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アンペアの法則を解剖する

もう一度初めの原点を見直そうと思った。今から30年前、昭和60年に初めて電気磁気学を教える羽目に成った。div,rot,grad等の微分計算も計算した経験が無いのに突然のことだ。考えれば、偏微分も3次元空間の中での微分計算だから、計算してみれば難しい事ではないのだった。おそらくその授業の中で、アンペアの法則の意味に何か疑問を抱いたのだと思う。学生にそんな事を言う訳にはいかないから、自分の中で疑問を膨らましたと思う。元々、ファラディの法則の教科書の解釈に矛盾を抱いていたから、アンペアの法則も疑問を持って当然なのかもしれないとの認識にはあっただろう。ファラディの法則で、励磁電流で磁束を解釈すること自体がおかしな論理だから。所謂パワーエレクトロニクスの電気技術論では、ファラディの法則は微分形式を積分形式に変換して、磁束は電圧時間積分で決まるという観方で解釈するのが常識であった。そんなところにも人間の思考の面白さ(教科書的常識の滑稽さ)が隠されているようだ。  電流と磁束と人間思考性 常識の滑稽さの意味を説明すれば、数学では微分と積分は表裏一体の関係に在る事は誰でも知っている。ファラディの法則は磁束の時間微分で示される。それなら磁束は積分形式に書き直せば、励磁電流などが式の中に出て来る訳が無いにも拘らず、アンペアの法則で、磁束は電流によって発生するとの解釈が法則化されているから、その原則・常識から抜け出せない人間の思考性により、磁束が電圧の時間積分で決まるという意識には成り難いのだろうと思う。それが人間の思考形態の滑稽さと看做せよう。アンペアの法則がファラディの法則より10年程先に提起されている。古いほうが新しいものより強く保守的に残る傾向なのかもしれない。その辺に科学に潜む保守性の、科学理論の特殊性かもしれない。これから議題のアンペアの法則を解剖する訳であるが、その電流と磁束と電圧の関係について、前以って意識して置いて頂く為の準備として触れた。

電流の遠隔作用電流の遠隔作用? 法則は空間ベクトルの意味を持って表現される。電流と考察点までの距離とその点の磁界の強度の3つは空間ベクトルの意味を持つ。共に他に対して直交したベクトル方向を意味する。それぞれのベクトルの方向を示す単位ベクトルn_in_rおよびn_h=[n_i×n_r](ベクトル積)使って示した。

直線状電流の意味と周辺空間 アンペアの法則は電流周りの磁界に意味がある。直線状電流の矛盾を指摘したい。

直線電流と周辺電流の周辺

磁界と偏微分磁界と偏微分

電流の遠隔作用の矛盾遠隔作用の矛盾 電流の時間的変化が有っても、法則ではその伝達に無限遠まで時間は不要だ。この関係が次につながる。

電流が流れるという意味は? 水は一本の管の中を流せる。電流は一本の電線の中は流せない。必ず往復の電線が必要である。一本の電線に電子を流し込んで、負荷まで届けられ、その電子の質量と電荷をエネルギーとして消費できれば有り難い。しかし残念ながらそれは無理な話である。空から空間を伝播させる高密度電磁エネルギー伝送の話があるが、それは電線が無く、光の高密度エネルギーと同じものであろう。電流概念には往復導線が必要である。その電流はエネルギー源と負荷との間の進行方向で定義される。電磁波がマックスウエルの方程式で、アンペアの電流・ファラディの磁界法則を統合し、更に「変位電流」を加えてようやく磁界発生原因を方程式に纏めた。やはり『電流』が電気現象の基本に据えられ、磁界発生の原因とした方程式である。しかし、その電流はエネルギー伝播方向に対して横方法に流れるベクトルである。電気回路の電流方向とは90度異なる概念である。この事は電流とエネルギー伝送方向とに関して相当意味が異なるようである。その点は別の機会に論じよう。ここではその変位電流について考えて見よう。電流と磁界の時間的関係は原因と結果の因果律の基で論じられるが、その時間的関係は同時性か遅延を伴うかをどう理解するべきかは判別しかねる。因果律には「同時性」はあり得ず、原因が時間的に早くなければならないと思う。『変位電流』について、その電流の意味は誘電体内の電荷移動で解釈されるようだ。真空内には電荷を定義できる対象物はない筈だ。その時も変位するのは電荷(電子質量の付帯概念電荷と言うようだ)だけではなかろうから電子の質量も伴う筈だ。質量は時間微分するのに不要だから電荷だけで良いのだが、質量を伴うとなると真空内のその存在を納得できない。その質量不要は電線内でも同じことだ。電子の質量は邪魔だ。話を遠隔作用の論に戻す。アンペアの法則は瞬時性で光速度を超えた概念と認識する。それは電気力線の描像でも同じ事であろう。一本の電気力線も空間的に光速度を超える意味だ。その横波電気量(電束、磁束)の描像の発生の起点から終点の時間的関係は、瞬時に広がった閉ループとして描かないと電磁波の縦方向への光速度伝播を説明できない。横に広がる瞬時の描像は論理に矛盾する。光速度を超える瞬時現象は認められない。

磁界・磁束の意味は? 磁界とか磁束と言う用語は今はある程度電気に関心がある人はみんな馴染みの有る言葉だ。精々200年ほど前に、電磁誘導と言う電気現象の存在が分かって、電気技術の根幹を支える概念となるまで歴史を重ね、現在の常識の電気用語となった。人間は偉いと思う。その概念を自然現象の中から有用な科学技術の基礎知識にまで高めて来たのだから。しかし、自然世界にはそんなものはないのである。人間が造り出した技術用語であり、概念である。人間が偉いというのは、たった一つのエネルギーを利用するための解釈法として、実に巧妙に利用し易く、考えやすく分析して、科学技術として育て上げて来たという意味での偉さである。その分析思考能力においては、西洋文明の特徴として称えるべき事であろう。そこには東洋哲学的方向性とは異なる思考形式があると観たい。磁界・磁気概念の本質にエネルギーとの関係の意味を示した。

磁束と電圧の関係 初めにファラディの法則の電圧時間積分の関係で、磁束を理解するべきだと触れた。電流で磁束が出来るというのも感覚的には違和感を持つが、電圧を掛けてその時間との積分で磁束が出来るというのもやはり同じく違和感を持つ。電圧もエネルギーの一面的評価量である事を知れば、その時間積分が磁束量と言う評価量になるとの解釈は納得できる。同じエネルギーに対する科学技術量としての観方であるから。コイルの中の近傍空間にエネルギーが局所的に蓄積されるのであるから。

電流も電圧もエネルギー空間分布に照らして 自然世界の包容力は何とその不思議の世界観を楽しませてくれるありがたさに在るとも思う。自然界の真理はこれほど基本が単純であるのかと驚嘆する到達点に在るのかもしれない。新世界ー科学の要ーで、科学技術概念の根源を問う『静電界は磁界を伴う』の意味を解いて、偶然の思い付きからその延長としての天晴れ(コイルと電圧とエネルギー)に到達した。

結び アンペアの法則の意味を少し分析的に解剖して、考えを述べた。自然世界の単純性と人間の思考の複雑性の対比として、科学技術概念の意味を電流とその法則を例に考えた。未来の科学技術教育の重要性と共に、理科教育の課題も示したかった。

(研究の余禄) 『電流は流れず』の持つ意義はとても大きい。太陽光発電設備で、送電線が盗難にあった。電圧が低いから、高電流密度での計算から特に電線断面積は太く要求される。高価な電気銅はその設備管理にも影響が大きかろう。電流は、その本質が電線内などに流れているものでない事を理解すれば、電線は太さだけで中空電線で十分なのだ。その経済効果は技術革新に大きく貢献する筈だ。この特許権者は?

(*)電気の技術史 山崎俊雄、木本忠昭 共著(オーム社) p.31

電流と電圧の正体

(2017/09/13)追記。2013年頃から電気回路の電流や電圧の意味と計測を考え始めたようだ。2015年に変圧器の奇想天外診断に始まり、電気の眞相(3)-電圧と負荷-コンデンサ型配線のエネルギー伝送等の記事で、ようやく電圧と空間エネルギーの関係が分かった。従って以下の記事の電圧測定についての負荷電力に関係すると言うWvの意味は不確かである。御免なさい。

今日は、自分の記念日である。『電流』『電圧』の正体を明らかに出来た。しかし肝心の自分の正体は不明である。電流計・電圧計訂正(2013/09/08)訂正追記。また間違いで済みません。上図の電流計内のエネルギーWiの表記に間違いが有りました。(訂正)Wi=(P/R)Li/(1+r’/ri)^2でした。 先ずは直流回路で考える。電源電圧V[V]に負荷電力P[W]、その抵抗値R[Ω]の負荷をつないだ。回路の『電流』は電流計で計る。『電圧』は電圧計で計る。その電流計と電圧計を回路に接続した。電流計も電圧形も共に「可動コイル型」であるとする。どちらもその内部構造は同じである。マグネットの中に、可動コイルを吊り下げて、そのコイル内の磁気エネルギーの量を計測するのである。コイルの磁気エネルギー量で、マグネットとの間の磁気力により、回転角が変化する。その角度の大きさをそれぞれの電気量として読み取るのである。だから計測原理は電流計も電圧形も同じ仕組みである。回路内部で異なる物は内部抵抗値とその接続の形だけである。 電流計は回路電流値が大きいので、コイルに流せないから、分流抵抗ri[Ω]に大部分の電流を流す方法がとられる。僅かなコイル抵抗r'[Ω]も考慮する。 電圧計は直列に大きな抵抗rv[Ω]をつなぎ、回路電流に影響を与えないような、僅かなコイル電流を流して、電圧値の測定をする。 上の図のWv[J]、Wi[J]はそれぞれ電圧計と電流計のコイル内の磁気エネルギーを表す。普通磁気エネルギーは(1/2)Li^2^[J]と計算される。しかし計器の場合は、コイルの磁気エネルギーでは係数の(1/2)はなくて良い。そのコイルのエネルギーWは結局負荷の電力と抵抗値で決まるのである。電流計も電圧形も共にそのコイルの貯蔵エネルギー量Wは負荷の値で決まることを示している。 電力P=V^2^/R=I^2^R[W]である。 電流値Iは I=(Wi/Li)^(1/2)^(1+(r’/ri)) [A] として、Wiと回路の定数値から算定している事になる。Wiは負荷の定数と計器内の定数から算定している訳だから、負荷のエネルギー消費量から、『電流』と言う概念の数値を算定しているのである。電線の中を流れる物など何もないのである。電流単位[A]は[(J/H)^(1/2)^]である。 電圧値Vは V=(Wv/Lv)^(1/2)^rv[V]として、電流と同じく、Wvと回路定数から算定しているのである。電圧単位[V]は[(J/F)^(1/2)^]である。 もう少し電圧計の計る値Vの意味を考えてみる。電圧計の意味? 電圧は余り負荷の状態に関係しないように直感的には思うかも知れない。冒頭の図は電源電圧そのものを測るだけであると解釈したい図だ。そこで、少し電源側にも電源インピーダンスがある場合で考えた方が良いかと思った。それが上の図である。電圧計の厳密な意味では、電流計の負荷(r_A_I^2^)も考慮するべきかもしれない。そんなことまで考えると相当難しくなりそうだ。負荷Loadにも誘導性のエネルギー貯蔵Wもある。しかし、直流電圧一定の場合では、電圧測定には無関係である。 電流計は何を計るか を投稿したのは2010年11月であった。結局負荷の電力を電流計という電気回路の組み合わせの中に検出する方法を技術として確立した。『電流』という実際は電線の中に流れてもいない、物理概念を技術で作り上げたのである。 (2013/09/08)追記。 無負荷時の電圧はどのように解釈するか?本論の電圧の計測値は無負荷時には意味を成さなくなる。無負荷とは、負荷電力P=0であり、負荷抵抗値R=∞と解釈できる。従って、電圧値Vは√(∞×0) と成り、本論での電圧の評価は不定と解釈すべきかと思う。確かに、電圧値は無負荷でも計測量には間違いない値が得られる。しかし、電圧と言う物理的概念を考えれば、電流との組み合わせで、はじめて意味を成すものと言う見方もできると思う。その事にはまだ不明確な点もあるようだ。 追記(2014/09/22) 付け加えて考えた事。電圧計が計るもの。(2014/10/29)追記。電圧の意味を考えた古い記事がある。電圧計の構造と電池電圧の不可解さを書いた。電圧ー物理学解剖論ー

電磁エネルギーの発生・伝播・反射および吸収に関する考察

前のブログが「空間瞬時ベクトル解析法云々」で電力系統解析に関する少なくとも自分の専門性に関わる内容であった。それは当時の『中曽根臨時教育審議会』に絡んだ教育界の事件の一端を含んでもいた。しかし2年近い『電気磁気学』の授業担当で、その本質的矛盾を感じ取り、すでに研究意識は「物理学理論と光速度」に集中していた。昭和61年8月の電力研究会での発表と同時に、研究の方向は物理学理論に向かっていた。世間知らずの愚かな自分が今は情けない。8月の中旬、松の山温泉に義理の母を伴い3人で一泊旅行をした。そこでリポート用紙で、「無限長導体電流の空間描像」を計算した。9月に成って、高専の雰囲気が陰鬱に急変し、同時に「殺害される危険な兆候」を感じ取った。後半年はただ生命を守る対策を整え、『静電界は磁界を伴う』の実験に取り掛かる。高専から逃げれば何とかなるかと考えたところが幼稚である。

(2017/05/08)追記。今以ってこの時期のこと、大学事件と言える事態に、どう対処すれば良かったかも分からない。2年間長岡工業高等専門学校に行って元の所に帰るという約束であったので、ただその通りに約束を果たした。高専で助教授であったが、助手で戻ると言う約束であった。世間の常識では許されない事だったとは知らなかった。新潟県から『割愛』という異動が助手であったから、高専からやはり『割愛』人事であったらしいので助手でもやむを得ないと思った。しかも大学での所属が研究分野で分けられている等という事さえ認識が無かった。研究分野が電磁界理論であれば、電力分野に所属できない事ぐらい常識であると今は分かるが、当時は全く考えもしなかった。当時どうも自分の関係したことで、世間が騒いでいるらしいとは分かったが、誰に聞く訳にも行かず、その意味が理解できず精神的にも混乱の中に居た。初めて電気学会の電磁界理論研究会での発表に臨んだ。千葉県の国民宿舎『館山』での発表であった。なお、宿舎の部屋は金沢大学の満保教授と同室の筈であったが、顔を合わせずに過ぎたてしまった。発表当日、会場入り口で話しかけられて誰も初めての人ばかりであったから、名刺(助手の肩書)を渡したらびっくりした様子であったので、こちらが意味が分からず驚いてしまった。多分九州大学の電磁核融合の研究をなさっておられた青木教授であったかと記憶している。8月はじめに、資料論文を書きながら電流棄却を決めてまとめた内容であれば、電力分野に所属しながらできる訳が無かったと恥ずかしい。発表内容も『静電界は磁界を伴う』の実験内容への期待(?)に添えずであったと思う。関口教授(後で、質問される等特別なことだと、何方かに言われた)に質問された。帰りは東海岸沿いに灯台に登ったりしながらの帰途を辿った。その間中、前後ろにネズミやカラスに付き纏われながらの旅路であった。誠に無知故とはいえ長岡科学技術科学大学で電磁界理論の研究をすることは無理だったのだろう。なおもう一つ気掛かりがある。館山の宿舎で、広間での夕食時に、突然呼び出し放送が掛った。用件は家からの電話であった。内容に驚いたが、新潟県の騙し討ちのような話。役人が突然家を訪れての頼みごとであった。留守を知って居てのことだろう。県道の用地確保のための土地の売却契約要請の話であった事後で知る。その内容も良く電話では分からず、特別のことでは無かろうと了解したが、後で県道用地だったのかと分かった。社会常識と合わない己一人の採りようのない世渡りの恥の道であった。昭和63年秋にはとても精神的に耐えられる状況ではなく逃げざるを得なかった。電気磁気学の物理的意味を理解するに今日までの長い道のりを必要としたと思い、己の無知を恥じる。

ここに書いた論文内容は、現在までに日本物理学会での発表会で論じて来た内容と比べて、当時から余り進歩していないと思う。ただ、「光量子の空間描像」および「マグネットのエネルギー流」で進歩したかと。

下の研究資料は何も知らない、世間知らずで大学の組織体制にも無頓着な愚かな自分を曝していた時のものである。この論説を研究会で発表した訳は、内容について多分物議をかもしたと思うが、『静電界は磁界を伴う』と言う意味が当然理解される筈が無いと考えたことが理由である。その理論的根拠を示した。実験データは持っていたが、翌年に回せればと先ずは理論で論拠を示した。それがこの資料の意味である。