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電子とエネルギー(バンド理論は魔界?)

時は今、エレクトロニクスの時代。エレクトロンとは何者だ❕

電子の実像を探し求めて、長き彷徨いの中を過ごした。電子は質量と電荷の二刀流の使い手だ。その変幻自在のあり様は正に魔境に誘い込まれたが如くに、その意味不明に惑わされる感覚になる。問答実験(2014/01/31 )にも。

何の知識も、学術研究の取り立てて自慢できるものは何もない。『バンド理論』が量子力学の主戦場の英雄となって、君臨している。

物理現象の本質はすべて、空間での『エネルギー』の振る舞いにしか見えなくなってきた。長く『バンド理論』のその周辺の意味を理解しようと考えを確かめてきた。過去の記事がある。

謎(pn接合は何故エネルギーギャップ空間か) (2017/05/07)。

『エネルギーギャップ』と電圧に関係した記事に、

電池と電圧(エネルギーの基礎研究) (2019/11/19)。電池と電圧(エネルギーの実験) (2019/11/19)。ダイオード電圧 (2020/08/26)  等がある。

バンド理論の『バンドギャップ』とは何か?その代表的な解説がある。半導体の部屋にその図が示されているので参考にさせて頂く。

半導体の伝導現象は『バンドギャップ』と電子及びホールがその解釈の基本的対象概念である。そこで、電子がエネルギーレベルで高い状態になるか、ならないかで伝導帯に上がるか、価電子帯に留まるかが決まるとの解釈である。

さて理解できない事。それは次のような解説である。

『半導体は、電子が運動エネルギーで価電子帯より増加して、伝導帯に励起され、若干の電気伝導を示す。また、価電子帯から励起した電子の抜け殻にホール(正孔)が発生し、正の価電子の様に振る舞って電気伝導に寄与する。』

その解説内容は、電子が若干、そしてホールが正の荷電体の様に伝導の役割として働く意味の解説と理解する。さて、半導体は電気回路の銅線あるいはIC導線の金線から銅線に繋がって外部負荷につながる。そこで、電子は運動エネルギーが増加して、更にホールのエネルギーも高レベルの値で外部回路での伝導に寄与するとの意味での解説と理解する。

ここで、気掛かりの事がある。バンド理論の解説も意味不明であるが、繋がる電気回路がその電気エネルギーの伝導現象に重要な意味を持っている筈だ。電気回路で、電子(運動エネルギー?)あるいはホールが『エネルギー』をどの様に負荷に届けるかが、その技術の粋としての半導体の機能を発揮する役割の筈だ。それは、一般の電気回路の解説では電流が流れるという意味を、それと反対向きに電子が流れて電流の意味の機能を発揮するとなっている事との関係から見れば、全く無意味になる。

科学理論はあくまでも総合的に、広い場面との整合性が取れた解釈が出来ないと誠に不明確な分かり難いものになってしまう。どうも現代科学論は、とても専門性が重視され、その狭い専門的科学論によって総合的な整合性と言う面で、とても曖昧な理論となっていようだ。どの様に電子あるいはホールが負荷に如何なる理屈で『エネルギー』を届けるかが示されなければとても科学理論としての解説としては納得できない。誰もが何も疑問を呈しないところもまた不思議の極みに思う。

専門家とは、一般の市民が理解できるように易しく、詳しく(「電荷」の空間像等)解説するところにその真価が発揮されるべきと思う。筆者には、『電荷』像さえ理解できない為か、なかなか『バンド理論』の意味が理解できない。新潟県教育委員会での採用事務手続きも無かった16年間の教職員歴(?)はじめ、職歴不明(?)で悩む筆者の電気回路現象解釈論からの疑問に対して、専門家のご意見をお聞かせ頂ければ望外の喜びとの思いを込めて。

 

論理矛盾の業界単位 [eV]

(2021/04/29) 。『電荷』、『電子』の概念矛盾が導く。
記号[e]および[V] から単位[eV]の意味を検証する。

この単位[eV]が物理学理論の『エネルギー』の量を定義する代表的概念となっている。しかし、それも素粒子論での特殊な専門分野の概念単位かも知れない。この単位が自然世界の深い真理を理解するために欠かせない基本概念であるのだろうか。単位は一般市民の誰もが共通に理解する科学的知見の基礎であろう。[eV]と言う単位は『エネルギー』の単位[J(ジュール)]に対して、一般には馴染みにくい単位である。具体的な物理概念、電荷や電子に対する認識を詳しく確認し直すことによって、この単位の意味を検証してみたい。

[eV]の意味は? [eV]は電子が電界中で加速されて得た『エネルギー』の量を表す単位と解釈している。その意味を考える空間の状況を何とか表現してみたいと思うが、電子の空間像をどう表現すればよいかが分からず、誠に奇妙奇天烈な図になってしまった。電子は質量と負の電荷を保有した素粒子と定義されている様だから、電界加速場で定義に相応しい電子像をと思って表現してみた。ただ、電子が電界と言う場の中で、どの様な原理によって加速されるかが良く理解できない。電界の空間は一般には、その空間の誘電率との関係でεoE²[J/㎥](あるいは磁気エネルギーμoH²[J])の空間エネルギーの場と解釈して良かろう。そのエネルギーの空間で、電子がどの様な力を受けるかは中々理解し難い。理論では、電界ベクトルをE[V/m]、電子の電荷を負の-e[C]と扱って力 F を捉えている。

 F= -eE[N]

と解釈しているようだ。単位関係は[C][V/m]=[(FJ)^1/2^][(J/F)^1/2^/m]=[J/m]=[N]と一応、力の単位となる。少し前に、電荷間の力の矛盾論および電荷Q[C]とは何だ 更に大学入試問題例‐(エネルギー問題)-で電荷の意味を考えた。それと同じように電界の場で電子はどのようにその電界と言う物理的実体を認識し、その空間のエネルギーからエネルギーを吸収して受け取る事になるのか考えると解釈に困る。人が勝手に『電子』を仮想して、その気持ちを人間的な感覚で推し量り、誠に上手く辻褄合わせが出来上がっているようだ。何とか電気力線に絡みついて電界エネルギーを吸い取れるかと空想してみた。速度と言うエネルギー増加になるような物理学理論の感覚的理解でお茶を濁して済まそうか。

記号[e]とは何か。
[e] は電子を表す記号だ。その物理学的意味は電子の『電荷』を含意したものであろう。

記号[V]とは何か。
[V] は電圧の単位あるいは空間に定義した電界E[V/m]の空間距離dxでのスカラー積で、電位差 V=∫Edx=El[V]を捉えた単位であろう。電子が移動した空間の電位差の意味の単位である。


【クーロンの法則】の力学矛盾。
考えれば何故今まで誰も指摘しなかったのか?科学理論は広く俯瞰的に解釈することによって、世界的視野の基学問の自由がますますその意味を輝かすようになるのが理想と考えたい。しかし俯瞰的にとなると進むも戻るも出来ない、論理矛盾の限界に突き当たる。結局、原点の基礎の意味を検証せざるを得ないところで、『電荷』概念の自然認識の間違いに到達してしまった。電気要素のコンデンサーに電荷を貯えてもクーロンの法則の同一電荷間の排力は全く考慮しなくてもよく、幾らでも同一電荷が密集できると言う物理学の誠に巧妙な理論体系である。この問題は教育の子供たちに対する姿勢の課題だ。

[eV]のエネルギー概念とは。電荷概念の空間的描像に無関心である事が専門科学者の問題である。

電荷間の力の矛盾論

(2021/05/09) 。電荷と電荷の間に力が生じると言う科学理論の矛盾。そんな解釈が何世紀にも亘って物理学世界の理論を主導してきた驚き。

電荷とは何か。
世界に電荷など存在しない。何故電荷が自然世界に存在するかの訳を物理学は示していない。

理論の電荷。

そこには2種類の電荷が定義されている。(+)と(-)と言う2種類である。それが空間にも物にも何時も欲しいと思えば、直ちに限りなく理論的に存在する事に成っているようだ。厳密な物理学理論で、その電荷の空間像が如何なるものかは確定していないようだ。空間に実在するという事は、必ず空間に占有する体積を占める筈だ。実在とは体積を占める条件を伴う。そこで空想によって、その像を上の図のように仮想してみた。(+)と(-)の記号で分けた。種類が異なるという事はどの様な空間的違いを備えているべきかと仮想して描いた。何処かコロナウイルス的な想念が含まれるかも知れないと顰蹙を買う恐れもある。お笑い頂いて結構な、厳密性や論理性が微塵もない空想図で御座います。専門家から定義に相応しい電荷概念の空間像をお示し頂ければ幸甚である。相手の電荷の認識を自然はどのようにするかが示されて初めて、2種類の電荷間の関係が論議の対象となると考える。その点で、触手を伸ばし、空間に雰囲気を醸し出し、何とか相手の素性を感知しようとの思惑で表現してみた。科学的な意味は全くないことをお断りさせて頂く。

力とは何か。
そんな事まで問わなければならない程、物理学理論が専門家業界の業界解釈に創り上げられているのだ。力の論理性さえ曖昧な解釈で虚飾されている。電荷間に力が生じるという前提が理論の根幹をなしている。異種電荷間には引力が働くと言う。引力の原因は、先ず互いに相手の電荷の素性を確認出来ることが条件となろう。目で見るあるいは匂いで確かめる訳では無かろうから、接触すること以外困難であろう。そんな意味も含めての空想上の図である。ただ(+)と(-)の電荷と言うだけの条件では、その間に力が生じると言う必然的な意味は全く含意されていない。そんなところから理論には権威的な強制が支配していることが多いようだ。科学理論でさえ、論理的とは言えない実態に冒されている。引力あるいは反発力は必ず相手の素性を知る事によって、はじめて生じるものである。相手が何物かを認識できずには、自然現象は関係性を発生しない仕組みの筈だ。

クーロンの法則の力概念矛盾。
何故気付かないのか?身の周りの自然世界と関りを持てば、そこには科学理論で解釈できる事象がどれ程あるだろうか。科学理論はそれぞれの専門的分野においての科学論的解釈の評価法による狭い領域に特化した解釈法であるように思える。この地球の現在の姿を、ここまでの長い何十億年もの歴史を経て辿り着いた結果として観たとき、どの様に思うか。太陽が送り届けた光の『エネルギー』がここまでの地球に育てた結果だと思うのはあくまでも個人的な感覚による解釈である。地下深くの石油資源や届かない深くの地下資源も必ず太陽の恩恵で蓄積されたものである。電気制御技術、情報技術が身の周りの生活環境を支配している。そこには独特の科学技術理論が専門領域の特化した姿で日常生活を支配している。電荷とその関係のクーロンの法則が科学理論の世界解釈の根幹を成して、全ての人の科学常識となっている。元素、原子構造もその電荷で解釈されている。自然世界の科学的認識には、その電荷が必ず必要となっている。しかし、自然は光のエネルギー一つがあれば、それが花も虫も水素も水も塩もベンゼン核も全てを創り上げる素原となる。自然は電荷など少しも必要としない。マグネットの結合力とその原理は何だろうか。それもエネルギー一つで賄える。軸性エネルギー流がマグネット結合の原因だ。原子周期の8も原子表面の8面磁極で解釈できる。電子周回運動の結合不可解は解消でき、目が回る論理的結合不可解論は消せるはずだ。原子・分子の結合力と周回軌道電子論の矛盾 (2018/01/09)。人が電荷間の力を解釈するのでなく、自然が結合の関係を決めるのだ。誠に申し訳なきことながら、文学的科学論になってしまった。電荷が相手の電荷をどの様に認識するかを科学理論でなく、自然の心に沿って考えれば分かると思う。

まとめ。
電磁気学の要-Axial energy flow- (2019/03/03) を結合力の意味として挙げる。

 

乾電池のエネルギーが行方不明

中学2年生が理科、技術の教科で、電池電圧の測定や白熱電球のエネルギー変換を学習している事を知った。
改めて、乾電池の原理をどの様に説明しているかと検索で調べてみた。
予想はしていたが、やはりそこには大変な誤った科学論が唱えられていると認識した。
乾電池は何の機能の製品か。電気用品や電球に『何』を供給する為の電池か。

乾電池は『エネルギー』の貯蔵電源だ。

しかし、電池機能の解説には『エネルギー』の用語がどこにも無い。

図はマンガン乾電池の場合を取り上げて概要を描いた。

構造は二酸化マンガンの練り物合剤を、正極に炭素棒、負極として亜鉛で包んだ形態である。

電池の原理(検索の記事)。負極の亜鉛Znから『電子』が分離して負荷を通って正極に戻る。ただ『電子』が負荷の外部回路を回るだけで、電池の役目は果たされた事に成っている。決して『エネルギー』の用語は何処にも出てこない。化学方程式は複雑の分子で解説されるが、そこでも『電子』は大事な役割を担っているが如くに解説される。ただ『電子』が移動すればそれで電池の機能は果たせたと。

電池の原理。『電子』など何の役にも立たないのだ。『電子』はこの自然世界に存在しない。『電荷』など無い。電池は『エネルギー』を使うための電気技術製品だ。乾電池は『エネルギー』を貯蔵した化学分子成分の開発製品だ。亜鉛の負極側から『エネルギー』が電気回路の空間を伝播して負荷に供給されるのだ。電池の亜鉛と合剤の間の接合面での二つのエネルギー順位差が生じる。それを『エネルギーギャップ』と呼んでいる。丁度化学論での、イオン化傾向によるエネルギー活性度の差の様なものだ。化学物質の合剤が亜鉛に対して持つエネルギー順位がその乾電池の『エネルギー』保有能力として、電池電圧として現れる。

電池電圧。

乾電池に電圧計を繋げば、乾電池の電圧値が測れる。電圧計の中身を示せば右図のよう抵抗とコイルの直列回路の電気回路である。そのコイルをマグネットの間に吊るして、電圧値に応じてコイルが回転する回転角で測定するのである。

電池はどのような回路を繋ごうと、同じ電圧値を示す。その訳は何か?

さて、電圧計の内部構造を示した訳は、それは『電子』がどの様な機能を持ってコイルの回転力を生むかを解釈してもらわなければ成らないからである。電池の原理で『電子』論で解説する方は電子がコイルの導体の中を流れると、コイル導体がマグネットの磁気と『電子』の物理的定義概念との間にどのような力が生じるかを御説明頂かなければ成らない。『電子』の電荷と質量が磁気に作用する訳を。電荷と磁気とはお互いに独立した物理概念として仮想されている。

また『電流』は『電荷』の時間微分値だ一定の『電子』の流れの『電流』の値は零だ。(2021/07/06)追記。この文章の意味を少し説明しておく。『電流』=「電荷」の時間微分値=dQ/dt [A]だ。電線内の電荷の分布量が時間的に変化しないと電流は〇となる。しかし、電線路内を一定の電荷が流れ続ける状態を『電流』と見做せば、ゼロとはならない。多分一定電流という意味を電荷が電線の或る断面を一定の割合で流れ続ける状態と解説されているかも知れない。恐らくその解説しか取れない筈だ。さて、その解釈を採るとすれば、電線のすべての内部に『電子』が等しく充満して、何処の電線内部も一定の電子密度の分布した、電線全体が負の電荷の充満導体となる。そのような状態を、電線外部から電気現象を観測したとき、『電荷』が流れている等とは分からない筈だ。しかも電線路の『電圧』の意味もかき消されて、電気の現象など何も現れない筈だ。科学理論の本当の姿はこんな単純な極めて易しい内容の意味を深く追求することによって、多くの矛盾に満ちた姿が隠されているのだ。科学理論の怪しさは、一般の市民が太刀打ちできない高度な、怪しい概念を『高等数式』で表現するところにその魔術的意味がある事が多いのだ。日常用語の論理性で深く意味を追究することで、矛盾や曖昧さを理解できるのだ。電流の電荷時間微分値という意味一つでも、『電流』概念を深く理解できる筈だ。その意味で追記した。

電池開発研究者はいるが、その製品の科学技術理論を解説できる科学者がいない。電池の中から『エネルギー』が何故発生するかを解説できる科学者が一人もいない。

電池の回路でエネルギー変換の現象を中学生に教える。電池の『エネルギー』の意味が解説できる科学者もいない中で、中学校の先生が『エネルギー変換』を教えるとは如何なる事か。何処かが狂っているとしか思えない。

『電子』に依る解説論法が、自然現象の意味を考える習慣を失わせてしまった。それが科学理論の矛盾を放置させてしまった。だから今でも、物理学理論で、空間に実在する『エネルギー』の概念・認識が無い。光の空間エネルギー分布の認識が無い。

中学生に期待する。『エネルギー』が如何なるものかを理解してほしい。新しい科学理論の未来に向かって、その先陣を担ってほしい。自然は君たちの心を未来に待っている筈だ。

電子が物理学の癌だった。

(2021/04/12)。結局、長い旅の結論は標題であったのかと思う。これから如何ように未来に向かって科学論を構築すればよいのか。重い課題に直面させられていると悟った。科学者すべてが考えなければならない課題である筈だ。

思考停止の科学理論。
その元凶が電子であった。最近の物理学の科学技術の成果に LED がある。消費電力の少ない高輝度照明用の光源だ。p型半導体とn型半導体の接合素子で、発光ダイオードと同じものとも言えよう。その動作原理は所謂量子力学で解釈される半導体素子の機能原理である。量子力学は『電子』がその原理の主役となっている。しかし、その『電子』は電気回路の動作においては何の役にも立たない伝統科学理論用のお飾り概念でしかないことが分かった。『電子』とは何物かを、科学理論で明確に定義できていなかったところにその原因がある。LEDと白熱電球における電子が、物理学理論においてどの様な機能で解釈されているかを検索によって拾い上げてみよう。

(1)LED その解釈論。

LEDの原理。
インターネットを検索すれば、その解説が為されている。その文面を参考にさせて頂く。

『発光原理』ある代表的な会社の解説記事に次のようにあった。

「LEDチィップに順方向電圧をかけると、LEDチィップの中に電子と正孔が移動し電流が流れまimg426す。移動の途中で電子と正孔がぶつかると結合(この現象を再結合という)し、再結合された状態では、電子と正孔がもともと持っていたエネルギーよりも小さなエネルギーになります。その時に生じた余分なエネルギーが光のエネルギーに変換され発光します。これがLEDの発光原理です。」と解説されていた。実はその記事がその後消えてしまった。 図は他の記事を参考にした。

さて、解説に因れば、p型半導体とn型半導体との接合体素子内で、電子と正孔が図のように接合面に向かって移動するという。その意味を理解するには幾つかの疑問がある。

〈疑問1〉素子内の正孔はどの様に生まれたのか?電子は何故初めから分布しているのか?

ここで、正孔とは原子から電子が抜けたその原子の負電荷不足の原子イオンの事と理解する。誠に奇妙に思うが、電子の抜け殻の『正電荷』を意識した意味のようだ。

〈疑問2〉素子内で、正孔と電子が移動する力の原因は何か?本当に正孔が移動する理屈が成り立つのか?

〈疑問3〉電源の『電流』の意味の「電荷の時間微分値」とはどの様に決まる値か?電荷分布の時間微分は零となる様だから。

〈疑問4〉結合前の正孔と電子の余分の『エネルギー』とは、何『エネルギー』なのか?運動エネルギーとか?そしてそれは何処でどのように付与されたものか?

〈疑問5〉電源の『エネルギー』はどの様に光の発光に使われるのか?全く電源は『エネルギー』の供給に関わりないような解釈に見える。電源とは『エネルギー』の供給がその使命の筈だ。

〈疑問6〉図で、電子が果たす電源内での役割は何か、そして電子はどのような機能を発揮するのか?

上の疑問を纏めれば、『エネルギー』の物理学理論における認識はどの様なものを指すのか、という事になろう。運動エネルギーと位置エネルギー以外の質量に関わらない空間に光速度で伝播する『エネルギー』がある事を認識しているか。その事を問うのである。

(2)白熱電球の例。

最も古い電気製品とも言えるエジソンの発明に掛かる白熱電球について。その意味を検索したら次のような記事があった。それは、電子が自然界に実在し、それを科学理論の根源的拠りどころとしている結果だろう。

その記事は、

白熱電球の原理は比較的シンプル。一言で言うなら、

「電子がフィラメントの中を高速で動いた際に生まれる摩擦(電気抵抗)による発光です。」

と解説されていた。

それは余りにもシンプル(?)で、何も考えず、疑問を抱かず、恐ろしい程非科学的な解説である。それが学校教育の教科書あるいは学習塾などの現状の解説であると言える。

結局誰もが考えない科学論を弄んでいる結果である。

『電子がフィラメントの中を高速で動いた際』とは?

どの程度の高速なのか?そしてその速度はどのように電子が何によって加速された結果か?

『摩擦(電気抵抗)による』とは?

電気抵抗は導線の中とどの様な違いが生じるのか?フィラメントという原子構造体の空間が異なる訳は何による結果か?電子が摩擦するとはどの様な意味か?

『摩擦による発光』とは?

一般に摩擦は『熱』を発生させる現象だ。

誰もがこの解説に満足して、あるいは異論、異議を述べない、または関りを避けて無視する結果、考えない物理学理論が生き続ける事に成る。

そこには『電子』という決して実験的に観測できない(専門家は観測できると例証を挙げるかも知れないが)仮想物理概念が科学理論の幻想化による太刀打ちできない姿に纏めてきた事実がある。

仮想的『電子』の存在が自然世界の真実との科学パラダイムの科学常識。それによって自然界にある空間の『エネルギー』の存在を認識できなくなった。『エネルギー』を物理学理論に組み込めば、その『エネルギー』の基になる素粒子を理論上主張できなくなる。『素粒子』論が空間の『エネルギー』論との間で二律背反になる。世界は素粒子によって構成されているとの科学理論・物理学理論を作り上げてきた。だから電源が『エネルギー』の供給源である事を理論の中に組み込まずに、『電子』によって誤魔化すことになった。

空間に実在する『エネルギー』を認識すること。そのことが科学理論と自然との間の関係を統合して感覚的にも納得できる科学論への道の第一歩となる。

発電所、蓄電池・乾電池あるいは太陽電池など。それは何を供給する設備、製品か?『電子』を供給する機能体か?『エネルギー』を供給する為のものか?物理学者は日常生活上の技術の具体的意味をあまり考えなかった。『リチュウム電池』も『電子』の供給体ではない筈だ。『エネルギー』の供給製品の筈だ。その『エネルギー』をどの様に意識しているのか?『電子』では、その『エネルギー』を『電子』がどの様に負荷に伝送する機能を発揮できるかの意味を理解できないのではないか。『電子』は電源に戻る機能は持ち得ない。しかも回路全体で、光速度での伝送に『電子』は対応できない。

過去の参考記事。

電池(エネルギー)の不思議 (2019/11/13) 。

電池電圧と『エネルギーギャップ』(2016/05/08) 。

電荷の論理性

長い間科学論、特に電気理論でその基本概念に『電荷』がなっていた。原子理論も雷もみんな専門家の解説はそのプラスとマイナスの『電荷』が基礎に成っている。クーロンの法則で、電荷間の『力』が科学論の拠り所として長い伝統を支えている。

電荷に論理性が有るか?

余りにも素人らしい疑問であるが、プラスの『電荷』+Q[C] と マイナスの『電荷』-Q[C] が結合したら、そこには『何』が生まれるのか?

算数で、    (+1)+(-1)= X

の X は幾らか?と尋ねられた。

答えは     X = 0

となる。

『電荷』の場合はどのような論理性で解釈すれば良いか。理科教育の未来の希望を尋ねる問題としたい。子供達も学校の先生も考えて欲しい。

 

政治と教育

教育基本法(昭和22年3月31日)われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。・・。

と新しい教育を目指して戦後の日本が始まった。しかし、『根本において教育の力にまつべきものである。』が何処か変質したものに変わったようだ。教育の政治的中立性 (2020/07/22) 。

政治と行政は密接な関係である。日本の教育行政は文部科学省が担っている。そこで、教育の中身が決められて、その規定事項に従ってしか教育が許されないことになっている。予算の裏付けによって子供たちの理想の教育が初めて可能である。『学習指導要領』と言う国家行政の検閲によって教育内容が縛られている。

理科教育について「学習指導要領」の内容を学習させて頂いた。

右は高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説の77ページである。

原子に関する部分の文章を読むと、

電子、原子及び原子核に関する現象についての観察、実験などを通して、次の事項を身に付けることができるよう指導する。

ア 原子について、次のことを理解するとともに、それらの観察、実験などに関する技能を身に付けること。

イ 原子について、観察、実験などを通して探求し、電子と光原子と原子核における規則性や関係性を見いだして表現すること。」と書かれている。

‥の観察、実験などを通して・・とはどの様な事を指しているのか?これが教科書を検定する検定基準になると解釈する。とても腑に落ちないのだが、教科書検定以前に、この学習指導要領の内容と意味を『検定』する必要はないのか。誰がどのように『合格』と判定して告示に至ったのだろうか?

また、思考力、判断力、表現力等を育成するに当たっては、原子について、観察、実験などを通して探求し、電子と光、原子と原子核における・・。等と原子について「観察と実験」とはどの様な事を想定した指導要領か?これで子供たちの理科教育を考えた教育機関の目的がどこに在るのか理解できない。

教育と学術審議会と政治。

何か政治の目玉が見当たらないと、教育を政治の題目にするようだ。政治が教育を取り仕切る日本の教育制度は正しいのだろうか。教育委員会の制度が形式的に整えられている。しかしそのトップは行政機関の教育長が取り仕切っている。独立した教育委員長ではない。

教育審議会が教育の基本方針を答申し、それによって方向付けられる。教育審議会委員は行政が選任し、その方向性は既にそこで決まるようだ。その結果が上に挙げた「学習指導要領」として決まって行く。日本の科学者は上の例のような「原子に関する、観察と実験・・」の教育指導論で良いと考えているのだろうか?今回「学習指導要領」の一部を拝見して驚いたので取り上げた。『電子』が電気現象には無用のお荷物であるとの認識から。

電池とエネルギー

電池は『エネルギー』を貯え、便利にその『エネルギー』を使うための科学技術の貴重な成果の製品だ。決して存在しない『電子』などを貯えるものではない。『エネルギー』とはどの様な特性を持った物理的実体か?と考える。見えなくて測れないものだから、その『エネルギー』の動特性を探ることも出来ない。どうすれば、『エネルギー』の空間特性を理解できるかが電池の物理的現象を知る要点であろう。

電池とエネルギーの関係。

電池の内部で『エネルギー』がどの様に貯蔵され、それがどのような条件で電池内部から解放されて電気回路空間に放出されるか。その現象を『電子』なしに『エネルギー』の物理的特性として解釈する必要が有る。電池から送出された『エネルギー』は決して電源に戻る必要はない。負荷に供給されて、それで電池の役割は完了する。『電子』のような概念では、再び電源に戻る無意味な解釈が繰り広げられる。無意味とは何故に負荷を『電子』が通過する必要が有るのか。負荷に『エネルギー』を『電子』がどの様な物理現象として届けることになるのか。何故に『電子』が保有した『エネルギー』を負荷に届けて、その『エネルギー』分だけ欠乏した状態の、異なる『電子』が電源に戻る必要が有るのか。『エネルギー保存則』の意味を忘れないで欲しい。『電子』が負荷を通過しただけで、負荷で『エネルギー』を発生できる訳はない筈だ。無から『エネルギー』は生まれないのだ。電池における電子の役割を問う (2018/05/24) で矛盾の解説に使ったのが下図である。

Fig.1. の図の意味。普通の電池記号と異なる図で表現した。単純に電池の意味を表現すれば、陰極の電極金属で『エネルギー』源のエネルギー貯蔵物質を包み込み、そこから『エネルギー』の無い陰極側に放出され、負側電線路を通して負荷に供給される絵図で捉える。電池の陽極電極および充填物質は所謂電位としては同一にある。充填剤に貯蔵された『エネルギー』はその内部では『エネルギー』として存在している訳ではない。しかし陰極金属体との間には『エネルギーギャップ』が存在する。陰極のエネルギーレベルが充填剤より低い。その接触ギャップで、自動的に充填剤の内部から空間構造変換として『エネルギー』が陰極側に放出される。それは同時に電線路が繋がれているば、その回路空間に対してもそのギャップを埋めるために『エネルギー』が放出される。だから電池内部に見える形で『エネルギー』が貯まっている訳ではない。充填剤の分子的な構造変化として含まれているだけで、結局は質量開放として『エネルギー』の放射になるだけである。

電池の物理現象と科学論。電池の『エネルギー』を観測することも計測することも出来ない。ましてや『電子』の数量を計ることなどもっと困難である。仮想概念で、実在しない物は計れないから。それでは、電池内の『エネルギー』は在るかと言われればそれも無いと言わざるを得ない。『エネルギー』は忍者じゃないが、分子構造の中の質量となって貯えられているとなれば、それは空間分布の『エネルギー』として存在する物にはならないから無いとなる。質量と『エネルギー』に変換し合う物理量は科学論で測り様が無い物だ。自然世界は余りにも純粋過ぎて、物質論の理論の計測手法に馴染まない物かも知れない。分子構造から解放される『エネルギー』が科学論で解明されることを祈る。

関連記事。独楽の心 (2019/01/05) 。熱の物理 (2019/02/07) 。

電気エネルギーの測定法(電流と電力)

はじめに(2020/4/28)
『オームの法則』によって電気回路現象を誰もが容易に理解できる。『オームの法則』は1826年ドイツの物理学者 ゲオルク・オームによって独自に発見、公表された。(実は1781年ヘンリー・キャベンディッシュが発見したが死後数十年後まで知られずにいた、とある。)その優れた技術法則であるが故に『電流』、『電圧』さらに電力の物理的意味を深く考察する必要もなく今日に至った。ちょうど200年少し前の19世紀の初めに『電流』と言う概念が磁気によって電気導体から離れた、空間にその姿を示すという新しい発見が『アンペアの法則』として捉えられた。その『電流』の単位アンペア[A]が電気現象解析の根本技術概念となって、すべての電気量の基本単位系 [MKSA] の基となっている。しかし、ブログの初期の記事に電流は流れず (2010/12/22) を、さらに去年電子は流れず (2019/6/6) を投稿した。それは『電流』と言う技術概念が自然認識の曖昧さを許す科学理論の根幹をなしている現代的社会問題として捉えた論説でもある。科学理論がその特殊な専門家集団の中で、特に分かり難い理数的表現に特化した形式で醸し出されて、一般の市民の科学認識に如何に曖昧な理解の混乱と弊害を及ぼしてきたかを唱えざるを得なかった。世界には決して『電荷』など実在しないのだ。世界の本源に『エネルギー』が存在していることを分かって欲しいからである。

電流とその測定
電気回路の電線路に電流計を繋げば、その電線の中に如何にも『電流』が流れているが如くに針の振れで示すから、決して誰も『電流』を疑わない。電線導体の中を流れる『電流』を自然現象の真理と考えて疑わない。そこには超電導現象という新たな発見もある。電線導体内を流れる『電荷』があるとして、それが自然の真理と捉えられてきた。電流計で計測しているものは何かを知らなければ、『電流』の意味は分からない。

Ampere meter  電流計の内部は右図のようにその基本計測量は可動コイルと言うコイル内に貯蔵された『エネルギー』の量である。そのコイルに流せる『電流』の最大値は大よそ100[mA]程度という事である。測定電流 I[A] のほとんどはコイルと並列に小さな値のシャント抵抗 r [Ω]に流す。だから電流計で測っているものはその抵抗に掛かる僅かな『電圧』分に相当する『エネルギー』分布を並列のコイルに取り入れて、そのコイル貯蔵『エネルギー』の量を磁気的な力によって測定しているのだ。決して『電荷』が電線の中に流れている『電流』と言う概念の「自然に実在する物理量」がある訳ではなく、コイルの電線周りに貯蔵された空間に実在する(光と同じ)『エネルギー』の回転流を計っているのだ。電気回路の電線はその電線で囲まれた空間を電気と言う『エネルギー』が光速度で流れて負荷に『エネルギー』を供給する役割の、その導きの道路の機能なのだ。だから『電流』の逆向きに『電子』が電線導体内を流れる等と言う解釈もハッキリ言わせてもらえば、それは『嘘』の科学論なのだ。光が何処(何もない空間)を通るかを考えれば、光と同じ速度で伝播する電気の『エネルギー』はやはり電線の中など通れる訳が無いと分かる筈だ。そこに大きな科学理論の混乱が現在の哲学的課題としてすべての地球の人に課せられているのだ。電流計で測っているものが何かを知るには、科学技術の中の姿をきちんと理解すること以外に自然の姿を知る方法は無いのだ。その事は高等数学の式では理解できない、例えば『電荷』の存否を数学の式では説明できないことも知らなければならない。

電流計則の式。電流計が何を計量しているかを式でも考えておこう。電流計の内部合成抵抗 rA からコイル電流 IA は(1)式となる。ただし、負荷電流が I[A] である。その電流計のコイル貯蔵『エネルギー』 WA は(2)式となる。ただし2分の1の係数は省略する。さて、この貯蔵『エネルギー』 WA[J] は負荷電力 P[W] と次の関係にある。

この(4)式から、結局コイルの『エネルギー』WA は電流計の内部定数 KA によって、次の(5)式のように負荷を計測していると見做せる。

(5)式の WA は負荷電力 P[W] と負荷抵抗 R[Ω]の比を計量していると見做せることを示している。次元はKA[H]よりP/R [(J/s)/(H/F)^1/2^]=[J/H]である。

電力の測定

電力測定 P=VI(W)       電気回路の『エネルギー』の測定法。その第一歩が電力測定であろう。それは電気の『エネルギー』を如何にも電気商品のごとくに商品として販売するに欠かせない技術である。しかし、『電圧』と『電流』の積では商品としての『エネルギー』量の計量には成らない。しかし乍らまず第一歩として、『電圧』と『電流』の積が何故負荷の電力値 P[W] となるかを図のコイルの貯蔵『エネルギー』 WA[J] とWV[J] からその意味を算定してみよう。電力測定法で、何故『電圧』と『電流』の積が「電力」になるかの分かり易い解説が見えない。科学技術の優れた英知の結晶を、噛み砕いて理解することの大切さを忘れないで欲しい。

コイルの貯蔵『エネルギー』 Wv を電圧 V として計測している。この意味について、先に電気エネルギーの測定法(電圧)に示した。その電圧値は負荷との関係で、『電流』の測定値の意味(4)式から、次の(9)式の意味を計測していることになる。

電流計の並列内部抵抗値 rA に対して負荷抵抗値 R は大きいから、端子電圧に対する電流計の電圧降下は無視できよう。従って、(4)式と(9)式から

負荷電力 P[W] は『電圧』 V と『電流』 I の積となる訳の意味である。以上のすべての解析は『オームの法則』一つによって解釈できた訳である。如何に『オームの法則』が簡便で、優れているかには驚嘆せざるを得ない。結局技術概念の『電流』と『電圧』と言う二つの測量技術が電線路空間を光速度で伝播する空間の『エネルギー』を捉えた手法である事に、如何に現代科学技術社会がその恩恵に預かっているかを知らなければならない。その法則の深い意義を知らなければならない。しかし同時に、電線導体の中には『電荷』など流れていない意味も計測技術を通して知らなければならない。

『エネルギー』の測定法。
電力量計として現在『エネルギー』の取引メーターとして使われているものが積算電力計[kWh]メーターである。どこの家庭にも玄関の外に取り付けられている計量器である。使用電気『エネルギー』量に応じて、アラゴの円盤の回転量で計測する優れた計量法である。電気技術の優れた結晶がこの積算電力計であろう。アルミの回転円盤に使用電気『エネルギー』の量に相当する電磁力を働かせて、円盤の回転回数として『エネルギー』の量を計量する『エネルギー』計量法の電気技術利用の優れた計量器具である。『エネルギー』は人がそれを物理量として決して目に捉えることの出来ない自然の姿であり乍ら、それを見事に計量している。科学技術に乾杯。科学技術のその深い意味を捉えることが、その奥に隠れている自然の姿を理解するに欠かせない筈だ。空間に展開する物理量の『エネルギー』の姿を理解することが自然を知るに欠かせないのだ。『質量』とは何か?『電荷』とは何か?『エネルギー』を知らずには、自然の深い真相を知ることのできない自然科学の道である。マックスウエル電磁場方程式が何を表現した式であるか?スマホの電波も電気『エネルギー』の空間への放射と消費である。直流電気回路も電線路の空間を電気『エネルギー』が伝播する現象である。その直流回路の電気『エネルギー』も線路空間を『光速度』で伝播する『エネルギー』の伝播現象である。図のように電源の負側の導線に沿った空間を負荷まで『エネルギー』がほぼ光速度で伝播するのである。電線内を『電子』などが光速度で流れることなど決してできる訳がない。しかも『電子』には『エネルギー』を伝送する機能・能力など、その物理的定義として付与されてはいない。『電子』のエネルギーは原子周回運動の運動エネルギー論で、質量に依存した概念しか仮想的な付与でしか定義されていない筈だ。その運動エネルギーを負荷に届ける、『電子』の往路と帰路の『エネルギー』の増減論は聞かない。『電子論』には『エネルギー』伝送の論理性が全くないのだ。だから『電子』が電気回路で役立つ論理性などどこにも無いのだ。

おわりに
『エネルギー』の姿の一端でも空間に展開する姿を御理解して頂けるかと述べた。自然の本源が『エネルギー』であることを唱えた。

(関連記事)何度も同じような事を述べた。筆者が論じる科学論は所謂科学常識からかけ離れて、しかも高度な数学的記述でないことから「文学論」だと言われもしたが。しかしITネット空間の解説にはこれが科学論かと思える論理矛盾の内容が満ち溢れている現状は間違っているからである。「電子と電気エネルギー」などと検索すると、少し古い記事で「電圧と電子と電気エネルギーの関係は? 」に当たり前と思える質問がある。それに対する回答者の余りにも陳腐で、何も考えていない姿が観え、悲しい。科学常識のひどさが『電子』に現れている。現代物理学理論に『エネルギー』の空間像の認識が無い点が最大の現代的教育の課題となっている。マックスウエル電磁場方程式の解釈に『エネルギー』の認識が欠けている事が原因かもしれない。

技術概念「電流」とその測定 (2018/9/24) 。電子は流れず (2019/6/6) 。電流は流れず (2010/12/22) 。エネルギー[J(ジュール)]とJHFM単位系 (2010/12/18) 。また、「電流は流れず」の確信に至った訳を少し述べた、電圧・電流とエネルギーと時空 (2019/8/11) 。

摩擦熱とコンパス (2020/3/22) に『静電界は磁界を伴う』の実験写真を示した。電界と磁界は『エネルギー』から見れば、同じことを知ってほしい。

The magnetic force and energy flow   

『電流』が磁気を発生すると言う。『電流』の流れる回路にコンパスを近付けると、確かにコンパスは力を受けて決まった方向を向く。しかし、『電流』は電線内の『電荷』の流れる時間微分と定義されている。それがアンペア[A]である。同じことが『電子』が電線内を流れると解釈しても、同じように電線近傍の空間に磁気の力が及ぶという。現代物理学理論の論理性として、電線内から離れた線路空間に磁気力を及ぼす原因としての力の真相は何なのかを明確に解説しなければならない筈だ。電線内部の『電荷』の移動が、電線内全体に同一の『電子』密度で分布しながら移動すると、磁気を帯びたコンパスに力を及ぼすことになる訳は何か。『電子』が流れるという論理には、電線導体の負側だけでなく、正側も同じく『電子』が充満して流れる事をも含んでいることになる。『電荷』の分布による『電圧』の原因解釈も、正側電線内のプラス『電荷』と『電子』の負『電荷』との兼ね合いで、どの様にその論理性を解釈できるのか?もう一つ重大な論理矛盾がある。それは力の物理学的解釈では質量に働く以外『慣性』の無い対象に「力」の概念は成り立たない筈だ。力の概念と電気物理 (2019/5/21) 。「クーロン力」の概念適用は根本的に論理に反した『力』の概念矛盾である。さて、『電子』がどの様な力をコンパスの動きに作用力を及ぼすと物理学理論では解釈するのか?筆者がマグネットの近傍空間に観えない『エネルギー』の流れとして確信したその方向は、十数年前にこの図の Energy flow の方向に依って決定した。

電磁気学の要-Axial energy flow-

1.はじめに
電気磁気学は自然科学の基礎知識として、その習得が科学技術・理科教育で求められる。力学と相まって物理的学習内容の基本となっている。その教育に基づく共通理解が社会的科学認識の基となるから極めて重要な分野である。社会的な科学常識は、お互いに科学論を展開するに、その共通理解の重要な基になる。『電荷』や『磁束』はその電気磁気学の要の基礎概念として、誰もが共通に理解していると思っているだろう。しかし、その中で『電荷』はじめ『磁束』さえもその実像は突き詰めると極めて曖昧な概念であると考えなければならなくなった。だからそのような基礎概念に論拠を置いた科学論は本質的に矛盾を含むものに見えて来る。現在の理科教育の教科書の内容では真の自然現象理解に極めて不十分な内容であることを認識しなければならない事態になったと考える。その意味を「磁気とは何か」と言う視点で考察し、その曖昧な意味を掘り下げて、電気磁気学理論の持つ不完全さを解説したい。軸性エネルギー流-Axial energy flow-を理解することが電気磁気学の眞髄に到達する要点であることを示したい。この事の持つ意味は、今までの科学常識に因って成り立ってきた専門家の意識改革を迫る極めて重大な社会的問題でもある。

2.原子構造と周回電子像の持つ意味
原子核の外殻を周回する電子に原子の周期特性で捉える役割を担わせた原子像があらゆる科学論の基盤として社会の科学常識となっている。この根源的科学常識を疑い、批判することに成らざるを得ない『電荷』概念否定の道を通って来た。その道の長い思索を通して辿りついた到達点は、あらゆる自然現象が『エネルギー』の空間に展開する姿として認識する事であったと理解した。その意味で、改めて現在の原子構造論の電子周回論はその中味を深く突き詰めなければならないと成った。

(2-1)原子像への疑念 『電荷』否定の論理の行き着く先に待っていたのが原子像への疑念であった。その疑念の具体的な点を挙げれば、次のようなことになろう。図1.で示した原子像は曖昧なまま、どのような規則で表現すれば論理的かさえ理解できないままの一つの参考にとの表現図で示した。

  • 何故電子が周回運動しなければならないか。
  • その電子の周回運動の軌道(立体角4π球面か平面か)と回転速度の方向性を何が決めるか。
  • 電子は粒子とか波動とか極めて曖昧な空間認識像で捉えられ、論理的明確さが観えないのはなぜか。
  • 実在するという電子像の、その質量と電荷の空間像が何故示されないのか。
  • 原子という空間構造体をまとめる『構成力』は何か。

原子と言う極めて極微な空間構造体が世界の構成元素として実在していることは、そのこと自体が不思議で有っても、疑いはない。その中味を解剖して明らかに示す事はおそらく無理な話であろう。だから曖昧さは残って当然と考える。1911年以降にようやく原子の構造の論議が始まったのだろう。J.J.Thomson の陰極線発見(1898)が電子として認知されたことが原子の周回電子像の基になったのであろう。その後の量子理論が決定的に電子に電磁気現象すべての舞台で、主役の役割を担わせたこととなったと思う。単純な電気回路のオームの法則さえ導体電線の中を電子が流れる解釈が決定的な電気回路常識となって、現在の科学論の基礎となっている。量子力学での電子には必ず質量が付きまとった素粒子となっている。運動エネルギーでの解釈に質量が必要だから。然し量子力学で伝導帯を自由電子として電気エネルギーの伝送の役割を担っても、電気回路になれば電子が金属導体中を流れるが、電荷だけしか必要としないから質量の意味はどこかに消え失せてしまう。電子とは質量と電荷の混合粒子と思うが、電気回路では電子流はアンペアと言う電荷の時間微分しか意味を成さない事になっている。電気回路では電気エネルギーの伝送速度は光速度に近い筈だが、電子では決してその光速度でエネルギーを伝送する役割の責任は果たせない筈だ。それでも質問が有っても難しい量子力学を勉強してから考えなさいと説明逃れがIT等の質問に多く見られる。電気回路の現象が光速度でのエネルギー伝送として説明できない事は、電磁気現象を本当に理解していることにはならないのだ。そんな単純な日常生活に関係した電気回路の意味から考えても、原子構造論の周回電子論はとても信用出来ないのだ。

(2-2)共有結合に論理性はない 高等学校の1、2年生の時に化学を習った。原子結合で共有結合と言う負の電子同士が誠に魔法のような理屈で互いに結合の担い手となることを教えられた。クーロンの法則の同じ電荷間に働く排力が、何故共有結合ではその訳が説明されずに、無視されるのかと言う疑問が消えない。何故負電荷同士の電子が結合の役割を果たし得るのか。まさか電子質量間に働く万有引力でもあるまい。基本的には電気磁気現象が原子構造体を構成する理論であると考えれば、原子間の結合を担う『力』とは何かと言う疑問になる。また、その基となる原子その物を構成する力は何かとなる。核の結合そのものも『力』が必要な筈だ。陽子と中性子の結合論には中間子論があるが、その意味を理解するだけの能力はないし、電磁気現象としての解釈では理解困難な様に思う。原子間、分子間あるいは原子等の構造体を構成するにはどんな『力』が必要なのか。

  力としてpdfで挿入した。初めて試してみたので見難いかもしれない。中に(3)式として『質量力』などと言う力を入れた。何も特別な意味ではなく、万有引力と言う意味を質量間に働く力と言う意味で表現しただけでしかない。丁度二つの電荷が空間に有れば、電場が生じ電界ベクトルと電荷間に働く力と言う空間像と同じ意味で捉えだけである。たとえば地球と言う質量が有れば、その周りには重力場と言うベクトル空間が有ると看做すだけである。ただそれは、自然現象として空間を解釈する万有引力と言う理論が『眞』であるかどうかは別問題であろう。 電荷間の力の解釈と同じ意味で(3)式は万有引力の一つのベクトル表現法でしかない。(2)式の磁荷mは物理学理論でも実在しないと成っている。(1)式の『電荷』q[C]も否定すれば、一体どんな力を世界の結合の力として捉えれば良いかとなる。もちろん(3)式の質量力などは論外であろう。 そこに「磁気とは何か」と言う事を尋ねなければならない問題が浮上する。

3.磁気とは何か それは「磁気の本質」を問うことになる。電気磁気現象の要が『磁気とは何か』に明確な認識を持つことである。2つほど問題を提起したい。

  • コンパスは何故磁界の方向を指すのか。
  • マグネットを向かい合わせると、そのギャップlの長さに因って何故磁気力が変わるのか。その物理的原因は何か。

電気磁気学では、磁束量φ[Wb]が磁界解釈の基礎概念となっている。ファラディーの法則として、電気理論の根幹を成す重要な概念でもある。アンペアーの法則として、電線導体電流との関係でも重要な磁束で、欠かせない基礎概念であるとの意識にある。インターネット検索でも専門的な解説がある。電子スピンなどと関連付けて解説される。然しその解説に因っても少しも理解できないのは筆者だけだろうか。マグネットから空間に磁束Φが放射(?)されている図で表現される。磁荷は存在しないが磁束が存在するとは、その磁束は何が創りだすのかとなる。変圧器のファラディーの法則から、そろそろ磁束が励磁電流によって発生するなどと言う間違った解釈はやめても良い筈だ。磁束はファラディーの法則の式の積分形で『電圧時間積分』で決まることを知らなければならない。然しだからと言って、それで磁束が自然界に実在する物理量だと決めつける訳にはいかない。磁束も電流と同じく、科学技術概念としての人が創りだした便利な解釈用の概念でしかないのだから。それでは本当は磁束とは何をそのように概念化して利用しているのかと言うことになる。そこが重要な点であり電気磁気学の要となるのだ。答えは空間のエネルギー流でしかない。それは軸性エネルギー流-Axial energy flow-である。巷の解説では、電子スピンと言うが電子がマグネットの表面でスピンをしてその電子から空間に磁束が伸びていると言う意味であろうか。その磁束とは空間にどのような実体を成すものと認識しているのか。コンパスが磁界の方向を向くと言う現象も、やはり力が働いたから向きが決まる訳である。この軸性エネルギー流と言う概念は物理学理論ではなかなか受け入れ難いものであろう。それはもともと物理学には空間にエネルギーが実在すると言う認識が無いように見受けられるから。物理学理論では質量が無いとエネルギーが論じられないように思う。電気コイルの磁気エネルギーと言う時、そのエネルギーは空間の何処に存在していると解釈するのだろうか。コンデンサのエネルギーと言う時、そのエネルギーはどこにどのようなものとして存在していると解釈するのだろうか。電荷はエネルギーには成れない筈だ。磁束もエネルギーではない筈だ。マグネット間のギャップ l が小さくなれば、磁石の引き合う力は強くなる。何故強くなるのかの意味を説明しなければならない筈だ。磁束が太くでもなると言うのだろうか。それでも説明には成っていない。物理学理論でも、電気技術論でもマグネットの表面の磁束密度は一様と仮定すると言う条件を設定するのが一般的である。そこが間違いである。マグネットギャップを変化させると、ギャップ内の磁気模様が全く変わってしまうのである。ギャップを狭めて行くと磁場の強い処はマグネット周辺に移動し、中心部分には磁場は無くなるのだ。磁場一様等と言う条件は成り立たない事を知らなければならない。磁場とは磁束などと言う線束が有る場ではないのだ。ハッキリ言えば磁束など無いのだ。ただエネルギーがマグネット軸に対して回転して流れている現象なのだ。それを軸性エネルギー流と名付けた。要するに空間に質量など無関係に、『エネルギー』が実在している認識がなければならないのだ。光の空間エネルギー分布流と同じ意味である。光のエネルギーを振動数で解釈している限りは、電気磁気学の眞髄には到達できない。

4.磁界の空間像 磁界とは『軸性エネルギー流』である。図に表せば次のようになる。図のマグネット棒と磁界の関係。それはマグネット近傍空間には左ねじの尖端をN極として、ネジを回して進む時の回転方向にエネルギーが流れていることを示す。この回転エネルギーが地球の表面にも流れている訳で、地磁気が具体例としての考える論題としてよかろう。地球の磁気は北極がマグネットのS極で、南極がマグネットのN極である。地球表面を自転の向きに即ち東西南北の東向きにエネルギーが流れていることを知らなければならない。地球の自転が何によって起きているかは、そのエネルギー流が何故在るかを理解することが出来れば分かった事になるのだろう。その自転の物理的意味について解釈を下す事は科学論か哲学か悩ましいこと言えよう。兎に角、このマグネット近傍空間のエネルギー回転流が磁場と言う概念が持つ空間の意味である。光が空間を光速度で伝播する空間エネルギー密度分布波と捉えることと繋がる意味でもある。この質量に関係ないエネルギーの実在性を空間に認識することが電気磁気学の要となるのである。

5.ギャップに因る磁気力の変化およびコンパスの指示の訳  (3.磁気とは何かの答)マグネットの引き合う力は不思議だ。検索すれば、その力の原理を知りたいと質問がある。然し、その解答は的確な説明とは言い難い、何か誤魔化しで逃げているようにしか思えない。残念であるが、本当は分かりませんとでも答えて欲しいのだ。解答者も教科書の解説を習得したからと言って電気磁気現象の眞髄を分かっているとは言えないのだから。決して磁束(自然世界に実在する物理量ではない)と言う科学技術概念では、マグネット間の空間にある『エネルギー』の姿は理解できないのだから、ギャップの長さで磁気力が変化する意味は分からないだろう。教科書に無い意味磁界・磁気概念の本質の記事の意味を知らなければならない。次にコンパスが磁界の方向を指す訳は何か?それも同じような原理の力の問題である。磁束がコンパスの中を通って空間の磁場の磁界と繋がるから、その方向を向く。と解釈して良いのだが、磁束が実際に実在する物理量でないと言うことを認識すれば、その解釈ではやはり正しいとは言えないだろう。試験問題でコンパスがどの方向を向くかという問題なら、磁束の考え方で正しい答えは得られる。知識としてはそれだ宜しいのだ。自然現象を理解するという意味には、この例のように答えられればそれでよいという考え方と、もっと自然世界の本質・真髄を知るべきだという考え方と多様な意見がある筈だ。それは一人ひとりの生き方の問題となるのだろう。磁気が軸性エネルギー流の目に見えない現象だと言うことを知ることに因って初めて、広い電気磁気現象の意味が矛盾なく理解でき、心から安心した納得に至れるのだと思う。それが安堵と言うものかも知れない。地磁気とコンパス(2012/09/13) が一つの解答となろう。

6. 磁気原子像と原子結合 『電荷』否定に因る原子像はどんな姿か。今年は原子周期表の記念の年らしい。8の周期性で特性が決まる原子を周期律表でまとめられた意味は驚嘆に値する知見と言えよう。その周期性から原子構造が周回電子像で解釈される結果に現在の原子構造が共通理解の基を成して来たと思う。周期性は他の原子との結合特性から認識出来るものでもあろう。原子が結合するのは原子の表面が互いに他の原子との安定した接合面を持つ事が出来るからであろう。もし周回電子が原子結合の任務を担うとすれば、その電子は立体角4πの原子表面をどのような道筋で回転運動をしながら、となりの原子と安定した接触面を保てると考えるのだろうか。その空間運動状況を原子結合に結びつけるには、原子核が周回電子の運動を可能にする何次元ものスピン運動をするか、魔術師か忍者の雲隠れ抽象空間を想定できるようでなければ、電子の運動と結合面の空間像を頭に描くことは無理じゃなかろうか。こんな論議は決して科学論の場では誰もが取り上げたくない事だろう。それは教科書の指導内容と異なる反社会的のことで、教育体制に混乱を生むから。科学論は現在の教科書の指導内容の枠からはみ出さないようにしなければならないとの意識が無意識的に思考の根幹を支えているのだろう。まさかこんな基礎の科学概念が否定される筈はないと誰もが教科書の指導内容や科学常識を信じているから。

(6-1)ダイヤモンド結合 炭素は結合手が4で、宝石のダイヤモンド共有結合や有機分子のベンゼン核など結合の代表的な論題となる元素であろう。炭素同士の強固な結合が抽象的な原子表面上の軌道周回運動電子によって生まれると言う曖昧な論理を何故信じなければならないのか。また炭素原子表面は空間的に4面体(直方体)か球面を4等分した接合面と看做すべきだろう。従って、有名なベンゼン核の亀の甲羅の平面的な六角形の構造が何故出来るかにも論理性が観えない。原子結合面は空間的な立体面から出来ている筈だから、結合手が2本と1本でのベンゼン核表記法は有り得ない。まずい記事ながら、参考に炭素結合の秘め事(2012/04/14)を挙げて置く。

(6-2)マグネット原子構造 軸性エネルギー流と言う空間のエネルギー像は『電荷』に代わる電磁結合の統一的理論構築の未来像になると考える。結合エネルギー:不思議の砦 (2018/12/02) で示したマグネット結合の図を再掲したい。マグネット同士を接合すると、接合部でのエネルギー流は隠れるように思える。砂鉄に因ってある程度は確認出来よう。このマグネット同士のN、S間での結合が原子結合の結合手になるとの解釈論を2009年に発表した。その時の図を示したい。

『電荷』否定は陽子、中性子などの素粒子の電荷概念の否定だから、当然原子核内もエネルギー粒子と捉えなければならなくなる。その核のエネルギー粒子の影響がそのまま原子表面に現れると言う考え方を取る。その結果の原子結合は当然の帰結として、図のようなマグネット結合になる。

7. むすび 2009年日本物理学会秋季大会で、“電荷棄却の電子スピン像と原子模型”の標題で関連の発表をした(日本物理学会講演概要集 第64巻2号1分冊 p.18. )。それは丁度10年程前の解釈である。今振り返っても、その内容は現在の認識と殆ど変らないようだ。10年間の思索を通して、よりこのマグネット結合原子構造の解釈に強い確信を得ている。電気回路の電磁エネルギー伝播現象即ち電気磁気学の実像を光速度伝播特性として理解出来たからだ。『電荷』や『磁束』が科学技術解釈概念だと言う意味は、それらは自然世界に実在する物理量ではないと言うことであって、物理学と言う自然世界の真理を探究する学問で使う用語・概念としては適切でない事になる。

論文: 25pWD-13 “磁力密度 f=rot(S/v)” 日本物理学会講演概要集第63巻1号2分冊 p.310.(2008) 。これは磁気がエネルギー回転流であることを論じた論文である。このいわゆる電磁力と言う力については、長岡工業高等専門学校で、既に履歴書が『以下余白』として消されたままの1年8カ月後(?)の昭和62年3月末に、『静電界は磁界を伴う』の電気学会発表の準備中の深夜の睡眠途中で閃いた思い付きであった。その後、「電磁エネルギーの発生・伝播・反射および吸収に関する考察」電気学会 電磁界理論研究会資料、EMT-87-106.(1987) に(29)式として記した。それは静電界と言うコンデンサ極板間に電圧に応じて、コンパスの指す磁界方向が変化すると言う電磁界現象が存在する事実の理論的解釈論として示さなければならなかったのである。コンデンサ内も電磁エネルギーの流れによってその現象・状況が決まると言う実験結果に基づく発見事実である。ここに科学基礎概念に対する意識革命の必要性が隠されている。

(付記) 関連記事。電気回路理論と電気磁気学の関係(2017/12/06) 。電磁力の本質(2017/10/17) 。