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電圧-その意味と正体-

(2022/02/21) 追記。時々この記事が読まれている。この時、6年ほど前の思いが今漸く実を結んだ。例えば、瞬時電力の具象解剖 (2022/02/03)などになった。科学技術概念『電圧』と電気回路現象の物理的認識としての新しい捉え方即ち『エネルギー』の流れとして認識する事との意味の違いを示すことが出来た。

電圧とは何か? 電気工学や電気物理に関わる仕事に携わっている人はこんな疑問を抱かないだろう。電圧100ボルトあるいは3ボルトなどと日常用語としてありふれて使っていることだから。常識の言葉だから。こんな常識の科学技術用語を理解できないと言って、その正体をあばこう等と考える事を仕事にするとすればどんな仕事に成るのだろうか。全く経済的な利益を生むどころか、科学技術関係社会に反逆的な伝統破壊の行為と看做される。反発を食う研究である。そんな業務を仕事として受け入れる環境があるのだろうか。科学研究社会は、特に学術研究に属する分野では『客観性』を持って研究を進める事が要求される社会であろう。過去の先人の業績を踏襲してこそ仲間として受け入れられる社会である。それが常識の世界だ。学術研究機関に所属していれば、大いに常識に挑戦する機会もあろうが、最初から所属の無いものには不可能な事であろう。世界で誰も挑戦しない研究、「電圧とは何か?」と問う事も有意義な筈である。学術論文にも成し難い研究ではあるが。自然の本質を明らかにする重要な研究ではある。

総合科学・基礎科学・純粋科学の意義 本質を明らかにすることの意味は、誤ったり誤解した研究や方向性を質す判断基準として、総合的な評価を下すに重要なのである。経済的効果が無いと言うが、間違った高額の投資を避ける意味で経済性は大きい。それが総合科学、基礎科学、純粋科学なのである。科学研究の内容を市民が理解でき、賛同できることで初めて研究費を使う権利が得られるのだと認識すべきである。数式でなく、日常用語で高度な研究内容を説明し納得を得る事が必要になる。そこに、専門家だけの内部了解ではなく、市民社会との関わりが大切になるのだ。その時に科学の基礎概念が誰もが理解でき、疑念の無いもので初めて市民との意思の疎通ができ、健全な科学社会への安全が担保できるのであろう。そこに総合的な広い基礎科学の重要性が狭い専門性を超えて必要になるものと考える。ここでは前の電池電圧と『エネルギーギャップ』を受けて少し電圧の解釈の意味を深めてみようと思っての記事である。

電圧とは何か?電圧とは何か 電圧Eボルトの直流電源がある。銅板と銅線が図のようにつながっている。 

電圧問答電圧問答 

電圧問答 直流電圧源だから、各電圧計の指示値はすぐ分かる。ただ電圧計の繋がる位置が色々だ。電圧計は何を計るかと考えて、その電圧値に成る原因を何に因ると解釈するかを尋ねている。もし『電荷』を原因と考えると、その分布を考えなければならなくなる。さてどう考えるか?こんな問答は禅問答の部に入るようで、科学論の部門では毛嫌いされる問答である。しかし科学理論は論理性を持ってその真価と尊厳を勝ち得ている訳であるから、こんな易しい日常的な質問には朝飯前と答えられる基盤の上に成り立っている筈だ?そこで答を書こうとすれば、学校教育で教えられる教科書の内容から考える事に成ろう。どんな教科書も文科省の『学習指導要領』によって教育内容は決まっており、『電子』あるいは『電荷』による解釈しか許されていないから、その指導要領に従わざるを得ない。そこで『電子』で考えようと試みる。

電子と電圧電子と電圧 回路の一部を取り出して電圧計V1の意味を『電子』に因って考えてみよう。鉛蓄電池や燃料電池の電池機能原理は水素原子の『電子』が陰極端子から外部配線、負荷を流れて陽極に戻り、『エネルギー』供給源としての電池の役割を果たすと専門家の解説に在る。それが負荷への『電流』の電気磁気学理論に基づいた教科書的標準理論である。しかもそれは世界の物理学理論でもある。その時の電気現象の電圧には『プラスの電荷』は電池の外部回路に関与する解釈は無いようだ。すべて『電子』だけで理論的な解釈が成されている。そのような世界標準の電気論に従って、電圧計V1の『電圧』をどのように解釈すべきかを考えてみた。①電荷分布(電子)?と電圧として銅板間にどのような『電荷』分布を描けば良いかと苦心した。『電子』同士は好きではないが、有名な『クーロンの法則』に従えば、お互いが反発しあって、集合するのはいやだ、いやだと纏まらないのではと考えると、『電子』の分布予想も出来ないのでお手上げだ。理論とは不思議なもので、後生大事に守られている『クーロンの法則』があっても、そんな法則などお構いなしに『マイナス電荷』の集団と『プラス電荷』の集団同士が向き合って対峙する構図が理論の伝統的な常識・思想に成っている。しかしこの電池の場合には『プラス電荷』は出る幕が無いのが不思議だ。だから教科書に従って電池電圧を『電荷』で描こうとしたが無理だった。それでも思い直して、マイナス側の銅板に『電子』が分布したとして、電圧計を繋いでみた。それが②電圧計である。電圧計は中味の回路を見れば、単に高抵抗rとコイルlの直列につながっただけの物でしかない。電圧と評価する部分はコイル内に貯蔵されて『エネルギー』を指針の回転に利用しているだけである。特に電圧と言うような感覚的に予想する様なものを計っている訳ではない。陽極側と陰極側の銅板の間に電気回路のrl要素を繋いだ事に成る。もし陰極側の銅板に最初『電子』が集合していて、電圧が掛っていたとする。電圧計を繋ぐ前後で銅板間の電圧にどのような同じ電圧を発生・保持するかの訳を考えられるだろうか。また、図のように電圧計(負荷)を繋いだとしたら、『電子』はどのような力を何によって受けて運動すると考えれば良いだろうか。大まかな概略論でなく、厳密な基礎理論に基づいた合理的で論理的な解釈が求められる。日常用語と基礎的な科学用語での説明なら、誰でもが理解でき納得できると思う。しかしこの『問答』にはなかなか納得できる論理的な解釈が出来ないジレンマに陥るのだ。結論を言えば、『電子』や『電荷』では電池電圧の発生原因を説明できないという事である。宇宙の話や五次元空間の話は話の実体が目の前に無いから高度な数式で論じられると煙に巻かれたような気分でうんともすんとも言えないもどかしさが残る。しかし乾電池や蓄電池の話なら、電磁気学の理論検証には十分分かり易い筈だ。この電池電圧の意味が『電荷』概念では自分が納得出来ないので、『エネルギーギャップ』の電圧発生理由で解釈する様子を示す。

空間のエネルギー分布空間のエネルギー分布 エネルギーにはプラスもマイナスもない。光のエネルギーと同じく、空間に金属導体に因って束縛された状況で分布する。その分布密度を予測して図に描いて示した。その密度分布を実験的に測定する方法を見つけられるかどうかは疑問だ。『電子』の分布を描く場合に似ている結果である。プラス、マイナスと言う金属導体間にそのエネルギーは分布し、マイナスからプラスまでのエネルギー分布密度の線積分がその『電池電圧』となる。エネルギーで観る線路電圧に交流の場合を示したが、直流でも同じ事である。

交流電圧 電圧は直流も交流もその本質は同じである。主に金属導体間に掛かる電気の”何か圧力”のようなものと感覚的に捉えられる。その姿・本性を認識し難い訳は実験的に測定することが出来ない「空間エネルギー」だからである。電気の眞相(2)-電圧とは何かーに述べた。科学技術の電気工学では空間エネルギーなど観測できない物理量であるから、『エネルギー』の利用と言う眼目から、実に優れた計測量として、『電圧』を考えだした訳である。『電圧』と『電流』で電気工学の基礎を創り上げたのだから、その技術的感覚は素晴らしいと先人の業績に感謝しなければならない。交流電圧によって送配電線路が構築され、『エネルギー』利用が可能になった。その交流電圧は発電機と変圧器での発生原理に新たに「磁束」と言う概念を創り上げた事により、理解し易い『電磁誘導則』で誰でもが理解し易くなった事は科学技術の意味を理解する上で大切である。「磁束」で交流電圧を理論付ける技術感覚の意味を理解すべきであろう。さて、科学技術とその基礎概念は自然世界の『真相』と成るかと言う点で改めて考えなければならない歴史的転換点に居ると思う。電気現象の物理学的解釈は自然世界の眞相を捉えるに重要な基本認識と成っている。その自然現象・自然世界を『電圧』、『電荷』、『電流』の科学技術概念で論じようとしたとき、その論理の先には混迷の未来が待ち受けている。同様に『電界』『磁界』も自然世界に実在する『真相』ではなく、科学技術の『エネルギー』利用手段としての便利な構築概念でしかないのだという事を認識することが未来への安全の思考の基盤である。

科学技術と自然世界と教育 先人が築き上げて来た科学技術と自然世界の眞相を混同しないように理解して欲しい。『電荷』など世界には存在しないのだ。今、この事の中に見える複雑な人間意識と科学的競争社会の間に立って、未来への子供達に対する教育を考え、根本から再構築すべき時に立っている。未来への教育問題は教育機関、教育者に課せられた喫緊の課題である。過去を踏襲し、先人の業績を尊重してなどと拘泥している時ではない筈だ。

『電圧』と『エネルギー』その実験的検証 昨年は物理学概念に(『電荷』への)疑念を抱き、旅立って30年程たった時に不思議な実験を手掛けた。これも予測できた訳ではなく、何かに誘われて手掛けたような実験である。変圧器の奇想天外診断で『電圧』の意味を考える切っ掛けを得た。続いて、コイルと電圧とエネルギーおよび天晴れ(コイルと電圧とエネルギー)の実験的検証、そしてまとめとしての電気の眞相(3)-電圧と負荷ーによって『電圧』と『エネルギー』の関係を捉えることが出来たと考える。

電気の眞相(3)-電圧と負荷-

電気(エネルギー供給)回路、電線路の仕組みは長い歴史を通して、偉大な電気工学の権威によって築き上げられて来た。いわゆる電気理論、あるいは電気磁気学理論として、万全な理論体系と理解されている。それは数学的表現法で、多くの法則として完成しているように思われる。数式で表現されると、それは世界の真理と看做される傾向を強く待つ。
電気理論の基本中の基本は、電圧と電流である。電線路の特性は電圧計と電流計で計測できるので、まさか電圧と電流が科学技術の賜物であって、それが物理的な自然世界の眞相ではないなどとは信じられないであろう。電気の眞相(1)(2)を書いて来た。ここで最後の纏めになればと願いながら、電線路のエネルギー供給の意味を眞相(3)として取り上げたい。電線路間の空間的エネルギー分布を検証する計測法が無い事が科学論として、その厳密性を示せない歯痒さは残る。その上で次の配電線路を例に考えてみたい。

負荷変動と電圧負荷変動と電圧 街に張り巡らされた配電線路を通して、電気エネルギーが供給される。線路には多くの需要家の負荷が繋がっている。図で、ある点の負荷Pが投入された時、その点の電圧がVであったとする。負荷投入と同時にエネルギーが消費される。そのエネルギーはどこから来るのだろうか。スイッチS投入と同時に、まさか電源からそのエネルギーが瞬時に届く訳ではなかろう。あたかも、電線路のその負荷点の電圧Vが電源であるが如くに、線路近傍からエネルギーが流れ込むと解釈するのが合理的な解釈であろう。各負荷のエネルギー供給が全て電源からの負荷電流の流れとして供給されるとは考え難い。電源は遠く離れた発電所しかないのだから、そんな遠くから瞬時に投入負荷にエネルギーが送られる筈はない。いくら光速度と言ってもそれは無茶である。この辺の言説には違和感を抱かれる方も多いかと思う。電気回路は電圧と電流で解釈するのが常識であれば、電流の分配で理解しようと考えるだろう。ただ電圧と言う技術概念には、線路電圧、系統電圧などその電力送配電の規模は電圧が決めているとの感覚は誰でもお持ちであろう。その事を、一つの考え方で送配電線路の電線導体が丁度空間誘電体に対する線状コンデンサを成していると考えて見るのも良かろう。そう考えれば、電線路空間に電気エネルギーが貯蔵された状態が電源電圧周期で変動している仕組みとも取れよう。

エネルギーで観る線路電圧から天晴れ(コイルと電圧とエネルギー)  今年の4月になってから、金属導体周辺のエネルギーの様相が気になりだした。3月科学の要として静電界の解釈をまとめた事が切っ掛けである。電荷や電流概念の物理的意味の否定から始まった、電気現象解釈の道の終わりに待っていた日常生活の電気回路の話である。それは殆ど数式で表現できないような、異端の科学論の様相を示している。ただエネルギーと言う一つに対する感覚を基にした科学論でもあろう。今年になって、深い認識を得たのは上の天晴れ(コイルと電圧・・)である。配電線路のビニル絶縁電線も空間のエネルギー分布を決める要素(コンデンサ誘電体)として意味を持っていると成る。そこでのエネルギー伝播の速度(光速度)も低下する。それが電気現象の物理的な意味であり、理論物理学の対象であると同時に教育内容でなければならないだろう。しかし、科学技術の根幹を支えてきた電気回路技術は現代社会の知識として学ばなければならない基礎を成す。電流と電圧はその理解の根幹を成す。その科学技術としての意味を理解したうえで、ややもすると、それが自然界の物理的本質であるかの解釈が罷り通っている数学的論理に支配されている面が多い。その点は見直さなければならない課題として迫っている事を指摘したい。

電圧計と内部回路 ここで再び電圧計とは何かを考えたい。

電圧計と内部回路電圧計の回路 電源は交流でも同じである。電圧計の内部はコイルと抵抗の直列回路である。p1、p2点の線路電圧を計ると言うことは、その点に負荷抵抗rの負荷をかけて、その負荷に対する電圧形の内部コイルのリアクトルLv[H]のエネルギーを計ると言うことと同じ意味である。そのコイルの機能は前以って電気回路要素Lの機能とエネルギー感覚に述べた。電圧計で測定する電圧と言う対象をどの様に計器の中に取り込むかが大切な点である。その意味を上の電気回路要素Lの・・に書いた。電圧計は交流では「可動鉄片型」が使われることもあるが、「可動コイル型」と計器内のコイルのエネルギーを計測量に選んでいることには変わりがない。その事で、結局電圧計は自身の計器内の電流制限高抵抗rを負荷として、その消費エネルギーから換算されるコイルLvの貯蔵エネルギーWv=(1/2)L(V/r)^2^[J]を計測量として表示している。だから、電圧はV=r√(2Wv/L)[V] として、コイルのエネルギー√Wvを計測して、電圧目盛に利用していることになる。

電気エネルギー供給制御は電圧制御である。 配電線路による需要家への電気エネルギー供給はその点の電線路電圧がその基を成していると看做せよう。その電線路電圧は線路間の空間に分布するエネルギー分布が担っているのである。需要家の負荷が増減することにより、電線路電圧も変動する。電気事業法により需要家端電圧は100Vなら101V±5%の範囲となっていよう(?)。その電圧制御が送電系統の連携で各発電所により総合的に電圧制御がなされている。

エネルギー制御発電所の制御 50Hzと60Hzでそれぞれ別の系統になっている(ただ佐久間周波数変換所で二つも連携はされている)。それぞれの系統連係(図の点線部分で系統連係がなされている)で各系統が総合的に発電所の電圧Vgと周波数fを監視制御している。発電所の発電電力制御は発電機の回転数(周波数)と発電機電圧(励磁電流)がその制御対象となる。その基はボイラーへの供給燃料制御によってなされる。余談であるが、大事な社会的認識として理解すべき点がある。それは原子力、火力発電所等の蒸気タービンによる発電方式では、熱エネルギーの半分は海の過熱に放出しなければならないのだ。地球温暖化の原因でもある。その点で風力、太陽光発電は優れている。ただ自然エネルギーは蓄電池にエネルギーを貯蔵し、その直流電圧をインバーターで交流電圧変換する必要がある。この電線路間の空間エネルギー即ち電圧を遠くの発電所で制御すれば,電気エネルギー利用が出来る点は優れた科学技術と感謝したい。

理論に偏らず科学技術の意味を理解しよう。

一言追記しよう。発電所のタービンから発電機へのエネルギーの伝播現象について。太い軸の連結を通してエネルギーが伝達される。蒸気の熱エネルギーがタービンを通して機械的回転動力に変換され、更に軸の捩れ応力のエネルギーの発電機側への縦波(変動なしの一定値の流れ)として伝達される。その回転動力が同期発電機の磁極を系統側の電圧に対向してエネルギーを送り出す為のブレーキに逆らって回転させる訳である。熱エネルギーから回転機械エネルギーを経て最後の電気エネルギーとして系統に送りだす訳である。何を言いたいかと言うと、全て一つのエネルギーの流れであることを認識して欲しいのだ。形態は異なって見えても本質はエネルギー一つである。発電所から送りだすのも、電圧と言う技術概念ではあるが、電線路空間へのエネルギー送電なのである。

発電所効率について。 タービンと発電機の効率が95%として所内電力分を考えなくても,送電端効率は45%となってしまう。しかし、大容量でも中々そこまでは良くならないだろう。

電気の眞相(2)ー電圧とは何かー

眞相というものに辿り着くまでの道程には、これでもかこれでもかと壁ばかりが立塞がる。物事の本質はさまざまな鎧や武装で身を固めていて、なかなかその本性を現さない。それは過去の科学技術を築き挙げて来た先人の苦闘によって得られた解釈法であるが故なのだろう。だからその概念・認識は世界に認められた常識となっているものである為、どんな人にもその解釈の基本を否定することは困難な事であるのだ。だから真相は姿を現さないということになる。一度世界の科学常識を疑えば、その奇妙さが次々と疑問の山となって立ちはだかるのであろう。電気の眞相などという程の事ではないかもしれないが、得心できる事に辿り着いてみれば、花や蝶・風の有り触れた日常に観る風景とあまり違わないものに思えてくる。それは『専門』という鎧を脱ぎ捨てて初めて、心を通じ合えるもののようだ。嘘も虚飾もない世界。そんな思いで、電気工学の基本概念『電圧』とは何かを分析してみよう。

単相交流線路電圧 先ず電圧の例として、単相交流線路を取上げて見よう。一般家庭に供給される配電線路は、その線路の長さも数キロメートルの短さである。高圧配電線(6300V)から柱上変圧器を介して100V、200Vの配電線路である。仮に周波数f=50[Hz] で考える。

単相交流の電圧単相線路

電圧計で計る電圧値は、線路間の空間に分布するエネルギー密度によって決まる電気量である。空間エネルギー密度分布とは上の図で示すδ(x,y,z,t)が電線路の間の空間に分布しているという認識を採るものである。その電線間に広がるエネルギーの分布模様が如何なるかは捉え切れない。おそらく電線導体の近傍で最も密度が高くなっているだろうとは予測できる。計測器で測定できるものでは無かろうから、その分布状況を捉える事は困難であろう。電線路間の光エネルギーと同じ物理量を計測器で測定する様な事なのだから難しい。そんなエネルギーが電圧の眞相であったからこそ、それを認識するのは困難であった筈である。だから逆に『電圧』が如何に科学技術概念として有用であるかと言うことにもなるのである。しかし自然の真理として『電圧』を捉える事は、やはりどこかに矛盾が生じる事に突き当たるのである。無意識的に『電圧』概念を真理と見る事は延いては科学技術の過信や、社会的矛盾を抱えてしまう危険も大きいということであろう。『電流』と言う科学技術概念も同じ事である。それは存在しない『電荷』概念によって世界の自然科学を構築して来た現在に通じているのである。エネルギーで観る線路電圧 にその意味を述べた。電圧計で計れるから、電圧は世界の真理として物理的な実在量との認識になるだろうが。もう一度説明する。実は線路導体間の空間に存在するエネルギーの分布がその物理的本性なのである。2本の電線に電源から電圧をかける訳であるが、それはどのような意味・物理的現象なのかということを考えなければならないことになる。電源電圧V=100[V]として、その正弦波状に変化する電圧が線路間の空間にどのようなエネルギー分布として実在する現象なのかということになる。50[Hz]なら、その1波長の長さは、エネルギー流の速度がほぼ光速度であるから、λ=6000[km]の長さになる。(2015・8・18追記)ここでの光速度が少し気掛かりになった。実際に商用電力の伝送速度が本当に光速度と見做してよいかどうかは、確認できないから分からない。今日気に成って検索したらこのぺージが出たので、光速度と決め付ける訳にはいかないかと思い、少し追記させていただく。今まで少しも気にせず、ほぼ光速度と一般常識を鵜呑みにしていたがその光速度と言う速度の速さは少し遅いのが実情かもしれない。その点お断りさせて頂く。その上での以下の記述である事をご理解いただきたい。一サイクルの波長が日本列島の長さの2倍程になるのじゃなかろうか。先ず、空間のエネルギー密度とは一般にどの程度の値なのかを示しておこう。光速度との関係から極めて小さなエネルギー量である。

空間のエネルギー貯蔵限界空間のエネルギー貯蔵限界(絶縁体空間では誘電比率で増加する。その場合は速度も減速。)

裸銅線の電線路で、電圧とエネルギー流の関係を図に示そう。

電圧のエネルギー分布仮想的エネルギー流

上の図はもし電線路が一波長分あるとすれば、電圧に対して線路上での空間エネルギーが往復振動して、線路電圧に対応する筈である。電圧と言う電線路間のエネルギー分布がその時間的変化に対応する為に位置的にそのエネルギーが移動して、線路の電圧分布に適応しなければならない。そのエネルギーは電源とのやりとりよりその近傍で対応する為の移動になると言う意味を表現した。実際は単相線路は数キロメートルでしかないから、上の電圧に対するエネルギーの流れも柱状変圧器との間の流れとなる。上の図は電圧と空間エネルギーとの関係を理解する為の基本的視点を示したものだ。しかも無負荷での電圧との関係だけに着目したものだ。ついでに一言付言したい。家庭内の配線などのようなビニル絶縁電線の場合のエネルギー伝播速度は、ビニル絶縁体の誘電比率によって決まる。もし誘電比率3とすれば、伝播速度は光速度の1/√3倍程に減速するかもしれない。この線路エネルギー分布とエネルギー脈動の関係を理解するに参考となる例を挙げておこう。  「量子力学」とは何か? 新津工業高等学校 この自作実習設備での150MHz定在波は正に上の線路間エネルギー分布とその線路内脈動の説明に有効であろう。

単相線路電圧と負荷 負荷の変動に対して、常に電源側で電圧保持機能が果たされなければならない。離れた地点の負荷の変動を電源が瞬時に知らなければ対応できない。それはどのように自動的に制御されるか。負荷に供給されるエネルギーの流れを決める原因は何か。『負荷への電力供給の原理』ここに述べる事は、今まで頭の中で曖昧模糊としていた状況を明確に捉え切った解釈法である。『電圧』分と『電流』分の二つの科学技術概念に囚われて、エネルギー流をどうしても分離して解釈する事に頭の働きが固執していた。線路空間の電圧の意味を空間エネルギー分布として捉えた事から、瞬間的に負荷電力供給の意味が開けた。エネルギーで観る線路電圧 が起点になった。その事をここで述べる。電線路の電圧保持エネルギー分布から負荷にその内の幾らかが吸収される訳である。例えば白熱電球を例に考えれば、電球フィラメントにエネルギーが貯蔵され、高温度までエネルギーの吸収が続き、光放射とのエネルギー入出力の平衡までの過渡現象を経て定常エネルギー負荷となる。この辺の負荷特性の物理的意味を考える事も、納得するには難しい事である。しかし。負荷へのエネルギー供給は線路間空間の電圧保持エネルギー分布量の一部からのものであると解釈しなければならない。負荷のエネルギー吸収が線路電圧保持のエネルギー空間分布に歪みを来たす。その歪み補償の為に、その歪み状態は光速度で電源側まで伝達される。自動的に電源電圧保持の制御でエネルギーの平衡状態が回復される。負荷変動の状況は自動的に電源側電圧保持及び周波数制御によってエネルギー供給の平衡が保たれる。それが負荷電力供給の線路の物理的原理である。その複雑と見るか単純と見るかの電力系統機能を科学技術という現代社会基盤を『電圧』『電流』等の科学技術概念で構築して来た意味を、深く理解することがまた重要な事であろう。それを学ぶ意味が「真髄」という意味の理解にもなろう。

三相送電線路系統 単相と三相では、その電圧に関わる空間エネルギー分布の示すエネルギー流の状況が全く異なる。三相の電力伝送も、負荷変動がなければ、伝送エネルギー量は発電端から負荷までの送電線路空間内を直流と同じ一定値で流れる訳である。電圧保持エネルギー分布も、単相とは異なり、送電線路上のどの地点でも、三相電線路内を流れる訳でなく、その場で相順に従った線路空間内で回転分布流となっている。三相系統は別の機会に記すことにする。

エネルギーで観る線路電圧

エネルギーは空間でその本領を発揮する。久しぶりに専門的内容の論述をする。専門的という意味は、過去の常識論に何らかの修正をするという意味であろうと考える。1864年に示されたマックスウエル電磁場方程式が余りにも有名である為、電磁波は光を含めてすべて縦波だと言っても、殆ど信じてもらえない。OKWaveなどに質問しても、解答は教科書の常識から抜け出せないものが多い。確かにマックスウエル電磁場方程式を電界、磁界という概念で解釈しようとすれば、どうしても進行方向に対して横波として取り扱わなければ、表現のしようがない。それらはすべて『電荷』概念を実在の物理量とした仮定の上で理論を構築した結果であるからそれ以上の論議がかみ合わないのである。そこで『電荷』無しでどう解釈するかを尋ねてきた。今回は再び、『電圧』の意味を線路電圧として解釈し直してみようと纏めた。『電圧』は空間のエネルギー密度分布の意味を表現した技術的評価量であると。 電気回路の電線の間には電界があると考える。その電界と言う意味は一方の電線と他方の電線にそれぞれ電荷がプラスとマイナスで分布していると考えた結果に依って、電気力線が生じる。その電気力線がある空間を電界と呼ぶ。これが現在の世界の教科書での電界の解釈である。それは電気(電荷)の影響の有る特殊な空間の世界とでも考えれば、電(荷の影響する世)界と言う意味が分かり易いかもしれない。しかし、本当は電荷など存在しないということになれば、それに代わる電界と言う空間の本当の姿をどのように解釈すべきかの課題になる。その電界と言う空間の本当の意味は、電線間にエネルギーが分布しているから、そのエネルギーの量的強度が空間を特別な影響下にしている訳だと考えるべきである。そのエネルギー分布の解釈から、電線路の電圧とは何かを解説したい。

線路電圧と空間エネルギー分布線路電圧とは 電圧が掛った導線路間に電圧計を繋げば、如何にも導線の電位差を表示すると思える。だから導線の間の空間にエネルギーが分布しているために電圧計に『電圧』が示されるとは理解し難かろう。しかし、『電圧』とは空間のエネルギー分布の積分の意味と解釈すべきものなのである。上の図は電源が交流の場合で示した。たとえば三相電線路であれば、三本の導線間に時間的に変動するエネルギー分布が現れる。交流電圧であれば、無負荷、負荷エネルギーの伝送が無くても電圧分布に相当するエネルギー分布が時間的に電線路全体で変動することになる。しかしその状態の変化は電線路全体に対して、『光速度』という極限速度に近い対応で起こるので、エネルギー分布は瞬時対応で追従する。光速度の意味が電気回路にもたらす事を電力送配電系統と電気の波に示した

マックスウエル電磁場方程式の虚像 人間の頭脳の内部思考には不思議な傾向が読み取れる。それはとても大きな社会的影響力を持ち、長い歴史の岩盤のような基礎を成す。19世紀初頭から電気の実像を科学的という手法で探り込む研究が本格的に始まった。そこには、導線材料とその周りの空間に現れる現象の意味を理解しようと言う人間の本能的競争が起こった。空間の電気磁気的現象を方程式にまとめたのがJames Clerk Maxwell(1831-1879) である。人類に影響を与えた最初の科学技術の恩恵は空間を伝播する電気信号による通信技術と言っても良かろう。その空間の信号伝播を説明する理論がマックスウエル電磁場方程式である。その解釈を超える便利で有用な理論が有る訳がない。そこで空間電磁場解釈法は理論的に完成したのである。しかし、それはあくまでも『電荷』概念を自然科学の根本的拠り所としたという前提での解釈法でしかない。『電荷』概念は自然科学論を展開するには、これ程の有用な理論構築の簡便さという意味で、便利な人間的手法は無かろう。大学はじめ、電気磁気学の専門的学理を電気の最終目的としておく事によって、その教育上の権威と威厳を強固に保てると言う社会的優位性がある。あんな、発散、勾配および回転の微分式を操るだけでどれ程優越感に浸れるかは、市民的立場からすれば推して測れる。大学よ、空間のエネルギーに目覚めよ!大学の虚像から脱却せよ。どうせ空間の電界や磁界が有る訳ではないのだから、マックスウエル方程式を解説しても、その真偽は検証できない安全係数の保障の中に有る。無い電界や磁界の意味をここで少し説明しておこう。 空間のエネルギー分布から見た電界、磁界の解釈を示す。 電磁界と線路電圧電界、磁界の意味 電線路内の電磁界をマックスウエル電磁場方程式で表現できるだろうか。電気理論の根本は、電界強度を解釈するにも、『電荷』が必要である。所謂クーロンの法則である。プラス電荷からマイナス電荷への電気力線描像によって解釈される。電線路内の空間にその手法で解釈をこころみたら如何であろうか。実際に技術開発で、電波送信の実験的評価をするとき、空間の電界や磁界がどんな値であるかなど全く価値がないのである。測定できないのである。空間を伝播する光のエネルギーの状態などその光速度を考えてみれば、実験的計測法で評価など出来ない事ぐらい分かろう。要するにマックスウエルの方程式は学校での電磁気学のお飾り的教育効果しかない。この事を今改めて述べる事ができるのは本当に幸運であると言える。それだけ科学の理論と人間との関係を、市民の感性で哲学的に考えなければならない時代になったともいえる。ただ残念な事は、この解釈の初期が私には履歴が抹消された事実の只中にいた事である。昭和60年(昭和39年からか?)から63年の言いようもない闇の中に隠されたままである。 『瞬時電磁界理論』とは 『静電界は磁界を伴う』の解説 新世界への扉ーコンデンサの磁界ー 単位の換算について エネルギー[J(ジュール)]とJHFM単位系をご参照ください。