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消えた本?『発見と創造』

手に取って見ようと思って、本箱を探した。どうも見当たらない?

発見と創造 科学のすすめ

長い間いつも手元に於いて、読んでいた本だ。以前量子力学とは何か?で取上げた事がある。何故消えてしまったのか哀しい。W.I.B.ビヴァリッジ 著/松永俊男・鞠子英雄 共訳。著者の深い科学的造詣と訳者の名訳が奏でる名著と思っている。

(2018/05/10)追記。先日ネットを通して、再び手に入れることが出来た。嬉しかった。

『発見と創造ー科学のすすめー』を手元に

初版第三刷(昭和62年)をいつも手元において、自分の科学的感性の方向が誤っていないかと自問自答の頼りにしてきた本である。

SEEDS OF DISCOVERY発見と創造

この本の原著者、W.I.B.Beveridge の卓越した科学研究に対する洞察力には頭が下がる思いでいる。長いことこの本に支えられて、続いて来れたような気もする。自分の思いを的確に表現しているから、その精神的な拠り所にもなっていた。8.素晴らしき新世界(p.155)の5つの研究者の特性はおもしろい。昨日「量子力学」とは何か?の記事を見たら、そこにこの本の事に触れた部分があった。少し量子力学について記しておきたい事がある。上に記事の、150MHzの電磁波で直管蛍光灯が部分点灯する放射現象は量子力学理論では説明が付かない現象と思う。この事は以前から疑問であったので、長岡工業高等専門学校での助教授申請の研究業績の一つに挙げていた。波長2mの電磁波が蛍光灯を点灯するのである。教えた経験も無い電気磁気学を突然教える羽目になった頃のことであれば、もう物理学全体の理論に何らかの疑念を抱いていたのだろうとも思える。今自分の頭の中では、本当に困った状況にある。物理学理論のほとんどが(生命科学や情報技術等科学技術の実用的な面でのことではなく、教育現場での大学教育をはじめすべての教科書の、大仰な大理論という理論の中味が怪しい内容だと言う意味で)、自然科学の科学研究の求める真髄と言えるかとの疑いしか見えないのである。こんなことになった原点は何かと考えても、工業高等学校での実験棟のうす寒い中での半導体回路実験を通してのエネルギー感覚一つしか思い浮かばない。それと、人生全てが人には迷惑な存在でありながら、全くそのことに気付かない勝手気儘な言ってみれば典型的な『アスペルがー』と言える社会的に協調性の欠落した独自性が今日まで続いて来たと思える。常識的世間に従わない性格が、科学常識をも破壊する原動力となって来たことは間違いない。所謂社会の『逸脱者』と看做される危険と現実の狭間に生きて来た。ここまで来るのに、自分が反省しながらも社会常識に与する訳にはいかなかった。自分の愚かさを知り、『大愚』とは良寛さんが使った雅号だから、『小愚』くらいを使えばよろしいかとも。

「量子力学」とは何か?

「量子力学」とは何か?と自問自答をしてみたくなった。それは『オームの法則』-物理学解剖論ーの記事を書きすすめているうちに、エネルギーと空間との相互関係を纏めるために、「量子力学」の意味を確認したくなった。

私が時々読む本がある。SEEDS OF DISCOVERY 発見と創造 科学のすすめ W.I.B.ビヴァリッジ 著 松永俊夫・鞠子英雄 共訳 培風館。p.113 6社会活動としての科学 の扉に、「そのような発見がなされるとは信じがたく思えるが、一度その発見がなされると、それほど長いあいだ気づかれなかったことが信じがたく思える。まさにこのことこそ、まだまだ発見のための広大な余地が残されているという望みをわれわれにいだかせるものである。 フランシス・ベーコン『新機関』」という文章がある。何か私の現代物理学理論に対する感覚を代弁しているように思う。物理学理論の根幹をなす『電荷』、その『電荷』の存在を否定した事が上の発見に相当すると思う。東洋哲学的『削ぎ落とし』の発見と。

私が「魑魅魍魎の世界」で闇に紛れながら、押し黙って読んでいた本が「量子力学」に関する、本を読まない私にとっては特別に多い数の本である。今それらを開いてみると、あちこちに著者に対する反論や、賛意が書き記されてある。それらは今も殆ど変りない認識と思いである。紙文化としての『書籍』の価値がデジタル文化の画面には不可能な『書き込み可能』の点にあるといつも思う。

『量子力学』と言われる物理学の現代性を象徴する体系・学問性の意味をどのように捉えれば良いかと迷っている。それは自分が思う自然界の姿・物の理(コトワリ)と相容れないことが多い。

オックスフォード物理学シリーズ(柿内賢信 土方克法 監修 丸善)の何巻かを持っている。その中に、8 量子力学 (BASIC QUANTUM MECHANICS J.L.Martin )がある。そのまえがきの最初の6,7行の内容を読んで見た。私は、科学について日常生活者の視点で論じられ、市民的合意を得るものでなければならないと考えている。どうもその私の解釈と余りにも違うと思う。本文の中味は、多くが数学的記述であって、私が理解できない内容で残念である。そこに書かれてある『数学的表現と論述』は何か自然を描写する手法というより、量子力学専門領域に御都合のよい難しい壁の構築によって、専門外の一般市民を排除する権威のための学問らしさにしか見えない。

工業高等学校での『分布定数線路定在波実習』と「量子力学理論」 量子力学理論に疑念を膨らませた原因がある。その基は工業高等学校での教科『電子工学』を教えていた頃の話である。当時は気にもしなかった『観測実験の事実』がある。それは量子力学理論の意味を否定するものである。今、昭和55年2月1日の長岡技術科学大学から要請された、教育研究業績書に書かれてある一つに『分布定数線路実習に対する一考察』発行:昭和42年3月31日 発行雑誌等:新潟県工業教育紀要 第3号 概要:超高周波用送信管2B29を用いて160MHzを発振させ、1.6mmΦ長さ8mの裸銅線による特性インピーダンス500Ωの分布定数線路上に定在波を発生させて、電圧、電流の定在波を測定し、指数関数の数式の意味を実験を通して修得させる方法について述べた。と載せてある。その時は特に気にも掛けずにいた。今は、量子論に対して、その意味がとても大きな実験的発見である事を確信している。当時学生にも見せた実験であり、その概要を絵図にした。蛍光灯の定在波点灯

当時は他愛も無く、定在波分布定数線路の中に40ワット直管蛍光灯を差し込んだことでしかない。しかしその蛍光灯の線路に挿入した部分の付近で、蛍光灯点灯時に近い明るさで、部分点灯をしている事を確認した。特に電線に接続した訳でもない。傍に近付けただけである。さて、この実験の示す現象を「量子力学理論」からどのように解釈しますか。蛍光灯の点灯原理は、管内に封入された水銀が点灯初期に管端のフィラメントの熱で蒸発し、その水銀の放射紫外線が基に成り、蛍光灯内面の『蛍光分子』を励起して、その蛍光物質の放射光が可視光線となるから、その光を利用する電灯方式であると解釈している。水銀放射の紫外線波長は可視光線でなく、2537Å程度のものである。これは見えないので、蛍光物質の所謂量子力学理論に基づく励起現象を利用して、外殻電子の運動エネルギーに関する、周波数変換原理 h(ν1-ν2)=hν (可視光線振動数ν)等と説明される意味と解釈している。プランクの定数hに基づく光のエネルギーは振動数あるいは周波数で解釈する。すると、上の実験で蛍光灯が点灯する意味を考えて見れば、波長は2m、周波数は160メガヘルツで、可視光線の最大波長の7600Åに比較しても、量子論による解釈の理屈が付かないのである。分布定数の定在波の波長が2mで、全く蛍光物質を励起する様な振動数の意味は、即ち量子力学的な解釈の論理に乗る意味は見当たらない。この実験的現象を考える時、原子寸法と可視光線などの波長の寸法との関係をどのように解釈すべきかに悩まされている。何千倍の寸法の違いに当惑するのである。