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電池(エネルギー)の不思議

乾電池 1.5V の謎。電池の『エネルギー』とは何か?

乾電池なしには生活できない程使っている。電圧―物理学解剖論― (2011/12/14) が電池について疑問を呈した最初の記事だ。その後、電圧とは何か?電流とは何か?などと、電気の基礎概念に疑問を呈し、電気回路現象の物理的原理は何かと自己問答を繰り返してきた。現在の電池の基本的認識は従来の教科書での解釈理論(電子論)は筆者にとっては全く本源的には無意味な論理となってしまった。どんな電気回路も、その本質的動作原理はすべて、電線路導体で囲まれた線路空間を光速度で伝送する空間エネルギーの現象であると分かった。電流や電圧は優れた科学技術概念で、長い伝統を通して培われた技術文明の賜物である。その優れた英知にはどれほど感謝しても、感謝し足りない思いだ。しかし、自然現象の本質をその技術の中に求めると、それは不可能なことを知ることに辿り着く。自然の本源は極めて単純、純粋であるが故に、人が理解しえない程千変万化の多様性の姿を現すものと知る。結局最初の疑問、乾電池の電圧は何故1.5Vか?に説明が付かないまま、今だにその不思議が解けない。人が創り上げた科学技術の持つ謎(電池)がその心を読み解く為の自然の宝物のよう思える。

電池の原理(専門家の電子解釈論について)。

電池の原理を検索すれば、多くの解説がされている。すべて電池の専門的知識や経験を持った技術者か教育者の解説と思う。しかし、筆者は電池について特別の技術も経験もないが、その解説の内容が理解できない。納得できない。電池の専門家ではないが、電気回路現象に関しては深く思索を積んできた経験を基に、その理解できない訳を解説しようと思う。このまま意味不明の解説が社会に通用している現状を放置して良い訳がない。

電池の種類は多い。マンガン乾電池(1.5Vの単1~単4)、アルカリ電池(1.5V、9V)、ボタン電池、リチュウム電池(二次電池)、燃料電池、太陽電池あるいは鉛蓄電池など。それ等のすべての動作原理の解説は、電子をマイナス電極から外部の負荷を通してプラス電極に流す仕組みで解説されている。こんな解説がまかり通る科学論の社会でよいのか。電子が通ると何故エネルギーが使われる事になるかの一番大切な意味が示されていない。電子は電池のエネルギーをどのように負荷に供給すると考えるのか。どこにも科学論が見えない。『電子』がどのようなものかを誰も考えていないとしか思えない。電池における電子の役割を問う (2018/05/24)

電池の原理(電子否定とエネルギー貯蔵源)。

決して電子が電池のマイナス極側から負荷を通ってプラス極電極に戻る電気現象は存在しない。電線導体の中を電子が流れる物理現象はない。いくら解説に便利な伝統理論だからと言っても、質量と電荷の構成粒子であるという電子を理論に乗せようとしてもそこには矛盾に堪えない欠陥がある。自然界には『電荷』など実在しないから。『電荷』の実在を唱えるなら、そのプラスとマイナスの電荷の空間像の違いを説明できなければならない。電池に求められる解釈理論は『エネルギー』と言う物理的実在量の認識に掛かっている。その『エネルギー』が電池内部のどこにどのような形で貯えられているかを解き明かすことである。電池内部に電子(イオン)などのプラスとマイナスの『電荷』が貯えられている訳では決してない。電池内部にプラスとマイナスの電荷が貯えられているなら、わざわざ逆2乗則に反して、負荷抵抗の離れた外部を通って電子がプラス極に戻る理屈が成り立たない。電池内部で『電荷』を分離した化学物質を組み合わせても、クーロン力と言う理論力で、即ち逆2乗則の距離により中和して電池の役目が果たせない筈だ。しかしそのクーロン力自体が論理的に矛盾論である。 クーロンの法則を斬る (2013/01/06)で電荷に基づく力学の矛盾を論じた。結局現代物理学理論で、『エネルギー』の認識が曖昧であるところにその根本的原因がある。もし『電子』を空間に仮想したとき、その周りの空間の『エネルギー』をどのように考えるのか?どこまでその電界エネルギー分布、空間エネルギーのジュール量[J]を想定するのか?その答えを述べてほしい。空間に対する『電荷』とは何か?その易しい物理的理屈の通る科学論でなければならない。

『エネルギー』による電池の描像。

 

電池とは、簡単に表現すればエネルギー貯蔵庫である。電子も電荷も不要だ。ただ『エネルギー』だけで解釈した描像を示す。易しいという事はとても難しい事でもある。禅問答のようで恐縮であるが、単純明快とはそうだと考える。豆電球一つを取り上げて、その物理的現象を解説することが如何に困難であるかを知ってほしい。高が抵抗の電力消費の話でしかない。しかしその中の物理現象が明確に理解できるかと言えばとても複雑である。要するに電池の負極側から導線近傍を伝わってほぼ光速度で伝送される電池の『エネルギー』が豆電球の中のフィラメントと言う真空内の抵抗体に入射し、抵抗体の物理的構造内で冷たい伝送電気エネルギーが高エネルギー密度に貯蔵され、熱化によって光放射現象となる。抵抗体の分子構造がそのエネルギー変換の物理的動作機能を握っているのである。空間的には静電容量とインダクタンスの組み合わせによる現象である。特別難しい原理ではない筈だが、抵抗一つでもその解釈には自然の深い意味が隠されているのだ。揚羽蝶の羽の光変換作用と同じく、その空間構造が成すエネルギー変換作用とみれば基本的には同じ意味を含んでいると考えられる。なお、電圧の正側である導線にはエネルギー流はないことを付け加えておく。当然「電子」が戻るなどと言う現象はない。ただ電池から『エネルギー』が負側電線近傍を伝送されるだけで、正側はその伝送空間を決める基準線の役目しかない。ただプラス側に電流計を挿入すれば、電流が測れる訳は何故かとご質問が出よう。電流計もその内部構造は回路の挿入された一つの抵抗素子と同じ電気機能である。その抵抗体にも電池『エネルギー』が入射するから、その電圧降下と言う量を計るのである。

電池の物理・化学的課題。

『電荷』概念から離れて観て欲しい。化学物質、二酸化マンガンとは何か。負極の亜鉛の役割は何か。それらはすべて『エネルギー』に因って解釈し直さなければならない時にある。物質の接合面に生じる『エネルギーギャップ』の問題として考えるべきである。ダイオードのスイッチングにおける『エネルギーギャップ』の問題と通じないかと考える。

謎(pn接合は何故エネルギーギャップ空間か) (2017/05/18)

電池電圧と『エネルギーギャップ』 (2016/05/08)

電圧ーその意味と正体ー

電圧とは何か? 電気工学や電気物理に関わる仕事に携わっている人はこんな疑問を抱かないだろう。電圧100ボルトあるいは3ボルトなどと日常用語としてありふれて使っていることだから。常識の言葉だから。こんな常識の科学技術用語を理解できないと言って、その正体をあばこう等と考える事を仕事にするとすればどんな仕事に成るのだろうか。全く経済的な利益を生むどころか、科学技術関係社会に反逆的な伝統破壊の行為と看做される。反発を食う研究である。そんな業務を仕事として受け入れる環境があるのだろうか。科学研究社会は、特に学術研究に属する分野では『客観性』を持って研究を進める事が要求される社会であろう。過去の先人の業績を踏襲してこそ仲間として受け入れられる社会である。それが常識の世界だ。学術研究機関に所属していれば、大いに常識に挑戦する機会もあろうが、最初から所属の無いものには不可能な事であろう。世界で誰も挑戦しない研究、「電圧とは何か?」と問う事も有意義な筈である。学術論文にも成し難い研究ではあるが。自然の本質を明らかにする重要な研究ではある。

総合科学・基礎科学・純粋科学の意義 本質を明らかにすることの意味は、誤ったり誤解した研究や方向性を質す判断基準として、総合的な評価を下すに重要なのである。経済的効果が無いと言うが、間違った高額の投資を避ける意味で経済性は大きい。それが総合科学、基礎科学、純粋科学なのである。科学研究の内容を市民が理解でき、賛同できることで初めて研究費を使う権利が得られるのだと認識すべきである。数式でなく、日常用語で高度な研究内容を説明し納得を得る事が必要になる。そこに、専門家だけの内部了解ではなく、市民社会との関わりが大切になるのだ。その時に科学の基礎概念が誰もが理解でき、疑念の無いもので初めて市民との意思の疎通ができ、健全な科学社会への安全が担保できるのであろう。そこに総合的な広い基礎科学の重要性が狭い専門性を超えて必要になるものと考える。ここでは前の電池電圧と『エネルギーギャップ』を受けて少し電圧の解釈の意味を深めてみようと思っての記事である。

電圧とは何か?電圧とは何か 電圧Eボルトの直流電源がある。銅板と銅線が図のようにつながっている。 

電圧問答電圧問答 

電圧問答 直流電圧源だから、各電圧計の指示値はすぐ分かる。ただ電圧計の繋がる位置が色々だ。電圧計は何を計るかと考えて、その電圧値に成る原因を何に因ると解釈するかを尋ねている。もし『電荷』を原因と考えると、その分布を考えなければならなくなる。さてどう考えるか?こんな問答は禅問答の部に入るようで、科学論の部門では毛嫌いされる問答である。しかし科学理論は論理性を持ってその真価と尊厳を勝ち得ている訳であるから、こんな易しい日常的な質問には朝飯前と答えられる基盤の上に成り立っている筈だ?そこで答を書こうとすれば、学校教育で教えられる教科書の内容から考える事に成ろう。どんな教科書も文科省の『学習指導要領』によって教育内容は決まっており、『電子』あるいは『電荷』による解釈しか許されていないから、その指導要領に従わざるを得ない。そこで『電子』で考えようと試みる。

電子と電圧電子と電圧 回路の一部を取り出して電圧計V1の意味を『電子』に因って考えてみよう。鉛蓄電池や燃料電池の電池機能原理は水素原子の『電子』が陰極端子から外部配線、負荷を流れて陽極に戻り、『エネルギー』供給源としての電池の役割を果たすと専門家の解説に在る。それが負荷への『電流』の電気磁気学理論に基づいた教科書的標準理論である。しかもそれは世界の物理学理論でもある。その時の電気現象の電圧には『プラスの電荷』は電池の外部回路に関与する解釈は無いようだ。すべて『電子』だけで理論的な解釈が成されている。そのような世界標準の電気論に従って、電圧計V1の『電圧』をどのように解釈すべきかを考えてみた。①電荷分布(電子)?と電圧として銅板間にどのような『電荷』分布を描けば良いかと苦心した。『電子』同士は好きではないが、有名な『クーロンの法則』に従えば、お互いが反発しあって、集合するのはいやだ、いやだと纏まらないのではと考えると、『電子』の分布予想も出来ないのでお手上げだ。理論とは不思議なもので、後生大事に守られている『クーロンの法則』があっても、そんな法則などお構いなしに『マイナス電荷』の集団と『プラス電荷』の集団同士が向き合って対峙する構図が理論の伝統的な常識・思想に成っている。しかしこの電池の場合には『プラス電荷』は出る幕が無いのが不思議だ。だから教科書に従って電池電圧を『電荷』で描こうとしたが無理だった。それでも思い直して、マイナス側の銅板に『電子』が分布したとして、電圧計を繋いでみた。それが②電圧計である。電圧計は中味の回路を見れば、単に高抵抗rとコイルlの直列につながっただけの物でしかない。電圧と評価する部分はコイル内に貯蔵されて『エネルギー』を指針の回転に利用しているだけである。特に電圧と言うような感覚的に予想する様なものを計っている訳ではない。陽極側と陰極側の銅板の間に電気回路のrl要素を繋いだ事に成る。もし陰極側の銅板に最初『電子』が集合していて、電圧が掛っていたとする。電圧計を繋ぐ前後で銅板間の電圧にどのような同じ電圧を発生・保持するかの訳を考えられるだろうか。また、図のように電圧計(負荷)を繋いだとしたら、『電子』はどのような力を何によって受けて運動すると考えれば良いだろうか。大まかな概略論でなく、厳密な基礎理論に基づいた合理的で論理的な解釈が求められる。日常用語と基礎的な科学用語での説明なら、誰でもが理解でき納得できると思う。しかしこの『問答』にはなかなか納得できる論理的な解釈が出来ないジレンマに陥るのだ。結論を言えば、『電子』や『電荷』では電池電圧の発生原因を説明できないという事である。宇宙の話や五次元空間の話は話の実体が目の前に無いから高度な数式で論じられると煙に巻かれたような気分でうんともすんとも言えないもどかしさが残る。しかし乾電池や蓄電池の話なら、電磁気学の理論検証には十分分かり易い筈だ。この電池電圧の意味が『電荷』概念では自分が納得出来ないので、『エネルギーギャップ』の電圧発生理由で解釈する様子を示す。

空間のエネルギー分布空間のエネルギー分布 エネルギーにはプラスもマイナスもない。光のエネルギーと同じく、空間に金属導体に因って束縛された状況で分布する。その分布密度を予測して図に描いて示した。その密度分布を実験的に測定する方法を見つけられるかどうかは疑問だ。『電子』の分布を描く場合に似ている結果である。プラス、マイナスと言う金属導体間にそのエネルギーは分布し、マイナスからプラスまでのエネルギー分布密度の線積分がその『電池電圧』となる。エネルギーで観る線路電圧に交流の場合を示したが、直流でも同じ事である。

交流電圧 電圧は直流も交流もその本質は同じである。主に金属導体間に掛かる電気の”何か圧力”のようなものと感覚的に捉えられる。その姿・本性を認識し難い訳は実験的に測定することが出来ない「空間エネルギー」だからである。電気の眞相(2)-電圧とは何かーに述べた。科学技術の電気工学では空間エネルギーなど観測できない物理量であるから、『エネルギー』の利用と言う眼目から、実に優れた計測量として、『電圧』を考えだした訳である。『電圧』と『電流』で電気工学の基礎を創り上げたのだから、その技術的感覚は素晴らしいと先人の業績に感謝しなければならない。交流電圧によって送配電線路が構築され、『エネルギー』利用が可能になった。その交流電圧は発電機と変圧器での発生原理に新たに「磁束」と言う概念を創り上げた事により、理解し易い『電磁誘導則』で誰でもが理解し易くなった事は科学技術の意味を理解する上で大切である。「磁束」で交流電圧を理論付ける技術感覚の意味を理解すべきであろう。さて、科学技術とその基礎概念は自然世界の『真相』と成るかと言う点で改めて考えなければならない歴史的転換点に居ると思う。電気現象の物理学的解釈は自然世界の眞相を捉えるに重要な基本認識と成っている。その自然現象・自然世界を『電圧』、『電荷』、『電流』の科学技術概念で論じようとしたとき、その論理の先には混迷の未来が待ち受けている。同様に『電界』『磁界』も自然世界に実在する『真相』ではなく、科学技術の『エネルギー』利用手段としての便利な構築概念でしかないのだという事を認識することが未来への安全の思考の基盤である。

科学技術と自然世界と教育 先人が築き上げて来た科学技術と自然世界の眞相を混同しないように理解して欲しい。『電荷』など世界には存在しないのだ。今、この事の中に見える複雑な人間意識と科学的競争社会の間に立って、未来への子供達に対する教育を考え、根本から再構築すべき時に立っている。未来への教育問題は教育機関、教育者に課せられた喫緊の課題である。過去を踏襲し、先人の業績を尊重してなどと拘泥している時ではない筈だ。

『電圧』と『エネルギー』その実験的検証 昨年は物理学概念に(『電荷』への)疑念を抱き、旅立って30年程たった時に不思議な実験を手掛けた。これも予測できた訳ではなく、何かに誘われて手掛けたような実験である。変圧器の奇想天外診断で『電圧』の意味を考える切っ掛けを得た。続いて、コイルと電圧とエネルギーおよび天晴れ(コイルと電圧とエネルギー)の実験的検証、そしてまとめとしての電気の眞相(3)-電圧と負荷ーによって『電圧』と『エネルギー』の関係を捉えることが出来たと考える。

電池電圧と『エネルギーギャップ』

科学リテラシーと言う用語がある。みんなが科学に理解ある社会に成ろうということなんだろう。しかしそれには余りにも多過ぎる分野と内容を覚え、記憶する必要が高い絶壁となって道にそびえる。日常生活での不図思い付く科学的疑問に答が得られないのは何故だろうか?『乾電池の電圧』は何故1.5ボルトなのか?『鉛蓄電池の電圧』は何故2ボルトなのか?答は突然難しい化学反応方程式で説明されて、『電子』が解説の主役の舞台の演舞場となる。化学方程式を覚えないと『電池電圧』の値の訳が理解できないのかと、必死に科学の学習に努める。しかし、その内に『電池電圧』を尋ねる事も忘れてゆく。どこにも『電池電圧』の訳を解説するものが無い。化学方程式から、『電子』をとりだして鉛蓄電池のセルの電圧が2ボルトに成る事を説明できなければ、『電子』による科学論の科学リテラシーなどと言えなかろう。電池の原理を問うで鉛蓄電池について述べたが、昨年からの電気回路の線路電圧のエネルギー分布の解釈が纏まった事から、電池電圧の意味を改めて考え直してみた。
何が電池電圧を決めるか

電池電圧の命題電池電圧の命題 電池には多くの種類がある。乾電池、鉛蓄電池、太陽電池更に燃料電池とその動作原理が異なるように見え、しかもそれぞれに決まった電池電圧の値を発生する。その電圧値に成る訳を説明できないようである。科学理論は数学の解析式で解釈するのが高度の科学論と誤解されているようだが、電池電圧値の訳さえも数式では決して示せない。『電子』や『電荷』では決してその電池電圧値を論理的に説明できないのだ。
エネルギーギャップ 『電子』で電圧の発生原因を説明できないとなれば、他に何かその自然現象としての本質的な原因がある筈である。

鉛蓄電池の原理鉛蓄電池の原理 鉛蓄電池の基本単位はセルと言われ、その端子電圧が2[V]に決まっている。それを6個つなげると12[V]の電源となる。化学魔の還元ー電池電解編 には標準的な解説が成されている。電圧の発生原因を陰極電極の金属元素の鉛Pdと電解液の希硫酸H2SO4間の接触面で『エネルギーギャップ』が生じる事と観る。すべての電圧発生原因は陰極に掛かっていて、陽極は殆ど影響なしと解釈したい。更に鉛蓄電池の放電現象の説明を見ると、陰極面の鉛が硫酸との化学反応で表面が白く覆われると有るから、勝手に亜硫酸鉛PdSO3 が出来たからでないかと考えた。その意味は、陽極PdO2がエネルギー的に硫酸と平衡していると考え水発生の意味をエネルギー放出の原因と捉えたからである。燃料電池のエネルギー放出の直接的原因は水素と酸素の反応の水発生である。水は生命の基であるだけその世界は限りない謎を含んでいる。水のお伽の世界 に描いた絵図のように水の生成・分解は『エネルギー』そのものの根本原因を成している。鉛蓄電池も水の生成として陰極面の『エネルギーギャップ』を電池電圧の空間エネルギー分布として負荷へのエネルギー供給に資するものと考えた。

物質間のエネルギーギャップ 物にはその物に特有の特質がある。特に純度の高い金属、気体あるいは分子、原子となるとそれぞれ特質が際立つ。硫酸は物を溶かす化学的性質が強い。その製造方法では、硫黄から酸化硫黄更に水と反応させて、硫酸となる。その製造過程では、すべての過程で発熱現象を伴うように説明されている。普通は分子結合で発熱を伴えば、基の物質の方がエネルギーを多く保有していて、分子結合によって熱エネルギーを放射すれば、そのエネルギー分だけ結合分子のエネルギーは減少すると考えたいが、最終段階で出来上がった硫酸はその化学的反応作用の強さを考えれば、むしろエネルギーの保有状態が高まっているとしか考えられない。その訳が理解できない大きな疑問として残る。物理現象、化学現象を考える時、先ずその現象の前後に置いて、『エネルギー保存則』は成り立っているかを思う。鉛蓄電池の電解液と言う硫酸の化学的反応力は何故そのように強いのかをエネルギーの保有の対象物質への影響力に成るからだと考えたい。硫酸の持つ特有な性質が何故生まれるのかを『問答』として取り上げるかどうかが「考える理科」の課題であると思う。蓄電池は放電すると電解液の比重が低下する。硫酸が分解して、水分子に成る変化と考えたい。その『水』の分離のエネルギー放出を蓄電池のエネルギー源と考えたい。金属鉛と硫酸との二つの物質間の保有エネルギーレベルの境界面での処理現象が『鉛蓄電池』のエネルギー源としての原理と観たい。物質とエネルギーレベルあるいはエネルギーギャップの問題は熱エネルギーと金属の接合問題として、トムソン効果、ペルチエ効果、ゼーベック効果などに観ることのできる現象である。