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電荷間の力の矛盾論

(2021/05/09) 。電荷と電荷の間に力が生じると言う科学理論の矛盾。そんな解釈が何世紀にも亘って物理学世界の理論を主導してきた驚き。

電荷とは何か。
世界に電荷など存在しない。何故電荷が自然世界に存在するかの訳を物理学は示していない。

理論の電荷。

そこには2種類の電荷が定義されている。(+)と(-)と言う2種類である。それが空間にも物にも何時も欲しいと思えば、直ちに限りなく理論的に存在する事に成っているようだ。厳密な物理学理論で、その電荷の空間像が如何なるものかは確定していないようだ。空間に実在するという事は、必ず空間に占有する体積を占める筈だ。実在とは体積を占める条件を伴う。そこで空想によって、その像を上の図のように仮想してみた。(+)と(-)の記号で分けた。種類が異なるという事はどの様な空間的違いを備えているべきかと仮想して描いた。何処かコロナウイルス的な想念が含まれるかも知れないと顰蹙を買う恐れもある。お笑い頂いて結構な、厳密性や論理性が微塵もない空想図で御座います。専門家から定義に相応しい電荷概念の空間像をお示しただければ幸甚である。相手の電荷の認識を自然はどのようにするかが示されて初めて、2種類の電荷間の関係が論議の対象となると考える。その点で、触手を伸ばし、空間に雰囲気を醸し出し、何とか相手の素性を感知しようとの思惑で表現してみた。科学的な意味は全くないことをお断りさせて頂く。

力とは何か。
そんな事まで問わなければならない程、物理学理論が専門家業界の業界解釈に創り上げられているのだ。力の論理性さえ曖昧な解釈で虚飾されている。電荷間に力が生じるという前提が理論の根幹をなしている。異種電荷間には引力が働くと言う。引力の原因は、先ず互いに相手の電荷の素性を確認出来ることが条件となろう。目で見るあるいは匂いで確かめる訳では無かろうから、接触すること以外困難であろう。そんな意味も含めての空想上の図である。ただ(+)と(-)の電荷と言うだけの条件では、その間に力が生じると言う必然的な意味は全く含意されていない。そんなところから理論には権威的な強制が支配していることが多いようだ。科学理論でさえ、論理的とは言えない実態に冒されている。引力あるいは反発力は必ず相手の素性を知る事によって、はじめて生じるものである。相手が何物かを認識できずには、自然現象は関係性を発生しない仕組みの筈だ。

クーロンの法則の力概念矛盾。
何故気付かないのか?身の周りの自然世界と関りを持てば、そこには科学理論で解釈できる事象がどれ程あるだろうか。科学理論はそれぞれの専門的分野においての科学論的解釈の評価法による狭い領域に特化した解釈法であるように思える。この地球の現在の姿を、ここまでの長い何十億年もの歴史を経て辿り着いた結果として観たとき、どの様に思うか。太陽が送り届けた光の『エネルギー』がここまでの地球に育てた結果だと思うのはあくまでも個人的な感覚による解釈である。地下深くの石油資源や届かない深くの地下資源も必ず太陽の恩恵で蓄積されたものである。電気制御技術、情報技術が身の周りの生活環境を支配している。そこには独特の科学技術理論が専門領域の特化した姿で日常生活を支配している。電荷とその関係のクーロンの法則が科学理論の世界解釈の根幹を成して、全ての人の科学常識となっている。元素、原子構造もその電荷で解釈されている。自然世界の科学的認識には、その電荷が必ず必要となっている。しかし、自然は光のエネルギー一つがあれば、それが花も虫も水素も水も塩もベンゼン核も全てを創り上げる素原となる。自然は電荷など少しも必要としない。マグネットの結合力とその原理は何だろうか。それもエネルギー一つで賄える。軸性エネルギー流がマグネット結合の原因だ。原子周期の8も原子表面の8面磁極で解釈できる。電子周回運動の結合不可解は解消でき、目が回る論理的結合不可解論は消せるはずだ。原子・分子の結合力と周回軌道電子論の矛盾 (2018/01/09)。人が電荷間の力を解釈するのでなく、自然が結合の関係を決めるのだ。誠に申し訳なきことながら、文学的科学論になってしまった。電荷が相手の電荷をどの様に認識するかを科学理論でなく、自然の心に沿って考えれば分かると思う。

まとめ。
電磁気学の要-Axial energy flow- (2019/03/03) を結合力の意味として挙げる。

 

電子流(1[A])の論理矛盾

(2021/05/02) 。1987年8月5日電気学会の電磁界理論研究会への論文を書きながら、『電流』概念の論理的な不適合に気付き、その概念棄却の思いに至った。あれから33年が過ぎた。電気回路現象はすべて電線路空間の『エネルギー』光速度伝播である。『電子』は、その光速度伝播に対応できない意味で、無用の仮想概念でしかなかった。しかし残念ながら、今でも電子は科学理論の根幹を支える物理概念となっている。

その後は『電流は流れず』と唱えてきた。電子は流れず (2019/06/06) にも述べた。中学生にも分かる説明が出来たらと思う。市民の理解できる日常生活に結びついた、易しい科学論でありたい。理屈の科学綴り方と言われるかも知れない。

右図は電子とエネルギーと質量 (2019/06/06) の記事、更に電流1[A] の論理性‐考える理科教育への科学者の社会的責任‐ (2019/09/07) に載せたものである。

再びこの図を使って、電子論の矛盾点を指摘しよう。 

電流が電子の逆流と言う論理の矛盾を述べたい。

電流 1[A] の意味を電子でどう捉え得るかを考えて欲しい。

電子が電線導体の中を流れる。誰もその電子解釈論に疑問を懐かないようだ。電線内を電子が流れると述べる科学者に問う。

〈矛盾1〉電子の流れと線間電圧。

上の図のように電子が流れるとなれば、電線の正側と負側の両方に満ちて流れることになる。その電子の密に分布した流れが電子流となる。電子の分布が均等に電線内に生じる意味となろう。電気導線は電荷が中性の銅原子等の構造体である。もし電子が電線内に満ちれば、電圧はどの様な原理によって電線間に掛かると考えるのか。電子によって電圧が消える論理的矛盾。どう解釈するか?

〈矛盾2〉電子の流速V[m/s]と線内密度D[C/m]は如何程か。電流が電子の逆の流れだと言えば、電子の毎秒当たりの個数がその電流の値と等価でなければ成らない。電子の流れる数量・電荷量を算定できない科学論・物理学論では論理的だとは言えない。

  電子流の毎秒数値=電流値。

従って、   VD[C/s] = I [A]   でなければならない。

電子の定義概念はほぼ、

電荷および質量で、 e : 1.602 10^-19^ [C] 、9.108  10^-31^ [kg] 。

の値である。

電子の流速度 V[m/s]は幾らか?

電子の速度は幾らかが明確に確定されなければならない。素粒子論では電子は質量が定義されている。質量は電子の運動論を展開するには、それがあって初めて『力*』の物理的論理性が成り立つ意味で必要である。

速度は力と質量の関係で算定可能となる。そこで、電子の速度は幾らと算定できるか。力の原因をどう解釈するか?電子が流れる根拠の力が説明できなければ、電子が人の希望し、思う気分で流れる訳ではなかろう。気分電子論と言う訳にはいかない筈だ。速度が確定すれば、電線内部の電子密度分布量D[C/m]が算定可能になる。

 1[A]=VD[C/s]

によってのみ電子流が算定できる。そこに考える“理科教育”のあるべき姿が描けるはずだ。根拠を質さないで、学説・科学常識論に安易に従う姿勢はゆるされない。電子の速度が決まらなければ、電子の論理は成り立たない。金属電線内部に電子を動かす力など発生しない。

『力*』:電荷間に発生するというクーロン力は加速度・慣性などの力学運動論の基礎条件が欠落している法則の論だ。質量が無い電荷には力は生じない。電荷間に力が働くと言う発生原因の理屈が無い。

乾電池のエネルギーが行方不明

中学2年生が理科、技術の教科で、電池電圧の測定や白熱電球のエネルギー変換を学習している事を知った。
改めて、乾電池の原理をどの様に説明しているかと検索で調べてみた。
予想はしていたが、やはりそこには大変な誤った科学論が唱えられていると認識した。
乾電池は何の機能の製品か。電気用品や電球に『何』を供給する為の電池か。

乾電池は『エネルギー』の貯蔵電源だ。

しかし、電池機能の解説には『エネルギー』の用語がどこにも無い。

図はマンガン乾電池の場合を取り上げて概要を描いた。

構造は二酸化マンガンの練り物合剤を、正極に炭素棒、負極として亜鉛で包んだ形態である。

電池の原理(検索の記事)。負極の亜鉛Znから『電子』が分離して負荷を通って正極に戻る。ただ『電子』が負荷の外部回路を回るだけで、電池の役目は果たされた事に成っている。決して『エネルギー』の用語は何処にも出てこない。化学方程式は複雑の分子で解説されるが、そこでも『電子』は大事な役割を担っているが如くに解説される。ただ『電子』が移動すればそれで電池の機能は果たせたと。

電池の原理。『電子』など何の役にも立たないのだ。『電子』はこの自然世界に存在しない。『電荷』など無い。電池は『エネルギー』を使うための電気技術製品だ。乾電池は『エネルギー』を貯蔵した化学分子成分の開発製品だ。亜鉛の負極側から『エネルギー』が電気回路の空間を伝播して負荷に供給されるのだ。電池の亜鉛と合剤の間の接合面での二つのエネルギー順位差が生じる。それを『エネルギーギャップ』と呼んでいる。丁度化学論での、イオン化傾向によるエネルギー活性度の差の様なものだ。化学物質の合剤が亜鉛に対して持つエネルギー順位がその乾電池の『エネルギー』保有能力として、電池電圧として現れる。

電池電圧。

乾電池に電圧計を繋げば、乾電池の電圧値が測れる。電圧計の中身を示せば右図のよう抵抗とコイルの直列回路の電気回路である。そのコイルをマグネットの間に吊るして、電圧値に応じてコイルが回転する回転角で測定するのである。

電池はどのような回路を繋ごうと、同じ電圧値を示す。その訳は何か?

さて、電圧計の内部構造を示した訳は、それは『電子』がどの様な機能を持ってコイルの回転力を生むかを解釈してもらわなければ成らないからである。電池の原理で『電子』論で解説する方は電子がコイルの導体の中を流れると、コイル導体がマグネットの磁気と『電子』の物理的定義概念との間にどのような力が生じるかを御説明頂かなければ成らない。『電子』の電荷と質量が磁気に作用する訳を。電荷と磁気とはお互いに独立した物理概念として仮想されている。また『電流』は『電荷』の時間微分値だ一定の『電子』の流れの『電流』の値は零だ。

電池開発研究者はいるが、その製品の科学技術理論を解説できる科学者がいない。電池の中から『エネルギー』が何故発生するかを解説できる科学者が一人もいない。

電池の回路でエネルギー変換の現象を中学生に教える。電池の『エネルギー』の意味が解説できる科学者もいない中で、中学校の先生が『エネルギー変換』を教えるとは如何なる事か。何処かが狂っているとしか思えない。

『電子』に依る解説論法が、自然現象の意味を考える習慣を失わせてしまった。それが科学理論の矛盾を放置させてしまった。だから今でも、物理学理論で、空間に実在する『エネルギー』の概念・認識が無い。光の空間エネルギー分布の認識が無い。

中学生に期待する。『エネルギー』が如何なるものかを理解してほしい。新しい科学理論の未来に向かって、その先陣を担ってほしい。自然は君たちの心を未来に待っている筈だ。

ロゴウスキー電極空間の磁界(戻し)

ロゴウスキー電極空間の磁界(2020/6/18) の記事が消えた。その分を回復する意味でここに記す。

消えた記事。

静電界中の磁界。初めに結論を示そう。それが下図のロゴウスキー電極空間のエネルギー流である。自然界には『電荷』は存在しない。だから、高電圧工学の研究の基礎概念である『電荷』による電極空間の電界は実際はその空間を還流しているエネルギー流の場である。その空間にマグネットを設置して、いわゆる電界強度を強めれば、マグネットの向きが変化する。現在の科学理論の『パラダイム』では解釈できない現象である。以下の記事の結論を示した。

ロゴウスキー電極間の空間に、磁界が存することを実験で確認した。

『静電界は磁界を伴う』-この実験事実に基づく電磁界の本質-
その実験結果の写真は Friction heat and Compass (2020/03/22)でも説明した。

『静電界は・・』の結果の、そのむすびに、4.実験結果に基づいた電磁界への考察と課題 として良くまとめてある事を知った。現在は、そこで指摘した課題を忠実に確認して、全体像として科学理論の矛盾を解明してきたと一つの安堵に居る心地だ。その翻訳を印す。

以下の翻訳文の中に出てくる方程式とその番号(3)、(4)および(5)を示した。これらの式はマックスウエル電磁場方程式を光速度ベクトル c=cによって表現したものである。エネルギーの伝播方向を座標の yj 軸とした。なお、(3)式はポインティングベクトルであるが、この式は瞬時値としては余り意味が無い(1秒間の値と見える)ので、別に取り上げて論じたい。

(翻訳)

 4.Considaration of electromagnetic fields based on experimental results and future challenges. It was experimentally confirmed that a magnetic field exists in a constant electric field (electrostatic field)as shown in equation (5). Therefore ,it can be said that equation (4)and (5) are basic equations that express the essence of electromagnetic fields. The meaning of equation (4) also includes the concept that there is an electric field around the permanent meaning and the earth, and there is also a flow of electromagnetic energy. Next we discuss the relationship between “charge” and “energy” as an important point discovered from the experimental results. Figure 3. The fact that the directions of b and c are opposite, we must conclude from Equation(3) that the directions of electromagnetic energy flow are opposite in b and c. This means that “positive charges” radiate electromagnetic energy to the surrounding space, and “negative charges” have the property of absorbing energy from the surrounding space. Although the current electromagnetic field theory is constructed based on the concept of Coulomb force acting between electric charges, experimental facts demand the need to regard it is “field proximity force” from the concept of electromagnetic energy flow. I am keenly from the electromagnetic energy and it’s propagation trajectory.

    新世界―科学の要―  (2015/03/05) にロゴスキー電極間の空間のエネルギー流を示した。その意味を冒頭に既に示した。結局その結論が上のむすびで述べた目標であった。

ロゴウスキー電極の負極の電極間のエネルギ流は、Fig.Energy flow and proximity action force.の図のように流れると一つの結論に達した。そこにはマグネットの磁極近傍が Axial energy flow の場であるとの解釈が必要だ。その事によってはじめて電磁場の電磁力がエネルギー流間の近接力に因るとの解釈に至る。発表当時に予稿論文で述べた通り、下部電極側(正極側)は正の電荷として理論は捉えているから、そこからエネルギー流が外向きに流れ出る意味で同じことと言えよう。上部電極は周辺からエネルギーが流れ込む意味で、適切であった。

 

 

 

物理学理論は役立つのか

(2021/04/08) 現在の物理学理論は自然の理解に役立たない。
筆者も一応日本物理学会の会員として、毎年年会費だけを収めている。何で発表もしないのにとも思うが、過去に何回か大会で発表させて頂き、皆さまに御面倒をお掛けし、御迷惑もかけた。誠に無礼者であったと反省しきりにある。同時に、物理学の未来、その行く末をも心配しながら、変化も期待しているところだ。だが、殆ど本質的な基礎概念などへの問題意識を抱いている様子は見えず、どんどん寂れ行くだけに思える現状は悲しい。

それは理論が技術理論の解釈用便法論でしかないから。

そもそも、真剣に自然の姿に向き合おうという意識に欠けているように思える。自然を観察する基本的姿勢があるのかと疑問に思う。と言っても何世紀も超えて確立した物理学理論だ。簡単に意識が変わる訳はないだろう。現実に世界の科学技術はその理論によって解釈可能な科学常識で十分満足できる役割を果たしていると自負している筈だ。それで、長い歴史の中で教育に間違いは無かった事が現在の姿に証明されていると言うのかも知れない。異論を唱える者の方が間違っていると。確かに、嘘の基礎概念に基づいた教育が為されていたなどとは誰も信じない。そこには、底知れない豊かな叡智によって構築された科学技術力が在るからだ。代表例として、一つの『電流』を取り上げて考えてみよう。その『電流』と言う科学技術量は電流計で測れる。それは物理学理論では『正の電荷』の時間微分と言う定義の量だ。しかし実際はそのような『正の電荷』は流れていない。自然界で純粋に『正の電荷』など有るとは物理学でも解釈していない。原子から『電子』が抜けた原子イオンしかそれに対応するものはない筈だ。だから金属内の原子イオンが動けるとは物理学論にも無い。そこで逆向きに、原子から解き放たれた『自由電子』が流れると解説されるのが現在の科学論常識となっている。『電流』とは『電子』の逆流だと。しかし、『電子』が電線の中を流れると本当に物理学者は考えているのだろうか。それはどうも何も考えないで、過去からの解釈論を踏襲しているだけにしか思えない。『電荷』とはどの様なものと解釈しているかを自己問答もしない。過去の法則と先達の教えを謙虚に、専門家として、踏襲して守っているだけに思える。それは自然現象について何も疑問を抱かないという事か。疑問を抱かない人が自然を理解するなどできない筈だ。物理学理論を、その深い意味を理解しようと思えば必ず疑問が沸く筈だ。その疑問があって初めて学問が始まると思う。身近な教育する教科書の理論を紐解けば、疑問が必ず起こる筈だ。『大学の物理教育』と言う発行誌を見させていただく。しかし、その内容を読み解いても、物理学の未来への危機感があるとは少しも思えない。

電荷も磁束も自然界には無い。
自然界には『電荷』も『磁束』も何もないのだ。無い物で科学理論が構築されているのだ。不思議な人の世の現象である。その意味を御理解されるならもっと新しい道を模索する姿があってよいかと期待したいのだ。電線金属内を『電子』が流れる等と言う物理学理論の解釈論は論理性を基本に据える科学論とは言えない。電気回路で、『エネルギー』が光速度で負荷に伝送される現象を先ず理解する必要がある。『電子』がどの様に『エネルギー』を伝送する機能を持ち得るかを考えなければならない筈だ。『電子』ではその役目は果たせないのだ。それは自然界に『エネルギー』は有っても『電子』など無いからだ。

光の振動数とは何かにも答えられない。

そんな事が物理学理論の教育で説明できなくて、なんで子供達に「考えることの大切さ」を説けるのか。何が振動しているというのか。疑問を抱かないのだろうか。光は何も振動などしていない。ただ『エネルギー』の縦波が光速度で伝播するだけである。空間に実在する『エネルギー』を認識することから始める処にしか物理学の未来はないだろう。

科学技術概念の世界

(2020/10/20)電気概念図表。不可解な編集機能?ブロックで編集すると編集記事が勝手に消去されてしまう。旧エディターでないと正常に投稿できない。何故か?電界、磁界の距離微分の解説の内容が消去される。

科学理論は基礎概念から、多くの特殊用語の概念迄幅広く構築されたもので論じられる。中でも電気技術用語はその根幹をなしてもいよう。自然世界を科学論の世界に映せば、電気磁気学論の『電荷』と『磁気』がその基礎概念となっているようだ。

自然世界に『電荷』や『磁荷』がある訳ではない。しかし科学論では、それが理論の根幹を成すことになる。それらの科学技術概念の世界を図表に表現した。電気回路を論じるには電圧 V[V] と電流 I[A]が基本概念となる。その関連概念を『電荷』と『磁束』で纏めた。ここでは、『エネルギー』を基本に捉えた[JHFM]の単位系での解釈も含めた。図表の中心部に、L[H] C[F] の空間評価概念とt[s] x[m]に展開する『エネルギー』の自然世界像を表現した。

図表上の電荷Q[C] と磁束φ[Wb] の間の対称性。ここで論じようとすることは、『電荷』概念の論理的存在の矛盾についてである。

図表での関係を眺めると、 どちらも線束で捉えて良いように思える。しかし実際は磁束だけが線束で、電荷には点電荷と言うように、線束と言う捉え方はない。図表上からその対称性でありながら、異なる空間像になる訳の妥当性が有るか無いかを考えてみよう。先ず磁界である。その次元からも電流の距離微分[A/m]である。電流も流れる空間的方向性で捉えている。それはベクトルの筈だ。その電流のベクトルに対して、微分する空間距離x[m]も空間的方向性で認識するから、当然ベクトルである。磁界のその距離ベクトルは電流ベクトルに対してどの方向性かがはっきりしている。電流に対して直交ベクトルである。磁界と電界の空間ベクトル像から磁束、電束を求める。

磁界と磁束。

磁界は電流によって発生するとなっている。電線導体内を流れる電流など無いのだが、そのような電流を電気理論の基礎概念として決めた。その電流はベクトルとして、方向が決まる。単位ベクトルを ni とする。磁界H(x) は電流ベクトルの距離ベクトル微分で、アンペア―の法則の係数を採れば、次式となる。

   H(x)= (1/2π)d( Ini)/d =(I/2πx)[ni×(r/r)]        (1)

ただし単位ベクトル(r/r) とのベクトル積で磁界ベクトルが決まる。ベクトルのベクトルでの除算規則に因る(*1)。ベクトル x 近傍の磁束φは透磁率μoと面積Sから決まる。磁界により空間には磁束と言う線束が生じると解釈される。

磁束と電界および電束。

磁束は電磁誘導の変圧器の原理につながる。厳密には磁束も自然界にある訳ではないが、電気技術概念として一つの解釈概念として重宝である。それがファラディーの法則である。コイルnターンの巻き線に磁束が鎖交すると、右図の様に電圧V=n(dφ/dt)が端子に発生する。あくまでも技術概念の意味である。自然現象としてこの電磁誘導を解釈しようとすれば、『何故磁束がコイルの中で変化すれば、電圧が発生するのか?』と疑問に思わないか。その答えは、電気理論の範疇では得られない。空間の磁束の像を捉え切れているだろうか。その問答は別にしよう。ここでの主題は電界 E[V/m]の意味である。電圧が在れば、そこには電界が定義できよう。電界の発生原因は何か?という事である。静電界なら『電荷』によって解釈できる。変圧器の巻き線によって電線路に発生する電界をどう解釈するか?巻き線で正負の『電荷』を発生出来ないだろう。さて、電界が在れば、電束密度あるいは電束が決まる筈である。図に示したように、電束密度 D[C/㎡]が空間誘電率εoから決まる。そこに面積を考慮すれば、電束量が電荷の単位[C]で得られる。電界の場には電束と言う線束が伴うようになる。その単位がクーロン[C]であれば、点電荷と言う『電荷』の空間像は観えない。電荷の論理性 (2020/10/26) 。電磁誘導現象の真相 (2020/10/25) 。

記事の冒頭の図表に『電子』は入らない。電気理論の概念をまとめたが、量子力学はじめ、半導体など殆どの基礎理論は『電子』が無ければ物理学理論が成り立たないようだ。それなのに図表には『電子』の入る余地が無い。それは電気回路現象には『質量』と『負の電荷』を持つ『電子』の果たす役割が無いからである。

— ここの記事が消えてしまった? –そこには、『電子』による理論構築が全ての根底をなす関係から、粒子的な捉え方が必要であったからであろう。しかし、上の図表には『電子』は入る余地がない。その訳は、『電子』の概念には『質量』が無ければ粒子的解釈が出来ない。電磁気学には無い『質量』を組み込めないためである。 電磁気現象や電気回路には『質量』は必要がない筈だ。そこには『質量』とは何か?の哲学的考察が生まれる。同時に『電荷』と『質量』を空間に含む『電子』の自然世界での役割は何か?となる。

(*1) :日本物理学会講演概要集。61-2-2. p.196. (2006.9.24).

電荷の論理性

長い間科学論、特に電気理論でその基本概念に『電荷』がなっていた。原子理論も雷もみんな専門家の解説はそのプラスとマイナスの『電荷』が基礎に成っている。クーロンの法則で、電荷間の『力』が科学論の拠り所として長い伝統を支えている。

電荷に論理性が有るか?

余りにも素人らしい疑問であるが、プラスの『電荷』+Q[C] と マイナスの『電荷』-Q[C] が結合したら、そこには『何』が生まれるのか?

算数で、    (+1)+(-1)= X

の X は幾らか?と尋ねられた。

答えは     X = 0

となる。

『電荷』の場合はどのような論理性で解釈すれば良いか。理科教育の未来の希望を尋ねる問題としたい。子供達も学校の先生も考えて欲しい。

 

原子構造と8面磁極

原子構造(2020/09/13)。

原子構造論など全くの素人が申し上げるのは大変恐縮である。しかし、『電子』の存在を否定したら、標準的原子構造論を信じられなくなる。専門家の論理を否定せざるを得なくなる。誠に不遜の極みとお恥かしい次第です。

八面体と軸性エネルギー流。八面体の表面は軸性エネルギー流(Axial Energy flow)の磁極との解釈を提案した。図の赤い丸は N 極、青い丸は S 極を示す。水素原子は最小のマグネット単位原子と解釈する。もし『電子』を考えるなら、それはもっと小さな軸性エネルギー体のマグネットと考えればよいかも知れない。しかし電気回路ではそんな『電子』も必要ない。分布定数回路を考えれば、そこには電線路空間内のエネルギー分布流しか考えられない。従来の分布定数回路と言うインピーダンス認識も考え直す必要に迫られる。

原子の基本的特徴。周期律表に示されるように、やはり8の周期性で特徴付けられるのは確かであろう。中心には核があり、その周りを『電子』が取り囲んでいるような構造体として原子を捉えているのが常識的科学論である。原子は他の原子と結合する性質を基本的に備えている。原子の空間像をどのように捉えるかは、その結合の機能を何に求めるかに係っていよう。常識論である原子構造は外郭電子同士の結合にしか説明が付かない。だから「共有結合」なる電子間の結合力を頼りにする以外ない。あるいは電子が理由は不明だが、相手の原子に移り、その結果イオン結合なる結合理論を唱える。そんな電荷間の「クーロン力」に論理性が成り立つと考えること自体が、失礼ながら何も考えていないとしか思えない。

新電磁気学の事始め (2020/09/15) 。『電子』周回構造の原子論批判の為の記事とした。

科学論の土俵は

(2021/01/28) 追記。今日は朝、頭の上を大きな音を立てて、ヘリコプターが通り過ぎて行った。最近無かったが久しぶりの意味不明の雑音飛行だった。今、昨年1年間の投稿記事を整理、確認している。『電子』の概念矛盾が科学論全体を混乱に陥れていると、改めて確信した。懐中電灯の特性(2021/01/25) は昨年の一つの成果としての纏めに成っていよう。子供たちがこの記事を見て、どの様な反応を示すか少し心配でもある。教科書が間違いであることを指摘したものでもあるから。筆者は大学で不要の人材と切り捨てられて、学術機関から30年以上前に追放された。しかし『静電界は磁界を伴う』の発表は未来の希望として世界に示す科学論との確信から、今日まで戦う土俵を無くし乍らもここまで思いを届けてきた。今日のヘリコプターの轟音は陰で何を画策しているか分からないが、闇の音に聞こえた。

科学論の対象範囲は無限の広がりになっている(2020/08/31)。科学論を戦わし、勝者と敗者がわかる土俵は無いのか。生活の夢はどのような土俵で勝ち取ればよいのか。

科学論は基本的に科学者の組織に所属して、その所属機関の一員、科学研究者として生活資金の保障の下で研究が可能である。その上で研究内容の発表を通して、その科学者としての評価が社会的に成される。その研究論文はそれぞれの研究分野ごとに異なる学術機関誌上に、その研究部門の専門の査読者によって吟味され、価値あると評価されて発表されるものと理解している。それが科学論の土俵であろう。科学者が競う科学論には、その特殊性によって土俵が限られたことになる様である。特殊という意味は、そこで論じられる内容が普通の市民にとっては余りにも限られた概念や意味の用語で語られるため、全く関わり得ないものである。特に現代科学論は狭い専門領域によって分野別に仕切られてしまった。それぞれの科学研究者は厳しい競争社会の中で、その専門的研究に専念して、それぞれの土俵上で格闘されている。

スポーツにはその技量を競う土俵がある。科学研究と異なる一般社会に開かれた市民生活の場では、日常的に様々な土俵がある。みんな生活と夢とを結びつける土俵であろう。

教育あるいは理科教育の土俵。理科と言う教科は自然世界を科学的に捉えて、その基礎教育によって培われた科学的知識や感性を、後に社会生活の上で科学者に成るばかりでなく、あらゆる場面で的確な自然現象の解釈に生かす能力として重要である。さて、そこで気掛かりな事がある。それは科学研究の現代的姿が全く教育とかけ離れてしまったことである。学校教育で取り上げられる理科教育内容と最先端の科学研究内容との間の隔たりが極めて大きく、矛盾を孕んだままに放置されている事である。昔の「ロウソクの科学」のようなファラディーの話の時代との隔世の感がある。その原因は何に在るのだろうか。生命の科学、医学生理学のような研究分野はとても複雑で高度の専門的であり乍ら、その基礎となる理科教育については何も殆ど疑問もなく、現状の基礎概念がそのまま科学常識として是認されている。高度な専門分野の研究者は、その最先端の研究に心血を注ぐが故に、学校教育の基礎、物理学の基礎などを考える余裕などない。では、物理学科の教育の専門家がその基礎の概念を研究対象として疑問を拾い上げるかと思っても、殆どそのような事はしない。原子構造が原子核とその周りを周回する電子で構成されているとの古典的認識(誰も古典的とは考えない)で、少しも違和感を持たないように思う。『電荷』概念とクーロンの法則の間の論理的矛盾など少しも問題にしない。それは何故なんだろうか。同じ『電荷』同士は反発して、近付かない筈だ。しかしコンデンサの充電現象は『正電荷』同士、『負電荷』同士が集合、密接する事に矛盾も感じない。その思考の有り方を一体どのように、科学論の論理性と言う観点から捉えれば良いのかと考え込まざるを得ない。

日本政府(文部科学省)の教科書検定制度。社会的仕組みの問題としても考えなければならないような気がする。『電荷』に関して以下に述べる。

『電荷』否定論。ブログで一般市民も理解できるかと、電気回路現象や基礎的物理論の矛盾を取り上げて論じてきた。既に10年は過ぎた。しかし、ブログ記事に対して、専門家が批判を寄せる事はない。少なくとも『電荷』や『電子』で物理現象を大学講義でなさって居られる方が多いにも拘らず、反論も期待したが全く無い。ブログでの記事はそれを期待したが、やはり科学論を戦わす土俵としては期待外れの無駄であったかと、誠に残念である。情報の溢れるインターネットの場に、そこに土俵が在るかとの期待でもあったが。教科書の内容と言う、誠に基礎的な事であれば、一般の市民が質問できる場として有効な土俵と考えた。やはり『電荷』に関する公開の場での討論会が在れば、開かれた科学論となるとの期待を持っている。そんな機会に壇上で参加したい。新しい『パラダイム』に向けて。

『電圧と電流』すべて逆だった

電気現象の解釈は長い歴史を経て、今電気理論として科学技術の根幹をなしている。しかし、そこには大きな誤算があった。『電圧』と『電流』に物理現象としての論理性がなかった。しかし、これからも「オームの法則」として科学技術に欠かせない理論として社会的な文化であり続ける。

科学理論と自然世界。

特に物理学理論として『エネルギー』の実在性を見誤ってきたところに、科学者の現代的責任が問われなければならない。『電荷』は自然界に存在しないのだ。従って、『電子』は誤った科学概念であった。電気現象に『電子』は不要の存在であった。そこに現代物理学の誤りの根源がある。

電気現象はすべて『エネルギー』の流れである。『電圧』は電気回路のエネルギー分布の逆向きの方向に定義した技術概念である。『電流』も電線の近傍空間に流れる『エネルギー』を、逆向きに流れると定義してしまった科学技術概念である。しかも、その『電流』の逆向きに『電子』と言う実在しない概念を創り出して、論理を構築してしまった。そこに科学理論の根本的矛盾を持ち込んできたことになる。光も『エネルギー』の流れである。今太陽電池の現象を考えながら、先に『電圧と電流』の自然現象・理科教育としての矛盾を述べた。

電気工学から物理学を問う (2017/04/09) の回答であったかも知れない。