タグ別アーカイブ: 電荷とは何か

エネルギーの姿・象

物理学理論で認識されていない概念が『エネルギー』である。

その代わり、自然世界に存在しない概念、『電荷』や『電子』が科学論の基礎概念となって理論が構築された。

『エネルギー』を意識しない科学論。科学論文はその専門分野に特化した特殊な『専門用語』で論理が展開される。専門家はその専門分野での高度な先端研究を対象にするから、それは止むを得ない事だ。しかし、その科学論はその専門用語が狭い専門家の為の世界観での解釈となるため、抽象的な表現に思えて、具体的生活空間から乖離したものとも見えて、解釈理論が理解困難となる弊害にもなる。基礎概念が曖昧なまま、教育現場に下ろされ、理解できない未消化な科学知識の市民科学リテラシーとなる。その最大の問題が『電荷』である。検索情報にも、『電荷』とは何か?という当然とも思える質問が提起されている。しかしそれに対して、回答者は、余りにも根本的で・・と答えることが出来ずに、逃げている。

エネルギーの形象。

光・熱。電気。圧力。

エネルギーの諸相

 

このブログでも、『電荷』という虚像 (2011/04/08) 、エネルギー(energy)とは? (2011/09/07)  などから始まった。

自然に対する観方は、自然科学理論では科学技術のための特殊な概念に因ったものになる。そこに『電荷』や『電子』という自然世界に存在しない概念が創造された。

自然界は極めて純粋である。それは『エネルギー』一つで構築された世界である。湯川秀樹が『混沌』と言ったものでもある。世界はエネルギー一つに集約されると、バートランド・ラッセル博士が述べた事でもある。

現在の物理学理論を唱える時、空間に実在する『エネルギー』の存在を意識できていないと言う、大きな理論の矛盾を抱えたものになっている。

上の図、エネルギーの諸相に、科学技術や自然現象が『エネルギー』によって生まれた世界であることに纏めてみた。質量も『エネルギー』の集約された象である。だから、 mc²[J] と『エネルギー』に変換される意味なのだ。

少し関連記事を挙げておく。

光・熱・電気。 雷の正体 (2012/11/13) 。焚火の科学 (2018/05/26)。白熱電球のエネルギー変換技術は? (2018/02/12)。新電気回路理論 (2022/09/01)。

回転動力。 発電技術とエネルギー空間 (2022/05/28) 各部ごとの詳論が未だ未完だ。

膜・弦振動。三味線と縦波 (2012/02/07)。糸電話―力学的解剖― (2014/03/06)

 

 

コンデンサと ❓(+電荷)

(2022/04/12)。分からないのは自分だけか?誰も疑問を抱かないのか?『電荷』と言う不可解な物理量。何世紀もそれは物理学理論の、自然科学理論の、理論物理学者が異論を唱えない基礎概念として厳然と権威の砦と成っている。

筆者の確信。決して自然世界に『電荷』など存在しない。もう一度教育に関わる行政機関の関係者、教育担当者全てに問いたい。

何か「浦島村の秘密基地竜宮城の住人」の如く、科学理論の別世界から眺め続けている様な気分だ。「俺の出番はきっと来る」等と歌の文句に合わせてここまで来た。しかし『電荷』が自然世界に実在しない真理を伝えるに、何処に人を相手に説得する道があるのか、観えない。

今日も子供達が、教科書と言う権威の基で、『電荷』の怪しい世界を学習して居ると思うと、一人悲しみに耽る。

電気理論の『電荷』について、もう一度筆者が理解できないその基礎論理の易しい不可解解剖論を展開して置きたいと念じて。実は、電荷と科学リテラシー (2021/02/10)でも述べた。もう少し具体的に『電荷』の論理矛盾を述べたい。

コンデンサに電圧を印加する。コンデンサにはプラス側とマイナス側の電極版に『電荷』が貯蔵されると学校で教えられる。プラス側には『+電荷』が集まると言われる。

『電荷』の(+)と(-)の違いはその空間像にどのような違いが有るのか?自然世界の空間に実在すると専門家が唱える『電荷』の姿を明確に示すことが科学者の社会的責任であろう。科学理論に『曖昧さ』が有ってはならない。教育に学説に従うだけの考えない姿勢は許されない筈だ。そのような意味で、もう一度『電荷』の意味をコンデンサの充電現象を例として問い質したい。

『+電荷』とはどの様なものか?

今上の電気回路で、電源にコンデンサ C[F] をスイッチで繋いだ。電気理論では電流が流れてコンデンサが電源電圧によって充電される。

① この時『電流』とは何が流れるか?

(解答)決して『電子』が電線金属内を流れる訳はない。しかし、巷の専門家らしき人の解説では、『電子』が『電流』の向きと逆向きに電線内を流れるとの解説が溢れている。電線金属内を『電子』が流れるには、電気理論に因れば、その電線金属内に『電界』が掛からなければ、『-電荷(電子)』には力が掛からないから動けない。即ち『電子』には流れる力が働かない。ところが、以前日本物理学会で同じ話を発表したら、座長さんが金属内にも電界は在りますよと仰った。それには、じっくり1時間程かけて、公開の場で議論をしなければ伝わらないと、ただただ驚いてしまった。その電界で『電子』が金属内を加速されるのかと。

② (+電荷)を担うものは何か。

コンデンサの正電極側に(+電荷)が集合すると言う、その『電荷』は何が担うと考えるのか。実に不可解な事は、『電荷』は自由に(+)も(-)も幾らでも、教科書によれば、質量など無関係にただ『電荷』だけがコンデンサには貯蔵できると解説される。(+電荷)は原子核の『陽子』か、素粒子加速実験で、『陽電子』等にも対象が広がるようだ。それ以外(+電荷)は思い付かない。(+電荷)とは何かを示さなければならない筈だ。『電子』が『電流』と逆向きに流れると言う論理で、コンデンサの『電荷』貯蔵の解説が何故出来るのか、理解できない。

③ (-電荷)は『電子』なのか。

論理的には、『電荷』だけで質量は不用の意味と考える。質量に無関係な(-電荷)だけが欲しいのだと思う。しかし、質量なしには力の論理は成り立たない。結局『電荷』概念での論理そのものが矛盾なのだ。

むすび。 余りにも専門家の解説、教科書の論理と異なる、素人解釈と見做される内容を基に科学理論の基礎概念の矛盾を取り上げた心算だ。昨年の記事、2021年(1)-電子・電荷論と教育危機 (2022/01/10) にも関連した内容だ。『電荷』否定は科学理論の根幹を否定する科学革命のようで、とても気が重い事であるが、自然の真理と思えば教育の未来に議論が欠かせないと思っている。『静電界は磁界を伴う』の実験結果が現在の科学理論の意味・論理性を問うのである。

電流計は何を計るか(2)

初めの頃の記事、電流計は何を計るか (2010/11/10) で、少し長い記事だが磁気の関係を論じた。

電気回路について前の記事で漸く、電線路の回路特性 (2021/08/10) の認識に辿り着いた。線路空間を伝送する『エネルギー』が電気回路の機能の眞相であった。それでは電線路に繋ぐ電流計は何を計るのかと、新たな疑問が浮かぶ。

この記事(下書きは、8月28日で止まっていた。)を書くために、その準備が必要であった。平行二線式回路の定数について がそれだ。

 

図は電灯回路だ。電源は電池の直流電圧だ。

図(1)はプラス側の電線路にコイルLaaが付加されている。このコイルはどんな働きをするのだろうか。直流回路でコイルはどのような機能を持つと考えるか。さらに、プラス側の電線路には『エネルギー』は分布しないと今まで解説してきた。図(2)の電流計の接続との関係も含めて考えてみよう。電流計接続はプラス、マイナス側のどちらでもほとんど変わりなく、同じ値の計測値を示す筈だから。

このような簡単な回路で、電気現象を考えることに科学理論としての価値をどの様に観るだろうか。

その検証は学術理論の専門家の科学論の世界に入って論じても、無理である。『電子』否定の科学論が愚直に、真剣に考えて頂けて意味を持つのは、このような中学生にも解る単純な電気現象にこそ、そのカギが隠されている。今もって、電気回路で『電子』が『エネルギー』を如何に負荷に伝送するかの機能を高度な物理学理論を研究なさる専門家は誰も説明しない。それは論理的に理論が矛盾に満ちているから、『エネルギー』を負荷に伝送するための、どの様な『電子』の具体的機能によって『エネルギー』の保有を担うかの合理的解釈が出来ないからである。

(1)の回路。直流では、定常状態でコイルはインダクタンスとしては機能しない。周波数が無いから、ω=0 であり、ωL=0 である。電源電圧 V「V] とすれば、電流は

式   I=V÷R [A]

となり、コイルのインダクタンスLaa[H]は式には現れず、負荷に影響を与える意味は無く、『エネルギー』伝送に何の意味も持たない解釈となる。

コイル内の『エネルギー』を考えてみよう。電流の式にはコイルの意味は現れない。しかし電気回路内の現象で、コイルが全く存在しないと同じかと言えば、そうではない。コイル内には必ず『エネルギー』が貯蔵される。その『エネルギー』をどの様な物理量と認識するか、それは科学理論での『エネルギー』の概念とは何を指すのかの問題でもある。市民が学校教育で受けるべき科学リテラシーの基礎的素養としての内容に関わる問題でもある。コイル内の空間に実在すると考えるか、数式上の抽象的な意味で考えるかの問答である。

答えは空間には『エネルギー』が実在するだ。それが自然世界の物理的(物理学理論的ではない)実像である。しかし、ここ迄科学技術が進展し、ドローン空撮、極超音速ミサイル、自動運転自動車等空恐ろしい程の、予測し難い未来社会に突入しようとしている。技術は進展すれど、自然認識の基礎となるべき現代物理学理論が余りにも前時代的な認識の誤りの中を彷徨う現状を恐ろしいと思う。

『エネルギー』が空間に実在する物理量だと見做せない意識の中に、基礎理論としての役割を果たしていない科学常識の過ちの中に居る。

そんな自然哲学、社会科学の課題を多寡が電気回路の電磁現象の中からではあるが、明らかにしなければならない未解決の問題の中に居る。『電子』が電気回路で、何の役にも立たない概念である事を長く指摘してきた。電流計のコイル内の『エネルギー』の実像を考えれば、そこに『電子』がどの様な役割を果たすと理解しているかを個々人が考えれば、上の意味が分かる筈と思う。

そんな科学理論の基礎の危うさ、矛盾の困難の中を、皆が泳がされているのだ。科学技術の経済的競争の中で、経済的利益に無関係の基礎概念など、誰も研究対象として取り組まない。電流は『電子』の逆流だ等と逃げているようだ。狭い専門性の細分化された研究体制は哲学を忘れたカナリヤ科学論になる。

『エネルギー』一つの意味を認識して欲しい。波はエネルギー流 (2021/10/08) など誰もが観測できる『エネルギー』の物理現象だ。『エネルギー』を忘れてはカナリヤ科学論から脱却しなければならない。

今までの物理学理論では、光についても『エネルギー』の空間の流れとは認識していないようだから。振動数では空間の『エネルギー』が認識できない。

直流回路の電流計が電気回路内で、どの様な『エネルギー』を計測しているのだろうか。回路定数C[F/m] およびL[H/m]との関係を含めて考えてみよう。

結論。記事 電流計とエネルギー流 (2021/10/ 23 )にまとめた。

 

 

ヤッパリ『電荷』だ❓

(2021/07/03)。『電荷』否定への道 (2014/06/03)に思う。

今、矢張り勘違いでなかったと。科学論の根源概念を否定するなど正気の沙汰ではなかった。

しかし、『電荷』が何時どのように科学理論の岩盤となったかを考えると精々100年少しの期間であったように思う。

いま改めて、30年程の無駄と思える孤軍奮闘を振り返って感謝したい思いだ。

多くの物理学の歴史で、ラザフォードの原子論やアインシュタインの特殊相対性理論などについて、改めて物理学理論の意味を考える具体的な考察対象になるような気がする。何か素人の物理学論と笑われそうだが。『電荷』だけは自然世界には存在しないと確信した。新潟県立十日町高等学校の化学の授業で「共有結合」の意味が理解できずに、化学の学習を諦めた事を思い出す。

雷と電荷の物理

(2021/06/22)。とても興味ある記事が手元に在る。専門家の論説だ。

雷の正体(2012/11/13) は筆者の記事だ。『電荷』が自然界に存在するか、しないかで別れる観方だ。

長く電気回路現象の物理的理屈を考えてきた。結論は電気回路に『電荷』は無意味な概念で、そんな物理量が自然世界に存在する訳はないと確信するに至った。

だから専門家が解説する「雷」の物理現象解釈は全く間違っているとしか言えない。『電荷』など存在しないから、他の解釈に因らなければ意味が無い説だ。

雷の特徴は何か?

『ピッカ』と光の放射を伴う。先ずその光は何が光になったのかを解説しなければ、物理学とは言えない。その光が『エネルギー』と理解しているのか?『エネルギー保存則』と言う物理現象の根本原理をどの様に専門家は意識しているか?『エネルギー』の意識無しの物理論は全く信用できない。それは自然を観ようと意識しておらず、物理学論を論じているだけでしかない。それも専門的解釈論で。

その専門家の論理は、勿論電気回路での『電荷』や『エネルギー』の役割など考えたことも無い中での解説論であると思う。

見えるもの 見えないもの (2015/03/12)。雷は見えるがその本質は見えないようだ。本質は『熱エネルギー』だ。

科学論と検証

(2021/06/16) 。科学論は客観的な検証が要求される。

科学論に限界は無いのか?どのように検証すればよいか。

ロゴウスキー電極とエネルギー流

科学的な計測が出来ない現象。ロゴウスキー電極間の静電界と言う科学概念は『電荷』によって発生すると解釈されていた。しかし、電荷を否定する科学論はその検証法があるだろうか。電極間のエネルギーの流れを唱えても、そのエネルギーを測定する実験的方法が分からない。それは丁度、光のエネルギー流を実験的に測定することと同じように思う。

ロゴウスキー電極間空間のエネルギー流がどの様であるかは分からない。その科学的論証方法はあるだろうか。特に電極中心部のエネルギーの流れが如何に在るか?

新世界への扉‐コンデンサの磁界‐ (2011/02/17) 。

 

大学入試問題例(エネルギー問題)

基礎ほど難しい。『電荷』と『エネルギー』の間の問題。記事の文末に追記した。電気現象の解釈矛盾の最大問題、それが電池が『エネルギー』の供給源であるとの認識の欠落であると理解した。論理性の欠落が科学論の課題だ。電気回路技術論は貴重な実用における技術科学文化である事には変わりがない。『電子』による科学理論・物理学理論が自然現象の真理を説くものではない事である。『電荷』は決して自然界には存在しないのだ。そこで次の問題である。

大学入学試験で、次のような問題を課したなら。

【問題】上の図の電気回路で、電池をスイッチSでコンデンサにつないだ。次の問いに答えなさい。

(問1)電池は何を供給する機能用品ですか。

(答) (         )

(問2)コンデンサには何が貯まりますか。

(答) (         )

現在の教育課程で子供たちに教えている事に対して、その教育内容をどれだけ修得し、大学での進んだ高等教育を受けるに必要な能力を備えているかを見るのが入学試験の目的であろう。

答えは (エネルギー) でなければならない筈だ。

もし (電荷)と回答したら、おそらく教育内容を修得した効果が出た事に成りそうだ。特に、(問2)のコンデンサに電荷が貯まるとなれば、教育内容に沿うとなろう。

コンデンサの正電極側には電池からどのように『正の電荷』が貯まる事になるか。クーロンの法則に逆らって、どれ程の同じ『正の電荷』が密集できるのだろうか。

(2021/05/27)追記。コンデンサと電荷‥についての記事で、電流は流れないけれども電荷は貯まると❓ この解説記事は余りにも酷過ぎる。こんな内容を学習する羽目にある学習者はどうなるのか。間違いを世界に広げる手先になるのか。通商産業省は、こんな解説の試験問題が出題されるとすれば、受験生に対して誤った知識を要求する事に成る。これが科学技術論か? と言わなければならない事態になった事はとても悲しい。50年前に、筆者も電気主任技術者第二種免許(宮澤喜一通産大臣)の認定を受けた。当時の電気工事士、高圧電気工事士などの免許も取得した。電気回路の解析は得意だ。しかし残念ながら、電気技術理論は極めて重要な技術論ではあるが、それは自然界の真理からは程遠い科学技術用の仮想概念(自然の真理としては、電圧や電流の概念が)でしかないのだ。その理論的現状の混乱の責任は『現代物理学理論』が背負わなければならない問題である。更に子供達への教育の未来について、喫緊の課題として教育機関及び授業担当の教育者・教科書編集者がその責任を負わなければならないのだ。論理的矛盾に目をつむる事は許されない筈だ。科学技術理論と物理学理論の違いを明確にすることが求められている。

電気現象の基礎を深く考えると、だんだん科学理論と言う内容はその論理性が無いことに気付く筈なんだが?結局『電荷』と言う自然界に存在しない物理概念量を仮想して構築したところに問題が有ったのだ。

電荷Q[C]とは何だ❕

(2021/05/18) 。「電荷とは何か」と検索した。「受験物理ラボ」に筆者が指摘したかった電荷問題があった。参考にさせて頂く。

電荷の論理性 (2020/10/26)で取り上げた課題でもある。

『〈問題〉二つの電荷の帯電体があり、接触すると、電荷は幾らになるか。

〈回答〉二つに等しく分かれるから、

{4.0×10⁹ +(-6.0×10⁹) }/2 = -1.0×10⁹ [C]

の電荷量となる。』と言うような解説である。

電荷が自然界に実在すると言う科学認識に立てば、当然上のような問題が取り上げられてもおかしくない。それは科学常識の科学パラダイムであるとも言えよう。

ただ帯電体の形状と『電荷の保存則』に対して、どう理解すれば良いか少し疑義は在る。プラスの電荷とマイナスの電荷は相殺して消えてしまう事に成ると言うのも解る。もし、両電荷とも等量なら、

4.0×10⁹ +(-4.0×10⁹) = 0[C] 

と、ゼロ[C]になる。

ここで、この電荷概念の不可解な疑問が起きる。この世界で『実在』するものがその存在も無かった如く消え去るなど、『あの世の幽霊』の話としか考えられない。実在する物は光などの『エネルギー』から成り立つものである。コンデンサの電極に正と負の電荷が充電されたとする(実際は電荷などでなく、『エネルギー』の貯蔵であるが)。その電荷が合体して消滅したとする。その時ただ消滅するだけでなく、アーク放電などで火花として光の『エネルギー』が放射される筈である。それが技術の世界の現実である。

電荷Q[C]が空間に在ると科学パラダイム・物理学理論によって仮定する。

Q[C]とその周りの空間の物理学的状況をどの様に解釈するか?図は古い記事のものだ。

電界強度ベクトルE(r)[V/m]の空間点p(r)のエネルギー w(r) [J/m³]を認識する筈だ。それは電荷Q[C]がもたらした空間の『エネルギー』の筈だ。物理学理論でこの『エネルギー』を認識するか無視するかを確認してもらわなければならない。この程度の電気概念にきちんと解釈を示さなければ、物理学理論の教育的意義が無くなろう。この認識がマックスウエル電磁場方程式の『エネルギー』の解釈に繋がるのだ。電波が横波だ等と逃げてはいられない筈だ。電界も磁界も『エネルギー』に無関係では済まないのだ。

むすび。 電荷概念はそのエネルギーとの関係の論理的な収拾がつかないのではないか。電荷Q[C]が空間全体に無限遠方まで、『エネルギー』を伴う等となれば、理論の野放図な無責任論となる。市民が誰でも分かる理論である事が物理学理論に求められているのだ。教科書を書かれる方は、空間に表現する「電荷と電界とエネルギー」の関係を御理解されていると思う。曖昧な内容を教える事は子供たちに申し訳ない。教育機関及び関係者の課題である。

電荷の論理性

長い間科学論、特に電気理論でその基本概念に『電荷』がなっていた。原子理論も雷もみんな専門家の解説はそのプラスとマイナスの『電荷』が基礎に成っている。クーロンの法則で、電荷間の『力』が科学論の拠り所として長い伝統を支えている。

電荷に論理性が有るか?

余りにも素人らしい疑問であるが、プラスの『電荷』+Q[C] と マイナスの『電荷』-Q[C] が結合したら、そこには『何』が生まれるのか?

算数で、    (+1)+(-1)= X

の X は幾らか?と尋ねられた。

答えは     X = 0

となる。

『電荷』の場合はどのような論理性で解釈すれば良いか。理科教育の未来の希望を尋ねる問題としたい。子供達も学校の先生も考えて欲しい。

 

不可解な電荷

電気理論は易しいようで難しい。その訳の一つは数式で解釈する処に在るのだろう。数式で表現されると、数学的な内容を理解しようとして、電気的な現象の中味を理解する事に注ぐ余裕が無くなることも原因に成っていよう。後で不図不思議だとか、何故かと疑問が浮かんでも、考え直す時間的余裕がない為、後々までももやもやが残るのかと。ITなどに、質問で『電荷』とは何かと疑問が多いようだ。数学・数式は『電荷』が実在するかしないかを論証はできない。人が設定した条件・仮定の上での解釈しか論証できない。科学理論の根源的概念に、『電荷』、『質量』更に『光』あるいは『エネルギー』などを挙げて良かろう。それらの中で際立って不可解な物理量・概念が『電荷』である。多くの皆さんが自然界に実在すると考えているかと思うその『電荷』を否定する為に長い30年以上の道程を辿って来た。学術論の「雷」などもその『電荷』概念に基づいて論じられている。その『電荷』を考えることは、自然科学理論の何たるかを考えることにも通じることである。
《電荷問答》
初学者が後々疑問に思うだろうことを問答形式で取り上げたい。この辺の内容を授業をなさる先生方に良く汲み取って解説をして頂きたいと思ってもいる。授業の展開方法に、論理的矛盾は無いか?本質的に見過ごしている視点は無いか?本当に深く突き詰めて納得して教えているか?失礼を顧みず少し気掛かりな視点を取上げて論じてみたい。『電荷』とは実に不可解な概念であり、とても自然界に実在するとは信じられないから。

①クーロン力。クーロン力はこの世界には『正電荷』と『負電荷』の2種類の『電荷』が実在することを絶対的な科学理論の条件に据えて、その電荷間に働く力を数学的な式で表現した自然世界の法則である。と言うことが現在の電気理論の世界の科学常識となっている。その法則が論理的に矛盾だらけで、これが科学理論と言うものの実体を示しているのだ。ここでは高校生があるいは大学生が教室で学習する教科書の内容の意味を自分で解釈する手掛かりに成ればとの意味を込めた解説の心算でもある。本当のところは、電気工学や物理学を学んだ、その後の大学院生あるいは現役の先生方に考えて欲しい内容でもある。

《問答第1》 そこで、最初の『問答』となるのはその電荷の『正』と『負』の違いはどのようなことなのか?形が違うのか?大きさが違うのか?色が違うと言うことは無いだろう。何が『正』と『負』の違いを生む原因となっているのか?

《問答第2》 同じ電荷同士、『正』と『正』などは反発し合う。異種電荷同士、『正』と『負』の間では引き合う。それがクーロンの法則の基本的内容である。そのような力の掛り方が違う訳は、原因はどのような意味から起きる事か?科学論は理屈が大切であるから、因果律を大切にしたい。何か『電荷』の間の空間で異なる現象を生む理由が有ってこそ言えることであろう。

《問答第3》 図のように、+Q[C] や-q[C]で同じ『電荷』同士が集合する状態を説明に使うが、その集合する訳は何ですか。クーロンの法則に逆らって同符号の『電荷』が集合する理由は何ですか?それは雷の発生原因として学術論で論じられている解説の理由にもなることであろう。摩擦電気で『電荷』が『正』と『負』に分離し、同符号同士の『電荷』が集合すると言う論理にも関わることである。その集合の原因となる力は何ですか?

②コンデンサの充電・放電現象。コンデンサはエネルギーを貯蔵する回路機能素子である。しかし余り『エネルギー』を貯蔵すると言う解釈が示されていないようである。教科書では『エネルギー』より『電荷』の貯蔵機能素子と見られているようだ。『電荷』で解釈することが本当に『エネルギー』貯蔵機能として捉えられると言うのか?それは電気技術感覚から考えても無理に思える。本当に理解してもらいたい事は、感覚的にコンデンサの貯蔵という意味を、『エネルギー』の空間像として捉えて欲しいのである。『電荷』には『エネルギー』が見えないから。

《問答第4》 コンデンサの充電はどのようになされるか?直流電源のバッテリーB.にコンデンサ(容量C[F])を繋ぐ。たちどころに電極板の正と負側に『電荷』が『正』と『負』に分かれて集合すると解釈される。《問答第1》での『電荷』の2種類の話であるが、『正電荷』は基本的には陽子の電荷で、『負電荷』は電子の電荷となっている。しかし、陽子が自由に電子のようには移動するとは考えていないようだから、原子の電子が抜けた『ホール』と言う原子イオンを『正電荷』と看做して論理を組み立てているようだ。電極板の原子は移動できないから、その正電極板の金属原子の中の電子が負側の電極板まで速やかに移動しなければならないことになる。と言うことは直流電源のエネルギー供給の役割は正側電極板から電子を引き出し、負側の電極板まで運ぶことに費やされると考えるのだろうか?さて、コンデンサはエネルギーの貯蔵がその機能である。確かに電子を引き剥がして負側まで運ぶとなれば、仕事をすることになるとは言える。それでは何処でエネルギーが費やされるか?となる。コンデンサは電源のエネルギーのある分を受け持って貯蔵する役目であり、『エネルギー』は消費しない筈だ。エネルギーが費やされてしまうのはコンデンサの機能としては意味が違う。正電極板の原子から電子を引き剥がすにはエネルギーが要る。それはコンデンサの面目を潰すことに成り、許されない。原子から電子を剥ぎ取る力を電源がどのように働くのか?原子に対して電源の電圧は働きようがない筈だ。例えクーロン力(電荷間の)を仮定したとしても、直流電源の一方の端子だけでは何の電源電圧の役目も果たし得ない訳だから。勿論電源とコンデンサを繋ぐ導線内には電界は生じ得ない。この事は物理学会の専門家・学会発表の座長さえ電界が在るとの認識で有ったのは今でも驚きの一語に尽きるが。どのような意味で電界が有ると成るのかその辺から討論をしなければ話が噛み合わないのも確かなことである。導体内に、現在の物理学理論で解釈すれば、電界が在って初めて、電子が移動する可能性は生まれると解釈されている。電界で電荷に力が働くと言う理論そのものが自然の真理ではないのだが。しかしそれでもその科学常識の理論に従うとしても、そんな電界が電源電圧に因って、どのように導線内に生じると考えるのだろうか。結局、直流電圧で電極板に正と負の『電荷』を分離する理屈は成り立たない。当然直流電源が正と負の『電荷』を電源内部から供給する機能も同様に成り立たない。そこで初めて、電源の供給する『エネルギー』のコンデンサへの貯蔵がどのようになされるかの問題意識が生まれる筈だ。『電荷』でなく『エネルギー』の実在性を意識することが物理学の極める視点でなければならない。直流電源の負側の導線の近傍空間を通してコンデンサ内の空間に『エネルギー』が貯蔵されるのがこの場合の電磁現象の真相である。 

《問答第5》 電源が電池でなくて変圧器の場合も取上げた。はじめに、電池の場合は電池の『電荷』がコンデンサに供給されると解釈されるかと考えたが、上の《問答第4》でそれは無いことが分かったと思うから、変圧器を取上げる意味も無かったかもしれない。しかし、この変圧器電源ではコンデンサの『電荷』貯蔵機能は直流の場合よりさらに交流の為、極性まで交互に代わるだけ複雑になろう。『電子』は両極板の原子から剥ぎ取る機能の論理性を問うことになる。『電子』はそんなに光速度の速度対応は出来ない筈だ。それ程の論理的な困難が在っても、『電荷』『電子』で理論を構築するのかが問われる筈だ。それに対して『エネルギー』は光エネルギーのように、電線路空間を通してコンデンサ貯蔵機能に光速度の素早さで対応可能である。

むすび

『電子』論の矛盾を力学論から拾い上げて、アンペアの法則の論理的矛盾を解説する前にもう一度、『電荷』の持つ科学概念をサイエンスコミュニケーションの題材として取り上げた。ここでも数式に頼らないで、前の記事力の概念と電気物理に関係した意味で取上げた。