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レンズと焦点距離

極める専門を見失った浦島太郎は競争社会に向かないのかな?昔は電気工学が自分の専門分野だと少しは思っていた。去年は変圧器の奇想天外診断などと言う思い付き実験が長年実験的証明も無しで悶々としていた電気回路に明確な電線路空間におけるエネルギー分布の姿を捉えることに結びついた。それも電気の教科書の内容に背くような結果になった。その流れから電気回路現象の解釈に今年は幾つかの進展を得たと安心している。いつも考えることが物議を醸すようなことが多いようで誠に恐縮している。レンズと焦点距離などと言って何を書くかと責められそうで誠に心配ではある。高等学校の3年生の物理の授業でレンズの機能を教わって、感心して了解し、納得して長いことその教科書の解釈を信じて来た。ここ数日眼とカメラの関係で、レンズの焦点距離に頭の中で混乱が生じていた。以前書いたレンズと光路を見たのが切っ掛けでもある。焦点距離と光路の話として、雑科学ノートー光学機器の話 などがある。この光路と焦点距離の解説が理解できないのである。そのレンズと光路の関係を全く数式を使わずに、日常用語で説明してみよう。

(2017/11/18)追記。 『焦点距離』とはどのような定義用語なのか分からなくなってしまった。一つのレンズには一つの焦点距離しか存在しないのではないか?と考えたいのだが、カメラの焦点距離はそんな意味では使っていないようだ。 理科や物理で教えるレンズの機能は一つのレンズで、その光学的光の道筋を説いて理解を促している。しかし実際のカメラの『焦点距離』は上の説明にあるように、11mmと数100mmとで、遠くの像が大きく拡大された望遠レンズでの像が示されている。カメラの『焦点距離』はレンズの機能説明の意味とは全く異なった使い方をしている。デジタル一眼レフカメラの基礎知識は画角と言う用語との関係で解説されている。もう少し考えたい。コメントに対する意見で考え違いであった事から追記となった。用語『焦点距離』の定義が明確か(?)の問題でもある。次の図で考えて見た。

レンズの写像と焦点距離(焦点距離とは?) カメラで使う焦点距離とレンズの焦点距離との用語の意味が必ずしも同じとは見えない。筆者自身も明確に捉えていなかったようで、実に不甲斐ない。実用的にはレンズはカメラとしての光学技術を生かす事を求めるものである。しかし学校教育でレンズとしての機能を学ぶ場合には、カメラの焦点距離は理論的に難し過ぎて、学習するには困難である。単一レンズの光学的機能を理解する事が先ず基礎として必要であろう。その場合の焦点距離とはどのような意味で定義するかの問題として捉えたい(筆者の独断であるが)。無限遠の太陽の写像はレンズに決まった写像距離即ち『焦点距離』を示す。それを焦点距離と定義すれば分かり易いと思う。そのレンズを使って被写体の像を写すと、その写像位置は太陽の写像より必ず離れた位置に結ぶ。その関係をレンズ径11㎝のもの(下の手持ちレンズの①)で調べた結果が上の図である。同じ寸法の観測対象・被写体A、BおよびCをレンズを通して衝立に写す。少し遠いAは太陽の写像距離とほぼ同じ距離に小さな像を結ぶ。観測対象が近付くと、写像位置は離れて結び、像は大きくなる。この写像位置をすべて対象に対しての、それぞれの焦点距離と言っているようだ。それがカメラの焦点距離の意味に近い。ただカメラでは、望遠レンズなども含めるとなかなかその焦点距離と言う用語の意味はレンズの意味を理解する事とは繋がり難いように思う。『焦点距離』と言う用語も観測被写体に対する鮮明な写像を得るそれぞれのレンズからの写像距離であるという意味で使われている。無限遠の太陽の写像距離を焦点距離と決めれば、レンズ単体に対して、一つだけの焦点距離となり混乱しないと思う。ただカメラでの使用とは違ってしまうが。さて上の図のような写像距離を簡単に調べるには、手にレンズを持ち被写体を観測しながら、レンズと眼の距離を変えて、丁度被写体の姿が消えた時(被写体の像が正立像で見える状態から眼を離すと或る位置で像が見えなくなる。視界が靄のように何も見えない状態に成る。その眼とレンズの距離が写像位置に成り、衝立に像が写る焦点距離と言われる距離である。それ以上に眼を離すと、反転像が見える事に成る。その眼で見えるレンズとの間の距離は焦点距離・写像距離とは何の関係も無い距離である。)のその距離が写像距離(普通に言う焦点距離)である。形が消える未経験の写像となる距離の時が所謂一般に言う焦点距離に当たる。その点の前後で、視界に見える像は正立像から逆転像に丁度切り替わる境でもある。眼で見えなくなる位置がいわゆる焦点距離(フイルムに写る写像距離)であるという意味が分かれば、レンズの実像と言う意味が理解できたと言えるだろう。教科書の『焦点(レンズ軸に平行な光線が収束するという点)』と言う概念は無意味であり必要が無い。また理解不能の状態だ。ウイキペディアに焦点距離がある。この焦点距離の定義は太陽の焦点距離と同じ意味である。カメラの写像の距離(フイルムの位置)とは異なる意味だ。??。

 

%e5%ae%9f%e5%83%8f%e3%81%a3%e3%81%a6%e4%bd%95%e3%81%a7%e3%81%99%e3%81%8b実像って何ですか? 凸レンズの機能の説明の教科書的解説方法である。レンズに入射する観測対象からの軸平行光線の光路は焦点を通り、レンズの中心を通る光路との交点に実像が結ばれると説明される。そんな実像はありません。おそらくカメラの撮像面に写る反転像を解釈する原理としての説明になったのであろう。

%e3%82%ab%e3%83%a1%e3%83%a9%e3%81%a8%e7%84%a6%e7%82%b9%e8%b7%9d%e9%9b%a2カメラと焦点距離 カメラのフイルムや撮像面は丁度焦点距離(この焦点距離と言う意味が曖昧なのである。カメラの写像距離で被写体までの距離で変化するから焦点距離と言う用語で解釈すると、焦点距離は無限に存在する訳である。その『焦点』と言う意味にどのような意味を持たせているかが明確でなければならない。その『焦点』の用語が、単一レンズの原理として使う教科書用語『焦点(こんなものは存在しない)』との意味と関係付ようとする処に混乱の基が生まれる。平行光線の『焦点』は存在しない事を知るべきだ。2017/12/28追記)の位置に在る。光が焦点を通過した後に出来る像などではない。カメラの像は確かに反転像である。カメラについてはデジタル一眼レフカメラ (この解説記事でも、「レンズの焦点距離」と言う表現が使われている。しかしレンズに決まった焦点距離が定義されている訳ではない。レンズと観測対象との距離で、その写像距離はそれぞれの距離に対して、無限に存在する。だからレンズの焦点距離と言う表現は誤解と混乱を招く。太陽光線の焦点距離と言う意味で定義すれば、確かにレンズに一つの焦点距離が確定する筈だが、そのように定義されている訳でもない。2017/12/28追記)が参考になろう。

%e3%82%ab%e3%83%a1%e3%83%a9%e3%81%ae%e5%8e%9f%e7%90%86カメラの原理 薄暗い部屋で、障子戸をレンズを通してレンズから焦点距離(太陽光線の焦点距離で、実際はそれより少し大きい筈であった。写像距離とすべき意味を間違っていた。2017/11/21追記)だけ離した紙に写すことが出来る。レンズと距離と像の関係はカメラの原理を表している。この紙に写った像を実像と言えばそれは理解できる。しかし教科書の説明の焦点距離より後方の像は存在しない(文末のコメントの指摘通り、間違いでした。太陽光線の焦点距離より必ず後方に写像位置は来る。2017/11/21訂正追記。)。

焦点の意味が分からない

%e6%89%8b%e6%8c%81%e3%81%a1%e3%83%ac%e3%83%b3%e3%82%ba手持ちレンズ ①は直径11.5cm 、f=30cm (焦点距離)でジオプター+3Dとある。②は直径5.25cm 、f=10.5cm程。焦点距離は太陽光線を集光して測定した。老眼鏡も同じ凸レンズで、同じ機能の特性を示す。メガネの焦点距離についてはハヤシメガネ度数・焦点きょり早見表 にジオプターとの関係が示されている。また高校物理の教科書の理論がメガネの理論ーFNの高校物理 に解説されている。この高校生が学習する内容がとても難しくて私は分からないのである。特に問題と考える点が焦点距離と光路の関係である。

拡大鏡の例

3d%e6%8b%a1%e5%a4%a7%e9%8f%a1+3D拡大鏡 焦点距離(約30cm)より短い5cm程での拡大。目の位置には無関係に同じ大きさに見える。

%e5%86%99%e7%9c%9f381焦点距離(この焦点距離は太陽の写像距離で解釈していたが、必ずしもそのような定義ではなかった。2017/12/28追記) レンズを手にして考えた。レンズで文字を拡大してみる。文字とレンズの距離が焦点距離以内なら、眼をレンズに近付けても、遠避けても文字の大きさは同じように見てとれる。

%e5%86%99%e7%9c%9f375眼で見るレンズの像① 正立拡大像はAが焦点距離fに対してf以下であれば、ほぼ同じ大きさに見てとれる。目の位置Bの距離に関係なく。この拡大鏡のレンズ機能はどこに像を結ぶと言うものでもなく、眼とレンズの距離Bがほとんど零でも文字は同じく見える。この意味は目に入る光の光路がどの位置でも同じように存在することを示している。目の位置がBの範囲のどこにあっても眼の瞳に『ア』の文字の各点からの光が同一立体角の中に含まれた立体錐の範囲で入射すると言う事である。

%e5%86%99%e7%9c%9f377眼で見るレンズの像② 反転縮小像。Aが焦点距離より相当大きい場合で、カメラに近い状況。Bが焦点距離以下で像はボケる。Bがf以上なら比較的鮮明な反転像が見える。B=fの時が焦点距離の意味を如実に説明している。その時何も眼に像は見えない。その意味を考えて欲しい。その答がカメラの光路の解釈になる。

レンズを通した眼およびカメラの光路 これが難しい。カメラの光路はどのように結像を結ぶか。フォーカス(絞り)に依る光量の意味を合わせて考える必要がある。この事を考える基本認識が重要である。

%e9%9b%86%e5%85%89%e3%81%99%e3%82%8b%e7%84%a6%e7%82%b9%e3%81%af%e3%81%aa%e3%81%84集光する焦点は存在しない。 この認識が基本になければならない。太陽反転写像はレンズの焦点距離に熱吸収・冷却の映写面を工夫できれば、観測可能の筈だ。

カメラの写真と光路 カメラは焦点距離(写像距離か・・?)にフイルムがあり、そこに像を結ぶ。今は技術革新が進み、カメラもその機能をデジタル技術の仕組みにしてしまった。像も画素の点のパズルの組み合わせになった。カラーフイルムは一部を拡大してもアナログであるから鮮明な像が印刷できる。そんな昔のカメラを眺める。

nikon-fe2一眼レフカメラNikon FE2  裏ぶたを開ければ、カメラの原理が見える。

%e7%84%a6%e7%82%b9%e9%9d%a2%e5%83%8fカメラバルブ(解放)のフイルム面の像、像は何も見えない。

%e3%83%88%e3%83%ac%e3%83%bc%e3%82%b7%e3%83%b3%e3%82%b0%e3%83%9a%e3%83%bc%e3%83%91%e3%83%bc%e5%86%99%e5%83%8fフイルム面のトレーシングペーパー上の写像(解放撮影)。フイルム面の反転像(障子戸)が鮮明に写っているが、その焦点距離面で眼で観測すると何も像は見えない。

レンズ機能の焦点距離 焦点距離(これも写像距離と言うべきか?)に結像する写像はその位置で眼で見ると決して像は見えない。フイルム面の2次平面上の各点にレンズの全面を通した被写体の各一点からの光が到達する。その光路は焦点などを通らない。

%e6%9c%aa%e7%b5%8c%e9%a8%93%e3%81%ae%e8%a6%96%e7%95%8c未経験の視界 今チューリップをレンズを通して見るとする。目がレンズの焦点距離に在るとする。その位置には2次元平面でチューリップの反転像の光の模様が描かれている。しかし目で観測すると、その観測像は現実世界では決してお目にかかれない渾沌の視界である。目の瞳にはチューリップの或る一点からの光がレンズ全面を通して到達する。だから瞳には上下左右全面からチューリップの一点の赤い光が入射することになる。それがフイルム面なら、その点に鮮明なチューリップの一点の像が写ることになる。目の位置を動かせば、その2次元平面のそれぞれ対応した反転像の光線の視界になる訳である。

レンズの光学理論と教育 (2017/11/21追記)単一レンズの解釈で、『焦点』と言うレンズに平行な光線が収束するという点など存在しない。その単純な疑問からレンズの機能を理解しようと考えたが、高度の光学機械のカメラ、望遠鏡および顕微鏡等の虚像概念なども含めて考えるととても複雑な機能で、単純には理解できない事を知った。以下の記事での教育に関わる問題については、筆者も『焦点距離』の意味を太陽光線の焦点距離と捉えた間違いもあったようでお詫びしたい。光学と言うレンズ一つの機能でも、その基礎的理解が教科書の『焦点』の解釈で間違っている事が何故なおざりにされているかは、教育者側の大きな問題であると思う。教育に対する専門家が問われているのではなかろうか。顕微鏡や望遠鏡の光路の意味を考えて見る必要を感じている。焦点距離と写像距離の用語の使い方なども含めて。以上2017/11/21追記。レンズの話は高等学校の物理教育で教える内容である。上に述べた考察は教科書の理論が間違いであることを論じた事になる。何も特別に科学研究費を請求する程高度の研究などではないのだ。レンズを手にして光の像がどのように出来るかを眺めてみれば分かる筈だ。日常の遊び心で分かる問題だ。どんな高度の数式を扱っても理解できない問題だ。こんな基本的な光の現象が間違って教育されていたことになる。教えるとなれば真剣にその意味を理解し、とことん納得して疑問の無い自分の考えを子供達に教える筈だ。教科書に書いてあるからと言うだけで、納得できるのだろうか。科学理論とは何なんだ。入学試験では、レンズの解釈に焦点は必ず光が通ると答えなければ間違いとなる。しかしその答が間違いである。誤った教育である。学習指導要領が間違っている。電気現象で『電流』が自然界の真理であるかの如く教育される『物理学』の問題と同じ事である。日常の生活感覚と厳めしい科学理論の間を遮る絶壁のような社会問題と看做せよう。なお、とても詳しい解説がある。光と光の記録ーレンズ編 は所謂専門家の解説であろう。このような厳密に理論を展開されている方の解説にも異議を唱えなければならない事が哀しいのだ。レンズへのレンズ中心軸に平行な光線が焦点を通過すると言うレンズ機能の解説が間違いである。(2017/08/24)追記。極めて専門的な記事に失礼でした。確かに近軸光線について焦点がずれることまで詳しく解説されています。平行光線がすべて焦点を通ると言う『焦点』があると言えば、それは違うと言うことを言いたかったのです。それ程単純ではないと言う意味です。この論説はさすがに専門家の詳細な検証記事で素晴らしい。それが近軸光線について焦点の意味に踏み込んだ解説であり、平行光線が『焦点』を通る訳でない事を示していると思う。

空を見上げて

空を見上げてまた筆で描いた。一月前に投稿した記事「今朝の新聞科学記事に驚いたー相対論と隕石ー」を今見てくれる人がいる。その記事を読んだら、また説明したくなった。『特殊相対性理論』は光や観測者の速度を定義する「空間」を明確にしていない点が致命的である。光の『光路』と『光速度一定』と言う意味を明確に定義しなければ、光について論議できない。光は決して、人間が主体的に判断できる程、人間に都合よく振舞わない。上の筆字で、「見上げる自分が観えますか」は自然はあくまでも観測者に都合よく存在していないと言う意味である。観測者が観測する空間は、観測者が思う程に静止した空間ではありません。上空を見上げても、その空は静止空間ではない。観測者の自分は地球星の一点に居る。地球は公転と自転をしている。何に対して運動しているのだろうか。何時如何なる時でも、観測者の自分は地球の運動の上に存在している。地球が運動していると言うその「空間」はどのように認識出来るか。が大問題なのである。自分が見上げる空の意味は、地球が運動しているその運動速度を定義する「空間」を認識できなければ、自分が空間に対してどのような関係にあるかを理解できないのである。観測者は自分の足元を確定できないのである。その地球が運動していると確定できる空間を認識出来れば、空を見上げたときの『光』の意味を理解する可能性が生まれる。その「空間」こそ光の速度や光路が定義される空間なのである。それを『光規定空間』と私は定義付けている。地球の自転・公転はもとより、その中心の太陽も運動していないとは決めつけられないのである。天体は、基本的に回転でその存在を保っていると解釈する。『光規定空間』は言わば『絶対静止空間』と言う解釈で捉えて良かろうと思う。光規定空間の光路

光は一定の光速度[m/s](空間ベクトル)で直進する。その光は直進する為の伝播媒体(エーテルなどの質量性物質)は不要である。

上の「一定の光速度」と言う意味は光が空間を進む時間とその空間距離の比率を表した言葉であろう。それが常に一定速度である。その速度は光が伝播する光自身が規定する空間の長さと時間から決まるものである。人の観測など何の意味の成さない筈だ。光が決める自然である。もし光源が上の絵図の②のように光規定空間に対して運動していたとすれば、その光源から放射される光が光源の運動には無関係に、光が放射された瞬間から、その光は光源の運動には一切関係なく、独自に光規定空間上を一定の光速度で伝播する筈である。「新聞記事」の宇宙船上からの光の軌跡が舟の速度との関係で解釈されている点が、基本的に間違いである。光は放射瞬時に光源とは無関係な「光路」を伝播する。「直進する」と言う意味も障害物が無い場合には、光規定空間上を一直線で伝播すると言う事である。星の近傍を通過するような場合は、その星が空間の障害物になるから、光は回折して、曲がる現象を呈する。水星の近日点の重力解釈は違うだろう。

天眼鏡の屈折司令官

IMG_0653窓際で『天眼鏡(こんな呼び名があった)』を陽射しに置いた。太陽光は、そのエネルギーの強烈さを秘めている。オリンピックの採火も鏡で太陽のエネルギーを使う。陽射しの中に居れば、ポカポカと暖かい。その熱エネルギーは光が持っている。レンズを使えば、すぐに火起こしができる。平行光線の太陽光をレンズで屈折させて、焦点に集めれば木材は燃え上がる。理科や物理学で光を解釈すると、とても複雑な意味付けがされる。難しくなる。波長、振動数あるいは周波数などの言葉で説明されると、光の温かみも消えてしまう。

温かみの基は何だろう 物理学的、教科書的解釈には、日常生活で感じる感覚に応えて欲しい。温かみや温度の意味が説明できるだろうか。『エネルギー』とは何か?

屈折の司令官 レンズ、天眼鏡あるいはプリズムは光の性質を理解する大切な意味を示してくれる。『屈折』と言う現象である。光の進行方向が変化する現象である。光は基本的に曲がらず、直進する。この光の直進と言う意味一つをとっても、それは難しい意味を含んでいる。余談になるので避けたいが、光の進む空間と言う意味は惑わされ易いので、その進む空間の意味を明確に定義しておかなければ、論議が成り立たないのである。例えば、今真上の頭上に向かって、光を点滅させたとすれば、その光は頭上を真っ直ぐ進みはしないのである。地球は自転、公転しているから、光の進む空間に対して常に方向を変化させているからである。以上が余談である。ここで取り上げる光の話は、手元の狭い範囲の話であるので光の直線進行の意味は光の相対速度まで考える必要はない。屈折と光路

(2016/11/22)追記。上の図で、レンズ軸に平行な光線が焦点Fを通過すると言う解釈は間違いである。教科書の誤りを信じていた結果の間違いでした。間違いで済みませんでした。焦点距離がもしFの位置であれば、その位置にスクリーンを置けば、A点からの光はそのスクリーンの面の一点にすべて集中し、像がはっきりと映し出されることになる訳です。従って上の図は間違いであります。以上訂正させて頂きます。(2017/12/04)再追記。間違いと言うのはFと言う焦点の概念だけであり、観測対象の一点Aからの光とレンズの屈折現象の角度の説明は良く出来ていて、正しい。平行光線が焦点を通ると言う意味が無意味である。図では眼で観測する時どの位置でも殆どAの文字は見える事を表現した。どの光路からの光であるかはレンズと眼と対象の間の関係で決まるだけである。しかし眼でなくて衝立などやフイルムに像を写すとなれば、Aからの光の様々な光路を通る光がフイルムの或る一点に全て集まる事により、Aと言う文字の像が鮮明に写る事になる。そのフイルムの位置とレンズの間の距離を焦点距離と表現しているのだ。焦点距離は観測対象のレンズからの距離で変わるのである。だからレンズが幾らの焦点距離かという表現は意味がない。無限遠の太陽の写像の距離を焦点距離と言うように定義すれば、レンズ一つに一つの焦点が決まるから混乱は避けられるだろう。そのような定義にすれば、衝立、フイルムに写す写像の位置は写像距離となり、焦点距離とは異なる事になる。しかしカメラなどの実際の焦点距離が写像距離を意味しているから、レンズの無限遠の定義を使うのは困難ではある。しかし、レンズの焦点と言う概念が平行光線からの教科書の解釈である限り、レンズと光の関係は混乱し続ける問題である。

光の屈折は光が進む空間の媒質(空気、水あるいはプラスチックなどの進行空間の材質)の特性の違いで起きる境界面の現象である。上に示した図はレンズに観測対象のA点から光が入ると、そのレンズへの入射角が様々であるから、それぞれの入射光線で屈折の方向も変化する。従って、レンズから出る光の方向もばらばらの方向性を持っている。手元に天眼鏡があれば、物を見て欲しい。人の目とレンズからの像と言う意味には、余り焦点には関係ない事が分かる筈である。どんなに位置を変えても眼には物がほぼ良く見える筈だ。どの方向の光路を辿って来た光かは分からなくても、対象物はよく見える。ある一筋の光があれば、他の光路の光は無関係なのである。目での観測に、レンズの焦点など余り関係ないと言いたい。写真機、カメラでのレンズの組み合わせは、とても技術的にも工夫されていて、その場合の光の光路はもっと複雑ではある。それは写真の撮影画面の広さに全面で鮮明な像が写らなければならないからである。画面に他の対象点の光が混じれば、ボケの像になるから。フォカスの調整と言う事になる。さて屈折の司令官とは?屈折は媒質の境界面で起きる。光の進行方向が変わるのである。何故変わるのだろうか?この理由を説明するのが物理学の専門領域になるのだろう。ここで『問答』をしたい。物理学では、このような現象になると言う結論を説明しているが、その原因までの「何故か」と言う事には答えていない。ある程度詳しく媒質について明らかにされていよう。角度に関して、『スネルの屈折の法則』がある。屈折率が詳しく分かっているようだ。光の屈折で『色収差』と言うプリズムの光分散の問題がある。波長に関係ない屈折の問題に話題を絞るとしても、屈折の問題を預ける司令官の采配を論じるには、光の物理学的特性の振動数を採り上げざるを得ない。司令官と光の振動数の取り組みを論じたいのが主題ではある。レンズに入射する光が何故進行方向を曲げて、屈折しなければならないのだろうか。レンズの中に入れば光の進行方向は直進すると観る。媒質の変化する境界だけで変化する。その進行方向を変化させる仕組みを決める基準を司令官と名付けた。物理学では光は振動数で解釈される。光の一粒も光子というhν[J]と言う振動数ν[1/s]で解釈される。屈折はレンズ面への入射角を検知して、その到来の光路から進行方向を司令官が判断すると観よう。司令官は入射光の何を検知してその入射角を判断するのだろうか。司令官がもし、可視光線の振動数を判断基準にするとしたら、光の横に(物理学理論では、縦の振動数ではないと思う)振動すると言う何を検知して入射角を計量・判断するだろうか。次に、何を基準に屈折角度を決めるだろうか。そこには光の速度での時間的余裕は与えられず、瞬時性が求められる。瞬時性とは振動数を検知する余裕は与えられないと言う事である。光速度で入射する光の入射角度および屈折角度は何を持って瞬時に判断するだろうか。光の本質を振動数で捉えている限りは、この『問答』は成立しないと思う。光一粒のエネルギー分布で、その波頭値の入射瞬時ですべての方向性が決まると解釈しなければならない。光のエネルギーが暖かさそのものであり、その波頭値のエネルギー分布が光の特質を決める司令官の判断基準である。光とは何か?-光量子像ーがその意味を示している。この記事は前のレンズと光路の追加説明でもある。

レンズと光路

光学レンズは天体観測や顕微鏡など古くからの貴重な道具である。その光学的解釈も万全と思っていた。しかし、ふと思った。レンズの解釈が間違いではないかと。観測する対象からの光をレンズを通して、屈折現象からの光の光路の変化を利用する器具である。焦点と光路?

上に示した凸レンズには焦点Fがある。簡単に作図で焦点を基に、『実像』と言はれる結像の位置を描いてみた。教科書の説明では、平行光線がレンズで屈折して、必ず焦点を通る。この説明は正しい(2016/11/21 追記。この説明が間違いだったのだ。焦点などに光が集まる解釈こそ間違った説明であったのだ)。問題は、もう一つの光路であるレンズの中心を通る軌跡が使われる。その中心の光路と焦点を通る光路との二つの軌跡の交点で、『実像』の位置を規定する。この『実像』そのものの実在的意味が何もないと断言したい。上の絵図で、赤Rと緑Gおよび青Bの各対象がどこに所謂『実像』を結ぶかを調べてみた。それは、rgおよびbに結ぶ事になる。その位置関係は元の対象から見れば、相当に乱れている。こんな実像は求める物とは違うであろう。何がこの奇妙な結果を導いたのだろうか。また物議の基になりそうだが、『実像』概念は不要である。レンズを通して物を観測してみる。レンズと目の位置で像が観測できる範囲がどのようであるかを調べてみれば分かる事である。焦点距離と目の位置との関係は殆ど無関係と思う。『実像』など有る訳ではない。目に入る対象からの光は一筋の光が観測できればそれで十分であろう。

(2017/12/04)追記。以下の記事(レンズの光路と屈折のカッコ内)はまだ十分レンズの焦点について考えが纏まっていなかった状態で、平行光線の焦点と写像の意味の焦点距離とを理解し切れずに書いたものであり、「像なし」も無意味な説明である。実際は虫眼鏡を通して観測した文字などの場合に、眼で観測して「像なし」の位置は衝立に写像される焦点距離に当たると勘違いした思い込みであった。レンズを通して見えなくなる位置がいわゆる焦点距離(図の焦点ではない)・写像距離に当たるので、その位置と勘違いした事により、そこに眼を置けば、何も観測出来なくなる事を示したものである。しかし削除せずに、早合点で書いた過程も残しておきたい。

早合点の説明として残しておく。(レンズの光路と屈折 レンズについては今回初めて考えて見た。一例に二つの球面からなるレンズを取り上げ、その光の光路と像について考えてみた。焦点と光路早合点の間違った図である。教科書の焦点の説明を図に示したものである。平行光線が図の様な焦点になど集光しない。レンズと空気との境界での光の屈折率で、光路が決まる。レンズの球面の中心がO1とO2 である。光の方向、光路1と光路2の二通り示した。球面S1とS2の境界で屈折するから、それぞれの光の光路の収束点が焦点になると見做した。光路1の場合の、焦点はF2と見做した。そこには、光路の先に『実像』などどこにもない。ただ光が一筋の道を進むだけである。観測する光は平行光線だけではないから、角度により、観測眼に入射する光の筋道、光路は様々な通り道からの光になる。レンズの焦点とその前後で、観測する像の状況は正立像から反転像まで変化する。丁度観測眼と観測対象の位置が焦点の前か、後ろで変化し、像も茫洋としたものから鮮明な状況までさまざまに変化する。観測眼あるいは観測対象物が焦点に在ると、すべての光路の光が混在して、物の形を示す光模様からずれた状態になる為、対象物の像は無い状況になる。)

観測対象物からの各部の光はただ一筋の光だけが観測眼に入射する。道草問答(6)-球面鏡の像ーにその関係の問題を示した。この屈折の問題を少し掘り下げてみた。天眼鏡の屈折司令官

パラボラアンテナと正反射

放物線と焦点

パラボラアンテナの放物線を描いた。ITで検索すると、パラボラアンテナの説明が載っている。特に書き足す事もないが、放物線特有の特徴があるので、それを示した。2次方程式の係数aで、y=ax^2  の場合に、その焦点座標の y=d の座標点 (0,d) に対して、準線と言う特有の y=-d の基準線がある。上に焦点 d と係数 a の間に、4ad=1の関係で、焦点が得られる事を付記した。

正反射 放物面の正反射勘違いの為、上の図面を一度削除して、検討し直した。しかし間違っていなかった。再度復元した(2013/03/08/追記)。単純な幾何の問題でもある。二等辺三角形ABCが放物線の軌跡のB点の定義である事から、当然の正反射現象の説明になる。再度IT検索したが、この正反射の説明は見当たらなかった。

放物面の焦点と入反射光あるいは入反射電波が平行光線あるいは平行電磁波に変換される原理は、反射面での正反射現象によるのである。それを図解で示した。もし焦点Aに放射源があれば、放物面のB点で正反射により、準線FCに垂直な放射に変換される。その訳は、三角形ABEにおいて、∡ABEが二等分される。反射面の法線に対して入射角と反射角が等しい光の反射現象を正反射と言うのだろう。球面のB点で、入反射角は等しい。光は一粒の光が入射し、反射面で正反射して方向が変化する。その光の通り道を光路と言う事にする。電磁波も同じ事である。一波長のエネルギー波は縦波である。その通り道も光路と言えよう。

パラボラアンテナ BS衛星放送はパラボラアンテナで受信する。焦点dに衛星放送電波がアンテナの放物面で反射して、焦点d(上の正反射図のA点に当たる)に集まり、受信電波の強度が得られる。天体望遠鏡と同じ原理である。衛星から放射された、縦波電波(教科書は勿論横波と解説する。何が縦波かと言えば、流れる光速度流はエネルギーの流れであり、それは進行方向への縦波である。音波が空気に乗ったエネルギーの粗密の縦波であるのと同じ事である。と言う意味での縦波電波だ。横に振動する電界や磁界などは不要な概念だと言う意味でパラボラアンテナを採り上げている。)の僅かな一部の立体角成分の平面波をパラボラアンテナで捕えて、球面状の縦波に変換する方式である。この電波変換原理に対して、即ち平面波を球面波に変換する前後の電磁波に対して、マックスウエルの電磁波方程式の電界と磁界のベクトル的解釈が出来るだろうかと言う問題の提起である。電磁波を横波で解釈する意味があるだろうかと言う『問答』の提起である。ただエネルギーの縦波で原理は十分と考える。日本物理学会 2011年秋季大会 波はエネルギー流 日本物理学会講演概要集 第66巻第2号第2分冊 p.368 の意味を上に示した。

参考記事。球と立体角 照明と配光曲線 道草問答(6)-球面鏡の像ー

照明と配光曲線

古代人の松明や燈明に比べ、電灯照明は人の生活領域に時間・空間で革新をもたらした。しかし、白熱電球が懐かしくなる程技術の生活環境変化が激しい。

照明には独特の計測用の単位が定められている。その単位の意味が捉えにくいものであっても、その光の放射特性に関する法則や解釈法は、電波伝播特性の解釈に極めて重要な考え方が含まれている。マックスウエルの電磁方程式が光の伝播特性を説き明かした式である事から、照明の配光曲線と電磁波特性はほとんど同じ意味で取り扱えるのである。ただ違いは、照明が人の視感度のフィルターを通した波長成分に対してであるのに、電波はすべての波長成分に対して成り立つ点であろう。写真772照明の量的表示単位が特殊である原因は、人の目の感度が光の波長によって大きく異なる事に因る為である。いわゆる「可視光線」と言う見える波長に限界がある為である。380㎜μ(ミリミクロン)から760㎜μの範囲しか見えない事になっている。その人の視感度を比視感度曲線で解釈する。上の単位の関係を『比視感度曲線』との関係で図解しておく。写真7733つのグラフで示した。σ(λ)で表現したのが『比視感度曲線』である。人は紫外線も赤外線も眼には見えない。しかし電灯などの光源の放射光の波長は様々な成分の分布光線から成り立っている。その放射光束は単位ワットW(=J/s)で解釈する。Φ(λ)[W]で仮想的に図のようなものと仮定してみた。人が明かりとして認識出来るのはその光の内の或る一部しか感じないのである。その人の感じる光の量の大きさを図にしてみれば、σ(λ)・Φ(λ)の積のような大きさと考えられる。その各波長成分を積分すると、光束Fとして解釈できようと言うものである。しかしこれらの単位やその解釈もいろいろ問題があり、上の図のように簡単な捉え方で正しいとは思えない。一応教科書的説明を示しただけである。
配光曲線とは?配光曲線一つの例として、笠付き白熱電球の場合の光の放射分布の強さを表現してみた。蛍光灯の平板天井灯などでは完全拡散光源と看做せて、配光曲線は球状分布で解釈できる。その光の強さを表す用語を光度と言い、その単位はカンデラでI [cd]で表す。光度は光源からある方向に放射される立体角当たりの光束量の意味である。立体角については球と立体角をご参照ください。ある角度θの光度をI_θとして、それを全空間立体角4πステラジアンで積分すれば、光源の総放射光束Fルーメンとなる。しかし、この総光束量は光の最小仕事当量Mによりエネルギーのジュールに換算可能のように定義されているが、それは厳密な意味を持たないと言わなければならない。ジュールとルーメンの間には光の波長と人の感覚との関係ゆえに、光束ルーメンをエネルギーのジュールで換算する事は出来ないのである。そこに照明計測量の評価の問題が存在する。配光指向特性指向特性 配光曲線の形状で、その光の放射強度の指向性が照明範囲や雰囲気に関わってくる点で重要である。その例で、三角関数の余弦のべき乗 (cos θ)^n^ の数例を示す。反射面で、平行光線を放射する探照灯(昔戦時中の夜空を何本もの探照灯が敵航空機を捉えるために交錯していた場面が目に浮かぶ)などは I_0 一本の軸線がそのまま特性となる。それはパラボラアンテナ(放物面鏡)の電波反射特性と同じものである。この配光曲線の光度I_θの値はその方向に拡散進行する光の道筋をも示す。その道筋を『光路』と言う事にする。如何にも光の直進性も兼ねた言葉として有効と思う。パラボラアンテナと正反射に光路の例がある。

相対速度とは?

光の速度と空間特性』の(3)二つの運動体間の光伝播特性について論を纏めようと考えたが、光の空間伝播と言う解釈にはやはり特殊な認識が必要と感じた。アインシュタインの『特殊相対性理論』とは全く異なる解釈の展開ではあるが、日常の感覚とは少し視点を変えなければならない事が有る。光規定空間の場は地上の座標とは異なり、そこでの光伝播を論じようとすると、日常の生活での『相対速度』と光の伝播に関する『光相対速度』との違いを明確にしておく必要を感じた。先ず日常の例で相対速度と言う意味を考えておく。ロケットの打ち上げの様子は誰もが映像で見慣れているだろうから、それを題材に考えてみた。ロケットの打ち上げの様子を人が観察している状況で考えてみる。私も宇宙の事に関しては全くの素人である。だから疑問だらけでありながら、論じることに面映ゆさを禁じえない。例えば、ロケットは真上に発射されているようだが、暫くすると横に流れているように見える。その訳は「地球の自転の影響なのだろうか?」等である。マイケルソン・モーリーの実験では地球の表面速度を約 30[km/s]と考えていたようだから。地球自転の影響でロケットが曲がるなどと考えることは間違った解釈なのかどうかは、ロケットの発射現場の人に聞かないと分からない。専門家には素人の論は相手にされないが、一通り教科書の中身を学び過ごした目から見ると、総合的に判断して、余り専門の理論に固執しないで考えて良いかと思う。その中から役立つ理論を抽出して、日常生活の中に結び付けられたら良いと思う。古い理論の伝承鳩教育が現状の教育機関の問題点と思う。ロケットの話に戻す。観測者からロケットまでの距離が『相対離隔距離』と言えよう。人はロケットを見ながら、その上昇する早さとか方向とかのおおよその状況を推し量る。人からの距離が x[m]とする。この長さと方向性を数式で考えると、空間ベクトルに成る。ベクトル x になる。このベクトルの時間的変化率、即ち時間微分 dx/dt が所謂『相対速度』と言うものの解釈、定義になる。この相対距離の時間微分を「ベクトル解析」と言う有効な数学で解釈すると、「空間ベクトル解析」と言う論題になる。その『相対速度』はどのようになるかを示したい。人がロケットを観測して、その観測結果がロケットの速度として認識出来る訳では決してない。ただ考え方として理屈を付ければこのように表現でき、納得できるだろうという程度である。人がロケットの早さとか、その距離とかを目視で認識するのは、対象物が両目に張る角度γしか無かろう。近くではその識別力は相当効くが、遠くに離れるとどの程度の能力になるかとは思うが。兎に角数学的に解けば、時刻 t の時の離隔距離 x(t) と少し経過した時刻 t’ の距離 x(t’) の各ベクトルの差を経過時間 tr = t’-t で割れば時間微分となる。その時間間隔 tr を限りなく0にするのが極限値としての時間微分の意味である。lim(リミット)と言う記号で表した。その結果がロケットの時刻 t における瞬時的速度を表す事になる。その大きさが V であり、方向が単位ベクトル n で表される。また、発射台からのロケットの相対速度を解析すれば、人からの距離の微分と同様に同じ結果と値 Vn になる。なお、ロケットがより遠くの場合でも、もし同じ速度 Vn であれば、ベクトル解析結果は同じ微分値となるのは当然である。この辺の話になると、人間の観測感覚とは合わないだろう。

さて、人が離れた物を認識するのは何に拠るかと言えば、無意識ではあるが、それが『光』である。光で認識する訳であるが、光の相対速度を考えようとすると、特別な解釈の意識を持たなければならない。地球上でロケットを観測しても光の相対速度から、ロケットから反射する光が同じ地球上で観測するため、相対的に地球の運動はほとんど影響なく認識出来ると解釈して良い。(この文章は間違いである。2013/04/21に訂正。)ロケットからの光はロケットから放射された瞬時に、ロケットの速度とは無関係に光規定空間を光速度で伝播する。他方観測者の観測点は地球の光規定空間に対して何らかの測定不可能な相対運動をしている。そのロケットと観測者の相対的光規定空間上の瞬時的相対離隔距離はあるベクトル的な時間関係で定まっている。しかし、その座標関係を観測上も、計算上も瞬時的に捉える事は困難である。光の観測で或る程度の相対関係を認識するだけである。ロケットと観測者の二つの相互の状態を捉えるには、光あるいは電波に因るより他に方法はない。ロケットから放射された光を観測者が捉えたとしても、その瞬時のロケットの位置を捉えることに成る訳ではない。観測対象からの光伝播特性は 光伝播時間算定のための瞬時空間ベクトル解析法 日本物理学会講演概要集第54巻第1号第1分冊77頁(1999)(発表欠席)に解説してある。ロケットと観測者の光規定空間上の速度ベクトルが明らかなら、光の観測でロケットの相対速度を理解できるが、二つの速度が一般的には解らない訳であるから、光の到達時間の遅れをどう補正できるかで、観測結果が決まるであろう(以上追記)。

この辺の微妙な光の速度差を論じようとすれば、光速度を定義する場を明確にしておかなければならない。その点で、ローレンツの収縮やアインシュタインの論理で、考察対象の速度v や光速度 c と言う場合のその速度を定義し、論じる基準の空間が何も明確にされていない処に論理的矛盾が有る。言わば「曖昧さ」の上に論じられているのである。私が『光の相対速度』と言う場合に、その意味を誰もが分かるようにしておかなければ、論理にならないと思うので、ここに取り上げた。ロケットの速度を人の観測と言う場に「空間ベクトル解析」と言う数学的手法の意味を説明した。光の伝播現象に、光一粒(光量子、光子と言うもので、1波長分のエネルギー空間分布を私は定義)の空間での瞬時、瞬時の座標位置を「瞬時空間ベクトル解析」により捉えようとするものである。ここで説明しておきたかった事は、光の速度基準空間が『光規定空間』と言う宇宙の全空間を支配する均等な絶対空間と解釈すると言う点である。この辺は宇宙論の専門家とは全く異なる視点で解釈している事をご承知いただきたい。光が世界を支配する全ての「王者」であると言うのも、この事、即ち「空間と時間ー”時空”」を規定する支配者が光である事に基準を置いているからである。素粒子も変換時に光を放射する。光をどんな素粒子が構成すると言うのかを明確に示されれば、私も『世界の王者が光だ』などとは言わないで済むかもしれない。素粒子の根源も『光』である

光の速度と空間特性

光その不思議な世界 求め続けた道。

(3)  二つの運動体間の光伝播特性 ー基本例題ー

(1)で、光規定空間という絶対空間を定義して、世界を支配する王者が『光』であるとの認識に拠り、『光相対速度』を定義した。その光規定空間での光速度とはどんな特性を演じるかを理解する必要がある。アインシュタインの『特殊相対性理論』とは全く異なる点は、極めて常識的な日常の感覚で理解出来ると言う点である。そこで基本的な光伝播特性を理解するための簡単な例題を挙げて解説してみようと考えた。二つの運動体が光規定空間の一本の直線上を運動する場合を取り上げる。その概要図を示す。宇宙空間の直線状の運動を空想すれば良い。あくまでも地球上の空間では、地球がすでに運動しているのでここで考える直線状運動は考えられない。それが上の概要図である。ここで動作式を記すには変数などの添え字が多くて無理である。別のファイルからの挿入形式としたい。これからその準備に掛かかるのでしばらく猶予を願う。(6月13日) この項に取り掛かる前に『相対速度とは?』を準備として追加した。ようやく基本例題の問題が出来た。

(2) 本解析法の基本は「単位ベクトル」に拠る。その事を空間ベクトル解析と単位ベクトルとして纏めた。 (2011年6月10日)。

(1)  『特殊相対性理論』に疑念を抱いて、『光規定空間』に拠る『光相対速度』を提唱した。その基本的考え方を以下に纏めた。(2011年5月22日)

『光』それは世界を支配する王者。その科学的認識が20世紀に大きな影響を及ぼしてきた。その顕著な世界が『特殊相対性理論』である。今はその理論が誤りであると確信できた。もうすでに10年以上経過した。「自由空間における光の伝播特性と周波数」(1998.10.5) 「光伝播時間算定のための瞬時空間ベクトル解析」(1999.) 「2軸回転系の光伝播特性」(2000.9.25) の3報を日本物理学会講演概要集に記す。ここにその過去の記述を纏めておきたい。ファイルの挿入と言う形式で記したい。『光の相対速度』を算定式に纏めた奇遇の時を経た結果でもある。『光の相対速度』とは? それは光源から放射された光が「光速度一定」で伝播する『伝播空間座標』とその光を観測する『観測者』の運動との関係で変化するのである。上で、速度と空間の考え方を説明した。

 光規定空間座標 光の世界を論じようとすると、どうしても遠い宇宙論に話が及ぶ。光は直進すると言う意味を運動する地球上で観測する場合にどう解釈するかをはっきりさせておかなければならない。宇宙全体の空間と時間(人間の認識上で規定したー時空概念ーでしかない)を決定するのが『光』であると言う解釈での『光規定空間』と呼ぶ。

光規定空間座標と光の相対速度 光が伝播する空間特性を捉えようとすれば、ある程度数式で解析しなければならない。

写真086その空間での光の伝播特性のベクトル解析法を説明した。光が光源S(t)から放射された後、光源に観測者が居るとして、その光が観測者に対してどのような相対速度で伝播するかという問題である。特別難しい数式でなく、せいぜい三角関数で解ける問題であろう。(訂正)(1)式のnc_c_t=cn_c_t=が正しいので訂正します。訂正ファイルを入れ変えた。

光の相対速度の特性 上に求めた『光の相対速度』の式(3)を少しグラフ上に描き表してみようと思う。

写真087

(2015/10/5)追記。上の続きが載せてなかったのに今日気付いた。二つの運動体間の光伝播時間のベクトル解析結果である。この内容は日本物理学会講演概要集 第54巻第1号第1分冊p.77 (1999) に在る。講演発表は欠席。

光伝播時間光伝播時間

伝播時間(2)伝播時間(2)

光規定空間座標を仮定して、その空間座標上での光伝播と観測に関わる伝達時間がすべて光と観測者との運動の相対性によって決まるという論である。特殊性と言う意味は否定し、空気伝播の音声の相対性論と変わりない事を論じた。ただ、光規定空間座標を我々観測者が認識することは不可能である。我々自身が光の光速度一定で伝播するその空間に対して、どのような速度で運動しているかを実際に知る事は出来ないから。例えば太陽のその空間に対する速度も知る事は出来ないから。しかし地球上の光観測においては、光放射源と観測者間の相対運動に因っても観測波長や伝播時間は変化する。なお、地球の運動速度により、観測波長は変わらなくても、伝播時間は変わる可能性がある。