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日本の魔境ー靖国神社ー

靖国神社について考えると、その存在の異常さに驚く。靖国神社とは何の為に存在するのか。祀るものは何か。それは宗教なのか、宗教でないのか全く判然としない。社(ヤシロ)があって人がお参りするから、神様というものに関係すると言えるかもしれない。神道でもない。

神とは何か 信仰対象としてのお祈りを捧げる心の拠り所とでも言えば良いのか。宗教とは何だ でも考えた。しかしはっきり言える事は、神などは存在しないと言うことだ。しかし、みんなお参りをし、お祈りをする。何に対してお祈りをするのだろう。普通はそのお祈りをする眼前に、対象となる社や神様と信仰する対象の像形・像影が有る。仏教なら仏壇の先祖、両親のお位牌や、あるいは仏像になる。またはお釈迦様かもしれない。何らかのお祈りの対象を形に表した表象が一般的に存在する。なかでも東大寺の戒壇院に在る『四天王像』の姿は、如何にも人間的な威容を示した拝みたくなる傑作の像形である。しかし一般的には、何が神様かはっきりしない。まさか、仏像やお位牌が神様とは言えなかろう。仏像がどんなに芸術的に優れていようと、その像が神様だとは言えまい。じゃあ何が信仰対象の神様かということになる。自分が今ここに生きている意味は、誰しも祖先や両親の御蔭であることには変わりがない。この地球星の一隅に生きている意味を感謝すれば、それなりの生命の繋がりに思いを致す事は良い事である。しかし、両親が神様には成るまい。お祈りで、手を合わせる事も宗教により異なるものであれば、それは一つの伝統に従う作法でしかないと思う。神など何も存在しないのである。お祈りするのは、その個人の心に描く信仰対象に対して捧げるものであり、万人に共通の神が存在する訳ではない。世界中には宗教毎に、信仰対象の神が互いに対立して存在する現実を理解すれば、神は各人の心の中に描くものでしかないのである。本当に神が存在するなら、世界共通でなければならないのである。宗教、宗派ごとに違うことは、それなりの意味を考えるに十分な考察内容を提供していると言える。国家と同じで、社会的集団組織をまとめ上げる政治的集団としての意義が大きいのである。政治権力と歴史的に強い繋がりを持っていた事は否定できなかろう。極めて、政治的に神という認識対象は都合が良いのである。人間は、死によって全ての物体が原子・分子に分解され、熱として放散され、万物が消滅するのである。人魂とか、霊魂とか英霊とか死霊とか、そんなものは決して存在しないのだ。新しい生命の構成要素として、原子・分子に生まれ変わる「輪廻転生」の一駒になるだけである。生命が繋がる営みにおいて、生命の持つDNAの不可思議が新しい誕生に引き継がれるだけである。その仕組みを神というならそれは正しかろう。自然そのものの仕組みを神と言えば良いかもしれない。そこには政治的懐柔策が入る余地が無いから、極めて公明正大の神の意識として有効であろう。自然の営みの中に、人の時と場所と時代などの全ての偶然が、生命の不思議を醸し出す、そこに神を抱くのはとても穏やかな意味合いで好ましかろう。しかしそんな、公明正大の意識は政治権力には何の魅力も無いから、望まれない。政治に利用され易い宗教らしき対象が、まさに「靖国神社」である。

禪と靖国神社 禪の本領は人間世界の事象について、『嘘』や『虚飾』『偽装』『虚偽』等の表と裏から徹底的にその本質を暴きだし、衆目の眼前に開け広げる事と認識している。真実や真理は人の社会にとって好ましいかどうかは言い切れない。茫洋としていた方が喜ぶ人の数が多かろうから。真理は社会常識の破壊につながるから、とても厳しい現実に曝される。禪の恐ろしさは、全てを暴露するその点に在る。靖国神社は信仰対象とする神に相当するものが何かと考えれば、天皇(神ー終戦までー)の臣民として、天皇の命令に従い、天皇に生命を捧げた特殊階級の特殊な死に方をした軍人であろう。終戦後、舞鶴海軍住宅から故郷に引き揚げて来た。貝野小学校での朝の全校集会の朝礼の様子を覚えている。斉木校長が恭しく敗戦後も、演壇の背景の奥まった処に両開き扉の神殿のような社殿が祭られていた。それは天皇を神格化した神殿である。戦後しばらくそれは続いた。校長が恭しく拝礼する姿であった。そんな戦時の異常な日本の神格化体制が戦後も噴き返そうとしているように思える昨今である様な雰囲気に危惧を抱く。何か神様にすがるような風潮が恐ろしいのである。暗黒日本にならなければと危惧するのである。しかも靖国神社には戦争犯罪者・戦犯(戦争突入の無謀政治による無条件降伏の悲しみを日本国民に背負わせた政治権力者)まで奉っている。靖国神社をIT検索すると、驚く事にWikipediaなどにも相当多くの内容で綴られている。

国会議員と靖国神社 「みんなで靖国神社を参拝する国会議員の会」なるお偉い方々がいらっしゃる。今年はその方々は集団行動として、とても繁盛している居られるように伝えられていた。何を信仰されているのか理解が出来ないが、なにはともあれ一つの示威行動の形態である事には変わりが無い。何を訴えたいのか理解するに窮してしまう。どなたを神として信仰なさるかは心の中に描く個人の秘密であるかも知れない。あるいは漠然として、特に神を信仰している訳ではないかもしれない。やはり何が目的かが理解できない。ただ極めて、日本的で世界の衆目からは変な日本の姿としか映らないだろうと思う。欧米人があの光景を見て、「国権の最高機関」の国会議員の集団行動として、世界の平和にどのような貢献をするのかと考えた時、どんな風に写るのかを聞いてみたいものだ。

禪とは?

禪とは何か。ここに禪を取上げたのは、日本の靖国神社とは何かを禪の視点から分解してみようと思ったからである。靖国神社の意味を禪との対象として、別の標題で取上げる。その準備に禪を考えておきたい。(2013/10/27 追記)日本の魔境ー靖国神社ーに記した。今考えれば、禪に触れたのは豊干・寒山・拾得高校三年生の時のように思う。現代国語という教科書の一節に森鴎外の寒山拾得が有った。その内容の不思議な感覚がいつまでも残っていた。自分の生活の中に無い、異次元の世界に触れた思いだったからであろう。先日、ITの青空文庫にあるのを知り、もう一度読んだ。 なかなか深い意味が込められている短編傑作である。豊干・寒山・拾得の3人の禪僧と一人の役人の人生哲学描写のように思う。中国の天台宗清国寺を舞台の話であるが、実際のところ歴史的な事実かどうかは分からないようである。どうも寒山だけが実在の人物であるようにも書かれている。豊干と拾得は寒山の話を盛り上げる為に、付け加えられた人物らしくも書かれている。本当のところは分からないが、寒山だけは確かに実在の人らしい。ITのkotobankで寒山を調べると、中国唐代の隠者、詩人で、農家の生まれながら本ばかり読み、村人や妻にも疎まれ、家出放浪の末天台山に隠棲したとある。既成の仏教界からも詩壇からもはみ出した孤高の隠者で、300余首の詩を残したとある。世間に通用しない、相当のひねくれ者のように感じる。豊干・拾得が実在の人物でないとしても、森鴎外の寒山拾得の話は、禪の精神性を伝えるに良く出来た物語と感心する。

寒山の詩 自然と向き合うこと に寒山の詩が載っている。如何にも寒山らしい孤高の詩人という感じを十分くみ取れる詩である。それを筆にしてみた。寒山詩

天台山が寒山であると。その寒山の天頂に、満月が輝いている。また、昼間の晴れた青空を見上げれば、澄み切った空には何一つない。自然天然には世間的価値は何もないが、それこそかけがえの無い宝物である。俗世間にあれば、五陰の苦しみ悩みに身も心も汚れてしまう。というように解釈したい。

寒山と禪 宗教に関連付ければ、寒山は禪僧と言えよう。釈迦の右隣に控える文殊菩薩が寒山で、獅子に乗った絵図に描かれているが、そんな偶像化は禪と違う。寒山の生きざまは、世間と隔絶した孤高の禪道の人であろう。森鴎外の寒山拾得で描かれる寒山は世間の片隅にひっそりと、みすぼらしく暮らしている人物である。何の飾気も無く。それが禪の本当の姿であろう。有名な達磨絵図がある。その耳にリングがぶら下がっている達磨である。イヤリングの大きいものに見える。そのリングの意味が理解できない。達磨禪師が求めた禪は、そんな虚飾を決して求めない。何も持たず、何も飾らずの裸の生きざまが本当の禪の道であろう。禪関連・その他

とても禪の意味を理解することなど自分には無理である。今まで本棚に飾っていた、本を拾い集めてみた。2.の達磨の研究は神田の古本屋で見つけた。1.と3.はやはりどこかの古本屋で得た。3.の新井石禪は雲洞庵の住職(新井石龍の養親)や大学林の教育に当たった人の様である。しかし本の内容は、どこか富国強兵の流れからか、儒教的・家父長的色彩が強く感じられて感心できなかった。4.乞食(コツジキ)桃水は禪僧の理想の姿で描かれていると思う。人が真似の出来ない行者の姿である。7.絵巻物の地獄草紙(禪には関係ない)は死後の世界として、人々に恐怖を懐かせるに十分過ぎる啓蒙の役目をしただろう。宗教の社会的統制の役割を果たしたであろう。もう一冊大事な本を忘れていた。鈴木大拙著 禅と日本文化(禅と日本文化 を読みながら考えた)である。

禪と座禅 達磨禅師が9年間壁に向かって、座禅をした。その業で何を得たのだろうか。座禅は禅宗での精神修養の基本的形式を成すと言えよう。座禅から始まって座禅に終わる程重要視されていよう。達磨禪師が壁に向かって、何を修行していたのか、その結果どんな悟りに到達したのか。それを尋ねても、何も答えが得られまい。きっと言われるだろう。何も無い!と。無いことが分かれば良いのだろう。それが「色即是空」の意味であるから。無い事を理解するには沢山の事を経験しなければ、到達できない。世界の全ての姿、日常生活の経験、人の心理あるいは路傍の石ころの本質等、ありとあらゆる物事を理解することなど無理であろう。『電流は流れず』の意味を理解するには、電気回路の中の挙動を知り尽くさなければ、理解できない筈である。未熟の中で、悩み迷いながら生きるだけである。結局どおせ大した事ではないのだから、自分で納得すればそれで良い位の答しか無かろう。

だから何も無いのだ。『電荷』も無ければ、『ヒッグス粒子』(折角、ノーベル賞の本年度受賞対象になったが)も無いのだ。光に「振動数」など何処にも無いのだ。ただ有るのは『エネルギー』一つの空間での振る舞い方の違いだけである。『質量』もエネルギーの局所化した極微的軸流でしかない。『温度』は『質量』からのエネルギーの空間放射量の計測量でしかない。

宗教とは何だ

(2015/03/11)追記。今も読んでくださる方がいる。嬉しいので、少し考えた。「神」の存在を信じるか信じないかはそれぞれの個人の心の中で決まる。もともと人の心は強くもあり、弱くもある。一人になると、寂しさから耐えられない心に支配されるかもしれない。そんな時手を合わせてお祈りしたくなるのだろう。そのお祈りの対象として、「神」を心に思い描くのかもしれない。自分の事を考えれば、例え手を合わせて祈るとしても、心に描く「神」に相当する対象が無い。尋ねたい。『お祈りする時、貴方は何にお祈りするのですか』と。様々な宗教が世界にはある。その「神」は皆違う。宗派間の闘争の醜さも生む。だから宗教とは何だと疑問に思う。人がこの地球上に生まれた時には宗教など有る筈が無い。言葉も文字も無い。生命だけの裸の人の原始動物でしかない。その形も今の人とは似てもいない。それでも、心だけは生命を支配していた筈だ。生きる事を支配していた。全てが未知との遭遇の世界であっただろう。そんな未知への恐れが心を支配するから、心を救う指導者を求めた。部族の酋長が、その知恵によって安心を与える術を持った。そんな統率の智慧が広がれば、宗教の原型になる。しかし「神」などは存在しない。何か「宗教」と「国家」は似たようなものに思える。現代は昔のように、宗教指導者が智慧で人々に生活の道を説く意味を成さなくなっている。生命科学や、自動車、情報端末が全く生きる価値・意識(心)を変えてしまった。心の智慧より生活の経済力が人を支配してしまった。

先日から、宗教を考えている。摩訶般若心経という経典がある。それは、『観自在菩薩』から始まる。この語句は経の前書きであり、経典全体の主旨を述べていると観る。「皆、自分の中に在る智慧を悟りましょう、それが心の安心に繋がる道である」と解釈する。普通は、「観自在という偉い菩薩様が述べている」と解釈されている。般若心経を禪の意味に解釈すれば、皆が平等に真理に向かいましょうと言う意味になるから、偉い菩薩様という考えは無い筈だ。 宗教の定義 宗教の意義を考えて、定義を試みるが、なかなか難しい。日本における宗教の状況を考えても困難である。何とか自分なりに定義してみようと思う。定義:極めて精神的で、個人的な信仰心に基づきながら、共通の信仰対象(神・偶像・聖者)の下に団体として、心の安心を支え合う社会的な組織体。とまとめてみた。 信仰心と宗教 ここで、信仰心の対象とは何かの問題がある。キリスト教はイエス・キリストであろう。仏教は釈迦であろう。イスラム教はイエス・キリスト、モーゼに対して第三番目のムハンマドを信仰する等と少し複雑である。日本特有に思える宗教に神道がある。神道は信仰対象が無いようだ。神道は日本だけしか存在しない宗教形態のようにも見える。また儒教は宗教に分類できるのだろうか。ただ、中国における宗教を考えると、益々理解できなくなる。現在の中国における宗教は何だろうか。道教とか、儒教とかが宗教色を持って社会的組織体を成しているのかどうかも知らない。儒教なら信仰対象は孔子ということなのだろう。日本の宗教は中国の文明・文化として吸収し、大陸から受け継がれて完成したと観て良かろう。ならば、その中国に宗教の源泉がある訳だが、現在の中国の宗教の姿が余りはっきりとは観えない。しかし、中国の思想史は東洋哲学に偉大な足跡を残していることを示している。老子、荘子等の思想はどこかとても禪に近いものと思う。『道』という概念にもひかれる。しかし、宗教色は持たないようにも思える。 印度哲学と日本の宗教 禪が達磨禪師により、印度から中国に伝えられた。西暦500年頃らしい。その後の西暦645年頃に、玄奘三蔵が印度から大量の経典がもたらすと共に、その翻訳で仏教が伝来されたと観て良かろう。その中国、更に朝鮮などを通して日本に、印度の宗教・仏教が取り入れられたと言えよう。しかし、現在の印度の宗教は仏教よりもヒンドゥー教徒が80パーセント程を占めているらしい。更に、イスラム教徒が14パーセント、シーク教、ジャイナ教(マハトマ・ガンジーも信仰)そして0.7パーセントの仏教徒ということになっているらしい。印度が東洋哲学の源流を成すと考える。それがどれほど遠いものであるかも全く分からない。しかし東南アジアの文化・思想・哲学の主流を成している事は疑いなかろう。その本質は、ヒンドゥー教に在るのではないかと考えたい。何故かと言うと、特定の信仰すべき偶像がある訳でもなく、多くの数えきれない神がいる。多神教と言われるようだが、あらゆるものに神を観ると言えるかもしれない。自然そのものを信仰対象の神と観る東洋哲学の方向性を備えていたのではないかと解釈したい。それはまた、自由を基本とする思想形態に繋がっているものと考えて良かろう。そこから禪への変遷・変化を読み取れる。禪は現在、禅宗としての宗教性が強いが、本来の禪は達磨禪師の9年間の面壁座禅がその意味を示していると思う。宗教性の社会的集団化も何もない。あくまでも個人の自由な悟道の修行がその本質を示している。それは特定の権威や偶像を求めないものであろう。自然の神ならどこにも偶像性は無い。それがインド哲学の本流ではなかったかと思いたい。日本の神道がそれに近いのだろう。何も信仰対象が見当たらない。人は朝日を迎えれば、その神々しさを拝みたくなる。夕焼け雲も自然と心が和む。自然の生命の仲間である人間が、その自然に触れて心が高揚する、そこに生命の意味が現れていると。日本の神道は、本来自然を崇め恐れる心の現れとして、自然に抱く恐怖とその恵みの豊かさへの感謝の気持ちとを合わせ抱く畏敬の念に生まれたものであろう。しかし、社会的に組織化が進むと自ずから統一の権力との関わりが強まる。そこに政治権力からの干渉による精神的信仰への関与が強まる虞もある。また、靖国神社は神道でも無いようだから、宗教でもなく明治時代に富国強兵を目的として造られた特殊なものと観る。 死生観と自然 現代科学が生命の秘密を解き明かした。DNAという単なる4つの塩基が生命の全てを創り上げていると。何故4つかは自然科学の基礎の課題ではある。それらも単に(蛋白質ではない)炭素、窒素そして酸素からなる単純な環状の分子結合体で、原子・分子から出来ている。生命は『死』によって全てが消え去るのである。その分子結合も死によりすべて分解されると観るべきだ。だから生命の形を特徴づけるDNAそのものが消滅すれば、心や精神は完全に消滅するのだ。(残る物も一つある。DNAとして遺骨には残ると言う。事件捜査にも鍵を提供する。ただ疑問が残る。骨は焼いてもDNAが残るのだろうか。それは細胞の意味を考える視点を提供するかもしれない。)当然霊魂等も決して残らない。亡霊も出ない。誰かが好きな崇拝対象の「英霊」など決して存在しない。生きている人間の脳の中に想像して、作り上げる対象でしかない。生命の意味もDNAによって最近説き明かされた訳で、それまではなかなか『死後の世界』への恐怖を取り払うことなど難しかった。そこに安心を得る宗教が生まれたと考える。自然は恐ろしい。豊かな恵みと凶暴さを備えている。津波や雷の恐ろしさは避けようがない。古代の生贄の儀式も自然への恐怖が生みだした、精神的統制の祭り形式を兼ねた政治手法と看做せよう。未来の宗教は如何に在るべきかは困難な課題となりつつある。宗派間の争いの道具になるべき筈が無いのに、宗教が世界の殺戮を引き起している原因になるのは何故であろうか。政治権力が主導的役割を果たしていないと言えるだろうか。宗教の目的は争いを無くする筈ではないのか。死生観を解きほぐす道を自然科学が解き明かしたが、人の心の自然は難しい。

『特攻隊』に観る集団強制的・反人道的・日本全体主義ー良き未来を願って!-

『禪』と武士道について思いあぐねているうちに、どうしても気掛かりな事が頭を駆け巡る。それは先の戦争での、『特攻隊』の意味である。

禅は直接源流のインドから入って来た訳ではない。禅は、主に中国の宋の時代、日本の僧が大陸で学んだ学問として、本国に持ち帰った歴史的経過を経て日本に定着したものであろう。中国には、孔子の論語と『儒教』がある。『禪』と『儒教』が互いに影響し合いながら、社会に浸透したものであるらしい。その両方の思想を同時に日本に取り入れた筈である。鈴木大拙著 禅と日本文化 からそう思う。

『禪』の特質、個の尊重・独立性。あくまでも個人の主体的で、自然調和の思索を重んじる思想と思う。

『儒教』の特質、それは全体統制的・家父長制。『子のたまはく・・』と寺子屋での『論語』講読として過去の日本の風景ともなっている。歴史的制度である『儒教』の学習制度だ。儒教は、政治体制の安定と全体的集団化に都合が良い思想であろう。

武士道 『道』と言う何か哲学的、思想的意味合いが有るかの思いに囚われる用語が、これまた極めて日本的な使われ方である。神道(仏教道とは言わない)、華道、柔道、剣道、茶道あるいは人道等と道が付く。車道は意味合いが違い、本来の意味の使い方である。『道』には精神的な耐え忍ばないと、成就しない過酷さが隠されている様な意味合いで使われるように見える。暴力的指導が潜在的に横行する背景として、日本的『道』は権力的優位にある側に都合が良い意味合いでもあるように思う。寺子屋制度にも遡る、日本的精神訓練と称する体制固めが今も庶民的意識として、街中に存続しているのである。武士道は、どうも『禪』とは懸け離れた思想的領海に形成されたように思える。むしろ対極的な、『儒教』の世界に縛られた道に見える。この辺の論は、過去の論客の解釈と相当違うだろう。禅は自由な、あくまでも社会的強制からは離れた、独立の個の精神にだけ行動の規範を求める本質を持っていると解釈する。しかし、武士が生き残るには、歴史が示すように、権力者の庇護の下で生きざるを得なかった。そこに、武士道の『道』の意味が有ると思う。「中世以降、日本の武士階級に発達した独特の倫理。忠節・礼儀・武勇・信義・名誉などを重んじる。禅宗・儒教によって洗練されたもの。(現代語・古語 新潮国語辞典 第二版より。)」と説明されるが、禅よりもむしろ儒教の色が濃く反映された『道』の意味合いであると思う。武士も、庇護を受けて、いざ鎌倉となれば、忠節・信義・武勇で答えるのが『道』の精神である事を肝に銘じていた。恩義(報いるべき義理のあること)・忠誠(忠実で正直なこと)・忠義(主君や国家に対して真心を持って仕えること)が武士の守るべき規範になった。放浪の武士は自由で、『禪』の精神を生きられたであろうが、独立と孤独の中に身を置かなければならなかった。また、禅僧が地方で、生き仏として、自分の生命を捧げた『塚』が有る。それはあくまでも、自己の意思での自由な犠牲的精神の結果である。ただ、『生死一如』などの文言も『禪』の思想的背景になっているが。

『特攻隊』 その太平洋・アジア戦争(第二次世界大戦)における日本的特徴の日本国家的戦争制度にあった『特攻隊』制度を挙げなければならない。今も、日本人はこの国家的制度をどのように認識し、どう捉えているのだろうか。戦争における『個人の意思』と集団的全体体制による『個人の意思の抹殺』と言う自由の剥奪。それは、今も何処の国においても強制的『徴兵制度』として常態的である。しかし『特攻隊』は、更に兵士の『死』を強制的に、国家権力の戦争の手段として執り行ったものである。これを人道的に許される権力行使と観るのだろうか。戦争の傷跡を、日本人はどのように考えて来たのだろうか。最近の政治意識の向こう側に見え隠れする、強権的な流れに流されそうな様子が見えて、未来への不安が止まない。それは、ジャーナリズム報道に於いても全体性的傾向に見える。日本的全体主義傾向が『特攻隊』に象徴されているようで、日本的『武士道』精神が誠に権力側に好都合に利用されて来たと解釈する。靖国神社の参拝問題も、『戦陣に散った御霊』と言うが、禅の道には、そんなものはないと解釈する。それは宗教的思想の問題でも有ろうから、それぞれの個々人の解釈になろう。『禪』は抽象的な偶像は余り信仰しないと解釈する。現実の『実在』を重んじるものであるから『霊』などには関わらないと思うが、体制維持の権力者側にとっては社会的精神高揚の意味で極めて大切になるのであろう。日本的全体性が、異なる意見を排除する任侠的な傾向の恐ろしさに『特攻隊』がある。『生死一如』等が権力側に利用されないように精神を鍛えておかなければならない。平和を守ると言う事を『戦争拒否』で実践するには自由な自己の精神での死をも厭わない、拒否する覚悟が『禪』の本筋である。そこに『儒教』との違いがある。

禅と日本文化 を読みながら考えた

『禅と日本文化』 鈴木大拙著 北川桃雄訳 岩波新書 第49刷(1988) は以前から時々読んでいた。昔から、禅は難しく読んでも中々理解できないものであったが、その禪と日本文化分強く惹かれる。この本は、昭和15年(太平洋戦争開戦前)に、大拙・鈴木貞太郎博士が外国人のために、禅の解説に英語で書かれたもので、その和訳本である。外国人どころか、自分にとってどんなに禅の理解に役立つか計り知れない。

今日改めて読み始めた。その内容は初めの部分を読むだけで、博士の広い造詣の深さに驚きを禁じ得ない。そのお陰で、読んで心に響き、未熟で、不完全で、成長できない自分を見詰めるのに本当に安心を与えてくれる内容である。こんな自分でも良いかもしれないと教えてくれるようにとれる。全く社会との関わりがとれない、怒りの収まらない未熟な生き方でも止むを得ないかと。読めば、現代社会に『禪』は収まり切らない特質が、その本質であるように思うから。経済成長が世界の共通な評価指標となっている現代に、禅思想は馴染まない事が良く分かる。そんな現代社会の脅迫感・不安感に苛(サイナ)まれた個々人の精神性の有りようから、『禪』の意味を眺めてみたいと思う。その規範にこの本を読み解いて、少しでも安心できればと考える。既に、禪と科学および禅と自然科学などでも書いた。禅は決して知識として学んでも、身に付くものではない。それはただ自分だけの実践でしか理解、感得できるものではない。いくら本を読んで、学んでも修得する事が無理である点が、禅の本質なのであろう。今になって初めて、鈴木博士の説明している意味の幾らかが分かったかと感じる。それは、今年になって『電気磁気学』の本質に辿り着いたと思えるからでもあろうか。

『電気磁気学』の到達点 幾つかを拾い上げておく。生活電気と『光速度』 回路とエネルギー流ー電流解剖論ー 力学から見た電流矛盾 電子科学論の無責任 電流と電圧の正体 等が今年の5,6月にまとめた記事である。これらの解釈は、『電気磁気学』の教科書を学習してもなかなか理解できない。教科書の理論を捨てなければ到達できない本質・真髄である。失礼になるかもしれないが、学術用語は事象の皮相的解釈で、取りあえず社会的集団的合意形成の体制固め用語とでも言えば良いかもしれない。例えば、『電界』や『磁界』と言う学術用語は、電気磁気学理論を展開するに無くてはならない用語である。しかし、そんな用語も深く理解しようとすれば、化けの皮が剥がれて、矛盾がむき出しになる。到底論理的な解説を展開する事が出来ないものであるのに、専門的論理として、堂々と社会に貢献しているように看做されて、崇められている。自然科学は、実験的裏付けによって、その論理性が認知されていると言はれる。ところが、その実験と言う意味の中味を分析すれば、法則の原理を実験で確認したり、量的測定ができないにも拘らず、論理の重層構造の積み重ねの上での、専門領域での合意に基づく間接的代用測定で、原理の実証と認定する実験法を採っているのでしかない。例えば、クーロンの法則を実験で直接量的実証をすることなど決して出来ない。そんな電荷間の物理的法則が存在すると解釈すること自体が論理性の無い事なのである。『禪』と言う世界観は、論理性の矛盾をどこまでも見破る透徹した破壊力を備えていると見られよう。『不立文字』と言う意味で語られることが多い。例えば、上に挙げた生活と『光速度』という記事を取り上げて見れば、『不立文字』を文字で表現する事が出来ないと単純に捉えれば、その記事さえも意味の無い事と言われるだろう。しかし、電磁気現象と社会的に評価されている科学分野の現象の本質を少しでも理解しようとすれば、何らかの言葉で表現しなければならない。専門的学術用語が矛盾で使えない等と言えば、一体どのように現象を表現すれば良いかと言う抜き差しならない壁に突き当たる。それは『不立文字』それ自体の科学論的矛盾ではないか?そこをどのように切り抜けるかが問われてる。スイッチSと言う用語が使えないかと言えば、それは違うだろう。『自動車』と言えば、誰もが理解できる。それではどのような場合の科学技術で使う専門用語が『禪』の世界観で打破されるものに相当するのだろうかと言う『問答』になる。殆どが直接人間の五感で感得不可能な用語の場合ではないかと思う。『電流』と言えば、電流計で計測する物理量である。決して電線の中を流れる電子量を計っている訳ではない。だから、自然科学論を展開しようとしたとき、最後は人間が本来磨き上げて来た長い生存の歴史の中での感性・五感で感知する鋭さでの、言葉にできない『禪』の世界認識の直覚に基づく表現になるかと言うことである。それが万象が一つに集約される『エネルギー』であろうと言う結論である。『エネルギー』は五感で認知できるだろう。お日様に当たれば、暑くも、暖かくも感じられる。それをどのような『エネルギー』と理解するかはまた別の話で、先ず何かが自分の体に入り込んで、外から加えられた『エネルギー』が有るからだと感覚的に認識することが『禪』的世界観と言うことになろう。理屈は後から付けても良いが、先ず感じることが第一である。感覚を磨けば、理論の怪しさがおのずから観えて来ると言うのが『禪』の世界観と思う。『不立文字』に負けないで、自分なりの自然科学論を展開して行きたい。ただ経費を掛けないで、直覚的感性に頼る世界観を。

鈴木大拙氏の禅の世界観もさることながら、翻訳者の表現力にも敬服する。第1章 禅の予備知識、および第2章 禅と美術の論説が特に印象的で、感銘を受けた。しかし、第3章 禅と武士以下については少し違う観方をしてみたい。それらについては別の機会に述べたい。

禪と科学

禪とは中々難しいものだ。理解困難なものほどその魅力に惹かれもする。その難しさを表したものに『般若心経』が有る。色即是空 空即是色に集約されていよう。禪と科学等と大層な題材を選んだものと我ながら呆れている。普通に、世間的には『禅』と『科学』は相対立するものと看做されよう。ここに、恥ずかしい達磨の図を挙げた。自分の精神的葛藤と将来への不安を表現したものと今になって理解出来る。達磨は孤高の存在である。二つ達磨は無かろう。(記す文章もどのように弾け飛ぶかは定かでないので、自分のリスクであるが、未熟のままで書き足す過程をそのまま公開しながら進む事にしたい)上の達磨図絵は、見た人も多かろう。昭和62年2月頃、長岡工業高等専門学校の電気科5年生の卒業文集にと学生に頼まれて書いたものである。その後名刺の裏図絵として利用した。食べ物、飲み物を鍵掛の神経をすり減らしながら、殺害の危機から生命を守る極秘の秘儀を尽くして、一日も欠かさずの諸行で、何食わぬ顔で半年間過ごした。常在戦場の意味かと後に知る。そんな中で、一寸先も見えない暗闇に立つ自分の怒りは、向ける相手が見えない「四面楚歌」と言う全体が相手である。電気科の教官、校長および中曽根臨教審の審議会等教室の授業内容盗聴を含めた犯罪に対しても、対処の術が無かった。ただ黙って生命を守るだけであった。そんな中で卒業生に送る言葉も書けなかった。それがめめしい二つ達磨(繋がりの無い孤高を憂える弱さ?)の禪精神の異端の図となった。 魑魅魍魎の世界を覗けば 二つ達磨は「生命を守る」異常事態の中の出来事である。長岡工業高等専門学校が殺人学校に見えた。歴代校長。初代校長:山崎貫三。二代目、田健一(文部省保健体育課)。三代目、大戸啓二郎(昭53年4月~昭55年4月29日病死)。事務取扱、高橋旦。4代目、池田作次(昭55年6月11日~昭59年2月12日病死)5代目、高橋旦。昭和60年4月~私が転入、幽霊所属。昭和61年5月初頭、健康診断結果で、胃カメラ検診を受ける事を指示される。何の異常も感じないのに「変だ?」と思った。論文が忙しく、予定日を後日に変更。検査で『細胞検査』も同時にすると言われた。その後、再び、庶務課長の指示文書で、「胃カメラの再検査指示」通知があった。2度までの検査を何故しなければと、「殺人の臭い」で無視した。不思議にその後に何の指示「再検査指示」の連絡は無かった。その8月、9月が「殺害の危険」を実感した。それ以降の半年が「生命を守る」秘密対策と魑魅魍魎との戦いであった。二人の前任校長の病死が一つの予備知識であった。やはり「二つ達磨」の補足記事に記した。 我が科学革命の原点『静電界は磁界を伴う』(昭和62年電気学会全国大会)で、物理学の根幹を否定する問題提起をした。『電気磁気学』指導担当者としての務めでもあり、決死の覚悟の発表でもあった。電子概念、電荷概念の否定と言う科学界に打った楔であると今に思う。『電流』と言う電気技術者としての根本的拠り所を、自己否定と言う事になる挑戦であった。当時は電気学会の会員であった。昭和63年のびわ湖湖畔での『電磁界理論研究会』以降、会費滞納で除籍処分となる(2019/01/27)追記、電気学会会費については初めから納めていなかったことに最近気付いた、だから会費滞納が原因ではなかった、自分の存在の意味が全く理解できない。昭和62年春の全国大会での発表内容は、 『瞬時電磁界理論』とは に取り上げた。それは電界、磁界と言う概念の矛盾を指摘した原点となるものである。電荷概念についての当時の解釈には、私なりの曖昧さも有りその点でも今考えると、世界の基礎理論に立ち向かう気力と現在までの思考の変化を見るようで面白味が有る。そのすぐ前に、 禅と自然科学  に、似た記事が有った。(2015/02/20)追記。長岡技術科学大学で、昭和63年10月8日、私に対する免職処分?の基礎理由として、教授会で私を呼んで学生電気実習の指導を拒否している事を謝罪させたが、再び実習の指導を放棄したと成っている。不思議にも、その日は大学に内緒で、出張届もせず、自費でこっそりびわ湖湖畔での電磁界研究会で大事な発表をしていた。教授会に呼ばれたことも無い。『瞬時電磁界理論の実験的検証とその意義』電気学会、電磁界理論研究会資料、EMT-88-145.(昭和63年10月)。長岡工業高等専門学校で、昭和61年秋に撮り貯めておいた実験データの資料の発表であった。 昨日書棚から、鈴木大拙著、北川桃雄訳『禅と日本文化』を取り出して、読んでみた。昭和15年出版の内容で、太平洋戦争前年の時代性も感じられはするが、第1章 禅の予備知識 辺りの内容にはとても感心させられる。第1章にはおおよその禅の意味を知るに役立つ事がまとめられている。決まり切った方式や、常識あるいは知識から解き放たれた自由の境地に精神を浮遊させている姿を望むものかと感じる。心を無にする。だから理屈を望まず、決まりに従わず。そんな風にもとれる。そこに“禅のモットーは「言葉に頼るな」(不立文字)と・・”や“科学は系統化を意味し、禅はまさにその反対である。”等とある。また知識に三種ある。第一は読み聞きによる知識。第二は科学などの観察と実験・分析と推理の結果による知識。強固な基礎を持つ、それはある程度体験的、経験的であるから。“第三の種類の知識は直覚的な理解の方法によって達せられるものである。”と記されている、それが禅の知識に相当するものと解釈する。“直覚的理解”なるものは確かに科学の理解とは異なるであろう。数式も、論理性も無視するように見える。だから、系統的に確立された物、方式あるいは国家なる概念に対しても従わない、精神の自由を禅の本質とするもののように思える。禅は破壊の思想と言われる所以がそこにあろう。『般若心経』というお経も仏教の形式も禅の求めるものから見れば、囚われてはいけない事なのである。もともと『般若心経』は仏や、お葬式の為の御経ではないのだ。インドに生まれた生きる人の自然観と生き方の悟りを纏めたものであり、人生哲学である。昔は知識人の最高の指導者が宗教人であったから、その流れを踏襲して現在に至っているだけである。精神が囚われない生き方は現在の複雑で、金銭的な物量に縛られた社会制度では、禅は生きるに困難である。 第3,4章に、禅と武士、禅と剣道で書かれている。禅は精神的呪縛から解き放たれている事を最高の位に置くのじゃないかと思う。武士道精神が自由より義理と人情に縛られる支配層の思惑に陥る危険性が有る。その典型が太平洋戦争の『特攻隊』と日本軍隊であった。禅と武士道が日本の精神性を表象するように思はれる原因の一つが「武士の大小二刀の帯刀」にあったのかと初めて知った。確かに西洋の騎士や戦いの武人は武器を持つが、日本の武士のように「小刀」を携えることは無いようだ。宮本武蔵の二刀流は別として、「小刀」には戦う為の刀と言うより、自分自身を律する為の脇差であったのかと。それは殆ど『切腹』と言う自分の生命を自身で絶つ為に使う刀である。それは如何にも古来の日本的精神性の優越性として日本人によって崇められる特質の表れと思える。『切腹』と言う所業(好ましくない行いーと言う意味で使った訳ではないー)が武士道の精神性を担保する拠り所としての日本人社会の一規範と成っていた事の奥底に潜む意味を考えることが重要に思える。それは『禪』と結びつくのだろうか。確かに「雲水」が旅の中で出来事に遭遇して、その諍い(イサカイ)・争いを収める為に自らの生命を「生き仏」として捧げる所業は各地に「生き塚」として残っていると考えている。禅僧は何時如何なる処で生命を捨てるか覚悟が出来ていたのであろう。その禅僧の精神性が武士道に反映されて来たところに日本的特質が隠れているのかもしれない。支配階級に巧く利用されたのが『特攻隊』である。許されない権力犯罪である。卑怯にも、社会的集団性を持って、そこに組み込む体制を作り上げたのである。『特攻隊員』自身の潔さと湛えながらの、権力体制の悪い所業の無責任性を作る卑劣さがその根底に隠されているのである。「生死一如(ショウジイチニョ)」「潔く死ぬ」等の言葉が禅の思想に結びついているようだ。この辺の日本人に特有な意識が集団体制や利権団体あるいは国家的全体主義への道に繋がり易い危険性を帯びていると思う。『原発災害』も原子力村の集団体制が正当な異議を踏み潰してきた当然の結果でしかないのだろう。『和』の日本に『禪』は馴染むか。と言う感じもする。禅は孤高の思想だ。その点で、武士の孤独な、太刀一筋に生命を掛ける生き様に共通するのであろう。当然であろうが、世間と合わなければ排除される。それが日本人の精神的特性を支えている根底にあるものに見える。 空即 無限なる有なり 初めの図絵に記した。この中にはいろいろな意味を含ませていたように思う。当然、禅思想と人生を強く意識していた。禪とは何かも長い間の思う対象であった。しかし、一番大きい意味は「電気磁気学」のエネルギーの諸相が「空間」で表す意味に「無限性」を感じていたからであるように思う。当時は「電荷概念」をどのように捉えれば良いか、思考の始まりであったから、暗中模索の中に居た。「生命」を守る日々の行為と、「物理学」の根底に抱いた疑念との精神的葛藤に身を置いた。その思いが自然にその絵図になったのであろう。渡された名刺を見て、人はどのように思ったかは、今になれば日本社会での村意識構造の中での事であるから、想像に難くない。アハハハ!今でも、文科省の教育行政は当時感じていた下らなさの思いは、日本の未来に禍根を残し続ける危険を禁じ得ない。長岡工業高等専門学校の助教授の辞令(松永光文部大臣)が出せる筈が無かったのだ。文部省への審査書類が有る。その中身は「新潟県立新津工業高等学校での研究業績として、「静止電力変換装置」で確信した「変圧器の励磁電流の噓」が教科書に在る事を批判した。『電圧時間積分』が鉄心磁束量の解釈に欠かせない概念である事を指摘した。新潟県で採用辞令も出ていない幽霊教員の過去をどう繕っても、文部大臣(中曽根内閣、松永光文部大臣 1985/07/01付け)が辞令を出せる訳が無い。その後の事は押し並べて計るに難くない。まさか「軍歴表」が絡んでいるなど知る由もない。私は何者でしょう(3)故郷貝野村と舞鶴鎮守府

禅と自然科学

金澤 喜平

禅思想は達磨禅師の生き様に代表されているように思う。中国の『老荘思想』および『古代インド哲学』、『釈迦』等にその思想の源流があると考えたい。人間の生き方、考え方の指針を求めて、人間の苦悩の根源が『欲望』に支配される事に在る。『無為、自然』や「色即是空 空即是色』等の東洋的哲学思想を、人間がその欲望から解き放たれるには、自然世界・人間を含めた科学的悟り以外は無いと言う求道の思想であろうと解釈する。科学的という言葉をどう言う意味と解釈するかは難しい事ではあるが。すべての『真理』を会得する事と言う意味位に考えるべきかと思う。『般若心経』(私はこの経典が日本的仏教の仏壇の先祖に関わるものでなく、現在の生身の人間の生き方を説いている、平和への表明論と解釈する。)の終わりに、『みんなが手を取り合って、世界の真理を学びあいましょう』と結ばれていると解釈する。それはやはり『科学』の分野と観ても良かろう。ただ、東洋的な考え方は、禅の『不立文字』と言う言葉があるように、突き詰めてゆくと言葉で表現する事が出来ないような領域に到達してしまうような傾向が強い。だから、科学的な追求が、『西洋科学』として構築された思想や考え方と異なる方向に行く必然性を持っているようにも思える。私が今思うことは、『物理学』と言う学問体系が西洋の積み重ねる思考方向であるのに対して、それと逆に『東洋科学』は概念を突き詰めてゆく事によって、無駄を剥ぎ取って行くから、結局何も無かったと気付く事を求めているのではないかと錯覚しそうな感じに囚われるかも知れない。しかし違うのである。だけれども、『現代物理学』を論じると、殆どの科学者は『西洋哲学的概念構築論者』で思考方法が出来ているから、それが『世界の科学論の手法』である為、『東洋哲学的科学論』とは中々折り合いがつかない状態になると思う。しかし、やはり科学論は、その論理に『論理的矛盾』があれば、正すのが「科学」の本道であろうと考える。それが『自然科学』と言う学問の世界であろうと思う。科学と哲学は、どうも相容れない範疇、対極的と思われ易い取り合わせであるが、あえて取り上げて『禅と自然科学』なる標題で論じた。有名な物理学者に私の『物理学論』は哲学か文学論で、科学者からは無視されるような意味の批判を受けた。それも定式化された解釈の科学者から見れば一面当然であろうとも思う。まだ深く認識出来ていない科学者にとって見ればやむを得ないだろうと思う。そんな事もあるから、猶のこと「科学論」は皆が手を取り合って考える、みんなの、市民の理解出来る場の論議でなければならないと思うので、数式なしに『科学論』が話題となるべきとの意味で記事にした。

(2013/03/21 追記)  この記事を記して既に2年以上経った。科学論で、電気磁気学の論理に疑問を抱いて、25年以上経過した。『電荷』概念、『電流』否定が科学論との革命的挑戦への闇の世界に入る切っ掛けとなった。磁場がエネルギーの回転流との結論、磁界・磁気概念の本質 に到達した。昨年は水蒸気に関する解釈に迷い込み、自分でも驚く雷の正体 に辿り着いた。雷の原因が『電荷』に無関係である事に気付かされた。水蒸気の放出する熱エネルギーであると。雨蛙の生態についても、雨蛙と幼生生殖 でようやく安堵した。雨蛙ーその謎ー の文集を2006年に配布してから相当経過した。自然科学とは何かと考えると、専門的学術世界での視点だけでなく、市民的生活感覚からの視点の重要性が浮き彫りとなったと思う。(2013/05/05追記) エネルギー(energy)とは?および自然・科学・哲学にも関連して。