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これが電気回路の実相だ

はじめに 電気技術概念、その代表が電圧と電流だ。その本当の意味はすべてエネルギーの姿を利用しやすい観測量として評価するものであった。エネルギーが電線導体の中を流れることはない。すべて電線で囲まれた空間を流れるのだ。基本的にはほとんど光と同じ光速度、毎秒30万キロメートルの考えられない速度で伝送されている。電気回路理論では電線路をエネルギーが流れるという解釈は一般的に採られない。それはエネルギーが空間内に実在している物理量という意識がないからであろう。エネルギーその物を計ることもできないし、目で見ることもできないから意識化が困難な事にその原因があるのだろう。太陽の光を浴びて、暑くてもそのエネルギー量を計れない。光を見ても、そのエネルギーが流れていること感覚的に捉えにくい。決して光は振動などしていないことを実験的に検証できない。光の科学測定は振動数の姿でしか測定値として捉えられないから。光の空間を伝播するエネルギー分布波など測定・観測できないから。電気回路を伝送するエネルギーも光と同じ空間分布波である。

特性インピーダンスと伝播定数。 電気回路は電線と回路要素のインダクタンス、コンデンサそして抵抗の3つでほとんど構成されているとみてよかろう。モーターもそれらの要素に等価的に分解して解釈できる。それらの要素がエネルギー(このエネルギーという意味を空間分布波として認識しなければ意味が通じない)に対して、それぞれ異なる機能を発揮するから、電気回路現象を理解するには技術的学習が必要になる。その技術習得に欠かせないのが、電圧や電流あるいは電力の概念である。しかし、電気回路の実相はもっと単純なのである。電気回路のインピーダンスや虚数軸のベクトル手法などによる専門的知識によって、単純な電気現象の実相が見えなくなるようでもある。ベクトル解析などと抽象的な解釈法を専門的共通理解の手段として学習すると、とても便利に理解しやすくなり、専門家集団内の共通コミュニケーションに欠かせないものとなる。そこには物理学理論としての電圧・電流概念が確固たる強固な物理的基盤として支えてもいる背景もあるから。しかし、電気現象も光や電波と同じエネルギーの空間伝播現象でしかないという本質を先ず捉えることが必要なのだ。そこに大事な電気回路現象の理解の要として、特性インピーダンスと伝播定数がある。街には配電線が電柱で支えられて配線されている。電気エネルギーを供給するためである。高電圧6600ボルトのピン碍子配線、変圧器を介した低電圧200・100ボルトの絶縁ケーブル配線がある。それは空間を伝送されるスマホの信号エネルギーと同じ電線導体の間の空間を伝送される電気エネルギーの伝送設備なのである。専門的技術理論が分からなくても、単に電線路空間を構成して、その空間を通してエネルギーを光速度で送っているだけなのである。その基本の単純な自然現象の利用技術が電気工学や電力技術として熟練を要する専門的な理論となっているのである。誰しもが基本となる自然現象の単純な意味を先ず理解してほしい。電線導体の中を電子が流れている等という、如何にも専門家らしい言説に惑わされないでほしい。決して電線導体の中を電子など通れないのだ。この世界に、負の電荷を持った電子など存在しないのだ。教科書が真実などと言うことではないことも知らなければならないのだ。自然は深くて単純なのだと。

電線路の実相

電気回路の真実を知りたい方のために少し解説したい。技術と自然の架け橋の要点を。

空間の電気特性 目の前の空間が持つ科学技術的解釈に誘電率と透磁率という概念がある。空間がインダクタンスとコンデンサから成り立っているという解釈である。携帯電話を使えば、電線が無くても通信ができる。空間が電波信号(これがエネルギーの空間分布波なのだ)の伝送路だからだ。図に透磁率μo[H/m]と誘電率εo[F/m]の値と空間の持つ特性インピーダンスZo[Ω]および電気信号の伝送速度の逆数で伝播定数γ[s/m]を示した。光速度coもその定数から決まる。透磁率が4πという立体空間角度に関係した値で定義されて、うまく統合されている訳は誠に不思議に思える。余りにも良くできているから不思議だ。それは空間の長さ1メートルあたりにインダクタンス[H/m]がある。同じくコンデンサのキャパシタンス[F/m]がある。空間にコイルやコンデンサがある訳はないのに、そのように解釈して初めてエネルギー伝播現象の姿を納得して理解できる。その捉え方の妙味が、とても便利であるから不思議なのである。何か禅問答のようだ。

右に裸電線を張った電気回路の意味と特性を示した。数式には自然対数のln(2D/d)を使って示した。常用対数log(2D/d)に変換するには係数2.3026を掛ける。一般的には絶縁電線が使われるが、基本的な特性は裸電線の空間構造によって決まると考える。絶縁電線は電気エネルギーの流れる伝播空間が電線表面の絶縁体部を流れるため、エネルギーの流れる速度が比誘電率の値で遅くなる。1メートルの長さをエネルギーが伝播する時間が伝播特性で、比誘電率εsのため√εs倍だけ長くなる。裸電線の場合は、空間の光の速度と同じことになる。線路の特性インピーダンスの機能はその値が同じであれば、エネルギーの流れが電源電圧のエネルギー分布に従って反射などの阻害要因がなく伝送されることを示す。その現象は特に超高周波回路に現れる。分布定数回路と実験に例がある。

むすび

空間の光エネルギーの伝播現象を科学技術概念、空間定数(透磁率、誘電率)と結びつけて、その捉え方を電気回路の伝播現象と統一的にまとめた。30数年前に、拠り所の電流概念を棄却して闇の世界の中をさまよいながら、プランク定数の次元と実在概念 日本物理学会講演概要集 第56巻第1分冊2号、p.338. (2001) の光エネルギー分布波の捉え方から、空間エネルギー分布の解釈にたどり着いた。光とは何か?-光量子像‐にまとめた。今50数年前の、分布定数実習に対する一考察 (新潟県工業教育紀要第3号、1962)の分布定数回路の実験結果が貴重な資料となり、この記事の基にもなった。新潟県教育委員会に正式採用もされていなかった中で、アルバイトのような身分の分際で研究するなど誠に御迷惑をお掛けしたと恥じている。と卑下してみても、新潟県はこの研究報告を生かす責任があろう。 

 

ハミルトンの風車からエネルギーを観る

はじめに (またの文末の自分の恥さらしで御免なさい。憲法と市民権など全くの無知であった。権力と市民権の関係の教育を受けた記憶も無い)。ハミルトンの風車はブログの最初の科学の記事で、放電現象と電荷・電流概念(2010/08/02)にある。何故ハミルトンの風車を取上げるかには理由がある。新世界ー科学の要ーで示した静電界のエネルギー流についての解釈を早合点したようだ。訂正しなければならないと思ったからである(2017/11/07追記・修正した)。それはコイルとコンデンサの磁気ループについても訂正になる。

ハミルトンの風車

極性とエネルギー流 ハミルトンの風車を検索すると、その回転現象の解説にはイオン風と言う電荷が原因となった説明が成されている。マイナスの3万ボルト程で大きな卍型の針金が相当の速度で勢いよく回転する。しかもプラス側の電極が無いのに、マイナスを印加するだけで良く回転する。昭和40年頃の高等学校での公開実験での強い印象が残っている。1.6mmΦの屋内配線用銅線で構成した直径30,40cm風車実験結果が思い掛けずも成功したのも不思議であった。何も傍にプラス電極が無い、空間に置かれたマイナス電極の風車である。針金の先端からジーと音を立てて噴射しながら回転する。ただし、印加電圧が正極性の時はそれ程強い回転力は得られない。明らかに極性によって異なる電気現象であることははっきりしている。放電管内の流れがマイナス電極側からしか流れない事も良く分かっている事だ。その流れを陰極線と名付けたのだ。その流れる実体を『電子』と呼んで解釈するのが現代物理学理論の根幹である。『電荷と質量』を備えた素粒子が『電子』である。その電荷と質量の空間的描像も明らかに説明できないにも拘らず、『電子』と言う素粒子(レプトン)が実在し得るとの前提で構築された電磁界理論である。その電子と言う『電荷』概念への疑問を抱いたのが電磁界の新世界に踏み込む事になった原点である。ハミルトンの風車の回転現象を電子とイオンで解説されているのが常識論である。結局、電子もイオンも『電荷』と言う実在しない物理量概念で、見えないが故に、簡便な解釈で伝統的に積み重ねてきた理論体系の基礎概念となって、社会的な常識論の根幹となって来たという事であろう。今唱えたい事は電子やイオンに替わって、それに対応する『エネルギー』一つで統一的に解釈すべき基礎理論が求められていると言う結論になる。

針電極 針電極のような金属の先端を尖らせて、負の高電圧を掛けるとコロナを噴射する。それは導線に沿ってエネルギーが針先端から空間に噴射されるからと解釈する。導線周辺にコンパスを近付ければ導線を周回する向きに磁気ループが存在するだろう。それは電流で解釈すれば、それが先端部から流れ込む向きと同じ方向ではある。このエネルギー流の解釈は、電子・電流の解釈との明確な違いを説明するだけの根拠を示せないのが残念ではある。残念であるというより、目に見えないものを科学技術で自然現象を利用するように概念化して来た多くの先人の業績を讃えるべきであろう。然しながら、自然の真底に横たわる眞髄は科学技術概念の奥に隠れているのだ。それはを認識するのは各人の自然科学的感性に委ねられていると言えよう。

平板コンデンサ内のエネルギー流 そのエネルギー流での解釈は、平板コンデンサ内へのエネルギー貯蔵をどう捉えるかに、その有意性があろう。『電荷』貯蔵に因る解釈よりも矛盾は少ないだろうから。コンデンサ内でのエネルギー消費は殆ど無かろう。従って、エネルギー流は平板コンデンサ内で何らかの回転流として貯蔵されるだろうと考える。二枚の電極板に対して、エネルギー流がどのようであるか、上下二つの流れであるか、一つの流れであるかは見えないものを解釈する訳で、そこに悩ましい決断が求められる。新世界ー科学の要ーで示した解釈は二つのエネルギー流で決断した。それは下部電極表面での磁界の方向が決まるエネルギー流を上部と同じ電極表面に沿って流れ込むと解釈したからであるが、その点が少し早合点であったと反省している。それは新世界への扉ーコンデンサの磁界ーで示したように、下部電極表面でのコンパスの指示方向が電極表面に流れるエネルギー流との合成流に因ると解釈したことに因った。コンパスの磁気の意味をそのエネルギー流が原因と解釈する捉え方そのものが新しい科学的世界観でもあり、その事との関係で迷いがあったと反省している。今回上に示した図の平板間の一つのエネルギー流で解釈する方がコンデンサ内でのエネルギー貯蔵の姿としては共感し易いと言う感覚的な意味合いをも含んで決めた。誠に科学実験による検証方法という手法が採れずの感覚論で誠に不甲斐なさも抱かざるを得ないと同時に、混乱を与えたらと申し訳ないと思う。コンデンサ内のエネルギー貯蔵で、二つの流れは不自然であろうと感じるからである。以上の考えから、結論を図のようなエネルギー流で捉えた。この平板電極内の空間とその外部との関係は明確な描像を描くことはできない。コンデンサ貯蔵エネルギーが完全に電源との繋がりがなく、独立したエネルギー流になるかと考えれば、それは無いだろうと思う。その曖昧なまま表現した図である。負極性の場合で示したが、エネルギー流は電源の負側からの供給が主流になるとの解釈をハミルトンの風車から類推したことで、正極の電極板に対して少し反発する流れになるかと考えざるを得ない。それがその電極近傍でのコンパスの指示方向の原因となる貯蔵エネルギー流とコンパスのエネルギー流との兼ね合いの問題であるから。基本的にはそのエネルギー流がコンパスの指示方向・磁気ループの解釈の拠り所と考えざるを得ない点にある。

アーク・火花放電 高電圧工学と言う分野がある。それは電力系統の保全対策として、送電線路への落雷に対する対策や、支持絶縁碍子の性能向上に欠かせない研究分野である。その電気的特性は高電圧試験によって基礎研究が成される。平板電極間でのアーク放電現象はその基本観測である。電界強度の空気限界は大よそ30kV/cm位と考えられている。それ以上の電界で火花放電し、絶縁は破壊される。その火花放電現象の原因は電極間に塵などが入り込めば、その局部的エネルギー密度が高くなり、局部のコロナが全体としての放電に移行してしまうだろうと考えられる。その辺の現象を電極板の『電荷』で解釈しようとしてもなかなか難しいと思う。丁度、雷が空間の状況と水蒸気の熱エネルギーの供給・放出との兼ね合いで決まる事から思えば、電気現象も『電荷』では捉え切れない謎が多いだろうと思う。

『電荷概念の否定』の観点 伝統的科学理論が常識として世界に受け入れられてきた。正と負の対称な二つの『電荷』が世界の根源を支えていて、その『電荷』無しには科学理論を論じられない事になっている。伝統的科学の世界観で共通理解に在る社会的安定性の観点から観れば、『電荷』否定の反社会的科学論は誠に迷惑な事ではあろうと理解はしている。2000年にワープロ代わりにパソコンを購入した。雨蛙や日本カナヘビ、揚羽蝶など身近なものを眺めて、生活の術もなくただ漫然と流されて来た。科学研究の機関に所属する事も不可能な人生の状況に追い込まれた。今過去を知って見れば、職歴も書けない現実が身に染みている。退職の手続き一つした覚えが無い現実。翻弄され続けている身には日本国憲法(特に、第98条1項 この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部または一部は、その効力を有しない。とあるが、その条項は何の為のものか理解できない。)が欲しい。まさか昭和14年12月1日や昭和39年4月1日に戻る訳にもいかないし、どうしたら良かろうか?平成7年7月(11月の間違い?)には、国会で事務局職員にわざわざ筆者の正面写真までお撮りいただいたので、不審者リストにでも御登録されているかも知れない。身分が不明のまま捨て置かれているかと疑いたくもなる。昭和63年2月にも国会で物議の基になったかもしれないが。当の本人筆者は何も知り得ないまま今日に至る(*1)人定証人喚問。しかし正規でなくても幾らかの現場での経験から、身に付いた電気工学の技術感覚から物理学基礎概念の意味が腑に落ちず、光の伝播現象と物理学基礎概念の実相を我儘勝手な解釈で追い求めてきた。今思う、『電荷』概念否定の感覚に間違いは無かったとそれだけは安堵した。種々雑多な内容をITの世界に恥ずかしげもなく、恐ろしさも知らず綴って来た。パソコンでの情報発信で、学会での正規の学術研究には成らないかもしれないが、専門的学術に無関係の方々にも科学の基礎とは何かと考える意味は伝えられたと感じる。どれも特別科学研究となる様な新しい事でもなく、日常生活で感じる科学感覚が基での考えを発表して来た。しかし、『電荷』否定一つが、科学理論と自然科学の解釈論に未来への課題として無視できない処に在ることだけは示せたように思う。未来に向けた、子供たちへの教育の問題として。

(*1) 人定証人喚問:昭和63年1月中頃、自宅に何処からか『長岡工業高等専門学校の健康保険証』が送付されて来た。長岡技術科学大学の電気系事務室で電気系長にこんなものが送られて来たと見せた。そんなものを持って居てはいけないと取り上げられた。その後、その保険証がどのように処理されたかを確認していない。その数日後、長岡工業高等専門学校の事務職員がやはり自宅に「未だお返し頂いてない保険証をお返しください」と封書が届けられた。身に余る不可解に対処し切れずに、無知を曝して今日まで彷徨って来た。今も不届きなへリコプターが飛んでいる。畏れ多くも国会で不届き者と人定喚問でもして、我が身の悪行の所業を解明して頂かないと死に行く人生に辻褄が付きそうもないと考えている処でございます。(2018/10/12)追記。誠にお恥ずかしい次第であります。『静電界は磁界を伴う』電気学会全国大会(1982)の発表から、脱藩したと観られる 瞬時電磁界理論の実験的検証とその意義 電気学会電磁界研究会資料 EMT-88-145 (1988) の発表まで、すべてロゴスキー電極間の静電界中の磁界模様の実験写真である。電場が磁場であることの証明写真である。電気磁気学の電荷概念を否定しなければ、この写真は嘘になる。世界の構成根源要素は『エネルギー』一つに集約される筈と、ハミルトンの風車の実験(1965年頃実施)に結びついた。

美空ひばりと臨教審の以下余白

異常な日本の30年を過ごして。

『愛燦々』 テレビの歌謡番組を観るようになったのは昭和が終わり、平成になってからであった様に思う。後から振り返って、あの歌が自分と関係が有りそうだと気付く。特に美空ひばりが歌った歌を何十年もたってから、その歌詞に込められた意味に気付く。始まりは、『愛燦々』昭和61年(1986)秋のようだ。長岡工業高等専門学校で、殺害から逃れる秘策(観世の文言札)で生命を守りながら、『静電界は磁界を伴う』の実験に挑戦していた頃かもしれない。その年の春、久しぶりに電気学会春の全国大会で、561  瞬時ベクトル空間モデルと空間瞬時アドミタンス を発表した。しかし発表者名は自分一人だった。共同研究者名を書くようなゆとりも、長岡技科大との行き来もなく当然他に居なかったと解釈していた。しかも内容が電気磁気学の偏微分式での変梃りんな内容であった事もあり、他に賛同は得れれないだろうと。ただ、その具体的なかたちでまとめたのが文献(1)である。その研究会資料は相当なストレスと緊張の中でまとめたものでありながら、良く出来たと満足できる。電力系統の瞬時監視機能として有用な手法と思った。この資料も一つの評価を得て、ひばりの『愛燦々』の意味となったかと勝手に解釈している。またその昭和61年(1986)4月、電気学会論文誌Bに文献(2)が掲載された。半導体電力変換器の基本動作解析を論じた。その解析手法には自分らしい特徴があったと思う。少し世間が騒がしくなり始めたのがその頃であったのかと、相当年数がたって歌謡番組を観ながら感じ始めた。

『みだれ髪』 この詩は昭和62年(1987)秋の頃を歌ったものと思う。昭和62年春殺害の危険から逃れて、やっと約束の長岡科学技術大学に戻った。しかしそれも独り善がりの世間常識から外れた仕儀であった事を愚かにも何十年も経って初めて気付いた。その『みだれ髪』の意味は今でも分からない。昭和62年春には良かったが、秋にはどうにも成らない結末となってしまった。春3月高専の校長に4月からの転勤について確認した。大学から『割愛』の話が有る。『割愛』の意味も昭和54年(1979)秋と二度目の事だから、結果がどう出るか自分が決める事ではないと予定通りの行動しか取れないと覚悟していた。だから高専の校長の言う事を聞く意思もなかった。3月31日『保険証』を会計課に返して二度と戻らないと翌日の東北大学での電気学会の発表に向けて高専を去った。『保険証』が身分証明書などと言う事も聞いたことがなかったから知らない無知であった。発表内容は『静電界は磁界を伴う』と言う『電荷』否定の発表であるから、そんなトンデモナイ内容が世間で通用する筈はなかった。科学理論の根幹を否定する内容だから。前の年の電力技術解析理論の話とまるで180度方向転換した内容であれば、世間も相当戸惑っただろうとは推測できる。とんでもない仕儀となり御免なさいでした。一体春丁度良かった帯の長さも秋には余ると。春どう行動すれば良かったのか今でも理解できない。4月自宅に高専の校長から手紙で教官会議に出席するようにと言う要請が有った。それは『転勤』していないと言う意味であったかどうかも分からない。筆者には意味の分からないいろいろの仕掛けが無知の自分に仕掛けられたが、常識知らずには対応しようがなかった。相談する者も一人も居ない。ましてや家族が知る訳もないから相談もできない。自分の立場を説明するべき意味を筆者自身が知らない訳だから。能力なしの『助手』と見られているから。今日現在も、パソコンに向かえば、それを見て何と無駄な人生をと非難されるが、そう思われるのも当たり前と自分で思う。家族に説明できる何の実績も示せずに今日が在るから。昭和62年春に長岡技術科学大学の学長選挙が有った。新聞でも取り上げられた社会的教育問題に成ったようだが、自分に関係しているとは全く理解できなかった。薄々感じたのは、8月に成って、電気学会の秋の『電磁界研究会』への論文を書いている時、なかなか捗らずに提出が遅くなり、9月1日以降の受け付けに成ってしまって、何か急ぐような雰囲気を感じた頃からとても気になりだした。斎藤 進六 学長に迷惑を掛けてしまったのだろうと遣る瀬無さと申し訳なさが残る。電力工学と電磁界理論では研究の畑が違う。転勤もしていなくて、研究分野も変われば、世間でも対応できなかった訳であろうと今は分かる。それが全て『みだれ髪』の意味なのかと。義理のじいちゃんが大学近くの病院へ入院していたので、家族に頼まれ毎日洗濯ものを交換に行く。筆者も家族も無知の中世間の常識に対応出来る術は無かった。病院近くで大学事務局の人がいつも周りについて監視していたようだった。みんなみだれ髪の基だったかもしれない。御免なさい。

『川の流れのように』作詞 秋元康 作曲 見岳章 唄 美空ひばり 1989年(昭和64年、平成元年)1月に歌われた。美空ひばり最晩年の歌だ。既に大学には居場所も無く、己の人生の意味を考える手立てもない中で、謳われた彷徨う自分に向けた歌であったかとも思う。『故郷』にどんな意味が有るかも知らず、二葉百合子さんの『岸壁の母』と繋がる故郷には『舞鶴鎮守府』の父の軍歴が有った。“知らず知らず 歩いて来た 細く長いこの道 振り返れば 遥か遠く 故郷が見える でこぼこ道や 曲がりくねった道 地図さえない それもまた 人生 ああ 川の流れのように ・・” 正にこの歌詞の通り、何も知らずに歩いて来た自分の人生のように聞こえた。今は電気磁気学と電力系統の電気現象を『光』によって統一的に解釈する感覚的な納得を得た。それは過去の電磁界理論とその概念を全く新しい姿で解釈し直さなければならないところに来てしまった事でもある。ただ、電気工学は技術用語で理解できるが、物理学での『電流』や『電荷』が自然界の真理と言うのは頂けない。その辺の混乱を如何に解決するか。

本人は何も知らない 情報化社会と人心操縦の社会問題。世間の動きを筆者は知らない。後から何かあったのかと何となく気付くだけである。本人には知らせず世間が知っているこの不可解な気味悪さが『人権侵害』である。何十年も続く不気味さの中を過ごして来た。近所の小さな消防車が朝の8時前に鐘を鳴らして通り過ぎる日があった。その鐘が鳴る日は悪い日らしい。やっと最近は鳴らなくなった。意味が分からないがどこの誰の指示で鳴らしていたのか、不可解な不気味さであった。昭和63年(1988)以降、初めて経験した事件がある。長岡技術科学大学から、所属身分の無い身を悟り、精神的な過負荷に耐えられず離れた。居場所も無く、長岡市内の釜風呂温泉方面の道の自動販売機で飲み物を飲もうと100円を投入した。途端に自動販売機が電源遮断された。その事件から情報操作が始ったように思う。同じ事がもう一回あった。長野県に新潟県津南町を通って夜辿り着いた。道理脇の自動販売機で、100円硬貨を投入した。途端にそれまで点灯していた街燈も消え町中が停電になった。行き先の無いまま自動車を運転すると、「廻って 廻って 廻れ~・・」と言うラジオの歌で操作される。きっと社会的に処理に困る人間に取る情報社会の手段が存在するのか。現在にも残っている事は飛行機の爆音や飛行機雲の『×印』やヘリコプターの轟音がある。変な『花火』も有る。すべて誰が指示しているかも不明で、執られる不快な人権侵害の所業だ。

中曽根臨教審と人事事件 昭和62年(1987)年末、長岡高専で人事の事件が有ったか?具体的には知らない。昭和63年(1988)正月、春の学会発表の論文を書いている時、突然鼻から異様な鼻汁が出る。早速病院で診察を受け、(鼻空上顎洞炎と歯科で診断され、治療して頂いた)回復。病院で待っている時、周りに高専の先生らしき者が数人いて話しかけて来た。自分に関係する事が事件に成っているらしい事を後から感じ取れるが、それが何かも知り得ず、本人が無視されたまま『何か』が決められていたようだ。本人が知らずにいるその意味を世間は知っていて、いろいろ仕掛け話をして来たのだろう。大学の保険証を使っていた。1月中頃に自宅に高専から『保険証』が送付されて来た。高専では大学に転勤したと言われ、高専から自宅に『保険証』が送付される不可解。昭和60年7月1日履歴が『以下余白』となっている事も2015年(平成27年)1月に初めて知った。高専の事務局に行って尋ねた。後で調べて連絡すると言われたが、後日電話で「少し待って・・(?)」と言われたきりで何もない。何も本人が知らないで、世間が騒ぐ人権侵害。昭和14年(1939)12月1日舞鶴鎮守府への戸籍転籍が存在を無視した諸行無常の30年に亘る人権侵害の意味か。

以下余白の不可解 昭和60年(1985)4月1日 長岡工業高等専門学校 電気工学科講師(校長)。昭和60年(1985)7月1日 同助教授(松永 光 文部大臣)。同日付 以下余白(高橋校長)。昭和60年7月1日から履歴が無しと読める。翌61年(1986)4月の辞令もなく、以降は履歴が消えている。だから4月以降の殺人専門学校の意味が読み取れる。生きていては困る訳だ。様々な工作があり、昭和61年(1986)の電気工学科の雰囲気が異様な空気になった。学科事務室が殆ど使われない幽霊室に思えた。昭和63年(1988)8月1日長岡技術科学大学の身分喪失の意味か、銀行通帳口座が無効になる。昭和39年(1964)4月1日新潟県教育委員会での辞令交付もなかった。

文献

(1) 空間瞬時ベクトル解析と交直変換器への適用 電気学会電力技術研究会資料 PE-86-39  (1986)

(2) 電圧型PWM変換器を用いた瞬時無効電力補償装置の動作解析と設計法 電学論B.106,p.323 (昭61-4)

科学と行政ー振り返って未来をー

日本の科学研究がその質と品位で問われている。残念ながら「STAP細胞」事件がその象徴的な事となった。小保方晴子ユニットリーダーと理化学研究所の問題として世界にそのお粗末さを曝した。理化学研究所が発表した検証結果と小保方研究員が不服申し立ての間での詰めの甘さが何故かと疑いの思いを増幅している。何故もっと詳しく調査時点で、理化学研側の調査委員会は小保方氏から詳しく中味を質すことをせずに、曖昧な結論を発表したのか。小保方氏はSTAP細胞は出来ていると主張しているから、それを確認するのが再度の結論に至るに最低の果たすべき責任であろう。市民に対しての責任である。 自分も、能力がなく一人悩んだ27年前を思い出した。長岡工業高等専門学校(中曽根臨時教育審議会の抹殺人事計画)での殺害から生命を守る戦いから逃げて、長岡技術科学大学に戻った(昭和62年、1987年4月)。しかし、戻るべき場所も無い事も考えずの暗夜行路の旅立ちであった。何故殺害されるかの理由が分からない。当時の自分はもっとお粗末で、大学と言う組織の意味も、研究体制も理解していなかった。だから、世間的常識にそぐわない行動をとっていた。周りには誰も相談する人も無く、常識外れの道の上で、何をすれば良いかが分からずに笑われ続けていた。結局長岡技術科学大学に居られなかった。昭和63年9月こっそりと引き払って逃げた。10月にびわ湖湖畔での、電気理論研究会があり、2年前に、長岡工業高等専門殺人学校で採り纏めておいた『静電界ギャップ内の磁気模様』の写真データの投稿資料の発表をした。それからは自己確認の旅に彷徨い続けた。それから10年以上経ってはじめて、自分の自己確認が出来た。舞鶴鎮守府への戸籍転籍が軍歴表に在る事を知った。それが分かっていればもっと何とか抗議も、戦う術も有っただろうが、全くの無手勝流の暗中模索は手足の無い達磨でしかなかった。気付いた時は既に10年過ぎては遅かった。既に研究する所属組織も無く、過去を手繰り寄せれば、どこまでも寄る辺ない自分を知るだけだ。私は何者でしょう(3)故郷貝野村と舞鶴鎮守府。ただ一つ残された自己主張の道は、科学理論の『嘘』を暴く事だけであった。ここまで来て、『電荷』の存在否定と、電荷概念の噓の実体を暴けたという自信だけは得た。ただ、最近日本政府の教育行政機関である文部科学省が、「教育勅語」を国立国会図書館からを拾い出して、完全廃棄した戦時の教訓をひっくり返して、過去に戻そうと画策しているように思える。一体これからの「科学教育(理科教育)」をどう未来に勧めて行くのか、文科省の意識が危険極まりなく、とても心配である。教科書の検定制度がとても教育には危険であると思う。最近になって、新潟県の違法人事行政の意味を知った。教員として働いたと思っていたのに、昭和39年の春から、新潟県教育委員会からは、何の採用通知も無く、辞令交付も無く16年間に亘って過ごした履歴は何だったのか。文部省にも関わりを持ったが、一体その行政はどのような正当性があるのかと今に思う。結局、舞鶴鎮守府の日本軍に関する事項を私の全てを抹殺する事で消し去ろうとしていたと理解できる。戸籍が糊付の偽装工作を通す日本政府で、法務省・外務省・総務省全ての政府機関が関係している問題である。こんな犯罪行政が罷り通る日本なのだ。新潟県教育行政の過去と未来ー犯罪?-。日本に真の科学が育つかとても心配だ。今回の理化学研究所の問題にその心配が重なる。

幽霊人事の顛末記 誰もが理解できないと今になって思う。①新潟県立新津工業高校から長岡技術科学大学への移動。川上正光学長との面接で、割愛人事と言われた。しかし割愛人事とは何かも知らなかった。最初から『助手』と言う話で決まっていたから。しかし、どうもそれはおかしい事だったようだ。②長岡技術科学大学から長岡工業高等専門学校への移動。大学では大変邪魔な存在であったようだ。移動の3月に、急に石崎電気系長から人材を高専で欲しがっているから行かないか?と話があった。不安のまま決まった。高専の村山助教授の研究室に居候の形で自分の研究室でない間借り研究室形式となった。この事は、その部屋には誰でも、何の目的にでも、例え薬物でも、自由に入れる仕掛けと成っていたのだ。村山助教授は研究室の名札もそのままで、2年後に戻るという話。自分も元に戻るという話。ここでの教育環境は、学生実験の担当は細貝教授(ネズミの小便の電気配線における影響を卒研での課題にしていたように聞いた)の実験項目を代理で2年間させられた。授業はほとんど全て、中曽根臨時教育審議会の名の下で、盗聴から授業風景の写真撮影まで、限りない人権侵害を尽くされた。電気科の教官会議では学生の成績に関する話は一度も聞かないで過ごした。卒研の評価もどのように成されたかも知らない。すべて筆者を除外の扱いか?生命殺害の危険を察知し、飲み物食べ物全てを鍵掛の金属工具箱で厳重に管理した。昭和61年9月から翌年3月31日まで、1日も欠かさず幾つかの鍵や鍵穴封印の紙を準備して、生命を守った。③長岡高専から長岡技科大への移動・逃走。昭和62年3月末が予定の期限であった。長岡技科大で邪魔者であった訳だから、帰れはしなかったのだろう。ただ、昭和61年8月、長岡技科大で電力部門の研究会だあった。その時発表したのが電力技術理論として、自分の自信作の「空間瞬時ベクトル解析法と交直変換器への適用」である。きっとその画期的な内容で、邪魔者の見直しが語られたのだろう。しかし、既に長岡技科大での人事には困難があっただろう。電力技術部門での処遇は無理の筈だから。また、更に困難な事態が発生していた。担当授業が『電気磁気学』であった事が、電力技術と電気理論との研究対象変換が『静電界は磁界を伴う』の昭和62年電気学会全国大会の発表となり、益々混乱に拍車をかけてと思う。昭和62年2月下旬、長岡技科大電気の教授から盛んに大学に戻らないでと心配されたが、愚か者の意地っ張りから断り、予定通りの移動を覚悟した。高専の校長が1月には政府の官房副長官に話をしたらしいがその意味は知らない。等いろいろ問題のある事件であった。3月初めに校長に移動の確認に会いに行ったら、人事担当者を呼び、またもや割愛人事だと告げられた。何の意味かも知らない。4月に仙台での電気学会発表をした。その折、家族も一緒に連れて行った。行きも帰りも、うるさい『蠅』や『カラス』が付きまとっていた。2,3匹で。高専から逃走してからは、世間を騒がせるような事件になってしまい、大変な事態を来たした。話が出来、相談できる人は皆無の中での、全く四面楚歌の世界を、只混乱して、馬鹿にされながら過ごした。以上当時の思いを記した。人事は常識に従う世界で、自分が常識にそぐわない生き様であった。科学理論に対する考えも自分は常識の世界と異なるのだ。しかし真理は我に在る。

電力技術に残した未練

『裸愚落筆』に人生の悲哀を記した。己の愚かさを、過去を描けば、なお深まりて、寄る辺なき瀬を、ひとり漕ぐ船。今、社会正義の砦が崩落の危機にある。戦後の日本に新たな正義を構築するために、昭和22年に制定された『検察庁法』。以前、暗中模索の中で、地元の長岡法務支局および検察庁更には裁判所内の検察審査会などで、長岡工業高等専門学校での我が身に降りかかった殺人未遂事件について訴え回ったこともあった。何処も「糠に釘」の無視の知らせに時の経つのみ。人生の終わりになって、わが身に起こった真実を知る事になった。法務省に、人権擁護の意思など何処にもないにも拘らず、そこが掲げる〈人権擁護〉とは何をか況やである。

 流されながらも、今『現代物理学』の基礎理論の矛盾を明らかにして、自然科学の全体の意味を問い直さなければならない時代に突き当たったと感じるまでになった。物理学理論に研究の矛先を向けてきたが、元々技術が性に合うわが身にとっては、やはり消化不良で中断せざるを得なかった『電力技術』への思いが今も未練がましく燻ぶっている。

  技術も、その研究内容は初歩の見習い的のものから始まった。送信機の払い下げの中に、双三極真空管 2B29 があった。出力の大きい発信器を作った。担当科目「電子工学」の分布定数波を生徒実習に取り入れた。教室に5メートル程の平行線路を張り、150MHzの定在波の測定・観測実験で供した。それが1.の「分布定数…」である。科目『発送配電』、『電気機器』を担当して、モーターの起動実習に、その教育効果に疑問を感じていた。大学紛争の直中、電気書院の『電気計算』に宮入庄太先生のパワーエレクトロニクスの特集記事を拝見し、内地留学で半年間の研修をさせてもらった。ようやく最先端の技術に触れ、教育への改革課題の目標を見定めることができた。ただ、その研修は、新潟県と文部省の関わりの制度でありながら、宮入研究室には何の研修補助も無かった事を後に知った。勝手にしたと、無視の文部省。新潟県教育委員会からは研修許可辞令もなし。

2.以降の『静止電力変換回路の基礎』は、日本のどこの工業高校でも実施できない最先端の生徒実習に供する為に整えた製作実験装置とそのデータの公開である。『半導体整流・・』は各種変圧器の結線により生じる様々な現象や問題点を徹底的に調べたものである。整流回路の電流は正弦波とは全く異なり、変圧器に直流偏磁現象などを引き起こす。それを知らなければ、系統ひずみの問題認識も困難である。この装置製作と実験データ取りで、寒中の寒い実験棟での無理で急性肝炎で生命の危機に見舞われた。他の装置も制御対象は容量3kWの電動機で、速度制御の意味を知るに役立つ実習内容であっただろうと思う。新潟県教育委員会で採用もされていないなど知る由もないまま。

 長岡技術科学大学に転勤したと思ったのも勘違いであったのだ。毎日が実験室の設備と配線準備にほとんど費やした。元々電気回路の複雑な解析には自信があった。静止電力技術は半導体のスイッチング制御に因っている。過渡の連続制御になる。8.の『瞬時無効電力の一般化理論とその応用』で、正弦波交流解析の理論的矛盾に、目から鱗が落ちた思いをした。『瞬時実電力・虚電力理論』を超えるものはないと。10.の『・・電力理論に基づくひずみ波電流の解析』は その理論の有効性を実証する内容である。電力系統の高調波ひずみは大きな問題であり、その現象解析が行われていた。しかし、この論文で、第5、第7高調波の比率がどのような原因で生じるかを的確に示した。全ての高調波問題は、この論文で解明された筈である。電力系統関係者がこの事に気付いているかどうかは知らないが。正弦波解析では解明不可能である。11.は『我が科学革命・・』にも載せた回路であり、未練を残した一つである。自慢になるが、13.は『PWM変換器』のスイッチング素子の制御速度限界の設計値を算定する基準を論理的に示した論文である。その後の事は全く知らない。

 さて、電力技術分野で、最大の未練を残した論文が最後の 14.「空間瞬時ベクトル解析法と交直変換器への適用」電気学会電力技術研究会資料、PE-86-39,(昭61-8) である。どうしてもその時の研究状況とこの論文の意義を説明しておきたい。論文8.の重要な応用例として発表したものである。そのある一頁を右に示す。三相のスイッチング回路SWの制御は過渡現象の連続であり、その回路の電力的瞬時値を回路の瞬時アドミタンスベクトルcon(瞬時コンダクタンスcon と 瞬時サセプタンスcon)として捉え、その回路の瞬時定数を捉える方式を開発したものである。これは電力系統の状態監視機能に適応することを見据えた制御監視システムの開発である。なおここで付記しておかなければならないことがある。このシュミレーションについては、高専5年の卒業研究生が1週間ほどで出してくれたものである。4年の数値解析でルンゲクッタを指導していたお陰で、その習得力で作成できたものと感謝している。さらに、私は卒業研究の指導をしていながら、その評価については門外漢で、評価の関わりから外されていた。トンデモナイ学校であった。この論文の回転鎖鎌のような(a)図は誠に興味ある未練を残した瞬時解析図である。東大の関根先生から発表時に質問を受けた図でもある。

この研究会の資料は、空間瞬時ベクトル解析法と交直変換器への適用に示した。