タグ別アーカイブ: 地方教育行政の組織及び運営に関する法律

水の妖精七変化(エネルギー)

水は産業革命の力を象徴して科学の世界を広げた。蒸気機関車が今もその威力を見せてくれる。水を加熱すると水とは思えない魔法の力を生み出す。燃料電池はエネルギーを生み出す。水を介したエネルギーと力の関係は日常生活の湯沸かしから巨大科学技術機関の発電所まで広い。酸素分子O2と水分子H2Oに悩むの記事を読んで、また自分の頭の知識貯蔵庫に違和感を覚えた。蒸気機関の熱サイクルで、水蒸気の乾き度と湿り度と言う用語がある。乾き度100%は高温・高圧の水蒸気状態である。水蒸気は酸素と水素の混合状態に簡単に変化する。乾き度100%の水蒸気は完全に酸素と水素のガス混合体と考えて良かろう。高温高圧のガスである。酸素と水素と水とエネルギーの間は、日常生活の中で、いつもそこに潜む妖精が支配している世界のように感じる。酸素と水素と水の間柄には、お伽の世界が現実に現れたようにさえ思える不思議を感じる。湯沸かしの沸騰で幾らかが酸素と水素に分解するのもあろう。と言っても湯の中を上昇する内に水蒸気に戻ってしまうだろうが。

水の電気分解 水の電気分解と言う化学反応は良く知られた現象である。水に電気エネルギーを加えることで酸素と水素に分離される。水の電気分解は酸素と水素の原子が結合したものを『電子』と言う素粒子(?)の電気回路を通した供給で元の原子に分解する現象と解説されている。『電子』と言う『電荷と質量の集合粒子』が水の原子結合をどのように分離するのかの詳細な解釈を知らない。理科の大切な実験例として取り上げられ、観察する機会も多かろう。ただ解説によれば、水酸化ナトリュウム等の電解質分子成分が必要らしい。水は電流を流さないからと説明がある。電流と言う電子電荷(質量不要)の逆流は一つの解釈方便でしかないので、『エネルギー』の関係で解釈する以外ないのだ。イオンの『電荷』を否定すれば、酸素と水素の結合・分離は『エネルギー』で解釈するより他になくなる。水酸化ナトリュウム等の電解質イオン水の電気分解で、得られたガス成分の検証を火に因る燃焼音などの現象で確認しているが、それだけで水が電気分解で発生した分離酸素と水素だと言い切れるのだろうか。また、そのガス内に炭などを電極にして発電作用(燃料電池)の確認が出来るかも興味がある。また『エネルギー』で、電気エネルギーと熱エネルギーにどんな違いがあるかと考えるてもその差が分からない。電気エネルギーには二本の導線の間で流れる方向が決まっているから、負の電極(水素)側からエネルギーが供給されるだろう。正の電極(酸素)側のエネルギーはどのよう考えるか。水酸化ナトリュウムは電極と水との間の触媒としての働きを成しているのだろう。原子、分子あるいはイオンの媒体環境でのエネルギーレベルの差がイオン化傾向として理解されている事に関係しているのだろう。ナトリュウムがその鍵を握っているかも知れない。

何故酸素か 南極上空のオゾン層が増減したとニュースになる。物は酸素と結合して燃焼現象を呈する。燃焼は熱・光エネルギーを放射する。その訳を説き明かすのは物理学だ。何故酸素原子が他の元素と違って、結合でエネルギーを放射するのか。そのエネルギーは何がエネルギーに変換したものか。燃料電池は酸素と水素の結合でエネルギーを作り出す電池だ。水に電気のエネルギーを加えると酸素と水素に分解できる。酸素と水素と水の間の変換を取持つのがエネルギーである。酸素と水素の化学結合と言う現象が元の酸素と水素原子に変化が全く無くてエネルギーが創りだせる訳は無い。エネルギーに何が変換されたのかが物理的解釈の要点であろう。決して『無』からエネルギーは生まれない。エネルギー(光や電気)に何かが変換するのである。その何故かが説かれなければ、エネルギーの意味が分かりはしなかろう。いつまでも同じ事(戯言と言われそうだが)を言って申し訳ない。燃える『酸素』の力とは?(2013/11/07)、   『水素』に思う (2013/09/29)など。以上理解力の弱い頭で科学常識について行けない迷い事を述べた。理論無しの、自然の真理はただ純粋の一つに因って解釈すべきだろうと創造力・妄想力を働かして描いた。それが次の絵図である。水とエネルギー流 酸素は2価、水素は1価と考えている。酸素1原子に水素2原子で丁度分子構造が安定した水H2Oになると。酸素、水素の単独では2個が対の分子を成すと。エネルギーの吸収か放出かで水と酸素、水素の関係が決定されるようだ。その辺を『エネルギー』一つで関係付けたらと考えたのが上の絵図である。『電荷』無しの『エネルギー』での解釈である。マグネットじゃないけれども、空間に粒子性のエネルギーと言えば、エネルギー円還流しか思いつかないので、結局磁石と同じような軸極性を持った物になってしまう。序でにもし『電子』と言う科学概念の解釈粒子を考えるならそれも最小のエネルギー円環流になるだろうと考える。水素は最小の原子として少し中心にエネルギー流の塊(質量化)があるのだろう。こんな研究を細々続けられるところが大学の自主体制に必要なのだと思うけれども。経済的利潤・価値を求めた競争研究だけでは、研究の幅が狭まり、延いては大学の独立性・教育力が危ぶまれる。役立たずの夢の絵図かもしれない。

政治介入・強権支配による教育委縮・崩壊

2007年3月、詩心 ・・で分抄版『学校』を出した。第一次安倍内閣が教育制度の戦後の流れを圧し止める政治介入を強めていた。「教育再生会議(座長:野依良治)」設置と教育基本法改悪の暴挙に出た。そのことに危機を感じて、小冊子に書いた。詩心 學校

その中にあった。朝日新聞記事(2006年12月16日)に「教育刷新委員会」の委員長であった東京帝国大学の南原繁総長の言葉として 『今後、いかなる反動の嵐の時代が訪れようと、何人も教育基本法の精神を根本的に書き換えることはできないであろう。なぜならば、それは真理であり、これを否定するのは歴史の流れをせきとめようとするに等しい』

当時は教育基本法改悪の危機(21世紀に入った1月、NHKの教育基本法の改定についての世論調査結果に驚愕)を抱き、書き記したが、僅かの部数しか配布しなかった。今、教育再生実効会議での答申という不当手法を利用し、教育委員会制度まで骨組を改変してしまった。正に現在が教育の危機である。個人的な解釈であるが、「教育基本法」の原法と改定法の意味を読み解き、比較してある。それをここに再掲したい。

教育に効率を求めるべきでない。教員の過重労働の現状は、それだけで教育の中味が崩壊している。物理教育の「何々の法則」化も効率で柔軟性の頭脳を固化する。『電荷』など無いのに『クーロンの法則』が典型的な嘘を示す。

戦後の教育制度

教育基本法が改悪されて、権力・地方行政の首長の意思、信条・思想によって影響を受ける状況が生まれてしまった。その現在の法的な姿は次のように成った。

戦後教育制度の危機

教育委員会制度の意義 昭和31年に制度化されて今日まで、一応形式的には行政権のあからさまな介入は出来難い状況ではあった。それでも新潟県の行政が違法に介入してきた結果が、現在の筆者の立ち行かない物理学の状況を作り出した。一体この過去をどのように繕うのか。日本としての立ち居が問われていると思う。教育委員会制度の住民自治の方向性に踏み込めず、結局文科省行政権支配の構図に改変してしまった。

教育基本法が改悪されてしまった今、見通しがつかない。しかし、教育基本法の(原法)と(改悪法)の意味を比較しておくことは重要と思う。政治が教育にその思想・信条を持ちこむ介入は、憲法施行前に施行された意味から、特段に違法性を抱えていると認識することが大切と思う。当時の社会的、市民の無関心がこのような危機を招いた意味は大きい。政治は選挙に行かない人間の無関心がその方向性を過つのだ。その意味で、未熟な考察内容ではあるが、ここに載せさせてもらう。

ファイルが縦書き二段構成であり、見難いとは思うがご勘弁願う。20枚のファイル。

詩心―教育1-

詩心―教育2-詩心―教育3-詩心―教育4-

詩心―教育5-詩心―教育6-詩心―教育7-詩心―教育8-詩心―教育9-詩心―教育10-詩心―教育11-
写真121
詩心―教育13
詩心―教育14詩心―教育15詩心―教育16詩心―教育17詩心―教育18詩心―教育19詩心―教育20

以上がその当時に綴った思いである。教育基本法に何が盛り込まれたかを理解して、政治の目論みを注意深く知らなければと。