タグ別アーカイブ: 熱エネルギー

エネルギーの姿・象

物理学理論で認識されていない概念が『エネルギー』である。

その代わり、自然世界に存在しない概念、『電荷』や『電子』が科学論の基礎概念となって理論が構築された。

『エネルギー』を意識しない科学論。科学論文はその専門分野に特化した特殊な『専門用語』で論理が展開される。専門家はその専門分野での高度な先端研究を対象にするから、それは止むを得ない事だ。しかし、その科学論はその専門用語が狭い専門家の為の世界観での解釈となるため、抽象的な表現に思えて、具体的生活空間から乖離したものとも見えて、解釈理論が理解困難となる弊害にもなる。基礎概念が曖昧なまま、教育現場に下ろされ、理解できない未消化な科学知識の市民科学リテラシーとなる。その最大の問題が『電荷』である。検索情報にも、『電荷』とは何か?という当然とも思える質問が提起されている。しかしそれに対して、回答者は、余りにも根本的で・・と答えることが出来ずに、逃げている。

エネルギーの形象。

光・熱。電気。圧力。

エネルギーの諸相

 

このブログでも、『電荷』という虚像 (2011/04/08) 、エネルギー(energy)とは? (2011/09/07)  などから始まった。

自然に対する観方は、自然科学理論では科学技術のための特殊な概念に因ったものになる。そこに『電荷』や『電子』という自然世界に存在しない概念が創造された。

自然界は極めて純粋である。それは『エネルギー』一つで構築された世界である。湯川秀樹が『混沌』と言ったものでもある。世界はエネルギー一つに集約されると、バートランド・ラッセル博士が述べた事でもある。

現在の物理学理論を唱える時、空間に実在する『エネルギー』の存在を意識できていないと言う、大きな理論の矛盾を抱えたものになっている。

上の図、エネルギーの諸相に、科学技術や自然現象が『エネルギー』によって生まれた世界であることに纏めてみた。質量も『エネルギー』の集約された象である。だから、 mc²[J] と『エネルギー』に変換される意味なのだ。

少し関連記事を挙げておく。

光・熱・電気。 雷の正体 (2012/11/13) 。焚火の科学 (2018/05/26)。白熱電球のエネルギー変換技術は? (2018/02/12)。新電気回路理論 (2022/09/01)。

回転動力。 発電技術とエネルギー空間 (2022/05/28) 各部ごとの詳論が未だ未完だ。

膜・弦振動。三味線と縦波 (2012/02/07)。糸電話―力学的解剖― (2014/03/06)

 

 

熱電子と熱エネルギー

歩んだ道は・・」教育に生かせない道だったか?

  • (2022/10/07)。このブログ記事で公開することが、御迷惑になるのかとの心配で公開を止めていた。
  • 現代の情報化社会の原点は、その科学理論としての『電子論』に在るのだろう。現在の半導体による電子工学、電子回路の基は真空管回路にあったと思う。その意味が『エジソン効果』と言う実験の解釈に有ったことを知った。エジソンの白熱電球の現象であった。白熱電球の放射熱エネルギーを『熱電子』と解釈したと言う事だった。白熱電球の放射現象を『熱電子』の放射などと考えるだろうか。真空管は基本的には、白熱電球のフィルメントが陰極と成った真空ガラス管と同じであると気付いた。

真空管、それは白熱電球にその起源があった。

『エジソン効果』

1884年にエジソンが白熱電球についてとても面白い実験をしていたことを知った。それが上の②図である。どの様な意図で白熱電球の中に、別にフィラメントを覆うような電極を付けたのか、その発想の尋常でない事に驚く。その意味が真空管の誕生に繋がっていたようだ。その20年後に2極真空管が発明された。末尾に参考年表。

『電子』、『自由電子』が白熱電球からの歴史に関わっている事を知った。『電子』が負の『電荷』と言う現代物理学理論の歴史の発端に白熱電球があったと理解した。

とても心苦しい事ではあるが、この自然世界に『電荷』は存在しないと言わなければならない。その事を物理学理論の根源に置かなければ、子供達への未来の教育とはならない事を伝えたい。その意味で、もう一度『電子』の物理的意味、概念を白熱電球のフィラメントの『熱エネルギー』との関係で考察して置きたい。決して『熱電子』などと言う負の『電荷』量子が空間電荷効果の基になっていた訳ではない。

筆者が論じる内容は、とても学術論文になるような内容には見えない筈だ。実験室の中からでなく、日常接する自然の風景に感応しながらの感覚的思いからの日常生活論とでも成ろうものである。

しかし、ただ一つの科学理論への革命的実験結果がある。それは、ロゴウスキー電極空間に3万ボルトの直流の高電圧を掛け、その中のコンパスの指し示す方向を探ると、印加する電圧の値に依ってコンパスが指し示す方向が変るのだ。その意味は、電気磁気学理論の『電気(電界)』と『磁気(磁界)』は異なると言う解釈の間違いを示しているのだ。『電界』も『磁界』も空間に在る『エネルギー』を解釈する人の解釈論に因る事で、自然世界の純粋さは『エネルギー』一つの世界であることを示しているのだ。その実験結果が、全ての科学理論の『電荷』概念に基づく解釈の見直しを迫る筈だ。

その意味を説く例として、『エジソン効果』を取り上げる。

LEDに白熱電燈が取って代わられる。何時の日か、白熱電球とは何ですか?と時代遅れを笑われそうな思いにある。高輝度のLEDランプの自動車前照灯に目が眩む怖ろしさも、安全運転に注意しようと‥。

エジソンが追加して実験した電極が、2極真空管の陽極Pであったのだ。白熱電球のエネルギー変換の物理現象は、身近で誰もが目で観察できる日常生活科学論の代表的観察例題である。量子力学を学ぶ前に、自然の姿を直接感覚に落とし込む、光と熱の『エネルギー』の意味を身に感じて欲しい。光や輻射熱は、最近は禁じられるが焚火の炎の『熱』も『光』も傍で体に感じれば、温かく仄かな灯りに、揺らめく灯に心も静かに穏やかに揺らめく筈だ。その焚火の放射の物理実体も、白熱電球から放射される輻射物理実体も何も違いのないものだ。光に違いはない。熱に違いはない。その光や熱が空間を伝播してくるものを、人が受け止めるのだ。その空間を伝播するものを、どの様な物理的実体と理解するかが大切なんだ。それが空間を伝播する『エネルギー』なのだ。その『エネルギー』と言う最も大切な自然世界の物理的実体を、どれだけ科学理論の中に認識しているかが、とても曖昧に思えるのだ。電球から放射される『エネルギー』を認識しているだろうか?

白熱電球から放射される『エネルギー』を真空管では『熱電子』と言ったのだ。決して『電荷』など持たない熱を『熱電子』として、真空管の『空間電荷効果』と言う理論で、電子工学の基礎理論となって来たのだ。筆者も初めて、工業高等学校で(身分は?)授業担当が『電子工学』の真空管のお話から始まった。勿論空間電荷効果は『熱電子』の理論に因って理解し、解釈し、教えさせてもらった。学習させて頂いた参考書が右の本だ。「電子工学の基礎 ⅠおよびⅡ 」 W.G.ダウ 著、森田清 他訳 共立全書。である。 豊富な図解でとても詳しく、勉強できた。もう一冊は「無線工学Ⅰ 伝送編 新版 宇田新太郎著 丸善」である。分布定数回路の学習で、とても良く解説されていて、参考になった。

その当時(1964年)の電子工学は真空管回路がまだ基本になっていた。しかし、その年の秋10月10日は、日本でのオリンピック開会日であった。テレビジョン放送もカラー放送であったと記憶している。だから、TVも既にトランジスタ回路だったかもしれない。

その後、『発変電』、『送配電』そして『電気機器』その他『電力設備』等の電力系が主な担当科目となった。ただ「電気理論」は工業高等専門学校での全くの未経験科目として『電気磁気学』の担当経験をさせて貰った。結果として、その『電気磁気学』の授業担当の経験が『電荷』の物理的概念への疑念の始まりとなった。

そんな過去の担当教科科目を経験した事から、今、理論物理学という科学理論の基礎科目である現状を考えた時、決して『電荷』や『電子』が基礎概念とされている現状は、未来の教育内容として、その概念の矛盾が耐え難く、科学理論もその点で学問の自由という意味がどの様な事であるかを考える視点ともなるかと思う。特別専門的知識が無くても理解できるような内容でと易しい言葉で述べた心算だ。その意味で、誰にも参考になる形式の科学論であると思う。このブログ記事は、その意味で十分役立てると思う。

ただ、『電荷』や『電子』の否定と成れば、基本的な視点が現代科学理論の、解釈の基礎概念、教科書の解説と異なる事が多くなる。それは社会的な意味で問題ではあろう。

真空管の制御電圧 vg (グリッド電圧)が真空管内の内部空間の『熱エネルギー』の分布状況を制御するのであった。その『エネルギー』の分布を『空間電荷効果』と解釈して、『熱電子』の制御と解釈したのである。その『熱電子』の意味がトランジスタ理論での『電子』制御論に引き継がれたのだ。

電子工学の始まりが真空管であった。その解釈が半導体に引き継がれた。『電子』概念が生まれた意味がそこにあった。白熱電球の『熱エネルギー』を『熱電子』と解釈した。

物理学理論と市民感覚

物理学理論があらゆる科学論の基礎をなしていると、漠然と捉えられていると思う。しかし、科学者あるいは研究者など高度な学術研究に携わる方々はそれ程物理学理論を本当に、その研究の基礎として意識しているとは思えない。物理学理論が真に科学理論の基礎としての意義を持ってほしいと願わずにはいられない、それ程怪しい学術論に?

しかし、ここに述べる内容は、理数式による科学論らしからぬ文学のようであるかも知れないが御笑覧いただきたい。

(事ども削ぎ棄てて 世の煩いあるまじく 省かせ給えど)ー源氏物語 若菜下ー

今、その科学研究の最前線の一つが「医学・生理学」であろう。コロナウイルスに対する『ワクチン開発』とその接種等の最先端の話題が日常生活に密接に関わっている。その分野の科学論は筆者のような素人には余りにもその専門的科学技術の内容が高度過ぎて、全く理解の仕様が無い。例を挙げれば、採決した血液成分の分析など、その余りにも精度の高い結果が示されると、理解の限度を超えている。その成分分析は、一つ一つの成分分子構造を詳細に捉え、分離していると理解する。

一方、分子の化学結合構造はそれぞれの原子の結合によって捉えていると思う。その結合はどのような物理現象に因っているのかと考えると、全く理解の限度をやはり超えてしまう。

原子間の結合原理は何か?

化学論でも、高分子結合やDNAの二重らせん構造でもその原理は全て原子間の結合によって決まっているものと理解したい。二重らせん構造になるには、その基本は原子間の結合の方向性がその決め手になると思う。その方向性も原子間の結合原理が基になる筈だ。「原子構造」は核の周りを周回する外郭電子が取り巻いている事になっている。日常の生活空間感覚から推し量ると、その高速回転(どの程度の速度かは不明)している電子が隣の原子の電子との間で何故結合の機能を発揮できるかが理解できない。その程度の原子間結合認識で、先の血液分析技術との科学論的乖離を埋める能力を持ち合わせていない。その辺の解説は、それほど難しい話ではないと思うが、何処にも納得できるものが見えない。勿論、専門家用でない、一般の教科書にもないだろう。電子同士が「共有結合」するという最初の解説で、理解不能に陥る。何方もみんな御理解為さっているらしく、少しも疑問を抱く人はいないようだ。「共有結合」の仕組みを詳しくご解説頂くことからやっと、原子結合への理解の糸口も見付かるかと願っている。「共有」という言葉の詳しい電子同士の空間的関係性の具体像は、その機能が分かっているのだろうから、本当の基礎的内容でしかない筈だから、詳細に解説できない筈はないと思う。筆者のような、目の前の空間像でしか理解できない具体性を求める無能な者にはその具体的姿を日常用語で解説頂かなければ、中々その理論を信じられないのだ。何がどの様に『共有し合うか?』はそれほど難しい説明ではない筈だ。どの様な電子同士がクーロンの電荷排斥力に抗して、『共有』という結合の原理を発揮することが出来るかは、最も教科書の解説すべき課題と思う。その為には先ず、『電荷』および『電子』の存在の理由を現在の科学認識に基づいて明確に分かり易く解説するのが科学者に課せられた責務と思う。筆者には高校生の時からその「共有結合」の原理が分からず、分子結合の意味不明のまま今日に至った。そんな分子結合論などは生活には何の意味も持たない些細なことかも知れないが、卑しくも論理性をその根本に置くべき物理学理論で、その訳を明確に解説されないと、すべての科学理論と科学技術との間の不可解な溝が拡大し、専門家と市民の科学リテラシーの不可解な関係が増大する事に成る。それは又の機会に、マグネットが何故接合する力を発生できるのか?についても疑問を提起したい。科学理論が市民の理解できる易しい自然の原理により成り立っていて、誰もが疑問を抱かないものであると思うから。専門家とはそれが出来る方だと信じているから。

コロナウイルスと血液成分分析に関わる科学技術の専門性と市民(筆者だけかも知れないが)の科学認識の間の溝は埋まるのだろうか。余りにも筆者には遠い隔たりの壁となる。炭素のダイヤモンド結合、シリコン結晶などすべて余りにも幾何学的な美的結合を成している。電子が周回軌道を回転しながら、互いに回転し合う電子がどの様な空間的関係で、結合機能を発揮できると言うのか?そんな魔術的空間関係が可能な訳はないと筆者は考えてしまう。物理学理論の電子結合論が何処までも欺瞞性を匂わせているように思えて堪らない。電気回路には決して電子の出る幕は無いことから、電子論による科学理論の統合失調症を治療できないものかと失礼ながら空想してしまう。統合失調症と新潟県立病院に、病巣に閉じ込められた(平成2年12月)過去もある。その当時は、どう暴虐無人に近所に迷惑を掛けても、電荷概念の否定のためには研究発表の場がない事が許せない思いで居た頃の事情だ。科学論の不可解の根源を断ちたいが故に。丁度その年の春に、自然単位系 [JHFM]をまとめた。それは1998年4月、日本物理学会に入会させて頂き、初めて発表させて頂いたものになる(*)。

『電荷』の空間像を示すのは素粒子物理学の研究者の社会的責任と思う。『エネルギー』がどの様な素粒子から成り立つかを示すこともその一つと思う。物理学理論には空間を流れる『エネルギー』の認識が無いようだ。その『エネルギー』の代わりに『電子』などの概念を創造(人が考えて作り出した自然の解釈の創造の概念像)したように思う。

日々過ぎて行く日常生活において、SDGsという未来への科学技術との関係の問題でもあろう。日々のエネルギー消費増大による、蒸気タービン発電方式の科学技術への依存度の過剰が海の加熱エネルギー放出を招き、豪雨災害とフェーン現象性の灼熱環境を作り出している事を御理解頂きたい。この問題はどうも、脱炭素で置き換えられているようだ。原子力発電推奨の隠れ蓑として、海水温度上昇の弊害の意味が消されてしまう。科学理論と科学技術の関係の意味が曖昧になっている。エネルギー問題で、クーラーの電力消費とのイタチごっこ現象と思える。緑の森も消えたコンクリートジャングルが象徴的に未来を映し出しているようで恐ろしい。海の魚介類の生育環境を守る事は人の生活の基本を守る事になると思う。

(*) 2p-D-11 物理的概念とその次元。(参考):エネルギー[J(ジュール)]とJHFM単位系 (2011/12/18)。

雷と電荷の物理

(2021/06/22)。とても興味ある記事が手元に在る。専門家の論説だ。

雷の正体(2012/11/13) は筆者の記事だ。『電荷』が自然界に存在するか、しないかで別れる観方だ。

長く電気回路現象の物理的理屈を考えてきた。結論は電気回路に『電荷』は無意味な概念で、そんな物理量が自然世界に存在する訳はないと確信するに至った。

だから専門家が解説する「雷」の物理現象解釈は全く間違っているとしか言えない。『電荷』など存在しないから、他の解釈に因らなければ意味が無い説だ。

雷の特徴は何か?

『ピッカ』と光の放射を伴う。先ずその光は何が光になったのかを解説しなければ、物理学とは言えない。その光が『エネルギー』と理解しているのか?『エネルギー保存則』と言う物理現象の根本原理をどの様に専門家は意識しているか?『エネルギー』の意識無しの物理論は全く信用できない。それは自然を観ようと意識しておらず、物理学論を論じているだけでしかない。それも専門的解釈論で。

その専門家の論理は、勿論電気回路での『電荷』や『エネルギー』の役割など考えたことも無い中での解説論であると思う。

見えるもの 見えないもの (2015/03/12)。雷は見えるがその本質は見えないようだ。本質は『熱エネルギー』だ。

フェーン現象の事例報告を解釈

(2021/06/08)。今朝の新潟日報新聞記事を読ませて頂いた。

フェーン現象についての観測事例の報告だ。従来の解釈と異なる事例が多くあるとの報告である。フェーン現象の解剖 (2018/06/17)で述べた。そこで指摘したかったことは、どうも物理学理論で『エネルギー』の意味を認識していない事を指摘したかったのだ。「気体分子運動論」が温度の現象の解釈を支配しているようだ。丁度「フェーン現象」の報告をその時も見て、『水蒸気』の熱エネルギーについて解釈するに好適例と思って記事にした。

今回の研究報告。その報告もとても有意義である。確かに従来の解釈では山での降雨が無い事例という点で異なるように思える。しかし基本的には気象現象としては同じものと解釈する。

『熱エネルギー』の物理学的解釈が教育で成されてはいるが、どうもその視点が間違っているように思う。空間に『エネルギー』が在ると言う認識がないところにその大きな原因がある。気象についても筆者は全くの素人と言える、しかし『エネルギー』については少し独自な解釈をしている。気体分子運動論を否定する解釈の立場に居る。「雷」も熱エネルギーの熱爆発現象である。この「雷現象」と「フェーン現象」が気象現象と言う空気中の物理現象としてみれば基本的には同じ意味を持っていると観る。共に気中の熱エネルギーの現象なのである。「雷」と「フェーン現象」の違いは水蒸気の保有する熱エネルギーが冷気で、空気気体の体積の収縮により水となり雨となる。その雨が降る事で、気中に『熱エネルギー』が残る。その気中の『熱エネルギー』が風などで吹き飛ばされず、即ち空気の流れが弱ければ、その空間に留まり、『熱エネルギー』の飽和状態となり、『熱爆発』に至る。それが『雷』の現象である。

今回の報告の「フェーン現象」が雨降りを伴なう、山越えの現象と異なるという意味での報告と解釈する。しかし水蒸気が海の上空で雨となり既にその空間に残った『熱エネルギー』が空気の強い流れに乗って吹き降ろせば、やはり同じ「フェーン現象」と見做して良かろう。低気圧と高気圧は、単純ではないだろうが、幾つかがほぼ対になって地表上に存在する筈だ。その気流の流れによる空間の『熱エネルギー』の移動現象として、「雷」と異なるやはり熱エネルギー現象である。

低気圧と高気圧とはどの様な物理現象か。そこには必ず水蒸気が関係している筈だ。海水面からの蒸発水蒸気である。低気圧は特に海水面温度が高く、上空に低温度の空気流が流れて来た時に起きやすい筈だ。台風や暴風雨などは上空の冷気流の到来と海水面の高温度との関係で起きやすい筈だ。その訳は何か?それは『物理学理論』の解説すべき専門分野である筈だ。決して気体分子運動論では説明が付かないだろう。水蒸気の特性がその訳を握っている。水蒸気は気体であり乍ら、アボガドロ定数の解釈論には支配されない、特別の気体状態と解釈する。水分子は熱エネルギーを保有すると幾らでも体積が膨張する。そこが全く気体分子運動論や、通常の気体とは異なる特質を持っていると捉えるべきだ。それが『蒸気機関』のタービンやピストンの動力源としての威力を発揮する源である。『電荷』否定の『エネルギー』での統一科学論の一つの例となろう。炊事で、湯沸かしの水の蒸発を見ながら思う日常生活科学論かも知れない。

気象災害と海水面温度

地球温暖化の問題は人の生活環境を維持できない危険な状況に進んでいる。カーボンニュートラルという事で、二酸化炭素排出量の抑え込みがその温暖化抑制の切り札と解釈されているようだ。経済的成長のジレンマが解決困難な世界的政治課題ではあるが‥、その悩ましさを考えると🙇。

温暖化による災害。食料枯渇の問題。空気乾燥の山火事。また水蒸気含有量による暴風災害と水害。地球上の生活環境破壊である。

最近の気象災害を身近に経験しているにもかかわらず、その異常な状況を感じ取れていないのかと不安が募る。二酸化炭素が空気中に増加することにより、空気の貯蔵エネルギー量が増加するという解釈が基本的認識となっているからであろう。それ程二酸化炭素が地球表面の薄い空気層で気温上昇の原因となるという解釈はどのような意味からか理解できない。

海水表面温度と上空の冷気との間には『エネルギーギャップ』が生じる。丁度電池の電圧供給の『エネルギーギャップ』と同じ意味が海水熱エネルギーによって、地上にもたらされる現象が気象災害の原因となっている。強烈な暴風災害は、海からの水蒸気が海水熱エネルギーの放出現象として蒸発し、空気が保有したその水蒸気分に依る質量増加として強烈な風圧を生むと解釈する。木造家屋など一溜まりもなく吹き飛ばされる。過去の生活様式が通用しない災害になっている。みんな海の温度上昇が原因である。

地球温暖化の問題は、むしろその二酸化炭素ガスより、『エネルギー消費量』の増加が問題なのである。『エネルギー』は地球表面から宇宙に放射されない限り、その消費量が地球内に蓄積されるのである。それは殆ど「熱エネルギー」として地球に蓄えられる。現在の生活環境に大きな災害として襲い掛かる現象は風水害であろう。水による災害はその源は海にある。消費エネルギーの地球内での貯蔵場所は空気層ではなく、海の海水なのだ。温暖化の問題は、海水の温度上昇が北極、南極の氷河を溶かし、地球の健全な気象環境、その保全に貢献してきた極地環境を破壊して過去の極地冷気環境資源を消費している事に大きな原因がある。冬の暖房は今でも石油ストーブに頼っている。冷房はエアコンにしか頼れないが、暖房は発電エネルギーに頼らないでいる。発電エネルギーは蒸気タービンによる分は2倍以上の熱エネルギーで地球に負荷を掛けているのだ。灯油ストーブとエアコンとの総合的熱効率をどう評価するかも一つの課題ではあろう。

海水温度の上昇が地球上のエネルギー消費による温度上昇抑制の隠れた、受け皿となっている事に何故気付かないのか。

原子力発電プラントが二酸化炭素の排出抑制に効果があるなどという、余りにも科学技術を知らない科学リテラシーの政治問題意識に危機感を抱かずにはいられない。海に原子力発電はその技術の根幹を委ねている事を知らない科学パラダイムに恐れ入ります。

原子力発電、石油燃料および石炭燃料による汽力発電はすべて同じ蒸気サイクルを利用した発電方式である。その電気エネルギーの発電には、燃料の燃焼熱エネルギーの半分以上を海水の温度上昇によって処理しなければ発電できない方式なのだ。熱エネルギー量の60%近いエネルギーを海水に吸収させて初めて、電気エネルギーに漸く30数%が利用できるのである。海水加熱発電方式なのである。

現在の生活環境が辛うじて保たれているのは極地における氷河の御蔭であろう。その氷の溶解による海水の熱エネルギー吸収で何とか保たれているとしか思えない。科学技術開発競争がエネルギー消費を前提に進められる現状は未来への希望が展望できない。間もなく、異常気象災害に人の住環境は耐えられなくなろう。気温が40度を超えた時、・・。

暴風とエネルギーギャップ (2021/02/16) 。原子力発電の熱の行方 (2011/04/17) 。

ペルチエ効果と熱エネルギー

(2020/11/19) ペルチエ効果。

ペルチエ効果を使う熱電素子の構造は図の(1)のような説明で示される。N型半導体とP型半導体を銅などの板で組み合わせて構成される。そこに電圧を加えると、吸熱面と放熱面が生まれる。吸熱面の空気から熱エネルギーが金属板に吸収される。その作用を使って除湿器が造られる。空気からと言うのはその水蒸気が保有する熱エネルギーを吸収することだ。水蒸気は熱エネルギーで水が体積膨張した状態である。吸熱面で熱エネルギーが奪われれば、水蒸気は体積収縮して水になる。それが除湿機の機能原理だ。それはペルチエ効果の説明のように実際の技術として機能している。しかし、何故n型半導体‐銅‐p型半導体の方向に電圧を掛けると銅で吸熱現象が起きるかの原理が理解できない。そこで、(2)図のように、n型半導体を銅版で挟んで電圧を掛けても、吸熱と放熱が起きるのか?予測では、実験すれば吸熱、放熱は起きる筈だ。起きなければ、原理の意味が成り立たない。これはn型でもp型でも同じ筈だ。p型では吸熱、放熱の反応極性が逆にはなるが。

除湿機能と降雨現象。空気中の水蒸気から熱エネルギーを奪えば、水蒸気は水に成って、体積収縮を起こす。気象で地上の低気圧も、上層気流の冷気で地上からの水蒸気が体積収縮を起こすから、空気の水蒸気が上空に吸い上げられ、その結果低気圧となる。水蒸気の熱が上層気流に奪われ、水蒸気が体積収縮を起こす結果、雨となって降り注ぐ。除湿器の機能も自然現象としてみれば、降雨現象と同じものである。その吸熱現象がペルチエ効果ではどのような原理で起きるかの問題と考える。電気回路現象は電子が主役を演じる解釈理論となっている。電子がどのような役割を担っているかを詳らかにするのが科学論の目的だ。降雨現象には電子は不向きだ。その違いの訳が説明できるか?という設問となる。この上層空気がより冷気が強ければ、遂には氷となり雪になる。地上と上空の温度差が急激に大きくなれば、熱エネルギーが空間のチリなどに蓄積され、その熱放射、熱爆発の「雷」となる-雷は熱爆発 (2014/05/23) -。

思考回路。

ペルチエ効果の意味を考えてみよう。図(3)はダイオードに電圧を逆方向に掛けた。これでは回路は on 出来ないから、off である。図(4)はn型とp型の間に銅板を挟んだ。この構造はペルチエ素子の構造と同じだ。原理から考えれば、やはり吸熱と放熱現象が起きる筈だ。銅板を挟むとダイオードのoff機能は消えてonするという意味になる。この構造でもペルチエ効果が表れる訳を説明できなければならない。さてどう解釈するか?

電子と熱電効果の原理。

電源は決して電子を回路内を循環させる訳ではない。現在も、電子が主役の量子力学が半導体動作原理の解釈理論となっている。もし、電子が電気回路の機能を担うとすれば、電子が電流の逆向きに流れると解釈する限り、無理して『電荷』がその役割を担うと考えざるを得ない筈だ。電子の『質量』では無かろう。しかし、『電荷』が電気回路内を循環する具体的役割を、誰をも納得させるだけの論理性で示し得ないだろう。電子が『エネルギー』の伝送に役割を果たし得るか?電子が『エネルギー』を電源の負側からどのような状態で電気回路に運び出すのか?The electron did not exist in the world. (2020/05/15) 。にも述べた。電子の電荷と質量の空間像が定義できなければ、電子の熱エネルギーに対する機能も述べられない筈だ。電源は、電圧をその規定する値にするため、その繋がる回路の回路定数に対する『エネルギー』の放出源なのである。放出電子の数を調整する機能など電源には無い。電源は電子など制御対象にできないし、無用である。

電源と熱エネルギー。

電源は負側の電極電線路近傍空間を通して『エネルギー』を放出する。この電気エネルギーと熱エネルギーに違いがある訳ではないのだ。熱エネルギーは輻射熱として放出される。所謂赤外線と言う分類の光と見做せよう。可視光線に比べて、何か速度が鈍いような長波長成分と言う物のように感覚的に感じる。しかし電力波と比べれば波長は光に近い筈だが、衣服等に吸収された熱量値しての状況は何か粘性の強いエネルギーに思える。その熱が高密度に貯蔵されれば、遂にはより作用性の強い放射光となる。熱電現象は電気エネルギーと熱エネルギーの間の相互作用の変換現象と解釈する。とは言っても電気エネルギーと熱エネルギーは基本的に空間に実在する同じ『エネルギー』であることに変わりはなく、電池から電線路を通して負荷抵抗の空間構造に閉じ込められれば熱と言う人の解釈になる。

半導体の不思議。

トランジスタのスイッチング機能は技術の結晶に思える。しかしそのコレクタ側はダイオードの逆極性導通としか見えない。そこは吸熱特性を呈する。ダイオード電圧 (2020/08/26)。

 

 

逃げ水現象の解剖

逃げ水と言う現象があることを初めて知った。今年8月15日台風10号の影響で、フーン現象が発生した。県内の胎内地区で国内最高の猛暑となり、40.8°を記録したと新聞にあった。そこに逃げ水の写真が載っていた。アスファルトが高熱になったのが原因とある。筆者も考えてみた。こんなことがその現象の訳ではないかと一つの納得をした。

 

 

高温度により地表面に、水蒸気のような何かガス状の高エネルギー密度薄膜層を発生していることで、地表が水面鏡(図に疑似水面鏡とした)のような効果を生むためと解釈した。遠方のある角度の範囲の一部の写像が反転して、その水面鏡に映っているように見える現象。アスファルトのような熱を吸収しやすい場合に発生するのだろう。アスファルトが特別に高温に熱せられた結果、その表面の接触気体が異常なエネルギー密度を含んだ結果と考えた。

 

エネルギー変換物語(炭火とエジソン電球)

はじめに  火は人類の生活基盤を成す。人類の文明の始まりにも関わる生活科学であろう。炭火や囲炉裏火は生活そのものであった昔に思いを馳せる。それはエネルギーと科学論の懸け橋にもなる深い意味を含んでいる。そんな日常生活の古い姿を振り返って、誰もが思い描ける生活の中にとても深い科学の視点が残されていることを拾い上げてみたい。難しい数式も要らない、しかし現代物理学理論が疎かにしてきた『エネルギー変換論』を展開しようと思う。物理学理論が『エネルギー』の意味を認識していない事を考えてみたいと。

炭と光熱 木炭がいつ頃、何処で使われたかははっきりしなかろう。木を燃やし、残り火を灰で覆えば炭が残る。火の扱いは生きる技術として必須の知識であった筈だ。図1.炭と光熱 科学の知識や科学理論を知らなくても、生活の中心に在った囲炉裏の火や火鉢の炭火が人の繋がりに欠かせない居場所を作っていた。ただ燃える火の揺らめきが心にぬくもりを与えてくれた。ゆっくりとした人の生業が穏やかで、効率で監視される現代の心の歪みなど有りようがなかった。寒い雪国には、行火(アンカ)が有った。夜の就寝時に布団の中に入れる個人用移動炬燵である。朝までに炭はすべて灰に成り、熱源としてのエネルギー変換作用を応用した生活道具であった。図2.行火がそれである。

炭火や焚火にはとても不思議な意味が隠されているように思える。今までも、その不思議に誘われて幾つか記して来た。焚き火と蝋燭 (2013/02/01) 、焚火の科学 (2018/05/26) など。しかし、それでもまだ肝心なことに気付かずにいた。それは炭や炭素原子のエネルギー変換作用についてである。それは不図した気付きでしかないがとても大きな意味に思える。最近は年の所為か夜中に目が覚めて、詰まらぬことを思い巡らす。なぜ炭素や抵抗体は熱エネルギーに変換する機能を持っているのかと、不図思い付く。それが記事の基だ。

図3.mc^2とエネルギー変換 図に①電池エネルギーと②燃焼エネルギーの場合を取上げた。①の電池エネルギーで電池のエネルギーとはどのようなエネルギーなのかと不図疑問が浮かんだ。すでに電子は破棄してしまったから、科学論を展開しようとすれば、電池に蓄えられているエネルギーとは何かを明らかにしなければならないことに成った。たとえ電子論を展開するとしても、電池の陰極側の化学物質に電子を負荷に供給するだけの電子が蓄えられていることを前提にしなければならないとなろう。その電子論では電子は負荷を通って電池の正極に戻ることに成っているようだから、電池内から供給したエネルギーはどのようなものと解釈すれば良いのだろうか。電池の質量が減少する理屈にはなっていないようだ。エネルギーと言うものが電池内に蓄えられていて、それが負荷で消費されると考えるのだが、電子論ではそのエネルギーをどのような理屈で消費すると解釈するのか。図①で表現した電池の陰極側からのエネルギーが電線路空間にどのように分布するかの見極めがまだ付いている訳でなく、疑問符?を書き込まなければならない不明は残る。ただ、電線路空間に表れる電圧とは空間のエネルギー分布によって生じる電気技術量・概念であることだけは間違いのないことである。だから如何なるエネルギー分布かを明らかにすることも自然現象の解明の学問として物理学の究める研究対象である筈だ。ランプから放射される光や輻射熱は紛れもないエネルギーである。『エネルギー保存則』とはどのような意味と解釈するのか。電池にエネルギーが有ったからそれがランプを通して高熱のエネルギーに変換されて放射されたと考えなければ、『エネルギー保存則』の意味までも曖昧になってしまうだろう。これはエジソンが工夫した木綿糸のフィラメントにどんな思い入れで取り組んだかにもつながろう。

①エネルギー変換原理は?   エネルギーとは誠に不思議なものである。ランプ・白熱電球は抵抗体の中で元々電池などの冷たいエネルギーを高温度の熱エネルギーに変換する機能が有っての結果に因って利用できる現象である。電線路空間に分布するエネルギーの大きさは電線路電力送電量の規模を規定する電気技術量・電圧の大きさで認識、評価できる。その電線路の負荷端に抵抗体が繋がった時、その負荷端子空間には光と同じ冷たい電気エネルギーが分布しているだけである。光も光速度伝播するエネルギー密度分布波では何も熱くはない。皮膚や吸収体で受け止めたとき熱エネルギーに変換されて熱くなる。光の速度が零に成る現象と看做せる。電気負荷抵抗の物理的機能は光エネルギーを吸収し、抵抗体の構造格子の中にエネルギーを速度ゼロの状態にして、吸収する熱化現象とも見做せよう。その詳細な物理機構は炭素などの結合格子構造に原因が有ると観なければならなかろう。マグネットの磁極近傍空間に在る軸性エネルギー回転流もおそらく電磁現象としての速度流で有り、光速度に近いと見做せれば、そのエネルギーも冷たいエネルギーである。それらの光的エネルギーは熱を持たないが抵抗体内に吸収された時、エネルギーの熱化現象が起き、新たな光エネルギー化に因る生まれ変わりの輪廻転生の一コマを演じる光と見られよう。物理学として極めなければならないことは、抵抗体内で何故冷たいエネルギー・光エネルギーが熱い熱エネルギーに変換されるかのその訳を解くことであろう。それには光エネルギーの正体を空間エネルギー分布として捉えない限り困難であろう。なかなか電子の逆流では解けそうもない事だろう。

②化学式の意味は? 炭火の話に成るが、炭素の炭と空気が混ざっても火は起きない。煙草の吸いがらでも、マッチ一本の火でもある条件が整えば、発火・燃焼に成る。化学式では炭素記号Cと酸素分子記号O2が有れば炭酸ガスCO2と熱・光エネルギーに成る様な意味で表現される。先ずこの両辺を結ぶ等号はどのような意味を結び付けているのか。勿論エネルギーのジュールでもないし、質量でもない。化学式に使われる原子、分子に込めた意味は何か?図3.のように炭には炭素だけでなく燃え残る残差物も含まれていて、燃焼後に灰が残る。その燃焼で発生する熱と光エネルギーは『無』からは生じない筈だ。それでは何がその光熱エネルギーに成ったのか。等号はその何がを意識に含んだ意味でなければ自然科学論としては肝心要が抜けているように思う。光熱エネルギーを含むからには、科学論としての等号にはエネルギーの次元で成り立つ意味でなければならないだろう。何が言いたいかと言えば、質量とエネルギーはその本質で等価であると言うことである。両辺の炭素原子記号と酸素原子記号の持つ意味で、質量が同じではない筈だ。炭素原子と酸素原子が結合して炭酸ガスに成ったとすれば、その原子質量が両辺で等しいならば光熱エネルギーなど発生する訳がない。無からエネルギーは発生しない事ぐらいは、高度な科学理論を学ぶまでもなく分かる筈だ。そんな日常生活上で感覚的に感じる科学常識を身につける為の理科教育でなければならないと思う。如何でしょうか?教育専門家の皆さん。塾の教育関係者もどのようにお考えですか。mc^2=E[J]と言う式をどのような意味で捉えていますか。特別素粒子など無くても質量とエネルギーは相互変換を通して等価なのです。

mc^2^から物理学を問う (2019/04/29) でも述べた。その意味を具体例として、独楽の心 (2019/01/05) や 熱の物理 (2019/02/07) でも考えた。

電気抵抗体の物理

はじめに
改めて電気抵抗の何を書くのかと思われそうだ。しかも物理とはどんな意味が抵抗にあるのかと。前にコイルの電圧の事を記した。電気回路要素にはコンデンサとインダクタンスと抵抗しかない。しかし、抵抗だけMKSA単位系の中で特別の単位[Ω]が使われる。この単位の意味がどんな物理的特性を表現したものと理解しているのだろうか。自然単位系として、JHFM単位系を提唱した。エネルギージュール[J]を基本としてヘンリー[H]、ファラッド[F]の空間構造単位と長さ[M]だけで全ての物理量を捉える考え方である。その中では抵抗[Ω]は[(H/F)^1/2^]と言う次元となる。何故、抵抗がインダクタンスとコンデンサの単位と関係があるのか。ここにこそ抵抗体の物理的意味合いが隠されているのだ。物理と言う一般的な意味は、科学的に物の理屈を明らかにすると言うように捉えられていよう。ならば、科学論として実験的に検証可能でなければとそれは物理の中には入れてもらえないようにも思う。そうなれば、空間に実在するエネルギーなどを論じることは出来なくなる。正しく、物理学で捉え切れていない空間のエネルギーが本当に科学論の根幹に据えなければならない基本概念の筈である。空間のエネルギーを計ることは可能かどうかとても難しい問題と思う。ここで、電気回路の中でオームの法則として一番基になる抵抗の意味を空間の構造体として捉える考え方を述べたい。電気回路要素の『エネルギー』処理機能 (2020/04/12) として纏まった。

電線路の特性
電線路は電気エネルギーを供給する設備である。最低二本の電線を張れば可能である。その細い2本の電線を張ったその空間には電気特性としてのコンデンサの意味とインダクタンスの意味が含まれている。幾ら細くても2本の導線の間にはコンデンサの機能がある。電流が流れれば(流れないと言いながら済みません)、1ターンのコイルを成すとも見られるから、その空間はインダクタンスの機能を持ってもいる。

電線路エネルギーと特性インピーダンス

電線路に電圧を掛ければ、無負荷でも線路空間にはエネルギーが蓄えられる。それは線路のコンデンサとしての機能で解釈され、その充電エネルギーと看做して良い。図の①のように線路の静電容量をC[F]として理解できる。

次に負荷がかかれば、②にように線路に電流が流れると、電線路はインダクタンスの機能を発揮する。負荷に伝送するエネルギーに因って、電線路に生じるエネルギーである。図では伝送エネルギーと表現したが、★印を付けて少し意味合いが違い、線路内に加わった貯蔵エネルギーと考えた方が良かろうという意味で捉えた。エネルギー伝送量の変化が生じると、その変化を抑制する電気的慣性の意味と捉えた方が良い。

この電線路の静電容量Cとか誘導インダクタンスLとかの捉え方は、送電線路の送電特性を解釈する基本的考え方になっている技術概念である。一般には単位長さ1キロメートル当たりの定数[mH/km] 、[μF/km]として線路特性を評価する。その線路の特性インピーダンスZ= (L/C)^1/2^ [Ω]を使う。それは身近な2本線の電線路でも同じ事であり、図のようになる。

抵抗の空間特性 抵抗はエネルギーを消費する機能要素と普通は捉えるだろう。しかし抵抗でエネルギーが消失する訳では決してない。ただエネルギーの変換が成されるだけである。電気エネルギーを熱や光エネルギーに変換するのが抵抗体である。抵抗体でもエネルギー保存則は成り立っているのだ。だから抵抗とはエネルギーの変換機能であり、抵抗体の分子・原子構造体が成す空間格子構造の物理的意味を持っている要素であると解釈すべきであろう。電線路の意味に似ているのである。L とCの空間構造の成す構造体と言う捉え方が物理的解釈である。 この捉え方をする訳の説明になるかと思う設問を提起したい。

『問』 エジソンが発明した白熱電球がある。その電球もヒラメントは抵抗体である。抵抗は温度が上がると抵抗値が大きくなる。その訳を説明してください。

『答』 (ヒント)教科書では電子が抵抗の中を通過する(電流が流れる)ことになっている。電子が通るとどうして抵抗体が熱くなるのかの物理的解釈を示して欲しい。それが出来ない時本当の訳を考えると思う。数式では解答できない問題だと思う。物理学とは本来日常の言葉で理解することが基本だと思う。教科書の解釈の論理性を問う事でもある。(関連記事) 『オームの法則』-物理学解剖論ー (2013/04/16) 白熱電球のエネルギー変換原理は? (2018/02/12)。答えとしては、電荷とか電流と言う物理的描像が空間的に不明確な概念での解釈では無理であろうと思う。エネルギーの変換現象であるから、抵抗構造体の中にエネルギーの高密度集積がなければ、抵抗体からのエネルギー放射として温度計測の測定体にエネルギーの入射は起きないだろう。温度上昇はその物体にエネルギーが貯蔵されたから起きる現象である。物体の何処にエネルギーが貯蔵されるかと言えば、その分子結合の格子空間内に蓄えられるとしか考えられない。思い出した不思議がある。周期律表と抵抗率 (2016/06/16) の意味である。何故隣同士の原子でこれ程抵抗率が違うのか。原子構造が周回電子で解釈される意味で、どのようにその差が起きるかの疑問を説明できるだろうか。電子周回論には原子構造解釈に有益な論理性が観えないと思わざるを得ない。抵抗体のL、Cの空間構造に因るエネルギー変換特性の捉え方に関係付けても、電荷に因る電子周回論に納得出来ない思いだ。これは一般的科学研究の論文発表における査読検証の世界で通用する科学論にはならないだろう。然し、科学理論の根底にある矛盾として、『電荷』否定の一つの実験結果『静電界は磁界を伴う』がすべて意味を包含していると考える。その意味を踏まえれば、日常用語で語る考えも十分科学論として意味があると思う。空間エネルギーの測定が出来なくても、クーロンの法則で『電荷』量の測定が出来ない意味と同じ事と思う。より基礎概念が基本量に統一されて解釈できることが、市民の科学論の理解に資する筈であろう。

抵抗体とLC構造 

抵抗に電圧vが掛って、電流iが流れたとする。その抵抗体は確かに電気エネルギーを消費する。然し消費したからと言って、そのエネルギーが抵抗体の中で行方不明になる訳ではない。電気コンロで有れば、そのヒーターがエネルギーを蓄積して、温度上昇をする。温度上昇は抵抗体の中にエネルギーが蓄積されて、その抵抗体に入射するエネルギー量と放射するエネルギー量が平衡した状態で定常状態の抵抗機能の電気現象になる。抵抗体の物性により、比熱とか様々な科学評価認識量でその抵抗機能が異なる。然し基本的には、抵抗はその内部機能がLとCによって構成された構造体と解釈できる。図に示したように、電圧v は抵抗体周辺の空間エネルギーの分布の様相にその物理的本質を持ち、その空間積分を表したものと解釈する。陰極線が電圧の負側から流れるのは古く放電管の実験で示されている。その陰極線と言うのがエネルギー流なのである。だから抵抗体の電圧負側から抵抗体の表面に均等にエネルギーが入射すると考えれば、図のような分布になるだろうとの予想を表現した。熱と光のエネルギーが放射され、エネルギーの入射、放射が平衡する。木炭などは結晶体とは言わないだろうが、電気的にはその構造の空間にエネルギーが貯蔵され赤く加熱される。電気抵抗は結晶格子構造を成し、その構成要素がそれぞれ単位要素としてLC構造体を成していると考えた。

むすび

電気回路要素の抵抗は電気を学ぶ最初に学習し、 誰もが基本として理解している筈である。然しその物理的意味を突き詰めると、LC構造体として理解することに辿り着いた。単位[Ω]が持つ意味は結局[(H/F)^1/2^]と言う空間構造の電気特性を持った科学技術概念であった。今振り返って、科学技術と理論物理学の間の関係が、その基礎の中味を掘り下げて観て、そこに関わる人の意識の問題に深く関わっていると思う。そこに市民に開かれた科学論の未来が託されていると思う。今とても感謝することがある。このブログに因って、書きながら自分の科学感覚を整理し、『エネルギー』に統一した認識に到達できたことである。過去の電気回路とスイッチの機能 (2016/06/01) から周期律表と抵抗率(2016/06/09) 電気抵抗のエネルギー論 (2016/06/15) などと書きながら、やっとここに辿りつけたと思う。浦島退屈論のようで情けない思いもあるが?