タグ別アーカイブ: 電流は流れず

オーロラと電磁界

(2023/05/28).

 オーロラは極地の上空に展開される、気体の発光現象である。地球極地研究所などで研究され、その解説がなされている。

 その中では、太陽風と言う解釈がその主要な発生原因となっているようだ。

 その太陽風は、太陽からの電子とプラスの電荷粒子がその主要な構成粒子と捉えられているようだ。

 そのような、『電荷』が基礎概念となった物理量に基づく電磁気学の教科書の解釈法が基本となっている。

 科学者のほぼすべての皆さんが、現代物理学理論の基本認識の下で科学研究を成されておられる。

 その解釈では必ず『電荷』が、論拠概念の基本となっている。『電界』は『電荷』によって空間に発生する電磁界の発生概念で、『磁界』は『電流(それは『電子』の流れ)』が流れることによって発生する空間の発生概念であると成っている。残念ながら、その現行教科書的な解釈である限り、電磁界の真相を科学的な論理性での理解が出来ていないと、残念ながら言わなければならない。

 ロゴウスキー電極空間の磁界(戻し) (2021/04/16)。更に、新世界への扉ーコンデンサの磁界ー (2011/02/20)。が電磁界の真相を示す実験結果である。 

 少なくとも、物理学理論に関わる科学研究をなさる研究者は、『静電界と解釈する空間には、必ず磁界が存在する』という意味の実験結果を学習し直す必要がある筈だ。その上で、プラズマとは何か?原子イオンとは何か?太陽風とは何か?等、『電荷』概念との関係に明確な解釈をお示し頂きたい。

 オーロラの形状は、とても不思議な天空の女神がお召しなさる、色鮮やかなレースに見える。地球上には、その表面に『エネルギー流』が在るのだ。地磁気とは、コンパスに流れる軸性エネルギー流との間の空間での近接作用力としての結果として検出される電磁気現象なのだ。『磁気』とは全く電流は無関係なのだ。マグネットのN極もS極も、ただ一つのエネルギーの流れる軸性の現象を、両端から見たエネルギー回転流の向きが逆になった状況を解釈した概念でしかないのだ。磁性材料の両端に、その極の周辺を流れる『軸性エネルギー流』なのだ。地球の地磁気も、同じく地球表面のエネルギー流の真相を解釈した状況なのだ。

電子流(1[A])の論理矛盾

(2021/05/02) 。1987年8月5日電気学会の電磁界理論研究会への論文を書きながら、『電流』概念の論理的な不適合に気付き、その概念棄却の思いに至った。あれから33年が過ぎた。電気回路現象はすべて電線路空間の『エネルギー』光速度伝播である。『電子』は、その光速度伝播に対応できない意味で、無用の仮想概念でしかなかった。しかし残念ながら、今でも電子は科学理論の根幹を支える物理概念となっている。

その後は『電流は流れず』と唱えてきた。電子は流れず (2019/06/06) にも述べた。中学生にも分かる説明が出来たらと思う。市民の理解できる日常生活に結びついた、易しい科学論でありたい。理屈の科学綴り方と言われるかも知れない。

右図は電子とエネルギーと質量 (2019/06/06) の記事、更に電流1[A] の論理性‐考える理科教育への科学者の社会的責任‐ (2019/09/07) に載せたものである。

再びこの図を使って、電子論の矛盾点を指摘しよう。 

電流が電子の逆流と言う論理の矛盾を述べたい。

電流 1[A] の意味を電子でどう捉え得るかを考えて欲しい。

電子が電線導体の中を流れる。誰もその電子解釈論に疑問を懐かないようだ。電線内を電子が流れると述べる科学者に問う。

〈矛盾1〉電子の流れと線間電圧。

上の図のように電子が流れるとなれば、電線の正側と負側の両方に満ちて流れることになる。その電子の密に分布した流れが電子流となる。電子の分布が均等に電線内に生じる意味となろう。電気導線は電荷が中性の銅原子等の構造体である。もし電子が電線内に満ちれば、電圧はどの様な原理によって電線間に掛かると考えるのか。電子によって電圧が消える論理的矛盾。どう解釈するか?

〈矛盾2〉電子の流速V[m/s]と線内密度D[C/m]は如何程か。電流が電子の逆の流れだと言えば、電子の毎秒当たりの個数がその電流の値と等価でなければ成らない。電子の流れる数量・電荷量を算定できない科学論・物理学論では論理的だとは言えない。

  電子流の毎秒数値=電流値。

従って、   VD[C/s] = I [A]   でなければならない。

電子の定義概念はほぼ、

電荷および質量で、 e : 1.602 10^-19^ [C] 、9.108  10^-31^ [kg] 。

の値である。

電子の流速度 V[m/s]は幾らか?

電子の速度は幾らかが明確に確定されなければならない。素粒子論では電子は質量が定義されている。質量は電子の運動論を展開するには、それがあって初めて『力*』の物理的論理性が成り立つ意味で必要である。

速度は力と質量の関係で算定可能となる。そこで、電子の速度は幾らと算定できるか。力の原因をどう解釈するか?電子が流れる根拠の力が説明できなければ、電子が人の希望し、思う気分で流れる訳ではなかろう。気分電子論と言う訳にはいかない筈だ。速度が確定すれば、電線内部の電子密度分布量D[C/m]が算定可能になる。

 1[A]=VD[C/s]

によってのみ電子流が算定できる。そこに考える“理科教育”のあるべき姿が描けるはずだ。根拠を質さないで、学説・科学常識論に安易に従う姿勢はゆるされない。電子の速度が決まらなければ、電子の論理は成り立たない。金属電線内部に電子を動かす力など発生しない。

『力*』:電荷間に発生するというクーロン力は加速度・慣性などの力学運動論の基礎条件が欠落している法則の論だ。質量が無い電荷には力は生じない。電荷間に力が働くと言う発生原因の理屈が無い。

物理学理論は役立つのか

(2021/04/08) 現在の物理学理論は自然の理解に役立たない。
筆者も一応日本物理学会の会員として、毎年年会費だけを収めている。何で発表もしないのにとも思うが、過去に何回か大会で発表させて頂き、皆さまに御面倒をお掛けし、御迷惑もかけた。誠に無礼者であったと反省しきりにある。同時に、物理学の未来、その行く末をも心配しながら、変化も期待しているところだ。だが、殆ど本質的な基礎概念などへの問題意識を抱いている様子は見えず、どんどん寂れ行くだけに思える現状は悲しい。

それは理論が技術理論の解釈用便法論でしかないから。

そもそも、真剣に自然の姿に向き合おうという意識に欠けているように思える。自然を観察する基本的姿勢があるのかと疑問に思う。と言っても何世紀も超えて確立した物理学理論だ。簡単に意識が変わる訳はないだろう。現実に世界の科学技術はその理論によって解釈可能な科学常識で十分満足できる役割を果たしていると自負している筈だ。それで、長い歴史の中で教育に間違いは無かった事が現在の姿に証明されていると言うのかも知れない。異論を唱える者の方が間違っていると。確かに、嘘の基礎概念に基づいた教育が為されていたなどとは誰も信じない。そこには、底知れない豊かな叡智によって構築された科学技術力が在るからだ。代表例として、一つの『電流』を取り上げて考えてみよう。その『電流』と言う科学技術量は電流計で測れる。それは物理学理論では『正の電荷』の時間微分と言う定義の量だ。しかし実際はそのような『正の電荷』は流れていない。自然界で純粋に『正の電荷』など有るとは物理学でも解釈していない。原子から『電子』が抜けた原子イオンしかそれに対応するものはない筈だ。だから金属内の原子イオンが動けるとは物理学論にも無い。そこで逆向きに、原子から解き放たれた『自由電子』が流れると解説されるのが現在の科学論常識となっている。『電流』とは『電子』の逆流だと。しかし、『電子』が電線の中を流れると本当に物理学者は考えているのだろうか。それはどうも何も考えないで、過去からの解釈論を踏襲しているだけにしか思えない。『電荷』とはどの様なものと解釈しているかを自己問答もしない。過去の法則と先達の教えを謙虚に、専門家として、踏襲して守っているだけに思える。それは自然現象について何も疑問を抱かないという事か。疑問を抱かない人が自然を理解するなどできない筈だ。物理学理論を、その深い意味を理解しようと思えば必ず疑問が沸く筈だ。その疑問があって初めて学問が始まると思う。身近な教育する教科書の理論を紐解けば、疑問が必ず起こる筈だ。『大学の物理教育』と言う発行誌を見させていただく。しかし、その内容を読み解いても、物理学の未来への危機感があるとは少しも思えない。

電荷も磁束も自然界には無い。
自然界には『電荷』も『磁束』も何もないのだ。無い物で科学理論が構築されているのだ。不思議な人の世の現象である。その意味を御理解されるならもっと新しい道を模索する姿があってよいかと期待したいのだ。電線金属内を『電子』が流れる等と言う物理学理論の解釈論は論理性を基本に据える科学論とは言えない。電気回路で、『エネルギー』が光速度で負荷に伝送される現象を先ず理解する必要がある。『電子』がどの様に『エネルギー』を伝送する機能を持ち得るかを考えなければならない筈だ。『電子』ではその役目は果たせないのだ。それは自然界に『エネルギー』は有っても『電子』など無いからだ。

光の振動数とは何かにも答えられない。

そんな事が物理学理論の教育で説明できなくて、なんで子供達に「考えることの大切さ」を説けるのか。何が振動しているというのか。疑問を抱かないのだろうか。光は何も振動などしていない。ただ『エネルギー』の縦波が光速度で伝播するだけである。空間に実在する『エネルギー』を認識することから始める処にしか物理学の未来はないだろう。

電気エネルギーの測定法(電流と電力)

はじめに(2020/4/28)
『オームの法則』によって電気回路現象を誰もが容易に理解できる。『オームの法則』は1826年ドイツの物理学者 ゲオルク・オームによって独自に発見、公表された。(実は1781年ヘンリー・キャベンディッシュが発見したが死後数十年後まで知られずにいた、とある。)その優れた技術法則であるが故に『電流』、『電圧』さらに電力の物理的意味を深く考察する必要もなく今日に至った。ちょうど200年少し前の19世紀の初めに『電流』と言う概念が磁気によって電気導体から離れた、空間にその姿を示すという新しい発見が『アンペアの法則』として捉えられた。その『電流』の単位アンペア[A]が電気現象解析の根本技術概念となって、すべての電気量の基本単位系 [MKSA] の基となっている。しかし、ブログの初期の記事に電流は流れず (2010/12/22) を、さらに去年電子は流れず (2019/6/6) を投稿した。それは『電流』と言う技術概念が自然認識の曖昧さを許す科学理論の根幹をなしている現代的社会問題として捉えた論説でもある。科学理論がその特殊な専門家集団の中で、特に分かり難い理数的表現に特化した形式で醸し出されて、一般の市民の科学認識に如何に曖昧な理解の混乱と弊害を及ぼしてきたかを唱えざるを得なかった。世界には決して『電荷』など実在しないのだ。世界の本源に『エネルギー』が存在していることを分かって欲しいからである。

電流とその測定
電気回路の電線路に電流計を繋げば、その電線の中に如何にも『電流』が流れているが如くに針の振れで示すから、決して誰も『電流』を疑わない。電線導体の中を流れる『電流』を自然現象の真理と考えて疑わない。そこには超電導現象という新たな発見もある。電線導体内を流れる『電荷』があるとして、それが自然の真理と捉えられてきた。電流計で計測しているものは何かを知らなければ、『電流』の意味は分からない。

Ampere meter  電流計の内部は右図のようにその基本計測量は可動コイルと言うコイル内に貯蔵された『エネルギー』の量である。そのコイルに流せる『電流』の最大値は大よそ100[mA]程度という事である。測定電流 I[A] のほとんどはコイルと並列に小さな値のシャント抵抗 r [Ω]に流す。だから電流計で測っているものはその抵抗に掛かる僅かな『電圧』分に相当する『エネルギー』分布を並列のコイルに取り入れて、そのコイル貯蔵『エネルギー』の量を磁気的な力によって測定しているのだ。決して『電荷』が電線の中に流れている『電流』と言う概念の「自然に実在する物理量」がある訳ではなく、コイルの電線周りに貯蔵された空間に実在する(光と同じ)『エネルギー』の回転流を計っているのだ。電気回路の電線はその電線で囲まれた空間を電気と言う『エネルギー』が光速度で流れて負荷に『エネルギー』を供給する役割の、その導きの道路の機能なのだ。だから『電流』の逆向きに『電子』が電線導体内を流れる等と言う解釈もハッキリ言わせてもらえば、それは『嘘』の科学論なのだ。光が何処(何もない空間)を通るかを考えれば、光と同じ速度で伝播する電気の『エネルギー』はやはり電線の中など通れる訳が無いと分かる筈だ。そこに大きな科学理論の混乱が現在の哲学的課題としてすべての地球の人に課せられているのだ。電流計で測っているものが何かを知るには、科学技術の中の姿をきちんと理解すること以外に自然の姿を知る方法は無いのだ。その事は高等数学の式では理解できない、例えば『電荷』の存否を数学の式では説明できないことも知らなければならない。

電流計則の式。電流計が何を計量しているかを式でも考えておこう。電流計の内部合成抵抗 rA からコイル電流 IA は(1)式となる。ただし、負荷電流が I[A] である。その電流計のコイル貯蔵『エネルギー』 WA は(2)式となる。ただし2分の1の係数は省略する。さて、この貯蔵『エネルギー』 WA[J] は負荷電力 P[W] と次の関係にある。

この(4)式から、結局コイルの『エネルギー』WA は電流計の内部定数 KA によって、次の(5)式のように負荷を計測していると見做せる。

(5)式の WA は負荷電力 P[W] と負荷抵抗 R[Ω]の比を計量していると見做せることを示している。次元はKA[H]よりP/R [(J/s)/(H/F)^1/2^]=[J/H]である。

電力の測定

電力測定 P=VI(W)       電気回路の『エネルギー』の測定法。その第一歩が電力測定であろう。それは電気の『エネルギー』を如何にも電気商品のごとくに商品として販売するに欠かせない技術である。しかし、『電圧』と『電流』の積では商品としての『エネルギー』量の計量には成らない。しかし乍らまず第一歩として、『電圧』と『電流』の積が何故負荷の電力値 P[W] となるかを図のコイルの貯蔵『エネルギー』 WA[J] とWV[J] からその意味を算定してみよう。電力測定法で、何故『電圧』と『電流』の積が「電力」になるかの分かり易い解説が見えない。科学技術の優れた英知の結晶を、噛み砕いて理解することの大切さを忘れないで欲しい。

コイルの貯蔵『エネルギー』 Wv を電圧 V として計測している。この意味について、先に電気エネルギーの測定法(電圧)に示した。その電圧値は負荷との関係で、『電流』の測定値の意味(4)式から、次の(9)式の意味を計測していることになる。

電流計の並列内部抵抗値 rA に対して負荷抵抗値 R は大きいから、端子電圧に対する電流計の電圧降下は無視できよう。従って、(4)式と(9)式から

負荷電力 P[W] は『電圧』 V と『電流』 I の積となる訳の意味である。以上のすべての解析は『オームの法則』一つによって解釈できた訳である。如何に『オームの法則』が簡便で、優れているかには驚嘆せざるを得ない。結局技術概念の『電流』と『電圧』と言う二つの測量技術が電線路空間を光速度で伝播する空間の『エネルギー』を捉えた手法である事に、如何に現代科学技術社会がその恩恵に預かっているかを知らなければならない。その法則の深い意義を知らなければならない。しかし同時に、電線導体の中には『電荷』など流れていない意味も計測技術を通して知らなければならない。

『エネルギー』の測定法。
電力量計として現在『エネルギー』の取引メーターとして使われているものが積算電力計[kWh]メーターである。どこの家庭にも玄関の外に取り付けられている計量器である。使用電気『エネルギー』量に応じて、アラゴの円盤の回転量で計測する優れた計量法である。電気技術の優れた結晶がこの積算電力計であろう。アルミの回転円盤に使用電気『エネルギー』の量に相当する電磁力を働かせて、円盤の回転回数として『エネルギー』の量を計量する『エネルギー』計量法の電気技術利用の優れた計量器具である。『エネルギー』は人がそれを物理量として決して目に捉えることの出来ない自然の姿であり乍ら、それを見事に計量している。科学技術に乾杯。科学技術のその深い意味を捉えることが、その奥に隠れている自然の姿を理解するに欠かせない筈だ。空間に展開する物理量の『エネルギー』の姿を理解することが自然を知るに欠かせないのだ。『質量』とは何か?『電荷』とは何か?『エネルギー』を知らずには、自然の深い真相を知ることのできない自然科学の道である。マックスウエル電磁場方程式が何を表現した式であるか?スマホの電波も電気『エネルギー』の空間への放射と消費である。直流電気回路も電線路の空間を電気『エネルギー』が伝播する現象である。その直流回路の電気『エネルギー』も線路空間を『光速度』で伝播する『エネルギー』の伝播現象である。図のように電源の負側の導線に沿った空間を負荷まで『エネルギー』がほぼ光速度で伝播するのである。電線内を『電子』などが光速度で流れることなど決してできる訳がない。しかも『電子』には『エネルギー』を伝送する機能・能力など、その物理的定義として付与されてはいない。『電子』のエネルギーは原子周回運動の運動エネルギー論で、質量に依存した概念しか仮想的な付与でしか定義されていない筈だ。その運動エネルギーを負荷に届ける、『電子』の往路と帰路の『エネルギー』の増減論は聞かない。『電子論』には『エネルギー』伝送の論理性が全くないのだ。だから『電子』が電気回路で役立つ論理性などどこにも無いのだ。

おわりに
『エネルギー』の姿の一端でも空間に展開する姿を御理解して頂けるかと述べた。自然の本源が『エネルギー』であることを唱えた。

(関連記事)何度も同じような事を述べた。筆者が論じる科学論は所謂科学常識からかけ離れて、しかも高度な数学的記述でないことから「文学論」だと言われもしたが。しかしITネット空間の解説にはこれが科学論かと思える論理矛盾の内容が満ち溢れている現状は間違っているからである。「電子と電気エネルギー」などと検索すると、少し古い記事で「電圧と電子と電気エネルギーの関係は? 」に当たり前と思える質問がある。それに対する回答者の余りにも陳腐で、何も考えていない姿が観え、悲しい。科学常識のひどさが『電子』に現れている。現代物理学理論に『エネルギー』の空間像の認識が無い点が最大の現代的教育の課題となっている。マックスウエル電磁場方程式の解釈に『エネルギー』の認識が欠けている事が原因かもしれない。

技術概念「電流」とその測定 (2018/9/24) 。電子は流れず (2019/6/6) 。電流は流れず (2010/12/22) 。エネルギー[J(ジュール)]とJHFM単位系 (2010/12/18) 。また、「電流は流れず」の確信に至った訳を少し述べた、電圧・電流とエネルギーと時空 (2019/8/11) 。

摩擦熱とコンパス (2020/3/22) に『静電界は磁界を伴う』の実験写真を示した。電界と磁界は『エネルギー』から見れば、同じことを知ってほしい。

The magnetic force and energy flow   

『電流』が磁気を発生すると言う。『電流』の流れる回路にコンパスを近付けると、確かにコンパスは力を受けて決まった方向を向く。しかし、『電流』は電線内の『電荷』の流れる時間微分と定義されている。それがアンペア[A]である。同じことが『電子』が電線内を流れると解釈しても、同じように電線近傍の空間に磁気の力が及ぶという。現代物理学理論の論理性として、電線内から離れた線路空間に磁気力を及ぼす原因としての力の真相は何なのかを明確に解説しなければならない筈だ。電線内部の『電荷』の移動が、電線内全体に同一の『電子』密度で分布しながら移動すると、磁気を帯びたコンパスに力を及ぼすことになる訳は何か。『電子』が流れるという論理には、電線導体の負側だけでなく、正側も同じく『電子』が充満して流れる事をも含んでいることになる。『電荷』の分布による『電圧』の原因解釈も、正側電線内のプラス『電荷』と『電子』の負『電荷』との兼ね合いで、どの様にその論理性を解釈できるのか?もう一つ重大な論理矛盾がある。それは力の物理学的解釈では質量に働く以外『慣性』の無い対象に「力」の概念は成り立たない筈だ。力の概念と電気物理 (2019/5/21) 。「クーロン力」の概念適用は根本的に論理に反した『力』の概念矛盾である。さて、『電子』がどの様な力をコンパスの動きに作用力を及ぼすと物理学理論では解釈するのか?筆者がマグネットの近傍空間に観えない『エネルギー』の流れとして確信したその方向は、十数年前にこの図の Energy flow の方向に依って決定した。

電気エネルギーの測定法(電圧)

はじめに(2020/4/19) 電気回路技術は驚くべき文化に完成された。その基本には「オームの法則」がある。『電圧』と『電流』という二つの技術概念に依って誰もが理解し易い回路技術として、現代社会の基盤技術となった。しかし、その『電圧』や『電流』と言う計測量の意味を考えれば、そこにはとても深い哲学的問題が隠されているのだ。その意味を知ることは深く電気回路技術の中にある自然現象の活用の科学技術力とそこへの叡智の結晶が結実している意味を知ることにつながる筈だ。電気回路には、基本的に自然の本源である『エネルギー』を如何に活用するかの手法を獲得した技術の結晶が隠されているのだ。その測定法を通して電気技術が如何に自然との関係を活用しているかを深く理解できる筈だ。その事は『電流』とは、『電子』とは何かが理解できることにつながるだろう。科学技術が飛躍的に発展し、日常生活に深くその影響が及び、人がその恩恵に浸りながらも、誤った物理学理論によって曖昧な科学理論常識に染まる傾向が強まってしまった。地に足を付けた地道な自然観であるべきところ、誤った理論によって人の意識を曖昧な思考の方向に導いてきた。その代表が『電子』の概念である。『電子』の空間像が示されずに、その『負』の実在性が論じられずにここまで来てしまった。その意味を解きほぐす道はあくまでも具体的な技術の意味を通して理解するより道はない。『電子』が如何に曖昧な概念であるかを電気回路の測定の意味を通して考えてみたい。半導体で論じられる量子力学について論じるほどの力を筆者は持たないが、少なくとも電気回路における電線内を流れると解説される『電子』は全く役に立たない仮想概念である事だけは強調しておきたい。

『電圧』は『エネルギー』の計測、技術評価量。

電圧とは、その回路の電線で囲まれた空間に『エネルギー』をどの程度貯蔵した状態かを知る、あるいは評価する技術的基準量である。電圧計は何を計っているかを知らなければ、『電圧』の物理的意味を知ることはできない。水を高い所から流す力の仕組みと同じ意味が『電圧』であるというような、怪しい論説が多くある。その解説ではやはり水のような何か流すものが必要になり、結局『電流』とか逆向きに流れる『電子』が必要になって来る。電線の中には何も流れていないことを理解しなければならなし、電線路空間が有ればその空間を通して幾らでも自由に電気の『エネルギー』は伝送できる。しかもその即応性は光速度で対応できるのだ。電気(と言う『エネルギー』)は光と同じように真空や空気の空間がその最も特性を発揮できる場である。ここで言う『空間』とは、電気については真空以外にも、コンデンサの金属板に挟まれた空間あるいはその誘電体空間、コイルの巻き線で囲まれた空間や鉄心あるいは抵抗体内の結晶構造体内の空間、更に電線路の電線間の空間あるいは絶縁電線の絶縁体などの空間などを指す。例えば、ガラス戸やレンズは光も電波もその『エネルギー』が伝播する空間と見做せよう。しかし、電線の金属体は基本的に『エネルギー』の反射体と見做すべきだ。だから金属の電線内には電気の担い手と科学常識になっている概念の物理量(『電流』や『電子』)は流れない事を理解しなければならない。

コンデンサとコイルの貯蔵エネルギー。

VOLT and ENERGY 直流電圧 V の回路にスイッチ S を通してコンデンサC[F] とコイル L[H] の回路を繋ぐ。

図のスイッチSを投入してからどのように『エネルギー』が貯蔵されるかを、少し数式で考えてみよう。その電気現象は所謂過渡現象を経て、『エネルギー』が貯蔵されることになる。過渡現象は数式では一般に指数関数(*)で表現される。ー(*)指数関数での数学的問題は幾ら時間がたっても定常状態にならないという論理性の現実的矛盾を抱えているー。

(1) 貯蔵エネルギーと電圧の関係。係数の2分の1は省く。

最終的に、貯蔵エネルギーは(1)式のようになる。その貯蔵エネルギーは結局電圧によって決まる値である。だからその電線間の電圧Vは貯蔵エネルギーの量から(2)式の意味であると解ろう。『エネルギー』の単位、次元はジュール [J] であるから、電圧の単位、次元は(2)式から [(J/F)^1/2^] であると解ろう。電圧の単位はコイルもコンデンサも同じ静電容量の単位ファラッド [F] に関係した物理的意味を持っているものと理解できよう。それは当然のことで、電線路は最低二本の電線で組み立てられる。その電線の間には静電容量がある。その静電容量の空間に貯蔵された状態で電気の『エネルギー』が分布して電気の送配電系統が成り立っているのだ。この電圧の次元あるいは単位の意味を理解することが電線路の物理的意味の理解に欠かせない事なんだ。(2)式のコイルの場合について、その次元について付記しておく。(r/√L)はr[(H/F)^1/2]により、[(1/F)^1/2] となるから。

(2) 要素の端子電圧と回路時定数。

コンデンサの端子電圧vcとコイルの端子電圧vlは(3)式のように評価される。コンデンサの電圧は最終的には電線路電圧値 V に等しくなるが、それまでは指数関数の変化になる。コイルの電圧vlは最終的に零となる。コイルに『エネルギー』が貯蔵されるとコイルの端子電圧は恰も回路から切り離されて、線路側には接続されていないと同じ状態になる。コイルには内部空間に『エネルギー』だけが貯蔵されたことになる。厳密にはコイルの抵抗分があるからその分の電圧は残る筈ではあるが。

指数関数の累乗の次元は『無次元』でなければならない。時間 t[s] に対して時定数が rC[(HF)^1/2^]  =L/r[(HF)^1/2^] =[s] となっているから理に適っていることになる。

(*)この指数関数式は無限の時間でも論理的に零には成らない矛盾を抱えているが、その辺は数学的に曖昧でも良いとなるのだろうか。文末に指数関数の図を示す。

(3)貯蔵エネルギー計測法。

コンデンサとコイルの貯蔵エネルギーの時間変化は(4)、(5)式となる。両方とも同じ式で表される。ここでさて、線路の電圧をどのように計測するかとなる。コンデンサ内の様子を外部から伺い知ることはなかなか出来ない。コンデンサの電界と言う状態を知る方法が無いから。それに対して、コイルの中の状態は運良く、磁気と言う誠に都合の良い自然界の贈り物がある。それはコンパスや磁石と言う身近な電磁気現象の具現像として自然世界の顔を示してくれている。アンペアの法則やファラディーの法則あるいはレンツの法則等あらゆる電気現象を外部から観測する手段として活用されているのが「磁気現象」である。何か空間の秘めた「力」を磁気が持っている。当然のこととしてコイルの秘めた空間の力を『測定法』に活用することになる。自然世界の現象を探る科学技術の始まりである。19世紀に『電圧計』「電流計」が開発された。もちろん『電圧』はボルタの電池や熱現象を利用した電池などからその安定した『電圧』を開発利用してきた訳であろう。まだ当初は『電荷』概念は明確ではなかっただろうと考えたい。

(4)『電荷』と『電子』と『電圧』の間に横たわる現代物理学理論に基づく論理性の不可解。

電気回路論で、電線路の『電圧』をどのように解釈するだろうか。プラス端子とマイナス端子の間の空間に生じる『電圧』の原因を何に求めるか?プラス側には『正の電荷』、マイナス側には『負の電荷』が分布してと解説が始まるだろう。そこに思考停止の現代物理学理論が在るのではないか?『正の電荷』と言うその正体をどのように認識するのだろうか。簡単に『正の電荷』がプラス側の電線に雀が止まるように集まるのだろうか。どんな理論によって『正の電荷』だけが一方の電線に集まるのか。みんなが電気現象の基本法則と崇める「クーロンの法則」では、同じ『電荷』は反発し合うと大原則を学習して居るにも拘らず、無意識に所が変れば同一電荷同士が集合体となって結び付く。金属電線の中に『プラスの電荷』とはその正体はまさか『陽子』とならないだろうから『電子』の抜け殻の『+金属イオン』だろうか。図に示したように『+金属イオン』は銅線なら銅イオンしかない。『+金属イオン』を置き去りにして、その『電子』はいつの間に隠れて逃げ去ったことになるのだろうか不思議だ。科学理論は論理性がその身上の筈だ。一方反対のマイナス側の電線にはマイナス電荷の象徴の『電子』が集合すると解説されるだろう?図のように『電子』の密集状態が出来るとなろう。それでプラスとマイナスの電線路空間図が完成して、『電圧』の科学的理解ができるとなり、万々歳となって終わるのか?そこへ『電圧計』を繋ぐとどうなるかを考えれば、思考停止で終われないだろう。そこに不可解と言う意味が追加される。まず、乾電池に電線を繋いで配線すれば、それだけで電線間に電圧が掛かる。プラスの電線の銅金属からどのようにして『電子』を引き剥がすのだろうか?プラス側の銅線には電線内に電界などできない筈だ。電界もないのに銅金属から『電子』を引き剥がす論理的根拠が欲しい。その辺の高度な専門性は大学院などの物理学科の博士課程などで高等教育を受けた専門家やその指導者が答えるべき内容であろう。余りにも専門性のない素人の疑問では答えるに沽券(コケン)に関わる話となろうか。乾電池から『エネルギー』をランプに送る。その時『電子』が電池のマイナス側から流れ出し、ランプを通って電池のプラス側に戻る。どれ程の『電子』が集団高密度で『電子』の密集分布電線の中へと流れて行くのだろうか。流れ出す時点で、『負電荷』量が増加しても、線路『電圧』に影響を及ぼさないで済むのだろうか。さらに、ランプで『電子』はどのようにフィラメントの抵抗体で光を放射する物理学理論を展開して、電池のプラス側に戻り、『電子』の面目即ち電池から『エネルギー』を伝送する役割を果たすのだろうか。『電子』がただ電池の負極から流れ出て、電池のプラス側に流れ込むだけの『電子』の役目で、電磁気学という学問の科学理論の論理性が唱えられるというのだろうか。とてもその論理性が見えない科学理論に思えるのだが、皆さんはそれで安心できるのか?

(5)コイルの貯蔵エネルギーの磁気特性の活用法と『電圧』計測。(2)式によってコイルのエネルギーW[J]とすれば、図のように線路電圧によってコイルのエネルギーから電圧を測定できよう。そのコイルのエネルギーをどのように計測に活用するかとなる。

簡略計測法。最も単純にエネルギー量W[J] が有るか無いかは図のようにコンパスの振れで分かる。しかし、これでは計測には成らない。

可動コイル型計器が直流回路には使われる。貯蔵エネルギー保有のコイルを磁石の間に配置すると、コイルはW[J]の平方に依った回転角度を示す。測定器の概要は図のようになる。

むすび

電線路の直流電圧を計る『電圧計』がどのように、何を計っているかを示した。この測定法で、直流電圧を電線路の『電荷』分布で解釈する論法の矛盾を論じた心算だ。このコイル内に『空間エネルギー』がコイルの巻き線に沿って軸性の回転流として貯蔵されている。その回転方向は丁度『電子』が流れるという電子論のその向きであり、『電流』の逆向きである。この電圧計の測定量の意味を知った上でも、もし『電荷』分布が電線路電圧を決めると解釈するなら、それが現代物理学理論の『パラダイム』という事であろう。更に一言付け加えておく。コイルの貯蔵エネルギー W を抵抗r による『電流』で計算して式を導出した。しかし実際の物理現象は電線の負側を『エネルギー』がコイルの端子電圧の時間積分に関係した過程を経て、コイルに入射するのである。しかし、その状況を『エネルギー』の様態として観測することはできない。『エネルギー』が実在するにも拘らず、その『エネルギー』の姿を眼前の空間に見る事が出来ないという、自然世界の掟によって支配されているとしか考えようがない。科学理論は実験的にその値を検証可能でなければならない人の決めた矢張り掟と言うべきものに縛られている。そこに現代物理学理論が認識不可能な空間の『エネルギー』である物の意味に在るのだろう。どんな方法でも電線路の空間に在る『エネルギー』の分布を観測することは残念ながら出来ない。それほど空間に在る『エネルギー』は神秘的な物理量である。

指数関数

電圧と電流の正体 (2013/5/16)

電子とエネルギーと質量

『エネルギー』を窮めよう。エネルギーと繋がりのない世界は無いから。全宇宙、この世界で『エネルギー』の構成要素となる素粒子は決して存在しないから。

mc^2^から物理学を問う (2019/04/25) で述べたかった質量の意味。独楽の心 (2019/01/05) や熱の物理 (2019/02/07) にも繋がる。

時代はエレクトロニクス全盛期。
電子(Electron)と光子(Photon)が科学理論の根幹を担っている。物質の元素は原子である。原子理論は電子あっての基に成り立つ。そんな時代のど真ん中で、独り妄想にふける。端無くも記事、電流は流れず (2010/12/22) にはじまる多くの顰蹙の種なるお騒がせを招き申し訳なく思いつつも已む無き事情に流されながらここまで遣って参りました。古くを辿って、再び電池の回路(電池のエネルギー)に戻る。電池は何を貯めているのかと不図の病が頭を支配する。電池の重さの意味に耐えきれず、その質量を計らんと無理を承知で心の感性に乗せて観んと思い付く。不図の病、それは電池からエネルギーが負荷ランプに供給され、エネルギーが光と熱に変換されて消費される。電池は少しも熱くはないが、電池の何が負荷で熱に変わるのか。ここの『エネルギー』と言う意味・物理量が現代物理学理論で捉えられ、説明されているのか。それは決して高等数学の式では説明できない自然の易しさの中に隠されている真理と言うもので御座いましょう。電池の中味がどのような化学物質ででき、構成されているかは分からなくても、自然の心を捉えるには特別難しいものではない筈なんだ。『エネルギー』が何たるものであるかを感じ取れれば宜しいのだ。それは電池の中に確実に溜って実在しているものなんだ。重量が計れなくても、化学物質の質量増加分として蓄えられているものなんだ。『質量』とは何かとまた顰蹙(ヒンシュク)の《問答》にもなる話だから、誠に御迷惑かも知れない。化学物質を顕微鏡で覗いても見えるものでも、質量増分を計れるものでもないから科学論証も出来ない話であるので、ご迷惑か混乱の基となるかも知れないが。筆者は原子質量が『エネルギー』の局所集合体としての、電子も陽子も無視した「Axial energy flow」結合構造と看做す物としての科学常識離れの認識に在る。マグネット近傍空間のEnergy flow は全く熱に関わりのない『エネルギー』であることも心に乗せて。それが電池の『エネルギー』と『質量』の等価性の原理の基である。E=mc^2^[J] の物理的意味である。ここから電池が電子を導線の中に流し出して、回路を還流したら、どのように電池に蓄えた『エネルギー』を負荷ランプに供給することになるかの《問答》が始るのだ。特別数式など無くても日常用語で説明できる筈だ。それが『電子』の意味を問うことになろう。

電子の実相を尋ねて。
最近の電子論、エネルギーから電子殻を問う (2018/05/21) や電池における電子の役割を問う (2018/05/24) で論じてきた。電気回路の問題では、必ず電流が含まれる。その電流概念で、正の電荷が流れるとは言えない為、電子が電流の流れと逆向きに流れていると解説される。この解説が検索情報の標準的なものとなっている。誰もその解説に疑念を表明することも無い。だからそれは世間の科学常識として子供達に教えられることになる。多分学習塾でも同じ説明がなされているのだろう。ここで再び、電流は電子の逆流か?と言う事を考えて置きたい。考えるにはその電子の逆流と言う回路状況を具体的に図に表現して見るのが良い。まず電子が電線路にどのように分布している状況かを示さなければならない。大事なことは、解説する人が先ず自分がどのように考えているかを空間的に図に表現することが必要だ。筆者もその意味で、皆さんが電子の逆流だと解釈する意味を、電気回路の電線に書き表してみた。電子が電流の方向と逆向きと言うことは、電線路全体に均一に分布していることと考えてよかろう。その分布電子が同一の速度で均等分布の流れとなっていると考える。それが図のようになる。この図の表現内容が間違っていると言うなら、それの間違いを指摘して欲しい。どのような電子の密度で分布するか。それは電子の速度が何によって決まるかにも因る訳で、その訳が明確に示されなければ分布も決まらないと思う。 『電子電荷』の速度を決める力学原理は何だっけ?電気回路の現象も特別難しい訳ではない筈なのである。解説する原理や論理性が明確であれば、それは日常用語で十分説明できる筈なのである。クーロンの法則に従うのか従わないのかを解説者自身が立ち位置を明確にして述べれば分かる筈である。上の図を見て、教科書を執筆されている専門の方々が、怪しいと思うか思わないか。そこに抱く意識に問題の解決の糸口が有る筈だ。ネット上の解説が正しいか間違っているかを。まず電子が電線路導体を流れると言うことは、図のように『負』の電荷だけの分布で良いのか?『正』の電荷の分布は無いのか?電池とは電子の回路循環機能だけなのか。電池の『エネルギー』はどのように負荷に供給されるのか?解説の中には、電子が移動すると、逆に電子の抜けた殻の穴が『正』の電荷の意味を担って、電流の方向に流れると考えれば良い。等の解説をする方も居られる。その方も自分の思う電気回路図を描いて、その全体の図で御説明されればよいと思う。兎に角、上の図では電気回路は『負』の電子だけで『正』の電荷の出る幕がないことになる。今までの説明には数式は使わないできた。どこか数式がないと説明にならない処が有っただろうか。科学の心を伝えるには数式など無くても良いのだ。政府の津波対策の防災情報で、海岸線の津波波形の図が余りにも滑稽過ぎて、誰があんな波を津波と考えるかも水の心が理解できていない科学論が招く怪しさなんだ。科学とは自然の心を心で受け止めて、心で伝えることだろう。解説者が自分の心に偽りのない意味を伝えてこそ科学論になる筈だ。偽善科学はやめましょう。

 

電子は流れず

電流は流れず (2010/12/22) と述べてきた。しかし、この記事は説明が冗長過ぎたので、少し表現を変えた方が分かり易いと思う。電流は科学技術理論の要として重要な計測量である。電流計で計れると言うことが如何に優れた科学技術文化であるかを認識することが重要である。ただ、その電流と言う計測量が電気回路の導線内を流れている訳でもないことも確かなことである。さらに、その意味を解説する時、導線内を『電子』が逆向きに流れていることが電流の物理的現象の意味だと説明されるのはもっと科学理論の怪奇さを深めることになる。電気回路の自然現象は『エネルギー』が導線の近傍空間を流れるものである。導線の中など何も流れてはいないのである。電流だけでなく電子も流れてなどいないのである。

中学2年生の理科勉強法として、向きが逆なのは何で!?電流とは何かを・・が検索569万件のトップに在る。何故中学生にこんな意味の分からない内容を教育に取り入れているのか。結局このような内容を覚えさせることが、理科の国家教育統制で、考える力を失わせる原因になっているのだ。若い考え方の柔軟性を失わせているのだ。電池における電子の役割を問う (2018/05/24) で取上げた電子の責務と珍道中の図を載せておくので電子の役割を考えて欲しい。

参考に、電流は流れず (2010/12/22) 。

物理学理論と磁束

はじめに 物理学あるいは物理学理論は、自然の深い仕組みを解き明かす特別の論理的思考能力を持った専門家集団が唱える真理と考えるだろう。それは科学技術の更にその奥に隠れている深遠な自然世界を解き明かし、科学技術の理論的拠り所としての学問分野が物理学と思うだろう。その自然世界の基本の描像は電子の周回する原子構造論と電子の流れる電線路電流、更にその電流によって定義される磁束などが電磁界の論拠としての物理学構成概念である。それが世界の物理学であろう。しかしそんなに多様な基本構成物理量が世界の根源であるとは理解できないし、信じられない。最近、磁気概念や磁束の物理的意味を解剖してみた。それは物理学でなく、電気技術の知見をひも解くことによって様々な科学技術用語の本質が明らかに成って来た。物理学が科学技術の技術概念を深く追究してこそ本当の自然世界が明らかになることを認識すべきという結論になる。電荷や磁束の空間像を示す事が、それらが自然世界に実在するかどうかを判断するに欠かせない筈だ。その空間像が物理学に問われている。世界は抽象ではなく具象世界だ。磁束について、アメリカのNASA宇宙技術開発の成果の一つと聞いているロイヤーインバータ回路の原理から具体的な例で、電圧が一義的なその発生起因であることを示し、アンペアの法則による電子流で磁束が発生するという誤解を解いて欲しい。
磁束の物理概念
マグネットは何処にでもある日常生活に密接な磁気製品でもある。物理学を教える先生方は教科書の中味である物理量などすべて明確に捉え切っている筈だと考えたい。しかし現実は、変圧器の磁束について励磁電流が発生原因であると殆どの方が考えているように思う。それは間違っている。変圧器や電磁コイルの物理現象を解きほぐせば、少なくとも励磁電流がなければ磁束が生じないということは無いのであり、磁束はそのコイル端子に印加する電圧によって一義的に決まってしまうのである。その意味を物理学では馴染みがないであろうが、インバータ回路を使って具体的に示して解説したい。それはファラディーの法則の科学技術論の理解の為でもある。磁束という物理量が、実際に実在するという解説ではないから。自然世界の本質は磁束さえ、エネルギー流に纏まるのであるから。しかし少なくとも、まず一段階としての誤解を解いて欲しいのだ。

磁束と電圧 右の具体的回路例を基に説明したい。AとBの二組のトランジスタスイッチを直流電源と組み合わせて、変圧器に繋ぐ。AのスイッチとBのスイッチを交互に半周期ごとに断続的にオンする。その時磁束は図のように階段状に変化する。その磁束は励磁電流が流れようと流れまいと関係なく、電圧値と時間だけ(即ち電圧時間積分)で決まる。この解釈は変圧器だけでなく、一般のコイルにも当てはまるのである。コイル端子に印加される電圧値と時間で磁束は決まると考えるべきである。理論の統一という事の大切さは、広く基礎概念によって無駄な思考を省き、分かり易くするということにある。図のようなスイッチングモードでは、半サイクル(T/2)の内4/7の間電圧Eが印加されることになる。その間に磁束は最大磁束の2倍 2Φm の増加をすると考えられる。ファラディーの法則は E=n(dφ/dt) および φ=∫(E/n)dt と表される。その法則から、電圧Eが時間T/2(8/14)=2T/7の間印加されて、磁束が 2Φm だけ増加するとなれば、次式が成り立つ。

2Φm=E/n×(2T/7)

従って、  E=7n(1/T)Φm [V=(J/F)^1/2^]

が得られる。このように、印加電圧とその印加時間だけで磁束は決まると考えるべきだ。その磁束発生原因として、励磁電流などの複雑な解釈概念を介入させるべきではない。この磁束は、すべてのコイルや電気回路全般に言えることである。その意味は電線内の電子流という『電流』概念の物理的解釈の論理性が問われているということである。『磁束』という物理量も『電流』と同じく、その物理量の実在性が物理学理論として検証されなければならない筈だ。その具体的な空間像が。

むすび

電流と磁気の概念矛盾について述べなければならない。それは自然世界を理解するに欠かせない思考作務である。電気論では電線内を電子が流れるという。何故電子(電荷と質量)が金属導体内を通ると、金属導体の外に磁束が発生するのか。電子は磁気を持つと定義されているのか。電子のスピンでは磁束の発生の解説にはならない筈だ。その電子と磁束の関係の疑問に答えるのが物理学である。電流という科学技術概念の正体を明らかにしてこそ物理学である。物理学は科学技術現象を詳細に検証すべき学問分野の筈だから。それは子供達に教えるという責任が有ることに通じると思う。数式で説明する事では済まない基本が有る筈だ。身に背負い切れない重力を感じながらも。

 

励磁電流とは?

(2020/06/13) 追記。“Electrons”の紋所と科学理論 (2020/04/07) と The electron did not exist in the world. (2020/05/15) 。

励磁電流否定の記事 変圧器の技術と物理 を投稿して。

(2019/04/16)追記。何処でも磁気や磁束は励磁電流で論じられる。元々電線の中に電子など流れていないにも拘らず、磁束まで電流との関係で定義される。ファラディーの法則の式を見れば、磁束と電圧の関係しかない。電流に因って磁束が発生するという意味など、その式には無いのだ。自然科学が科学技術理論で固められ、物理学としての自然哲学が欠落している処に理論の矛盾が放置されて来たと考える。

磁荷特性と電圧時間積分。

変圧器を例に、巻線の1ターンコイル電圧 eu [v] = v/n [v] (nは巻数)を基準にして考えることを提案した。磁束や励磁電流という技術概念についても、長い技術的評価手法となっている伝統的な磁化特性を取り上げ、その意味の電圧時間積分との関係での解釈を図に示す。コイルの電圧という意味はコイル巻線導体近傍の空間に分布したエネルギー量の技術評価概念なのである。複雑な概念量を統一して捉えることが自然科学論としての未来の姿でなければならない。それを可能にするのは『エネルギー』しかない。励磁電流という曖昧な技術量を見極めて、磁束とは何かを考えて欲しい。なお、磁化特性は鉄心材料によって、図の①や②のように異なる。変圧器などでは特性が良く①に近く、インダクタンスはL[H]無限大とも見られよう。インダクタンスはその電気器具のエネルギー貯蔵機能を評価する空間特性の評価概念である。(2019/05/08)上の図を訂正した。磁束φと磁束鎖交数ψ=nφで、コイル巻数nの関係を訂正した。

気掛かりで、励磁電流とは?とITで検索してみた。1970,000件も記事が有り、様々な解説記事が検索される。変圧器をはじめ発電機あるいは電動機などすべての磁束の発生原理として、アンペアの法則の磁界発生原理で解説されている。変圧器の技術と物理で、せめて磁束発生原因の励磁電流という間違いはやめるべきだと指摘した。50年も前(正確には生命の危機を脱した、昭和46年秋に研究補助を頂いて、ロイヤーインバータでの単相誘導電動機の周波数制御運転をして、産業教育振興中央会の「産業教育に関する特別研究成果 別冊」に載せて頂いた頃)に筆者は既に励磁電流を否定していた。変圧器突入電流という電源投入時の現象も投入位相で電圧零時であれば、設計磁束の2倍程の ∫vdt [Wb=(HJ)^1/2^] の磁束量になるからと『電圧時間積分』で解釈すべきである。

電気物理(電圧時間積分とエネルギー)

はじめに
物理学の中で電気現象を取り扱う科目は電気磁気学になろう。その電気磁気学の中味を確認すると、電気工学の内容と殆ど変りはない。電圧と電流がその電気回路現象の解釈の基本概念となっている。微視的な現象を論じる量子力学などは原子・分子構造やバンド理論の抽象的な理論が主体となって、少し電気磁気学と言う分野からはかけ離れてもいる。しかし、電界・磁界と言う電磁場とその中の電子の振る舞いと言う意味で見れば、電気科学技術の基本理論がそのまま基礎概念として電気物理の基本になっているように思える。専門用語には、簡単に理解できないものが多くある。π電子等と言われると、電子の『電荷』の実像さえ理解できない処に、πとは何じゃ?と狐に抓まれた気分になる。磁界と言えば『磁束』で解釈される。磁場空間に磁束が通っていると言う科学の常識概念も、教育の場ではアンペアの法則に因る電流概念との関係で理論構築されている。電流原器の定義からもアンペアの法則が電気現象の物理的真理であるかの如く威厳をもって説かれる。一方ファラディーの法則も電磁誘導現象の解釈の基本を成している。電圧と磁束と時間の関係で電気現象の理解に欠かせない法則となっている。一般に電線路周辺空間にも磁場があり、その空間にも磁束が関係していると看做すであろう。磁束はアンペアの法則の電流によって発生すると解釈すべきか、あるいはファラディーの法則に因る『電圧時間積分』で発生すると解釈するべきなのか悩ましい意味を含んでいる。『磁束』と言う空間に実在するとは理解仕兼ねる概念が、科学技術の解釈に有用なものとして長く理科教育によって基礎共通科学常識となっている。『電荷』と同じく『磁束』と言う物理概念が如何なる空間的実在性を持っているかを明確に示す事が電気物理の命題であると考える。具体像として認識できない抽象性ではこれからの科学の社会的理解が得られないと危惧せざるを得ない。電気物理はそれらの基礎概念を明確にする事から取り組まなければならない筈だ。今回は拙い電気回路現象の知り得る範囲から、電圧時間積分と言う電気工学の考え方で、『磁束』と言う意味を取上げて電気コイル周りのエネルギーを考えてみたい。電気技術ではリアクトルと言い、理論ではコイルと言う電気エネルギーの空間貯蔵回路要素の話になる。電圧時間積分と言う技術用語を初めて知ったのが、ロイヤーインバーターの不思議な電気回路現象であった。それ以降磁束はアンペアと言う電流では捉えるべきでないと確信してしまった。もう50年も前のことである。現在はその延長として『電流は流れず』と言うところに居る。とても金属導体中を流れる『負の電荷』の逆流等と言う物理概念が電流だなどと言ってすまし込んでいる訳にはいかないのだ。この記事を書く意味は、理学と言う理論に偏り過ぎた意味を科学技術と言う現実的な応用の中に隠れた真実を見直す事によって理解して欲しいとの願いからであった。教育の中に間違った真理らしき内容が多く含まれている現実を修正しなければならないと思った。ロイヤーインバーターで洗濯機用の単相誘導電動機を運転した頃の『電圧時間積分』の意味を磁束との関係で取上げようと準備しながら、その前にコイルの基本的意味を別に解説したいと考えてのことである。理学と技術の意味を考える例題として有用と思ったから。

コイルと電圧時間積分

 電気回路にコイルが含まれると、そのコイルはエネルギーを貯蔵する働きでその機能を特徴付けて解釈される。このような電気現象のエネルギーに因る捉え方が電気物理として特に考慮して欲しい点だ。コイルの中の空間にエネルギーが実在すると言う感覚的認識が必要なのだ。二分の一にインダクタンスと電流の2乗の積の式で覚える数学的な電気知識でなく、コイルの電気導体で囲まれた空間内にある『エネルギー』の空間物理量を認識して欲しい。コイルに掛る電圧とは何か?その電圧がエネルギーとどのような関係にあるかをこの記事を書きながら、考えてみたい。ただ電圧と電流で回路を解析するだけでは、それは電気技術論でしかなく、電気物理と言う自然現象の奥深さを知る自然観には程遠いと言う意味を理解して欲しい。電圧も電流も電気技術解釈用の技術概念でしかないと言うことを。然し、その電圧、電流と言う科学技術概念が如何に実用性で優れたものであるかを知る為にも、電気回路現象の真の姿を理解して初めて可能になることを知らなければならない。電線路で囲まれた空間に磁界とか、電界とか理論付をする意味を考えれば、その空間に何かがあるからそのように捉えるのだと言う意味位は察知出来よう。電線路導体で囲まれた空間に『エネルギー』が存在し、また流れているからなのである。その『エネルギー』は光速度と言う途轍もない速度で空間のエネルギー分布の欠損が生じれば補う。実験的にそのエネルギーの流れを計測など出来る筈もない。その『エネルギー』を科学技術概念の電圧と電流と言う計測量で捉えて、実用的理論に構築した意味が如何に偉大であるかを知らなければならない。しかし電線の金属導体内を電子や電荷が流れている訳ではない事を自然現象の真理として理解することと科学技術概念の意味とは異なることも知らなければならない。電圧時間積分についてコイルの端子電圧vとした時、積分 ∫vdt [Wb] は磁束の意味になる。ファラディーの法則の積分形である。このコイルに印加される電圧の時間の長さが何故磁束になるのか。コイルに掛る電圧とはどんな物理的意味を持っているのか。それらの疑問を解くには、すべてエネルギーとの関係で明らかにしなければならない問題だ。しかし、磁束もその次元は[(HJ)^1/2^](単位換算表を下に示す。)、電圧の次元も[(J/F)^1/2^]とエネルギーの単位ジュール[J]とは異なる。電気技術単位もエネルギーのある観方の解釈概念で有れば、最終的にはエネルギーとの関係を明らかにして、理解する必要があろう。その事をコイルのエネルギー貯蔵機能と言う点に的を絞って考えたい。ここで、別に電気物理(コイルの電圧)として先に纏めて置くことにした。追記。前に記した記事:LとCと空間エネルギー (2017/08/02) も参考になろう。

考察回路2例 電源は直流電圧とする。抵抗とインダクタンスの並列回路、回路(1)と直列回路、回路(2)の二つの回路例を取上げて、そのコイルLの動作機能を考えてみよう。電源電圧を直流としたのは交流電圧よりも電圧値が一定であることから、電気現象の意味を理解し易いだろうとの事で選んだ。コイルに直流電圧を掛けることは一般的には考えられない事例であろう。回路例(1)ではもろにコイルに直流電圧を掛けることになるから結果的には危険な電源短絡事故となる。一応保護ヒューズを電源に入れて配慮した。

空間の電気量 物理学では時空論と言う言葉が使われる。物理現象は空間の中に展開される電磁現象とも言えよう。光は空間世界の王者でもある。それは空間に描く時間とエネルギーの営みでもある。そんな意味で、光が描く空間長と時間の関係は『エネルギー』と言う実在物理量に因って理解できる筈だ。

磁束、 Magnetic flax φ[Wb] =√(JH) が抜けていた。

1990年(平成2年)の秋頃に、完成した自然単位系がある。措置と言う強制牢獄への穴に落ちる少し前のこと。自然現象を理解するに科学技術概念だけではなかなか複雑過ぎて難しい。空間とエネルギーだけで電気用語の意味をまとめた表を載せる。すべての電気量がエネルギーのジュール[J]との関係で算定できる。電気量の次元を換算するに使うに便利である。余り物理学では、空間の意味にファラッド[F]やヘンリー[H]を意識していないようであるが、時間の次元も[s=(HF)^1/2^]で関係付られる。光の速度を決めるのもこの空間の物理的関係に因る。この空間の誘電率、透磁率の物理的意味合いを明確にする課題がまだ残されている。それはどうしても哲学の領域にもなるかと思う。科学と哲学の課題でもある。空間で『エネルギー』がどのように共振現象で伝播するかの解答が。何方かの挑戦を期待したい。

回路(1)の電気現象 スイッチによって二つの場合を考える。

(a) S1:on 、S2:off の抵抗負荷。電源スイッチ S をオンする。回路解釈は直ちに一定電流i=E/R[A]になると理解する。技術論としてはそれで十分である。然し物理現象としては、負荷抵抗に供給されるエネルギーは電線内を通って供給される訳ではなく、電線路で囲まれた空間を通して供給されることを知らなければならない。厳密には突然スイッチの周りのエネルギーギャップの空間が閉じられるのだから、複雑な空間の動揺を伴った後オームの法則通りの平常状態に落ち着くのだ。電気技術で負荷電力P=E^2^/R [W]と計算される。ワット[W]=[J/s]である。電圧の単位は[V]で抵抗の単位は[Ω]である。[V]と[Ω]で、どのように単位換算されて電力が[J/s=W]となるのか。その物理的意味をどのように解釈するのか。このことに関連して、やはり別に電気抵抗体の物理として考えをまとめた。

(b)S1:off 、S2:onでSオンする。実際はスイッチSオンすると同時に、電源短絡事故となろう。コイルのインダクタンスがL[H]であれば、電流はi= E/L∫dt [A]で直線的に増加する筈だが、そこには空間的な別の意味が関わっている筈だ。コイル空間が真空であったとすれば、エネルギーの空間貯蔵に空気中と異なる意味が含まれるかも知れないと言う疑問はある。コイル内の空間にエネルギーが貯蔵されると言う意味は、その空間のエネルギー貯蔵限界があると言う点を知らなければならない。ただ空気中の磁束量の限界と言う空間破壊の解釈は聞かない。電界の空間破壊は高電界30kV/cmと良く聞くが。それも磁場と電場と言う違いはあるが、空間のエネルギー貯蔵限界に因る物理現象の意味である。コイル電流i[A]に因って、コイル内に磁束[Wb]が生じると言うのがアンペアの法則に基づく解釈である。次元を考えれば、電流[A=C/s]からどのような物理現象として、磁束[Wb]が発生すると言うのだろうか。電荷には磁束を発生する物理量的な次元の意味が在るのかを問わなければならない。電気技術論として1800年頃に発見された知見が現在の物理学概念として本当に有用なのか。電荷と磁束の間の空間に起きる次元変換の物理的見解が必要と思う。そこには『電荷』の物理的空間像が示されなければ、答は得られないと思う。なお、電圧時間積分は電流i=(∫Edt)/L の中に含まれている。磁束φ=Li と同じ式ではある。

回路(2)の電気現象 R-Lの直列回路で、やはりLの機能を考えてみよう。既に、電気物理(コイルの電圧)としてまとめたので大よその意味は分かろう。コイルのスイッチS’:off で電圧を掛ければ、指数関数的に電流i がE/Rの値まで増加し、コイル電圧はエネルギー貯蔵した状態で零となる。

『問』 その状態でスイッチ S’ をオンとしてコイル端子を閉じるとする。その後の電流はオンしたスイッチ部を通るか、コイルL内を通るか。

『答』 尋ねたいのは、コイル端子を閉じたときコイルの貯蔵エネルギーは電流 i に因るのか、それとは別にコイル内の空間に貯蔵されたものと考えるのか、どちらで理解するかを答えて欲しいのだ。電流 i が電源に繋がった導線部 S’ を流れずに、わざわざコイル内を流れるとは考え難かろう。然しコイル内にはエネルギーが貯蔵されていると解釈しなければならない。そのコイルのエネルギーは電流に因るのか、コイル内の空間に貯蔵されたものと考えるのかを問うのである。ただ時間と共にそのコイルエネルギーも空間に放射あるいは抵抗で熱化されて無くなる。

回路の電流 回路(1)と回路(2)の電流値の様子を考えてみよう。

電流値 電圧が 100V 、抵抗値10Ω、 インダクタンス10[mH]として図に示した。回路(1)の(b)の場合で、コイルに電圧を印加した時、電源投入後何[ms]で電源短絡となるかは分からない。? 記号で示した。その状態をコイル内の磁束が飽和した為と技術的には考える。物理的には、コイル内の貯蔵エネルギーの受け入れが出来ない限度を超えたからである。また、回路(2)では、スイッチS’ を投入した瞬時にコイル端子は回路から切り離された状態になり、抵抗のみの回路となる。その時コイルのエネルギーはそのまま分離されてコイル内に留まり、時間と共に消えることになる。

むすび 記事の内容を見ると、電気物理と言いながら数式が全く無いことに気付いた。電気現象はその技術概念電圧と電流が解析の要となっている。然し、その電圧とは?電流とは?と殆ど疑問に思われてはいないようであった。30年前に『電荷』概念の空間像を描けないと疑問に思って、何か世間の囃したての中に揉まれながら、人生意気に感じて頑張っている内に、とうとう浦島退屈論の仕儀となってしまった。やっと御蔭さまで、電圧と電流の物理的空間像が描ける境地に辿り着いたようだ。電圧の2乗が次元[J/F]、 電流の2乗が次元[J/H]でその空間の空間エネルギーを捉えたものであると。電気回路の空間構造のコンデンサ機能の[F] とコイル機能の[H]とでその空間のエネルギー貯蔵量を捉えることが出来ると安堵の境地。やっと技術概念の物理的意味が理解できた。電圧-その意味と正体ー (2016/05/15)ではまだ疑問との格闘にあったようだ。然しその記事の文末に導体近傍のエネルギー分布を確信した記事が記してある。その実験的検証が在ったことで、ここまで来れたと感謝する。