タグ別アーカイブ: 磁界・磁気概念の本質

アラゴの円板と近接作用力

アラゴの円板と近接作用力アラゴの円板は日常生活に関係したところで利用されている。家庭の積算電力量計が家の玄関口に在る。使用電力の時間積分で、消費量の取引量を測るメーターである。円板に流れる『渦電流』が円板回転の原理として有名な電気現象と看做されている。回転円板はアルミニュームが一般的である。電流あるいは電子を切り捨てると、渦電流による解釈も物理現象としては納得できない。磁石周りの磁気をエネルギー流として解釈した訳であるから、そのエネルギーに基づく力を求めなければならない事になる。上の図に、磁極N を動かすと、アルミ板の周辺に回転していたエネルギー流と磁石のエネルギー流の間にずれが生じる。そのずれの遅れを取り戻そうとするエネルギー流間に力が生じる。アルミニューム板を磁極に近付けると、磁石磁場がアルミニューム板を突き抜けて、表にも生じると解釈する。

アルミ箔上に現れる磁石磁場の砂鉄模様。

アルミ箔の磁場(2019/05/22)追記。問答を一つ追記して置きたい。この砂鉄模様はどのようなマグネットでも観測できる。理論では磁場は一定とする等と解釈条件が付けられるのが一般的である。しかし実際は、マグネットの磁場模様は一様ではない。中心には磁場は無く周辺部に強い磁場が見える。 《さてその訳をどのように解釈するか?》が問題。磁石磁場の砂鉄模様と同じ模様がアルミ箔を通しても得られる。このアルミ上の砂鉄模様も磁石を動かせば、その動きに連れて移動する。

鉄磁場

鉄の金属板を磁石上に置いた場合の磁場の砂鉄模様である。適当に手元のブックエンドを利用した。鉄ブックエンド

参考にそのブックエンドとその配置図も右に示す。アルミ箔と異なり、鉄板を通すと、少し様子が異なる。

アラゴの円板と言う磁気との関係は鉄板では成り立たない。非鉄系の金属板、アルミか銅板と磁気との間で起きる現象である。そこには、磁石の移動に対して『遅れ』がある。誘導電動機における『すべり』の意味と同じ現象である。その現象を磁気エネルギーの二つの回転流間での近接作用力として解釈すべきと考えた。遅れの生じたアルミ箔にまつわるエネルギー流が磁石磁場エネルギー流に追随するようにエネルギー流間の近接作用力を生み出すと解釈した。そのエネルギー分布がどのような関数形式になるべき『近接作用力』表現になることを求めているかは未だ捉え切れていない。その一つの表現式が渦巻の解剖になろうと考える。

磁気概念の参考:磁界・磁気概念の本質をご参照ください。

禅と自然科学

金澤 喜平

禅思想は達磨禅師の生き様に代表されているように思う。中国の『老荘思想』および『古代インド哲学』、『釈迦』等にその思想の源流があると考えたい。人間の生き方、考え方の指針を求めて、人間の苦悩の根源が『欲望』に支配される事に在る。『無為、自然』や「色即是空 空即是色』等の東洋的哲学思想を、人間がその欲望から解き放たれるには、自然世界・人間を含めた科学的悟り以外は無いと言う求道の思想であろうと解釈する。科学的という言葉をどう言う意味と解釈するかは難しい事ではあるが。すべての『真理』を会得する事と言う意味位に考えるべきかと思う。『般若心経』(私はこの経典が日本的仏教の仏壇の先祖に関わるものでなく、現在の生身の人間の生き方を説いている、平和への表明論と解釈する。)の終わりに、『みんなが手を取り合って、世界の真理を学びあいましょう』と結ばれていると解釈する。それはやはり『科学』の分野と観ても良かろう。ただ、東洋的な考え方は、禅の『不立文字』と言う言葉があるように、突き詰めてゆくと言葉で表現する事が出来ないような領域に到達してしまうような傾向が強い。だから、科学的な追求が、『西洋科学』として構築された思想や考え方と異なる方向に行く必然性を持っているようにも思える。私が今思うことは、『物理学』と言う学問体系が西洋の積み重ねる思考方向であるのに対して、それと逆に『東洋科学』は概念を突き詰めてゆく事によって、無駄を剥ぎ取って行くから、結局何も無かったと気付く事を求めているのではないかと錯覚しそうな感じに囚われるかも知れない。しかし違うのである。だけれども、『現代物理学』を論じると、殆どの科学者は『西洋哲学的概念構築論者』で思考方法が出来ているから、それが『世界の科学論の手法』である為、『東洋哲学的科学論』とは中々折り合いがつかない状態になると思う。しかし、やはり科学論は、その論理に『論理的矛盾』があれば、正すのが「科学」の本道であろうと考える。それが『自然科学』と言う学問の世界であろうと思う。科学と哲学は、どうも相容れない範疇、対極的と思われ易い取り合わせであるが、あえて取り上げて『禅と自然科学』なる標題で論じた。有名な物理学者に私の『物理学論』は哲学か文学論で、科学者からは無視されるような意味の批判を受けた。それも定式化された解釈の科学者から見れば一面当然であろうとも思う。まだ深く認識出来ていない科学者にとって見ればやむを得ないだろうと思う。そんな事もあるから、猶のこと「科学論」は皆が手を取り合って考える、みんなの、市民の理解出来る場の論議でなければならないと思うので、数式なしに『科学論』が話題となるべきとの意味で記事にした。

(2013/03/21 追記)  この記事を記して既に2年以上経った。科学論で、電気磁気学の論理に疑問を抱いて、25年以上経過した。『電荷』概念、『電流』否定が科学論との革命的挑戦への闇の世界に入る切っ掛けとなった。磁場がエネルギーの回転流との結論、磁界・磁気概念の本質 に到達した。昨年は水蒸気に関する解釈に迷い込み、自分でも驚く雷の正体 に辿り着いた。雷の原因が『電荷』に無関係である事に気付かされた。水蒸気の放出する熱エネルギーであると。雨蛙の生態についても、雨蛙と幼生生殖 でようやく安堵した。雨蛙ーその謎ー の文集を2006年に配布してから相当経過した。自然科学とは何かと考えると、専門的学術世界での視点だけでなく、市民的生活感覚からの視点の重要性が浮き彫りとなったと思う。(2013/05/05追記) エネルギー(energy)とは?および自然・科学・哲学にも関連して。