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原子の解剖

原子は小さい。どんなに頭でその姿を描こうとしても描きようが無い。電子顕微鏡でも原子を捉えきれないのだろう。 『電荷』否定への道で自由電子の意味を考えると、原子模型をどう解釈するかに突き当たる。銅の結晶構造も分からず、どうして自由電子が生まれるかの疑問を解きようがない。自由電子の矛盾の示し方が難しい。困って原子の事を考えてみた。原子1つに 物を観測する 電子顕微鏡と言っても、その原理も理解できないので、原子を観測できるという事が理解できない。顕微鏡として物を観測するのに、電子が物に当たって反射する事で観測できるという事の原理が理解できない。光学顕微鏡は、光が物に当たって反射するからその反射光をレンズで拡大(反射光の方向を屈折率により変える結果の目の錯覚を利用するー虚像ー)して、観測するのだと理解できる。電子が負の電荷を付帯した固い粒子とすれば、物に当たって反射しても物の大きさを拡大する観測結果には成らない筈だ。電子もエネルギーの空間的に集約化された雲のようなものとすれば、エネルギーの波として認識出来るから、光の反射現象と同じ空間的なエネルギー屈折現象を利用した観測装置と看做せ、観測の原理を理解できる。光の波長は可視光線なら空間的寸法で、3800Å以上だから、とても原子寸法数Åと比べれば、観測できるものでない事は分かる。それに対して。電子は空間的に原子より小さいかと教科書的には考えられる。電子は、原子の外殻を廻る原子の構成要素というのが教科書的概念だから。その位小さいなら、原子の大きさなら見えても良さそうだが、それは無理だろう。電子が大きさで解釈できる実在性を備えている訳ではないのだから。雲の大きさを計れるかと言うのと同じ意味で。光のエネルギー波が固まりの光子と言うようなものでないのと同じことで、物との相互作用で寸法などは変幻自在に変わるのだ。原子の寸法は幾ら位かという疑念は、市民的疑問として当然誰もが抱くだろうと思う。専門家が其れにきちんと答えられないのが、現代的自然科学論の問題だと思う。気体原子がボイル・シャルルの法則で体積の膨張・収縮をする等と言う解釈は、現代物理学理論には無い。気体分子運動論は、原子は寸法が変化しないという前提で構築されている。原子は石ころのような硬い塊で、その粒子性で捉えるのが基本概念である。酸素原子が膨張収縮する等は物理学論理に反する事に成る。電子顕微鏡でも、電子が雲のように捉えどころがなくて、原子までもが寸法が変わるとなれば、原子を観測する等と言う事は無理である。原子の舞う世界(2014/04/24)  。原子模型 原子模型 筆者は空間的に頭に描けないと考えが進まない。抽象的な高等数学は能力が無く理解を諦めている。だから形を空間に描いて考える習性が脳の経歴的特性に成っていると思う。だから、いい加減でも良いから頼りに成る形を捉えたい。そんなことで、原子模型を描いてみた。あまり教科書的概念に囚われないように適当に形を図にした。全て、原子も電子も『エネルギー』一つで出来ている世界だという基本原則に立っての解釈である。自由に形も変化するのが当たり前と。そんなエネルギーが様々な容量の原子を構成するという多様性の世界の不思議が堪らない魅力に成る。自然の魅力は固定した解釈を超えた無限の多様性にある。地球上の生命の多様性は誰がどうして創造したか等を考えただけで、震えるほどの不思議にひたれる。高校生の時から『共有結合』の意味が理解できずに悩みのタネであった。負の『電荷』同士がクーロン力に反して何故繋がる力に成るかは、現代物理学の人間的矛盾の姿に見える。やっと教科書を信じなくても何とか解釈できるところに辿り着いた。分子結合は原子の磁気結合(エネルギーの回転流間の相互作用)によると認識すれば良いと。そんな思いで描いてみた原子模型図である。原子の外殻を周回運動する電子等は否定する模型である。原子の中心にはエネルギーの高密度の集約状態の核がある。それと原子外殻は同じエネルギー流の磁気的回転流がある。その核と磁気は繋がっている。量子力学の電子のエネルギーレベル変化を運動エネルギーで解釈する方法はいらない。エネルギーが付与されれば、原子はどのようにもエネルギーを貯蔵する。そのエネルギー量が連続的でなく、飛び飛びに安定性を示すと解釈する。それが原子の周期律表の特徴として表れているのだろう。 結合磁気 炭素結合の秘め事 原子と分子の妙 等に原子結合の解釈を記した。エネルギー流の回転流が電子の姿であり、結合の手になると考える。磁界・磁気概念の本質 が基本に成る。