(2020/06/10) 追記。現在思う。いくら電流の物理的意味を考察しても、それは技術概念としての価値の論議にしかならない。電線の導体金属内には何も流れていないのだから。関連記事として、Friction heat and Compass (2020/03/22) ,The electron did not exist in the world.(2020/05/15) および電気エネルギーの測定法(電流と電力) (2020/05/03) 。
もう一度初めの原点を見直そうと思った。今から30年前、昭和60年に初めて電気磁気学を教える事に成った。div,rot,grad等の微分計算も計算した経験が無いのに突然のことだ。考えれば、偏微分も3次元空間の中での微分計算だから、計算してみれば難しい事ではないのだった。おそらくその授業の中で、アンペアの法則の意味に何か疑問を抱いたのだと思う。学生にそんな事を言う訳にはいかないから、自分の中で疑問を膨らましたと思う。“実はこの授業は「電気磁気演習」の科目であったように後で気付いた。突然の事で、4月に成って初めて科目を知った。少しピント外れだったかと反省する”。元々、ファラディの法則の教科書の解釈に矛盾を抱いていたから、アンペアの法則も疑問を持って当然なのかもしれないとの認識にはあっただろう。ファラディの法則で、励磁電流で磁束を解釈すること自体がおかしな論理だから。所謂パワーエレクトロニクスの電気技術論では、ファラディの法則は微分形式を積分形式に変換して、磁束は電圧時間積分で決まるという観方で解釈するのが常識であった。そんなところにも人間の思考の面白さ(教科書的常識の滑稽さ)が隠されているようだ。
電流と磁束と人間思考性。 常識の滑稽さの意味を説明すれば、数学では微分と積分は表裏一体の関係に在る事は誰でも知っている。ファラディの法則は磁束の時間微分で示される。それなら磁束は積分形式に書き直せば、励磁電流などが式の中に出て来る訳が無いにも拘らず、アンペアの法則で、磁束は電流によって発生するとの解釈が法則化されているから、その原則・常識から抜け出せない人間の思考性により、磁束が電圧の時間積分で決まるという意識には成り難いのだろうと思う。それが人間の思考形態の滑稽さと看做せよう。アンペアの法則がファラディの法則より10年程先に提起されている。古いほうが新しいものより強く保守的に残る傾向なのかもしれない。その辺の科学に潜む保守性が科学理論の特殊性かもしれない。これから議題のアンペアの法則を解剖する訳であるが、その電流と磁束と電圧の関係について、前以って意識して置いて頂く為の準備として触れた。
電流の遠隔作用? 法則は空間ベクトルの意味を持って表現される。電流と考察点までの距離とその点の磁界の強度の3つは空間ベクトルの意味を持つ。共に他に対して直交したベクトル方向を意味する。それぞれのベクトルの方向を示す単位ベクトルn_i、n_rおよびn_h=[n_i×n_r](ベクトル積)使って示した。
直線状電流の意味と周辺空間。 アンペアの法則は電流周りの磁界に意味がある。直線状電流の矛盾を指摘したい。
電流の周辺。
電流の役割とその周辺空間。電流は一本の直線導体には流れ得ない。電流とは往復導線で初めて意味をなす。電流をベクトル計算で解釈するとき、その電流の周りの磁界で解釈するのが一般的である。その電流 i(t) を取り上げて、図に基いて考えてみよう。この電流による磁界 H(r,t) は実際には意味が無い筈である。しかし、殆どこの図の解釈で説明する。ここに、アンペアの法則の捉え方に誤りがあると気付いた。
アンペアの法則の原型は上の図の q点において、電流 i'(t) が受ける力を電流 i(t) による磁力と考えた事ではなかろうか。(ここまでは前のファイル①の文章である。)(2020/07/09)追記。結局電流は往復二本の電線で囲まれた空間でしか、その技術概念『電流』は意味が無いのであり、一本の導線を流れるとものと言う認識は論理的に矛盾である。
磁界と偏微分。
(ファイル②の書き換え。)ところが、アンペアの法則の解釈は無限長導線の電流 i(t)k に対して論じられ、その周りの磁界 H(r,t) が電流に対する垂直平面上の距離 r だけによって決まるという事になっている。その磁界ベクトル H(r,t) は

と表される。ただし、p 点座標ベクトル r は r=xi+yj である。
さて、上の図が何故使われるかと言うと、マックスウエルの電磁場方程式の解釈からの要請とみる。電磁波伝播方向に対する直交の変位電流を磁界の発生源として捉えた。
その磁界に対する偏微分がその p点の電流密度 J(t)k で、

として関係付ける為であろう。
このようなアンペアの法則を、一本の直線状の導線で解釈する事は電流の概念と相容れない解釈である。
(ファイル③の書き換え。) (参考) 磁界はベクトル成分に分解すると、

この回転の偏微分計算は

で、周辺空間の電流密度は0となる。
なお、電流 i(t) が交流のような場合でも、空間的な広がりには時間的遅延の意味は表現されていない。電流と磁界の関係は、瞬時的無限遠への光速度を超えた遠隔作用の式である。
遠隔作用の矛盾。 電流の時間的変化が有っても、法則ではその伝達に無限遠まで時間は不要だ。この関係が次につながる。
電流が流れるという意味は? 水は一本の管の中を流せる。電流は一本の電線の中は流せない。必ず往復の電線が必要である。一本の電線に電子を流し込んで、負荷まで届けられ、その電子の質量と電荷をエネルギーとして消費できれば有り難い。しかし残念ながらそれは無理な話である。空から空間を伝播させる高密度電磁エネルギー伝送の話があるが、それは電線が無く、光の高密度エネルギーと同じものであろう。電流概念には往復導線が必要である。その電流はエネルギー源と負荷との間の進行方向で定義される。電磁波がマックスウエルの方程式で、アンペアの電流・ファラディの磁界法則を統合し、更に「変位電流」を加えてようやく磁界発生原因を方程式に纏めた。やはり『電流』が電気現象の基本に据えられ、磁界発生の原因とした方程式である。しかし、その電流はエネルギー伝播方向に対して横方法に流れるベクトルである。電気回路の電流方向とは90度異なる概念である。この事は電流とエネルギー伝送方向とに関して相当意味が異なるようである。その点は別の機会に論じよう。ここではその変位電流について考えて見よう。電流と磁界の時間的関係は原因と結果の因果律の基で論じられるが、その時間的関係は同時性か遅延を伴うかをどう理解するべきかは判別しかねる。因果律には「同時性」はあり得ず、原因が時間的に早くなければならないと思う。『変位電流』について、その電流の意味は誘電体内の電荷移動で解釈されるようだ。真空内には電荷を定義できる対象物はない筈だ。その時も変位するのは電荷(電子質量の付帯概念電荷と言うようだ)だけではなかろうから電子の質量も伴う筈だ。質量は時間微分するのに不要だから電荷だけで良いのだが、質量を伴うとなると真空内のその存在を納得できない。その質量不要は電線内でも同じことだ。電子の質量は邪魔だ。話を遠隔作用の論に戻す。アンペアの法則は瞬時性で光速度を超えた概念と認識する。それは電気力線の描像でも同じ事であろう。一本の電気力線も空間的に光速度を超える意味だ。その横波電気量(電束、磁束)の描像の発生の起点から終点の時間的関係は、瞬時に広がった閉ループとして描かないと電磁波の縦方向への光速度伝播を説明できない。横に広がる瞬時の描像は論理に矛盾する。光速度を超える瞬時現象は認められない。
磁界・磁束の意味は? 磁界とか磁束と言う用語は今はある程度電気に関心がある人はみんな馴染みの有る言葉だ。精々200年ほど前に、電磁誘導と言う電気現象の存在が分かって、電気技術の根幹を支える概念となるまで歴史を重ね、現在の常識の電気用語となった。人間は偉いと思う。その概念を自然現象の中から有用な科学技術の基礎知識にまで高めて来たのだから。しかし、自然世界にはそんなものはないのである。人間が造り出した技術用語であり、概念である。人間が偉いというのは、たった一つのエネルギーを利用するための解釈法として、実に巧妙に利用し易く、考えやすく分析して、科学技術として育て上げて来たという意味での偉さである。その分析思考能力においては、西洋文明の特徴として称えるべき事であろう。そこには東洋哲学的方向性とは異なる思考形式があると観たい。磁界・磁気概念の本質にエネルギーとの関係の意味を示した。
磁束と電圧の関係。 初めにファラディの法則の電圧時間積分の関係で、磁束を理解するべきだと触れた。電流で磁束が出来るというのも感覚的には違和感を持つが、電圧を掛けてその時間との積分で磁束が出来るというのもやはり同じく違和感を持つ。電圧もエネルギーの一面的評価量である事を知れば、その時間積分が磁束量と言う評価量になるとの解釈は納得できる。同じエネルギーに対する科学技術量としての観方であるから。コイルの中の近傍空間にエネルギーが局所的に蓄積されるのであるから。
電流も電圧もエネルギー空間分布に照らして。 自然世界の包容力は何とその不思議の世界観を楽しませてくれるありがたさに在るとも思う。自然界の真理はこれほど基本が単純であるのかと驚嘆する到達点に在るのかもしれない。新世界ー科学の要ーで、科学技術概念の根源を問う『静電界は磁界を伴う』の意味を解いて、偶然の思い付きからその延長としての天晴れ(コイルと電圧とエネルギー)に到達した。
結び。 アンペアの法則の意味を少し分析的に解剖して、考えを述べた。自然世界の単純性と人間の思考の複雑性の対比として、科学技術概念の意味を電流とその法則を例に考えた。未来の科学技術教育の重要性と共に、理科教育の課題も示したかった。
(研究の余禄)。 『電流は流れず』の持つ意義はとても大きい。太陽光発電設備で、送電線が盗難にあった。電圧が低いから、高電流密度での計算から特に電線断面積は太く要求される。高価な電気銅はその設備管理にも影響が大きかろう。電流は、その本質が電線内などに流れているものでない事を理解すれば、電線は太さだけで中空電線で十分なのだ。その経済効果は技術革新に大きく貢献する筈だ。この特許権者は?
(*)電気の技術史 山崎俊雄、木本忠昭 共著(オーム社) p.31