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時定数と回路問答

時定数から観る電気現象で問答として残しておいた課題が有った。一部はLとCと空間エネルギーとしてまとめた。図2 時定数Tと力率角φの具体的な意味の説明がなかったので、少し述べたい。もう一つは等価回路変換の問題であった。電気回路の特性が回路要素によって決まることはそのインピーダンスの意味(虚数概念の矛盾の未解決を残して)を通して良く周知されている。インダクタンスとキャパシタンスの個別解釈で回路動作解釈は少し複雑ではあるが、その伝統的解析で納得していた。しかし、今年になって時定数の交流回路解析における意味の拡大適用を取上げた結果、とても利用価値と解析手法としての有効性が有ると認識を新たにした。
時定数の意義と指標K 電気回路は単純に考えれば、エネルギー消費要素の抵抗とエネルギー貯蔵要素のリアクタンスの二つから成り立つと見做せる。インダクタンスとキャパシタンスと言う個別機能を考えるより、それをまとめてリアクタンス分と認識すれば良い筈だった。その意味を表現する回路定数が時定数である。インダクタンスのエネルギー貯蔵機能とキャパシタンスのエネルギー貯蔵機能とは『エネルギー』の空間に存在する意味をまとめて統合して捉えれば良いだけである。その解釈法を表現する概念が『時定数』であった訳だ。電線路の負荷回路内の電気特性を解釈するには結局『時定数』一つで『エネルギー』の振る舞いを理解できることになる。急に時定数とその評価係数Kが有意義なものに思えて来た。そこで時定数の指標Kと呼ぶことにする。電力回路は殆ど誘導性負荷である。従ってリアクトルのインダクタンスLをその回路の無効電力の原因として認識し、着目する事になる。回路要素としてのLの無効電力を補償する様な意味で解釈するには、リアクタンスが零で、その指標K=0を基本に考えれば良い。それは電源周波数での『共振条件』で、電源から見れば抵抗負荷のみの状態と同じである。

指標K  回路が誘導性か容量性かはリアクタンスXが正か負かで決まる。回路のインダクタンスLに対して、その係数となる指標Kの値がその判断の基になる。K=0ならば、リアクタンスLo=0で回路は純抵抗と等価な特性となる。
問答(1) 指標Kと回路特性 具体的な回路要素の値で回路特性を考えてみよう。

指標Kと回路特性 インダクタンスL=67.54747 mH と数値に見苦しさが有るが、コンデンサ容量C=150 μF とで電源角速度ω=2πf=100π rad/sでの共振条件からの選定値であるためご容赦のほど。その回路要素値の組み合わせで丁度指標K=0 となる。さて指標K=0.7 となるような回路条件を求めてみよう。R およびL は同じまま、コンデンサ容量をC=500 μF とすれば、K=0.7 の条件を満たす。力率角φは角度90 °の0.623 倍となる。力率は0.56 程度の相当の遅れ力率回路になる。K=0.7 の図表解釈。この図表は正弦波交流の場合に於いて、電源電圧値や周波数に関わりなく、どの場合にも適用可能な図表である。 (留意点) この図表での力率角φは電圧に対する電流位相差としては、遅れ位相が『正』で表現してある。実際の電流波形表現では、 sin(ωt+φ)=sin ωt cosφ +cos ωt sinφ に適用する場合は、φを図表とは逆の符号『負』として解釈しなければならない。容量性負荷では、やはり逆の『正』の進相で取り扱う。
問答(2) 等価回路変換定理の適用問答 指標K=0.7 の場合のR-L-C直列回路を並列回路に等価変換してみよう。

問答2 等価回路変換 時定数に因る回路解析の手法の例である。少し数値が有効数字の桁として問題のようにも思う。直列回路と並列回路の回路電流値が等しくなるに4捨5入の3桁程度で良かった。等価回路変換の定理が有効な手段になろう。

人生の不可解 人は社会的存在として自己確認が出来る。社会的存在とはどんなことかと自問自答してもやっぱり分からない。周りの人との関係で生きる社会的自己確認をするのだろう。どうも自分の行動意識は余り周りの事を考えずに、悪く言えば勝手族と非難されそうだ。人とも相談せずに勝手な解釈で行動する。だから顰蹙を買い、嫌われる。工業高校で、生徒の電験3種受験指導を勝手に放課後毎日したのも、嫌味と取られかねない。年には7名程が合格した事も有り、生徒の為には良かったと。内地留学で、学校を留守にするのに生徒の授業や周りの迷惑など一切お構いなしの勝手族であった。最近になって気付いたが、代わりの授業をやって頂く講師が居られるのに、自分の机も整理せずに御迷惑を掛けた。恥ずかしい限りだ。馬鹿の一つ覚えで、ただ電気回路の事ばかりを追い掛けていたような気もする。社会で人と関わると勝手族の行動で、巧く馴染めないようだ。それは転勤できなかった事が原因であった為か、大学でもそうであったし、長岡工業高等専門学校では最初から電気科の教官とは馴染もう等とも思っていなかった。ただ2年間学生に出来る授業で役立てられればとの思いで、学校と馴染む意思は最初から全くなかった。自分が中曽根臨時教育審議会の抹殺対象だなど知る由もなく、意味の分からない中で「生命」だけを守って過ごした。今も訳の分からない中で、こんな電気回路の解析法等を考えている自分を眺めれば、幼稚な馬鹿者以外の何者でもない。勝手に自己満足の解析法などと恥ずかしさを曝している。高専でも、大学でも学生の学習評価会議などには一度も出席の要請連絡もないから、出席した事がなく、高等教育の実際の様子など何も知らない。ただ世の中に流されながらここまで生きて来た。電気工学の伝統のある学問の中でも、『時定数』や瞬時空間ベクトル解析等、未だ新しい未開の分野が有ることに筆者が関わる等と言う人生の不思議も理解に苦しむ事だ。しかし、昭和14年12月1日の舞鶴鎮守府への『戸籍転籍(帰還の記録が見えない)』問題が人生の根底にあるとの、消された人生の疑念は消えない。