タグ別アーカイブ: 水蒸気

フェーン現象の事例報告を解釈

(2021/06/08)。今朝の新潟日報新聞記事を読ませて頂いた。

フェーン現象についての観測事例の報告だ。従来の解釈と異なる事例が多くあるとの報告である。フェーン現象の解剖 (2018/06/17)で述べた。そこで指摘したかったことは、どうも物理学理論で『エネルギー』の意味を認識していない事を指摘したかったのだ。「気体分子運動論」が温度の現象の解釈を支配しているようだ。丁度「フェーン現象」の報告をその時も見て、『水蒸気』の熱エネルギーについて解釈するに好適例と思って記事にした。

今回の研究報告。その報告もとても有意義である。確かに従来の解釈では山での降雨が無い事例という点で異なるように思える。しかし基本的には気象現象としては同じものと解釈する。

『熱エネルギー』の物理学的解釈が教育で成されてはいるが、どうもその視点が間違っているように思う。空間に『エネルギー』が在ると言う認識がないところにその大きな原因がある。気象についても筆者は全くの素人と言える、しかし『エネルギー』については少し独自な解釈をしている。気体分子運動論を否定する解釈の立場に居る。「雷」も熱エネルギーの熱爆発現象である。この「雷現象」と「フェーン現象」が気象現象と言う空気中の物理現象としてみれば基本的には同じ意味を持っていると観る。共に気中の熱エネルギーの現象なのである。「雷」と「フェーン現象」の違いは水蒸気の保有する熱エネルギーが冷気で、空気気体の体積の収縮により水となり雨となる。その雨が降る事で、気中に『熱エネルギー』が残る。その気中の『熱エネルギー』が風などで吹き飛ばされず、即ち空気の流れが弱ければ、その空間に留まり、『熱エネルギー』の飽和状態となり、『熱爆発』に至る。それが『雷』の現象である。

今回の報告の「フェーン現象」が雨降りを伴なう、山越えの現象と異なるという意味での報告と解釈する。しかし水蒸気が海の上空で雨となり既にその空間に残った『熱エネルギー』が空気の強い流れに乗って吹き降ろせば、やはり同じ「フェーン現象」と見做して良かろう。低気圧と高気圧は、単純ではないだろうが、幾つかがほぼ対になって地表上に存在する筈だ。その気流の流れによる空間の『熱エネルギー』の移動現象として、「雷」と異なるやはり熱エネルギー現象である。

低気圧と高気圧とはどの様な物理現象か。そこには必ず水蒸気が関係している筈だ。海水面からの蒸発水蒸気である。低気圧は特に海水面温度が高く、上空に低温度の空気流が流れて来た時に起きやすい筈だ。台風や暴風雨などは上空の冷気流の到来と海水面の高温度との関係で起きやすい筈だ。その訳は何か?それは『物理学理論』の解説すべき専門分野である筈だ。決して気体分子運動論では説明が付かないだろう。水蒸気の特性がその訳を握っている。水蒸気は気体であり乍ら、アボガドロ定数の解釈論には支配されない、特別の気体状態と解釈する。水分子は熱エネルギーを保有すると幾らでも体積が膨張する。そこが全く気体分子運動論や、通常の気体とは異なる特質を持っていると捉えるべきだ。それが『蒸気機関』のタービンやピストンの動力源としての威力を発揮する源である。『電荷』否定の『エネルギー』での統一科学論の一つの例となろう。炊事で、湯沸かしの水の蒸発を見ながら思う日常生活科学論かも知れない。

ボイル・シャルルの法則と水蒸気

気体の体積膨張と収縮はボイル・シャルルの法則として纏められている。温度と圧力と体積の関係が分かり易い数式で表現されている。筆者にも感覚的に理解し易く、受け入れやすい式である。しかし少し詳しい説明になると、気体定数やアボガドロ定数との関係で解説されるが、その高等理論(特に気体分子運動論)を理解するには能力的に困難が伴う。地球気温の異常さを感じ、豪雨水害の悲惨な生活破壊の多さを見るにつけ、空気と言う気体の中味をどう解釈すれば市民的科学テラシーの常識を持つと言えるのだろうか。酸素O2と水素H2と窒素N2と水H2O(水蒸気)の温度特性に違いが有るからじゃないかと考えるが、それらの個別の気体分析は検索に出て来ない。みんなアボガドロ定数の御蔭で教育されているからか、何処にも違いは見えない。空気中の水蒸気含有率(質量)の温度依存特性でも調べられて居れば分かるのだが、こんな時代だからデーターが有ればと思う。空気中の水蒸気含有率は素人解釈ながら、地球表面に於ける太陽光線の『レンズ収束効果』による気温上昇への拍車をかけないかと気掛かりなことでもある。地球上が水蒸気でその温度特性に翻弄されているような気分だ。産業革命の元になった蒸気機関は水分子の特性を際立てた主役である。現代の原子力発電等の汽力発電所は水分子H2Oの独壇場だ。その力強さは湯灌で水を沸かすと、底から沸騰と言う自然現象で水分子が膨張する様子に見られるが、それも他の気体分子と同じ現象で理解すべき事だろうか?酸素と水素原子が結合した分子H2Oと言うが、とても不思議なことと感じる。ペットボトルの空気(水蒸気)収縮 お茶の飲み残しのボトルを冷蔵庫に入れた置いたら冷やされて細くくびれていた。改めて30数度のお湯をボトルに入れ、冷凍庫に入れて見た。冷やされて氷が出来て、写真のように体積収縮で括(クビ)れてしまった。上空に寒気が張りだし、空気の水蒸気が体積収縮を起こし、上空の低気圧に因る地上の水蒸気を含む空気が急上昇し、竜巻になったり、冷やされた水蒸気が雹になる現象の意味が良く理解できると思った。酸素分子も同じような現象を起こすのだろうかとアボガドロ定数に関する気体論とボイル・シャルルの法則を考えた。気体分子運動論が現代物理学の標準理論になっているようだ。その理論には質量がエネルギー解釈の基本条件になっているから、その理論による水分子H2Oの質量の運動エネルギーで解釈すると成ると、ボイル・シャルルの法則以上に理解不能の筆者だ。以前『温度とは何か』が問うもの でも考えた。

雷は熱爆発

(2020/06/11) 追記。Friction heat and Compass (2020/03/22) に科学パラダイムの記事。

結論を言う。雷は天空の暴れ者。熱の爆発だ。月に雷は無い。生命豊かな水の星、地球星の天空の饗宴だ。雷は熱爆発

水蒸気の持つ『熱エネルギー』と上空の『寒気』との間で繰り広げられるエネルギー平衡調和現象が雷の本質である。何も電気や『電荷』などでは御座らん。自然は複雑は嫌いだ。素粒子など決して望まない。

雷の姿 雷は恐ろしい。それは落雷時のその稲妻にある。その高輝度の天上から地上までに繰り広げる光放射現象だ。その光の筋に捉えられれば、生命は無い。光は何故屈曲した筋状の形状で、放射光を放つのか。しかも細い筋で、強烈な放射光である。落雷と放射

上手くない絵図ですが、光の形状を描いて示す。発光の屈曲する筋状の意味は何だろうか。

上昇気流の熱放射 雷は空間の熱爆発現象。その解釈を示す。上昇気流の熱放射地表の温暖の空気は水蒸気の存在により、大きな熱エネルギーを内蔵している。そこに上空が寒冷気流に覆われると、上空で空気が冷やされることに成る。特に空気中に水蒸気が多ければ、水分子の占有空間体積の急激な収縮が起こる。その空間の水蒸気の水滴化で、空気圧の急激な低下を来たす。上空の低気圧である。地上の気圧は温暖空気の高気圧にある。その地上との気圧差が上昇気流を活性化する。水蒸気分子の空間体積の増減現象を、ボイルシャルルの法則通りに捉える事で初めて可能な解釈である。水H2Oの分子は保有する熱エネルギーによりその体積が変化する。気体分子運動論の否定からの解釈である。沸騰を読むー原子と寸法ーに因る。また上昇する気流は、上空に到達する前にも、途中の空間に熱エネルギーを放出しながら上昇すると考える。上昇気流によりその近傍の空間には、多くの塵芥も吸い上げられて存在すると考えた。空間に放出される熱エネルギーは、光エネルギーと異なり、単独に空間に存在し得ないから、質量保有の塵芥などに吸収されて残ると考える。当然上空において大部分の熱エネルギーは放出されるから、空間の熱エネルギー分布も上空ほど多くなる(この解釈は間違っていた。地表面が高密度であろう。)。上昇気流の空間領域は全体的に熱エネルギーの蓄積量が過剰気味になっている。

塵芥と屈曲放射光 空間に蓄積されれ熱エネルギーは、塵芥などに蓄えられる。蓄積熱エネルギーの空間保有限界値に達した時、突然熱エネルギーの爆発現象に至る。それが雷である。その稲妻の屈曲状の放射光に成る訳を考えた。屈折放射光

③の上昇気流の途中の空間に放射されたエネルギーが塵芥に保有される。その塵芥の有り様が空間熱爆発時の形状を決定する。簡単にそのように解釈するだけである。検証方法は無い。ただ感覚的にそう捉えると言う以外、説明の仕様がない。空間に『電荷』が無いという事と同じく、科学論として実験的に検証する事など出来ない。

入道雲 間もなく熱い夏が来る。入道雲は夏の風物でもある。晴れ渡る青空にモクモクと立ち上がる真っ白な雲は人の目を惹く。最後に載せる絵図。入道雲

竜巻

今年の夏も竜巻が発生した。予防対策の施しようがない。限られた範囲を通過する。その範囲に入ると、全てが持ち去られ、破壊されてしまう。日本古来の木造建築一般住宅の生活様式が、その竜巻には全く無力である。建造物を浮き上がらせる空気の浮力のように思える。竜巻は台風と同じく、右巻きの上昇気流である。範囲は極めて限られた範囲で、筒状の高速回転気流のようである。そんな気象現象には対策の施しようがない。恐ろしい限りだ。その恐ろしさを描いてみた。竜巻

瓦が舞いあがり、自動車が10メートルも吹き飛ばされる。こんな気象現象は、日本の風土には馴染みがなかった気象だ。根こそぎ持ち上げるから対応できない。逃げようがない。そんな様子を筆字に描いた。

竜巻の原因 局部的な地上の高気温で、上空に冷気が流れ込む現象が基である。高気温は基本的に水蒸気を多量に含む。上空の冷気の流れ込みで、上空の水蒸気が冷却される。水蒸気は空気の他の元素と比べれば、特筆すべき特質を秘めている。冷やされると、急激に気体から液体に急変する。それはボイル・シャルルの法則通り、上空の急激な圧力低下を来たす。地上と上空の気温分布差が、空気の水蒸気分に基づく体積分布の差がそのまま圧力・気圧差となり、上空の低気圧空間に地上からの高気圧気流の吸い込み現象が生じるのである。水蒸気の空気含有量が上空の冷気冷却で、上空と地上間に急激な圧力差を生み出すことが原因である。気温と水蒸気および冷気の相互関係が基本原因である。渦潮も海流の流れで、海底に吸い込み現象が生じるから起こるのである。原因は圧力差という点で、力学的には同じものである。蒸気タービン運転機能で、復水器による真空冷却に似た自然現象である。水の蒸発現象(100度で蒸発、沸騰する)を、理科教育で取上げているような内容じゃ、生活に溶け込んだ自然現象(1度でも蒸発している。海水温24度でどれほど蒸発するか)の理解には成るまい。自然科学は生活科学でなければ成らず、学校の理科教育の無能力さを知る事から始めなければならない。文科省の存在意義も問われる事である。

北半球では、右回りの竜巻に成る。偏西風と地球自転、地球の球形が基である。

高密度都市化、地球過熱化の経済成長路線が世界的規模での異常気象の根本的原因である。エネルギー多消費社会を目指す限りは避けられない現実である。地球星から宇宙空間にどれ程のエネルギー(熱量)を放散できるかである。水蒸気放散(地球水放散)、光放散と考えても余り冷却効果は期待出来まい。原子力発電が、地球温暖化抑制に成る等という迷走科学論が蔓延る限りは、人類の未来は自然破壊驚異の前に、驕りの結果への洗礼を受けよう。合掌。

夕焼け小焼けは何故赤い

昨夜は、仲秋の満月。今朝も、朝日が昇る時刻(5時半)になっても、満月が西空に輝いていた。15度程の角度に残る満月である。幾何学で解釈出来ない不思議を輝かせている。

この地球には美しさが溢れている。時の流れで移り変わる四季の彩り。他の星の営みはどんなだろうか。この地球だけに現れる輝き。夕焼け空の燃える赤。IT検索には皆同じ解説で描かれる。そんな常識論を打ち破りたいと思う。日光と公転・自転

光の競演は、光の本質の解釈に掛かる。7色の光と言うが、光に色がある訳ではない。青い光も、赤い光も人の目に入る時のその光と角膜との関係で決まるのだ。光を『波長』で認識する。波長は光が伝播する空間にその速度をゆだねる。それが光速度である。光は真に『真空』であれば、それは物理的に定義される真の『光速度』である。しかし、空気中での光の挙動は完全な真空の光速度には成らない。光は空間のエネルギーの粗密分布の縦波である。決して横波のような、波などを打って進行するものではない。光エネルギーの空間分布と人の瞳との相対関係で、相対速度で、光の色は変わって映るのである。人のエネルギーの受け取り方で決まるだけである。地球上での実験での光の観測は同じ座標上での観測であるから、光の波長の変化は一般には起こらない。しかし、太陽光を観測するとなれば、地球の観測点と、太陽との相対性が必ず関係するのである。そんな意味を解釈する基準にしたいと思って、表現したのが上の図である。光の速度は地球上の人間に都合がよく決まる訳ではない。仮定として、「太陽が静止している」を条件にした。広い宇宙で、星が「停止」している事は考え難い。太陽も同じと考える。太陽だけが宇宙で静止している等、どのような原則から導き出せるかとても納得できるものでない。太陽も光の伝播基準空間に対して運動をし、更にその太陽に対して公転の地球があると考えるべきいである。しかし、そこまで考えると話がまとまらないので、太陽には静止の条件を掛けた。

光一粒と言う意味 ITでの検索で、接する理論では、光があたかも堅い石のような塊の一粒ででもあるかのような印象を受ける。光は塊ではない。だから塵にぶつかると運動量の変化を受けるが如き説明がある。青い光はチリで散乱し易い。赤はそう散乱しないので残る。などが主流の説明になっている。上の図で、太陽光が地球に到達したとき、空気層でどのような特性を示すだろうか。直進すると考えるか屈折すると考えるかの問題である。決して空気層にそのまま直進して入ることは無い。必ず屈折する。

夕焼けの原因 先ず、空気中の水蒸気の密度。水蒸気と夕焼け上空と地表との気温の分布状態。即ち、水蒸気の気温依存による雲の分布が影響する。その空気中の水蒸気の様体と分布が太陽光線の屈折に影響を与える。水蒸気の存在が光のエネルギー量を吸収する。光はエネルギー量の変化を受けて、エネルギー分布が変化し、それが光の波長の変化となる。光は粒ではないから、伝播空間の媒体の状況で変化するのである。完全真空なら、光は影響を受けない。

観測点Pで見る夕焼け空 右に先の図から拡大して、夕焼けの説明図にした。①は単に空気層での屈折を示した。しかし観測するP点は公転で、地球の空気層と共に、速度V_p で光から逃げることになる。水蒸気の空気層内の分布と量及び気温分布で②のような光のエネルギー分布が相対的に『赤方偏移』を引き起しているように観測される。それが夕焼けの基本的解釈である。

水と風の妖精

いつまでも『水』の虜になっている。その不思議が放さない。

地球の生命の基は水にある。飽和水蒸気圧、水蒸気含有量などの数式表現をしてみても、水の姿を捉えきれない。水を心に描けば、ただ不思議な妖精の世界に見えるだけである。日常の世界の視点で眺めて見ようと思った。

湯沸かし 鉄瓶の水が沸騰した。口から水蒸気が出る。番号を付けた。①番の出口直後の水蒸気は見えない。ほぼ100度の蒸気で、乾燥水蒸気と見做せるのかもしれない。②番の位置では、空気に触れ乾燥水蒸気が急冷されて、湿った水蒸気(水滴への凝縮を伴う)になると解釈したい。未だ蒸気温度は高く熱い。そこでは、水蒸気の保有する熱エネルギーが空気に放射・伝導により移動する。さて、③の位置で、再び水蒸気の姿が消えてしまう。どこに水蒸気は消えたのか?その見えなくなった水蒸気は空気中に消えたが、いわゆる「湿度成分」としての水蒸気のままで残っている訳である。身の回りの調理中の水蒸気一つをとっても、その水・水蒸気の意味を理解することは難しいものと思う。空気と言う気体と水蒸気との関わり方を納得するのはとても難しい。

物干し 毎日洗濯をして、乾燥させる。電気乾燥機は1Kw程の大量のエネルギー消費を伴う。だから外で物干し竿での乾燥をする。陽が強く当たれば、すぐに乾く。気温の高い風が通れば乾きが早い。風が水分を持ち去ってくれる。空気中の水蒸気として。空気とは何て都合良い水分の包容力を持っているのだろうか。

朝露 朝露が風に誘われて消えてしまった。毎日繰り返される夜と昼の時を仕切る営みであった。それはお日様が呼びかけると、何処からともなく風が静かに囁きながら朝露を撫でて行く。朝と言う活動の始まりを告げる自然の営みだから。忽ち空気中に朝露はみんな消えて、青空と肥沃な大地の間に生命の活動が始まる。

漢字 朝・風 日本語で考え・思いを伝える事ができる。漢字文化の御蔭である。漢字と言う象形文字は偉大な中国大陸の人達が生み出した貴重な文明の遺産である。一つ一つの文字にはそこに込められた古人の大らかな心が感じられる。上の朝露の記事を書きながら、『朝』と『風』の文字の意味を考えた。

漢字が日本に伝わって、日本独特の文化になった。しかしその基の意味はやはり「漢字」の原点に遡る事と思い筆にした。『朝』の字は旁(ツクリ)が「月」と思うかも知れないが、そうではなく「舟」である。発電機など無い長い歴史が人類の生活であった。古代の字体がその姿を留めている。朝日をどんなに待ち焦がれたか。陸上は安心して眠る事も出来なかった。猛獣や人に襲われる危険があった。生活は移動を川に頼り、より安全な場所であった。覆いの有る舟で寝泊まりし、朝日の出る場所がここだ。それは木立ちの間に登ると待ち望む思いを現わしたと解釈した。『風』の文字は虫などを運ぶ意味で捉えたのであろう。きっと、その文字に込めた思いは農作物に突然害虫が発生して、収穫を断念する悲しみを表したものかもしれない。そんな勝手な想像をして漢字の意味に思いをはせてみたくなる。標題の『風の妖精』と言う意味は自然物の精霊。美しく親切な女性。と辞書に解説も有る。そんな優しい意味を風に寄せてみた。風の意味を少し物理的に表現すれば、エネルギーの流れと言えるかもしれない。空気に含まれるエネルギーの量は太陽の光エネルギーを基にして、大河、湖、大地や樹木の分布でさまざまに変化する。空気の膨張と収縮が風を生みだす。水・水蒸気がそこに大きく影響し、様々な風の姿を生みだす。