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水の電気分解

はじめに(2019/11/19)

有名な本「ロウソクの科学」を読んだ(まだ最初の何章かであるが)。なかなか理解するのに基礎知識がなく、困難である。年代は1860年ごろの出版書である。現代科学論と比べれば相当昔の話の内容である。しかし乍ら、有名なファラディーの公開実験講座の講演記録で、とても内容は高度なものに思える。実験器具や化学薬品など基礎的なものでありながら、深い内容として筆者には有意義な著書になる。その中に水の電気分解の実験記事がある。J.J.トムソンの陰極線より前の話である。『電子』概念がない頃の実験である。それでも直流電源は立派に働いていた。その本を読んで、水の電気分解がよく理解できない筆者自身を自覚させて頂いた意味でも貴重な内容の本である。電気分解は化学の話になるかと思うが、電気との関係で『電子』の意味を考える話としてとても重要な物理的内容を含んでいると思う。今取り上げている、電池とイオン化傾向そして『エネルギー』との関係の物理現象が物理学基礎理論として大変意味が有ると考える。そんな筆者の理解できない内容を自己問答として取り上げてみる。その取り上げる内容が科学知識としては本当に基礎的な知識であるから、専門家がどのように評価されるかにも関心がある。読者にも参考になろうから、ご指導をコメント頂ければ有り難い。理科教育の科学常識に関わる意味であり、特に『電子』概念の論理性の問題でもある。なお時代として「ロウソクの科学」ではまだ電子論は採られていない。

水の電気分解

現象と意味。 水の電気分解の現象を考えると、とても難しいことに思える。幾つかの場合に分けて、分からない意味をハッキリさせてみたい。自分の分からない事を明らかにするには、その分からないという意味の内容を明確に認識し、自覚することが先ず大事である。そこから研究の第一歩が始まり、より深い理解に辿り着く可能性が見えてくるかもしれない。と考える。

水とは何か?

検索すれば簡単に解説がされているが、筆者にはとても理解できない事ばかりである。水の分子一つを取り上げても、何故酸素と水素が結合して命の水に形態変化をするのか。朝露を観れば、踏み付ける草の命に愛おしさを覚える。目立たない草が水を作っているように見えるから。コンクリートの中に居ては決して見えない世界であるかも知れない。天然の精水 (2012/06/14) 。化学結合論として H2O を学習しても、何故そのように結合するかの原理は原子物理学の解明するべき内容である。自然界に存在しない電子で結合論を論じても、一般の市民が真に納得するだけの解説にならないだろうと思う(?)。クーロンの法則を電荷論の基礎に据えながら、負の電荷同士の電子が手を繋ぎあう共有結合等と言う結合力を認める合理的解釈が生まれる訳などどこにもない。そんな基本的矛盾を抱えたまま、科学コミュニケーションなど採れる訳がないと思うが如何でしょうか。

実験回路

回路①。 基本的な実験回路は①の場合である。まず図の直流電源の電池をエネルギー源としてみた時、エネルギーは電池の負極から電線近傍を伝播して、負荷対象に届く。この場合の負荷対象は水で、 H2O という分子の集合空間である。今の教科書の解釈は電子で説明されている。筆者は、その『電子』が実在するなどとは考えられない。「ロウソクの科学」でも未だ電子での解釈はない。電気のプラスとマイナスという説明もなされてはいないで、電気の力という言い方である。水に電圧を掛けると、酸素と水素に電気分解されるという実験的事実である。その実験的水の電気分解はさて、この①の場合で、筆者はここでも電池から『エネルギー』E[J]が水分子一つ H2O に供給されると解釈する。その時水の空間が負荷インピーダンスとなる。水分子に『エネルギー』がどのように印加されるかという問答になる。水中に?マークを印した。しかし、その水の空間にどのように電圧が印加されると考えればよいか良く分からない。分子式で書き表せば、次のようになろう。電源からの供給エネルギーをE[J]とする。なお、水の電気分解と水素燃料電池は丁度逆の化学反応になっている。ついでに、燃料電池の場合も併せて示す。

電気分解    H2O + E[J](電気エネルギー) =(1/2) O2 + H2

燃料電池   (1/2)O2 + H2 = H2O + E[J](発電エネルギー)

電気分解は水(実際は純水ではなく、不純物が含まれている)に電気エネルギーを供給して、金属電極と水分子の間に掛かる電圧(エネルギーギャップ)に因って分子分解をすると考えたい。電子、電荷を物理量から排除すれば、残るはエネルギーによって解釈する以外ない。その『エネルギー』と言う概念が物理学理論で明確に捉えられていないと、残念ながら考えざるを得ない。それは『電荷』や『電子』が水の電気分解はじめ、電気現象の基本的論拠となっているのが現実であるから。『電子』での解釈は原子構造論からの『イオン』と『電子』の関係で如何にも分かり易いように思えて、科学常識として受け入れられてきたものであろうが、そこには『エネルギー』の意識が抜けた、大きな矛盾を抱えたものとなっている。電源からの供給エネルギーと言う解釈が無い。『電子』では『エネルギー』の役割を担えない。そこに物理学理論の基本的欠陥が隠されている。

針状電極

『電荷』を否定すれば、イオンと言う解釈が採れない。しかし電極には確かにプラス、マイナスという違いがある。(プラス、マイナス)という表現自体が『電荷』を否定したら使えないのであるが、エネルギー供給側(マイナス側)とその対称極側(プラス)などと区別しても、もっと分かり難くなるから,やむなくプラス、マイナスで表現する。さてそのプラス側とマイナス側の電極と水の接触点で、どの様な電気的ストレスが発生するのか?一つ電極が針状の尖ったものの場合を考えてみたい。電極が尖った場合は、空気中では明らかに火花、グローコロナの形状が異なる。負極側では勢いよくコロナビームが放射するように発生するが、プラス極側では先端に固まった小さなコロナとなる違いがある。それは水の中でもおそらく同じ傾向の現象に成ると考えて良かろう。電極が針状の場合は分解効率が良くなるのではないかと考えたい。

印加電圧の極性が両電極で異なる。水と電極金属の間の極性(エネルギーギャップの電圧極性)が逆になる。電源のエネルギー供給は負極側からなされる。負電極と水の間のエネルギーギャップは電極金属側がエネルギー密度の高い状態を呈する。それに対して、陽極側の電極と水の間のエネルギーギャップは水が高エネルギー密度分布となると考えられる。陽極電極にはエネルギーはない。

プラスとマイナスの電極間にエネルギーギャップが掛かる。水分子と電極金属面間に大きな電圧(エネルギーギャップ)が分担されて印加される。学術的解釈論は水分子のイオン化が基本になっている。『電荷』が存在しないから、残念ながらイオン化論以外の解釈で理解したい。解釈の基準に、エネルギーと結合 (2018/10/10) および水の妖精七変化 (2017/11/02) さらに結合エネルギー:不思議の砦 (2018/12/02) を参照したい。水素分子と酸素分子が2対1の体積比に水が分離される。この実験的事実は科学論の基本として、紛れもなく自然の本質を表している。この科学的常識が『電荷』に因る、あるいは『電子』に因るイオンの解釈になると途端に論理性が欠落してしまう。

回路②。

①の集気は酸素と水素が別々の試験官に採取される。だから酸素と水素が別々にプラス電極とマイナス電極で分解分離されると分かる。「ロウソクの科学」でも、この②のように一つの試験管内にプラスとマイナスの電極によって、酸素と水素を電気分解しながら混合気体として採集している。その混合気体がやはり酸素と水素から成り立っていることを実験的に証明して見せているところが素晴らしいと感じた。その混合気体を燃焼させれば元の水になることを実験で示している。ファラディーのその実験では「電荷」も『電子』も説明には出ていない。ファラディーは“電気の力”や“エネルギー”と言う用語で解説している。そこには違和感はない。ー強力なヴォルタの電池、その二つの電極ーなどと表現しているが。20世紀初頭からの数理的理論偏重の構築された物理学によって、生活科学からの乖離が始まったのが原因ではないかと危惧する。そこに分かり難い曖昧さが忍び込んできた。

回路③。

この回路は①の回路の水(?)の部分を分離したらどうなるかと不図疑問に思ったものである。実験してみないと分からない。回路①の水(?)で繋がった部分の、所謂イオン(?)の移動ができない場合に水が電気分解されるだろうかと試したくなった。この回路はただそれだけの意味を示した。

水素爆発現象が有る。福島原子力発電所崩壊での実際の様子にもあった。大気圧の7倍の高圧破壊になるという。太陽の原理は水素の連続定常核融合現象と専門家は指摘している。水素核融合は水素がヘリウムに変換する現象で、その時エネルギーを放射する核融合反応と言う。ウラン原子の核分裂と逆の核反応現象であると。素人の感覚からすると、太陽の水素原子核融合反応が継続的にほぼ定常の水素原子消費で起きるという状況が信じられない理解力の無さを抱え込んでいる。クーロンの法則との関係で、原子共有結合原理の理解ができない悩みと同じく。「ロウソクの科学」で水素の燃焼実験を公開している。筆者は残念ながらそのような水素燃焼実験を見たことが無い。高圧水素ボンベでの燃料電池の発電方式は水の電気分解と丁度逆の化学反応だ。水とエネルギーの間の有り触れた不思議が考える一コマを運ぶ。

 

 

 

結合エネルギー:不思議の砦

結合エネルギーの世界
最近高等学校の化学の授業内容で結合エネルギーがあることを知った。ヘスの法則も1840年頃の発表であったらしい。しかし1954年に受けた授業の化学には無かった内容のように思うが、勉強しなかった為に知らなかっただけなのかも。筆者の知らない世界の化学であった。時代遅れを恥じる。結合エネルギーと言う用語は、高等学校での電気工学の教科「発変電」を教える時に、原子核分裂の物理現象の解釈理論として学習書を通して初めて学んだ。原子理論の質量ーエネルギー等価則として理解して来た。その原子理論の結合エネルギーを今考え直してみると、混乱してしまうほど理解できていない自分に戸惑う。筆者も高校1年生で化学の授業を受けた。原子結合の共有結合がクーロンの法則の原則に従わずに手を繋ぐ意味が分からず、化学への学習閉塞を来たしてしまった過去が在る。そんな過去を今まで引き摺って来たのかと思うほど、高等学校の理科の科目、化学の結合エネルギーと原子核理論のそれとは真逆の意味ではないかとさえ錯覚するほど混乱をしている。原子の鉄を境にして変わると原子論では唱えられる。そこで、結合エネルギーの物理的意味は『エネルギー』の空間実在量として解釈する時、どのようなものと捉えれば良いか疑問に突き当たる。高校生が学習できるのに筆者には理解できない現在の化学の結合エネルギーのように思う。結論への話がマグネットの結合模様につながればと儚い期待を持って。結合エネルギーの空間像をどのように描き得るかと。

高等学校の理科「化学」での結合エネルギー その結合エネルギーの意味は原子結合での外殻電子の共有結合の結合エネルギーとして解釈しているようだ。その時の電子の結合に果たすエネルギーをどのような物理的意味で捉えているかと解説を読んで確認しても、極めて漠然とした曖昧な意味にしか見えない。共有結合とは、どのように『負の電荷と質量を統合して空間を支配する実在物の電子―これが専門家の素粒子論で曖昧な実在性のままだ―』と言う素粒子が互いに他を共有し合うという結合の理屈が見えない。何故電子同士が結合の力を生みだし得るのか。その共有結合という役割を担う科学論の論理性に基づくエネルギーがどのようなものと捉えているか?その電子同士の結合に関わるエネルギー概念の論理的な解釈・意味合いが全く見えない。それは考える科学と言うより、科学常識を覚える理科教科にしか見えない。生徒も疑問に思っても、授業を邪魔してはいけないから、何故かとは質問もし難かろう。筆者もこの度初めて化学結合の結合エネルギーと言う解説が在ることを知った。検索から学習させて頂いた。しかし残念ながら、筆者の能力では化学での結合エネルギーの意味が理解できない能力不足の壁に突き当たったまま前進できない。その疑問が結合エネルギーの専門家の解説を読んでも、高い砦となって立入れない始末だ。その疑問を恥ずかしながら、ここに記したい。

結合エネルギー 結合エネルギーの意味が理解出来ずに、その疑問の対象に水素、酸素および水について検索から拾った関係式を挙げた。先ず、(1)、(2)式について考える。(1)式は2個(2モルという意味と思う)の水素原子が結合して水素分子になると、432kJのエネルギーが放射されるという意味なのか?水素原子が分子でなくても普通に存在するという意味か。その原子が2個結合すると放射するエネルギーと水素分子で式の等号がエネルギーの等価の意味で成り立つという意味で捉えたくなる。当然質量がエネルギーとして等価換算された意味での等価性として。その上で、2個の水素原子が結合すると、その水素分子は質量が減少して、結合のエネルギーに費やされてしまうそのエネルギーが432kJの結合エネルギーだという意味か?総体として質量のエネルギー変換量と質量の総和はエネルギーとして同じ意味でなければならないと考える。式の等号の持つ意味に照らして、その+432kJの意味が理解できない。(2)式の酸素の関係についても同じく理解できない。(3)、(4)式の水の生成について286[kJ]と言う生成エネルギーが在ることも初めて知った。この式の意味するところは燃料電池との関係でとても興味を持つ。286[kJ]のエネルギー量は化学の標準気圧で温度273[K]での評価量であろう。燃料電池は水素ボンベの高圧ガスが使われるから水素の保有エネルギーは高いものである。そのような実際の技術との関係で解説が欲しい。その時本当の意味で、286[kJ]の意味が分かる筈だ。燃料電池は電気エネルギーの供給源で、電子で解説されるが、この286[kJ]を電子が負荷に運ぶのだろうか。そんな意味が理科の化学に解説して頂かなければ、「理科基礎」への統一は困難だと思うから。

燃焼 前にお恥ずかしいながら、焚火の科学などを書いた。それも今年(2018/05/26)の記事だ。結局この式を知らなかっただけのことであった。炭素と酸素の結合エネルギーと言うことで、高校生の化学の教科書の内容である。そこで考える。焚火の科学にも有る、何が等価であるか である。上の394[kJ]のエネルギーが結合エネルギーと言う意味なんだろう。炭素と酸素が化学的に結合して、炭酸ガスになる。ここで解説によれば、炭酸ガス1[mol]を分解するには394[kJ]のエネルギーを加えないと、構成要素の炭素と酸素に解離することが出来ないとある。その意味を咀嚼すれば、394[kJ]はCO2の分子の中に結合力として内在しているエネルギーと言う訳ではないようだ。それなら結合エネルギーと言う表現の用語の意味とは異なるように思う。分子CO2内に結合の働きとしての役割を持っているなら、その中に在るエネルギーの筈である。従って外部から394[kJ]のエネルギーを加えて要素に分解するという意味とは異なると思う。新しい大学入試試験問題の内容も記憶だけでなく思考力を重視すると考えられているようだ。この結合エネルギーと言う意味を取上げても、そのエネルギーと言う意味を教育する側が具体的にどのようなものと納得できているのだろうか。何かただ教育手法として過去を引きずっているだけではないか。やっと燃焼の意味が分かったかと安心したのだが、良く考えると能力不足から高校生が学習する内容さえ理解できないで混乱している自分の無様を恥じる。疑問が増えるだけで、理解に至らない。炭素C、燃料の薪を燃やす時の化学的燃焼現象を日常生活の中で理解することが自然科学の理科の教育内容として求められることであろう。炭素と酸素を反応させるには条件が在る筈だ。炭素の1モルは炭素分子(ガス)と言う捉え方はしないようだ。炭素がガス化しないと燃焼条件を満たさないだろう。炭素と高温水蒸気との関係での結合もあるようだ。394kJのエネルギーがどのような意味を持ったものなのかが明確でなければならない。燃焼の発熱エネルギーは結合エネルギーとは関係ないものなのか?炭素と酸素の化学的結合で発生する熱エネルギーが幾らか、またその燃焼環境条件が何かが日常生活に関係した自然科学論として教育すべき内容になると思う。山に柴刈りに行って、薪を蓄え生活の竈を守る営みの中で燃料・炭素の酸化現象は飛び抜けた燃焼の意味になろう。単に結合エネルギーで説明が付くとは思えない。そこには原子構造で硬い粒子の原子構成要素と言う捉え方でない、エネルギー粒子が見えるからの解釈である。当然「電荷」は実在しない事になる。同様に水素燃料電池の発電エネルギーと結合エネルギーの286kJとの関係も明らかにされなければならないと思う。

原子核分裂理論の結合エネルギー 

科学技術の拠り所が原子論である。エレクトロニクスは現代社会の情報革命を成した。エレクトロンはその根源概念の電子である。原子構造論がなければ電子もなかった。原子構成の基は陽子、中性子そして電子となっている。人の意識には『電荷』が在って初めて科学を論じられる。自然の世界は『電荷』の支配と人は意識する。その中でその『電荷』を否定する観点から原子構造に疑問を掛ける。原子核分裂元素で発電技術に利用されるのは殆どウラン235である。核分裂における結合エネルギーは化学結合の結合エネルギーとは意味合いが異なる。原子核内の陽子と中性子が結合することによるその原子の質量欠損分を結合エネルギーと評価しているようだ。基の陽子と中性子の質量の総和よりウラン原子の質量が減少していることを質量欠損として捉え、その質量減少分のエネルギー換算値を結合エネルギーと呼んでいる。そのウラン原子核が核分裂すると、エネルギーが放射されるとの論理が核分裂現象の理論となっている。おかしくは無いか?核分裂の前後で少ない質量から分裂後に質量が増える結果になる。ウラン原子が中性子と陽子の質量の総和より増加していれば、分裂によって質量がエネルギーに変換したと理屈が成り立つ。核分裂して分裂後の質量が増えていれば、核分裂で質量がエネルギーに変換されたとは成らない筈だ。原子核理論の結合エネルギーの意味は、核分裂によるエネルギー放射の理屈が成り立たないではないか。確かに分裂後に陽子と中性子になる訳ではないが、分裂後の分裂原子の全ての質量を算定するなど不可能である。検証はできないが、質量が欠損したウランのどこに質量がエネルギーに変換される論拠が在るのだろうか。実際に原子核分裂でエネルギーを利用している。結合エネルギーの意味にはエネルギーを生み出す原理が見えない。もう一つ理解できない原子核分裂理論が在る。ウラン235はウラン鉱石に0.7%しか存在しない。ウラン238は99%も含まれているが、それは核分裂燃料には成らないようだが、その訳は何故か?自然界の存在限界に近い質量のウランでありながら、何故238は分裂しないのか。その理由が明確でなければ原子核理論が論理的とは言えない。人の科学理論の理解し得ない砦の魔境が在るようにも思える。

マグネット結合 

マグネットは天からの贈り物だ。眺めても何も見えないのに、周りに不思議な力を作り出す。魔法の力だ。物理学でも、磁束を作り出す『磁荷』は世界に存在しない事になっている。電束の基は電荷となっているから、磁荷がなければ磁束も無い筈だ。とは言っても電荷が実在しないにも拘らず電束があると解釈されている電磁界理論であるから、磁束を責める訳にもいかない。実在する世界の根源要素はエネルギーだけで十分である。マグネットもその近傍空間、NSの磁極近傍のエネルギー流がその磁気の機能を特性付けているのである。1年程前に水と水素とエネルギー流として絵図にした記事水の妖精七変化(エネルギー)が在る。水素をマグネットのエネルギー流として解釈した。次のマグネット結合になる。

マグネット結合 結合エネルギーは質量欠損と関連付けられている。結合すると安定するから質量が減少すると解説される。質量は全くエネルギーと等価である。その事からマグネットの結合をその原理の解釈法に取れば納得出来ると考えた。マグネットには磁極近傍空間にエネルギー流が在る。3個のマグネットを結合したとする。それが②である。結合した結果、結合面のエネルギー流はなくなる。3個のマグネットで、6個のエネルギー流が有ったのが、その内のエネルギー流4つが消える。エネルギーと結合(2018/10/10)にも有る。

 

エネルギーと空間と質量

World Reality今朝、朝日新聞の読書欄に 怒り心頭の物理学者 科学哲学者と大激論 の副題で記事が載っていた。これから少し、科学哲学者らしい論考をまとめようかと思う。論点を端的に表現すれば、上の筆字に成るかと思う。いつまでも自然科学の本質への追究はやめる事が出来ない。市民が主役の科学論の世界になる為に。

『エネルギー』 このエネルギーという言葉が何を指すかを本当に理解しているだろうか。何とか自分なりの解釈を探って来た。エネルギーの分類

なかなか新しい纏めにするにはあやふやな感じが否めないが、現在の自分なりの感覚で、エネルギーの分類を試みた。少なくとも、質量に固執した狭いエネルギー感覚だけは脱して欲しいと願う。そんな思いで一つの試みを提示する。

エネルギーの分類としたが、それぞれのエネルギーには特徴がある。一番分かり易いと思う「運動エネルギー」を取り上げても、質量に付帯したエネルギーという事は、質量の他にエネルギーが増加した事なのだろうか。即ちエネルギーE=mc^2^のエネルギーが質量という中に含まれているのである。その事は最後の『質量』の話のときに論じたい。理解し難いエネルギーが位置エネルギーである。ポテンシャルエネルギーと洒落た用語で使われるが、本当のところ分からない概念である。このように1つ1つ解釈する意味を述べるべきかとは思う。熱エネルギーも『温度』との関係で、人によりその解釈する内容が異なると思う。あるいは、「お前だけが常識外れの解釈をしている」と罵られそうな気もする。物体・質量の温度が上がると言う事は、そのものの中にエネルギーが蓄えられたからと解釈すべきであろう。振動の運動エネルギーだと言われそうだが、そんなものではないと解釈する。調理用電熱器が高温になるまでには、どんな手段であろうが、エネルギーがそのヒーターに蓄えられたからである。冗長になるからやめましょう。

圧力エネルギー 自分の分類の意味が気になった。④圧力(音圧)エネルギーの意味に戸惑った。音圧、音声は局所性には分類されないだろうと思った。明らかに媒体(物体)に乗って、媒体を乗り継ぎながら、伝播する縦波の音声衝撃エネルギー(音声のエネルギー波を観測できれば、正弦波ではないと考える。例えば、人の声帯から発せられる波も正弦波とは考えられないから)の連続波である。だから音圧は局所性に入れるべきではなかろう。関連する記事を挙げておきたい。楽器などの弦は、振動が波を打っているが、それを縦波と観る。三味線と縦波に弦の歪み張力伝播解釈を記した。ここでの圧力エネルギーはボイル・シャルルの法則で解釈できるもので、圧力と体積の積で捉えるエネルギージュールの量である。大気圧を取り上げれば、地表で1気圧という空気圧は1㎡当たり、10トンの圧力がかかっている事になる。そんな圧力を感じないがそれが実際の事である。その空気1立方メートルの体積が空気媒体に保有する圧力エネルギーで、98キロジュールとなる(10トンは1万キログラムだから、その圧力は9.8×10^4^[N/㎡]となる故)。そんなエネルギーが身の回りに有るなど少しも気付かないで生活している。海底4000mの圧力エネルギーは相当なものである。そこで地盤沈下が起きれば、その津波エネルギーも計り知れない。これらはそれぞれの場所に局所化されて蓄えられているエネルギーと看做す。ついでに、道草問答(1)ゴム風船で、大気圧下のゴム風船のエネルギーを計算するのは難しそうだ。大気圧に加算されるゴムの張力と体積が必要だから。

Space 空間の意味を問う 改めて『空間』とは何かと考えてみると、漠然としか思い描けない。大まかに答えようとすれば、二通りの観方があるようだ。一つは日常生活上で意識する空間。もう一つは少し特殊な理数系の思考に上る物理的空間。

日常生活上の感覚空間 部屋や田畑あるいは山並みの広さ。空を見上げて見える広がりや月、星を眺めて思う遠景。

物理的空間 運動方程式を展開する思考空間。特殊な高等理数教育で訓練された専門的頭脳集団の一般相対論的認識空間。その思考には、人間中心的自然観で解釈する傾向があるように思う。それに対する光規定空間(自説)。光速度基準で捉える光規定空間は特殊相対性理論や一般相対性理論的空間認識の数学的解釈論の難解さはないうえに、本質的にそれらの論理を否定した簡明さに重きを置いた論である。ただ、光の規定空間をわれわれ人間が意識し、確認出来るかというと、それは本質的に無理である事を知らなければならない結果になる。何故なら、我々が自分の運動状況を知ることは出来ないからである。だから、光の観測はすべて相対的観測結果である。その事を前に空を見上げてで記した。更に、『特殊相対性理論』は詭弁論等に関連記事あり。

この「エネルギーと空間と質量」を考えると、そのつながりが複雑に見えて、別に項目を分けて記したくなる。それが世界は重層構造エネルギーの共振現象である。

空間を科学の対象として捉えるとき、そこに何か物質や物の存在する領域として考える。運動方程式は物が『質量』の場合である。しかし『光』を対象とするとき、その速度を人間が制御できない事から、『光』そのものの特性を考察対象の空間の中でどう理解するかの他力本願的解釈にならざるを得ない。光の『光速度』とはどの空間に対してなのかを人間は知り得ないのだ。ただ物理的解釈の対象としての「空間」を捉える一つの拠り所は、空間定数の透磁率と誘電率の定義定数しか持ち合わせていない。この定数は、運動方程式の『質量』に対しては全く考慮されないし、する必要もない。しかし、微視的量子の問題になれば、その定数を無視することは出来なくなる。その基本量の問題が「光」の場合である。光は『光子』と言う粒子あるいは量子的捉え方が量子論の基礎になっている。電気工学では、空間とその空間定数は密接に結びついた対象として見るが、素粒子論や宇宙論では空間特性にその定数を対象に考える事が無いように思う。『時空論』と言いながら、誘電率や透磁率が論理に出る事はないように思う。私は、電気工学の基本として、それらの定数無しに考える事は出来なかったから、「光量子」でもエネルギーを考えるにその定数無しに考えられない。Energy in Space空間にエネルギーEがあるとすれば、その定数の影響を必ず受ける。原子、分子構造の中で、変化する電磁エネルギーや光エネルギーは正にその空間特性故の変換をするものであろう。少し話が飛躍するが、揚羽蝶の翅の放射光等が幾何学空間的特性で決まると考えている。その空間が空間定数のどのような値で捉えるべきかは今のところ明確ではない。しかし空間構造と光エネルギーの共振現象と看做したいのである。「Color cell」とその空間を勝手に名付けた。色の世界を尋ねて で名付けた。その空間定数で捉える空間にエネルギーEが存在する時、どんな特徴を持つエネルギーに変化するかと言う捉え方をしたい。『質量』になるか『光』になるかはすべてその空間の広がりと特性で決まると捉えたい。

日常生活の中で、その空間と光の意味を取り上げてみる。お日様に当たると、太陽光のエネルギーが衣服や肌に入り込む。そのエネルギーで暖かいとか暑いと感じる。エネルギーが皮膚の表面の細胞か、その表面空間かに入射すると考える。その光には質量など無く、光そのもののエネルギーの縦波でしかない。皮膚細胞の空間形状と光波長の寸法に関係する現象であろう。入射したエネルギーは皮膚の中で光のままで居る訳はない。量子力学によれば、皮膚の細胞の分子か原子の周回最外殻電子の運動エネルギー(質量依存)として吸収されて何とか理屈をまとめなければならなくなる。空間に『エネルギー』が質量に依存しないで独立に存在すると言う解釈が無いようだから、止むを得ない。そんな行方不明のエネルギー論は採りたくない。どう考えるかと言えば、光エネルギーが皮膚の中に入射して、速度ゼロ状態に変換すると考えて良かろう。どこにどのように吸収されるかは分からないが、何らかの質量に変換すると考えたい。光エネルギーと熱エネルギーは、エネルギーの形態が違うだけで、エネルギーに変わりはない。『質量』とは何かと考えたとき、原子量等と、いわゆる物理学理論に基づく厳密な「科学論法」に従って解釈しないと、科学論としては認定されない事になり、エネルギーと質量の関係が落とし所も無いまま行方知らずで済まされる可能性が大きい。オラそんなのやだ、で異議を挟めば、『エネルギーと質量はどちらも同じものである』と言うことになる。こんな直覚的エネルギー空間論は大学等の学術機関の科学論には認定されないだろう。素人論と言うことになる。

質量 最後に質量について考えを述べよう。質量とは何か?質量とは?結論を言えば、空間に存在するエネルギーが局所化して、質量になる。光のようなエネルギーがどのような経過で、質量化するかと言う点が大きな問題である。その基本になる拠り所として、エネルギーの局所空間に渦巻状で停滞すると考える。Binding Energyその様子を図案化してみた。原子、分子の空間構造物の中に取り込まれるには、先ずエネルギーの軸性回転状になると解釈した。原子間の結合も、電子同士の結合では、結合力の理屈が成り立たない。原子表面の磁極間の結合と解釈している。その結合力をバインディングエネルギーと表現した。この用語は元々原子核エネルギーの質量欠損の話に使われている用語である。そこでは、質量と『結合エネルギー』を等価的に捉えた解釈を取り入れている。その解釈は大変有用と思う。磁気が空間内のエネルギー回転流と解釈した事から、論理的に繋がって素直に受け容れ易いものと思う。原子結合力も、エネルギーが原子空間表面に吸収される状況が、エネルギー回転流で収まると睨んだ。

質量とエネルギーの等価則 エネルギーも質量も表面上の形態の違いから、全く異質のものと解釈され易いが、その間には何も差が無いのである。エネルギーはそのまま質量である。ファイルにまとめてみた。質量とエネルギーの等価則

以上で、エネルギー・空間・質量の関係についての解釈は出来たと思う。

焚き火と蝋燭

焚火と蠟燭次々と分からない事に自分なりの解釈を重ねてみる。膨張に熱が隠れる極意かな」は2年前の年賀はがきの版画である。熱エネルギーが気体分子運動論で解釈されているのが現代物理学の常識論である。大学の理学系で仰々しく取り扱われている内容である。しかしそんな理論は理解できないし、間違いであるとの思いを表現した版画である。右の蝋燭は同じく熱エネルギーがともし火の光となる意味を考える絵図に描いた。

燃焼過程燃焼の化学式は

C + O2 =CO2 + E(熱、光エネルギーあるいは圧力・膨張エネルギー) のように書き表されよう。

薪も炭も蠟も燃焼時に高温度でガス化して、その燃焼成分の炭素 C と酸素 O の化学的結合として、エネルギー E を発生すると考える。その解釈が教科書での燃焼説明になっている。私はその解釈に納得出来ない。先ず化学式では、炭素も酸素も幾ら燃焼しても、その元素は増減しないとの前提での式と観れる。エネルギーEは燃焼エネルギーとして、丁度原子核分裂原理の核の結合エネルギーの開放と言う解釈に似て、魔法の力の如くエネルギーが放射されるように見える解釈である。原子核分裂では、結合エネルギー(この意味も捉えようのない用語である)と言うが、質量欠損としての意味は含んだ解釈になっている。だが、焚き火の燃焼現象は、どうも質量の変化は認識されていないようだ。様々な元素と酸素との結合が燃焼としてのエネルギー解放に利用できる。それぞれの元素ごとに燃焼の熱量が決まっているようだ。燃焼とは何か

燃焼とは何か 何故そのように燃焼熱が決まった量で発生するのかが不思議だ。その解放エネルギーの意味を理解する事が燃焼現象の物理的解釈であろうと思う。IT検索すると、詳しく燃焼熱量の数値が示されている。それがどのように確認された値であるかは、実際に実験して測定しないと必ずしも正しいとは確認できない。なかなか実験は難しいと思う。燃焼の意味を理解するには、逆に木材・石油などの燃料が太陽光線によるエネルギー蓄積で、この地上に生まれた訳まで遡って理解する必要が有ろう。それも難しい事ではあるが。ただその中でも植物の光合成の事はある程度分かっている。植物が地上の生命を育む為に、太陽からの光エネルギーを質量として変換して、その御蔭で全てのエネルギー連鎖が可能になっている訳である。考えて見れば不思議である。地球が生命を育んでいる訳ではない。全てはその太陽系の中心に在る太陽と言う『お日様』の御蔭なのである。地球の心臓部は地球の中心に在り、更にその系の中心の太陽がすべての生命を育んでいるのである。太陽電池も太陽光線を如何に効率良く取り入れて、エネルギー変換するかの技術として見られよう。シリコン表面から太陽光線を取り込む技術と見られよう。燃焼現象も太陽光発電現象も、どちらもエネルギー変換・獲得技術である。どちらもエネルギーに変わりは無い。

植物光合成 CO2 + E(太陽光線など) + 諸成分(水、土・空気中成分)= C(植物構成細胞成分リン、硫黄あるいは窒素など) + O2 + H2O

上の文章式で、光合成の意味を自分なりに表現してみた。

燃焼熱・光放射のエネルギーはどこからもたらされたか? 質量変換以外なかろう。質量とエネルギーは等価であるから(2018/02/13)。