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教育の政治的中立性

教育基本法について(2020/07/17)。教育の政治的中立性とはどの様な意味を持った事柄か。古くは中曽根臨時教育審議会(1960年代)があった。その存在も知らずにその渦中に居たことを後で知った。その関連における筆者の政治的意味合いを知るに長年の闇の世界を通り越すに要した。今漸く長い間、己の愚かさを知らないで過ごしてきたことに気付けたかと、と思える。1964年新潟県教育委員会に採用されたなら、現在も『公立学校共済組合員』の資格がある筈だ。はっきりと分かることは、給与が銀行振り込みでなかった。だから直接印鑑を押して給与を受け取っていた。1969年10月から翌1970年3月の6ッか月間は給与を受給していなかった。これは教育公務員としての人権が認められていなかったことと理解できる。人間としての存在が何処にも登録されていなかったという事が筆者の無知として葬り去られたと理解せざるを得ないと知った。今日、文部科学省のページの中に、教員の地位に関する勧告。1966年10月5日 教員の地位に関する特別政府間会議採択 (ユネスコ、パリ会議)がある事を知り読んだ。その地位をどう回復すべきか?余りにも長すぎた。始めて政治的な関りを知った「中曽根臨時教育審議会」と自分との関係を文部科学省の教育の政治的中立性との関係で、それはどの様な政治・行政的な意味のものと解釈すれば良いのか?と。これから教育基本法について考えてみたい。

Twitter (2020/07/17) に投稿。スッキリしない。教育基本法。教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)を全部を改定する。の附則の部に・・「教育基本法(平成十八年法律第号)」に改める。などと第?号と?部が抜けている。何故抜けているかの訳アリと思えてスッキリしない。

と投稿してから考えた。どうしても素人が考えると不思議な理解できない事柄に恐れを抱きながら、過去と未来の日本の教育行政が大丈夫かととても心配せずにいられない。公開しながら書き進めたい。

何故、2006年12月22日法律第120号として、教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)の全部を改正するとなったのか?国会は既に12月19日に閉じられた後である。当時、ニュースで世論調査結果として70%が改正に賛成とあった。調査を受けて、賛否を答えた人は『教育基本法』を読んで理解して答えたのか?改正の教育基本法の条文を知って答えた筈はない。世論調査を実施した側の人は、調査対象の人が『教育基本法』を知って回答していると考えたとは思えない。太平洋戦争に至る過程の世間に迎合する世論づくりに加担したときと同じような意味が有るように感じられて、とても心配に思う。その世論調査をする側で、『教育基本法』を読んでその意味を理解していたのか残念ながらそうでは無かろうと疑わざるを得ない。調査側にも大いにその結果報道による、政治的結果責任があると言わなければならない。ジャーナリズム精神と政治の関係性。

教育基本法(昭和二十二(1947)年法律第二十五号)-教育基本法(原)呼ぶーと(平成18(2006)年12月22日法律第120号)-教育基本法(新)と呼ぶーの意味の違いはどこに在るかを考えてみる。

教育基本法(昭和二二年三月三一日 法律第二五号) 施行、昭二二・三・三一

朕は、枢密顧問の諮詢を経て、帝国議会の協賛を経た教育基本法を裁可し、ここにこれを公布せしめる。

 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。

われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造を目指す教育を普及徹底しなければならない。

 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

と前文にある。日本国憲法(昭和21年11月3日発布)が昭和22年5月3日に施行される、その前に公布・施行された。関連法で、学校教育法(昭和二二年三月三一日法律第二六号)施行、昭二二・四・一と教育基本法(原)と同時に法律番号を持って公布されている。その後もすべての教育関連法は教育基本法(原)の基に法律の独立番号で成立した。すべて教育基本法(原)と切り離せない意味を持って、法治国家の三権分立による国権の最高機関で成立した法律である。このことを踏まえて素人なりの気掛かりを述べたい。

教育基本法(新)は誰が何時公布したのか。法律番号は国会会期中の番号ではないのか?

教育基本法(新)。目次として、

前文 第一章 教育の目的および理念(第一条―第四条) 第二章 教育の実施に関する基本(第五条―第十五条) 第三章 教育行政(第十六条・第十七条) 第四章 法令の制定(第十八条) 附則

我々日本国民はたゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。 我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義(?)を希求し、公共の精神(?)を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し(?)、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。 ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り開く(?)教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定(?)する。

とある。

『原』と『新』の教育基本法の前文を比較した。先ず『原』の前文は、誠に格調高く、どこにも蟠りを覚えるような文面はない。当時の教育による結果としての子供達による新しい日本に希望を託して、世界に貢献しようという意気込みが込められている。しかし、『新』の前文には、何故改めて書き換えなければならなかったのかと、誠に理解に苦しむ文面がある。『真理と平和』が『真理と正義』(法律(原)の第1条(教育の目的)にある内容を書き換える意味で変えた?)に変わる。『公共の精神を尊び』が加えられた意味が、何か曖昧な政治的社会集団の威圧による精神的抑圧を加えようという暗黙の意図に思えて気が滅入る。『公共の精神』という意味が個人の尊厳を重んじるという意味と逆の何か違和感を覚える戦前意識回帰の時代錯誤の言葉に思える。『伝統を継承し』は古い過去の権威や拠り所を残し、そのままの体制を維持しようという意図の感じに採れる。科学論の『パラダイム』と同じ変革を抑えようという意識と同じ、政治的批判精神の育ちを抑えたい意識の表れに思える。物理的『電荷』概念の伝統を守るための、先般の教育上の指針とした『参照基準』のお話にどこか似ているようでもある。殊更に『我が国の未来を切り開く』と言わなくても地道な努力が報われる教育環境なら、世界に貢献してこその信頼を勝ち得ると思う。その為の教育の振興では少し、グローバルと言う世界に対して時代錯誤の意味に思える。特に素人ながら、気掛かりな文言は『この法律を制定する。』の一文である。『制定』と『改定』は法律用語として異なる意味ではないのかと。前文迄書き換えるのは確かに『改定』ではうまくなかろう。それでは『制定』は良いか?となるが、既に立派な『教育基本法』が厳然として存在する。そこに改めて同じ法律名の『教育基本法』を作ろうという法律制定の道理の可否の問題が有るのではないかと素人ながら危惧するのである。それは法律の専門家が御解釈される事であれば、素人には難しすぎる。

教育基本法の施行について(通知)が特別に必要だった理由でもあるのかと、考えさせられる。何故必要だったのか?

(2020/07/24) 追記。『法律』の意義とその制定および改定に関する法理念。その疑問を問う。衆議院のホームページを見た。

法律第百二十号(平一八・一二・二二) ◎教育基本法

教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)の全部を改正する(12月15日参議院で可決)。と確かに、国会12月19日閉会後の日付(12月22日)で国会で改正された意味に読めるが、その法律制定の立法機関の役割の意味が理解できない。またそこには附則として、社会教育法(昭和二十四年法律第二百七号)第一条はじめ、七つの法律について、基本法(原)を基本法(新)に改めるとなっている。それらの法律も独立した立法番号で意義を持っている筈だ。法律の条文を改正するには、それぞれ独立して立法機関での審議・決議によってしか法律の条文は変更できないと考える。立法機関及び行政機関の関係で、法律の意義・理念を無視した違法の結果の教育行政になっているのではないか?

法律には署名が必要であると、日本国憲法第74条に規定されている。最初に主任の国務大臣が署名。内閣総理大臣がその後に連署することを必要とする。とある。

署名欄には、内閣総理大臣、総務大臣(?)最後に文部科学大臣の順で表示されている。何故総理大臣が連署でないのか。少し日本国憲法の規定と違うようだが解せない。なお国権の最高機関の立法府、国会を考えれば、署名は国会議長ではと思う。

(続く)

 

教育の政治的中立性とは何か?

昨日(2015/06/26)の朝日新聞4面に、教員の政治的中立「違反には罰則を」 自民内で改正案浮上 の見出し記事があった。教育公務員特例法の政治的行為に関する規制強化、罰則規定追加の問題のようだ。最近の自民・公明党政権の思想弾圧権力の暴挙が目に余る。自分の遥か昔の政治的意識を振り返って考えると、余りにもお粗末で恥ずかしい。全く政治などには関心も、新聞を読む習慣もない政治的意識欠落人間であった。「政治的中立性」等と言われてもどんな意味かも理解していなかった。それが政治・行政に意識が向くようになったのは長岡工業高等専門学校での殺害される危機(禪と科学)に直面してからのように思う。特に昭和14年12月1日、舞鶴鎮守府へ戸籍転籍と戦後処理問題(私は何者でしょう(3)故郷貝野村と舞鶴鎮守府)に人生の不可解の意味が隠されている事実に辿り着くまでの、昭和63年暮れからの逃避行での自分探しと新聞の政治記事の読み取りを通して、今の政治的意識の重要性を知ることになった因縁さえも不思議に思う。

若者の政治参加意識の低さと問題視されるが、自分を振り返ればそこに問題と解決すべき方策がある。人は働きを通して社会的に成長できる。自分のように仕事が無しに何十年も隔絶した墓穴を彷徨うようでも役に立てない。今派遣労働制の労働者の人権抑圧の生活困窮化の悪法が、人の生活の政治関心を阻害する社会的弱者虐待社会へと進もうとしている。政治参加の無関心化を生み出す原因に生活の質の劣化が大きくなっている。選挙年齢18歳の新しい制度を採ることになった。高校生も選挙に参加することになる。しかし国会は、今選挙の投票率が極めて低い状況をどのように分析し、その解決策を法律制定にどんな思惑で取り入れたのか、その結果がどのように投票率の改善として結果に表れると考えているのか。その社会状況を的確に分析し、改善の方策を法律の枠組みにした立法機関としての役割を果たすことが国権の最高機関としての使命である。18歳年齢投票制を制度に取り入れても、何の問題解決には成らない。もっと投票率が落ちる可能性が増える。若い人達がどれ程政治的ニュースを新聞を読み、TVを見て関心を抱いていると国会議員は理解しているのかが現在の日本の政治環境の最大の問題である。政治批判もしない若者が選挙年齢に登録されれば、もしや『憲法改正の国民投票』での改正賛成票が増えるのじゃないかの目論みの、単なる思い付き法律制定でしかないように見える。

教育における「政治的中立性」とは何か? 教育はとても大切だと思う。昔、70年以前『天皇の為に死ね』と幼い子供はじめ国民(臣民と言った)全体に教育した国家権力構造であった。そんな精神異常国家であったのはほんの70年前であった。今戦争を知らない人が多くなってしまい、全てが忘れられそうにある。内閣総理大臣も戦争を知らない。戦争を知らない人は戦争をしたがるのかと恐ろしくなる最近の国会の異常さである。生命・財産を守る為に、銃・武器を持って戦えと命令する国家権力が生まれる。銃を持って戦う人間を生命の消耗品と見做して戦争を仕掛けるのだ。靖国神社に祭られる為に生命を投げ出して戦えと命令する。その兵士の生命はどのように生命を守るという意味の生命の意味に矛盾しないのかを『国民の生命・財産を守る』為と唱える現政権に尋ねる。以前、下村文部科学大臣がお蔵入りした「教育勅語」を国会図書館からお探しになっているという情報に触れた。今回この記事の冒頭の新聞記事に触れ、いよいよ自民党の精神性の本領を表して来たと恐ろしさを感じた。いつもの悪い癖かもしれないが、恐ろしさを抑えられず6月26日に呟いた。“こんにちは。教育の政治的中立性とは何か?違反者に罰則を加えると自民党で検討しているとはどういうことか?違反者とはどのような人を言うのか定義が欲しい。政治的批判精神を教育で鍛えてはいけないというのか?選挙は批判精神を持って初めて意味を成す。”今安全保障の概念変更が国会で問題になっている。最大の問題点は、その法の用語の定義、法体系性の概念の不明確さである。曖昧さは誤魔化しの政治の本質を映す。具体的な事例以前に簡明な定義付けが重要である。定義から具体的な事例を事細かく例示しなければ政治権力の思惑による闇の権力行使が起こる。関連してつぶやいた。“教育の政治的中立とは。何でも思うことを発言出来て、お互いに批判し合う自由な共同生活の公的機関の空間と解釈する。”さらに、“思想信条の自由を保障するとはどういうことか。どんな場合においても自由な発言を制限してはいけないということだ。”“発言にはおのずから批判が伴う。しかし政治権力・公的機関による束縛は憲法の精神を損なう。”この呟きには、昔憲兵が行った公権力による言論・思想弾圧を行った恐怖政治が念頭にあった。更に“銃を持って戦場に行ってはいけない。国(?政治権力のことか?)の為に積極的に銃を持って戦場に行くべきだ。どちらに賛成するか生徒・児童に問うと政治的中立でない事になるのだろうか。”返す返すも、平成18年12月の教育基本法の改悪を何故拒否できなかったのかと悔む。国民世論調査で、70%が何故改悪を望んだのか。改悪を望んだ人は教育基本法を読んだことがあったのか?何故70%もの賛成が示されたのかと。政治介入・強権支配による教育萎縮・崩壊

今回自民党の「文化芸術懇話会」での報道機関への言論弾圧的な学習会があった。内閣の一員も参加して。国家公務員法第二条に規定がある。内閣は国家公務員の特別職である。憲法の精神を守る義務がある。

法律の素人の言 また疑問。今の安全保障関連法案がもし国会で可決された時。オラそんな法律は日本国憲法違反だから、そんな法律は許せないので裁判所に直ちに取り消してくださいと訴える。そんな政治に直接関係した話をどうしても教育の場で子供達、生徒に政治的中立を守る為に話して、意見を述べさせたい。これは教育の政治的中立性に違反し、罰則の対象になるのだろうか。選挙に投票に行くには最低この位の時事問題に興味関心を持って貰わなければならないと思うが如何でしょうか。自民党の罰則検討問題の議員の皆さんにお聞きしたい。