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電気エネルギーの測定法(電流と電力)

はじめに(2020/4/28)
『オームの法則』によって電気回路現象を誰もが容易に理解できる。『オームの法則』は1826年ドイツの物理学者 ゲオルク・オームによって独自に発見、公表された。(実は1781年ヘンリー・キャベンディッシュが発見したが死後数十年後まで知られずにいた、とある。)その優れた技術法則であるが故に『電流』、『電圧』さらに電力の物理的意味を深く考察する必要もなく今日に至った。ちょうど200年少し前の19世紀の初めに『電流』と言う概念が磁気によって電気導体から離れた、空間にその姿を示すという新しい発見が『アンペアの法則』として捉えられた。その『電流』の単位アンペア[A]が電気現象解析の根本技術概念となって、すべての電気量の基本単位系 [MKSA] の基となっている。しかし、ブログの初期の記事に電流は流れず (2010/12/22) を、さらに去年電子は流れず (2019/6/6) を投稿した。それは『電流』と言う技術概念が自然認識の曖昧さを許す科学理論の根幹をなしている現代的社会問題として捉えた論説でもある。科学理論がその特殊な専門家集団の中で、特に分かり難い理数的表現に特化した形式で醸し出されて、一般の市民の科学認識に如何に曖昧な理解の混乱と弊害を及ぼしてきたかを唱えざるを得なかった。世界には決して『電荷』など実在しないのだ。世界の本源に『エネルギー』が存在していることを分かって欲しいからである。

電流とその測定
電気回路の電線路に電流計を繋げば、その電線の中に如何にも『電流』が流れているが如くに針の振れで示すから、決して誰も『電流』を疑わない。電線導体の中を流れる『電流』を自然現象の真理と考えて疑わない。そこには超電導現象という新たな発見もある。電線導体内を流れる『電荷』があるとして、それが自然の真理と捉えられてきた。電流計で計測しているものは何かを知らなければ、『電流』の意味は分からない。

Ampere meter  電流計の内部は右図のようにその基本計測量は可動コイルと言うコイル内に貯蔵された『エネルギー』の量である。そのコイルに流せる『電流』の最大値は大よそ100[mA]程度という事である。測定電流 I[A] のほとんどはコイルと並列に小さな値のシャント抵抗 r [Ω]に流す。だから電流計で測っているものはその抵抗に掛かる僅かな『電圧』分に相当する『エネルギー』分布を並列のコイルに取り入れて、そのコイル貯蔵『エネルギー』の量を磁気的な力によって測定しているのだ。決して『電荷』が電線の中に流れている『電流』と言う概念の「自然に実在する物理量」がある訳ではなく、コイルの電線周りに貯蔵された空間に実在する(光と同じ)『エネルギー』の回転流を計っているのだ。電気回路の電線はその電線で囲まれた空間を電気と言う『エネルギー』が光速度で流れて負荷に『エネルギー』を供給する役割の、その導きの道路の機能なのだ。だから『電流』の逆向きに『電子』が電線導体内を流れる等と言う解釈もハッキリ言わせてもらえば、それは『嘘』の科学論なのだ。光が何処(何もない空間)を通るかを考えれば、光と同じ速度で伝播する電気の『エネルギー』はやはり電線の中など通れる訳が無いと分かる筈だ。そこに大きな科学理論の混乱が現在の哲学的課題としてすべての地球の人に課せられているのだ。電流計で測っているものが何かを知るには、科学技術の中の姿をきちんと理解すること以外に自然の姿を知る方法は無いのだ。その事は高等数学の式では理解できない、例えば『電荷』の存否を数学の式では説明できないことも知らなければならない。

電流計則の式。電流計が何を計量しているかを式でも考えておこう。電流計の内部合成抵抗 rA からコイル電流 IA は(1)式となる。ただし、負荷電流が I[A] である。その電流計のコイル貯蔵『エネルギー』 WA は(2)式となる。ただし2分の1の係数は省略する。さて、この貯蔵『エネルギー』 WA[J] は負荷電力 P[W] と次の関係にある。

この(4)式から、結局コイルの『エネルギー』WA は電流計の内部定数 KA によって、次の(5)式のように負荷を計測していると見做せる。

(5)式の WA は負荷電力 P[W] と負荷抵抗 R[Ω]の比を計量していると見做せることを示している。次元はKA[H]よりP/R [(J/s)/(H/F)^1/2^]=[J/H]である。

電力の測定

電力測定 P=VI(W)       電気回路の『エネルギー』の測定法。その第一歩が電力測定であろう。それは電気の『エネルギー』を如何にも電気商品のごとくに商品として販売するに欠かせない技術である。しかし、『電圧』と『電流』の積では商品としての『エネルギー』量の計量には成らない。しかし乍らまず第一歩として、『電圧』と『電流』の積が何故負荷の電力値 P[W] となるかを図のコイルの貯蔵『エネルギー』 WA[J] とWV[J] からその意味を算定してみよう。電力測定法で、何故『電圧』と『電流』の積が「電力」になるかの分かり易い解説が見えない。科学技術の優れた英知の結晶を、噛み砕いて理解することの大切さを忘れないで欲しい。

コイルの貯蔵『エネルギー』 Wv を電圧 V として計測している。この意味について、先に電気エネルギーの測定法(電圧)に示した。その電圧値は負荷との関係で、『電流』の測定値の意味(4)式から、次の(9)式の意味を計測していることになる。

電流計の並列内部抵抗値 rA に対して負荷抵抗値 R は大きいから、端子電圧に対する電流計の電圧降下は無視できよう。従って、(4)式と(9)式から

負荷電力 P[W] は『電圧』 V と『電流』 I の積となる訳の意味である。以上のすべての解析は『オームの法則』一つによって解釈できた訳である。如何に『オームの法則』が簡便で、優れているかには驚嘆せざるを得ない。結局技術概念の『電流』と『電圧』と言う二つの測量技術が電線路空間を光速度で伝播する空間の『エネルギー』を捉えた手法である事に、如何に現代科学技術社会がその恩恵に預かっているかを知らなければならない。その法則の深い意義を知らなければならない。しかし同時に、電線導体の中には『電荷』など流れていない意味も計測技術を通して知らなければならない。

『エネルギー』の測定法。
電力量計として現在『エネルギー』の取引メーターとして使われているものが積算電力計[kWh]メーターである。どこの家庭にも玄関の外に取り付けられている計量器である。使用電気『エネルギー』量に応じて、アラゴの円盤の回転量で計測する優れた計量法である。電気技術の優れた結晶がこの積算電力計であろう。アルミの回転円盤に使用電気『エネルギー』の量に相当する電磁力を働かせて、円盤の回転回数として『エネルギー』の量を計量する『エネルギー』計量法の電気技術利用の優れた計量器具である。『エネルギー』は人がそれを物理量として決して目に捉えることの出来ない自然の姿であり乍ら、それを見事に計量している。科学技術に乾杯。科学技術のその深い意味を捉えることが、その奥に隠れている自然の姿を理解するに欠かせない筈だ。空間に展開する物理量の『エネルギー』の姿を理解することが自然を知るに欠かせないのだ。『質量』とは何か?『電荷』とは何か?『エネルギー』を知らずには、自然の深い真相を知ることのできない自然科学の道である。マックスウエル電磁場方程式が何を表現した式であるか?スマホの電波も電気『エネルギー』の空間への放射と消費である。直流電気回路も電線路の空間を電気『エネルギー』が伝播する現象である。その直流回路の電気『エネルギー』も線路空間を『光速度』で伝播する『エネルギー』の伝播現象である。図のように電源の負側の導線に沿った空間を負荷まで『エネルギー』がほぼ光速度で伝播するのである。電線内を『電子』などが光速度で流れることなど決してできる訳がない。しかも『電子』には『エネルギー』を伝送する機能・能力など、その物理的定義として付与されてはいない。『電子』のエネルギーは原子周回運動の運動エネルギー論で、質量に依存した概念しか仮想的な付与でしか定義されていない筈だ。その運動エネルギーを負荷に届ける、『電子』の往路と帰路の『エネルギー』の増減論は聞かない。『電子論』には『エネルギー』伝送の論理性が全くないのだ。だから『電子』が電気回路で役立つ論理性などどこにも無いのだ。

おわりに
『エネルギー』の姿の一端でも空間に展開する姿を御理解して頂けるかと述べた。自然の本源が『エネルギー』であることを唱えた。

(関連記事)何度も同じような事を述べた。筆者が論じる科学論は所謂科学常識からかけ離れて、しかも高度な数学的記述でないことから「文学論」だと言われもしたが。しかしITネット空間の解説にはこれが科学論かと思える論理矛盾の内容が満ち溢れている現状は間違っているからである。「電子と電気エネルギー」などと検索すると、少し古い記事で「電圧と電子と電気エネルギーの関係は? 」に当たり前と思える質問がある。それに対する回答者の余りにも陳腐で、何も考えていない姿が観え、悲しい。科学常識のひどさが『電子』に現れている。現代物理学理論に『エネルギー』の空間像の認識が無い点が最大の現代的教育の課題となっている。マックスウエル電磁場方程式の解釈に『エネルギー』の認識が欠けている事が原因かもしれない。

技術概念「電流」とその測定 (2018/9/24) 。電子は流れず (2019/6/6) 。電流は流れず (2010/12/22) 。エネルギー[J(ジュール)]とJHFM単位系 (2010/12/18) 。また、「電流は流れず」の確信に至った訳を少し述べた、電圧・電流とエネルギーと時空 (2019/8/11) 。

摩擦熱とコンパス (2020/3/22) に『静電界は磁界を伴う』の実験写真を示した。電界と磁界は『エネルギー』から見れば、同じことを知ってほしい。

The magnetic force and energy flow   

『電流』が磁気を発生すると言う。『電流』の流れる回路にコンパスを近付けると、確かにコンパスは力を受けて決まった方向を向く。しかし、『電流』は電線内の『電荷』の流れる時間微分と定義されている。それがアンペア[A]である。同じことが『電子』が電線内を流れると解釈しても、同じように電線近傍の空間に磁気の力が及ぶという。現代物理学理論の論理性として、電線内から離れた線路空間に磁気力を及ぼす原因としての力の真相は何なのかを明確に解説しなければならない筈だ。電線内部の『電荷』の移動が、電線内全体に同一の『電子』密度で分布しながら移動すると、磁気を帯びたコンパスに力を及ぼすことになる訳は何か。『電子』が流れるという論理には、電線導体の負側だけでなく、正側も同じく『電子』が充満して流れる事をも含んでいることになる。『電荷』の分布による『電圧』の原因解釈も、正側電線内のプラス『電荷』と『電子』の負『電荷』との兼ね合いで、どの様にその論理性を解釈できるのか?もう一つ重大な論理矛盾がある。それは力の物理学的解釈では質量に働く以外『慣性』の無い対象に「力」の概念は成り立たない筈だ。力の概念と電気物理 (2019/5/21) 。「クーロン力」の概念適用は根本的に論理に反した『力』の概念矛盾である。さて、『電子』がどの様な力をコンパスの動きに作用力を及ぼすと物理学理論では解釈するのか?筆者がマグネットの近傍空間に観えない『エネルギー』の流れとして確信したその方向は、十数年前にこの図の Energy flow の方向に依って決定した。

技術概念『電流』とその測定

はじめに

電気技術は現代社会の基盤を成している。電気理論や回路技術さらにIT情報網は完成された必須の科学技術となっている。しかし《電流とは何か?》と検索してみると、そこに表れる解説は全く訳の分からない説明となっている。殆ど電子の逆流を言うとある。この科学技術社会で、学校教育はじめ科学常識と看做されている内容がどこからこのように決まった解釈手法に迷い込んでしまったのだろうか。『電流』は科学技術概念であり、実に素晴らしい電気計測量なのである。電流は電流計で計る計測量である。それでは電流とは何かを理解するためには、電流計で計るものが何であるかを知らなければならない。今まで『電流は流れず』などと言ってきた責任もあるから、もう一度その意味を解説したい。

可動コイル型電流計

電気回路は電源が電池のような直流が分かりやすいであろう。その回路に流れる電流のアンペア[A]の値を計る測定器の代表が可動コイル型電流計である。それは何を計っているか。

図1.可動コイル型電流計 計器を①可動コイル部構造と②内部回路で表した。回路に流れる電流I[A]をどのように計っているかが計器の動作原理となろう。電流と言うのは電流計で計ったアンペア[A]の値である。電流計は電子の流れ(逆流)など計れる訳が無いのである。電流I[A]と言うものは物理量(自然界の実在量)ではなく、あくまでも電気技術の計測手法として確立した科学技術量なのである。単位アンペア[A]も電荷クーロン[C]の時間微分あるいは単位時間の通過電荷量で定義され[A=C/s]となっている。この電荷の時間微分値等も電流計では測れない。そこで電流計が何を計っているかを知る必要があろう。

電流計は電圧計でエネルギー計測器

基本的には電流を検出するのは抵抗の電圧降下である。②の計器内部のシャント抵抗rs(回路に影響しない精密な低抵抗)に流れる電流Isの電圧降下rs Is [v] を検出しているのである。その電圧をコイルLとそれを囲んだ磁石NSの部分で、電流I'[A]という電流の大きさをコイルの回転角として読み取っているのである。電流計の心臓部とも言える部分が①可動コイル部構造である。磁石とコイルの位置関係がコイル電流I'[A]の値で変わる。磁石とコイル電流の間に働く力の関係はフレミングの法則として説明される。それが教科書の説明であり、それで電気技術者として知識は十分であろう。しかし、物理現象として踏み込んで理解しようとすればそれでは不十分ではなかろうか。直流回路のコイルの意味である。コイルの電気特性はインダクタンスL[H]で捉える。直流回路の場合、コイルが回路内に繋がっていても、電気的に変動が無ければコイルは無いと同じことである。電気的変動が無ければ、コイルの存在は無いのである。それは何故か?コイルとはどのような特性の機能要素かといえば、エネルギーの貯蔵機能がその特徴である。一度コイルにエネルギーが貯蔵されてしまえば、電気回路に変動が無い限り、電気現象はコイルの無い等価回路で書き表される。コイル(エネルギー貯蔵タンク)を短絡して、コイルに負荷電流(コイル電流が内部で還流していると考えても良い)が流れないとしても回路現象としては問題が無い。ただし、コイルの損失が無い理想的な場合ではある。この(磁場と電流間に因る力と異なる)解釈はフレミングの法則の表現する意味とは異なる。磁界を磁束で解釈する科学常識と異なるから。そこで電流計の指針を回転させている力は何かとなる。コイルの周りには、エネルギーが貯蔵されているのであるが、電流が貯蔵されている訳ではない。コイルのエネルギーは電気理論では W=(1/2)LI’^2^[J] とコイル電流で解釈する。それではそのエネルギーとはどのようなものと考えるのか。コイル内の空間にエネルギーが在ると考えるか、そう考えないのか。その解釈が極めて重要なのである。どうも物理学理論では、空間にエネルギーが存在すると解釈していないのではないかと思う。質量に関係しないエネルギーの実在というエネルギー概念が欠落しているように思える。光のエネルギー空間分布と同じ意味の電気現象の解釈が無いようだ。コイルに働く力はエネルギーにあり、その二つのエネルギー流間に因る力でコイルは回転するのである。

①可動コイル部の空間エネルギー

NSの磁石とその中のコイルの磁気について、電気理論では磁束で解釈する。磁束という概念も磁気現象解釈の為の技術概念でしかないのだ。それも空間のエネルギー流の技術的解釈法でしかないのだ。実際は磁極もコイルもその周りにエネルギーが流れているのだ。コイルのエネルギー流が磁石のエネルギー流との間で力を受け、回転するのである。この解釈はフレミングの法則で解釈される現象をエネルギー流間の近接作用力として捉える考え方である。科学論は実験的検証がその論説に欠かせない。だから空間のエネルギー流を観測する方法が無い限り、科学的とは認められないかも知れないが。見えないものを観ることは出来ない意味に成るか。ただ科学的根拠は30年前の『静電界は磁界を伴う』の実験結果のみである。

エネルギー近接作用力

図2.エネルギー近接作用力 コイル電流というものに対して、コイル貯蔵エネルギーは電流と逆向きにコイル内近傍を還流しているのである。回路状態が変化しなければコイル貯蔵エネルギー流は一定のまま流れ続ける訳である。従って、コイルに電流が流れ込む理由は無く、コイルは理論的には回路から切り離されたと考えて良い。元々電線内を電流が流れる訳ではないのである。電線近傍をエネルギーが流れているだけなのであるから。磁石の磁界も図のように磁極表面をエネルギーが還流している磁気現象なのである。今までコンパスの磁気の意味をエネルギー流で解説して来た。磁気はその結合力で特別の強さの意味を持っている。その力の源を磁束という直線的な捉え方では意味が理解できない。力は回転現象に秘められていると解釈する。原子結合力も磁気的エネルギー流にあると思う。参考: 電荷棄却の電子スピン像と原子模型 日本物理学会講演概要集 第64巻2号1分冊、p.18. (2009) にも論じた。

負荷電力と計測

1820年頃、ようやく電気現象の謎が解き明かされるようになった。エルステッドが電流の磁気現象を発見、アンペアが法則を唱えた。と説明される。その当時『電流』などの意味が分かってはいなかった筈だ。言葉で電流の磁気現象と言われると、如何にも電流が分かっていたように錯覚する。電流を計る方法はどのようになされたのか。電流計が完成したのは相当後の1889年頃で、ウエストン型電流計などであろう。それまでにエジソンが1879年に白熱電球を発明し、まず電灯の文明開化が始った。電気エネルギーの供給が産業・商売に成る機運が生まれた。電球の製造・販売や電力供給が産業に成った。さてどう負荷供給電力を、商売の対価を得るために、計るかとなる。測定技術・測定法および測定器が必要になる。何をどう計るかが研究対象に成った筈だ。1881年パリ電気会議で、電気単位 V (ボルト)、A(アンペア)、 Ω(オーム)、 C(クーロン)および F(ファラッド)が決まった。その基準の電気量がどのように決まったかは知らないが、この頃から電流の単位アンペア[A]の計量が研究されたのであろう。

図3.負荷のエネルギー測定技術 直流回路の負荷の消費電力を計るとなれば電圧計と電流計で計る。電気回路の初歩の理論だ。しかし、19世紀中頃を思えば、この測定法を編み出すにどれ程の智慧を絞ったか。ここに西洋技術革新の先進的な努力が隠されていると思う。負荷電力はP[W]で、1秒間の消費エネルギージュール[J]の値を意味している。そんな物理量をどう測定すれば良いか?ストップウオッチで計る訳ではない。電流と電圧で計れるのだ。その測定法を不思議と思わないですか。科学技術の智慧の結晶なのだ。電気を販売するとすれば、エネルギー量となろう。供給したエネルギーの算定はどのようにすればよいか。エネルギーを直接測る方法は難しいだろう。エネルギーが計れないのに、電圧と電流を計って負荷電力p[J/s]を計る方法を完成した。現在は電力量計(ワットアワーメータ)E[kWh]で各家庭への電気エネルギー量ジュール[J]を計っている。

電流計・電圧形で計るもの

電流・電圧の意味 電流も電圧も負荷の電力と抵抗値を計算した値なのである。誠に不思議なり。だから電圧と電流の積が電力p[W]になる。図3.②等価回路とエネルギー流で、電圧・電流計の計測部のコイルは直流回路では変動が無ければ、電源からのエネルギー流には切り離された状態にある。そのコイルに貯蔵されたエネルギー量はコイルの直列抵抗をrとすれば、

電流計ではW=(1/2)L(rs/(rs+r))^2^P/R [J]

電圧計ではW=(1/2)L(1/r)^2^PR [J]

となる。計器内の回路定数と負荷特性の関係を表示している訳である。

むすび

以上身近な言葉である電流について述べた。ITなどを検索すると、電流の意味について、中学生向けの解説記事にも電荷、電子が電線内を流れているとある。それが科学常識となっている。専門家が論説する科学リテラシーの問題になる科学的理解とは何を目標にすべきか。自然科学の内容が自然を観察し、その観察する機会に因って子供達のそれぞれの感性に任せるべきものが本筋ではないか。科学技術の為の競争を目的にした教育は理科教育と一線を画した科学技術教育なのだ。理科教育という余りにも偏った、決まり切った授業展開法に縛られ過ぎている処に重大な欠陥が在るように思う。電気現象一つを取上げても、本当に電線内を電子(電荷と質量混合体)が流れていると誰が観測できるのか。何故エネルギー流でないと証明できるのか。

回路とエネルギー流ー電流解剖論ー

毎日が人権侵害国家・日本。自然科学は数式で表現できる内容は極めて限られた範囲にしかならない。己の心に照らし合わせて、自分が納得できる核心に迫るだけかも知れない。回路とエネルギー流長く追い求めてきた一つの結論を表明する。電流は流れずと言い切って来た。電気回路はエネルギーを供給する機能設備である。(2017/12/16)追記。図のエネルギー流(緑色の流れ)で電源の正極に流れ込む必要はないと考え直す。2015年の変圧器の奇想天外診断での実験で、天晴れ(コイルと電圧とエネルギー)にまとめた線路間のエネルギー分布がその根拠である。以下の記事は、その電源への流入を除けば、的を得た回路のエネルギー流の解釈である。また電流計のコイル内のエネルギー貯蔵量が負荷のエネルギー消費量を直接示す意味は巧く出来ている事だ。以上追記。どのようにエネルギーが負荷に供給されるかは、物理学の究明すべき核心になる。単純な直流回路で、負荷にエネルギーが供給される基本認識を示したい。回路に流れるエネルギー及び貯蔵されるエネルギーを緑色で表現した。その流れる方向と分布を自分の心に共鳴する姿で表現した。回路配線の負側から負荷を通して電源のプラス側に流れ込むと解釈した。負荷抵抗にはそのエネルギー回流の有る分が抵抗表面からエネルギー密度流S[Js^-1^m^-2^]が内部に吸収され、エネルギー貯蔵される。その量が状況に釣り合う時点でエネルギー平衡になり、熱・光の放射量と吸収量が釣り合う。コイルのインダクタンスLにはいはゆる磁気エネルギーとして貯蔵される。
電流概念 電流と言う物理量は無い。電流と言う科学技術量はある。電流計で計測する量は誠に巧い科学技術量である。直接エネルギー流を測ることは出来ないから、電圧計と電流計とにより巧くエネルギー消費量の時間微分値を計算する方法を考えたのである。電流と電圧の正体にその計測するものの意味を記した。技術の持つ深い意味をくみ取らなければならない。しかし同時に、自然科学理論としてそれらの技術量を認識するには、あくまでも「物理量」ではない事を理解しなければならない。

エネルギーの回路主循環流量と負荷吸収消費量ー仮説ー (2018/12/05)追記。この記事を書いた2013年にはまだ十分電線路内のエネルギー流に付いて確信には至っていなかった。だから電源を通して循環するエネルギー分が有るかと迷っていた。その迷いで「主循環流量」等の意味で解釈したのであり、それは間違っていたと今は理解している。だから以下の記事は無意味であったと後悔している。以上追記。回路の電気的規模は感覚的にも、電圧が大きく規模を決めるようである。回路に流れるエネルギーの流量には、回路の電気的規模に基づく主循環流量と負荷が要求する消費量の二つがあると捉えた。これを計測する事は出来ないと思う。あくまでも自分の感覚的共鳴点としての認識である。電圧規模と回路特性により、回路主循環量が決まる。負荷の状況により電流計で計測する流量が負荷吸収量を示すように見える。その状況を図の回路の中央に循環流で示した。エネルギーの循環流速度は光速度に対してどの程度の値かは認識できない。しかし光速度に近いだろうから、主循環流量のエネルギー流量が小さくても、大きな負荷電力を供給する事は容易である。何故なら、エネルギー流量が小さくても、光速度での循環流は連続で、1秒間の負荷への積算エネルギー供給量は大きくなる。その具体的な計算例を、生活電気と『光速度』に示した。

電流計は何を計るか

(2020/10/27)追記。少し関連記事を追記しておく。技術概念『電流』とその測定 (2018/09/24)。電子は流れず (2019/06/06) 。(2021/02/26)追記。電流計で表示する測定量は、結局磁気的現象を利用している結果である。電線路(負側)の近傍空間を光速度で流れる『エネルギー』を評価する技術的手法なのだ。物理的な意味で、電流計で測るものの意味を理解しようとすれば、磁気現象が空間の軸性エネルギー回転流である事を認識することで初めて分かるものであろう。

電流計は電流を計ると、誰でも当然のことと思うだろう。電流とは、誰もが電線の中を流れる何かであると思っている。それは『嘘』である。電気回路のエネルギーを伝送するには導線が必要である。一般家庭の電灯線でも最低2本の導線でエネルギーが供給される。大電力は3相3線式の送電線路になる。皆その電線の中を電流と言うものが流れていると解釈しなければ、電気回路の意味が分からなくなってしまう。どこの物理学者に聞いても、電流とは電子が電流と逆向きに流れていると答えるでしょう。電気の基本法則に『オームの法則』があり、学習の最初から電流の意味が教えられる。鉄塔の送電線路で、電線の鋼心アルミ撚り線の設計も電流密度で太さが計算される。流れていない電流が電気回路の基礎概念として世界の物理学教科書の基礎をなしている。物理学理論を解剖する。その好適例として、電流・電子概念を取り上げる。先ず最も身近な「可動コイル型電流計」(直流の電流計)をその考察対象として取り上げる。計測の原理は、電線の中の電流などを計るのではなく、流れると考えている電線コイルの周りの磁気と永久磁石の磁気との関わりで働く相互関連の力を利用しているのである。その電流計の概略図を示す。この電流計の働き・動作機能を解明するには、幾つかの電気の基本法則から考え直さなければならない。電線あるいはコイルの周りに、電流による磁界、磁束が発生する。その『電流と磁界の関係』は①アンペアの法則によって解釈される。(2013/03/05)追記。図に「可動コイル型電流計」の構造を示した。永久磁石の磁場内に計ろうとする回路の電流が流れる可動コイルを組む。電流の量に比例してコイルの磁場と磁石の磁場との磁力の相互作用で、コイル軸に固定した指示針が回転する。その回転量で電流の値を読む方法が「可動コイル型電流計」の動作原理である。『微弱電流』測定は『検流計』による。その原理は同じであるが、コイルに軸に鏡を付け、その鏡の光反射を利用すれば、微弱電流によるコイルの微弱回転をも検知でき、拡大した大きな振れを検知できる訳である。それは電流値の値よりも電流があるか無いかの検知が主な測定目的であろう。要は電流と言うが、電線内に流れている物など全く測定していないのである。空間の磁気状態の相互力を検出しているだけである。

可動コイル型電流計の計測する電気量 電流と電圧の正体にまとめた。負荷電力に関係する量を可動コイルに貯蔵することで、『負荷電流』なる電気量評価をしているのだ(2013/5/29 追記)。

①アンペアの法則 ところが、この事に『嘘』がある。「この磁界と電流の間に途轍もない『大矛盾』が存在する」ことを明らかにすることがこの論文の主題でもある。それは電子概念の矛盾点である。そのことを論じる前に、磁気とは何かを先に考え直しておこう。コイル電流による磁界は②右ねじの法則で共通認識されている。

②右ねじの法則 電流と磁界の向きの関係を右ねじで解釈して分かり易い。図の(ロ)のように円形コイルに電流 i が流れると、磁気・磁束密度Bの向きに磁石のN極が発生すると同等の意味で説明される。この電流 i が何故磁石と同じ働きをするかは誰も答えられない。それは、電流が何であるかの説明が誰も出来ないからである。電流が電子の逆向きの流れと一応説明するが、決してそれ以上に深くは考えないで済ませているのである。深く追究すると、分からなくなるからである。専門家のそれが得意技である。確かに、コイル電流が磁石と同等な働きをすると教え込み、無理に暗記させるうちに、何となく真理のように思い込むことになる。それが人間の『脳』の機能の特徴であるから。しかし、一つ疑問を持つと、理解できない、納得できない事に沢山ぶつかるのである。ここで簡単に、『磁気とは何か』についても触れておきましょう。もともと自然界に、磁束・磁束密度なるものなど存在していません。電気回路の技術法則として、便利な概念であるから、共通認識に取り入れただけであり、深く考えれば矛盾している事なのである。「静電界は磁界を伴う」を発表してから、磁界とは何かを考え続けて、その意味を自分で納得できる結論に到達した。磁気とは空間のエネルギー流である。

③磁気とは空間のエネルギー流である。方位コンパスを例にその向きを示しておきましょう。マグネットのN極は磁極の向きに対して、エネルギーは左ねじの向きに流れるのである。この向きを決めることに長い時間を要した。物理学理論は空間に存在するエネルギーの実在性を認識していないのである。ポテンシャルエネルギーも運動エネルギーもエネルギーを担う質量を必要としている。光が空間のエネルギーと言う認識が無い。磁気エネルギーは磁束密度、電気エネルギーは電束密度と、その実在しない概念によって捉えているが、そんな概念が無くても、エネルギーはエネルギーとして空間に実在しているものなのである。

さて、そろそろ結論を急ごう。電流が電子の逆流と考えるならば、その電子とは何者かを明快に説明できなければならない筈である。教科書は子供達に教える、未来に向かう指針である。その定義は、負の電荷と小さな質量を持った素粒子であると。もし電線の中を電子が通るとしたら、その電子の定義概念から、電線の外に磁気が発生する訳を説明できなければならない。電子の空間像をどのように認識しているか。誰も答えられない。電子とは、その空間的な実在性を如何に認識するかである。結論は、空間のエネルギー流でしかない。右の図の電流 i  による磁界Bが電子のどんな特質によって生じると言えるのだろう。アンペアの法則は電子・電荷概念の無い時代(19世紀初頭)の法則で、その理論の周回積分値の実証は出来ない。電子が電荷を保持すると言うなら、電気力線が電子に入り込む描像で捉えれれる。その領域がエネルギー空間場となり、電子の領域とも見做さなければならない。その電子のエネルギーが電線金属の中から、金属導体の静電遮蔽を乗り越えて、どんな理屈で導線外部に磁場エネルギーを生み出すと考えるのだろうか。更にもう一つ電子流の矛盾として挙げておかなければならない事がある。電子が負荷にエネルギーを供給するには、エネルギー保存則を補償しながら、どのような供給能力を持つと解釈すればよいのだろうか。殆ど説明できない矛盾である。(2013/04/30 追記)何が矛盾かという意味を解説しておきたい。電気回路で、負荷にエネルギーを供給する。ランプを付けると言う意味は、ランプにエネルギーを供給するから、そのエネルギーをランプでエネルギー形態を変換して、光として放射するのである。そのエネルギーを光に変換して放射する訳であるから、その『担い手』を電子に求めるなら、電子は電源からエネルギーを負荷のランプまで運ばなければならない。負荷で『エネルギー』という荷を下ろして、ランプに届けるとする。負荷に『エネルギー』という荷物を届けて、帰り道は『エネルギー』分だけ身軽になる筈である。電子に『エネルギー運搬役』を課すことは、『電子』概念の定義には無い責務である。『電子』もきっとそんな仕事を仰せつかっても、『エネルギー保存則』に違反する様な大それた責任は取れないと、駄々を捏ねるに違いない。『電子』は行きと帰りで『エネルギー保存則』に戸惑うだろう。要するに電源から『エネルギー』をどのように負荷まで運ぶかという基本的解釈を問うのである。その意味で、基礎のほとんどは矛盾から成り立っている。と看做さざるを得ない。

(2013/09/25)追記。『電子』とは?-物理学的「お化け概念」の図。電子とは何者か昭和61年、長岡高専で電気磁気学の講義をしていた『中曽根臨時教育審議会』の抹殺対象の生命の危機の中で疑問の原点に成った。それが『電荷』とは何かであった。(2016/04/27)追記。こんな抹殺対象だったなどと書く自分が情けない。しかし、今考えれば『以下余白』の不覚で既に長岡工業高等専門学校に在籍していなかったのだと分かり、巧妙な方法で殺害するより他に対策が無かったのかと理解できる。

『静電界は磁界を伴う』の検証実験が『電荷』の空間描像を明らかにするための挑戦であった。その後日本物理学会で電流矛盾などを説き明かす説明資料に使った図面である。電荷概念で最も馴染みのある用語は『電子』であろう。素粒子物理学研究では、ヨーロッパのSERNでは『陽電子』加速の実験が行われている。『電荷』のプラスとマイナスの違いがあるが、素粒子加速では『電荷』概念に基づく加速は電界によることに成る。そこで、『電子』の加速も『陽電子』の加速も、電極の電界方向だけの違いで、原理はみな同じである。『電子』を加速したいとなれば、その素粒子の寸法や形状および電荷の分布状況をどのように認識しているかが重要な原理解釈の基本であろう。それでは皆さんは電荷がどのように素粒子に付帯しているものと解釈するかを答えられるだろうか。そこで考える一つのモデルを示して、その電磁界内での『電荷』および『電子』の実像を考えて見ようと言う意味で示した。今は昔に成ってしまったが、ブラウン管式テレビの『ブラウン管』は、電子銃からの『電子』を制御するブラウン管内の電気回路はブラウン管に張り付けた電磁コイルである。電気理論では、『電荷』は磁界で制御はできない筈なのである。SERNも電磁石で円形軌道上の加速法が採られている。いろいろ苦心の加速説明をしているが、ローレンツ力では『電荷』と『磁界』の間での空間的遠隔作用力の原理説明は出来ない筈である。上の図で、『電荷』と陽極板(プラス電極)間の空間に加速するための電気力線を仲立ちにすると考えたとき、遠隔作用力の元が電気力線と言うことに成る。何故電気力線を仮想すると、加速引力の役目を果たすと言えるのだろうか。電気力線の存在は、それだけでその空間には『電界エネルギー』が存在すると考えなければならないのだが、その場合はそのエネルギーは何が供給しているものと解釈すれば良いのだろうか。陽極からの電気力線かあるいは電子からの電気力線からかにより、どちらが供給する場のエネルギーかを決めなければならない。しかし、場のエネルギーと言う解釈は、粒子加速の場では考えない事にしているようだ。理論物理学では、空間のエネルギーと言う質量に付帯しない概念は曖昧のまま、あるいは無視しているようだ。さて電界と『電荷』の間の力は電気磁気学の理論に従っている。しかし、『電荷』と磁界の間に働く力はどのような原理に基づくのだろうか。『電荷』から電気力線が磁界に届いたとしても、どのような磁界との関わり方で電気力線に作用力が及ぶと言うのだろうか。理論では『電荷』が速度を持つとその周りに磁界が生じると解釈するのが専門家の意見であろう。それがアンペアーの法則の意味であるから。ここではじめて、『電流』が磁界を生むと言う原理を考える糸口に到達した。上の図の『電荷』が移動すると、どのような訳で電気力線が磁界に変化するのだろうか。マックスウエルの方程式がその辺の理由の解釈原理には成っている。『電荷』と『磁界』は原則的に別々の概念であると成っている。『電荷』からどのように『磁界』を生むと説明するのだろうか。『電子』一粒が運動すると、何故『磁界』を生むかが26年前の疑問の原点である。関連の様々な周辺の概念を検討した結果に於いて、結局『電磁界理論』そのものが矛盾のまま構築されて、複雑怪奇の理論体系に成っていると言う結論である。どうぞ皆さんにお願いがあります。電荷が動くと何故磁界で出来ると解釈するかを御自分でお考えいただきたい。この様に法則が成り立っている、言われているからでなく、自身で理論の根本から納得する解釈を導き出して欲しい。その事で、『電流は流れず』と言う意味の『電流』の概念を納得出来ると思う。

磁力密度 f=rot(S/v)  日本物理学会講演概要集第63巻 p.310. に関連記事

参考記事 磁界・磁気概念の本質 電流は流れず 『電荷』と言う虚像 ファラディ電磁誘導則・アンペア周回積分則の物理学的矛盾