空間像で描写することが大切である。存在するものは空間を占有する形状を持つ筈だから。見えるとは限らなくても、実在するとは空間にしか存在し得ないから。数式の中に存在することはできないから。抽象的な数理式で表現する以前に日常用語で一般市民が納得できる論説が必要である。日常用語が専門的科学論を展開するに不足する程貧相であるはずがなく、十分な能力を持っている筈だから。例えば『電荷』とはどの様なものかを日常用語で説明できなければ、それは実在しない虚概念と見做してよい。空間に存在していながら、目で見る事のできないものの代表が『エネルギー』である。光は存在していることは理解できるが、その『エネルギー』を見る事は決してできない。この記事は年末の12月20日のまま年を越してしまったので最初の公開になる。

不図気になった。『エネルギー』の日本語の訳語が何故ないか?
ほとんどの科学的専門用語には日本語の対訳語が有る。日本が明治維新に外国の科学技術の目覚ましい発展を知り、その導入に欠かせない科学技術用語の翻訳で、名訳の専門用語の体形が確立したのだろう。運動エネルギー、位置エネルギーと言うが、何故その『エネルギー』だけ日本語の訳語がないか。『エネルギー』だけは日本語訳が無い。その訳は何だろうか。先進諸国の科学技術用語の中に、『エネルギー』だけ確立した概念が無かったからではなかろうか。目に見える物体が持つものと言う認識が基本になっているからではなかろうか。敢えて『エネルギー』の日本語訳語を求めれば、『素原』としたい。最も小さな原子が水素である。その水素も『エネルギー』から成り立っている。だから『素原』がお似合いかと思う。

誰もが目にする水の波が有る。水の波と言うが、その水の波は何が原因で発生すると考えるのか?水の波を見れば、同心円で拡がって行くのが分かる。どうも物理学などの科学論は自然現象を観測し、あるいは実験で確認するが、何故そのような現象が起きるかに疑問を抱かないまま、その現象の存在を記憶する暗記の学習に終始しているように思える。水を波立たせる原因が水中に掛かる水圧の『エネルギー』であると言う、『エネルギー』の本質の認識が無いからであろう。水の水中を伝播する、ボイルの法則の体積と水圧の積pV[J]の『エネルギー』の縦波が原因なのだ。電気回路のコイルの『エネルギー』が導線で囲まれたコイルの中の空間に存在することをどの程度認識しているかが心配でもある。その『エネルギー』は目には見えない物理的実在量である。『エネルギー』の空間像が認識されていないところに、大きな問題が有るのだ。だから「津波」の物理現象も分からないのだ。光の『エネルギー』とはどの様なものと理解しているのだろうか。光の『エネルギー』は振動などしていない。空間の『エネルギー』の密度分布波が光速度で伝播する現象が光なのである。その『エネルギー』を観測する方法が無い。だから目で見ることはできない。光によって世界を見ることはできても、その光の『エネルギー』を観測することはできない。

世界・生命は『エネルギー』の賜物である。世界の存在を認識するのは光エネルギーに依っている。人が生きて行けるのも細胞の活動を支える熱エネルギー(体温)に依っている。体温も体温中枢機能によると言われるが、その熱エネルギーは細胞の分解によって保有エネルギーの差が放出されることに依っている筈だ。決して脳が支配する程複雑ではないと思う。細胞自身が周辺環境を整える自律的機能を持っているからであろう。常にエネルギーを放射する必要があり、それが体温を保つ仕組みになっている筈だ。そんな素人の感覚的捉え方も、体温の熱エネルギーの解説が専門的に示されていないから考える自己流の認識でしかない。体温と身体活動エネルギー「理科基礎(仮称)」を想定して (2016/04/08) を読み返して思った。やはりアデノシン三リン酸では全く意味が理解できない生物学的理解力欠如の脳にお手上げで考えた。その原因をやはり理論物理学の『エネルギー』の認識が曖昧であるからと考えざるを得ない現在である。

水の電気分解と燃料電池

とても不思議な科学的現象である。普通の生活環境では起きない現象と理解する。直流電源によって水の中に電極で電圧を掛ければ、水分子の酸素と水素が分離してそれぞれの気体に分かれる。一方水素ガスを酸素と反応させれば、水分子に化合反応して電気エネルギーを作り出す燃料電池となる。化学反応式では、

O2 + 2H2 = 2H2O + E (電気エネルギー)     :燃料発電電池

2H2O + E (電気エネルギー) = O2 + 2H2 :水の電気分解

と燃料電池と電気分解は電気エネルギーを介して水素と酸素および水の間の化学反応現象の逆の関係になっている。ただし、一般の教科書の化学反応式では電気エネルギー E[J] という解説には成っていない。すべて電子の『電荷』が現象を司っているとなっている。それも不思議な科学理論である。決して『電子』では『エネルギー』の関りを説明できないにも拘らず、すべて『電子』で完璧であるが如くの解釈に終わっている。燃料電池でも何故『電子』が通過すると『エネルギー』を負荷に供給できると考えるのか。『電子』が電気エネルギーを背負い籠にでも入れて負荷に届ける役目を担うとでも考えるのだろうか。『電子』は『エネルギー』を運べるのか?このような最も基本的な科学論の根本で論理性のない矛盾を抱え込んでいることを放置して居て良いのだろうか。物理学理論に『エネルギー』の認識が欠如していることが全ての科学論の混乱の基になっているのだ。理学の生物学については全くの素人でしかないが、少なくとも電気回路の物理的な現象については少しは分かっているつもりだ。『電子』はその矛盾のために、論理的な科学論に堪えない概念であると思う。『電子』を論題にするには『エネルギー』との関係で解説できなければならないのではないか。水の電気分解については、前の記事水の電気分解 (2019/12/20) にファラディーの「ロウソクの科学」を読んで考えたことを述べた。過去にも水と水素とエネルギー流の図で水の妖精七変化(エネルギー) (2017/11/02) に記してあった。

 

水の電気分解

はじめに(2019/11/19)

有名な本「ロウソクの科学」を読んだ(まだ最初の何章かであるが)。なかなか理解するのに基礎知識がなく、困難である。年代は1860年ごろの出版書である。現代科学論と比べれば相当昔の話の内容である。しかし乍ら、有名なファラディーの公開実験講座の講演記録で、とても内容は高度なものに思える。実験器具や化学薬品など基礎的なものでありながら、深い内容として筆者には有意義な著書になる。その中に水の電気分解の実験記事がある。J.J.トムソンの陰極線より前の話である。『電子』概念がない頃の実験である。それでも直流電源は立派に働いていた。その本を読んで、水の電気分解がよく理解できない筆者自身を自覚させて頂いた意味でも貴重な内容の本である。電気分解は化学の話になるかと思うが、電気との関係で『電子』の意味を考える話としてとても重要な物理的内容を含んでいると思う。今取り上げている、電池とイオン化傾向そして『エネルギー』との関係の物理現象が物理学基礎理論として大変意味が有ると考える。そんな筆者の理解できない内容を自己問答として取り上げてみる。その取り上げる内容が科学知識としては本当に基礎的な知識であるから、専門家がどのように評価されるかにも関心がある。読者にも参考になろうから、ご指導をコメント頂ければ有り難い。理科教育の科学常識に関わる意味であり、特に『電子』概念の論理性の問題でもある。なお時代として「ロウソクの科学」ではまだ電子論は採られていない。

水の電気分解

現象と意味。 水の電気分解の現象を考えると、とても難しいことに思える。幾つかの場合に分けて、分からない意味をハッキリさせてみたい。自分の分からない事を明らかにするには、その分からないという意味の内容を明確に認識し、自覚することが先ず大事である。そこから研究の第一歩が始まり、より深い理解に辿り着く可能性が見えてくるかもしれない。と考える。

水とは何か?

検索すれば簡単に解説がされているが、筆者にはとても理解できない事ばかりである。水の分子一つを取り上げても、何故酸素と水素が結合して命の水に形態変化をするのか。朝露を観れば、踏み付ける草の命に愛おしさを覚える。目立たない草が水を作っているように見えるから。コンクリートの中に居ては決して見えない世界であるかも知れない。天然の精水 (2012/06/14) 。化学結合論として H2O を学習しても、何故そのように結合するかの原理は原子物理学の解明するべき内容である。自然界に存在しない電子で結合論を論じても、一般の市民が真に納得するだけの解説にならないだろうと思う(?)。クーロンの法則を電荷論の基礎に据えながら、負の電荷同士の電子が手を繋ぎあう共有結合等と言う結合力を認める合理的解釈が生まれる訳などどこにもない。そんな基本的矛盾を抱えたまま、科学コミュニケーションなど採れる訳がないと思うが如何でしょうか。

実験回路

回路①。 基本的な実験回路は①の場合である。まず図の直流電源の電池をエネルギー源としてみた時、エネルギーは電池の負極から電線近傍を伝播して、負荷対象に届く。この場合の負荷対象は水で、 H2O という分子の集合空間である。今の教科書の解釈は電子で説明されている。筆者は、その『電子』が実在するなどとは考えられない。「ロウソクの科学」でも未だ電子での解釈はない。電気のプラスとマイナスという説明もなされてはいないで、電気の力という言い方である。水に電圧を掛けると、酸素と水素に電気分解されるという実験的事実である。その実験的水の電気分解はさて、この①の場合で、筆者はここでも電池から『エネルギー』E[J]が水分子一つ H2O に供給されると解釈する。その時水の空間が負荷インピーダンスとなる。水分子に『エネルギー』がどのように印加されるかという問答になる。水中に?マークを印した。しかし、その水の空間にどのように電圧が印加されると考えればよいか良く分からない。分子式で書き表せば、次のようになろう。電源からの供給エネルギーをE[J]とする。なお、水の電気分解と水素燃料電池は丁度逆の化学反応になっている。ついでに、燃料電池の場合も併せて示す。

電気分解    H2O + E[J](電気エネルギー) =(1/2) O2 + H2

燃料電池   (1/2)O2 + H2 = H2O + E[J](発電エネルギー)

電気分解は水(実際は純水ではなく、不純物が含まれている)に電気エネルギーを供給して、金属電極と水分子の間に掛かる電圧(エネルギーギャップ)に因って分子分解をすると考えたい。電子、電荷を物理量から排除すれば、残るはエネルギーによって解釈する以外ない。その『エネルギー』と言う概念が物理学理論で明確に捉えられていないと、残念ながら考えざるを得ない。それは『電荷』や『電子』が水の電気分解はじめ、電気現象の基本的論拠となっているのが現実であるから。『電子』での解釈は原子構造論からの『イオン』と『電子』の関係で如何にも分かり易いように思えて、科学常識として受け入れられてきたものであろうが、そこには『エネルギー』の意識が抜けた、大きな矛盾を抱えたものとなっている。電源からの供給エネルギーと言う解釈が無い。『電子』では『エネルギー』の役割を担えない。そこに物理学理論の基本的欠陥が隠されている。

針状電極

『電荷』を否定すれば、イオンと言う解釈が採れない。しかし電極には確かにプラス、マイナスという違いがある。(プラス、マイナス)という表現自体が『電荷』を否定したら使えないのであるが、エネルギー供給側(マイナス側)とその対称極側(プラス)などと区別しても、もっと分かり難くなるから,やむなくプラス、マイナスで表現する。さてそのプラス側とマイナス側の電極と水の接触点で、どの様な電気的ストレスが発生するのか?一つ電極が針状の尖ったものの場合を考えてみたい。電極が尖った場合は、空気中では明らかに火花、グローコロナの形状が異なる。負極側では勢いよくコロナビームが放射するように発生するが、プラス極側では先端に固まった小さなコロナとなる違いがある。それは水の中でもおそらく同じ傾向の現象に成ると考えて良かろう。電極が針状の場合は分解効率が良くなるのではないかと考えたい。

印加電圧の極性が両電極で異なる。水と電極金属の間の極性(エネルギーギャップの電圧極性)が逆になる。電源のエネルギー供給は負極側からなされる。負電極と水の間のエネルギーギャップは電極金属側がエネルギー密度の高い状態を呈する。それに対して、陽極側の電極と水の間のエネルギーギャップは水が高エネルギー密度分布となると考えられる。陽極電極にはエネルギーはない。

プラスとマイナスの電極間にエネルギーギャップが掛かる。水分子と電極金属面間に大きな電圧(エネルギーギャップ)が分担されて印加される。学術的解釈論は水分子のイオン化が基本になっている。『電荷』が存在しないから、残念ながらイオン化論以外の解釈で理解したい。解釈の基準に、エネルギーと結合 (2018/10/10) および水の妖精七変化 (2017/11/02) さらに結合エネルギー:不思議の砦 (2018/12/02) を参照したい。水素分子と酸素分子が2対1の体積比に水が分離される。この実験的事実は科学論の基本として、紛れもなく自然の本質を表している。この科学的常識が『電荷』に因る、あるいは『電子』に因るイオンの解釈になると途端に論理性が欠落してしまう。

回路②。

①の集気は酸素と水素が別々の試験官に採取される。だから酸素と水素が別々にプラス電極とマイナス電極で分解分離されると分かる。「ロウソクの科学」でも、この②のように一つの試験管内にプラスとマイナスの電極によって、酸素と水素を電気分解しながら混合気体として採集している。その混合気体がやはり酸素と水素から成り立っていることを実験的に証明して見せているところが素晴らしいと感じた。その混合気体を燃焼させれば元の水になることを実験で示している。ファラディーのその実験では「電荷」も『電子』も説明には出ていない。ファラディーは“電気の力”や“エネルギー”と言う用語で解説している。そこには違和感はない。ー強力なヴォルタの電池、その二つの電極ーなどと表現しているが。20世紀初頭からの数理的理論偏重の構築された物理学によって、生活科学からの乖離が始まったのが原因ではないかと危惧する。そこに分かり難い曖昧さが忍び込んできた。

回路③。

この回路は①の回路の水(?)の部分を分離したらどうなるかと不図疑問に思ったものである。実験してみないと分からない。回路①の水(?)で繋がった部分の、所謂イオン(?)の移動ができない場合に水が電気分解されるだろうかと試したくなった。この回路はただそれだけの意味を示した。

水素爆発現象が有る。福島原子力発電所崩壊での実際の様子にもあった。大気圧の7倍の高圧破壊になるという。太陽の原理は水素の連続定常核融合現象と専門家は指摘している。水素核融合は水素がヘリウムに変換する現象で、その時エネルギーを放射する核融合反応と言う。ウラン原子の核分裂と逆の核反応現象であると。素人の感覚からすると、太陽の水素原子核融合反応が継続的にほぼ定常の水素原子消費で起きるという状況が信じられない理解力の無さを抱え込んでいる。クーロンの法則との関係で、原子共有結合原理の理解ができない悩みと同じく。「ロウソクの科学」で水素の燃焼実験を公開している。筆者は残念ながらそのような水素燃焼実験を見たことが無い。高圧水素ボンベでの燃料電池の発電方式は水の電気分解と丁度逆の化学反応だ。水とエネルギーの間の有り触れた不思議が考える一コマを運ぶ。

 

 

 

電荷方程式

電荷方程式とは何か?
初めて聞く言葉であろう。先日突然思いついた方程式であるから。『電荷』とは何か?と聞いても誰も答えられないと思う。その『電荷』の意味を方程式の中でどう解釈するかを問答とする。素粒子論の専門家がどのようにお答え頂くか御聞きしたいものだ。

電荷方程式  電荷 X,YおよびZ の間に次のような関係の電荷方程式が成り立つとする。
X[C]+Y[C]=Z[C]   (1)

[問] 次の場合についてお答えください。
(1)今、X= -3 , Y= +2 とする。 Zは幾らになりなすか。
(2)(1)の場合で、方程式には負の電荷 X と正の電荷 Y がある。正の電荷と負の電荷が統合されると、電荷はどうなるのですか。電荷保存則は成り立つのですか。

正数と負数 数学の方程式では負の数は当たり前の概念である。しかし自然世界に[負]の物は実在しない。[虚数]も存在しない。磁気だけは物理学でも+m[Wb],-m[Wb]などの[正][負]の磁気の物理量は存在するとは考えていない。自然世界で『電荷』だけが特別に[負]のものが存在することになっている。世界の認識で『電荷』以外に[負]の物があるでしょうか?『電荷量』を測定することができない。実験的に測定できなければ哲学になるかも知れない。サヨウナラ『電荷』に関係して。

電流 1[A] の論理性 -考える理科教育への科学者の社会的責任‐

花1匁の心の重さ。有るような無いような重さを計ってどうする心算かと自分に問うても詮無い乍ら、やっぱり問わずにいられない。自分が納得できない。電流1[A]の社会的意味もそれに近いかも知れない。現実は実用単位としてMKSAの[A]が世界を繋いでいる。科学理論もその1[A] によってすべてが組み立てられている。糠に釘を打つ様なことはしたくないが。

電流 1[A] の意味。1秒間に1クーロンの電荷が通過する。電線を流れる電流1アンペアの意味はそのように理解してきた。今各種電線路(三相回路、単相回路及び同軸ケーブル)の特性インピーダンスの算定法の論理を考察している。教科書では「電荷」と「電流」によって算定される。しかしその論理はエネルギーとの関係で整合性が取れていなければならない筈だ。電界、磁界あるいは電荷、磁束が決まればそれはエネルギーの空間分布に換算できるはずだ。その課題が解決できない矛盾に困惑している。そこにどうしても電流と電荷の物理的概念の論理性が壁になる。

1[A]の電流の電線の電荷分布は如何にあるか? 1[A] の電流が流れている電線には 1[m] 当たり何[C] の電荷が分布しているか?その問いに答えられないからと言って、他の人に責任を擦り付ける訳ではないが、電荷の流れる速度が決まらないと答えようがないのだ。信号やエネルギーは光速度で伝播するのに、電荷はおっちら、こっちらと超低速では論理のギャップが大きすぎて決まりが付かない。科学の論理性からも世界の科学者の社会的責任として、子供達に分かる説明がなければならない筈だ。

1[A] の電流によるインダクタンス算定とその時の電荷による静電容量算定及びそのエネルギー分布とが、その論理性でうまく合致できればと願いながら。

既に、電流は電子の逆流か?ということを電子とエネルギーと質量に述べてあった。そこに載せた図で、電線路に電子が満ちて

電流は電子の逆流か?流れるとすれば電圧は、負の電荷だけで線路電圧となる理屈が見えない。電荷論での、電流が電子流だとの解説は電圧の発生源の正の電荷をどう説明するのか。前の記事を振り返って改めて追記した。

『エネルギー』それが世界の根源

 

エネルギー

それは目の前の空間に実在する。

それは身の回りを囲んでいる。

しかし、決して見ることはできない。

現代科学技術でも捉えられない。

風もエネルギーの流れだ。光もエネルギーの流れだ。

しかし。そのエネルギーを人は決して観測できない。

原子もエネルギーによって構成されている。

しかしそのエネルギーを捉えることはできない。

電気もエネルギーの流れだ。

そのエネルギーを見ることもできない。

『電荷』否定の旅に出て、今思う。

見えない世界に深入りしたのか。

旅の終わりに観えるもの。

それは、見えないもの それが大事。                  (2019/09/05)

『静電界は磁界を伴う』を基点として、当てもない「電荷」否定の旅に出て、辿り着いた世界に観えるもの。それは物理量でありながら、物理量として観測できない。これぞジレンマと言うのか。

科学論と電荷

はじめに どうしても思考が初めに戻ってしまう。1985年から2年間初めて電気磁気学・電気理論の授業をすることになった。基に既にあった「磁束は電圧時間積分によって決まる」の認識が「アンペアの法則」の電流による磁束発生理論への疑念を抱えての出発であった。振り返れば、命を守る地獄の中で纏めた『静電界は磁界を伴う』の1987年4月2日電気学会全国大会での発表となった。その時の所属はいったいどこにあるのか、今でも理解できない(4月発表の数日後自宅に、既に去った筈の高専校長から職員会議への出席要請の手紙が届いた。さらに次の年1988年の1月中頃どこからか自宅に、長岡工業高等専門学校の健康保険証が送られてきた。その時は既に、電磁界の物理的概念と地磁気の解釈 春の昭和63年電気学会全国大会 32. p.35-36 の発表予定で投稿していた。しかも全く所属分野の意識もなく、全学共通ぐらいの気分でいたかも。など混乱と理解に苦しむ疑問のまま今日までそのままである)。『静電界は磁界を伴う』の発表内容は結局『電荷概念否定』になる。その原点となった考えの状況を纏めておきたい。なかなか科学論だけの話ではないところが誠に不可思議である。しかも今になれば、その当時の政治的意味合いも含んだ長岡技術科学大学の邪魔者排除対象者として選ばれ、政府・文部省の「中曽根臨時教育審議会」に関係していたことであることが分かる。さすがに常識に疎い無知の筆者にしてみれば、このような意味不明で回りから嘲られたような仕打ちが続いたことは。精神的にも限界を超えていた。みんな政治意識に無頓着だった筆者の無知と相談しようもない孤立無援の中にいたことに関係していることだ。1988年10月、電気学会電磁理論研究会での、「瞬時電磁界理論の実験的検証とその意義」EMT-88-145.(1988.10.) の発表を機に大学から離れた。この研究会資料は世界の科学常識を問う実験データの写真集でもある。

“ミズリー号甲板上での無条件降伏調印式(1945/09/02)  1945年9月1日(海軍解散最終日)に父は『任海軍上等兵曹 舞鶴鎮守府』辞令。9月2日の調印式のため、日本政府代表団はゴムボートにて艦船への往復をした。父はボートクルーの任務に就く。1939年12月1日家族は舞鶴鎮守府へ戸籍転籍された。戸籍上に帰還の痕跡がない。公務員資格は?筆者存在の可否が根源にあったか?”今戦後74年が経過しようとしている、戦争の悲劇の意識が薄れ、政治意識の希薄さが危険な道につながる選挙にも無関心な世相の日本にある。政治はその選挙への無関心に対して、政治意識の重要性を教育に反映する対策も故意に回避しているように思える。今も所属機関もなく、研究発表もできない事態にある身として、思えば戦後処理にすべてがつながっていると。

「電荷への疑念」 電流は電子の流れとの解釈が科学論の基にあった。電子は電荷と質量の合成素粒子と理解していた。しかしアンペアの法則では質量は無視され電荷のみで論理が成り立つ。電子という時の科学論では質量を意識していないように思う。電流概念は電荷の時間微分でアンペア[A]であろう。その電荷が空間で運動すると何故周りの空間に磁界が発生することになるのか。その疑問が電気磁気学の授業をするに連れ強くなっていった。1986年10月1日ある方に『電荷』は存在しないのでは?と疑問を投げたと記憶している。その方は実験で証明する必要があろう。と仰った。確かにその通りと納得して、すぐに実験に取り掛かった。今でも何故高電界中の磁界検出が『電荷否定』の検証になると考えたか、その意識のつながりを明確に覚えていない。何の躊躇もなく翌日から高電圧内の磁界を検出すればよいと取り掛かった。オリエンテーリング用のコンパスをロゴウスキー電極の中に置き直流電圧を高めていった。しかし見事に失敗であった。火花放電が起き、コンパスの表面が黒く焼けた。これで終わりかと自室(ある人の部屋の間借り)に閉じ籠り、歩き回った。閃いた!!油入りのコンパスは地磁気には反応するが、電界の空間エネルギー流には反応しないのだ。それは空間エネルギー流をホール素子で検出する意味と同じ無意味なことと。それからが電界の空間のエネルギー流の何かをとらえられないかと考えて、マグネットの吊り下げ検出器を作った。クーロン力という解釈の指摘を排除するために、等方性の円平マグネットを使った。10月30日ごろと記憶している。その日の長岡市は、朝から雷が鳴りひどく荒れた天候であった。その時思った。天の神が自然の秘密を暴くのを怒っているのだと。それだけきっと磁界が検出できると予感していた。試作マグネットを電極間に近づけて設定。徐々に電圧を上げた。平板マグネットの矢印の方向が変化した。静電界は電荷による電界の空間と電気磁気学では解釈されている。しかし、その空間に磁気コンパスを動かす力が存在するとすれば、その訳を説明しなければならない筈だ。そもそも『電荷』とは何か、その空間像を認識しているか。アンペアの法則及びその電流、その法則による磁界の発生。ビオ・サバールの法則、フレミングの法則などその根源的物理概念は『電荷』である。それほど万能な『電荷』とは何者か。『電荷』が動くとその周辺空間の物理的状況に何が起こるか?それが『電荷』の空間像を考えた起点である。『電荷』は磁気特性を含有するか?

「電荷像と磁気」 電荷への疑念を膨らませた図がある。

電子の磁界発生原理は? 何も特別のことを考えた訳でもない。電子が電荷の具体的代表例だから、それが運動すると静止の時とどのような変化が生じるか。ただそれだけである。電流が磁界を発生させる原因だと物理学で理論構築されている。電流の基は電子だという。それなら電子が静止しているか、運動しているかで回りにどのような物理現象の差が起きるかという疑問でしかない。何も数式など要らない。『電荷』という物理的概念を探るだけである。まず、電荷は空間にどこまでその物理的存在を主張するのか。理論的にはどこまでも無限に意味を持つような解釈にあるように思われる。電界が電荷の周りに在るなら、それは空間エネルギー(1/2)εE^2[J/m^3]が存在する意味である。そのエネルギーは電荷とは異なる物理的実体ととらえるのか。そこに物理学としての論理性があるのか。あるいは電荷内の空間で完結するのか。そんな如何にも学術的科学論あるいはその手法からかけ離れた思考である。巷の科学論とでもいえよう。専門的学術論からかけ離れた素人的疑問は誠に科学論としてはお粗末で、始末に負えないと顰蹙を買いそうだ。電子の寸法もわからないから、実際は空間像を想像することすら無理なのであるが。

結び 『電荷概念はエネルギー流の認識の妨げになっている。』

『電荷否定』の科学論が伝統的科学論の世界で通用する見込みもないと危惧しながらも、ただその実験結果がだだ事でない科学革命の萌芽を含んでいるとの確信になった。その確信が全ての危険な先行きを無視して突き進む情念になった。社会に対する怒りを生み、遣る瀬無い身を恨んだ。そこに情報・テレビなどの操りの罠に引き込まれても行った。飛行機と花火にも踊らされた。陰で操る闇の日本社会。その中でも、現在ようやく物理学理論として『電荷』の概念が曖昧のままでは済まない意識が生まれつつあるか?と考える。科学論の革命が迫っていると。昭和57年度からの工業高等学校の文部省改定を前にして、もう工業高等学校では研究の余地はなくなると喜んで長岡技術科学大学での生活を想定した。しかし、結局望まれない人材として厄介者となってしまった。今思う。研究しか能のない世間知らずが役立たずで誠に困ったものと。しかしお世話になった川上学長も技術に対して理学への不信を抱いていたのではないかと思う。技術から、物理学理論の矛盾点にメスを入れ自然科学としての未来への進むべき道が見えてきたと筆者は思うようになった。『静電界は磁界を伴う』には相当御心配されたとも思う。また、今でも斎藤 進六 学長の創造性の「創」という文字は大きな傷を伴うという意味だとのお話が印象深く気持ちの上で拠り所となってきた。電気系の皆さんにもお世話になっただけで役に立てなかった。新潟県教育委員会が筆者を正式採用をしていなかった事務手続きはについては、今でも行政機関としての意味を理解できない。そこから「割愛」などできないと思う。

戦後処理問題:舞鶴鎮守府の軍籍問題を知ったのは平成7年頃であった。

電子とエネルギーと質量

『エネルギー』を窮めよう。エネルギーと繋がりのない世界は無いから。全宇宙、この世界で『エネルギー』の構成要素となる素粒子は決して存在しないから。

mc^2^から物理学を問う (2019/04/25) で述べたかった質量の意味。独楽の心 (2019/01/05) や熱の物理 (2019/02/07) にも繋がる。

時代はエレクトロニクス全盛期。
電子(Electron)と光子(Photon)が科学理論の根幹を担っている。物質の元素は原子である。原子理論は電子あっての基に成り立つ。そんな時代のど真ん中で、独り妄想にふける。端無くも電流は流れず (2010/12/25) にはじまる多くの顰蹙の種なるお騒がせを招き申し訳なく思いつつも已む無き事情に流されながらここまで遣って参りました。古くを辿って、再び電池の回路(電池のエネルギー)に戻る。電池は何を貯めているのかと不図の病が頭を支配する。電池の重さの意味に耐えきれず、その質量を計らんと無理を承知で心の感性に乗せて観んと思い付く。不図の病、それは電池からエネルギーが負荷ランプに供給され、エネルギーが光と熱に変換されて消費される。電池は少しも熱くはないが、電池の何が負荷で熱に変わるのか。ここの『エネルギー』と言う意味・物理量が現代物理学理論で捉えられ、説明されているのか。それは決して高等数学の式では説明できない自然の易しさの中に隠されている真理と言うもので御座いましょう。電池の中味がどのような化学物質ででき、構成されているかは分からなくても、自然の心を捉えるには特別難しいものではない筈なんだ。『エネルギー』が何たるものであるかを感じ取れれば宜しいのだ。それは電池の中に確実に溜って実在しているものなんだ。重量が計れなくても、化学物質の質量増加分として蓄えられているものなんだ。『質量』とは何かとまた顰蹙(ヒンシュク)の《問答》にもなる話だから、誠に御迷惑かも知れない。化学物質を顕微鏡で覗いても見えるものでも、質量増分を計れるものでもないから科学論証も出来ない話であるので、ご迷惑か混乱の基となるかも知れないが。筆者は原子質量が『エネルギー』の局所集合体としての、電子も陽子も無視した「Axial energy flow」結合構造と看做す物としての科学常識離れの認識に在る。マグネット近傍空間のEnergy flow は全く熱に関わりのない『エネルギー』であることも心に乗せて。それが電池の『エネルギー』と『質量』の等価性の原理の基である。E=mc^2^[J] の物理的意味である。ここから電池が電子を導線の中に流し出して、回路を還流したら、どのように電池に蓄えた『エネルギー』を負荷ランプに供給することになるかの《問答》が始るのだ。特別数式など無くても日常用語で説明できる筈だ。それが『電子』の意味を問うことになろう。

電子の実相を尋ねて。
最近の電子論、エネルギーから電子殻を問う (2018/05/21) や電池における電子の役割を問う (2018/05/24) で論じてきた。電気回路の問題では、必ず電流が含まれる。その電流概念で、正の電荷が流れるとは言えない為、電子が電流の流れと逆向きに流れていると解説される。この解説が検索情報の標準的なものとなっている。誰もその解説に疑念を表明することも無い。だからそれは世間の科学常識として子供達に教えられることになる。多分学習塾でも同じ説明がなされているのだろう。ここで再び、電流は電子の逆流か?と言う事を考えて置きたい。考えるにはその電子の逆流と言う回路状況を具体的に図に表現して見るのが良い。まず電子が電線路にどのように分布している状況かを示さなければならない。大事なことは、解説する人が先ず自分がどのように考えているかを空間的に図に表現することが必要だ。筆者もその意味で、皆さんが電子の逆流だと解釈する意味を、電気回路の電線に書き表してみた。電子が電流の方向と逆向きと言うことは、電線路全体に均一に分布していることと考えてよかろう。その分布電子が同一の速度で均等分布の流れとなっていると考える。それが図のようになる。この図の表現内容が間違っていると言うなら、それの間違いを指摘して欲しい。どのような電子の密度で分布するか。それは電子の速度が何によって決まるかにも因る訳で、その訳が明確に示されなければ分布も決まらないと思う。 『電子電荷』の速度を決める力学原理は何だっけ?電気回路の現象も特別難しい訳ではない筈なのである。解説する原理や論理性が明確であれば、それは日常用語で十分説明できる筈なのである。クーロンの法則に従うのか従わないのかを解説者自身が立ち位置を明確にして述べれば分かる筈である。上の図を見て、教科書を執筆されている専門の方々が、怪しいと思うか思わないか。そこに抱く意識に問題の解決の糸口が有る筈だ。ネット上の解説が正しいか間違っているかを。まず電子が電線路導体を流れると言うことは、図のように『負』の電荷だけの分布で良いのか?『正』の電荷の分布は無いのか?電池とは電子の回路循環機能だけなのか。電池の『エネルギー』はどのように負荷に供給されるのか?解説の中には、電子が移動すると、逆に電子の抜けた殻の穴が『正』の電荷の意味を担って、電流の方向に流れると考えれば良い。等の解説をする方も居られる。その方も自分の思う電気回路図を描いて、その全体の図で御説明されればよいと思う。兎に角、上の図では電気回路は『負』の電子だけで『正』の電荷の出る幕がないことになる。今までの説明には数式は使わないできた。どこか数式がないと説明にならない処が有っただろうか。科学の心を伝えるには数式など無くても良いのだ。政府の津波対策の防災情報で、海岸線の津波波形の図が余りにも滑稽過ぎて、誰があんな波を津波と考えるかも水の心が理解できていない科学論が招く怪しさなんだ。科学とは自然の心を心で受け止めて、心で伝えることだろう。解説者が自分の心に偽りのない意味を伝えてこそ科学論になる筈だ。偽善科学はやめましょう。

 

力の概念と電気物理

視点一つが世界を変える。

不図疑問が湧く。今までの認識に疑問が種となって、新たな世界が驚きの中に膨らむ。今回は『力』である。電気と言う目に見えない現象故に、その世界描写は数学的な表記によってとても抽象的に描かれる。多くの法則によって体系化された学術理論の世界である。科学理論の世界は長い歴史の重みを背負って、何百年の時に亘って専門家の追究の試練に曝されて生き残って来た学術理論である。その根幹を成している概念は『電荷』である。それはクーロンの法則と言う偉大な科学技術論を論ずる基幹法則として誰もが一度は聞いたことのある法則であろう。『電荷』間に働く『力』の意味を解釈する法則である。科学理論は社会的に認知された、学術機関の専門家が推奨する権威ある理論で、広く学校教育での標準教科書として取り上げられたものである。そんな理論の根幹の「電荷」を否定することは、社会的大きな混乱を引き起こすかもしれない畏れ多さを抱える事でもある。自分一人の科学技術感覚からの『電荷』否定の挑戦であった。クーロンの法則を斬る (2013/01/06) の記事から6年が過ぎた。今回その法則に関して、力学理論の『力』の概念から改めて『電荷』否定の論証視点が浮かび上がった。気付けば当たり前のことと思う様な『電荷』に潜む矛盾点である。

力学論の力の概念

運動力学の『力』とはどのようなものか。そんな疑問を抱くことに意味があるのかと思うかも知れない。力が働くという意味で感覚的に感じるのは力を掛ける対象に、力に逆らう反作用のような抵抗がそこにはある。それが慣性体としての質量の意味だと思う。運動力学で力が掛ると、その対象は力によって加速度運動に成る。もし力の対象が質量体で無かったなら、その対象はどのような運動に成るのだろうか。図の力の概念に示したように、質量M[kg]が力に逆らって速度の変化を受けないような作用があるから力を掛ける側に、対象に作用するという意味が生じるのだ。もし対象に質量がなかったら、加速度と言う概念は存在しない。加速度の存在しない『力』の概念は力にはなり得ない。

電荷と力

図1.電荷と電界と力

さて、電気物理学では『電荷』がすべての電気現象の理論的論拠となっている。電場に『電荷』が有れば、その『電荷』はその点の電界強度によって『力』を受けると成っている。(1)式のように、空間にある電荷集合体+Q[C]が有れば、その周りの空間は立体空間全体に電界強度E[V/m]で定義付けられると成っている。その空間に、他の『電荷』が存在するとその電界Eによって力を受ける。電荷が-q[C]とすれば、(2)、(3)式の力を『電荷』が受けると言う。(3)式が有名なクーロンの法則の式である。なお (r/r)は座標ベクトルrの方向を示す単位ベクトルの意味である。(2019/12/29)追記。以下の「・・」内の部分は間違いである。荷電粒子が電磁場で力を受けて運動云々の意味は電荷と電界の間で起きる筈がない。粒子加速実験では電界で加速などしていない。電磁石の磁場での加速と言う実験である。正と負の『電荷』による電界など作れない。『電荷』量の確定ができない筈だから。「荷電粒子が電磁場で力を受けて運動する現象は実際にあるから、確かに間違いとは言えない。」しかし、上に示したように、『力』の概念で述べたことも間違いではない。質量がなければ、『力』は掛からない。『電荷』に慣性は無いから、それは『力』の対象にはならない筈だ。もし力が掛れば慣性のない『電荷』は直ちに無限速度で飛んで消えて、運動論の対象にはならない。前にも、荷電粒子加速と電磁力 (2015/01/31)で問題にした。今回不図した思い付きで、『力』の概念について気付いたことが質量の慣性と言う意味であった。クーロンの法則を斬る (2013/01/06)で『電荷』とその上の(3)式の否定を論じた。今回はっきりと納得できたのが質量の慣性と言うものによって初めて『力』が意味を持つという事であった。それなら実際に電磁場と言う空間での荷電粒子加速現象はどのような意味なのかという自然世界の認識の課題である。実際の電磁場での粒子加速運動論には必ず質量を必要とするから、電子にも陽電子にもすべての粒子には必ず質量が付帯している。そこで一応運動力学論としての辻褄が合わせられている訳である。しかし電気回路の電流論に成ると、電流の単位アンペア[A]=[C/s]には決して質量は必要ないから、『電荷』だけで論じられることになる。この『電荷』と『力』の問題は、世界で実施されている荷電粒子加速実験の理論的根拠の問題でもあろうかと考える。

電荷と電磁場

もう一度電荷とその電界の意味を取上げて考えて置きたい。『電荷』の意味を考える時、とても不思議に思うことがある。或るプラスの正電荷の集合体が空間にあると設定されて解説される。クーロンの法則に直接関係する電磁場の論考に於いて、どのような原理で同一の符号の『電荷』が集合し得ると考えるのか。同一符号の『電荷』は離隔距離の2乗に反比例して強力に接近は拒否される筈である。子供達に教える教育の場で、クーロンの法則が取上げられて、説明される時には同一『電荷』の集合は排除されると教える筈である。しかし、図2.のようにいとも簡単に『電荷』の集合体で理論の解説が成される。これも科学論の不思議と言わなければならない。その時の集合電荷の離隔距離はおそらくゼロの意識で論理展開しているのだろう。ゼロの2乗分の1は無限大の排斥力となる。この事は教育者側の科学論の論理性の問題としても無視できない矛盾論の筈であろう。それはさて置き、問題は電荷周りの電磁場の意味である。図2.電荷とエネルギー のように空間の誘電率がεo[F/m]とすると、その空間のエネルギーをどのように理論的に解釈しているかという問題である。係数が(1/2)の問題はさて置くとして、一応wr=(1/2)εE^2^ [J/㎥]のような電界のエネルギーが空間にあると解釈する筈である。『電荷』からの空間距離rの関数として、『電荷』周りにはエネルギーが分布していると解釈してよかろう。しかし、物理学理論で空間の解釈をする時はこのようにエネルギーを認識している筈であるが、荷電粒子加速などの場合には、この空間エネルギーをどのように解釈しているのかはハッキリしていないようだ。このエネルギーの問題は理論物理学における『電荷』の概念の捉え方に関わる問題であるから。と言うのは、このエネルギーが空間に存在していると解釈するかどうかが最初に問わなければならない問題なのである。そのエネルギーは電界がある限り、空間の無限遠までも希薄になっても存在することになるからである。空間に存在すると解釈するなら、そのエネルギーを理論物理学ではどんな物理量と考えるのか。即ち『電荷』の一部なのか、『電荷』と無関係のエネルギーなのかと言うことを問う問答なのである。この解釈・考え方は至極幼稚な素人的素朴な疑問なのである。しかしこのような考え方が、理科教育・自然科学論に求められて居る易しさの科学論の姿勢であると考える。高度な数学的理論展開では、市民が理解し、納得する自然科学論にはならないから。本当の自然科学論は日常用語で解説できなければそれは正しいとは言えないのだ。何故このように『電荷』とその周辺空間のエネルギーの問題を論じるかは、高度な理論を展開されている専門の方々こそお分かりの筈であるから。ついでにもう一つ図2-1.電荷と力とエネルギーとして、単位電荷が空間に分布していたとする。この場合は、『電荷』間には複雑な力が掛ることに成り、その空間のエネルギー分布も正と負の電荷によって、種類の違うエネルギーが存在すると解釈するべきなのかなど理論的に決まりの付け難い問題が残るようだ。本来エネルギーには『正』と『負』は無く、ただ『エネルギー』が存在するかどうかの問題であるから。そういう意味で、物理学理論の易しい解釈を求めての論考である。易しい理論的解説は難しい数学や数式は必要がない筈だ。『電荷』が『エネルギー』を持っているか、いないかを答える事ぐらい難しい事ではなかろう。結局『電荷』とは何かを問うことである。電気磁気学、電気回路論あるいは電気工学のそれぞれの解釈の場で、『電荷』が如何なる実在量かの描像を示す事が求められていることと思う。それは次の謎解きの話になろう。

理論と電磁現象の間の謎解き

波形観測に欠かせない電気製品にオッシロスコープがある。電子銃からの電子ビームを平板電極間に通すと、その電極の電圧信号に従って、電子ビームの方向を制御できる。蛍光面にその制御されたビームの軌跡が波形を描く。その原理が電子電荷の空間電界による制御と解釈される。これが科学技術の電磁現象解釈原理となる。技術としてはその原理を理解することが必要であり、それだけで十分立派な電気技術者の仲間に入れる。教育もその意味で技術理論の習得への期待が国家の教育方針とされてきた。それはそれで良かった。『電荷』と言う概念を考え出して作り上げた意味はその為に有効であった。ところが、その科学技術用の理論を深く突き詰めると、とても曖昧で、論理性に絶えない矛盾が潜んでいることに気付く筈だ。科学技術教育ならそれでも良かった。しかし、自然現象を説き明かす物理学理論となれば、その矛盾を抱えて頬被(ホウカブリ)したままやり過ごす事はできない筈だ。ではそれはどんな矛盾で、何故理論が論理的で無いと言うかを説明しなければならないかも知れない。聡明な皆さんは既にお分かりの筈であろうが。その曖昧さを取り除くには、『電荷』が理論に絶えない概念であることを理解しなければならない。 f=q[v×B]+qE [N] の式で解釈するローレンツ力の力が掛る対象は電荷q[C]である。その式は質量が無い式だ。荷電粒子にこっそり質量が有ると条件付けられてはいるが、それは運動論を展開するには質量がなければ無理だからである。しかしあくまでも力の掛る対象は原理の式には『電荷』しかない。『電荷』には慣性がないから力が掛る対象にはなり得ないのである。しかし現実は、この式で解釈する通りの荷電粒子と認識する『電荷』のビームが制御される。この論理的不都合を解決する解釈法が一つあるのだ。それが『軸性エネルギー流』だ。電磁場空間内の空間電磁エネルギーの分布を理解する道である。『静電界は磁界を伴う』と言う奇妙な表現内容に鍵がある。電界と言う電場空間は、むしろ磁場空間なのである。磁場空間は磁束がある訳ではなく、軸性エネルギー流の場である。言ってみれば、『電子』も軸性エネルギー流子なのである。エネルギー流空間に電子と言う軸性エネルギー流子が通過すれば、エネルギー流同士の間の近接作用力が働くことになる。過去に載せた関連記事の図を挙げて置く。電子スピンとは?-その空間像-(2011/02/09)

 

 

 

 

 

 

 

素粒子-その実相-(2012/07/31)

 

 

 

 

 

エネルギー流と結合(2018/10/10)

 

 

むすび

問題の解決は『電荷』とは何かに答えることである。それはまた『電子』とは何かに答える事でもある。そこに未来の道が観えて来る筈だ。空間に実在するということは、その空間像を描くことでしか解決できない。抽象的な数式には姿が観えない。軸性エネルギー流は磁場と言う空間の物理的姿を示した空間像である。身近にあるマグネットのNSの磁極近傍の空間に在るエネルギーの流れの様子を示したものが軸性エネルギー流であり、それは磁極の表面空間を流れている回転エネルギー流である。その空間に実在するエネルギーを見ることはできない。それを計測することも、観測することも出来ない。その観えないものを『電子』などと捉えて、科学理論を構築して来たのである。『電荷』概念の矛盾に気づくなら、空間のエネルギーが(心にあるいは感覚的に)観えて来る筈だ。そのエネルギーに関する空間論は観測できないから科学論に成り得ないかもしれないが、そこに至らない限りは自然に心を添えないと言うことであろう。『エネルギー』を認識すれば、自然世界の本質が観えて来る筈だ。以上でクーロン力の矛盾についての論説は終わる。次の記事で、アンペアーの法則の回路電流における電子流の矛盾について述べたい。