タグ別アーカイブ: 神経伝達信号

血液とエネルギー流

(2023/05/20).

 疑問と格闘。自分が不図気になる事柄、それが疑問だ。理解しようと検索して調べる。しかし、素人の自分には、その解説が理解できない。理解出来ないということは、自分の能力が無いからだと覚悟すれば、その検索内容の解説を学習すれば済むことだ。

 しかし、どうも素直に解説を信じられない事が多い。だから、疑問と格闘となる。取り留めもなく迷い道に分け入ることになる。

 そんな時、https://hokakebune.blog/2022/06/02/赤血球が謎運ぶ/ と素人の疑問の記事投稿となる。そこには、医学生理学分野の門外漢ではあるが、電気回路現象からの共通な自然科学の基礎的な感覚的認識からの解釈に基づいた、大切な意見も含まれる筈だ。自然現象の全体像が、あらゆる科学論には共通な根底に在るだろうと言う認識からのものだ。

 例えば、Wikipedia の赤血球の解説には、1日に2000億個生まれ、120日間に20~30万回体を循環して、酸素を運ぶとある。それは約10分間に1回血液が循環するような計算になるということか?別の記事には、血液循環速度は?と検索すると、25秒から50秒で1回循環すると言う解説もあるようだ。それは血液が心臓から出て、心臓に戻るまでの時間のことかも知れないが本当か?と思う。余り、経済的な競争を伴わない研究分野は研究対象から取り残されているようだ。赤血球がどの様な生理学的機能を持っているかは、病気の治療等にも余り関わりないから研究対象に成らないのか?と。それはまた別の問題であろう・・。

 血液とエネルギー流」の標題にした。電気回路現象は電線路空間を流れるエネルギーの伝送現象がその本質的物理現象である。しかし生理学の身体活動では、血液が生命保持の最も基本的な、しかも平易な意味での重要な機能を担っていると考える。細胞への栄養素供給、酸素供給、白血球など免疫系の機能など、多くの生命保持機能がその担う基本であろう。しかし、物理学で認識されていない懸念が、『エネルギー』と言う空間の物理量にある。そのエネルギーと言う物理量が空間に満ちている、その物理的認識が欠けているのが、現代科学論の矛盾論の基本にある。身体の全体に満ち溢れているのが、やはりエネルギーなのだ。こんな論は科学理論の対象に成らない傾向がある。それは科学的実験による証明が示せない点である。光は本質的に無色だ。等と言う論も科学論としては余り意味を成さないだろうから。光が無色の空間エネルギー分布波の縦波だと言う論も、科学的手法には成って居ないから科学論として取り上げられないかも知れないから。

 しかし、『体温』がどの様な物理的現象の結果に因るか?と尋ねても殆ど、的確な回答が得られないように思う。学説はある様だが、それは余り理屈、論理性のないものに思え、信じるに価値が無いと思う。

 すべての生物は、その命の保全が基本的機能と成って居よう。外界の危険から保護するには、その外界情報を先ず確実に認識する事であろう。それはどの様な仕組みか?電気回路の信号は電線路の空間を流れるエネルギーである。決して『電子』などは矛盾の物理学概念である。身体の神経伝達経路は決して電線路のような二本の導体で挟まれた空間は無いから、何処を何が神経情報として伝送されるか?である。

 決して、伝送信号として分子体などを考えるとしたら、それは信号伝達速度が遅く、瞬時の危険信号の伝送には不可能である。残るものは、眼球の硝子体管の光伝送現象と同じく、神経細胞のファイバー状の索が光ファイバー伝送空間と同じ機能を担った空間構造体と成っている筈だ。その神経信号は当然電気信号と同じ、エネルギー空間密度分布波である筈だ。その信号源が、体温の全身に分布した『エネルギー』の筈だ。そこに、赤血球の重要な機能が有ると考える。体温と言うエネルギー分布に対して。

 こんな医学生理学に関する知識のない素人の生理学的解釈が、市民的科学論ではないかと思う。専門家は狭い分野に特化した対象がその研究主題となる。それは、広く子供達への教育に迄、科学的基礎理論の統合した意味の研究はされない傾向となる。

 教育において、『参照基準』などの伝統的解釈理論に縛られた弊害を専門家が創り出す危険もある。