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電圧・電流の物理的概念

「電気回路から物理学理論と教育を考える(?職歴不明?)」で漸く結論に至った。しかし、過去のすべてに不可解のまま、科学論の土俵への道も知らずに来た。職歴不明の如何ともし難き今、ただ教育現場が如何に在るべきかと思う。

2年程前、電圧・電流とエネルギーと時空 (2019/08/11)、それに続いたこれが電気回路の実相だ (2019/10/01) および電気回路のエネルギー問答 (2019/10/02) 等に、その当時は未だ『エネルギー伝播現象』の実相を捉えてはいなかった様子が観える。その後の2年間で漸く到達した。振り返れば実に不思議な感慨を覚える。疑問を抱き続ける事に。

電圧・電流はエネルギーの伝送特性量

電圧・電流とエネルギーと時空 (2019/08/11)。そこに示された波形だ。

物理的概念と表題にした。その意味は物理学理論の物理ではない。自然現象としての電気エネルギーが伝播する現象を物理的に解釈するという意味、即ち自然の屈という意味である。

現代物理学理論は既に自然現象を理解するには役に立たない過去の遺物論となっている。自然界に存在もしない『電荷』や『電子』で解釈するあらゆる学術論は、自然現象を理解するに色眼鏡の度がきつ過ぎて、人の解釈を迷わせる存在に観える。

光のエネルギー量。hν[J]で評価する光。その解釈では、光の空間エネルギーの分布を理解できない。光のエネルギーを振動数のみで解釈する理論では、決してエネルギー量のジュール[J]を認識することが出来ない。単一周波数の光が幾ら高密度であっても、その振動数での解釈では決してエネルギー量を評価できないから。空間を伝播する光のエネルギー量が自然現象に影響することを評価できないから。それは電気回路現象の理解が出来ない。電圧、電流の自然現象としての意味が認識できない。その意味で将来に向けた理科教育として相応しくない。そこで上の波形の意味が問題となる。

さて、物の理屈として上の電気現象波形の意味を考えてみよう。電流波形や電圧波形の意味が分かれば物の理屈の例となる。これぞ物理学となる。

図の横軸は角度表記である。それは同時に時間軸と見做せる。ωtのt[s]軸と同じ。オームの法則は実に優れた科学技術法則だ。自然の奥底の現象を技術料に置き換えて評価している解釈法が素晴らしいのだ。その概念『電圧』と『電流』が含む自然現象の真理は決して自然界に存在しない『電荷』などで解釈する事は出来ないのだ。誠に有り難い事は西洋哲学が自然現象を活用する意味において、特段の意義を発揮している点である。その御蔭で現在の科学技術の恩恵に浸れるのである。科学技術競争社会はその思想の延長線上にある。しかし、東洋哲学の方向性は少し異なるように思う。自然の中に深く入り込み、自然と思いを同化する方向性のように思う。自然を守る方向性と。

ー苦言。エネルギーの大量消費で発電エネルギーと同じ分を海の加熱で賄っている事を全ての電気エネルギー利用者の科学リテラシーとして認識しなければならない。豪雨災害の原因や高温異常のフーン現象はすべて海の加熱エネルギーの自然的放射現象をその根源にしている事を。ー

東洋思想は科学技術的進展を目的とする方向性とは考え方が異なる。自然現象の本質を求めるには、科学技術概念の自然的真相を理解する為に、その概念の中身に『削ぎ落し』の思考を重ねて、理解に到達するように思う。自然はすべて空間の『エネルギー』一つの千変万化の具象像でしかないと漸く考えられる。それは光一つが空間の『エネルギー』の密度分布の縦波現象でしかないのだ。電界や磁界の概念はその『エネルギー』の空間状態を科学技術的解釈法に合理的な手法を編み出した、自然界に実在する物理量ではない仮想的概念なのである。その様な意味を踏まえて、電圧、電流波形の意味を単なる技術概念という意味でのみ解釈すべきでない。光のエネルギーの空間伝播現象との関係付けで認識すべきである。

波形図の横軸は角度量である。それは又、ωtの関係から、時間軸 t[s] とも見做せる。この図の波形の意味は、電線路のある位置で観測した時、その位置での、その電圧と電流の値が時間的に変化する様子を表現したものである。波形の値はその位置の値で、離れた位置の波形は違う値なのである。その事をこの波形で表現した深い意味の数量であると理解しなければならない。波形一つも漠然とした意味ではないのだ。この波形の同じ意味を横軸に距離を採って表現すれば、右に波の進む位置の方向を採った場合、左右が逆転した波形になる。空間図形の表現内容も注意してみるべき意味を含んでいる。

電圧 v(ωt) の波形、電流 i(ωt) の波形が正、負に変化する正弦波形である。この電圧と電流と言う物理的概念が何を定義したものかを理解するのはなかなか難しい。科学論では、『電荷』が存在するとの仮想的認識に基づいて理解しようとする。そこに、根本的な不明確にならざるを得ない原因がある。その『電荷』概念に基づく解釈では、子供たちが満足できる明快な説明が出来ないのである。理屈で非の打ちようがない論理性は期待できない。説明者自身が、おそらく分からないからなのであろう。『電荷』に因る解釈である限り、教科書の正当性が保障されていないのである。『電荷』は自然世界には存在しない、科学論用の仮想概念でしかないから。

(1)電圧について。1[V] と言う電圧値は何でしょうか。

電線路間に掛かる電圧の意味が、先ず物理的に明確でなければならない。電圧が正の波形の場合の電線路に生じる原因が何か?『電荷』で説明できますか。電圧波は光速度で電線路を伝播する。電源から正の電荷(陽子?イオン?その具体像?)と負の電荷(電子像?)が電線路に流れ出て、その電荷が光速度で進むのですか。ここで既に「電荷」論には無理があると分かる筈であろう。電子の流れでは電圧の解釈は無理であろう。電気回路は、その回路特有の回路空間に静電容量と言う定数値を持っている。その定数を εo[F/m]とすれば、電線路の空間に分布するエネルギー密度は

εo V^2^[J/m]

と、電圧の2乗で表されるのだ。電源のエネルギー供給能力と回路空間定数に関係した技術概念が電圧の意味なのだ。

(2)電流について。1[A]、その物理的な意味は何かを明確に示さなければならない。

電圧の電源に電線2本で電気配線空間を張る。電線路終端に負荷抵抗を繋ぐ。電線導体に電子が流れて電流となると解説される。そんな理屈が厳密な物理論として通るだろうか。電圧と同じく、電線路空間にはエネルギーの流れる速度を決める回路特有の定数がある。誘導定数をμo[H/m]とすれば、そのエネルギーの流れる伝送密度は

μo i^2^ [J/m]

となるのだ。電流値の2乗に因るのだ。電流と言う概念の意味もそのエネルギーの流れに関係したものとして在るのだ。

記事の冒頭に掲げた波形の V^2^ [J/H]およびi^2^[J/F]はそのような意味を表現した意味を持っている。空間の『エネルギー』分布に関係した概念を持っているのだ。

ここ迄述べれば、誰でも『電荷の科学論』は教育現場での緊急課題だと気付くと思う。

交流回路現象は、直流と違って、負荷でのエネルギー反射現象が電圧エネルギーギャップに対して、時間位相が少し複雑になる。賢明なる研究者の皆様なら、既にお分かりと思う。

電子とエネルギー(バンド理論は魔界?)

時は今、エレクトロニクスの時代。エレクトロンとは何者だ❕

電子の実像を探し求めて、長き彷徨いの中を過ごした。電子は質量と電荷の二刀流の使い手だ。その変幻自在のあり様は正に魔境に誘い込まれたが如くに、その意味不明に惑わされる感覚になる。

何の知識も、学術研究の取り立てて自慢できるものは何もない。『バンド理論』が量子力学の主戦場の英雄となって、君臨している。

物理現象の本質はすべて、空間での『エネルギー』の振る舞いにしか見えなくなってきた。長く『バンド理論』のその周辺の意味を理解しようと考えを確かめてきた。過去の記事がある。

謎(pn接合は何故エネルギーギャップ空間か) (2017/05/07)。

『エネルギーギャップ』と電圧に関係した記事に、

電池と電圧(エネルギーの基礎研究) (2019/11/19)。電池と電圧(エネルギーの実験) (2019/11/19)。ダイオード電圧 (2020/08/26)  等がある。

バンド理論の『バンドギャップ』とは何か?その代表的な解説がある。半導体の部屋にその図が示されているので参考にさせて頂く。

半導体の伝導現象は『バンドギャップ』と電子及びホールがその解釈の基本的対象概念である。そこで、電子がエネルギーレベルで高い状態になるか、ならないかで伝導体に上がるか、価電子帯に留まるかが決まる。

さて理解できない事。それは次のような解説である。

『半導体は、電子が運動エネルギーで価電子帯より増加して、伝導体に励起され、若干の電気伝導を示す。また、価電子帯から励起した電子の抜け殻にホール(正孔)が発生し、正の価電子の様に振る舞って電気伝導に寄与する。』

その解説内容は、電子が若干、そしてホールが正の荷電体の様に伝導の役割として働く意味と理解する。さて、半導体は電気回路の銅線あるいはIC導線の金線から銅線に繋がって外部負荷につながる。そこで、電子は運動エネルギーが増加して、更にホールのエネルギーも高レベルの値で外部回路での伝導に寄与するとの意味での解説と理解する。

ここで、気掛かりの事がある。バンド理論の解説はそれで分かったとしても、繋がる電気回路がその電気エネルギーの伝導現象に重要な意味である。電気回路で、電子(運動エネルギー?)あるいはホールが『エネルギー』をどの様に負荷に届けるかが、その技術の粋としての半導体の真骨頂である機能を発揮する役割の筈だ。それは、一般の電気回路の解説では電流が流れるという意味を、それと反対向きに電子が流れて電流の意味の機能を発揮するとなっている事との関係から。

科学理論はあくまでも総合的に、広い場面との整合性が取れた解釈が出来ないと誠に不明確な分かり難いものになってしまう。どうも現代科学論は、とても専門性が重視され、その狭い専門的科学論によって総合的な整合性と言う面で、とても曖昧な理論となっていようだ。どの様に電子あるいはホールが負荷に如何なる理屈で『エネルギー』を届けるかが示されなければとても科学理論としての解説としては納得できない。誰もが何も疑問を呈しないところもまた不思議の極みに思う。

専門家とは、一般の市民が理解できるように易しく、詳しく(「電荷」の空間像等)解説するところにその真価が発揮されるべきと思う。筆者には、『電荷』像さえ理解できない為か、なかなか『バンド理論』の意味が理解できない。新潟県教育委員会での採用事務手続きも無かった16年間の教職員歴(?)はじめ、職歴不明(?)で悩む筆者の電気回路現象解釈論からの疑問に対して、専門家のご意見をお聞かせ頂ければ望外の喜びとの思いを込めて。

 

電源電圧の物理概念

(2021/06/16)。漸く辿り着いた。『静電界は磁界を伴う』(1987年4月)の発表をしてから辿り着いた。決して『電荷』や『電子』等を必要としない電気回路現象解釈。自然世界に、その空間に『エネルギー』がある事を知って欲しい。物理学理論のどこに、その『エネルギー』の概念が在るだろうか。物理学理論は役立つのか (2021/04/09)。

『電圧』と言う誠に優れた電気技術概念。その意味は長く物理学理論において、『電荷』によって解釈されてきた。しかしその電圧の物理概念は『電荷』などでなく『エネルギー』が示す自然現象の意味であった。

交流電源電圧の電気回路における物理概念を上の図によって考えたい。電圧は電気回路の現象を決定的に決める基本量であると感覚的にも捉えられる。

長い間その電圧の意味を、『電荷』によって解釈してきた。漸くそれは『エネルギー』が示す電気回路現象であったとの結論に至った。回路の負荷に誘導性負荷と容量性負荷を取り上げた。電源電圧は正弦波交流とする。電線路は二本の電線を張ればそれでよい。その電気回路をどの様に解釈するかが一つの要点となる。また、電気現象は全て『エネルギー』の光速度伝播現象である事を認識しなければならない。決して『電子』は電圧の意味に何の役目も持ち得ない。単純な2本の導線で囲まれた電線路の空間を電気のエネルギーが流れるのである。電源電圧 v[V] とすれば、それは下の式、(2)式のように電線近傍の空間に、単位長さ当たりの静電容量 C[F/m]によってエネルギー分布が決まるのだ。

 

その電線路単位長さ当たりのエネルギー分布 δp[J/m]は電線路全体に瞬時に行き渡る。数㎞の電線路に電圧を掛ければ、その電圧は光速度のエネルギー流によって、電線路全体がその電圧値になる。そのエネルギー流の流れは上の(1)式の流れの式で表現できる。速度 co=(LC)^-1/2^ [m/s] で流れる。電気現象の最大の特徴は、光速度伝播現象であるという点だ。電気理論や物理学の教育者は決して、1秒間に『電子』などが地球7回り半の速度で伝送できない事を肝に銘じておくべきだ。子供達に嘘で誤魔化す教育はするべきではない。長く30年以上もかかった結論である。

電圧とは。(2)式より、

v=√(δp/C)  [(J/F)^1/2^]=[V]

で表される、電線路空間のエネルギー分布を解釈した技術概念だという事である。この電圧は直流であろうと交流であろうと特に差は無いのだ。交流電圧は直流の電圧値がただ時間的に変化する違いでしかない。それはエネルギーが光速度伝播である事にその特性があるからだ。

(1)式の電力p₀[W] はその電線路電圧の伝送エネルギー流の最大限界値を表す。光速度 co=1/(LC)^1/2^ [m/s] との積で表される。(注)最近の配電線路もピン碍子は使わず、静電容量が大きな、特性インピーダンスの小さな高エネルギー密度の、容量増の配電線路になっている。

(3) 、(4)式は負荷の特性を表す式だ。

その電力の式は、誘導性負荷の場合は、

誘導性負荷の波形

その貯蔵エネルギー量は印加電圧の時間積分で決まる。また容量性負荷の貯蔵エネルギー量はその電力が電圧時間微分で決まる。誘導性負荷の場合の電気現象波形を示す。wl[J] がLrの貯蔵エネルギーである。

 

 

電気の眞相-電気エネルギーとは何か- (2014/10/13) が電気回路現象への疑問との格闘の一つの問答の始まりかも知れない。

まとめ。

漸く電気技術理論、電気工学理論を、その優れた電気技術文化として理解できる心境になった。『オームの法則』、交流電気回路の『インピーダンス解析理論』、その『電圧と電流』の技術概念を理解できた。決して『電子』など必要としない事を理解できた。残念ながら「クーロンの法則」は教育の場には相応しくないことも確かな事である。『電荷』概念は余りにも自然の真相からかけ離れた解釈を強いる事に成るから。また、『磁気』とは『エネルギー』の軸性回転流の空間場であると理解できた。残念ながら地磁気の逆転現象などはこの地球上に起こり得ないと分かって欲しい。『電界』も『磁界』も全て『エネルギー』の科学理論構築用の解釈概念でしかないと言う意味で、自然世界の「真理」とは異なる事をも知って欲しい。教育の、理科教育の専門家は未来への新たな方針を立てなければならない時に在ると理解してほしい。どうか皆さんからの、『電荷』や『電子』の概念を否定する私への批判を期待します。

時と歩んだ世界

(2021/06/02)。10年以上ブログを投稿させて頂いている。感謝です。2010年2月に初めてpcと言うものに触れた。ワープロ代わりに購入した。しかし、ITに接続して新しい世界を知った。相手が見えない世界に、思いを表明してどの様な事が起きるか、その未知の世界に期待もあった。

ファラディー電磁誘導則・アンペア周回積分則の物理学的矛盾 (2011/0130) が初めの頃の一つの記事だ。この記事にだけ突然千件を超えるアクセスが起きた。

その中に、『インバータと磁束φ ④』が記事中にある。トランジスタでの電力制御を初めて知った驚きの技術として忘れることの出来ない記念のものである。電気理論と電気技術との乖離を認識するに欠かせない回路として挙げる。変圧器に直流電圧を印加すると言う考えられない驚きの回路だ。1969年秋の内地研修で経験した驚嘆の回路であった。この事は、目から鱗‥ (2021/06/05) の記事に述べた。

ここに「アンペアの法則」の矛盾が示されている。変圧器の磁束が励磁電流によって生じる訳ではない。電流概念を問う基点となった。

電流が導体内を流れる。しかし、その「プラスの電荷が流れる」と言う論理は無理であると分かったのだろう。だから負の電荷の『電子』が逆向きに導体内を流れると専門的解説が成される。その解説も、その論理的な責任ある理屈が示されているとは言えない。そこには専門家としての良心が見えない。筆者はただ電気回路の中に起きる自然現象としての『エネルギー』の振る舞いを感覚的な捉え方で、そこに寄り添いながら考察を進めてきた。それは余り学術的形式の論文としての表現には程遠いものでしかないだろう。その訳を考えると、学術的標準用語を使う程専門的な習熟もなく、理解が無いことが基にあるからだろう。だから勝手に自由に解釈する習慣が、余りにも学術理論の常識から離れてしまった感覚のままになってしまったのかも知れない。殆どの基礎的科学概念、物理学的概念を否定する処に立ってしまった。空間に実在する『エネルギー』の実相を、その象徴的具体例に『光』の空間像を描いて捉えている事に在ると思う。

光の相対速度と空間 (2020/06/08) 。プランク定数の概念 (2018/07/17) 。今はその光の意味を電気磁気現象を理解する基礎として認識して欲しい思いにある。それが時の成果と言えるかもしれない。

『静電界は磁界を伴う』。科学理論の世界が異なって見えた原点がこの発表に在る。とんでもない自然の認識に挑戦する賭けに挑まざるを得ない仕儀になった。幼稚な社会性の乏しい筆者には無理な科学論の道であった。何か最初から社会的な存在としての、憲法、行政法上の仕組みの中に組み込まれていなかったような思いに在る。集団体制にとっては邪魔者で、はみ出し者のようだった。古い事件のうろ覚えがある。貝野村役場が火事になった。貝野中学校が火事で焼失した。意味が分からない?信濃川で隔てられた小さな集落の貝野村が、更に二つに分かれた分村事件。我が家の土地がいつの間にか新潟県道に化けて、今でも踏み躙られている。

エネルギー考にまとめた。『エネルギー』一つに科学論の基礎概念を頼りに何とか辿り着いた。理科教育の未来の一つの方向性を示した。陰で応援が有ったから曲がりにもできた。感謝。

目から鱗(1969年ひと冬の経験)

(2021/06/04)。50年以上も前の事。今分かって思えば、長くボーっと過ごしてきたとお恥かしい限りだ。分かって書けば、躊躇もするが、それも人生と記して置きたい。昭和44年の2月、間借りの家に帰り着くと、月刊誌の「電気計算」が配達されていた。ペラペラとページをめくる。そこに「パワーエレクトロニクス」と言う電力制御の特集記事が載っていた。見た途端に、これが求める研修内容だと即断。30歳過ぎで、内地研修に行ける制度があると聞いていた。春4月に、ある先生にお願いして、東工大との繋がりをお世話して頂き、研修の準備をした。しかしそれっきりで、10月まで何の手続きもしていなかった。勿論新潟県教育委員会に研修願いもせず、学校長にも許可も得なかった。本当に申し訳の無いことと、当時の御迷惑を掛けた皆さんに謝らなければならない。そのまま10月から半年間、東京工業大学の電気工学科の宮入・片岡研究室で研修をさせて頂いた。住処も東工大の方にお世話いただき、大学の大岡山駅の近くに確保して頂いた。全く人任せで生きてきたようで感謝と🙇。勿論住所変更届の手続きもして居ない。長岡の住所のままか?それも行政上は問題ではないようだ。??給料も無い扱いだから??それは全くの独り善がりの、無責任な無断研修であったと今は分かった。その間「給与」の支給も無かった。だから何処の労働者の分類にも入らない事に成るか?1970年4月再び何の意識も無く、新潟県立新津工業高等学校に戻っていた。この事に対して、新潟県教育委員会からは何の御咎めも無かった。後で知ったが、校長は勇退という事で辞められたか?新潟県教育委員会の管理課から新しい校長が赴任してきた。筆者に処分辞令が無いという事は、新潟県教育委員会で採用した訳でもなく、日本国憲法に基づく行政法上の管理下の教員では無かったのかと考えざるを得ない。振り返れば、やはりそれは人生の暗い『ひと冬の経験』という事になるか。所謂存在が否定された『幽霊教員』のようだ。筆者の責任なのか日本政府の責任に帰するのか分からない(当時の内閣。第3次佐藤栄作内閣。第4次佐藤栄作内閣であった)。

電気回路技術と理論。

そのひと冬の経験であっても、電気技術については『目から鱗が落ちる』経験をした。それが現在までの長い電気回路現象の解析を推し進める原動力となった。その内容は、『トランジスターインバーター』の動作原理である。

電気理論と言えば、電源電圧は直流か正弦波しか知らなかった。教科書が学校の教育内容の基本的指針である。教科書編集者は教科書編集の過去からの伝統を守る、その事に対する専門家である。電気現象の原理を研究するような人は教科書を殆ど執筆などしないのかと。伝統的電気理論を学習してその意味を伝承する専門家が教科書を書く。だから新しい現象など殆ど知らない。その例が半導体による電力制御技術と言えよう。その中身は従来の電気理論では解釈できない現象がその技術の基礎となっている。今も不思議に思う事。それはその電力技術の専門家も決して『アンペアの法則』に疑問を唱える事などしない事実である。筆者が最初に感じたことは、これは電気理論が嘘という事か?であった。目から鱗と言う事件だった。今でもマクスウエル電磁場方程式を御教示成される大学物理学の専門家は、このトランジスタ制御の回路技術を学習することが必要ではないか。技術を知らない理論家は間違いを教育していることを自覚する必要があろう。僭越ながら申し上げる。それがトランジスタなどで自由に電圧波形を制御できるなど、正しく『目から鱗が落ちる』驚嘆の制御技術であった。その制御回路の一つがこのインバーター回路である。「**」 この回路動作には     ファラディーの法則 と アンペアの法則の理論の意味を吟味するべき基本的問題が含まれている。注目すべき問題は、変圧器に直流電圧を印加する点である。そこに励磁電流と磁束の関係が問題として浮かび上がる。

「**」印で改行するとここに飛んでしまう。何故か訳が分からない??

止む無くここから続ける。上の回路図はブログの初めの頃の記事のものだ。ファラディ電磁誘導則・アンペア周回積分則の物理学的矛盾 (2011/01/30)。この矛盾を抱えて、遭遇したのが長岡高専電気科での電磁気学の講義であった。電気磁気学など教えた経験もない。学生には誠に指導力のない講義であったと謝らなければならない。その1年間で益々疑問が膨らみ、それが結局『静電界は磁界を伴う』(1987年春)の実験結果の発表に繋がった。過去の不可解を背負って、其の後の訳も分からぬ道を歩み、今漸く初期の果たすべき役割を電気回路現象の『エネルギー』での統一的姿を捉えたかと思う処に居る。この10年間は障子戸に向かって、ブログ記事を通しての疑問との格闘であったようだ。正常でない、異常な毎日、家族の者には精神病の気違いと今でも罵られる始末。意味が分からない者にはそう取られて当然だ。何とか娑婆で少しは電気現象の話を取り上げて話したい。『電荷』否定の論拠を話したい。『電子』概念の間違いを話したい。そんな社会常識を覆すような話を取り上げて貰えるか?

特記事項。一体どのような職業人として、次のような研究をしたことになるのか?意味が分からなければ社会的な活動の場にどう関われば良いか、動きようがない。二年ほど前に大学に出向いてお尋ねしたら、退職していると言われた。本人は何も長岡技術科学大学での事務手続き等していない筈だが、どう解釈すれば良いか思案投げ首のまま?本当の原因が何かが分からない。矢張り新潟県教育委員会との関りか?

トランジスタインバーターによる単相誘導電動機の速度制御 昭和47年産業高等学校教員の産業教育に関する特別研究成果、第8集(当時は別冊)。財団法人 産業振興中央会。この研究が電気理論に疑問を抱いた決定的な事件となった。この報告を当時の学校長が読んで、私に校長室で尋ねた事があった。校長も電気が専門だったから、磁束が励磁電流でなく、電圧時間積分と言う科学技術理論に疑問を持って尋ねたのだろう。不思議に思っての確認だったようだ。それは当然で、電気理論で解釈できない事だから。

しかし今でも電気理論の教科書は変圧器動作は励磁電流による磁束がその基礎となっているだろう。今日、ファラディー電磁誘導則・アンペア周回積分則の物理学的矛盾の記事を見たら、二つのファイルが見れなくなっている。間違っているからかと確認したが正しかった。教科書の解釈を間違いと指摘したことがファイル削除の訳かも知れない。

 

の2図である。確かに教育現場としては大変な事件となろう。しかし自然現象として、『磁束』等『電荷』と同じく存在しないのである。電気技術として『磁束』を解釈手段に利用するのは一つの方便として有効である。しかし、自然界の原理を扱う「理科教育」ではそれは良くない教育法だ。そこの兼ね合いをどうするかが教育現場の課題なのだ。磁束概念は磁石などのマグネットの指向性でその存在を捉えたいのだろうが、『磁界』そのものの概念が電磁エネルギー流に対する直交の方向を解釈し易い方便として定義した仮の解釈概念でしかないのだ。マグネットや地磁気の方向性は電磁エネルギー流の空間現象を捉えた便利な解釈でしかないのだ。磁束が空間に存在すると物理的にその実在性を証明することが出来ますか。『磁束』を見れますか?それは『エネルギー』の空間の姿を見れないのと同じことではあるが、より多くの電磁気現象を総合的に評価することにおいて、それこそ俯瞰的に、より統合性が採れているかの判断が必要と考える。筆者もその電磁気現象の解説をしたかったが、職場が無ければ30年以上も役割を果たせなかった。ブログを通してようやく自信をもって述べることが出来る、所期の目的に到達できたが、教育にその意味を生かす手立てが不明だ。

 

 

 

中学生への応援電気回路論

(2021/04/30) 。一緒に新しい世界への扉を開けよう。
誤謬に満ちた科学理論の真相を知ろう。その根源は『電子論』に在る。未来は君たち若者が担っている。学習の楽しさを学ぼう。『楽しい不思議がいっぱいの自然』だから、汲めども尽きぬ宝の山だ。

白熱電球のエネルギー変換が中学2年生の学習課題になっている事を知った。自然の優しいそして深い不思議の宝物を探しに行こう。少し手助けしたい。


懐中電灯の電気回路だ。一番易しい基本の電気回路だろう。電池と電球をスイッチS と電線でつないだ回路だ。学習内容はこの回路で、白熱電球のエネルギー変換の意味を理解することが目標らしい。

しかし、その白熱電球の【エネルギー変換】と言う電気現象を理解するという事は途轍もない物理的意味を理解しなければならないのだ。その『物理的意味』と言う内容は、残念ながら物理学理論できちんと解説できる状態にまで、自然現象を認識できていないのだ。自然現象は本当は易しい意味にも拘らず、構築された科学理論では、複雑な捉え方をするように概念・定義を決めているから、本当の自然現象の理解に到達していないのが現状だ。若い皆さんは回り道をしないで、自然に素直に向き合う事によって複雑な概念など知らなくても納得できる解釈に到達できる筈なのだ。その為の話でお手伝いをしたい。

最大の物理学理論の欠陥。それは空間に在る『エネルギー』を認識していない事だ。巷の解説で、『エネルギー』とは?と問えば、「仕事をする能力」などと説明されている。仕事をする能力等と言われても理解できますか?『光』とはどの様なものでしょう。身の周りにあふれて、景色や文字や自然の世界の花や虫の姿を見せてくれる物理量、それがその『光』だ。それは空間を光速度で流れる『エネルギー』なのだ。その人に景色を見せる能力をもって、光の仕事をする能力と解釈するのかも知れないが、そんな意味で仕事とは言わなくて良かろう。光のエネルギーの流れで景色を認識できると言う、日常の『エネルギー』の世界を知って、まず基本的認識にそのことを感じて欲しい。光の姿がどんな物かは知らなくても今は良い。何で光の話をしたかと言えば、電気現象は、電線路で囲まれた空間を流れる光のエネルギーの現象だから。

上の図の電気回路の動作原理を考えよう。回路は3つの部分に分けられる。電池、電線路そして電球の3つである。それらがどの様な電気現象の機能を果たしているのか。結論を言えば、それはすべて『エネルギー』に関わる機能である。

『エネルギー』とは何か。

この最も自然界の基本である『エネルギー』の意味が、現代物理学理論では捉え切れていないのだ。身の周りに溢れている『エネルギー』の空間像が分かっていないのだ。存在もしない『電子』を仮想的に概念として設定し、それを電気現象を解釈する基本素子として定義し、それに因って理論を構築してきたのだ。残念ながら教育がその『電子』によって電気現象を解釈する伝統的論法で成されているのだ。『電子』などでは結局いつまでたっても論理性で納得できない迷い道を歩くことになるのだ。もっと簡単に、『エネルギー』の意味を感覚的に捉えられれば、すべての電気現象が分かりやすくなる筈だ。そこから電気の技術法則の意味が自然現象との関係で分かるのだ。

電池とは何か。

電池とは『エネルギー』を貯えた電気製品だ。その電池の中にどのような『エネルギー』を貯えているのか。この『エネルギー』がどの様なものかを現代物理学理論では認識できていないのだ。その『エネルギー』の解説が出来ないのだ。決して『電子』はその『エネルギー』の運搬の役割など担えない。『電荷』も『電子』もこの自然世界には無いのだ。だから、その解釈は若い未来の皆さんの解釈に掛かっているのだ。

乾電池のエネルギーが行方不明 (2021/05/01)。電子でエネルギーは運べない。

電線路の役割。

電線路は最低二本の導線で囲まれた空間が必要だ。電池のエネルギー(光と同じエネルギー)を負荷(電球など)に届ける伝送空間を構成する機能設備だ。

電球の機能。

電線路空間を伝送された電池のエネルギーを電球のフィラメント内に貯蔵して、高エネルギー密度の高温度空間とする。その空間の飽和エネルギーが光のエネルギーに変換されて空間に放射される。白熱電球は電池のエネルギーを只光に変換する機能技術製品である。電子などは無用である。

乾電池と花一匁 (2021/01/13) 。

電子流(1[A])の論理矛盾

(2021/05/02) 。1987年8月5日電気学会の電磁界理論研究会への論文を書きながら、『電流』概念の論理的な不適合に気付き、その概念棄却の思いに至った。あれから33年が過ぎた。電気回路現象はすべて電線路空間の『エネルギー』光速度伝播である。『電子』は、その光速度伝播に対応できない意味で、無用の仮想概念でしかなかった。しかし残念ながら、今でも電子は科学理論の根幹を支える物理概念となっている。

その後は『電流は流れず』と唱えてきた。電子は流れず (2019/06/06) にも述べた。中学生にも分かる説明が出来たらと思う。市民の理解できる日常生活に結びついた、易しい科学論でありたい。理屈の科学綴り方と言われるかも知れない。

右図は電子とエネルギーと質量 (2019/06/06) の記事、更に電流1[A] の論理性‐考える理科教育への科学者の社会的責任‐ (2019/09/07) に載せたものである。

再びこの図を使って、電子論の矛盾点を指摘しよう。 

電流が電子の逆流と言う論理の矛盾を述べたい。

電流 1[A] の意味を電子でどう捉え得るかを考えて欲しい。

電子が電線導体の中を流れる。誰もその電子解釈論に疑問を懐かないようだ。電線内を電子が流れると述べる科学者に問う。

〈矛盾1〉電子の流れと線間電圧。

上の図のように電子が流れるとなれば、電線の正側と負側の両方に満ちて流れることになる。その電子の密に分布した流れが電子流となる。電子の分布が均等に電線内に生じる意味となろう。電気導線は電荷が中性の銅原子等の構造体である。もし電子が電線内に満ちれば、電圧はどの様な原理によって電線間に掛かると考えるのか。電子によって電圧が消える論理的矛盾。どう解釈するか?

〈矛盾2〉電子の流速V[m/s]と線内密度D[C/m]は如何程か。電流が電子の逆の流れだと言えば、電子の毎秒当たりの個数がその電流の値と等価でなければ成らない。電子の流れる数量・電荷量を算定できない科学論・物理学論では論理的だとは言えない。

  電子流の毎秒数値=電流値。

従って、   VD[C/s] = I [A]   でなければならない。

電子の定義概念はほぼ、

電荷および質量で、 e : 1.602 10^-19^ [C] 、9.108  10^-31^ [kg] 。

の値である。

電子の流速度 V[m/s]は幾らか?

電子の速度は幾らかが明確に確定されなければならない。素粒子論では電子は質量が定義されている。質量は電子の運動論を展開するには、それがあって初めて『力*』の物理的論理性が成り立つ意味で必要である。

速度は力と質量の関係で算定可能となる。そこで、電子の速度は幾らと算定できるか。力の原因をどう解釈するか?電子が流れる根拠の力が説明できなければ、電子が人の希望し、思う気分で流れる訳ではなかろう。気分電子論と言う訳にはいかない筈だ。速度が確定すれば、電線内部の電子密度分布量D[C/m]が算定可能になる。

 1[A]=VD[C/s]

によってのみ電子流が算定できる。そこに考える“理科教育”のあるべき姿が描けるはずだ。根拠を質さないで、学説・科学常識論に安易に従う姿勢はゆるされない。電子の速度が決まらなければ、電子の論理は成り立たない。金属電線内部に電子を動かす力など発生しない。

『力*』:電荷間に発生するというクーロン力は加速度・慣性などの力学運動論の基礎条件が欠落している法則の論だ。質量が無い電荷には力は生じない。電荷間に力が働くと言う発生原因の理屈が無い。

乾電池のエネルギーが行方不明

中学2年生が理科、技術の教科で、電池電圧の測定や白熱電球のエネルギー変換を学習している事を知った。
改めて、乾電池の原理をどの様に説明しているかと検索で調べてみた。
予想はしていたが、やはりそこには大変な誤った科学論が唱えられていると認識した。
乾電池は何の機能の製品か。電気用品や電球に『何』を供給する為の電池か。

乾電池は『エネルギー』の貯蔵電源だ。

しかし、電池機能の解説には『エネルギー』の用語がどこにも無い。

図はマンガン乾電池の場合を取り上げて概要を描いた。

構造は二酸化マンガンの練り物合剤を、正極に炭素棒、負極として亜鉛で包んだ形態である。

電池の原理(検索の記事)。負極の亜鉛Znから『電子』が分離して負荷を通って正極に戻る。ただ『電子』が負荷の外部回路を回るだけで、電池の役目は果たされた事に成っている。決して『エネルギー』の用語は何処にも出てこない。化学方程式は複雑の分子で解説されるが、そこでも『電子』は大事な役割を担っているが如くに解説される。ただ『電子』が移動すればそれで電池の機能は果たせたと。

電池の原理。『電子』など何の役にも立たないのだ。『電子』はこの自然世界に存在しない。『電荷』など無い。電池は『エネルギー』を使うための電気技術製品だ。乾電池は『エネルギー』を貯蔵した化学分子成分の開発製品だ。亜鉛の負極側から『エネルギー』が電気回路の空間を伝播して負荷に供給されるのだ。電池の亜鉛と合剤の間の接合面での二つのエネルギー順位差が生じる。それを『エネルギーギャップ』と呼んでいる。丁度化学論での、イオン化傾向によるエネルギー活性度の差の様なものだ。化学物質の合剤が亜鉛に対して持つエネルギー順位がその乾電池の『エネルギー』保有能力として、電池電圧として現れる。

電池電圧。

乾電池に電圧計を繋げば、乾電池の電圧値が測れる。電圧計の中身を示せば右図のよう抵抗とコイルの直列回路の電気回路である。そのコイルをマグネットの間に吊るして、電圧値に応じてコイルが回転する回転角で測定するのである。

電池はどのような回路を繋ごうと、同じ電圧値を示す。その訳は何か?

さて、電圧計の内部構造を示した訳は、それは『電子』がどの様な機能を持ってコイルの回転力を生むかを解釈してもらわなければ成らないからである。電池の原理で『電子』論で解説する方は電子がコイルの導体の中を流れると、コイル導体がマグネットの磁気と『電子』の物理的定義概念との間にどのような力が生じるかを御説明頂かなければ成らない。『電子』の電荷と質量が磁気に作用する訳を。電荷と磁気とはお互いに独立した物理概念として仮想されている。

また『電流』は『電荷』の時間微分値だ一定の『電子』の流れの『電流』の値は零だ。(2021/07/06)追記。この文章の意味を少し説明しておく。『電流』=「電荷」の時間微分値=dQ/dt [A]だ。電線内の電荷の分布量が時間的に変化しないと電流は〇となる。しかし、電線路内を一定の電荷が流れ続ける状態を『電流』と見做せば、ゼロとはならない。多分一定電流という意味を電荷が電線の或る断面を一定の割合で流れ続ける状態と解説されているかも知れない。恐らくその解説しか取れない筈だ。さて、その解釈を採るとすれば、電線のすべての内部に『電子』が等しく充満して、何処の電線内部も一定の電子密度の分布した、電線全体が負の電荷の充満導体となる。そのような状態を、電線外部から電気現象を観測したとき、『電荷』が流れている等とは分からない筈だ。しかも電線路の『電圧』の意味もかき消されて、電気の現象など何も現れない筈だ。科学理論の本当の姿はこんな単純な極めて易しい内容の意味を深く追求することによって、多くの矛盾に満ちた姿が隠されているのだ。科学理論の怪しさは、一般の市民が太刀打ちできない高度な、怪しい概念を『高等数式』で表現するところにその魔術的意味がある事が多いのだ。日常用語の論理性で深く意味を追究することで、矛盾や曖昧さを理解できるのだ。電流の電荷時間微分値という意味一つでも、『電流』概念を深く理解できる筈だ。その意味で追記した。

電池開発研究者はいるが、その製品の科学技術理論を解説できる科学者がいない。電池の中から『エネルギー』が何故発生するかを解説できる科学者が一人もいない。

電池の回路でエネルギー変換の現象を中学生に教える。電池の『エネルギー』の意味が解説できる科学者もいない中で、中学校の先生が『エネルギー変換』を教えるとは如何なる事か。何処かが狂っているとしか思えない。

『電子』に依る解説論法が、自然現象の意味を考える習慣を失わせてしまった。それが科学理論の矛盾を放置させてしまった。だから今でも、物理学理論で、空間に実在する『エネルギー』の概念・認識が無い。光の空間エネルギー分布の認識が無い。

中学生に期待する。『エネルギー』が如何なるものかを理解してほしい。新しい科学理論の未来に向かって、その先陣を担ってほしい。自然は君たちの心を未来に待っている筈だ。

電子が物理学の癌だった。

(2021/04/12)。結局、長い旅の結論は標題であったのかと思う。これから如何ように未来に向かって科学論を構築すればよいのか。重い課題に直面させられていると悟った。科学者すべてが考えなければならない課題である筈だ。

思考停止の科学理論。
その元凶が電子であった。最近の物理学の科学技術の成果に LED がある。消費電力の少ない高輝度照明用の光源だ。p型半導体とn型半導体の接合素子で、発光ダイオードと同じものとも言えよう。その動作原理は所謂量子力学で解釈される半導体素子の機能原理である。量子力学は『電子』がその原理の主役となっている。しかし、その『電子』は電気回路の動作においては何の役にも立たない伝統科学理論用のお飾り概念でしかないことが分かった。『電子』とは何物かを、科学理論で明確に定義できていなかったところにその原因がある。LEDと白熱電球における電子が、物理学理論においてどの様な機能で解釈されているかを検索によって拾い上げてみよう。

(1)LED その解釈論。

LEDの原理。
インターネットを検索すれば、その解説が為されている。その文面を参考にさせて頂く。

『発光原理』ある代表的な会社の解説記事に次のようにあった。

「LEDチィップに順方向電圧をかけると、LEDチィップの中に電子と正孔が移動し電流が流れまimg426す。移動の途中で電子と正孔がぶつかると結合(この現象を再結合という)し、再結合された状態では、電子と正孔がもともと持っていたエネルギーよりも小さなエネルギーになります。その時に生じた余分なエネルギーが光のエネルギーに変換され発光します。これがLEDの発光原理です。」と解説されていた。実はその記事がその後消えてしまった。 図は他の記事を参考にした。

さて、解説に因れば、p型半導体とn型半導体との接合体素子内で、電子と正孔が図のように接合面に向かって移動するという。その意味を理解するには幾つかの疑問がある。

 〈疑問1〉素子内の正孔はどの様に生まれたのか?電子は何故初めから分布しているのか?

ここで、正孔とは原子から電子が抜けたその原子の負電荷不足の原子イオンの事と理解する。誠に奇妙に思うが、電子の抜け殻の『正電荷』を意識した意味のようだ。

 〈疑問2〉素子内で、正孔と電子が移動する力の原因は何か?本当に正孔が移動する理屈が成り立つのか?

 〈疑問3〉電源の『電流』の意味の「電荷の時間微分値」とはどの様に決まる値か?電荷分布の時間微分は零となる様だから。

 〈疑問4〉結合前の正孔と電子の余分の『エネルギー』とは、何『エネルギー』なのか?運動エネルギーとか?そしてそれは何処でどのように付与されたものか?

 〈疑問5〉電源の『エネルギー』はどの様に光の発光に使われるのか?全く電源は『エネルギー』の供給に関わりないような解釈に見える。電源とは『エネルギー』の供給がその使命の筈だ。

 〈疑問6〉図で、電子が果たす電源内での役割は何か、そして電子はどのような機能を発揮するのか?

上の疑問を纏めれば、『エネルギー』の物理学理論における認識はどの様なものを指すのか、という事になろう。運動エネルギーと位置エネルギー以外の質量に関わらない空間に光速度で伝播する『エネルギー』がある事を認識しているか。その事を問うのである。

(2)白熱電球の例。

最も古い電気製品とも言えるエジソンの発明に掛かる白熱電球について。その意味を検索したら次のような記事があった。それは、電子が自然界に実在し、それを科学理論の根源的拠りどころとしている結果だろう。

その記事は、

 白熱電球の原理は比較的シンプル。一言で言うなら、

「電子がフィラメントの中を高速で動いた際に生まれる摩擦(電気抵抗)による発光です。」

と解説されていた。

それは余りにもシンプル(?)で、何も考えず、疑問を抱かず、恐ろしい程非科学的な解説である。それが学校教育の教科書あるいは学習塾などの現状の解説であると言える。

結局誰もが考えない科学論を弄んでいる結果である。

『電子がフィラメントの中を高速で動いた際』とは?

どの程度の高速なのか?そしてその速度はどのように電子が何によって加速された結果か?

『摩擦(電気抵抗)による』とは?

電気抵抗は導線の中とどの様な違いが生じるのか?フィラメントという原子構造体の空間が異なる訳は何による結果か?電子が摩擦するとはどの様な意味か?

『摩擦による発光』とは?

一般に摩擦は『熱』を発生させる現象だ。

誰もがこの解説に満足して、あるいは異論、異議を述べない、または関りを避けて無視する結果、考えない物理学理論が生き続ける事に成る。

そこには『電子』という決して実験的に観測できない(専門家は観測できると例証を挙げるかも知れないが)仮想物理概念が科学理論の幻想化による太刀打ちできない姿に纏めてきた事実がある。

仮想的『電子』の存在が自然世界の真実との科学パラダイムの科学常識。それによって自然界にある空間の『エネルギー』の存在を認識できなくなった。『エネルギー』を物理学理論に組み込めば、その『エネルギー』の基になる素粒子を理論上主張できなくなる。『素粒子』論が空間の『エネルギー』論との間で二律背反になる。世界は素粒子によって構成されているとの科学理論・物理学理論を作り上げてきた。だから電源が『エネルギー』の供給源である事を理論の中に組み込まずに、『電子』によって誤魔化すことになった。

空間に実在する『エネルギー』を認識すること。そのことが科学理論と自然との間の関係を統合して感覚的にも納得できる科学論への道の第一歩となる。

発電所、蓄電池・乾電池あるいは太陽電池など。それは何を供給する設備、製品か?『電子』を供給する機能体か?『エネルギー』を供給する為のものか?物理学者は日常生活上の技術の具体的意味をあまり考えなかった。『リチュウム電池』も『電子』の供給体ではない筈だ。『エネルギー』の供給製品の筈だ。その『エネルギー』をどの様に意識しているのか?『電子』では、その『エネルギー』を『電子』がどの様に負荷に伝送する機能を発揮できるかの意味を理解できないのではないか。『電子』は電源に戻る機能は持ち得ない。しかも回路全体で、光速度での伝送に『電子』は対応できない。

過去の参考記事。

電池(エネルギー)の不思議 (2019/11/13) 。

電池電圧と『エネルギーギャップ』(2016/05/08) 。

 

 

 

 

 

直流の分布定数回路現象

(2021/03/01)。下書きのまま1月以上が過ぎた。標準の科学理論はそれぞれの専門の部門に所属して、科学研究者として生活の保障を得た上で、投稿論文が専門家の査読で認められて科学誌に掲載さる。その科学的知見が評価されてこそ意味が有る。30数年前に『電荷』の意味を問う『静電界は磁界を伴う』の発表をした。その当時は、己の社会的存在の意味も理解できず、ただ電気理論の諸法則への疑念を強く抱き、自分しか唱える者はいないとの確信一つを抱いていた。職場に存在することが社会的不適合化と離れた。やむなく現在のブログによって、障子を前に自己問答して科学理論の本質を探ってきた。壱日一日が疑念と問答の繰返しであった。そのようにして科学理論の論理的根拠を探り、昨年から今年にかけて漸く電気回路の自然現象の姿を理解できたように思う。数多くの記事は科学論文にする内容ではなかったかも知れない。何も科学的検証可能な『データ』もこれと言って無いかも知れない。ただ総合的に振り返れば、その内容には自然現象の本質があるとの確信のみだ。ただ最近思う。科学の研究者として人並みに生活をする職場、それを勝ち取る公平な土俵は何処に在るのか?

この記事も『電荷』否定の自然感への確信から、電気回路現象を解釈する論説である。それは現在の科学理論として標準の教科書が解説する、所謂「科学パラダイム」の批判論と成る。電気現象はすべて、『エネルギー』の光速度伝播として捉える必要があるとの主張である。

回路。

普通の直流回路とは負荷要素が異なる。コイルあるいはコンデンサに直流電圧を印加した場合に、どの様な回路現象を呈するか。スイッチSにヒューズを添える。コイルの場合は電源短絡に成る。またコンデンサの場合は電圧が高電圧の場合にはコンデンサ内でフラッシュオーバーが起きるかも知れない。それはやはり電源短絡である。電源及び回路保護にヒューズが必要。

この回路で電源と負荷はどのような電気現象を起こすだろうか。オームの法則で解釈する電気現象ではない筈だ。当然電流あるいは電子での解釈では難しいだろう。『電子』が光速度で回路を周回して電源に戻るなどできる筈はない。それでも回路動作は負荷と直流電源の間に起きる電気現象である。どんな理論で解釈しようとも、電源から負荷に向かって『エネルギー』が伝送されることには間違いはない。しかも光速度伝播の現象として現れる。科学理論はとても難しい数学的解説が主流になっている。電気現象に量子力学的解釈を適用しても、『電子』による論理では『エネルギー』を電源から負荷に伝送する単純な意味さえも示し得ない。このような単純な電気現象についてさえ解説を成し得ない現代物理学理論だという意味を誰もが理解しなければならない。

『エネルギー』の光速度伝播と分布定数回路。

光は自由空間を伝播するやはり『エネルギー』である。電気回路現象は光と異なり、導線で囲まれた線路空間に伝送の場が制限された、光に似たような『エネルギー』の伝播現象である。光に似たという意味は光のように目には見えないが同じ『エネルギー』の光速度の流れであるという意味である。この『エネルギー』と言う物理的実体を認識することが必要である。例えば、高等学校の理科教育を考えれば、この空間に実在する『エネルギー』を認識していないから教えることが出来ていない。空間に実在する『エネルギー』を教育して来なかった現実が科学理論の考えない業界論に成っているのだ。だから『エネルギー』の光速度伝播の縦波と言う理解が出来なくて当たり前なのだ。電気回路空間を伝播する『エネルギー』の波となれば、電気回路導体内を流れる『電流』あるいは『電子』などと言う、自然界に実在しない物理仮想概念で理解することなど誰でも困難の筈である。電線で囲まれた電線路空間は、その空間構造を静電容量とインダクタンスの二つの空間解釈概念で捉え、その分布定数回路として認識しなければならなくなる。空間を誘電率と透磁率で捉える解釈法も、言ってみれば科学技術的手法の一つの解釈便法であるかも知れないが、その概念に頼らなければ、数式による認識・解釈法が執れないから止むを得ないという事なのかも知れない。せめてその二つの空間の電気的解釈論拠(誘電率と透磁率)を受け入れて、『エネルギー』の挙動を認識しなければ科学論としての最低の解釈法も採れなくなる。不立文字の一歩手前で踏み止まるしかない。

(1)コイル負荷。その電気現象を(1)図に表現した。

コイル負荷に直流電圧電源をスイッチオンで印加する。スイッチ投入と同時に、電源から『エネルギー』が回路に投入される。その『エネルギー』は光速度以上の速度では伝播しない。必ず負荷まで到達するに時間が掛かる。たとえ光速度であっても時間経過が生じる。スイッチ投入と同時に、電線路の負側導線近傍を『エネルギー』δp[J/m](1[m]当たりの分布エネルギー)の分布波が流れる。しかし、この『エネルギー』の伝播状況を実験的に証明する測定法はないと思う。証明しなければ科学論として認め難かろうとも思う。それは電源電圧 V[V]とすれば、電線路の分布定数の静電容量 C[F/m] によって決まる分布伝送『エネルギー』であり、それは

δp=C V^2^ [J/m]

として、回路定数と電圧の関係式で表現できる。電源電圧とは、その電線路の構造や空間媒体(絶縁物の誘電率など)に対して、『エネルギー』の供給能力を評価した解釈概念であると言える。電圧とは、決して『電荷』の仮想的な創造概念などで評価、解釈できるものではないのだ。さて次に、負荷に貯蔵される『エネルギー』はどのように解釈すれば良いかが問題となる。なお、伝送電力pはその分布『エネルギー』δpに回路伝送速度(光速度) co=1/√(CL) [m/s] を掛けると得られる。

p=δp×co = V^2^/Zo [J/s]

ただし特性インピーダンスZo=√(L/C)である。

負荷特性とα

高周波伝送回路では、定在波と反射波の関係が論議される。ここで負荷に『エネルギー』がどの様に吸収されるかが問題となる。その解釈に負荷の整合の関係が論じられる。その関係をαと言う定数での統一した解釈をしたい。(1)図のように、α=√(Lr/L) とした。負荷の誘導性インダクタンスは線路定数Lに比して、相当大きいから α>1 となる。このαは負荷と回路特性の間の関係を評価する整合係数と呼べば良いかと思う。もし負荷が純抵抗の場合なら、αが1より大きければ、負荷端で反射が起こる。伝送エネルギーをすべて吸収できないから。その反射分だけ電源からの伝送分が減少して電圧が規定値に成り、差し引き電源供給の『エネルギー』が負荷に合った分に落ち着く。ところが、コイル負荷では少し異なる。コイルの『エネルギー』貯蔵の現象がどの様であるかを認識する問題になろう。

コイルの貯蔵エネルギー

この問題は、コイルとファラディーの法則の関係による電気技術の解釈に繋がろう。コイルの貯蔵エネルギーは印加電圧の時間積分の解釈で対応すべき問題である。この回路の場合は、電源が直流電圧の一定値である。この場合はコイルに電流は流れない。コイル端子に直流電圧が印加される。それはコイル前の回路の静電容量C[F/m]のエネルギー分布がそのままコイル内に侵入すると解釈する。コイルにその『エネルギー』が伝送され続けている限りコイル端子には電源電圧が印加され続ける。コイル巻き線間の隙間に均等にenergyが分布入射すると解釈する。電圧時間積分でコイル内の貯蔵エネルギーは放物線状に増加する。磁束概念との関係で捉えれば、磁束の2乗に比例するという事である。磁束と言う用語も、実際は磁束がコイル内に自然現象としてある訳ではないが、今までの科学理論の解釈を踏襲して解釈すればという事ではあるが。その間、励磁電流等流れる必要もない。コイル内空間の『エネルギー』が飽和した時点で突然コイル端子は『短絡』となる。

(2)コンデンサ負荷。その電気現象を(2)図に表現した。

負荷がコイルであろうと、コンデンサであろうと電源からスイッチオンではじめに送出される分布『エネルギー』は同じである。それは基本的に電源電圧とその端子につながる電線路の電気的特性で決まるのだ。それが負荷の特性の違いで、負荷にその『エネルギー』の先頭が到達した後、負荷特性と線路特性との関係で反射現象が決まる為、負荷点の特性に因る事から違いが出る。

このコンデンサ負荷の場合の現象は、コンデンサ容量 Cr[F] に『エネルギー』が貯蔵されれば当然電線路の『エネルギー』分布の流れは止まる。従って、それ迄の一瞬の過渡現象だけの問題になる。