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磁気共鳴画像(MRI)と水分子

はじめに 前に磁気共鳴画像(RMI)診断法の原理を知りたくての記事で疑問を記した。6年程前である。今までに電磁気学と言う物理学の知見を現場の電気工学の技術的感覚を基に、納得出来るかどうかを自身に問い続けてきた。電気回路や電気要素のコンデンサなどのエネルギーに対する機能をその現象と照らし合わせながら考察して来た。ほぼ電磁気現象の本質が『エネルギー』一つで統合的に捉えられるようになったかと思う処に辿り着いた。光と熱エネルギーまた質量もみんな『エネルギー』の自在に変換する姿の場面でしかないと思う様になった。そこに水と言う分子および水素の際立つ特性がエネルギー処理の根底に重要な役割を成しているように思えてきた。

体の細胞組織とエネルギー特性 人の体はそれぞれ異なる細胞組織が境界を持って接しながら全体の隅々まで統合された生命体として輝いている。科学で習う世界の根源は原子と言う単純な単位の組み合わせとしか見えないにも拘らず、その構成するたんぱく質の分子構造がすべてを取り仕切っていると思えば、単純が如何に複雑な姿で実在するかは恐ろしい感覚にもなる。更に思う事は原子も決して変化しない訳ではない。『エネルギー保存則』の原理をどのような意味で解釈するかも議論になろう。ダイヤモンドの誕生のお話が『おとぎ話』になれば、それは不思議な世界を作る筈だろう。丁度シンデレラ姫の物語に似て、基は人に嫌われる塵溜であったなどと。水素も始めから、また行き着く先も水素とは限らない。原子も変転する一時の姿でしかなかろう。『エネルギー』一つも、その実在する姿は人の観方で決まる。光をエネルギーとして見るに、振動数で解釈するかどうかで理解が違う。人の生命の全体を取り仕切っているものは何だろうかと愚にもつかない妄想の先にはやはり『エネルギー』しか見えない。脳が取り仕切る信号は『エネルギー』しかないだろう。脳から制御物質を送るには荷が重過ぎよう。エネルギーの縦波信号波形しかない。脳が受け取る外界情報も縦波のエネルギー信号波形しかない。体温も気体分子運動論よろしく、細胞分子が振動している訳ではない。電磁波と言うエネルギーの縦波密度分布波形の信号波の貯蔵量である。体温も細胞内に貯蔵されたただエネルギー量の指標である。細胞の活動を保つに必要な生体環境としてのエネルギーレベルである。その波形を観測できれば良いのだが、神経細胞・骨格細胞を伝播するほぼ光速度伝播のエネルギー分布波形を見ることは残念ながら無理であろう。磁気信号、電波信号はX線、マグネットで医療機械で多用されている。みんな同じ縦波のエネルギー密度波である。身体にもその生命活動を担うあらゆる情報や体温などがエネルギーであると言う意味でお馴染のエネルギー信号波である。X線は少し負担が大きいだろうが。『エネルギー』の物理的実在性の意味を伝えたい。

エネルギーと水分子・水素 雷は熱爆発現象と言った。『電荷』は必要ない。水蒸気が上空寒気によって体積収縮時に放出した熱エネルギーの貯蔵限界越えの爆発現象である。空間貯蔵の熱エネルギーの光変換放射現象である。白熱電球で、コイル空間の熱エネルギーが光変換放射されるのと、原理は熱から光への変換現象として似通ったものと見られる。水は熱エネルギーとの特別の相性で日常生活に君臨している。生命の水は細胞と共にある。中でも水素の比熱は14000[J/kg K]と他に比して一桁高い。水の妖精七変化(エネルギー) は水の電気分解について考えた記事だ。MRI やCTの医療診断装置はX線を含めて電磁エネルギーを人体細胞に照射して、その細胞の吸収エネルギーに因る分子構造の形状変化歪みの回復現象を利用した放射エネルギーの違いを検出する基本手法と考える。水分子や水素のエネルギー吸収・放射反応の物理的意味が分かれば、ほぼ誰でもその医療装置の基本的原理が理解できるものと思う。難しい2分の1の電子スピンなどで頭を悩ます必要もなかろう。もっと単純な原理である筈なんだ。ここでのエネルギーと水分子・水素の関係を理解するには、先ず電磁気で電界と磁界と言う二つの物理概念がどちらも『エネルギー』の見る観方の区分でしかなく、一つの『エネルギー』であると言う単純な自然の姿であると認識することであろう。横に触れる波など無い事を理解するべきである。単純な『エネルギー』の姿を認識して欲しい。電荷やプロトンなどと複雑な概念を使わなくてもよい筈だ。

水素スペクトラムと画像検出 MRIの原理の解説が載っている。その原理を知りたいと思うが、装置の構造に対して印加電磁界の方向と磁場強度などが知りたい。超伝導磁石の磁界ともう一つの磁界が互いに直交して加えられるのかと勝手に解釈する。何テスラと言う磁界とあるが、変圧器用ケイ素鋼板の最大磁束密度でも1.5[T(テスラ)=(Wb/m^2)]程度であるから、たとえ超伝導磁石でも装置の空洞内の磁界強度はそんなに高くはならないだろうと言う感覚であるが、3テスラ等と言うと想像できない強度だ。装置内のコイル近傍で、身体に掛かる磁界強度はどの程度なんだろうか。その数値が知りたい。簡単に解釈する概要は、MRIとは静磁場の磁石と超電導磁石の断続磁場の直交した磁界間での被測定体(患者)へのエネルギー照射の断続により、身体からのエネルギー放射信号を検出して、計算機データ処理に因る身体各部の断層写真データを収集する手法の装置と理解している。そこでMRIの物理的原理はどのような事なのかを知りたい訳である。少しは電磁気現象についての専門的な感覚でもって考えたい。水素原子プロトンの歳差運動と言うのが重要な原理に成っているように解説されている。MRI-新潟大学 にその内容が詳しく解説されている。

水素原子核プロトンの歳差運動とはどのような意味か? 残念ながら筆者にはプロトンの歳差運動と言う意味が理解できないのだ。科学技術応用の原理と言う本質としての物理学的理論は余り当を得ていないように思えるから困惑してしまう。地球ゴマの歳差運動に関係付けても、プロトンが磁界によって歳差運動しなければならない訳が理解できないのだ。水素原子が比熱では他に抜きんでて高い特性を持っている。高い比熱とはエネルギーの吸収量が大きいと言う事である。水がエネルギーの吸収に於いて際立っても居る。水と水素は切り離せない程エネルギーに対して特異性を発揮する。おそらくそれは水素に負うところが大きいからであろう。磁気応用としてのMRI装置の理論的原理は解説通り、水とその構成水素の放射信号スペクトラムが重要な意味を持っているのであろう。水素が吸収するエネルギーが身体細胞にどのような意味を持つと考えるかが重要であろうと思う。磁気であろうとX線であろうと、照射するのはエネルギーである。身体細胞がそのエネルギーを吸収し、外部印加電磁界が断続されれば、切られた時にそのエネルギーを放射する筈である。おそらくその放射エネルギーの周波数帯が水素原子のスペクトラムに特徴的であるのだろうと想像する。

電磁エネルギーと細胞空間構造歪み 難しい理論は分からないので、単に電磁気現象の持つエネルギー概念から身体への照射と細胞エネルギー放射の関係を感覚的に考えて見た。細胞は高分子構造体であろうから、その中に含まれる水や水素原子は様々な細胞ごとに特有な立体構造の一部を占めていよう。その細胞内で照射されたエネルギーがどのように何処に吸収されるかで、細胞内の分子構造体に空間的ひずみが生じるであろう。電磁エネルギー照射が中断されれば、細胞の空間的ひずみに因る力が元に戻ろうとしてエネルギーを放射する筈である。その細胞空間形態ひずみは水素のエネルギー吸収特性が担っているのだろう。水素の体積増加として空間ひずみを起こす。水素そのものがエネルギーの質量化である筈だから、水素はそのエネルギー吸収で際立っているからと考える。医学に全くの素人の妄想かもしれないが、電磁気現象から考えた解釈である。自然は難しい理論は好きではないと思う。それにしてもMRI装置の科学技術は、その断層写真映像を検出する信号処理などの電気情報処理については余りにも理解する限度を超えているので己の無知が恐ろしくさえ感じる。何も分からない市民が知らなければならない筈の科学技術の未来を考えれば、どのように関わるべきかの社会的課題が残されてゆく。

水のお伽の世界

突然未知の藪に入り込む。水の世界は有り触れていながら、不思議がいっぱいだ。水には人の心を癒してくれる不思議な力が秘められている。信濃川の河原で、石に腰掛けて水の流れを見つめる。流れる水の面は時々刻々と同じ流れには成らず、変化し続ける。その変化の模様に心を乗せていれば、その流れは必ず心を癒してくれる。そこには自然科学など不要だ。今は水の流れを眺める余裕がない。ストレスを静かに流してくれる事請け合いだ。どうか試してみて欲しい。ただし、石河原で、石の面を流れる水の変化する浅瀬が望ましい。水のお伽の国に、科学のこころを遊ばせに行こうと思う。
お伽の国にも水も酸素も水素もあるという。薪を燃やして魚を焼く。火の後始末に水を掛ける。あかあかと燃えていた火も、真っ赤な薪も一瞬にジューと音をたてて熱が消えてしまう。暑い熱を水が白い膜に包んで隠してしまった。水の様態

お伽の絵図 水の意味を知りたくて、お伽の絵図にしてみた。この絵図は科学論と言うより、疑問をその思うままに表現したものである。大変身近にあって、いつもその御蔭で生きている。『水』、『酸素』さらに『水素』がそうである。酸素原子一つと水素原子二つが結合すると、水分子H2Oとなる。酸素が関わる燃焼により、水が生じる。それなら自然界では、水は酸素と水素にならないのだろうか。理科実験で、水の電気分解では酸素と水素に分解されるようだ。電気分解で、水の温度が下がると検索に出ている。それは本当か。もし本当なら、電気分解とは電気のエネルギー(特別電気のエネルギーがある訳ではなく、熱エネルギーと同じ物でしかない)を水に供給する訳だが、更にそれでも足りないで、水自身が保有するエネルギーまでも水分子の分解に消費する事と理解しなければならない。温度の低下は確認していない。しかし、水が酸素と水素に自然界で分解する仕組みがなければならない。どのような自然の仕組みかが物理の科学として重要である。

酸素の生成 自然の神秘は全てが変化し続ける輪廻転生に有る。宇宙も同じままには留まり得ない。お陰さまでの地球の生命も酸素も常に変化の中に存在する。地球の生命の仕組みは、植物があればこそだ。水の中の藻や名も知れぬ草、邪魔にされる雑草がどれほど生命を育てているかを知らない。身の回りの神秘を未だ科学は説き明かしていない。太陽が植物を育て、地球を大きくして来た。太陽は光で地球の生命を育んできた。光のエネルギーが全ての質量となる。

オゾンO3 以前、上空のオゾンホールと言う話題も聞いた。酸素ではあるが、少し活力が強いのかと。太陽光線が地球に降り注ぐが、上空のオゾンO3の御蔭で、人がその紫外線から保護されていると言うことだ。オゾンも酸素の活性化されたものらしいが、何故オゾンが紫外線を吸収するかの理論的根拠も理解できない。上空に、酸素分子O2が何故オゾンO3となって層を成すと考えるかも理解できない。オゾンと酸素の違いも分からない。ここまで考えると、もっと大きな疑問が湧く。

何故分子であるのか 水素も酸素もH2あるいはO2と二つが対になって安定した存在となる。これはアボガドロ定数の意味にも関わる基本的問題である。自然科学論は、その原理的意味を考えるより、『自然はこのようである』と言う捉え方で満足しているもののようだ。ヘリュウムHeは不活性だから、分子で考える必要がないのか。He2と言う分子で存在するかどうかも知らないが、気体であるから、その場合もアボガドロ定数は同じなのか。即ちヘリュウムの場合も酸素の場合も同一体積内には同一の原子数が含まれるというのだろうか。そこで、酸素分子、水素分子は何故二つが対になってしか存在しないと考えるのか。と言う問題に初めてなると思う。『電荷』での結合には無理があるが、それにしても対となる論理的意味付けが出来るのだろうか。科学論は「何故」と問う事から始まる。こんな疑問はせいぜいお伽の国でしか通用しないのかと言う問題になる。

ボイルシャルルの法則と分子 酸素と水素は通常気体である。気体は熱などのエネルギーを加えると、ボイル・シャルルの法則に従う。気体の圧力p[N/m^2]、体積V[m^3/kg]そして温度T[K]とすれば、pV/T=一定値[J/(K・kg)]がボイル・シャルルの法則の基本形である。しかし、厳密にこの関係式が成り立つとは言えまいが、基本的にこのような圧力・体積・温度(熱)の関係で捉えたい。ただ温度と熱エネルギーは気体や条件で決まった関係には成るまい。現代物理学では、気体に対して「気体分子運動論」がその解釈の主流になっている。それは分子が熱などのエネルギーを得ると運動エネルギーとして分子の活性化に働くという解釈である。その現代化理論が、アインシュタイン以降の量子論と相まって、気体分子運動論での解釈になっている。分子がエネルギーをその質量の運動エネルギーとなるという解釈を筆者は受け入れない。気体はあくまでもその分子の体積膨張として捉える。だから、現代物理学論での解釈でなく、古典的体積膨張の解釈で捉えたい。そこには原子そのものの空間的体積占有量が大きく変化するという見方で捉えるのである。だから、アボガドロ定数などが役に立たないと考える。気体分子が運動力学に従って、運動エネルギーとして保有するという論理性が怪しく思える。理論だけが先走っている。酸素も水素も熱エネルギーにより、運動でなく静止のまま体積膨張をするという解釈を採る。『温度とは何か』が問うもの

水は何故存在するか 水は分子H2Oである。宇宙にも水は溢れていよう。氷の彗星と言うから。水の意味を考えるなら、当然酸素も水素も何故存在しうるか地球上に誰がその存在を創りだしたかを考えたい。植物が酸素を創るという。しかし、植物が水素を創るとは言わない。水は酸素と水素があって初めて存在し得る。空気中の成分分析結果が検索で得られる。大気成分の分析法は?の結果はどのように分析されたかを知らない。そこには水素は無い。大気中で、酸素と同じく、水素が共に存在しないで水だけが存在するとは信じられない。水蒸気は水の大気中の成分である。植物が太陽光線をエネルギー源にして、光合成と言う反応を通して、酸素を生み、水素を創るのだろう。しかし、水素は水素受容体NADP等と言う物で解釈されている。その意味は理解できない。水を植物が分解し、酸素と水素を作り出す。またその酸素と水素から、植物が水も作りだす。天然の精水春の生命が噴き出す植物には水を創る夜の役目がある。酸素と水素から水を創りだすのだ。そのエネルギーを命に変えていると観る。燃料電池のエネルギーの発生と同じ仕組みだ。

燃料電池 水の電気分解の逆が燃料電池である。水の電気分解と同じ水の分解を植物の光合成で行っている。太陽光線をエネルギー源にして。

水の保有エネルギー 水にまつわるエネルギーの循環を考えたい。水素爆発(7%の水素濃度で、爆発現象を引き起すという)とはどんな現象であろうか。 『水素』に思う  にも書いた。酸素と水素の保有するエネルギーが大きい。結合すると水のエネルギーが少ない為余分のエネルギーを放出する。それが燃料電池としてのエネルギー源になる訳である。電気分解や燃料電池と言う科学技術の水にまつわる現象が、自然界ではおもに植物を通して営まれていると考えたい。太陽光線と植物が地球の生命の源泉になっていると考える。

水と風の妖精  に水蒸気や風と水を結んで見た。お伽の絵図に酸素、水素と水を描いた。また印刷が出来ないのだろう。どういうことか?

『水素』に思う

今朝の直覚は水素が急に頭に浮かんだ。「浮図」と言う用語は急に図となって頭に浮かぶと言う意味なのだろうか。昨日は、電荷否定は科学的発見か と直覚に絡めて書いた。歳を取ると、理屈や計算は苦手になる。せめて過去に辿った頭の経路の中から関連した事象を引き出して、科学的解釈をする以外はない。2011/03/11東日本大震災での福島第一原子力発電所の『原子炉崩落事故』で気掛かりのことがあった。『水素爆発』である。水素が空気に触れると、7気圧の爆発力になることは工業高校で生徒に教えていたので知っていた。その凄まじさに、新聞記事での写真に遭遇してその水素爆発の意味を改めて考えてしまった。まさか、『陽子爆発』と言う意味ではないのだろうと疑念のままで来た。陽子と水素の違いはなんだろうかと考える。何も違いは無いだろうと。

水素の命名者は誰か? 元素名がそれぞれ成程と言う思いにさせる用語で付けられている。IT検索で、塩素を調べた。幕末の蘭学者 宇田川榕庵が「舎密開宗(セイミカイソウ)」に塩酸の翻訳用語で表したらしい。しかし水素を誰が初めて使ったかは分からない。それにしても、『水素』と言う命名は誠に巧いと感心した。また、元素に『素』の字を使う語感にも感心する。昔の日本人は、優れた翻訳の語感を持っていたと改めて思う。今日の直覚は酸素、炭素、窒素の日本語の命名者は誰かと思った事からである。漢字『素』を自分も使いたい。世界を構成する基が『エネルギー』であると考えた。その『エネルギー』の日本語訳に『素原』を使いたい。何処か『元素』に似ている。『エネルギー』が世界の「素粒子」である、それが前からの思いである。

水素の発見 1766年ヘンリー・キャヴェンディッシュが分離発見したらしい。1783年アントワーヌ・ラヴォアジェがhydrogeneと命名したらしい。その日本語訳を『水素』としたのは巧い翻訳と感心する。物理的には、陽子と水素の判別が分からないけれども。それは電子の実像不明である故。電荷否定について『電荷』という虚像 をご覧いただきたい。

水素製造の消費エネルギー とても不思議に思っている事がある。『燃料電池』のことである。新しい発電方式として、急に脚光を浴びて、実用化が進められている。家庭の発電方式やハイブリット自動車などに燃料として使われる。水素の製造過程で、どれ程のエネルギーを消費するのかがとても気掛かりだ。エネルギーを生み出す原料・燃料『水素』を造り出すことになるが、その製造工程でのエネルギー消費量がいくらなのかという素朴な疑問が解消しない。家庭の発電方式で使う場合は、その機械の製造から材料の調達・発掘すべての産業の関係したエネルギー消費量を計算して、発電エネルギー量との損得勘定を明らかにする必要があろう。燃料自動車は確かに、排気ガスでは水だけしか排出しないから、環境の問題は幾らか改善されるだろう。地球環境過熱化の問題は科学技術全体のエネルギー消費量の総量で抑制する方向でなければならないのである。経済成長と言う視点だけで、政策・技術が論じられ、推進され易い現実を未来の為にどう考えるべきかが問われているのだ。悩ましい問題に、リニア新幹線問題がある。どれ程エネルギーを多量に使うかを考えているのか?地球がどんどん過熱化されて、植物が枯渇し、生物の多様性が消滅し、生態系全体が崩れた時、すでに人間もその生存が不可能になることを認識したうえで、エネルギー消費を競って行くのだろうか。北極海の航路開設とエネルギー掘削など、温暖・過熱化の加速である事を。水素熱資源活用の問題を地球過熱化との視点で見るべきだ。

燃料電池の原理? 水素の酸化現象。それが化学反応によるエネルギー発生の原理らしい。化学反応式で表せば、 O2+2×H2=2×H2O+E(エネルギー) となるようだ。こんな単純な化学反応でも、水が生まれて、エネルギーを利用できるとは大変なことに思える。原料の酸素と水素の保有する熱エネルギーと化学反応後の水の保有して排出されるエネルギーおよび利用される熱エネルギー(あるいは電気エネルギーと言うのかもしれないが)(損失も含んで)等の総エネルギー量は幾らなんだろう。原子が結合すると何故エネルギーを放出するのだろうか。『質量とエネルギーの等価性』から解釈すれば、水素と酸素が結合して、どんなエネルギー変換を引き起すのだろうか。どの質量がエネルギーに変換するのだろうか。そのエネルギー変換現象の物理的意味を理解できないのである。燃焼と言う熱エネルギーに関する関係記事、燃える『酸素』の力とは?および太陽は何故燃える? がある。