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乾電池のエネルギーが行方不明

中学2年生が理科、技術の教科で、電池電圧の測定や白熱電球のエネルギー変換を学習している事を知った。
改めて、乾電池の原理をどの様に説明しているかと検索で調べてみた。
予想はしていたが、やはりそこには大変な誤った科学論が唱えられていると認識した。
乾電池は何の機能の製品か。電気用品や電球に『何』を供給する為の電池か。

乾電池は『エネルギー』の貯蔵電源だ。

しかし、電池機能の解説には『エネルギー』の用語がどこにも無い。

図はマンガン乾電池の場合を取り上げて概要を描いた。

構造は二酸化マンガンの練り物合剤を、正極に炭素棒、負極として亜鉛で包んだ形態である。

電池の原理(検索の記事)。負極の亜鉛Znから『電子』が分離して負荷を通って正極に戻る。ただ『電子』が負荷の外部回路を回るだけで、電池の役目は果たされた事に成っている。決して『エネルギー』の用語は何処にも出てこない。化学方程式は複雑の分子で解説されるが、そこでも『電子』は大事な役割を担っているが如くに解説される。ただ『電子』が移動すればそれで電池の機能は果たせたと。

電池の原理。『電子』など何の役にも立たないのだ。『電子』はこの自然世界に存在しない。『電荷』など無い。電池は『エネルギー』を使うための電気技術製品だ。乾電池は『エネルギー』を貯蔵した化学分子成分の開発製品だ。亜鉛の負極側から『エネルギー』が電気回路の空間を伝播して負荷に供給されるのだ。電池の亜鉛と合剤の間の接合面での二つのエネルギー順位差が生じる。それを『エネルギーギャップ』と呼んでいる。丁度化学論での、イオン化傾向によるエネルギー活性度の差の様なものだ。化学物質の合剤が亜鉛に対して持つエネルギー順位がその乾電池の『エネルギー』保有能力として、電池電圧として現れる。

電池電圧。

乾電池に電圧計を繋げば、乾電池の電圧値が測れる。電圧計の中身を示せば右図のよう抵抗とコイルの直列回路の電気回路である。そのコイルをマグネットの間に吊るして、電圧値に応じてコイルが回転する回転角で測定するのである。

電池はどのような回路を繋ごうと、同じ電圧値を示す。その訳は何か?

さて、電圧計の内部構造を示した訳は、それは『電子』がどの様な機能を持ってコイルの回転力を生むかを解釈してもらわなければ成らないからである。電池の原理で『電子』論で解説する方は電子がコイルの導体の中を流れると、コイル導体がマグネットの磁気と『電子』の物理的定義概念との間にどのような力が生じるかを御説明頂かなければ成らない。『電子』の電荷と質量が磁気に作用する訳を。電荷と磁気とはお互いに独立した物理概念として仮想されている。

また『電流』は『電荷』の時間微分値だ一定の『電子』の流れの『電流』の値は零だ。(2021/07/06)追記。この文章の意味を少し説明しておく。『電流』=「電荷」の時間微分値=dQ/dt [A]だ。電線内の電荷の分布量が時間的に変化しないと電流は〇となる。しかし、電線路内を一定の電荷が流れ続ける状態を『電流』と見做せば、ゼロとはならない。多分一定電流という意味を電荷が電線の或る断面を一定の割合で流れ続ける状態と解説されているかも知れない。恐らくその解説しか取れない筈だ。さて、その解釈を採るとすれば、電線のすべての内部に『電子』が等しく充満して、何処の電線内部も一定の電子密度の分布した、電線全体が負の電荷の充満導体となる。そのような状態を、電線外部から電気現象を観測したとき、『電荷』が流れている等とは分からない筈だ。しかも電線路の『電圧』の意味もかき消されて、電気の現象など何も現れない筈だ。科学理論の本当の姿はこんな単純な極めて易しい内容の意味を深く追求することによって、多くの矛盾に満ちた姿が隠されているのだ。科学理論の怪しさは、一般の市民が太刀打ちできない高度な、怪しい概念を『高等数式』で表現するところにその魔術的意味がある事が多いのだ。日常用語の論理性で深く意味を追究することで、矛盾や曖昧さを理解できるのだ。電流の電荷時間微分値という意味一つでも、『電流』概念を深く理解できる筈だ。その意味で追記した。

電池開発研究者はいるが、その製品の科学技術理論を解説できる科学者がいない。電池の中から『エネルギー』が何故発生するかを解説できる科学者が一人もいない。

電池の回路でエネルギー変換の現象を中学生に教える。電池の『エネルギー』の意味が解説できる科学者もいない中で、中学校の先生が『エネルギー変換』を教えるとは如何なる事か。何処かが狂っているとしか思えない。

『電子』に依る解説論法が、自然現象の意味を考える習慣を失わせてしまった。それが科学理論の矛盾を放置させてしまった。だから今でも、物理学理論で、空間に実在する『エネルギー』の概念・認識が無い。光の空間エネルギー分布の認識が無い。

中学生に期待する。『エネルギー』が如何なるものかを理解してほしい。新しい科学理論の未来に向かって、その先陣を担ってほしい。自然は君たちの心を未来に待っている筈だ。

電池と電圧(エネルギーの基礎研究)

自然の本質(2019/11/13)。科学の世界はとても大きい。しかし、その本質は極めて単純にして純粋である。『エネルギー』一つの世界が自然の本質である。水素原子もその根源はただ一つの『エネルギー』の集合体でしかない。それなら『エネルギー』とは何かと問答になる。今日はハヤブサ2がリュウグウの岩石を採取して地球への帰還の途に就いたと報じられた。目出度い事です。地球の岩石の分析と合わせて研究が進むことお祈りします。

電池はエネルギーの供給源

電池のエネルギーとはどんなものか?その『エネルギー』をどのように認識するか。そんな意味を考えて、明確な解釈ができるような考究も科学基礎研究になる筈だ。決して経済競争に資する話ではない。科研費を要求するような研究でもないが。その訳は、次のような意味でも大切であろう。科学的手法でその『エネルギー』を測定する方法がない。『エネルギー』は秤にかからない。ジュール量を測定できない。『エネルギー』の極限は一粒の光の空間分布エネルギーだ。決してそれを見たり感じたりはできない。しかしその『エネルギー』は目の前に無限に存在している。木も草も花も石も光の賜物である。光が無ければ地球も存在しない。そんな不思議な『エネルギー』を電池の中に関連付けて思い描いてみたい。

図1.電圧実験回路 電圧vsの電池がある。容量 C[F] のコンデンサがダイオードを通して図のように電池に繋がった回路を想定する。我々は『エネルギー量』を測定できないから、その量を電圧値によって解釈するしかない。電気回路の解釈において、電気技術では電圧値が重要な量となる。電線路には必ず静電容量がある。その容量C[F]が電線路の空間に在る『エネルギー量』を認識する大切な回路要素である。電圧値ではエネルギー量は分からない。静電容量の値で、同じ電圧値でもそのエネルギー量は変わる。図1.のような回路で電池の電圧という意味をコンデンサの静電容量を変化させて、考えてみたい。

可変コンデンサ。ラジオ放送電波の受信には周波数検波用にバリコンが使われる。

図2.可変コンデンサC(ωt)  たとえば図のような二組の円盤で、1つが周期ω[rad/s]で回転するとする。コンデンサ容量は周期関数で変化する筈である。

図3.容量 C=εkA[F] 回転電極がO-Poの軸からの角度θの位置で重なり面積Aが決まり、コンデンサ静電容量もほぼその位置の関数と考える。なお回転速度は一定でなく、任意でよい。ε[F/m] は極版間の誘電率で、kはギャップなどの構造による定数である。

電圧値v[V]は?電圧はどのように変化するか。コンデンサ電圧は電池電圧より下がらない筈。回路のスイッチがオフの場合を先ず考えよう。回転盤の重なり面積がAoの最大の時に、コンデンサには最大のエネルギーが貯蔵される。面積がそこから減少すると、コンデンサ端子電圧vは上昇する。貯蔵エネルギーの最大値をEm[J]とする。電圧はコンデンサ容量C[F]によって、

v=(Em/C)^1/2^ [V]        (1)

と変化する。重なり面積がゼロとなれば、相当高い電圧値になろう。電極版の回転によって、周期電圧波形となろう。この意味が電線路電圧の意味を理解するに基本となる。この『エネルギー』による解釈に対して、『電荷』論を主張するでしょう。もし『電荷』Qm[C]で解釈するなら、電圧は

v=Qm/C [V]                          (2)

と静電容量に反比例する筈だ。平方根で変化するか、反比例で変化するかで、答えは得られるはずだ。『電荷』概念矛盾の結果になる筈だ。

図1.でスイッチがオンの場合。今度はコンデンサの電圧vと電池電圧vsとの関係で電池にエネルギーが回収される。電池の種類により、電池充電の特性が異なるから、様々な結果になろう。

図4.コンデンサ容量とエネルギー(係数1/2はその意味が確認できないので省く) コンデンサ容量Cは図のように変化する。図の打点部分が静電容量ゼロに向かって変化するときの、コンデンサエネルギー放電(電池エネルギー回収)特性による電圧変化の様子を想像で記した。もしスイッチオフの場合なら、ωt=2πで静電容量ゼロ近くで電圧は最大値に跳ね上がる筈だ。

インダクタンスの場合の例。

ついでにインダクタンスのエネルギー量と電圧の関係を考えてみた。

図1-2.電圧実験(2)

L-r 負荷のスイッチSオフによってLのエネルギー処理の問題が起きる。Lの貯蔵エネルギーは必ず放出しなければ済まない。この場合も余分エネルギーの放出による電池充電動作に入る。Lの電圧とエネルギー量El[J]との関係は図のようになる。

(2019/12/27)追記。上の図1-2 電圧実験(2)に示した回路には不備がありました。修正して電池充電現象の回路を示す。

訂正回路

右のように負荷ランプとスイッチS’の回路とした。スイッチS とS’同時にオフとする回路に変更。コイルのエネルギーはコンデンサCの放電と同時に電源の電池へのエネルギー充電とランプ負荷消費の回路動作となる。なおコイルエネルギーの次元は[J]=[FV^2^]とも解釈できる。L/r^2^[F]だから。以上追記。

電池がマンガン電池の場合、どの様な現象になるか不明だ。アルカリ乾電池では電池でエネルギー回収が起きるようだ。それは 電池と電圧(エネルギーの実験)  で確認した。

まとめ

(エネルギーの基礎研究)というには内容が乏しい結果だ。しかし、電池についてその電気現象を理解するにはとても多くの基礎概念の関係を解きほぐさなければ成らない。次々と理解困難な問答に突き当たり、際限のなさに戸惑う。やはり、『エネルギー』という物理的実在量の意識化が是まで為されてこなかったところに大きな欠陥があるからと思える。電圧とはこの『エネルギー』の技術的評価量であることを認識してほしくて、静電容量との関係でこの記事にした。

電圧-その意味と正体-

(2022/02/21) 追記。時々この記事が読まれている。この時、6年ほど前の思いが今漸く実を結んだ。例えば、瞬時電力の具象解剖 (2022/02/03)などになった。科学技術概念『電圧』と電気回路現象の物理的認識としての新しい捉え方即ち『エネルギー』の流れとして認識する事との意味の違いを示すことが出来た。

電圧とは何か? 電気工学や電気物理に関わる仕事に携わっている人はこんな疑問を抱かないだろう。電圧100ボルトあるいは3ボルトなどと日常用語としてありふれて使っていることだから。常識の言葉だから。こんな常識の科学技術用語を理解できないと言って、その正体をあばこう等と考える事を仕事にするとすればどんな仕事に成るのだろうか。全く経済的な利益を生むどころか、科学技術関係社会に反逆的な伝統破壊の行為と看做される。反発を食う研究である。そんな業務を仕事として受け入れる環境があるのだろうか。科学研究社会は、特に学術研究に属する分野では『客観性』を持って研究を進める事が要求される社会であろう。過去の先人の業績を踏襲してこそ仲間として受け入れられる社会である。それが常識の世界だ。学術研究機関に所属していれば、大いに常識に挑戦する機会もあろうが、最初から所属の無いものには不可能な事であろう。世界で誰も挑戦しない研究、「電圧とは何か?」と問う事も有意義な筈である。学術論文にも成し難い研究ではあるが。自然の本質を明らかにする重要な研究ではある。

総合科学・基礎科学・純粋科学の意義 本質を明らかにすることの意味は、誤ったり誤解した研究や方向性を質す判断基準として、総合的な評価を下すに重要なのである。経済的効果が無いと言うが、間違った高額の投資を避ける意味で経済性は大きい。それが総合科学、基礎科学、純粋科学なのである。科学研究の内容を市民が理解でき、賛同できることで初めて研究費を使う権利が得られるのだと認識すべきである。数式でなく、日常用語で高度な研究内容を説明し納得を得る事が必要になる。そこに、専門家だけの内部了解ではなく、市民社会との関わりが大切になるのだ。その時に科学の基礎概念が誰もが理解でき、疑念の無いもので初めて市民との意思の疎通ができ、健全な科学社会への安全が担保できるのであろう。そこに総合的な広い基礎科学の重要性が狭い専門性を超えて必要になるものと考える。ここでは前の電池電圧と『エネルギーギャップ』を受けて少し電圧の解釈の意味を深めてみようと思っての記事である。

電圧とは何か?電圧とは何か 電圧Eボルトの直流電源がある。銅板と銅線が図のようにつながっている。 

電圧問答電圧問答 

電圧問答 直流電圧源だから、各電圧計の指示値はすぐ分かる。ただ電圧計の繋がる位置が色々だ。電圧計は何を計るかと考えて、その電圧値に成る原因を何に因ると解釈するかを尋ねている。もし『電荷』を原因と考えると、その分布を考えなければならなくなる。さてどう考えるか?こんな問答は禅問答の部に入るようで、科学論の部門では毛嫌いされる問答である。しかし科学理論は論理性を持ってその真価と尊厳を勝ち得ている訳であるから、こんな易しい日常的な質問には朝飯前と答えられる基盤の上に成り立っている筈だ?そこで答を書こうとすれば、学校教育で教えられる教科書の内容から考える事に成ろう。どんな教科書も文科省の『学習指導要領』によって教育内容は決まっており、『電子』あるいは『電荷』による解釈しか許されていないから、その指導要領に従わざるを得ない。そこで『電子』で考えようと試みる。

電子と電圧電子と電圧 回路の一部を取り出して電圧計V1の意味を『電子』に因って考えてみよう。鉛蓄電池や燃料電池の電池機能原理は水素原子の『電子』が陰極端子から外部配線、負荷を流れて陽極に戻り、『エネルギー』供給源としての電池の役割を果たすと専門家の解説に在る。それが負荷への『電流』の電気磁気学理論に基づいた教科書的標準理論である。しかもそれは世界の物理学理論でもある。その時の電気現象の電圧には『プラスの電荷』は電池の外部回路に関与する解釈は無いようだ。すべて『電子』だけで理論的な解釈が成されている。そのような世界標準の電気論に従って、電圧計V1の『電圧』をどのように解釈すべきかを考えてみた。①電荷分布(電子)?と電圧として銅板間にどのような『電荷』分布を描けば良いかと苦心した。『電子』同士は好きではないが、有名な『クーロンの法則』に従えば、お互いが反発しあって、集合するのはいやだ、いやだと纏まらないのではと考えると、『電子』の分布予想も出来ないのでお手上げだ。理論とは不思議なもので、後生大事に守られている『クーロンの法則』があっても、そんな法則などお構いなしに『マイナス電荷』の集団と『プラス電荷』の集団同士が向き合って対峙する構図が理論の伝統的な常識・思想に成っている。しかしこの電池の場合には『プラス電荷』は出る幕が無いのが不思議だ。だから教科書に従って電池電圧を『電荷』で描こうとしたが無理だった。それでも思い直して、マイナス側の銅板に『電子』が分布したとして、電圧計を繋いでみた。それが②電圧計である。電圧計は中味の回路を見れば、単に高抵抗rとコイルlの直列につながっただけの物でしかない。電圧と評価する部分はコイル内に貯蔵されて『エネルギー』を指針の回転に利用しているだけである。特に電圧と言うような感覚的に予想する様なものを計っている訳ではない。陽極側と陰極側の銅板の間に電気回路のrl要素を繋いだ事に成る。もし陰極側の銅板に最初『電子』が集合していて、電圧が掛っていたとする。電圧計を繋ぐ前後で銅板間の電圧にどのような同じ電圧を発生・保持するかの訳を考えられるだろうか。また、図のように電圧計(負荷)を繋いだとしたら、『電子』はどのような力を何によって受けて運動すると考えれば良いだろうか。大まかな概略論でなく、厳密な基礎理論に基づいた合理的で論理的な解釈が求められる。日常用語と基礎的な科学用語での説明なら、誰でもが理解でき納得できると思う。しかしこの『問答』にはなかなか納得できる論理的な解釈が出来ないジレンマに陥るのだ。結論を言えば、『電子』や『電荷』では電池電圧の発生原因を説明できないという事である。宇宙の話や五次元空間の話は話の実体が目の前に無いから高度な数式で論じられると煙に巻かれたような気分でうんともすんとも言えないもどかしさが残る。しかし乾電池や蓄電池の話なら、電磁気学の理論検証には十分分かり易い筈だ。この電池電圧の意味が『電荷』概念では自分が納得出来ないので、『エネルギーギャップ』の電圧発生理由で解釈する様子を示す。

空間のエネルギー分布空間のエネルギー分布 エネルギーにはプラスもマイナスもない。光のエネルギーと同じく、空間に金属導体に因って束縛された状況で分布する。その分布密度を予測して図に描いて示した。その密度分布を実験的に測定する方法を見つけられるかどうかは疑問だ。『電子』の分布を描く場合に似ている結果である。プラス、マイナスと言う金属導体間にそのエネルギーは分布し、マイナスからプラスまでのエネルギー分布密度の線積分がその『電池電圧』となる。エネルギーで観る線路電圧に交流の場合を示したが、直流でも同じ事である。

交流電圧 電圧は直流も交流もその本質は同じである。主に金属導体間に掛かる電気の”何か圧力”のようなものと感覚的に捉えられる。その姿・本性を認識し難い訳は実験的に測定することが出来ない「空間エネルギー」だからである。電気の眞相(2)-電圧とは何かーに述べた。科学技術の電気工学では空間エネルギーなど観測できない物理量であるから、『エネルギー』の利用と言う眼目から、実に優れた計測量として、『電圧』を考えだした訳である。『電圧』と『電流』で電気工学の基礎を創り上げたのだから、その技術的感覚は素晴らしいと先人の業績に感謝しなければならない。交流電圧によって送配電線路が構築され、『エネルギー』利用が可能になった。その交流電圧は発電機と変圧器での発生原理に新たに「磁束」と言う概念を創り上げた事により、理解し易い『電磁誘導則』で誰でもが理解し易くなった事は科学技術の意味を理解する上で大切である。「磁束」で交流電圧を理論付ける技術感覚の意味を理解すべきであろう。さて、科学技術とその基礎概念は自然世界の『真相』と成るかと言う点で改めて考えなければならない歴史的転換点に居ると思う。電気現象の物理学的解釈は自然世界の眞相を捉えるに重要な基本認識と成っている。その自然現象・自然世界を『電圧』、『電荷』、『電流』の科学技術概念で論じようとしたとき、その論理の先には混迷の未来が待ち受けている。同様に『電界』『磁界』も自然世界に実在する『真相』ではなく、科学技術の『エネルギー』利用手段としての便利な構築概念でしかないのだという事を認識することが未来への安全の思考の基盤である。

科学技術と自然世界と教育 先人が築き上げて来た科学技術と自然世界の眞相を混同しないように理解して欲しい。『電荷』など世界には存在しないのだ。今、この事の中に見える複雑な人間意識と科学的競争社会の間に立って、未来への子供達に対する教育を考え、根本から再構築すべき時に立っている。未来への教育問題は教育機関、教育者に課せられた喫緊の課題である。過去を踏襲し、先人の業績を尊重してなどと拘泥している時ではない筈だ。

『電圧』と『エネルギー』その実験的検証 昨年は物理学概念に(『電荷』への)疑念を抱き、旅立って30年程たった時に不思議な実験を手掛けた。これも予測できた訳ではなく、何かに誘われて手掛けたような実験である。変圧器の奇想天外診断で『電圧』の意味を考える切っ掛けを得た。続いて、コイルと電圧とエネルギーおよび天晴れ(コイルと電圧とエネルギー)の実験的検証、そしてまとめとしての電気の眞相(3)-電圧と負荷ーによって『電圧』と『エネルギー』の関係を捉えることが出来たと考える。