タグ別アーカイブ: 空間エネルギー

光エネルギーと速度と時空

光の速度は何故決まる?

光は空間のエネルギー分布密度波の縦波である。その速度が何故、秒速30万キロメートルなのか?それも『疑問』の宝物。空間には空間定数という真空透磁率と真空誘電率の二つが定義されている。

単位系・JHFM自然系 も光と空間定数の関係から導き出したものである。光速度 c[m/s] は

c=1/(μo εo)^1/2^ [m/s]

と真空透磁率μo[H/m]と真空誘電率εo[F/m]の空間定数との関係で捉えられる。そこに時間の次元秒[s]とヘンリー[H]とファラッド[F]の関係が生まれる。[(HF)^1/2^] = [s] と関係付けられる。その訳が理解できた。

人はモノの速度を目で追うことで感覚的に理解する。それが視覚感覚の機能でもあるのだろう。同じ現象でも、1[m] を通過する時間何[s]という捉え方はしない。しない訳ではない。100mの競争で10秒切るかどうかが注目される。それでも1mの距離の通過時間を気にかけることは普段はない。

エネルギーの伝播実験 光速度を超える信号伝送手段はないから、伝送速度を計ることは困難なため無理ではあるが。(次の実験で、電源スイッチを投入した時刻を負荷端で瞬時に知ることは無理であるから。)

エネルギー伝播 電気回路のエネルギー伝播現象を考えてみよう。電気回路の伝送路は基本的にインダクタンスと静電容量の分布定数回路になっている。その様子を図に示した。実際には2本の電線が張ってあるだけで、外見的にはそこにインダクタンスやコンデンサがつながっている訳ではない。図では単位長さ当たりL[H/m](一区間に上下二つのLが有るが、等価的には一つのLと考えてほしい)とC[F/m]の分布定数回路となっている。実験的にエネルギー伝送現象を確認するには、実際にある値の LやCを変化させた分布回路として、原理的には可能であろう。負荷終端には電線路の特性インピーダンスと等価な抵抗負荷とする。負荷で到来波のエネルギーを消費し、反射波を防ぐための条件である。電源は十分大きなエネルギー量を貯蔵したコンデンサとする。スイッチSをオンする。瞬時にエネルギーは伝送路に流れ込む。そのエネルギー波が負荷に到達する、その波形を電圧vで観測する。恐らくその波形は雷の衝撃波形に似たものになろう。負荷端のエネルギーは電圧vの2乗で波形を理解できる。その電源からのエネルギー伝送現象は回路定数を大きくすれば、エネルギー伝送時間は長くかかる。定数が小さければ伝送速度は速くなる。その意味は誰もが理解できよう。電線路の静電容量やインダクタンスが大きければ、エネルギーが静電容量に貯蔵される余裕が大きく、インダクタンスが大きければ、そこを通過するのを阻止する反発が強くなる。だから分布定数が大きい程エネルギーの伝送に長い時間がかかることになる。即ち回路定数によって、エネルギーの伝播速度、光エネルギーの速度が変化する訳である。この辺の現象は電力系統の管理技術者には当たり前の感覚的認識になっていることであろう。電気エネルギーはエネルギーの空間分布波としてみれば、光のエネルギー分布波と同じ訳で、光の真空空間の伝播速度即ち光速度がその空間定数で決まるのが当たり前と理解できよう。空間の長さ1m当たりの静電容量とインダクタンスがその空間を通過する光エネルギーの「時間」を規定する訳である。だから、JHFM自然単位系で、時間の秒[s]が空間定数の[√(HF)]になる訳である。ここには速度という見方と逆の、1mを通過する時間は幾らかという [s/m]の見方になっている。それも速度と意味は同じである。

不思議の極み 空間定数の「真空透磁率」を誰が何時決めたかが分からない。μo=4π×10^-7^ [H/m] はあらゆる計量単位の基準として定められた筈だ。誠に不思議な数値である。4πは球の全立体角 ステラジアン [㏛]と解釈する。すべての実用計量単位MKSAがこの空間定数の真空透磁率μo[H/m] が基準になった事によって決まる。そこに選ばれた単位が電気回路のコイルが持つ電気的空間構造の特性機能の評価量を表す意味のインダクタンスの単位ヘンリー[H]である。この定数を決めた時点で、真空空間が持つ空間のエネルギーに対する誘導性という物理的定数だという認識の下で決めたのだろうか。空間が誘導性のインダクタンスの機能を備えていると認識して確定したのだろうか。この基準を決めたことに因って、空間にはもう一つの真空誘電率εoという定数が確定されたと考える。その単位もやはり電気回路の静電容量という機能要素の物理的評価量の単位ファラッド[F] で示される。それがεo[F/m] である。この意味もまことに不思議な単位である。決めた時点で、空間が電気回路の静電容量の次元を持っていると認識して決定したのだろうか。それなら誠にその確定については慧眼の至りと驚かざるを得ない。しかし、それらの空間定数が何処で、どのような機関又は人に決められたかが分からない。しかしその空間定数があった事のお陰で、現在幸運であったと確信して使っている、自然単位系JHFMを闇の中で、1990年春に見つけた。

その夏7月に何の説明もなしに、大学職員が大勢で我が家に御出でになられて、玄関で白紙に拇印を押させてお帰りになられた。後でそれは筆者に対する分限免職の承認と見做す捺印のようだった。その拇印も誠に不鮮明であったようで、後には他の機会の、たぶん庶務課での茶碗から採取の鮮明なものに変わっていたようだ。誠に国家公務員の人事行政の意味も知らない筆者の無知のために、多くの皆さまに御迷惑をお掛けし、それが原因で招いた当時の過ぎてしまいましたが、失礼をお詫びいたします。と言っても今でも全く理解不可のまま、無知の上塗りでぼーっと日々が過ぎ、流され続けております。

真空誘電率 εo=(1/36π)×10^-9^[F/m] とこれまた誠に気持ち良い数値である。そこに自然空間における光のエネルギーの伝播速度が決め手となっていることが、これまた自然の美を意識せざるを得ない。

光速度をc[m/s]とすれば、

c^2^μoεo=1

である。不思議は美しさでもあるのか。

電圧・電流とエネルギーと時空

今、電気回路のエネルギー問答 を書き始めた。その途中で、一つまとめておきたいと思った。その問答の中の一つの答えでもある。物理学理論では、エネルギーは主役ではなく、何か端役あるいは誘導量という捉え方で理解されているように思う。しかし、電気技術から見た場合、電気回路現象を考えると回路内を伝播するのは光と同じエネルギーしか見えない。それでは電圧とか電流という電気量は何を表現したものかと、そこに戻ってしまう。また物理学理論では、あまり重要視されていない空間概念がある。それが誘電率と透磁率である。世界を支配している物理量の代表が光エネルギーであるとの認識に立った時、その光速度を規定する原因がその伝播する空間特性にあると考えざるを得ない。

光速度=(透磁率×誘電率)^-1/2^ =  1/√(με) [m/s]

ただし、μ[H/m] 、ε[F/m] から、[(HF)^1/2^]=[s] である。

空間の誘電率は空間長1m当たりの静電容量[F]、空間の透磁率は空間長1m当たりの誘導値(インダクタンス)[H] で、その空間を伝播する光エネルギーの空間共鳴現象としての伝播特性を呈すると解釈する。光を世界基準の物理量と見做した時、その伝播する空間の長さと時間を規定する「時空」概念として時間[s]と長さ[m]の時空基準を光エネルギーと速度が決めていると見做せる。この何もない空間が電気回路のインダクタンスやコンデンサの回路定数の単位ヘンリー[H] やファラッド[F] との関係で解釈できることの中には、そこに物理量『エネルギー』という空間伝播実体である光の『エネルギー』が空間分布として存在するからと理解する必要がある。光には振動する実体はないのだ。観測技術としての評価概念が振動数である。

上の解釈で電気量を解釈したとき、

電圧の2乗、電流の2乗と次元

その2乗値の単位はエネルギー[J] との関係で図のように認識できる。

次の問答の記事の答えともなるが、電線路には回路特性として単位長さ当たりの静電容量と誘導インダクタンスを備えている。その電線路単位長当たりの静電容量をε[F/m]とすれば、その電線路には1m当たり εv^2^[J/m] のエネルギーが線路空間に存在するとなる(係数1/2は省いた)。このように考えた元に、例えば電流を取り上げて考えた時、アンペアの単位が[C/s]と言う電荷の時間微分値であるということである。電線路の電荷の時間微分とはどんな意味か分かりますか。電流計で測る点で、その電線内の電荷がどんな意味と捉えるのですか。電流波形で描く時間軸のある時刻の電流値とはその電線の中に電荷が時間的にどのように存在し、変化していると考えたら、その電流の意味を納得して理解できるのか?その辺の電流概念への疑問から、どう考えても電流概念棄却の結論にならざるを得なかった過去がある。1987年8月に決断した研究会資料:電気学会、電磁界理論研究会資料 EMT-87-106 である。その5.むすび に・・・電磁気学の基本概念である電荷や電流までも疑い、棄却さえしなければならなくなってしまった。云々と記した。

次に電流 i^2^[J/H] は線路定数の誘導量インダクタンス[H]との関係で、流れるエネルギー量に関係した捉え方ができないかと考えたが、今のところ答えに到達していない。(2019/08/19)追記。電線路にはその単位長さ当たりのインダクタンスという流れを制限する回路要素がある。μ[H/m]の分布定数があるとすれば、電線路の単位長さ当たりμi^2^[J/m]の流れる伝送エネルギーが分布していると考えることはできる。同じく負荷のインダクタンスL[H]とは当然の関係で、Li^2^[J] の貯蔵エネルギーとなる(1/2は省く)。

負荷抵抗R[Ω]の次元も[(H/F)^1/2^]である。抵抗も空間特性は誘電容量と誘導容量の意味を持っているものと見做せる。この見方をとれば、i^2^Rの単位は[J/H][(H/F)^2]=[J/(HF)^2]=[J/s]=[W]という意味で納得できよう。

JHFM単位系 1990年(平成2年)春にまとめた単位系である。マイケルソン・モーレーの実験とマックスウエル電磁場方程式の関係から得られた。色々あって、1998年4月2日に初めて日本物理学会で発表させて頂いた。物理的概念とその次元 日本物理学会講演概要集 第53巻、1号、1分冊、p.13.  関係記事 エネルギー[J(ジュール)]とJHFM単位系 (2010/12/18) 。

まとめ 電圧及び電流という電気量はその根底には深い知恵が潜んでいる。その科学技術量を理解するには、自然との間の深いつながりを紐解かなければならないだろう。その辺に考えるということの意味があるのだろう。単に法則や原理ということで、それを鵜呑みにしていては本当の自然の深い意味を知ることはできなかろう。電圧と電流もその2乗に意味があるのであって、その平方を電気量の概念として実用化しているのだった。電圧、電流はその測定器があるということとの関係で、如何に優れた量であるかということになる。しかし負の電荷の電子が電線の中を流れているという解釈は誤っている。

科学論と電荷

はじめに どうしても思考が初めに戻ってしまう。1985年から2年間初めて電気磁気学・電気理論の授業をすることになった。基に既にあった「磁束は電圧時間積分によって決まる」の認識が「アンペアの法則」の電流による磁束発生理論への疑念を抱えての出発であった。振り返れば、命を守る地獄の中で纏めた『静電界は磁界を伴う』の1987年4月2日電気学会全国大会での発表となった。その時の所属はいったいどこにあるのか、今でも理解できない(4月発表の数日後自宅に、既に去った筈の高専校長から職員会議への出席要請の手紙が届いた。さらに次の年1988年の1月中頃どこからか自宅に、長岡工業高等専門学校の健康保険証が送られてきた。その時は既に、電磁界の物理的概念と地磁気の解釈 春の昭和63年電気学会全国大会 32. p.35-36 の発表予定で投稿していた。しかも全く所属分野の意識もなく、全学共通ぐらいの気分でいたかも。など混乱と理解に苦しむ疑問のまま今日までそのままである)。『静電界は磁界を伴う』の発表内容は結局『電荷概念否定』になる。その原点となった考えの状況を纏めておきたい。なかなか科学論だけの話ではないところが誠に不可思議である。しかも今になれば、その当時の政治的意味合いも含んだ長岡技術科学大学の邪魔者排除対象者として選ばれ、政府・文部省の「中曽根臨時教育審議会」に関係していたことであることが分かる。さすがに常識に疎い無知の筆者にしてみれば、このような意味不明で回りから嘲られたような仕打ちが続いたことは。精神的にも限界を超えていた。みんな政治意識に無頓着だった筆者の無知と相談しようもない孤立無援の中にいたことに関係していることだ。1988年10月、電気学会電磁理論研究会での、「瞬時電磁界理論の実験的検証とその意義」EMT-88-145.(1988.10.) の発表を機に大学から離れた。この研究会資料は世界の科学常識を問う実験データの写真集でもある。

“ミズリー号甲板上での無条件降伏調印式(1945/09/02)  1945年9月1日(海軍解散最終日)に父は『任海軍上等兵曹 舞鶴鎮守府』辞令。9月2日の調印式のため、日本政府代表団はゴムボートにて艦船への往復をした。父はボートクルーの任務に就く。1939年12月1日家族は舞鶴鎮守府へ戸籍転籍された。戸籍上に帰還の痕跡がない。公務員資格は?筆者存在の可否が根源にあったか?”今戦後74年が経過しようとしている、戦争の悲劇の意識が薄れ、政治意識の希薄さが危険な道につながる選挙にも無関心な世相の日本にある。政治はその選挙への無関心に対して、政治意識の重要性を教育に反映する対策も故意に回避しているように思える。今も所属機関もなく、研究発表もできない事態にある身として、思えば戦後処理にすべてがつながっていると。

「電荷への疑念」 電流は電子の流れとの解釈が科学論の基にあった。電子は電荷と質量の合成素粒子と理解していた。しかしアンペアの法則では質量は無視され電荷のみで論理が成り立つ。電子という時の科学論では質量を意識していないように思う。電流概念は電荷の時間微分でアンペア[A]であろう。その電荷が空間で運動すると何故周りの空間に磁界が発生することになるのか。その疑問が電気磁気学の授業をするに連れ強くなっていった。1986年10月1日ある方に『電荷』は存在しないのでは?と疑問を投げたと記憶している。その方は実験で証明する必要があろう。と仰った。確かにその通りと納得して、すぐに実験に取り掛かった。今でも何故高電界中の磁界検出が『電荷否定』の検証になると考えたか、その意識のつながりを明確に覚えていない。何の躊躇もなく翌日から高電圧内の磁界を検出すればよいと取り掛かった。オリエンテーリング用のコンパスをロゴウスキー電極の中に置き直流電圧を高めていった。しかし見事に失敗であった。火花放電が起き、コンパスの表面が黒く焼けた。これで終わりかと自室(ある人の部屋の間借り)に閉じ籠り、歩き回った。閃いた!!油入りのコンパスは地磁気には反応するが、電界の空間エネルギー流には反応しないのだ。それは空間エネルギー流をホール素子で検出する意味と同じ無意味なことと。それからが電界の空間のエネルギー流の何かをとらえられないかと考えて、マグネットの吊り下げ検出器を作った。クーロン力という解釈の指摘を排除するために、等方性の円平マグネットを使った。10月30日ごろと記憶している。その日の長岡市は、朝から雷が鳴りひどく荒れた天候であった。その時思った。天の神が自然の秘密を暴くのを怒っているのだと。それだけきっと磁界が検出できると予感していた。試作マグネットを電極間に近づけて設定。徐々に電圧を上げた。平板マグネットの矢印の方向が変化した。静電界は電荷による電界の空間と電気磁気学では解釈されている。しかし、その空間に磁気コンパスを動かす力が存在するとすれば、その訳を説明しなければならない筈だ。そもそも『電荷』とは何か、その空間像を認識しているか。アンペアの法則及びその電流、その法則による磁界の発生。ビオ・サバールの法則、フレミングの法則などその根源的物理概念は『電荷』である。それほど万能な『電荷』とは何者か。『電荷』が動くとその周辺空間の物理的状況に何が起こるか?それが『電荷』の空間像を考えた起点である。『電荷』は磁気特性を含有するか?

「電荷像と磁気」 電荷への疑念を膨らませた図がある。

電子の磁界発生原理は? 何も特別のことを考えた訳でもない。電子が電荷の具体的代表例だから、それが運動すると静止の時とどのような変化が生じるか。ただそれだけである。電流が磁界を発生させる原因だと物理学で理論構築されている。電流の基は電子だという。それなら電子が静止しているか、運動しているかで回りにどのような物理現象の差が起きるかという疑問でしかない。何も数式など要らない。『電荷』という物理的概念を探るだけである。まず、電荷は空間にどこまでその物理的存在を主張するのか。理論的にはどこまでも無限に意味を持つような解釈にあるように思われる。電界が電荷の周りに在るなら、それは空間エネルギー(1/2)εE^2[J/m^3]が存在する意味である。そのエネルギーは電荷とは異なる物理的実体ととらえるのか。そこに物理学としての論理性があるのか.あるいは電荷内の空間で完結するのか。そんな如何にも学術的科学論あるいはその手法からかけ離れた思考である。巷の科学論とでもいえよう。専門的学術論からかけ離れた素人的疑問は誠に科学論としてはお粗末で、始末に負えないと顰蹙を買いそうだ。電子の寸法もわからないから、実際は空間像を想像することすら無理なのであるが。

結び 『電荷概念はエネルギー流の認識の妨げになっている。』

『電荷否定』の科学論が伝統的科学論の世界で通用する見込みもないと危惧しながらも、ただその実験結果がだだ事でない科学革命の萌芽を含んでいるとの確信になった。その確信が全ての危険な先行きを無視して突き進む情念になった。社会に対する怒りを生み、遣る瀬無い身を恨んだ。そこに情報・テレビなどの操りの罠に引き込まれても行った。飛行機と花火にも踊らされた。陰で操る闇の日本社会。その中でも、現在ようやく物理学理論として『電荷』の概念が曖昧のままでは済まない意識が生まれつつあるか?と考える。科学論の革命が迫っていると。昭和57年度からの工業高等学校の文部省改定を前にして、もう工業高等学校では研究の余地はなくなると喜んで長岡技術科学大学での生活を想定した。しかし、結局望まれない人材として厄介者となってしまった。今思う。研究しか能のない世間知らずが役立たずで誠に困ったものと。しかしお世話になった川上学長も技術に対して理学への不信を抱いていたのではないかと思う。技術から、物理学理論の矛盾点にメスを入れ自然科学としての未来への進むべき道が見えてきたと筆者は思うようになった。『静電界は磁界を伴う』には相当御心配されたとも思う。また、今でも斎藤 進六 学長の創造性の「創」という文字は大きな傷を伴うという意味だとのお話が印象深く気持ちの上で拠り所となってきた。電気系の皆さんにもお世話になっただけで役に立てなかった。新潟県教育委員会が筆者を正式採用をしていなかった事務手続きはについては、今でも行政機関としての意味を理解できない。そこから「割愛」などできないと思う。

戦後処理問題:舞鶴鎮守府の軍籍問題を知ったのは平成7年頃であった。

おまえはどこから生まれ

どこに向って行くのか

その行方も見えない

だが確実なこと

それは

おまえが世界を

創っているということ

目に見えない現実の中に

ずっとひそやかに

その世界を

支えて来たのだと

光によって世界を見る。しかしその光の本質を知っているだろうか。光の本質と言えば、その物理的空間像の意味で捉えたい。光は空間を光速度で伝播する物理的実体である。プランクの理論によって観測上の評価法が確立された。観測の基準は振動数である。振動数によってその光の物理的特性が評価できる。可視光線なら、その色によっても目で大まかな波長(振動数)は理解できる。それでも光は振動する実体を持ってはいない。しかもその光の一波長のエネルギー量は測れない。空間を光速度で伝播するエネルギーの縦波を計測することなど不可能であろうから。光の本質を知ることは電気磁気学の本質を知ることにつながる要でもある。電界や磁界の意味を知ることにつながる。『エネルギー』の意味を知ることにつながる。

 

 

不可解な電荷

電気理論は易しいようで難しい。その訳の一つは数式で解釈する処に在るのだろう。数式で表現されると、数学的な内容を理解しようとして、電気的な現象の中味を理解する事に注ぐ余裕が無くなることも原因に成っていよう。後で不図不思議だとか、何故かと疑問が浮かんでも、考え直す時間的余裕がない為、後々までももやもやが残るのかと。ITなどに、質問で『電荷』とは何かと疑問が多いようだ。数学・数式は『電荷』が実在するかしないかを論証はできない。人が設定した条件・仮定の上での解釈しか論証できない。科学理論の根源的概念に、『電荷』、『質量』更に『光』あるいは『エネルギー』などを挙げて良かろう。それらの中で際立って不可解な物理量・概念が『電荷』である。多くの皆さんが自然界に実在すると考えているかと思うその『電荷』を否定する為に長い30年以上の道程を辿って来た。学術論の「雷」などもその『電荷』概念に基づいて論じられている。その『電荷』を考えることは、自然科学理論の何たるかを考えることにも通じることである。
《電荷問答》
初学者が後々疑問に思うだろうことを問答形式で取り上げたい。この辺の内容を授業をなさる先生方に良く汲み取って解説をして頂きたいと思ってもいる。授業の展開方法に、論理的矛盾は無いか?本質的に見過ごしている視点は無いか?本当に深く突き詰めて納得して教えているか?失礼を顧みず少し気掛かりな視点を取上げて論じてみたい。『電荷』とは実に不可解な概念であり、とても自然界に実在するとは信じられないから。

①クーロン力。クーロン力はこの世界には『正電荷』と『負電荷』の2種類の『電荷』が実在することを絶対的な科学理論の条件に据えて、その電荷間に働く力を数学的な式で表現した自然世界の法則である。と言うことが現在の電気理論の世界の科学常識となっている。その法則が論理的に矛盾だらけで、これが科学理論と言うものの実体を示しているのだ。ここでは高校生があるいは大学生が教室で学習する教科書の内容の意味を自分で解釈する手掛かりに成ればとの意味を込めた解説の心算でもある。本当のところは、電気工学や物理学を学んだ、その後の大学院生あるいは現役の先生方に考えて欲しい内容でもある。

《問答第1》 そこで、最初の『問答』となるのはその電荷の『正』と『負』の違いはどのようなことなのか?形が違うのか?大きさが違うのか?色が違うと言うことは無いだろう。何が『正』と『負』の違いを生む原因となっているのか?

《問答第2》 同じ電荷同士、『正』と『正』などは反発し合う。異種電荷同士、『正』と『負』の間では引き合う。それがクーロンの法則の基本的内容である。そのような力の掛り方が違う訳は、原因はどのような意味から起きる事か?科学論は理屈が大切であるから、因果律を大切にしたい。何か『電荷』の間で異なる現象を生む理由が有って言えることであろう。

《問答第3》 図のように、+Q[C] や-q[C]で同じ『電荷』同士が集合する状態を説明に使うが、その集合する訳は何ですか。クーロンの法則に逆らって同符号の『電荷』が集合する理由は何ですか?それは雷の発生原因として学術論で論じられている手法の訳にもなることであろう。摩擦電気で『電荷』が『正』と『負』に分離し、同符号同士の『電荷』が集合すると言う論理にも関わることである。その原因となる力は何ですか?

②コンデンサの充電・放電現象。コンデンサはエネルギーを貯蔵する回路機能素子である。しかし余り『エネルギー』を貯蔵すると言う解釈が示されていないようである。『エネルギー』より『電荷』の貯蔵機能素子と見られているようだ。『電荷』で解釈することが本当に『エネルギー』貯蔵機能として捉えられると言うのか?それは電気技術感覚から考えても無理に思える。本当に理解してもらいたい事は、感覚的にコンデンサの貯蔵という意味を、『エネルギー』の空間像として捉えて欲しいのである。『電荷』には『エネルギー』が見えないから。

《問答第4》 コンデンサの充電はどのようになされるか?直流電源のバッテリーB.にコンデンサ(容量C[F])を繋ぐ。たちどころに電極板の正と負側に『電荷』が『正』と『負』に分かれて集合すると解釈される。《問答第1》での『電荷』の2種類の話であるが、『正電荷』は基本的には陽子の電荷で、『負電荷』は電子の電荷となっている。しかし、陽子が自由に電子のようには移動するとは考えていないようだから、原子の電子が抜けた『ホール』と言う原子イオンを『正電荷』と看做して論理を組み立てているようだ。電極板の原子は移動できないから、その正電極板の金属原子の中の電子が負側の電極板まで速やかに移動しなければならないことになる。と言うことは直流電源のエネルギー供給の役割は正側電極板から電子を引き出し、負側の電極板まで運ぶことに費やされると考えるのだろうか?さて、コンデンサはエネルギーの貯蔵がその機能である。確かに電子を引き剥がして負側まで運ぶとなれば、仕事をすることになるとは言える。それでは何処でエネルギーが費やされるか?となる。コンデンサは電源のエネルギーのある分を受け持って貯蔵する役目であり、『エネルギー』は消費しない筈だ。エネルギーが費やされてしまうのはコンデンサの機能としては意味が違う。正電極板の原子から電子を引き剥がすにはエネルギーが要る。それはコンデンサの面目を潰すことに成り、許されない。原子から電子を剥ぎ取る力を電源がどのように働くのか?原子に対して電源の電圧は働きようがない筈だ。例えクーロン力(電荷間の)を仮定したとしても、直流電源の一方の端子だけでは何の電源電圧の役目も果たし得ない訳だから。勿論電源とコンデンサを繋ぐ導線内には電界は生じ得ない。この事は物理学会の専門家・学会発表の座長さえ電界が在るとの認識で有ったのは今でも驚きの一語に尽きるが。どのような意味で電界が有ると成るのかその辺から討論をしなければ話が噛み合わないのも確かなことである。導体内に、現在の物理学理論で解釈すれば、電界が在って初めて、電子が移動する可能性は生まれると解釈されている。電界で電荷に力が働くと言う理論そのものが自然の真理ではないのだが。しかしそれでもその科学常識の理論に従うとしても、そんな電界が電源電圧に因って、どのように導線内に生じると考えるのだろうか。結局、直流電圧で電極板に正と負の『電荷』を分離する理屈は成り立たない。当然直流電源が正と負の『電荷』を電源内部から供給する機能も同様に成り立たない。そこで初めて、電源の供給する『エネルギー』のコンデンサへの貯蔵がどのようになされるかの問題意識が生まれる筈だ。『電荷』でなく『エネルギー』の実在性を意識することが物理学の極める視点でなければならない。直流電源の負側の導線の近傍空間を通してコンデンサ内の空間に『エネルギー』が貯蔵されるのがこの場合の電磁現象の真相である。 

《問答第5》 電源が電池でなくて変圧器の場合も取上げた。はじめに、電池の場合は電池の『電荷』がコンデンサに供給されると解釈されるかと考えたが、上の《問答第4》でそれは無いことが分かったと思うから、変圧器を取上げる意味も無かったかもしれない。しかし、この変圧器電源ではコンデンサの『電荷』貯蔵機能は直流の場合よりさらに交流の為、極性まで交互に代わるだけ複雑になろう。『電子』は両極板の原子から剥ぎ取る機能の論理性を問うことになる。『電子』はそんなに光速度の速度対応は出来ない筈だ。それ程の論理的な困難が在っても、『電荷』『電子』で理論を構築するのかが問われる筈だ。それに対して『エネルギー』は光エネルギーのように、電線路空間を通してコンデンサ貯蔵機能に光速度の素早さで対応可能である。

むすび

『電子』論の矛盾を力学論から拾い上げて、アンペアの法則の論理的矛盾を解説する前にもう一度、『電荷』の持つ科学概念をサイエンスコミュニケーションの題材として取り上げた。ここでも数式に頼らないで、前の記事力の概念と電気物理に関係した意味で取上げた。

力の概念と電気物理

視点一つが世界を変える。

不図疑問が湧く。今までの認識に疑問が種となって、新たな世界が驚きの中に膨らむ。今回は『力』である。電気と言う目に見えない現象故に、その世界描写は数学的な表記によってとても抽象的に描かれる。多くの法則によって体系化された学術理論の世界である。科学理論の世界は長い歴史の重みを背負って、何百年の時に亘って専門家の追究の試練に曝されて生き残って来た学術理論である。その根幹を成している概念は『電荷』である。それはクーロンの法則と言う偉大な科学技術論を論ずる基幹法則として誰もが一度は聞いたことのある法則であろう。『電荷』間に働く『力』の意味を解釈する法則である。科学理論は社会的に認知された、学術機関の専門家が推奨する権威ある理論で、広く学校教育での標準教科書として取り上げられたものである。そんな理論の根幹の「電荷」を否定することは、社会的大きな混乱を引き起こすかもしれない畏れ多さを抱える事でもある。自分一人の科学技術感覚からの『電荷』否定の挑戦であった。クーロンの法則を斬る (2013/01/06) の記事から6年が過ぎた。今回その法則に関して、力学理論の『力』の概念から改めて『電荷』否定の論証視点が浮かび上がった。気付けば当たり前のことと思う様な『電荷』に潜む矛盾点である。

力学論の力の概念

運動力学の『力』とはどのようなものか。そんな疑問を抱くことに意味があるのかと思うかも知れない。力が働くという意味で感覚的に感じるのは力を掛ける対象に、力に逆らう反作用のような抵抗がそこにはある。それが慣性体としての質量の意味だと思う。運動力学で力が掛ると、その対象は力によって加速度運動に成る。もし力の対象が質量体で無かったなら、その対象はどのような運動に成るのだろうか。図の力の概念に示したように、質量M[kg]が力に逆らって速度の変化を受けないような作用があるから力を掛ける側に、対象に作用するという意味が生じるのだ。もし対象に質量がなかったら、加速度と言う概念は存在しない。加速度の存在しない『力』の概念は力にはなり得ない。

電荷と力

図1.電荷と電界と力

さて、電気物理学では『電荷』がすべての電気現象の理論的論拠となっている。電場に『電荷』が有れば、その『電荷』はその点の電界強度によって『力』を受けると成っている。(1)式のように、空間にある電荷集合体+Q[C]が有れば、その周りの空間は立体空間全体に電界強度E[V/m]で定義付けられると成っている。その空間に、他の『電荷』が存在するとその電界Eによって力を受ける。電荷が-q[C]とすれば、(2)、(3)式の力を『電荷』が受けると言う。(3)式が有名なクーロンの法則の式である。なお (r/r)は座標ベクトルrの方向を示す単位ベクトルの意味である。荷電粒子が電磁場で力を受けて運動する現象は実際にあるから、確かに間違いとは言えない。しかし、上に示したように、『力』の概念で述べたことも間違いではない。質量がなければ、『力』は掛からない。『電荷』に慣性は無いから、それは『力』の対象にはならない筈だ。もし力が掛れば慣性のない『電荷』は直ちに無限速度で飛んで消えて、運動論の対象にはならない。前にも、荷電粒子加速と電磁力 (2015/01/31)で問題にした。今回不図した思い付きで、『力』の概念について気付いたことが質量の慣性と言う意味であった。クーロンの法則を斬る (2013/01/06)で『電荷』とその上の(3)式の否定を論じた。今回はっきりと納得できたのが質量の慣性と言うものによって初めて『力』が意味を持つという事であった。それなら実際に電磁場と言う空間での荷電粒子加速現象はどのような意味なのかという自然世界の認識の課題である。実際の電磁場での粒子加速運動論には必ず質量を必要とするから、電子にも陽電子にもすべての粒子には必ず質量が付帯している。そこで一応運動力学論としての辻褄が合わせられている訳である。しかし電気回路の電流論に成ると、電流の単位アンペア[A]=[C/s]には決して質量は必要ないから、『電荷』だけで論じられることになる。この『電荷』と『力』の問題は、世界で実施されている荷電粒子加速実験の理論的根拠の問題でもあろうかと考える。

電荷と電磁場

もう一度電荷とその電界の意味を取上げて考えて置きたい。『電荷』の意味を考える時、とても不思議に思うことがある。或るプラスの正電荷の集合体が空間にあると設定されて解説される。クーロンの法則に直接関係する電磁場の論考に於いて、どのような原理で同一の符号の『電荷』が集合し得ると考えるのか。同一符号の『電荷』は離隔距離の2乗に反比例して強力に接近は拒否される筈である。子供達に教える教育の場で、クーロンの法則が取上げられて、説明される時には同一『電荷』の集合は排除されると教える筈である。しかし、図2.のようにいとも簡単に『電荷』の集合体で理論の解説が成される。これも科学論の不思議と言わなければならない。その時の集合電荷の離隔距離はおそらくゼロの意識で論理展開しているのだろう。ゼロの2乗分の1は無限大の排斥力となる。この事は教育者側の科学論の論理性の問題としても無視できない矛盾論の筈であろう。それはさて置き、問題は電荷周りの電磁場の意味である。図2.電荷とエネルギー のように空間の誘電率がεo[F/m]とすると、その空間のエネルギーをどのように理論的に解釈しているかという問題である。係数が(1/2)の問題はさて置くとして、一応wr=(1/2)εE^2^ [J/㎥]のような電界のエネルギーが空間にあると解釈する筈である。『電荷』からの空間距離rの関数として、『電荷』周りにはエネルギーが分布していると解釈してよかろう。しかし、物理学理論で空間の解釈をする時はこのようにエネルギーを認識している筈であるが、荷電粒子加速などの場合には、この空間エネルギーをどのように解釈しているのかはハッキリしていないようだ。このエネルギーの問題は理論物理学における『電荷』の概念の捉え方に関わる問題であるから。と言うのは、このエネルギーが空間に存在していると解釈するかどうかが最初に問わなければならない問題なのである。そのエネルギーは電界がある限り、空間の無限遠までも希薄になっても存在することになるからである。空間に存在すると解釈するなら、そのエネルギーを理論物理学ではどんな物理量と考えるのか。即ち『電荷』の一部なのか、『電荷』と無関係のエネルギーなのかと言うことを問う問答なのである。この解釈・考え方は至極幼稚な素人的素朴な疑問なのである。しかしこのような考え方が、理科教育・自然科学論に求められて居る易しさの科学論の姿勢であると考える。高度な数学的理論展開では、市民が理解し、納得する自然科学論にはならないから。本当の自然科学論は日常用語で解説できなければそれは正しいとは言えないのだ。何故このように『電荷』とその周辺空間のエネルギーの問題を論じるかは、高度な理論を展開されている専門の方々こそお分かりの筈であるから。ついでにもう一つ図2-1.電荷と力とエネルギーとして、単位電荷が空間に分布していたとする。この場合は、『電荷』間には複雑な力が掛ることに成り、その空間のエネルギー分布も正と負の電荷によって、種類の違うエネルギーが存在すると解釈するべきなのかなど理論的に決まりの付け難い問題が残るようだ。本来エネルギーには『正』と『負』は無く、ただ『エネルギー』が存在するかどうかの問題であるから。そういう意味で、物理学理論の易しい解釈を求めての論考である。易しい理論的解説は難しい数学や数式は必要がない筈だ。『電荷』が『エネルギー』を持っているか、いないかを答える事ぐらい難しい事ではなかろう。結局『電荷』とは何かを問うことである。電気磁気学、電気回路論あるいは電気工学のそれぞれの解釈の場で、『電荷』が如何なる実在量かの描像を示す事が求められていることと思う。それは次の謎解きの話になろう。

理論と電磁現象の間の謎解き

波形観測に欠かせない電気製品にオッシロスコープがある。電子銃からの電子ビームを平板電極間に通すと、その電極の電圧信号に従って、電子ビームの方向を制御できる。蛍光面にその制御されたビームの軌跡が波形を描く。その原理が電子電荷の空間電界による制御と解釈される。これが科学技術の電磁現象解釈原理となる。技術としてはその原理を理解することが必要であり、それだけで十分立派な電気技術者の仲間に入れる。教育もその意味で技術理論の習得への期待が国家の教育方針とされてきた。それはそれで良かった。『電荷』と言う概念を考え出して作り上げた意味はその為に有効であった。ところが、その科学技術用の理論を深く突き詰めると、とても曖昧で、論理性に絶えない矛盾が潜んでいることに気付く筈だ。科学技術教育ならそれでも良かった。しかし、自然現象を説き明かす物理学理論となれば、その矛盾を抱えて頬被(ホウカブリ)したままやり過ごす事はできない筈だ。ではそれはどんな矛盾で、何故理論が論理的で無いと言うかを説明しなければならないかも知れない。聡明な皆さんは既にお分かりの筈であろうが。その曖昧さを取り除くには、『電荷』が理論に絶えない概念であることを理解しなければならない。 f=q[v×B]+qE [N] の式で解釈するローレンツ力の力が掛る対象は電荷q[C]である。その式は質量が無い式だ。荷電粒子にこっそり質量が有ると条件付けられてはいるが、それは運動論を展開するには質量がなければ無理だからである。しかしあくまでも力の掛る対象は原理の式には『電荷』しかない。『電荷』には慣性がないから力が掛る対象にはなり得ないのである。しかし現実は、この式で解釈する通りの荷電粒子と認識する『電荷』のビームが制御される。この論理的不都合を解決する解釈法が一つあるのだ。それが『軸性エネルギー流』だ。電磁場空間内の空間電磁エネルギーの分布を理解する道である。『静電界は磁界を伴う』と言う奇妙な表現内容に鍵がある。電界と言う電場空間は、むしろ磁場空間なのである。磁場空間は磁束がある訳ではなく、軸性エネルギー流の場である。言ってみれば、『電子』も軸性エネルギー流子なのである。エネルギー流空間に電子と言う軸性エネルギー流子が通過すれば、エネルギー流同士の間の近接作用力が働くことになる。過去に載せた関連記事の図を挙げて置く。電子スピンとは?-その空間像-(2011/02/09)

 

 

 

 

 

 

 

素粒子-その実相-(2012/07/31)

 

 

 

 

 

エネルギー流と結合(2018/10/10)

 

 

むすび

問題の解決は『電荷』とは何かに答えることである。それはまた『電子』とは何かに答える事でもある。そこに未来の道が観えて来る筈だ。空間に実在するということは、その空間像を描くことでしか解決できない。抽象的な数式には姿が観えない。軸性エネルギー流は磁場と言う空間の物理的姿を示した空間像である。身近にあるマグネットのNSの磁極近傍の空間に在るエネルギーの流れの様子を示したものが軸性エネルギー流であり、それは磁極の表面空間を流れている回転エネルギー流である。その空間に実在するエネルギーを見ることはできない。それを計測することも、観測することも出来ない。その観えないものを『電子』などと捉えて、科学理論を構築して来たのである。『電荷』概念の矛盾に気づくなら、空間のエネルギーが(心にあるいは感覚的に)観えて来る筈だ。そのエネルギーに関する空間論は観測できないから科学論に成り得ないかもしれないが、そこに至らない限りは自然に心を添えないと言うことであろう。『エネルギー』を認識すれば、自然世界の本質が観えて来る筈だ。以上でクーロン力の矛盾についての論説は終わる。次の記事で、アンペアーの法則の回路電流における電子流の矛盾について述べたい。

光速度一定とは

はじめに
光とその伝播現象について、過去1世紀に亘って『特殊相対性理論』がその社会現象とも見做せるほど華やかな話題の中心を成してきた。世界は『電荷』と『質量』を持った素粒子から構成されているという基本認識にある。その中の『電子』も電気回路での役割を突き詰めれば、それは『エネルギー』の流れでしかない。エネルギーの塊を粒子と看做せば、それはあたかも質量を持った粒子とも見做せる特性を示すであろう。電磁波もエネルギー粗密分布の縦波であるから、光速度一定と言うことが示す意味を明確にするには、その速度の主体である電磁波と言う光を空間像として認識する必要がある。物理学理論で光の実相を空間認識として示すべき問題が残されている筈だ。光の粒子性と波動性と言う二つの解釈の間の曖昧さを統一して、その訳を明らかにしてこそ物理学の筈である。どんなに数式で論じても、光の実相を説明したことにはならない。『光速度一定』と言う事の中には、とても多くの問題を統一して論じなければならない意味が含まれている。一世紀前の電気磁気学論では対応できない筈だ。光が伝播するという空間をどのように定義するかも問われている。

光と電磁波とエネルギー
光とは何か?光の振動数とは何か?光の粒子性とは何か?その答えは空間のエネルギー分布として認識出来るかに掛っている。光は電磁波だと解説される。それなら電磁波とはどのようなものと捉えているのか。電磁波のエネルギーをどのように理解しているのか。放送局などの電波送信は大電力の放射設備である。エネルギーの送信なのである。電磁波をどのようなエネルギー空間像で捉えているのか。まさか振動数でエネルギーを計算出来る訳がなかろう。放送電波の半波長もエネルギー空間分布波なのである。電界・磁界の方程式で評価するだけで、その波が電界・磁界から算定される空間に実在するエネルギーの分布波だと何故捉えないのかが人の思考の科学論の不思議なのである。放送電波も横波でなく、エネルギーの縦波の電波である。その認識が有って初めて光の意味が分かるはずだ。光の振動数ν[Hz]とプランク定数h[Js]から、光あるいは光量子のエネルギーをε=hν[J]と解釈する。1秒間の振動数がどのような意味で光のエネルギーを評価出来ると考えるのか。そのエネルギーとはどんなエネルギーを評価したものか。その式の持つエネルギー量はただその周波数スペクトラムの構成基本粒子・光量子の一つの波の単位エネルギー量の意味を表現したものである。その作用性を評価する同一周波数の光の群の一粒のエネルギー量なのである。電気回路で解釈すれば、1サイクルは二つのエネルギーの山から成る。電力の場合は、周波数が決まっているからスペクトルは単一周波数だけである。そこでは基本エネルギー量を規定はできない。電線路一回線に一つのエネルギー流波しかないから。また、電力に負の解釈が有っても、エネルギーに負は無い。1秒間ではエネルギー総量はその山の2倍周波数を掛けた分になる。周波数f[Hz]の電力p[W]であれば、エネルギーの単位となる一山分はp/(2f)[J]のエネルギー量である。例えばf=50[Hz]の電力線なら、一山のエネルギーは3000[km]の長さに分布したエネルギー波となる。そんな長い送電線はなかろう。だから一般の電線路のエネルギー分布は、その線路全体に亘って殆ど直流分布と看做せるエネルギー空間分布が時間的に変動しているようなものとなる。電線路のエネルギーはそのように空間的に捉えられる。そこには電線導体内の電子流などと言う解釈は意味を成さない。さて、そこで光のエネルギーはどのように捉えるかとなる。光が電磁波だと言うなら、電磁波は空間を電線路無しに伝播する訳だから、電線路伝送エネルギーと同じく空間に分布したエネルギー伝播現象である。電磁波と同じと言う光も当然空間を伝播するエネルギー波の筈である。 ε=hν[J]  この式にどんなエネルギーが見えますか?空間エネルギー像が描けますか。光の空間エネルギー像をプランク定数と振動数でどのように認識できるかの物理の問題である。この式による光量子のエネルギーと言う意味はその振動数の光の量子的効果を認識できる点にある。その波長の光は物質に作用する時、他の波長の光と異なることを認識できるという点で有効な捉え方が出来る式である。その理由、訳を知るには何故振動数がどのようなエネルギーの意味を生み出すかを説明しなければならない筈だが、それは困難であろう。何故その振動数が重要な意味を持つかを理解するには、光の作用性としての空間的特徴を知らなければ分からない筈だ。その意味で、前の記事光量子空間像(D線)が参考になれば良いと思う。末尾にマックスウエルの電波伝播方程式に関係して、電磁波の伝播現象の図を載せた。一般には電界と磁界とに因った、基本的な結ぶ付きで論じられるが、電界は必要がないとした。その訳は、今までの長い電磁気現象の総合的な考察によって、空間エネルギーの形態は二つに分けられると解釈する。空間伝播の直線的流れのエネルギーと磁気的と解釈する軸性エネルギー回転流の二つに大別出来よう。空間を光速度で伝播するエネルギー流が、光を含めて電線路エネルギー流などにも見られる、その基本的姿である。それに対して直線的に伝送しないエネルギー流即ちある空間に留まったエネルギーの形態がある。それがマグネットのような軸性回転エネルギー流になる。地磁気のようなものも地球表面上に沿って回転している軸性エネルギー流と看做せる。少し解釈を広げれば、そのエネルギー流が基本的には地球の回転の原因となっているエネルギー流と解釈したい。そのような磁気と看做す局所的(地球表面と言う広さではあるがやはり局所的である)軸性エネルギー流を基礎に置けば、その直交方向を電界と解釈しているに過ぎないのだ。『電荷』がない以上電界が存在する根拠も無くなる。「少し述べて置きたい。無負荷電線路のエネルギー分布は電圧と言う概念に対応した電線路コンデンサの空間貯蔵エネルギーの様相で認識するが、電源電圧の時間的変動に対応してエネルギーの流れはあるから、単なるコンデンサ回路とは異なる。しかし無負荷で有れば、長い電線路コンデンサ負荷とも見做せる。その場合、コンデンサ充電の伝送エネルギー流と電線路空間の一点に生じるエネルギー流は電線路導体に直交した軸性エネルギー流の形態を取るかとも思われる。もし電源が一定直流電圧なら、その電圧・電界の様相は軸性エネルギー流となろう。」空間の磁界をマグネットのコンパスでその存在を検出できるが、電界を検出する器具は無い。電磁現象を示す『エネルギー』に静止状態は無く、光速度流にあると観て良かろう。『エネルギー』の静止とは原子内のマグネットの軸性エネルギー流となる、質量化された状態と看做せよう。

光の伝播空間と速度
光は観測者の為に伝播する訳ではない。光は空間に放射された瞬間からその空間の特性に従って伝播する。水の中、空気の密度、ガラスの中あるいは障壁の存在などその伝播媒体の特性や空間構造に従った速度、方向で伝播する。光速度の基準は理想的な真空空間と考える。観測者が光の伝播にどのような相対速度で観測しようと、それには一切無関係に光は伝播空間の特性で決まる速度で伝播する。その基準空間座標を「光規定空間」と定義する。所謂『絶対空間』である。『特殊相対性理論』とは全く違う。観測者が『光規定空間』に対してどのような速度にであるかによって、光との関係はすべて普通の『相対速度』として観測される。何も特殊な関係は無い。例えば仮の話であるが、絶対空間に対して光速度のロケットから光を放射したとする。光は光源から離れた瞬間に、放射方向に一定の光速度で伝播する。ロケットの速度には全く関係しない。ロケットの進行方向の前方に放射すれば、ロケットの観測者から見れば光の速度即ち相対速度はゼロとなる。エネルギーの塊と一緒に進むことになり、どんどん高密度エネルギーの中に進むことになり、高熱に焼かれるだろう。決して特殊な現象は起きない。光は空間エネルギー分布の縦波であるから。半波長でもエネルギー密度分布波であるから。振動数がエネルギーとなる訳ではないから。その絶対空間がどのような座標と看做せばよいかは分からない。太陽がその絶対空間に対してどのような運航をしているかも分からない。光が真空の空間で『光速度一定』で伝播する空間を『光規定空間』と定義するだけである。何者にも支配されないで光が伝播する空間、それが『光規定空間』である。その空間を人は認識できないかもしれない。当然地球表面では空気の影響も受け、地球の自転・公転によって天空からの光はすべて相対的なものとなる。

『光速度一定』と相対速度

光と言う物理的評価対象はエネルギーの自由空間での光速度伝播現象として認識出来る。その空間での伝播速度が『一定光速度』だと解釈する。宇宙からの到達光を速度を持って運動している地球上から観測すれば、光の一定速度での伝播に対して必ず観測は相対速度になる。しかも空気が有れば、真空とは異なり或る意味空気も誘電体と看做せる。それは観測に掛らない程の真空との差であるかも知れないが。しかし『特殊相対性理論』での『光速度一定』と言う意味は、光が主体的ではなく、人間の解釈が主体的になる捉え方になっている。人から見て光は一定と解釈してよいという意味である。日住生活で、朝日が山の端に顔を出す時、その太陽光は金色に輝く。日が沈む夕日になれば、赤方偏移で赤い夕焼けになる。同じ太陽光線が地球の回転との関係で観測は必ず相対速度で観測されるからの現象である。ドップラー効果と言いながら、光の空間エネルギー密度波の解釈がない為に、いろいろ解釈が混乱しているようだ。日常の感覚的認識が高度の数式解釈の物理学理論より自然を理解するには重要である。相対速度は光を観測するその光のエネルギー分布の波頭値が観測波長の短縮・伸長により変化することに表れる。それがドップラー効果と言う現象である。朝日と夕日の意味も波頭値の変化が原因である。光の空間エネルギー分布の認識が基本に無ければ、『光速度一定』の意味も理解できない筈だ。

(参考) 電磁波の伝播現象の図

アンテナから放射される直前は電気回路のエネルギーである。そこでは閉じた軸性エネルギー流の状態と解釈した。断面は閉じた円環のNS極となっている。図のようなエネルギー流が電波として放射された時点で、光速度のエネルギーの縦波となり、ただ空間エネルギー分布密度波となると解釈した。障害やアンテナによって電波が光速度伝播を止められた時点で、軸性エネルギー流になると解釈する。エネルギーの静止と言う状態は、『静電界は磁界を伴う』の実験でのロゴウスキー電極間の環状軸性エネルギー流の磁場としての流れになると考える。要するに電界と言うのは軸性エネルギー流に対して直交した方向を評価した概念でしかない。それが『電荷』を必要としない解釈である。

 

光量子空間像(D線)

光量子と波の概念
現代物理学理論における光量子、光子はその基礎認識で、必ず振動数あるいは周波数に基づいている。物質から光が放射される時、そのエネルギーは連続的な周期性を持って放出される。単発で放射されることはなかろう。だから光量子の検出には周波数、振動数を伴うことになる。振動数を一粒の光が持ち得る訳は無いのだ。振動する一粒の光量子など無い。エネルギー放出時における一群の光がそれぞれの周期的な時間差で起こるだけである。どんな波も横に振れる波動性は本質的に持たないのである。水の水面波も、進行方向への縦のエネルギー流でしかないのである。表面の水面を見れば、確かに横の上下に波打つのが観察される。しかしそれを「横波」と解釈するのが誤りなのである。波は表面だけではなく、水中深く底まで伝達するのである。水底に向かう波をどのように解釈しようとも横に振れるものなどない筈である。みんな『エネルギー』の縦波なのである。シュレーディンガーの有名な波動方程式も横波が基本になっている。それは筆者には受け入れ難い方程式である。

式の意味
光量子の空間像を「空間エネルギー密度流」として次式で表した。

このエネルギーの縦波と言う空間像の意味を少し考えてみる。この光量子の一粒は1辺が光の波長λの立方体として捉えている。そのエネルギーの内部分布が波頭値H[J/㎥]の衝撃波状の指数関数形である。(1)式のHζの積のζは丁度1波長で値がゼロの繰り返しとなる為のものである。0≦ζ≦1である。しかしこの波形は正弦波でない為、周期関数形としての取り扱いが困難である。周期波形でありながら、数式での周期関数表現が出来ない。数学の関数がない。この光量子の式の表現する事の意味で、重要な1点は光に質量がなく、エネルギーそのものが光速度で伝播するということである。光と言うエネルギーは空間での極限の現れである。

式の具体的例題
実際に空間像の意味を捉えるには、具体例で考えるのが良かろう。ここで、ナトリュウムの演色反応で有名な色のD線を取上げて、(1)式のエネルギー空間像を計算してみよう。波長スペクトラムの5889.97 Åと5895.93Åがそれらしい。そこで、波長λ=5890[Å]を具体例に選ぶ。その光量子一粒のエネルギー量εDは

 

 

 

 

となる。このD線の波頭値は

 

となる。しかし、この値ではその大きさの意味が分からない。光量子の寸法で考えてみる。下にその寸法を図示した。進行する波頭で、厚み1Åの微小体積dvの波頭エネルギー密度を算定してみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(4)式の体積dv内でのエネルギー密度波頭値Hは(5)式のように計算され、数値的にも納得できよう。そこで、この波頭値Hから、このD線の光量子エネルギーを求めれば、(6)式として算定される。その値は(2)式の結果と同じのは当然である。波頭値Hと自然対数の底e=2.718との比がエネルギー分布の平均値に等価であることになる。その平均値(H/e)の光量子体積倍が丁度光量子1粒のエネルギー量になる。

結び 光速度一定とはの記事を書きながら、光量子空間像を認識しなければ、光速度の意味が分からないだろうと、その参考にと古い記事光とは何か?-光量子像-の中の一部のファイルを取上げって載せた。なお(1)式の意味についてはその記事に示してある。

光量子一粒の形状を1辺が波長λの立方体として解釈している。この体積の取り方が妥当であるかどうかは断定できない。他の形状がより実際に合うかも知れず、その場合はそのように取ればよかろう。一つの空間エネルギー像としての描像を具体例で提示したものである。兎に角、ε=hνではその空間像を認識できないだろうから、これなら誰でも理解し易かろうという空間像を図に表現したものである。勿論自分が納得することを求めて導きだした解釈である。今までこのような具体像は無かったと思い、これが一つの物理学の求める易しさの道ではないかと思って。

 

 

mc^2^ から物理学を問う

はじめに
E=mc^2^ [J] この式の意味を『質量-エネルギー等価則』として理解している。余りにも有名な表式である。これ程簡潔にして、自然世界を表現した数式は他にはなかろう。この式の意味を問うことは物理学理論の現在の姿を問うことになる。アインシュタインとその影響が現代物理学に大きく関わっていることは誰でも知っているだろう。それは物理学という科学論が20世紀の大きな社会現象としても捉えなければならない程時代を支配して来た。この表式の意味には自然の根源的「美意識」さえ込められていると思える。それはそれ程に素晴らしい表式だと思う。しかしそれに対して『特殊相対性理論』に関係した論が社会に与えた意味がとても気掛かりに思える。どうも理論が社会の中で勝手に弄ばれて、誤っていたのではないかと。様々な解釈が、様々な表現用語と共に明確な定義なしに論じられ、不可解な世界論を作り上げているように思える。そう思うことは個人の細やかな思いでしかなかろうが、電気技術論からの率直な違和感でもある。自然世界の認識で『電荷』否定が論点の基になる。

物理学理論と電磁現象
19世紀という100年は科学技術の台頭期とでも思える。中でも電気技術とその基礎理論が確立した時代であったと思う。1864年、早々とマックスウエルの電磁場方程式によって電磁現象の統一的理論が出現した。今でもその理論と方程式は偏微分形式で、高度な専門性を持って理解されている。このマックスウエル電磁場方程式が表現する内容がここで議論するアインシュタインの『特殊相対性理論』の基礎となっていると考えたい。『運動している物体の電気力学について』という1905年の論文が所謂『特殊相対性理論』という内容なのである。しかし、その論文の電気力学という内容が具体的に何を指すかが分からない。マックスウエルの電気力学がアインシュタインの理論の構築の基になっている。今になれば、当時の電気現象の解釈はまだ暗中模索の中にあった筈だ。『静電界は磁界を伴う』などという解釈から程遠かった。然しながら電気現象だけでなく、もっと謎の多い世界が科学の対象となり、19世紀の終わりにはレントゲン線や放射線という目に見えない自然世界の謎解きが始った。自然世界の解釈が見えない物理現象の解明に向き、自然科学のある意味混迷期にも在った。そこにアインシュタインの自然感覚と異なる異次元の理論が唱えられ、その新しい解釈、それが物理学理論として時代の学術の牽引役を担ったと思う。今改めて、アインシュタインの論文の翻訳文を読み、更に理論の軌道修正が迫られていると思った。別に改めて論じたい。

物理学理論でのmc^2^の意味
20世紀は物理学理論が世界の科学の話題の中心となって来た。特にアインシュタインの『特殊相対性理論』が科学論の原典のように華やかな世相を成してきた。アインシュタインが唱えた、mc^2^も自然世界解釈論の原点として科学常識となって現在に至っている。先日検索してmc^2^の、その意味を尋ねた。

驚いたことに殆どの解説が右の式の意味についてである。所謂アインシュタインの『特殊相対性理論』の光の伝播特性の解釈の√(1- β^2^) を質量とエネルギーの関係の関係にまで広げた論説である。よく見かける黒板に書き記しているアインシュタインの写真には、分母の式はない。E=mc^2^ の式だけである。論文標題  E=Mc^2^ :the most urgent problem of our time  (E=Mc^2^-現代の重要問題) Science illustrated,  vol. 1, no. 1  (1946), pp. 16~17 として、昭和21年にアインシュタインが「質量とエネルギーの等価性の法則を理解するには、特殊相対性理論以前の・・」との書きだして論じている。この論文を書いた時点では、アインシュタインは少し過去の主張に疑いを持っていたかとも思う。質量もエネルギーに統合されると解釈していたと読み取れる部分が有る。それはバートランドラッセル卿の主張に近いと。

E=mc^2^ [J] の式と異なり、分母の√(1- β^2^)が有る。光速度c[m/s]に対して質量m[kg]の物体の速度がv[m/s]の時のエネルギーを表した式のようだ。特殊相対性理論の § 10.  ゆるやかな加速度を受けた電子の力学 で電子の質量に関する論から、勝手に創り出された式であろう。アインシュタインの論文には無い式だ。

検索記事よ!  何故か? この式にそれ程の特別な意義あると言うのか?何も無い筈だ。

E=mc^2^[J]の式の意味を理解していない解説だ。やはり物理学理論等の教育内容で『エネルギー』の意味をすべて質量の持つものとして考えている処に根源的誤りがある。原子核分裂で、分裂生成原子の運動エネルギーの他に熱(輻射)、光そのもののエネルギーがその中にあることをどう捉えているかが気掛かりである。空間に『エネルギー』が体積を持って実在していることを認識していない。光が半波長の長さの空間にも『エネルギー』として実在している意味を理解していないからだ。振動がエネルギーに成る訳は無いのだから。光の振動数がどのような物理的意味を持つと考えているのか。みんな『エネルギー』の解釈の問題なんだ。

むすび mc^2^ の解釈は、質量m[kg]がすべてエネルギーに変換されれば、その結果には質量は消え、すべてが熱と光(電気も含む)のエネルギーに等価に変換されるという意味である。それを述べようとして検索したら特殊相対論の√(1- β^2^) に戸惑った。それは間違った世界の解釈論と思う。光を振動数で解釈している限りは、自然世界の正しい認識には到達できない。『質量-エネルギー等価則』のE=Mc^2^[J]の意味を認識して欲しい。

(参考記事):光の速度と空間特性 (1911/05/22) 。光とは何か?-光量子像- (1912/01/15)

物理学理論と磁束

はじめに 物理学あるいは物理学理論は、自然の深い仕組みを解き明かす特別の論理的思考能力を持った専門家集団が唱える真理と考えるだろう。それは科学技術の更にその奥に隠れている深遠な自然世界を解き明かし、科学技術の理論的拠り所としての学問分野が物理学と思うだろう。その自然世界の基本の描像は電子の周回する原子構造論と電子の流れる電線路電流、更にその電流によって定義される磁束などが電磁界の論拠としての物理学構成概念である。それが世界の物理学であろう。しかしそんなに多様な基本構成物理量が世界の根源であるとは理解できないし、信じられない。最近、磁気概念や磁束の物理的意味を解剖してみた。それは物理学でなく、電気技術の知見をひも解くことによって様々な科学技術用語の本質が明らかに成って来た。物理学が科学技術の技術概念を深く追究してこそ本当の自然世界が明らかになることを認識すべきという結論になる。電荷や磁束の空間像を示す事が、それらが自然世界に実在するかどうかを判断するに欠かせない筈だ。その空間像が物理学に問われている。世界は抽象ではなく具象世界だ。磁束について、アメリカのNASA宇宙技術開発の成果の一つと聞いているロイヤーインバータ回路の原理から具体的な例で、電圧が一義的なその発生起因であることを示し、アンペアの法則による電子流で磁束が発生するという誤解を解いて欲しい。
磁束の物理概念
マグネットは何処にでもある日常生活に密接な磁気製品でもある。物理学を教える先生方は教科書の中味である物理量などすべて明確に捉え切っている筈だと考えたい。しかし現実は、変圧器の磁束について励磁電流が発生原因であると殆どの方が考えているように思う。それは間違っている。変圧器や電磁コイルの物理現象を解きほぐせば、少なくとも励磁電流がなければ磁束が生じないということは無いのであり、磁束はそのコイル端子に印加する電圧によって一義的に決まってしまうのである。その意味を物理学では馴染みがないであろうが、インバータ回路を使って具体的に示して解説したい。それはファラディーの法則の科学技術論の理解の為でもある。磁束という物理量が、実際に実在するという解説ではないから。自然世界の本質は磁束さえ、エネルギー流に纏まるのであるから。しかし少なくとも、まず一段階としての誤解を解いて欲しいのだ。

磁束と電圧 右の具体的回路例を基に説明したい。AとBの二組のトランジスタスイッチを直流電源と組み合わせて、変圧器に繋ぐ。AのスイッチとBのスイッチを交互に半周期ごとに断続的にオンする。その時磁束は図のように階段状に変化する。その磁束は励磁電流が流れようと流れまいと関係なく、電圧値と時間だけ(即ち電圧時間積分)で決まる。この解釈は変圧器だけでなく、一般のコイルにも当てはまるのである。コイル端子に印加される電圧値と時間で磁束は決まると考えるべきである。理論の統一という事の大切さは、広く基礎概念によって無駄な思考を省き、分かり易くするということにある。図のようなスイッチングモードでは、半サイクル(T/2)の内4/7の間電圧Eが印加されることになる。その間に磁束は最大磁束の2倍 2Φm の増加をすると考えられる。ファラディーの法則は E=n(dφ/dt) および φ=∫(E/n)dt と表される。その法則から、電圧Eが時間T/2(8/14)=2T/7の間印加されて、磁束が 2Φm だけ増加するとなれば、次式が成り立つ。

2Φm=E/n×(2T/7)

従って、  E=7n(1/T)Φm [V=(J/F)^1/2^]

が得られる。このように、印加電圧とその印加時間だけで磁束は決まると考えるべきだ。その磁束発生原因として、励磁電流などの複雑な解釈概念を介入させるべきではない。この磁束は、すべてのコイルや電気回路全般に言えることである。その意味は電線内の電子流という『電流』概念の物理的解釈の論理性が問われているということである。『磁束』という物理量も『電流』と同じく、その物理量の実在性が物理学理論として検証されなければならない筈だ。その具体的な空間像が。

むすび

電流と磁気の概念矛盾について述べなければならない。それは自然世界を理解するに欠かせない思考作務である。電気論では電線内を電子が流れるという。何故電子(電荷と質量)が金属導体内を通ると、金属導体の外に磁束が発生するのか。電子は磁気を持つと定義されているのか。電子のスピンでは磁束の発生の解説にはならない筈だ。その電子と磁束の関係の疑問に答えるのが物理学である。電流という科学技術概念の正体を明らかにしてこそ物理学である。物理学は科学技術現象を詳細に検証すべき学問分野の筈だから。それは子供達に教えるという責任が有ることに通じると思う。数式で説明する事では済まない基本が有る筈だ。身に背負い切れない重力を感じながらも。