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心に刻む歴史 に触れて

戦後70年が重く心に圧し掛かる。1995年8月7日東京、国立教育会館・虎ノ門ホールでのワイツゼッカー元ドイツ大統領の来日記念講演録の本を読んだ。

心に刻む歴史写真271

荒れ野の40年に次ぐ、2冊目の日本での講演録を読んだ。現自民党、安倍政権の政治動向・精神性において、戦後歩んだ武器を使わない平和の道筋と相当かけ離れた危険な兆候を感じてしまう。ドイツの政治指導者・ワイツゼッカー元大統領の歴史認識に触れ、その思いが如何に大切な事かと心に刻まなければと思った。その本の一部の言葉を、書き写させていただく。

心に刻む歴史20頁より写真272

今週(2015/03/09)ドイツのメルケル首相が日本を訪問された。どうしても日本とドイツの戦後と現在の世界における評価を比較してしまう。あの忌まわしい第二次世界大戦に対する評価の歩みが両国で相当異なっている。それは、朝日新聞2015年3月4日の記事、20年前の採決欠席 安倍談話へ続く 一連の関係記事によく示されている。 戦後50年の『村山談話』と戦後60年の『小泉談話』が載っている。それを引き継ぐ70年談話が安倍政権の下で出されるようだ。しかし、戦後50年の自民、社会、新党さきがけの3党での国会決議において、『植民地支配』、『侵略的行為』の文言が入ったことで、安倍晋三自民党議連の事務局長代理は国会決議に反対して欠席したとある。『植民地支配』も『侵略行為』も無かったと言う意味で反対の意思表示の為に国会決議を欠席したのだろうか。そのところの本当の気持ちは本人からの表明が無ければ分からない。その時の表明態度はどのような考えからかは、現在の総理大臣という政府の責任者として、また戦後70年の節目に当たり、国民に説明して欲しい。その年1995年8月15日に戦後50年の『村山談話』として村山富市総理大臣が発表した。大変良かった。この朝日新聞記事は現在の安倍政権の戦後70年談話に対する理解に重要な役割を示した。そこで、上の心に刻む歴史の20頁のお話が意味するものがとても大切に思える。次の21ページに「自らの歴史と取り組もうとしない人は、自分の現在の立場、なぜそこにいるのかが理解できません。過去を否定する人は、過去を繰返す危険を冒しているのです」とある。その点で、『村山談話』は反対の多い中で、一つの区切りとして良かった。それが現在の安倍政権下で、とても気掛かりな状況に思えて心配である。日本の国会議員の中に、歴史を無かったものとして隠したいという思いが見え隠れしている。靖国神社参拝も同じく、アジア太平洋戦争の歴史の真実の否定、その戦争(侵略と植民地支配)の肯定に繋がっている。

悪しき政治権力者 多くの者を自分の支配欲の対象と考える。その代表例がヒットラーである。皆の幸せや未来への平和の政治などは考えない。憲法が自分の権力の為に有ると考える。ドイツ基本法第1条の認識は無い。憲法第1条ー日本とドイツー故ヴァイツゼッカー元ドイツ大統領に思う。何故か悲しい思いで綴っている。

戦争と平和

戦争と平和は小説はじめ多くの論題になっている。最近の日本の政治の方向性に疑問を強くする。1999年8月15日に『詩心 乗せて観世の 帆掛船』の文集を作る初めに、一号 戦争と平和 を記す。特定秘密保護法に続き国家安全保障戦略に『愛国心(国を愛するとは?)』と言う意味不明な法用語を使う政治状況を考えると、現在の日本が戦争への危険な状況にあると危惧する。政府(内閣など)の方針に黙って従えと言う半強制的な政治手法は、民主主義の日本において極めて異例な状況と観る。これを『国を愛する心を育む』の『国』だというのだろうか。そんな見えない相手を愛せとは、どんな法的合理性があるというのだろうか。『詩心・・』の一号の短文ながら筆には多過ぎるので、下手なペン文字で書いた。改めて、細筆で描き変えた。戦争と平和筆

アジア太平洋戦争の悲劇が忘れ去られようとしている。日本史も教育では古代から始まり現代史まで行き着かないで終了していなければ良いがと思う。※敗戦記念日とした。勝たないで良かったという意味である。敗戦の意味を何故そのようになったかの検証が政府で示されていない事が問題なのである。日本政府には、政治の事実を歴史に残すという制度・意識が殆ど無いと言ってよい。悪い事は記録から消し去り、うやむやのうちに書類も破棄して消し去る意識が常態になっている。大事な内閣の政治判断の会議でも簡単なまとめ記録で、誰の発言かさえ示されない。詳細な議事録が後日検証する資料として残されることが政府の責任である。その辺の状況は、福島原発事故の検証記録で、日本とアメリカの資料の分量を比較してみれば、その差は歴然としてる。検証に耐える資料を残す制度・習慣がないまま、特定秘密保護法などが成立する事が片手落ちであろう。当時の日本の軍隊の暴力的な状況が戦後の世代には教えられていないため、殆どその現代史の重要な状況が理解されずに過ぎて行こうとしている。村山総理大臣の当該戦争への痛切な反省表明や河野談話があるが、それを認めたくない政治家・国会議員が居る。若者はアジア太平洋戦争の実体を教育されていないため、その戦争の事実を知らない人が多いと思う。逆に、戦前の政治体制に引き戻そうとする意識の政治家も多いように見える。政治家の言葉には『平和』の為と言いながらその進む方向が、経済的利益を守る事のためで、戦争も辞さない危険な姿に思える。特定秘密保護法についても国家安保戦略についても、経済界の指導的立場の人からの発言が何も聞こえてこない事がなおさら戦前の状況に似ていると思えて心配である。黙って政治の方向に無関心を装う特性が日本人には多いように感じる。行政の体制に従うと、安易に利益を得やすく、生活がしやすいからと。そんな無抵抗の風土には、徴兵制への危険を感じる。