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LとCと空間エネルギー

電気回路には回路要素のLとCがある。インダクタンスLもコンデンサCもエネルギー貯蔵要素だ。インダクタンスLの値はその形状と寸法で決まり、「長岡係数」と言う係数もある。コンデンサCもその形状と寸法で値が決まる。勿論それらの空間環境を占める磁性材料や誘電体材料によって大きく影響されることは当然である。

形状と寸法で決まる訳は何か 時定数から観る電気現象で『問答』にしたL,Cとの関係についての参考記事でもある。電気現象の本質がすべて導体や誘電体、磁性体とその近傍における『エネルギー』の振る舞いによって様々な特性を表すことに在る。すべては空間のエネルギーの存在形態として見ることも出来よう。だから『エネルギー』の貯蔵空間の意味によってインダクタンスとかコンデンサとかの電気要素で捉える分け方になると言えよう。ただ『エネルギー』の量がその要素の空間の大きさで決まるのか、その形状を構成する空間の何が大きく影響を与えるかなど不明な事も多い。そこで、回路要素の形状と機能を『エネルギー』から考えてみよう。

空間エネルギーとは? あまり馴染みのない用語かもしれない。物理学理論には質量を伴わない『エネルギー』の存在、その概念があるのかが分からない。世界は『エネルギー』から出来あがっていると思えるから、物理学理論が理解できない。筆者の頭脳の能力が劣っていると言われれば止むを得ないが。周りを見渡せば、光が世界の姿を教えてくれる。その光はどんな素粒子から出来ていると物理学では考えているのだろうか。太陽から届く光の『エネルギー』は何からできていると考えているのだろうか。その身の周りに在る全てのエネルギーが『空間エネルギー』の姿であると言うのが筆者の考えである。電線路を伝送される電気の『エネルギー』も星から届く星座の光もすべて空間を通って流れる『エネルギー』の姿である。それら全てが『空間エネルギー』である。電熱器のヒーターが熱い熱源として働くのも、白熱電球のヒラメントが光源として働くのも、いわゆる抵抗体の内部に『エネルギー』が蓄積され、その貯蔵限度を超えた『エネルギー』が空間に放射されるだけの現象でしかない。質量のタングステンヒラメントの内部は空間構造を成していると看做せて、そこに『エネルギー』が貯蔵されているのだ。それも含めて『空間エネルギー』と言える。電気回路要素のコイルやコンデンサも『空間エネルギー』の貯蔵空間を構成している構造体である。ただコイルやコンデンサは抵抗体と違って、貯蔵した空間エネルギーは外部空間に放射はされず、必ず電気回路内の空間を通して、電源に回生される。だから基本的にはエネルギーの消費はしない。『エネルギー』を処理しながら、消費しないから結果的に利用されない無効の『エネルギー』なのである。その電力が無効電力と言われる訳である。放送電波や携帯情報端末で取り入れる電波はその電波の波長に同期する共振回路で、空間エネルギーの縦波を取り込み、コイルやコンデンサ内の『エネルギー』を選別して利用している毎日である。空間を『電荷』が光速度で飛んでくる訳では決してない。光の縦波の『エネルギー』が空間と共鳴状態(誘電率と透磁率)で伝送されているだけである。みんな空間エネルギーである。

回路要素と空間エネルギー 空間を電気技術から観ると真空透磁率μoと真空誘電率εoと言う基本定数によって解釈する。空間に存在する『エネルギー』は電気技術的観点から解釈すれば、必ず透磁率と誘電率と言う定数によって判断するように習慣づけられていた。その空間定数と同じ観方で、LとCを捉える。真空透磁率や誘電率が自然の眞髄から観れば、その深い哲学的な意味までは理解できないでいる。一つの自然解釈法の基準定数として理解しているに過ぎない。その観方からすれば、インダクタンスと静電容量のエネルギー貯蔵機能も統一的に解釈できれば良いと思うが難しい。

LCとエネルギー LとCおよびRの違いは何だろうか。先ず初めにはっきりさせておきたい事がある。導体のエネルギーに対する解釈である。一本の導線を張れば、その空間に今までと異なる影響を生み出す。エネルギーが基本的には導体を反射体として捉えるだろう。導体の中に侵入すればおそらく熱エネルギーとして消費されるだろう。極端な例が『超伝導体』である。エネルギーロスが無いと言うことは超伝導体が完全反射体であるからである。逆に抵抗体は極めて効率良く空間エネルギーを内部構造体の中に取り込み熱エネルギーとして貯蔵する特性を持った要素と看做せる。貯蔵限界まで蓄えた結果温度が上昇し遂には放射源となって発光、発熱作用現象を呈する。抵抗体の単位を[(H/F)^1/2^]と評価したのも、エネルギーに対する空間の意味を統一的に捉える観点からである。科学技術法則の単位のΩの優れた点とは別に、自然の物理的、より深いつながりを重視した一つの解釈法でしかないが。LとCについては個別に考えてみたい

Lと空間エネルギー リアクトルと言う用語は電力技術用語かもしれない。それは電力用誘導性コイルと言う意味で捉える習慣だ。リアクタンスはコイルとコンデンサの両方に使う用語だが、電力技術では主に誘導性のコイルが主要な回路要素であるために、その用語を代用したのかもしれない。インダクタンスよりリアクトルと言う使い方が馴染みやすい。変圧器もモーターも殆ど鉄心がその主要な構成材となっている。銅線以外は鉄で出来ていると言えよう。電気磁気学のインダクタンスと言う概念と感覚的に電力技術での捉え方には違いがあるかもしれない。『空間エネルギー』の解釈には、リアクトルと言う鉄と銅線から構成された電力機器が頭に浮かぶ。そこでリアクトルと言う捉え方で、電力用インダクタンスLの意味を考えてみよう。

(L-1)ギャップとインダクタンス E I 型鉄心を用いて、コイルNターンを二脚に巻いた。鉄心EとIの間にギャップgがある。そのギャップ寸法が電気要素としてのコイルのインダクタンスにどのような影響を及ぼすか文献(1)が参考になろう。ただgの寸法がインダクタンスLにどんな関数関係で影響するかは、その意味が明確ではないように思う。『空間エネルギー』が鉄心ギャップ部分に集中して存在する事が大きくリアクトルの特性に影響を及ぼしていることは間違いない。ギャップgが小さくなるほどLは大きくなる。しかしg=0ではリアクトルとしての機能は果たせなくなる。インダクタンスL=∞となるから、エネルギー貯蔵機能は無い。それは変圧器となるから。序でに考えておこう。モーターも重い外側の固定子と回転子との間のギャップがエネルギーの存在する大事な空間であり、ギャップ空間エネルギーの振る舞いを動力発生の原理に解釈を広げられれば、物理的『空間エネルギー』の電気現象の役割がはっきりするであろう。若い方に挑戦して欲しい。

(L-2) 変圧器等価回路 鉄心間にギャップがある変圧器は漏れ変圧器と言う。ギャップ空間にエネルギーを貯蔵する機能でリアクトルと漏れ変圧器は同じ意味で捉える事も出来よう。そのギャップg=0ではインダクタンスL=∞で、リアクトル電流は流れ得ない。エネルギー貯蔵機能も無くなる。変圧器等価回路では、相互インダクタンスMとして評価される。1次、2次負荷電流の相互関係を解釈する為にはMが便利であるからであろう。しかし、変圧器の励磁電流と磁束概念の伝統的解釈法では、磁気特性の非線形性をうまく表現し難い点があろう。それは磁束が励磁電流によって発生する訳ではないと考えなければ解決できない現象である。ファラディーの法則の微分形式には電流と磁束の関係は何も表現されていない。微分形式を積分形式で表現すれば、巻線コイル1ターン当たりの電圧の時間積分で磁束φは評価すれば良いだけである。もし励磁電流で磁束を解釈するなら、非線形回路を書き加える便法もあろうが、余り意味は無かろう。しかも磁束さえも技術的解釈概念である訳で、結局は空間エネルギーの一つの観方でしかないと考える。しかし、その磁束概念は磁気現象を解釈するには大変便利で有用な概念であることには間違いないものである。さてリアクトルの『空間エネルギー』であるが、コイル巻線の導体周辺に分布していると考えざるを得ない。電圧概念が元々空間のエネルギー分布の技術的評価概念であると観れば、その解釈法も理解し易かろう。インダクタンス値がコイルの1ターン長さに因るだろうと言う解釈も、鉄心最大磁束密度Bmと鉄心断面積の積φmと言う設計基準の解釈法とも通じていると理解できよう。V=4.44fNφmの意味もコイル1ターン長との関係で理解できよう。

Cと空間エネルギー リアクタンスの一つにコンデンサがある。コイルとはその構造も空間材料(磁性体に対して誘電体)も全く異なる。同じ電気のエネルギーの貯蔵機能要素である。伝統的には実在しない『電荷』概念で評価している。このコンデンサの静電容量と形状の関係が先の記事の『問答』の解答ともなる訳であろう。コンデンサ容量はその電極間の面積に比例し、電極間のギャップdに反比例すると解釈されている。面積一定のままで、ギャップ寸法dを狭くしたら静電容量が大きくなるのだろうか。極限はギャップ零に近付けることになる。ギャップd=0は丁度電気回路のスイッチを投入したような状態となろう。それはもうコンデンサとは無関係の状態である。空間エネルギーを保持する状態ではなくなる。コンデンサ容量Cはd=0で定義式では無限大となるがそれは意味の無い事である。コンデンサのリアクタンスXcで考えれば、d=0でXc=0となって、インピーダンスにおける意味に矛盾は無くなり理解できる。『問答』のKとの関係も理解できよう。以上がコンデンサの寸法についての解釈としよう。さて、リアクトルと同じように少しコンデンサの機能についてその物理的(物理学教科書的ではない、学習指導要領的ではない)意味を考えてみよう。

電線路とコンデンサ機能 ある配電線路の終端にコンデンサだけを負荷としてつないだ回路を考えてみる。今までも何度か電圧の意味の考え方は述べて来た。その意味をコンデンサ負荷との関係でもう一度整理してみよう。電線路については分布定数回路と言う観方が高周波で採られる。それは何も電圧の周波数に因ることではなく、すべて電線路はエネルギー伝送から観れば、回路としてはコイルとコンデンサの分布回路と観なければならない。電源電圧が正弦波とすれば、瞬時的には電線路全体がその電圧の変動回路となる。何が電線路の電圧の原因を成しているかと言えば、その電線路空間の『エネルギー』分布である。電源から負荷までの電線路空間が電源電圧の瞬時値に対応したエネルギー分布で平衡状態を保持するように、空間を『エネルギー』が自動的に伝送されるから有効な電力伝送設備が可能なのである。それは『エネルギー』の自然界の現象で、光速度伝送する自然現象の御蔭なのである。その自然現象を科学技術概念で便利な捉え方で利用している訳である。上の図で電線路終端のコンデンサ負荷では、電源電圧の変動に対して、光速度での遅れは伴うが、電源電圧に対応するべくコンデンサ内のエネルギー分布を確立するための、エネルギー貯蔵で機能する訳である。コンデンサの電極板導体の面積が広ければ、その面積全体に亘って電圧vcに対応するべくエネルギー分布を行き渡らせなければならない訳だから、多くの『空間エネルギー』を貯蔵する必要がある。そのエネルギー貯蔵に於いては、コイルのようなエネルギー入射を妨げる作用は無いから、極めて瞬時に電圧変動に対応して、素早い応答で機能が発揮される。コンデンサの電気要素としての感覚的認識にはそんな意味で納得できるだろう。誘電体に強誘電体材料が使われるが、その材料のエネルギー貯蔵特性には時間的遅延性などがあるため、特殊な特性を示す面もあろう。最後に付け加えておこう。電源電圧の極性と電線路の『エネルギー』伝送空間について。図に示したような電源電圧の『極性』は(+)、(-)で馴染んでいるから分かり易いと思うが、本当はその『極性』とは何かと問えば分からない筈であるにも拘らず、理解され易いと言う科学技術の恩恵(?)がある。しかし実際に『極性』と言える意味の電気現象に差が存在する事も確かな事であるから、それが『何か?』と疑問に思う。今から丁度7年前に、記事を元のSpaces.live.com/に投稿させて頂いた。その科学論の最初の記事が放電現象と電荷・電流概念である。放電現象は電気現象の意味を解く最初の研究対象でもあったとも見做されよう。そこで『陰極線』と言う得体の知れない流れがあると見做した。(+)側からは流れない事を知った筈だ。その『何か』が流れ出る側が(-)側であると。その応用が三極真空管の熱陰極線の空間電荷制御法になった。乾電池、蓄電池の電源も(-)側が『エネルギー』供給源になっているようだから、交流回路の電線路の『エネルギー』流も(-)側にその流れがあると解釈して良かろうとの判断である。その流れは光の流れと同じだから、科学の論証に従った実験的に検証する方法は考え付かない。

不適格な科学論か? 上に述べた事を含めて、殆ど科学者の検証に耐える根拠が示されていない。それにも拘らず、『電荷』否定から始まった記事は殆ど数学的解析式などもなく、ただ日常用語で『エネルギー』の電気現象における振る舞いを感覚的に納得できる意味を述べさせて頂いた。科学論らしくなくて御免なさい。

文献(1) 大学講義 最新電気機器学 宮入庄太著 (丸善)   p.53~

 

ゆっくりと遠近の世界をー速度「理科基礎」-

大それた疑問は生きている意味を問う自己確認の旅かも知れない。それが人生か。生まれた時の産声は人生を問う第一声でもある。何も知らない世界だから、保護されながら生きられる。すべてが恐怖の世界の筈だから。そこに向けた第一声が記念の産声だ。その時から長く生きながらえると、生意気にも哲学などと訳の分からない事を穿り返したくなる。始末に負えない生物になる。しかし、特段社会に害を及ぼす訳でもなく、極めて冷静・平穏な筈であるが、幾ばくかの差し障りを生むかもしれない事は我知らず。自然科学などと数式を頼りに論を展開している内に、いつの間にか余り数式が頼りにならない心境になってしまい、己の数学的能力の限界を悟る。止むなく学術的でない日常用語での科学論を展開する仕儀になってしまったのかと。感覚だけが頼りの『時空論』をと考えてみる。自然世界の現象を理解するには『速度』が物理現象には欠かせない。究極は『光速度』とはどんなことかを認識することに尽きるように思う。華やかな世界の科学理論「一般相対性理論」は理解の程遠い話だから、産声を立てる心算で、身近な感覚から眺めよう。高等学校での物理で取上げる自然現象の『速度』とはどんな意味かを考えながら。
空間 『空間』は世界の基盤である。世界の事象を考える、考えないに関わりなく、その空間の意味を疑問には思わなかろう。生まれた時からその空間世界に同化して生きて来たから。

写真285手のひら 手を広げてみれば、その空間は宇宙の果てまでつながっている。手のひらに宇宙を乗せていると思っても良かろう。世界の考え方は自由である。青空の下であれば、その空に向けた手のひらには微かでも何百億年前に遠い星の放った光が届いているのだ。今手のひらの向きとその光の基の星の位置とはどんな関係にあるかと不図思う。今届いた光の軌跡は観る事は出来ない。想像する以外に軌跡を知ることは出来ない。星は何百億年の時を経た今、手のひらの裏側に在るかもしれない。空間の意味を世界を知る基準として捉えようとすれば、そこには不可能の意味を同時に知る事にもなろう。灯りの無い砂漠の平原で満天の星を眺めた時、一つ一つの星の光はすべて遠い過去に放たれた、しかも時間の違う時代の光なのだ。1万年前の星座と今見る星座とにどんな違いがあるかも知ることは出来ない。世界はすべて流れているから。決して静止していないのだ。すべての星の光は星との相対運動の下での観測になる。だから観測波長も相対速度の下での観測になる原則から逃れられない。世界の存在する『空間』も、その意味を知ることはなかなか難しい。空間を少し数式で考える時空間ベクトルと単位ベクトルで扱う。
時間 『時間』とは何かと問う人がいる。それに答える人もいる。様々な事柄がインターネットの中に行き交う。『相対的・・』などと問答が展開されるのが多いようだ。日常当たり前に疑問も抱かない時間とは何かと問う人は、きっと現代物理学論の話題に興味を持ち、勉強をしているからなのかも知れない。そんな疑問を持たれる人がいる事に興味を持って、少し考えてみた。私は思う。『時間』など自然には無いのだと。自然はただそこに今ある姿を示しているだけで、『時間』などと言うものは無い。『時間』で自然を見ようとするのは人間の『性(サガ)』故のことでしかない。理屈を付けて因果関係を理解するために時間を必要とするからである。日の出と日没で生命にリズムが生まれるが、それは人間の為に創った訳ではなく、自然そのものでしかない。『時間』と言う概念がどうしても欲しい。そう感じるのが人間だから、その訳を探ってみるのも良かろう。太陽も地球も空間に存在する為には静止しては居ない。回転によってその存在形態を造っている。その結果が回転に伴うリズムを生む。そのリズム(生命のリズム)そのものが生命の存在するリズムの基本となっている。回転は輪廻転生と言う同じ事は許さない原理を創りだしている。生命に限りがあるのも自然のリズムがある故である。「生きたい」という願う心にはリズムの『時間』が刻みつけられている。生きる安心の為に『時間』を意識するように自然に生かされた存在なのだ。大した事ではないのだが、自然を『モノの理』として納得したくなるのも人間の性であろう。大自然の実相を悟るなど度台無理な筈なのだが、何とか理屈を付けておきたくなるのも人間であるが故だ。纏めれば、『時間』には二つの意味があるか。一つは人間の概念:社会集団生活上不可欠な『時間』。二つ目に生命のリズム:自然の本質である回転のリズム。宇宙の空間と時間を考えた時、世界の始まりも終わりもない。地球や太陽系は無くなる時が来るかも知れないが宇宙は輪廻転生の原則で決して消えない。特別の理論など要らない。

光速度 『速度』という意味をどのように理解してるか。「空間」と『時間』について述べた。世界に静止する実在は「空間(何もなく、動かない広がりであるが故に世界が存在できる)」である。太陽の運動、地球の運動と言えば、その運動(位置と『速度』)を定義する基準座標が決まらなければ運動を論じられない。自然の世界を理解するということは、安易な法則で捉えようとしても無理がある。自分の運動を考えるに、『速度』は地球の自転、公転の上に地上の観測できる速さの総体として受け取らなければならない筈だ。それでも太陽系内での話である。短距離走100mの世界記録と言えば、トラックの地面を『速度』の基準座標として捉えている。しかし本当は太陽系全体が回転エネルギーの局所化された運動形態である。この辺の事について地球の自転と万有引力を考えるで少し論じた。その中の日常には関わりないとしても真理は全体の中の一部になっていると頭の片隅に置くべきであろう。物理学では、運動などの力学的エネルギーとして、運動エネルギーと位置エネルギーの二つで捉える解釈法が採られている。我々は太陽に拘束されて生かされている。ならば、地球に対する太陽の重力加速度(もし位置エネルギーを唱えるなら)など余り考えないようだが、それも無視出来なかろう。運動法則が自然世界の真理と言うなら、地球の太陽系での力学的エネルギーも宇宙論の基盤に理解できなければならない筈だ。『エネルギー』は力学的エネルギーだけが物理学で基礎概念として教育内容の対象に論じられるが、その教科書的エネルギーなど世界の『エネルギー』の内の一部でしかない。太陽から放射されるエネルギーは光などに質量を定義していないから、力学的エネルギーの範疇には入らないだろう。物理学理論のエネルギー論は片手落ちではないか。そこで再び『速度』とは何かを考える。何故地表座標基準での『速度』だけではいけないかは、『速度』の極限を示す光の『光速度』を問題にしたいからである。光は何を運ぶのか。振動数を運ぶ訳ではない。『エネルギー』を運ぶのである。光を周期波として解釈するが、その半波長でも『エネルギー』なのである。『速度』とは『エネルギー速度』なのである。いわゆる運動エネルギーは質量を媒体とした『エネルギーの速度』と解釈すれば普遍的に捉えられる(私だけの感覚かな?)。『光速度』はアインシュタインの『特殊相対性理論』で世界を席巻して有名である。しかしその理論では、光の速度を規定する空間座標が明確に(慣性座標系は曖昧である)定義されていない。どう考えても理解できない。1887年のマイケルソン・モーレーの実験結果を過大評価した結果、アインシュタインは間違ったと思う。だから『特殊相対性理論』は詭弁論だと。光が特殊な現象を演出する訳でなく何も日常の感覚とかけ離れてはいない事から光の速度と空間特性として纏めた。また関連して、光速度は空間定数(H/m,F/m)で決まる に記した。地球の運動が光の速度との関係で、相対的である事は当たり前な事である。1676年にレーマーが光速度を計算した。それは地球と木星との相対的な運動の影響が、光の速度『光速度』の算定に役立つと考えての事である。もし、アインシュタインの『特殊相対性理論』を唱えるなら、レーマーの実験での地球の運動に基づく『光速度』の算定結果を否定しなければならない筈だ。すべての光は光源と観測者との相対的な関係が観測結果に含まれるのだ。ただ光速度が地球の公転速度(約30km/s)に比べても比較出来ない程の速さである。その光速度測定法における算定には誤差が伴い易い筈だ。マイケルソン・モーレーの実験結果はその誤差を取り除けなかっただけだと解釈する。1933年、Dayton C.Miller, The Ether-Drift Experiment and the Determination of the Absolute Motion of the Earth  Rev.Mod.Phys.5,203(1933) にはマイケルソン・モーリーの追認実験が成され、測定結果も示されている。何故この結果が検討されないできたのか不思議だ。

最後に、速度とは『エネルギー速度』だと結論付けた。水の波、水圧エネルギー波、空気波(音声圧力波)等の波も『エネルギー速度波』であり、エネルギーの伝播速度はその媒体空間特性が決めると解釈する。それに関して専門用語『振動数』の解剖がある。

愉快な電気回路の仲間達

最近、電気物理とは何かと考える事が多くなった。電気技術回路理論と電気物理学は全く異なった研究対象分野であると思うから。そんな意味を電気回路で表現してみたくなった。先日、『先従隗始』の諺を見た。先ず自分から始めよと言う意味もあるようだ。無意味な回路にも意味があるかと思った。

エネルギー流は?エネルギー流は?

電源とランプ負荷の間に役にも立たない回路らしくない電線路を繋いで見た。何の為かと言うと、電気物理とは何かを考えてみたいと思ったからだ。物理とは物事の『理』を極める学問の領域であろうと思う。電気科学技術の『電流』や『電圧』の意味は電気物理学として極めるには、それがどのような実体を指すのか先ず理解することとなろう。自然現象は電気回路や宇宙の世界あるいは動植物の世界で、みんな異なった理論で解釈する様なものではない筈だ。それらを結び付ける物は日常生活の中の主役『光』しかなかろう。電気現象も「光速度」で光そのものと同じである。その中で、電気現象回路の特徴を挙げれば、空間に電気材料の主役として『銅』と『鉄』および『絶縁物質』で構成されたエネルギー利用機能設備となろう。科学技術はエネルギー利用効率を高め、無駄を省くのがその研究対象である。しかし、電気物理は理論を極める対象だから、大いに無駄な真逆の研究が重要であろう。そんな意味で上に挙げた回路が電気物理現象を考えるに良かろうかと思う。この回路を実際に実験してみたいものだか未だそこまで至っていない。ただ、天晴れーコイルと電圧とエネルギーの今年の実験結果があるから取り上げられる。

個性派珍回路機能要素 6個の回路要素を上げた。①はエナメル銅線を塊状に丸めて銅盤上に置いた回路(?)。この要素の電流と電圧はどんな具合に解釈すれば良いかと言う問答である。まず最初にこの回路を見てどう感じるかである。コイルとコンデンサの機能を思うか。そのエネルギーをどのように感じるか。コイルには磁束。コンデンサには電荷。そう解釈の糸口を考えるのが教科書の電気磁気学の常識的思考の基本である。その磁束と電界でエネルギーを表現できるか。②同軸ケーブルと言う。この回路要素をコンデンサと感じられるか。コイル要素は殆どなかろう。絶縁物、ジュートなどの材料で誘電率が変わりその分伝播速度の低下(光速度の低減)が起きる。電気エネルギーが誘電体内を伝播するからである。③直交型コイルとでも言えようか。二つのコイルが噛み合わされたものだ。このコイルは二つのコイル巻数を同じとして、最大巻き込んだら、その形状はどのようになるだろうか。直交のエネルギー流(磁束ではない)が回路機能に及ぼす作用はどのようになるか。④は磁気材料の鉄の意味を考える回路である。鉄は変圧器に欠かせない電力送配電設備の要の電気材料である。当然アンペアの法則で磁束を考えるであろう。鉄の筒の中に導線が通る訳だから、どこに磁束が通るかと考える。アンペアの法則によれば、銅線周りは磁束が強いが、少し離れれば、磁束は半径に反比例して減少することになっている。交流と直流では、導線からの半径に対する現象伝達速度から光速度の意味を加味しなければならないと言う意味の違いはあろう。そんな導線と鉄筒間の空間的関係も考慮すべきではあろうが、重要な視点として鉄の中でのエネルギーの貯蔵・放出をどのような現象として捉えれば良いかである。鉄の磁気特性に因りエネルギー損失の程度が変わろう。熱として放射されれば損失となる。それは変圧器の鉄心材料と同じ意味を持っていると解釈する。この回路は負荷回路ともなる。鉄心の発熱特性により負荷抵抗器ともなる。導線を鉄で被覆すれば。その発熱原理は電流のオームの法則とは違うことになる。あくまでも空間エネルギー伝播現象による解釈となる。その空間エネルギー伝播現象に対して、線路電圧のエネルギー分布が鉄によって遮蔽されることになるのか?それなら鉄の代わりに銅管の中に導線(銅管による遮蔽)を通したら、空間エネルギー分布はどうなるか。エネルギーはどこをどのように通るか。⑤銅板を貫通する。銅板とは絶縁貫通か一体形状かによって違いがあろう。空間エネルギー流に違いがある筈。⑥電気技術では決して採らない回路形式である。鉄板の渦電流で発熱するから。鉄板貫通部の発熱は間違いない。それは鉄がエネルギーを熱に変換する現象とみる。⑤の銅板では起きない現象が鉄板では起きる。それは鉄と銅の原子周期律表で、原子番号が3つ違うことに因る原子の違いが基になって起きる。鉄Feと銅Du に疑問を記した。

鉄と銅 電気機械の鉄と銅の比率でその特性に特徴が現れるようだ。その金属表面における空間エネルギーの境界の相互干渉現象のように思える。銅はエネルギーの内部侵入を避けて反射し、鉄は内部への吸収で、貯蔵する特性の違いを持っているように解釈できる。鉄の特徴である磁気特性とはどのような現象かが『問答』になろう。よく磁区と言う結晶構造で解釈される。それを磁束で理解しようとしても、磁束そのものが仮定の技術概念であるから、物理的意味を理解できないだろう。磁区に因る解釈が基本的には正しい筈だ。エネルギーの貯蔵形式を鉄金属の磁区に求めるなら、その結晶構造の軸性エネルギー回転流の保持機能として理解するより他には無いだろう。変圧器における鉄心への考察からの結論である。

鉄との関係回路要素④と⑥ この回路で何を考えるか。電気エネルギーの伝送状況あるいはその原理を考えたい。『電流は流れず』と唱えて来た。それは銅線の中を電子や電荷が通過するのではない事を唱えて来たのだ。電子がエネルギーを背負って負荷まで届ける訳ではなかろう。余りにも当たり前の事でありながら、何故電子が導線の中を流れて、負荷にエネルギーを運べると解釈するのか。そんな事は無理である。自然が単純な故に理解できない複雑性を表す現象を考えれば考える程、人間流な複雑性で理解しようと考える。確かに、原子力発電所で核燃料を燃やすと、その熱エネルギーが如何にも魔術に掛けたように、電気エネルギーと言う目に見えないエネルギーとして手元の届くのである。単純に考えれば、熱が送配電線路を通して何も違いの無いエネルギーとして科学技術の御蔭で利用しているだけなのである。電気も熱も同じものなのである。だから雷も水蒸気の熱エネルギーが原因なのである。とそんなことを踏まえて、鉄の吸収するエネルギーの仕組みを考えて見ようか。遠隔作用と近接作用の事でもある。銅の金属導体はエネルギーを反射するあるいは受け入れない。しかし導体と言う意味のようにエネルギーを導く金属体の性質がある。導体表面近傍のエネルギー密度が高いが、内部には殆ど侵入できない。だから熱損失(変換)は少ない。それは銅金属の原子的構造が持つ特性であろうが、その構造的な意味の原理は分からない。それに対して、鉄は金属結晶構造の磁区と言う空間構造がエネルギー流の侵入を磁区の回転エネルギーとして受け入れやすい特性を持っていると解釈する。原子結晶構造の空間的構造がそれを可能とする。磁石の磁化はその保持エネルギーの回転流を表面の空間に影響を及ぼし、それが磁石の特性となる。少し話が逸れた。もし導線内に電子が流れて・・と言うような解釈をするなら、その電子が何故遠隔作用で離れた部位に磁束のようなエネルギーを造り得ると考えるのか(アンペアの法則?)。電子にはそんなエネルギーを背負っている訳ではないが、複雑に仮定概念を組み合わせて、解釈するのが電気理論である。電流と電圧とは何かを、その物理的意味を追究するより他には理解の道は無い。ここに述べた事は、数学的理解力がない自分の自然解釈の方法でもある。

電気回路要素Lの機能とエネルギー感覚 コンデンサ型配線の・・ 電気の眞相(3)-電圧と負荷ー

電気の眞相(3)ー電圧と負荷ー

電気(エネルギー供給)回路、電線路の仕組みは長い歴史を通して、偉大な電気工学の権威によって築き上げられて来た。いわゆる電気理論、あるいは電気磁気学理論として、万全な理論体系と理解されている。それは数学的表現法で、多くの法則として完成しているように思われる。数式で表現されると、それは世界の真理と看做される傾向を強く待つ。
電気理論の基本中の基本は、電圧と電流である。電線路の特性は電圧計と電流計で計測できるので、まさか電圧と電流が科学技術の賜物であって、それが物理的な自然世界の眞相ではないなどとは信じられないであろう。電気の眞相(1)(2)を書いて来た。ここで最後の纏めになればと願いながら、電線路のエネルギー供給の意味を眞相(3)として取り上げたい。電線路間の空間的エネルギー分布を検証する計測法が無い事が科学論として、その厳密性を示せない歯痒さは残る。その上で次の配電線路を例に考えてみたい。

負荷変動と電圧負荷変動と電圧 街に張り巡らされた配電線路を通して、電気エネルギーが供給される。線路には多くの需要家の負荷が繋がっている。図で、ある点の負荷Pが投入された時、その点の電圧がVであったとする。負荷投入と同時にエネルギーが消費される。そのエネルギーはどこから来るのだろうか。スイッチS投入と同時に、まさか電源からそのエネルギーが瞬時に届く訳ではなかろう。あたかも、電線路のその負荷点の電圧Vが電源であるが如くに、線路近傍からエネルギーが流れ込むと解釈するのが合理的な解釈であろう。各負荷のエネルギー供給が全て電源からの負荷電流の流れとして供給されるとは考え難い。電源は遠く離れた発電所しかないのだから、そんな遠くから瞬時に投入負荷にエネルギーが送られる筈はない。いくら光速度と言ってもそれは無茶である。この辺の言説には違和感を抱かれる方も多いかと思う。電気回路は電圧と電流で解釈するのが常識であれば、電流の分配で理解しようと考えるだろう。ただ電圧と言う技術概念には、線路電圧、系統電圧などその電力送配電の規模は電圧が決めているとの感覚は誰でもお持ちであろう。その事を、一つの考え方で送配電線路の電線導体が丁度空間誘電体に対する線状コンデンサを成していると考えて見るのも良かろう。そう考えれば、電線路空間に電気エネルギーが貯蔵された状態が電源電圧周期で変動している仕組みとも取れよう。

エネルギーで観る線路電圧から天晴れ(コイルと電圧とエネルギー)  今年の4月になってから、金属導体周辺のエネルギーの様相が気になりだした。3月科学の要として静電界の解釈をまとめた事が切っ掛けである。電荷や電流概念の物理的意味の否定から始まった、電気現象解釈の道の終わりに待っていた日常生活の電気回路の話である。それは殆ど数式で表現できないような、異端の科学論の様相を示している。ただエネルギーと言う一つに対する感覚を基にした科学論でもあろう。今年になって、深い認識を得たのは上の天晴れ(コイルと電圧・・)である。配電線路のビニル絶縁電線も空間のエネルギー分布を決める要素(コンデンサ誘電体)として意味を持っていると成る。そこでのエネルギー伝播の速度(光速度)も低下する。それが電気現象の物理的な意味であり、理論物理学の対象であると同時に教育内容でなければならないだろう。しかし、科学技術の根幹を支えてきた電気回路技術は現代社会の知識として学ばなければならない基礎を成す。電流と電圧はその理解の根幹を成す。その科学技術としての意味を理解したうえで、ややもすると、それが自然界の物理的本質であるかの解釈が罷り通っている数学的論理に支配されている面が多い。その点は見直さなければならない課題として迫っている事を指摘したい。

電圧計と内部回路 ここで再び電圧計とは何かを考えたい。

電圧計と内部回路電圧計の回路 電源は交流でも同じである。電圧計の内部はコイルと抵抗の直列回路である。p1、p2点の線路電圧を計ると言うことは、その点に負荷抵抗rの負荷をかけて、その負荷に対する電圧形の内部コイルのリアクトルLv[H]のエネルギーを計ると言うことと同じ意味である。そのコイルの機能は前以って電気回路要素Lの機能とエネルギー感覚に述べた。電圧計で測定する電圧と言う対象をどの様に計器の中に取り込むかが大切な点である。その意味を上の電気回路要素Lの・・に書いた。電圧計は交流では「可動鉄片型」が使われることもあるが、「可動コイル型」と計器内のコイルのエネルギーを計測量に選んでいることには変わりがない。その事で、結局電圧計は自身の計器内の電流制限高抵抗rを負荷として、その消費エネルギーから換算されるコイルLvの貯蔵エネルギーWv=(1/2)L(V/r)^2^[J]を計測量として表示している。だから、電圧はV=r√(2Wv/L)[V] として、コイルのエネルギー√Wvを計測して、電圧目盛に利用していることになる。

電気エネルギー供給制御は電圧制御である。 配電線路による需要家への電気エネルギー供給はその点の電線路電圧がその基を成していると看做せよう。その電線路電圧は線路間の空間に分布するエネルギー分布が担っているのである。需要家の負荷が増減することにより、電線路電圧も変動する。電気事業法により需要家端電圧は100Vなら101V±5%の範囲となっていよう(?)。その電圧制御が送電系統の連携で各発電所により総合的に電圧制御がなされている。

エネルギー制御発電所の制御 50Hzと60Hzでそれぞれ別の系統になっている(ただ佐久間周波数変換所で二つも連携はされている)。それぞれの系統連係(図の点線部分で系統連係がなされている)で各系統が総合的に発電所の電圧Vgと周波数fを監視制御している。発電所の発電電力制御は発電機の回転数(周波数)と発電機電圧(励磁電流)がその制御対象となる。その基はボイラーへの供給燃料制御によってなされる。余談であるが、大事な社会的認識として理解すべき点がある。それは原子力、火力発電所等の蒸気タービンによる発電方式では、熱エネルギーの半分は海の過熱に放出しなければならないのだ。地球温暖化の原因でもある。その点で風力、太陽光発電は優れている。ただ自然エネルギーは蓄電池にエネルギーを貯蔵し、その直流電圧をインバーターで交流電圧変換する必要がある。この電線路間の空間エネルギー即ち電圧を遠くの発電所で制御すれば,電気エネルギー利用が出来る点は優れた科学技術と感謝したい。

理論に偏らず科学技術の意味を理解しよう。

一言追記しよう。発電所のタービンから発電機へのエネルギーの伝播現象について。太い軸の連結を通してエネルギーが伝達される。蒸気の熱エネルギーがタービンを通して機械的回転動力に変換され、更に軸の捩れ応力のエネルギーの発電機側への縦波(変動なしの一定値の流れ)として伝達される。その回転動力が同期発電機の磁極を系統側の電圧に対向してエネルギーを送り出す為のブレーキに逆らって回転させる訳である。熱エネルギーから回転機械エネルギーを経て最後の電気エネルギーとして系統に送りだす訳である。何を言いたいかと言うと、全て一つのエネルギーの流れであることを認識して欲しいのだ。形態は異なって見えても本質はエネルギー一つである。発電所から送りだすのも、電圧と言う技術概念ではあるが、電線路空間へのエネルギー送電なのである。

発電所効率について。 タービンと発電機の効率が95%として所内電力分を考えなくても,送電端効率は45%となってしまう。しかし、大容量でも中々そこまでは良くならないだろう。

特性インピーダンスから見る空間の電気特性

身の回りの空間は電波に満ちている。ラジオ放送、テレビ電波、スマートフォンなど生活に密着した電波に取り囲まれている。その電波が伝播する空間の抵抗値が120π [Ω]と言うことになっている。抵抗は個体の寸法が決まった物に対して定義される。電熱器やフィラメントあるいは電気回路の抵抗素子等の値である。ところが電波伝播の空間の抵抗とは何かと考えてしまう。それには大きさの寸法が無い。だから空間の抵抗とは何かと問わざるを得ない。しかも空間抵抗は電波が流れても損失の意味を含んではいない。光が伝播する時の空間内の損失と同じくほとんど零と解釈して良い。『オームの法則』ー物理学解剖論ーの末尾にも特性インピーダンスを述べた。

電磁気現象は空間特性として全て統一できる 何故この特性インピーダンスを取上げたか。電磁エネルギーの挙動を解釈するに、導体、絶縁体および半導体あるいは磁性体また誘電体と言う電気材料の区分から、それぞれ特性を捉えるのが一般的である。それらが示す特性の違いはすべて空間特性から統一的に解釈できそうだと気付いたからである。空間の持つ電気的特性は二つの定数から決まると見做せる。誘電率と透磁率である。電気材料の原子・分子結合から来る内部空間構造にその特質が隠されていると解釈する。エネルギーと空間との相互作用と看做せよう。その点はエネルギーと空間と質量に論じた。

抵抗値の次元 抵抗の単位はオームである。それは電圧の単位ボルトと電流の単位アンペアの比率で定義される。

『オーム』=『ボルト÷アンペア』

何故ボルトをアンペアで割ると抵抗の単位オームになるのだろうか。元もとこれらの単位は厳密な物理的意味合いが明確にされて、定義された訳ではない。1827年、Georg Ohmによって発見された『オームの法則』が基である。科学技術は余り物理的厳密性を考えるより、実用的な解釈法で社会的合意形成が進み、便利さが法則の価値を決めて来た。そこに見える社会的背景が気にかかる。それは現代にもその影響力はますます増大している。所謂学識・有識者として特権階級に位置づけられた人達の学術研究組織内での合意形成がその社会的科学論となる必然性のようなものを備えている。生活者の認識とは掛け離れて行く独善性に裏付けられている。19世紀初頭に電磁気現象の発見や解釈にアンペア、ファラディ等が活躍した。当時は、当然電磁気現象の意味合いなど暗中模索の中で、実験的確認を通して定説として広まって、徐々に定着したものであろう。その中に『オームの法則』がある。電圧計、電流計(計器の方式、精度も怪しい)等の基準値も曖昧で、測定値も相当誤差がある中での認識であった筈である。それが今になっても、『オーム』の単位の意味さえ物理的に厳密な説明ができる訳ではない状態にある。オームはオームだなどと言われても、それでは納得しかねると思う。教科書的に説明するなら、抵抗に電流が流れると、発熱現象を起こし、エネルギーを消費するとなろう。ならば、抵抗体と言うオームの電気素子で、何が熱エネルギーに変換されたのかを『エネルギー保存則』から説明しましょう。あるいは、電波伝播の空間の特性インピーダンスが376オームと言われるが、マックスウエルの電磁方程式から計算すれば、電流と抵抗から熱損失が生まれる筈であるが、そこは少しも問題にはしない。それは、電流など無いから問題にしなくて良いのであるが。『オーム』の単位は物理的には[(H/F)^(1/2)^]なのである。空間の透磁率 μ[H/m]と誘電率 ε[F/m]の定数比√(μ/ε)から導出されるものの意味である。エネルギー[J(ジュール)]とJHFM単位系参照。このことは、例えば白熱電球のフィラメントに対してどのような物理的特質として解釈できるかである。フィラメントのタングステン元素Wの金属組成・結晶格子構造及び二重コイル構造に基づく、エネルギーの貯蔵・放射に対する透磁率、誘電率の効き方が熱エネルギー・光エネルギーへの変換特性としての抵抗値になると解釈できよう。抵抗を単にエネルギー消費材料と考え、感じるだけでは物理的解釈としては不十分であろう。何故どのような仕組みで、エネルギー貯蔵が起こり、光放射現象へのエネルギー変換が起きるかを考えるべきと。それが物理学であろう。科学技術論と物理学とは同じものではない。

特性インピーダンスの定義空間 田園や山間に送電鉄塔がある。普通は電線が6本(天頂に1本アース線)で伝送される。その伝線路も長さ1km当たりの線路定数が定義される。インダクタンスL[H/km]、静電容量C[F/km]等と言われる。その伝送速度は1/√(LC) [km/s]、伝送インピーダンスは√(L/C) [Ω]他に線路損失を表す抵抗R[Ω/km]がある。この場合の伝送インピーダンスと同じものが光空間伝播の特性インピーダンスである。空間の透磁率μ[H/m] 、誘電率ε[F/m]であれば、それは伝播速度方向に1[m]当たりの定数と解釈して良かろう。光の伝播速度は1/√(με)=3×10^8^[m/s]。特性インピーダンスZ=√(μ/ε)=120π[Ω] 。定義の空間範囲は連続した光伝播方向の1m当たりの値と解釈できよう。光はエネルギーの空間分布の縦波である。そのエネルギーが空間で誘電率のコンデンサと透磁率のコイル間でのエネルギー共振の繰り返しで光の光速度が決まると捉えれば良かろう。

オーロラの正体は?

(2016/03/01)追記 3年程前の記事に追記したい。先日、ツイッターで画像を見た。オーロラの原因説に太陽風がある。荷電粒子が云々と言う。それとは全く違うと思うので、絵図にした。

オーロラと地磁気

国際宇宙ステーションの上空からの観測オーロラは地球表面に広く発生している事を示していた。薄い地球表面の空気層に広がっている。その動画には雷も同時に映し出されている。地上から観測するオーロラは北極地方で良く観測される。しかも緑の膜が張られたように棚引いている。極地が地球回転軸近辺で、極寒の地で観測される。しかも放射冷却の晴れた日に現れやすいらしい。地球表面には地磁気がある。地磁気の正体は何かと言う疑問も有ろう。物理学では磁気は磁束と解釈するが、それは自然現象の物理としては磁束は仮想概念でしかないと理解すべきである。地球表面を風の偏西風と同じく地球の回転速度より早く回転するエネルギーの流れがあるのだ。その様子を絵図に記した。その極地でのエネルギー流がその極点の磁気的特徴の基である。そのエネルギーの回転流と、地上からの熱放射現象に伴う熱エネルギーが上空の冷気で、飽和状態に達し、余分の熱エネルギーが空間から放射される現象がオーロラの正体と見る。雷が水蒸気の保有熱エネルギーの空間での飽和限界による熱爆発と観る現象と同じものであるとの解釈に繋がる。自然現象の根本は極めて単純であるが故に複雑な多様な姿を生み出すのだ。コンパスと砂鉄の心で、ようやく方位コンパスの近傍空間におけるエネルギー流の様相を捉えられたと考える。地球磁場現象もコンパスのエネルギー流と同じ原理である。

オーロラの画像をITで見る。その天空の色彩模様が誰をも引き付ける。その正体を的確に説明できていないように思う。研究分野としては宇宙論か、気象分野になるのか。太陽からの電子流が原因のような解説があるようだ。しかしその説明には納得できない。素人なりの感じる原因を考えたい。

オーロラの特徴 幾つかの特徴を拾ってみよう。

  1. 磁極(地軸極上)に発生。
  2. 緑色が主で、ピンク、赤あるいは青色と変化する。
  3. 軸周回膜上の垂下帯模様が多い。
  4. 垂下帯が流動的に変化する。

以上にその特徴があるように感じる。

オーロラの正体はと言えば、上の特徴が何故生じるかを説き明かさなければなるまい。

その基本的視点 発光は何が基か。連続的発光の垂下膜は、連続的なエネルギー供給がある。即ち光が放射されることは、エネルギーがオーロラの膜から放射されている訳だから。次に、オーロラが発生する時と、発生しない時があるから、その決定の限界は何が決めているか。

一つの解釈 空間のエネルギーが飽和して、放射光として開放される現象である。しかも連続してエネルギー供給がなされる空気、空間の現象だ。回転軸付近に発生するから、エネルギーの軸中心にした円周に局部的なエネルギー飽和が起きる現象。

以上から太陽からの電子流と言う解釈よりも、回転体の軸付近のエネルギー飽和・非飽和が原因と観たい。そこは丁度「磁極」に関係するから、磁気エネルギーの回転場所と看做せないか。磁界・磁気概念の本質。また、極地の気象状況で、寒気との関係で、気体のエネルギー過剰が起きるとも考えられる。雷の水蒸気原因説(雷の正体)に似ているか。

天眼鏡の屈折司令官

IMG_0653窓際で『天眼鏡(こんな呼び名があった)』を陽射しに置いた。太陽光は、そのエネルギーの強烈さを秘めている。オリンピックの採火も鏡で太陽のエネルギーを使う。陽射しの中に居れば、ポカポカと暖かい。その熱エネルギーは光が持っている。レンズを使えば、すぐに火起こしができる。平行光線の太陽光をレンズで屈折させて、焦点に集めれば木材は燃え上がる。理科や物理学で光を解釈すると、とても複雑な意味付けがされる。難しくなる。波長、振動数あるいは周波数などの言葉で説明されると、光の温かみも消えてしまう。

温かみの基は何だろう 物理学的、教科書的解釈には、日常生活で感じる感覚に応えて欲しい。温かみや温度の意味が説明できるだろうか。『エネルギー』とは何か?

屈折の司令官 レンズ、天眼鏡あるいはプリズムは光の性質を理解する大切な意味を示してくれる。『屈折』と言う現象である。光の進行方向が変化する現象である。光は基本的に曲がらず、直進する。この光の直進と言う意味一つをとっても、それは難しい意味を含んでいる。余談になるので避けたいが、光の進む空間と言う意味は惑わされ易いので、その進む空間の意味を明確に定義しておかなければ、論議が成り立たないのである。例えば、今真上の頭上に向かって、光を点滅させたとすれば、その光は頭上を真っ直ぐ進みはしないのである。地球は自転、公転しているから、光の進む空間に対して常に方向を変化させているからである。以上が余談である。ここで取り上げる光の話は、手元の狭い範囲の話であるので光の直線進行の意味は光の相対速度まで考える必要はない。屈折と光路

(2016/11/22)追記。上の図で、レンズ軸に平行な光線が焦点Fを通過すると言う解釈は間違いである。教科書の誤りを信じていた結果の間違いでした。間違いで済みませんでした。焦点距離がもしFの位置であれば、その位置にスクリーンを置けば、A点からの光はそのスクリーンの面の一点にすべて集中し、像がはっきりと映し出されることになる訳です。従って上の図は間違いであります。以上訂正させて頂きます。(2017/12/04)再追記。間違いと言うのはFと言う焦点の概念だけであり、観測対象の一点Aからの光とレンズの屈折現象の角度の説明は良く出来ていて、正しい。平行光線が焦点を通ると言う意味が無意味である。図では眼で観測する時どの位置でも殆どAの文字は見える事を表現した。どの光路からの光であるかはレンズと眼と対象の間の関係で決まるだけである。しかし眼でなくて衝立などやフイルムに像を写すとなれば、Aからの光の様々な光路を通る光がフイルムの或る一点に全て集まる事により、Aと言う文字の像が鮮明に写る事になる。そのフイルムの位置とレンズの間の距離を焦点距離と表現しているのだ。焦点距離は観測対象のレンズからの距離で変わるのである。だからレンズが幾らの焦点距離かという表現は意味がない。無限遠の太陽の写像の距離を焦点距離と言うように定義すれば、レンズ一つに一つの焦点が決まるから混乱は避けられるだろう。そのような定義にすれば、衝立、フイルムに写す写像の位置は写像距離となり、焦点距離とは異なる事になる。しかしカメラなどの実際の焦点距離が写像距離を意味しているから、レンズの無限遠の定義を使うのは困難ではある。しかし、レンズの焦点と言う概念が平行光線からの教科書の解釈である限り、レンズと光の関係は混乱し続ける問題である。

光の屈折は光が進む空間の媒質(空気、水あるいはプラスチックなどの進行空間の材質)の特性の違いで起きる境界面の現象である。上に示した図はレンズに観測対象のA点から光が入ると、そのレンズへの入射角が様々であるから、それぞれの入射光線で屈折の方向も変化する。従って、レンズから出る光の方向もばらばらの方向性を持っている。手元に天眼鏡があれば、物を見て欲しい。人の目とレンズからの像と言う意味には、余り焦点には関係ない事が分かる筈である。どんなに位置を変えても眼には物がほぼ良く見える筈だ。どの方向の光路を辿って来た光かは分からなくても、対象物はよく見える。ある一筋の光があれば、他の光路の光は無関係なのである。目での観測に、レンズの焦点など余り関係ないと言いたい。写真機、カメラでのレンズの組み合わせは、とても技術的にも工夫されていて、その場合の光の光路はもっと複雑ではある。それは写真の撮影画面の広さに全面で鮮明な像が写らなければならないからである。画面に他の対象点の光が混じれば、ボケの像になるから。フォカスの調整と言う事になる。さて屈折の司令官とは?屈折は媒質の境界面で起きる。光の進行方向が変わるのである。何故変わるのだろうか?この理由を説明するのが物理学の専門領域になるのだろう。ここで『問答』をしたい。物理学では、このような現象になると言う結論を説明しているが、その原因までの「何故か」と言う事には答えていない。ある程度詳しく媒質について明らかにされていよう。角度に関して、『スネルの屈折の法則』がある。屈折率が詳しく分かっているようだ。光の屈折で『色収差』と言うプリズムの光分散の問題がある。波長に関係ない屈折の問題に話題を絞るとしても、屈折の問題を預ける司令官の采配を論じるには、光の物理学的特性の振動数を採り上げざるを得ない。司令官と光の振動数の取り組みを論じたいのが主題ではある。レンズに入射する光が何故進行方向を曲げて、屈折しなければならないのだろうか。レンズの中に入れば光の進行方向は直進すると観る。媒質の変化する境界だけで変化する。その進行方向を変化させる仕組みを決める基準を司令官と名付けた。物理学では光は振動数で解釈される。光の一粒も光子というhν[J]と言う振動数ν[1/s]で解釈される。屈折はレンズ面への入射角を検知して、その到来の光路から進行方向を司令官が判断すると観よう。司令官は入射光の何を検知してその入射角を判断するのだろうか。司令官がもし、可視光線の振動数を判断基準にするとしたら、光の横に(物理学理論では、縦の振動数ではないと思う)振動すると言う何を検知して入射角を計量・判断するだろうか。次に、何を基準に屈折角度を決めるだろうか。そこには光の速度での時間的余裕は与えられず、瞬時性が求められる。瞬時性とは振動数を検知する余裕は与えられないと言う事である。光速度で入射する光の入射角度および屈折角度は何を持って瞬時に判断するだろうか。光の本質を振動数で捉えている限りは、この『問答』は成立しないと思う。光一粒のエネルギー分布で、その波頭値の入射瞬時ですべての方向性が決まると解釈しなければならない。光のエネルギーが暖かさそのものであり、その波頭値のエネルギー分布が光の特質を決める司令官の判断基準である。光とは何か?-光量子像ーがその意味を示している。この記事は前のレンズと光路の追加説明でもある。

自然は『光と舞台空間』

自然はとても大きな意味を含んでいる。宇宙の果てから、ウイルスの生命まで広大な具象の世界である。それを理解するのに数式で捉えきれない事は分かっている。

空間定数のベクトル評価 ここに示すファイルは日本物理学会第64回年次大会(2009)で作成し、事情により発表出来なかった資料の一部である。講演概要集第64巻で、標題:プリズムと光量子の分散(p.405) およびエネルギーが質量の素(p.20)の2つに関する物(勘違いのようですみません。2006年第61回の光量子エネルギーのベクトル解析と力密度 f=rot(S/v)とベクトル算法の関連資料でした。ベクトル算法で気付きました) 。上の①図は空間定数が電磁エネルギーに対してどのような意味を持つと解釈するかを示したものである。クーロンの法則を斬るの冒頭で論じたマックスウエルの電磁場方程式が無用の長物だと論じた意味も上の図の中に在る。資料4枚程で説明しようと思う。先に投稿様式が間違っていて、再投稿になる。

兎角自然科学は、狭い専門領域に細分化され、特殊な専門業界にしか通用しない様式での解釈の狭量意識に囚われ過ぎてしまった。それが現代科学の姿に見える。誤解されそうだが、私が主に論じる対象分野はすべての自然科学の論拠となる基礎概念に関するものである事をお断りしておかなければならない。それは理科教育の教科書の内容に関する物になろう。応用科学は凄まじい勢いで、進展し続けている。例えば、医学生理学や情報関連技術の研究対象は私が論じる批判対象ではない。あらゆる自然科学の根底として、理科教育で対象とする内容について論じている。ただ、それが「素粒子論」になると、最先端の研究内容そのものが批判の対象になるのである。大学が『電荷とは何か?』『光の振動数とは何か?』に真剣に答えようとしないからである。

自然科学は日常生活の場面で、市民が理解できる『言葉』で解説できなければ、その専門性は疑わしいと考える。そんな意味から、自然世界を解釈する基本的視点を示したかった。宇宙の果てから、ホタルイカの世界まで光が満ちている。光が直進すると言う意味一つを考えたとき、放たれた光はどこに旅立ち、どこに収まるか。その光一粒は世界の実在物理量である。決して消滅してしまう訳ではない。何処かで何かに代わるだけで、新たな世界の一部として変換されてゆくだけである。『万物は輪廻転生』の世界であると言う東洋的解釈が有る。世界を大まかに捉えるには、光を介して広大な宇宙を舞台とした輪廻転生の姿としてとらえる視点が欲しい。前の記事、空間が世界を創造するで、世界とは?空間とは?その素原『エネルギー』とは?等とその極限物理量光との関係を考えて見ようとした。ここでは、全ての世界の根源は『光』一つのエネルギーの極限的実在物理量で構成されていると言う基本認識で論じている。光が素粒子である。光量子エネルギー分布 上の①図のエネルギー空間分布δq(r,t)は光を取り上げれば、②図の光一粒の解釈量である。このエネルギー空間分布式については、光とは何か?-光量子像ーにその意味を解説した。そちらをご覧いただきたい。

その光を光量子エネルギーと観たとき、そのエネルギーの速度は『光速度』と言う空間の特性によって決められる値になると見る。その速度が空間定数値で決まる意味を③図に表した。光速度ベクトル③図のベクトル計算で、単位ベクトルの取り扱い方が普通の数学と異なるかも知れない。(自己流解釈?それは、ベクトルの逆数を、分数をどのように解釈するかの数学的規定が無いので、自分なりの規定に基づいたためであろう。数学での「ベクトル計算」は具体的目の前の『空間』を考えるより、抽象的なベクトル概念での解釈になっているように思う。例えば微分演算子rot x などでも、ベクトルxを空間の長さで微分する訳であるが、空間の長さをベクトル量と意識して計算しているだろうか。長さは、その対象空間の方向性を加味した長さ(ベクトル量)として捉えないと抽象的で、曖昧な空間論になり易い。ベクトルでの割り算の問題と思う。)

光を含めた電磁エネルギーが空間を伝播するとき、そのエネルギーには空間的軸性と直交性の二つの特性が存在すると見られる。上に述べた事を空間上に表現してみれば④図のようにまとめても良かろう。エネルギーのベクトル性以上がエネルギーの舞台空間での振る舞いに関する大まかな捉え方の解釈です。

空間が世界を創造する

空間が世界を・・我々は光によって世界を理解する事が多い。科学論では『光』の解釈が重要な課題になっている。光の速度を『光速度一定』と理解している。光を理解するには、何故一定の光速度であるのかに疑問を抱く。それは、何故生命がDNAで決まるのかの疑問と同じ事かも知れない。

世界は空間が支配し、創造する。光の速度を決めるのは人間でもなければ、科学論でもない。色即是空そこに在る「空間」が造り出している。その自然の意味を簡便に表現したのが 色即是空 空即是色 の東洋思想と見たい。『空』は空間で、その極限が真空と看做せよう。『色』はその空間に作り出されて、存在する全ての実在物と看做せよう。光も『色』の一つの実在の姿である。勿論質量と言う姿もその一つの形式の創造物である。

空間を考えると、自然科学・科学技術で真空透磁率 μ_0(=4π×10^-7^)[H/m] 、真空誘電率 ε_0[F/m] が空間と物理単位の関係を定義付ける基に成っている。光の速度もこの二つの定数が規定している。だから、世界は「空間」がすべて支配し、創造していると見る。ここでは数式での解説をしない心算であった。ここに資料を示したいが、自然は『光と舞台空間』に載せた。

『特殊相対性理論』は詭弁論

アインシュタインが現代物理学に及ぼした影響は計り知れない。私が電気磁気学の『アンペアの法則』『ファラディの法則』の物理学的解釈に矛盾を感じて、物理学の基礎理論に挑戦する事になった。1986年(昭和61年)に、電磁エネルギーと光の関係に取り組む最初の関門がアインシュタインの余りにも有名な『特殊相対性理論』であった。それから四半世紀も過ぎた。アインシュタインが1905年に「運動している物体の電気力学について」として発表した論文が『特殊相対性理論』と言われている元の論文である。私がその論文、『特殊相対性理論』が間違いであると確信したのは『光の相対速度 cr』を導出した1991年1月である(2014/10/08末尾に追記☆)。その基本式について、光相対速度と空間ベクトル解析に表した。結局マイケルソン・モーレーの相対速度検出実験結果に対する評価の間違いが根本的な問題である。即ち『ローレンツ短縮』の仮説が間違いである。光の相対速度式の導出への考え方を簡単に整理してある。『特殊相対性理論』は詭弁論 と標題にした。それは余りにも極論で、信じられない人が多いと心配でもある。しかし、それが端的な表現と思う。アインシュタインは光や観測者の速度を決める空間を明確に定義して論じていない点に全ての詭弁性の基が有る。これらを整理した記事が光の速度と空間特性 である。(9月30日付記)光速度は空間定数(H/m,F/m)で決まる追記☆) 1991 年(平成3年)1月正月松の頃、特に記憶している事は湾岸戦争でのミサイルの飛ぶ映像である。筆者も人生をほぼ終りと諦めていた事件の只中にいた。前年の秋は、食べるものも無く一人意識も朦朧として、過ごしていた。とうとう「処置入院」という強制的な法的処置をとられた。12月20日前後と思う。止むを得ず病院食に「断食」で抵抗する。結果意識不明で怪我を伴う転倒、更に小水が真っ黒になった。無意識のまま、年末に別病院へ転院となる。そこでは食事を取ることにした。急に意識が鮮明になった。脳の働きが鋭敏になった。複雑な計算も、現象の解析力も不思議に高くなっていた。元旦明けから『光の相対速度』の解析と計算を始めた。しかし置かれている場所が場所で、先行きへの不安があったが、それ以上に次々と光の運動理論が頭の中を支配しているかの如く、2週間ほどで最終結論まで到達してしまった。そこでアインシュタインが誤ったと確信した。1990年春から、マイケソン・モーリの実験の速度差を図解解析を始めて、結果として半年で『光の相対速度』の算定式に到達した。その解析の全てを上の『光の速度と空間特性』に示した。「断食」は脳の生まれ変わりに役立つと思った。「脳内の不純物」を削ぎ落すように感じる。また「処置入院」の医師の診断は『統合失調症』らしいが筆者は聞いてもいないし、診断書を見たこともない。しかも入院中から「薬」というものは飲まずにすべてごみくずに捨てていた。医師も知っていた筈。院内での「カラオケ大会」がうるさいと文句を言ったら、強制的に「ハロマンス」という注射をされた。2月初めに打たれた。それで物事を考える機能は完全に失われた。医師の犯罪行為だ。あれは意識を混濁させ、自由意思黙殺の「いじめ薬」である。そこでの『光相対速度』の解析は精神的法的診断の下では「無効論」になるのだろうか。精神科医師の誤診である。 一つ追加しておく。それは1991年4月中旬と記憶している。突然病院の上を、4、5機の飛行機が轟音を立てて暗くなる程の上空すれすれに近くを通過した。どんな意味なのか不思議だったが、今までも不可解な事件が身の回りには多かったから、その関係かと理解していた。一体飛行機やヘリコプターが轟音を立てる飛行の意味は何なのか?今でも続く。