タグ別アーカイブ: 酸素

生命と酸素

生命を見つめる長い人類史で、東洋哲学の到達点の一つの言葉に『輪廻転生』がある。全て世界の存在は、始まりも無ければ、終わりも無い。生命もその世界の一つの存在形態である。星の生成、消滅もその輪廻転生の宇宙の法典の姿と見る。そこには『ビックバン』も否定される。人の生命の誕生もその法典に従った或る過程でしかない。今(この今と言う時は2014年の話であるが、再び今またとても有意義な時にある2018/01/09記)NHKで生命の不思議のスペシャル番組が放送される。医学・生理学の最先端は細胞の分子構造の微細な解明が基になる極めて高度な内容が対象となっている。素人には理解できない難しさに満ちている。『細胞分裂』が基本原理のように解説されている。確かに、『細胞分裂』現象は重要な鍵ではあろう。しかしそれだけではなかろう。(2014/11/03 に標題「生命の法典」等と大それた表現で記したままに保存してあった。酸素に変えた)。現在、昨年から新しいスペシャル番組が放送されている。今回の内容はとても高度な医学の話でありながら、驚くべき神秘な内容を分かり易く解説されていてとても有り難い。それにつけても理科教育の内容が心配だ。(2018/01/09記)。

生命現象は細胞や臓器の機能が生理・医学の研究によって、その謎が解きほぐされている。高度な医学の学問内容をとても理解できる能力は無い。しかし、日常生活で考えるような卑近な基本的な知識は身に付けたいと思う。学問内容は難しく、高校生の生物学を理解するのも困難である。不図思う、生命現象には『酸素』が必要だ。ヘモグロビンが酸素を血流で運ぶ。しかしその『酸素』がどのように細胞内での反応に役立っているかの基本的な意味を知りたい。活性酸素と言われても、具体性が何処にも解説されていない。高校生の学習する基礎的内容が解明されていないようだ。エネルギーを必要として生化学反応が起きるのだろうと思うが、そのエネルギーがどのように何処に必要なのかが分からないように思える。細胞と酸素の関係およびエネルギーが何処にどのように必要かは高校生の「理科基礎(仮称)」に求められる基礎的内容ではないかと思った。若い方に挑戦して解明して欲しい。疑問を持ったら、それが道の始まりである事を知って欲しい。自然現象の本質は身の周りにある卑近な事の中に謎のまま隠れている。その本質を見抜くには学んで学んで、その総体の知識を感得して僅かな違和感や疑問を大切にして答を自分で解き明かす過程に、自然の神が微笑んで答えを届けてくれるように思う。酸素原子には燃焼と言う特別な役割が与えられている。本当にその意味は化学反応が分かったとしても、何も「何故か」と言う問答の答には成っていない。感覚的に納得するにはまだまだ分からない事ばかりだ。自然科学は現象が利用出来ればそれで済むと言う学問ではない筈だ。不思議に思いませんか。元素周期表の酸素と窒素は隣同士だ。窒素より酸素は質量数が2多く、周回すると言う電子が1多い。その違いが何故その元素の特性の違いを産むかが分かりますか。自然科学の学問としての意味は、そんな基礎的なところを納得出来るように説き明かす事にその大切な役割もあると思う。検索の中には『電圧』とは何ですかと質問がある。そんな素直な質問に、解答が水圧などで説かれているが、質問者には腑に落ちないままであろうと。何とか線路電圧の意味は空間の『エネルギー』の分布であると自分なりに納得する答えを見つけた。生命活動の中で、ヘモグロビンと酸素と炭酸ガスの大よその解説はあるが、細胞内でどのように酸素がその燃焼特性を発揮しているかは分かっていないのじゃないかと思う。焚火の燃焼現象の中にある本質が解明されていないように感じる。エネルギーと質量の関係が「理科教育」でされていないからと思う。エネルギーと質量の等価性の意味が。

水のお伽の世界

突然未知の藪に入り込む。水の世界は有り触れていながら、不思議がいっぱいだ。水には人の心を癒してくれる不思議な力が秘められている。信濃川の河原で、石に腰掛けて水の流れを見つめる。流れる水の面は時々刻々と同じ流れには成らず、変化し続ける。その変化の模様に心を乗せていれば、その流れは必ず心を癒してくれる。そこには自然科学など不要だ。今は水の流れを眺める余裕がない。ストレスを静かに流してくれる事請け合いだ。どうか試してみて欲しい。ただし、石河原で、石の面を流れる水の変化する浅瀬が望ましい。水のお伽の国に、科学のこころを遊ばせに行こうと思う。
お伽の国にも水も酸素も水素もあるという。薪を燃やして魚を焼く。火の後始末に水を掛ける。あかあかと燃えていた火も、真っ赤な薪も一瞬にジューと音をたてて熱が消えてしまう。暑い熱を水が白い膜に包んで隠してしまった。水の様態

お伽の絵図 水の意味を知りたくて、お伽の絵図にしてみた。この絵図は科学論と言うより、疑問をその思うままに表現したものである。大変身近にあって、いつもその御蔭で生きている。『水』、『酸素』さらに『水素』がそうである。酸素原子一つと水素原子二つが結合すると、水分子H2Oとなる。酸素が関わる燃焼により、水が生じる。それなら自然界では、水は酸素と水素にならないのだろうか。理科実験で、水の電気分解では酸素と水素に分解されるようだ。電気分解で、水の温度が下がると検索に出ている。それは本当か。もし本当なら、電気分解とは電気のエネルギー(特別電気のエネルギーがある訳ではなく、熱エネルギーと同じ物でしかない)を水に供給する訳だが、更にそれでも足りないで、水自身が保有するエネルギーまでも水分子の分解に消費する事と理解しなければならない。温度の低下は確認していない。しかし、水が酸素と水素に自然界で分解する仕組みがなければならない。どのような自然の仕組みかが物理の科学として重要である。

酸素の生成 自然の神秘は全てが変化し続ける輪廻転生に有る。宇宙も同じままには留まり得ない。お陰さまでの地球の生命も酸素も常に変化の中に存在する。地球の生命の仕組みは、植物があればこそだ。水の中の藻や名も知れぬ草、邪魔にされる雑草がどれほど生命を育てているかを知らない。身の回りの神秘を未だ科学は説き明かしていない。太陽が植物を育て、地球を大きくして来た。太陽は光で地球の生命を育んできた。光のエネルギーが全ての質量となる。

オゾンO3 以前、上空のオゾンホールと言う話題も聞いた。酸素ではあるが、少し活力が強いのかと。太陽光線が地球に降り注ぐが、上空のオゾンO3の御蔭で、人がその紫外線から保護されていると言うことだ。オゾンも酸素の活性化されたものらしいが、何故オゾンが紫外線を吸収するかの理論的根拠も理解できない。上空に、酸素分子O2が何故オゾンO3となって層を成すと考えるかも理解できない。オゾンと酸素の違いも分からない。ここまで考えると、もっと大きな疑問が湧く。

何故分子であるのか 水素も酸素もH2あるいはO2と二つが対になって安定した存在となる。これはアボガドロ定数の意味にも関わる基本的問題である。自然科学論は、その原理的意味を考えるより、『自然はこのようである』と言う捉え方で満足しているもののようだ。ヘリュウムHeは不活性だから、分子で考える必要がないのか。He2と言う分子で存在するかどうかも知らないが、気体であるから、その場合もアボガドロ定数は同じなのか。即ちヘリュウムの場合も酸素の場合も同一体積内には同一の原子数が含まれるというのだろうか。そこで、酸素分子、水素分子は何故二つが対になってしか存在しないと考えるのか。と言う問題に初めてなると思う。『電荷』での結合には無理があるが、それにしても対となる論理的意味付けが出来るのだろうか。科学論は「何故」と問う事から始まる。こんな疑問はせいぜいお伽の国でしか通用しないのかと言う問題になる。

ボイルシャルルの法則と分子 酸素と水素は通常気体である。気体は熱などのエネルギーを加えると、ボイル・シャルルの法則に従う。気体の圧力p[N/m^2]、体積V[m^3/kg]そして温度T[K]とすれば、pV/T=一定値[J/(K・kg)]がボイル・シャルルの法則の基本形である。しかし、厳密にこの関係式が成り立つとは言えまいが、基本的にこのような圧力・体積・温度(熱)の関係で捉えたい。ただ温度と熱エネルギーは気体や条件で決まった関係には成るまい。現代物理学では、気体に対して「気体分子運動論」がその解釈の主流になっている。それは分子が熱などのエネルギーを得ると運動エネルギーとして分子の活性化に働くという解釈である。その現代化理論が、アインシュタイン以降の量子論と相まって、気体分子運動論での解釈になっている。分子がエネルギーをその質量の運動エネルギーとなるという解釈を筆者は受け入れない。気体はあくまでもその分子の体積膨張として捉える。だから、現代物理学論での解釈でなく、古典的体積膨張の解釈で捉えたい。そこには原子そのものの空間的体積占有量が大きく変化するという見方で捉えるのである。だから、アボガドロ定数などが役に立たないと考える。気体分子が運動力学に従って、運動エネルギーとして保有するという論理性が怪しく思える。理論だけが先走っている。酸素も水素も熱エネルギーにより、運動でなく静止のまま体積膨張をするという解釈を採る。『温度とは何か』が問うもの

水は何故存在するか 水は分子H2Oである。宇宙にも水は溢れていよう。氷の彗星と言うから。水の意味を考えるなら、当然酸素も水素も何故存在しうるか地球上に誰がその存在を創りだしたかを考えたい。植物が酸素を創るという。しかし、植物が水素を創るとは言わない。水は酸素と水素があって初めて存在し得る。空気中の成分分析結果が検索で得られる。大気成分の分析法は?の結果はどのように分析されたかを知らない。そこには水素は無い。大気中で、酸素と同じく、水素が共に存在しないで水だけが存在するとは信じられない。水蒸気は水の大気中の成分である。植物が太陽光線をエネルギー源にして、光合成と言う反応を通して、酸素を生み、水素を創るのだろう。しかし、水素は水素受容体NADP等と言う物で解釈されている。その意味は理解できない。水を植物が分解し、酸素と水素を作り出す。またその酸素と水素から、植物が水も作りだす。天然の精水春の生命が噴き出す植物には水を創る夜の役目がある。酸素と水素から水を創りだすのだ。そのエネルギーを命に変えていると観る。燃料電池のエネルギーの発生と同じ仕組みだ。

燃料電池 水の電気分解の逆が燃料電池である。水の電気分解と同じ水の分解を植物の光合成で行っている。太陽光線をエネルギー源にして。

水の保有エネルギー 水にまつわるエネルギーの循環を考えたい。水素爆発(7%の水素濃度で、爆発現象を引き起すという)とはどんな現象であろうか。 『水素』に思う  にも書いた。酸素と水素の保有するエネルギーが大きい。結合すると水のエネルギーが少ない為余分のエネルギーを放出する。それが燃料電池としてのエネルギー源になる訳である。電気分解や燃料電池と言う科学技術の水にまつわる現象が、自然界ではおもに植物を通して営まれていると考えたい。太陽光線と植物が地球の生命の源泉になっていると考える。

水と風の妖精  に水蒸気や風と水を結んで見た。お伽の絵図に酸素、水素と水を描いた。また印刷が出来ないのだろう。どういうことか?

燃える『酸素』の力とは?

身近な事を考えると殆ど分からない事ばかりだ。『酸素』は『水素』と同じくとても日常に密接な元素だ。しかし、何も分かっていない事に気付く。酸素がなければ生きては行けない。地球には十分の酸素がある。何も答えを得られないままに『酸素』への疑問だけを記す記事ではある。

その酸素の最大の謎はこの地球上に『いつ、どのようにして酸素ができたか』であろう。水も植物もいつどのように生まれたかが分からない。水と酸素が無ければ地球上に生命は誕生しなかろう。水と酸素が植物をどのように芽生えさせたかと不思議に迷い込んでしまう。

酸素は誰が造るか

酸素の働き

そんな大本にまで答えを探すなどは間違いとしよう。

現実の日常生活の中で、本当に基本と思うような事さえ分からないのである。そこで、酸素の働きとはどんな事かと分類してみた。大体3つ程に成るかと思う。

1.空気中の燃焼 火を使うには酸素が要る。透明のガラス容器に燃料を封入して、レンズでその燃料を加熱しても容器内が真空なら、燃えないだろう。いや、燃えるかも知れない?そんな実験はしてないから、結果は想像するだけである。一応仮想実験として、何の経済効果も無さそうな純粋の『物理学』に特化した考察図を挙げておきたい。仮想真空燃焼実験真空容器の中に可燃性の黒い布切れでも封入した。真空管でも良いが、頭に焦点距離の合うレンズがある。『問答』:日光に当てると、布切れは燃えるだろうか?こんな答の見えない問題が、自然現象としてどれ程考える感性を持っているかの自己評価に成るかと思う。Exhaust pipe(用語?) から真空に排気しているとする。考える時は自由な発想が好ましい。光とエネルギーの関係をどう解釈するか、振動数で説明しても良い。ギリシャでのオリンピック聖火の採火式は太陽光線での加熱(反射鏡)方式である。摩擦熱と同じく、光はエネルギーそのものの縦波の流れである。(2017/10/30)追記。一応問答の『答』を書き足す。想像の結果やはり燃える筈だ。真空中でも布切れが太陽光線エネルギーで加熱されるから、熱分解してガスの発光燃焼になる。従って結果的には真空でなくなる。この燃焼は布切れの熱分解で酸素も発生するから酸素燃焼と言えるかもしれない。結果的には、太陽光線が真空容器内に入るため、元の布切れの質量に太陽光線入射エネルギー分だけ等価質量が増加したと同じ意味で解釈すべきだ。即ち光と質量は全く等価であると言う結論だ。

学術的物理学理論による光エネルギーは、「振動数とプランク定数の積」で解釈する。学術論では、市民が『光の振動数』を認識できなければ理解できない高度な理論なのである。市民的感覚論で捉える事を第一に考えたい。お日様に当たると暖かい。それは光の振動数が体を振動させるからではない。光一粒でも、それはエネルギーそのものの流れであり、身体に入り込み、熱エネルギーに成るからである。その光の流れと観る場合は、光エネルギーが質量(分子)内の空間への蓄積に因るエネルギー変換方式による着火(エネルギー放射)と看做す。これは普通の日常的な酸素の燃焼の働きにも関係するものと看做したい。この燃焼における酸素の状態はどのような変化によるのだろうか。単に酸素が何の変化も無しに、燃料の高温加熱でのガス化だけでは燃焼には至らないだろうと思う。「何を言いたいのか?」と訝しく思うだろう。『酸素』原子の8個の電子周回構造を破棄したいのである。IT検索では、まことしやかに『電子』の増減で様々な酸素の活性化を論じている記事がある。『電子』でなく、酸素原子の状態が環境の熱エネルギーに因りどのようにエネルギーが増加し、活性化されるのかの問題であろう。何で電子同士が二つ重なるような『クーロン則』違反の結合論が罷り通るのか。クーロンの法則を斬るに反して電子の負の『電荷』同士が「対を成す引力」を発生するのかを論理的に説明しなければならない。結論を言えば、空気中の『酸素』も加熱の熱エネルギーにより、そのエネルギー量が増えて、活性化した事で燃焼の力を発揮できるのであろう。『酸素』原子そのもののエネルギー量が増減すると解釈する。

燃焼作用における疑問 熱化学方程式と言うものがある。燃料ごとにモル当たりの発生熱量が異なる。炭素、水素、窒素と酸化の発熱エネルギー量が事細かに分かっているようだ。燃料電池が未来のエネルギー源として注目されている。発電装置としての役割で考えても、結局発生熱の『熱エネルギー』の形を変換しているのでしかない。自然科学は、自然の科学的に解釈する方法で、その仕組みを社会生活に利用できれば、それが主目的であり、科学のすべてである様に捉えられているようだ。だから、『酸素』が燃料の元素と化合して発熱するだけ分かれば十分と考えている。そこには何故かという『問答』が欠けている。物理的本質を理解しようと考えないのが、今までの「理科教育」の実情である。子供達の質問と思うが、IT検索のなかにも貴重な『問答』が多くある。しかし、回答者がその質問に十分応えようと考えていない。お座成りの『こういうものだ』式回答で済ませている。最大の燃焼の疑問は「何故酸素が他の元素と異なる性質・特性を持っているのか」である。原子構造上にその本質が隠されている筈である。それを見極めるのが「物理学」の道であろう。『電子』では決して結論には到達できない。何故窒素と少し異なるだけで、特別な燃焼特性を示すのか?

電気エネルギーと熱エネルギーが異なるエネルギーと考えて欲しくない。電気エネルギーも空間の伝播エネルギーである事から、熱の伝播エネルギーと全く同じものである。『電荷』が実在しない事実に立てば、電子と言う実体概念をどのように考えるかが重要な観点となろう。原子構造上のエネルギーの増減をどのような空間に描くかであろう。生活電気と『光速度』ご参照ください。

2.生体内の生命活動エネルギー生産 生命が燃えるにも酸素が欠かせない。血液循環により生体内のあらゆる細胞・組織の生命の機能保全を司る。細胞が生きるには酸素を必要とし、燃えカスを廃棄する。その運搬の役割を赤血球のヘモグロビンが担っている。ヘモグロビンの寿命も120日で再生されるらしい。時間管理されている生命の循環は世界・宇宙に秘められた絶対的原理と観ると、とても不思議に思える。『癌』は生命の循環の原則から、時間管理(細胞再生循環)の狂いによる絶対的原理違反の宿命と観たかった。生命の全体像を思うと、その細胞一つからの営みが全てに広がり、統制制御される活動全体の姿は何と不思議であるかと驚くばかりだ。人間が設計するロボットがあるが、二足歩行一つをとっても、まっすぐ伸ばした足で、つま先立ち歩行の平衡感覚の全体制御性を比較してしまう。そんな細胞に酸素が果たす役割を考えると、『酸素』元素の力は神の力に思える。どんな秘力を尽くして、生命のエネルギーを生み、そのエネルギーをどのように細胞の活動に生かしているのかと考えてしまう。酸素とエネルギー及びその細胞運動への活かし方に不思議を思う。エネルギーが世界の素原と言う解釈から見ると、指先の筋肉運動にエネルギーがどう生体的・生理学的機能を司っているかを考えてしまう。『鉄』が元素周期の変遷の到達点と言う考えもあるようであるから、世界の循環から『元素』も変遷すると観る。エネルギーが世界の素原であるから、元素もエネルギーの局所化の諸相であると観られる。エネルギーと空間と質量に関連して。

生体・生理学的身体活動とエネルギー 確かにヘモグロビンが末端細胞まで酸素を供給しているのは間違いないだろう。それでは、細胞に酸素が供給されるとその酸素はどのような生理学的働きをするのだろうか。単に細胞内の細胞質の分解・再生の為だけに酸素が使われる訳ではあるまい。細胞の生命活動に酸素が必要な筈だ。活動エネルギーを生みだし、そのエネルギーが何に使われるかが重要な視点に成ろう。筋肉のどのような生理機能がエネルギーを運動に変換するか。皮膚感覚をどのようなエネルギーとして神経伝達機能に生かすのか。それらの生命活動全てが酸素の働きにより造り出されるエネルギーによってなされると観る。エネルギーが筋肉の収縮・弛緩に変換される。それがエネルギーが消費されると言う事の意味であろう。二酸化炭素と酸素の呼吸作用におけるTCAサイクルとどんな関係に成るのか等、観えない事ばかりである。

ヘモグロビンは何故赤い? 赤血球の構成分子がヘモグロビンらしい。赤血球と言うように血の色は赤い。ヘモグロビンで、鉄原子Feが酸素の運び手の役を担っているらしい。廃棄する炭酸ガスCo2の運搬もFeが担うとはなかなか上手いものだ。そんなFeがあるが故に赤色となると解釈すれば良いのだろうか。ヘモグロビンの分子構造に占める鉄Feの比率はとても小さかろう。あの血の赤色はやはり色の不思議に挙げて良かろう。色の世界を尋ねてに重ねてみたい。色彩も不思議がいっぱいだ。

3.水、高タンパク質などの分子構成元素 燃焼を司り、エネルギーを生みだす酸素が水素と結び合えば、その分子が燃焼を消す水になると言う。燃焼と消火を繋ぐのが酸素とは。

光合成と酸素 植物の生命活動。地球上の生命を支える基に成るのが緑の森林である。太陽光線と葉緑素の生命の紡ぎ合いに『酸素』がどんな役割を果たしているかと疑問が増える。

『水素』に思う

今朝の直覚は水素が急に頭に浮かんだ。「浮図」と言う用語は急に図となって頭に浮かぶと言う意味なのだろうか。昨日は、電荷否定は科学的発見か と直覚に絡めて書いた。歳を取ると、理屈や計算は苦手になる。せめて過去に辿った頭の経路の中から関連した事象を引き出して、科学的解釈をする以外はない。2011/03/11東日本大震災での福島第一原子力発電所の『原子炉崩落事故』で気掛かりのことがあった。『水素爆発』である。水素が空気に触れると、7気圧の爆発力になることは工業高校で生徒に教えていたので知っていた。その凄まじさに、新聞記事での写真に遭遇してその水素爆発の意味を改めて考えてしまった。まさか、『陽子爆発』と言う意味ではないのだろうと疑念のままで来た。陽子と水素の違いはなんだろうかと考える。何も違いは無いだろうと。

水素の命名者は誰か? 元素名がそれぞれ成程と言う思いにさせる用語で付けられている。IT検索で、塩素を調べた。幕末の蘭学者 宇田川榕庵が「舎密開宗(セイミカイソウ)」に塩酸の翻訳用語で表したらしい。しかし水素を誰が初めて使ったかは分からない。それにしても、『水素』と言う命名は誠に巧いと感心した。また、元素に『素』の字を使う語感にも感心する。昔の日本人は、優れた翻訳の語感を持っていたと改めて思う。今日の直覚は酸素、炭素、窒素の日本語の命名者は誰かと思った事からである。漢字『素』を自分も使いたい。世界を構成する基が『エネルギー』であると考えた。その『エネルギー』の日本語訳に『素原』を使いたい。何処か『元素』に似ている。『エネルギー』が世界の「素粒子」である、それが前からの思いである。

水素の発見 1766年ヘンリー・キャヴェンディッシュが分離発見したらしい。1783年アントワーヌ・ラヴォアジェがhydrogeneと命名したらしい。その日本語訳を『水素』としたのは巧い翻訳と感心する。物理的には、陽子と水素の判別が分からないけれども。それは電子の実像不明である故。電荷否定について『電荷』という虚像 をご覧いただきたい。

水素製造の消費エネルギー とても不思議に思っている事がある。『燃料電池』のことである。新しい発電方式として、急に脚光を浴びて、実用化が進められている。家庭の発電方式やハイブリット自動車などに燃料として使われる。水素の製造過程で、どれ程のエネルギーを消費するのかがとても気掛かりだ。エネルギーを生み出す原料・燃料『水素』を造り出すことになるが、その製造工程でのエネルギー消費量がいくらなのかという素朴な疑問が解消しない。家庭の発電方式で使う場合は、その機械の製造から材料の調達・発掘すべての産業の関係したエネルギー消費量を計算して、発電エネルギー量との損得勘定を明らかにする必要があろう。燃料自動車は確かに、排気ガスでは水だけしか排出しないから、環境の問題は幾らか改善されるだろう。地球環境過熱化の問題は科学技術全体のエネルギー消費量の総量で抑制する方向でなければならないのである。経済成長と言う視点だけで、政策・技術が論じられ、推進され易い現実を未来の為にどう考えるべきかが問われているのだ。悩ましい問題に、リニア新幹線問題がある。どれ程エネルギーを多量に使うかを考えているのか?地球がどんどん過熱化されて、植物が枯渇し、生物の多様性が消滅し、生態系全体が崩れた時、すでに人間もその生存が不可能になることを認識したうえで、エネルギー消費を競って行くのだろうか。北極海の航路開設とエネルギー掘削など、温暖・過熱化の加速である事を。水素熱資源活用の問題を地球過熱化との視点で見るべきだ。

燃料電池の原理? 水素の酸化現象。それが化学反応によるエネルギー発生の原理らしい。化学反応式で表せば、 O2+2×H2=2×H2O+E(エネルギー) となるようだ。こんな単純な化学反応でも、水が生まれて、エネルギーを利用できるとは大変なことに思える。原料の酸素と水素の保有する熱エネルギーと化学反応後の水の保有して排出されるエネルギーおよび利用される熱エネルギー(あるいは電気エネルギーと言うのかもしれないが)(損失も含んで)等の総エネルギー量は幾らなんだろう。原子が結合すると何故エネルギーを放出するのだろうか。『質量とエネルギーの等価性』から解釈すれば、水素と酸素が結合して、どんなエネルギー変換を引き起すのだろうか。どの質量がエネルギーに変換するのだろうか。そのエネルギー変換現象の物理的意味を理解できないのである。燃焼と言う熱エネルギーに関する関係記事、燃える『酸素』の力とは?および太陽は何故燃える? がある。

焚き火と蝋燭

焚火と蠟燭次々と分からない事に自分なりの解釈を重ねてみる。膨張に熱が隠れる極意かな」は2年前の年賀はがきの版画である。熱エネルギーが気体分子運動論で解釈されているのが現代物理学の常識論である。大学の理学系で仰々しく取り扱われている内容である。しかしそんな理論は理解できないし、間違いであるとの思いを表現した版画である。右の蝋燭は同じく熱エネルギーがともし火の光となる意味を考える絵図に描いた。

燃焼過程燃焼の化学式は

C + O2 =CO2 + E(熱、光エネルギーあるいは圧力・膨張エネルギー) のように書き表されよう。

薪も炭も蠟も燃焼時に高温度でガス化して、その燃焼成分の炭素 C と酸素 O の化学的結合として、エネルギー E を発生すると考える。その解釈が教科書での燃焼説明になっている。私はその解釈に納得出来ない。先ず化学式では、炭素も酸素も幾ら燃焼しても、その元素は増減しないとの前提での式と観れる。エネルギーEは燃焼エネルギーとして、丁度原子核分裂原理の核の結合エネルギーの開放と言う解釈に似て、魔法の力の如くエネルギーが放射されるように見える解釈である。原子核分裂では、結合エネルギー(この意味も捉えようのない用語である)と言うが、質量欠損としての意味は含んだ解釈になっている。だが、焚き火の燃焼現象は、どうも質量の変化は認識されていないようだ。様々な元素と酸素との結合が燃焼としてのエネルギー解放に利用できる。それぞれの元素ごとに燃焼の熱量が決まっているようだ。燃焼とは何か

燃焼とは何か 何故そのように燃焼熱が決まった量で発生するのかが不思議だ。その解放エネルギーの意味を理解する事が燃焼現象の物理的解釈であろうと思う。IT検索すると、詳しく燃焼熱量の数値が示されている。それがどのように確認された値であるかは、実際に実験して測定しないと必ずしも正しいとは確認できない。なかなか実験は難しいと思う。燃焼の意味を理解するには、逆に木材・石油などの燃料が太陽光線によるエネルギー蓄積で、この地上に生まれた訳まで遡って理解する必要が有ろう。それも難しい事ではあるが。ただその中でも植物の光合成の事はある程度分かっている。植物が地上の生命を育む為に、太陽からの光エネルギーを質量として変換して、その御蔭で全てのエネルギー連鎖が可能になっている訳である。考えて見れば不思議である。地球が生命を育んでいる訳ではない。全てはその太陽系の中心に在る太陽と言う『お日様』の御蔭なのである。地球の心臓部は地球の中心に在り、更にその系の中心の太陽がすべての生命を育んでいるのである。太陽電池も太陽光線を如何に効率良く取り入れて、エネルギー変換するかの技術として見られよう。シリコン表面から太陽光線を取り込む技術と見られよう。燃焼現象も太陽光発電現象も、どちらもエネルギー変換・獲得技術である。どちらもエネルギーに変わりは無い。

植物光合成 CO2 + E(太陽光線など) + 諸成分(水、土・空気中成分)= C(植物構成細胞成分リン、硫黄あるいは窒素など) + O2 + H2O

上の文章式で、光合成の意味を自分なりに表現してみた。

燃焼熱・光放射のエネルギーはどこからもたらされたか? 質量変換以外なかろう。質量とエネルギーは等価であるから(2018/02/13)。