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禅と日本文化 を読みながら考えた

『禅と日本文化』 鈴木大拙著 北川桃雄訳 岩波新書 第49刷(1988) は以前から時々読んでいた。昔から、禅は難しく読んでも中々理解できないものであったが、その禪と日本文化分強く惹かれる。この本は、昭和15年(太平洋戦争開戦前)に、大拙・鈴木貞太郎博士が外国人のために、禅の解説に英語で書かれたもので、その和訳本である。外国人どころか、自分にとってどんなに禅の理解に役立つか計り知れない。

今日改めて読み始めた。その内容は初めの部分を読むだけで、博士の広い造詣の深さに驚きを禁じ得ない。そのお陰で、読んで心に響き、未熟で、不完全で、成長できない自分を見詰めるのに本当に安心を与えてくれる内容である。こんな自分でも良いかもしれないと教えてくれるようにとれる。全く社会との関わりがとれない、怒りの収まらない未熟な生き方でも止むを得ないかと。読めば、現代社会に『禪』は収まり切らない特質が、その本質であるように思うから。経済成長が世界の共通な評価指標となっている現代に、禅思想は馴染まない事が良く分かる。そんな現代社会の脅迫感・不安感に苛(サイナ)まれた個々人の精神性の有りようから、『禪』の意味を眺めてみたいと思う。その規範にこの本を読み解いて、少しでも安心できればと考える。既に、禪と科学 (2011/06/20)および禅と自然科学 (2013/02/11)などでも書いた。禅は決して知識として学んでも、身に付くものではない。それはただ自分だけの実践でしか理解、感得できるものではない。いくら本を読んで、学んでも修得する事が無理である点が、禅の本質なのであろう。今になって初めて、鈴木博士の説明している意味の幾らかが分かったかと感じる。それは、今年になって『電気磁気学』の本質に辿り着いたと思えるからでもあろうか。

『電気磁気学』の到達点 幾つかを拾い上げておく。生活電気と『光速度』 (2013/06/13) 回路とエネルギー流ー電流解剖論ー (2013/06/10) 力学から見た電流矛盾 (2013/06/03) 電子科学論の無責任 (2013/05/24) 電流と電圧の正体 (2013/05/16) 等が今年の5,6月にまとめた記事である。これらの解釈は、『電気磁気学』の教科書を学習してもなかなか理解できない。教科書の理論を捨てなければ到達できない本質・真髄である。失礼になるかもしれないが、学術用語は事象の皮相的解釈で、取りあえず社会的集団的合意形成の体制固め用語とでも言えば良いかもしれない。例えば、『電界』や『磁界』と言う学術用語は、電気磁気学理論を展開するに無くてはならない用語である。しかし、そんな用語も深く理解しようとすれば、化けの皮が剥がれて、矛盾がむき出しになる。到底論理的な解説を展開する事が出来ないものであるのに、専門的論理として、堂々と社会に貢献しているように看做されて、崇められている。自然科学は、実験的裏付けによって、その論理性が認知されていると言はれる。ところが、その実験と言う意味の中味を分析すれば、法則の原理を実験で確認したり、量的測定ができないにも拘らず、論理の重層構造の積み重ねの上での、専門領域での合意に基づく間接的代用測定で、原理の実証と認定する実験法を採っているのでしかない。例えば、クーロンの法則を実験で直接量的実証をすることなど決して出来ない。そんな電荷間の物理的法則が存在すると解釈すること自体が論理性の無い事なのである。『禪』と言う世界観は、論理性の矛盾をどこまでも見破る透徹した破壊力を備えていると見られよう。『不立文字』と言う意味で語られることが多い。例えば、上に挙げた生活と『光速度』という記事を取り上げて見れば、『不立文字』を文字で表現する事が出来ないと単純に捉えれば、その記事さえも意味の無い事と言われるだろう。しかし、電磁気現象と社会的に評価されている科学分野の現象の本質を少しでも理解しようとすれば、何らかの言葉で表現しなければならない。専門的学術用語が矛盾で使えない等と言えば、一体どのように現象を表現すれば良いかと言う抜き差しならない壁に突き当たる。それは『不立文字』それ自体の科学論的矛盾ではないか?そこをどのように切り抜けるかが問われてる。スイッチSと言う用語が使えないかと言えば、それは違うだろう。『自動車』と言えば、誰もが理解できる。それではどのような場合の科学技術で使う専門用語が『禪』の世界観で打破されるものに相当するのだろうかと言う『問答』になる。殆どが直接人間の五感で感得不可能な用語の場合ではないかと思う。『電流』と言えば、電流計で計測する物理量である。決して電線の中を流れる電子量を計っている訳ではない。だから、自然科学論を展開しようとしたとき、最後は人間が本来磨き上げて来た長い生存の歴史の中での感性・五感で感知する鋭さでの、言葉にできない『禪』の世界認識の直覚に基づく表現になるかと言うことである。それが万象が一つに集約される『エネルギー』であろうと言う結論である。『エネルギー』は五感で認知できるだろう。お日様に当たれば、暑くも、暖かくも感じられる。それをどのような『エネルギー』と理解するかはまた別の話で、先ず何かが自分の体に入り込んで、外から加えられた『エネルギー』が有るからだと感覚的に認識することが『禪』的世界観と言うことになろう。理屈は後から付けても良いが、先ず感じることが第一である。感覚を磨けば、理論の怪しさがおのずから観えて来ると言うのが『禪』の世界観と思う。『不立文字』に負けないで、自分なりの自然科学論を展開して行きたい。ただ経費を掛けないで、直覚的感性に頼る世界観を。

鈴木大拙氏の禅の世界観もさることながら、翻訳者の表現力にも敬服する。第1章 禅の予備知識、および第2章 禅と美術の論説が特に印象的で、感銘を受けた。しかし、第3章 禅と武士以下については少し違う観方をしてみたい。それらについては別の機会に述べたい。

禪と科学

禪とは中々難しいものだ。理解困難なものほどその魅力に惹かれもする。その難しさを表したものに『般若心経』が有る。色即是空 空即是色に集約されていよう。禪と科学等と大層な題材を選んだものと我ながら呆れている。普通に、世間的には『禅』と『科学』は相対立するものと看做されよう。ここに、恥ずかしい達磨の図を挙げた。自分の精神的葛藤と将来への不安を表現したものと今になって理解出来る。達磨は孤高の存在である。二つ達磨は無かろう。(記す文章もどのように弾け飛ぶかは定かでないので、自分のリスクであるが、未熟のままで書き足す過程をそのまま公開しながら進む事にしたい)上の達磨図絵は、見た人も多かろう。昭和62年2月頃、長岡工業高等専門学校の電気科5年生の卒業文集にと学生に頼まれて書いたものである。その後名刺の裏図絵として利用した。食べ物、飲み物を鍵掛の神経をすり減らしながら、殺害の危機から生命を守る極秘の秘儀を尽くして、一日も欠かさずの諸行で、何食わぬ顔で半年間過ごした。常在戦場の意味かと後に知る。そんな中で、一寸先も見えない暗闇に立つ自分の怒りは、向ける相手が見えない「四面楚歌」と言う全体が相手である。電気科の教官、校長および中曽根臨教審の審議会等教室の授業内容盗聴を含めた犯罪に対しても、対処の術が無かった。ただ黙って生命を守るだけであった。そんな中で卒業生に送る言葉も書けなかった。それがめめしい二つ達磨(繋がりの無い孤高を憂える弱さ?)の禪精神の異端の図となった。 魑魅魍魎の世界を覗けば 二つ達磨は「生命を守る」異常事態の中の出来事である。長岡工業高等専門学校が殺人学校に見えた。歴代校長。初代校長:山崎貫三。二代目、田健一(文部省保健体育課)。三代目、大戸啓二郎(昭53年4月~昭55年4月29日病死)。事務取扱、高橋旦。4代目、池田作次(昭55年6月11日~昭59年2月12日病死)5代目、高橋旦。昭和60年4月~私が転入、幽霊所属。昭和61年5月初頭、健康診断結果で、胃カメラ検診を受ける事を指示される。何の異常も感じないのに「変だ?」と思った。論文が忙しく、予定日を後日に変更。検査で『細胞検査』も同時にすると言われた。その後、再び、庶務課長の指示文書で、「胃カメラの再検査指示」通知があった。2度までの検査を何故しなければと、「殺人の臭い」で無視した。不思議にその後に何の指示「再検査指示」の連絡は無かった。その8月、9月が「殺害の危険」を実感した。それ以降の半年が「生命を守る」秘密対策と魑魅魍魎との戦いであった。二人の前任校長の病死が一つの予備知識であった。やはり「二つ達磨」の補足記事に記した。 我が科学革命の原点『静電界は磁界を伴う』(昭和62年電気学会全国大会)で、物理学の根幹を否定する問題提起をした。『電気磁気学』指導担当者としての務めでもあり、決死の覚悟の発表でもあった。電子概念、電荷概念の否定と言う科学界に打った楔であると今に思う。『電流』と言う電気技術者としての根本的拠り所を、自己否定と言う事になる挑戦であった。当時は電気学会の会員であった。昭和63年のびわ湖湖畔での『電磁界理論研究会』以降、会費滞納で除籍処分となる(2019/01/27)追記、電気学会会費については初めから納めていなかったことに最近気付いた、だから会費滞納が原因ではなかった、自分の存在の意味が全く理解できない。昭和62年春の全国大会での発表内容は、 『瞬時電磁界理論』とは に取り上げた。それは電界、磁界と言う概念の矛盾を指摘した原点となるものである。電荷概念についての当時の解釈には、私なりの曖昧さも有りその点でも今考えると、世界の基礎理論に立ち向かう気力と現在までの思考の変化を見るようで面白味が有る。そのすぐ前に、 禅と自然科学  に、似た記事が有った。(2015/02/20)追記。長岡技術科学大学で、昭和63年10月8日、私に対する免職処分?の基礎理由として、教授会で私を呼んで学生電気実習の指導を拒否している事を謝罪させたが、再び実習の指導を放棄したと成っている。不思議にも、その日は大学に内緒で、出張届もせず、自費でこっそりびわ湖湖畔での電磁界研究会で大事な発表をしていた。教授会に呼ばれたことも無い。『瞬時電磁界理論の実験的検証とその意義』電気学会、電磁界理論研究会資料、EMT-88-145.(昭和63年10月)。長岡工業高等専門学校で、昭和61年秋に撮り貯めておいた実験データの資料の発表であった。 昨日書棚から、鈴木大拙著、北川桃雄訳『禅と日本文化』を取り出して、読んでみた。昭和15年出版の内容で、太平洋戦争前年の時代性も感じられはするが、第1章 禅の予備知識 辺りの内容にはとても感心させられる。第1章にはおおよその禅の意味を知るに役立つ事がまとめられている。決まり切った方式や、常識あるいは知識から解き放たれた自由の境地に精神を浮遊させている姿を望むものかと感じる。心を無にする。だから理屈を望まず、決まりに従わず。そんな風にもとれる。そこに“禅のモットーは「言葉に頼るな」(不立文字)と・・”や“科学は系統化を意味し、禅はまさにその反対である。”等とある。また知識に三種ある。第一は読み聞きによる知識。第二は科学などの観察と実験・分析と推理の結果による知識。強固な基礎を持つ、それはある程度体験的、経験的であるから。“第三の種類の知識は直覚的な理解の方法によって達せられるものである。”と記されている、それが禅の知識に相当するものと解釈する。“直覚的理解”なるものは確かに科学の理解とは異なるであろう。数式も、論理性も無視するように見える。だから、系統的に確立された物、方式あるいは国家なる概念に対しても従わない、精神の自由を禅の本質とするもののように思える。禅は破壊の思想と言われる所以がそこにあろう。『般若心経』というお経も仏教の形式も禅の求めるものから見れば、囚われてはいけない事なのである。もともと『般若心経』は仏や、お葬式の為の御経ではないのだ。インドに生まれた生きる人の自然観と生き方の悟りを纏めたものであり、人生哲学である。昔は知識人の最高の指導者が宗教人であったから、その流れを踏襲して現在に至っているだけである。精神が囚われない生き方は現在の複雑で、金銭的な物量に縛られた社会制度では、禅は生きるに困難である。 第3,4章に、禅と武士、禅と剣道で書かれている。禅は精神的呪縛から解き放たれている事を最高の位に置くのじゃないかと思う。武士道精神が自由より義理と人情に縛られる支配層の思惑に陥る危険性が有る。その典型が太平洋戦争の『特攻隊』と日本軍隊であった。禅と武士道が日本の精神性を表象するように思はれる原因の一つが「武士の大小二刀の帯刀」にあったのかと初めて知った。確かに西洋の騎士や戦いの武人は武器を持つが、日本の武士のように「小刀」を携えることは無いようだ。宮本武蔵の二刀流は別として、「小刀」には戦う為の刀と言うより、自分自身を律する為の脇差であったのかと。それは殆ど『切腹』と言う自分の生命を自身で絶つ為に使う刀である。それは如何にも古来の日本的精神性の優越性として日本人によって崇められる特質の表れと思える。『切腹』と言う所業(好ましくない行いーと言う意味で使った訳ではないー)が武士道の精神性を担保する拠り所としての日本人社会の一規範と成っていた事の奥底に潜む意味を考えることが重要に思える。それは『禪』と結びつくのだろうか。確かに「雲水」が旅の中で出来事に遭遇して、その諍い(イサカイ)・争いを収める為に自らの生命を「生き仏」として捧げる所業は各地に「生き塚」として残っていると考えている。禅僧は何時如何なる処で生命を捨てるか覚悟が出来ていたのであろう。その禅僧の精神性が武士道に反映されて来たところに日本的特質が隠れているのかもしれない。支配階級に巧く利用されたのが『特攻隊』である。許されない権力犯罪である。卑怯にも、社会的集団性を持って、そこに組み込む体制を作り上げたのである。『特攻隊員』自身の潔さと湛えながらの、権力体制の悪い所業の無責任性を作る卑劣さがその根底に隠されているのである。「生死一如(ショウジイチニョ)」「潔く死ぬ」等の言葉が禅の思想に結びついているようだ。この辺の日本人に特有な意識が集団体制や利権団体あるいは国家的全体主義への道に繋がり易い危険性を帯びていると思う。『原発災害』も原子力村の集団体制が正当な異議を踏み潰してきた当然の結果でしかないのだろう。『和』の日本に『禪』は馴染むか。と言う感じもする。禅は孤高の思想だ。その点で、武士の孤独な、太刀一筋に生命を掛ける生き様に共通するのであろう。当然であろうが、世間と合わなければ排除される。それが日本人の精神的特性を支えている根底にあるものに見える。 空即 無限なる有なり 初めの図絵に記した。この中にはいろいろな意味を含ませていたように思う。当然、禅思想と人生を強く意識していた。禪とは何かも長い間の思う対象であった。しかし、一番大きい意味は「電気磁気学」のエネルギーの諸相が「空間」で表す意味に「無限性」を感じていたからであるように思う。当時は「電荷概念」をどのように捉えれば良いか、思考の始まりであったから、暗中模索の中に居た。「生命」を守る日々の行為と、「物理学」の根底に抱いた疑念との精神的葛藤に身を置いた。その思いが自然にその絵図になったのであろう。渡された名刺を見て、人はどのように思ったかは、今になれば日本社会での村意識構造の中での事であるから、想像に難くない。アハハハ!今でも、文科省の教育行政は当時感じていた下らなさの思いは、日本の未来に禍根を残し続ける危険を禁じ得ない。長岡工業高等専門学校の助教授の辞令(松永光文部大臣)が出せる筈が無かったのだ。文部省への審査書類が有る。その中身は「新潟県立新津工業高等学校での研究業績として、「静止電力変換装置」で確信した「変圧器の励磁電流の噓」が教科書に在る事を批判した。『電圧時間積分』が鉄心磁束量の解釈に欠かせない概念である事を指摘した。新潟県で採用辞令も出ていない幽霊教員の過去をどう繕っても、文部大臣(中曽根内閣、松永光文部大臣 1985/07/01付け)が辞令を出せる訳が無い。その後の事は押し並べて計るに難くない。まさか「軍歴表」が絡んでいるなど知る由もない。私は何者でしょう(3)故郷貝野村と舞鶴鎮守府