タグ別アーカイブ: 運動エネルギー

運動エネルギーの概念

運動エネルギーとは 質量が速度を持てばその質量体は運動エネルギーを持つと理解している。その時の速度とはどのような速度の意味であろうか。今手に水1リットル入ったペットボトルを持っている。そのボトルは速度ゼロと理解する。しかしよく考えると地球は運動している。従ってその水1リットルも速度ゼロではない。運動エネルギーについて、自然現象を利用する科学技術として捉えれば、地球の運動などを考えるのは愚かなことに成る。だが、自然現象を理解することと自然を生活に役立てる技術として理解することには、その到達目標が異なる。例えを挙げれば、科学技術の粋とも思える衛星放送がある。その衛星は静止衛星と言っているように地球上で見れば速度ゼロである。相対速度(速度でなく相対距離の間違い)が零なのである。だから衛星の送信周波数と地球上での受信周波数とが同じである(2018/09/24追記 少し考え直す必要が有りそうだ。相対距離と伝播距離が異なるから)。しかし静止衛星と言っても、まさか運動エネルギーゼロとは言わないであろう。我々自身も地球の運動速度の支配下に居るのである。昼より夜のほうが運動エネルギーの多い中で眠っている筈だ。自然を理解するために理科教育は必要なのだろう。必ずしも科学技術の為でない事を認識すべきでなかろうか。

運動エネルギーの算定法 先日ITで検索してみた。加速度一定の特殊な場合についての算定法が示されているのみであった。

運動エネルギー 物体の質量が速度を持つ時、その物体は余分に運動エネルギーを持つ。この「余分に」と言う意味は、質量はそれだけで『エネルギー』なのであるからという意味を込めた。質量がすべて光に変換されれば、膨大なエネルギーなのであるから。それが有名な『質量とエネルギーの等価則 E=mc^2^[J]』の意味なのであるから。その意味には未解決の問題があるので、ここでは論じない。ただ運動エネルギーについては、質量と速度の二乗の積の半分と言う極めて単純な式で表現される。この速度の瞬時値で運動エネルギーは理解できる。しかしその速度の評価基準空間をどのように捉えるかは深い意味を持つであろう。

運動量と運動エネルギー

運動エネルギー算定式 物体の運動は加速度一定とは限らない。速度式v(t)には初速度が必要である。

運動量の意味 物理学の力学で、運動量と言う概念が扱われる。今まで余り重要に思えなかった物理量である。しかし、運動エネルギーの算定で、重要な意味を持っていることを認識した。運動量は運動エネルギーの増分と速度の増分との関係を示す有効な物理量であると認識させられた。運動量が大きいと、僅かな速度変化で大きな運動エネルギーの変化を生む意味である。運動量の積分なら、加速度がどのようでも運動エネルギーは算定できる。次元については、物理的概念とその次元 日本物理学会講演概要集 第53巻1号1分冊13頁。(1998.4.2) で発表した。

地球の運動と速度

朝起きて、夜に寝る。電灯も無い、長い歩みの中で生命を繋いで来たこの貴重な星が地球である。日常生活で、人が感じる世界は自分が宇宙の中心に居て、あたかも太陽が地球の周りをまわって、1日・1年を刻んでいるように感じる。地球がどんな運動をしていようが、自分の身の回りに考えなければならない問題はない。学校で、理科の時間に学習する運動方程式も、地球がどんな運動をしているかは決して問題にしない。陸上競技の100m競争で、走る方向が東西南北どちらでも無関係である。それは地球の表面が全ての運動の速度の基準にして問題が無いからである。それを「慣性座標系」と言うと考えて良いだろう。しかし、自然科学では、宇宙はどのように生まれたか等と、トンデモナイ事に疑問を抱く。そんな話になれば、地球の運動を考えに入れなければ、宇宙論には成るまい。今は、「地動説」で太陽を中心に地球の自分が廻っていると理解している。地球の運動を何故取り上げたかと言うと、先にエネルギーと空間と質量の記事を書いた。質量とエネルギーは等価であると述べた。運動エネルギーは質量になると解釈した。それでは、物理学で取り上げている、運動方程式の本当の意味をどのように解釈すべきかと疑問が湧いて来た。最先端の物理学研究論では、ブラックマターとか暗黒物質とかの話題が論じられている。宇宙論を展開する科学者集団が有る。自分も少しは理解したいのだが、基礎理論が見えなくて、取り付く方法が分からない。自分なりの理解で基礎を抑えようとすると、余りにも単純な事から考えなければならなくなる。それが自分が立っている地球の運動の意味を理解しようと思ったのが切っ掛けである。物理学で、運動エネルギーを解釈するのに、地球の運動も宇宙論では当然取り組まなければならないと思う。ブラックマターと言う意味はどのような基礎概念の上に提唱されたものであるかを理解したい。市民が理解できるように、その意味を専門家は説明する責任が有ると思う。地球回転運動

地球の運動を簡単に図に描けば、右のようになろう。Sを太陽、Eを地球とする。回転軸の方向を、単位ベクトルk_s  および k_e で表す。実際の軸ベクトルの方向は同じではないが、簡単のためにそのスカラー積が1(方向が同じと言う意味)であるとした。角速度ω_s は太陽を中心とした地球の回転運動の速さを表す。その角速度を、太陽Sに対して地球が張る半径R_s の掃引面(円平面)に垂直な軸ベクトルとする。一応右螺旋の向きで、方向を決める。

さて、円平面上に直交座標 x(t)i+y(t)j=r(t) で、地球の位置ベクトル r(t)を仮想する。ただし、i ,j はそれぞれ単位ベクトルとする。この半径座標ベクトルr(t) は地球の位置座標を表すと考えられる。右図の半径R_s が時刻t の関数であるから、ある時刻tの位置とすれば、r(t)=x(t)i+y(t)j =R_s {i x(t)+j y(t)}/ {x(t)^2+y(t)^2} で地球の位置を認識出来る。斜文字をベクトルとする。ただし、時間の基準は r(0)=x(0) i に取り、またR_s=√{x(t)^2+y(t)^2} である。空間ベクトルについては、空間ベクトル解析と単位ベクトルに参考記事。

そこで、地球の運動を速度から単純な計算で算定してみた。公転軌道の半径さえ分からない。だから、適当に太陽から地球に陽の光が到達する時間が8分と言う事だけで算定した。

地球公転・自転速度その結果が右のようである。厳密なベクトル式で表現すれば、公転と自転のそれぞれの速度のベクトル和で表される。ただ、地球の運動を公転と自転で比較すると、太陽基準空間に於いて、我々の運動する空間速度Vは殆どが公転速度で決まることが分かる。地球の自転速度は0.0162の比率分しかない事になる。1.6パーセントでしかない。自分の空間速度は公転でほぼ決まっている事になる。概略であるが、毎秒地球が30㎞弱の速度で運行している。昔、マイケルソンとモーリーと言う二人の物理学者が地球の運動が光の速度にどのような影響を及ぼすかを実験で調べた。結果は巧く確認できなかった。その事が、現代物理学の理論に大きな影響を残した。アインシュタインはじめ、ローレンツ等の物理学者が、その実験事実を捉えて、実験が全ての意味で正確で誤りが無いものとの認識の下で、理論をつくりあげたと思う。ローレンツ収縮や特殊相対性理論等である。光の速度と光の寸法(波長)および実験装置の寸法誤差(何オングストロームの寸法誤差)等が如何に正確に設定できるかをどんな方法で確認したのかという点でも信じられない理論である。更に、光の速度と地球上の実験装置の空間速度の意味をどのように解釈したかも、難しい論議になる。ほぼ30[km/s]の地球速度で解釈しているようだが、それは公転速度で、実験装置の地球上での回転とはあまり関係ないことになる。そんな事からも光に関する相対速度の理論は信頼できない。これは余談である。さて我々が運動方程式を立てる場合に、運動は慣性座標系と言う地球上の目の前の空間だけを認識すれば良いことになっている。しかし運動方程式が物理現象の厳密な原理から得られるとすれば、地球の運動を考慮しないで済ませられる訳は『何故か』について答えなければならない筈だ。それは、ブラックマターの問題にも通じる話となろう。運動エネルギーが質量と等価だと言う事から、この地球の保有するエネルギーと質量をどのように認識し、算定するかと手も足も出ない事に首を突っ込んでみたが、自然の重層構造に今のところ脱帽する以外ない。しかし、理論が本当に正しいかを常に疑問を持ちながら、理解する必要が有ろうと言う点で、取り上げておくべきと思った。

エネルギーで観る世界ー序論ー

世界を『エネルギー』で観るか『電荷』で観るか。こんな見方に科学論への根源的変革を迫る意味が含まれているように思はれる。『世界を見る』の世界とは科学的あるいは技術的な視点から、日常の生活上で思考に上る自然現象の解釈に関わる観方の対象世界と言う意味である。専門領域が複雑になり、余りにも市民社会からの乖離が大きく、その共通理解が出来ない独善的な社会的不適応状態に陥っていると思う。その複雑怪奇な現代の『科学技術の状況』を誰もが、基本的な部分で大よその理解が出来ることが必要不可欠な時を迎えたと考える。それは、「科学」とか『技術』とか言う事の意味をおおざっぱに捉えなければならない事でもある。そこに『科学の基礎概念』の明確さが何よりも必要となる。『基礎』が共通に理解し合えなければ、どんな高度な科学技術や科学研究もその応用過程で、様々な困難な問題に直面する事になるであろう。

「科学」とか『技術』とか、あるいは『文明』と言う言葉は、それぞれが密接に関連した内容であるが、必ずしも同じ意味ではない。それらの言葉の意味を辞典から抜き出してみよう。「科学」世界の一部分を対象領域とする経験的に議論できる系統的な合理的認識(広辞苑第二版)。『技術』科学を実地に応用して、自然の事物を改変・加工し、人間の生活に利用するわざ(広辞苑第二版)。『文明』人知が進んで開けた世の中。特に、生産手段の発達によって生活水準が上がり、人権尊重と機会均等などの原則が認められているような社会、即ち近代社会の状態(大辞林)。等とある。これらの言葉の意味を改めて現代社会に当てはめて見ると、「科学」や『文明』が『技術』の意味に比べて、その通りに的確な解釈かと疑わざるを得ないように思える。余りにも『技術』が突出して人間の生活、とりわけ物質的な進展とそれに対する精神的な不整合が様々な社会的不安定性を醸し出す結果になってしまった。それが、今回の『東日本大震災』と言う自然現象の脅威と人間の生活形態の利便性との大きな隔たりを目の当たりにする事になったと思う。今回の記事を書こうと思った直接の引き金は、『エネルギー』と言うものの物理的威力を『津波現象』に自然が示した脅威に突き動かされたからである。しかも『物理学理論と教育』と言う視点で観た時、『エネルギー』の実在性への認識がそこには全く無いと思える。教育は『高尚な学理を伝える専門能力に基づいてなされなければならない』と言う何処かの閉鎖的保守意識で覆われているから、中々新しい『エネルギー』認識にはたどり着けないのが現実であろう。物理学理論の『エネルギー』は必ず『質量』を必要としているように見える。ただ『光』だけは意味不明の「振動数」と言う概念に頼っているが、「運動エネルギー」と『位置エネルギー』あるいは『気体分子運動エネルギー』等にある通りであろう。『質量に依拠しないエネルギー』あるいは『媒体に対すつエネルギーの主体性』に拠って様々な物理学理論の方程式や数学的概念を解剖し、その現象の根底に含まれる本質や矛盾、間違いを摘出できないかと考えている。例えば、シュレーディンガーの波動方程式の意味、衝撃波状津波波形の解釈、原子構造の軌道電子論の矛盾あるいは電磁現象等。その解釈で、基本物理量に『エネルギー』一つを掲げての解剖に挑戦してみようと考えている。殆ど今までの教科書的解釈とは異なる側面からの考え方であるから、入学試験を受けようとする学生さんには全く参考に成らない内容であろう。入学試験の問題の解決法とは逆の論議あるいは不効率の学習内容に成るので、ご理解願います。記憶する学識とは相反する思考法の論述に成る事が多い。