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エネルギー その見えざる正体

見えないもの 世界を光によって見ることが出来る。しかし、その光を見ることは出来ない。光がどんな形をしているかは分からない。その光の形を科学的に検証して確かめることも出来ない。しかし光は世界の実在的物理量で、空間に実在する。光は空間エネルギー分布波であると言っても、そのエネルギー波を検出をする測定法は無いだろう。何しろ1秒間に30万キロメートルの速度で通過する空間エネルギーの密度波であるから。そのエネルギーの分布状態を計る測定法が見つかれば夢の世界が広がるのだが。 見えるもの 見えないもの  にも見えないものについて述べた。その科学的に測定・検証できない電磁波の空間エネルギーについて述べようと思う。エネルギー程自然世界の根源を成しながら、その姿を見ることが出来ない不思議なものもないと思うから。大学教育に求められる「電気磁気学」 はその眼に見えない空間エネルギー波が光の本質であることを理解することを求めたものである。その見えざる正体を電磁波の中に観ることを論じたい。 眼で見えない物を心で観る夢としたい。 

電磁波はエネルギー波

図1.電磁波とエネルギー分布 正弦波の電磁波はマックスウエル電磁場方程式の解釈により、電界E と磁界Hの直交したベクトルの波動として表現される。その電界と磁界の偏微分形式で方程式に表現されている。しかし、電界や磁界が空間にあると考えるなら、その空間にはエネルギーがあると解釈される筈であるが、エネルギー分布についての解釈は電気磁気学の電波伝搬現象には見えないようだ。エネルギー波という解釈の記述について見た記憶がない。何故なんだろうか。電波伝播現象ではない静止電磁場については電界エネルギー「(1/2)εE^2^[J]」とか磁界エネルギー「(1/2)μH^2^[J]」とかの解釈がされているにも拘らずである。光速度伝播での電磁界については空間エネルギーという概念が消えてしまう人間の不思議な科学的習性を観なければならないのかと。そこで、今回はその光速度伝播の電磁界についても空間エネルギーが実在するのだということを伝える為に、その正弦電磁波のエネルギー分布を描いてエネルギーの実在性を解説しようと考えた。電磁波の本質は電界や磁界ではなく、エネルギー波なのである。それが光が空間エネルギーの縦波だという解釈に通じる事の要になるのである。図のように、正弦波の波長λとすれば、その半波長 λ/2 の繰り返し正弦波分布波となる。実はこのエネルギー密度分布波δ[J/㎥]の空間伝播現象を解説しようと考えたとき、このエネルギー波の表現法に困惑してしまった。そのことで、前の記事、瞬時電磁界と概念になった。エネルギー波が電気磁気学で取り上げられない訳の一つに、その空間表現が困難であるからかも知れないと考えるに至った。それが見えないものを観る困難かとも思う。しかし、エネルギー単位量子という捉え方で電磁波のエネルギー縦波伝播現象の解釈が欠かせないと考え、その意味を解説したい。

エネルギー単位量子

図2.エネルギー単位量子 ε=(λ/2)(δの平均値)[J]  見ることのできない空間エネルギー分布密度波を、空間に図形表現してみたのが図2.である。石や花のように眼で見ることが出来るものは空間に描ける。平面表現であっても絵にして伝えられる。しかし、空間に実在すると言っても眼に見えない、形の表現のしようがないものを示す事は困難である。質量に付加される運動エネルギーは質量体とその速度を併記すれば、理解できよう。しかし、質量のないエネルギーは目に見えないから形に示せない。これは『禪問答』の部類かもしれない。そこを何とかご容赦頂いて論じさせて頂く。空間を伝播する電磁波は正弦波波長の半分の長さの空間エネルギー密度波の繰り返し波形である。今仮に単位面積あたりを通過するエネルギー波を考えれば、単位面積1[㎡]で長さλ/2[m]の体積のエネルギーε[J]の光速度の縦波伝送として捉えられる。それをエネルギー単位量子と定義する。

見えざる正体

見えない空間エネルギーは光の視界を遮ることもないから、そこに在るとは見えないのだ。電気コイルの中や磁石の周りにエネルギーが在ってもそれは目に見えないのだ。地磁気のエネルギー流が在ってもそれは目に見えないのだ。見えざる正体それが空間に実在するエネルギーなのだ。世界を構成する基であるエネルギー・素原の光がその代表なのだ。その見えざる正体のエネルギーが理科教育に求められる本源だ。サーフィンが夏の海に運動力学の絵を描く。津波とサーフィンは同じ水力学の形を見せている。波のエネルギーとは何かと尋ねれば、振動数が何とやらの解説が検索に出て来る。エネルギーの実在性が見えない理科の解説は間違いである。

『課題』が残る。光の波長はこの「λ/2」を捉えて今まで論じてきた。正弦波波長と光の波長との関係を明確にしなければならない。

過去から今まで

32  『静電界は磁界を伴う』 -この実験事実に基づく電磁界の本質ー

1.まえがき 現代物理学の基本概念に電磁界概念がある。しかし、マックスウエル電磁場方程式には時間的に変動しない電磁界いわゆる静電磁界に対してエネルギー伝播の概念は含まれていない。この解釈から「電荷も電流も時間的に不変である限り電気と磁気とは別々の現象である。」(1)という当然ともいえる結論が得られる。しかし、マックスウエル電磁場方程式をエネルギー伝播という観点から考察したとき、筆者は「電界あるいは磁界のみが単独に存在するような場は有り得ない。」という結論に到達せざるを得ない。・・・

と書き出した、1987年(昭和62年)4月の解釈から少しも進歩していない同じ事を論じ続けているようだ。

光の屈折と分散

初めに 光の実像をどのように認識するか?光は目の前の空間に実在する。眼で物を観ることは眼に光が入り、その光の一粒(?)ずつの総体として物を脳機能に因って理解する。取り入れる情報は光のエネルギーである。光のエネルギーを物理学でどのように解釈しているかと言えば、プランクの定数と光の振動数の積で捉えている。そんな数式で表現されても、光のエネルギーとはこれこれだと、感覚的に捉え切れないのじゃなかろうか。振動するとは何がどのように振動しているのかを説明して貰わなければ解りっこない。振動数と光のエネルギーを結び付けて理解できる方が物理学の世界を語れる事になっているようだ。振動数の意味が理解できない筆者が語る内容はきっと伝統的な物理学教育現場にとっては逆賊者か反逆者の教義ぐらいに思えるだろう。その辺の事情も良く分かるが、やはり光の「振動数」とは何かを明確にする必要がある。意味不明な『振動数』では物の理屈の物理学には成らないと思う。『振動数』が意味する内容は、気体分子運動論で熱エネルギーを解釈する論法の『質量』の振動論に通じる意味であると思う。すべてエネルギーは『質量』が有って初めて存在する事になっている。光の『振動数』も光子と言う光の粒が気体分子運動論の分子と同じく何か隣り同士の光子が体当たりしながら、その体力を競う能力を持って運動エネルギーとしての存在感を発揮する様子を描いているように思える。しかし光子が『質量』を持つとは言えないから、その辺は曖昧のまま説明できない高度な数学的概念が理解できるまで頑張って努力しなさい、そうすれば分かるようになるから。と御高説に至る。おそらくマックスウエル電磁場方程式の電界・磁界の横振動波を思い描いて解説するだろうが、電界や磁界が振動する訳ではなかろう。電界・磁界には光のエネルギーの空間像を見て採るだけの頼りになるものが見えない。エネルギーと結び付いて理解できない。子供達も検索で光に質量は無いのにどうしてエネルギーがある事になるのかと質問する。エネルギーは質量が持つ運動エネルギーだと物理学教育で教えているからだろう。電気回路内は質量の無いエネルギーだけなんだけれども。質量と電荷を持つ電子が必要になる原因もその辺に在る。光のエネルギーを『振動数』で認識するなら、その振動数の意味を明確に分かり易く解説して欲しい。検索で屈折現象の解説がされている。光の伝播媒体で、速度が異なるから異種の媒体の接触境界で屈折すると説明されている。それで正しいと思う。しかし物理学とは、「何故」と問う事から始まる。何故媒質に因って速度が異なるのでしょうか?振動数では説明にならないでしょう。媒体が違っても振動数は変わらない筈だ。変わるのは波長だ。さて屈折する理由は何か?その何故かを問題にするのが物理学の要になる。電磁力の本質と言う記事を書いて、電気現象の空間ベクトルの話に移ろうと努力の甲斐もなく、光とレンズに足止めされたまま動きが出来ずにのた打ち回っているような気分だ。無所属の悲哀をかみしめながら引き籠り状態だ。仕事をと考えても、考えることが科学常識の否定のような事ばかりでは世間で許され、受け入れられる席などやはり無いかと気遅れのままお恥ずかしい限りだ。止むをえず科学理論の常識にまた逆らうような事ではあるが、物理学の未来像への提言をまとめて置こうかと考えた。日常的科学常識に支えられている科学世界の現状を批判するとは、大人気も無く嫌われると分かっていても言わなければならないと思う哀しさ。少しは専門的技能として電気工学と電気回路論から身に染み付いた質量の無い『エネルギー』感覚が筆者の世界観の根底を成している、その『エネルギー』から観る世界・自然界を描きだせればと願っている。ここまでの話には、数式は無い。数式は必ずしも科学論には必要とは限らない。『電荷』が存在するとお考えの方は、その『電荷』の具体的空間像をお示し頂きたい。数式は無くても説明できる筈ではないでしょうか。プラスとマイナスの『電荷』の違う空間的理由を。光も同じ意味で簡単な日常用語で説明できると思う。『振動数』とは何が振動しているかを。

屈折と分散に隠れた意味 ここに書いたことは誰もが当然のこととして分かっていた。筆者だけの不明であったので削除させてもらった。光の散乱・分散分かり易い高校物理の部屋 に在る。しかし、一般に光の速度は一定の光速度と認識しているが、それは媒体が真空でしか通用しない現象と考える。空気中も真空と必ずしも同じとは言えなかろう。確かに空間定数は空気中も真空と同じと解釈しているが、夕焼け(水蒸気含有量)などは分散現象であろう。真空と空気中での光の速度の差は無いと言えるのか?(2017/12/04)以上追記。

屈折現象 何が屈折を起こす原因か?昔“何も足さない 何も引かない”と言うコマーシャルがあった。何か『エネルギー』一つを背負った旅ガラスの心境に思えた。捉えどころのない『エネルギー』だが、光の振動数より分かり易いとここまで引き摺って来た。

光エネルギーの屈折 光は電気エネルギーと同じく、空間に存在するエネルギー密度分布波である。質量など必要としない、エネルギーそのものの空間分布の波である。上の図は学会での発表に使ったもので、プリズムを想定して描いた屈折現象の解説である。光エネルギーあるいは光は光速度で空間を伝播する。その光速度は、障害の無い真空自由空間では何故毎秒30万キロメートルであるのか。その訳は真空の空間が握っていると考えたい。エネルギーが通過するに許された空間の支配条件に従わざるを得ないということであろう。光と同じ電気エネルギーが伝送線路の電力用ケーブルを伝送される状況と比べて考えてみよう。ケーブルは電気絶縁物で充填されている。その中でのエネルギー伝送速度は遅くなる。ケーブルの単位長さ当たりの誘電率と透磁率でほぼその伝送速度は決まる。プリズムのガラスの媒体特性も誘電率と透磁率で評価できるだろう。その媒体の空間定数の値で光の伝播速度が決まるだろう。真空は何も伝播媒体が無い空間であるが、その真空でも誘電率と透磁率が科学技術の単位系を決める根本的定数として決められている。真空透磁率μo=4π×10^-7^[H/m]がMKS単位系の拠り所と決められている。その空間媒体の定数が光エネルギーの伝播速度を規定している。プリズムのガラス中の速度もその定数によって決まる。

光エネルギーの速度 図は波長λの光が空間を伝播する状況を透磁率と誘電率に因って解釈したものである。電力系統のエネルギー伝送と自由空間での光伝播とは同じ物理的現象として解釈すべきである。ここには少し数式が入っている。平方根と分数と三角関数と若干の空間的定数概念[H/m]、[F/m]の空間的ベクトルの方向性を基にした数式である。この図で伝えたい事は光には正弦波の周波数が無く、波長λの繰り返しのエネルギー密度分布波の縦波が空間媒体の定数によって規定された速度で伝播するエネルギー波であるという事である。一波長でエネルギーなのである。媒体は構成成分の分子構造体であろうから、その構造体の物理的特性(空間エネルギーに対する吸収・放射の共鳴度とでも言えば良いかは明確ではないが、何らかの影響度を及ぼす強さ)に因って速度の影響を受ける筈である。その特性が誘電率と透磁率によって決まると解釈する事を示した図である。上の図は真空の空間特性と所謂光速度C[m/s]の意味である。分散は波長λに因って光のエネルギー密度分布波が異なるため、光伝播空間の媒体特性に因って、通過速度に影響が生じることは容易に理解できよう。実験的には分散が起こることは周知の事実であるから、その物理的理由をどのように解釈するかの問題であろう。光の空間的エネルギー分布を計測するなど不可能なことであろうから、科学的な検証は不可能であろう。光のエネルギーを振動数で解釈するという論理で、屈折や分散の物理的意味が感覚的に心に響くかは、高校生に尋ねて見れば分かるであろう。光エネルギーは1波長でエネルギーなのである。光を検出するには周波数や振動数でしか計り様が無いから、振動数が理論的な概念に組み込まれているだけなのである。数式を示してもそれが物理学の目的ではなかろう。自然は不思議の宝庫であり、魅力に溢れている。解ったと言うにはまだ早い。

分散 色収差はカメラなどの光学技術で問題になる。しかし技術は、技術者はその問題を解決して製品の質を高めて来た。しかし物理学は分散の物理学的意味を明らかにしているだろうか。解らない処を噛み砕いて何故かと考える事の大切さを教えているだろうか。不思議と思う事を伝えているだろうか。意味を教えないで伝統的教育法に従った数式を覚えさせるだけて済ませていないだろうか。

電気理論は手品師の世界

理論は真理か?何か手品師の舞台を見ているような感覚の世界だ。
『瞬時電力』とは何か? 『瞬時値』と言う物理量を捉えることが現象のより深い理解につながるかという考えで、その用語を多く使って来た。本当の意味を考えて使って来たかと自分に問えば、殆ど感覚的により真相に近いだろう位の思いであったのかも知れない。
科学理論と言う論理的な厳密性で構成されているとの理解の中で、より根本的な誰もが常識として共通に納得している事象や用語でさえも、その意味を自分は分かっているのかと自問すると、不思議にも分かっていない事に気付く。それも十分分かっていると自負していた電気現象に関わる話でさえも。

瞬時電力とは? IT検索すると、その意味を尋ねる質問者が居る。電気回路の電圧や電流波形はオッシロスコープで観測できる。電圧や電流の瞬時値は波形として見慣れているから、その意味など全く気にもしないで、瞬時値と言う電気量の定義など疑いもしない。

瞬時値の単位と時間 瞬時電力p[W]は波形観測が出来る。単位はワット[W=J/s]である。瞬時値とはどの程度の時間感覚の意味なのか?瞬時だから、時間の長さは『ゼロ』でないのか。

瞬時値と単位と時間 (1)回路と測定の電圧計、電流計そして電力計の測定値V[V] 、I[A]および P[W]は十分長い時間での平均値のような『実効値』を計測している。しかし交流回路であるから、それぞれの値は時間的に変動している訳で、その波形の各時間における値を瞬時値と言っている。回路の瞬時値波形は抵抗などを通して簡便に測定できる。瞬時電力p[W]は掛算に因らなければ波形は得られない。電力の単位[W]は図(2)瞬時電力波形のpの単位も[W]である。電力と言えばワットである。そのワットと言う意味は何かと考えて見る。ワットが流れている訳ではない。流れるのはエネルギーのジュール[J]であろう。[J/s]とはどういう意味か?エネルギーが流れると考えれば、時間当たりとなる。しかしそれでは何か『瞬時値』と言う意味と感覚的にも腑に落ちない。結局の結論としては、瞬時値であるからある時刻における時間微分値と言う意味としか解釈のしようがない。瞬時電力p= lim _⊿t→0 (⊿E/⊿t)=dE/dt[J/s]としか捉えようが無い。となるとdE[J]とはその線路点のどのようなエネルギーを意味しているかと、また疑問となる。ここまで自己を追い詰めて、疑問の渦に自分を引き込む。抜けられないかと不安が解決策を見つけ出してくれる。不思議だ!それが次の話になる。科学技術の競争と言う世界から離れた場所だ。

電力の物理的意味(自分への問答) 正しくこの電力p=dE/dtの意味が手品師の隠した「種」に思えて来た。誠に不思議の極みである。位置x点での電線路空間のエネルギー分布dE(x)がその意味を隠している。『光速度伝播』が電気理論の隠した種でもある。『エネルギー』と『光速度』、この二つが種明かしの要だ。dt=dx/c[s]にあり。距離dxと時間dtの関係を支配するのは『光速度c』だ。電線路空間距離位置x点における瞬時電力はp(x)=c dE(x)/dx の『エネルギー』の空間分布の勾配である。昭和62年の『静電界は磁界を伴う』のマックスウエル電磁場方程式の解釈に適用した『エネルギー』と『光速度』の関係と同じ解釈につながっている。とは言っても新たな疑問が待っていた。

思考実験―単相電線路の瞬時電力とは?- 単相交流回路は一般にはその亘長を考慮する必要が無い。だから電線路電圧は電源から負荷端まで同じ電圧と考える。もし少し電線路の長さが長いとしたら、その回路の電気現象をどのように捉えたら良いだろうか。電源は電線路の電気状態を電圧と周波数で制御するだけである。電源は負荷の状態を認識できない。ただ電圧保持に必要なエネルギーは電線路の要求に見合う様に供給するのみである。負荷電力が大きければ、電圧保持に必要なエネルギーが多く必要なだけである。50Hzで、相当電線路が長いとすれば、線路電圧は電源からの距離によって異なる筈である。即ち、電線路定数(C[F/m] ,L[H/m])によって決まるエネルギー伝送速度c[m/s]によって支配される。電源からの距離xの地点での電圧値は図のように、x/c[s]だけ遅れた位相の電圧となる。これが電気回路現象を支配する基本原則である。言わんとする意味は、電流も電線路の位置により異なるのである。電線路空間内を『エネルギー』が伝播速度で流れているのであり、或る位置x点での瞬時電力pxはその点の電圧と電流の積で評価するが、『エネルギー』の光速度に近い伝送速度の現象下での認識が必要になる。もし電線路亘長X=3000kmのような場合を考えると、その電圧分布は丁度半波長の波が乗った状態と考えて良いだろう。当然電源での瞬時電力もx点の瞬時電力も、また負荷点の瞬時電力も同じではない。さらに、もし負荷がスイッチSオフとしたら、電源の供給『エネルギー』は電線路の分布回路要素C,Lおよびコンダクタンスgの機能によって支配されるから、帰還する電源への『エネルギー』をどのように処理できるかも問題になる。送電電力系統での開閉サージ電圧が定格電圧の7倍にまで跳ね上がる現象も観測されていると本で読んだ。電線路の『エネルギー』の往復反射での電圧上昇現象である。電気現象を解釈する電気理論は電気工学の電圧、電流概念が如何に便利で優れたものであるかは誰もが否定できない。しかしそれは科学技術の応用としての技術理論であり、自然の物理的本質を唱える理論ではない事だけは理解して欲しい。電気現象の本質は光速度での『エネルギー』の伝播現象であることを。電気回路の電力とは何ですか? (2016/12/16)から考え始めて、今年は電気回路解析の『時定数』の意味を取り上げ、電線路空間の『エネルギー』の振る舞いについて考察した。電力概念も難しいと知った。

課題 電線路空間を伝播する『エネルギー』の本当の姿はどのよであるか?線路定数から、電圧分布エネルギーはCv^2^[J/m] 電流分布エネルギーはLi^2^[J/m]で電線路単位長さ当たりの値を捉えようとしても、その『エネルギー』の電線路空間内での分布などは全く捉え切れない。ただ電気現象の本質を理解するには、電線路空間内の『エネルギー』とその光速度伝播認識が欠かせない。未だ手品師の「種」を明かせない。x点の瞬時電力pxに負荷電力prがどのような関係で影響し、そのエネルギー分布勾配が生じると考えれば良いかなど全く不明である。また、三相交流回路に対して、単相交流の方がその電圧エネルギーの線路往復流に因り原理的には複雑な現象となる。多くを未来への課題としたい。

コンデンサとエネルギーと電荷

特にこの1,2年コンデンサの電気現象を考えて来た。IT検索したら、高校生などの質問があって、それに教えられた。一応高校の物理の教科内容になっているようだが、考えると中々一筋縄では答えられない。疑問だけが残る。次の二つの記事が筆者に教えてくれた質問であり、それに答える解答者の解説でもある。さすがに解答者も考えたことであろう。筆者も解答するつもりで、別の視点から考えてみよう。ただその視点が社会的な合意を得るのに困難なものであろう。科学論は一般に過去の先人が築いて来た伝統ある共通認識の基礎認識の上に、新たな発見とか深みを付け加えるもので、そこに新たな共感や賛同を得て互いに達成感を広げるものであろう。社会的な安定した常識の意識が望まれる。それに対して、筆者が述べる科学論は、伝統的な科学常識の教育に携わっている方々に違和感と嫌悪感を抱かれるような内容が多いと自覚している。だから人と融和を重んじるなら殆ど書けない内容ばかりであることも知って居る。気に障る場合はご勘弁願います。『電荷』否定とその概念矛盾認識がその原点に在り、世界の根源要素は『エネルギー』であるとの解釈に基づいているので。余りにも科学常識論からかけ離れ過ぎているから、社会的混乱と言う点で迷惑な事でもあろう。
(1)コンデンサと静電エネルギーについて 高等学校の物理Ⅱの問題を学習して、疑問を提起したものだ。理科の指導内容にはその教科特有の専門用語が使われる。言葉の意味を的確に理解することは、はじめて学習する者には難しいこともあろう。質問者がどのように理解しているかが気になる用語がある。それは『静電エネルギー』である。その『エネルギー』とは何処に在るどんなものと理解しているのだろうか。それは『電荷』でもないし『電界』や『磁界』でもない。静電容量はコンデンサの空間構造の『エネルギー』を貯蔵する容積である。コンデンサ容積内に貯蔵する『エネルギー』を『静電エネルギー』と言っていると思うが、質問者はそうではなかろう。その『エネルギー』を『電荷』で結びつけて空間に実在するように理解するのは無理であろう。物理学での『エネルギー』は電界あるいは電圧に依り受ける『電荷』の移動に対する仕事量の合計値としてエネルギー量ジュールに換算した物として教育されているから。質量に働く力と移動距離で評価する基本的『エネルギー』概念だけで解釈しているから。電気エネルギーは全く質量には無関係の『エネルギー』なのである。光と同じ『エネルギー』なのである。『電荷』があると、どこに『静電エネルギー』が実在すると言うのだろうか。『電荷』の中に在るのだろうか、それともその周りの空間でしょうか。それは教育者側に問う『問答』でもある。結局『電荷』や『電子』の具体性が曖昧なまま、その存在が科学理論の複雑な絡み合いの中に常識化されている処に問題があるように思う。

電荷と静電エネルギー 『静電エネルギー』とはどんな意味で解釈しているかを、筆者の理解する内容で確認したい。物理の教科を教えた事もなく、間違っていると悪いので基本的認識を図に依って考えたい。先ず『静電エネルギー』とは『電荷』が持つエネルギー(?)と理解するのか?『電荷』でなくて空間が保有する『エネルギー』なら大いにその解釈で結構なのだが、どうも物理学理論から推論するとそうではないようだ。『電荷』と言うのも実際は『電子』等に付帯したものとしての、それが持つ『電荷』量という意味で解釈すれば良いのだろうと思う。教科書理論では『電荷』が単独に存在すると言う、質量の無い独立した概念とは捉えておらず、質量に付随した概念として解釈されているようだ。だから『電荷』と言う時は、それは『電子』か『イオン』かの意味で捉えて良かろう。図は中心に『電子』の抜けた原子の集まりで+Qクーロンの原子集団があるとした。現実にはプラス電荷同士が集まるのもクーロン力から考えればなかなか理解し難いのだが、大目に見ておこう。さてそのプラス電荷が空間に存在した時、周辺の全空間には電気力線と言う電界の歪み空間を作り出すと考えて良いのだろう。それが教科書の電界の意味であろうから。全空間の中心が張る立体角は4π[st.rad.(ステラヂアン)]である。半径r[m]の球表面は電界強度E[V/m]のベクトル空間と看做す。そこに何か『電荷』があれば、その電荷には中心の電荷+Q[C]に依る力が働く理論に成っている。それは遠隔力か近接力かも考える必要があるが、先ず空間の電場と言うものをどう解釈するかであろう。その空間は電界があるが、『エネルギー』は存在しないと解釈するのかどうか。空間に『エネルギー』があると解釈すれば近接作用力が有力になるが、教科書のようにただ電界を抽象的に捉えているなら遠隔作用力とする見方になろう。筆者は電界が在れば、それはそこに『エネルギー』が存在することと同等であると解釈するがそれはここでは伏せておく。元々電界なる概念の実在性も理解できない筆者であるから。前置きはそれくらいにして、『電子』に掛かる運動を考えてみよう。『電荷』だけでは運動に依る『エネルギー』の意味を捉えられないのが物理学理論(単位[eV]の概念問題もあるが)だと思う。必ず質量が無いとエネルギー論は成り立たないように思う。『電荷』には力が働いても運動方程式の加速度α[m/s^2]が生まれないから。どうしても質量にお出まし頂かなければならない宿命にある。『電荷』だけでは無理でも『電子』の質量に依りエネルギー論が可能になる。そうするとまた困ってしまう。よく無限遠から『電荷』をその位置まで持って来るにどのような仕事をするかとなる。その仕事がエネルギー論には欠かせない。仕事の解釈は力によって質量を動かした時、力ベクトル f [N]と移動距離ベクトル r [m]のスカラー積で仕事量のスカラーw= fr [J] で捉える。その仕事量は質量を動かすことに使われた消費エネルギーである。普通消費エネルギーと言う場合は、その『エネルギー』は熱として空間に放射される感覚で捉える。しかし、仕事量の幾分(1/2?)かを質量の『エネルギー』増加に変換する場合もある。そこに、電磁気学理論での『エネルギー』のもう一つの単位に[eV]がある。特に素粒子物理学理論等で『エネルギー』と言えばジュールでなく[eV]の単位で解釈するのが一般的である。それは一つの『電子』の電荷量が電界空間で移動した時に『電子』が得ると考える『エネルギー』の量を基準単位とした評価量であると解釈するが、間違いだろうか。その場合、『電子』には質量が在るから電界に因る力で、質量の加速度運動が起こるから『電子』の移動が可能であり、最終的にその質量の運動エネルギー分はどのように[eV]のエネルギー量の中に認識すれば良いのだろうか。[eV]の単位が表現する『エネルギー』の中味は『電荷e[C]』が電位差V[V]間を移動しただけで『エネルギー』を獲得する様な表現単位に思える。しかし、その[eV]単位がコンデンサの電極版間での『電子』などが保有する『エネルギー』に結びつくのか理解が難しい。『電荷』だけのそこには質量の運動力学の基本原理の加速度が見えない。実在物体を移動させる力とは質量の慣性に掛かる加速度を評価した物理学運動原理と思う。そのように質量を伴わない『電荷』のみを移動する運動エネルギー論は物理学理論には無いと思うのだが、その解釈は間違っているだろうか。このエネルギー単位[eV]で思考を整理するためエネルギー単位[eV]を尋ねてに別に取り上げた。さて、質量を伴う『電子』を対象に仕事を考えてみよう。図では、電界に因る力が『電子』に掛かれば、『電子』は加速運動をすることになろう。無限遠からrの位置まで力が掛けられれば、加速度によって相当の高速度運動に成っているだろう。それが力と運動の基本的解釈ではなかったか。そこで、その『電子』の持つ『エネルギー』は如何程と解釈すれば良いのだろうか。再び『静電エネルギー』とは何が持つエネルギーのことか?を考えてみよう。それはコンデンサと言う二枚の対向金属電極に因って構成された空間がその静電容量と言う単位ファラッド[F]の機能の基を成すものである。その空間が空気か誘電体材料かに因って機能の強さに差が生まれる。『静電エネルギー』はどこにどのようにして得られて、何が保持する『エネルギー』と解釈すれば良いのだろうか。『エネルギー』をコンデンサに蓄える仕組みは電気現象として如何なるものであるかと言うことである。このような設問形式で、問いながら考えることは高校生が初めて考える内容としてはそう難しい事ではないだろう。数式で解説している訳でないから、意味を汲んで貰えないかと思った方法だ。何が言いたいかと言うと『静電エネルギー』とは結局具体的にどんな『エネルギー』と理解しているかと言うことであり、曖昧であっては論理の物理には成らないと言う意味を理解して欲しい。誠に難しい教育の社会的問題を論じる様なことになって、読まれる方に申し訳ない思いもある。真理・真髄あるいは哲学とは社会的混乱でもあるのかと?生徒、学生にはこの問題に対処する方法は無い。教育する側、学力試験・入学試験を実施する側に考えて欲しい事だ。ようやく問題の核心に話題を絞ることが出来る。コンデンサの充電現象についての物理的(物理学教科書的ではない)解釈に入ろう。それは『電荷』概念に因るコンデンサ充電問題における矛盾についての考察である。その基本的観点は電気現象がすべて『光速度』の現象である点であろう。

コンデンサ充電現象の意味-『電荷』と光速度現象― 質問者のコンデンサ充電現象の話に入ろう。一定電圧の電源とコンデンサを繋いだら、どんな現象が起こるかが基本の話になる。先ず電気現象はすべて『光速度』の規範の基に在る。そこで、コンデンサ充電とはその電極板のプラス側とマイナス側に相反する『電荷』が集積された状態として理解しているだろう。物理学教科書の『電荷』の現象として考えてみよう。質問者は電源にコンデンサを繋いだ瞬間にコンデンサ電圧が電源電圧になると解釈しているのだろうが、それは止むを得ないことである。電源とコンデンサを並列に接続する図を想像すれば当然である。しかしその電気現象の本質を理解する事には初学者には無理があるのだ。元々教科書が光速度で電気現象を理解する教育内容になっていないのだから。その辺を捉えないとエネルギーが半分になると思うのも当然で、そこに誤解の意味の原因があろう。

図2.コンデンサ充電現象 どんな電気現象も過渡状態では、単純な回路要素で表現できるほど簡単ではない。ただ直流電源にコンデンサをスイッチで接続しても、コンデンサの電圧が瞬時に電源電圧になる訳は無い。それは現象が光速度の遅れを伴うことと、回路周辺の空間がその現象の伝達に影響を及ぼすからである。それは漏れインダクタンスとか抵抗などで表現する事も出来るが、決まった値ではない要素値であろう。厳密な方程式では表現できない。電流と言う技術概念量(is,ir)を考えれば、現象の光速度伝播から、それも電源側と負荷側では厳密には同じ量ではない。ここでコンデンサに充電される『電荷』と言う概念量に基づいて、その充電機構やコンデンサ電圧と『電荷』との間の物理的意味を考えてみよう。コンデンサのプラス電極とマイナス電極の『電荷』の分布を決める原理とその充電機構をどう解釈するか?プラス側のプラスの『電荷』は原子イオンが集まる訳ではないから、電極板から『電子』を引き抜き、電極板金属原子のイオンが残ると考えるのだろうか。その現象も電源側のスイッチSから始まって、コンデンサ端子に現象が伝わることになる。その時導線内にどのような電界(電荷分布に因る)が生じ、『電子』を引き抜く現象が起きるのだろうか。その引き抜き現象が終端のコンデンサまで伝播する様子をどのように解釈できるだろうか。次に、マイナス電極のマイナス『電荷』は電源の負側導線を通して『電子』が流れ込むと考えるのだろうか。そのマイナス側でも同じ意味での光速度伝播現象の解釈が要求される。単純に『電荷』が充電されると言う現象でも、その論理的解釈法を理解するにはとても難しい。『電荷』に因るコンデンサ充電現象はどんな原理で可能か?蛇足であるがもう少し述べたい。『電荷』移動は図1で考えたように電界E[V/m]が無ければならない筈だ。『電荷』は電線導体内を流れると教科書では説明されているから、電線内に電界が無ければ『電荷』は動かない。電源端子の電線内とコンデンサ端子の電線内とでは、同時に光速度を超えて同じ現象には成らない。導線内の単位長さにどんな電界が発生すると考えれば良いか。その電界の発生原理が明確に示されなければ、コンデンサを充電する『電荷』の移動を説明できない筈だ。図1でも述べたように、『電荷』では質量が無いから運動論には適さない。だから『電子』の質量をお借りして、『電荷』だけで良いのに質量まで組み入れた論理となる。コンデンサ電極には『電子』の『電荷』と『質量』を共に充電しなければならない論理になる筈だ。そこで考える、電線内の電界の発生が論理的に解説できるか。どのように電界が発生するのだろうか。抵抗降下電圧とは意味がまったく違うのである。電界と抵抗降下が同じでは、結局『電子』を動かす電界が無いと同じ事である。『電子』『電荷』を動かす電界は『電荷分布』に因ってしか図1の電気力線は説明できない筈だ。導線内に電荷分布に因る電界発生原理を示せなければ、『電子』移動の説明にならない。その『電荷』分布による導線内の電界発生の説明が出来ないなら、図1で論じた電界と『電荷』移動の意味は無用な事になる(本当は『電荷』など存在しないから意味は無いのだが)。『電荷(電子)』は加速度運動方程式に因って力を受けて初めて移動すると言うのが物理学の電気現象の原理の筈であろう。ローレンツ力の磁界加速は円運動で加速すれば中心に螺旋運動してしまう。磁界加速は今回の問題には無関係だ。電荷分布に因る電界しか『電子』は移動できない教科書理論の筈ではないでしょうか。

『電荷』とクーロンの法則 電極板に『電荷』が溜まるとは、どのような電界強度分布から可能なのだろうか。クーロンの法則は同じ極性の『電荷』同士にはその距離の2乗に反比例した排斥力が働く筈だ。どのようにクーロン力を打ち消す力が働くのか、その原理を示すことが理論の物理学としては欠かせない筈と思う。それは摩擦に因る『電荷』発生の解説が古くから受け入れられた解釈手法になっている処に原因があるようにも思う。クーロン力の強さを決める変数が距離と言う科学論の意味を是認するなら、『電荷』集合に対する力の論理的解釈法が示されて初めて電極板の『電荷』分布が論じられると思う。クーロンの法則を超える『電荷』集合の原理が。

静電エネルギー さていよいよ『静電エネルギー』とはどのような電気量で、どこに存在すると解釈すべきかを考えよう。電極板の『電荷(電子あるいは原子イオン)』を素に解釈するとすれば、その『電子あるいは原子イオン』が保持する『エネルギー』と言う意味で捉えるのか。極板に在るそれらの電荷対象は何処で『エネルギー』を保有して、どのような違いを前後で得たのか。『電荷』が『エネルギー』を保有するとはどのような『電荷』の様態の変化を生じると言うのか。『電子』が『エネルギー』を保持したり、失ったりする場合の『電子』内に起こる変化はどのような事で理解するのか。そのように考えた時、『電子』そのものに『静電エネルギー』の保持や消失の責務を負わせるのに矛盾を感じないだろうか。理論的とは、理屈の筋が通っていなければならないのである。矛盾が少しでもあれば、それをそのまま有耶無耶にしてはいけない。しかし、すぐに解決できる場合は余りなかろう。その時こそ、その矛盾を忘れずに何時か解決する時を待つ心掛けが欲しい。『電荷』が『静電エネルギー』を持つと解釈できるだろうか。式での W=CV^2^/2 [J] のV^2^[J/F]([V]=[(J/F)^(1/2)^]であるから) にその責務を持たせる以外ないように思う。『電荷』の次元[C]を『エネルギー』に関係付けて表現すれば、それは[(JF)^(1/2)^] となる。この『電荷』の意味と電圧の意味とをどのように『エネルギー』に関係づけられるかと言う問答になろう。コンデンサの静電容量C[F]は『エネルギー』を貯蔵する機能強度を表現しているが、『エネルギー』を貯蔵する空間的容積ではない。もし『電荷』が『エネルギー』を保有すると言うならば、プラスとマイナスが電極板に向き合う事の貯蔵効果は何なんだろうか。
(2)静電エネルギーの半分はどうなる? 上の(1)に続いて同じ問題であるが、この問題には『電荷保存則』と言う面の意味が強いと思う。質問者の解釈と疑問は至極当たり前の内容であろう。その質問に答えることはまた難しい。『エネルギー』が半分になるが『電荷』は保存されるという前提に在る。電圧が最終的にVになると言う事を実験的に検証できるだろうか。即ち『電荷保存則』が成り立つか?『電荷』の存在を否定する筆者が考える方向は決まってしまう。しかし、最終電圧がどうなるかに残念ながら答える能力もない。その辺の事情を電気現象としてどのように考えるかを述べたい。

電荷保存則と電圧 『電荷』と電圧は電気理論の根幹を成す密接な関係に在る。電圧は電圧計で計測できる。『電荷』は決して測定できない。コンデンサの静電容量は空間的構造体として定義されている。だから電圧が測定できれば、『電荷』は判定できるとなる。しかし、『電荷』が何ものかを確認はできない。『電荷』と考えている物が『熱』と同じ『エネルギー』だなどと言えば科学常識に反する。質問者の求めに答えようとすれば、図3のようにまとめるしかない。科学は実験的に検証しなければならないと言われるが、最終電圧がどのようになるかを計測する方法が筆者には思い付かない。『エネルギー』は電線路空間内で過渡現象の複雑な経過を経て落ち着くであろう。方程式を解く能力が筆者には無い。計測は必ず『エネルギー』を消費しなければできない。『エネルギー』だけが消失して、『電荷』が保存される理由が分からない。

まとめ 電気回路としては極めて単純なものでありながら、その現象を理解しようとするととても難しい事を改めて教えられた。『静電エネルギー』一つの技術用語さえ、長く伝統的に使われているのに、確信を持ってその実像を質問者に示せない。数式で表現される内容の奥に隠された真理はなかなか見え難い。今でも理解できないコンデンサ静電容量の物理学的・電気磁気学的解釈がある。電極版間のギャップが小さくなれば成る程静電容量が大きくなるとはいかなく意味か?ギャップの限界と『エネルギー』の流動模様に関係するか?

電荷概念とクーロン力 電気物理の最初の概念が『電荷』であろう。電気を論じるすべての基礎が『電荷』である。その基礎が理解できない、納得できないと疑問の中を彷徨って来た。高校生の質問がもう一度『電荷』の意味を問う機会となった。まとめとして、『電荷』とクーロンの法則そして電荷の『エネルギー』の関係を図にまとめて見た。コンデンサの電気現象の図は電極にプラスとマイナスの『電荷』が向き合って集まる解説から始まる。――今(2017/09/01/am:9.30)ヘリコプターが酷い騒音を撒き散らしている。誰の仕業か?――筆者は先ずその基から理解できない事に気付いたのが今から30年程前の事であった。クーロンの法則を斬る  に述べたが、コンデンサの電極に同じ極性の『電荷』が集電荷するには相当のクーロン力に因る排力が働く。その排力に逆らって同一『電荷』が集荷する理論的根拠が欲しい。そのクーロン力に逆らう力が示されなければ、コンデンサの『電荷』模様の解釈は理解できないのではないか。もう一点気付いた。『電荷』の『エネルギー』の意味である。(1)プラスの素電荷2個とマイナスの素電荷1個が電気力線の電場内で、一点に集荷した。図1の解釈から、その場合の集合電荷の『エネルギー』は如何程と解釈すれば良いのだろうか。同じく(2)のマイナス素電荷が3個集合した場合は、その総合『エネルギー』は如何程と解釈すれば良いのだろうか。(3)はとても不思議な未解決の『電荷』概念の問題である。プラスの電荷とマイナスの電荷が合体したら、『電荷』はどのような結果になるのか。プラスとマイナスの二極『電荷』概念の根本的問題に思えるのだが、高校生も不思議に思わないのだろうか。『電荷』は消えるのかどうか?

現時点の纏めとしては、『エネルギー』でなく『電荷』を電気現象の基礎概念にしている限り、残念ながら質問には答えられなくて御免なさい。

コンデンサの機能と電気スイッチ

電力回路ではコンデンサは力率補償用設備機器として考えられる。電力回路では実際にコンデンサをそれ程問題にすることは無いでしょう。しかし電気回路の解釈問題としては考えておくべき問題があるようだ。負荷回路にコンデンサを直列に繋ぐことは余りない。誘導性負荷にコンデンサを直列に挿入すれば、R-L-C回路となる。その直列回路で、コンデンサのリアクタンスを大きくするには静電容量を限りなく小さくする必要がある。コンデンサのリアクタンスを大きくすることは回路インピーダンスの総合リアクタンスはマイナスの容量性と解釈すべきだろうか。無限にコンデンサの静電容量を小さくすれば、回路電流は流れなくなり回路遮断と同じくなる。いわゆる電流を遮断する機能を持っているとみることができる。こんな単純な回路の意味を吟味することにも重要な意味がある。元々コンデンサは電気導体が繋がっていない構造を成している。回路としては所謂『電子』の通過を阻止する機能とも見える。電気導体が閉回路を構成していないのである。そんな根本的な意味で、コンデンサの物理的意味を考える考察材料として意義があろう。次の回路を考えてみよう。
1.R-L-C直列回路 ここでコンデンサの電極が離れて、原理的には導体接続を遮断しているスイッチと同じ機能を持っている事を理解してもらいたい。空中の配電線路の2本が離れて平行に張られているのも、見る視点を変えて見れば小さなコンデンサが張られているのと同じ事なのである。

1.直列回路とC  (1)コンデンサ容量をとんでもなく大きな値にした。直列の総合リアクタンスXは9Ωで、誘導性回路となる。(2)はリアクタンスゼロとなる。電源から回路を見れば、純抵抗Rの回路に見える。リアクトルもコンデンサも共に10Ωで、丁度共振状態となる。コイルとコンデンサの間でやりとりするエネルギー量が丁度釣り合って、電源からのエネルギーの関与が無い状態で、電源と切り離された回路要素となる。(3)静電容量を極端に小さくした。C=1[pF]として、そのリアクタンスはX=-3183 [MΩ](負のリアクタンス値) と完全な絶縁状態となる。即ち等価回路のように、コンデンサが回路のスイッチオフの機能を示すことになる。このコンデンサがスイッチのオン―オフ機能を持つと言う意味は、元々コンデンサの電極は離れた導体の遮断状態となっているから、特別な事ではないのだ。ここに、電気回路の『スイッチ』とコンデンサの機能に共通な意味が隠されていただけで、気付かなかったのだ。静電容量が小さければ、電極間の空間に蓄える『エネルギー』の量が少ない訳で、丁度スイッチの接点間の空間に蓄える『エネルギー』が少なくて回路遮断する機能と同じ意味なのだ。スイッチの接点間の空間エネルギー分布に繋がる意味である。それが『物理』である。覚えることで無く、学校教育の目指すべき教育内容は『理解する』である筈だ。本質を捉えることは『一つ』の事柄が広く全体に通じる視点を養える筈だ。
2.RとLCの並列回路 序でに並列回路についてもコンデンサの意味を、電気回路現象の例題として考えておこう。

 2. 並列回路とC  リアクタンス分と抵抗分を分離して考える。コンデンサの静電容量の値を変えて、コンデンサの意味を考えた。(1)は特に容量を大きくした場合で容量性負荷となる。リアクタンスは負である。(2)は共振条件でリアクタンスは無限大となる。従って、リアクタンス回路は定常状態では電源と切り離されたようにコイルとコンデンサ間でエネルギーの遣り取りがなされて、電源のエネルギーを必要としない状態になる。だから等価回路の(2)となる。共振回路の損失があるからそのエネルギー分は電源から受けることは当然であるが、考え方としては電源と切り離されると言う認識で良かろう。(3)のC=1[pF]ではコンデンサの機能はスイッチのような意味になってしまう。だから負荷はL-Rの並列回路となる。

結論 コンデンサの呈する電気現象を『エネルギー』に対してどう解釈するかを考えて来た。従来の伝統的解釈は『電荷』の正と負の概念によって解釈する方法であった。その『電荷』は存在しないと言う科学的常識離れの論を展開し、科学者の顰蹙を買って来たと思う。『電荷』概念に依った解釈法を取れば、空間の『エネルギー』の実体が不明確になり、世界に存在する質量の無い『エネルギー』を認識できなくなる。あくまでも世界は「光」と言う世界の根源要素から出来ていると言う認識に依って、コンデンサの電気現象を論じた。電気スイッチが空間エネルギーの電圧を保持した回路遮断機能と看做す観方で、コンデンサの意味を解説できたと考える。

空間とベクトル

眼前に広がる空間は実在空間である。その空間をどのように認識するかは易しいようで結構難しいかもしれない。その訳は、有名な科学者が五次元空間とか、多次元空間とかの科学論を話題にするが、どう考えても時間の次元を加えても4次元空間しか理解できないのだ。科学者の論理は難しい。そこには抽象化の論理展開が原因に成っているからなのかもしれない。5次元空間は実在空間と異なる抽象化空間だから自分には理解できないと諦める。

4次元空間(実在空間と抽象空間) 3本の互いに直交する直線の座標軸に時間の次元を加えて、眼前の空間に展開される自然現象を捉えることが出来る。ただその4次元空間と言っても、その認識する人の意識が同じとは言えないように感じる。観測者としての立ち位置をどう捉えるかという大きな問題が潜んでいる。『認識する空間』とは何かに答えなければならない問題を抱えているのだ。さらに、自分にとっては4次元空間でも実在空間と抽象空間の二つがある。

%e3%83%99%e3%82%af%e3%83%88%e3%83%ab%e3%81%a8%e7%a9%ba%e9%96%93%e5%ba%a7%e6%a8%99ベクトルと空間座標(②の図で、sinφは負になる) 図のi j k nα nβ nγ などはすべて単位ベクトルであり、大きさ1の方向性を規定する重要なベクトルである。先ず4次元の実在空間がある。眼前の空間は光に満ちている。光は日常生活そのものを照らす実在である。物理学理論を持ち出さなくても、日常感覚に溶け込んでいる。光は直進する。その速度は毎秒30万キロメートル進む。ただそれだけの意味の光の性質を元に、眼前の4次元空間に光の運動を考えてみよう。例えばビーム性の高い『レーザーポインタ』のような光源を取上げよう。その指向性の高い光パルスを1秒間真上に向けて放射したとする。その時の光の軌跡はどのように描かれるかと言う単純な問題である。その光のビームは連続的な一本の線を描くであろう。その線が直線であるか曲線であるかを問うのである。こんな余りにも素人らしい日常生活者の視点からの疑問がとても科学論には重要であると考えるのだ。光は1秒間に30万km進むから、光の軌跡もその長さは30万kmになる。さて光が直進すると言う意味はどのような意味なのだろうか。その時、光の進む空間をどのように認識するかが基本的概念になる。眼前の実在空間は光に対してどのような意味を持つのかである。自分が立っているのは地球である。地球は太陽を中心にして公転しながら自転している。太陽がどのような速度かは分からない。しかし、地球の速度を公転で考えても大よそ毎秒30kmと言われている。この地球の速度と光の速度との関係を実験で確認しようとしたのが二人の科学者マイケルソンとモーリーである。実験では上手く行かなかったが、考え方は正しいのだ。上の図の①は光が曲線を描くことを示した。光は光の放射源から空間に放射された途端に、放射源から完全に自由な光自身の空間伝播特性に従ってそのエネルギー伝播現象を示す。そのように光が直進することで決まる空間を光規定空間座標と考える。地球の空気層ではその媒体の特性の影響を受けるが、基本的には放射源の運動には支配されない。この問題は、光の相対速度を認識するかしないかの問題であり、認識する一人ひとりの解釈の問題である。光は『相対速度』でしか観測されない。その実験的証明は、レーマーの木星の衛星観測からの光速度算定実験に示されている。実験室での光観測実験では、光源と観測者が相対的に同一速度で運動しているから、光の相対速度は打ち消されて、観測できないのが普通の伝播現象である。やはり、実験に基づいた科学論を大切にすべきである。

電気工学と空間座標 空間とベクトルと言う標題で記事にした訳は、瞬時虚電力と言う電力理論の意味を分かり易く解説できたらとの願いで、考えている内に解釈の空間座標の意味を明らかにして置こうと思ったからである。『静電界は磁界を伴う』と言う実験結果の座標は実在空間座標になろう。コンデンサのギャップ空間の磁場を検出するのは普通の実験空間である。しかし、瞬時電力理論で展開する座標は独特の抽象化された、実在しない空間概念である。上の図②のように、一般に科学技術論で取り扱う空間座標は抽象化座標が殆どである。その抽象化された概念が専門家にとっては日常的にありふれた概念であるから、市民が理解するには無理がある事を余り意識せずに過ごしている。数学式で表現されると途端に難しくなる。数式で表現できる概念は、たとえ長い文章になっても日常用語で説明できる事が科学研究者の責任であろう。そんな意味で瞬時虚電力とは何じゃろうかとここに来て悩んでしまった。空間瞬時ベクトル解析法と交直変換器への適用は30年程前にまとめた論説であるが、なかなか良く出来ていると自分で書いていながら、読み直しても考えてしまう。世間知らずの無鉄砲人生の闇に翻弄されていた頃の思い出を乗せた論文資料だ。その意味を解説するに抽象化する科学技術の空間座標の意味を高校生にも何とか理解してもらえないかと思っての準備である。街なかの配電線路を見て、その中に在る自然現象としての『エネルギー』の振る舞いが日常感覚で何となく分かるようになればと思っている。

振り返って 図①の光の伝播ベクトルと空間の意味は、自由空間における光の伝播特性と周波数 日本物理学会講演概要集 第53巻第2号第1分冊 p.87 (1998)、光伝播時間算定のための瞬時空間ベクトル解析法 同上第54巻第1号第1分冊 p.77(1999) 2軸回転系の光伝播特性 同上 第55巻2号1分冊 p.77 (2000) にある。さらにこの関係でお恥ずかしい思い出がある。1999年7月中頃と思うがNatureに投稿したことがある。Instantaneous Space Vector Analysis of Light Energy of Root Element in Free Space 受付番号KO9198 とあるが、その当時に小杉文部大臣がロンドンに出向いて、この論文の処理に当たっていたように思う。その意味が理解できないが、natureからはregretと返送されて来た。これは光の相対速度を論じたもので、すでに光の速度と空間特性(2011/05/22)に示した。

電線路は『エネルギー』が主役のLC舞台だ

また同じような話で恐縮ではある。電圧が電線路空間の『エネルギー』分布の技術評価量である。電流がその『エネルギー』分布の中の流動分の技術評価量である。電線路空間のコンデンサ容量がエネルギー量に影響する。そのエネルギー流動性をインダクタンスが邪魔をする。電気回路要素が電線路定数の静電容量とインダクタンスに因る回路特性の技術評価量として認識・利用されている。
電線路エネルギー保有容量は電圧2乗で決まる 超高圧送電1000kVがその2乗でエネルギー空間分布を決めている。送電エネルギー規模が電圧に因る訳がそれである。

%e5%9b%9e%e8%b7%af%e5%ae%9a%e6%95%b0%e3%81%a8%e3%82%a8%e3%83%8d%e3%83%ab%e3%82%ae%e3%83%bc回路定数とエネルギー 電気回路にはその回路特性を評価する機能要素の静電容量とインダクタンスがある。その意味を極端に強調して、図に表現した。静電容量もインダクタンスもどちらもエネルギーを貯蔵するその機能の技術評価量である。要するに平板金属で構成するか、コイル状に巻いて構成するかの違いでしかなく、どちらもエネルギーを貯蔵する空間構造の違いを呼ぶ技術評価量である。図の様に回路に大きな容量の要素CやLが入れば、そのエネルギー貯蔵量の電源電圧のエネルギー線路分布との間に平衡する時間的余裕が必要になる。その為に電源電圧と負荷端子電圧との間に時間的遅れが要求されることに成る。金属導体で空間構造を規定し、電線路空間のエネルギーの挙動を規制するのが回路要素であると看做せよう。それが線路定数(単位長さ当たりの)に因って『エネルギー』の伝送速度が決まる訳である。『エネルギー』の伝送速度が自由空間の光速度より遅い訳は金属導体で移動が規制されるからである。このような解釈には数式の検証がなくても納得できるだろうと思う。科学技術と自然科学の意味を市民的理解に広げたい。

主役の役どころ みても見えない主役の演技は人それぞれの電気現象への認識に因って思い描くより他に方法はないのかもしれない。だから『電流は流れず』と唱えても、それを信じられない方はそのままで良いのだろう。電気現象が電流(電荷の流れだけでなく、質量も一緒に伴う電子の逆方向の流れ)に基づく解釈では矛盾が多過ぎて理解できないから、感覚的に納得できる解釈法を採るよりない。『電流』とは何か?電流の単位は電荷の時間微分で、アンペア[A=C/s]である。もし電子が流れるとすれば、電子は電荷と質量を兼ね備えた素粒子と言う観方で捉えられようから、質量の時間微分[kg/s]も考慮して論じなければならなくなろう。そんな単純な疑問がとても大きな科学的理論の問題点に思えるのである。

さて、主役の『エネルギー』の電力工学の演目での相応しい役どころは『電力』を演ずる演技力に掛かっているように思える。そこでその辺の妙技を解剖してみようかと思う。元々エネルギーが電線路空間にどのように分布しているかが見える訳ではないし、数式で表現できる訳でもない。空間のエネルギー分布を計る計測法が見つかれば可能かもしれないが。光一波長のエネルギー分布が計れるとは未来にも期待出来ないだろう。計測するとは本来その対象からエネルギーを取り込まなければ不可能な事であるから。測定対象に大きなエネルギーの欠損を要求する訳だから。そんな事から電線路空間の『エネルギー』の分布を論じるのも自分の我流の感覚的描像に成らざるを得ない。

%e5%bd%b9%e3%81%a9%e3%81%93%e3%82%8d%e3%81%af%e9%9b%bb%e5%8a%9b役どころは電力 はじめに電力系統の規模は電圧の2乗に因ると書いた。その意味も少し補足したい。電圧の次元は[(J/F)^1/2^]である。従って電圧を2乗すれば、その次元は[J/F]となる。電線路の回路定数を電線路単位長さ当たりC[F/m] 、L[H/m]とすれば、電線路単位長さ当たりの『エネルギー』の分布量は(1/2)Cv^2^[J/m]と解釈できよう。それが電圧に関するエネルギー分布と看做せよう。その内の負荷への供給エネルギーは電流の2乗で捉えたい。電流の2乗の次元は[J/H]となる。次元についての参考記事エネルギー[J(ジュール)]とJHFM単位系 。

電力 p^2^=(vi)^2^[(J^2^/HF)]となり、更に[(HF)^1/2^=s]であることを考慮すれば、p=vi[J/s]となるのは当然である。

電気回路のエネルギー

電気回路の新しい解釈の『道』に踏み出そう。

自然の世界を理解するには『エネルギー』の空間現象を思い描くことが大切である。それが物理学の根本的理解の本筋・道筋である。兎角運動エネルギーの質量に囚われ易いが、それは回り道で複雑な迷い道に入り易い。確かに目の前に在る『物』を対象にして考えた方が目で確認できるから、理解が容易に思えるだろう。それはそれで良いのだが、物理学理論が空間に質量に関係しない『エネルギー』が存在することを認識していないことが理論の矛盾の根源を成していて、その事が教育の大問題となっているから困るのだ。『熱』と言えば質量の運動エネルギーで、押し競饅頭だか、ぶつかり合いだか知らないが、振動の運動エネルギーで解釈する現代物理学理論が間違っているのだ。すべて『エネルギー』が空間に存在している事を認識していない事から生まれている混乱・矛盾である。それは光がエネルギーの縦波だという事につながらない理由だ。光速度は質量の速度ではなく、光即ち空間の『エネルギー』の速度である。その光の速度は何が決めるかと言えば、空間そのものが決めるのである。光の光速度は空間定数(H/m,F/m)で決まる と述べた。物理学理論では、時空論が議論の対象になって居ながら、空間定数の透磁率や誘電率などはあまり重要視されていないように思う。科学技術の単位系の拠り所として、真空透磁率 μ=4π×10^-7^[H/m] が定義されている。上の記事で示した資料(1)の空間にエネルギー密度δ[J/m^3^] を想定して、質量の無い『エネルギー』の速度を書き加えた。

空間エネルギーの速度空間エネルギーの速度 電磁波も電気エネルギーもそれは質量の無い『エネルギー』である。質量の無い『エネルギー』と質量に伴う『エネルギー』とがある。運動エネルギーは質量に着目した『エネルギー』である。その値はE=(1/2)mv^2^[J] のように表される。このエネルギー量の大きさは単位ジュール値であり、それは質量ではない。質量m[kg]は物体として目に見えるから、如何にも質量が飛んでいるように見えるが、速度v[m/s]は『エネルギー』の速度なのである。質量を媒体として借りた『エネルギー』の速度がvなのである。この解釈をとれば、電磁波の『エネルギー』も質量の有る無しに関わりなく、その伝播するのが空間定数により決まる速度である。

速度の意味 速度とはある空間基準に対して何かが相対的に動いているその動きの強さを『速度』と考える。一般的な慣習ではある基準の時間当たりに動いた空間の位置の差を計った長さがその『速度』の評価量と看做す。単位は[m/s] が普通である。それは言葉も皆が共通に理解する解釈概念を表現したものである。しかし同じ物の速さを表現するにも、単位を逆の[s/m] としても理解できよう。この逆の概念なら、1m進むに要する時間は何秒[s]かで評価することになる。時間が小さい程速度は速いとなる。『速度』の概念一つをとっても観方でいろいろになる。もし例えば、光速度cを c^2^=(透磁率)μo×(誘電率)εo [(HF/m^2)]で定義すれば、それも速度の意味になろう。速度という意味は日常に溢れた言葉でありながら考えれば深い意味である。その速度の物理現象として電気回路での『エネルギーの速度』を取上げてみよう。

電気回路定数 電気回路定数は回路解析には無くてはならないものである。その意味を考えてみよう

回路定数回路定数

エネルギーと回路定数エネルギーの意味 『電荷』や『電流』でない『エネルギー』によって電気回路現象を解釈しようとすると、回路定数の意味が変わって見える。電圧、電流で回路解析をする手法は科学技術の部に属する事である。物理学として電気回路問題を扱うとすれば、『エネルギー』についての問題でなければならない。それが「理科基礎」の市民の科学リテラシーの未来への視点として大切であろう。

電気回路のエネルギー

電気回路現象(エネルギー描像)電気回路現象(エネルギー描像) 電気回路は電気エネルギーを扱う科学技術である。電荷を扱う回路ではない。『エネルギー』を電気回路ではどのように処理しているのかを解説しよう。どのように解説しようかと考えた時、少し時間を掛けてまとめなければならなくなった。電気回路のエネルギー(2)として記事にしたい。電界、磁界の意味をも含めて論じたい。電界とは?に古い記事を載せた。ここでは、その基本的な解釈を述べておこう。上の図の電線導体に沿ったエネルギー密度δ(x,y,z,t)が空間分布として存在する訳であるが、それは系統のエネルギー規模を決める『電圧』評価に関わる成分である。負荷によって負荷に供給されるエネルギー量は変化する訳で、図のエネルギー分布とは異なるものであろう。図の緑色で表現したエネルギー流がオレンジのエネルギー分布密度の一部分になると解釈すべきである。緑色のエネルギー流が磁気検出に現れる成分となる。

ゆっくりと遠近の世界をー速度「理科基礎」-

大それた疑問は生きている意味を問う自己確認の旅かも知れない。それが人生か。生まれた時の産声は人生を問う第一声でもある。何も知らない世界だから、保護されながら生きられる。すべてが恐怖の世界の筈だから。そこに向けた第一声が記念の産声だ。その時から長く生きながらえると、生意気にも哲学などと訳の分からない事を穿り返したくなる。始末に負えない生物になる。しかし、特段社会に害を及ぼす訳でもなく、極めて冷静・平穏な筈であるが、幾ばくかの差し障りを生むかもしれない事は我知らず。自然科学などと数式を頼りに論を展開している内に、いつの間にか余り数式が頼りにならない心境になってしまい、己の数学的能力の限界を悟る。止むなく学術的でない日常用語での科学論を展開する仕儀になってしまったのかと。感覚だけが頼りの『時空論』をと考えてみる。自然世界の現象を理解するには『速度』が物理現象には欠かせない。究極は『光速度』とはどんなことかを認識することに尽きるように思う。華やかな世界の科学理論「一般相対性理論」は理解の程遠い話だから、産声を立てる心算で、身近な感覚から眺めよう。高等学校での物理で取上げる自然現象の『速度』とはどんな意味かを考えながら。
空間 『空間』は世界の基盤である。世界の事象を考える、考えないに関わりなく、その空間の意味を疑問には思わなかろう。生まれた時からその空間世界に同化して生きて来たから。

写真285手のひら 手を広げてみれば、その空間は宇宙の果てまでつながっている。手のひらに宇宙を乗せていると思っても良かろう。世界の考え方は自由である。青空の下であれば、その空に向けた手のひらには微かでも何百億年前に遠い星の放った光が届いているのだ。今手のひらの向きとその光の基の星の位置とはどんな関係にあるかと不図思う。今届いた光の軌跡は観る事は出来ない。想像する以外に軌跡を知ることは出来ない。星は何百億年の時を経た今、手のひらの裏側に在るかもしれない。空間の意味を世界を知る基準として捉えようとすれば、そこには不可能の意味を同時に知る事にもなろう。灯りの無い砂漠の平原で満天の星を眺めた時、一つ一つの星の光はすべて遠い過去に放たれた、しかも時間の違う時代の光なのだ。1万年前の星座と今見る星座とにどんな違いがあるかも知ることは出来ない。世界はすべて流れているから。決して静止していないのだ。すべての星の光は星との相対運動の下での観測になる。だから観測波長も相対速度の下での観測になる原則から逃れられない。世界の存在する『空間』も、その意味を知ることはなかなか難しい。空間を少し数式で考える時空間ベクトルと単位ベクトルで扱う。
時間 『時間』とは何かと問う人がいる。それに答える人もいる。様々な事柄がインターネットの中に行き交う。『相対的・・』などと問答が展開されるのが多いようだ。日常当たり前に疑問も抱かない時間とは何かと問う人は、きっと現代物理学論の話題に興味を持ち、勉強をしているからなのかも知れない。そんな疑問を持たれる人がいる事に興味を持って、少し考えてみた。私は思う。『時間』など自然には無いのだと。自然はただそこに今ある姿を示しているだけで、『時間』などと言うものは無い。『時間』で自然を見ようとするのは人間の『性(サガ)』故のことでしかない。理屈を付けて因果関係を理解するために時間を必要とするからである。日の出と日没で生命にリズムが生まれるが、それは人間の為に創った訳ではなく、自然そのものでしかない。『時間』と言う概念がどうしても欲しい。そう感じるのが人間だから、その訳を探ってみるのも良かろう。太陽も地球も空間に存在する為には静止しては居ない。回転によってその存在形態を造っている。その結果が回転に伴うリズムを生む。そのリズム(生命のリズム)そのものが生命の存在するリズムの基本となっている。回転は輪廻転生と言う同じ事は許さない原理を創りだしている。生命に限りがあるのも自然のリズムがある故である。「生きたい」という願う心にはリズムの『時間』が刻みつけられている。生きる安心の為に『時間』を意識するように自然に生かされた存在なのだ。大した事ではないのだが、自然を『モノの理』として納得したくなるのも人間の性であろう。大自然の実相を悟るなど度台無理な筈なのだが、何とか理屈を付けておきたくなるのも人間であるが故だ。纏めれば、『時間』には二つの意味があるか。一つは人間の概念:社会集団生活上不可欠な『時間』。二つ目に生命のリズム:自然の本質である回転のリズム。宇宙の空間と時間を考えた時、世界の始まりも終わりもない。地球や太陽系は無くなる時が来るかも知れないが宇宙は輪廻転生の原則で決して消えない。特別の理論など要らない。

光速度 『速度』という意味をどのように理解してるか。「空間」と『時間』について述べた。世界に静止する実在は「空間(何もなく、動かない広がりであるが故に世界が存在できる)」である。太陽の運動、地球の運動と言えば、その運動(位置と『速度』)を定義する基準座標が決まらなければ運動を論じられない。自然の世界を理解するということは、安易な法則で捉えようとしても無理がある。自分の運動を考えるに、『速度』は地球の自転、公転の上に地上の観測できる速さの総体として受け取らなければならない筈だ。それでも太陽系内での話である。短距離走100mの世界記録と言えば、トラックの地面を『速度』の基準座標として捉えている。しかし本当は太陽系全体が回転エネルギーの局所化された運動形態である。この辺の事について地球の自転と万有引力を考えるで少し論じた。その中の日常には関わりないとしても真理は全体の中の一部になっていると頭の片隅に置くべきであろう。物理学では、運動などの力学的エネルギーとして、運動エネルギーと位置エネルギーの二つで捉える解釈法が採られている。我々は太陽に拘束されて生かされている。ならば、地球に対する太陽の重力加速度(もし位置エネルギーを唱えるなら)など余り考えないようだが、それも無視出来なかろう。運動法則が自然世界の真理と言うなら、地球の太陽系での力学的エネルギーも宇宙論の基盤に理解できなければならない筈だ。『エネルギー』は力学的エネルギーだけが物理学で基礎概念として教育内容の対象に論じられるが、その教科書的エネルギーなど世界の『エネルギー』の内の一部でしかない。太陽から放射されるエネルギーは光などに質量を定義していないから、力学的エネルギーの範疇には入らないだろう。物理学理論のエネルギー論は片手落ちではないか。そこで再び『速度』とは何かを考える。何故地表座標基準での『速度』だけではいけないかは、『速度』の極限を示す光の『光速度』を問題にしたいからである。光は何を運ぶのか。振動数を運ぶ訳ではない。『エネルギー』を運ぶのである。光を周期波として解釈するが、その半波長でも『エネルギー』なのである。『速度』とは『エネルギー速度』なのである。いわゆる運動エネルギーは質量を媒体とした『エネルギーの速度』と解釈すれば普遍的に捉えられる(私だけの感覚かな?)。『光速度』はアインシュタインの『特殊相対性理論』で世界を席巻して有名である。しかしその理論では、光の速度を規定する空間座標が明確に(慣性座標系は曖昧である)定義されていない。どう考えても理解できない。1887年のマイケルソン・モーレーの実験結果を過大評価した結果、アインシュタインは間違ったと思う。だから『特殊相対性理論』は詭弁論だと。光が特殊な現象を演出する訳でなく何も日常の感覚とかけ離れてはいない事から光の速度と空間特性として纏めた。また関連して、光速度は空間定数(H/m,F/m)で決まる に記した。地球の運動が光の速度との関係で、相対的である事は当たり前な事である。1676年にレーマーが光速度を計算した。それは地球と木星との相対的な運動の影響が、光の速度『光速度』の算定に役立つと考えての事である。もし、アインシュタインの『特殊相対性理論』を唱えるなら、レーマーの実験での地球の運動に基づく『光速度』の算定結果を否定しなければならない筈だ。すべての光は光源と観測者との相対的な関係が観測結果に含まれるのだ。ただ光速度が地球の公転速度(約30km/s)に比べても比較出来ない程の速さである。その光速度測定法における算定には誤差が伴い易い筈だ。マイケルソン・モーレーの実験結果はその誤差を取り除けなかっただけだと解釈する。1933年、Dayton C.Miller, The Ether-Drift Experiment and the Determination of the Absolute Motion of the Earth  Rev.Mod.Phys.5,203(1933) にはマイケルソン・モーリーの追認実験が成され、測定結果も示されている。何故この結果が検討されないできたのか不思議だ。

最後に、速度とは『エネルギー速度』だと結論付けた。水の波、水圧エネルギー波、空気波(音声圧力波)等の波も『エネルギー速度波』であり、エネルギーの伝播速度はその媒体空間特性が決めると解釈する。それに関して専門用語『振動数』の解剖がある。

天晴れ(コイルと電圧とエネルギー)

自分で言うのも変だけど。我が感性に『天晴れ』と。やっぱり嬉しいもんだ。自分で分からずぐずぐずしている姿を辿って、不図気付いた解消には特別の高揚感を感じる。それにしても、気付くのが遅かった。

コイル3つコイル3

コイルの①が今までの実験で利用したものだ。それに対して②と③のコイルが追加したものだ。みんなポリラップの芯の紙筒に巻いたコイル。電気回路技術者の端くれとして、不可解な実験結果に悩んでいた。その不可解な現象の原因はすべてコイル①の巻線の3本の内の1本1-1’の電線が特別の電線を使っていた事に有った。奇想天外実験の最初の電源電圧印加時にヒューズ切れを起こした。それでコイル絶縁に問題があるかと、コイル1-1’だけ難燃架橋ポリエチレン線1.2mmを使った。結論はその絶縁材料の空間エネルギー分布の高密度化に因る平行電線間のエネルギー流の不平衡が原因であった。架橋ポリエチレンのエネルギー伝送特性によるものであった。電線導体内に電流が流れる訳でないから、エネルギーは金属導体表面の空間を伝送するのであれば、その導体近傍の空間特性・誘電率や透磁率によって影響を受ける。ポリエチレンが導電性を持つという意味(ここで言う導電性と言う用語は誤解を受けそうだ。意味は例えばコンデンサ内の絶縁体がその誘電特性で電気エネルギーを蓄えると言う時の、その電気的なエネルギーの出入りに対して決して絶縁ではないと言う意味で使った。液晶テレビの材料も絶縁体だか導電?体だかどう区別するか?)はこの実験結果にも現れていた。コイルと電圧とエネルギーの実験結果には、鉄心コイルを含め全て架橋ポリエチレン絶縁電線を一本の巻線だけ利用していた事に依る現象が測定結果に示されている。コイル②(30ターンの3本線を別々に分けて巻いた分接巻)、③(32ターンの3本線を揃えた合接巻で、コイル①と同じ巻き方)の場合はすべて、ポリウレタン銅線0.4mmを使った。

実験の意味と結果 現代物理学の最先端研究は、その専門的細分化と実験・計測装置の設備が大掛かりである。然るにここに示す実験内容は、不思議な現象ではあるが、その内容は極めて単純な子供もできる器具のものである。電圧測定だけの結果でしかないので、その実験を行う思い付きがむしろ面白かろうと考える。そこで、疑問と改良実験、その結果の失敗の繰り返しで、結論に辿り着く過程が面白かろうと思う。その過程を含めて実験結果の報告だ。

実験Ⅰ コイル②を新たに巻いて実験した意味。それはコイル①の測定電圧の不平衡な違いが気になったので、コイルを分けて巻いた場合、巻線1-1′ と2-2′ に対する巻線3-3’との間の電圧値にどのような違いが出るかを確認したかった。そこで今までと同じように、巻線1と2端子に電源電圧をかけて見た。その結果が次である。

実験Ⅰ実験Ⅰ

結果評価 この結果にも巻線3との間の電圧値で、離れた結合の少ない巻線1との電圧が大きい。測定電圧値で、一つ注意すべき点がある。それは他の場合にも言える事であるが、電源電圧値は全く調整していないから、配電線路電圧の負荷変動の影響があるので、数ボルトの差は意味がない。この場合は、20Vほどの差があるが、その意味が理解できない。未解決の疑問だ。

(2015/09/26)追記 実験Ⅰの疑問の解決。当然のことであった。電圧を計ると言うことは、導線間の空間エネルギーを計ると同じ事であるから、コイル1と2に電源電圧を掛けたのだから、コイル1と2の間の空間にエネルギーが分布している訳である。従って、コイル1と3の間に電圧計を繋げば、コイル1との間のエネルギー分布を拾う。しかし、コイル2との間には電源によるエネルギー供給空間外であるため、コイル3との間で拾う量は小さくなる。その空間エネルギー検出量の差が20ボルトになったと解釈する。

実験Ⅱの1 実験Ⅰの結果を観て、再び元のコイル①で確認したい事が浮かんだ。電源電圧印加を巻線3に掛けたらどうなるか。その結果だ。

実験Ⅱの1実権ⅱの1

この結果の評価 コイルと電圧とエネルギーの実験結果と比較してみれば、巻線3と巻線2が入れ替わっただけで、巻線1に対する電圧が大きい事は変わりがない。

実験Ⅱの2 電源電圧印加端子を3から3’に切り替えた場合も示す。

実験Ⅱの2実験Ⅱの

(2015/09/26)追記。 実験Ⅱの1と2の結果はコイル1に関係した電圧が大きい。その意味は、最後に書いた実験全体を通した結果評価に述べてある。

実験Ⅱの3(215/08/15) 昨日はいわゆる終戦記念日。また不図気が付いた。コイル①で電源電圧印加端子を2と3としたらどんな結果になるかを調べていなかった。この場合は架橋ポリエチレン絶縁体のエネルギー伝播現象は起こらないだろうと気付いた。測定結果が次である。

実験Ⅱの3実験Ⅱの3

結果評価 巻線2と3はエナメル線と看做せる普通の平衡電線である。巻線空間エネルギー分布に偏りはない事を結果が示したと考える。予測通りと解釈したい。(2015/09/26)追記。僅かだが6Vの差がある。その訳は?実験Ⅰの解釈から見れば、逆に思える。

実験Ⅲの1 実験Ⅰの分接コイル②についても電圧印加を巻線3-3’の場合を確認した。

実験Ⅲの1実験Ⅲの1

実験Ⅲの2

実験Ⅲの2実験Ⅲの2

実験結果の評価 ところどころ測定値の欠落(測定忘れ)があるが特に問題無し。さて、ここまでの実験ⅠからⅢまでの結果を観ると、コイル①の巻線1だけが難燃性架橋ポリエチレン絶縁線で、他はすべてポリウレタン絶縁の銅線である。予想に反して、巻線1だけが全て電圧が大きめに計測される。そこで一つ気掛かりな点が浮かんだ。印加電源電圧の電位(この電位と言う概念は技術用語としての捉え方で、物理的意味は余りないと考えるのだが、配電線路の電圧には柱状変圧器からの二次側で、必ず1線は第二種アースで大地に落ちている。変圧器の故障事故による高電圧6300Vが配電線を通して家庭内に侵入する事による感電事故を防ぐ安全対策としての第二種アースがある。)の影響かと考えて、建物のアルミサッシを基準にして電源電圧を調べた。電源スイッチがコンセント型スイッチで、片側1線のみのスイッチである為かと考えた。しかしスイッチオフ時には、電圧が15Vや24Vで現れたが、スイッチオン時には影響がないように思える。ここで、また解釈できない壁として実験結果が精神的負担を掛けて来た。悩んだ!!

実験Ⅳの1 他に対策が見えなくなって実験結果が教えてくれた。まさかと言うことに気付いた。コイル①の巻線1だけが特別の電線を使っていたと。改めて、ポリエステル銅線3本を使ってもう一つ合接コイルを巻いて確認しようと考えた。それがコイル③である。三本の銅線を交差しないようにきちっと揃えて、巻上げたら32ターンであった。実験結果が鮮やかに出た。

実験Ⅳの1実験ⅳの1

実験Ⅳの2

実験Ⅳの2実験ⅳの2

実験ⅳの結果評価 電圧印加端子1と3および1と2のそれぞれの場合で、電圧印加されない浮遊巻線はそれぞれ2-2’および3-3’で、その巻線に対する測定電圧がほぼ同等の値を示した。この測定結果は今までの測定電圧値で初めての結果である。

実験全体を通した結果評価 最大の発見的事実として挙げたい点がある。合接コイル①の巻線1-1’に難燃性架橋ポリエチレン絶縁線を使った事によってコイルの電線路特性に『エネルギー流』の空間的ひずみを生むと言う現象の発見である。この事の意味は少し複雑でもあるから別に改めて詳しく説明をする(2017/12/12追記。電線路のエネルギー伝送の意味は電線導体内を伝送されるのでなく、その導体で挟まれた空間内を伝送される。絶縁被覆の銅線なら、エネルギーはその絶縁被覆内(コンデンサと同じ意味)で密度が高くなるため、その誘電特性に因って伝送速度などが決まる。光の屈折と似た現象で、その空間のエネルギー密度がその絶縁媒体の影響を受けるから電線導体の絶縁体で電気エネルギーの伝送特性が支配されるという事になる)。従来の電気回路論では説明がつかない筈だ。基本的認識は『電流は流れず』を理解する事である。もともと実験に供したコイルは電気回路としての実用的価値は全く無いものである。こんなコイルを巻くこと自体が電気技術者の発想には無い。正しく奇想天外な発想から生まれた偶然の発見かもしれない。不立文字の哲学的発想、東洋的『無』に通じるかも知れない。

平行電線路の珍現象(この項は削除2017/12/12)