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熱の物理

熱の概念
熱とは何か。熱はエネルギーの或る状態と解釈するだろう。それはどんなエネルギーか。日常の環境評価では温度と言う指標で熱の多さを捉えると言ってよかろう。例えば気体では、気体の熱エネルギー量を温度・気温として捉える。気体の熱エネルギーとは、物理学では気体分子運動エネルギー(気体分子運動論)として認識・解釈していると思う。この気体分子運動論が曲者に思える。その訳はエネルギーが質量に関係なくそれ自身で空間に実在しているものだから。光はエネルギーの伝播現象であり、質量はその光のエネルギーを論じるに必要ない筈だ。光が質量の運動エネルギーとは考えないだろう。その光の空間に実在するエネルギー像を物理学で認識していない処に問題の根源がある。

物理学理論(気体分子運動論)を斬る それでは、その気体分子運動エネルギーとはどのようなものを考えているのだろうか。気体にエネルギーが加えられると気体分子がエネルギーを吸収することになる筈だが、おそらく気体分子質量の速度の増加としてエネルギーを吸収すると物理学理論では解釈しているのだろう。何故気体分子が速度の増加を来たす事になるのか。気体を加熱したからと言って、分子の速度が上がる理由が見えない。調理用の圧力釜がある。加熱すれば、圧力釜内の水が蒸発し気体となる。加熱に因り圧力が上昇し水分子の圧力上昇としてボイルの法則の通り圧力エネルギーとして加熱エネルギーが蓄えられる。何も水分子が運動などする必要もない。蒸気機関でのピストンの仕事は水分子の運動エネルギーなど無関係で、水蒸気の圧力がその役割を果たしているだけである。水蒸気の圧力とは水分子が加熱によって体積膨張しようと内部圧力に変換されるから圧力上昇するのである。それが単純なボイルの法則による解釈である。水分子の運動速度など無関係だ。物理学理論でエネルギーと言うと、質量の運動エネルギーと位置エネルギーしか対象にしていないのではないかと誤解しそうになる。圧力エネルギーと言う概念が余り考えられていないようだ。ボイル・シャルルの法則も気体分子運動論としてボルツマン定数に因る解釈に終結している。圧力も膨張でなく分子運動速度に因る衝突力として捉えるようだ。気体の体積、水蒸気分子の体積膨張と言う現象は考慮されていないように思う。気体の発光現象も、気体に加えられたエネルギーが分子や原子に貯蔵され、その貯蔵限界を超えたエネルギーが放出されることと解釈できよう。原子の外殻電子の運動エネルギーが増減する解釈は意味がなく、間違っている。そもそも電子が回転していると考える必要など無い。電荷など無い筈だから。エネルギーと圧力の関係で一つ取り上げておきたい。海底1万メートルの水は静止状態でも途轍もない高圧に在る。その水圧も水の空間に蓄えられたエネルギーの筈である。さて、水圧だけではなく、海底の地殻深くになれば更に圧力が増していると考えられよう。その空間のエネルギーは特別の意味を持ち、日常生活での物理現象として関わることも無い異次元の世界の話であるが、圧力エネルギーであることには変わりがない。ただ、その圧力エネルギーと言う解釈が地球の中心核まで続くと解釈すべきかどうかを判断するべき根拠は不明だ。何も地殻が運動エネルギーの空間貯蔵帯とは考え難いという事からも、気体も同じように気体分子の運動エネルギーとして解釈すべきと言う論理性が見えないということである。当然気体の圧力分布に因り気体は流れて風を引き起すが、それは気体分子運動論でのエネルギーとは異なろう。温度の解釈には風は余り関係なかろう。

熱エネルギー 熱が物に蓄えられる時、物の質量の運動エネルギーの増加となるのではない。物の結晶格子等の空間に貯蔵されるエネルギーそのものの増加が熱の増加と言うことである。熱エネルギーは電気エネルギーや光エネルギーと同じく、空間に実在するエネルギーなのである。質量構造体の内部空間に貯蔵されて温度が高くなるのである。温度が高いということは、計測温度計にその物体から放射されるエネルギーが多いということであり、温度計に入射する熱エネルギーが多い準位で、温度計の出入りのエネルギーが平衡するのである。熱も電気も光もみんな同じエネルギーなのである。それは空間を占め、そこに独立した実在の空間エネルギー密度なのである。基本的に、熱とは光であれ電気であれ物に蓄えられたそのエネルギー量によって周辺空間に放射、伝導するエネルギー量が影響され、その量を計量する人の感覚や温度測定器の表示量として捉えるエネルギーの評価なのである。物のエネルギー量とその物の入射と放射のエネルギー平衡特性が比熱などの評価係数となっているのだろう。物の原子・分子の結合構造(勿論エネルギー還流のマグネット結合構造)でそれらの係数も決まると観て良かろう。

質量とエネルギー等価則

熱エネルギーとは 今常温でMo[kg]の鉄の塊がある。その鉄を加熱した。高温の鉄の塊からは熱と光が放射される。その熱い鉄の塊の重量を計ることを考えると仮定する。鉄の質量は計りに掛けると、加熱によって加えたエネルギー分だけ等価的に質量が増加する筈と考える。それが『質量・エネルギー等価則」の意味である。エネルギーは質量に等価である。しかしここまでエネルギーを実在物理量と捉える考え方は現代物理学の中に受け入れられるかどうかは分からない。高温の鉄の塊から熱放射・光放射が続く。その放射エネルギーは鉄の持つ熱エネルギーと等価な質量の一部をエネルギーとして放射するのである。『エネルギー』も質量と同じく物理的実在量なのである。と言っても、鉄の重量を計って、熱エネルギーに相当する質量・重量の増加した結果が観測など出来ることは無理であろう。熱エネルギーの増加分をほぼ光速度の2乗で除した分など計測に掛る筈はないだろうから。実験的に検証する科学的論証は無理であろう。それでも、原理的に熱エネルギーが質量と等価であるという意味は熱く加熱されたエネルギー分だけ質量が増加しているということである。同じ様に電気コイルに貯蔵される電磁エネルギーが有れば、そのコイル内に溜ったエネルギー分の質量換算量だけ質量が増加したコイルとなる。一般的な現代物理学理論で、エネルギーが質量とは無関係に実在するという認識がどの程度理解され、受け入れられるかははなはだ心許ない。化学理論でも同じく、原子構造で電子が外殻を周回運動しているとの捉え方をしている限りは受け入れ難い考え方であろうと思う。

 

フェーン現象の解剖

フェーン現象 日本列島の日本海側に太平洋側から山脈を越えて熱風が吹き下ろす現象などを言う。2017/09/18に台風18号が富山県から日本海に抜け南寄りの強い風が吹いた。その時、新潟県魚沼市小出で真夜中に気温の急上昇が起きたとある。午前0:40に24.8°cだったのが1時間後の午前1:46に33.1°cの猛烈な暑さになった。しかもその熱風は乾燥した空気の流れである。そんな時の恐ろしいのは失火に因る大火災である。

起こる原因 

フェーン現象  海から蒸発する水蒸気とそれを含んだ空気を運ぶ山越えの風が原因である。風上の山越えの空気は上空の冷気で水蒸気が雨となる。水蒸気が含んだ熱エネルギーは空気の中に取り残される。空気を運ぶ風が無ければ、熱エネルギーは空気中で飽和し熱爆発で雷となる。しかし風が空気を運ぶから、熱エネルギーを多量に含んだ空気は山を越えて風下の反対側に下り降りる。

熱エネルギー 熱エネルギー(熱素とも言った)は運動エネルギーとは無関係に独立した実在の物理量である。熱エネルギーは摩擦でも仕事量・摩擦熱として物を温度上昇させるエネルギー変換現象として現れる。乾布摩擦で体が温まる。温まった原因は皮膚が振動している訳ではなく、摩擦による熱エネルギーが皮膚を通して体に溜ったからである。熱エネルギーが身体の組織・細胞の質量体に溜ったからである。決して身体の質量が運動エネルギーを持った訳ではない。水蒸気は水分子が振動等の運動エネルギーとしてエネルギーを持った結果ではない。圧力(大気圧)と体積と温度(大気温度)の関係を持った、水分子の体積膨張として熱エネルギーを保有したからである。ただ水蒸気は他の気体分子とは異なり、アボガドロ定数の関係は当てはまらない特別な気体状態と看做されよう。理論での気体定数が当てはまらない、ボイル・シャルルの法則と湿度と水変態(気体から液体への急体積収縮)の複雑極まりない特性を水蒸気が持っていると観るべきだろう。水蒸気と気象現象の間に横たわる熱エネルギーの解釈が現代物理学の教育内容には適正に取り扱われていない。検索に表れるフェーン現象の解説には『熱エネルギー』の意味が認識されていない。

水辺の散策

水は風を生む 地球と言う生命の星。そこに繰り広げられる自然の営み。科学と言う解釈で読み解こうとしてもなかなか得心に至らない。科学には科学特有な法則という基準になる解釈法がある。気体分子運動論も現代物理学における解釈基準の一つであろう。分子質量が基礎概念となっている。『熱エネルギー』という実在物理量は存在しないと解釈するのだろうか。分子の運動エネルギーに因って温度や熱を解釈する手法が科学常識になっているように思える。地球の生命を支える水がある。水は常温で水の液体にも水蒸気の気体にもなる。産業革命の原動力となった蒸気機関がある。蒸気機関車という鉄の塊を動かす動力は水蒸気の力だ。この地上で、水蒸気に変わる動力を生み出す気体があるだろうか。他に水蒸気のような働きをする気体分子があるだろうか。水という気体分子が水蒸気である。光が特別な存在であるに匹敵する特別な存在が水・水蒸気である。

水は風を生む 水は地球を力で支配している。熱というエネルギーを力の基に変えてしまう。水蒸気という気体分子は特別の任務を天から授かった存在なのであろう。地球は海の水で支えられている。風にその本性が隠されている。

水を思って来た その過去記事を拾ってみた。

水に思いを  伝統的科学論には程遠い、巷の井戸端会議で話題にして楽しむような話かもしれない。『電荷』の存在に疑問を持ち、『温度』とは何かと不図思い付くに任せている内に、『光』は振動等している物理量でないと確信するに至ってしまった。こんな伝統的科学論や概念を理解できないで、勝手に反科学論のような道に彷徨いこんでしまった。実験室で取り扱わなくても、日頃の身の回りに繰り広げられる自然現象の中で「水」に思いを寄り添わせて観るだけで、抱え切れない不思議が詰まっている事を知った。水の妖精七変化(エネルギー) (2017/11/03) に纏めても見た。

ひとり思案の中の風

学術研究の能力も無く、科学常識、世間からかけ離れてしまった水辺に吹く風の匂い。

水蒸気と蒸気線図

水と熱エネルギー (印刷が出来ない?)物を燃やせば熱エネルギーに変換される。熱エネルギーを得る方法には酸素に因る燃焼以外に原子核分裂に因る方法もある。熱エネルギーは運べない。しかし発電所で電気エネルギーに変えれば、どこにでも運べる。水は熱エネルギーに因って魔法の力を生み出す。蒸気機関車の力強さがその証となっていよう。今は原子力や化石・石油燃料に因る汽力発電所にその水と水蒸気の関係で威力が示されている。海水加熱に因る地球温暖化の未来危機も含んでいるが。

火力発電所と蒸気線図

火力発電所と蒸気線図 2012年に風とは何かの記事での図。蒸気線図p-v動作特性と発電所系統図との関係を示した。しかし、p-v線図での蒸気の状態がどのようであると解釈すれば良いかが分かり難い。水蒸気の特性を理解できないかと考えてみた。

蒸気線図の意味 水H2Oは水蒸気になればそれは気体と観られる。窒素や酸素の気体分子に水の持つ力を期待は出来ない。水と熱エネルギーの間に隠された不思議な世界である。空気中では水または水蒸気は湿度という気体分子と見なされる。水蒸気を呑気に気体分子などと気体分子運動論で解釈していてはいけない筈だ。何故ならば、酸素と水素の結合分子の水H2Oは熱エネルギーに因って特別の世界構成体として際立った特性を示すから。その意味を読み解こうと取り上げる具体的例題に蒸気線図が良かろう。しかし、発電所の蒸気線図を読み解こうとしても、なかなか理解困難である。そこで、蒸気線図(ランキンサイクル)に似合う機関模型を考えてみた。

動作模型 圧力一定で、水を加熱して乾き度0%(3)から100%(4)の水蒸気、更に高温の過熱蒸気(5)として、その蒸気でタービンを回す断熱膨張(5-6)に因るエネルギー動力変換。その水蒸気の動作模型。水には臨界点(圧力225気圧、温度374°c)がある。線図の臨界点から3-1の線が水から水蒸気になる境界の飽和水。臨界点から4を通る点線がすべて水蒸気100%の飽和蒸気線。臨界点は水と水蒸気が同じ密度1000[kg/㎥]の乾き水蒸気。

蒸気線図と蒸気 p-v線図の2-3-4-5はボイラーBで水から水蒸気更に過熱蒸気までの水の加熱過程である。しかもその間は圧力一定である。その加熱区間の蒸気状態の変化過程を持つボイラーを考えた。ボイラー上部に密閉した可動蓋(断面積A[m^2])を設け、その上に加圧荷重W[ton]を掛ける。ボイラ内は常に一定の圧力状態(p = W/A[ton/m^2] 0.1W/A 気圧)に保たれる。はじめはボイラータンク内が空で、バルブVtを閉じる。次に給水加圧ポンプPにより水が満たされた時点で、バルブVpを閉じる。その時ボイラ内は蒸気線図2の動作点で、蒸発しない水だけで満たされる。ボイラの点火で加熱が始る。水の温度が上昇し、p-v線図3の温度 t [°]の飽和水となる。水が蒸発し始める。炉内の温度はt[°]のまますべて水蒸気になり、乾き度100%、飽和蒸気の4に至る。その蒸気を更に過熱し圧力ほぼ0.1W/A気圧のままで、温度だけ高い過熱蒸気の5となる。そこでバルブVtを開放すれば、タービンを通した断熱膨張による熱エネルギーの動力変換動作をさせることが出来る。復水器Cで蒸気を冷却するからタービン内に大きな気圧差を生みだせ、タービン羽根への強い蒸気力を働かせられ、エネルギー変換が有効に機能する。しかし復水器での大きな熱エネルギー損失(総エネルギーの半分ほど)を宿命的に持つ機関でもある。

水の力と蒸気線図 上の模型で一つの解釈法を示したが、蒸気線図の3から4において、3で全ての水が同じエネルギーで蒸発しその後すべての水蒸気が同一のエネルギー状態で徐々に飽和蒸気5に到達すると解釈したものである。その蒸気線図に示されるような特性を持つ水は、構成元素の一つの酸素という熱エネルギー変換という特別の燃焼性で際立っているものと、水素という最小質量形態元素の極めて不安定状態にあるものとの結合分子として捉えたとき、それを他の気体分子と異なる分子の特殊性を秘めたものと看做したい。そう捉えなければ、水の秘めた力を納得することが出来ない。高熱エネルギーを含んだ水蒸気が水に凝縮することで、放出する熱が空間で限界放射の雷現象を引き起こしたり、あるいは乾燥空気の山越えのフェーン現象を引き起こしたりそんな現象の発生につながる意味を理解できないのである。台風、竜巻や豪雨災害も水・熱・水蒸気の成す現象である。

焚火の科学

追記(2018/06/02) 燃焼の不思議。焚火の科学などと記事にした。後から考えるとまた分からない事が増えた。焚火は古代からの人の生活文化でもあった。現代では焚火は生活からほとんど消えた。残ったのは炭素と酸素の化学反応方程式だけのようだ。温かみも無く、ただ無味乾燥な記憶の科学理論だけである。薪が何故燃えるのだろうか?炭素と酸素が結合して、炭酸ガスになると何故熱エネルギーが発生するのだろうか。科学理論の本来の有るべき意味は何だったのだろうか。自然現象を前にして、その因って立つ原因や本質を自分の心に納得出来るかを求める作務ではなかろうか。化学方程式で書き表されただけで、何故燃焼が起き、熱エネルギーが発生するかを得心出来るのだろうか。その求めるべき科学理論の有り方を考えて来なかったのではなかろうか。決して『電子』では得心には至らないと思う。

燃焼の不思議 燃料が燃焼して熱エネルギーを発生する。酸素と薪が有っても決して燃焼しない。化学方程式には何の燃焼の条件も示されていない。発生する大事な熱エネルギーさえ無視されている。燃料電池が最先端科学技術として研究開発されている。水素元素の放射スペクトラムは物理学基礎理論として仰々しく論じられてきた。しかし燃料電池の水素の燃焼条件は理論的には何も分からないのではなかろうか。実際は技術として確立しているから、どのような温度とかどのような触媒で有れば効率が良いとかは分かっているだろう。その条件の訳が理論的に分かっているかと言うことが科学理論の求める姿であろう。その水素の変化とか酸素の変化とかが無ければ特別燃焼、酸化反応の環境条件など必要ではない筈だ。元素が化学反応する為に変化する条件が必要な訳であろう。薪が燃焼するに必要なその環境がある。熱エネルギーに因って蒸気ガスにならなければ燃焼には至らないという物理的条件がある。持続して熱エネルギーを採り出すにはどのような条件が必要かを明らかにすることが科学理論として求められている事ではなかろうか。『電子』では説明できない筈である。燃焼の条件を満たした炭素や酸素は、それまでの前の状態と異なっている筈だ。炭素や酸素が燃焼可能条件に達するに必要な熱エネルギーを吸収して、その後に燃焼反応に至る訳だから、その差の熱エネルギーが有効に利用可能な熱エネルギーになる訳である。燃焼の自然現象を理解するという意味には、そこにとても複雑な内容を含んでいるということを理解する必要があろう。少なくとも熱エネルギーを付け加えた方程式で表現する必要があろう。熱エネルギーを『電子』で理論的に説明できれば良いのだが?御免なさい、電荷を捨てて、元素ってどんな構造をしているのかと考えるから益々混乱した事を書いてしまうのだろう。済みません、過去に同じような記事焚火と蝋燭を書いていた。

焚火をすれば、周りの人は暖かくなる。その自然現象を表現してみよう。大雑把に考えてみた。(2018/10/18)追記。この記事を書いた後、最近になって初めて知った。高等学校の化学では、化学反応式にエネルギーが示されていることを。エネルギーと結合にも述べた。従って以下の記事は時代遅れの知識の基での内容であり、大変失礼なことで申し訳ない。少し安心した。

C + O2 = CO2       (1)

焚火の燃料を薪とすれば、その主な燃料成分は炭素 C であろう。炭素の燃焼には酸素が関わる。炭素と酸素の燃焼の化学式は上のように表される。学校で学習するのはこのような式の意味を理解することであろう。

さて、焚火をして寒さを凌いで温まるのを目的とする。その自然現象を式に表すとしたらどうなるか。上の式では温まれない。何が足りないか?体を温める焚火の炎から放射される光や熱線が式には表されていない。

C + O2 = CO2 + [光・熱エネルギー]    (2)

化学方程式には『エネルギー』が書き表されていない。大事な物理的自然現象の意味はその『エネルギー』にある。炭素Cと酸素分子O2が結合して炭酸ガスCO2となる。(1)式と (2)式の違いは[光・熱エネルギー]の有る無しである。化学式の左右が等号で結ばれている意味は左右の表現する科学的内容が等価であることと認識している訳である。

何が等価であるか 炭素も酸素もその元素記号で示す内容が同じものとしたら、即ち質量などが等しいとしたら、[光・熱エネルギー]を付け加える訳にはいかないのである。しかし自然現象に隠されたものは、左右の炭素、酸素が決して同じものと考えてはいけない事である。[光・熱エネルギー]分だけ炭素と酸素が化学結合することに因って、素の炭素と酸素とは異なったものであると考えなければならない。[光・熱エネルギー]で暖を採れるのだから、それは確実に実在している物理量である。この『エネルギー』を書き表さない化学式は間違っている。

鉛蓄電池のエネルギー 鉛蓄電池はとても優れた『エネルギー』源である。その『エネルギー』源としての化学式を書いてみましょう。

Pd + H2SO4 = H2 + PdSO4

H2 + (1/2)O2 = H2O

と化学式では表現される。

さて鉛蓄電池の『エネルギー』はどこに行ったのか?利用するべき『エネルギー』が何処にも無いのである。焚火の場合は、温まるという実感が分かり易い現実としてあるから、[光・熱エネルギー]を付け加えることが必要とは理解出来よう。しかし、鉛蓄電池になるとちょっと説得するのが困難なほど、科学理論では『エネルギー』の意味が良く理解されていないようである。上の硫酸と鉛の化学反応式には必ず『エネルギー』が付け加えられなければ、科学理論式とは言えない筈だ。

むすび 電池の化学式には『エネルギー』が書き加えられない限り、理論式として不完全である。その『エネルギー』の意味を焚火に託して一言述べた。電子は『エネルギー』ではないのだ。

電池における電子の役割を問う

はじめに 半導体のpn junction (pn接合部)のエネルギーギャップの意味を考えてみた。電池の意味との関連を考えた。電池の原理を問う (2014/11/27) があった。

電池電圧とエネルギー 電池はエネルギーの貯蔵庫であり、エネルギーの供給源である。人の思考における常識が如何に自己に立ちふさがる障壁となるか。すべてが『エレクトロニクス』の支配する世界に居る。その語源でもある『エレクトロン(電子)』の存在の意義を問うことになる。人は高いことを低いより有利と考えがちであろう。電圧が高ければ高い程、それは影響力が強いと考えるだろう。電圧が高いという表現は良くないのであるが、技術用語としては電位が高いとなろう。科学技術用語の持つ常識に『電圧』が有り、プラス極とマイナス極でその電圧の高い方と低い方を区別している。電池はエネルギーの供給源であることは誰もが知っていよう。しかし、誰もがその『エネルギー』とは何かを知っているかと問えば、さて答えられるであろうか。答えられなくても、決して気にしなくてもよい。『電子』に因って解説している人は殆ど『エネルギー』の意味を考えていない人が殆どであるから。ましてや化学方程式に因って解説する場合は、殆どその方程式の変換過程の中でその空間に実在する『エネルギー』を意識することは無い筈である。乾電池も蓄電池も+端子から電流が流れて、負荷にエネルギーを供給すると考える。しかし電流と言うものが電池のエネルギーを負荷に運ぶことなど出来っこない。電気理論では、電池のマイナス端子から電子が導線の中を流れて、負荷を通り電池の+端子に戻ると解釈している。電子の逆流が電流であると電気理論の常識が世界の共通認識になっている。それではその電子が電池からエネルギーを負荷に運ぶか?と解説者に問えば、答えないであろう。『電子』あるいは『電荷』に『エネルギー』をどのような意味で結び付けて解釈しているかが明確ではなかろう。2年程前に電圧ーその意味と正体ー (2016/05/15) に纏めてあった。

電池のエネルギー供給端子は-極である 直流の電気回路はプラスとマイナスの2本の導線でエネルギー供給回路が構成される。電池からのエネルギーは-極から送り出される。プラス側の導線は殆どマイナス側のエネルギー供給を支える脇役と考えて良い。負荷にエネルギー供給時、プラス側導線を通して電池へエネルギーは戻らない。電池のプラス端子はエネルギー供給に直接関わらない。電池の負側端子からエネルギーは放出され、負側導線近傍空間を通して主に負荷までエネルギーが伝送される。勿論導線の金属内などエネルギーは通らない。電池は-極がエネルギー放出源である。そのエネルギー(電気や熱あるいは光)を陰極線や電子と考えてきたのである。

エネルギーを運べない電子(科学的願望との乖離) 原子核の周りを回転する電子で世界の構成源を捉える原子像が世界標準である。電子が回転すると解釈する科学的根拠はどこにあるのだろうか。『電荷』否定が結局とんでもない現実にぶつかってしまった。科学理論の根源さえ信用出来ない自己を観る。そんな意味を卑近な日常生活の電池の意味に探し求めて見ようと考えた。簡便な科学的解釈を示すに『電子概念』がとても便利であろう。電池のマイナス極から電子が外部回路を通りプラス極に戻ればすべてが説明出来たことに成る。その不思議な論理が科学論理の正当性を世界標準として認められるのだから。 『エネルギー』を置き忘れていませんか? 電池はエネルギーの供給源です。電子論であれば、電子がそのエネルギーをどのように負荷に届けるかの問に答えてこそ科学論と言えるのではないか。そこに電子の実像が問われることに成るのです。電子の特性:質量me=9.1083 ×10^-28^ [g]、 電荷e=1.60206 ×10^-19^ [C] と質量と電荷の混合素粒子。この桁数の算定基準の厳密らしさと混合空間像の認識不可能の不思議に包まれている電子。電子が背負い籠に『エネルギー』を入れて負荷まで届けるのですか。帰りは『エネルギー』分だけ身軽に成ってプラス極に帰るのですか。 『エネルギー保存則』とはどんな意味なんですか。 『エネルギー』が観えますか?そこで、エネルギーに対して電子に求めると無理に仮定した時の科学的願望を絵図にしたみた。

電子の責務と珍道中 電池はエネルギーの貯蔵庫である。そのエネルギーを負荷で利用する訳だ。どのようにそのエネルギーを電池から負荷に届けるかを科学論として完成しなければならない。高度の量子力学は電子に重い責務を課しているように思える。太陽光発電で電子にどんな物理的機能を果たして欲しいと望んでいるのだろうか。電子がエネルギーを担うべき責務を無造作に要求しているようである。電子の身に成ってその心情を汲んで少し考えてみた。電池も太陽発電パネルも電源としては同じものである。ただ太陽発電パネルは負荷の前にエネルギー貯蔵庫に繋がっている。負荷の影響は直接受けない。さて電池のエネルギー貯蔵庫からどのように負荷に必要なエネルギーを供給するかを考えるべきだろう。検索で電池の原理を尋ねると電池のマイナス極から化学方程式の反応によって、電子が外部導線を通って陽極に廻り込み、その電池内で電荷を遣り取りして解説が終わっている。電子は何の為に負荷を通ったのか。 『子供の使いじゃあるまいし、ただ通り過ぎるだけじゃ理屈も通らぬ!!』 何故電子が通り過ぎるだけで電池からエネルギーが負荷に届けられると考えるのだろうか?電子は何故マイナス端子から導線を通ってプラス端子に行くことが出来るのだろうか?電子の移動はどんな理論で可能だったか?電界と電荷の関係は無視されても理屈が通るのか。上の図は電子に御足労願う訳だから、その科学認識に寄り添って何とか電子の責務とエネルギー運搬の道筋を考えて描いた図である。電子の(行き道)は、重い責務に喘ぎながら。負荷にエネルギーを届けた(帰り道)は、身軽に成って鼻唄まじり。そんな電子に期待された仕事の責務が想像できる。電子も行きと帰りで異なる姿に。しかし、量子力学には背負い籠でエネルギーを運ぶ意味はない。むしろ質量に頼った運動エネルギーの増加で電子がエネルギーを身に纏う意味に似ている。その場合は電子の帰り道は速度の遅い電子の姿を描くことに成るのか。当然理屈の通らぬ無理な道理ではあるが。もう一つ、化学方程式で『電荷』の辻褄を合せようとしても『負荷御殿の主から必要なエネルギー量が発注される』のである。エネルギーの発注に合わせたエネルギーの発送をしなければ電源・送配電線路・負荷間の辻褄が合わなくなる。勝手に化学方程式に従って、電子を送り出す訳にはいかないのである。負荷の要求をどのように電池側で処理するかが極めて重要な瞬時電力の話に成るのだ。電子に自動的にそんな責務まで負わせては酷と言うものだろう。

電子にエネルギー伝送責務は無理な注文である 電子は不要である。電池からのエネルギー(熱エネルギー即ち電気エネルギー)そのものが負荷の要求に応じて電線路空間内を伝送されるのである。電子不要の科学論。

非力学的エネルギー(エネルギー論)

エネルギーの実在性 世界を構成する根源要素は何か?それを論じる学問は物理学の中でも、素粒子論の分野であろう。素粒子と言う用語感覚から、それは粒子的な意味の物を連想する。『質量』を基本的に含意したものに思える。それは力学的エネルギーに関係した、何か運動エネルギーを伴う現象で捉えられるように思える。『質量』に基づく運動力学論の対象として捉えられるものであろう。そこで不思議に思うのである。光は『質量』を持たないと考えられるから、素粒子論の対象には成らないのかと?即ち光は素粒子ではないと定義しているのか。光は世界を構成する根源的『エネルギー』である。『質量』を論理構成の基礎に据えた場合のエネルギー論は、そのエネルギーを力学的エネルギーと言って良いように思える。それに対して、もう一つの分類に入る『エネルギー』が非力学的エネルギーと分けて捉えて良かろう。世界の構成要素の根源はその非力学的エネルギーに託されているように考える。

エネルギーとは何か その『エネルギー』とは何かと多くの疑問と質問があるようだ。それは子供達に教育する側が、子供達が納得するだけの『エネルギー』の意味を噛み砕いて教えるだけの理解に達していないからではなかろうか。高等学校物理の解説で、『物が仕事をする能力』と定義らしい説明をしている。この『物』とはどのような物を指すのか。最近は余り『人』は仕事をすると言っても機械化されて肉体的重労働は無い。だから『物』は人ではない『質量』を持った『物』の意味であろう。ロケット打ち上げ時の燃料燃焼現象での『噴射反発力?』などか。実際、『エネルギー』について人によってその概念をどのように捉えているかを推し量るのさえ簡単ではない。とても曖昧なように思える。『エネルギー』は身の周りから、あらゆる自然世界に満ち溢れている。そのエネルギーを人は認識しているのだろうかと疑問に思う。何か理科教育での教育する側の『エネルギー』の認識に大きな原因が潜んでいるように思われてならない。

非力学的エネルギー こんな用語は使われてはいないだろう。だから検索に掛けても力学的エネルギーの解説しか出て来ない。非力学的と言う用語に込めた意味は文字の通り、運動力学の『質量』と『力』の関係に基づく方程式から求められる『エネルギー』即ち運動エネルギーと位置エネルギーの和とは異なる別の『エネルギー』を念頭に置いて考える為の用語である。代表的な例を挙げれば、光や電磁エネルギーあるいは津波エネルギーがその対象となろう。えェ!「津波エネルギー」が力学的でないと言うのか?と驚くだろう。それでは海洋を伝播する「津波エネルギー」をどのように運動方程式で表現しますか?海の海水と言う『質量』が運動する訳ではないでしょう。津波エネルギーの本質は確かに力学的なエネルギーなのであるが、物理学の教育的な内容として認識されていないのではなかろうか。この「津波エネルギー」をまとめに考察対象として取り上げたい。光や電磁エネルギーは明らかに力学的でないとすぐに理解できよう。『質量』の運動でない現象の例をエネルギーの速度に挙げた。兎に角非力学的エネルギーの意味がどんな意味かは力学的エネルギーの意味を明確にしておく必要があろう。それは、質量スカラーm[kg]、加速度ベクトルα[m/s^2^]そして力ベクトルf[N]の間に成り立つ運動方程式

f=mα

によって記述される『エネルギー』の解釈対象のものと言えよう。

物が仕事をする能力 『エネルギー』とは何か?の問いに対する解説として挙げられている。この記事を書きながら正しくこのように定義する物理教育の『エネルギー』に対する認識に問題があると気付いた。我々が生活するこの地球上の大気圧についてである。空気の気体に因って生命活動の基盤環境が整えられているのが大気圧である。1気圧の空間1㎥の保有する『エネルギー』は約101キロジュール程である。この1気圧の大気圧の意味を仕事をする能力とは考えないと思うが如何ですか?一応その空気も物ではある。しかし、その物が仕事と結び付くと考えるには深く哲学的な思考を要するように思う。地上の生命を育み守る仕事と言う意味で有ればそれは空気の仕事と考えても良かろう。物理学教育でこの大気の『エネルギー』を認識しない限りは「津波のエネルギー」の認識には届かないであろう。またこの空気も地球の自転運動から考えれば、地球とほぼ一緒に運動しているから運動エネルギーを持ってはいると見做されよう。人の日常生活に対してこの自転や公転に因る運動エネルギーは確かに仕事をする能力には入れて解釈することはないだろうが。

力学から非力学的エネルギーを観る 水力学の圧力水頭も力学的な概念である。海底1万メートルの空間保有エネルギーも力学的な意味の概念である。身の回りの空気の1気圧も水柱高さ10.33mの重さと釣り合う気圧にある。人の体もその気圧に因って押し潰されることなく、それと平衡して生命活動を営んでいる。物理学の力学と言うと、どうしてもある塊状の質量を対象にした運動論に限定した解釈に囚われているように思われる。何か余りにも世界認識の狭さが気掛かりなエネルギー論に思えて、それで良いのだろうかと疑問が膨らむ。空間エネルギーの一つの存在形態の評価基準『気体温度』も気体分子の質量の運動エネルギーで解釈する気体分子運動論が現代物理学の科学常識理論になっている。温度の解釈に気体分子運動論は感覚的に受け入れ難い。すべて力学的な『エネルギー』は質量に付帯し、その質量と共に移動する量と認識しているように思える。水圧のエネルギーは具体例で「津波」の伝播現象に現れる。水圧も水力学での力学的エネルギーでありながら、質量の運動エネルギーではない。『津波』も水と言う質量が速度を持つ訳ではないから運動力学の運動エネルギーではない。『津波』は水の持つ圧力エネルギーが水媒体空間を伝播する現象である。運動方程式に乗らない水力学のエネルギーである。『エネルギー』が独立した物理的実在なのである。非力学的エネルギーとは、質量の移動を伴わない光や電磁エネルギーあるいは熱エネルギーなどを指す。体温も非力学的エネルギーである熱エネルギーの評価量である。そこに、空間媒体の質量に関わりながら、その質量の運動や移動に伴う『運動エネルギー』や『位置エネルギー』とは異なる『エネルギー』を非力学的エネルギーに分類した。しかしその津波の『エネルギー』は本来は『力学的エネルギー』に分類されるべきものであるが、理科教育での重要な『エネルギー』として認識すべきと言う意味で、『非力学的エネルギー』として取り上げた。

 

白熱電球のエネルギー変換原理は?

電気物理とはどのような内容を指すかと考えた。電気磁気学は電気技術論であり、電気現象と言う自然現象の本質を捉えた内容ではない。エジソンの発明として有名な白熱電球の発光現象はどのような物理現象と捉えるべきか?それは電気物理になろう。電気抵抗の単位『Ω』とはどのような概念なのかを知らなければならない。白熱電球の原理はタングステン(W)フィラメントの二重コイルにある。

フィラメントの物理概念 白熱電球はタングステンのコイルを真空の中にガラスで囲み電気エネルギーを供給して、光源とする最も初期の電気技術製品である。灯りが油を足さないでも出来る画期的な発明であった。そんな白熱電球の技術を物理現象としてどのように捉えれば良いかは教育的にはとても大切な意味を持っている。

二重コイルと熱エネルギー 何も量子力学を持ちださなくても白熱電球の原理くらいは解釈できなければならないだろう。木炭に電気を通せば光を発する。電気式木炭暖房。同じ様に焚火と蝋燭 (2013/02/03) がある。空気中だと燃焼するから、真空のガラス容器に封じ込めた。それでも寿命がある。幸いタングステンと言うとても熱に強い材料があった為に白熱電球が長く照明の役割を果たしてきた。フィラメントは二重コイル構造で出来ている。効率良く発光させるための技術である。原理は電熱器と同じである。抵抗体に電気エネルギーを供給するのであり、その貯蔵エネルギー量が大きくなると高温度になり遂には光変換・放射現象に進む。電線をコイル状に巻けば、電気エネルギーを貯蔵する機能のインダクタンスになる。フィラメントと巻数、形状を同じように二重コイルにして電源に繋いだらどんな現象が起きるかこっそり隠れて試してみたい。タングステンで巻けば抵抗で、導線で巻けばインダクタンスとは言えないのじゃないか。抵抗回路要素にはオームの法則と言う立派な技術法則があり、電気現象はその法則で良く解析し、理解できる。抵抗の単位が[Ω]である。その意味を考えた記事『オームの法則』-物理学解剖論ーがある。白熱電球と言う立派な電気製品の物理現象を確認したいのである。抵抗は電気エネルギーを熱に変換する機能を持っている。白熱電球のフィラメントも抵抗で、電気エネルギーを熱エネルギーに変換するのが基本原理である。更にその熱エネルギーに変換すると同時に光に変換する現象を備えているのである。さてここで、熱エネルギーと光エネルギーの違いを現代物理学理論ではどのように捉えているのかを明確に確認して置かなければならない。この場合も質量は全く必要としない筈である。『電気エネルギー』→『熱エネルギー』→『光エネルギー』の変換の過程を物理学理論でどのように解釈するかを知りたい。このエネルギーの間に違いが有るか、無いか。 (2018/03/26)追記、質量は全く必要としないと言うのは間違いである。『光エネルギー』も光になる前は『熱エネルギー』であったとも言える。その『熱エネルギー』は物体の質量体に捉えられた自由を束縛された状態の「エネルギー」と観るべきかもしれない。更に『電気エネルギー』も電気回路要素の構造体や電線路導体に因って束縛された空間内での光速度伝送特性の『エネルギー』であると言える。だから質量を必要としないと言う表現は正しくは無い。ただし、『運動エネルギー』や『位置エネルギー』のような『質量』に付随したと言う意味での質量と言う意味ではない事を指摘しておきたかったのである。その上で、これら三つの『エネルギー』の間に違いがあるだろうかと尋ねているのである。出来たら実在しない『電荷』等は理論に使わないで示して欲しい。

二十世紀の科学理論と教育の未来 過去100年間の科学技術の進展と、唱えられた科学理論が互いに合理的で整合性のとれた関係にあったかが問われていると思う。確かに自然世界の華やかな多様性を見れば、その複雑な原則を説き明かそうと細分化した視点での科学研究が時代の流れとなる背景・要請にあるのも事実である。しかし、教育の場ではもっと根源的で、広く応用の解釈に広がる根本的な自然現象の根底にある眞髄を考えさせるべきではなかろうか。そこには『エネルギー』の実在性を如何に理解させるかが要となろう。『熱』の正体 (2014/5/15)にも述べた熱エネルギーが質量運動や電荷との関係なしに、実在する物理量であると。

体温とエネルギー

エネルギーって何だろうか? またも同じような事をと眉を顰(ヒソ)められそうだ。

分子とエネルギー 書き初めのネタも尽きたので、体温の意味を考えながら感覚に浮かぶ空間像を筆にした。

体温はエネルギーの貯蔵量に因ると観る。身体全体に分布したエネルギーである。細胞の隅々にまで貯蔵されたエネルギーである。光も熱も同じエネルギーである。熱を奪って冷凍すれば、体温は低下し細胞の機能は失われる。温度とはその物体に蓄えられたエネルギー量の評価指標である。エネルギーの貯蔵容量はその分子や細胞の空間構造によって違い、指標の温度も異なる筈だ。それが比熱と言う特性値になる。燃料電池は酸素と水素の結合でエネルギーと水を作り出す。そのエネルギーと同じエネルギーが体全体に貯蔵されているのだ。おそらく細胞自身がその機能を発揮するに必要な環境を整える為に、自動的に発熱と水を作り出していると考える。そのエネルギーを検出しようとしても体温としてしか計測できない。光のエネルギー分布波形を計測できないと同じことであろう。だから『エネルギー』とは何かを確認したいのだ。決して質量の運動エネルギーや位置エネルギーではない『エネルギー』だ。古くは『熱素』と言ったらしいが、質量や時間あるいは寸法、体積と並ぶ物理量、いやもっと根源的な世界を構築する基本物理量なのである。それは素粒子に相当する物理量だ。決して振動する気体分子運動論などのような筋肉の振動で解釈してはいけない物理量なのである。運動エネルギー的解釈はしてはいけないのだ。熱エネルギー量はジュールと言う単位の質量mのmc^2^[J]と等価変換し合う同じ物理量である。体温は体温と身体活動エネルギー「理科基礎(仮称)」を想定してでも取り上げた。

磁気共鳴画像(MRI)と水分子

はじめに 前に磁気共鳴画像(RMI)診断法の原理を知りたくての記事で疑問を記した。6年程前である。今までに電磁気学と言う物理学の知見を現場の電気工学の技術的感覚を基に、納得出来るかどうかを自身に問い続けてきた。電気回路や電気要素のコンデンサなどのエネルギーに対する機能をその現象と照らし合わせながら考察して来た。ほぼ電磁気現象の本質が『エネルギー』一つで統合的に捉えられるようになったかと思う処に辿り着いた。光と熱エネルギーまた質量もみんな『エネルギー』の自在に変換する姿の場面でしかないと思う様になった。そこに水と言う分子および水素の際立つ特性がエネルギー処理の根底に重要な役割を成しているように思えてきた。

体の細胞組織とエネルギー特性 人の体はそれぞれ異なる細胞組織が境界を持って接しながら全体の隅々まで統合された生命体として輝いている。科学で習う世界の根源は原子と言う単純な単位の組み合わせとしか見えないにも拘らず、その構成するたんぱく質の分子構造がすべてを取り仕切っていると思えば、単純が如何に複雑な姿で実在するかは恐ろしい感覚にもなる。更に思う事は原子も決して変化しない訳ではない。『エネルギー保存則』の原理をどのような意味で解釈するかも議論になろう。ダイヤモンドの誕生のお話が『おとぎ話』になれば、それは不思議な世界を作る筈だろう。丁度シンデレラ姫の物語に似て、基は人に嫌われる塵溜であったなどと。水素も始めから、また行き着く先も水素とは限らない。原子も変転する一時の姿でしかなかろう。『エネルギー』一つも、その実在する姿は人の観方で決まる。光をエネルギーとして見るに、振動数で解釈するかどうかで理解が違う。人の生命の全体を取り仕切っているものは何だろうかと愚にもつかない妄想の先にはやはり『エネルギー』しか見えない。脳が取り仕切る信号は『エネルギー』しかないだろう。脳から制御物質を送るには荷が重過ぎよう。エネルギーの縦波信号波形しかない。脳が受け取る外界情報も縦波のエネルギー信号波形しかない。体温も気体分子運動論よろしく、細胞分子が振動している訳ではない。電磁波と言うエネルギーの縦波密度分布波形の信号波の貯蔵量である。体温も細胞内に貯蔵されたただエネルギー量の指標である。細胞の活動を保つに必要な生体環境としてのエネルギーレベルである。その波形を観測できれば良いのだが、神経細胞・骨格細胞を伝播するほぼ光速度伝播のエネルギー分布波形を見ることは残念ながら無理であろう。磁気信号、電波信号はX線、マグネットで医療機械で多用されている。みんな同じ縦波のエネルギー密度波である。身体にもその生命活動を担うあらゆる情報や体温などがエネルギーであると言う意味でお馴染のエネルギー信号波である。X線は少し負担が大きいだろうが。『エネルギー』の物理的実在性の意味を伝えたい。

エネルギーと水分子・水素 雷は熱爆発現象と言った。『電荷』は必要ない。水蒸気が上空寒気によって体積収縮時に放出した熱エネルギーの貯蔵限界越えの爆発現象である。空間貯蔵の熱エネルギーの光変換放射現象である。白熱電球で、コイル空間の熱エネルギーが光変換放射されるのと、原理は熱から光への変換現象として似通ったものと見られる。水は熱エネルギーとの特別の相性で日常生活に君臨している。生命の水は細胞と共にある。中でも水素の比熱は14000[J/kg K]と他に比して一桁高い。水の妖精七変化(エネルギー) は水の電気分解について考えた記事だ。MRI やCTの医療診断装置はX線を含めて電磁エネルギーを人体細胞に照射して、その細胞の吸収エネルギーに因る分子構造の形状変化歪みの回復現象を利用した放射エネルギーの違いを検出する基本手法と考える。水分子や水素のエネルギー吸収・放射反応の物理的意味が分かれば、ほぼ誰でもその医療装置の基本的原理が理解できるものと思う。難しい2分の1の電子スピンなどで頭を悩ます必要もなかろう。もっと単純な原理である筈なんだ。ここでのエネルギーと水分子・水素の関係を理解するには、先ず電磁気で電界と磁界と言う二つの物理概念がどちらも『エネルギー』の見る観方の区分でしかなく、一つの『エネルギー』であると言う単純な自然の姿であると認識することであろう。横に触れる波など無い事を理解するべきである。単純な『エネルギー』の姿を認識して欲しい。電荷やプロトンなどと複雑な概念を使わなくてもよい筈だ。

水素スペクトラムと画像検出 MRIの原理の解説が載っている。その原理を知りたいと思うが、装置の構造に対して印加電磁界の方向と磁場強度などが知りたい。超伝導磁石の磁界ともう一つの磁界が互いに直交して加えられるのかと勝手に解釈する。何テスラと言う磁界とあるが、変圧器用ケイ素鋼板の最大磁束密度でも1.5[T(テスラ)=(Wb/m^2)]程度であるから、たとえ超伝導磁石でも装置の空洞内の磁界強度はそんなに高くはならないだろうと言う感覚であるが、3テスラ等と言うと想像できない強度だ。装置内のコイル近傍で、身体に掛かる磁界強度はどの程度なんだろうか。その数値が知りたい。簡単に解釈する概要は、MRIとは静磁場の磁石と超電導磁石の断続磁場の直交した磁界間での被測定体(患者)へのエネルギー照射の断続により、身体からのエネルギー放射信号を検出して、計算機データ処理に因る身体各部の断層写真データを収集する手法の装置と理解している。そこでMRIの物理的原理はどのような事なのかを知りたい訳である。少しは電磁気現象についての専門的な感覚でもって考えたい。水素原子プロトンの歳差運動と言うのが重要な原理に成っているように解説されている。MRI-新潟大学 にその内容が詳しく解説されている。

水素原子核プロトンの歳差運動とはどのような意味か? 残念ながら筆者にはプロトンの歳差運動と言う意味が理解できないのだ。科学技術応用の原理と言う本質としての物理学的理論は余り当を得ていないように思えるから困惑してしまう。地球ゴマの歳差運動に関係付けても、プロトンが磁界によって歳差運動しなければならない訳が理解できないのだ。水素原子が比熱では他に抜きんでて高い特性を持っている。高い比熱とはエネルギーの吸収量が大きいと言う事である。水がエネルギーの吸収に於いて際立っても居る。水と水素は切り離せない程エネルギーに対して特異性を発揮する。おそらくそれは水素に負うところが大きいからであろう。磁気応用としてのMRI装置の理論的原理は解説通り、水とその構成水素の放射信号スペクトラムが重要な意味を持っているのであろう。水素が吸収するエネルギーが身体細胞にどのような意味を持つと考えるかが重要であろうと思う。磁気であろうとX線であろうと、照射するのはエネルギーである。身体細胞がそのエネルギーを吸収し、外部印加電磁界が断続されれば、切られた時にそのエネルギーを放射する筈である。おそらくその放射エネルギーの周波数帯が水素原子のスペクトラムに特徴的であるのだろうと想像する。

電磁エネルギーと細胞空間構造歪み 難しい理論は分からないので、単に電磁気現象の持つエネルギー概念から身体への照射と細胞エネルギー放射の関係を感覚的に考えて見た。細胞は高分子構造体であろうから、その中に含まれる水や水素原子は様々な細胞ごとに特有な立体構造の一部を占めていよう。その細胞内で照射されたエネルギーがどのように何処に吸収されるかで、細胞内の分子構造体に空間的ひずみが生じるであろう。電磁エネルギー照射が中断されれば、細胞の空間的ひずみに因る力が元に戻ろうとしてエネルギーを放射する筈である。その細胞空間形態ひずみは水素のエネルギー吸収特性が担っているのだろう。水素の体積増加として空間ひずみを起こす。水素そのものがエネルギーの質量化である筈だから、水素はそのエネルギー吸収で際立っているからと考える。医学に全くの素人の妄想かもしれないが、電磁気現象から考えた解釈である。自然は難しい理論は好きではないと思う。それにしてもMRI装置の科学技術は、その断層写真映像を検出する信号処理などの電気情報処理については余りにも理解する限度を超えているので己の無知が恐ろしくさえ感じる。何も分からない市民が知らなければならない筈の科学技術の未来を考えれば、どのように関わるべきかの社会的課題が残されてゆく。