(2022/02/21) 追記。時々この記事が読まれている。この時、6年ほど前の思いが今漸く実を結んだ。例えば、瞬時電力の具象解剖 (2022/02/03)などになった。科学技術概念『電圧』と電気回路現象の物理的認識としての新しい捉え方即ち『エネルギー』の流れとして認識する事との意味の違いを示すことが出来た。
電圧とは何か? 電気工学や電気物理に関わる仕事に携わっている人はこんな疑問を抱かないだろう。電圧100ボルトあるいは3ボルトなどと日常用語としてありふれて使っていることだから。常識の言葉だから。こんな常識の科学技術用語を理解できないと言って、その正体をあばこう等と考える事を仕事にするとすればどんな仕事に成るのだろうか。全く経済的な利益を生むどころか、科学技術関係社会に反逆的な伝統破壊の行為と看做される。反発を食う研究である。そんな業務を仕事として受け入れる環境があるのだろうか。科学研究社会は、特に学術研究に属する分野では『客観性』を持って研究を進める事が要求される社会であろう。過去の先人の業績を踏襲してこそ仲間として受け入れられる社会である。それが常識の世界だ。学術研究機関に所属していれば、大いに常識に挑戦する機会もあろうが、最初から所属の無いものには不可能な事であろう。世界で誰も挑戦しない研究、「電圧とは何か?」と問う事も有意義な筈である。学術論文にも成し難い研究ではあるが。自然の本質を明らかにする重要な研究ではある。
総合科学・基礎科学・純粋科学の意義 本質を明らかにすることの意味は、誤ったり誤解した研究や方向性を質す判断基準として、総合的な評価を下すに重要なのである。経済的効果が無いと言うが、間違った高額の投資を避ける意味で経済性は大きい。それが総合科学、基礎科学、純粋科学なのである。科学研究の内容を市民が理解でき、賛同できることで初めて研究費を使う権利が得られるのだと認識すべきである。数式でなく、日常用語で高度な研究内容を説明し納得を得る事が必要になる。そこに、専門家だけの内部了解ではなく、市民社会との関わりが大切になるのだ。その時に科学の基礎概念が誰もが理解でき、疑念の無いもので初めて市民との意思の疎通ができ、健全な科学社会への安全が担保できるのであろう。そこに総合的な広い基礎科学の重要性が狭い専門性を超えて必要になるものと考える。ここでは前の電池電圧と『エネルギーギャップ』を受けて少し電圧の解釈の意味を深めてみようと思っての記事である。
電圧とは何か 電圧Eボルトの直流電源がある。銅板と銅線が図のようにつながっている。
電圧問答 直流電圧源だから、各電圧計の指示値はすぐ分かる。ただ電圧計の繋がる位置が色々だ。電圧計は何を計るかと考えて、その電圧値に成る原因を何に因ると解釈するかを尋ねている。もし『電荷』を原因と考えると、その分布を考えなければならなくなる。さてどう考えるか?こんな問答は禅問答の部に入るようで、科学論の部門では毛嫌いされる問答である。しかし科学理論は論理性を持ってその真価と尊厳を勝ち得ている訳であるから、こんな易しい日常的な質問には朝飯前と答えられる基盤の上に成り立っている筈だ?そこで答を書こうとすれば、学校教育で教えられる教科書の内容から考える事に成ろう。どんな教科書も文科省の『学習指導要領』によって教育内容は決まっており、『電子』あるいは『電荷』による解釈しか許されていないから、その指導要領に従わざるを得ない。そこで『電子』で考えようと試みる。
電子と電圧 回路の一部を取り出して電圧計V1の意味を『電子』に因って考えてみよう。鉛蓄電池や燃料電池の電池機能原理は水素原子の『電子』が陰極端子から外部配線、負荷を流れて陽極に戻り、『エネルギー』供給源としての電池の役割を果たすと専門家の解説に在る。それが負荷への『電流』の電気磁気学理論に基づいた教科書的標準理論である。しかもそれは世界の物理学理論でもある。その時の電気現象の電圧には『プラスの電荷』は電池の外部回路に関与する解釈は無いようだ。すべて『電子』だけで理論的な解釈が成されている。そのような世界標準の電気論に従って、電圧計V1の『電圧』をどのように解釈すべきかを考えてみた。①電荷分布(電子)?と電圧として銅板間にどのような『電荷』分布を描けば良いかと苦心した。『電子』同士は好きではないが、有名な『クーロンの法則』に従えば、お互いが反発しあって、集合するのはいやだ、いやだと纏まらないのではと考えると、『電子』の分布予想も出来ないのでお手上げだ。理論とは不思議なもので、後生大事に守られている『クーロンの法則』があっても、そんな法則などお構いなしに『マイナス電荷』の集団と『プラス電荷』の集団同士が向き合って対峙する構図が理論の伝統的な常識・思想に成っている。しかしこの電池の場合には『プラス電荷』は出る幕が無いのが不思議だ。だから教科書に従って電池電圧を『電荷』で描こうとしたが無理だった。それでも思い直して、マイナス側の銅板に『電子』が分布したとして、電圧計を繋いでみた。それが②電圧計である。電圧計は中味の回路を見れば、単に高抵抗rとコイルlの直列につながっただけの物でしかない。電圧と評価する部分はコイル内に貯蔵されて『エネルギー』を指針の回転に利用しているだけである。特に電圧と言うような感覚的に予想する様なものを計っている訳ではない。陽極側と陰極側の銅板の間に電気回路のrl要素を繋いだ事に成る。もし陰極側の銅板に最初『電子』が集合していて、電圧が掛っていたとする。電圧計を繋ぐ前後で銅板間の電圧にどのような同じ電圧を発生・保持するかの訳を考えられるだろうか。また、図のように電圧計(負荷)を繋いだとしたら、『電子』はどのような力を何によって受けて運動すると考えれば良いだろうか。大まかな概略論でなく、厳密な基礎理論に基づいた合理的で論理的な解釈が求められる。日常用語と基礎的な科学用語での説明なら、誰でもが理解でき納得できると思う。しかしこの『問答』にはなかなか納得できる論理的な解釈が出来ないジレンマに陥るのだ。結論を言えば、『電子』や『電荷』では電池電圧の発生原因を説明できないという事である。宇宙の話や五次元空間の話は話の実体が目の前に無いから高度な数式で論じられると煙に巻かれたような気分でうんともすんとも言えないもどかしさが残る。しかし乾電池や蓄電池の話なら、電磁気学の理論検証には十分分かり易い筈だ。この電池電圧の意味が『電荷』概念では自分が納得出来ないので、『エネルギーギャップ』の電圧発生理由で解釈する様子を示す。
空間のエネルギー分布 エネルギーにはプラスもマイナスもない。光のエネルギーと同じく、空間に金属導体に因って束縛された状況で分布する。その分布密度を予測して図に描いて示した。その密度分布を実験的に測定する方法を見つけられるかどうかは疑問だ。『電子』の分布を描く場合に似ている結果である。プラス、マイナスと言う金属導体間にそのエネルギーは分布し、マイナスからプラスまでのエネルギー分布密度の線積分がその『電池電圧』となる。エネルギーで観る線路電圧に交流の場合を示したが、直流でも同じ事である。
交流電圧 電圧は直流も交流もその本質は同じである。主に金属導体間に掛かる電気の”何か圧力”のようなものと感覚的に捉えられる。その姿・本性を認識し難い訳は実験的に測定することが出来ない「空間エネルギー」だからである。電気の眞相(2)-電圧とは何かーに述べた。科学技術の電気工学では空間エネルギーなど観測できない物理量であるから、『エネルギー』の利用と言う眼目から、実に優れた計測量として、『電圧』を考えだした訳である。『電圧』と『電流』で電気工学の基礎を創り上げたのだから、その技術的感覚は素晴らしいと先人の業績に感謝しなければならない。交流電圧によって送配電線路が構築され、『エネルギー』利用が可能になった。その交流電圧は発電機と変圧器での発生原理に新たに「磁束」と言う概念を創り上げた事により、理解し易い『電磁誘導則』で誰でもが理解し易くなった事は科学技術の意味を理解する上で大切である。「磁束」で交流電圧を理論付ける技術感覚の意味を理解すべきであろう。さて、科学技術とその基礎概念は自然世界の『真相』と成るかと言う点で改めて考えなければならない歴史的転換点に居ると思う。電気現象の物理学的解釈は自然世界の眞相を捉えるに重要な基本認識と成っている。その自然現象・自然世界を『電圧』、『電荷』、『電流』の科学技術概念で論じようとしたとき、その論理の先には混迷の未来が待ち受けている。同様に『電界』『磁界』も自然世界に実在する『真相』ではなく、科学技術の『エネルギー』利用手段としての便利な構築概念でしかないのだという事を認識することが未来への安全の思考の基盤である。
科学技術と自然世界と教育 先人が築き上げて来た科学技術と自然世界の眞相を混同しないように理解して欲しい。『電荷』など世界には存在しないのだ。今、この事の中に見える複雑な人間意識と科学的競争社会の間に立って、未来への子供達に対する教育を考え、根本から再構築すべき時に立っている。未来への教育問題は教育機関、教育者に課せられた喫緊の課題である。過去を踏襲し、先人の業績を尊重してなどと拘泥している時ではない筈だ。
『電圧』と『エネルギー』その実験的検証 昨年は物理学概念に(『電荷』への)疑念を抱き、旅立って30年程たった時に不思議な実験を手掛けた。これも予測できた訳ではなく、何かに誘われて手掛けたような実験である。変圧器の奇想天外診断で『電圧』の意味を考える切っ掛けを得た。続いて、コイルと電圧とエネルギーおよび天晴れ(コイルと電圧とエネルギー)の実験的検証、そしてまとめとしての電気の眞相(3)-電圧と負荷ーによって『電圧』と『エネルギー』の関係を捉えることが出来たと考える。