タグ別アーカイブ: 観測者の速度

空を見上げて

空を見上げてまた筆で描いた。一月前に投稿した記事「今朝の新聞科学記事に驚いたー相対論と隕石ー」を今見てくれる人がいる。その記事を読んだら、また説明したくなった。『特殊相対性理論』は光や観測者の速度を定義する「空間」を明確にしていない点が致命的である。光の『光路』と『光速度一定』と言う意味を明確に定義しなければ、光について論議できない。光は決して、人間が主体的に判断できる程、人間に都合よく振舞わない。上の筆字で、「見上げる自分が観えますか」は自然はあくまでも観測者に都合よく存在していないと言う意味である。観測者が観測する空間は、観測者が思う程に静止した空間ではありません。上空を見上げても、その空は静止空間ではない。観測者の自分は地球星の一点に居る。地球は公転と自転をしている。何に対して運動しているのだろうか。何時如何なる時でも、観測者の自分は地球の運動の上に存在している。地球が運動していると言うその「空間」はどのように認識出来るか。が大問題なのである。自分が見上げる空の意味は、地球が運動しているその運動速度を定義する「空間」を認識できなければ、自分が空間に対してどのような関係にあるかを理解できないのである。観測者は自分の足元を確定できないのである。その地球が運動していると確定できる空間を認識出来れば、空を見上げたときの『光』の意味を理解する可能性が生まれる。その「空間」こそ光の速度や光路が定義される空間なのである。それを『光規定空間』と私は定義付けている。地球の自転・公転はもとより、その中心の太陽も運動していないとは決めつけられないのである。天体は、基本的に回転でその存在を保っていると解釈する。『光規定空間』は言わば『絶対静止空間』と言う解釈で捉えて良かろうと思う。光規定空間の光路

光は一定の光速度[m/s](空間ベクトル)で直進する。その光は直進する為の伝播媒体(エーテルなどの質量性物質)は不要である。

上の「一定の光速度」と言う意味は光が空間を進む時間とその空間距離の比率を表した言葉であろう。それが常に一定速度である。その速度は光が伝播する光自身が規定する空間の長さと時間から決まるものである。人の観測など何の意味の成さない筈だ。光が決める自然である。もし光源が上の絵図の②のように光規定空間に対して運動していたとすれば、その光源から放射される光が光源の運動には無関係に、光が放射された瞬間から、その光は光源の運動には一切関係なく、独自に光規定空間上を一定の光速度で伝播する筈である。「新聞記事」の宇宙船上からの光の軌跡が舟の速度との関係で解釈されている点が、基本的に間違いである。光は放射瞬時に光源とは無関係な「光路」を伝播する。「直進する」と言う意味も障害物が無い場合には、光規定空間上を一直線で伝播すると言う事である。星の近傍を通過するような場合は、その星が空間の障害物になるから、光は回折して、曲がる現象を呈する。水星の近日点の重力解釈は違うだろう。

相対速度とは?

光の速度と空間特性』の(3)二つの運動体間の光伝播特性について論を纏めようと考えたが、光の空間伝播と言う解釈にはやはり特殊な認識が必要と感じた。アインシュタインの『特殊相対性理論』とは全く異なる解釈の展開ではあるが、日常の感覚とは少し視点を変えなければならない事が有る。光規定空間の場は地上の座標とは異なり、そこでの光伝播を論じようとすると、日常の生活での『相対速度』と光の伝播に関する『光相対速度』との違いを明確にしておく必要を感じた。先ず日常の例で相対速度と言う意味を考えておく。ロケットの打ち上げの様子は誰もが映像で見慣れているだろうから、それを題材に考えてみた。ロケットの打ち上げの様子を人が観察している状況で考えてみる。私も宇宙の事に関しては全くの素人である。だから疑問だらけでありながら、論じることに面映ゆさを禁じえない。例えば、ロケットは真上に発射されているようだが、暫くすると横に流れているように見える。その訳は「地球の自転の影響なのだろうか?」等である。マイケルソン・モーリーの実験では地球の表面速度を約 30[km/s]と考えていたようだから。地球自転の影響でロケットが曲がるなどと考えることは間違った解釈なのかどうかは、ロケットの発射現場の人に聞かないと分からない。専門家には素人の論は相手にされないが、一通り教科書の中身を学び過ごした目から見ると、総合的に判断して、余り専門の理論に固執しないで考えて良いかと思う。その中から役立つ理論を抽出して、日常生活の中に結び付けられたら良いと思う。古い理論の伝承鳩教育が現状の教育機関の問題点と思う。ロケットの話に戻す。観測者からロケットまでの距離が『相対離隔距離』と言えよう。人はロケットを見ながら、その上昇する早さとか方向とかのおおよその状況を推し量る。人からの距離が x[m]とする。この長さと方向性を数式で考えると、空間ベクトルに成る。ベクトル x になる。このベクトルの時間的変化率、即ち時間微分 dx/dt が所謂『相対速度』と言うものの解釈、定義になる。この相対距離の時間微分を「ベクトル解析」と言う有効な数学で解釈すると、「空間ベクトル解析」と言う論題になる。その『相対速度』はどのようになるかを示したい。人がロケットを観測して、その観測結果がロケットの速度として認識出来る訳では決してない。ただ考え方として理屈を付ければこのように表現でき、納得できるだろうという程度である。人がロケットの早さとか、その距離とかを目視で認識するのは、対象物が両目に張る角度γしか無かろう。近くではその識別力は相当効くが、遠くに離れるとどの程度の能力になるかとは思うが。兎に角数学的に解けば、時刻 t の時の離隔距離 x(t) と少し経過した時刻 t’ の距離 x(t’) の各ベクトルの差を経過時間 tr = t’-t で割れば時間微分となる。その時間間隔 tr を限りなく0にするのが極限値としての時間微分の意味である。lim(リミット)と言う記号で表した。その結果がロケットの時刻 t における瞬時的速度を表す事になる。その大きさが V であり、方向が単位ベクトル n で表される。また、発射台からのロケットの相対速度を解析すれば、人からの距離の微分と同様に同じ結果と値 Vn になる。なお、ロケットがより遠くの場合でも、もし同じ速度 Vn であれば、ベクトル解析結果は同じ微分値となるのは当然である。この辺の話になると、人間の観測感覚とは合わないだろう。

さて、人が離れた物を認識するのは何に拠るかと言えば、無意識ではあるが、それが『光』である。光で認識する訳であるが、光の相対速度を考えようとすると、特別な解釈の意識を持たなければならない。地球上でロケットを観測しても光の相対速度から、ロケットから反射する光が同じ地球上で観測するため、相対的に地球の運動はほとんど影響なく認識出来ると解釈して良い。(この文章は間違いである。2013/04/21に訂正。)ロケットからの光はロケットから放射された瞬時に、ロケットの速度とは無関係に光規定空間を光速度で伝播する。他方観測者の観測点は地球の光規定空間に対して何らかの測定不可能な相対運動をしている。そのロケットと観測者の相対的光規定空間上の瞬時的相対離隔距離はあるベクトル的な時間関係で定まっている。しかし、その座標関係を観測上も、計算上も瞬時的に捉える事は困難である。光の観測で或る程度の相対関係を認識するだけである。ロケットと観測者の二つの相互の状態を捉えるには、光あるいは電波に因るより他に方法はない。ロケットから放射された光を観測者が捉えたとしても、その瞬時のロケットの位置を捉えることに成る訳ではない。観測対象からの光伝播特性は 光伝播時間算定のための瞬時空間ベクトル解析法 日本物理学会講演概要集第54巻第1号第1分冊77頁(1999)(発表欠席)に解説してある。ロケットと観測者の光規定空間上の速度ベクトルが明らかなら、光の観測でロケットの相対速度を理解できるが、二つの速度が一般的には解らない訳であるから、光の到達時間の遅れをどう補正できるかで、観測結果が決まるであろう(以上追記)。

この辺の微妙な光の速度差を論じようとすれば、光速度を定義する場を明確にしておかなければならない。その点で、ローレンツの収縮やアインシュタインの論理で、考察対象の速度v や光速度 c と言う場合のその速度を定義し、論じる基準の空間が何も明確にされていない処に論理的矛盾が有る。言わば「曖昧さ」の上に論じられているのである。私が『光の相対速度』と言う場合に、その意味を誰もが分かるようにしておかなければ、論理にならないと思うので、ここに取り上げた。ロケットの速度を人の観測と言う場に「空間ベクトル解析」と言う数学的手法の意味を説明した。光の伝播現象に、光一粒(光量子、光子と言うもので、1波長分のエネルギー空間分布を私は定義)の空間での瞬時、瞬時の座標位置を「瞬時空間ベクトル解析」により捉えようとするものである。ここで説明しておきたかった事は、光の速度基準空間が『光規定空間』と言う宇宙の全空間を支配する均等な絶対空間と解釈すると言う点である。この辺は宇宙論の専門家とは全く異なる視点で解釈している事をご承知いただきたい。光が世界を支配する全ての「王者」であると言うのも、この事、即ち「空間と時間ー”時空”」を規定する支配者が光である事に基準を置いているからである。素粒子も変換時に光を放射する。光をどんな素粒子が構成すると言うのかを明確に示されれば、私も『世界の王者が光だ』などとは言わないで済むかもしれない。素粒子の根源も『光』である