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電気エネルギーの測定法(電流と電力)

はじめに(2020/4/28)
『オームの法則』によって電気回路現象を誰もが容易に理解できる。『オームの法則』は1826年ドイツの物理学者 ゲオルク・オームによって独自に発見、公表された。(実は1781年ヘンリー・キャベンディッシュが発見したが死後数十年後まで知られずにいた、とある。)その優れた技術法則であるが故に『電流』、『電圧』さらに電力の物理的意味を深く考察する必要もなく今日に至った。ちょうど200年少し前の19世紀の初めに『電流』と言う概念が磁気によって電気導体から離れた、空間にその姿を示すという新しい発見が『アンペアの法則』として捉えられた。その『電流』の単位アンペア[A]が電気現象解析の根本技術概念となって、すべての電気量の基本単位系 [MKSA] の基となっている。しかし、ブログの初期の記事に電流は流れず (2010/12/22) を、さらに去年電子は流れず (2019/6/6) を投稿した。それは『電流』と言う技術概念が自然認識の曖昧さを許す科学理論の根幹をなしている現代的社会問題として捉えた論説でもある。科学理論がその特殊な専門家集団の中で、特に分かり難い理数的表現に特化した形式で醸し出されて、一般の市民の科学認識に如何に曖昧な理解の混乱と弊害を及ぼしてきたかを唱えざるを得なかった。世界には決して『電荷』など実在しないのだ。世界の本源に『エネルギー』が存在していることを分かって欲しいからである。

電流とその測定
電気回路の電線路に電流計を繋げば、その電線の中に如何にも『電流』が流れているが如くに針の振れで示すから、決して誰も『電流』を疑わない。電線導体の中を流れる『電流』を自然現象の真理と考えて疑わない。そこには超電導現象という新たな発見もある。電線導体内を流れる『電荷』があるとして、それが自然の真理と捉えられてきた。電流計で計測しているものは何かを知らなければ、『電流』の意味は分からない。

Ampere meter  電流計の内部は右図のようにその基本計測量は可動コイルと言うコイル内に貯蔵された『エネルギー』の量である。そのコイルに流せる『電流』の最大値は大よそ100[mA]程度という事である。測定電流 I[A] のほとんどはコイルと並列に小さな値のシャント抵抗 r [Ω]に流す。だから電流計で測っているものはその抵抗に掛かる僅かな『電圧』分に相当する『エネルギー』分布を並列のコイルに取り入れて、そのコイル貯蔵『エネルギー』の量を磁気的な力によって測定しているのだ。決して『電荷』が電線の中に流れている『電流』と言う概念の「自然に実在する物理量」がある訳ではなく、コイルの電線周りに貯蔵された空間に実在する(光と同じ)『エネルギー』の回転流を計っているのだ。電気回路の電線はその電線で囲まれた空間を電気と言う『エネルギー』が光速度で流れて負荷に『エネルギー』を供給する役割の、その導きの道路の機能なのだ。だから『電流』の逆向きに『電子』が電線導体内を流れる等と言う解釈もハッキリ言わせてもらえば、それは『嘘』の科学論なのだ。光が何処(何もない空間)を通るかを考えれば、光と同じ速度で伝播する電気の『エネルギー』はやはり電線の中など通れる訳が無いと分かる筈だ。そこに大きな科学理論の混乱が現在の哲学的課題としてすべての地球の人に課せられているのだ。電流計で測っているものが何かを知るには、科学技術の中の姿をきちんと理解すること以外に自然の姿を知る方法は無いのだ。その事は高等数学の式では理解できない、例えば『電荷』の存否を数学の式では説明できないことも知らなければならない。

電流計則の式。電流計が何を計量しているかを式でも考えておこう。電流計の内部合成抵抗 rA からコイル電流 IA は(1)式となる。ただし、負荷電流が I[A] である。その電流計のコイル貯蔵『エネルギー』 WA は(2)式となる。ただし2分の1の係数は省略する。さて、この貯蔵『エネルギー』 WA[J] は負荷電力 P[W] と次の関係にある。

この(4)式から、結局コイルの『エネルギー』WA は電流計の内部定数 KA によって、次の(5)式のように負荷を計測していると見做せる。

(5)式の WA は負荷電力 P[W] と負荷抵抗 R[Ω]の比を計量していると見做せることを示している。次元はKA[H]よりP/R [(J/s)/(H/F)^1/2^]=[J/H]である。

電力の測定

電力測定 P=VI(W)       電気回路の『エネルギー』の測定法。その第一歩が電力測定であろう。それは電気の『エネルギー』を如何にも電気商品のごとくに商品として販売するに欠かせない技術である。しかし、『電圧』と『電流』の積では商品としての『エネルギー』量の計量には成らない。しかし乍らまず第一歩として、『電圧』と『電流』の積が何故負荷の電力値 P[W] となるかを図のコイルの貯蔵『エネルギー』 WA[J] とWV[J] からその意味を算定してみよう。電力測定法で、何故『電圧』と『電流』の積が「電力」になるかの分かり易い解説が見えない。科学技術の優れた英知の結晶を、噛み砕いて理解することの大切さを忘れないで欲しい。

コイルの貯蔵『エネルギー』 Wv を電圧 V として計測している。この意味について、先に電気エネルギーの測定法(電圧)に示した。その電圧値は負荷との関係で、『電流』の測定値の意味(4)式から、次の(9)式の意味を計測していることになる。

電流計の並列内部抵抗値 rA に対して負荷抵抗値 R は大きいから、端子電圧に対する電流計の電圧降下は無視できよう。従って、

負荷電力 P[W] は『電圧』 V と『電流』 I の積となる訳の意味である。以上のすべての解析は『オームの法則』一つによって解釈できた訳である。如何に『オームの法則』が簡便で、優れているかには驚嘆せざるを得ない。結局技術概念の『電流』と『電圧』と言う二つの測量技術が電線路空間を光速度で伝播する空間の『エネルギー』を捉えた手法である事に、如何に現代科学技術社会がその恩恵に預かっているかを知らなければならない。その法則の深い意義を知らなければならない。しかし同時に、電線導体の中には『電荷』など流れていない意味も計測技術を通して知らなければならない。

『エネルギー』の測定法。
電力量計として現在『エネルギー』の取引メーターとして使われているものが積算電力計[kWh]メーターである。どこの家庭にも玄関の外に取り付けられている計量器である。使用電気『エネルギー』量に応じて、アラゴの円盤の回転量で計測する優れた計量法である。電気技術の優れた結晶がこの積算電力計であろう。アルミの回転円盤に使用電気『エネルギー』の量に相当する電磁力を働かせて、円盤の回転回数として『エネルギー』の量を計量する『エネルギー』計量法の電気技術利用の優れた計量器具である。『エネルギー』は人がそれを物理量として決して目に捉えることの出来ない自然の姿であり乍ら、それを見事に計量している。科学技術に乾杯。科学技術のその深い意味を捉えることが、その奥に隠れている自然の姿を理解するに欠かせない筈だ。空間に展開する物理量の『エネルギー』の姿を理解することが自然を知るに欠かせないのだ。『質量』とは何か?『電荷』とは何か?『エネルギー』を知らずには、自然の深い真相を知ることのできない自然科学の道である。マックスウエル電磁場方程式が何を表現した式であるか?スマホの電波も電気『エネルギー』の空間への放射と消費である。直流電気回路も電線路の空間を電気『エネルギー』が伝播する現象である。その直流回路の電気『エネルギー』も線路空間を『光速度』で伝播する『エネルギー』の伝播現象である。図のように電源の負側の導線に沿った空間を負荷まで『エネルギー』がほぼ光速度で伝播するのである。電線内を『電子』などが光速度で流れることなど決してできる訳がない。しかも『電子』には『エネルギー』を伝送する機能・能力など、その物理的定義として付与されてはいない。『電子』のエネルギーは原子周回運動の運動エネルギー論で、質量に依存した概念しか仮想的な付与でしか定義されていない筈だ。その運動エネルギーを負荷に届ける、『電子』の往路と帰路の『エネルギー』の増減論は聞かない。『電子論』には『エネルギー』伝送の論理性が全くないのだ。だから『電子』が電気回路で役立つ論理性などどこにも無いのだ。

おわりに
『エネルギー』の姿の一端でも空間に展開する姿を御理解して頂けるかと述べた。自然の本源が『エネルギー』であることを唱えた。

(関連記事)何度も同じような事を述べた。筆者が論じる科学論は所謂科学常識からかけ離れて、しかも高度な数学的記述でないことから「文学論」だと言われもしたが。しかしITネット空間の解説にはこれが科学論かと思える論理矛盾の内容が満ち溢れている現状は間違っているからである。「電子と電気エネルギー」などと検索すると、少し古い記事で「電圧と電子と電気エネルギーの関係は? 」に当たり前と思える質問がある。それに対する回答者の余りにも陳腐で、何も考えていない姿が観え、悲しい。科学常識のひどさが『電子』に現れている。現代物理学理論に『エネルギー』の空間像の認識が無い点が最大の現代的教育の課題となっている。マックスウエル電磁場方程式の解釈に『エネルギー』の認識が欠けている事が原因かもしれない。

技術概念「電流」とその測定 (2018/9/24) 。電子は流れず (2019/6/6) 。電流は流れず (2010/12/22) 。エネルギー[J(ジュール)]とJHFM単位系 (2010/12/18) 。また、「電流は流れず」の確信に至った訳を少し述べた、電圧・電流とエネルギーと時空 (2019/8/11) 。

摩擦熱とコンパス (2020/3/22) に『静電界は磁界を伴う』の実験写真を示した。電界と磁界は『エネルギー』から見れば、同じことを知ってほしい。

The magnetic force and energy flow   

『電流』が磁気を発生すると言う。『電流』の流れる回路にコンパスを近付けると、確かにコンパスは力を受けて決まった方向を向く。しかし、『電流』は電線内の『電荷』の流れる時間微分と定義されている。それがアンペア[A]である。同じことが『電子』が電線内を流れると解釈しても、同じように電線近傍の空間に磁気の力が及ぶという。現代物理学理論の論理性として、電線内から離れた線路空間に磁気力を及ぼす原因としての力の真相は何なのかを明確に解説しなければならない筈だ。電線内部の『電荷』の移動が、電線内全体に同一の『電子』密度で分布しながら移動すると、磁気を帯びたコンパスに力を及ぼすことになる訳は何か。『電子』が流れるという論理には、電線導体の負側だけでなく、正側も同じく『電子』が充満して流れる事をも含んでいることになる。『電荷』の分布による『電圧』の原因解釈も、正側電線内のプラス『電荷』と『電子』の負『電荷』との兼ね合いで、どの様にその論理性を解釈できるのか?もう一つ重大な論理矛盾がある。それは力の物理学的解釈では質量に働く以外『慣性』の無い対象に「力」の概念は成り立たない筈だ。力の概念と電気物理 (2019/5/21) 。「クーロン力」の概念適用は根本的に論理に反した『力』の概念矛盾である。さて、『電子』がどの様な力をコンパスの動きに作用力を及ぼすと物理学理論では解釈するのか?筆者がマグネットの近傍空間に観えない『エネルギー』の流れとして確信したその方向は、十数年前にこの図の Energy flow の方向に依って決定した。

電気エネルギーの測定法(電圧)

はじめに(2020/4/19) 電気回路技術は驚くべき文化に完成された。その基本には「オームの法則」がある。『電圧』と『電流』という二つの技術概念に依って誰もが理解し易い回路技術として、現代社会の基盤技術となった。しかし、その『電圧』や『電流』と言う計測量の意味を考えれば、そこにはとても深い哲学的問題が隠されているのだ。その意味を知ることは深く電気回路技術の中にある自然現象の活用の科学技術力とそこへの叡智の結晶が結実している意味を知ることにつながる筈だ。電気回路には、基本的に自然の本源である『エネルギー』を如何に活用するかの手法を獲得した技術の結晶が隠されているのだ。その測定法を通して電気技術が如何に自然との関係を活用しているかを深く理解できる筈だ。その事は『電流』とは、『電子』とは何かが理解できることにつながるだろう。科学技術が飛躍的に発展し、日常生活に深くその影響が及び、人がその恩恵に浸りながらも、誤った物理学理論によって曖昧な科学理論常識に染まる傾向が強まってしまった。地に足を付けた地道な自然観であるべきところ、誤った理論によって人の意識を曖昧な思考の方向に導いてきた。その代表が『電子』の概念である。『電子』の空間像が示されずに、その『負』の実在性が論じられずにここまで来てしまった。その意味を解きほぐす道はあくまでも具体的な技術の意味を通して理解するより道はない。『電子』が如何に曖昧な概念であるかを電気回路の測定の意味を通して考えてみたい。半導体で論じられる量子力学について論じるほどの力を筆者は持たないが、少なくとも電気回路における電線内を流れると解説される『電子』は全く役に立たない仮想概念である事だけは強調しておきたい。

『電圧』は『エネルギー』の計測、技術評価量。

電圧とは、その回路の電線で囲まれた空間に『エネルギー』をどの程度貯蔵した状態かを知る、あるいは評価する技術的基準量である。電圧計は何を計っているかを知らなければ、『電圧』の物理的意味を知ることはできない。水を高い所から流す力の仕組みと同じ意味が『電圧』であるというような、怪しい論説が多くある。その解説ではやはり水のような何か流すものが必要になり、結局『電流』とか逆向きに流れる『電子』が必要になって来る。電線の中には何も流れていないことを理解しなければならなし、電線路空間が有ればその空間を通して幾らでも自由に電気の『エネルギー』は伝送できる。しかもその即応性は光速度で対応できるのだ。電気(と言う『エネルギー』)は光と同じように真空や空気の空間がその最も特性を発揮できる場である。ここで言う『空間』とは、電気については真空以外にも、コンデンサの金属板に挟まれた空間あるいはその誘電体空間、コイルの巻き線で囲まれた空間や鉄心あるいは抵抗体内の結晶構造体内の空間、更に電線路の電線間の空間あるいは絶縁電線の絶縁体などの空間などを指す。例えば、ガラス戸やレンズは光も電波もその『エネルギー』が伝播する空間と見做せよう。しかし、電線の金属体は基本的に『エネルギー』の反射体と見做すべきだ。だから金属の電線内には電気の担い手と科学常識になっている概念の物理量(『電流』や『電子』)は流れない事を理解しなければならない。

コンデンサとコイルの貯蔵エネルギー。

VOLT and ENERGY 直流電圧 V の回路にスイッチ S を通してコンデンサC[F] とコイル L[H] の回路を繋ぐ。

図のスイッチSを投入してからどのように『エネルギー』が貯蔵されるかを、少し数式で考えてみよう。その電気現象は所謂過渡現象を経て、『エネルギー』が貯蔵されることになる。過渡現象は数式では一般に指数関数(*)で表現される。ー(*)指数関数での数学的問題は幾ら時間がたっても定常状態にならないという論理性の現実的矛盾を抱えているー。

(1) 貯蔵エネルギーと電圧の関係。係数の2分の1は省く。

最終的に、貯蔵エネルギーは(1)式のようになる。その貯蔵エネルギーは結局電圧によって決まる値である。だからその電線間の電圧Vは貯蔵エネルギーの量から(2)式の意味であると解ろう。『エネルギー』の単位、次元はジュール [J] であるから、電圧の単位、次元は(2)式から [(J/F)^1/2^] であると解ろう。電圧の単位はコイルもコンデンサも同じ静電容量の単位ファラッド [F] に関係した物理的意味を持っているものと理解できよう。それは当然のことで、電線路は最低二本の電線で組み立てられる。その電線の間には静電容量がある。その静電容量の空間に貯蔵された状態で電気の『エネルギー』が分布して電気の送配電系統が成り立っているのだ。この電圧の次元あるいは単位の意味を理解することが電線路の物理的意味の理解に欠かせない事なんだ。(2)式のコイルの場合について、その次元について付記しておく。(r/√L)はr[(H/F)^1/2]により、[(1/F)^1/2] となるから。

(2) 要素の端子電圧と回路時定数。

コンデンサの端子電圧vcとコイルの端子電圧vlは(3)式のように評価される。コンデンサの電圧は最終的には電線路電圧値 V に等しくなるが、それまでは指数関数の変化になる。コイルの電圧vlは最終的に零となる。コイルに『エネルギー』が貯蔵されるとコイルの端子電圧は恰も回路から切り離されて、線路側には接続されていないと同じ状態になる。コイルには内部空間に『エネルギー』だけが貯蔵されたことになる。厳密にはコイルの抵抗分があるからその分の電圧は残る筈ではあるが。

指数関数の累乗の次元は『無次元』でなければならない。時間 t[s] に対して時定数が rC[(HF)^1/2^]  =L/r[(HF)^1/2^] =[s] となっているから理に適っていることになる。

(*)この指数関数式は無限の時間でも論理的に零には成らない矛盾を抱えているが、その辺は数学的に曖昧でも良いとなるのだろうか。文末に指数関数の図を示す。

(3)貯蔵エネルギー計測法。

コンデンサとコイルの貯蔵エネルギーの時間変化は(4)、(5)式となる。両方とも同じ式で表される。ここでさて、線路の電圧をどのように計測するかとなる。コンデンサ内の様子を外部から伺い知ることはなかなか出来ない。コンデンサの電界と言う状態を知る方法が無いから。それに対して、コイルの中の状態は運良く、磁気と言う誠に都合の良い自然界の贈り物がある。それはコンパスや磁石と言う身近な電磁気現象の具現像として自然世界の顔を示してくれている。アンペアの法則やファラディーの法則あるいはレンツの法則等あらゆる電気現象を外部から観測する手段として活用されているのが「磁気現象」である。何か空間の秘めた「力」を磁気が持っている。当然のこととしてコイルの秘めた空間の力を『測定法』に活用することになる。自然世界の現象を探る科学技術の始まりである。19世紀に『電圧計』「電流計」が開発された。もちろん『電圧』はボルタの電池や熱現象を利用した電池などからその安定した『電圧』を開発利用してきた訳であろう。まだ当初は『電荷』概念は明確ではなかっただろうと考えたい。

(4)『電荷』と『電子』と『電圧』の間に横たわる現代物理学理論に基づく論理性の不可解。

電気回路論で、電線路の『電圧』をどのように解釈するだろうか。プラス端子とマイナス端子の間の空間に生じる『電圧』の原因を何に求めるか?プラス側には『正の電荷』、マイナス側には『負の電荷』が分布してと解説が始まるだろう。そこに思考停止の現代物理学理論が在るのではないか?『正の電荷』と言うその正体をどのように認識するのだろうか。簡単に『正の電荷』がプラス側の電線に雀が止まるように集まるのだろうか。どんな理論によって『正の電荷』だけが一方の電線に集まるのか。みんなが電気現象の基本法則と崇める「クーロンの法則」では、同じ『電荷』は反発し合うと大原則を学習して居るにも拘らず、無意識に所が変れば同一電荷同士が集合体となって結び付く。金属電線の中に『プラスの電荷』とはその正体はまさか『陽子』とならないだろうから『電子』の抜け殻の『+金属イオン』だろうか。図に示したように『+金属イオン』は銅線なら銅イオンしかない。『+金属イオン』を置き去りにして、その『電子』はいつの間に隠れて逃げ去ったことになるのだろうか不思議だ。科学理論は論理性がその身上の筈だ。一方反対のマイナス側の電線にはマイナス電荷の象徴の『電子』が集合すると解説されるだろう?図のように『電子』の密集状態が出来るとなろう。それでプラスとマイナスの電線路空間図が完成して、『電圧』の科学的理解ができるとなり、万々歳となって終わるのか?そこへ『電圧計』を繋ぐとどうなるかを考えれば、思考停止で終われないだろう。そこに不可解と言う意味が追加される。まず、乾電池に電線を繋いで配線すれば、それだけで電線間に電圧が掛かる。プラスの電線の銅金属からどのようにして『電子』を引き剥がすのだろうか?プラス側の銅線には電線内に電界などできない筈だ。電界もないのに銅金属から『電子』を引き剥がす論理的根拠が欲しい。その辺の高度な専門性は大学院などの物理学科の博士課程などで高等教育を受けた専門家やその指導者が答えるべき内容であろう。余りにも専門性のない素人の疑問では答えるに沽券(コケン)に関わる話となろうか。乾電池から『エネルギー』をランプに送る。その時『電子』が電池のマイナス側から流れ出し、ランプを通って電池のプラス側に戻る。どれ程の『電子』が集団高密度で『電子』の密集分布電線の中へと流れて行くのだろうか。流れ出す時点で、『負電荷』量が増加しても、線路『電圧』に影響を及ぼさないで済むのだろうか。さらに、ランプで『電子』はどのようにフィラメントの抵抗体で光を放射する物理学理論を展開して、電池のプラス側に戻り、『電子』の面目即ち電池から『エネルギー』を伝送する役割を果たすのだろうか。『電子』がただ電池の負極から流れ出て、電池のプラス側に流れ込むだけの『電子』の役目で、電磁気学という学問の科学理論の論理性が唱えられるというのだろうか。とてもその論理性が見えない科学理論に思えるのだが、皆さんはそれで安心できるのか?

(5)コイルの貯蔵エネルギーの磁気特性の活用法と『電圧』計測。(2)式によってコイルのエネルギーW[J]とすれば、図のように線路電圧によってコイルのエネルギーから電圧を測定できよう。そのコイルのエネルギーをどのように計測に活用するかとなる。

簡略計測法。最も単純にエネルギー量W[J] が有るか無いかは図のようにコンパスの振れで分かる。しかし、これでは計測には成らない。

可動コイル型計器が直流回路には使われる。貯蔵エネルギー保有のコイルを磁石の間に配置すると、コイルはW[J]の平方に依った回転角度を示す。測定器の概要は図のようになる。

むすび

電線路の直流電圧を計る『電圧計』がどのように、何を計っているかを示した。この測定法で、直流電圧を電線路の『電荷』分布で解釈する論法の矛盾を論じた心算だ。このコイル内に『空間エネルギー』がコイルの巻き線に沿って軸性の回転流として貯蔵されている。その回転方向は丁度『電子』が流れるという電子論のその向きであり、『電流』の逆向きである。この電圧計の測定量の意味を知った上でも、もし『電荷』分布が電線路電圧を決めると解釈するなら、それが現代物理学理論の『パラダイム』という事であろう。更に一言付け加えておく。コイルの貯蔵エネルギー W を抵抗r による『電流』で計算して式を導出した。しかし実際の物理現象は電線の負側を『エネルギー』がコイルの端子電圧の時間積分に関係した過程を経て、コイルに入射するのである。しかし、その状況を『エネルギー』の様態として観測することはできない。『エネルギー』が実在するにも拘らず、その『エネルギー』の姿を眼前の空間に見る事が出来ないという、自然世界の掟によって支配されているとしか考えようがない。科学理論は実験的にその値を検証可能でなければならない人の決めた矢張り掟と言うべきものに縛られている。そこに現代物理学理論が認識不可能な空間の『エネルギー』である物の意味に在るのだろう。どんな方法でも電線路の空間に在る『エネルギー』の分布を観測することは残念ながら出来ない。それほど空間に在る『エネルギー』は神秘的な物理量である。

指数関数

電圧と電流の正体 (2013/5/16)

電圧ーその意味と正体ー

電圧とは何か? 電気工学や電気物理に関わる仕事に携わっている人はこんな疑問を抱かないだろう。電圧100ボルトあるいは3ボルトなどと日常用語としてありふれて使っていることだから。常識の言葉だから。こんな常識の科学技術用語を理解できないと言って、その正体をあばこう等と考える事を仕事にするとすればどんな仕事に成るのだろうか。全く経済的な利益を生むどころか、科学技術関係社会に反逆的な伝統破壊の行為と看做される。反発を食う研究である。そんな業務を仕事として受け入れる環境があるのだろうか。科学研究社会は、特に学術研究に属する分野では『客観性』を持って研究を進める事が要求される社会であろう。過去の先人の業績を踏襲してこそ仲間として受け入れられる社会である。それが常識の世界だ。学術研究機関に所属していれば、大いに常識に挑戦する機会もあろうが、最初から所属の無いものには不可能な事であろう。世界で誰も挑戦しない研究、「電圧とは何か?」と問う事も有意義な筈である。学術論文にも成し難い研究ではあるが。自然の本質を明らかにする重要な研究ではある。

総合科学・基礎科学・純粋科学の意義 本質を明らかにすることの意味は、誤ったり誤解した研究や方向性を質す判断基準として、総合的な評価を下すに重要なのである。経済的効果が無いと言うが、間違った高額の投資を避ける意味で経済性は大きい。それが総合科学、基礎科学、純粋科学なのである。科学研究の内容を市民が理解でき、賛同できることで初めて研究費を使う権利が得られるのだと認識すべきである。数式でなく、日常用語で高度な研究内容を説明し納得を得る事が必要になる。そこに、専門家だけの内部了解ではなく、市民社会との関わりが大切になるのだ。その時に科学の基礎概念が誰もが理解でき、疑念の無いもので初めて市民との意思の疎通ができ、健全な科学社会への安全が担保できるのであろう。そこに総合的な広い基礎科学の重要性が狭い専門性を超えて必要になるものと考える。ここでは前の電池電圧と『エネルギーギャップ』を受けて少し電圧の解釈の意味を深めてみようと思っての記事である。

電圧とは何か?電圧とは何か 電圧Eボルトの直流電源がある。銅板と銅線が図のようにつながっている。 

電圧問答電圧問答 

電圧問答 直流電圧源だから、各電圧計の指示値はすぐ分かる。ただ電圧計の繋がる位置が色々だ。電圧計は何を計るかと考えて、その電圧値に成る原因を何に因ると解釈するかを尋ねている。もし『電荷』を原因と考えると、その分布を考えなければならなくなる。さてどう考えるか?こんな問答は禅問答の部に入るようで、科学論の部門では毛嫌いされる問答である。しかし科学理論は論理性を持ってその真価と尊厳を勝ち得ている訳であるから、こんな易しい日常的な質問には朝飯前と答えられる基盤の上に成り立っている筈だ?そこで答を書こうとすれば、学校教育で教えられる教科書の内容から考える事に成ろう。どんな教科書も文科省の『学習指導要領』によって教育内容は決まっており、『電子』あるいは『電荷』による解釈しか許されていないから、その指導要領に従わざるを得ない。そこで『電子』で考えようと試みる。

電子と電圧電子と電圧 回路の一部を取り出して電圧計V1の意味を『電子』に因って考えてみよう。鉛蓄電池や燃料電池の電池機能原理は水素原子の『電子』が陰極端子から外部配線、負荷を流れて陽極に戻り、『エネルギー』供給源としての電池の役割を果たすと専門家の解説に在る。それが負荷への『電流』の電気磁気学理論に基づいた教科書的標準理論である。しかもそれは世界の物理学理論でもある。その時の電気現象の電圧には『プラスの電荷』は電池の外部回路に関与する解釈は無いようだ。すべて『電子』だけで理論的な解釈が成されている。そのような世界標準の電気論に従って、電圧計V1の『電圧』をどのように解釈すべきかを考えてみた。①電荷分布(電子)?と電圧として銅板間にどのような『電荷』分布を描けば良いかと苦心した。『電子』同士は好きではないが、有名な『クーロンの法則』に従えば、お互いが反発しあって、集合するのはいやだ、いやだと纏まらないのではと考えると、『電子』の分布予想も出来ないのでお手上げだ。理論とは不思議なもので、後生大事に守られている『クーロンの法則』があっても、そんな法則などお構いなしに『マイナス電荷』の集団と『プラス電荷』の集団同士が向き合って対峙する構図が理論の伝統的な常識・思想に成っている。しかしこの電池の場合には『プラス電荷』は出る幕が無いのが不思議だ。だから教科書に従って電池電圧を『電荷』で描こうとしたが無理だった。それでも思い直して、マイナス側の銅板に『電子』が分布したとして、電圧計を繋いでみた。それが②電圧計である。電圧計は中味の回路を見れば、単に高抵抗rとコイルlの直列につながっただけの物でしかない。電圧と評価する部分はコイル内に貯蔵されて『エネルギー』を指針の回転に利用しているだけである。特に電圧と言うような感覚的に予想する様なものを計っている訳ではない。陽極側と陰極側の銅板の間に電気回路のrl要素を繋いだ事に成る。もし陰極側の銅板に最初『電子』が集合していて、電圧が掛っていたとする。電圧計を繋ぐ前後で銅板間の電圧にどのような同じ電圧を発生・保持するかの訳を考えられるだろうか。また、図のように電圧計(負荷)を繋いだとしたら、『電子』はどのような力を何によって受けて運動すると考えれば良いだろうか。大まかな概略論でなく、厳密な基礎理論に基づいた合理的で論理的な解釈が求められる。日常用語と基礎的な科学用語での説明なら、誰でもが理解でき納得できると思う。しかしこの『問答』にはなかなか納得できる論理的な解釈が出来ないジレンマに陥るのだ。結論を言えば、『電子』や『電荷』では電池電圧の発生原因を説明できないという事である。宇宙の話や五次元空間の話は話の実体が目の前に無いから高度な数式で論じられると煙に巻かれたような気分でうんともすんとも言えないもどかしさが残る。しかし乾電池や蓄電池の話なら、電磁気学の理論検証には十分分かり易い筈だ。この電池電圧の意味が『電荷』概念では自分が納得出来ないので、『エネルギーギャップ』の電圧発生理由で解釈する様子を示す。

空間のエネルギー分布空間のエネルギー分布 エネルギーにはプラスもマイナスもない。光のエネルギーと同じく、空間に金属導体に因って束縛された状況で分布する。その分布密度を予測して図に描いて示した。その密度分布を実験的に測定する方法を見つけられるかどうかは疑問だ。『電子』の分布を描く場合に似ている結果である。プラス、マイナスと言う金属導体間にそのエネルギーは分布し、マイナスからプラスまでのエネルギー分布密度の線積分がその『電池電圧』となる。エネルギーで観る線路電圧に交流の場合を示したが、直流でも同じ事である。

交流電圧 電圧は直流も交流もその本質は同じである。主に金属導体間に掛かる電気の”何か圧力”のようなものと感覚的に捉えられる。その姿・本性を認識し難い訳は実験的に測定することが出来ない「空間エネルギー」だからである。電気の眞相(2)-電圧とは何かーに述べた。科学技術の電気工学では空間エネルギーなど観測できない物理量であるから、『エネルギー』の利用と言う眼目から、実に優れた計測量として、『電圧』を考えだした訳である。『電圧』と『電流』で電気工学の基礎を創り上げたのだから、その技術的感覚は素晴らしいと先人の業績に感謝しなければならない。交流電圧によって送配電線路が構築され、『エネルギー』利用が可能になった。その交流電圧は発電機と変圧器での発生原理に新たに「磁束」と言う概念を創り上げた事により、理解し易い『電磁誘導則』で誰でもが理解し易くなった事は科学技術の意味を理解する上で大切である。「磁束」で交流電圧を理論付ける技術感覚の意味を理解すべきであろう。さて、科学技術とその基礎概念は自然世界の『真相』と成るかと言う点で改めて考えなければならない歴史的転換点に居ると思う。電気現象の物理学的解釈は自然世界の眞相を捉えるに重要な基本認識と成っている。その自然現象・自然世界を『電圧』、『電荷』、『電流』の科学技術概念で論じようとしたとき、その論理の先には混迷の未来が待ち受けている。同様に『電界』『磁界』も自然世界に実在する『真相』ではなく、科学技術の『エネルギー』利用手段としての便利な構築概念でしかないのだという事を認識することが未来への安全の思考の基盤である。

科学技術と自然世界と教育 先人が築き上げて来た科学技術と自然世界の眞相を混同しないように理解して欲しい。『電荷』など世界には存在しないのだ。今、この事の中に見える複雑な人間意識と科学的競争社会の間に立って、未来への子供達に対する教育を考え、根本から再構築すべき時に立っている。未来への教育問題は教育機関、教育者に課せられた喫緊の課題である。過去を踏襲し、先人の業績を尊重してなどと拘泥している時ではない筈だ。

『電圧』と『エネルギー』その実験的検証 昨年は物理学概念に(『電荷』への)疑念を抱き、旅立って30年程たった時に不思議な実験を手掛けた。これも予測できた訳ではなく、何かに誘われて手掛けたような実験である。変圧器の奇想天外診断で『電圧』の意味を考える切っ掛けを得た。続いて、コイルと電圧とエネルギーおよび天晴れ(コイルと電圧とエネルギー)の実験的検証、そしてまとめとしての電気の眞相(3)-電圧と負荷ーによって『電圧』と『エネルギー』の関係を捉えることが出来たと考える。

回路とエネルギー流ー電流解剖論ー

毎日が人権侵害国家・日本。自然科学は数式で表現できる内容は極めて限られた範囲にしかならない。己の心に照らし合わせて、自分が納得できる核心に迫るだけかも知れない。回路とエネルギー流長く追い求めてきた一つの結論を表明する。電流は流れずと言い切って来た。電気回路はエネルギーを供給する機能設備である。(2017/12/16)追記。図のエネルギー流(緑色の流れ)で電源の正極に流れ込む必要はないと考え直す。2015年の変圧器の奇想天外診断での実験で、天晴れ(コイルと電圧とエネルギー)にまとめた線路間のエネルギー分布がその根拠である。以下の記事は、その電源への流入を除けば、的を得た回路のエネルギー流の解釈である。また電流計のコイル内のエネルギー貯蔵量が負荷のエネルギー消費量を直接示す意味は巧く出来ている事だ。以上追記。どのようにエネルギーが負荷に供給されるかは、物理学の究明すべき核心になる。単純な直流回路で、負荷にエネルギーが供給される基本認識を示したい。回路に流れるエネルギー及び貯蔵されるエネルギーを緑色で表現した。その流れる方向と分布を自分の心に共鳴する姿で表現した。回路配線の負側から負荷を通して電源のプラス側に流れ込むと解釈した。負荷抵抗にはそのエネルギー回流の有る分が抵抗表面からエネルギー密度流S[Js^-1^m^-2^]が内部に吸収され、エネルギー貯蔵される。その量が状況に釣り合う時点でエネルギー平衡になり、熱・光の放射量と吸収量が釣り合う。コイルのインダクタンスLにはいはゆる磁気エネルギーとして貯蔵される。
電流概念 電流と言う物理量は無い。電流と言う科学技術量はある。電流計で計測する量は誠に巧い科学技術量である。直接エネルギー流を測ることは出来ないから、電圧計と電流計とにより巧くエネルギー消費量の時間微分値を計算する方法を考えたのである。電流と電圧の正体にその計測するものの意味を記した。技術の持つ深い意味をくみ取らなければならない。しかし同時に、自然科学理論としてそれらの技術量を認識するには、あくまでも「物理量」ではない事を理解しなければならない。

エネルギーの回路主循環流量と負荷吸収消費量ー仮説ー (2018/12/05)追記。この記事を書いた2013年にはまだ十分電線路内のエネルギー流に付いて確信には至っていなかった。だから電源を通して循環するエネルギー分が有るかと迷っていた。その迷いで「主循環流量」等の意味で解釈したのであり、それは間違っていたと今は理解している。だから以下の記事は無意味であったと後悔している。以上追記。回路の電気的規模は感覚的にも、電圧が大きく規模を決めるようである。回路に流れるエネルギーの流量には、回路の電気的規模に基づく主循環流量と負荷が要求する消費量の二つがあると捉えた。これを計測する事は出来ないと思う。あくまでも自分の感覚的共鳴点としての認識である。電圧規模と回路特性により、回路主循環量が決まる。負荷の状況により電流計で計測する流量が負荷吸収量を示すように見える。その状況を図の回路の中央に循環流で示した。エネルギーの循環流速度は光速度に対してどの程度の値かは認識できない。しかし光速度に近いだろうから、主循環流量のエネルギー流量が小さくても、大きな負荷電力を供給する事は容易である。何故なら、エネルギー流量が小さくても、光速度での循環流は連続で、1秒間の負荷への積算エネルギー供給量は大きくなる。その具体的な計算例を、生活電気と『光速度』に示した。