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科学論と電荷

はじめに どうしても思考が初めに戻ってしまう。1985年から2年間初めて電気磁気学・電気理論の授業をすることになった。基に既にあった「磁束は電圧時間積分によって決まる」の認識が「アンペアの法則」の電流による磁束発生理論への疑念を抱えての出発であった。振り返れば、命を守る地獄の中で纏めた『静電界は磁界を伴う』の1987年4月2日電気学会全国大会での発表となった。その時の所属はいったいどこにあるのか、今でも理解できない(4月発表の数日後自宅に、既に去った筈の高専校長から職員会議への出席要請の手紙が届いた。さらに次の年1988年の1月中頃どこからか自宅に、長岡工業高等専門学校の健康保険証が送られてきた。その時は既に、電磁界の物理的概念と地磁気の解釈 春の昭和63年電気学会全国大会 32. p.35-36 の発表予定で投稿していた。しかも全く所属分野の意識もなく、全学共通ぐらいの気分でいたかも。など混乱と理解に苦しむ疑問のまま今日までそのままである)。『静電界は磁界を伴う』の発表内容は結局『電荷概念否定』になる。その原点となった考えの状況を纏めておきたい。なかなか科学論だけの話ではないところが誠に不可思議である。しかも今になれば、その当時の政治的意味合いも含んだ長岡技術科学大学の邪魔者排除対象者として選ばれ、政府・文部省の「中曽根臨時教育審議会」に関係していたことであることが分かる。さすがに常識に疎い無知の筆者にしてみれば、このような意味不明で回りから嘲られたような仕打ちが続いたことは。精神的にも限界を超えていた。みんな政治意識に無頓着だった筆者の無知と相談しようもない孤立無援の中にいたことに関係していることだ。1988年10月、電気学会電磁理論研究会での、「瞬時電磁界理論の実験的検証とその意義」EMT-88-145.(1988.10.) の発表を機に大学から離れた。この研究会資料は世界の科学常識を問う実験データの写真集でもある。

“ミズリー号甲板上での無条件降伏調印式(1945/09/02)  1945年9月1日(海軍解散最終日)に父は『任海軍上等兵曹 舞鶴鎮守府』辞令。9月2日の調印式のため、日本政府代表団はゴムボートにて艦船への往復をした。父はボートクルーの任務に就く。1939年12月1日家族は舞鶴鎮守府へ戸籍転籍された。戸籍上に帰還の痕跡がない。公務員資格は?筆者存在の可否が根源にあったか?”今戦後74年が経過しようとしている、戦争の悲劇の意識が薄れ、政治意識の希薄さが危険な道につながる選挙にも無関心な世相の日本にある。政治はその選挙への無関心に対して、政治意識の重要性を教育に反映する対策も故意に回避しているように思える。今も所属機関もなく、研究発表もできない事態にある身として、思えば戦後処理にすべてがつながっていると。

「電荷への疑念」 電流は電子の流れとの解釈が科学論の基にあった。電子は電荷と質量の合成素粒子と理解していた。しかしアンペアの法則では質量は無視され電荷のみで論理が成り立つ。電子という時の科学論では質量を意識していないように思う。電流概念は電荷の時間微分でアンペア[A]であろう。その電荷が空間で運動すると何故周りの空間に磁界が発生することになるのか。その疑問が電気磁気学の授業をするに連れ強くなっていった。1986年10月1日ある方に『電荷』は存在しないのでは?と疑問を投げたと記憶している。その方は実験で証明する必要があろう。と仰った。確かにその通りと納得して、すぐに実験に取り掛かった。今でも何故高電界中の磁界検出が『電荷否定』の検証になると考えたか、その意識のつながりを明確に覚えていない。何の躊躇もなく翌日から高電圧内の磁界を検出すればよいと取り掛かった。オリエンテーリング用のコンパスをロゴウスキー電極の中に置き直流電圧を高めていった。しかし見事に失敗であった。火花放電が起き、コンパスの表面が黒く焼けた。これで終わりかと自室(ある人の部屋の間借り)に閉じ籠り、歩き回った。閃いた!!油入りのコンパスは地磁気には反応するが、電界の空間エネルギー流には反応しないのだ。それは空間エネルギー流をホール素子で検出する意味と同じ無意味なことと。それからが電界の空間のエネルギー流の何かをとらえられないかと考えて、マグネットの吊り下げ検出器を作った。クーロン力という解釈の指摘を排除するために、等方性の円平マグネットを使った。10月30日ごろと記憶している。その日の長岡市は、朝から雷が鳴りひどく荒れた天候であった。その時思った。天の神が自然の秘密を暴くのを怒っているのだと。それだけきっと磁界が検出できると予感していた。試作マグネットを電極間に近づけて設定。徐々に電圧を上げた。平板マグネットの矢印の方向が変化した。静電界は電荷による電界の空間と電気磁気学では解釈されている。しかし、その空間に磁気コンパスを動かす力が存在するとすれば、その訳を説明しなければならない筈だ。そもそも『電荷』とは何か、その空間像を認識しているか。アンペアの法則及びその電流、その法則による磁界の発生。ビオ・サバールの法則、フレミングの法則などその根源的物理概念は『電荷』である。それほど万能な『電荷』とは何者か。『電荷』が動くとその周辺空間の物理的状況に何が起こるか?それが『電荷』の空間像を考えた起点である。『電荷』は磁気特性を含有するか?

「電荷像と磁気」 電荷への疑念を膨らませた図がある。

電子の磁界発生原理は? 何も特別のことを考えた訳でもない。電子が電荷の具体的代表例だから、それが運動すると静止の時とどのような変化が生じるか。ただそれだけである。電流が磁界を発生させる原因だと物理学で理論構築されている。電流の基は電子だという。それなら電子が静止しているか、運動しているかで回りにどのような物理現象の差が起きるかという疑問でしかない。何も数式など要らない。『電荷』という物理的概念を探るだけである。まず、電荷は空間にどこまでその物理的存在を主張するのか。理論的にはどこまでも無限に意味を持つような解釈にあるように思われる。電界が電荷の周りに在るなら、それは空間エネルギー(1/2)εE^2[J/m^3]が存在する意味である。そのエネルギーは電荷とは異なる物理的実体ととらえるのか。そこに物理学としての論理性があるのか.あるいは電荷内の空間で完結するのか。そんな如何にも学術的科学論あるいはその手法からかけ離れた思考である。巷の科学論とでもいえよう。専門的学術論からかけ離れた素人的疑問は誠に科学論としてはお粗末で、始末に負えないと顰蹙を買いそうだ。電子の寸法もわからないから、実際は空間像を想像することすら無理なのであるが。

結び 『電荷概念はエネルギー流の認識の妨げになっている。』

『電荷否定』の科学論が伝統的科学論の世界で通用する見込みもないと危惧しながらも、ただその実験結果がだだ事でない科学革命の萌芽を含んでいるとの確信になった。その確信が全ての危険な先行きを無視して突き進む情念になった。社会に対する怒りを生み、遣る瀬無い身を恨んだ。そこに情報・テレビなどの操りの罠に引き込まれても行った。飛行機と花火にも踊らされた。陰で操る闇の日本社会。その中でも、現在ようやく物理学理論として『電荷』の概念が曖昧のままでは済まない意識が生まれつつあるか?と考える。科学論の革命が迫っていると。昭和57年度からの工業高等学校の文部省改定を前にして、もう工業高等学校では研究の余地はなくなると喜んで長岡技術科学大学での生活を想定した。しかし、結局望まれない人材として厄介者となってしまった。今思う。研究しか能のない世間知らずが役立たずで誠に困ったものと。しかしお世話になった川上学長も技術に対して理学への不信を抱いていたのではないかと思う。技術から、物理学理論の矛盾点にメスを入れ自然科学としての未来への進むべき道が見えてきたと筆者は思うようになった。『静電界は磁界を伴う』には相当御心配されたとも思う。また、今でも斎藤 進六 学長の創造性の「創」という文字は大きな傷を伴うという意味だとのお話が印象深く気持ちの上で拠り所となってきた。電気系の皆さんにもお世話になっただけで役に立てなかった。新潟県教育委員会が筆者を正式採用をしていなかった事務手続きはについては、今でも行政機関としての意味を理解できない。そこから「割愛」などできないと思う。

戦後処理問題:舞鶴鎮守府の軍籍問題を知ったのは平成7年頃であった。

特定秘密保護法案に写る日本

経済界の指導的首脳陣から特定秘密保護法案についての発言がほとんど聞こえない。日本の言論の自由に対する危機的法案であるにもかかわらず、経済界は賛成反対の表明がない所に如何にも日本人の集団的気風・意識構造が図らずも写っていると観る。

日中間には今とても大きな問題があると言える。中国の防空識別圏の設定は予測していたのだろうか。現にその事に対する様々な意見表明が成されている。日本には外務省はじめ、政策策定・未来予測の分析が真剣に成されているのかとても疑わしい。

日本の行政機関・組織には全体体制で、有無を言わせない裏工作で人々を締め付ける気風が横溢していると観ていた。法律は『日本国憲法』はじめ国家権力の為の存在との認識が強い。個々人の一人ひとりを意識する事は法的に極めてお粗末な状況にあると観る。『国は』『国側は』と言う言葉がとても多く日本では使われる。最高裁判所でも裁判用語として厳然として法的用語に位置付けられている。人々も裁判では『国は・・を補償しろ』等と『国』と言う用語が使われる。『国』とは何を指すかあるいは誰の事を指すかが全く理解できない。『民主主義国家』とはどのような国家を指すのか、日本の国土の中から一歩も外に出た事もない自分には、日本を見る視点が欠けているのかと言われそうな『井の中の蛙』であるからかも知れないが、全く『国は』と言う用語の意味が理解できない事で困っている。昔、村山総理大臣のとき、沖縄の土地使用期限が切れる問題が起きた。平成7年の事と思う。とても印象的で、忘れられないニュース画面があった。民間と「国側」を識別する表現法として、「国側」には国旗を張り付けて表現していた。民間や日本人個人には国旗は付かない。『日本国憲法』は国家権力側のものと言う意識で国会議員や中央官庁の役人は捉えている事を具体的に認識させられて、とても不愉快な思いと怒りを感じた。それは今でも、よく閣僚でも『国』はと言う言葉を使う方がいらっしゃる。新聞などでも、行政機関が意見広告などでも多く使っている。自分にはその辺から個人は意味不明の『国』の支配下の道具的存在で見られているようで、とても不愉快である。『国は・・』を英語に訳したらどうなるのか。

この度の『特殊秘密保護法案』はそのような極めて不明確な、定義付けの表明もされていない『国』概念に基づく曖昧さのように、日本の元からの分析されない曖昧模糊の政治構造が生んでいる一つの姿である。以前の安倍政権で、「教育基本法」が改悪された。そのときにはNHK の世論調査で、70%が書き換え賛成であったのだ。だから、改悪前のとても立派な「教育基本法」が消えてしまったのである。既にその時の政治の目的が、今の『特定秘密保護法案』になっているのである。「教育基本法」以上に今回は大きな暗愚政治に道を開く法案である。選挙前には全く話にも無かった。それが突然闇雲に出された。その姿勢が戦前に似ているとみえるから恐ろしいのである。

上のような自由な発言が侵害される事があってはならない。自由な発言が人が生きる基本になっている筈である。日本が未来に向かって進む時、過去を検証し思い出して欲しい。隠そうとする限りにおいては、真の世界からの信頼は得られないと、とても心配である。1945年9月2日ミズーリ号での無条件降伏の悲しみを忘れてはならない。横須賀沖の軍艦ミズーリ号まで、ゴムボートで日本代表団の送迎によってなされた事実を隠すようではとても心配である。戦争に突き進んだ愚かな指導者が敗戦の悲しみを日本人、外国人等の多くの人々に与えたのである。最近はそれらを隠して再びその愚かな道に進むのではないかと危惧せざるを得ない状況に見える。平和に貢献するにはどのような外交的努力が必要かの分析が求められる。政策遂行に広い観点からの分析と方針が明確にあるのだろうかが心配である。日本人全てに、経済界も含めて誤った道に進まないだけの責任がある。発言しない日本人が危ない日本を作るのだ。

新潟県教育行政の過去と未来ー犯罪?ー

(2015/09/12 追記) 今になって振りかれば、そこには愚かな自分しか見えない。県立高等学校で、電気科教員として働けば、公立学校共済組合に加入する筈だ。大学卒業後の新卒で新潟県の学校に採用されれば、県の教育委員会から採用に伴う諸手続きの説明会がある筈だ。採用辞令交付も無しで、厚生財団や公立学校共済組合の加入手続も無視された。何も知らなかった責任は全部自分に在るのか。昭和39年3月20日過ぎに高等学校教員免許状が自宅に送られて来ただけで、新潟県教育委員会からは何の連絡も指示も無かった(もちろん『新潟県教員採用通知書』なども頂いた事は無い)。結局年金手続きも何もされていなかった。今、公立学校共済組合組合員の資格も無しに、何も動けないと覚悟している。正規な年金手続きの無いままである。

新潟県は採用もせずに、私を16年間に亘り工業高等学校の教育に携わらせた。(2014/03/16 追記)思い出した。初めの関わり。昭和38年秋の新潟県教員採用試験前の事。大学の電気科主任からの新潟県教職への希望確認連絡ある。長岡工業高校での面接(?長岡工業高校長と熊沢源三指導主事)を受ける。希望学校を聞かれ、意に添わず(?)に新設の「新津工業高校」と答える。採用試験の結果は「A 」で何とか合格。翌年1月中旬に新津工業高等学校から呼び出しを受けた。その時に、『戸籍謄本(正式な謄本が出せなかっただろう十日町市役所)《封印書》』を指示通りに持参する(今考えればその意味も理由が解る違法事件)。田中敏夫校長(翌年?県学事課長)、平田正三教頭と校長室で面接。新年度の担当科目を『電子工学(第1期生の2年生)』と決める。その後に、3月に入って、住所などとの関係で、機械科の藤間先生にお世話に成ったことで、学校に行った。その後は4月1日まで新潟県教育委員会から何の連絡も無く、何も知らずに長岡のアパートから列車(毎朝5時56分長岡駅発)で新津工業高校に出勤した。新潟県教育委員会から何の連絡も無いという教育行政とは行政犯罪その物であろう。知らない自分が情けない。今考えれば、4月の給料日に通勤手当がなかったので、五十嵐事務長に質問した。何故支給されないのか?と。『1っか月通勤してみなければ分からないだろう』と言われたことを今でも覚えている。幼稚な自分でも、それは納得出来なかったのであろう。結局4月分は支給されずに終わった。以上の記憶から、新潟県教育委員会は採用通知も発令せず、何の法的行政事務手続きもしてなかったのである。犯罪行政の新潟県。全ての行政事務から外されていた。年金・共済組合の全てが隠蔽の中。

教育職として人権回復を要求する。教育に関わる日本の過去と未来を思うと、何故か知らないが気分は暗くなる。私は何者でしょう(3)故郷貝野村と舞鶴鎮守府、で父がミズリー号無条件降伏日本代表団送迎ボートクルーとしての務めを歴史から削除した。戸籍附票(内務省)の偽装に示されている。外務省、法務省など全て内閣の隠蔽でここまで来た。私は何者でしょう(2)氏名と長岡市政責任、に十日町市の問題が引き継がれている。禪と科学、の中曽根臨教審の抹殺人事の不可思議さに示された。

意味は知らないが、魑魅魍魎(チミモウリョウ)、跳梁跋扈(チョウリョウバッコ)を筆にした。魑魅・跳梁・

具体的事件は昭和53年4月に始まる。新津工業高校長八子正平から長岡市役所に、休暇中で用達中の私に突然電話が掛って来た。呼び出しに、何事かと驚いて受話器を取ると、八子校長から「県から仕事の依頼があるから承知して欲しい、承知した方が君の為に成るから」と言うような話であった。何の事か内容も分からずに承知した。その後に受け取った文書。

教高秘第53号偽任命状左記の教高㊙第35号。4月28日発。

任命状と言う右記の偽物が渡された。ここでも氏名無しの偽装任命状であることが分かる。

発行者は新潟県教育委員会教育長である。何故教育委員会の任命権が行政の教育長に成るのか。教育委員会の責任者は誰なのか。事務局は教育委員会の下部組織で、行政職教育長の事務局ではないと解釈する。行政の教育長は職務外に在る筈だ。行政の長が取り仕切る権力介入の弊害教育を排除するため、教育に対する独立性を保証する目的で採りいれた教育委員会制度と解釈する。現在の教育問題の多くは、行政の管理下に縛られて、教育委員会の本来の住民の意思を尊重する理念を排除する仕組みを取り続けて来たことに本質的原因がある。現在、政治家や大阪維新の会などで論じられているように、更に行政権力側の管理を強めて、住民による地域児童生徒のための教育制度の創造を排除しようと動いている。国家権力・文科省等の締め付けは教育業界エゴに支配される硬直教育に堕すことになると危惧する。今まで「教育委員会制度」の理想的地域定着型教育制度の構築を排除し続けて、無力状態のままに放置してきた文部省・文科省の無策と怠慢が、教育現場の無力化と混乱を招いているのである。

教育委員会制度が蔑(ナイガシロ)のまま現在まで来た。その制度を排除しようと行政が教育を歪めているのが現状である。文科省初め教育制度に行政権の圧力を強めようと現在も画策している。

偽任命状 高等学校教科書専門調査員。調査対象が工業の「電気工学Ⅰ」とある。上の文書が偽任命状(割印も無し)であると言う意味を説明しなければならない。5月10日、新潟市青年の家で第1回目の会合があって、参加した。「電気工学Ⅰ」の調査担当者は数人いた。長岡工業高校、電気科の柳町教諭も居た。2,3回会合があったのだろうと思う。しかし私には、何の連絡も無く、私がその調査に関わる事もなく、全て終了したようだ。誠に不可解なる仕儀であった。

(2013/11/10)追記。そう言えば思い出した。「電気工学Ⅰ」と言う科目は教えた事がなかった。『電子工学』『送配電』『発変電』『電気機器』『電力応用』等の科目しか担当していなかった。しかし『電気理論(電気工学Ⅰに相当)』は論理的な科目で当時は好きであった。今は、『電荷』『電流』の意味の持つ矛盾を話す授業に成るだろう。しかし『オームの法則』は電気技術者としてしっかり、その便利な技術の手法は身に付けなければならない。『クーロンの法則』は決して取り上げないだろう。

新潟県教育行政犯罪でないのか? 昭和54年8月、新潟県知事部局から自宅に封書が送付されて来た。内容は、県外先進校の視察・研修を目的とした極秘出張命令であった。その書類は紛失した。昭54偽委嘱状偽受講証明書しかし顛末は記録にある。

こんな右の委嘱状から始まった。

教育長(久間教育長)は行政職に対しての役職であろう。教職員に対しては、教育委員会が筋であろう。しかも、名前も存在せず、割印も無い偽装委嘱状である。

その委嘱状の本来の意味は東京工業大学での養成講座の受講を目的としたものである。

参加には任意の課題提出の宿題が課せられた。生徒実習に取り入れて実施していた『三相および単相のサイリスタレオナードの実習』についての具体的指導状況と方法の解説をまとめて提出した。文部省の当該講座の担当者は関口調査官であった。おそらくサイリスタレオナード等気にも留めなかっただろう。当時は、昭和57年度から新しい教科指導内容が変更に成る前段階の、少し忙しい時期に当たっていた。教科書も大幅に変更される事で、賑やかであった。その内容の簡略化に、もう教える意欲も失う気分で批判的態度で接していた。最終日の打ち上げ会があり、そこで関口調査官に少し批判的な意見を述べた事を記憶している。我儘であった。

受講証明書も氏名の表記で、私の存在しないことを証明しているようである。学長は斎藤進六先生で、長岡技術科学大学に赴任されることに成る因縁さえ感じる。

行政機関と職員が国家犯罪機関に見える 現今突如として、特定秘密保護法案と言う奇妙な概念の法律が行政権の特定秘密情報隠蔽特権力の為に画策されているように思える。個人の人権が行政側の故意の秘密・隠蔽の下で侵害される危険を、自身の過去に取られた怒りは取り返しが出来ないで許されるか?行政の故意の犯罪行為は行政が秘密に保護回復する法案があるべきだ。特定秘密の意味を考えて?昭和54年8月の新潟県知事部局と言う行政機関が取り仕切った極めて『特定秘密事項』に指定できそうな話を記す意味は必要であろう。秘密行政の違法実態を民主主義と言う市民生活環境保全の意味において大切であろうと思う。その当時の組織などを拾う。新潟県知事部局等

「昭和54年度産業教育指導者養成講座(工業科)」を受講終了し、夏に成る。ある日突然自宅に、封書が郵便で送達された。驚くことに新潟県知事部局発令文書である。しかも極秘文書指定である。そんなものを公開する意味も新潟県の違法行政を許せない民主主義の意義に掛けて大切と思う。

極秘県知事部局発令出張命令 秘密の県外先進高等学校訪問・研修出張の行脚を記す。昭和57年度から新教育カリキュラム(教科課程)が始ることに成っていた。その大幅な改定に現場も対応を迫られてはいた。その訪問日程と訪問高等学校は次の通りであった。訪問高校日付等

最初の打ち合わせがあった。当時の新潟県庁所在地近くの喫茶店(学校町?の)に、後藤靖夫と二人で阿部指導主事の指示により集まり、計画の内容等の説明を受けた。特に極秘で、上記の指定された学校を訪問するようにと告げられた。しかも、校長にも極秘の出張との指示である。しかし、極秘と言いながら後藤の提案で、細かな打ち合わせを新津工業高校の事務室で行った。今になれば、愚かな自分に腹が立つ。極秘が事務職員の居る傍で出張の工程を決めると言う『公開の極秘出張』の愚かさ。後藤は初めから秘密に、阿部指導主事から別に出張目的や指示を受けていた。それは次のような事から判断した。出張には後藤と二人で電車で出発した。その行きの車中で、自分が行っている研究などを話している時、後藤が口走った『それじゃ、自分の聞かされた事とは逆じゃないか』と理解しかねる顔で言った。しかも後藤とは、前年の昭和53年の教科書調査員の会合から、この年の東京工業大学での『産業教育指導者養成講座(工業科)』も二人で参加していた。上の訪問高校で、8日午前の行程だけは別々の訪問高校に決められていた。また、12月24日新潟市の会場(イタリア軒?)で慰労会があった。高等学校の全教科課程の関係教職員の集まりがあり、関係者への感謝の話があった。その帰りに、こっそりと後藤が「どうして転勤することに成ったのか?」と意味あり気に聞いて来た。全体会の冒頭の話に、長岡技術科学大学との交流云々の話があった。その事に関係した後藤の話と、何故知っているのかと?実は、12月上旬、長岡技術科学大学への割愛人事の話を川上正光学長から学長室で承っていた。とてもおかしな新潟県知事部局と後藤靖夫の言行である。『(尾行調査の)糞鴉』付きの出張命令だった。帰宅後自宅に大竹さんのお家を知りませんかと言って、二人組の奇妙な尋ね人が来た。その時写真を撮ったようだった。新潟県知事部局の仕業である。

(2013/11/13)思い出した。昭和55年3月7日の出来事。長岡技術科学大学から出席を要請されていた。当日は、新津工業高校の卒業式である。年休を取る訳にもいかない。教頭に口頭でこっそり技科大から呼ばれているので、無断でそちらに行くと告げて卒業式を欠席。当然新潟県教育委員会から割愛人事の話が内々に通じていると勝手に解釈していた。長岡技術科学大学では事務局で職員数人と川上学長の下、『宣誓式』が執り行われた。電気系の今津教授と私と宮内助教授(他?)だけの宣誓式。新潟県と大学間での合意人事と思っていたから、4月の辞令交付前の宣誓式の意味を余り考えなかった。新潟県での辞令交付式の経験も無く、宣誓式も経験したことがなかったので、大学ではこんな式があるのか位に解釈していた。今に成れば、新潟県で採用もしていない者と大学との人事交流など出来る筈もなかったと考える。すべて新潟県と大学間での策略であったかと理解している。長岡技術科学大学の人事担当が臨済宗僧侶の斎藤信義副学長であった。初めから成り立たない存在否定の人事であった事が今は分かる。許されない思いの日本政府・新潟県行政。少なくとも、新潟県教育委員会での教職履歴を回復する事が研究の意味を生かす原点と考える。過去の科学理論の矛盾を説き明かすことを自然科学研究の目的としてきた経緯からもそう理解する。

出張報告会 出張から帰った後、県庁内の教育委員会事務局に呼び出された。場所は、事務局の大西厚生参事の席のテーブルの前に、立ったままで後藤と二人で説明を受けた。報告書を提出する訳でもなく、同席した阿部英一指導主事から、前もって告げられていた『面会者の名刺を提出せよ』により、何枚かの名刺を差し出した。一体どういう意味かと不審に思い、全部は出さなかった。大西参事がどのような事を話したかは覚えていない。結局『県知事部局の主張命令』の行政上の教育公務員(ただ自分は正式採用の教職員ではなかったことなんだろう)に対する犯罪性が今に成れば、見え隠れしている。公務員と言う職務と組織の関係は?