タグ別アーカイブ: 筆墨

おまえはどこから生まれ

どこに向って行くのか

その行方も見えない

だが確実なこと

それは

おまえが世界を

創っているということ

目に見えない現実の中に

ずっとひそやかに

その世界を

支えて来たのだと

光によって世界を見る。しかしその光の本質を知っているだろうか。光の本質と言えば、その物理的空間像の意味で捉えたい。光は空間を光速度で伝播する物理的実体である。プランクの理論によって観測上の評価法が確立された。観測の基準は振動数である。振動数によってその光の物理的特性が評価できる。可視光線なら、その色によっても目で大まかな波長(振動数)は理解できる。それでも光は振動する実体を持ってはいない。しかもその光の一波長のエネルギー量は測れない。空間を光速度で伝播するエネルギーの縦波を計測することなど不可能であろうから。光の本質を知ることは電気磁気学の本質を知ることにつながる要でもある。電界や磁界の意味を知ることにつながる。『エネルギー』の意味を知ることにつながる。

 

 

恩義に応えたくても・・

體に松亨の壽有り

野上様 (雅号:無我):1月ほど前に、ある美術館にお邪魔して、教えていただいた。小柳様と思っていたが、落款に「野上」の名前があると教えて頂いたので訂正させていただいた。誠に申し訳なく、野上様には失礼をお詫びします。

こんなに我が身を思って頂いたのに、お恥ずかしい限りだ。ロイヤーインバータの研究と言うほどでもないが、昭和46年春誘導電動機の運転をしてみようと、公益法人産業教育振興中央会の研究申請で、研究費を頂いた。しかし、体調が悪く急性肝炎で4月末に病院に入院した。眼が黄色くなり黄疸で絶対安静となった。その同室に入院されていた方が野上様であった。細野先生の特別のお計らいで、3カ月ほど入院させて頂き生命を救って頂いた。野上様が退院されて後、何も仰らずに掛け軸の書を下さった。その時も詳しくお聞きしないで、其れっきりとなり何も知らずに過ごしてしまった。ただ、三条市下田村、あの有名な漢学者、諸橋徹次博士の生家の村であるとは聞いていたように思った。当時は、書道にも筆にも縁が無く、殆ど忘れて過ごした。今から十何年か前に、何軒かその村でお尋ねしたが、分からず仕舞いできた。今その書を見れば、その恩義に答える術もないかと思うだけだ。ただ御蔭さまで、少しは健康で新しい科学論を展開できることを感謝したいと思う。野上様の消息を知ることが出来ればと念じていたい。

後になった振り返っては後悔ばかりだ。当時の新津工業高校の源川 誠校長(後県教育委員会、管理課長に転出)や、電気科の実習の割り振りで先生方にもご迷惑を掛けた。本当に大変だったと思うと申し訳なかった。しかしそのことも全く意識していなかったことを恥じ入るばかりだ。また初代の校長田中 敏夫は学事課長に転出。

何かロイヤーインバータが現在の科学論の原点になっているようで、不思議な思いがする。

独楽の心

(2019/01/23)追記。ジャイロスコープの実験。

ジャイロ独楽 約32g弱の独楽。ひょっとしたら、エネルギー分の質量増加になっているかも知れない。

   デジタル計測 それでもどれ程の精密なら可能かと問うのも不可能だろう。記事末に述べた結論の『謎ときの予想 軽くなる』は確認できなかった。出来る訳がない程の微細な値であろう。最初にこの実験を思い付いたのは『エネルギー・質量等価則』から質量に回転エネルギーが加算されるのではないかとの思いからであった。重くなるの結論にも至らない。(2019/02/08)追記。計りに掛る重量変化は花一匁の心の重さに等しく、計測できない事ぐらいははじめから分かっているが、自然の心を読む科学意識の問題として取り上げた。回転エネルギーを光速度の2乗で割った値を計測できない事ぐらいは誰もが知っていよう。

独楽の秘め心 その立ち居振る舞いに世界の謎が見える。謎を秘めて立っている。解らない疑問が世界の謎である。疑問が自然科学の理解への第一歩。解らないこと、不思議と思うこと、そこに心を寄せることが科学の基礎研究の姿と。

独楽は一筋 独楽は 一心に生きる 心は 不動の一筋。独楽は何故回り続けるか。独楽の全てを支えるのは不動の一筋の心だ。その心は回転もしない不動の無である。その心に対して決して重量が対称ではあり得ない。非対称性が大きければ不動の心にはならない。僅かの非対称性は殆ど影響なしに独楽は廻る。独楽の特性を科学的に論考してみようと考えた。しかしそこには謎が多過ぎる。解き明かせずに、独楽の心が重く圧し掛かる。

独楽の心を推し量る

 独楽の重量                                                                  独楽は物理的特性で際立つ評価係数に、慣性モーメントをもっている。その次元は[kg]のIまたはJで表される。慣性モーメントはその剛体の或る回転軸に対して、どのような回転角速度による回転エネルギーの貯蔵特性を持つかを示す回転体の特性を表した係数値であると言えよう。ジャイロコンパスや独楽はその代表的なものと言えよう。また、地球や太陽系銀河もそのような一つの形態と看做されるかもしれない。

独楽の謎 独楽の重量を計りたい。全く経済効果のないという観点から、役にも立たない無駄な研究と言われそうだ。しかし役に立ちそうもないが故に、それが基礎研究と言うものと思う。結果が予測出来ない、何時完成するか予測が出来ないから、隠れて愚かさと笑いを噛みしめながら、コッソリするような研究になろう。独楽を計りに乗せてその重量は計れる。難しいのは、独楽を回して回転ゴマの重量を計ったらどのような結果になるか。と言う奇想天外な計測実験である。『エネルギーと質量の等価性』と言う世界の科学認識がある。独楽の回転体は質量の他に回転エネルギーをも内蔵した物体である。さて、その合計の重量はどのような値と解釈すれば良かろうか。と言う一つの命題が生まれる。見えないエネルギーの意味をどのように観るかの世界認識の謎に思える。それは太陽系の重量が有るのか無いのかにも繋がる謎でもあろう。独楽の回転エネルギーEは慣性能率をI[m^2^kg]とすれば、

E=(1/2)Iω^2^ [J]

と言う値で科学的に認識される。この意味は運動力学の常識的質量に関わるエネルギー量である。さて、そのエネルギーと言う物理量はどのような実在量なのか。誰もがエネルギーと言う用語は良く知っていよう。化石燃料や灯油、炭など火の発熱体更に太陽光や水力等の発電用自然現象を思うだろう。しかし、エネルギーの姿を空間像で認識しているのでしょうか。エネルギーが実在するという意味は、それは必ず空間の体積を占めている筈で、エネルギーの空間像を描けなければ本当に分かるとは言えないのではないか。炭火を起こせば、発熱して熱エネルギーを放射する。その熱エネルギーは炭から空間に放射されるエネルギーと言う用語で表現される、質量に無関係の光のエネルギーなのである。しかし、元は炭と言う質量体と気体の酸素の化学反応として生まれた質量・エネルギー変換現象なのである。酸素原子と炭素原子とが燃焼により熱エネルギーに変換された前後でその質量の減少と言う変化がなければ、質量とエネルギーの等価則は成り立たない筈だ。物理と化学の理科教育に於いてエネルギーとは何かを認識すべき要として捉えるべきである。その意味での独楽の回転エネルギーはどのような実在量と認識すべきかの命題と言うことになろう。独楽の回転速度とその独楽の重量の関係はどう理解すべきか。重くなるか軽くなるかの答えが欲しい。

謎解きの予想 軽くなる。独楽の質量に回転エネルギーが付加されるから、質量・エネルギー変換等価則から解釈すれば、当然等価質量は増加すると考えるべきだろう。従って回転ゴマの重量も重い計測結果になると考えたいのが普通であろう。結果が軽くなるとすれば、回転と言う現象の持つ意味が改めて謎になる。機械的エネルギー貯蔵用のフライホイールの軸荷重の問題で、既に答は得られているかも知れない。また、北半球か南半球かでの荷重に回転方向の右向き左向きが影響するのかどうかに判断の難しい面が残る。

“軽くなる”その心は。独楽の質量に乗った、独楽空間の回転エネルギー流の単位面積密度ベクトルw[J/m^2^ s]の微分計算 rot(w/v)[N/m^3^] の軸性浮揚力(単位体積当たりの上向き力)に託して。回転角速度ベクトルω[rad/s]を回転軸ベクトルとする。 v= |v| =| [ω×r]| [m/s] は独楽の空間座標点ベクトルrの質点回転速度ベクトルvのスカラー量を意味する。竜巻の上昇気流の定常力(時間微分の過渡状態は含まない)に同じ。新しい年を迎えて思えば、ボーと生きる以外に方策のないまま時が過ぎた

(2019/01/09)追記。回転瞬時速度ベクトルv [m/s]とはどのような意味か?考えたら「ボー」としていたようで、どう確定するか分からない。1秒間じゃベクトル方向の意味を成さないから。1[μs]でも長すぎる。自動運転車が道路上に猫が倒れていたらどうするか?道路に少し陥没が有ったらどう速度調節して運転するか?「ボー」と速度を考えて記事にしていたようで誠に難しいと知った。

山の木霊

木霊
山は何故そこに在るか。周りを見渡せば必ず山が見える。地球の歴史を秘めてそこに在る。昔懐かしい映画「シェーン」を思い出した。その主題歌は遥かなる山の呼び声であった。人が地上に生まれる前から山はあった。大型動物恐竜の世界もあった。その環境は恐竜が生息するに対応する巨樹の世界であった筈だ。その遥か昔の山の呼び声が今も人を呼んでいるのかもしれない。人はその山の意味を知らないだけのように思える。山には木霊(コダマ)が生きている。樹木の霊それが木霊だ。そんな思いが強くなる。やまびこ=山彦=山の神も同じ意味の言葉か。世界遺産の中に山が多くある。みんな人の心を引き付ける魅力を奏でている。

山よ

その威厳

遥かなる営み

伝えてよ

その遠き思いを

広く世界に

山の成り立ち

山はどのように出来たか。それは海底はどのように出来たかと同じ疑問でもあろうか。海の水がなければ、山の意味も全体像で確認できるかもしれない。きっと地球の誕生の昔の歴史を秘めた地球核暗黒の灼熱(光放射空間がなければ暗黒である)が語っているかも知れない。物理学の知見で熱(エネルギー)は温度の高いところから低い処に流れるということを知っている。地球の営みの根源は太陽と地球核のエネルギーが握っている。太陽系の全体の回転エネルギー流もその役割を担っていよう。山には火山もあれば火山でないものもある。火山は中心核からの燃焼物の排出現象と観る。地殻変動は新たな核への熱源燃料の供給の地球の営みであろう。火山でない山が何故在るか。その岩・岩石の姿が何を物語るか。やはり最大の謎、それはエベレストの最高峰であろう。学説は地殻変動・大陸の衝突で盛り上がったとの説が有力になっているようだ。その麓にはアンモナイトの化石が埋もれてもいる。それは海が盛り上がった結果としか考えられない。しかし、ヒマラヤ山脈にあるエベレスト山の岩石が地殻移動で盛り上がった結果の山とは信じられない。そのネパール側のサマルガータ国立公園はユネスコの世界遺産。チベット語でチョモランマとも。

世界遺産の山 世界遺産に登録されている多くの山が有る。火山でないものが多い。その山は何故出来たかみんな不思議だ。

(2019/01/18)追記。今日テレビの録画、NHKの“絶景 巨大石柱林~中国 張家界を鳥瞰す”を見た。それこそ巨樹の化石の姿ではないか。マチュピチュの水の不思議の謎とも繋がる。勝手な科学的根拠も無い感覚からの解釈ではあるが他に解釈のしようがない。

モン・サン・ミシェルとその湾(フランス、文化遺産):岩山の上に築かれた修道院・城。その基礎の岩山が何故出来たかの由来が不思議だ。

ドロミテの灯台(北イタリヤ世界遺産):ドロミテ渓谷にある3168mの山。アベラーウとモンテ・ペルモ。

モニュメント・バレー(アメリカ、ユタ州~アリゾナ州):先住民ナバオ族の聖地で、ジョン・ウエイン主演西部劇の舞台でも有名。巨木の化石でなくて他にどんな説明が出来るか。

マチュ・ピチュ村(ペルー共和国の複合遺産):標高2430mのインカ帝国の遺跡。村全体の風景を観察すれば、丁度それは巨木の中腹に創られた村に見える。その周辺の山も含めて全体が山脈を成しているようだ。その山群は火山性の山とは見えない。山肌を見れば如何にも柱状節理に見える。不思議の謎に水源が挙げられている。その謎ときの一つに巨樹の導水管が挙げられよう。何も導水路を作る訳ではない。今日その村の風景を写真で観察させてもらった。山の起源を巨樹の化石と解釈していたから、巨樹なら水を吸い上げる「導管」が有ると樹木の揚水機構にあることに繋がっただけではあるが。水には表面張力が有り。細い空間では自動的に上昇する揚水機構が有る。水に布を付ければ、水は重力に逆らって、少しは浸透して上昇するでしょう。何も導水路を工夫する訳でなくても。その水上昇現象の面全体での現象と看做せよう。山の水源はすべてその辺の現象に繋がっていると考えれば一つの安堵になる。水源は自然の神秘として置きたい。水源・導水路を確かめたくて、科学的調査で地下を掘ったら木霊の怒りに触れて、水は消えて二度と出なくなってしまう危険もあろう。大気圧がかかれば水を押し下げるだろうから。もう一点気付いた。この村の山には特徴が見える。日本の福井県にあるグミ島の形状に良く似ている。その大型の岩山に見える。

カナディアン・ロッキー山脈(カナダ自然公園群): 最高峰はロブソン山3954mである。どの山を見ても柱状節理の筋が見える。一体火山でないとしたらどのようにしてできた山であろうか。

グランド・キャニオン国立公園(アメリカ合衆国自然遺産): 余りにも壮大な自然景観に言葉を失う。巨木説を持って向かえば、如何にも地層の堆積層の証拠を突きつけられて後退りする。衆目の学説に異議は唱えられない。しかし、気掛かりだ。この壮大な堆積層の土はどこから運ばれてきたのか。地球が大きくなったのは太陽からの光線が基である。太陽光線が地球の質量を作って来たことに間違いはない。光を質量に変換するのは植物以外なかろう。この自然の中にも、何か巨木の化石と看做されるような風景も見える。地球の土も岩石も基本的には太陽光線が基で成長した巨木の化石以外考えられない。

スイス・アルプス、ユングフラウ‐アレッチュ(スイス自然遺産):

グレート・バリア・リーフ(オーストラリア連邦、自然遺産):

イエローストーン国立公園(アメリカ合衆国自然遺産):

ヨセミテ国立公園(アメリカ合衆国自然遺産):

巨木の化石と得心(2018/12/21) 昨夜の睡眠の途中で気付いたことがある。それはシダ植物。その思いを以下に記す。

今巨大な植物を想像しても、地下の石炭層からイメージを描くにも困難である。地球の寸法で、石炭層がその表面の大きさを推察する一つのヒントにはなるかも知れないが、その植物を想像することは無理である。しかも、巨木の化石として多く紹介されるものは不思議にも切株のように平坦な台地の形状である。巨人が切りだした訳でもないのに不思議な姿だ。今想像する植物群とは全く異なるものであった。それは節のあるシダ植物群しかなかろう。今見るその痕跡は土筆であり、スギナである。あるいは巨大なサボテンもあるかも知れない。早春を彩る道端の主役は小さなスギナである。早朝にその先端は滴り落ちそうな水の玉を湛えて迎えてくれる。水の創造主・巨大シダ植物が太陽光線から水を創り出してくれたとなるか?地球の秘密・謎がまた一つ増えた。永久に解けそうもない謎・疑問の宝物。柱状節理の形状には理解できなかった断層の節がある。シダ植物となればそれは解消して得心となった。新潟県秋山郷の断層の節がずっと考える脳の外界事象になっていた。石の囁きが木霊になって知らせてくれたかと。

残りの世界遺産の山についての記事は順次確認しながら気付きを記したい。関連記事石の囁き 聞こえますかが基になっている。

エネルギーの象形

エネルギーが世界 自然世界はすべてエネルギーから構成されている。そこにはエネルギーの姿容が表象されている。エネルギーは見えないが、その表れる象形は自然世界として眼前に広がる。

エネルギー像 

実在

不可視の物理量

それが エネルギー

質量

それはエネルギーの

艶姿

エネルギーはどんなものも見えない。しかし世界はその実在によってこそ存在し得る。質量はエネルギーが現れた姿である。エネルギーと質量の等価則が意味することがそのことである。質量はエネルギーになって見えなくもなるし、エネルギーが局所化して質量として眼の前に表れもする。光は光である限りそのエネルギーを見ることはできない。しかし吸収されればその空間で変換されて姿容を現し、見える質量になる。

 

巡光舟の詩

丙子(ヒノエネ)元旦の書き初めまで 戊辰(ツチノエタツ)1988(昭和63年)秋に行方定まらぬ放浪の旅。庚午(カノエウマ)1990(平成2年)年末処置入院で閉鎖病棟に幽閉される。抵抗の意思のための断食に徹し意識朦朧、転倒怪我、対処出来ずでの転院になる?“病窓に 満月迎え 除夜の鐘” 人生も終わりかと初めての句。辛未(カノトヒツジ)1991(平成3年)ただ飯を食うだけでは暇だ。正月中東での戦争の砲撃の映像を見る。光の相対性の解析を始める。ほぼ半月で完成する。ハロマンスを打たれ、思考困難になる。4月中頃病院上空を轟音を浴びせながら、飛行隊が過ぎて行った。後で丁度その日が電気学会除籍になった日のようだったこと知った。タダ1年半も薬も飲まず、飯を食うだけの病院生活から出所。壬申(ミズノエサル)1992(平成4年)7月。家も消え行方見えない道続く。

巡光船の詩 書き直した。光の不思議に思いを込めた詩のようだ。丙子元旦で飾ってある。その年の夏は長野で野宿の旅1週間ほど。東京電力、佐久間周波数変換所を見学させて頂いた。御迷惑を掛けた事申し訳ない。

秋の語らい

意味の怪しさ額にして 庭にあった泰山木の葉の切り絵。巡光船の詩と共に。

日本物理学会入会と発表

この前年丁丑(ヒノトウシ)1997(平成9年)秋、日本物理学会に入会させて頂く。入会にお助けいただいた先生には、それっきりで御無沙汰のまま本当に申し訳のないままで来てしまった。人との繋がりをきってしまったまま何の状況も知らず今になった。戊寅(ツチノエトラ)1998(平成10)年 4月 2日 物理的概念とその次元 日本物理学会講演概要集 第53巻1-1,p.13. を初めて発表させて頂く。JHFM単位系として、エネルギー一つを自然現象の根幹に据えるべきとの思いを伝えたかった。

 

体温とエネルギー

エネルギーって何だろうか? またも同じような事をと眉を顰(ヒソ)められそうだ。

分子とエネルギー 書き初めのネタも尽きたので、体温の意味を考えながら感覚に浮かぶ空間像を筆にした。

体温はエネルギーの貯蔵量に因ると観る。身体全体に分布したエネルギーである。細胞の隅々にまで貯蔵されたエネルギーである。光も熱も同じエネルギーである。熱を奪って冷凍すれば、体温は低下し細胞の機能は失われる。温度とはその物体に蓄えられたエネルギー量の評価指標である。エネルギーの貯蔵容量はその分子や細胞の空間構造によって違い、指標の温度も異なる筈だ。それが比熱と言う特性値になる。燃料電池は酸素と水素の結合でエネルギーと水を作り出す。そのエネルギーと同じエネルギーが体全体に貯蔵されているのだ。おそらく細胞自身がその機能を発揮するに必要な環境を整える為に、自動的に発熱と水を作り出していると考える。そのエネルギーを検出しようとしても体温としてしか計測できない。光のエネルギー分布波形を計測できないと同じことであろう。だから『エネルギー』とは何かを確認したいのだ。決して質量の運動エネルギーや位置エネルギーではない『エネルギー』だ。古くは『熱素』と言ったらしいが、質量や時間あるいは寸法、体積と並ぶ物理量、いやもっと根源的な世界を構築する基本物理量なのである。それは素粒子に相当する物理量だ。決して振動する気体分子運動論などのような筋肉の振動で解釈してはいけない物理量なのである。運動エネルギー的解釈はしてはいけないのだ。熱エネルギー量はジュールと言う単位の質量mのmc^2^[J]と等価変換し合う同じ物理量である。体温は体温と身体活動エネルギー「理科基礎(仮称)」を想定してでも取り上げた。

花一匁

花一匁

三相交流電気回路には不思議がいっぱいある。瞬時空間ベクトルを考えると不図気付くのだ。当たり前と思う事が不思議に見えるから不思議なんだ。道端に咲く花一輪にも宇宙の不思議に負けない不可思議が囁いている。

空間ベクトル 何で空間ベクトルは描けるのだろう。技術って面白い。感謝しよう。