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焚火の科学

追記(2018/06/02) 燃焼の不思議。焚火の科学などと記事にした。後から考えるとまた分からない事が増えた。焚火は古代からの人の生活文化でもあった。現代では焚火は生活からほとんど消えた。残ったのは炭素と酸素の化学反応方程式だけのようだ。温かみも無く、ただ無味乾燥な記憶の科学理論だけである。薪が何故燃えるのだろうか?炭素と酸素が結合して、炭酸ガスになると何故熱エネルギーが発生するのだろうか。科学理論の本来の有るべき意味は何だったのだろうか。自然現象を前にして、その因って立つ原因や本質を自分の心に納得出来るかを求める作務ではなかろうか。化学方程式で書き表されただけで、何故燃焼が起き、熱エネルギーが発生するかを得心出来るのだろうか。その求めるべき科学理論の有り方を考えて来なかったのではなかろうか。決して『電子』では得心には至らないと思う。

燃焼の不思議 燃料が燃焼して熱エネルギーを発生する。酸素と薪が有っても決して燃焼しない。化学方程式には何の燃焼の条件も示されていない。発生する大事な熱エネルギーさえ無視されている。燃料電池が最先端科学技術として研究開発されている。水素元素の放射スペクトラムは物理学基礎理論として仰々しく論じられてきた。しかし燃料電池の水素の燃焼条件は理論的には何も分からないのではなかろうか。実際は技術として確立しているから、どのような温度とかどのような触媒で有れば効率が良いとかは分かっているだろう。その条件の訳が理論的に分かっているかと言うことが科学理論の求める姿であろう。その水素の変化とか酸素の変化とかが無ければ特別燃焼、酸化反応の環境条件など必要ではない筈だ。元素が化学反応する為に変化する条件が必要な訳であろう。薪が燃焼するに必要なその環境がある。熱エネルギーに因って蒸気ガスにならなければ燃焼には至らないという物理的条件がある。持続して熱エネルギーを採り出すにはどのような条件が必要かを明らかにすることが科学理論として求められている事ではなかろうか。『電子』では説明できない筈である。燃焼の条件を満たした炭素や酸素は、それまでの前の状態と異なっている筈だ。炭素や酸素が燃焼可能条件に達するに必要な熱エネルギーを吸収して、その後に燃焼反応に至る訳だから、その差の熱エネルギーが有効に利用可能な熱エネルギーになる訳である。燃焼の自然現象を理解するという意味には、そこにとても複雑な内容を含んでいるということを理解する必要があろう。少なくとも熱エネルギーを付け加えた方程式で表現する必要があろう。熱エネルギーを『電子』で理論的に説明できれば良いのだが?御免なさい、電荷を捨てて、元素ってどんな構造をしているのかと考えるから益々混乱した事を書いてしまうのだろう。済みません、過去に同じような記事焚火と蝋燭を書いていた。

焚火をすれば、周りの人は暖かくなる。その自然現象を表現してみよう。大雑把に考えてみた。(2018/10/18)追記。この記事を書いた後、最近になって初めて知った。高等学校の化学では、化学反応式にエネルギーが示されていることを。エネルギーと結合にも述べた。従って以下の記事は時代遅れの知識の基での内容であり、大変失礼なことで申し訳ない。少し安心した。

C + O2 = CO2       (1)

焚火の燃料を薪とすれば、その主な燃料成分は炭素 C であろう。炭素の燃焼には酸素が関わる。炭素と酸素の燃焼の化学式は上のように表される。学校で学習するのはこのような式の意味を理解することであろう。

さて、焚火をして寒さを凌いで温まるのを目的とする。その自然現象を式に表すとしたらどうなるか。上の式では温まれない。何が足りないか?体を温める焚火の炎から放射される光や熱線が式には表されていない。

C + O2 = CO2 + [光・熱エネルギー]    (2)

化学方程式には『エネルギー』が書き表されていない。大事な物理的自然現象の意味はその『エネルギー』にある。炭素Cと酸素分子O2が結合して炭酸ガスCO2となる。(1)式と (2)式の違いは[光・熱エネルギー]の有る無しである。化学式の左右が等号で結ばれている意味は左右の表現する科学的内容が等価であることと認識している訳である。

何が等価であるか 炭素も酸素もその元素記号で示す内容が同じものとしたら、即ち質量などが等しいとしたら、[光・熱エネルギー]を付け加える訳にはいかないのである。しかし自然現象に隠されたものは、左右の炭素、酸素が決して同じものと考えてはいけない事である。[光・熱エネルギー]分だけ炭素と酸素が化学結合することに因って、素の炭素と酸素とは異なったものであると考えなければならない。[光・熱エネルギー]で暖を採れるのだから、それは確実に実在している物理量である。この『エネルギー』を書き表さない化学式は間違っている。

鉛蓄電池のエネルギー 鉛蓄電池はとても優れた『エネルギー』源である。その『エネルギー』源としての化学式を書いてみましょう。

Pd + H2SO4 = H2 + PdSO4

H2 + (1/2)O2 = H2O

と化学式では表現される。

さて鉛蓄電池の『エネルギー』はどこに行ったのか?利用するべき『エネルギー』が何処にも無いのである。焚火の場合は、温まるという実感が分かり易い現実としてあるから、[光・熱エネルギー]を付け加えることが必要とは理解出来よう。しかし、鉛蓄電池になるとちょっと説得するのが困難なほど、科学理論では『エネルギー』の意味が良く理解されていないようである。上の硫酸と鉛の化学反応式には必ず『エネルギー』が付け加えられなければ、科学理論式とは言えない筈だ。

むすび 電池の化学式には『エネルギー』が書き加えられない限り、理論式として不完全である。その『エネルギー』の意味を焚火に託して一言述べた。電子で『エネルギー』を供給すると言うなら、電池からどのように電子がその役割を果たすかの論理的な解説ができなければならない筈だ。論理性が大切な科学論で、ただ電子が負荷を通るだけじゃ、理屈の分かる科学者の論としては「ただ子供の使いじゃあるまいし、もっと理論的に説明すべきだ」と非難されても止むを得なかろう。ただ電子に曖昧さをの責任を負わせて逃げている事では教育に成っていなかろう(2019/06/17追記)。

電池電圧と『エネルギーギャップ』

考えない理科の村で科学を学ぶ 科学リテラシーと言う用語がある。みんなが科学に理解ある社会に成ろうということなんだろう。しかしそれには余りにも多過ぎる分野と内容を覚え、記憶する必要が高い絶壁となって道にそびえる。科学リテラシーの最大の問題は教育する側の「考えない教育者」の問題であろう。日常生活での不図思い付く科学的疑問に答が得られないのは何故だろうか?『乾電池の電圧』は何故1.5ボルトなのか?『鉛蓄電池の電圧』は何故2ボルトなのか?答は突然難しい化学反応方程式で説明されて、『電子』が解説の主役の舞台の演舞場となる。観客は化学方程式を覚えないと『電池電圧』の値の訳が理解できないのかと、必死に科学の学習に努める。しかし、その内に『電池電圧』を尋ねる事も忘れて、理科の村のしきたりに同化されてゆく。こんな理科教育はいけないよ。どこにも『電池電圧』の訳を解説するものが無い。教育者が化学方程式から、『電子』をとりだして鉛蓄電池のセルの電圧が2ボルトに成る事を説明できなければ、『電子』による科学論の科学リテラシーなどと言えなかろう。『電子』を取上げる時、それには『質量』と『電荷』が対等にある筈なのに、電気回路に成ると『質量』は置いてけ堀にされるが、それで『電子』の顔がたつのだろうか。筆者も『電子』『電荷』という科学概念が理解できないため、『エネルギー』一つを頼りに考えて来た。電池の原理を問うで鉛蓄電池について述べたが、昨年からの電気回路の線路電圧のエネルギー分布の解釈が纏まった事から、電池電圧の意味を改めて考え直してみた。
何が電池電圧を決めるか

電池電圧の命題電池電圧の命題 電池には多くの種類がある。乾電池、鉛蓄電池、太陽電池更に燃料電池とその動作原理が異なるように見え、しかもそれぞれに決まった電池電圧の値を発生する。その電圧値に成る訳を説明できないようである。科学理論は数学の解析式で解釈するのが高度の科学論と誤解されているようだが、電池電圧値の訳さえも数式では決して示せない事を良く認識すべきだ。『電子』や『電荷』では決してその電池電圧値を論理的に説明できないのだ。
エネルギーギャップ 『電子』で電圧の発生原因を説明できないとなれば、他に何かその自然現象としての本質的な原因がある筈である。

鉛蓄電池の原理鉛蓄電池の原理 鉛蓄電池の基本単位はセルと言われ、その端子電圧が2[V]に決まっている。それを6個つなげると12[V]の電源となる。電池については全くの素人がこんな事を書き記すのは所謂科学者としては専門家から見れば論外の話に成る。化学魔の還元ー電池電解編 には標準的な解説が成されている。その解釈には満足出来ずに、上のような意味で電池電圧の意味を解釈する。電圧の発生原因を陰極電極の金属元素の鉛Pdと電解液の希硫酸H2SO4間の接触面で『エネルギーギャップ』が生じる事と観る。すべての電圧発生原因は陰極に掛かっていて、陽極は殆ど影響なしと解釈したい。更に鉛蓄電池の放電現象の説明を見ると、陰極面の鉛が硫酸との化学反応で表面が白く覆われると有るから、勝手に亜硫酸鉛PdSO3 が出来たからでないかと考えた。その意味は、陽極PdO2がエネルギー的に硫酸と平衡していると考え水発生の意味をエネルギー放出の原因と捉えたからである。燃料電池のエネルギー放出の直接的原因は水素と酸素の反応の水発生である。水は生命の基であるだけその世界は限りない謎を含んでいる。水のお伽の世界 に描いた絵図のように水の生成・分解は『エネルギー』そのものの根本原因を成している。鉛蓄電池も水の生成として陰極面の『エネルギーギャップ』を電池電圧の空間エネルギー分布として負荷へのエネルギー供給に資するものと考えた。

物質間のエネルギーギャップ 物にはその物に特有の特質がある。特に純度の高い金属、気体あるいは分子、原子となるとそれぞれ特質が際立つ。硫酸は物を溶かす化学的性質が強い。その製造方法では、硫黄から酸化硫黄更に水と反応させて、硫酸となる。その製造過程では、すべての過程で発熱現象を伴うように説明されている。普通は分子結合で発熱を伴えば、基の物質の方がエネルギーを多く保有していて、分子結合によって熱エネルギーを放射すれば、そのエネルギー分だけ結合分子のエネルギーは減少すると考えたいが、最終段階で出来上がった硫酸はその化学的反応作用の強さを考えれば、むしろエネルギーの保有状態が高まっているとしか考えられない。その訳が理解できない大きな疑問として残る。物理現象、化学現象を考える時、先ずその現象の前後に置いて、『エネルギー保存則』は成り立っているかを思う。鉛蓄電池の電解液と言う硫酸の化学的反応力は何故そのように強いのかをエネルギーの保有の対象物質への影響力に成るからだと考えたい。硫酸の持つ特有な性質が何故生まれるのかを『問答』として取り上げるかどうかが「考える理科」の課題であると思う。蓄電池は放電すると電解液の比重が低下する。硫酸が分解して、水分子に成る変化と考えたい。その『水』の分離のエネルギー放出を蓄電池のエネルギー源と考えたい。金属鉛と硫酸との二つの物質間の保有エネルギーレベルの境界面での処理現象が『鉛蓄電池』のエネルギー源としての原理と観たい。物質とエネルギーレベルあるいはエネルギーギャップの問題は熱エネルギーと金属の接合問題として、トムソン効果、ペルチエ効果、ゼーベック効果などに観ることのできる現象である。

電池の原理を問う

電気の不思議に魅せられて、自然の意味を説き明かす科学技術の大きな足跡として、ボルタの電池を挙げて良かろう。電池について、電池・電気分解に良く解説されている。しかし、残念ながらその解説では私は満足できない。理解できないのである。電圧ー物理学解剖論ー に乾電池の電圧は何故1.5ボルトなのかと疑問を呈した。マンガン乾電池は塩化アンモニュームや酸化マンガンを澱粉で練り合せて、炭素棒(+極)と亜鉛(-極)の電極材で構成されている。そんなうまい組み合わせを見つけた技術に感服する。1.5ボルトと言う標準電圧に決めた過程も中々興味あることだ。設計者・発明者はその電池構成が1.5ボルトになる事を理論的に認識していた訳ではなかろう。今、何故1.5ボルトになるかを問うても明確に答えられないのじゃないかと思う。乾電池の練り物が1.5ボルトと成る意味が分からない。これは日常生活の中の極めて科学技術の本質を問う『問答』のように思う。難しい一般相対性理論等の学問に対して、より市民科学のあるべき姿を問う問題であろう。一つの解決の道のりとして、乾電池の使用済みの電解質練り物の状態が初期状態と何がどのように変わっているかを調べる事かも知れない。しかし、決して利益を生まないかもしれない事には、現在の科学研究体制は許さない窮屈さに縛ららている。しかし、理科教室の場合はできるかもしれない。乾電池1.5ボルトの意味を探る実験。学校の理科教育・科学教育の在り方を問うのである。化学式で解説されるが、少し疑問に思うと、本当の事が分からなくなる。教える先生方は、その内容を深く理解しているなら、当然応えられる筈だ。電子が流れて化学式のように巧く説明され、実に世界の真理のような印象を与えるに十分な説得力を持っている。はじめて学習する子供達に対しては。その子供たちが学習すべき世界標準の教育内容が整っている訳である。その事がとても多くの学習すべき、記憶すべき負担を強いているとは考えないのだろうか。むしろ疑問を提起することで、より印象強く記憶に残るとも言えよう。

金属のイオン化傾向 これは化学の学習内容になるのだったか。金属元素にはイオンになり易いものとなり難い物があると言う。しかし『電荷』を否定する立場からすれば、原子のイオン化と言う意味さえ理解できないのだ。しかし、実際に原子の間にはイオン化と言う或る特性において、決まった序列が発生している訳である。その意味をどのように解釈するかの『問答』である。『熱エネルギー』で解釈したい。金属が溶液内で変化する溶融と析出の現象をどのように解釈するかである。物理学、化学では電子のやりとりで解説される。電子と言う意味を何で捉えるかと言うと決して『質量』では考えず、『電荷』だけで理解するだろう。全く『質量』のやりとりの意味を説明できないから。それなら電子等と言わずに、『電荷』と言えばそれで良かろう。物理学では、『質量』が無いと論理を展開できないジレンマを抱えているのだ。『電荷』だけが独立の世界の実在とは言えないのだ。

硫酸銅に亜鉛板を入れた時の現象 イオン化傾向と言う金属特性の解釈法。原子量の小さい原子程、一般的にイオン化傾向は強い。亜鉛Znと銅Cuでは、亜鉛がイオン化の力が強い。だから亜鉛が融け、硫酸銅の銅が固体金属として析出すると言う風にイオン化傾向で解釈される。何故金属にイオン化傾向と言う差が生じるかは問わない。イオン化傾向と言う順序を覚える事を要求される。イオン化傾向と言う金属元素間の物理現象の意味は、熱エネルギーのやりとりの問題なのである。亜鉛が融解し、銅が析出するのは銅から『熱量』が亜鉛に移動する現象である。電解液の温度の環境下で、銅と亜鉛の保有エネルギーの余剰と不足の関係から起こる金属元素間の物理現象と観る。固体の状態がその元素の保有エネルギーレベルのより低い状態に在ると観る。融解するには熱などのエネルギーを吸収する必要がある。分子より原子の方がエネルギーレベルは高い。燃料電池は水素と酸素のエネルギーレベルの高い元素が結合する事により、水分子のエネルギーレベルの低い状態になるから、余剰熱エネルギーを放出し、動力源として利用できるのである。金属だけではない。水の沸騰も気体になるには蒸発熱を吸収する現象である。元素には特有の熱エネルギーに対する特性差が潜んでいると解釈したい。原子と分子の妙 を書きかけのまま結論がまとまらない。物理・化学の基本問題に素人が意見を書く失礼をご容赦ください。燃料電池は水素が燃料だ。エネルギー問題で、自動車の排気ガスはなくなり、水だけを排出するから空気汚染は解決される。しかし水素製造には電気エネルギーを使わなければならない。その社会システム構築に費やすエネルギー消費問題は、経済成長と言う美名の基に隠されてしまう。地球温暖化の問題が燃料電池自動車で解決される訳でない事を科学技術社会の基本問題として捉えた置かなければならない。水素を創るエネルギー消費と燃料電池の社会的エネルギー消費問題。

鉛蓄電池 1859年、フランス人プランテの発明とある。鉛蓄電池は今も使い続けられている優れた発明だ。150年以上使われ続ける科学技術製品だ。驚くべき歴史を踏襲した製品だ。そんな意味も意識したい。鉛蓄電池も『熱エネルギー』で原理を解釈したい。

鉛蓄電池の解釈鉛蓄電池と陰極

『電荷』否定の新しい蓄電池の解釈を図に示す。鉛蓄電池の電極は陰極の鉛と陽極の酸化鉛で構成される。硫酸が電解液で、陰極の鉛が溶融して、硫酸鉛となると、蓄電エネルギーが消費され減少する。陽極の酸化鉛(二酸化鉛PbO2で上の図に誤りあり)は教科書的解釈では、水素による阻害を抑える減極剤としての働きを兼ねていると。もし陽極も鉛Pbなら電池にならない。鉛蓄電池の原理は陰極と硫酸との境界面に全てが組み込まれていると観る。イオン化傾向で、PbとHは隣接する。硫酸に亜鉛を使えば、激しく反応して、やはり電池にならない。穏やかに蓄電エネルギーを放出できるのは、隣同士のエネルギー保有差が小さいからと考える。鉛が融解して硫酸鉛PbSO4になる時、保有熱エネルギーを放出する。この保有熱エネルギーと言う意味も分かりにくいかもしれない。それは、原子構造が電子概念を否定したうえでの解釈でなければ分かりにくいと言う事になろう。上に挙げた『原子と分子の妙』のエネルギー流の磁気模様で捉える必要がある。磁気エネルギー流は、その量的増減は自由に変化しうると考えれば良かろう。その環境自身がエネルギーの空間だから、エネルギー吸収・放射も変化しうる自由にある。鉛の外界へのエネルギー流の影響と希硫酸の電解液のエネルギー環境との間の何らかの干渉がエネルギー不均衡の修正として関係づけられると解釈する。それが鉛の融解現象の意味との理解である。更に水素も酸素と反応して(燃料電池)更にエネルギーを放出する。その合成分が陰極から負荷に供給される電気エネルギー(熱エネルギー)である。この解釈では、陽極は殆どエネルギー放出に関わらない。その為、鉛蓄電池の『電圧』は陰極と電解液の接触面に、その全ての原因を秘めていると観る。図②にその意味を示した。熱と電気の関係は雷は熱爆発に於けるものに同じである。