教育基本法(昭和22年3月31日)われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。・・。
と新しい教育を目指して戦後の日本が始まった。しかし、『根本において教育の力にまつべきものである。』が何処か変質したものに変わったようだ。教育の政治的中立性 (2020/07/22) 。
政治と行政は密接な関係である。日本の教育行政は文部科学省が担っている。そこで、教育の中身が決められて、その規定事項に従ってしか教育が許されないことになっている。予算の裏付けによって子供たちの理想の教育が初めて可能である。『学習指導要領』と言う国家行政の検閲によって教育内容が縛られている。
理科教育について「学習指導要領」の内容を学習させて頂いた。
右は高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説の77ページである。
原子に関する部分の文章を読むと、
「電子、原子及び原子核に関する現象についての観察、実験などを通して、次の事項を身に付けることができるよう指導する。
ア 原子について、次のことを理解するとともに、それらの観察、実験などに関する技能を身に付けること。
イ 原子について、観察、実験などを通して探求し、電子と光、原子と原子核における規則性や関係性を見いだして表現すること。」と書かれている。
‥の観察、実験などを通して・・とはどの様な事を指しているのか?これが教科書を検定する検定基準になると解釈する。とても腑に落ちないのだが、教科書検定以前に、この学習指導要領の内容と意味を『検定』する必要はないのか。誰がどのように『合格』と判定して告示に至ったのだろうか?
また、思考力、判断力、表現力等を育成するに当たっては、原子について、観察、実験などを通して探求し、電子と光、原子と原子核における・・。等と原子について「観察と実験」とはどの様な事を想定した指導要領か?これで子供たちの理科教育を考えた教育機関の目的がどこに在るのか理解できない。
教育と学術審議会と政治。
何か政治の目玉が見当たらないと、教育を政治の題目にするようだ。政治が教育を取り仕切る日本の教育制度は正しいのだろうか。教育委員会の制度が形式的に整えられている。しかしそのトップは行政機関の教育長が取り仕切っている。独立した教育委員長ではない。
教育審議会が教育の基本方針を答申し、それによって方向付けられる。教育審議会委員は行政が選任し、その方向性は既にそこで決まるようだ。その結果が上に挙げた「学習指導要領」として決まって行く。日本の科学者は上の例のような「原子に関する、観察と実験・・」の教育指導論で良いと考えているのだろうか?今回「学習指導要領」の一部を拝見して驚いたので取り上げた。『電子』が電気現象には無用のお荷物であるとの認識から。