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電流計とエネルギー流

電流計は何を計るか(2)  の結論を印す。

上の回路(2)の電流計は回路のエネルギー流に対してどの様な意味を持つか。

結論。

回路のプラス側に電流計A を繋いだ。その回路の回路定数をまとめた。回路定数は単位電線路長当たりの値とする。L[H/m] 、C[F/m] 等の電線路に電流計が接続されれば、負側電線路近傍を伝送される『エネルギー』δp[J/m]が負荷の特性で決まる。そこに電流計が挿入される訳だから、その伝送エネルギー流は乱れる。『エネルギー』はその値や波形を科学的実験で測定できない。電気理論は電圧計や電流計で、その回路現象を捉える。しかし『エネルギー』は観測できない。電流計のコイルに貯蔵される『エネルギー』の量をδa[J]とする。Laa[H]が回路に挿入された時、回路定数をどの様に解釈するか、それを平行二線式回路の定数について に述べた。電線路電圧は電流計の電圧降下分を無視すれば(コイルに平行に抵抗値ゼロと見做せるシャント抵抗SHで回路電流Iを流す)、回路電圧V一定と考える。ただ、電流計接続回路部だけの回路に『エネルギー』分布に変化が起きる。電流計がプラス側に繋がれているから、そのコイル分の『エネルギー』が電圧のエネルギーギャップ条件を乱す事に成る。その『エネルギー』分は負側で保障して、電圧一定条件の『エネルギーギャップ』を保持する事に成る。電流計部の『エネルギー』の伝送速度が遅くなる。その事で、電線路全体の伝送電力p[W]は何処も一定に保たれることになる。負側電線路近傍空間の伝送『エネルギー』密度δA[J/m]および電流計コイルエネルギーδa[J=(J/m)と等価]の間に

δa=(Laa/L)δp

の関係がある。

以上が結論である。『エネルギー』量が計測できない科学的検証の限界が在る。それは文学、哲学と言われるかも知れない。ただ一つ重要な実験結果として、変圧器の奇想天外診断 (2015/06/02) および天晴れ(コイルと電圧とエネルギー)に示した意味が電線路の『エネルギー』伝送の電磁現象の原理を示していると言えよう。

電流計は何を計るか(2)

初めの頃の記事、電流計は何を計るか (2010/11/10) で、少し長い記事だが磁気の関係を論じた。

電気回路について前の記事で漸く、電線路の回路特性 (2021/08/10) の認識に辿り着いた。線路空間を伝送する『エネルギー』が電気回路の機能の眞相であった。それでは電線路に繋ぐ電流計は何を計るのかと、新たな疑問が浮かぶ。

この記事(下書きは、8月28日で止まっていた。)を書くために、その準備が必要であった。平行二線式回路の定数について がそれだ。

 

図は電灯回路だ。電源は電池の直流電圧だ。

図(1)はプラス側の電線路にコイルLaaが付加されている。このコイルはどんな働きをするのだろうか。直流回路でコイルはどのような機能を持つと考えるか。さらに、プラス側の電線路には『エネルギー』は分布しないと今まで解説してきた。図(2)の電流計の接続との関係も含めて考えてみよう。電流計接続はプラス、マイナス側のどちらでもほとんど変わりなく、同じ値の計測値を示す筈だから。

このような簡単な回路で、電気現象を考えることに科学理論としての価値をどの様に観るだろうか。

その検証は学術理論の専門家の科学論の世界に入って論じても、無理である。『電子』否定の科学論が愚直に、真剣に考えて頂けて意味を持つのは、このような中学生にも解る単純な電気現象にこそ、そのカギが隠されている。今もって、電気回路で『電子』が『エネルギー』を如何に負荷に伝送するかの機能を高度な物理学理論を研究なさる専門家は誰も説明しない。それは論理的に理論が矛盾に満ちているから、『エネルギー』を負荷に伝送するための、どの様な『電子』の具体的機能によって『エネルギー』の保有を担うかの合理的解釈が出来ないからである。

(1)の回路。直流では、定常状態でコイルはインダクタンスとしては機能しない。周波数が無いから、ω=0 であり、ωL=0 である。電源電圧 V「V] とすれば、電流は

式   I=V÷R [A]

となり、コイルのインダクタンスLaa[H]は式には現れず、負荷に影響を与える意味は無く、『エネルギー』伝送に何の意味も持たない解釈となる。

コイル内の『エネルギー』を考えてみよう。電流の式にはコイルの意味は現れない。しかし電気回路内の現象で、コイルが全く存在しないと同じかと言えば、そうではない。コイル内には必ず『エネルギー』が貯蔵される。その『エネルギー』をどの様な物理量と認識するか、それは科学理論での『エネルギー』の概念とは何を指すのかの問題でもある。市民が学校教育で受けるべき科学リテラシーの基礎的素養としての内容に関わる問題でもある。コイル内の空間に実在すると考えるか、数式上の抽象的な意味で考えるかの問答である。

答えは空間には『エネルギー』が実在するだ。それが自然世界の物理的(物理学理論的ではない)実像である。しかし、ここ迄科学技術が進展し、ドローン空撮、極超音速ミサイル、自動運転自動車等空恐ろしい程の、予測し難い未来社会に突入しようとしている。技術は進展すれど、自然認識の基礎となるべき現代物理学理論が余りにも前時代的な認識の誤りの中を彷徨う現状を恐ろしいと思う。

『エネルギー』が空間に実在する物理量だと見做せない意識の中に、基礎理論としての役割を果たしていない科学常識の過ちの中に居る。

そんな自然哲学、社会科学の課題を多寡が電気回路の電磁現象の中からではあるが、明らかにしなければならない未解決の問題の中に居る。『電子』が電気回路で、何の役にも立たない概念である事を長く指摘してきた。電流計のコイル内の『エネルギー』の実像を考えれば、そこに『電子』がどの様な役割を果たすと理解しているかを個々人が考えれば、上の意味が分かる筈と思う。

そんな科学理論の基礎の危うさ、矛盾の困難の中を、皆が泳がされているのだ。科学技術の経済的競争の中で、経済的利益に無関係の基礎概念など、誰も研究対象として取り組まない。電流は『電子』の逆流だ等と逃げているようだ。狭い専門性の細分化された研究体制は哲学を忘れたカナリヤ科学論になる。

『エネルギー』一つの意味を認識して欲しい。波はエネルギー流 (2021/10/08) など誰もが観測できる『エネルギー』の物理現象だ。『エネルギー』を忘れてはカナリヤ科学論から脱却しなければならない。

今までの物理学理論では、光についても『エネルギー』の空間の流れとは認識していないようだから。振動数では空間の『エネルギー』が認識できない。

直流回路の電流計が電気回路内で、どの様な『エネルギー』を計測しているのだろうか。回路定数C[F/m] およびL[H/m]との関係を含めて考えてみよう。

結論。記事 電流計とエネルギー流 (2021/10/ 23 )にまとめた。

 

 

平行二線式回路の定数について

電気回路現象の解釈理論は電圧と電流による『オームの法則』が基本となって完成している。

しかし、電圧と電流と言う概念はとても優れた解釈概念であるが、それはあくまでも科学技術用の創造概念であり、それに自然界での真相を求めようとすると矛盾の壁に突き当たる。

それは電圧、電流の本質を問えば、『電荷』と言う物理量の実在性に依存せざるを得なくなる。プラスとマイナスの二種類の『電荷』が欠かせない論理的根拠となる。マイナスの『電荷』は『電子』であるが、プラスの『電荷』が何かは極めて曖昧である。その論理的矛盾は『電荷』を切り捨て、『エネルギー』の流れとして理解する事で解決できる。

電気回路現象を『エネルギー』の流れとして捉えれば、導線導体内を流れる『電子』などの必要はなくなり、電線路内の空間の電気定数の解釈の問題となる。この関係は電線路の回路特性 (2021/08/11)にまとめた。それでも未だ残った問題があった。

電気回路例。

電池からの『エネルギー』が電線路空間を流れるとなれば、その特性は回路分布定数L[H/m] とC[F/m]で解釈すれば良い。電線路の特性インピーダンスZo[Ω]は

Zo=(L/C)^1/2^[Ω]

となり、空間の構造で電気現象の特性が決まる。負荷ランプの特性値R[Ω]とZoとの関係で、電気回路の『エネルギー』伝送特性が決まる。

以上の意味を基本認識として、二本の電線で構成される電線路のインダクタンスLと静電容量Cの意味をもう少し考えておこう。

二本の電線だから、具体的にその電線路の特性値を考えれば、右図の様になっていると考えてよかろう。

 

 

 

等価回路。回路特性値 L[H/m] および C[F/m]は右図のように算定される。その訳を考えた。

 

 

 

 

電線路空間を『エネルギー』が伝送するとき、その流れは電線にどのような関係になるか。

L=2La[H/m] およびC=Ca/2[F/m]と回路特性値を解釈する。その訳が右図の様なCaとLaの間での遣り取りとして伝送する『エネルギー』という意味で解釈する。

この解釈は回路に電流計を接続する。その電流計の計測値に及ぼす回路特性を理解するに欠かせない事から取り上げた。

こんな回路論は余りにも、当たり前の基礎論で、学校教育の教科書の問題の指摘でしかなく、科学論としての学術論文になるような内容ではない。然し乍ら、現在の科学理論の根源概念、『電荷』を否定するところから生まれる新しい解釈である。現在の学校教育での物理学理論からは生まれない解釈ではある。

自然界に存在もしない『電荷』概念に論拠を置いた学校での理科教育は、その矛盾の伝統の引継ぎ業界の体制保持の意味しかないのだ。その事は未来を背負う子供たちに対しての教育行政の責任を問う事でもある。また大学教育の物理学基礎理論の根幹が問われる事でもある。例え困難があろうと子供達の未来への考える教育への転換が望まれる。

光は何を語るか

光は何も語らない。光子の概念(考えない物理学)?の具体例とした。

自然の実像を世界に示す手段は、その究極は光だ。他に何もない。

人も光によって、世界を観る。

しかし、その光を見ることはできない。光がどの様な姿かを見られない。

その訳は、光が『エネルギー』だからだ。

『エネルギー』は見ることの出来ない世界構成の素原なのだ。心の機能も『エネルギー』が支配している世界だ。『エネルギー』の瞬時波形が観測できれば、心をみることはができるかも知れないが。水素を構成する『エネルギー』も見る事はできない。光は一波長の縦波分で、既に基本的『エネルギー』の空間分布量となっている。光の正体 (2018/01/25)。

光変換の秘め事  色の世界を尋ねて (2012/01/30) より。Digital Audio DISC 面の反射光。(2012年盤)。

光と色彩について、最初の記事は、2010年の光束[lm(ルーメン)]と比視感度 (2010/11/25) と眼球の光ファイバーと色覚 (2011/11/28) であった。

上の蛍光灯光源。鏡に映せば、右図の様な蛍光灯が写る。この鏡の代わりに、DISC面に映すと、光変換の秘め事の三原色の分光になる。DISC面がプリズム効果を演出している。しかもその像は一般的な、平面の反射光とは違う。なお、ブルーレイディスク面に反射させると、何も反射光が見えない。

光変換の秘め事。改めて、この反射光が、光と言う物理量『エネルギー』の自然現象を認識するに極めて重要な点を提示していると考える。その意味を考えた。

眼で見る像とカメラの写像とは同じものだ。この光の像は、平面像ではなく茫洋とした通常の視界では経験し得ないものだ。DISC面からの反射光が立体的な奥行きのある体積の空間からの様々の光路の集合光を捉える結果の視界の像となっているからである。しかも左右が反転した反射像である。

別に、歌手のCD盤で確認したのが次である。

分散像1.DISC面での反射光を確認する。すると右の様なものになった。盤の中心部に光源の反射像が在る。分散光の色模様も、青、緑、黄そして赤と、(2012年盤)とは異なる。この像は光源とDISC面との角度が分かり易い。蛍光灯ランプは正反射像だ。分散模様は反射角度が違う。DISC面は平面であるのに、分散光は反射の角度が違う事を示している。その訳が光と色彩の意味を理解する鍵である。光の干渉と言う解説がある。光を波長で解説しているが、何故波長がこのような分散光に成るかの物理的現象の訳には成っていない。それは伝統的解釈手法でしかなく、原理の解説になど成っていない。誰も原理として納得できないと思う。CDの溝内の反射による分光がこの現象の物理的理由である。溝内には溶剤で満たされていよう。その溶剤内での光の屈折により、波長で反射角度に違いが生じる結果としてプリズム効果が表れるのだ。

分散像2.同じCD面の角度を変えて、捉えて見た。何層にも成って、波長の違う反射面が重なって現れた。干渉光の解釈でこの反射像の説明が付くだろうか。CDディスク面の構造を検索で調べると、ポリカーボネートと色素材が反射面のAlの突起を覆っているようだ。その構造では、内部でのColor cell 内の屈折と反射による分散光の解釈も成り立たないように思う。反射面の突起構造がどの様な光の反射に分散模様を生み出すかがこの反射像を見て、分からなくなった。ポリカーボネートと色素材が光の屈折、分散の主原因である事には間違いない。その分光がどの様な面での反射に因るか、反射面の突起構造との関係を考えると、残念ながらその訳を説明できない。日常生活からの単純な疑問でもあるから、物理学教育で光の研究を御専門にされている方に御解説をお願いしたい。

波はエネルギー流

『エネルギー』を伴わない波は無い。

電磁波、水面波、津波(海洋伝播の波)そして光。全て『エネルギー』の縦波である。この『エネルギー』の流れは運動エネルギーのような質量の運動速度によるエネルギーの流れは伴わない。質量が流れない、『エネルギー』が進行方向に流れる現象が縦波という意味だ。水や弦等の波は、波源から『エネルギー』が質量の空間媒体を利用して伝播する現象の『縦波』だ。電磁波や、光は真空空間を伝播する『エネルギー』そのものの縦波だ。

しかし、物理学理論ではその『エネルギー』を認識していない。

雨粒と波紋 (2019/07/04) の記事の波紋が右だ。雨粒が水面で踊っている。水とは別物の様に、白い塊となって上下運動をしている。水面の表面張力と雨粒の表面張力との不思議な関係が織りなす現象である。

この状況も一つの自然現象の姿を示している。この物理現象を理数的に解説し、表式化しようとすればとても難しかろう。

ピンポン玉の中に半分の水を満たして、上から落下でもさせれば、こんな波紋ができるかも知れない。アルキメデスの浮力との兼ね合いで。

その球が水面に落下する時の速度で、その球の運動エネルギーは計算できる。『エネルギー保存則』と言う有り難い物理原理が認識されている。

さてそのとき水面にできる波紋は、物理学の教育で教える『横波』で説明することで、自然現象の論理に適合すると考えるのでしょうか。

物理学教育では全く『エネルギー』と言う概念は無視される。只水面の水が上下に運動するだけと殊更強調して教える。これが『横波』の物理現象と❣決して『エネルギー』の言葉は出てこない。

水面に波は生じて『エネルギー』が関わらないとは、物理学とは一体何なんだ!

だから、スマホで電磁波を幾ら放射して、電池が切れても、電磁波には『エネルギー』が全く関わらなくて済む現代物理学理論なんだね?NHKの放送電波の電力が300[kW]でも、電磁波には『エネルギー』の放射が無くても良い電気磁気学理論なんだね?

当然、『光』も『エネルギー』の縦波だ等とは認識できない訳ですね。

日本物理学会、2011年秋季大会(富山大学)、所属歴無しの不可解❓と?で発表できなかった。

24pRF-3  波はエネルギー流 講演概要集 66-2-2. p.369. (2009.9.23)

にパラボラアンテナ面での電磁波の『エネルギー縦波現象』を解説してある。(横波でどのような解釈ができるのだろうか?電気磁気学担当の先生から是非お示し頂きたい。)

視力とビタミン

2012年に白内障の手術をして頂いた。お陰様で、視力も回復し特に支障なく生活できる。

ブルーベリージャムと視力の関係が気になったので、疑問を述べる。

白内障はレンズが濁る為に視力が落ちるのかと理解している。手術はそのレンズに相当する部分を入れ替えるようだ。レンズと言っても、ガラスと違い、それはタンパク質の様なものと思う。

その手術後、暫くしてから、視力の低下を感じた。ブログ記事(眼球の光ファイバーと色覚)に、有り難いお医者さんからのコメントを頂いた。黄斑にオプシンと言うレセプターを持つ細胞があり、そのビタミンAの形を光が変える。その結果神経細胞に信号が流れ、色覚を脳が認識する。と言うようなご説明と理解した。

その説明を受けて、少しは効果が有るかと、朝食のパンにブルーベリージャムを使うことにした。それまでのイチゴジャムに変えて。

もう5年以上は続けているだろう。前に心配した視力の衰えが感じられなくなった。先生が仰ったビタミンAの効果がブルーベリージャムの御蔭ではないかと感謝している。光ファイバーの終端部の『黄斑』が人の、あるいは生物の視覚の要となっていると強く思うと同時に、色彩の赤、緑、青の波長に感応する細胞の形状変化と言う空間構造の物理的現象と光の正体 (2018/01/25)の関係が納得できた。分子結合と言う空間構造変化と光の関係から、『エネルギー』放射現象との意味で納得でき、色覚の生理現象の原理の一端が垣間見られた感じがする。原子、分子の化学変化には必ず『エネルギー』の放射や吸収が伴う事から、感覚的なものではあるが、納得できる。『結合エネルギー』と言う言い方でもあろう。燃料電池も同じ意味であろう。

光の波長変換現象はその対象の空間構造がその原因である。揚羽蝶やクジャクの極彩色の色模様はすべて、その羽根の空間構造が生み出す現象である。光には本来色は無い。光と色彩の謎をどう解釈するかは光の『エネルギー』をどの様な物理的な認識に在るかに掛かっている。絵具も顔料も、その色はすべてその物質の空間構造が生み出す物理現象である。

禪に導かれて

 1985年7月1日付辞令

(松永 光 文部大臣):長岡工業高等専門学校助教授は直ちにその日に履歴書で『以下余白』と消えた。高橋校長名で!本人が知らずに何十年も過ぎて気付く人事問題は、法治行政(憲法上)としてどの様な論拠が在るのか、その訳が不可解❓1979年7月の文部省主催の『工業教員指導者講習会』への、公立学校共済組合非加入者のアルバイト教員の参加の有意性の意味と合わせて考えれば、ますます不可解だ❓1980年3月31日と1980年4月1日の職歴はどう理解すれば良いか?

 禪と科学 (2011/06/20) の冒頭に載せた達磨図だ。『空』は世界のすべてがそこから始まる。そんな思いを表現した。

家の宗派が『曹洞宗』の関係もあってか、禪を身近に感じていた。然し、その説く思想は理解しかねる不可思議な魅力を秘めていた。その事は禅と日本文化 を読みながら考えた (2013/09/08)-Zen Buddhism and its Influence on Japanese Culture. (1938) の訳本-にも述べた。

今日再びその本を開いて、偉大な 鈴木 大拙禅師の思想に触れたくなった。第一章 禅の予備知識 だけでも理解困難である。2013年頃より、今は少し、電気回路現象で自然の深い姿に触れられたかと思う心境にある。その道標は、長く禪の御蔭に負っているように感じる。基本的に、禪は生きる上での、異変、緊急事態にその真価が現れるように思う。異変に気付いた最初が、昭和61年春4月、ずっと後から気付けば、そこに歌があった。『愛燦燦』、『暴れ太鼓』、「みだれ髪」そして「川の流れの様に」と。まさか舞鶴鎮守府が待っていたとは知らなかった。

ここには七つの文章にまとめられている。

『精神』と言う言葉がある。その意味はこの禅的思想の中でどのような具体的な事を指すのか。

と自問してから考えた。『精神』の対極語は何か。何時も使う言葉でありながら、その意味を即座に述べられない事に戸惑った。対極語は「物」として見えるものになるかと思う。そこで初めて『精神』が目には見えない事に気付いた。言い換えれば「心」とも言うかもしれない。「心」も見えないから。『精神』とは何かは、これぞ禅の問答かも知れない。人は見えるものに意識が向く。科学理論も、物理学理論もその科学的検証が求められる。それは見えるもので無いと検証できない事であるとも気付かされる。だから科学と禪は両極に対する事に成りそうだ。

科学は⦅見えるもの⦆が対象で、禅は⦅見えないもの⦆が対象となる。と言い切っても良さそうだ。

⦅見えないもの⦆の代表が『精神』だ。その『精神』が司る対象、その結果に起こる事象、それも目に見えない『エネルギー』だ。意識、心も『エネルギー』の及ぼし合う現象世界と言えるようだ。

ニューロン。情報伝達信号も『エネルギー』が担う。決して物では困難だ。『精神』と言う言葉の意味を今までほとんど考えてこなかった。会話も、人同士の間の、その精神活動なのだ。そこには何も⦅見えるもの⦆など無い。それは人や生物が生きるに、基礎代謝と言う『エネルギー』を消費して体温を賄う生体の物理現象と同じく、基本的には見えない『エネルギー』に因って司られている自然現象の真理なのだ。過去に素人ながら、この生理的意味を考えた事があった。ここで少し振り返ってみよう。

脳の機能と個性 (2014/11/02)に

載せたのが右図だ。当時は無意識であったが、今思えば、『エネルギー』と言う目に見えない自然界を支配している空間に実在する物理量を意識して描いたものと分かった。

その他、脳の生体制御の謎 (2014/03/21) や悟りとは?₋色即是空の世界観‐ (2014/o3/25) (とても僭越な物言いでお恥かしい内容だ)。最初が、『基礎科学』とは何だろう (2010/11/02) であった。これらはみんな、素人の感覚的解釈論と言われても良いものだ。何も科学論と言うべき、所謂科学的データによる裏付けが何も無いから。電気回路と同様、生体情報伝達機能を担うものは電流でもなければ、『電子』でもない。それは『エネルギー』の波形とその光速度伝達現象である。『物質』では高速度反応に応えられず、生体の総合的制御機能を統合できないと考える。生体の『エネルギー』に負う意味を考えるべきだ。物理学は「物」の理学だから、「物」でない『エネルギー』の科学論には成れないのかも知れない。精神・心が物で測れない訳だから。

考えてみれば、電気回路現象の『エネルギー』伝播の解釈も基本的には、殆ど実験データによる裏付けが有った訳でもない。ただ、直覚的な思いを元に世間の常識を無視して、勝手な解釈を展開していると見做されるかも知れない。しかし、どう考えても自然界に『電荷』など有り様がない。そこだけは科学の常識が間違っている。常識で「在る」と言う『電子』などを「無い」と言う論拠を示すことが如何に困難かを知った。『静電界は磁界を伴う』の実験的データを発表してから。科学理論と不立文字の関り論だったかもしれない。

空間構造とエネルギー

やはり空間の『エネルギー』だ。

それにしても物理学理論や地球物理学は何処か矛盾の闇の世界に観える。残念ながら、その根本的な原因が、専門家の表明する文章・お話での専門学術用語の検証不可能性とその真偽が日常生活に経済的損害を与えない空想物語である事にある。雷論は、雲の上昇氷の摩擦で、何原子が基になってプラスとマイナスの『電荷』に電離するか?氷分子のイオン化なのか極めて曖昧でも、自由に大量の『電荷』と言う便利学術用語が駆使可能で、何方も経済的損害を受けないから異論を挟まず御自由にお唱え可能だ。『電荷』と言う魔術的学術用語は誰も批判できない、原子の内部構造を決して誰も確認できない安全圏の御説だから。山の頂上でも、柱状節理がメリケン粉の振動説でも批判もされないから御自由にお唱え可能だ。磁束が自然界にある訳でもないのに、磁気の本質が何かの深い物理学理論での解釈が曖昧だから、地球が逆転したような「何とかニヤン」が地球的お話になる。電荷間の力の矛盾論 (2021/05/11) にも、どう考えても物理学理論が自然世界を真剣に見つめようとする心からの解釈論には見えない事を述べた。ただ過去の解釈論を無意識的に継承しているに過ぎない。それぞれの物理学理論などは、大学などの高等学術機関の研究室で、その専門的高等特殊理論の伝統を引き継ぎ、将来に亘ってその分野での専門家としての権威を継承する道が整えられる。生活が保障される。その学術理論に異を唱えれば、即刻その専門家としての社会的役割は終了する。科学理論とは極めて非論理的で、保守的な学術の専門性をその背景に秘めているのだ。科学理論の自然世界に広く適応可能な統合的完全性を求めるなら、少なくとも二つ以上の異なる分野の研究の経験が望ましい。一つは科学技術の分野の具体的経験と感覚。空間的『エネルギー』の実在性を認識する経験。

現代物理学理論には、運動エネルギーや位置エネルギーは良く教科書でも取り上げられて、誰でも理解している。しかし空間に実在する『エネルギー』と言う物理量の認識が無いようだ。それは空間の構造を余り意識していないからと思う。

その根底には、抽象的解釈論(理数学的)と具象的解釈論(空間像認識)の違いが在る。

真空透磁率  μo[H/m] と真空誘電率 εo[F/m] 。現代物理学、自然科学あるいは自然哲学、それらのとても専門的な高度のお話に「時空論」があるように思う。それらは遠い宇宙から、過去未来の時間を超えた壮大なお話になる。それに対して、μo[H/m]、 εo[F/m]等の手元の電気回路論などの身近な空間の意味など、余り意識されていないようだ。しかし、光の『エネルギー』の伝播する空間を、科学的な意味で解釈しようとすれば、何かその空間の解釈概念が必要になる。最低でも、その透磁率と誘電率位は空間構造の解釈の基礎に据えたい。

電力工学では、空間が保有し得る『エネルギー』には限界が在ると認識している。と思っているのは自分だけなのか?その空間の意味は電界で定義し、1cm当たり30kVを一つの目安にする。それ以上の電気的ストレスを空間に掛けると、火花放電やコロナ放電を起こし、空間が絶縁機能を失う。この空間は空気の事で、空気その物の中の物理的状態の問題なのだ。『電荷』説では、その空気の『電荷』を論じている訳ではない。『電荷』そのものが火花を散らす論説ではない筈だ。『電荷』は専門的雷の御説の解釈依存概念としてお借りする間接的学術用語でしかない。火花に成るのは空間の空気なのだ。専門家は火花の話で、『電荷』などその後にどうなろうとその意味など意識に無いのだ。『電荷』が光になる訳を説明など決してしない。存在しない『電荷』が『光』に化ける、化学変化の物理学的論拠も無いから説明など出来る訳がないのだ。それでも科学学術雑誌に載れば、とても専門的風格の誰もが異論を唱えようが無い雷論となる。火花放電現象は空気の絶縁破壊現象だ。完全な真空空間なら火花放電は起き難い。具体的なプラスの『電荷』がどの様なものか、『陽子』か『水蒸気イオン』あるいは『酸素イオン』か等は全く分らなくても、何でも良いのだ。『電荷』が『雷光』に変換される原理の為の量子力学も無いようだから。

その事の意味を、『電荷』や『電子』で考えるべきか、あるいは『エネルギー』で解釈すべきかを問うのである。その為の空間構造の例を提起して考えよう。

空間構造例。

何も難しいものではないが、余り意識しない空間構造の電気現象解釈かも知れない。直流電圧を2枚の円盤間の空間と2本の円環リング間の空間に掛けるだけでしかない。

(1)円盤。これは誰でもコンデンサと理解できよう。

(2)リング。何の役にも立たないだろうが、一応電圧を掛ければ電気回路である。この回路(?)を取り上げた意味はインダクタンスL[H]の巻き線コイルの空間『エネルギー』と1ターン電圧の関係を意識して欲しくて取り上げた。ちょっと電気技術者らしからぬ変なオジサンの思考で。

どちらも、スイッチを入れて電圧を徐々に上げて行けば、何時かは火花放電になり事故状態となる。電源にはヒューズが必要だが忘れてしまった。🙇。

ここで考えることは。空間の空気絶縁破壊と言う現象の物理的意味である。『電荷』と『エネルギー』の自然科学論の認識の問題である。それは考える人の夫々が今まで経験してきた科学的解釈の手法、習慣によってある程度感覚的なものに依るかも知れない。

問題は空間に『エネルギー』が在ると意識するかどうかである。

(1)のコンデンサの円盤内の空間をどの様な電気的空間と意識するか。

電荷の論理性(2020/10/26) で取り上げた問題がある。それが右である。この問題を 電荷Q[C]とは何だ❕ (2021/05/19) で論じた。また、大学入試問題例(エネルギー問題) (2021/05/25)。ヤッパリ「電荷」だ❓ (2021/07/03) 等で、『電荷』否定の解釈理由を論じた。内容は如何にも高尚な学術論文には程遠く、幼稚な、言ってみれば下界の囲炉端話に近い素人論に観えよう。しかし、このような科学論理の矛盾を科学者、物理学者は無視して過ごしてきた事に気付かなければならない筈だ。

(1)の円盤電極に『電荷』が、プラスの『電荷』とマイナスの『電荷』が原子から分かれて、あるいは電源の電池などから分離して、集電すると本当に考えるのですか。それで物理学理論として矛盾を感じないのですか?

それが、電中研の『雷』論にも成って子供達への解説となっている。雷と科学論

この(1)の場合の具体的計算をしてみよう。

円盤の面積A=100 [cm²]、D=1[cm] とする。その静電容量 C=8.9[pF]程度となる。V=30[kV] で放電に至るとすれば。

その時の貯蔵容量は E=CV² = 7.9 [mJ] 程度となる。

次に(2)のリングの場合。

コイルに電圧を掛ければ、コイルの巻き線の間に『エネルギー』が分布する。その巻き線間にも空間的には幾ら僅かであっても静電容量と言う空間的電気的要素機能が存在する。そのコイル1ターン当たりの電圧を1ターン電圧 vu[V] と解釈する。巻き線全体では巻き数 n 倍すればコイル端子電圧となる。そのようなコイルリングの意味を図(2)で考える。いくら小さくてもリングの間には『エネルギー』が存在する空間が有る。その空間の空気にもコンデンサと同じ『エネルギー』の貯蔵限界が在る。限界を超えれば、火花放電の絶縁破壊現象に至る。その破壊電圧を V [V]。コイル静電容量 C [F/cm]が分かれば、

エネルギー 分布密度

δ= C V² [J/cm]

(1)の円盤電極の場合と同じリング半径 r=35[cm] として、線路静電容量 Cr[F/cm]を算定してみよう。平行電線路の場合の算定法を適用してみる。電線径d=1.6[mm] で、D=1[cm]とする。

構造係数 k=(2.3029/π)log(2D/d)=0.710 を利用してみる。

しかし、C=9.6[pF/cm] と大き過ぎる算定結果となる。

ここでは、以上の結果で、残念ながら検証は取りやめる。

以前に、 L とC と空間エネルギー (2017/08/02) で、同じような事を述べていた。今回の検証回路の結論も、数値的な結果が出ず、未熟さを反省します。

結論。科学論で、特にあらゆる科学論の基礎と考えられてきた、現代物理学理論の基礎概念および専門学術用語が極めて不明確で、曖昧なものである事を指摘した。水の水面に広がる波さえ、その原因に『エネルギー』を捉えていないようでは、何時か理論がその基礎から瓦解することを危惧する。理科教育にその責任があるのではなかろうか。

 

 

雷と科学論

雷様と呼ぶ。様付の自然現象・天空の光と音の饗宴。

誰もが知っている。ベンジャミン・フランクリンの名前も雷とのつながりで知っている。

恐ろしくて、恐怖も不思議な、知りたい科学論。しかし世界は存在もしない『電荷』で覆い尽くされているこの怪奇な科学理論の世界?そんな如何わしい科学理論の世界が許せない思いで再び取り上げる。

雷と電荷の物理 (2021/06/22) でも取り上げた。いつまでも未練を残して、専門家の科学論に抵抗する。電荷と科学リテラシー (2021/02/10)。

先日も「雷の正体」とgoogle で検索した。そこには子供たち向けの多くの解説記事が昇る。殆どが、上空の雲の中で、水蒸気から出来た氷が上昇時に、摩擦で電気が発生するとある。古くから研究所などの専門家がそのように話し、そのような解説をテレビで取り上げて放送している。筆者も雷の正体として記事を投稿している。7ページ目に検索に現れた。

日本の電力中央研究所の解説記事もそうだ。

何処でも、誰でも、特に科学者と言う研究者が『電荷』が自然界の基本物理量として唱え、主張して社会的専門家として敬われ、尊敬されている現実の世界の科学常識だ。

そんな中で、おそらくただ一人筆者は『電荷』など自然世界には存在しないと30年以上前から唱えてきた。

『雷』は自然科学理論の真相を解剖するに最適な論題である。

希望がある。

市民討論会で、論壇で有名な科学者と討論して、市民が視聴して判断する機会が在ればと。何処で、誰が、どの様な訳で、『電荷』が物理学理論の根幹を支える基礎概念となったのか。その真相を明らかにすることが科学教育、市民科学リテラシーの為に今こそ考える課題だ。子供たちに「嘘」の教育が為されてはいけないから。科学者の社会的責任の為にも。考えない科学理論は良くないよ!専門家と言う狭量科学理論からの開放の為に。

科学の市民による民主主義の論壇となれば。民主主義の科学論の土俵が欲しい。

エネルギーの LC 共振

『エネルギー』は自然世界の空間に実在する基本的物理量である。場所は真空空間、水中、気中、ガラスその他あらゆる伝播媒体の空間構造内。必ずしも質量を必要としない独立の物理量が『エネルギー』である。『エネルギー』の本質による局所化が『熱』とも見做し、『原子』ともなり、『質量』ともなる。その空間構造の科学論的概念が空間定数 L[H]、 C[F]となろう。

L と C の間で『エネルギー』の振動現象が起きる。それはどうも自然空間での『エネルギー』の振る舞いの基本的特徴のように思える。光と同じく、電気回路の『エネルギー』伝送特性もその空間の持つ L と C の機能によって決まるようだ。

自由空間を伝播する縦波の『エネルギー』が光である。空間の科学技術的解釈概念が誘電率[F/m]と透磁率[H/m]である事は、そこに自然空間に於けるエネルギー[J]と空間特性[H/m , F/m]との間に深い関係としての真髄が秘められている。(MKSA単位系の基準定義定数に真空透磁率 μo=4π×10⁻⁷[H/m]が導入されたとの記憶がある。) 参考記事:光の正体 (2018/01/25)。

エネルギーの LC 共振はその特徴的現象と言えよう。コイルの電圧とエネルギー (2021/09/07)で、コイル内のエネルギーの挙動について一定の解釈にまとめた。その事で分かり難いコイル内のエネルギー貯蔵現象の意味が少し分かった。端子電圧としてのコイル内のエネルギー貯蔵分と端子電圧に関わりないエネルギー貯蔵分 eaxの軸流分の二つの意味で捉えられた。

一方、コンデンサのエネルギー貯蔵は端子電圧としてその意味が分かり易い。また、『エネルギー』にはその特徴として、極性・方向性がはっきりしている。コンデンサ内での『エネルギーギャップ』としてのその分布の偏りに現れる。コンデンサ内のただ空間に蓄えられるだけではなく、その極版の片側に偏って貯蔵される。その『エネルギー』の分布の偏りが電圧極性の負側になる点である。それは電池のエネルギー源が電圧の負側(陰極)で在る事と通じる。

エネルギー共振。『エネルギー』には極性が有る。

端子電圧とエネルギーの関係を見ると、電圧の2乗でエネルギー評価がされる。従ってエネルギーは常に正の量として捉える。しかし、その『エネルギー』には極性がある。『エネルギー』のその存在形態は不均衡に偏って分布する。均等に分布することはない。そのような意味をどの様に捉えるべきかを考えた。電圧波形は正弦波で表現する。その電圧の正負に対して、エネルギーの極性を考えた。一般には必ず『エネルギー』の波形は全て「正」で表現するのが普通である。しかし、電圧波形に対して、そのエネルギーの分布極性を考慮して、正負に極性が変る意味を踏まえて波形を描いた。それが次の図である。

1サイクルを4つの区間で分けた。

区間①:電圧が「正」に立ち上がる区間。コイルの『エネルギー』el が最大値で、コンデンサの『エネルギー』 ec=0[J]である。端子電圧に従って、コイルの巻き線間分布の『エネルギー』が増加しながら、コイルからコンデンサに『エネルギー』が流れだす。この el 最大値の『エネルギー』はコイル巻き線間には無く、コイルの内側に沿った軸性のエネルギー流として内部の還流様態として蓄えられている。端子電圧ゼロに対応した『エネルギー』の貯蔵形態である。端子電圧が立ち上がるに従って、コイル巻き線間に『エネルギー』が分布する事に成る。その『エネルギー』の分布はコイル巻線間でも、コンデンサ電極間でも、負極側に分布した様態である。その意味を波形の『負』の極性で表現した。

区間①から②に切り替わる瞬間。電圧が正の最大値で、コイルの『エネルギー』が全てコンデンサに移り切った瞬間である。『エネルギー』が今までの流れの方向から反転して、逆にコンデンサから再びコイルに流れ始める境界点である。

区間②:端子電圧が正の最大値から減少して『ゼロ』になるまでの区間。

今度はコンデンサの最大貯蔵の『エネルギー』がコイルに転流し初めて、すべてが転流し終わるまでの区間。

区間②と③の切り替わり瞬時。この瞬間は、コイルの貯蔵『エネルギー』が最大であり乍ら、コイルの端子電圧は「ゼロ」である。その瞬間に、コイルの『エネルギー』分布は巻き線間から、全て巻線内空間の軸性回転流の『エネルギー』となる。その『エネルギー』がコイルからコンデンサの『正』の側に流れ出し始め、コンデンサの正極の電極側に転入する区間となる。その為コイルの巻き線間のエネルギー分布も正極側に分布して『エネルギー』が流出する事に成る。端子電圧が負になる時、コイルの巻き線間の『エネルギー』の分布も区間②とは逆になる。その意味で、極性が急反転することを記号「j」で示した。

区間③:電圧が負で、『エネルギー』が正極側に分布し、コイルからコンデンサに『エネルギー』が転流する区間。丁度区間①と逆の極性で同じくコンデンサに『エネルギー』が転流する区間である。

区間④:丁度区間②と同じくコンデンサからコイルに『エネルギー』が転流する区間である。電圧及び『エネルギー』の極性が②とは逆に反転した状態となる。区間④の終端で、丁度1サイクルの終わりとなり、最初の区間①の状態に戻る。

以上で一区切りとなる。4つの区間で1サイクルとなる。そこから共振現象の『エネルギー』の一周期 T を判断する。それはコイルの L[H] とコンデンサの C[F] の積が時間[s=(HF)^1/2^] である事を考慮して、次の意味で解釈する。脚注(*)。

T = 4 √(LC) [s]

と捉える。

今まで、ω=2πf=2π/T=1/√(LC) [rad/s] から、T=2π√(LC) [s]と解釈してきた。確かに角度π[rad.]は次元解析では無意味な量と見做していたが、やはり周期 Tの次元が角度と時間の積[rad. s]となり、周期の時間[s]とは違う。

一つの解釈。実際の共振回路設計で、周期 T=√(LC) では結果が適合しない。2π=6.28 なら実際に近い設計値となる。という意味であったのではないか?

2π と 4 の差が実際の設計基準としてどちらがより妥当か。それは実験的に検証できよう。この解釈を実験で確認もせずに示すことの非科学論で恥かしい限りだ。実験室でもあれば、確認してから唱えたいの願い!!どうかご容赦願います。

注(*):  2p-D-11   物理的概念とその次元 日本物理学会、第53回年会、p.13. (1998-4-2).

先ず日本物理学会(長岡技術科学大学、電気系の先生の御厚意で入会させて頂いた)での最初の発表で、物理概念の基礎理論の矛盾解剖論を展開するための自然単位系 [JHFM]の発表。そこで基本概念に『エネルギー』[J]を据えて、時間の次元を [(HF)^1/2^] のインダクタンス L[H] と静電容量 C[F] の関係で捉える意味を提唱した。時間は勿論 [s]であるが、自然空間を伝播する『エネルギー』に着目すれば、真空伝播空間の誘電率 εo[F/m] および 透磁率 μo[H/m]を空間伝播現象の基準に据える必要がある。当然の事として時間の次元は [(HF)^1/2^]となる。この時間の定義はこの発表の重要な基幹を成すものである。1991年1月の研究内容「光の相対速度と空間 (2020/06/08)  関連」との関係で、時間の次元の解釈は重要な意味を持つ。